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プロレスラー:三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島

6道場生:2009/06/20(土) 19:25:35

「三沢さんは決して裏切らない」死を惜しむ声絶えず
7・4お別れ会

プロレスの試合中に亡くなった人気プロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の密葬が19日、東京・中野の宝仙寺でしめやかに営まれた。法名は「釈慈晴」(しゃくじはる)。お別れの会は7月4日に東京・ディファ有明で行われることが決まったが、三沢さんの誠実で義理堅い人柄ゆえ、死を惜しむ声が絶えない。

多くの団体がひしめくプロレス界では、人間関係の悪化も日常茶飯事のこと。そんな中でも「彼(三沢さん)を悪く言っている人を見たことがない」と言われていた。

元プロレスラーでもある格闘技ジャーナリスト、片岡亮氏は「多くの関係者が、彼自身、決して他人の悪口を言わない人だったと話していた」と語る。

かつて、三沢さんが所属した全日本プロレスでは、1990年に選手が新団体SWSに移籍する大量離脱騒動があった。

この際、「みんなが疑心暗鬼になって、誰々がやめるという噂をしていた。三沢さんはいろいろと話を聞いていたはずだ。けど、馬場さんに問われても、いっさい口を閉ざしていた」と当時の関係者は振り返る。

三沢さんが常々語っていたのが、「人に迷惑をかけるなという師ジャイアント馬場さんの教え」だったともいわれ、全日本を離脱してノア設立した直前、周囲は両者の関係悪化を盛んに噂していたが、本人は正式発表まで口をつぐんでいた。

ノア所属選手によれば、「このとき自分に付いてきた選手たちに“辞めた後でも全日本のことを絶対に悪く言ってはいけない”と伝えていました」と泥仕合を避ける指導をしていたという。

実際、ノア設立時も全日本との契約が残っていた興行には一切キャンセルせずに出場した。

かつて同じ団体に所属した故・冬木弘道さんが2002年に大腸がんで引退したときは、団体の枠を超えて無償で引退興行に全面協力したこともあった。

「三沢さんに感謝する人は数え切れない。ノアに協力する外部のプロレス関係者も、大半は何らかの形で恩義があった人たちばかり」と前出のノア選手。

人との約束で、自分が5分遅刻する可能性があると、会談を別の日にセッティングしたというエピソードがあるほど、他人を裏切らない性格。アクシデントがあっても、試合をキャンセルせず、過去に左肩を脱臼したときでさえ、包帯を巻いて試合出場した。

その人を裏切らない誠実さから、今回、体調の悪化にもかかわらず最後の試合を強行してしまったのか…。誰よりも責任感の強い男はリングの内外で理想的なプロレスラー像を全うしたといえるだろうが、それだけにプロレス界の失った損失は計り知れない。


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