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鏨に生きるー戦国を彫金で生きた武家

1 紋章官 :2017/01/07(土) 11:47:17
先週の今頃はコミケ!終わって一週間、お宝を楽しんでいる人も多いだろうな〜

終わったと言えば大河ドラマで「真田丸」がおわりましたが、それに関わるお話。
趣味の分野で大坂の陣にかかわる名品があります。
それが加賀前田家に伝わる重要文化財「牡丹獅子小さ刀拵」。来歴がまずは華麗。
将軍足利義政の御腰物として後藤祐乗が金で金具を整え、それを拵えに整えた物。
この牡丹と獅子による拵え仕立ては、足利義教の富士高覧の腰刀拵の記録に存在
しており、この時、すでに定まっていたものと思われます。
さて、足利義政の用いたこの拵は以後、足利将軍家に伝来、永禄の変も難を逃れ、
足利義昭に届きます。その後、織田信長に追われた時、途中、野党などに荷物を奪われていますが、
この拵えは守り抜いた模様です。
そして豊臣秀吉と和解後、足利義昭から秀吉に贈与されます。
名品好きな秀吉の事、この歴代足利将軍の腰を飾り、主君織田信長も手にできなか
った名品を手にした事をどれほど喜んだか十分想像できる所。
それが豊臣秀頼に継承されますが、大坂冬の陣の和議が整った際、仲介の労を
ねぎらうとして本多正信に贈られるのです。
さて贈られた本多正信、この名品、家康に献上する事なく、次男政重に形見分け
される。それを本多政重は前田利常に召抱えられると、御礼にこの拵えを献上する。
献上された前田利常は後藤家第7代顕乗を召抱え、後藤家の名品収集に力を入れた
人。当然、これまた喜ばないはずもなく、本品を愛蔵する。
後に、娘が芸州浅野家に嫁ぐにあたり、婿引き出物に贈る適当な短刀に困り、この
拵えについていた短刀を贈る事にしましたが、わざわざ新しい拵えを作りつけて贈
り、この拵えは手元に残し、別な短刀を選び、拵えを直して自分で使えるように
しました。よほど手放したくなかったのがわかります。
そのことで前田家に残り、今に伝わることとなります。真田丸では前田家はやられ
役になりましたが、こんな物もあるのです。なかなか公開されないし、数年前の
展示会カタログでは部分写真だけ。今回も大河ドラマに便乗した話は聞かないし、
今度はいつ見られるのやら。20年前の展示会カタログなら全体写真があります
ので、機会があれば見てみてください。
さて作者である祐乗に始まる後藤家は、戦国をこの刀装金工として彫金で生き残る
のです。そんなお話のご案内。それでは。

2 紋章官 :2017/01/21(土) 18:41:39
冷え込みが続いています。その上、あちこちで雪!足元にお気を付けください。

さて「鏨に生きる」ー芸は身を助けると言いますが、後藤祐乗に始まる後藤家は彫金技術で生き残っていきます。
出身は美濃の豪族。城主クラス。美濃の騒乱で領地を追われ、京都に落ちのびたもの。
その後、足利義政に近従として出仕しました。
つまり、近従として将軍家に出仕できる身分と伝手をもっていたことがわかります。
出仕した後藤祐乗。彫金は後からの事なのでしょう。出仕後の伝承として雪舟ばりの話がありますが内容はともかく、彼の彫金技術を認められたのが、足利義政に仕えた後である、という記憶の証ではないでしょうか?
この後藤祐乗。武士なのに一流の彫金技術を身につけ、製作したのですが、それを可能としたのは環境。彼の出身地である美濃は作刀が盛んな事で、拵えを誂える工房も多かった事が考えられます。そのため拵えにつける金具製作も盛んで、身の回りに金具製作について知っている人物がおり、そのため好奇心か何かで彫金を始めていたと考えてもおかしくないところ。
その上で足利義政という美術センス豊かな人物に近侍。足利義政は庭師善阿弥を用いたように、文化面では身分を問わない交流が知られます。それゆえ義政周辺に身分を越えた文化サロンが構成されおり、記録に残らないだけで、さまざまな技術をもった人間が集まり、近侍した後藤祐乗も自然と影響をうけ、センスや技量を磨き、一流の技術を身に付けたと考えるのが自然なところ。
そして後藤祐乗は一流の技術と足利将軍家に仕える身分と経済基盤を獲得することで、彫金を「家業」として伝承する事に成功するのです。
その後を継ぐのは次男「宗乗」。いよいよ戦国時代が本格化していく時期となるのです。
それでは

3 紋章官 :2017/02/04(土) 01:08:23
2月に入りました。コミケの申込書を投函しまして、まずは一安心。大河ドラマで春風亭昇太さんの今川義元を眺めつつ、はたと気がつきました。そうか、井伊家を今年やっておけば、来年は西郷さんで幕末明治維新となるので、井伊直弼が出てくる。最終話で井伊直弼が祖先の墓参か法事を行う場面があれば、そのまま西郷さんにつなげられる!そういうもくろみか!と、想像したところ、どうでしょうか?

さて「鏨に生きる」-戦国ものドラマを見ながら刀装具の手入れをしているのは便利な物で、時代を想像することを刺激してくれます。なにしろ、同時代遺物が手元にあるのですから。その戦国時代を生きる後藤家。次男宗乗の時代に入ります。
この人、生まれは1461年。応仁・文明の乱が始まる数年前、そして死去は1538年。戦国時代前半を生きた人です。
さて家業となる彫金をなぜ次男宗乗るが継いだのか?といえば兄が早死にしたから、というのは通説。一方で、別説に祐乗が将軍家に仕えたことで美濃の本領も取り返し、美濃の本領に兄が帰り、京都に弟宗乗が残って彫金業も継承した、ともいわれます。さて宗乗も高い技量をもっていますが、
穏やかな作風とされています。但し、父親の製作を手伝ったことが考えられますので、双方の作品は入り混じっているとみられています。そのため、同じ作品で紹介する書籍によって、祐乗か宗乗かで作者同定が変わることがままあります。
この人の作品、父親の作品ほど華やかな来歴のあるものはありませんが、基本的に足利将軍家に納められた後、分散して江戸時代、将軍家や大名家などに収まります。
そして時折、作品の画題によって、この人の作とあてられることがある。それが「樋定規図」。この「樋定規図」は名前の通り、直線の古い定規を画題にしたもので、単純な図形ながら、その分、図柄として手抜きにならないように整える必要がある。なかなかに難しいもの。後藤家の古い「樋定規図」が出てきて、個人名で作者が同定となると、多くの場合、この2代宗乗が入ってくる。なぜなんですかねえ〜個々人で得意、不得意の図柄があって、宗乗はこれが得意だったのか、一つの考えところです。それでは

4 紋章官 :2017/02/17(金) 21:31:07
コミティアはどうでしたか?私は11日に始発電車にのって東武・会津鉄道を乗り継ぎ、雪の大内宿見物に行ってきたので、12日は寝ていました。歳だな・・・いや〜雪祭りでにぎわっていました。そのまま喜多方へ冬のラーメン祭りに行こうと会津若松まで行くと、雪でダイヤ混乱。そのため喜多方行きを断念して帰ってきました。宿泊覚悟で行けばよかったかな〜平安時代の建築の新宮熊野神社長床が見たかった!

さて「鏨に生きる」ー初代祐乗と2代宗乗の作品の見極めの難しさがわかる物があります。それは徳川美術館に所蔵される尾張名物「丸木橋三所物」。名前の通り、丸木橋を題材にした作品です。この画題自体、珍しいものです。この作品、以前は後藤宗乗の作品とされていましたが、あるころから後藤祐乗の方に変わりました。更に古記録では小柄は宗乗とされている。この場合、取り合わせ、ということになりますが、この取り合わせにもいろいろあり、画題の合うものを揃えたものか、先にある金具に後から作り補う、と組みあわせ方法にもいろいろあります。
その取り合わせしたことが忘れられ、初めからセットに思われる事も生じる。このあたり、見極める力が必要となります。とはいえ、尾張徳川家が江戸時代初期、それも徳川家康からの形見分け「駿河御分物」という堂々たる由来のあるお品もそうなのですから、市場にあるものなど、どう転ぶかわからないのは当然のところ・但し、なかなか宗乗から祐乗へ昇格するのは難しいでしょうけど。それでは。

5 紋章官 :2017/03/03(金) 22:11:32
3月です。近くの淡島神社ではお祭りでみこし行列していました。先週は上野に春日大社展を見に行ってから歩いていたところ、湯島天神の梅まつりの御神輿も見れました。なにやらお祭りを毎週見ています。

さて「鏨に生きる」-2代宗乗、子供のころに応仁・文明の乱を体験しているわけで、完全に戦乱の時代を生きることとなります。どうなんでしょう?後藤家はれっきとした武家です。2代宗乗は彫金を行いながらも武士の身分であり続けたところです。後藤家は足利将軍家に出仕したことで近江坂本に三百町歩の封を与えられています。
また失われた美濃の領地もまだ権威の残る将軍家の威光で取り戻したともいわれます。
それゆえ彫金は副業扱いだったのかもしれません。但し、このころの武士でも武芸にこだわらず職能で食べていくことを始めており、絵師の狩野家、作法の多賀家や大草家などという家が出てきます。北条早雲の本家、幕府官僚伊勢氏も将軍家奥向きなども取り仕切ることで、武士であるのと同時に儀礼や鞍作りの家としても名を成していきます。
どの家も将軍家に出仕していた家系であり、後藤家もまた同様に将軍家に仕える武士であり、技能として彫金で名をなし生き残りの道を開いたと言えます。それでは

6 紋章官 :2017/03/17(金) 21:28:38
明日から三連休!今年は曜日の関係で少ない三連休、楽しんでください。私は月曜日も仕事です。やれやれ。

さて後藤家、宗乗の次が3代目乗真。この人、武将としてなくなりました。というのも足利義輝に近侍、勇猛な性格で領地を守るため、戦って討ち死にしたほど。ちなみに戦った相手は浅井久政。御存じ浅井長政の祖父で戦国大名浅井家を築いた人物です。
後藤家は足利義政に仕えたことで近江坂本に300町歩の領地をもらい、それを守るため進軍してきた浅井久政と戦ったものです。
さてこんな武ばった人ですが、彫金もしっかりしています。性格が出るのか、この乗真の作品は力強く大ぶり、とされています。代表作は加賀前田家にある「鶴亀橋三所物」。この鶴亀の縁起の良い画題から別名「蓬莱橋揃い金具」とも呼ばれます。
揃い金具というだけに、本来は縁頭、栗形など他に5点の金具とセットでしたが、明治時代の売り立てで、笄・目貫・小柄の三所物だけ前田家に残され、残りは流出、国内を流転しています。数年前の展示会で両方が揃え並べあられましたが、今はどこに行きましたか?偶然、持ち主の方と知り合い、一度だけ手に持つことがありましたが、なかなか貴重な機会でした。どうされているのかな〜
大ぶりで豪快な作風、なかなかお目にかかれませんが、いつか手にしたいところです。一応、書籍でこの人の作品と紹介されている笄を持ってはいますが、微妙なところ。それでは

7 紋章官 :2017/04/07(金) 22:30:01
4月に入り、いろいろと新番組が始まっています。今晩から孤独のグルメだ・・・夜遅く、何かおなかが減ったようなころ合いに見るのは腹の毒か?その昔、NHKで寿司屋を舞台にしたドラマがありましたが、そのドラマの影響で放映日の水曜日は寿司屋に注文が多かったとか。

さて後藤家。3代目乗真の次が4代目光乗。この人、長い生きなんです。死んだのは元和6年、御歳92歳という長寿を誇ります。生まれてから死ぬまで京都で暮らした方です。
それだけに戦国半ばから、桃山、江戸初期まで京都で起きた事件を目撃したのです。もしも、この人が山科言継なみに日記を書いてくれたら、どれほどの資料になったか!
それだけにこの人、いろいろな人に仕えています。足利将軍家の家臣ですから足利義晴、義輝、義昭に出仕。そして三好長慶、三好三人衆、松永久秀などとも面識をもったでしょう。それに織田信長、豊臣秀吉に仕える。更に明智光秀とも交流をもった気配がある。
明智光秀は織田信長に献上するため、後藤家から名品を無理に買い取った、という話が今に伝承されているのが、その証でしょう。それに後藤光乗は刀装具だけではありません。信長公記の「あづち天守の次第」に「最上階の金具は後藤平四郎」と記載される後藤平四郎がこの後藤光乗と推測されています。(後藤宗家当主はこの光乗から四郎兵衛を名乗ります。作者大田牛一は織田信長、豊臣秀吉と同じように仕えていますので、面識はあったはずですので、「平四郎」というのは、この四郎兵衛を渾名したものかもしれません)。
また織田信長に大判役を命じられ、それは豊臣秀吉になっても継続。その事で天正長大判、菱大判に始まる大判製作を行い、更に秀吉の富の象徴、金分銅、法馬金をふいています。これらから後藤光乗は刀装具だけでなく、大判による日本貨幣史、分銅役として度量衡整備に携わりました。この三役は以後、後藤家三家業として江戸時代を通じて家業となったもので、後藤家はこの四代光乗により新しい時代を迎えています。このひと、刀装具以外で盛りだくさんな人なんです。それでは。

8 紋章官 :2017/04/22(土) 18:52:41
もう4月22日。コミティアへの準備はどうですか?あと1週間で連休が始まり、2週間後は歴史部当日!わーい、準備が間に合うかな?

さて後藤家。展示合わせた書き込みなのに、間に合わない・・先に4代目光乗の時、大判役などになったことを触れましたが、実務は息子の五代徳乗があたりました。
実際、豊臣家の桐紋をデザインしたのはこの徳乗ともいわれ、一名「徳乗桐」と、その桐紋を呼称するところ。それが顕著に表れるのが刀装具の桐紋と大判、そして分銅金に打ち込まれた桐紋。事に分銅金、大法馬と呼んでいる金塊、現在、日本銀行に保管される小型の分銅金は全体をおびただしい桐紋を打ち込んでいます。よくまあ、うちこんだものと、その手間と作業に驚くところです。また天正大判、そこに墨で書かれた文字、「拾両 後藤(花押)」の最も古いものは、この徳乗の書いたもので、その大ぶりな書きぶり、流れるような花押は珍重されるもので、まるで笹の葉が垂れている様に見えることから「笹書き大判」と呼んでいるところです。
こうして後藤家は貨幣制度にかかわっていくこととなるのです。それでは。


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