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110◆LucksPCU:2002/10/14(月) 02:42
紡ぎだす言葉に何の意味があるのか。

2 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2002/10/14(月) 11:22
馳星周「ロッテルダムの雨に打たれて」

書き出し
「クオーターファイナルから話をはじめよう。」 

ポルトガル−トルコ戦のキックオフ2時間前、スタンドで煙草をふかしている馳先生。
試合前の応援合戦に意気あがるトルコサポに、

「試合がつまらない内容に終わったとしてもすべてを赦せるような気分になってくる。
 多くの物を犠牲にして、ヨーロッパにやって来た自分が報われていくような気分になる」

 と、ご満悦。「犠牲」って何を?

「ロッテルダムのデ・カウプ−フェイエノールト・スタディアム。
 朝からロッテルダムの街は狂乱状態だった。
 オレンジを身にまとったオランダ人たちが街を蹂躙していた。
 私は超満員の列車に押し込まれ、汗だくになってスタディアムに辿りついた。
 試合開始1時間前。すでにスタンドは7割がたが埋まっている。
 オレンジで埋め尽くされている。日本代表サポーターにも通じる、
 その全体主義的なありように辟易しながら、しかし、オランダ人をなんとか
 赦そうとしているわたしがいた。ロッテルダムはわたしに優しかった。
 オレンジの中に埋没して吐き気に近い眩暈を覚えそうになったからといって、
 ロッテルダムを怨むことはできない。オランダのチームとサポーターが
 情け容赦ない態度でユーゴスラビアを粉砕したからといって
 ロッテルダムを怨む気にはならない。これがフットボールなのだ。」

ここから馳先生の愚痴。
疲れている、くたびれている。暑い、寒い、一人旅で移動が辛い、原稿が終わらない。

3 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2002/10/14(月) 11:22
翌日、アムステルダムに移動。マリファナキメて、ストリップ、ポルノショップ、覗き部屋巡り。
「温泉街を思い起こす」「いかがわしさはどこにもない」とお気に入りのご様子。
ワリファナは抜けたらしいがワインで二日酔いの先生、
アムスで付いてくれた通訳(日本人女性)とオランダ人の気質について討議。
「オランダ人はケチで合理的」と教えられ、トータルフットボールと関連付ける先生。
ここから国民性とサッカースタイル論。オランダは理想主義。イタリアはええかっこしいで現実主義。
スペインは理想主義だがラテンと地域紛争で台無し。イングランドとドイツは頑固で時代遅れ。
日本は「いい子のサッカー」言われたことを忠実にしかできない。
でも「サポーターは身のほど知らずでも、攻めて勝つことを望んでいる」

「酔った頭のまま列車でロッテルダムに戻った。すでにわたしは、オレンジ一色のオランダ人を赦し、
 わたし自身を赦していた。アムステルダムに行ったのは正解だった。
 張りつめていたわたしの神経はすっかり緩んでいた。傲慢なわたしはどこかに消えていた」

そのまま消えてくれてもよかったんですが。
ロッテルダムの日本食レストランで杉山茂樹氏とカメラマンと待ち合わせ。

「『お帰りなさい』と笑顔で迎えてくれる彼らに、わたしは声を出さずに感謝する
  −こんなおれに、いつも優しくしてくれてありがとう。」

「テレビのスポーツ番組で、ヨハン・クライフがなにかを喋っていた。(中略)
 彼が画面から消えるとテレビに投げキッスをして眠りについた。
 日本のテレビでクライフを見ることなどありえない。それだけでもオランダは赦すに値する。」

キモいです。

4 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2002/10/14(月) 11:22
翌日、仕事をしながらフランス−ポルトガル戦をホテルで観戦。
無情のハンドの判定にラインズマンを呪い、両国に拍手を送る。

アレーナでイタリア−オランダ戦を観戦する先生。ここからヒートアップしていきます。

「超理想主義とくそリアリズムの激突。イタリアもはじめは攻めようとしていた。
 だが、ザンブロッタが消え、2本のPKを与えた後では、彼らは現実にしがみつく戦法を取った。
(中略)試合中、わたしの隣にいた日本人が声をからしてイタリアを応援していた。
 彼の声がわたしの神経を逆撫でにする。彼には試合の内容などどうでもいい。
 イタリア人でもないのに、イタリアの勝ちに大金を賭けているわけでもないのに、
 オランダを憎んでいるわけでもないのに、彼らはイタリアを必死になって応援する。  
 ただ、テレビや雑誌でイタリアの選手をよく知っているというだけで、
 例えば、リーガ・エスパニョーラに比べれば、試合のほとんどがつまらないもので
 あったとしても、セリエAが世界最高峰のリーグなのだ。セリエAにいる選手が最高なのだ。
 フットボールの未来を握っているのはオランダだが、そんなことにはおかまいなし。
 オランダが勝った方が大会が盛り上がるという現実にもおかまいなし。
 他人の祭りを覗きにきているという自覚は微塵もない。自分の周りの世界が全てだ。(中略)
 本当にフットボールを愛しているのなら、イタリアには怒りをぶつけるべきではないのか(中略) 
 イタリアのくそリアリズムが、オランダの理想主義を粉砕する。(中略)
 しかし、熱い試合だった。滅多に見られない試合でもあった。(中略)
 それでも、こう思わずにはいられなかった。−今日は確かにおまえたちは負けなかった。
 だがおまえたちに未来はない。あってたまるか。(中略)
 現実しか見ようとしないおまえたちはいつか、現実に足元をすくわれるだろう」

馳先生のイタリア嫌いがよくわかる一文でした。
最後の1行は、最近似たような文章をコラムで見たような気もします。

5 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2002/10/14(月) 11:23
「再び、2日間の休日。オランダでは、チケットの投売りがはじまっていた。
 わたしは決勝戦のカテゴリー2のチケットを持っていた。20万円以上の金を支払っていた。
 カテゴリー1のチケットが6万円で手に入るという電話。せっかくの話だ。
 最上等の席で楽しんでなにが悪い。もともと持っていたチケットは、金子達仁に搾取される人生を
 送っている戸塚啓君に譲った。金子は金を出してくれないらしい。なんとセコい男だろう」

金子一派の絆の固さを見たような気がします。

決勝戦。フランスがイタリアを破って優勝。馳先生、イタリア敗戦にご満悦のご様子。
 
「弱者に−自覚的にフットボールの質を後退させている弱者に間違った栄誉を与えてはならない。」

どこかの国にも当て嵌まるお言葉じゃないでしょうか?

最後に総括。

「各国の力の差が開きすぎている。オランダとフランスが頭ひとつ抜け出し、それになんとかくいつけるのが
 ポルトガルとスペイン。それ以外の国はテクニックの稚拙さを含めて凋落が激しい。(中略)
 昔は信じられないくらいほど上手だったヨーロッパの選手が下手に見える。実際に下手なのだ」

ここからクラブマンセー、CLマンセー文が10行ほど。適当なまとめで〆。

ついでに、筆者紹介のところに、「6月17日JALアムス直行便で出発、7月3日JALで帰国」
って書いてあるのは何の意図でしょうか。

610◆LucksPCU:2002/10/17(木) 02:14
・・・練習の大半が費やされた紅白戦で、■■■は5分としてレギュラーメンバーに組み込まれていない。
一度たりとも、である。「紅白戦の残り5分か10分でもいい。もし僕が入ったらこういうふうにやろう。
そういう練習をしたかったんです。他のFWと同じ動きをして得点できるなら、僕の出番はあるわけないですから。
違うことをやるのがベンチの選手の仕事だから」
中田や□□の特徴はわかっている。名良橋や■■のセンタリングは何度も受けている。
だが、「ポジショニングとタイミングが一番大切」という彼に、トレーニングで呼吸を合わせる作業は不可欠だった。
途中交代で出場したときも、具体的な支持はほとんど与えられなかった。「いけ!」と一言で送り出されたアルゼンチン戦では、
思わず声を失ってしまったほどだった。監督はどうやって得点を狙っているのかが、■■■には遂に理解できなかった。
不満を溜め込んだのは彼だけではない。紅白戦の連続はチーム内に「また同じメンバーか」というマンネリを生んだ。
(中略)紅白戦のメンバー固定は行き詰まった局面を打開する解答をぼかしてしまい、
「勝利」を目的とするはずのトレーニングは「戦う」ため「対等に渡り合う」ためへとすりかわってしまったのである。(以下略)

NunberPlus 1998を見る 戸塚K:日本代表「苦い収穫」より

710◆LucksPCU:2002/10/18(金) 20:24
NumberPlus 1998フランス総集編
「世界サポーター図鑑」より

Eric Thijssen(オランダ 32歳)
次回のワールドカップ開催地をご存知ですか?

「知ってるよ。日本と中国だろ」

810◆LucksPCU:2002/10/19(土) 06:19
さて。

「ボルシアMG」を作成するため、久々に物置からNumberPlusを引っ張り出して「栄光は遠く」を読み返してみたのだが、
正直な話、この記事の出来はかなり良いのである。第1段ではボルシアMGの黄金時代を、主に選手たちの活躍を軸に振り返り、
かつてのボルシアMGが「攻撃的サッカー」を標榜し、それを実践して欧州にその名を轟かせたことを紹介し、
第2段では栄光から遠ざかり、2部降格に瀕する99年当時のクラブ会長へのインタビューを中心に、
「なぜ、MGが降格の危機に遭っているのか」という原因を指摘し、
第3段では「この状況を打開するために」監督に就任しながらもこれを成し得ず、批判の矢面に立たされた
かつての名選手ボンホフへのインタビューと、降格が決まり、1部最終戦におけるサポーターの嘆きを絡め、
墜ちた名門の悲劇的な姿を、憐憫意識溢れる文章で〆ている。

910◆LucksPCU:2002/10/19(土) 06:26
記事内の突っ込み所とすれば、

1)94−95シーズンのボルシアMGのドイツカップ優勝を「偶発的」で「幸運なこと」のように書いているが、
実はこのシーズン、ボルシアMGは得点王となったヘアリッヒやフィオレンティーナから移籍してきたエフェンベルクの活躍で
リーグ戦でも5位と好成績を挙げており、もしドイツカップに優勝していなければ、6位のバイエルンに替わって
UEFAカップへの出場権を得ていたのである。
(当時の規定ではCWCへの出場権はUEFAカップに優先する。ちなみに96年のUEFAカップにおいて、
バイエルンはクライフ率いるバルサを破り優勝している。)
あと、ボスマン判決によって主力選手を切り売りしなければならなくなった、とはいえ、
私の記憶が確かならばヘアリッヒのドルトムント移籍はボスマン判決よりも早いのである。
タイミングの悪さ、というのは確かにあったのだろうが・・・。

1010◆LucksPCU:2002/10/19(土) 06:29
2)これはいちゃもんに近いのだが、逆にヨーロッパのクラブにおいて、降格・昇格というのは多分に偶発的なところがある。
一人選手が欠けただけでチームバランスを崩すこともあれば、無名の小クラブが奇跡の快進撃をすることもある。
バティストゥータ擁するヴィオラが降格することもあれば、(92-93シーズン)2部から昇格したばかりのカイザースラウテルンが
奇跡のリーグ優勝を果たしてしまう(97-98)こともある。(しかも今期また落ちそう)
ボローニャ、ペルージャなどは一時は3部リーグまで落ちている。
1部→2部が4チーム自動入れ替えという厳しいリーグを持つイタリアには「昇格請負人」と呼ばれる監督さえいるのだ。

金子にはボルシアMGの2部降格が「クラブ史上初」の大事件であり、このショックからは立ち直れないという観測があったのかも
知れないし、実際2部に落ちた1シーズン目は6位と不本意な成績ではあった。しかし2部の水に慣れた00−01シーズンは
開幕直後からシーズンと通して昇格圏内をキープし続け、遂に1部復帰を果たしたのは、どこか岡田監督時代の札幌を思い起こさせないだろうか。
それに金子自身が文中に書いている通り、ラウシュ監督の迷走采配によって開幕直後から低迷し(これも今期の札幌だ!)
、後任に監督経験の乏しいボンホフを据えて、しかもエース、ポルスターと衝突して人心を失っての降格である。
これらの要素が排除されたならば、主力選手を失ったとはいえクラブの状況は好転すると、ポジティブに考えることもできるだろう。
ボルシアMGは財政状況は悪いとはいえ、破産の危機に瀕しているわけではないし、何より、2部に落ちたとしても熱心に応援する
熱いサポーターたちがいるのである。

1110◆LucksPCU:2002/10/19(土) 06:32
3)「ボルシアの悲劇」をより深刻に見せてしまうのが、金子のネガティブな視点であることは言うまでもない。
自身の展望を語るボンホフに対し「憧れの存在であるボンホフが、半ば本気とも取れる口調で頼みごとをしてきている」
「彼の口調から何か不自然なもの、無理やり明るい話題を作っていこうという気配を感じてしまった」と語り、
(実際に自分で各所に働きかけてみて、ファンクラブの立ち上げや募金を試みてみる、という考えは金子にはなかったらしい。
ダイアモンドサッカー世代が多い、ドイツサッカー全盛の70年代を飾った名門クラブにもかかわらず)
そして、ダイスラーに対しての「私の見る限り、小野伸二よりもずいぶんと落ちる才能にしか思えなかった」という評は、
金子の見る目の無さ、というよりも2部降格間際のチームの、アウェイの試合で選手の優劣を判断してしまうことの愚劣さだろう。
(何より、プレースタイルが一致しているとは言えないダイスラーと小野の比較に意味はあったのか?)

「ボルシアMGの1部復帰はありえない。」という金子自身の「思い込み」が、ボルシアの将来を必要以上に暗澹とさせるものだと
読むものに感じさせてしまう。最後に「しかし、私は願っている。このベーケルベルクに再び緑と白の栄光が戻ってくることを」
とでも書いておけば印象も変わったのではないか。(ただ、それだと法則発動の恐れもあるのだがw)

「栄光は遠く」が掲載されたNumberPlusが発売されたのは99年6月。
この年の末、日本のJリーグにおいても屈指の名門クラブが最終節まで縺れた闘いの末に、2部降格の屈辱に塗れた。
金子氏はボルシアMGと同じく熱いサポーターを持ち、若きエースを擁したこの赤いユニフォームのクラブに対しても、
「これが最後の1部リーグかもしれない」という感慨を受けたのだろうか。

1210◆LucksPCU:2002/10/20(日) 22:41
朝曰新聞 2002年10月20日「私の視点」
木彡山茂樹  「黄金の4人」のわな

ジーコ監督率いる新生日本代表が、ジャマイカとの親善試合を行った。
「黄金の4人」は機能するのか。マスコミが提示した見どころはこの点に絞られていた。
「黄金の4人」とは、82年W杯でブラジル代表の華やかな中盤を構成した
ジーコ、ファルカン、ソクラテス、セレーゾを称賛したキャッチコピーである。
それをジーコ日本代表の宣伝文句として、中田英、小野、中村、稲本という4人の呼び名に借用したわけだ。
彼ら4人の出来は悪くなかった。サッカーそのものもトルシエ時代に比べれば攻撃的かつ娯楽的だった。
しかし、結果はそれでも1−1に終わった。
絶対的優位な立場にあるホーム戦。にもかかわらず、4年前のフランスW杯において同組で
最下位争いを演じた相手に苦戦した。負けなくて良かった。これが僕の率直な感想だ。

1310◆LucksPCU:2002/10/20(日) 23:02
そもそも、サッカーは中盤の4人だけで行うスポーツではない。
4人が輝いても試合に勝てる保証はない。逆に、周囲の輝きなしに中盤の4人が輝くことも不可能だ。
4人ではなく、11人のハーモニーが求められている。
実は82年型のブラジルも、輝いていたのは」「黄金の4人」だけではなかった。
右サイドバックのジュニオール、左サイドバックのレアンドロ、2トップの1人で左サイドに
構えたエデル。当時のブラジルを生で見た僕には、彼らが演じたサイドアタックが強烈な印象を残している。
以来サッカーの虜となった僕は、今では年間の2/3を海外のサッカー取材に費やす身の上だ。
82年型ブラジルに匹敵する攻撃的な美しいサッカーを求めて、欧州を転々としている。

1410◆LucksPCU:2002/10/20(日) 23:07
幸いにも今、世界のサッカーの潮流はサイド重視である。
ベッカム、フィーゴ、ロベカルといったサイドアタッカーが脚光を浴びている。
だが今回の日本代表の戦いぶりは、欧州の流れとは大きく違っていた。
「中央、左、右という三つのルートがそろってはじめて攻撃サッカーは実践できる」
と欧州随一のクラブであるレアルマドリーのデルボスケ監督は語る。
だが、それに照らせば日本代表は左右、つまりサイドからのアタックに貧弱な印象を抱かせた。
80年代、日本のサッカー少年が憧れた選手はマラドーナ、ジーコ、プラティニだった。
10番を背負った司令塔である。指導者も同様だった。たいていチームで最も巧い子供を
10番のポジションで起用した。全日本少年サッカー大会で、優秀選手に選ばれた選手の2/3が
10番タイプだったという珍事も起きた。

1510◆LucksPCU:2002/10/20(日) 23:17
つまり「黄金の4人」は自然に成長したわけではなく、意図的に作られた選手なのだ。
この国ではサイドアタッカーのみならず、DF不足やFW不足が言われて久しいが、
それらの一因もここにある。
ジーコ監督に課せられた使命は、結果的に自分自身の存在が大きく影響してしまった
「10番症候群」という奇妙な体質と決別することにある。いささか皮肉だが、僕はそう思う。
「黄金の4人」以外をどう充実させるか。そこに日本サッカー浮沈のカギがある。
「黄金の4人」がいつまでもマスコミの見出しを飾るようでは、危ない。


#知り合いの新聞屋に一部貰いました。
#まだまともな文章で助かった(w

1628年目の名無しさん:2002/11/19(火) 22:27
悪役&反逆児ベストイレブン 選者:金子達仁

 チャーリー・ジョージ  ベスト

  タルデリ  ネッツァー  ブライトナー


  ベルゴミ ゴイコエチェア ベネッティ
 
         シュスター

        シューマッハ

ストッパーのゴイコエチェアは、マラドーナがバルセロナにいた時に
試合前に「あいつの足をへし折ってやる」と言い放ち、予告通り本当に
折ってしまったというエピソードがある。パウル・ブライトナーは82年
W杯で準優勝した西ドイツ代表のキャプテン。
悪役にはレッドカードが似合うのでピッチには10人しかいない。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
単に10人しか思い浮かばなかったんちゃうんかと(w
俺ならセンターバックにモンテーロとミハイロビッチを組ます。
カントナ、アネルカ、ジェンティーレも捨て難い。

17 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:35
サッカー批評17号、西部謙司「監督ジーコを評価するための覚書」要約
(括弧内、管理人注。

●前段
ジーコとトルシエはタイプの違う監督であり、それ自体はジーコの長所でも短所でもない。
(故に、トルシエとの単純な比較は無意味である、と西部氏は前置きしている。)
ジーコは「あえて色分けすれば」オフト以降の日本代表監督としては、初めてのセレクタ型監督である。
(ジーコがセレクタ型である根拠は、ここでは特に提示されていない)
クラブチームの監督はトレーナー型が向いており、代表監督はセレクタとしての力量が問われる。
ファルカン、加茂は「セレクタ型であったかも知れないが、日本の選手の質と量が不足していた」
セレクタ型の監督が日本を率いる素地ができたのは、「同じ技術レベルの選手は800人いる」という
トルシエ時代である。
(それは田嶋幸三ではないが「J誕生以後、10年の日本サッカーの積み重ね」によるものでもある。)

●トルシエ(トレーナー型監督)のやり方
トルは典型的な雇われ監督であり、自分の持つ戦術の中で選手たちがどう機能するか、を重視した。
多くの選手を召集して、選手間の競争とチームとしての多様性を狙った。
だが、それは「トル戦術に忠実な選手たちの中での競争」であり、その独自の戦術の中で「使える」選手を育てたのであって、
セレクタ的選択ではない。時に選手の実力よりも「戦術との相性」が重視された。
この手法は、選手の実力に頼らずに、平凡な選手を集めても戦術さえ機能すれば一定の成果が出るメリットがある。

18 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:36
●ジーコの(西部がやると思っていた)やり方

ジーコは戦術よりも選手を重視する。
シンプルな4−4−2をベースにするため、戦術との相性は問題にならない。
(しかし、現実には4−4−2にこだわるあまりに、これに適応できない選手を排除している。
トルシエが所属チームのシステム、ポジションに関係なく、とにかく召集をかけたのとは対象的)

ジーコには戦術で選手の能力をカバーする発想がないため、純粋に選手の実力のみの競争となる。

『ジーコ監督の下では戦術の前に門前払いされる選手はほとんどいないだろう。門戸はより広く開かれる。
その中で誰をチョイスするかがセレクター・ジーコ監督のポイントだ』
(洗井場らが「3バックのSHだから」という理由で召集されていないのは周知である。)

ただし、クオリティの高い選手が限られていると、選択肢のわりにメンバーは固定化される。
特に、FWとDF,特にセンターバックである。日本サッカーの実力が、ジーコの生死を左右するだろう。
(むしろ、両サイドバックの人材不足が露呈している。前述の「戦術による門前払い」が最大の原因といえる。)

19 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:39
●セレクタ型監督の条件

セレクタ型監督の手腕として欠かせないのが情報収集、分析の能力である。
スタッフやJクラブとの綿密な情報交換(現時点で誰が優れているか、調子がいいか)が必須である。
ファルカンは自分と側近の情報に頼りすぎたために、情報が不足し、偏りが生まれた。
トルシエは自分の手元で適正を試さなければ気がすまない(これは、トルシエの手法上やむを得ない)ために
無理な召集・合宿によってクラブとの関係を悪化させた。
しかし「日本のサッカーをよく知っている」ジーコにはそれらの問題は起きないだろう。
(ファルカンの轍を勢い良く踏んでいるように思える。負傷中の名波らに招集かけてた記憶が・・・。)

『トルシエが練習でチームを作っていったが、ジーコは試合を通してまとめていく』
トルシエにとって、タイトルのかかった(そして自分の首のかかった)試合以外は、
チームを完成に近づけるための実験に過ぎず、ここで得られた結果を蓄積し、
「本番」で大会に適したチームを組み上げたことがトルシエの「勝負強さ」の最大要因である。
つまり、絶対的な優位性を示すのではなく、相対主義的なチームを作る。
そのためにはチームに多様性を持たせる必要があり、「実験」を繰り返す必要性が生まれる。

20 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:40
『ジーコ監督は、すでに定期的な国際試合の実施を打ち出している。
その代わり、トルシエのように多くの練習時間は要求しない。育成はむしろ所属クラブの責任となる。
シンプルな戦術の元、選手の実力勝負となるジーコのチームはその時点で常に「ほぼ最強」』である。
(故に「選手のコンディション不良」という言い訳ができない。常に、最もコンディションのいい選手を起用することが、
監督の仕事になる。コーチ、スタッフとの情報交換、選手との対話が必須である、はずなのだが・・・。)

しかし、選手のクオリティを重視するために選手を入れ替えることによる多様性は望めない。
しかし、試合を多くこなして問題点を拾い上げ、その都度修正を加えることで、少数精鋭でも対応力のある選手を揃えることができる。
戦術練習を繰り返すことではなく、試合をこなすことによって選手個人の能力を高めるのが
ジーコの「強化プラン」であり、彼自身の実践的なアドバイスが有効に働くだろう。

(この前提となる「定期的な国際試合」が、様々な理由もありこくごとく潰れているのが現状である。
ジーコの選手に対するアドバイスについては別項)

21 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:43
●ジーコの長所と短所。
長所:
★選手としての才能、経験、経歴。カリスマ性。
現役時代の彼が持っていたそれらのスキルを、彼は日本代表に「与える」ことができる。

『ジーコのチームは(選手さえ集めれば)すぐにできる。チーム作りの過程でトルシエのような長い助走を必要としない。
その代わりトルシエは密かに手にしていた図面を、おそらくジーコは持っていない。
(チームとしての)試合ごとに付けたしていく作業の繰り返しになるため、最終形の予測ができない。
パーツを組み上げるメカニックとしての能力はトルシエに及ばないかもしれない(実際、足元にも及ばない)が、
少しずつ付け足されるもののバリエーションはずっと豊富だろう。(トルの志向する)完成形が見えるチームではなく、
いくらページを繰っても尽きず、そのたびに増えていくエンドレスなチームとなりそうだ。』

(この手法自体、事あるごとに『結果』を求められてきたトルシエとは桁違いの時間的余裕がなければ不可能なのだが・・・。)

22 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:47
★渉外能力。
南米の生んだ名選手であり、サッカー界の要人である彼には欧州、南米問わず尊重しない国はない。
彼の持つブラジル人脈は相当の物が期待できる。日本サッカーと海外との関係を、より「太く」するため、
彼の存在を日本は「利用」できることになる。

(これに関しては、フランス・アフリカ方面のコネに溢れた前任者以下であることがほぼ明らかになっている。
何しろCBFとは未だに犬猿の仲であるし、欧州での活動実績に乏しいため、そちら方面もさほど期待できない。)

『日本に篭っていくら練習を重ねたところで、強力なチームとの1試合には及ばない』
地理的なハンデを持つ日本だからこそ、様々なチームと試合を重ねる必要がある。

ジーコへの不安点:
★監督としての経験不足。
★日本にはセレクタ型監督は時期尚早ではないのか。
 練習にしかるべき時間を裂いて選手の育成に務め、組織を前面に出して手堅い勝利を目指す、
 これまでのようなトレーナー型監督のほうが機能するのではないか。
(この部分を、コンフェデ前後から西部氏は強く主張するようになった。保険は掛けておくものだ)

23 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/24(木) 23:51
●まとめ

『いや、さいは投げられた。今はスーパースター、ジーコの名監督への道のりを見守ろう。
日本サッカーがセレクターを機能させうる水準になる可能性を信じよう。
今後、日本が大きく成長していくのに欠かせない強固なベース作りが急速に進むことを期待しよう。
我々の代表として、共感を抱かずにはおけないチームの誕生を待とう。
それらが実現すれば、たとえドイツ大会の予選に失敗したとしてもお釣りが来るはずだ。
そのときは、恩人であり、友人であるジーコ監督に敬礼しつつ、更迭すればいい。』 


『』内は抜粋。
まとめた時期がアウェイでの韓国戦前なので、突っ込みにおかしな部分が多々あります。
乞うご容赦。

24 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/07/26(土) 22:28
ちくしょう、ナラザキがいなくなったとたんに負けやがって(w

ニッカンから消えてたセルジオコラム

トルシエの影…独創性なし
<親善試合:日本1−1ジャマイカ 10月17日更新>

 −−サッカーの新鮮な楽しさを感じさせてくれたことは確かです。中田英の笑顔に思わずつられました

セルジオ越後(日刊スポーツ評論家) いい意味でも悪い意味でも、W杯の後夜祭の雰囲気があった。
中盤4人への期待は大きかったし、実際によく動いたが、自分たちで独創的にチャンスをつくり出すには至らず
「プレスをかけて奪って逆襲」というトルシエ・サッカーを引きずっていた。

 −−相互の感性のネットワークがまだ張られていない印象がありました

 セルジオ 相互だけでなく、FWとの連係もなかった。高原、鈴木を使い切ることができなかった。
売りものの攻撃に関しては「スローなスタート」だった。ホームなりに、もっと何かやってほしかったというのが本音だろう。

 −−ジャマイカの粘りは敵ながらあっぱれでした

 セルジオ 数は少ないが、前半も何度か両サイドを逆襲で破っていた。あきらめず守りで粘っているうちに、日本のプレスが甘くなってきた。

 −−ジーコジャパンの「絵」が、この試合ではもうひとつ見えませんでした

 セルジオ 中村が守りで半テンポ遅れる場面があるなど、体調もそろってはいなかった。慣れの時間を与えるべきだろう。
今年中にチームの骨格をつくり上げるのは無理かもしれない。問題は、アルゼンチン戦でこの4人がそろわなかった時だ。
メンツに合わせて基本方針を変えたら、つまらなくなる。

25 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/08/04(月) 22:46
1998 438
「サイドバックの攻撃参加に固執せず、日本の能力に見合う戦術の導入を」 杉山茂樹

 英国の中位以下のチームなど一部例外はあるにせよ、両サイドからのむやみなセンタリングは、
今や欧州では見かけなくなって、日本では当然けるであろうタイミングでも中央で構える選手がよほどフリーでない限り、
仕切直しを行い、別のアイテムを模索するのである。

 両サイドバックの責め上がりによるサイド攻撃にはあまり可能性を見出せない。
 ダイナスティカップで感じた点だ。とりわけ中国戦でその傾向は顕著だった。
 名良橋、相馬は対面の相手に完敗を喫したのである。
 また、緒戦、2戦目ともに、攻め上がったからハイ蹴りました、という感じで、キックした瞬間可能性は突如低下した。
 このこぼれ球を拾えば2次攻撃に繋がるとの意見は確かにあるが、その時中央の状況は大抵、相手の人数が勝っていたのである。

 井原、秋田、服部はよく頑張ったが、それでも中国のスピードとパワーに圧倒された。名良橋、相馬の体力負けも目に付いた。
 ワールドカップ本大会の相手は中国以上に強い。サイドバックの攻撃参加はどう見ても期待薄だ。
チャンスに攻め上がっても相手を突破することは難しく、早めのセンタリングでクロスを入れても、
相手守備者の背が高いため、あるいは日本のフォワードの背が低いためチャンスにはなりにくい。
 逆に、上がったサイドバックの裏を突かれカウンターを狙われる可能性は高い

26 10</b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2003/08/04(月) 22:48
 サイドバックの攻め上がりを起点とするサイド攻撃はやめにしよう。僕はそう提案したい。
 4枚のハーフを横に並べ、その両サイド(左=名波・平野、右=増田)を起点にするのだ。
 高い位置から素早い攻撃を加えるのだ。かつてのグランパス、ここ何年かのユヴェントスのように。
 そしてサイドバックには小柄なタイプではなく、センターのカバーもこなせるセンターバック調の選手を起用する。
 攻めは両サイドMFのサポート程度に留め、守備に8割方重点を置く。例えば右の候補には秋田が考えられる。
 代表から外れている柳本も守備8割なら十分に戦力となる。左はグランパスでもそのポジションを経験している大岩だ。
 (管理人注:95年シーズン初頭のみ。元々大学ではサイドバックだった)
 相手のフォワードより守備ラインの人数が余ったなら、リベロ調の選手(井原、斎藤、渡辺、田中)が攻めに参加すればいい。
「サイドバックを攻撃参加させるのがサイド攻撃の理想だが、日本のサイドバックの能力ではそれは難しい。
だから起点を両サイドハーフにした」という、元グランパス監督ベンゲルのアイデアを、今の代表に当てはめたい。

27 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/04/01(木) 01:55
世界のトップ10入りを目指す日本代表 ジーコジャパンが迎える2004年とは(前編)

 日本代表の2003年は良かったような、悪かったような。それはそのまま、ジーコ監督への評価の難しさにもつながっている。
 評価が難しいというより、面倒くさいという方が当たっているかもしれない。ジーコ監督を支持するか支持しないかと問われても、
 僕は初対面の人には返答しないようにしている。結論だけを言ってしまうと、確実に誤解されるからだ。
 誤解されないためには、山ほど前置きを述べなくてはならない。単刀直入に是か非かなんて聞いてくる人は、
 長々とした前置きなんぞに興味がないことも多いし、僕も無駄な言い訳をしているようで面倒くさい。
 だから、最近はあんまり答えないようにしている。

 強化方針と実際の手腕が混同して語られるので、余計に評価が難しく(面倒くさく)なっている。
 ジーコ監督の強化方針を一言でまとめれば、「能力の高い選手を集めて、それぞれの選手の持ち味を発揮できるチームを作る」
 ということになるだろう。フォーメーションは4−4−2で、戦術的には正攻法である。
 もちろん「能力の高い選手」は、ジーコ監督がそう思う選手で、“黄金の4人”はそれに当たる。
 ちなみにジーコ監督が「黄金」と言っているわけではない。僕はジーコがそう言うのを、一度も聞いたことがない。
 “本家”の1人であったジーコが、現在の4人を自分たちと比べられる存在とは考えていないだろう。

 代表チームの強化方針としては至極普通だが、日本の現状と考え合わせるとこれでいいのか、という疑問もある。
 例えば、ブラジルのように個人能力の高いチームならば、この強化方針でも効果は出る。
 ところが、日本はFIFAランキング1位ではなく、20〜30位の国。選手の能力勝負のチーム作りを続けても、
 現状で世界トップ20には太刀打ちできないと考えられる。だから、選手の能力本位ではなく、
 システマチックな監督の方が日本に向いているのではないかという声も理解できるし、
 目標を世界トップ20以内とするのであれば、その方が手堅かった。

28 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/04/01(木) 01:57
世界のトップ10入りを目指す日本サッカー

 しかし、日本サッカー協会の目標は世界トップ10だそうだ。それが近い将来か、そうでないかを置いておいても、
 世界トップ10は小手先でどうにかなるレベルではない。日本代表選手が世界トップ10の実力を持ち、
 それを最大限に発揮しないかぎりは手が届かない目標である。
 その点では、ジーコ監督の選手本位の強化方針は真っ当なものといえる。
 2003年の試合も実力上位には負け(ホームの引き分けは負けに相当)、下位には勝ちと、実力相応の結果。
 力があれば勝てる、足りなければ負ける。力がなくても格上に勝とうという手法ではない。
 小手先のごまかしの利かない、まったくの正攻法である。

 前任のトルシエ監督は、若手選手を育成して地元開催のワールドカップでベスト16に入ることがノルマだった。
 何かと批判の多かった前監督だが、その2点はクリアしたのだから十分に職務を果たしたといえる。
 一方、ジーコ監督の場合は、世界トップ10入りを目指したチーム作りという、はるかに困難なミッションを与えられた
 (自ら選んだ?)といっていいだろう。2006年までにそれが達成できるかといえば、正直かなり厳しい。
 6月に行われた公式大会のコンフェデレーションズカップでは、目標のベスト4入りはできなかった。
 パフォーマンスは悪くなかった。結果論だが、フランス戦は捨てればよかった。
 その後は非常にゆっくりではあるが、進歩は見られる。世界トップ10を念頭に置いての正攻法のチーム作りだから
 焦っても仕方がないが、守備組織の面でジーコ監督を補佐するコーチは必要だと思う。

29 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/04/01(木) 02:00
世界のトップ10入りを目指す日本代表 ジーコジャパンが迎える2004年とは(後編)

2003年の転換点

 2003年のターニングポイントは、コンフェデレーションズカップ直前のパラグアイ戦だった。
 この試合で、ディフェンス(DF)4人がそっくり入れ替わった。
 山田暢久、坪井慶介、宮本恒靖、三都主アレサンドロの4人はこれ以降、DFのファーストチョイスになっている。
 さらに、パラグアイ戦から負傷のいえた中村俊輔が加わった。
 この2点は、その後の流れを決定づける大きなポイントとなる。

 まず、ディフェンスライン。ジーコ監督自身が「ほぼ出来上がった」と語っていた
 名良橋晃、秋田豊、森岡隆三、服部年宏のセットをアルゼンチン戦の大敗(1−4)で、そっくり入れ替えたのは大きな決断だった。
 東アジア選手権が延期になり、ほかのDFをテストする機会がパラグアイ戦だけだったという事情もあったが、
 新しいディフェンスラインはコンフェデレーションズカップのフランス戦(1−2)を除いて、1試合で2失点を喫したことがない。

 三都主の左サイドバック起用もパラグアイ戦から。攻撃には定評があるが、守備面での不安はぬぐえず賛否の分かれるところだ。
 三浦淳宏、加地亮、中澤佑二がチュニジア、ルーマニア遠征で起用されたが、基調はパラグアイ戦からの4人。数字の上では安定してきたが、
 まだ競争の余地は十分に残されている。改善の余地は相当にあるが、一応は落ち着いた。
 このチーム全体にも当てはまる印象は、パラグアイ戦から始まっている。

ジーコ監督の語る「自由」とは何か

 もう1つ、パラグアイ戦で象徴的だったのが中村の加入。中田英寿、中村と攻撃の看板が2枚そろったことでコンフェデレーションズカップでは
 ニュージーランドに快勝。敗れたとはいえフランス、コロンビアに互角の試合をすることができた。中村は2試合で3得点と活躍し、持ち味を出す。
 選手の特徴を生かしていく方針である以上、タレントがいなければ話にならない。中村の加入がチームの攻撃力を上げ、柳沢敦の復調、
 小野伸二の復帰、藤田俊哉の起用と、新しい戦力が加わるごとに、それぞれの持ち味が加算されている。
 これも、パラグアイ戦から顕著になったこのチームの傾向といえる。

 ただし、それぞれの攻撃のタレントは局面的には個性を発揮しているとはいえ、まだチーム全体の大きな力となるには至っていない。
 コンフェデレーションズカップでの中村の活躍は、遠藤保仁がボランチに定着したことが大きかった。
 その後、小野が復帰して“黄金”が復活した後には、かえって役割分担があいまいになり、それぞれが力を発揮しきれていない試合もあった。
 11月のカメルーン戦では稲本潤一が守備に重点、小野が前に出る形でボランチ間の役割を調整し、
 藤田が出し手の多いミッドフィールダー(MF)の“受け”側に回ることで機能。
 バランスという点では、この試合が最も良かった。

30 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/04/01(木) 02:02
 だれかが自由に持ち味を出せば、だれかが不自由になるのだ。
 「優れた選手は共存できる」というジーコ監督の説は、82年のブラジル代表が証明済みとはいえ、
 現在の日本代表はまだ“自由にやらされている”状態に近い。役割を調整してバランスを取ったカメルーン戦は、
 まだこのチームの理想的な状態とはいえないと思う。
 現状では、自分たちでブレーキをかけながらパフォーマンスを維持しているだけで、それぞれのポテンシャルはまだ十全に発揮されてはいない。
 今後は、チームとして何を生かし、何を切り捨てるかを決める必要も出てくるだろう。

 ジーコ・スタイルを説明するときによく引き合いに出される「自由」とは何か――。

 「自由放任で戦術がなく、日本人に向かない」と批判されたり、「日本人に足りない自由と創造性をもたらす」と称賛されたり、とよく使われている。
 しかし、そんなに大げさなものではないと思う。ジーコやブラジル人や、多くの選手にとって、自由でないサッカーというものは想像できないに違いない。
 サッカーとは本来、自由なのだ。ボールを持った者に選択権があり、その判断は彼の個性(性格ではなくボールの持ち方などの個性)と仲間の助力、
 敵との関係によって決まる。「自由にやれ」とは、「サッカーをやれ」という指示に等しい。
 だれかが自由に、だれかが不自由に、そのバランスを自由にやれるようになれ。そう言っているだけではないだろうか。

2004年のワールドカップ予選

 2004年、ジーコジャパンのノルマはワールドカップ予選突破である。2月に始まるこの予選で、監督は、何といっても結果が問われる。
 もちろん、ジーコ監督が念頭に置くのも、まず予選突破に違いない。
 今回、アジアの出場枠は4.5。日本、韓国、サウジアラビア、イランの4強に中国が挑む構図になりそうだ。
 格下を確実にたたいていけば、自ずと道は開けてくる。
 予選だけを考えれば、ジーコ監督が2003年にとってきた正攻法は理にかなっているともいえるのだが……。

西部謙司(にしべ けんじ)

31 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/04/01(木) 02:04
以上、Yahooにて昨年末に公開された2003年代表総括コラム。
WEBから消失につき保管。

32 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/09(月) 02:45
webarchiveから補完。1999年〜

1999年6/17 田村修一「トゥルシエ蹴球学校の一日」
ttp://web.archive.org/web/20010802041623/www.number.ne.jp/special_features/1999.07.01_spe1/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010802041623/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.07.01_spe1/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010821015644/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.07.01_spe1/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010715090550/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.07.01_spe1/page4.html

1999年7/18 戸塚啓 「川口が手にした「失望」と「希望」。 」
ttp://web.archive.org/web/20010806074153/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.07.18/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806074153/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.07.18/page2.html

1999年8/12 佐藤俊「小野伸二 孤独な戦い」
ttp://web.archive.org/web/20010802043356/www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010802043356/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe2/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010809011752/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe2/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010820023159/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe2/page4.html

1999年8/12 杉山茂樹「日本代表、再編へのプロローグ」
ttp://web.archive.org/web/20010802043824/www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe1/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010802043824/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe1/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010821015929/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe1/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010907233237/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe1/page4.html
ttp://web.archive.org/web/20021025195203/www.number.ne.jp/special_features/1999.08.12_spe1/page5.html

1999年8/15 戸塚啓「大いなる拍手とブーイング」
ttp://web.archive.org/web/20010617233116/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.08.15/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010617233116/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.08.15/index.html

1999年9/12 戸塚啓「2つの代表」
ttp://web.archive.org/web/20010806082848/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.09.12/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806082848/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.09.12/page2.html

1999年9/26 長田渚左「協会がトゥルシエに課した不思議なノルマ」
ttp://web.archive.org/web/20010806083806/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.09.26/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010207232749/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.09.26/page2.html

1999年10/10 戸塚啓「パルメイラスに見る幸福な日常」
ttp://web.archive.org/web/20010111221300/http://number.ne.jp/sunday_columns/1999.10.10/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010111221300/http://number.ne.jp/sunday_columns/1999.10.10/page2.html

1999年10/10 戸塚啓「川崎フロンターレの『重き一瞬』」
ttp://web.archive.org/web/20010806085559/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.11.07/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010209033527/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.11.07/page2.html

33 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/09(月) 02:46
1999年11/21 長田渚左「トゥルシエ・マジック」
ttp://web.archive.org/web/20010806091104/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.11.21/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806091104/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.11.21/page2.html

1999年12/5 戸塚啓「99年、日本サッカー界を振り返る」
ttp://web.archive.org/web/20010806092310/www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.12.05/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806092310/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/1999.12.05/page2.html

1999年12/9 馳星周「中田英寿が遺していったもの」
ttp://web.archive.org/web/20010207195321/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010207195321/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe2/page2.html

1999年12/9 田村修一「トゥルシエがU-22にかけた魔法」
ttp://web.archive.org/web/20010802051143/www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe1/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010802051143/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe1/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010809012837/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe1/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010709210224/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe1/page4.html
ttp://web.archive.org/web/20010712144557/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.09_spe1/page5.html

1999年12/23 戸塚啓「平瀬智行・止まってはいられない」
ttp://web.archive.org/web/20010805223259/www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010805223259/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe2/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010702052127/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe2/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010715093749/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe2/page4.html

1999年12/23 佐藤俊「宮本恒靖×稲本潤一『もっと世界で戦いたい』」
ttp://web.archive.org/web/20010805223033/www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe1/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010805223033/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe1/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010702050614/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe1/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010712121448/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe1/page4.html
ttp://web.archive.org/web/20010712121357/http://www.number.ne.jp/special_features/1999.12.23_spe1/page5.html

34 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/09(月) 03:09
2000年〜

2000年2/3 増島みどり 「井原正巳『幸福な移籍』」
ttp://web.archive.org/web/20010806152029/www.number.ne.jp/interview/2000.02.03/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806152029/http://www.number.ne.jp/interview/2000.02.03/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20021223181303/http://www.number.ne.jp/interview/2000.02.03/page3.html

2000年2/27 戸塚啓「トゥルシエ続投か否か」
ttp://web.archive.org/web/20010806095716/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.02.27/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806095716/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.02.27/page2.html

2000年3/26 戸塚啓「トゥルシエが残すべき結果」
ttp://web.archive.org/web/20010806100446/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.03.26/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010821104629/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.03.26/page2.html

2000年4/23 戸塚啓「FC東京と川崎フロンターレの明と暗」
ttp://web.archive.org/web/20010617232337/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.04.23/index.html
ttp://web.archive.org/web/20021222164919/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.04.23/page2.html

馳星周「蹴球中毒者、欧州選手権を行く」
ttp://web.archive.org/web/20010806093733/www.number.ne.jp/euro2000/index.shtml
ttp://web.archive.org/web/20010714175216/www.number.ne.jp/euro2000/page2.shtml
ttp://web.archive.org/web/20010714175216/www.number.ne.jp/euro2000/page3.shtml
ttp://web.archive.org/web/20010714175216/www.number.ne.jp/euro2000/page4.shtml
ttp://web.archive.org/web/20010714175216/www.number.ne.jp/euro2000/page5.shtml
ttp://web.archive.org/web/20010806093733/www.number.ne.jp/euro2000/page6.shtml

馳星周「ロッテルダムの雨に打たれて」
ttp://web.archive.org/web/20010805231514/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_index.html
ttp://web.archive.org/web/20010805231514/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010707101300/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010209001819/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_page4.html
ttp://web.archive.org/web/20020815041638/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_page5.html
ttp://web.archive.org/web/20020701044118/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.07.20/spe2_page6.html

35 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/10(火) 22:53
2000年7/6 佐藤俊「中山雅史 ナカヤマらしく、いつまでも」
ttp://web.archive.org/web/20010617224341/www.number.ne.jp/interview/2000.07.06/interview_index.html
ttp://web.archive.org/web/20010707093752/www.number.ne.jp/interview/2000.07.06/interview_page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010821182554/www.number.ne.jp/interview/2000.07.06/interview_page3.html

2000年7/6 後藤健生「最終ライン進化論」
ttp://web.archive.org/web/20011108231407/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.06/spe2_index.html
ttp://web.archive.org/web/20020213181013/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.06/spe2_page2.html
ttp://web.archive.org/web/20020215170313/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.06/spe2_page3.html
ttp://web.archive.org/web/20020315071647/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.06/spe2_page4.html
ttp://web.archive.org/web/20021020165519/www.number.ne.jp/special_features/2000.07.06/spe2_page5.html
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2000年7/6 佐藤俊「中村俊輔 絶対に行く自信がある」
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36 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/10(火) 23:10
2000年7/20 杉山茂樹「フランス×イタリア 力強き即興」
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2000年7/23 戸塚啓「「あと2年」――スペインで初シーズンを終えた城に必要なもの。」
ttp://web.archive.org/web/20010617234439/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.07.23/index.html
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2000年8/20 戸塚啓「不可解だったトゥルシエの選手起用〜UAE戦」
ttp://web.archive.org/web/20010806113958/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.08.20/index.html
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2000年8/31 戸塚啓「サッカー五輪プレビュー/シドニーモデルの可能性」
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37 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/10(火) 23:30
2000年8/31 佐藤俊「サッカー五輪プレビュー/中村俊輔「いつかあの場所へ」。」
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2000年9/17 戸塚啓「トゥルシエ・ジャパン発進。」
ttp://web.archive.org/web/20010617235912/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.09.17/index.html
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2000年10/12 戸塚啓「転ばぬ先の杖?・・・・・・トゥルシエのエクスキューズ。」
ttp://web.archive.org/web/20010806120438/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.10.15/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806120438/http://www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.10.15/page2.html

2000年11/28 杉山茂樹「トヨタカップ−レアル・マドリッド×ボカ・ジュニオールス」
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ttp://web.archive.org/web/20010707082352/www.number.ne.jp/toyota_cup/page2.html

2000年12/7 慎武宏「韓国『対日呪縛』」
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38 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/10(火) 23:48
2000年12/7 大野美夏「ブラジル レオン体制の多難な船出」
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2000年12/10 戸塚啓「キャリアアップの方法」
ttp://web.archive.org/web/20010617222736/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.12.10/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010810001317/www.number.ne.jp/sunday_columns/2000.12.10/page2.html

2000年12/21 佐藤俊「中村俊輔「終わりなき旅」。」
ttp://web.archive.org/web/20010806030258/www.number.ne.jp/special_features/2000.12.21/spe1/index.html
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2000年12/21 忠鉢信一「宮本恒靖×吉原宏太×稲本潤一「大阪から世界へ」。」
ttp://web.archive.org/web/20021020155109/http://www.number.ne.jp/special_features/2000.12.21/spe2/index.html
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39 10 </b><font color=#FF0000>(LucksPCU)</font><b>:2004/08/11(水) 00:07
2001年1/18 佐藤俊「高原直泰「本格派への脱皮」。」
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2001年1/21 戸塚啓「ベテラン達の巻き返し。」
ttp://web.archive.org/web/20010617223748/www.number.ne.jp/sunday_columns/2001.01.21/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010702040008/www.number.ne.jp/sunday_columns/2001.01.21/page2.html


2001年3/1 木次成夫「西澤明訓とエスパニョール「カタルーニャの日々」」
ttp://web.archive.org/web/20010806035047/www.number.ne.jp/special_features/2001.03.01/spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010707093958/www.number.ne.jp/special_features/2001.03.01/spe2/page2.html
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ttp://web.archive.org/web/20020308012909/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.03.01/spe2/page5.html

2001年3/15 田村修一「カウントダウン2002 トゥルシエの代表強化プラン。」
ttp://web.archive.org/web/20011205110914/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.03.15/spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20011120033910/www.number.ne.jp/special_features/2001.03.15/spe2/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20020624041509/www.number.ne.jp/special_features/2001.03.15/spe2/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20021025194635/www.number.ne.jp/special_features/2001.03.15/spe2/page4.html

4028年目の名無しさん:2004/10/08(金) 20:29
2001年3/29 杉山茂樹 Jリーグの外国人枠からアジア人を除外せよ。
ttp://web.archive.org/web/20010411161134/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.03.29/soccer.html

2001年4/11 杉山茂樹  [W杯欧州予選レポート]究極の激闘
ttp://web.archive.org/web/20010805230219/www.number.ne.jp/euro/from_number/2001.04.11/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010702021713/www.number.ne.jp/euro/from_number/2001.04.11/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010715083041/www.number.ne.jp/euro/from_number/2001.04.11/page3.html

2001年4/20 戸塚啓 フランス人指揮官の意志。
ttp://web.archive.org/web/20010610065247/www.number.ne.jp/special_columns/totsuka/2001.04.20.html
ttp://web.archive.org/web/20010621233029/www.number.ne.jp/special_columns/totsuka/2001.04.20_2.html

2001年4/26 杉山茂樹 スタジアムでのtoto速報の演出にもうひと工夫を。
ttp://web.archive.org/web/20010807121151/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.04.26/soccer.html

2001年5/14 永井洋一 波乱の幕開けとなったJリーグ序盤戦から見えてくるもの。
ttp://web.archive.org/web/20010807122736/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.05.14/soccer.html

2001年5/14 東本貢司 「名将が導くプレミアの未来」
ttp://web.archive.org/web/20010806055132/www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe2/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010822194321/www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe2/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010822193604/www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe2/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010822194128/www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe2/page4.html

4128年目の名無しさん:2004/10/08(金) 22:13
ttp://web.archive.org/web/20010822194128/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe2/page5.html

2001年5/14 杉山茂樹 レアル・マドリー「究極の黄金時代へ」
ttp://web.archive.org/web/20010806055514/www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe1/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010806055514/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe1/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010609073711/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe1/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010622003906/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe1/page4.html
ttp://web.archive.org/web/20010711150533/http://www.number.ne.jp/special_features/2001.05.14/spe1/page5.html

2001年5/24 杉山茂樹 スペイン戦で’98年型に逆戻り。日本サッカーは本当に進歩したのか。
ttp://web.archive.org/web/20010807123100/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.05.24/soccer.html

2001年5/27 田村修一 フィリップ・トゥルシエが考える現在と未来「戦術か、経験か」。
ttp://web.archive.org/web/20010802042134/www.number.ne.jp/2002/from_number/2001.05.27/index.html
ttp://web.archive.org/web/20010621191545/www.number.ne.jp/2002/from_number/2001.05.27/page2.html
ttp://web.archive.org/web/20010909195157/www.number.ne.jp/2002/from_number/2001.05.27/page3.html
ttp://web.archive.org/web/20010629013746/www.number.ne.jp/2002/from_number/2001.05.27/page4.html

2001年6/07 永井洋一 豊かな土壌と自然環境にあぐらをかいたブラジルの落とし穴。
ttp://web.archive.org/web/20010811125529/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.06.07/soccer.html

2001年6/21 杉山茂樹 W杯での組分けとベスト16進出の条件をシミュレートする。
ttp://web.archive.org/web/20010811130700/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.06.21/soccer.html

2001年7/19 杉山茂樹 キリンカップ「快勝」の陰に隠された選手と周囲の温度差。
ttp://web.archive.org/web/20010726113302/www.number.ne.jp/columns_part2/2001.07.19/soccer.html


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