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2014年 後半の四方山話

1 紋章官 :2014/08/23(土) 01:25:16
コミケ、お疲れさまでした。早いもので、もう1週間経ちます。コミケ3日目は友人の
サークルの店番に行ったら、向い側の列に闇神楽さんがいて、御挨拶。コミケも広いよ
うで狭い!
次回申込みも月曜日にすませましたが、みなさん、いかがですか?オンライン申込みの
方が多いそうですが、アナログ派なので、歴史部にふさわしく古式に郵送です!
それと天候不安定なおり、くれぐれもお気を付けください。広島の土砂崩れをみてい
ますと、自分で判断するしか残っていないようです。

さてコミケでは少年少女創作で青田買いと、有名、大手サークルをそっちのけで、
面白そうなサークルさんやこっそり出ているプロ作家さんを探すのが楽しみとして
います。そんな歩いていまして、今年は初日、メカミリタリーでチェックで見つけた
鎧のサークルさんを見にいったところ、自作の腹巻胴が展示されていました。
それで思わず話しこみ。こういう人も出てくるんだ、と見ていました。それに途中で
ワンフェスで見た南北朝期の雑兵コスプレの人も歩いていました。
よく西洋甲冑のサークルさんの人がランツクネヒトのコスプレで歩いているのはおなじ
みでしたが、和風の本格的な人もいるんだ、と心強いところ。
続いて松風さんに御挨拶と少女創作を回っていたところ、刀の冊子を見つけ、おしゃべり。
こちらの方、もう何度も出ている人だったんですね。ファンタジーですが刀の研ぎ師を主人公
とするマンガを書かれている人で、日本刀の女子会を開いた人も同席していました。
この女子会のうわさは、趣味の付き合いで耳にしていたのですが、思わぬところで遭遇状態。
冊子によると、お守り刀を作るようで、ちょうど知り合いの方が、刀鍛冶の方に
依頼した現代刀を地元の神社に奉納する話も聞いたところでもあり、うらやましいところ。
個人的には、拵えを一腰作りたいですが、資金がない・・・収集単価が跳ね上がりすぎて、
そこに消えるばかりです。やれやれ。

なにやら道楽者の愚痴になりかかってきました。さてコミケスペシャルはみなさんはどう
されますか?私は申込み予定です。コミケも40周年とのことで、コミティアでの歴史部
よろしく、歴史サークルらしく「私の見たコミケ」と長年のコミケ参加体験記を集めた
共同誌でもあれば面白そうなところ。

そんなこんなですが、それではまた!
はあ、土曜日だ、やっと休みだ・・・・・

2 紋章官 :2014/09/06(土) 02:30:27
涼しい日が続いたところで、温度が少し上がると、それでもうへばっております。体調管理には気をつけましょう。

さて地元の博物館で蒔田吉良殿の展示会がありました。吉良家と言っても、忠臣蔵の吉良上野介の吉良家と別系統、東条系吉良氏で、戦国時代に武蔵世田谷と相模蒔田(横浜市)に領地と城をもっていた系統、戦国を生き残り名字を一時、蒔田と変え、領知替えされた上総にいましたが、吉良上野介の方が断絶においこまれたので、名字を吉良に復活、代わりの高家として幕府式礼をつかさどるようになったとされています。(吉良姓への復帰については異説あり、ただし元禄年間であることは確定)
小さな展示会でしたが、内容的には地元の戦国豪族もの、といえますが、ここに貴重な資料が展示されていました。それが「北条幻庵覚書」で知られる書状。いくつもの書籍で引用、紹介される戦国関東での式礼を伝える貴重な書状です。書いたのは名前からわかるように、北条幻庵長哲。北条早雲こと伊勢新九郎の3男で、箱根神社別当などを務めつつ、北条家の重鎮として90歳近いの長寿を全う、小田原の役直前の時期に死去したとされる人物。この人が北条氏康の娘(養女?)として吉良家に嫁いだ鶴松院に吉良家での殿中礼儀作法で粗相がないように、儀礼やきしたりについて書いて送ったのが、この覚書。
ほとんど資料のない関東戦国期の殿中行事や決まり事を伝える貴重な資料です。
何しろ書いたのが伊勢新九郎の息子で、送り先は吉良家に嫁いだ姫。北条幻庵は箱根神社別当になったように、早くに出家して近江園城寺で修業したとされる、北条家でも知識人で儀礼に詳しい方といえます。
というより、伊勢新九郎が備中伊勢氏の出で、本家たる幕府執事として儀礼も取り仕切る京都伊勢家につらなり幕府に出仕、そして駿河・遠江守護今川家と縁戚となれば、彼自身、殿中儀礼を十分心得ていたことは容易に想像されます。その新九郎から幻庵がじかに殿中儀礼や心得の手ほどきをうけ、園城寺で学んでいた時期に京都の伊勢氏本家へ出かけて、聞くこともあったとしても何もおかしくありません。
そして鶴松院の嫁ぎ先である吉良家は足利将軍一門として高い格式を誇る家、そうなれば失礼のないように覚書を与えるのは当然となります。
今回、その原文の展示と大意による書き下し文が図録に掲載。案外、この書状は引用されても原文と内容全文の書き下し文の紹介がないので展示を熱心に見入り、図録を喜んで購入しました。やはり全文読めるのはありがたいです。猪の子餅の儀礼での京都と関東の違い、儀礼の由緒など、通常、引用で省略されている部分にかえって当時の認識や考えなどの生の感覚が見えてくるものです。中に儀礼の由緒に紫式部に由来との一言には、彼女が戦国期の認識度まで垣間見えるものとなっています。
この文書、幕府の儀礼を例示、宮中の様子を公家に聞いた事などを書いており、彼の交友と共に素浪人ではない幕府執事伊勢氏一門を出自とする北条家の様子をしのばせるものとなっています。かえって、これを見れば北条家が成りあがりではない事が、逆に想像できる内容ともいえますが。内容や位置づけから、もっと高い評価をうけてもいいはずなのですが、どうしても戦国武将の書状に目がいきがちなため、影が薄いところです。
おかがで展示会もがらがらなので、じっくり見れたのですが。それでは

3 紋章官 :2014/09/26(金) 22:41:34
9月も終わりです。10月になるといろいろとあわただしくなる時期。まずはコミケスペシャルの申込みかな〜それに冬に向けての原稿にも取り掛からないとなあ。

さてモーニングで長期連載「ひょうげもの」。いよいよ大詰めが近付いてきました。しかし古田織部という、またマイナーもマイナーな人物を主人公にここまで連載が続いたものだと驚いているのも正直なところ。これが将来、大河ドラマ原作になったら怪挙!まあ、アニメにはなりましたが。さて、このマンガ、小道具に出てくるものを見ていると、実在する文化財がちょこまかと出てきます。茶道具以外ですよ。茶道具以外!なにしろ、柱のひとつは茶道ですから、茶道具は当然のもの。
他の物でも南蛮鎧、あれは欧州の傭兵向けの甲冑、コスチューム様式と呼ばれる形態。織田信長の南蛮趣味の小道具に使われました。
これほど目立ちませんが、石田三成が結城秀康に護衛の礼に渡した石田正宗は現存しています。もちろん、誉れ傷を残して。また加藤清正が北政所に贈ったのを譲ってもらった小袖の図柄、現在丸紅コレクションに入っている桃山期の古裂の図柄で、これには古い書付がつけられており、かつては淀殿用の反物の断片とも考えられていたものです。
そして織田有楽斎と古田織部が子供の秀頼を乗せて引いてきた船車、これは妙心寺に残る、秀頼の兄鶴松の遺品の中にある船車。他に童甲冑やお守り刀と共に、鶴松の死後、秀吉が菩提をともらうため妙心寺に納めたことで現在まで残った貴重なもの。子供を遊ばせる道具と共に、デフォルメされてはいますが、当時の船や祇園祭の船鉾との関係や姿を伝える資料としても知られます。ちなみに妙心寺には豊臣政権関係者の肖像画が多く納められており、前田玄以や増田長盛、石田三成の父など珍しいものが多い事でも知られます。
そんなわけで、小道具類を含め楽しんでみるのはいかがでしょうか?それでは〜

4 紋章官 :2014/10/17(金) 21:36:58
度重なる台風襲来、みなさん、被害はありませんでしたか?それにしてもアニメが終わったら実写ドラマだ「信長協奏曲」!「ノブナガ」ブランドは強いですね〜

うっかりしていましたのは次回11月のコミティアの申込みが終わっていたこと。見物には行く予定です。あとは今月中にコミケスペシャルの申込みを済ませないといけません。
さて今月末から神田神保町では古本まつり!11月の3連休にブックフェアを開き、出版社のワゴン販売があります。みなさん、ネットではなく、掘り出しもの探しに神田古本まつりに行きましょう!私は書店支持派です。たしかに書店の遠い場所や少ない場所でネット販売やコンビニ取次の利便性は認めます!でも、せっかくだから書店で本を探しましょうよ!というところです!書店で購入すると積もり積もって法人税になります。でもネット販売で購入すると、税金を外国法人が支払わない。その分の法人税収が減るから、消費税にかかってくる。庶民をいじめるな〜
それにしてもワゴンセールが、また大刀剣市と重なる・・・困った!今年の大刀剣市では、展示室で大河ドラマにちなみ黒田官兵衛の時代の刀工の刀の展示です。そういえば、この間、BSで「日本刀に恋して」との番組で刀剣の研ぎ師さんの紹介をしていました。残ながら知り合いではありませんが、先週の趣味集まりでこの番組の話になり、他の方々は知り合いだったり、その中で刀剣の競り市の映像もありましたが、その取材時に競り市に参加していた人もいました。
このような番組で知名度が上がってほしいものです。なお競り市で行われたお椀を使った入札は江戸時代からの習慣だそうです。値段を隠すのに椀を使用したそうですが、時々、投げたお椀がひっくり返り、中が見えてしまうことにあるそうです。
コミケでは「刀鍛冶3姉妹」の漫画家さんが参加されていて、その同人誌を購入、これも先だっての集まりに持って行ったところ、知っている人もいました。どうにか、刀剣や刀装具への知名度やファンが増えてほしいと願うばかりです。
なにやらとりとめのない話になりましたので、ここまで。さて明後日は趣味の刀装具の鑑賞会が神田であります。毎週、何かしらあるので、原稿が進まないです。それでは

5 紋章官 :2014/11/21(金) 22:20:24
明日は酉の市、そして明後日はコミティア。皆様、準備はいかがですか?今日まで勤め先が業界の展示会、明日は趣味の鑑賞会、そしてコミティアへ出かける元気があればいいのですが。さて。

四方山話、昨日、うっかりテレビ欄を見落とし、キトラ古墳の番組がありました。見られた方はいますか?キトラ古墳は、先に見つかった高松塚古墳とセットで紹介されます。
壁画、規模、位置関係など比較検討され、被葬者候補もだいたい同じような顔ぶれ。
基本的に古墳で被葬者が確定することなどまずない。あくまで周囲状況での検討。飛鳥時代といえど、敏達天皇、用明天皇、聖徳大子こと厩戸皇子、舒明天皇、天智天皇、天武・持統合合葬陵等、記録があっても比定墳墓でまず問題ない、と見られている墳墓は天皇陵といえど、確定的でないものが多い。持統天皇が息子、草壁皇子の墳墓とて現在の指定墓ではなく、見事な切り石積みの石室が発掘された束明神古墳と考えられています。
それだけに高松塚やキトラなどの壁画古墳の被葬者の候補はいくらでもたてられる。
問題は、他の古墳との比較が難しいこと。なにしろ指定されなかったことで、内部構造などがわかる天皇陵候補の古墳で壁画の痕跡例がない。
だいたい、早くに口が開いてしまったので、よしんば壁画あっても失われてしまうのは当然のこと、また藤原鎌足の墳墓候補の摂津阿武山古墳は未盗掘古墳でしたが、壁面に漆喰があっても、壁画まではない(石室の構造、サイズで極めて近い)。
このため壁画がある、という意味をどうのように見るかが問題となるのです。まあ、邪馬台国論争同様、終わらない方が面白いですし、研究も進むものです。
個人的には出現期から前期の前方後円墳と大王陵の関係のほうが関心が高いのですが。
それではまた。

6 紋章官 :2014/12/14(日) 20:52:06
急な冷え込みと大雪、みなさん、大丈夫ですか?それと選挙。ちゃんと投票しましたか?歴史部のみなさんは投票権の歴史的経緯と重みを十分、御承知と思います。意味がないではなく、その1票の重みを理解しましょう。

さて金曜日は会社の忘年会、昨日は趣味の締めくくりの会と宴会続き、その上でコミケ原稿を強引に書き上げもありへばり状態。まいった〜。
古墳話、どうしても終末期古墳よりも出現期古墳にめがいってしまうもので、資料はないものかと見ています。それでたまたま手にした本でおやまあ、と驚いたのが陵墓問題。
有名な継体欽明朝問題にかかわり、後期大王陵研究の進展に目をひかれました。
それが継体天皇陵が今城塚、そして欽明天皇陵が五条野(見瀬)丸山古墳と有力視といいますか、学会ではその方向に固まりつつあります。
五条野丸山古墳については、蘇我稲目の陵墓説もありましたが、それは今年発掘でピラミッド方方墳(高句麗形の石積墳の影響)と判明した都塚古墳に傾きそうです。
いくら有力部族でも大王陵を越える墳墓を作れることはない。そして欽明陵とされている平田梅山古墳(前方後円墳)は未完成未使用となった幻の敏達天皇陵、また安閑天皇陵は現在の高屋古墳で正しいが、実際は未完成の河内大塚古墳が本来、準備されていた陵で記紀が百済本紀引用という形で言及した混乱(政変?)により、河内大塚古墳工事は放棄され、高屋古墳に埋葬された、との説には驚きました。
この河内大塚古墳は全長330mを測る巨大古墳。今城塚190m、五条野丸山318mの間をつなぐに十分な古墳。これまでこの古墳は後期古墳に分類されてはいましたが、年代的にはもう少し遡り、雄略天皇陵説が強かったものです。この学説通りであれば、在位わずか数年の安閑天皇の権力と宜化天皇を間におき欽明天皇が五条野丸山古墳という巨大古墳を大和の地に営んだ背景が浮かび上がってくるように思えます。
いうまでもなく大山古墳、誉田御廟山の2大古墳を頂点に古墳の巨大化は落ち着き、徐々に縮小化し始めます。これを大王権力の停滞、巨大陵墓築造負担による疲弊、大王権力変質など様々な説がありますが、そこで先王朝の終焉と続く継体王朝の始まりに安閑、欽明の二人の大王が河内と大和の地にそれぞれ巨大墳墓を営んだ事は、何かしらの象徴的意味合いが強く背景にあったと考える方が自然です。
欽明天皇については大和の古来大王権力を支えた豪族たちと新興の蘇我氏(この場合、蘇我氏の地位を高く見すぎ、との説もあります)による大和の地が大王本来の御座所として示すために突出した巨大古墳が営まれた、と考えられていますが、一方で安閑天皇が本来、河内大塚古墳を築造してたとなれば、その対抗措置としても五条野丸山古墳の規模が巨大化する必要があったと理解できます。
一方で安閑天皇陵となるはずだった河内大塚古墳。この古墳の巨大さも、継体天皇の址を継ぎ、その大和以外の支持勢力の力を示すために、巨大な規模が選択されたとも理解でき、この仮説は大変、魅力的なものとなります。
なにか、古墳の話を書きたいものですが、さてどうなりますか。それではまた

7 紋章官 :2014/12/26(金) 22:16:17
いよいよ来ましたコミケ目前!日曜日です!皆様、準備は整われましたか?私は明日が会社の仕事納めのため、このあと荷造りをして日曜日は朝からGoできるようにしています。
そうしないと、明日はアルコールが入るので危ないところです。それとようやく先週、コミケカタログを購入して改めて自分の場所を見直したら、あらお誕生日席?それと歴史サークルが全体にまた減少・・・御新規さんが増えてくれませんかね〜

さて四方山話。官兵衛がおわり、来年は「花燃ゆ」。幕末と戦国を交代に行うようです。そのうえ題名をみるといくつかの過去ドラマの名前が混ざっているようなかんじで、どこかおや〜とも思えます。
官兵衛では宇都宮一族滅亡の場面もありましたが、さすがに娘を逆さ磔にはできなかったようで、まあ、このあたり放送上の問題もあるかもしれません。逆さ磔はあちこち散見しますが、一番有名なのは織田信長が遠山城主の叔母が、武田軍に攻められて救援されなかったので、秋山信友に降伏、その妻になることで城と城兵を守ったところ、その後、武田の衰退のさい、信長が逆襲、秋山信友もろとも逆さ磔にして処刑したのが有名です。
自分が助けられなかったのに、ひどい仕打ちですが、あちこちこのような女城主は戦国期に実在。
ついおととい、仕事で新東名を使い浜名湖北岸の井伊谷の方へ回りましたが、ここにも女地頭井伊次郎法師直虎がいます。NHKのヒストリアで紹介されたおかげで知名度があがったようで、いつの間にはゲームキャラに登場していたのですね。
秋葉原で井伊直虎のポスターを見ました。まあ、初めから女性だから、べつに女性キャラでいいわけで、立花ぎん千代、前田松、大祝鶴姫といった人たちと肩を並べたというところでしょうか?
でも、まだ北陸の巴板額(城主の叔母で、自ら弓矢を放ち敵軍を翻弄)、東北の伊達政宗の母ではなく叔母(他家に嫁ぎ、夫の死後当主職を預かり、政宗の攻撃に徹底抗戦。落城後、政宗はこの硬骨の叔母に敬意を払い、安全を約束するも、それをよしとせず佐竹家に身を寄せる)など、あちこちに女傑はいるものです。九州には島津軍を撃退した老尼城主もいます。もちろん第一は今川家の寿桂尼、次は赤松氏の「洞松院尼」(細川勝元の娘で夫の死後、息子を後見、播磨、備中、美作の3カ国を統治)と領国統治に手腕を発揮した女性たちがいます。
もっと丹念に検証すれば、戦国の女性の地位は決して弱いものではなかったものと思われます。実際、女足軽の存在も現在は認められていますし、夫と共に上り詰め家康、朝廷も一目置いた北政所おね、彼女の場合、周辺の女性にも交渉能力や調整の能力を持っていた女性が集まり、天下を左右するほどとなります。
見方によっては戦国期は女性の能力が発揮する機会も得られた時期だったのかもしれません。もちろん、強姦、略奪、人買いの被害に襲われる方が圧倒的だったとはいえ、その次の江戸時代に比べても女性の名前を多く知る時代となっています。
妄想する話、男女逆転「大奥」ではありませんが、戦国で男子の戦死が続出して、家系維持のため女性当主がもっと多く出現していたら、その後の幕藩体制でも女性大名がいたのかもしれません。あくまで妄想の範囲ですが。それでは、コミケでお会いしましょう!


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