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2014年 後半の四方山話

7紋章官:2014/12/26(金) 22:16:17
いよいよ来ましたコミケ目前!日曜日です!皆様、準備は整われましたか?私は明日が会社の仕事納めのため、このあと荷造りをして日曜日は朝からGoできるようにしています。
そうしないと、明日はアルコールが入るので危ないところです。それとようやく先週、コミケカタログを購入して改めて自分の場所を見直したら、あらお誕生日席?それと歴史サークルが全体にまた減少・・・御新規さんが増えてくれませんかね〜

さて四方山話。官兵衛がおわり、来年は「花燃ゆ」。幕末と戦国を交代に行うようです。そのうえ題名をみるといくつかの過去ドラマの名前が混ざっているようなかんじで、どこかおや〜とも思えます。
官兵衛では宇都宮一族滅亡の場面もありましたが、さすがに娘を逆さ磔にはできなかったようで、まあ、このあたり放送上の問題もあるかもしれません。逆さ磔はあちこち散見しますが、一番有名なのは織田信長が遠山城主の叔母が、武田軍に攻められて救援されなかったので、秋山信友に降伏、その妻になることで城と城兵を守ったところ、その後、武田の衰退のさい、信長が逆襲、秋山信友もろとも逆さ磔にして処刑したのが有名です。
自分が助けられなかったのに、ひどい仕打ちですが、あちこちこのような女城主は戦国期に実在。
ついおととい、仕事で新東名を使い浜名湖北岸の井伊谷の方へ回りましたが、ここにも女地頭井伊次郎法師直虎がいます。NHKのヒストリアで紹介されたおかげで知名度があがったようで、いつの間にはゲームキャラに登場していたのですね。
秋葉原で井伊直虎のポスターを見ました。まあ、初めから女性だから、べつに女性キャラでいいわけで、立花ぎん千代、前田松、大祝鶴姫といった人たちと肩を並べたというところでしょうか?
でも、まだ北陸の巴板額(城主の叔母で、自ら弓矢を放ち敵軍を翻弄)、東北の伊達政宗の母ではなく叔母(他家に嫁ぎ、夫の死後当主職を預かり、政宗の攻撃に徹底抗戦。落城後、政宗はこの硬骨の叔母に敬意を払い、安全を約束するも、それをよしとせず佐竹家に身を寄せる)など、あちこちに女傑はいるものです。九州には島津軍を撃退した老尼城主もいます。もちろん第一は今川家の寿桂尼、次は赤松氏の「洞松院尼」(細川勝元の娘で夫の死後、息子を後見、播磨、備中、美作の3カ国を統治)と領国統治に手腕を発揮した女性たちがいます。
もっと丹念に検証すれば、戦国の女性の地位は決して弱いものではなかったものと思われます。実際、女足軽の存在も現在は認められていますし、夫と共に上り詰め家康、朝廷も一目置いた北政所おね、彼女の場合、周辺の女性にも交渉能力や調整の能力を持っていた女性が集まり、天下を左右するほどとなります。
見方によっては戦国期は女性の能力が発揮する機会も得られた時期だったのかもしれません。もちろん、強姦、略奪、人買いの被害に襲われる方が圧倒的だったとはいえ、その次の江戸時代に比べても女性の名前を多く知る時代となっています。
妄想する話、男女逆転「大奥」ではありませんが、戦国で男子の戦死が続出して、家系維持のため女性当主がもっと多く出現していたら、その後の幕藩体制でも女性大名がいたのかもしれません。あくまで妄想の範囲ですが。それでは、コミケでお会いしましょう!


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