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倉工ファン Part 4

996名無しさん:2022/04/24(日) 12:01:01
☆ 同上


7月1日、東京・戸塚早大球場で(連盟)「結成記念第1回全日本野球選手権大会」が開催された。
帰国した巨人が登場。8対9名古屋。7球団が揃ったのでこの日がプロ野球の誕生日とされている。

この第1回記念大会は敗者復活式トーナメント大会、普通のトーナメント大会、期間が短い総当たりリーグ戦をとりまぜて挙行した。
プロ野球はまた“神代”である。


翌37年2月5日、日本職業野球連盟は第2回の総会を開き、時事新報記者・広瀬謙三氏の記録員「任命」を可決した。
広瀬謙三氏が公式記録員第1号である。

当局の指示もあって職業野球の開催は、水・木・土・日曜日の週4日、1日2試合と決められていた(東京読売巨人軍五十年史)ので、
記録も何から何まで色々と大変だっただろう。 ピッチャーのロジンバッグの使用もこの総会で決まった(同)。


が、7月7日「盧溝橋事件」。政府と軍部は7月11日に大陸への派兵を決めた。日本は戦争へ。
45年8月10日ポツダム宣言受諾、15日終戦の大詔、日本職業野球は焦土のなかで東西対抗の挙行を決めた。

広瀬謙三氏がスコアカードに記入している。
「11月23日試合開始午後1時11分(神宮球場)天気晴れ 観客6千人(のちに5817人とわかる)」(東京読売巨人軍五十年史)




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