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異説奇説

1 紋章官 :2017/05/19(金) 21:49:14
コミティア明けボケ中。夏コミの当落はまだ不明ながら、そろそろ原稿入力を
再開しないといけません。ブルゴーニュ公国史が中途なので、その追い込み。
続いて中世都市か教皇庁史か、気が向いたほうで進むかな〜

さてコミティアの打ち上げ、二次会のコーヒー中、日本のピラミッド説のおしゃべり
もしましたところ。一時、ブームがありましたねえ〜北は黒又山、西は葦嶽山が名の
しれたところ。四国や九州はどこでしたっけ?
ピラミッドというからには人工物、ということではありません。この場合、山岳祭祀
施設の一例、自然丘陵を整形して祭祀施設とした、と捉えれば理解しやすいところ。
何もエジプトのピラミッドのように一から築き上げたものではないのです。
名前から、エジプトのピラミッドを考えるからいけないので、単純に祭祀遺跡の
一形態と考えれば受け入れやすいでしょう。それが縄文時代でも。
狩猟採集時代だからといって縄文文化を侮ってはいけません。
縄文文化は文明の一歩手前まで到達していた高いレベルを誇ります。
同程度のレベルでの人口密度や食生活の豊かさ(虫歯の発見率から算出)において
傑出したものを誇ります。もちろん、他の文化、欧州でもストーンヘンジ、マルタ
の地下神殿など農耕以前でも高い技術と動員力を見せています。
それゆえ、日本の縄文文化でもそれができないわけはないのです。続きはまた。

2 紋章官 :2017/05/26(金) 20:49:02
5月もおわりですね〜「林原めぐみのTokyo Boogie Night」公開録音当選はがきが届き
ラッキー!という月末。これも日曜日に京都は高尾神護寺、槙尾西明寺を早朝参拝した
ご霊験なのでしょうか?栂尾高山寺は参拝時間前で入り口で断念・・・そりゃ、朝6時半じゃねえ〜あ、神護寺は門からです。9時に入りなおして、ちゃんと御本尊薬師如来様を
お参りしました。旅先の早朝散歩が完全に習慣化してしまった・・・

さて日本のピラミッド説の続き。一時、いろいろありましたよね。例えば大和三山が綺麗な二等辺三角形を構成するので、一つは人工山だの、淡島は人工的に整形されただのといろいろと説が展開されたところ。実際、これらのピラミッド説の対象になった山をみていくと、巨石奇岩が散在していたりすることも多い。
実際、黒又山は同志社大学の研究会が調査して整形の痕跡を発見しており、祭祀遺構との
視点から見直せば十分説得力をもちます。
そもそも山をシンボルとして集団が構成され、集団が結束を確認するため、祭祀を行う
また集う場所として整備したと考えれば理解しやすいところ。
たまたま先日見たミステリアスジャパン、異説ありとちょうど、このネタをやっていましたが、そこで山は蛇がとぐろをまいた姿をイメージ、そしてピラミッド候補に三輪山が
出てきたのには、さすがに虚をつかれたところ。何しろ三輪山の神「三輪のオオモノヌシ」は蛇であることは古事記に記された箸墓説話の内容!幽翠街道さん、どう思います?
えらいところにいきなり斬り込んできたなあ。神話ネタで「蛇ー日本の蛇信仰」(講談社学術文庫)を読んでいるところでもあり、切り口を変えてみたくなってきたところ。
それでは

3 紋章官 :2017/06/16(金) 21:06:55
コミケ、落ちました・・・いや、去年の夏も落ちていたので、この夏は大丈夫かと思っていたのですが、落ちた・・・・仕事もコミケも絶望・・・・。
ということで友人の所で店番です、初日はアクセサリーのところ、3日目は評論・情報。
新刊は3日目に販売かな・・・「寿桂尼」増補版と新刊は「広義門院」。「ブルゴーニュ公国史」は新刊登録だけで、新刊頒布は「広義門院」かな?

この広義門院は南北朝時代の最中、「治天の君」に擁立され、彼女の名前で令旨を発し後光厳天皇即位を実現、事実上の広義門院院政が2年ほど行われます。
後伏見天皇女御、光厳、光明天皇の実母、崇光天皇の祖母、血統的に天皇家の最長老。
院政は家父長制に根差した「ミウチ」の論理を基本に持っています。この時、男子不在の突発事態に、この皇室最長老の女性が頂点に立つことで継続したもので、もちろん嫁の立場といえど、女性を持って皇位継承の正当性が保障された例となっています。
そして広義門院は皇族出身ではありません。名前は「西園寺寧子」。飛鳥・奈良時代の女帝たちとも異なります。もし、この時、彼女の「治天」にならなかったら、北朝ひいては足利氏の幕府は継続できたのか?他の形になったのか?大変、興味深いところ。
ちなみに、広義門院西園寺寧子は院政の中に入っていません。しかし、彼女の令旨により後光厳天皇が即位、朝廷が運営され、長講堂領などの荘園領が管理されたのです。
このため、彼女の立場は即位していない大上天皇、すなわち後高倉院と同じ立場になっているのは間違いないところ。なんだか中世女性続きになり始めたなあ〜それでは。

4 紋章官 :2017/07/07(金) 21:43:44
豪雨の被害にめをそむけたくなるところ。何事もほどほどを願うばかり。

さて一時、話題になりました与那国島沖の海底「遺跡」。その後はどうなのでしょう?
と、思っていたら沖縄本島の海底でも見つかったそうで、あらま、いつの間に?というところ。これを自然地形の空前の造形とみるか、人の手によるものか、なかなか難しいところ。何しろ海底のあるので、その場所が地上に出ていた時期、そこまでの工事が可能だったか?という問題にぶつかるのは仕方ないところ。単に技術だけではありません。
工事を可能とするだけに動員力があったのか?という問題もある。
大きければ大きい分だけ労働力、すなわち人数がいる。単に海底にあるだけでなく、その
時期にそれだけの人口があったか、という問題にも直面するのです。
個人的に古代人の技術力、もしくは工事能力は人力限定としても、かなりのもの、と考えていますが、それを可能とする人口がいたか?という問題を考えると悩むところです。
でも、どうなのでしょう?いわゆる縄文海進として知られる事件、水面上昇で低地にあった居住地が海面下になったことで、本来、もっとある遺跡が見る事が出来ない事で、古代の人口推計が低すぎるだけかもしれません。もし、実際はもっと多かったら?
なかなか、これも魅力的な問題です。それでは

5 紋章官 :2017/07/28(金) 22:24:45
7月もおわる〜まだコミケカタログを買っていない!どーしよー

とはいえ、そんな事は些細なこと。観光客が戻ってきたところでの大雨での大分などの影響は気の毒なところ。昨年の熊本地震後も被害はなくても落ち込んだ観光客が回複したところを、再び影響を受けるのですから。前に書きましたが、熊本地震後の昨年6月の大分旅行、予約を入れていたので熊本空港から大分の豊後竹田へバスで抜ける間、友人と2人、目にした国道沿いの風景を眺めながら旅行にきて良かったのか、と友人と思いましたのは事実。観光でお金を落とすのも支援のうちと言われるようになりましたが、崩れた壁やブルーシートのかかった屋根などを見ていると、心苦しくなるところでして、途中、休憩に入った道の駅でお土産を買い、竹田に到着してコンビニのパンで済ます昼食も、食堂に入って定食におかずを追加、冷凍ミカンを買う、町歩きも途中で御菓子をかって食べ歩く。なにしろ平日とはいえ、他に観光客らしき人影がない。夕方の電車で別府へ移動、翌日は国東半島をレンタカーで回りましたが、最初に行った両子寺は参拝者はいましたが、その後の富貴寺阿弥陀堂、真木大堂、川中不動などはいくら雨模様でも土曜日なのに友人と2人でほとんど貸切状態・・・熊野磨崖仏はまだ数人いましたが、あまりの事にともかく買いもの!が合言葉で友人は現地から二箱、宅急便で発送したくらい。あれくらい、かわんといかんな・・・・
それで3日目は一人、臼杵石仏へ。臼杵せんべいを製造店別一通りの種類を買いこみました。ただ、こうやって買いこもうという気分も被害がない、という安心感があればこそで、はたして熊本で同じ行動を取れたかは定かではありません。
でも行くのが大切、お金を落とす、というだけでなく、人が来ることでお店の人も元気づくものですから。

前ふりが長くなりましたが、異説奇説はこの臼杵石仏にかかわるもの。それはこの石仏造営伝説に都からやってきた皇子の話があるのです。
その皇子の名前は橘豊日皇子、即位して用明天皇、すなわち聖徳太子の父親!なんでまた、この人が?と言うところです。話の続きはまた次に。それでは。

6 紋章官 :2017/08/18(金) 22:52:18
コミケお疲れさまでした。打ち上げは一足先に引き揚げさせていただきましたが、みなさん、楽しまれましたか?なにしろ翌日、親を載せて群馬へ行くでの早寝したところ。
思えば歳をとりました。かつては夏と言えば、銀座落語祭り、ワンダーフェスティバル、落語円朝祭り、コミケとお祭り続きに出かけていたのが、落語の方はイベントがなくなり、暑さに幕張に行く元気もお金もなくなり、今年はコミケだけでした。

さて異説奇説。臼杵石仏にかかわる伝説の続き。橘豊日皇子こと用明天皇が豊後にきたという話。これは臼杵石仏造営の伝説の中にあります。
この伝説、いわゆる炭焼長者伝説の形式を持ちますが、他と異なるのが都とのかかわりあい、それも具体的な名前が出てくるところ。まずは都の蘇我大臣の娘が顔にあざがあり、結婚できない。それで観音のお告げに従い、豊後へやってきて、お告げに示された炭焼きの若者の所へ行き、持参した金を差し出す。ところが若者は、池の鶴を取ろうと金を投げて失う。それを聞いた娘はあきれるが、若者曰く「そんなもの池にたくさんある」と言われて見に行くと、その通り。そして黄金の池の水で顔を洗うと娘のあざはなくなり、若者もりりしくなり、二人は結婚、金で長者になる。そこでめでたしめでたしが一般形。
ところが臼杵石仏の話は続きがある。二人の間に娘が生まれる。その娘の美しさは都にも伝わり、橘豊日皇子が都からやってくる。それも都の皇位争いの難をさけての下向。
そして結婚する二人。ところが迎えの使者が来て皇子は都に帰る。娘は妊娠中。そのため子供が生まれたのち、男なら連れてくるように、女なら一人でくるように言い含める。
生まれたのは女の子。そのため娘は一人、都に向かうが船旅の途中、四国で病死。
そのため長者夫婦はのこされた孫娘と共に菩提をともらうため、黄金を中国の寺院へ送る。すると礼を兼ねて連城法師が来日、寺院を建てる。それが臼杵石仏がある満月寺の始まりとなる。
炭焼き長者伝説で妻が都からやってくるのは通常のパターン。裕福な商家の娘が多いですが、具体的な名前を持つ例はないところ。ところが、ここでの話は「蘇我の大臣」と示す(もちろん、名前を示さないパターンもあります)。また子供が生まれて、更に妻通い婚よろしく、都から今度は橘豊日皇子が来る、と結婚話が2世代続く!
他にはないパターンです。しかも蘇我(曾我もしくは久我とも)の大臣と橘豊日皇子と都の具体的名前を持たせる。さあて、ここからが異説奇説の世界。伝説とはいえ後世の追加としても蘇我の大臣と橘豊日皇子であれば、同時期で時代感があう。臼杵石仏は平安時代のものですが、京の影響を強く受けた作風であることは認められ、都の工人がやってきて製作した、とも考えられています。それゆえ、都から製作に来訪した工人や僧が仏教に関わり深い古代の人物を登場させる話に整えたと考えられなくはない。おそらく、元来の炭焼き長者伝説が別にあり、それを寺院縁起として脚色した。という仮説も立てられます。
ところが、それだけではなさそう、というのがこの先の話。本当に皇子が来たのかもしれません。実際、その息子であり聖徳太子の弟、来目皇子は新羅遠征軍司令官として九州へ赴き、そこで病死、久留米の地名の由来になっています。その前段階に橘豊日皇子が即位前に来ることがあった可能性、最低でも、皇子に始まる上宮王家がこの地域と関係を持っていた可能性が示す痕跡があるのです。何しろ、名前が示唆するほど。ではまた続きは次回に手。それでは。


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