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新はげ丸コラム(オナ禁の先にたどりつくためのハウツー)

1名無しさん:2022/12/15(木) 15:03:01
もはやオナ禁から遠く離れ、一時は【完全エロス禁】を目指した私・はげ丸。自分自身の体験に基づいて作ったオリジナル理論をつくっては否定し、否定をさらに否定して元に戻ってみたり……。何度も何度も考えぬいてたどりついた境地を書き残しておきたい。

2はげ丸【ダイエット3日目】:2022/12/15(木) 15:26:05
「オナ禁とは何だったのか」

オナ禁は今では秘術でもないし、知る人ぞ知るマニアックな情報でもない。【オナニーを我慢して射精するのをやめれば女性をひきつけるモテホルモンがでて女からモテるようになる】というわかりやすさから、女にモテたい→じゃあオナ禁しよう! という流れが、流行というほどではないにしても、「ああ君もオナ禁しているのか」という程度にはオナ禁は誰もが一度は耳にするワードになったように思う。

だが、オナニー中毒者ばかりの現代社会において、オナ禁しよう!と思ったもののすぐに挫折、失敗した! というリセット報告は山ほどあって、そういうところは10数年前から今日まで変わっていないし、嘘か本当かわからないがオナ禁数年つづいています! という継続日数でマウントをとりあう状況も昔と変わっていない。

そんななかで、私にとってオナ禁とは何だったのか。私は厳密にいうと、もはやオナニーを禁止していない。その理由については別のところに書いている。射精をしないことによる摩訶不思議な強烈効果については今も認めているし、いまだにオナ禁=射精しない と捉えている人も大変多い。

そういう意味でも「オナ禁」は私から遥かに遠い概念となりつつある。はじまりは私も射精の我慢大会だったけれども、そのころから膨大な日々を経て、繰り返し繰り返し記録をつけては挫折し、挫折しては復活することをやっていて、20代だった私は40代になっていた。

オナ禁あってこその我が人生ではあるが、今はもう一般的な意味での「オナ禁」よりよほど重要な概念「虚像禁」があり、この虚像禁について語ることもこれまで繰り返してきたし、その虚像禁も最初は【ポルノでシコシコしない】【ポルノで興奮しない】というものだったが、今は【エロアニメをみない】【過剰なまでにネットゲームの世界にはいってしまわない】ことも虚像禁の必須条件になっている。

オナ禁者の記録も私自身の分だけではなく、これまで数百、数千人の記録(つぶやき)を読んできたと思うが、結果がでていないと思った人たちが「なぜ彼らは結果がでていないのだろうか」と私なりに分析をしていると、彼らに共通しているのが過剰なほどのアニメおたくだったり、ゲームの世界に没頭していた。

私は射精をしなかったら女性をひきつけるフェロモンをだすようになる現象はそのとおりだと思っているが、たとえそうやって一時的にホルモンやフェロモンで女性を無意識的に引き寄せることはあっても、その引き寄せた男が、生身の女をみても肉体的に興奮できなかったりする。それはエロ動画のような、エロ専門の肉体を備えた美女なんて奇跡みたいなものだし、エロアニメのようにシワもたるみもない美女は存在しない。だからエロアニメが大好きな男は、せっかく女を一瞬引き寄せたとしても、男自身が燃えていない。女は自分が本能的に求められていないことを、無意識で感じとって、結局性フェロモンで引き寄せられたのはたった一瞬といことになる。

しかし、エロアニメに没頭しているオナ禁者はその現実に気づいていない。なぜ俺のフェロモンで引き寄せられないんだろう、それは俺がイケメンじゃないからだ、俺が金持ちじゃないからだ…と理由をほかにみつけて「オナ禁だけじゃモテない」と言うようになる。

私は思うのだが、男が本能から1人の女の肉体を心底ほしがったとき、必ずその男に良い女がやってくると思っている。ネットも虚像もない原始時代から、人間は本能的にセックスして子孫をつくってきた。動物たちも気づけば教えられることなくセックスしている。

人間だけが虚像をつくりあげ、虚像に興奮し、虚像で性欲をみたすことを発明したため、肉体本来のもつ欲望の声を無視するようになってしまった。だからモテたい、女がほしい、なら、オナ禁という名の射精禁はもちろん強力な手段だが、1番は虚像で興奮すること。虚像の世界に自分の居場所をもとめること(ネットゲーム)をやめてしまえばいいだけだ。

そう思わないか。

3はげ丸【ダイエット3日目】:2022/12/15(木) 15:58:21
イケメンになることより大切なこと

この文章をカフェで書いている。私は2022年の春から夏の途中まで毎日のようにカフェ通いをしていた。女をみたかったからだ。

だがその日々は完全エロス禁もあってやめてしまった。ほぼ行かなくなっていた。

ところが今日、もう冬で生脚もみられないし、眺めも寂しいなあと思いつつもカフェにでかけてみたら、おひさしぶりですね〜と、顔なじみだった女店員に話しかけられた。席に座っていると、私の周りに可愛い女性たちが集まって座る。この店は毎日来ていたような店だったからその当時顔なじみの常連女子たちが何人もいた。信じられないかもしれないが、その何人もの女子が私のエロい視線を受け入れて自ら靴をぬいで裸足をみせつけてきたり、股間をさわりだしたり、足をピーんと伸ばして視線をからませあったりした。それはとても薄っぺらい嘘にしか思えないだろうが、別の場所に膨大なリアルタイム記録を残している。その記録も嘘だ! と言われてしまってはもうどうしようもない。

とにかく、そんな店なので、今日ももしかしたら私の周りにやってきた女子たちは数ヶ月前の顔みしりなのかもしれない。だが私はあまりにもたくさんの女の顔を見過ぎたことと、女たちも季節がかわり服装がかわり髪型や化粧もかわれば、もはやさっぱり顔見知りもわからなくなる。なにより思ったとおり露出は少ない。

さて、かくいう私は40歳をとっくにすぎてしまっている。女子と私がよぶのは20代前半から30代の女子である。どうして彼女たちは他の席が空いていても私の真横にスッとやってきたりするのか。それは私がSMAPのメンバーやKinKi Kids並にイケメンだからだろうか?

それはちがう。私は全然かっこよくない。最近は夏より4キロちかくリバウンドもした。それでも私は心の底から自分に自信がある。女たちは私のところにやってくるはずだ、と。

それは私がイケメン化より清潔感を重視していて、清潔感こそがすべてだと確信しているからだ。その清潔感の正体、それは何だろうか?

こたえはひとつ。鼻の脂である。

この鼻の脂こそ、世の中にキモ男子をうむ原因になっていると思っている。読者諸氏も自分がオナ禁をつづけているのに効果がでない!と憤っているなら、一度鏡で自分の顔をみてほしい。イケメンだな、ブサイクだな、で判断しがちだが、みる場所は「鼻」だけだ。そして鼻が低いとか団子鼻だとか、そういう形をみるわけでもない。

脂をみてほしい。毛穴をみてほしい。詰まっていないだろうか。

この鼻の脂を意識してみると、これまでオナニーをやりまくってきた人ほど、すべてに毛穴は黒くつまっているはずだ。詰まった毛穴が炎症を起こしていることもある。そうなると独特な臭さがでてくるらしい。まずい天ぷら屋が古い油をつかっていると、店全体が油の酸化した臭いがすることがあるが、顔が酸化してしまうと顔から臭ってくることになる。ここに歯に歯石がつきまくって歯垢が膿んでくると内臓から臭ってくる。ここに加えて、お菓子やコンビニ弁当などの添加物をとりまくっていると、体から噴き出す汗まで臭くなる。

清潔感という一言だが、ここが奥が深い。

じゃあどうすればいい? 黒い鼻の毛穴をおしだせばいいのか? ということになって、何十回も顔をあらったり、鼻の脂をおしだしたりする。するとどうなるか。鼻の頭だけ真っ赤になる。ピエロのように鼻が赤くなり、急に突然開かれた毛穴からは、待ってましたとばかりにドバドバとそれまで溜まっていた内側の脂があふれでてきて、キモさが全開になる。

ではどうすれば良いのだ? 酸化した黒い毛穴は匂うしキモい、その黒い毛穴をおしだしたら赤い鼻になり脂がドバドバではじめてくる…

これの解決は実はものすごく大変だ。結論からいうと、毛穴は押し出さない。毎日少しずつ、黒ずみを削っていく。黒い脂を少し減らし、そこに良質な乳液という名の脂をぬる。そうすることで、ドバドバ脂を内側からださないようにする。長い時間がかかる。化粧水、乳液、洗顔習慣…

実はこれに本格的にとりくんだのが今年に入ってからだった。長い時間がかかったが、半年たってみると、私の鼻はツルツルスベスベになっている。40代だが、へたすれば20代より清潔な鼻をしている。

オナニーをしまくっているとキモくなる、という具体的なキモさはこの鼻の脂ということを意識したほうがいい。私は別のところで書いたが、オナニーも解禁した。だが、これは完全な私論だが、目をとじて瞑想状態のオナニーと、虚像ポルノをみて射精するのではあきらかに脂の出方がちがうように思う。まあどっちにしてもオナニーは過剰な脂がでる、ということを常に意識したほうがいい。リセットしたら亜鉛だなんだというより、必要なのは洗顔である。

4はげ丸【ダイエット14日目】:2022/12/26(月) 16:42:19
自分の属性を見極めることについて

昨日、一昨日はクリスマスイブ、クリスマスだった。世間一般のある程度イイ年齢の男女にとって、クリスマスとはすなわちセックスの日である。街を歩いているカップルも夫婦をみてみよう。この日彼らは確実にセックスをするのである。

世の中はSNS全盛時代だ。昔は文章をネットにアップするのは文章力に自信があるほんの一部だったものだが、今ではムキムキの脳筋マッチョでさえも、SNSで自分を語る。表現の手段は文章ではなく、写真を撮るだけでいい。かわいい彼女と2人きりのツーショットを撮り、そして2人で食べたことをアピールするためのレストランの料理の写真。

そういうアピールが日本中で同時多発で起こるなかで、モテない男たちは私が20歳だったころよりも深く自尊心を傷つけられる。溢れる自慢の洪水を浴びて

「なぜ俺はモテないんだ_」

という問いが無意識のうちに何十、何百と繰り返される。みる必要もないのに、自慢だあらけのSNSを開きつづけ、思ってもいないのに友達にイイネを推しつづける…。

「くそう‥くそう‥」

そうやってモテない男たちはパンツを脱ぎ、別に本当は射精したいわけでもないのに、圧倒的な圧力でペニスに刺激を加え、ポルノで興奮させているふりをして、実は本当の意味では興奮していない。ただのストレスの発散として、自分を慰めるという言葉の意味そのままの自慰にふけっっていく。

……というのが、私が「みている」世界の流れだと思うのだがどうだろう。

そして、彼ら、嫉妬やストレスを自慰にぶつけているジイメンズたちがある日オナ禁に出会う。「え? オナニーをやめたらモテるのか! じゃあオレ、オナニーしない。オナニーやめるよ!」

そうして彼らはオナ禁をはじめてみたが、そうして本当に効果があるのものなのかどうか、自信がない。それでネットの深い闇を探りに探っていくものが、ひょっとしたら「はげ丸」に出会うかもしれない。

この流れを想像すると、少し愉快でもある。

はげ丸が書いている記録は、これまでの他の誰ともちがう。そもそも、このはげ丸はエロい眺めのことばかり書いている。はげ丸はとても偉そうに、自信を超絶もって延々と長文の記録を書いているけれど、本当にモテているのか? オナ禁をはじめたらモテると聞いた、オナ禁をしたらクリスマスにこんな寂しい惨めな思いをいなくてもすむと聞いた、だからオナ禁をやっているのに、はげ丸の記録を読んでも、本当にオレはクリスマスに彼女ができるのか?

…こういう心の叫びが聞こえてきそうである。

クリスマスにセックスする相手がいない、だから、オナ禁をしてモテようと思った……そういう人とはげ丸こと私のあいだには、本当に深い溝がある。この溝はおそらく、15年以上オナ禁と関わり続けて、当時は20代半ばだった青年が40すぎて、そして、オナ禁が結果的に縁結びとなって結婚したという、あまりにオナ禁のはじまりのときから時間が流れすぎていて、もはや私がだしている効果はオナ禁なんだろうか、という寂しささえ感じる。

だが、今の境地にたってみて、たとえば今自分が20代前半だったとして仮に私がモテなかったとする。クリスマスに彼女もいなかったとする。

私自身が置かれた状況を、ジイメンズたちと同じだと設定してみる。そうしたとき、はげ丸はどうするか?

結構、私は自信をもっていえるけれども、おそらく私はたとえ自分に彼女がいないからといって、ストレスを感じることはないだろう。同級生や友人たちの自慢ばかりのSNSをムキームキーとヒステリックにみて、「オレなんて…オレなんて…」と言うこともない。嫉妬に狂ったストレスをポルノを開いてシコシコぶつけることもない。これは断言できる。

5はげ丸【ダイエット14日目】:2022/12/26(月) 16:43:21
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じゃあはげ丸はどうするのか? クリスマス1人ぼっちでいいのか?

そう問われたとして、あえて考えてみるが、私はそもそもクリスマスだから恋人とセックスする、という勝手に決めつけられた風習にむしろ嫌悪感をもつだろうし、そもそもSNSもみない。そんなに友達もつくろうと思わないし、友達がいないから自分はみじめだ、とも思わない。なぜなら、今の私は私がどういう人間なのかをよく理解しているからだ。

世の中には、自分が無理することなく、どんどん人々の群れのなかに入っていって、輪の中心にいつのまにかいる人たちがいる。友達をつくろう!と少しも力むことなく、気づいたら誰にでも話しかけて仲良くなれる人がいる。たくさんの姉や妹と一緒にそだったおかげで、女と会話するのが得意な人もいる。両親が大金持ちだから、学生の身分でありあまる資産を自由につかえる人もいる。生まれたときから美男子、息をするだけで周りの女が寄ってくるようなイケメンもいる。本当に世の中はひろくて、自分には想像もできないような才能や家柄に恵まれた、絶対にかなわない人たちがこの世の中に存在している。

私はその事実を、言葉じりではなく、心の奥底から実感している。だから自分をわきまえているつもりだ。

さきほどは世の中上には上がある例に書き記したけれども、一方で世の中には生きているだけで奇跡だな、と思えるような不幸も存在している。その例をわざわざ挙げる必要があるだろうか?

ひとつ挙げるならば、今、こうして「女」のことでコンプレックスを感じたり悩めることができる幸せについて。大砲が撃たれることにおびえていたり、両手両足がない人たちもいる。

上には上があり、下には下がある。その事実もまた受け入れる必要がある。

宗教をとくつもりではないけれども、自分だけがモテまくりたい、自分だけが贅沢な暮らしをしたい、なぜ自分はそれができないのか! という視点しかなかった場合、オナ禁しようがしまいが、必ず自分の内側の嫉妬心によって、自分自身が追い詰められてしまう。

だから繰り返すけれども、まず「自分という人間を知る」こと。自分はどういう位置づけで、この世界に存在しているのか。自分にはどんな価値があるのか。あるいは、どんな価値をもてる可能性があるのか。それを冷静に知ること。

そして、「世間との比較をやめる」ということ。友人が一流大学で自分は三流大学、友人が一流商社で自分は無職、友人はモデルと結婚して自分はずっと独身…

そういう比較は本当に何もうみださない。たとえば、仮にこのたとえにおいて「オレは一流大学だ!」であっても、そのなかでも「え、東大じゃないの?」といわれるのが官僚の世界だし、「え、ハーバードくらい留学いってきなよ」というさらに上の世界もある。全員が東大生のなかでは浪人している東大生はそのことにコンプレックスをもつかもしれない。大人になってもセンター試験の点数を自己紹介にする人間になったり、恋人をつくるときに「僕の年収はね…」という挨拶からするような人間になりかねない。

自分を知り、他人との比較をやめるとどうなるか。

嫉妬しなくなる。だいたいのストレスの原因は、なんらかの劣等感や嫉妬からではないだろうか? 焦りや不安というのも、自分を知らず、人と比較ばかりすることで起こるのだから、この2点を本当に理解したとき、自然とオナ禁ができるようになる。

そしてオナニーするときの質が劇的にかわるだろう。今までのように、エロに興奮したからオナニーしているふりをして、実は自分の虚しさを慰めていた、ただの手の圧力で無理矢理やっていたシコシコから脱却するとどうなるか?

6はげ丸【ダイエット14日目】:2022/12/26(月) 16:44:03
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女の「美」を純粋に求める。女のフェロモンを嗅いだときの興奮の質が全然ちがってくる。たとえば今この文章を書いているのはヨガ教室のラウンジなのだが、私が外付けキーボードで、スマホでこの文章を書いていると、1人の美女が同じようにパソコンをもってきてイスをひとつあけて横に座った。周りには他にも席がある。実は彼女とこの距離で過ごすのはこれが2回目である。ここまでなら、よくあることだろう。

だが彼女はヘソだしのタンクトップで、はいているのはレギンスのミニタイツみたいな短いやつなのである。かくいう私も短パンとシャツだ。私はノーパンである。椅子をひとつあけて、真横でOLがミニタイツへそだしタンクトップで、生脚をさらけだしながらいる。私はボッキしている。そして、このコラムをさっきから叩き打ちながら、彼女の股間や太ももをガン見している。それが許されている。なぜなら今回で2回目なのと、彼女がみずから私の隣の隣にきているのだから。ちなみに隣との距離は30センチ。さすがに密着はお互いにできないだろう。

私はときどき、小刻みに両足を揺らせている。揺らしながら、その刺激でペニスが気持ちよくなっている。彼女の太ももをみながらである。彼女もわざとのように太ももをサワサワさすっている。

股間がまるみえだ。レギンスなのだから。しかしミニタイツなので、太ももはむきだした。そして美人だ。爪のネイルがとても高級だ。


さて…こういう状況で、私はこの文章を書いてきた。すでに原稿用紙10枚ちかい、大作になってきた。で、私の真意は読者に伝わっているだろうか?

たとえば、私がナンパ師だったら、こんなまどろっこしいことをせずに声をかけにいくだろう。ヨガ好きな女は、どエロいと思う。さっきまでレッスンでほぼノーパンで、両脚を開き、アソコを開帳するようなポーズをしたりしているのである。

そういうエロい女にどうして声をかけないのか? どうしてトライしないのか? それは臆病者だからだろうか??

いや、それこそ私が繰り返し書いている「自分を知る」ということにつながってくる。私はそんな風にナンパすることが得意な性質ではない。この15年に自分を変えてみようと努力したこともあった。ナンパもしたことがある。成功したこともある。だが、今ふりかえってもそれは本当の私ではない。それにセックスはそんなにいいものだろうか? 不思議に思う。なぜセックスがゴールなんだろう。

こうしてムチムチの太ももを間近でガン見できる状況。普段はスーツのOLが、ビキニ姿みたいな格好でパソコンを触っているというAVみたいな違和感のあることが起こっている、それを心から楽しむ。「みる」「よむ」ことを極めた自信が私にはあって、そうして女の体をみているだけで、恍惚としていく。

そう、さきほどオナニーの話をした。私はいつかこの状況を思い出してオナニーをしたい。平日の昼間に奴隷のような労働をしていた時期が短いけれども私にもたしかにあった。だが今の私は昼間から真横にモデルみたいな20代半ばの女とラウンジにいて、彼女の太ももをみながらボッキしている。これが私なりの達成であるし自分を知ったからこそ得ている時間だと思うわけだ。

7はげ丸【ダイエット16日目】:2022/12/28(水) 17:07:51
カフェにきている。右ななめ前にはこの時期には珍しく生脚むきだしのショートパンツに、巨乳の形がうきでている黒のセーターの女子大生がいる。

左ななめ前には、露骨にセックスが我慢できない大学生くらいのカップルがいて、周りの目をまったく気にすることなく男が女の胸をもみまくり、女は「やだ、やだ」と拒否するそぶりこそしているけれども、嬉しそうにされるがままになっている。

この情景は、私が引き起こした性磁力などではない。私がたまたまこんな現場にきただけだ。エロスを求める生活とは不思議なもので、私が求めれば求めるほど、エロスに関していうとスッとふってくる。

引き寄せの法則というのがある。たくさんの「引き寄せ」に関する本があるけれども、あの本がすべて商品であることを忘れてはならない。わざわざ書籍化するくらいなのだから、それ相当に「引き寄せ」についてそれぞれの作者は考え抜いてきたのだとは思うけれど。それをまったく引き寄せられない一般人に売る「商品」としての本を書くにあたり、どれだけその秘術を隠しているだろうかと私は疑う。

「おそらく、君には引き寄せは無理です」

そういう引き寄せ本の著者はいまだかつていない。ハウツー本の罠はここにある。本を読めば誰でも引き寄せができる、そんなことはない。そして、読者をけっして不快な思いをしないように書かれてあるので、引き寄せや自己啓発において本当に必要な

「今までの自分自身の人生観を本気で全否定する」

ということを、商品化されたハウツー本はできていない。

私は「引き寄せ」は出来るものだと今では確信しているが、私が引き寄せ本を毛嫌いするのは上記の理由のためである。

では、本当の引き寄せはどうやって行うのか? その問いに、私は半分自信をもって、もう半分はまったく自信がない態度となる。私が自信をもっていえることは、エロスを呼び寄せる引き寄せ術を私は確実にもっている。そして私が自信をもっていえないのは、私はある程度の富を引き寄せることはできたが、圧倒的な世俗的成功を引き寄せるための「引き寄せ」術を知らない。

だから私が書くコラムなり報告はエロスに限定されているのだろう……。

だが、こうやって文章を書いていて客観的に思うのは、結局のところ引き寄せとは、どこまで本気でほしがっているか、という意思の力である。

そう言われると、みんなが「オレも金がほしい」「オレも女がほしい」「オレも幸せがほしい」とみんなが口をそろえていうはずだ。自分から不幸になりたいものなんて誰もいない。

だが、引き寄せというのは「ほしい」ではない。「おれは必ず手に入れるだろう」という強い確信のことだ。手に入れることができるという自信の根拠がなくても「いいや、それでも、オレなら絶対にそれをてにいれるだろう」と断言できるだけの確信をもっていないといけない。

さきほど、すべての人間が「オレも金持ちになりたい」「オレもイイ女と出会いたい」「オレも幸せになりたい」と思っていると書いたが、では「オレは絶対に幸せにな人間だ」「オレは金持ちでしかない」と自信も根拠もなく言い切れる人間になると限られてくるだろう。

私はさきほど「私が動くとエロスがふってくる」というようなことを書いたし、絶対的な自信をもっている。これが引き寄せのコツである。

そして、私は絶対に圧倒的な金持ちになるだろう、とは、正直ながら、私は嘘偽りない気持ちで、「圧倒的金持ち」になれるとは信じられていない。

引き寄せ本にもいろいろあって、私が思う低レベルな引き寄せ本などには

「オレは金持ちになっている、オレは必ずスポーツカーに乗ってみせる」

という文句を毎日ノートに書けば、必ず手に入れられるだろう、ということを売りにしているものなどがある。私はそう思わない。

私は、自分がどうしてももう40半ばで、圧倒的な世俗的名声を得て、大金持ちになる、そんな自分が想像できない。そうなれれば、いいとは思うし、簡単になれるならなりたい。だが、やっぱり自分がどんな努力もして、すべての時間をそこに使って、圧倒的金持ちになっているという自分の絵がみえてこない。

それは私が怠慢なのかもしれないが、こうも思う。おそらく私は本心から「圧倒的金持ち」になりたいなんて思っていないのだ。私は「圧倒的」世俗的名声も望んでいないのだ。私は「そこそこにゆとりのある暮らし」で満足する人間だし、私は「そこそこのゆとりのある暮らし」は全力で手に入れたいと思っていたし、それを手に入れられるような根拠のない自信があった。そして、私はそれを引き寄せて今の暮らしをしている。

それはつまり、私は奴隷のように働きたくない、ということだ。ここが私にとって重要だ。世の中に数千万の年収を稼ぎだす同年代たちはいくらでもいる。膨大な貯金があり、女遊びがしたければ毎日のようにソープ嬢たちと酒池肉林な生活をおくれる。そういう人生。だが、私はなぜか自分がそうなりたいと本心から思えない。それはなぜだろう。

数千万稼ぐ人生……一言で書いてしまったが、それだけの収入を得るということは、それだけ犠牲にするものが必要とされる。それは自分の時間だけではなく、精神的自由が奪われることかもしれない。とりあえず毎日私のように寝ころんで、女の脚を眺めに外へでかけて、こんな駄文をインターネットの闇の奥底で記しているような、そんな時間の使い方など絶対にできないはずだ。私は自分が一流ビジネスマンの道を歩いているような未来を想像してみると、ちょっとうらやましいと思う反面、では今の生活で不満点をあげてみよ、と言われると、実は全然不満がない。不満がないからこそ、変革のための莫大な自己否定をふくめたエネルギーがわいてこない。

「引き寄せ」がどういうものかわかってきただろうか。意思の力、と書いたが、相性もある。たとえば私は女をみるのが好きだ。好きだから、何時間でも女をみていることができる。集中できる。その集中力には1円の報酬もない。1円ももらえない、まったく無駄にしか思えなくても、女を眺めるために一日中その場に座っていることができる。

これが意思なのだが、もしもこれを努力と言いかえるなら、私は凄まじい努力をしてきたことになる。もし「オレは女が好きだ!」という男性がいたとする。だが彼がいう「女が好き」というのは、ただ女とセックスして射精することだったり、女を想像してオナニーすることかもしれない。私のように、射精が目的ではなく、女そのものが目的。女が目の前にいる、というその事実で興奮してくる、そういうことを本当の意味で「女が好き」というのだとしたら、私のような境地になるためには、一般の人は努力をしなければいけないことになる。

ひたすら女をみる修行。それを毎日、毎日、なんの報酬もない。なんの知識も増えない。英検1級の単語を覚えるためには数千時間は必要かもしれないが、数千時間覚えることに使うと、英字新聞も中学生の教科書と同じになる。では、女の足や脚だけを数千時間、英単語を覚えるように集中して「みた」らどうなるだろう?

それが私なのだ。その結果みにつけたのが、「引き寄せ」の力なんだと思う。私が街を歩く。なぜか予感がして、予感にしたがって歩く。すると、イイ女がいる。女は生脚をばっちりみせてくれる。これは偶然であって、偶然ではないし、私が「みた」ときに起こる不可解としかいえない状況。これもまた一種の努力の結晶なんだと思う。そういう意味で、私は或る種の能力者になったわけだが、この境地になるためにすごしてきた数千、数万時間のムダを思うとき、はたして「こうすれば君もエロスを引き寄せられる!」と言えるだろうか、というためらいがある。

もっとも、この文章を読んでいる読者はその才能があるだろう。なぜならこの文章が書かれているこの掲示板にたどりつくには、いくつもの偶然の出会いを必要とする。相当な変わり物しかこの文章にはたどりつけない。グーグルふくめた検索エンジンがこのサイトを探し出すことを私は拒否している。なので、私はこのサイトを読んだ人間は人としての相性がたとえ悪かったとしても、勝手に私の親友たち、と思うようにした。

8はげ丸【射精禁1日目】:2022/12/29(木) 17:15:56
完全射精禁がもたらす自己変革のパワーについて。


私はこのコラムに書いたかもしれないが、今はそれほどオナニーを悪いことだとは思っていない。オナ禁者はとにかく「オナニーは絶対にしない!」と言って、「オナ禁450日達成だ!将軍を名乗ろう!」という我慢比べをやりはじめるけれども、その450日間にエロを強調した2次元のアニメに没頭したり、ずっとネットの世界のゲームのなかに生きがいを見出していたり、とどのつまり「虚構の世界」で自分の欲望を満たそうとしているかぎり、ポルノでシコシコしていることとそんなに大差がないのではないかと思っている。

なぜならポルノオナニーの1番の弊害は、精液を失うことでも、キモちわるい脂をながすことでもなく

【街を歩いている生身の女に興奮できなくなって、虚像の絵やデジタルのデータにしか興奮できなくなるような思考の人間になる】

これがオナニーの弊害なのだ。オナニー中毒者が死んだ魚の目をしていると言われたり、オナニー中毒者の顔が脂まみれで臭い、と言われるのは、もちろんそのとおりなのだけれども、そもそも

【オレ、もう現実の女なんかより、ポルノでいい。ポルノがラクだ。ポルノの女たちはオレが脂ギトギトでも何も言わない。オレがキモくても関係ない】

こういう思考が身だしなみを整えることをやめさせ、生身の女をみても何も思わないようになり、ただ性欲が動物のようにわいてくるとシコシコとポルノをみてオナニーをはじめる。

これはアニメやアイドルやネットゲームも同じで、

【オレ、もう現実の世界なんかより、ゲームでいい。ゲームがラクだ。ゲームの人たちはオレが脂ギトギトでも何も言わない。オレがキモくても関係ない】

…どうだろう? オナニー中毒者とゲーム中毒者、アニメ中毒者は同じ発想になっていくとおもわないか?

だから私は日数にこだわるオナ禁をして、虚像を禁止しないのなら、ポルノでシコシコするのをやめて健康的に妄想しながらシコシコしてスッキリしたあと、現実をみつめる。そういう正しいオナニーというものがあるんじゃないか、と思ったわけだ。そしてこの考えはそんなに間違っているとも思っていない。

しかし、そういう虚像禁をめぐるオナ禁論はどうでもいいとして、射精禁そのものは、本当に物凄いパワーがある。人生を大どんでん返しに導くほどに、自分自身のなかに想像もしてなかったもう1人の別人格がムクムクとわきあがってくる。

この別人格は、場合によっては人生を崩壊させるかのような突拍子もない行動にでて、性犯罪者になる者もいれば、私が高級レストランのウエイターを突然やめてしまったように、平気で仕事をやめたり、会社で働いている自分が馬鹿馬鹿しくなったりする。かと思えば、ガムシャラに資格試験の勉強をはじめだして、TOEIC400点台から満点近い点数まで到達するほどに急激に勉強脳が目覚めだしたりする。

女を前にすると、人が変わったように話せる自分がいたり、眼が大きくなったり外見が変わったりしはじめる。もちろん、それはさきほどの【虚像禁】ができている、というか、虚像に無反応になれるレベルに達してはじめて可能なことだ。

ただ、この射精禁が続いていくと、圧倒的変貌がもたらす様々なホルモンバランスの乱れがやってきて、射精をしたときのダメージが凄まじい。たとえば100日。100日すぎて、1日射精しても、なんとなく大丈夫、オレは全然かわらない、100日射精してないんだから、1日くらいでなんもかわらない…

そう思っている。実際変わらないように思える。だが、少しずつ変貌していた自分が元の自分に「かえっていく」ことに気がつく。勢いが衰え、急にいろんな物事がどうでもよくなり、不意にすべてが馬鹿馬鹿しくなりはじめ、精神が瓦解していく。

そういうことが、射精禁というのは付いてまわる。なぜなら、圧倒的な変革エネルギーで、自分ではない自分になるからだ。それは別のコラムで書いたけれども、本当の自分ではない。だから自分を見失い、過剰なチカラを持て余し、疲れすぎてしまう。

しかしそれでも、射精禁が引き起こすチカラが物凄いので、アレを経験してしまうと定期的にその世界に戻りたくなってしまう。もう終わってしまったが、今年の夏はタワマンに住むカリスマインスタグラマーのエステ経営者とLINE交換をしていて、なぜかずっと施術をずっとタダにしてもらっていた。そのカリスマ美女の友人という或る有名芸能人の血を持つ人妻が、エステシャンになりたい(エステごっこをしたい)というので、私が実験台で、毎回勃起ペニスを丸裸にしてVIOをうけたり、髭脱毛をやっていた。それは不思議な出会いだったし、完全射精禁じゃないと、あんなことは起こらない。

秘密プロジェクトとして、街の美女のスナップショットを掲載するアカウントをインスタグラムで作ったりして、実は記録には掲載していなかったが、声かけをしたりもした。私は昔、占いをやりますといって、タロットナンパをよくやっていたり、「アルバイト代をお支払いするのでマッサージモデルを引き受けてください」と出会い系で募集して成功した経験がたくさんあったので、そのときのようにこのスナップショットを撮るという名目で、美女たちを撮りまくりたかったのだ。

しかし、そのプロジェクト含めたすべてが、あるとき急に「こんなの自分自身ではない」となって、カリスマエステ嬢とのLINEをブロック解除し、インスタプロジェクトも削除した。顔だしの出会い系、課金の出会い系も削除して、すべてをやめて、妻と誠実にすごしたい、と完全エロス禁の道を模索することにしたのだ。

話が延々と同じところにとどまっているけれど、それでもエロスがおもしろい。エロスがもたらしてくれる喜びがドンドン強くなってきている。だから今年の秋の絶望をふまえてでさえ、もう一度、自分の「みる」がひきおこす、まったく想像もしていない状況にジャンプしてみたい。

すでに昨日書いたように、私が本当に求めていた光景が一昨日目の前で展開された。

インスタのどんな美女よりも美しいのではないか、というモデル先生のあのエロヨガ…その直後の密室の2人…私がいるのに股間に手をおくのはなぜか…さらにソファ席で私がほぼブリーフ1枚のような布1枚で勃起していて、それをみながら足のゆびを動かす美女、また股間を触り始める彼女と、それを突然みて驚いた爺さんの出現…。

こういうのがやっぱり楽しい。

と、妻が帰宅。

9はげ丸【射精禁9日目】:2023/01/06(金) 13:27:34
オナクラのすすめ

オナクラをご存じだろうか? オナ禁者にとって、オナクラというのはその名前からしてタブーみたいに聞こえるかもしれない。オナクラとはオナニークラブの略である。

私が知っていたころのオナクラは、基本的に女性に触ることはできない場所であり、何をするかというと女がみている前で自分でオナニーをする。それを女がみている、という特殊な場所だった。若いころの私にオナクラの選択肢はなかったと思う。触れないし、自分でオナニーをする場所なのだから…。

ところが最近行ってみたい場所の筆頭が、オナクラである。

都市にもよるかもしれないが、最近のオナクラはどうやら「手コキがデフォルト」になったらしい。

つまり、オナニーを女からみてもらう、という場所だったのが、「女からシコシコしてもらう」場所という一般風俗化したのだ。一般風俗にちかいサービスがついたにも関わらず、いまだにオナクラ独自の特権はのこっている。

オナクラの特権とはなにか?

それは値段が格安(ソープランドの10分の1の可能性もある)で、美女が集まる(ソープランドレベルの美女にあたる可能性あり)、なおかつ最近流行の「淋病」などの危険もない。

もともと「男が自分でオナニーして、それをただ美女からみてもらうだけ」という仕組みなので、オナクラはなんと時間がたった10分からのところもある。これは「えっ、たった10分かよ」と思うかもしれないが、それなら指名料金を払わずフリーで入って、もし後悔するような相手にあたっても、たった10分の我慢と、2000円代の損失ですむ。これが美女だった場合、たしかに10分しか過ごせないとはいえ、会ったばかりの美女がいきなり自分のペニスをシコシコやってくれる。オナクラはオプションを付けない限り、自分から女性に触ることはできない。女性も裸になってくれない。

でもオナ禁、射精禁を日常から徹底している我々にとって全裸はそんなに興奮するものだろうか? それより「たった10分しかないから、なんの挨拶も会話もなく、女の子も服を脱がずにいつもカフェや街で会ったときの服のまま、いきなり自分だけがペニスをみせてシコシコしてもらう状況」というのは、最高に興奮するんじゃないだろうか。

私はオナクラに行ったことがない。だがほぼオナクラに似た仕組みのおっぱいパブには、かつて名刺が何十枚もたまるほどに行ったことがあった。このおっぱいパブは、オナクラのようにオナニーできないかわりにおっぱいが揉み放題であり、私が行っていた店は客も女性も酒飲み放題で、なおかつ45分いて女の子がたしか3人。3人の女がかわるがわる漫画喫茶のボックス席のようなところに15分ずつやってきて、彼女たちに座位の姿勢でのってもらい射精禁でたまりまくった股間を尻肉でマッサージしてもらいながらオッパイを揉んでいた。それで値段はいくらだったか。5000円くらいだったと思う。

あの夢のような風俗店は残念ながら今の住んでいる街にはない。あるかもしれないが、もっと高いだろう。だから今もし私がいくならオナクラだろうと考えている。

とくにやってみたいのが、オプションにコスプレ1000円をつけて、スクール水着で指名する。そして匂いかぎというオプションをつけるか、金があるならもちろん顔面騎乗。いろいろその組み合わせを考えてみるのもたのしい。

というのも、射精がそんなに重要ではないが、どうしても射精したいなら、へんにソープランドで貴重な私のヘソクリを使ってしまうくらいなら、会ってすぐ着衣のままシコシコしてもらったほうがいいとも思う。

そんなわけで、オナクラが私のなかの行ってみたい場所である。

10はげ丸【射精禁9日目】:2023/01/06(金) 15:26:58
年齢をかさねた女性は2種類にわけられる、美熟女か、おばさんである。


これを書いている私の目の前で、おそらく50代半ばの女性がいるのだが、さっきから私はこの女性がやってきて以来、勃っている。それもギンギンに勃っていて、なんだか不思議なので、ひとまず文章を書いて整理してみることにしたのだ。

まずこの女性は私よりあきらかに歳なのは手のシワだ。そして雰囲気。ショートカットで、顔は安田成美に似ている。木梨憲武の奥さんだ。眼がきりっとしていて、背筋が伸びている。全体的にパリの雰囲気がある。ボーダーのニットセーターにダボッとしたデニムパンツ。だが、どちらも安っぽくない。とてもこぎれいだ。上半身は痩せているが、適度に胸があって、太ももがむちむちである。デブのムチムチとちがって、官能的な肉のつきかたである。若いころはモテただろう。私が20代のころに30代で、そのときからずっとスポーツクラブなどで体のハリを維持していたのかもしれない。

この熟女はノートパソコンをひらいている。ただのおばさんとちがって、ファイルケースをとりだして書き込みながらやっているから、もしかしたらクリエイター系のフリーランサーかもしれない。ひょっとしたら有名な人かもしれない。

嬉しかったのは、一度この熟女は別の席に座り、それから何をおもったのかわざわざ開いたパソコンをもう一度閉じて私の真横にうつってきたのだ。私はL字型の90度の位置にいるから、私の左右に来た人の身体をすきなだけ間近でみることができる。

それで私はこれを書きながらまだ勃起がゆるまないのを不思議におもっているのと同時に、なんだかこの感覚がなつかしい。

最近はエロい眺めが多い。今も少し距離が離れた席にミニパンツのブーツ女子がいて、彼女が美人だ。だがそのブーツ女子には知性を感じない。

知性を感じる肉体は不滅だな、となんとなしに思う。私の目の前の熟女はデニムパンツであり、わりとダボダボである。服装的にいうと、なぜ勃起がつよまるのか説明できない。だが彼女の肉体はずっとヨガやジムマシンによって鍛えられてきた肉体だと確信できる。その太ももと尻のムチムチ感にささえられて、ピンと背骨がまっすぐにたっている姿が妙にエロい。

熟女もノートパソコンで何かを書き込んでいるが、脚をくみかえる。デニムの生地ごしに彼女のムチムチ感が伝わってくる。知性のある身体というのは尊い。

一方で遠目にみえる生脚の20代前半美女は新鮮だ。新鮮のムチムチだから、やっぱりその若い子がそばにいたらそっちに興奮するだろう。新鮮だから。

でも一方で、この新鮮なムチムチは10年以内にただの脂肪になりうる可能性が高い。維持して磨きあげていく作業は相当に厳しいのだ。

ここが美熟女とおばさんの境目だろう。若さはみんな平等に訪れて、男も女も若ければそれなりに価値がある。若いというだけで価値があるのだ。そして努力しなくても手に入れられる若さの美というものに胡座をかいている人間の多くが年齢という門のまえでふるいおとされて、いつしか努力した者としなかった者が決定的に区別されるようになる。

そんなことを思いつつ、今も目の前の美熟女の知性のあるカラダをみている。なかなか貴重な時間だ。

11 はげ丸【射精禁15日目】:2023/01/12(木) 10:36:26
覚書として。

はげ丸【射精禁15日目】 2023/01/12(木) 10:35:39
どうなりたいのか、何がほしいのか、どんな状況に遭遇したいのか、誰と出会いたいかについて、もっと貪欲に具体的に考えていいかもしれない。

女の脚がみたい、みたい、みたい…

と思いつづけていたら昨日、一昨日の48時間のうち30時間くらいを女ばかり集まってるところで過ごしていて、ヨガ教室やジムという社会的に認められた公共施設だからこそ、だけれども、その場所にいる女たちはノーパン(レギンスやスパッツの下にパンティをはかない女は多い)で、スポーツブラという名前こそついているものの、いってみればブラジャー丸出しで私の目の前にたくさんたくさんいた。

ヨガだから。運動だから。みせぱん、みせブラだから。みんなそうしてるから。

そういう理屈があるのはわかるけれど、

結果的に下着姿の女たちが、ヨガという名目のもとに卑猥なポーズをしていることに変わりはないし、私は「ヨガだから」という理屈を知りつつもそれを壊して、目の前のありのままの女の肉体をみてすごした。

結婚してるから。彼氏がいるから。先生だから。

そんな社会的ルールがあることも知っているけど、そんな枠をとりはらって、1人の動物的メスが、全裸に近い状態でちかくにたくさんいて、私もまたパンツ1枚で、もうかなり射精していないので精液があふれでそうだった。

この光景、私はもっと早くこの光景に浸ることもできたはずだった。金がかかる。妻を説得する必要がある。だが、それはすんなりできた。なぜきづかないまま数年すごしてしまったのだろう。

それは私が自分のほしいものに素直になれていなかった。気づいていなかった。あちこちにチャンスと偶然がある。それに気づけばいい。自分の心にカギをかけているのが自分なのだ。鍵をあけて、手を伸ばす。それだけだったのだ。

しかしそのことに気がつけたのは、自分が女の脚、脚、脚、と思いつづけていたからで、そうするとあふれるくらいに女の脚の洪水がおこりはじめ、その波が今回のヨガ教室通いへの道につながったのだから、

私が本当に念じるべきは女体に取り囲まれるイメージだったわけで、今回は脚のイメージの積み重ねが女体へと私を導いたことになる。

だが、ここで満足してもいいのか?

一昨日も昨日も電車の席でOLが私にむちゃくちゃ密着してきた。一昨日は酔っ払っていた女性が私の膝に半分尻をのせて脚をからめてきた。昨日は頭をくっつけて眠っていたが、本当に眠っていたのだろうか。私が降車するとき、立とうとすると、スッと目覚めたからだ。

理屈じゃない。かっこいい、かっこわるいではない。磁力のように、突然やってくる。だから俺なんて、なんて、言ってはいけない。相手が自然にやってくる。相手もその理由がわからない。だからきっと後付けで

【なんかイケオジだった…】【やさしそうだった…】【彼氏と喧嘩してむしゃくしゃしてた…】


こんな適当な理屈をつけてみるものの、なぜ惹かれるのかわからないままやってくる。

なんでも手に入るのだ、つまり。だから、もっと貪欲にイメージしてみよう。私が心の底から欲している光景はなんだ?

12 はげ丸【射精禁15日目】:2023/01/12(木) 10:50:27
誰だってみんな女がほしい、金がほしいと思う。
だが、それは思っているフリでしかない。
ほんとにほんとに


女の脚がみたい


と、何時間も何時間もカフェで待つ時間を、何日でもやってしまう。仕事があるから、と理屈をもちださない。仕事なんてやりたくない、一日中女の脚をみてすごしたい…

そこまで思いつめたからこそ、今の私の生活がある。主夫という名の完全無職だが、そのへんのビジネスエリートより私の生活の質は高い。毎日接するのは妻と街の女だけ。一日中女のことをかんがえて勃起して、この勃起の時間に祈る。

ムラムラを放出せずに祈る。

いま本当にほしい、ほしい、ほしい思いについて。

真剣に願う。

だから叶うんだろう。もっと大きな願いも叶うはずだ。願うんだ。目の前に女のまんすじ、美女のはだしの足が匂えるくらいまえに密着してすごした昨日、一昨日の時間のように、願えばかなう。

しかし残念ながら読者のはなしではない。ここは残酷だが、ハウツー本のように

きみもできる!

とはいわない。私にしかできないだろう。

だが、きみは奇跡をかなえる人間の過程を目撃することはできる。私のいまの性磁力を高めた状態の【いのる】は少なくとも虚像禁を脱していないと先につながらないことはこれまで何回も書いた。

ポルノだけではない。アニメ、ゲーム。身体感覚を伴わない電気刺激のウソを見破る目が必要で、逆説的だが、その目を得るために必要なのは読書というこれもまた一種の虚像に没頭したおかげだった。

インクのシミというアナログの虚像である読書こそ、デジタルの電子刺激から逃れるための最適解だと今も強く信じている。

とにもかくにも、40代半ばであることを嘆くことはなかった。こんな広大なチカラを得ることは短期間では絶対にできないことで、もっともっと私は自分を尊敬していいのだと思った。

13 はげ丸【射精禁22日目】:2023/01/19(木) 09:08:22
121 : はげ丸【射精禁22日目】 2023/01/19(木) 09:07:45
今日は妻が午後出勤で、いまも眠っている。
私は少し豪華な朝食をつくろうとおもい、パイシートを解凍してコンポートにした保存しているリンゴでアップルパイをつくり、冷凍している日曜日につくった自家製パン、コーヒー、ヨーグルトの予定。

すでに洗濯機をまわした。

午後からはスポクラにいくか、ヨガ教室にいくか。カフェに行くか。ゼニ稼ぎのための仕入れにいくか。

自由。

何をしてもいい。スポクラのスタッフアルバイトに募集して見事に書類でおちたけど、おちてよかった。おちたから、妻が同情してスポクラにも通えるようになった。定期も買ってもらったから電車も乗り放題。行けるカフェの範囲が無限にひろがった。

【みる】

これの実践だけで、私の幸せレベルがひきあがった。べつにやりまくりたいわけじゃなかった。人気者になりたいわけでもスターになりたいわけでもなかった。イイ女のカラダをとにかく、たくさんみたかった。それが本当に欲していた願いだったことに気がつくと、私の無意識と顕在意識が完全に手を組んで、あらゆる手段でイイ女の肢体を私に運んでくる。

そして、やはり精液はためておいたほうがいい。これは、射精後に魔法が解ける自分宛てへの手紙だ。聖液をためなさい。

14 はげ丸【射精禁22日目】:2023/01/19(木) 18:55:30

124 : はげ丸【射精禁22日目】 2023/01/19(木) 18:23:23
いまもしコラムを書くとしたらテーマはなんだろうか? それは「起こることすべてに意味があるのだが、その意味を読み解ける人間はほんのひとにぎりで、その意味を読み解いていけば自動的に理想の生活が手に入っている。それを引き寄せと呼んだりしているが、大事なのは気づいて読み解くその読み解き方なのである」ということについてだろうか。



最近私は自分が覚醒したと思っているのだが、それは映画のマトリックスではないけれども、目の前に普通の人にはみえない光で描かれたコードが降りそそがれていて、このコードさえ読むことができれば、あとは自分でこのコードを書き換えればいい。望むようにコードの書き換えをおこなえば生活はそのとおりになる。

そんなことを誰かの本の受け売りではなく、長年の経験と乱読と、そして【射精禁】による高まった性磁力がかけ合わさって、自力でこのコードの存在に気がついた。

だが私は映画の世界のようにコードがみえるわけではなく、また、読めるわけでもないし、それを書き換えることもできない。そうするためには私は非力すぎる。

それでも私の周りには光のコードがはりめぐされている、ということを冗談レベルではなく本心から信じていることが、私を少しコードの秘密に近づけている。

それは「私はコードがみえないし、よめないけれども、今、私にとって重要なコードがこの辺にあるな、ながれているな、ということに気がつくようになった。そして、そのコードを自由に書き換えるだけの能力はないのだが、自分の理想とする方向にコードそのものを走らせる。書き換えるというより、その向きを変えていく。たとえると線路と線路を走る電車があって、このままでは崖から落ちるだろうということが私にはわかるようになった。そして落ちないためにはスイッチをおして線路の分岐点の切り替えを行わなければいけない。それができるようになってきた、ということだ。

では一体これをどうやって行うか? ということについて書くと怪しいハウツー本のようになってしまうが、私にとってはこれが持論でそれなりに私なりに実績をだしていると思っているので、堂々と書いている。

どうやって行うか? それは「俺はこう思う」という、この俺、と無意識のなかの「俺の声」を一致させることから始めなければいけない。俺は有名になりたい!俺は金持ちになりたい!という表層的に「おもっている俺」は、実は親からの受け売りだったり、学校の押し付けだったり、制度から洗脳されたものかもしれない。

本当の「俺の声」に気づかないといけない。そして本当の「俺の声」と対話をしなければいけない。だからこれはとても時間がかかる。ではどうしたら本当の「俺の声」と出会えるのか。

それは、ある程度若い時期に

もう死にたい、生きている意味がない

というくらいに打ちのめされなければいけない。自分のもっている価値観、それは親や学校や世間から洗脳されたものなのである。だから今の自分をとにかく潰さないといけない。

もう死にたい

と言って飛び降りて死ぬのは肉体である。肉体を殺しても意味がない。死ななければならないのは、「世間から洗脳しかされていない俺そのものの常識」を破壊される経験である。

私は大学浪人したし、そうして入った大学では途中から仕送りがなくなっていくつもバイトをしなければならなくなった。そのバイトもストレスでやめてしまって放浪した。そんな貧乏な反面、縁があった人から全額金をだしてもらって20歳のときに海外を8カ国くらいタダで行く経験をした。テレビタレントや有名な人が集まるフィクサー的なオーナーの店のバーテンダーになった。

…これが25歳までに私に一挙におこった。そうして私が自分でもっていた価値観はめちゃくちゃになっていたし、25歳くらいで一度叩き潰されてそのときにオナ禁を知ったように思うのと、23〜29までのあいだに読んだ本は1500冊は超えていると思う。その時期がなかったら、人の心を読んで催淫していく今の能力はでてこなかったと思う。

そうして「表面的な私」と「表面にはでてこない私の声」のふたつを同時に見据える第三の眼を手に入れたとき、自分が本当は何がほしいのかをズレることなく「思う」ことができる。

しかし、そうはいうものの、この第3の眼を維持することが難しい。この眼をもっているつもりでいて、この眼はいつのまにか消えてしまうときがある。それは私が射精をしてしまって、

オナニーもしたほうがいい

なんて書いたりするときであり、その時期の私の記録の内容と、今書いているこの私の覇気を読み比べてもらいたい。

第3の眼をもつためには、身体の内側から自分の限界をこえるくらいの圧迫感、エクスプレッションが必要であり、射精禁が必要なのはそこである。だが、これもまた虚像を卒業している必要がある。虚像を見抜く目がないのに、自分の内なる声に気づけるわけがないからだ。

私は虚像を完全に卒業している。だからこそ、射精禁の状態のとき、そのダイレクトに内側で広がる衝動をそのまま第3の眼を開かせるように働かせ、この眼が開いているとき、私は私という人間が本当にほしい状態がわかる。

そして、その「ほしい状態」を手に入れるためには、……手に入れる、という表現ではなく、それはすでに「もっている」ものであり、コードを書き換えて自分のみたい状況にかえてしまえばいい。

では変えるためにはどうすればいいか?

さっき書いたが、コードに気がついたときに、自分の望まない未来につながるポイントがみえてくるので、その道を選ばないようにする、ということなのだ。

これはたとえば私の記録でいえば私は電車における密着だけは絶対にやってはいけない。なぜなら私はたぶん捕まるのだ、これをやってしまうと。それは論理をこえていて、根拠や理由なんかない。

実際、満員電車で美女が乗ってきて、もしもその意志があれば密着だってできた。でもそれをやらず、むしろ離れて彼女を見ていた。彼女も私をみつめていた。その彼女は私と同じ駅でおりて、同じヨガ教室へと向かった…

こんな偶然をときどきひきおこして私を試したりする。私はここには書かないが、突然目撃した大学教授。この意味はなにか。それも答えがでている。だからその意味に気づいて反応する。

読者諸氏にもひとつなげかけてみようか。

なぜ君は今この文章を読んでいるんだと思う? それは君にとって「きづかなければいけない」という君の内なる声のメッセージだからなのだ。これは私が書いた文章であるが、読んだ君にとって、本当の内なる君の声なのだ。だからすべての出来事に意味がある。自分を嫌いな人間がいたとする。ひどいめにあわされたとする。

それは憎むべきというより、その出来事がおこった意味、その出来事できづかなければならない内容をみつけなければいけない。

そうして内なる声はあらゆるところで表面的でうすっぺらい我々にヒントをだしている。だからそれを読み取る努力をしなければいけない。だがこの読み取りができていれば、本当にほしいと思っているものは、いつのまにかかなっているし、そもそも世界の存在というのが、そうやって自分も他人も君もすべてがつながっていて、結局我々は心臓や腎臓や肝臓や大脳が独立しているようにみえて1人の大きな人間をつくっているようなものなのかもしれない。

15 はげ丸【射精禁22日目】:2023/01/19(木) 20:28:19
女の性欲を可視化できるチカラについて

今日はもう一本コラムを書きたい。私が最近、手に入れられそうだな…と思っている能力に

【目の前の女性の性欲の強弱をみることができる】

というのがある。カフェやヨガ教室に加えてスポクラ通いもはじめてみて、私はそこに集まる女が同じ女であって【全然ちがう人種】であることに気がついた。

もちろんカフェ・ヨガ・スポクラと3とおりに分けられるわけではなくて厳密にいうと都市部のカフェ・都市部のヨガ・都市部のスポクラであるから田舎町ではまったく違う結果になるだろう。

それで何がちがうかというと、性欲の質と強さと深さそれが、それぞれ全然ちがう。

まずカフェについてだが、性欲の強さはそんなに感じないかわりに質がフェチ的で、深さを感じることが多い。これは私がそうであるように、たとえば平日の昼間に、家でのめば1杯10円。コンビニで100円。それをわざわざ5倍ちかく金を支払ってカフェにくる種族。

べつにコンビニでいいよね、という女性も世の中に多いし、そもそも「コーヒーなんてのまない、苦い」という女性もたくさんいるのである。

そういうカフェ族の女子たちに比べると、ヨガの女性たち、これも女性専用と男女共用ではまるっきりちがうのだが、男女共用ヨガに集まる女をみていて思うのは、性欲の質も深さもカフェの女たちより2倍くらい進んでいる。往々にしてヨガ族の女のほとんどはカフェ族でもあり、カフェ族のなかでもかなりカフェが大好きな人はそのままヨガも大好きなのではないだろうか。

それで、このカフェとヨガと似ているのに比べるとスポクラ族。全然違う。とくにスポクラでもスタジオ派、ストレッチ派、筋トレ派、ランニング派、プール派と分かれると思うのだが、このなかでも筋トレしつつスタジオにでる女性たちの性欲の強さが、なんだか引いてしまうくらいに凄まじい。

私がスポクラに通っていた10年以上前よりも、より女性が自分の性欲を素直に開放できる時代になったのかもしれないが、この性欲の開放ができている女性は時代のチカラもかりているのか、壮絶にすごい。

スポクラ通いをはじめてまだ日にちがたっていないけれども、グラビアアイドルみたいな美女を何人もみかけた。彼女たちはカフェでほとんどみない。完璧なボディーで、なんだか「高そう」なのだ。場末ではなく、数千万単位で毎月売れあげてそうなトップホステスレベル。普通の庶民男性には出会うことができない女性。そんな女性を支えているのは、美しい顔というよりこのエロい身体だと私は思ったし、このエロい身体を維持するために彼女自身を支えているのが「どこまでも強くて深い膨大な性欲」なんじゃないか。

だから水商売、風俗の世界で女性が成功したかったら美人かどうかではなく、どこまで性欲が深いかにかぎるのではないか。そんなことまで思った。

実際、私がスポクラでみかけた何人ものスペシャルな女性はみんなどこかで整形したような顔だったり身体だったりしている。この爆乳がどうしてこんな身体にくっついているのか? というくらいはみ出たおっぱいをストレッチのレッスン中にみていて、これが豊胸手術製なんだな、と思った。つまりあとで顔も身体もどうにかなるのだ。だが、性欲だけはどうにもならない。

おもえば「食が細い、太い」という表現をする。ご飯何人前たべられる? という質問に、1人で5合たべられる人もいれば、茶碗1杯という人だっている。茶碗1杯の人がいるように、茶碗1杯の性欲の女性もいるだろう。ご飯5合1人で食べられる女性がいるんだから、茶碗1杯分の性欲をもつ女の10倍以上エロくてエロくてエロすぎる女がいても不思議ではない。

それは後天的につくられることもあるだろうが、人間の食欲や飲酒量とおなじように、うまれもって性欲の強さや深さは人それぞれちがっているのだろう。

そこで、もし女性をひとめみただけで、彼女のエロさを可視化できれば面白いな、と思っているのだが、私はすでにそれをある程度わかっているのではないだろうか。

いつも女を「みる」ときに、この「みる」が全然だめだろうな、と予想ができる女性もいる。美女はエロい女が多い、というのが私の持論だが、そんな美女のなかにもまったくこっちもそそらないし、向こうの反応もまったくない、むしろ嫌悪される、という相手もいて、最近ではひとめみて

「これはだめ」

とわかるときもある。それを私は「相性の問題」と思っていた。DNAレベルの相性の問題、と思えば別に嫌悪されても無視されてもかまわないからだ。しかし、相性だけではなく、性欲そのものが弱く、浅い相手だったのかもしれない。ご飯が茶碗1杯も食べられないどころかアレルギーをおこす人間に大盛りのムラムラごはんをドーーンとだしても、逃げられるだけである。

というわけで、今後は最初に相手の性欲の量を予想しながら「みる」を行ってみたい。この積み重ねが示す未来を楽しみにしている。エロい女は本当にエロいことを私は知っているわけだし、本当にエロい人と「みる」のやりとりをすると愉しい。だから本当にエロい人を一目みてわかるようになればいいわけだ。

16はげ丸【射精禁25日目】:2023/01/22(日) 10:21:04
昨日は妻の仕事が忙しすぎるということで、朝妻は出社して私はヨガ教室に。昼間に妻の会社前で合流し、妻とランチを食べてまた妻は夕方まで仕事をして、私はスポクラに。そんな変則的な1日だった。

そのヨガにて。

☆20代の美人インストラクターのど真ん前に。先生は巨乳でTシャツ、レギンス1枚。痩せているが巨乳なのでおおきめなシャツをきている。丸首なので前に屈むと谷間とブラが見えるのだが、今回、先生がスタジオ内でマットを縦にひいていた。私はその真向かい。先生は会員たちにポーズをみせるように前を向いてレッスン。これだと先生の尻をガン見できないけれど、ずっと四つんばいや太陽礼拝のポーズなどで前屈になったりするたびに、まず先生の瞳をみつめることができる。さらに前屈のたびに巨乳の谷間をブラジャーとともに眺める。

これだけで勃起していたが、ここから開脚を重点的におこなう。まずM字開脚になって両膝をパタパタ左右にたおすのだが、そのM字のときに先生のマンスジが丸裸になってワレメまでみえる。それを動かしているとカウパー液がでてきて、ネズミ色のショーパンにシミができてしまった。両足をのばすと、先生の伸ばした両足のつま先がふれそうになる。

つぎに180度開脚。先生のアソコをガン見するか顔、目、巨乳。なにをみるか迷う。ここで前屈するとき、先生は体が柔らかく、前にペタッとつくものの、レッスンで話さないといけないので顔は前をむく。先生の顔の目の前で、あまり開脚できない私の勃起ペニスにシミいりがあり、私が上から先生のおっぱいをのぞきこんでいる…

究極に興奮のヨガだった。


そのヨガのレッスンを待ってるとき、私はゆかに座り込んでいたが、目の前のレギンスの30代人妻のまえに、このレッスンにはでない別の人妻(たぶん。人妻かどうか確信なし)がやってきて話し始めたが、目の前で屈伸や前屈をはじめる。最初は私に向かっておっぱいの谷間をみせるように屈んだので私はそのレギンスとスポーツシャツのぴったりはりついたおっぱいをみていた。途中で体勢をかえて後ろを見せて今度は陸上のストレッチのように膝をのばしながやお尻をつきだしている。私の目の前に下着みたいな女の尻や胸…ここですでにボッキしていてからのさきほどのヨガレッスンだった。

このあとラウンジで、おそらく休日出勤らしい女がパンストにスカートでカウンターに座っていて、私は斜め後ろから彼女の尻とパンスト脚をみていた。それから妻とランチを食べるたびに着替えて退館。

ランチ後今度は別のスポクラへ。着替えてストレッチエリアにいくと、土日ならではの休みの女たちがたくさんいて、ものすごい美脚美尻のピンクのレギンス1枚の女の真横にいって彼女が前に前屈するのを横で見ていた。しかしこの20代前半女子は真後ろに私がいることにキモがられたのか移動されてしまった。潔くあきらめる。しかしその場所にムチムチの30代前半の女がきて、また真向かいに以前ピラティスで乳首がみえていた女がきた。

ムチムチの女の身体をみていると、みた瞬間から「みる」の実践で経験している許可がでていて、私はかなり露骨に、なめまわすように彼女のお尻をみていたが、彼女はわたしのほうをむいてから開脚しはじめたり、あおむけになって私の方をみたが、私は彼女のまんすじあたりを真上からみていたが、目も何度もあった。

そして別の方向にいるもう1人の、ピラティスでいっしょだった女性をみると彼女は私が真横の女の体をガン見するのをみていて、私がピラティス女性の視線に気がつき、目を合わせながら彼女をみていると、いきなり私に背を向けてよつんばいになり、そこから自分の左手で自分の右足を手に持ってもちあげながら顔は後ろをむいた。

彼女のよつんばいの尻、そこから持ち上げられた片足によってマンスジがより露骨になる。私は勃起しながらそれをみているし、それをみている私をふりむいて確認しているかのように、まるで【私に見せつけるため】のようにみてくる。

真横の女も真向かいの女もそれぞれにエロい…。

かなり長い時間ここにいて、2人ともなにかのスタジオレッスンでいってしまったので私もマシントレでもやるかと思っていたら、私の敷いたマットの目の前にレギンスにブラトップ1枚のモデルみたいな女がたっていて、そこでずっとスマホをいじっている。私は彼女のほうに顔を向け、唐突にそこでヨガのコブラのポーズをした。

私の目の前でずつとスマホを操作している美女の足元で私は股間をマットにおしつけ、両腕でマットをおして背筋で背中と顔を真上にあげるコブラポーズ。そうすると、彼女の股間を真下から見上げるようになる。目の前15センチにレギンス美女の股間がある…

なんで彼女がここにいるんだろう?私のマットの前にたっているんだろう? 謎だった。それでもそこにいるんだからずっとあそこをみていたが、最後までなんでここにこの美女がいるのかわからなかったが、私がずっと彼女のマンスジをみていると、どうやらみられていることにとっくに気づいているようだった。

妻と待ち合わせにいくまで、SNSでジムでガン見というキーワードで検索していくと、意外にキモいキモいと表面的に文句をいいつつも、女たちがみられることを喜んでいるような投稿もたくさんあった。極め付けはこれ。

ジムには特にガン見してくる
おじ様が1人いて
初めは気持ち悪いから
視線避けてたんだけど最近は
目の前で前かがみで物を拾ったり
反応楽しんでる
おはよう♪

私はなんとなく、ジムでもヨガ教室でも「ガン見する人認定」されてきているように思う。だが、私は、目があったらサッと顔をそむけるようなのではなく、かなり堂々とみている。いきなり真後ろにいく。しっかり股間をみる。そして話しかけたりしない。そして私のボッキも彼女たちにとって興味の対象になっている可能性がある。私は身長180で、筋肉は全然ないけど、全身脱毛していることもあってスネ毛などほぼない。トランクスみたいなショーパンにタンクトップ。女たちが顔を関係なく体だけで私をみるとしたら、私はある種の女の欲情対象にはなるのではないだろうか?

そんなわけで昨日は興奮した。今日は妻とすごす。

17はげ丸【射精禁25日目】:2023/01/22(日) 10:31:05
追記
ジムによくいるガン見おじさん、と私を一緒にしておきたくないので追記しておく。

視線には知性が関係してくる。なにを、どうみるか。目は口ほどにモノをいうように、私の「みる」はオナニーのためのガン見ではない。ガン見おじさんの多くが、そのあとでシコシコするためである一方、私の「みる」は女の体の美を全力で吸収するイメージだ。

いってみれば、愛されているような視線を女たちはかんじるはずなのだ。

そうありたい。なぜならガン見おじさんとちがって、私はずっと毎日女をみて、みて、みまくって人生を生きてきているからだ。

そして今更なのだが、射精していない私にはそれ相応のフェロモンがでているだろう。だから女は私の周りにどんどん集まるようになり、女たちは私にみられたことを思い出してはオナニーにふけり、ますますエロいやりとりに今後繋がるはずだ。

私はものすごい壮絶にエロいことが、今後おこるという予感がある。それで

気づくと笑顔になってしまう

18はげ丸【射精禁29日目】:2023/01/26(木) 19:53:46
毎日エロいことが起こりすぎているため、記録が追いつかなくなっている。

まず、あらためて記録を何のためにつけているのかを再確認しておこう。

この記録は読者を意識して書いているものの、「読者数」はどうでもいい。読者数のために書いているのではない。たくさん読まれたらむしろ私が困るだけだ。賞賛されたいわけでもない。この記録で認められても何かにつながるわけでもない。

この記録をつける最大の意味は【自分自身を客観視して、無意識の自分へ直接語りかける】ことにある。読者諸氏よ! とよびかけるときの読者とは、私自身の【無意識の自分】でもある。この点がとても重要だ。

いつもそうだが、記録をつけまくっていると、爆発的にエロいことを目撃することも増大する。それはなぜだろうか。私がジャズのCDを0から買いはじめてトータルで500枚くらいまで増えていったときのことを思い出そう。あの頃、金もないから買ったCDの多くはクレジットカードのリボ払いだった。リボ払いの合計金額は100万を超えてしまい、途中から利息で生活が破綻しそうになったが、数百万単位のお金が転がり込んできて借金の返済ができた。欲しかったCDが結果的に手元に残った。

そのことからわかることはたくさんある。CDを集めていたとき、頭のなかはジャズのことでいっぱいだった。いつもジャズのことを考えていた。CDショップがあると、金があってもなくても入っていって、片っぱしからみていった。リストを眺めているだけで、わくわくした。次はこれがほしい、あれがほしい、といつも思っていた。買ったCDだけを、ジャズレコード辞典みたいなブックリスト本に赤ペンでチェックしたりしていた。

そのうち、ジャズだけじゃなくクラシックにもはまりだして、同じように集め出したらたくさん集まった。買っただけじゃないな。TSUTAYAのレンタルなどでかりまくってコピーもした。だから500枚以上のCDは全部購入品じゃなくてコピーもたくさんあった。

まだ今のようにスマホで数億曲を指先ひとつで聴けるようになるまえのことだ。私のあのころの苦労がバカみたいに思える現代だけれど、今数億曲がいつでも聴けるというのにどうして音楽を聴く情熱が昔のように戻ってこないのだろうか。

それはともかくとして、集めようと決めること。集めていく過程を日記に書いていく。生活するうえで、いつもいつも集めたいもののことを考える。自分の表面上の意識と、自分の意識できない無意識とよばれる「意識にでてこない意識」をつなげる作業。これが「書く」である。だから私はいつもこんな長文を書いている。この記録は私と私の意識できない部分の「わたし」をつなげるための祈りのようなものなのかもしれない。

そういう意味で、エロいこともできるかぎりのこしておきたい。毎日毎日更新されるエロい眺めや状況。それらを貪欲に、記録していくことでまず量が増える。そして質が飛躍的に上昇する。さらに、審美眼が養われる。これは直感のようなもので、

ここにいくと美女と会えるんじゃないかな

ここにいくとエロいことがおこるんじゃないかな

このカフェよりあっちのカフェのほうがエロいことがおこりそうだな

…なんていう「根拠のない予感」がふつふつと日常的にわいてくるようになる。今の私はこの境地に到達している。

19はげ丸【射精禁36日目】:2023/02/02(木) 13:19:57
オナ禁に挑戦している多くの人が成功できない理由について

気づいたことがあるので記しておきたい。多くのオナ禁者が各自それなりにオナ禁にとりくんでいる。虚像禁しているのかどうかが、最大の効果をだす/ださない のポイントだと確信しているが、たとえ虚像禁という概念を知らないままだとしても、単純に射精を我慢しているという点で彼の苦しみは一般オナニー好き男性の比ではないのだからそれなりに成果をだしてほしい。

それで私なりに思った「効果のだしかた」についてなのだが、今後何度も繰り返すように、まずは虚像禁という概念をとりいれることなのだが(それはポルノ禁ではない、むしろポルノのほうが現代のスマホゲームおたく、過剰なアイドルオタクより害が少ないとさえ思う)、それと同時に、どうも成果をだしていない人に共通しているのが

【知性を裏づける土壌が育っていないのに、自分の意見で判断しようとしている】

ということをハッキリ指摘しておきたい。これはどういうことかというと、極端にいえば、

はげ丸のいうことを100%信じておけば、はげ丸の効果までは確実にだせるだろう

ということだ。まあ、ここまでハッキリと書ききってしまうのは、私くらいだろうけれども、本当は世の中のハウツー本の著者たちも心のなかではそう思っているはずだ。

私くらいオナ禁と格闘してきた人間はおらず、現在進行形でもがいている人間はいない。それなのに、どうしてまだ数年間しか取り組んでいない君が

「ぼくはこうおもった!」

と自分の考えをはさみこむのか。

「はげ丸はこう言っているけど、ぼくにはあてはまらなかったから、それはちがうとおもう!」

なぜ、そのとき当てはまらなかったから、「それはちがうとおもう!」と勝手に浅はかな君の知性で判断しようとするのか。

「ぼくはそれはこうだとおもう!」

↑こういう、自分の意見をしっかりもつことが近年の学校教育では重視されていて、学校ではこういう子は褒められるだろうし、「独立」「起業」がもてはやされている現代では、「自分の意見をもって、自分の考えで判断しよう」という流れがメインストリームである。

だが、

【知性を裏づける土壌が育っていないのに、自分の意見で判断しようとしている】

というのは、40半ばの私からみると、とても浅はかで、そういう人間が一流になれるどころか二流にさえなれない未来しかみえてこない。

ではどうすればいいのか、というと、やはり闇雲に信じるしかないと思う。師弟関係というのは、師匠が途中で胡散臭くかんじても、それでもそれを飲みこんで師匠の真似をしていくしかない。それを「型」とよび、師匠の藝だけではなく、人間まで真似していくとき、はじめてどうしても、それでもどうしても真似できない部分がでてくるもので、そのどうしてもどうしても滲みでてくるところを個性とよぶ。

個性、個性、自分の意見、自分の考え…が溢れかえる現代において、本当に自分の個性をもっている人間は少ない。自分の意見といいつつ、ただの薄っぺらな学校教育や親からの洗脳だけで生きている人間がなんて多い世の中なのだろう?

20代のころ、私も同じようなことを何度も何度も、ネットではなく、目の前で指摘されて怒られた。私が働いていたバーのオーナーは人間の目利きみたいな人で、とにかく私に本を読め、活字量が足りない、と繰り返しいってきた。そのあと、私に

「無名で生きることを考えろ」と言うようになった。私は有名になりたかったからだ。

あるとき、生きる伝説 唐十郎と私を酒を飲む機会があったのだが(はじめて書くエピソードかもしれない)、私は唐十郎から

「おまえはお祭り男だな」

と言われた。その言葉は今もずっと、私にのしかかった十字架のようなもので、お祭り男だからがんばってる人間のようでもあり、お祭りがなければ何もできない、祭る対象がなければなにも価値がない、そんなようにもとれる、含みのある言葉だった。あの叱りとも褒め言葉ともとれることを言ってもらえてよかったと思っている。

この文章が誰に届いているのかはわからないが、ちょっとガツンとやられてほしい。君の、知性の土壌のない頭で、自分はこう思う、だったり、これはちがう、なんて判断する浅はかな行為をやめてしまえ、と。そう、

俺は浅はかなんだ、

というのを表面的にではなく、深く、全身で知ってほしい。そこからはじまる知性への渇望があり、全霊で真似をする、そうしてはじめて君は君となるのだろう。

自分が何者であるのか、自分があの人とはちがう理由はどこにあるのか。その自分を掴んでいない人間には、自分の無意識とつながることなんてできない。君のなかにいる君のハゲマールとつながっていくために、1番最適な道筋をここに正直に記しておいた。

20はげ丸【射精禁36日目】:2023/02/02(木) 21:07:55
100円で仕入れた本がまた5000円以上でうれた…
Amazonなんかでは送料込みで300円とかそんなlevelなのに。私の選書センスを気に入ってくれているのか??

笑いがとまらない。
ハゲマールよ、運んできてくれるのはエロスだけでいいんだよ。もっともっと女たちの体を私にみせてくれ!いつもありがとうハゲマール!

21はげ丸【射精禁36日目】:2023/02/02(木) 21:08:21
↑コラムにかくことではなかった

22はげ丸【射精禁44日目】:2023/02/10(金) 17:02:36
女性の身体の一部分へ興奮する現在から、美女の「実在」にたいして興奮できるように自分を訓練していくことについて

最近私は思うことがあって、それは自分の女性に興奮するポイントがどんどん贅沢になってきていることで、たとえば以前だったらハイヒールをはいた美女がいればそのハイヒール姿に興奮していたものだった。それが今はかなりの美女をべつとして、普通の女(いわゆる7割くらいの一般人)の生脚をみてもそれで興奮しなくなってきているどころか、レギンス姿をあまりにもたくさん集中的に何時間も毎日みていることもあって、なんとパンティが透けていてもそれほど興奮しなくなった。もちろんモデル級の美女は話がべつである。

それで、いわゆる普通の女性だったら、どこに興奮するかというと尻でもなくなった。美尻もたくさんみすぎていて、美尻だったらマンスジがみたい。マンスジがなんとかみれないだろうか? とどんどん私の欲望が高まっていっている。

こういう自分に困っている。たとえると、コーヒーの嗜好のレベルがあがっていくようなものだ。最初のころは、ネスカフェのブラック(今ではあんなクソマズいもの飲めるか、と思う)に砂糖をいれて飲むのが私にとっての初めてのコーヒーだった。それはあるときゴールドブレンドになり、クリープをいれたゴールドブレンドって本当にうまいなあ、と小学生の私は母親に同意をもとめた気がする。そのゴールドブレンドも今の私には飲むことができない。それからある時突然インスタントコーヒーを卒業して、コーヒーメーカーがうちにやってきたのだが、なんの豆かはわからないが粉でかってきたその本物のコーヒーを、コーヒーメーカーにセットすると水をいれるだけでそれが本物のコーヒーになった。うまいなあ、本物のコーヒーってインスタントとはまったくちがうなあ…と感嘆したが、やがて大学生になって一人暮らしをはじめ、本物の喫茶店の存在を知り、そこでその店のブレンドを買って、はじめてドリッパーにセットして自分でいれた。そのコーヒーは今だってうまいと思うかもしれない。でもその店のブレンドを買うには私は貧しかったから、量販店のブレンドを買って、それでも粉ではなく豆から買って、手挽きミルをつかってひいてみるとうまいと思った。

そのあたりからスタバ系のよく焼いた珈琲豆の、香りより苦味重視の珈琲が大流行し、私もなんとなくそれがおいしいものだと思って飲みはじめたりした。今ではそのスタバもただの場所代のためのカフェになってしまった。うまい珈琲を飲むためには、世界各地の珈琲を知って、自分にあう好みを知らなければいけないことをしった。有名な店のブレンドだからおいしい、のではなく、自分の舌がそのときに望んでいる珈琲をそのときどきの気分で選び、なんなら自分で割合を考えた【はげ丸オリジナルブレンド】をつくって飲めばいい。

そうやって私の珈琲をめぐる旅は、ネスカフェのブラックから遠いところへ向かったのだったが、ある日、自分がとてもインフレしているというか、そんなモカ3ブラジル2コロンビア5とか珈琲を用意しなくても、とりあえずある程度ちゃんとしたエチオピアモカか、なんならモカブレンドでも飲んでおけばそれで十分じゃないかと生活のために妥協した。

…以上は脱線であるが、こうしてひとつの趣味をもっていると、どんどん欲望は高まり、もっともっと、もっと上を! になってしまう。女への嗜好もそうなっているのだ。

で、私はこの状況をどうしたらいいかな、と瞑想する前にぼんやりと自分になげかけていたのだが、今日のスポクラでエアロビクスに参加している最中に、目の前にいる人妻のムチムチの尻をみながらぼんやりと答えがおりてきたのだった。

それは女性の或る部分をみることでひきおこされる私の興奮。これは女の肉体のほんの一部にたいして興奮するのだけども、もっと、その女の匂いとか、全体の空気感をつかみとって、この美女が今ここに存在していて、その美女とこの距離でいっしょにいる私、という偶然の時間そのものをもっと感じて、その美女の「実在」へ興奮していく。

そういうことは無理だろうか、ということだ。もちろん美女でなければいけない。おばさんではいけないんだけれども、その美女の定義もそうするとだいぶかわってくる。若ければいいというわけではなく、鼻が高いから、目が大きいから、ムチムチだから、というのではなく、もっと本質的なかもしだす空気感、その女を構成している全体をつかむようにしてみる。

この文章がまとまっていないことは、よくわかる。

だから何度かこのテーマで同じようなことを書いていくつもりだ。もう少し粘ってみようか。

23 はげ丸【射精禁54日目クンバハカ6日目】:2023/02/21(火) 21:01:38
まだ時間があるので、ひとつ有益なことを書いておきたい。私が自分でやってみて、かなり効果が高いと思ったので、読者諸氏にはぜひ真似してもらいたい。

それは「これは…エロい…」という光景を目撃したときに、その情景を「みる」わけだが、途中で何度か目をとじてみる。そして目をとじたときに、どこまでその情景を再現できるか、数秒試してほしい。

それはポルノでは、残念ながらだめである。そもそもポルノは電子の情報にすぎないもので、匂いもフェロモンも手触りや雰囲気やそういうものがないので、私などはポルノ、インスタなどはいくらエロいものをみても興奮できない。なので、ポルノで興奮という発想がそもそもない。

話を戻すと、目の前の美女の脚でいい。そう。写真でみたら「は?ただの脚じゃないか」的なものだが、生でみるとグッとくる。これがフェロモンなのだ。

その脚を現場でみながら、目をとじる。再現する。あれ、ここおもいだせない…というのを目をあけて確認する。それを繰り返す。

そして、一番エロかった自分がみた情景を電車や風呂やサウナなどで、ずっと思い描く。思い描きながら

おーーーまーーーーんこーーーーー

と唱える。唱えながら、ひたすらその自分がみた情景を再現する。これをずっとやる。やりつづけてみてほしい。

そうすると、私が思い描きつづけてきたOLは私の真横で完全生脚で、かぶりつきたくなるような太ももを明らかにバレバレな状況でガン見させてくれるようになった。彼女は仕事を中断してコーヒーをのむ。そのとき自分の生脚を真横でガン見している私をみている。さらに、まだ寒いから本来彼女はパーカーをきて、脚にバスタオルをかけるつもりでパーカーもバスタオルももってきているのに、私がいる間はずっとブラトップにパンティみたいな短パンだけでいてくれた。私がその後、15分ほど抜けてもどってきたらパーカーを着て、バスタオルをかけていた。つまり、私用にセクシー服になっていた可能性が高い。だいたいいくら暖房がきいているとはいえ、2月の一番寒い時期にほぼ下着みたいな格好でノートパソコンにむかっているのか、そもそも謎なのだ。私はこのOLの生脚も何度も再生している。

綾瀬はるか似の人妻の身体をレッスン待ち時間のあいだ、真横でその尻も胸もずっっとガン見していた。それを焼き付けていたら、スポクラの近くのカフェで私服の彼女の真横に座った。まあ、これは向こうからきたのではなく、私が真横にいったわけだが。そこで彼女は思う存分、足をうごかしてくれた。無言だったが、我々はスポクラでずっとガン見し、それを許容されてきた関係なのである。

至高の美女D先生のヨガ。何度も先生のマンスジを脳裏に描いてきた。何度も、何度も。何度も。そうしたら今日別スレに書いたように、その映像のさらに解像度が高い版みたいな、そんな、おそらくノーパンで照明全開で、ほぼよつんばいばかりのエロヨガの時間となり、悶絶した。

またこの記憶を何度も再生する。何度も目をとじて、D先生のおまんこを鉛筆で描けるくらい繰り返し繰り返しレッスンを受けている間に脳裏にやきつけた。

…まだまだ例はある。何度も何度も思い出す。ひたすら頭のなかでもみる、みる、みる!

これを電車のなかでやっていると、美女のとなりに座れてめちゃ密着される。こういう毎日である。

24はげ丸【射精禁56日目クンバハカ8日目】:2023/02/23(木) 08:32:24
【目的が彼女をつくる、では、つくった彼女との生活がみえてこないからまずフレンチトーストをつくってみよう】

休日、祝日の朝は最近フレンチトーストをつくることからはじめる。普段は食パンは食べず、グラノーラにヨーグルトをかけたものだけなのだが休日は例外だ。

食パン薄切り3枚をカットし、牛乳200、卵2、砂糖大3を混ぜ合わせた卵液といっしょに長方形のバットで2時間以上両面を吸わせる。バターをたっぷりのせたフライパンで両面を軽く焼き目をつけて、シナモンパウダーと蜂蜜をかけてたべる。

料理ができるかどうかは、レシピを文章化できるかどうかだ。文章に書けるということは、ほぼ無意識レベルで自動化も可能なので、ぜんぜん面倒くさいと思わずに気がついたらつくれている。

このフレンチトーストも値段にしてみれば、コンビニのまずい弁当の半額以下でできるのだが、こんな簡単なもので、それなりにおいしくできるし、妻がいつもすごく喜ぶ。

……

多くのオナ禁者たちは「セックスしたい」「彼女がほしい」という目的ではじめているけれども、いざ彼女ができたり結婚したあとは、そのたった1人の相手との「日常」がはじまるわけで、その日常の準備がなければ、すぐに関係はおわってしまう。ナンパ師がそのいい例で、徹底的に彼らは突撃し、とにかく女を勢いでセックスするためだけの流れを何度も何度も練習し、実践していて、その点はとても感心しているのだが、結局セックスした女性とのつながりが気薄で、その場かぎりで終わっている点において、ほぼ風俗にいくのとかわっていない。むしろ風俗のほうがお金も安いし安全、選び放題、という矛盾まである。

我々はそんな風俗セックスを目的にしてはいけない。料理だ。教養だ。深い知性と穏やかさだ。セックスが目的、ではなく、その先を見据えること。というわけで、この記録を読んだのならぜひぜひこのフレンチトーストをつくってみてほしい。簡単で安くてうまいので。

25はげ丸【射精禁56日目クンバハカ8日目】:2023/02/23(木) 08:56:47
毎朝、目覚めると、充実感とおだやかな気がカラダを包んでいてつくづく生きていることに感謝している。私は自分が40半ばであることを最近忘れている。

ヨガ教室やスポーツクラブの美女たちのほぼ9割が私よりも年下なわけで、それはカフェの女たちもそう。脚のやりとりをしてくれる女性たちのほぼ全員がひとまわり、ふたまわりの年下なのである。この事実を忘れる。最近、かつて自分が徹底的にスポクラ通いをしていた26歳から30半ばくらいまでの数年の記憶をよく思い出していて、ひょっとしたら私が40半ばというのはなにかの間違いで、私は30代前半なんじゃないか? とさえ思う。

妻も私が40半ばになんて絶対にみえない、という。体重測定も肉体年齢を34歳と診断しているが、実際に精神年齢のほうはもっと若いだろう。こういう記録をつけている20代のほうが60代のように無気力で頑固な意地をはる人間で、私のほうがよほどしなやかにステップを踏んで飛びこんでいっている。

しかしこの境地に達することができたことこそが、私の20代後半からのオナ禁人生の賜物なのかもしれない。ときには年間単位のブランクがあり、何度も何度もオナ禁とむきあってきた私であるが、その繰り返しは無駄ではなかった。むしろ、無駄というのはなんだろう。無駄が必要なのかもしれない。必要な無駄というのは無駄ではないのだから、そもそも、無駄という言葉こそ真実を隠している無駄なことばなのだろう。

いまが確実にいちばんいい。ハゲマールを召喚できるようになり、クンバハカを日常にとりいれ、瞑想でつねにハゲマールと繋がれるようになった。なんだか頭がおかしい人間が書いているみたいな文章だが、自分のなかの無意識にアクセスするというのは、本当に難しいんだ。

無意識、と一語で書いたが、意識がない意識、なのであるから空気みたいなものだ。空気はみえない。つかめない。だが吸っている。吸わないと死ぬ。だから空気と人間は密接につながっているのに、誰もその実態をつかめていない。それが無意識と意識の一般的な関係だ。

だが私にはたとえば空気に色がついている。酸素を吸いたいときに、酸素の色がついた空気だけをたっぷりとすったりする。自分のはいた二酸化炭素の色をみる。体調によって色がかわる。人がはく息の色をみる。

…もちろんそれは例え話だ。私は空気の色をみることができない。だが、無意識を「みる」ことができるようになってきている。みんなが言葉だけしっていて少しも対話できない「無意識」。私はこの無意識と対話し、調和している。相手の無意識にアクセスもできるようになってきている。この無意識へのアクセスが、

たとえば「ギャルが私におっぱいをこすりつけてくる」だったり、「電車で美女からペニスを5分間にぎりしめられる」だったりするのかもしれない。こういう現象が急激に、爆発的に、日常のあちこちでおこりはじめているのは、私がこのハゲマールとの対話をはじめて、なにかがかわってきたからだ。

最近、もうひとつ、ふたつ。気づきはじめている。

それはまず、ヨガで私の手の先からオーラの玉みたいなものがでるのである。これはきっとなにかなのだ。それがなにか、まだわからない。どうつかうのかもわからない。だが、この気の波動みたいなものはきっと今後私の思考の中心になる。

そして、筋肉の力だ。いま私の体に筋肉がついてきている。私は夏までに自分の体をマッチョにつくりあげたいと思っている。なぜなら筋肉は、またハゲマールとはちがう独自の生命体であることを感じるからだ。筋肉がついてくると匂いがかわってくる。そういう考察はまた今後行おう。

圧倒的なエロスがやってくる。
その予感がビンビンしている。
それは「みる」をこえていくかもしれない。毎日いろんな女たちとセックスしまくる予感がすごくする。そのために必要なのは筋肉だ。筋肉をマッチョレベルにつけてみろ、とハゲマールが印をおくっている。

26はげ丸【射精禁57日目クンバハカ9日目】:2023/02/24(金) 16:51:58


コラム「色気がある人、視界にはいるだけで不快になる人、なにも感じない人……それはどこで判断されるのだろうか」


いま某カフェにてスマホの充電をするために座っている。私はUSBの充電ケーブルをもっているのだが、充電器をもってくるのを忘れたのだ。それで充電器がなくても充電ができるカフェにきたのだが、このコラムを通して読んでもらったらわかると思うが、今の私は

【まけている】

つまり、オッサンに囲まれていて、どういうわけか美女が1人もいない。こういう日もある。何事も「波」と「リズム」なのであって、ツキまくっているときだけ浮かれていて、運が悪くなると、途端に逆上するような人間になってはいけない。

ああ不快、何もいいことがない、この状況はなんなのだ…

という【まけている】時間を大切にしないといけない。だからなるべく気持ちを前向きにするために、ちょっと書いてみるのだが、どうして今、私はこの目の前のおっさんが着席瞬間から吐き気がするくらいに嫌悪感が高まっているのだろうか。自分の感情のなかで、たった1人のオッサンが視界に入ってきただけで真っ暗な気持ちになって、不快の波が連続してやってくる。だが、このオッサンが私になにか言いがかりをつけてきたわけではないし、私と対立関係にあるわけでもない。ただのオッサンなのである。相手は私に対して何も思っていないかもしれない。いや、普通は思わないか。思わないからこの不快なオッサンが私の目の前にきているわけだ。

このオッサンのなにが私を不快にさせるのだろうか?

それがよくわからないから言語化するために、この文章を書いているのだが、見た瞬間に感じたのが、なぜかこのオッサンが相手を見下している光景だった。自分より社会的立場が上の人間にたいしてへりくだり、プライドも維持もないような態度で忖度する人間。それが私の彼をみて1秒後に感じた姿であり、そしてそのオッサンは自分より社会的に弱い立場の人間を前にすると、さっきまで目がないくらいに細い目が急にみひらいて、そこから急に相手を値踏みし、確実に自分より劣っているとみると、とにかく相手を恫喝し、自分の権利と立場を主張し、相手をねじふせて悦にひたる。

私は目の前のオッサンがそういうオッサンだと思った。それで一度みただけで、もう2度とみないようにしようと思っているのだが、私ははたして頭がおかしいのだろうか? いや、それにしても、こんなに不愉快な印象をあたえる顔もなかなかない。電車やスポクラや買い物やヨガ教室、カフェ。いろんなところで様々な「顔」を見物しているが、こんなに人を不愉快にさせる顔が、いま、一枚テーブルの目の前にいる。いや、いた。さすがに不快だったので、視界に入らない位置かつスマホの充電が可能なところに移動した。

それで思うのだが、この私の第一印象は当たっているのだろうか? まったく外れていたらお笑いでしかないが、なんとなく私のこの直観は当たっているように思う。というのも、結局私が日頃やっている「みる」というのは、美女たちの身体をなめるように「みる」ことで、なかには身体だけではなく「目」をみつめあう人もでてきている。

最近「みる」に関して不快なことがなかったので、「みる」が受け入れられることが当たり前の感覚になっていたし、「みる」「みられる」なんて、そんなにすごいことでもないごく普通のことなんじゃないか、と思っていた。

ところが今日、この嫌悪感しかないオッサンと最初に1秒目があったとき、もう2度とこのオッサンと視線が触れ合いたくないと思ったし、こういうオッサンと関わりをもつ人生もごめんであるし、できるかぎり視界の範囲から消えてほしい。ここまで人は「みる」「みられる」だけで不快になることもあるということをあらためて「みる」側の私が経験した。

それで思った。べつにすべてのオッサンが不快なわけではない。別に何も思わないオッサンもいるし、なんとなく好感がもてる気持ちの良いオッサンもいる。なにがちがうのだろう?

私がすべての人間の良し悪しを「判断」できる立場ではないので、それは結局のところ、私個人の好み、つまり「相性」の問題も大きいのかもしれないが、たった1秒の時間、その外見を「みる」だけで、私の頭や知性ではなく、なにかもっと膨大なデーターを蓄積している無意識部分のほうが

「こいつはだめだ!」

と結論をだしてくれていて、その私の直観の声を私はもっと信用していいのかもしれない。

そう考えると、女性を「みる」ときもそうで、みた瞬間に

【なんとも思わないな】

という女性も正直なところたくさんいる。街をあるいていると、高齢化社会であるので、女というよりオバサン、オバアサンも多いわけで、そういう対象にたいしてそもそも「みる」が自動でオフになっているし、私がよく書いている【美女】については、視界に入った瞬間に「みる」がオンになる。この違いはどこにあるのだろうか。

27はげ丸【射精禁57日目クンバハカ9日目】:2023/02/24(金) 17:08:58


「みる」の継続は一般的にはバカバカしく思えるかもしれない。私自身もときどき思うことがあるし、射精禁がつづいている今は毎日こんなに情熱的であるけれども、ひとたび射精してしまえば、この情熱の火も漆黒の闇にかき消されて「そういえば、みる、とかバカなこといってたな」という気持ちが強まってくるのをこれまで数年単位で経験してきている。

けれども、今日のコラムで書いているように「みる」というのはもしかしたら直観の訓練法なのかもしれない。1人の女の身体をずっと「みる」。身体を「みる」ということは、その「反応もみる」ことになるわけで、初対面の、何もしらない相手の身体とその反応をひたすら集中して「みる」ことを毎日つづけているうちに、相手がどんな人間で、相手が今何を考えているのか。それが「おもう」のではなく、その光景がみえてくる。

さっき1秒だけ「みた」オッサンの目をみた瞬間に、そのオッサンの人をふみつけるような本性が映像でみえてきて嫌悪感で吐き気がしたように、美女を1秒みただけで、この美女がどんな女なのかを、言語化ではなく、全体が「みえてくる」。いつか私はこの現象を

「よむ」

と言ったかもしれない。文字の印をつなげて読むことで私たちはひとつの意味をつくりあげ、伝達するのだが、それははたして文字だけが「よむ」の対象だろうか。女の顔、身体、足、手、胸。それをみるだけで、それは文字のように何かをつたえてこないだろうか。その服装、趣味やセンスがにじみでている私物を「よむ」ことでうかびあがってくるものがあるのではないか。

しかし、今日のオッサンをみたときの私は「よむ」ような、論理的なものではなく、「みる」瞬間にうかびあがるそのオッサンの全体像だった。そして、私はこういう体験をこのおっさんだけではなく、美女をみるたびに、以前「みる」「よむ」について書いていたときよりもはるかに伝わってくるものが強くなってきている自分を感じている。

この先になにがあるのだろう? なにができるのだろう? と私は考えているが、それはやはり行き着くところはテレパシーだったり、予知だったりするのかもしれない。その女の脚をみているのは、たんにエロいからみているわけなのだけれども、それでも1人の美女の脚とその私の視線に対する反応をみるとき、なにかみているだけでバアっと伝わってくるオーラのようなものがあり、メッセージがあり、その女性の過去や今現在のことが、なんとなしにスッと私に入ってくるような感覚。

一方で、目があうとき。みられているとき。そこにどんな感情があるのか。何の感情もないのか。そういうことも含めて、みられたときに、その視線に含まれているオーラみたいなものを受け止めている【感じ】が最近ある。

まだこれらはすべて訓練段階である。だが、いま私の座っているカウンター横の隣の隣に1人の美女が座った。その瞬間に、私は機嫌がよくなってきた。彼女のフェロモンがぱあっと広がっている。不快なオッサンは相変わらず店内にいるが、私の視界に入らない席に移動したから問題ない。1人の美女のフェロモンがこんなに気分をかえてくれるのだから、最終的に私の欲するエロスは「存在」だけで興奮できるようになるのかもしれないと思ったりする。

いつのまにかスマホの充電も満タンになったので、私はこのカフェにいる必要がなく、いまからヨガ教室かスポクラか向かうことにする。まあ、どっちにいくかは実は私は決めているのだが。だがその前に今日のエロい眺めについて書いてもいいかもしれないし、けっこうこのコラムを書いて疲れたので書かないかもしれない。

28はげ丸【射精禁63日目クンバハカ15日目】:2023/03/02(木) 21:07:13
305 : はげ丸【射精禁63日目クンバハカ15日目】 2023/03/02(木) 19:31:21
今日、私はなにかを掴みつつある。
返信
306 : はげ丸【射精禁63日目クンバハカ15日目】 2023/03/02(木) 20:47:38
風呂から投稿。
今日は妻の帰宅が早い日なので、スポクラもヨガ教室もいかずに掃除と洗濯をしていた。それからフリマアプリの出品などをしたあとは久々にクラシック音楽のCDを聴いてすごした。
たとえばブラームスのピアノ協奏曲2番などをじっくり…。それからハイドンの交響曲など…。

そうして或る誘導にかんする有料の音源などを聴きながら、昼寝をした。目覚めて音源を聴きつつ、また昼寝をした。

それで心がぽっかりと無になっているところに、結局のところ、何を得たいかではなく、どんな人間になりたいかだ、という気づきがあった。

得たものは失われる。
セックスしたら射精する。
どれほどエロい眺めも一過性のものである。

しかし、エロいものにいつも遭遇する人間になれば、いつでもエロに囲まれる(だいたいそうなってきている)。何かがほしい!ではなく、何かを手に入れているのが当たり前な状態な人間のスタイルになる。

こう書くと、ハウツー本にみんなのってることかもしれないけど、それを深いところでしっかり掴んだので応用がきくだろう。

なんで、なんのために、これをやってるの?!

そういう自問をしなくなる。

なんで英語を勉強してるの?!

答えなんかいらない。むしろ英検1級をとりたい、なんていう浅い目的なんかいらない。なんでかよくわからないうちにただ勉強していたらネイティブの友達がたくさんできていた、これが理想。

なんで筋トレしてるの?!
なんでダンスしてるの?!
なんでモデル体型になりたいの?!

どれも答えは必要ない。

どうして女をみるの?!
どうしてオナ禁するの?!

これに答えもいらない。

答えのない、目的のないことを

【なんだか大事だとおもうからだ】といえることが、優れた直感の持ち主なのだ。むしろ、安っぽい目的をたてると自分の限界をこえられなくなるし、なにかと言い訳をする人生になる。

なので、

やりたいことをやる。
やりたいことを、がんばってやる。

これでいこう。
返信
307 : はげ丸【射精禁63日目クンバハカ15日目】 2023/03/02(木) 20:59:39
どういう人間になりたいか?
それについては、30代になったころから
【貴族のように生きたい】
と思っていた。優雅に、知的に、生きたい。
トレーニングばかりしてるが、私はゴリラや猿とはらちがうのだ。

だから、優雅に、知的に、貴族のように生きるということが今後の私のスタイルだろう。そして、エロ貴族がいい。人類のために、この世のために!という人間にはやはりどこか根本レベルで自分とはちがう。

豪華な宝石や時計や車なんか興味ないから、女の身体をいつも舐めるようにみてすごしたい。セックスはどうなんだろう?

うーん。最終的には、(もちろん堂々と求められたうえで)女の柔肌をなでまわしたい。だが、挿入したいかといわれると、挿入より、みるand撫でまわす のがいいな。

そういう人間というのは、労働はしないが、資本を動かす資本家タイプだろう。だから私も資本家になろう。資本家としての自分を意識して生きよう。

まあ今も資本家みたいなものだ。

だが、まだできることが山ほどあるはずだ。小さな積み上げを、無駄にみえるあれこれがあるはずだ。それを気づくこと。そしてはじめることだ。

29はげ丸【射精禁64日目クンバハカ16日目】:2023/03/03(金) 07:05:35
308 : はげ丸【射精禁64日目クンバハカ16日目】 2023/03/03(金) 07:04:23
いい習慣をつくる。毎日ほんのわずかでいいから、自分の生活を改善していく。そしてそれをなるべく思いつきではなく継続していく。自分にとっての【あたりまえ】が一般人にとっての特別になる。

たとえば毎日のスポクラも、毎日のヨガ教室も。一般人にとって、2つの施設を通うことなんてまずありえない。1ヶ月に1回のヨガだって、特別な人も多い。私はそれを習慣にしている。あたりまえなのだ。女のマンスジが目の前に迫ってくる。これも今はあたりまえなのだ。

いまはモーツァルトの短調の交響曲を聴いている。これから毎日聴く。これもまあ、すぐに当たり前になる。今まで当たり前で、今はやめていたことだから。

コーヒーを毎日ハンドドリップでいれる。それは朝だけで妻の水筒ぶんもふくめて2回以上やる。それも当たり前な日常。

だが年に1回もハンドドリップしない人には特別なこと。誰かの特別の儀式を、毎日の当たり前にする。そういうことを意識しようと昨日悟った。昨日は特別だったな。

30はげ丸【射精禁76日目クンバハカ28日目】:2023/03/15(水) 18:05:53
負けておくという思想の徹底について或は物事には波があるということをどこまで理解できているか


今日は久しぶりにコラムを書いておこう。それは自分自身がどこか調子がのってこない、という現状があり、なにか迷いがある。こういうとき、だいたい成功に慣れすぎてしまって、勝つことが当たり前で、自分がいつも気持ちがいい思いをすることが当然だという慢心状態になっている。

だから負けることに腹がたち、思い通りにいかないとイライラしたりしはじめる。しかし、何事も長期的な視点で考えていかないといけないし、長期的な視野ということで1番大切なのが

「負けておこう」という魔法の言葉と、「物事には浮き沈みの波があるのだから、次の波をまてばいいさ」という一種のあきらめ、あるいは、なにか成功に対する異常なまでの執着から自分を解放させること。そういうことを完全に腹落ちレベルで身につけていないと、「負けてしまった」と感じたときに打ちのめされる感に悩まされて、土台を崩しかねない。

では、「負けておく」ということはどういうことなのか。それは、もっと具体的にいうと、

ぽけーーーーーー

っと、現状を投げ出してしまうことである。すべてのプレッシャーやストレスから逃げてしまっていい。うん、そうだ、ぽけーーーーー、なんだ、と心の内側で唱えたらいいのだ。

で、そうすると、どうなるかというと、どうにもならないのである。ただ、選択肢のひとつとして、この

ぽけーーーーーー

があるということを意識して、一時的に自分を無我の状態においてしまう。何も手に入れていない、マイナスの状態にある…という状況でいい。思考を停止して、投げ出してしまう。それを意識してみる。

負けておこう

負けておこう

そうして、現状のイラダチやその原因を一時的に「自分は被害者ではなく、自分から被害をうけてあげたのだ」と肯定的に捉え直すことで、その状況をやりすごせばいい。いつのまにか時間はたってしまう。負けておいたことも、どうでもいいことになる。むしろ勝っていたとしても、その勝ちすらどうでもいい記憶のチリとなって、脳のなかのひきだしにしまいこまれていく。

大切なことは、負けておこうと主体的に負けを選択したという事実と、そして「次の波がくるんだから」という楽観の感情である。これが新しい運をよびよせるし、「負けておこう」という前向きな敗北が、次にジャンプアップするための大きなエネルギーとなる。

……我々はどうしても、負けることがいやだ。いつでも勝っていたい。いつでも良い気分にひたっていたい。いつでも思い通りになってほしい。すべてが健康です、とたとえば健康診断で保証されたとしても足のうらに木のトゲが1本刺さってしまえば、それが肉体に与える影響はそんなにないし、トゲはやがて自然に抜けていく、と頭では理解していても、そのトゲがもたらすチクチクした刺激にイライラして、すぐに抜こうとする。ところがここは外出先でピンセットもない、太い指ではそのトゲが抜けないとわかっているのに、かきむしったりして、トゲがどんどん食い込んでいく。

こういう状況で、その痛みを「うけいれてやる」と開きなおれるかどうか。そして「このトゲのことも数日後には忘れてしまうさ」と軽くつぶやいていればいい。

一言で書けそうな内容を何度も何度も繰り返し書いた。それくらい「負けておこう」という魔法をきちんと使いこなすことは私にも難しい。

31はげ丸【射精禁82日目クンバハカ34日目】:2023/03/21(火) 08:46:07
363 : はげ丸【射精禁82日目クンバハカ34日目】 2023/03/21(火) 08:45:05
スマホで端的に記録。
昨日は、ヨガ教室のラウンジにて例の三上悠亜似のOLがまたもやセクシー姿で私の隣の隣に座ったのだが…OLが左に座ったとすると、右の右にはかなり顔みしりの23歳パリピ系美女も座ってきたのだが、

【23歳美女は、イスを私のほうに向け、イスの上で体操座りをして私をみながら脚をのばしてくる】

のだった…!

これはもはや混沌としたポルノ映画みたいに露骨で、ちょっとしたギャグもはいっていた。

想像してみてほしい。

左側に、化粧完璧な三上悠亜似のOLが、ほぼパンティみたいな、水着?みたいなパンツ1枚にスポーツブラでヘソだし。それでノートパソコンで仕事みたいなことをしている。右側に、私の方をガン見しながら、スマホをいじりつつも、私にむかって両脚をのばしてる23歳美女。こちらは体操座りでまんすじまるわかりの薄いピンクのレギンスである。

で、パリピ美女は足をエロそうに伸ばしつつ、ときどき笑っているのである。それに私の眼をかなりジーッとみてくる。2人とも1メートル以内。

で、この美女2人は仲がよくない。私とOLがもう3ヶ月くらいいつも数時間真横にいることをパリピ美女は知っている。個人的にパリピ美女と2人きりになってるときは私は彼女の身体をガン見していて、パリピ美女は私が脚が好きだということを完全に知っている。

で、昨日、いってみれば

【パリピ美女がOLがいる真横で、OLに勝負をいどむように? かなり露骨にしかけてきた】

のだった。

この時間は90分くらいつづいた。

私は勃起していた。スポーツ用短パンの下はノーパンで、見事なまでに露骨に勃っていて、それをパリピ美女はみながら脚をのばしてきて、OLもチラチラとみて、一度OLはクスッと笑った。

このカオスな状況がおかしかったのだろう。

しかしパリピ女子は途中で飽きてしまったのか90分くらいで帰った。

そのあと、私とOL2人になったが、何度かOLが横向きになって私の股間ではなく私の眼をジーッとみつめてきた。私はそのとき彼女の股間をじーっとみつめて対応した。話してはいけない。そう思った。

話さないから、この超絶エロいやりとりが3ヶ月できている。

合計3時間。途中、おっぱいがみたくなるとおっぱいをガン見した。生脚も股間も、顔もすべて見放題。こんな夢みたいな状況は今後おこらないだろう。

おそらく彼女は一種のMであり、一種のSである。

私は彼女を女王のように崇め、女王のように彼女の足元にひざまずくかのごとく眺める。自分がどうしても彼女の身体をみたいんです、というアピールをやめない。勃起も彼女には隠さない。他の会員がきたらサッと隠すが、彼女の前ではカウパーでぬれた短パンのままだ。

一方で、いつのまにかM的役割が彼女にもうつっている。まず、私から全身をなめまわされるようにみられながら、彼女は仕事しなければいけない。隣でギンギンに勃起している男の視線をあびながら、彼女は少しずつ服装の露出をあげている。なぜなら途中で着替えにいくからだ。最初はレギンスで、途中でそれをぬいだパンティみたいな格好になってくる。香水をつけてくる。

エロさがはんぱない。

そして、このやりとりだけでない、
ヨガレッスンにおいて、昨日は初めてみる美女がかなり大きめの短パンをはいていたのだが、生脚で、私の真横に彼女は自分からきたのだが、座ると鏡にうつる彼女の白のパンティがかなり露骨にはみだしていた。

小学生のころ短パンをはいていて、体育座りをするとパンツがはみでてたものだが、あんなレベルではなく、パンティまるだしレベルで丸見えで、鏡にうつっているのを彼女自身がきづいて、最初それを両手で隠そうとしていた。で、私が鏡越しにそれをみているのも鏡ごしに目があってわかった。

そのやりとりはレッスンはじまるまえの10分間で、彼女は最初は両手ではみだしてるパンティを隠すそぶりをしていたが、スマホをとりだし、おそらくLINEでこの状況を書いていたのか、途中で書きながら苦笑していた。
そのLINEを書き終わると、なにかがふっきれたのか、パンティを隠すのをやめ、むしろひらきなおったのか興奮したのか、両脚をパタパタと動かし始めたりしたので、私はそれを、ひたすらみていた。

先生がはいってきて、その夜は参加者が少なく、男は私だけで、

「たくさん空いているので移動してもかまいませんよ〜」

と言った。これでパンティ美女は移動するかもしれないなと思ったが、彼女は真横から離れなかった。

そのほか、別のヨガで完全に白のブラキャミ1枚の美女がいて、巨乳だった。

たくさんのエロい女性がいるが、なんというか、美女なのにほぼ下着まるだしというか、おっぱいもまるわかりなキャミソール1枚。かなりの薄さだったからビックリだったが、その時間は先生に夢中なのでしっかりはみれなかった。

最後に、昨日、ヨガ教室のラウンジで、OLもパリピ美女も帰った深夜、ソファに座る私の真横に175センチはあるモデル系のレギンス美女が座って、私がその滑らかなレギンスの脚と、はだしをみていたら、かなり足指を動かしながら遊んでくれた。

私はもう、本もスマホも手に取らず堂々と彼女の脚をみていて、勃起していた。彼女との距離だと私の勃起はまるわかりだったろう。相手もそれに興奮したのかもしれない。

最近両腕のちからこぶがついてきた。そして私のタンクトップ姿は本当に美しい。自覚がある。この3ヶ月毎日ヨガと筋トレとダンスしかしていない。筋肉マンはたくさんいるけど、このむちむちなしなやかさはヨガを数百時間やらないと手に入らない。

顔はそれなりに劣化しているが、この身体と性フェロモンなら誰にも負けないだろう。

32はげ丸【射精禁82日目クンバハカ34日目】:2023/03/21(火) 08:46:38
↑転載場所をまちがえた

33はげ丸【射精禁91日目クンバハカ43日目】:2023/03/30(木) 09:07:34
389 : はげ丸【射精禁90日目クンバハカ42日目】 2023/03/29(水) 23:59:25
帰宅。
明日は妻が休みなので今日明日は土日みたいである。

サウナに入ってるときに、いま自分が腹立ったり、嫌だなと思った相手(たとえば昨日はなしかけてきたオバさん)になぜ不快感をかんじるのかについて自問した。

そういう不快感をもつ自分の不快感は
オバさんが原因ではなく
そのオバさんをひきつけているのは
私自身

私自身がつくりあげた観念により
私がたんに不快になっているだけ

そういう自分自身を内側から開放したい

美女の脚をみるとき
本当に美しい女たちは私の視線をうけいれ
自分の美をみとめた私に
サービスをしてくれる

一方で、いまいちな足だけきれいな女たちのなかには
私の視線を拒否したり、強く否定するような態度をとる人もたまにいる
本当に美しいなあというオーラの美女たちとはまったくちがう、なにかとてもセコい感じがする表面的な美女

私は自分が見る側で見られる側でなかったために
いざ見られる側になったときに
見られる対象をえらぶセコさがある

もっとオバさんに寛容になっていい

不快に思うとは
相手に問題があるのではない
自分が不快に思うから不快になる
つまり
不快の原因は自分である

このことを意識すること

34はげ丸【射精禁119日目クンバハカ71日目】:2023/04/27(木) 06:41:13
503 : はげ丸【射精禁119日目クンバハカ71日目】 2023/04/27(木) 06:40:34
起床。
眠っているあいだ、はっきりと内容は覚えていないのだがいろんな夢をずっとみつづけていて、起きた瞬間におもったのは、やはり自分と性欲の向き合い方だった。

前回のはげ丸はたしかこの時期あたりで、性欲を全否定して家に閉じこもってエロスの否定にはしった。あれは振り返れば愚行であった。だが、性欲に流されたくない、と自分なりに必死に毎日考えていたからこそ、そんな思いつきを実践できたのだと思っている。

今回も性欲にむきあいたい、という心の声がやってきた。だがもちろんエロスを全否定するつもりはまったくない。なぜならこのところ、私は記録を読みかえすまでもなく毎日がエロ祭りみたいなもので、いわゆるエロい「おかず」は気づいたら無限にある。

その白眉といえるのは、チャイナドレス風のワンピースに生理ではくようなデカい白いパンティで私の前でヨガをした23歳のパリピ美女の肢体で、あれは頭がおかしいとしか思えない、奇行だった。目の前でポルノを超える眺めが普通に行われた。

昨日の出稼ぎ系デリヘル嬢風のギャル2人がレズのように、片方がずっともうひとりの生ふとももをさすり、アソコまで触って「それはだめよ〜」なんていっている現場も、かつて経験したことがない。そういえばカフェで店内フェラチオを目撃したのはいつだったろうか。様々なエロスが走馬灯のようにかけめぐってくる。

それらは、エロスを求めた結果、私に起こり始めた現象だ。

一方、私は筋肉をもとめはじめ、真剣にヨガを求めはじめた。その結果どうなったか。体重は1年で15キロおちて、中軽度の肥満がスリムあるいは筋肉型になった。体脂肪率は30%ちかくから最大12%までおちた。ヨガについては、先生たちが私が参加すると、それまでのユルユルヨガをやめて、会員が減ってでも私が満足するような強度の高いヨガになってきた。いつのまにか私の参加するクラスから、いかにもヨガなめてます、的なブヨブヨの人たちは消えていって、今では空席も目立ってきた一方で、かなり本気の人のリピートが私も含めて増えてきている。

ジムもヨガも、女の体がみたいから、という理由だけでそれぞれ入会したにすぎなかったが、私が「○○をみにつけたい」と本気で思えば、その打ち込みの集中力と継続力はものすごいものがあり、すぐに成果がでる。

いまは英検1級単語をやりなおしている。一ヶ月100時間。始めた今月は50時間を目標にした。いま9日目で25時間。50時間までいけないかもしれないが、久しぶりに本気で単語の暗記をやっていると、とても心地よい。頭をつかっているかんじがすごくする。

もちろんこれもエロスを理由に単語を覚えているので、すべて原動力となっているのはエロスではある。

だからこれからもその基本方針は変わらないのかもしれない。エロスは大切ではある。

一方で、どんなにエロい光景も一瞬にすぎず、それはそこで得られなくても、また風が吹いてくるようにすぐにやってくる。

だからたとえば目の前の女のパンティがみえそうで、椅子から床のほうにしゃがめば、ばっちりみえたとする。でも、椅子に座ったまま「みる」のと、床にしゃがみこんで「みる」では前者はまだ偶然性のなかで楽しんでいる範囲内にたいして、後者はあきらかに一線をふみこえている。

そこまでふみこんでまで、みる、ものではない。それは不法行為に入り込んでいくきっかけになる。エロスはおまけだ。それはどこにでもあり、呼吸をするように当たり前なのだから執着しない。それより、単語を覚えたらいい。そして、英検1級アプリを完全にやりこんだとき、挫折から立ち直って、ふたたび英検1級を受けることにしよう。

エロスはいつでも手に入る。それはどこにでもある、を常に唱えよ。そしてそこに翻弄されず、エキスの部分だけを生活のスパイスにとりいれて、常に自分の能力を向上するための具体的なトレーニングに励むのだ。

35はげ丸【射精禁119日目クンバハカ71日目】:2023/04/27(木) 09:33:34
インスタやツイッターで夢を語る男がいたとする。爽やかな写真や、文学論や芸術論を熱く語っていても、彼らはもうひとつの顔をもっていて、それは虚像で日毎にシコシコとオナニーをするわけだ。どんなに純粋な教育論を語り、清廉潔白にみえる男教師。彼もまた夜毎にシコシコとオナニーを繰り返す。それは私の思いすごしではなく、オナニー大国ニッポンなのだから、だいたいそうなのだろう。

一方で、この私の記録は変態記録にちがいないかもしれないが、虚像ポルノサイトは興味がまったくない。興奮もしない。実物の女をもとめてカフェやヨガ教室やジムなどで女をガン見しまくっているけれども、最近はその眺めからの脱却を何度も記録のなかで自問している。

こんなに変態である私だが、私の変態はこの記録に記されていることがほぼすべてである。真面目ぶって、ロマンチックにソトヅラをよくしてシコシコオナニーしまくっているわけでもなければ、こういう文章を書いたあとで、コソコソと1人オナニーをはじめることもない。もうまったく1人でいるときにそんな気分になることはない。

ムラムラというのも、最近は女を前にしないとしてこない。もちろん性衝動が高まってざわつくときは多々あるのだが、それは我慢というものではなくなって、むしろそれが心地よい。ストレッチをしていると、当たり前のようにぐにゃぐにゃと体が動くところより、ちょっと痛いところに呼吸をながしていくときの、じんわりした熱さが気持ちよいのだが、それと同じで、ザワザワと体中を這ってまわるような感覚がきているときにこそ、生きていく充実感でみなぎってくる。だから、こそこそオナニー、という発想にはもうならない。

奇跡的ひきよせ、だったり、性フェロモン、のための射精禁だけではなく、自分自身の性欲をまったく隠すことなくみつめつつ、一般的成人男子よりよほどクリーンな状態な心もちをえられる点で、射精禁というのは続ける価値がある。

36はげ丸【射精禁119日目クンバハカ71日目】:2023/04/27(木) 13:24:21
女の楽園にきてしまった……

37はげ丸【射精禁119日目クンバハカ71日目】:2023/04/27(木) 17:54:29
↑書くところをまちがえた

38はげ丸【射精禁120日目クンバハカ71日目】:2023/04/28(金) 12:09:37
505 : はげ丸【射精禁120日目クンバハカ71日目】 2023/04/28(金) 12:08:44
毎日目が覚めたとき、私がどれだけ「自由」であるかを味わうことにしている。私は手にいれなかったものがたくさんある。手にいれられなかった、と言いかえてもいいだろう。

こんなはずじゃなかった、という思いもある。そう思って自分を責める時間もたくさんあった。

しかし、自分が今手にしている「自由」について、私はもっと誇っていい。もっと自慢していい。この時間をこんなにも贅沢に使い尽くしていることについて、死ぬときも自分を誇っていいだろう。人生は有限である。来世というものがあるかはともかく、「私」として私自身を生きている時間は毎日すり減っている。

たとえ人生100年時代だとしても、こうやって、スポーツクラブで存分に身体を動かせるのはあとどれくらいなんだろう。顔じゅうにシミができ、体のあちこちが痛み、楽しむ云々よりも「ただ生きることに精一杯」な状況まで、あとどれくらい私には時間があるんだろう?

人はみな、未来・未来・未来のことについて心配し、不安になり、備えようとする。未来のために今は我慢してがんばるのだ、という。未来のための投資として今耐えるのだ。未来のために今はあくせくするのだ、と。

しかしその未来がやってきたとき、目はみえず耳は聞こえず臓器はダメージだらけで体がまがっている。そんな未来になるはずじゃなかった、とそのとき悔いたとしたら、取り返しがつかない。

今を生きる

この言葉はとてもシンプルであるが、この言葉を実行するということは、未来への備えや不安を払拭し、今現在をとにかく充実させることに全力を尽くすということでもある。そして今現在を充実させる、ということは、今自分を縛っているあらゆるものから自由になる必要があるのだから、この言葉を実行できる人間は、実はこの世の中にそんなにたくさんいない。

成功した金持ち
あるいは
何ももっていない貧乏人

極端にいえばこの二種類の人間しか「今を生きる」へのチャレンジの切符が与えられていないことになる。

世の中のハウツー本に、そういうことは書いてあるか? あなたが極端に金持ちか貧乏人でなければ今を生きることへの挑戦ができない、と。サラリーマンには「今を生きる」への実践は不可能だから今すぐ仕事をやめるか、宝くじをあててきなさい、と。

そんな本はどこにも売っていない。
なぜなら、そんなハウツー本を買おうとするのは金持ちではなく、本代もないような貧乏人でもなく、いわゆる普通のサラリーマンだからだ。

ここにハウツー本を読んでも成功できないからくりがある。じゃあ…しがないサラリーマンの自分は「今を生きる」ことはできないのか?

それは私にはわからない。
私はもうしがないサラリーマンではないし、私はハウツー本の著者でもない。読者数を増やそうと思っているわけでもない。

だから遠慮なく自慢をする。

ああ、今日も私はとても自由である、と。
目が覚めて何をしてもいい。今日をどこにいこうが、誰に制限されることもない。

そういった自分の「自由さ」への感謝を自覚してからはじめて念を練る準備もできるというものだ。願ったその日のうちにかなうような、小さな願いはこれまでたくさんやってきたし、叶えてきた。

もっと大きなものだ。

宇宙は人の心にある。心のなかで人はみんなつながっている。願いを叶える、というのではなく、或る状況の設計図を宇宙へと送るわけだ。

現実の世界において、「いま、宇宙へ私の設計図をおくろう」なんて考えている人間はほとんどいない。99%いない。100人集めた人間のうち1人だってそんなこと考えていないかもしれない。100000人に1人くらい考えているかもしれない。だが、ただ気まぐれで考えがよぎっただけだ。私のように膨大な自分の時間を自覚し、肉体を鍛え、性エネルギーを蓄え、感性を日々鍛えつつ、それでさらに

「宇宙に私の設計図を送る」

と思っている人間。いるんだろうか?

誰もいない。だからこそ私がつくった設計図だけが宇宙のもとへ届けられ、その設計図をもとにして物事が動きつづけていく。

だからもっと念を送ろう。宇宙にむかって、文字ではなく、イメージをおくるわけだ。言葉より強い、念。しかし人は言葉で物事を考えるわけだから言葉に囚われる。その言葉への囚われから抜けだすために、瞑想があるのかもしれない。

では…結局、設計図はどうやって宇宙におくるのか?

それは結局のところ、何も考えない、これにつきるのではなかろうか。何も考えずに、真剣にぼーっとする。真剣に何日も何日も何日もぼーっとする。自分の拙い言葉で念を練っても、その拙い言葉が大きなイメージへの変換につながっていかない。私の体と心はすでに私がのぞんでいる本当の状況を本当は知っている。だからぼーっとしていれば、勝手にそれが念へとなっていく。

真剣にぼーっとする。
これは結構難しいのだが、女の脚と単語帳の単語を覚えているとき、どこか真剣にぼーっとできている自分を感じる。だから私は英単語を覚えることをやっていい。これはとても後々重要になっていく。英検準1級までの単語でTOEIC990は可能である。

だが英検1級単語。魔境のようなこの分野の単語を完璧に覚えきることができたら、ものすごい自信になるだろう。だから私は今日も単語を覚えるのだ。

39はげ丸【射精禁2日目 与える目覚め1日目】:2023/05/09(火) 19:51:18
まだ机上の空論となってしまうかもしれない。だが「進撃のはげ丸」として次の段階にすすむためには、エロスとの付き合い方を変えていく必要がある。

それは…私の現段階の思想には

【ほしい、ほしい、ほしい】

しかないからだ。【あげよう、あげよう、もっとあげよう】

そういったgiveの視点が今の私にはまったく欠けている。もっとも、禁欲者と名乗るほとんどがそうかもしれない。彼らは、私も含めてみなが

「禁欲をしたから、これを手に入れた、これを成し遂げた、こんな女とセックスした」

つまり、禁欲=自分だけがみたされる手段

これしか頭にない。だがそれは本当に禁欲というのだろうか。むしろ増欲でしかない。完全に名前と逆のことをあえて禁欲とよんでいるこの現象になぜ誰もストップといわなかったのだろう。

本当の禁欲は、むしろ「あげよう、あげよう、ぜんぶあげよう」であるはずだ。ではなぜ、これが流行らないか?
そもそも私も含めた偽・禁欲者の目的が

【ほしい、ほしい、ほしい】だけでしか構成されていない以上、

「あげよう、あげよう、ぜんぶあげよう」の、真・禁欲の考え方などに賛同するはずがない。そもそも偽・禁欲がこれだけ広まった理由も、そのほぼ全員が

【禁欲すれば…いろんな物が、金が、女が、もらえる】

からであり、動機はそれだけにすぎないので、別にその動機をてっとりばやく満たせる道具として、たまたま禁欲という言葉にのっかっているだけなのだ。

だから次のステップなんて進めるはずがない。ずっと

【ほしい、ほしい、ほしい】
といっていて、どうしてそれが手に入るのだろう、と旅の間、そのことを何度も自問した。

もちろん、ほしいものはほしい。だが、本当にほしいものはほしいのだろうか。たとえば、女とやりまくりたい、若い女とやりまくりたい、と書いてみたときに、実際に数万円さえ用意することができれば風俗でそれは可能なのである。そして、過去にそれは何度もやってみたけれども、どこか虚しさが残っていた。それは「やりまくる」といっても、結局、心の通わない一時的な肉体刺激による射精は、疲れと虚しさをのちほど実感するからであり、だからこそ心も体も満たされる良い女とセックスしたい、とドンドン欲求だけが高まるのだが、そうしてその望みが満たされた妻との結婚、というあとも、今度は「刺激がない」「非日常がほしい」といつまでも欲求だけが無限にたかまっていく。

ほしい、ほしい、ほしい…これをかなえることが本当に幸せなのだろうか?

むしろ、あげよう、あげよう、もっているもの全部あげよう…という精神。これは今の私には口だけの空論なのだけれども、もしこれを実行してみたとして、そういう【人になにかを与えられる人間】こそが、モテたり、信用されたり、人気者になったりするのではないだろうか。

それを思うとき、たとえばエロスにおいても、あたえるエロスというのは、セックスだったら射精ファーストのAVセックスではなく、女性中心の愛撫が中心になるものだったりするし、そもそも女性との付き合いにおいてセックスを念頭におくのではなく、いかに1人の女性を心の底から笑顔にできるかについて自然に行動する。そういうのが「与えるエロス」なのであって、私がいま「女の脚」をガン見する行為のどこかに、そういう「あたえるエロス」はあるのだろうか?

唯一、いまの自分に「あたえるエロス」があるのだとすれば、それは体を鍛えていることによる肉体美だったり、精液をためつづけていることによる【ほかのどの男にもできない特殊性をもった男】として女の前に存在している、ということが【与えるエロス】にはなり得る。

では、他にあたえるエロスとはなにか、と考えたとき、たとえばスポクラなどでオバさんがジーッと私をガン見してきたり、話しかけてくることがある。私は美女や年下女性なら、鼻の下をのばして対応して、

これが禁欲効果だ! と喜ぶのだが、それがオバさん(といっても同年代もふくまれる)だったりすると、途端に無視しようとしたり、ものすごく不快になったりする。つまり、相手が美女だったら「もらえる側」だから喜ぶが、相手が不細工だったりオバさんだったりすると、自分は何ももらえないからイライラするのだ。

これって、心がブサイクにならないか?

ふりかえると、私が「みる」を実践したとき、必ずといっていいほど過剰なサービスをしてくれるのはいつも美女だった。ブサイクな女たちほど、なぜかエロい目線でみるとものすごく不快そうな顔をしたりする。美女ほど、受け入れてサービスをしてくれる。

これはおそらく、そうやってエロスを与えてくれる女は、「あげる、あげる、もっとあげる」を無意識のうちに実践することによって、内面に余裕ができるのだ。「ああ、あたしは美しいのね、だからあたしがみたいのね、いいわ、どんどんみていいわ」……これは大袈裟だが、私の実感ではこんな感じなのである。

逆に「きっもー、なにみてくんの、きっもー」という反応をする女性は、結局のところ、ほぼ9割のフツメン、ブサメン男子にこういうセリフを心のなかで投げかけ、結果的にそのセリフが彼女の顔に、どこか不機嫌なシワをつくったり、目つきを悪くさせたりして、結果的に美女から遠のいていく。

私はおっさんに対しても異常なほどに毛嫌いするところがあるが、それだって、おっさんが私に与えてくれるものがないからであり、結局、そういう「ほしいものを満たしてくれるかどうか」でしか物事を判断できない人間、それが私なのであり、それはいってみればオナニー思考の延長なのかもしれない。

そもそもオナニー三昧の自己中心的変態性欲者が、さらに自己中心的増欲をするための道具としての偽・禁欲が「オナ禁」なのだから、そろそろこういう自分を完全に叩き壊し、

あたえる人間への目覚め

が絶対的に必要。

と書きつつも、そりゃあエロいことがあったら、みる。今日もみた。だがそれは次にはつながらない。次につながるのは、なんだっていいが、

あたえる経験

これにつきる。

40はげ丸【射精禁10日目 与える目覚め14日目】:2023/05/23(火) 00:40:38
541 : はげ丸【射精禁10日目 与える目覚め14日目】 2023/05/23(火) 00:34:01
日付が変わった。SMという言葉が私は好きではない。なぜならSとMは状況でいれかわるからだ。

ただし、【みる】に関して言えば、
一般的な意味での【S】的な思考では絶対ダメだという確信がある。

というのも、真に【俺、エスだから】と言えるのは超絶に与える立場の人間なのである。考えてみれば自明だろう。エスと言われている立場は、女の上に立つという意味なのだから。与えられる者でない場合、必然的にM的思考にならざるをえない。

だが、変態の多くは、一般的なエスにあこがれる。
なぜなら、多くの変態もどきは、実はエロスに興味がない。

【たんに、社会的に弱者な自分のストレスのはけ口として女をいたぶりたいだけで、自分をエスとするだけ】

なのである。

ここをみんなわかっていない。

ではM的視線とはなにか。

それは女を

【讃える】のである。

そして、女を【たたえる】ために必要なのは、陶酔して女をみつめる視線、であり、このために、普段から音楽や美術をみる【教養】がためされる。

なぜなら、絵を見るとは、ただの絵の具をみることであり、その、ただの絵の具の前で心から陶酔する経験をもっていないといけない。

まあ、伝わるかはわからない。しかし、これは真理である。
返信
542 : はげ丸【射精禁10日目 与える目覚め14日目】 2023/05/23(火) 00:39:54
エロ動画をみるような目でみる視線

美術館の裸婦をらみるような目でみる視線


この視線は数十年たつとまったくちがった視線になる。

女たちは認められるたい欲求がつよい。
自分を他とは違う特別にみられたい。
だからインスタで下着みたいな姿になる.
裏垢でオナニーしてイイネをほしがる

そんな女たちの多くも知らない。
自分が、国宝級の裸婦をみられるよう視線でみられたときの衝撃を…
ほかのどんな男たちともちがう目
なにか自分そのものがブランドになったかのような視線
その目だけでドキドキする
みられるだけでぬれてくる


そういう視線を得るために美術館にいくべき

ということをナンパブログは絶対に書かない
誰も書かないだろう

だが、私が43歳にして他の誰ともちがう自負があるとすれば、この目だ。この目を育ててきた。

41はげ丸【射精禁10日目 与える目覚め14日目】:2023/05/23(火) 06:38:51
色気とはなにか、と考えたとき、まず圧倒的に身体のラインがある。それは誰にも否定できない。だが、太っていても、シワがたくさんあっても、稀にではあるが、圧倒的な色気を感じる人がいて、そういう人は【目】がちがう。

一昔前は、二重だったら誰でも美人や美男で、整形するなら誰もが二重まぶたにしているような時代もあったが、二重がちまたにあふれた今、一重のイケメン、一重の美女もたくさんいるわけで、「目」の色気というのは、つくれるボディラインとちがって、ちょっと鍛えたらつくれるようなものでもない。

【目の色気】とはなにか。

私は結構な時間を「みる」に費やしてきていて、たくさんの顔を日々みているのだが、私がカフェや街でみかける美女たちの【目】よりも、なんとなく今から20年以上前に働いていた地方の政財界、あるいはその地方にやってきた芸能人などがお忍びでやってくる半分会員制みたいなバーで働いていたあの頃の記憶をたどったときのほうが、【目の色気】の秘密に近づけるように思う。

その店に集まる人たちの多くが、資本主義における成功者たちで、だからなのかもしれないが、彼らの【目】はギラギラしていて、鋭かったのだが、そういう武士のような鋭さだけではなく、酒によって乱れはじめたときの表情に、ときおり虚無にちかい灰色の【目】になったり、あるときはどこまでも深い闇をその瞳の奥にたたえているときがあって、そういう【目】は人を射抜く武士ではなく、人を吸い寄せてしまう独特な魅力があった。私は今、ある人のことを思い出してその方の目の印象を書いてみたのだが、20年以上も前の私が今も思い出すその人を含めた色気ある方々の記憶をたどるとき、まず思い浮かべるのがその目の光の強さだったことがあらためて驚きである。

昨日は眠る前に、【女のエロスを誘いだすのに必要な目を手に入れるために必要なのは美術館だ】ということを書いて、それは昨日思いつきで書いたわけではなく持論なのであるが、あらためて今朝その持論を思い返してみて、私はちょっと笑ってしまった。

モテるためのあらゆる教材が玉石混淆で出版されていて、日々ツイッターなどでもモテ情報商材であふれているが、【モテるために必要な目を手に入れるために美術館へ行こう】なんて書いている人はただの1人もいないだろう。それが可笑しい。

たしかに美術館に行ったからモテるか? と言われても困るところはある。だが、やはりモテるようになるのではないか。

えっ、じゃあ、はげ丸はモテてるのか?

と言われると困ってしまうのだが、その「モテる」定義を変えると私はモテているかもしれない。その定義とは何かというと、

①写真だけ並べたらどっちも「美女」で、実際にみてもどっちも「美女」なのだが、美術館に行く習慣があると、美術館に行く習慣がある者同士が出会ったときに匂いや雰囲気がわかる。言い換えるとアートや芸術に日頃から馴染んでいる心の内側もオシャレな美女と、ただのマネキン的な美女の見分けが一瞬でつくようになる。そして相手もそうだ。マネキン的美女は私をみてもただの40代のおっさんにしか思わないかもしれないが、美術館美女が私に会うと、向こうも私の持つ【深み】の部分に気づいてくれる。ではその【深み】をどこで感じるのか? というと、やはり【目】なのである。

実際に、私はかつて顔写真&本名公開のSNSをやっていたのだが、同じく本名と顔写真を公開している或る美術館のキュレーターと、私がアカウントを削除するときまでずっとSNS上ではあるが、仲良くしてもらっていた。彼女のほうが私の住む街にきたとき、「会いたい」と言ってくれたが私は多くの事情があって私から会えない旨を伝えた。

先月ヨガ教室でナンパして、私のセフレ希望をにおわすLINEのせいで既読スルーのまま終わってしまったけれども、元ミス日本の参加者でもある圧倒的な30代前半の美女と初対面で3時間ほど話し、彼女から私のラインをきいてきて一緒に瞑想をしましょう、みたいな提案もしてくれたあの日。あれも彼女が私の「目」に美術館の目を感じとってくれたからだろう。

ナンパ経験はそんなに多くないが、昔サケキンの頃だったか、美術館でナンパしたことがあって、2館を一緒にまわり美術館のレストランで食事をおごってもらった。相手はOLで、いま部長と不倫関係にあって、はやく結婚したい、みたいな話で、レストランをでたあと解散になってセックス云々とはならなかったが、最後にハグしましょう、みたいな展開になり、私はこの機会に彼女の尻を触ろうと思って尻をだきしめて触った。その感触を覚えている。あれも「美術館の目」の共鳴だ。

あの頃は他に、美術館にきていた女の子が夜行バスで帰るまで1人で待っている、という子がいて、その子ともセックス云々は至らなかったが、普通に初対面でナンパではないみたいにバスの時間まで話したことがあった。

マクドナルドで隣に座った柴咲コウ激似の美女にタロット占いしませんか、とナンパしたのもそのころで、彼女は薬剤師の彼氏がいるのだが、セックスの相性がよくなくて、まだイッタことがない、と初対面の私に話した。そして「はげ丸さんと今ホテルにいきたい…」とまで言われたのだが、その日私は財布に金がまったくなくて、その日にホテルは行かなかった。彼女とはその後何回もあったのだが、「やっぱり今の彼氏を大事にします」といって、2度とホテルに行けそうにもなく、終わってしまったのだが、彼女も美術館が好きで、或る画家のことで話がもりあがった。

思わず「美術館好きは互いを見抜き、
互いの距離を容易に縮められる」という例が長くなりすぎた。

②こちらが本題だ。美術館にいって絵をみる、そして絵に感動する、という体験の積み重ねが女を「みる」ときに女のエロスを引き出しやすくする、ということだ。

そもそも絵をみて感動する、と書いたが、本当は「感動」とは簡単なことではない。「ポルノをみてシコシコ射精する」のが感動名作アニメだとしたら、美術館で絵をみて感動するというのは「カフェの女の身体をみるだけでカウパーがあふれだす」くらいにちがったものだ。

感動名作アニメは観ている人を感動させていくようにつくられている。ポルノは見ている人をシコシコ射精に導くようにつくられている。

だが、街の女の生脚は「シコシコさせるためにあるのではない」。そこに女の自然の肉体美がただ無造作にあるだけ。

その生脚をみてカウパーをふきださせるには、見る側の人間が、この自然美から官能をみつけ、その官能に自分から興奮していかなければいけない。だから私や匠さんが日々街の女たちをみて「興奮している」のは、実は簡単なようで一般の人には難しい。というのも、たしかに目の前に美女の美尻がドーンとあったら興奮すると一般的には思われているが、私が思うに、世の中のオナニー男性は、私ほどジムやヨガ教室で女の体に興奮していない。

彼らは興奮というのは、もっとわかりやすくないと無理なのかもしれない。もっとむきだしに乳首がでているとか。パンツくらいでは興奮できないのかもしれない、と思ったりする。

話を戻すと、美術館で絵に【興奮できるようになるまでみる】経験をしていると、絵にさえ興奮するのだから、生身の美女をみたときの内側からの興奮が本当にすごいものとなる。

そして人は、それが女にかぎらず、自分自身に価値を感じてくれる人間の視線に気がつく。
【ああ、この人、本当にあたしの身体に興奮しているんだ〜】
女がそう思うような視線というのは、

「ぐへへ、この乳えっろー、この尻えっろー」

というポルノ的興奮による、本当は心のそこからエロスを感じているのではなく、ただ陵辱的な目的と、なおかつ、これはエロいにきまっているという思い込みのみで、心のこもっていない上から目線なエロ眼。

こういう視線は女から何も引き出さないし、女たちは自分が消費されたとイヤな気分になるのではなかろうか。

女を讃える視線、それは美術館にある。というのはこういう流れからうまれた。

42はげ丸【射精禁15日目 与える目覚め19日目】:2023/05/28(日) 07:30:58
566 : はげ丸【射精禁15日目 与える目覚め19日目】 2023/05/28(日) 07:30:27
それにしても、昨日のFENDIのハイヒールの美女が忘れらない。妻はまだ寝ているし、いまさらオナニーなんてしないのだが、もし許されるなら思い出してオナニーするのではなく、昨日の彼女の足をみながらオナニーしたいくらいだ。

さっきあのハイヒールはいくらくらいするんだろうと、検索していたら定価だと20万こえていた。

そのハイヒールとロングスカートをみていたら、突然片足ずつ脱ぎはじめて、その脱ぐためのいいわけみたいなのでわざわざ友達に

「ちょっと足が痛くて〜」

みたいに言いつつ、片足ずつぬいで、私の方に伸ばすあの仕草は本当にみていて震えた。その時間、カウパー液がどくどくあふれていた。やはり、

胸、尻、まんすじ

だけにしか興奮できないと、なかなか大変だ。
指も足もワキも唇も耳もうなじも、
すべて胸、尻、まんすじの延長上にある。
もっといえば、完全に長袖長スカートであっても、そこに実在している女がいるわけで、その存在に興奮できるための

感度

を磨いていかないといけない。

多分、いまの日本でこの境地に達している人間は少ないと思う。虚像禁、というか、【虚像卒業】をしているかどうかが、やはり重要だと思う。私は虚像を禁、ではなく、もう完全に卒業してしまった。そしてその卒業と比例するかのごとく、美女のオーラを肌でうけとめると、ムラムラがとまらなくなる。このムラムラしていることが、【みる】では絶対必要で、男が自分の存在に興奮していることが女にとっての満足になり、満足したから【与えてくれる】わけだ。

(そんなに…脚が好きなの?!)
と思わせたので、あの謎のヒールぬいで裸足を私に片方ずつのばしてくる、という謎のご褒美があったんだと思う。

あらためて【みる】は奥が深い。
美術館へ行く必要がある。許可をとる必要がある。女の全体にはげしく興奮する必要がある。聖液をためておく必要がある。虚像を卒業あるいは最低でも禁じる意思をもつ必要がある。

こういう条件をそろえることは難しいが、それがそろっていると街へいくだけで、手淫のシコシコオナニーの数百倍気持ちのいい、何時間でも継続できる脳イキを常日頃から誰とでもすぐにはじめられる。【みる】から【はなす】への移行を考えていた最近だったが、たとえば相手が24歳で私が44歳という20年の隔たりを考えたとき、【みる】が私に1番適しているのかもしれないと思ったりする。

43はげ丸【射精禁15日目 与える目覚め19日目】:2023/05/28(日) 09:34:06
はげ丸【射精禁15日目 与える目覚め19日目】 2023/05/28(日) 09:31:21

思いついた。以下の5つの指標で判断すればいいのではないか。

経(済関係)
愛(情関係)
友(情関係)
欲(情関係)
公(共)

●妻
0経(済関係)
60愛(情関係)
35友(情関係)
5欲(情関係)
0公(共)

●一般的な風俗嬢

80経(済関係)
0愛(情関係)
友(情関係)
10欲(情関係)
10公(共)

●タダで本番させてくれるデリヘル嬢
35経(済関係)
5愛(情関係)
30友(情関係)
20欲(情関係)
10公(共)

●ジムの美女たち一般
0経(済関係)
愛(情関係)
10友(情関係)
20欲(情関係)
70公(共)

●カフェの隣の美女一般
0経(済関係)
0愛(情関係)
5友(情関係)
5欲(情関係)
90公(共)

●カフェの店員一般
60経(済関係)
0愛(情関係)
5友(情関係)
5欲(情関係)
30公(共)

●カフェで【みる】を共有した美女
0経(済関係)
0愛(情関係)
10友(情関係)
40欲(情関係)
50公(共)

この数値で考えればおもしろい。


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