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1982年のF1世界選手権

1ポールフレール:2019/05/01(水) 22:16:02 ID:d.rj7Gds
チーム内の不和、不可解な裁定、大事故など騒乱が絶えないシーズンとなった。開幕戦では契約問題でドライバーが団結しストライキを決行。第2戦では優勝と2位が車輌重量違反(ブレーキ冷却水の注ぎ足し)で失格となった。これに反発したFOCA系チームの多くがサンマリノGPをボイコットした。

チャンピオン争いも稀に見る混戦となり、優勝者は11名(うち初優勝5名)、3勝以上を挙げたドライバーはいなかった。混戦の原因は有力候補の相次ぐ脱落にあった。前年王者ネルソン・ピケはBMWターボの初期トラブルに悩まされ、カルロス・ロイテマンはフォークランド紛争の余波で引退。開幕2連勝のアラン・プロストは9度のリタイアが災いし、地元フランスGPではルネ・アルヌーのチームオーダー無視で優勝を逃した。

好調のフェラーリ勢も、サンマリノGPのチームオーダー問題でジル・ヴィルヌーヴとディディエ・ピローニが対立。続くベルギーGPでヴィルヌーヴが事故死、カナダGPではピローニに追突したオゼッラのリカルド・パレッティが亡くなった。また、ドイツGPでは、この時点でポイント首位に立っていたピローニも大事故で選手生命を断たれ、ポイントは逆転され年間2位に終わる。フェラーリはコンストラクターズタイトルを獲たものの、血塗られたシーズンとなった。

タイトル争いに残ったのは、マクラーレンのベテランジョン・ワトソンと、ウィリアムズの苦労人ケケ・ロズベルグという伏兵2人だった。しかし、ワトソンは2勝ながら4連続リタイアが祟り、ピローニと同点の3位に留まる(上位入賞回数の多さでピローニが上位になる)。これに対し、ロズベルグは堅実にポイントを重ね、初優勝となるスイスGPの1勝のみでドライバーズチャンピオンとなった。

この年デビューした有力選手はテオ・ファビ。2度の王者ニキ・ラウダがマクラーレンの誘いで2シーズンぶりにカムバック。巨額の契約金が話題となりつつ、2勝を記録した。下位のコンストラクターフィッティパルディとエンサイン(セオドールへ合流)が姿を消した。

シーズン後の12月にはロータスの総帥コーリン・チャップマンが54歳で急逝するというショッキングな出来事が起こる。さらに、FISAが翌年からのフラットボトム規定導入を発表し、グラウンド・エフェクト・カーの時代は終焉する。

1982年のF1世界選手権、平成、令和のF1ファンにどうやって説明したらいい?少々不謹慎だが、現代のチーム、ドライバーに例えるとしたら?


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