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お城に行ってみました

1 紋章官 :2014/02/15(土) 14:09:32
大雪です。出かける用がないのはありがたい。ただし、午前中は団地の雪かきで
腰が痛い・・・月曜日は会社の雪かきをしたくないなあ〜溶けて〜

さて新規ネタ、お城を見てきました!と打ち上げてみましたが、案外、行っていない。
学生時代、何やっていたんでしょうね。そんなささやかな、ありふれた観光地のお城
見物話。
まずは大阪城へ行ってみました!15年前の旅行でのお話。石垣の話はいろいろ紹介
されているので、おしゃべりするなら堀の深さを感じましょう!案外、気が付きにくい
のですが、大坂城は上町台地の突端部にあります。
そのため、通常、見学コースとなる南や西側から行くと、平城の感覚を受けますが、
淀川べりからみると、平山城的な高さを感じることができます。
水上バスで見上げるとちょうどいいのかもしれません。ただし、今はどうでしょうか?
建築物で見えにくくなっているかもしれませんが・・・
それゆえ実際、城を一周してみると城の場所が築城適地だったことがわかってきます。
それになぜこれほど堀が深い事も、台地の上という立地ゆえと理解できます。
もちろん、石山御坊、豊臣期大坂城と土台に2段階あり、その上に盛土したとはいえ、
これほどの高さにするのは容易ではありません。
どうなのでしょう?地形的に上町台地の突端であり、一番比高地が高い場所でも
あったのかもしれません。この地形的トリックはしばしば城郭を歩いていると見られ
ます。有名な上田城も河岸段丘を活用しており、南からは平城でも別方向からは山城、
また戦国最大の争奪戦の対象となった沼田城も街道から見ると段丘上の山城、しかし
一度、台地に上ると平城となります。
このあたり城郭の地取り(選地)のひとつの技法だったのかもしれません。
どうでしょう?行かれることがあれば、そんな視点で見てみませんか?それでは

2 紋章官 :2014/02/21(金) 22:29:22
ソチ・オリンピックもまもなく終わりですね〜そして、やっと土曜日が晴れ
るみたいで、一安心。今日は山梨県にある工場まで物を届にいってきま
したが、まだまだ雪景色。20年近く山梨へ毎月のように通ってきましたが
こんな光景初めて!河口湖の親戚も4日間、家から出れなかったそうです。いやはや

さて大河ドラマも進み、黒田官兵衛は荒木村重の所へちょくちょく
出かけております。そこで村重の奥方「だし」が登場しましたが、この名前、
記録にもある実在の人物。それも「信長公記」「織田軍記」など日本側だけ
でなく、ポルトガル宣教師の報告書にも「DAXIS」(つづりはよかったか?)
とのっている女性。ただし、これは後の織田信長による荒木村重一族処刑時
の記録で、その時、年齢が「21」とか「24」という若さ。そのため、現時点で
でてくると年齢が〜また年齢から正室かどうかは不明。
ついでにこの「だし」を母とする幼子が辛うじて乳母の手で連れ出されて、
本願寺に逃げ込み生き残り、成人しては絵師になる。
その長じて名前を岩佐又兵衛。桃山から江戸前期の絵師として知られます。
マンガ「ひょうげもの」では青年になってから出てきている、あの人です!
又兵衛はそんな事情から、母などを見捨てた父の荒木姓ではなく、母方の
姓を名乗ったと考えられており、それゆえ「だし」も岩佐という姓と考え
られていますが、それ以上は不明です。
その「だし」ですが、実名ではなく、住まいの場所からきた呼び名と考えられて
います。有名なのは豊臣秀吉の側室茶々は「淀の御方」、他に「松の丸」、
長浜時代の「南殿」等々。それゆえこの「だし」も城郭用語の「出丸」「出城」を
いみする「出し」に由来すると考えられています。思わぬところで城郭用語!

また荒木村重の有岡城は戦国有数の堅城。なにしろ2年近い攻防戦を耐えた
もので、総構えや石垣を備えていたことが絵図や発掘から判明している
大城郭。ただし、市街地化して痕跡は地上ではほとんど見えない状態。
いささか残念なところです。

それで不思議なのは茶を楽しんだ数寄者で、城郭史に足跡を残す人物
はみな織田信長に反旗を翻す。最初が多聞山城、信貴山城の松永久秀、
次が有岡城の荒木村重、とどめが福知山城、坂本城の明智光秀。
豊臣秀吉が茶を本格化させるのは大坂以後といえるので、この時点では
まだ範囲外。じつに不思議なところです。それではまた!

3 紋章官 :2014/03/01(土) 01:35:07
また雪が降るかも、天気予報が気になります。オリンピックも終わり、テレビも
通常番組が戻ってきました。

さて「お城をみに行ってきました!」話。城を見に行くのは何も遠くでなくても
いいのです。横浜北部に住んでいますが、地元には戦国時代の城跡、それ
も良好な状態の城跡が散在しています。
この手の城跡、残りがいいところは交通が不便なおかげで破壊から免れる
か、交通の便がいいがために住宅地や学校建設で破壊されるかという運命。
そんな中、駅から徒歩10分以内、駅から眺められる場所に城跡がある、と
いうのが横浜市市営地下鉄センター南駅から行く「茅ヶ崎城跡」。
土塁、空堀、郭が良好に残存。公園に整備され、見物が容易です。この城、
古い本では関東の丘城の典型として紹介される城跡です。
何しろ駅から見えますからね〜交通の便はいいですよ。バスを乗りつぐ
必要がないのですから。
ここは川を隔てて対岸には国指定弥生環濠集落「大塚遺跡」が目の前に
見えます。この「大塚遺跡」は環濠集落といっても、丘陵の頂上部にあり、
いわゆる高地性集落的な要素を持っています。
ちなみに中国自動車道など高速道路の工事でしばしば中世城郭と弥生の
高地性集落が重なっているのが発掘調査で知られています。
防御性や見晴らし、水の条件でいくと同じような立地になる、ということが
わかります。それだけに、川を隔てて環濠集落と中世城跡が見れることでも
便利なところです。
ここから歩いていくか、次の仲町台駅を降りて丘陵を下がっていくと谷間に
張り付くように堂々たる屋敷門が見えてきます。
これは国指定重要文化財「関家住宅」。門、主屋などが指定されています。
現在も居住されていますので見学できませんが、ここは戦国末期から
江戸初期の豪農というより小田原北条氏に属した地侍の居館住宅。
10年ほど前に解体修復工事が行われ、その結果、古い部分は戦国
末期、北条家滅亡前後までは遡れそう、との見解になっています。
関家は戦国期までは武士、江戸時代は帰農して農家として500年、この住居を
守り続けてきたものです。横浜の文化財というと、どうしても文明開化のミナト
ヨコハマのものに目が行きますが、こんなものもあるのです。
城好きの友人によると、周囲の林の中に土塁や空堀の跡が残っているそうです。
地侍の館ということで、防御性を考えたものとなっているわけで、茅ヶ崎
城跡にも戦国期にはこのような建物があったかも知れない、と想像する
助けになります。案外、地元にもこんなものがあるもので、遠出しなくても城跡
見物ができるものです。
先の城好きの友人いわく、府中の方でも方形居館跡の郭が空堀を残して現在
も住宅としてあるそうです。
案外、地元で穴場を探してみるのもいいかもしれませんよ。それでは

4 紋章官 :2014/03/08(土) 01:00:58
なにやらまた雪がまった都心ですが、この寒さいつまで続くのでしょうか?
さて昨日の新聞には機織りの埴輪の復元が紹介されていましたが、こう
いうのを見てしまうと、古墳の方にまたひかれ始めるものです。

さてお城に行ってみました!話。彦根城へ行った時、ここで何が面白いと
言って、転用材の宝庫、その柱や板が面白くてしょうがない!
城は新設と言いつつも、建物、石垣などを周辺の城や寺院などから運び
こみ、建設するのは常識。石垣の墓石、石棺、石仏などは良く紹介されて
おり、目にすることは比較的容易。
一方、上物である建物は火事で失われるので、築城時の初期建築が残
っていないことや、明治の廃城のさい、取り壊されたりして失われる。
そのため、そもそも城の建物自体が少ない中で、さらに築城時の初期
建築を残しているものでないと、なかなかこの転用材はないもの。
ただし二条城二ノ丸御殿などは新築のため、転用材観察はできません。
なにしろ、築城時間の短縮のため使えるもの、転用できるものはみな使う。
これでいくと墨俣一夜城伝説の築城方法もその延長上と発想すれば、
それほど突飛な方法ではないのです。
さて彦根城。ここは近江の戦国・桃山期城郭を寄せ集めた城。伝承から
して小谷、長浜、大津、佐和山などの城から移築したと伝えられる櫓、
門などがぞろぞろで、それが今も残る。
柱や梁をみれば、古いほぞ穴がいくつも見られ、柱もちょうな仕上げが
のこるものも多い。天守は元大津城天守からの転用で、解体修理の際
柱の調査から、旧大津城天守が五層だった復元案が作られています。
なかでも古風なのは太鼓門。伝承からして寺院の楼門だったというよう
に、他の建築に比べても古式で板などは城のものにしては細い感じ。
このあたり、長浜の大通寺に残る山内一豊時代の長浜城台所門が、
分厚い板材であるのに比べて、線が細い感じがします。
そんなわけで、彦根城へ行ってみたら、転用材を楽しんでみましょう。
それでは

5 名無しさん :2014/03/22(土) 01:03:55
三連休です。どこかに行かれていますか?私はこの冬も冬の京都に行かずに
終わりました。寒いの承知で京都を歩いてみたい願望があり(すいてそうなんで)
もう10年来、毎冬、冬の京都パンフをもらって見ています。
まずは高台寺の霊廟が第一目的で、冷え込んで冷たい空気の中、高台寺
蒔絵をじっと見てみたい、という妙な希望があります。あとは清水三年坂美術館
、石清水八幡宮、さらに今年は伏見稲荷大社へ行って、まさに聖地巡礼!(神社
だから間違いないわな〜神社もうか様にのってるようだし)それにこの冬は通常
非公開の阿弥陀寺も公開していたのに、残念。春だと奈良山の辺の道を歩きた
いところです。

さてお城に行ってきました。今回は行ってみたい!というところをご紹介。
城郭建築物で残っているのが多いのは天守と櫓、門が多い事はご承知かと
思います。現存天守は12か所。12しかないの?と言いますが、天守のない
城も多い事を考えれば、なんだかんだ残ってる。
門や櫓は移築されてあちこち探せば残ってる。逆に多くあったはずなのに、
残りが悪いものは御殿建築。知名度が高いのは二条城二の丸御殿くらい、
贅をこらした現存最古の御殿建築。次に高知城本丸御殿、掛川城二の丸御殿、
川越城本丸御殿はいずれも幕末近い建築。
惜しいのは熊本県八代城大書院、移築復元工事直前の昭和62年火災で焼失、
復元工事続行中の名古屋城本丸御殿は昭和20年戦災、同じく復元された
京都丹波篠山城大書院は昭和19年失火による火災、と昭和まで残っていたの
はこんな程度。残りませんね〜。あとは小笠原住宅(伊豆木陣屋)などの
陣屋建築群程度になります。
このうち、顕著に古いのが二条城(慶長〜寛永期)、小笠原住宅(寛永期)で
あとはすべて1800年代。御殿建築は廃藩置県後も庁舎や学校に多くが転用
実用で用いられたので、天守ややぐらに比べて本来、維持されたのですが、
きがつけば実用ゆえに建て替えなどで次々消えてしまったのです。
その中、部分とはいえ、二条城と同時期の部分が残る例がある。
それが北海道の松前城。松前城というと幕末の和式築城最後の例で
しられ、復元された天守や門ばかりが紹介されますが、なにが悲しゅうて
コンクリートの復元建築ばかり見るのですか?
松前城の前身、福山館の御殿建築は築城時にそのまま取り込まれて、
明治期に小学校に転用、建物自体は明治半ばに建て替えられましたが、
玄関部分だけは残され、職員玄関として昭和まで使用、さらに建て替え
のさい、この玄関部分だけ、引きやで動かし残されたのです。
この福山館、豊臣秀吉に蝦夷島主を認められた初代藩主松前慶広
が建築した御殿が火災などにあうことなく、城にとりこまれたものです。
すなわち、この玄関は桃山時代に属する御殿建築の貴重極まりない存在。
ところが、旅行雑誌はしかたないかもしれませんが、いわゆる歴女ブームや
お城人気にのった雑誌ではてんで紹介されない。
百名城やら、城紀行やら、城下町番組でもスルー。いやー底の浅さがわかる。
まあ、仕方ないかもしれません。なにしろ目立つもの、お金が第一ですから、
地味な文化財は放置しているわけで、五稜郭の箱館奉行所復元や天守のほう
が大切なんでしょう。
昨年夏に城郭模型さんが見にいってこられたそうですが、なんでも、雑木に
囲まれ、風通しが悪くなっており、つっかえ棒で支えているような物置同様。
雑木のため風通しが悪いので、シロアリや湿気での腐朽が心配される
状態だった、とのことです。建築屋さんなので、この手のことは詳しいので
見てビックリの状態だったとのこと。なんてこったい、朽ちて倒れるまえに
見にいってこないと行けないかもしれません。
みなさん、見に行くならお早めに!それでは

6 紋章官 :2014/04/05(土) 01:05:56
桜も満開!それが雨で見物する間もなく散っているのは残念なところ。明日も花見に出かけるつもりです。皇居の桜見物は難しそうですが・・・
それにしても4月に突入、コミティアの原稿も急がないといけません。今年はささやかに展示の1コマ(机1本)で刀装具を展示します。

さてお城に行ってきました。今回は四国編前篇。よくよく考えれば四国は現存天守など城郭見物にはいいところ。なにしろ天守が4か所現存、小ぶりながら本丸御殿もあるし、縄張りや石垣等、いろいろ見れます。まずは香川県の高松城から。
ここは海城として海水を取り入れた城郭で知られます。前回行った時は天守台石垣を解体しての修復工事中、昨年再度行った時は積みなおされ、穴倉などが復元された天守台に登りました。この高松城天守、南蛮づくりとよばれる、最上階が下の階より大きいことでしられ、その異形の姿は古写真に残されています。
現在は天守台に登り、往時をしのぶだけですが、海城とは良く言ったもので、郭の向こう側は瀬戸内海。なかなかのものです。つづきましてすぐお隣はメイストームさんがお住まいの丸亀城。ここにはこじんまりしました現存最少の3層天守が日本一の石垣の上に残っています。いや、亀が群れなして甲羅干ししているのを眺めながら橋を渡り、地元物産センターを経由して登りましたが、いや急坂だったなあ〜千葉の大多喜城でも復元天守風の
南総博物館に上る坂もきつかったですが、丸亀城の本丸に上る道もきつかった。
天守は簡素で中も簡素なものです。しかし眺めの良さはぴか一ですね〜なにしろ瀬戸内海が一望。屋島の展望台と同じです。あ、ちなみにこの屋島は源平合戦で有名ですが、ここも律令制古代山城「屋島城」とみられています。遺構ははっきりしていませんが。
丸亀城の見物は高石垣ですが、本当、実際見てみますと、その石垣の高さに圧倒されます。コンパクトに集約された縄張りのおかげで、防御性と視覚効果も高めています。
それで忘れてならないのが、この丸亀城も海城的要素を持つこと。ここにも堀に船溜りを設けており、往時は川を経由しての海への連絡を考えていたようです。
このあたり四国の近世城郭の特徴のひとつで、高松、丸亀、今治、宇和島、高知と海に近い城郭が多く、それは内陸の松山城にも海を意識した事が知られています。海の要素が少ないのは大洲と徳島くらいかな?そのかわり両方とも河川水運は重視しています。
さて石垣といえば、次に今治城も見物。丸亀城が平山城として、山を利用した高石垣がそそり立つのであれば、今治はまっさらに平地に人工土台で築き上げた高石垣。昨年、旅行で今治からレンタカーで大三島に行く際、通りかかりましたが、いや、これほど高石垣とは思いもよりませんでした。なにしろ丸亀のイメージが強すぎて、どこか見落とされがちともいえます。この今治、丸亀、それに今治の双子といえる丹波篠山、それと岡山県の津山城、広島県福山城など、集約的な高石垣をもつ城郭は、縄張りとは別に集中式高石垣城郭というくくりをつくってもよいかもしれません。この集中式というのは欧州のイングランドで発達したコンセントリック式もしくは築城主体者となったエドワード1世(もしくはエドワード朝期に盛んに築城されたので)エドワード式とも別称される築城形式の日本語翻訳ですが、それと同様な設計思想があるように思えます。
さて、なにか脱線気味でしたが、今日はここまで。それでは

7 紋章官 :2014/04/18(金) 22:36:39
4月も半ば、コミティアに向けて原稿を進めております。何しろあと3週間あまり。そろそろ追い込みをかけないと間に合いません。

さてお城に行ってきました!四国編の続き。ホンに予讃線はお城見物に良い路線で高松、丸亀、今治と見物して、次は松山城。平山城とは言いますが、天守などの残る山上区画と、山裾の二の丸を中心とする山下区画、いわゆる根小屋地区に分かれた中世山城の系譜を引いた縄張りという方が正しい城郭。
山上の天守郭の区画が建築を含め完全に残っていることでは重要な城郭。天守もどっしりしていますし、太鼓は叩けるし。何かと目立つ、この山上区画はよく紹介されますので、評価したいのは二ノ丸庭園。昨年、見物して大変良かったのですが、二ノ丸御殿址を散策できるように整備、なまじ建物がないおかげで、御殿の下にあった大井戸や排水溝などが見ることができ、通常とは異なる視点を持てます。
それに石垣の上に多聞櫓が復元され、休憩所になっています。ここがもう一工夫あれば、
良いでしょうに。
さて松山城から電鉄に乗りまして道後温泉の湯築城跡。ここは現在、公園。復元土塁や堀、そして屋敷と資料館があります。中世城郭としてコンパクトにまとまっているので、見物が楽、その上で入場無料の資料館で、簡単な資料見学もできます。
ついでにスタンプラリーで記念品をもらったり。手作り感がいいですよ。それに中世城郭の復元されているところはこれまた交通の便に難があったりしますところ、ここは道後温泉の入り口、そのまま道後温泉本館でひと風呂浴びれます。

さて松山駅からさらに電車にのり進みましょう。まだまだあります愛媛県!それでは。

8 紋章官 :2014/05/24(土) 00:57:25
なにやら暑いのか涼しいのか、気温差の激しいところ。みなさん、体調と天候にはお気を付けを!

さてお城に行ってきました!。愛媛の旅は続きます。松山から電車に揺られてのんびりとうっかり内子座の事を忘れていて、通り越し伊予大洲!こちらには大洲城があります。
コンパクトな城と城下町。武家屋敷などがほとんど消滅しているのが残念なところ。
なにしろ川べりに木造復元の4層天守がそびえ、周囲に江戸期の櫓が連結して残る。
それもお城の景観を壊すような高層建築もない!大変よいロケーションです。ここは川べりの立地を生かして、武家町を総構えとして取り込み、今は学校のグランドなどになった外堀で仕切って三の丸、さらに堀で区切りつつ、川べりの独立丘陵を中核部として天守のある本丸、二ノ丸などを形成。コンパクトながら、平山城の縄張りをしっかり体験できるよい城跡です。
姫路城の小型版!こういってはなんですが、姫路、金沢、岡山など大城郭は大きすぎて、城の縄張りや構造のイメージがとらえにくい方も多いと思います。まあ、侵入者を迷わすことが城郭の縄張りの目的なので、当然なのですが、それに余りに大きいと回るだけでひと苦労なので、その点、ここは手頃でいわば自動車教習所みたいにわかりやすいところ。
それに個々に残る櫓や天守に連結する台所櫓など建築物もよい、何より丹念に復元された4層天守、新しいものですが、木造なので構造を見るには良いものです。
城下町も町割が江戸時代のままですので、歩くといいものです。これで武家屋敷が残る一角でもあれば、角館みたいに人気が出てにぎわうだろうに、もったいない!
それでも「鶴瓶の家族に乾杯」に出てきたお城と対をなす臥龍山荘周辺の古い町や地区を歩き、そばの茶房でお茶を飲み、「しぐれ」や「まんじゅう」など和菓子を目に着いた和菓子屋に片っ端から入りかいこんできました。武家屋敷はありませんが、ところどころに大きな商家の建物がありましたので埋め合わせ!
それで駅に戻り電車に揺られて1時間ほど、たどりつきますは宇和島!1年早かったかなあ〜今年なら日本一遅い新幹線(型車両)に乗るか見ることができたのに(笑)〜駅からとぼとぼ歩きまして、路地裏みたいな道から城郭への入り口を歩きますは宇和島城。まあ、駅に近い昇り口は江戸時代は海側なので、本来は博物館のある方に木戸門が残っていますので、そこからの方がよいのでしょうが、昨年、行きました折は駅から歩きましたので、そんな状態。その上、途中で一昨年の豪雨で崩れた斜面がブルーシートに覆われたままです。そして登りついたのが本丸、そこにぽつんと天守が残る。ちょうどここも山の上に平坦地を細長く切り開いていますので、本丸の形としては彦根城や松山城などの城と同じ感じです。
ここに江戸時代の天守が存在。三層天守としてはけっこう大ぶりな方なので、見学も楽しいです。それに江戸時代の建前祭具が梁の上に残っていたりします。この建前祭具、あんがい江戸時代に使用されたものは残っていないので、城の建物と祭具セットであるのは貴重なのです。ちなみに大洲城復元天守にも、復元時に使われた建前祭具が同じように梁の上に乗っていますので、両方見れますので、セットで回るといいでしょう。
それで宇和島城では本丸前で地元のボランティアさんたちがテントでお茶のお接待。いいですね〜やはりお四国様、遍路道のお接待文化なのでしょうか。さて、この宇和島城、現在は周囲が埋め立てられていますが、江戸時代は海に囲まれた海城。かつての空角の縄といわれる、五角形の外郭縄張りは歩いて体験してみてください。また、構造上、気がつくのは、この城の縄張りが実は中世の山城的なところ。すなわち、本丸など中枢はまとまっていても、他の郭が独立性高く段々に配置されていること。これは中世の山城の縄張りの系譜をひくもので、集中して相互の郭が隣接する近世城郭とは異なるものです。
このあたり、歩いてみるとわかります。それにしても、やはり天守だけぽつんあるのはさびしいところ。宇和島は戦災もあり不利ですが、大洲城が復元天守と櫓で天守複合体が再現されていて、その他、2つ櫓が残り中を見学できるという好条件があるだけに、幾分、さびしいところです。それに大洲城では天守復元パンフレットが200円で販売。
代わりに伊達家博物館と庭園に行きますか。それではまた〜

9 紋章官 :2014/06/14(土) 01:57:10
天気がなにやら不安定です。皆様、くれぐれもお気を付けを!さて先週の今頃は熊本の夜。ライトアップした熊本城を眺めました。その旅行中に、友人連から夏コミの当落の知らせが届き、やきもき。それで帰宅してみると、まだ当落通知が届いていない!月曜日も
届かない。あれ〜と思っていると火曜日、帰宅時に郵便ポストに入っていました。

祝、当選!初日15日の西館に出ていますので、宜しくお願いします!さあ、冊子を書かないと!

さて、お城に行ってきました!先週、八代城と熊本城を見てきましたので、そのおしゃべりを。熊本城は他の人の紹介も多いし、書籍も多いので、いまさら書くことはほとんどなく、ただ思うのは、いくら54万石とはいえ、一大名が独力でこんな城を築くのはいいですが、維持費が大変だ〜石垣や大櫓の数々。なにしろ天守級の櫓がいくつもあっては、ただ驚くばかり。武将隊も宮本武蔵まで加わり、城内案内。本丸御殿も豪勢なもので、むしろ、なんで通路の上に御殿を建設することにしたのか、いくら場所の都合とはいえ興味深いところ。ただ、案内板の「天守閣」は表示はやめましょうよ。これだけ再建工事などしているのですから、正しく「天守」にすべきです。
さて石垣の見所はみなさん御存じなので、今回、驚きました点は宇土櫓の事。内部に入れる現存建築はここくらいなので、じっくり見ましたが、ほとんど転用材がない!ほぞ穴や切り込みがほんとに見られない。通常、江戸初期までの築城建築物は大概、転用材を用いるもので、姫路城大天守ー小天守も転用材が多い事が知られるところ。解体修理の際、秀吉時代の天守(もしくは大櫓)と見られる建材がまとまって出てきたことで、その復元案が作れたほど。
彦根城など転用材の宝庫!それで古い初期建築の櫓などは、転用材を見つけるのが楽しみなのですが、宇土櫓はいくら見ても、それらしき柱材などがない・・・
まあ、現在、宇土櫓の名称の起源が移築によるものではないことが検証されてもおり、築城時の新築であることが判明していますので当然といえば当然なのですが、しかし、ここまでないのは想像だにしなかったのは正直なところ。熊本城築城でいくつ山が丸はげになったのやら。入場料500円を払って、大いに見て回りましょう!
さて初日には区別の上で松江城とも呼称される八代城を見てきました。隣接する麦島城跡を見て回れなかったのですが、こちらも発掘された石垣や天守台址、それに出土した建材などが見れます。それで現在、神社のあります八代城本丸。広い堀に囲まれた典型的な平城。何しろ、地震で麦島城が倒壊したので、対薩摩用に幕府の特例で築城された近世城郭。それも元和8年という大坂の陣のあと。築城技術の頂点の時期に築城されただけに、まさしく要塞城郭の傑作!が、明治以降の埋立や市街化でわずかに本丸が残り、部分部分がところどころに残る程度。その本丸も八代宮建立に伴い、正面参道を作るため、本来の石垣を壊してしまっている。しかし、それでも残っている本丸石垣は天守台や大手門を含め、大変なもの。これが支城とは到底思えない規模。堂々たる高石垣と縄張りの巧緻、ことに大手たる高麗門の桝形虎口の規模や完成度は江戸城の門と言われても信じれるほど。すごいわ・・・十分以上に鑑賞に堪えます!隣接する博物館には八代城の全体復元模型がありますので、こちらも合わせてみるのがお勧めです。さて、この城で謎は天守。書籍でも分かれるのですが、城跡の天守台の標識には五層六階(地階別)と記載、ところが隣接する博物館にある八代城の復元模型では四層四階になっている。熊本城の天守は西南戦争まで残りましたが、こちらは江戸時代中期に、天守の大敵、落雷により炎上後は再建されませんでしたので、以後はなく詳細は不明な状態。一体、どちらが正しいのやら。
そんなわけで八代城も十分楽しめる城跡です。しかし、まいったのは目当てだった八代の博物館の肥後金工の展示!八代は江戸時代、鍔工の拠点だったので、その展示があるとのことで楽しみにしていたのですが、行くと全くない・・・展示変えで焼き物を展示していました。なんてこったい、資料本もないし、なんのために行ったのやら。まあ、八代城主松井家の文庫の武具・工芸品の資料本をみましたが、鍔の記載が全くないので、残ってないのでしょう。まあ、その松井家から出た肥後鍔の名品を愛好家の方に見せていただくことがありましたので、わざわざ現地に行くことはなかったのかもしれません・・・でも、それでいいのかな〜資料本すらないのは、いくらなんでも地元博物館学芸員の怠慢に思えますが。今日の刀装具愛好家の集まりで愚痴ってやる!それでは〜

10 紋章官 :2014/07/04(金) 22:22:42
いよいよ7月、いかがお過ごしでしょうか?七夕よりもコミケの原稿締め切りの方が悩ましい。その上、仕事も何かくたびれています。日銀の指標なんて嘘っぱち!

さてお城に行ってきました!大河ドラマに便乗して姫路城。もう10年以上前になってしまいましたが、見物しました。姫路駅から真正面、白壁が青空に映えて確かに美しい。
まあ、日本最初の世界遺産だし。さて黒田官兵衛時代の姫路城も、羽柴秀吉の拠点時代の姫路城も、そして現在の池田輝政の姫路城と同じ丘陵「姫山」に築かれていると考えられています。
こう言いますと、同じ城ならそうではないの?と妙に思われるかもしれませんが、実は姫路城にはもう一つの中核部分となりえる郭があります。
それが化粧櫓の一帯。大天守がそびえる本丸部分が城郭内の最高所には違いありませんが、じつは化粧櫓のある一帯も周囲より比高が高く、ここも十分に独立した郭として本丸機能を果たせるところです。
このため姫路城には2つの本丸があるといっても良いくらい。それこそ仮に攻め込んだ際に天守のある本丸に気を取られすぎると、この化粧櫓のある郭から背後を攻撃される危険が生じます。ある面、一城両郭と言って、名前では一つの城のように思っても、実は独立した2つの小城郭で構成する城郭があります。姫路城はその例ともいえ、広大なので三の丸で統合されていますが、実際は本丸部分の本城と化粧櫓のある枝城が内包されているといえます。このようなものは米子城での本丸部分と飯山砦、熊本城の本丸区画と旧千葉城区画などに見られます。
どうしても姫路城は天守などの建築物や石垣に目がいきがちですが、このような縄張りと地取り(選地)に注意して見物してはいかがでしょうか?それではまた!

11 紋章官 :2014/07/25(金) 23:10:02
梅雨明けとなりました。暑さが厳しくなってきました。コミケの原稿は進んでいますか?
なんとか追いこんでいますが、はあ、間に合うかな〜
夏の新刊は共和政ローマⅡ−ポエニ戦争時代と欧州城郭談義Ⅱ−機能からの
視点ーの2冊、それに五月のコミティアの新刊を持ちこみまーす!

さてお城に行ってきました!。先日、テレビ番組でお城ツアーズを見ていました。
名古屋城の本丸御殿、あんな感じで公開しているんですね〜それと熊本城の空中
撮影。そうか、6月の旅行の際、本丸を出てすぐ、ヘリが飛んでいるなあと見ていた
のですが、この撮影だったのかな?
しかし、あくまで有名どころだけしか行かないのは、そんなものなのでしょう。
と、言いつつ、こちらの旅行もお定まりの所ばかり。テレビの事は言えんわ。
そんな見物に行きましたのは栃木県にあります飛山城址。
ここは、まずテレビ番組で紹介されません!なにしろ土塁の中世城郭なんで、
それに大事件の舞台でもない。でも国指定史跡ですので、公園として整備。
この城は宇都宮市郊外、川べりの段丘地に築城されています。
西側は川の浸食でできた断崖、川べりの小高い地点なので北側も急斜面、
接近しやすいのは丘陵が伸びてきている東側。
そして五重の土塁と空堀を方形を基本に地形と合わせて構築。
この土塁の残りが良く、大変、見ごたえがあります。ただ、駅から遠いので
車必須!駐車場がありますので、そこに車を止めて、隣接の資料館を見学
その上で、お城を見ると良いと思います。
なかなかありませんよ。これほど大規模な土塁の残りが良い城址はそうそう
ありません。
本丸からの眺めも良いもので、この城郭の立地の良さが良くわかります。
見晴らしはいいし、川沿いなので水運と川沿いのおそらく、中世の街道を
をやくして警戒できる好立地。
それは古代からも同じことで、記録にない律令制下での烽火(台)の址が
全国で初めて発見された場所でもあります。
この烽火址の発見は予想外のもので、以後、古代東国の烽火網の研究の
きっかけとなりました。
そんなわけで、決してテレビでは紹介されない土塁の城跡もどうでしょうか?
それでは〜

12 紋章官 :2014/08/08(金) 22:13:49
台風襲来です。みなさん、くれぐれもお気をつけて!コミケは目前、kodaiさん、
いつも歴史部のサークル参加座席表の案内、ありがとうございます!
掲載されるとコミケ気分も盛り上がってきます。
しかし、初日〜きついなあ、コミケ活動は独立採算制!こんどの売りあげしだ
いでは、来年のコミケスペシャルや五月のコミティアに出れるかな〜

さてお城に行ってきました!再来年の大河ドラマは倍返しで真田幸村とか。
真田家からみで本来、上田城と言いたいところですが、上田駅には都合4回立ち寄って
いるのですが、上田城には行っていない!最初は菅平へスキーに行き、途中の真田館址
などの真田家発祥の地は見ているのですが、上田城は行っていない!
2度目は長野日帰り旅行で、長野電鉄乗り継ぎで通り過ぎ、3度目は泊りがけの旅行で、
別所温泉からの帰りの新幹線、4度目は小諸城へ行ってしまったので、これまた新幹線
乗り継ぎだけ・・・あれま、仕事の都合でも一度、上田で降りているので5回も上田駅と駅前
お土産屋は回っているのに〜
そんなわけで代わりに真田館址のご案内。バスに揺られて菅平方面、途中で降りて
信綱寺に行くもよし、反対側の山道をあがり、小丘陵地の見晴らしの良い場所にあります。
そこが真田氏発祥の地、真田の里。その中心にあるのが真田氏館址。
ここは基本的に豪族居館跡で、現在、神社が鎮座。隣接して資料館があります。
土塁と空堀に囲まれた方形居館の変形と考えていただければ、立地や構造は理解者しやすい
単純なものです。あくまで平時の生活の場であり、戦時には近くの山の上にある真田本城、
松尾古城、天白城などに逃げ込みます。他にも、この里を囲む山々には内小屋、根小屋、
横尾、戸石、虚空蔵山などの山城群で囲み、真田の里全体を守っています。
この平時の居館と周囲の山城群の配置は、室町戦国期の豪族の領地防衛と城郭の配置につ
いて、貴重な例と言えます。本来、各地にあったこのような地域集中城郭の研究や紹介は
まだまだ調査途上、その中で真田氏という有名武将のネームバリューのおかげで、地元や
一般の関心も高く、調査や研究が早くになされて、全体像がつかめたものです。
たとえ観光用としても、おかげで資料も手に入れやすい。
といっても、上田城に観光に来ても、こちらの真田氏館や菩提寺信綱寺まで来る人は
さすがに少ないようですが。
それでは、また次はコミケで!来週ですよ〜

13 紋章官 :2014/08/29(金) 21:42:36
八月も終わりです。冬コミケの申込みも済すみ、涼しさに一息というところ。
そういえば、コミケで西洋史専門同人誌イベントのチラシがありましたが、
申込みした人はいますか?当日は見物に行ってみようとは思っています。

さてお城に行ってきました。真田氏絡みのお城見物。群馬県は沼田城。はあ、
ただし、ここは沼田真田家取りつぶしの際に破壊され、土岐氏時代の陣屋
仕立ての痕跡と、わずかに残る土塁や櫓台に痕跡をしのぶばかりです。
でも、ここに関東では3つしかない五層天守(ひとつは江戸城、もう一つは石垣
山城)の一つがあったんです。破却されなければ、残ったかもしれないのに・・・
この沼田城は真田氏が強化したらしく、上田城と共通の特色をもちます。
それは崖城であること。上田城も西側が河川で仕切られた断崖であるように、
沼田城も河岸段丘の先端部にあり、北と西側は断崖で山城、東と南側が
段丘上の平城となります。
このため上越線沼田駅からは城址や沼田市街は目の前の崖の上、しかし
関越自動車道沼田インターから車でいくと平地の先端となります。
この沼田城、戦国史で良く知られるのは、城郭として指折りの争奪戦の
対象となったことと、戦国の終わりを告げる関東征伐のきっかけの舞台に
なったこと。
何しろ、ここは交通の要所。南は関東平野へ通じ、西は高山村、浅間山の
ふもとに出て信濃、北に行けば三国峠越えで越後、東は金精峠を越えて
日光、それに主街道はありませんが、金精峠ではなく大清水、鳩待峠から
尾瀬を抜けていけば、桧枝岐村から会津へ抜けれるというところ。
このため戦国時代、地元の蔵内氏の居城蔵内城と呼ばれていましたが、
まもなくお家騒動で上杉謙信につぶされ、上杉家の領するところなり、
関東遠征の拠点となる。当然、北条氏はこの城の奪取を目指し北上、また
武田氏が北信濃にまで勢力を及ぼすと、東上野に進出の過程でつけ狙う。
その関係で真田家が手に入れるのですが、武田氏滅亡後、一時、滝川
一益が関東を担当するため厩橋(前橋)城に入ると間接的に管理する。
いずれも有名どころが領有を争うという歴史をたどります。そして、その後、
豊臣秀吉の裁定で真田氏が名胡桃城、北条氏が沼田城を領有するところ
になりますが、沼田城代猪俣邦憲が名胡桃城を奪い取ったことを理由に
関東出兵がおこなわれ、天下一統が達成されるのです。
そして天下分け目の関ヶ原前夜、真田昌幸、信繁親子が立ち寄った際、
城主信幸夫人小松殿が城門を閉じて入城を拒んだ逸話でも知られます。
この一件で小松殿は某マンガ「〜と一緒」で鬼嫁とされ、それがすっかり
一般化したようですが・・・再来年の大河ドラマではこの場面あるのです
かね〜昔の「真田太平記」ではありましたが。その時、沼田城の五層
天守はどのように表現されるのか、興味津津。
ちなみに上越線沿線は沼田城争奪戦の諸勢力が入り組んだので
沼田城、名胡桃城(国指定史跡)他、数々の小さな城址が点在してい
ますので、車を使って城跡めぐりも楽しめます。
そんな戦国をしのぶのもどうでしょうか?それでは

14 紋章官 :2014/09/20(土) 18:32:52
何か秋の涼しさに疲れが出ているのか、すぐ寝てしまいます。みなさんはどうですか?

お城に行ってきました!コミケで現存天守12天守を回ってきました、という方が来られました。余りお相手できなくてすみません。正直、うらやましい。私はあと高知城、丸岡城、弘前城が残すところ!いつ行けますやら?さて、比較的早いうちに行ったのが犬山城。天守見物が主になります。こちら、現存天守最古は崩れましたが、十分初期の天守を考えるには貴重な情報を与えれくれます。ただ、見物に行った時は転用材に関心が低かったので、観察しなかった・・・・大失敗。ここも木曽川べりに突き出た急峻な丘陵の地形を有効活用した城。城下町もコンパクトで歩きまわるには楽しいです。お土産屋もほどほどで、見て回るには手頃。しかし、大都市は空襲の被害とわかるのですが、戦災の影響のなかった城下町でも、武家屋敷の残りが悪いのが誠に残念なところ。犬山の場合、濃尾地震という被害がありましたので、仕方ないところはありますが。さて城についてご理解いただきたいのは、城単独ではなく、城下町まで含んだ複合的な存在であること。
武家屋敷や町人町の配置と建築など要素を含んでいます。何か、城だけ保護すればいい、と思われがちですが、そうではないところ。以前はもっとひどくて、天守を作ればいい、でしたが・・・
さて犬山城、天守は他の紹介が多いので省略しまして、城跡をあるくと案外、急な道を歩きます。今は神社があったりしますが、堀を橋で渡り、城門址を抜けて各郭を通り抜けていきます。この通路、他城と異なるのは、通路の両側に郭が配置され、通路を通る敵を両側の郭から攻撃できるようになっていること。
ちょうど安土城の家臣団屋敷跡に挟まれた直線参道とも称される大手道と似たような道。
また中核部での本丸のスペースが大きく、最後の籠城での防御性を強く意識できる縄張りになっています。あとは城下町の屋台会館で、時間が合えば犬山祭りのからくり山車のからくり実演が見られますので、楽しみましょう。それでは〜

15 紋章官 :2014/10/11(土) 01:09:30
10月というのに台風です。それも2週続けての台風・・・みなさん、くれぐれもお気を付けを!

さてお城に行ってきました!犬山城に行った続きで、岐阜城。こちらもある面、中世城郭らしい特徴を強く持っています。山上区画と山裾の根小屋である居館区画の2つに分かれ、削平地を斜面に設けて郭となす。
ただし、見物は復元天守とその周囲、そして山裾の居館区画に限られます。長良川に面した峻険な山頂からの眺望は抜群、ここが難攻不落と言われたのも、この山の険しさと眺望の良さで、いち早く接近してくる敵軍を見つけて防御を固め、攻撃を察知できた事でしょう。ただ、城としての備えでみると、防御性が高いように見えない。もちろん、中世的城郭なので、大規模な防御施設はまだなく、地形自体が役割を果たしていたともいえますが、竹中半兵衛の12人による内側からの城攻め、織田信長の稲葉山攻めで木下藤吉郎による奇襲、そして関ヶ原前哨戦での陥落と案外、落城があっけないところがあります。
まあ、どんな城郭も案外、落城はあっけないものですが。
さて岐阜市による精力的な発掘で山下居館区画の発掘が精力的に行われ、当時は庭園の大きな石などが出土した状態でした。
むしろ、見るべきはこちら。案外、中世戦国期居館遺構は城の防御施設よりも遺構の残りが悪く、また発掘の注目の度合いも低いので、居館は幾分影が薄い。それに文献資料でも言及は少ない。そこで岐阜城の場合、発掘でいろいろと出てくる。そして山科言継の「言継卿記」、ルイス・フロイスなど宣教師の書簡、大田牛一の「信長公記」と言及した資料が存在。遺構と照らしあわせて、検証できる便利なところです。あれから10年以上、現在、どのような現地保存がされているか知りませんが、復元天守のある山上区画ではなく、山裾の居館部分を楽しんでみるのもいかがでしょうか?
しかし、犬山、岐阜といったのに、なぜか名古屋城はまだ行っていない。上田城も同じで、まじかに行きながら通り過ぎている。いつ行けるかな〜それでは

16 紋章官 :2014/11/07(金) 21:42:23
三連休も終わり、コミケの当落通知も到着。当選しました!原稿がまっさらです。間に合うかな新刊〜一方で古本市、連休初日は雨で出版社ワゴンセールは中止。それで2日目に飛び込みました。いやー大当たり!狙っていた八坂書房のワゴンでは、持っている本しかなく、雄山閣、吉川弘文館、歴史書籍懇話会は欲しい分野がなく空振り。
しかし、他のワゴンで城郭の書籍を格安で見つけてせっせと購入。なにしろ、発売したばかりの本や「東京都の中世城館」まで!やはり古本まつりは行くものです!

その購入できました「東京都の中世城館」にちなみお城に行ってきました!八王子城。めじゃーですねえ。城跡と共に心霊スポット!城郭模型普及推進委員会さんは、時折、とんでもない時間に城跡を行かれるのですが、八王子城跡を夜討したそうです。そこで撮影した写真に写っていたのは・・・。なにしろお城に怪談は憑き物!お城と心霊スポットの組み合わせでは一番有名ですね。
さて、城郭として八王子城跡は戦国関東系城郭の到達点といえます。山裾の御殿のある寝小屋「主殿区画」と山上の本郭地区、そして大天守と呼ばれる尾根沿いの地区は現在は、山城郭の外郭ラインとみられています。滋賀県の小谷城と比肩できる戦国後期から末期の大型山城といえます。
現在はハイキングコースとして整備されており、入り口の「主殿」区域から山上城郭地区まで容易にいけますが、ただ整備されすぎて主殿区域では、本来の姿を失っているところも少ない事が知られます。
いささか石垣を整備過ぎ。島根県の月山富田城の御殿区画を意識しすぎた感じです。あちらは堀尾義晴も一時居城として桃山時代から江戸時代初期まで使用されたので、石垣の整備も当然ですが、こちらは小田原攻めの時の落城で使用を終えた事から、存続期間が短く、また西国城郭のような大規模な石垣導入まではなかったはずなのです。
まあ、お城のイメージにはあうでしょうけど。とはいえ、山上城郭部分は未完成とはいえ、よく原型を残しており、見物するには良いといえます。ただし日中に!心霊はさておき、うかつに夜討しようとすると山道に迷う可能性もありますので。頂上からは見晴らしも良いですよ。それではまた!

17 紋章官 :2015/01/09(金) 22:38:41
年の始めはいかが過ごされましたか?先々週の金曜日はコミケ直前、先週の金曜日は年末年始休みも終わりか〜との気分。今日はやっと休める〜との気分です。
しかし明日は夜は趣味の集まりの新年会。今頃まだ飲んでいるのかな〜

さてお城に行ってきました。ご紹介は掛川城。年末に浜松まで行きましたが、10年前に掛川に仕事ついでに立ち寄りました。新幹線から見れる復元天守を目印に駅から歩けばこじんまりした城跡が残っています。
水堀や石垣、そして復元天守の麓に幕末に再建された二ノ丸御殿。御殿というと豪華絢爛を思うのは案外少ないのかもしれません。掛川城二ノ丸御殿に行く方はくれぐれも二条城や復元された熊本城本丸御殿や工事中の名古屋城本丸御殿のイメージは持たないように。
案外と簡素なものです。規模の大きな武家屋敷というような感じです。
この御殿、政庁として用いられた事もあり、実用優先で装飾性は必要なかったのかもしれません。もちろん政庁として、見せつけるための豪華さもあってよかったのかもしれませんが、ここはそんなことはない感じでした。
このあたり、川越城御殿も外観は威風堂々たるものですが、中は意外とすっきりしているのと共通していると言えます。
さて掛川城は復元天守と二ノ丸御殿を中心にこじんまりしたもので、見て回るのが楽なお城です。しかし、本来、近世城郭といえど多くはこんな感じだったのかもしれません。
石高も10万石以下の大名がほとんどとなれば、それほど大きな城を維持できるわけもなく、これが普通の規模だったのかもしれません。それではまた

18 紋章官 :2015/02/06(金) 21:54:45
2月となりました。コミケの申込書を無事に発送。つぎはコミティアの申込み。期限はすぐ来てしまいます。明日は申込書を書きあげて、来週には振り込まないと!その前に日曜日はワンフェスです。艦これ人気に便乗して昔作ったWLシリーズの模型をジャンク売りも、いよいよ品切れ目前。これでほぼなくなります。そこで集めてきた城郭の書籍でも売るつもりです。BOOK−OFFに持ち込んでも、ありきたりな査定になってしまいますが、何しろ城郭模型普及推進委員会さんのところで間借りしていますので、お城好きの人が来ますから、わかる方に売れる方が良いものです。

さてお城に行ってきました。これもずいぶん前に行ったのですが、尼子氏の居城「月山富田城」。ここも交通の便が難しい。友人連との出雲旅行、出雲大社で縁結びを願いましたが、効き目はなく十数年が経過。それはさておき、その際は朝からレンタカーを借りて強行突破、山道を走り中国山地懐の富田町に入りました。
現在の町並みは江戸時代の陣屋町を元祖としたもので、尼子氏時代の町は川の氾濫で川底に沈みました。そのため土砂で埋まることで保護され、発掘調査で福井県一条谷遺跡、岡山県草戸千軒遺跡、青森県十三湊遺跡と共に中世都市遺跡の重要な発掘地のひとつとなっています。
さて城跡は現在の町並みの対岸にあり、山裾の山中御殿郭などの根小屋地区と山上の頂上を削った山上郭区画、それに周辺の尼子一族の屋敷地区に分かれます。
まずは根小屋地区には堂々たる石垣が組まれていますが、これは松江城築城前まで出雲の
首府であったので、関ヶ原以後に入城した堀尾義晴時代に築かれたものと思われます。
ただし、すべての石垣がそうかというとそうでもない。このあたり、諸説や確たる資料がないので検証が必要ですが、尼子氏がそもそも近江半国守護京極家の守護代であった縁から近江から早くに穴太衆を招き、石垣を築いていたとも言われています。
これについては、近江にある六角氏の居城観音寺山城も安土城以前の大規模な石垣が存在している事と共に城郭への石垣導入をいつごろとみるのかの問題を提起してくれます。
さて城郭あとは駐車場から登って、まずは千畳敷址から山中御殿郭と平坦な削平地の郭を歩くまでは楽ですが、その先、山上郭への道になるとがらりと雰囲気が変わります。
そこは急な斜面をつづら折りの山道。細い道が山の斜面をちょうど鉄道のスイッチバックのように折れ曲がりつつ登っていくこととなり、途中の小さな平坦地が中継の郭となっていて、一休みしつつ頂上を目指すことになります。
まさに山登り。しかも頂上へ登る道はこれ一つ。難攻不落というのがよくわかります。
そして頂上に到着すると、そこにひろい平坦地が広がります。見学したときは木柵や小屋などが復元されていましたが、現在はどうなのでしょうか?
ただし変わらないのは、見晴らしの良さだと思います。山の上から周辺の小盆地を一望、攻撃側は丸見えになります。山頂とはいえ、それなりの広さはあり、また周囲の斜面も傾斜が厳しく、戦国時代は斜面の木々もすべて伐採されていたのでしょうから、登るのも身を守る遮蔽物がなく、たどり着くのに厳しい事がよくわかります。
実際、登山道もけっこうきついところがあり、それが周囲の斜面を登ろうとしたら、大変なものと思います。このあたり、まずは登れない岩殿山城も同じですが、山城とはいえ、立てこもるために頂上部にけっこうな広さを案外あることが分かります。
しかし、本当、見晴らしが良かったですよ。確か山越に安来・米子方面が眺められ、海も望めたかと思います。間違いだったらごめんさない。何しろ十数年前の話なんで。
それではまた。

19 紋章官 :2015/05/08(金) 22:07:32
火曜日のコミティア、お疲れさまでした。終わると早いものでもう週末。さて明日はこれまた当たったので、2年に一度の林原めぐみのTOKYO BUGIE NIGHTの公開録音に参加!中野サンプラザへ出かけます。その前に仕事の都合で秋葉原に回るついでに、神田祭の行列を見物できればと思います。そしてラジオ公録の後は、趣味の勉強会と駆け回るところ。

さて久々のお城に行ってきました!小田原城。だいぶ前の話なので、現在によう天守以外の復元門や石垣の修理がされる前ですが、地取りや場所を考えると大変、興味深いところです。関東の入り口で海辺、西は箱根山、西は酒匂川を防衛ラインと考えれば、地の利をよく考えた場所と言えます。
そしてここ数年来の発掘調査で、当初は江戸時代の倉址などの調査予定が、出てきたのが戦国時代の主殿や庭園遺構。これまでも岐阜城、月山富田城などを紹介してきましたが、
近世城郭に移行した城跡から戦国時代の遺構が出てくるのは本当に貴重。岐阜も月山富田もそれぞれ、加納、松江と城郭が移動したことで、その後の改変を避けられ地中に残存したのです。それだけに、継続して近世城郭となった小田原城の下から、戦国時代の遺構が良好な状態で発掘できたのは、実に貴重なものなのです。再び保護のため埋められましたが、その検出は貴重な資料となったといえます。それではまた

20 紋章官 :2015/06/06(土) 02:18:11
毎週どこかしらで地震、その上に火山噴火。古代や中世、天変地異の連続は政治が悪いからだ、とされましたが、今は自然災害ですむのでいいですね〜

さてお城に行ってきました!祝、松江城天守国宝指定!やっと松江城も国宝で、現存12天守のなかの五層天守3基がすべて国宝となりました!松江城天守も10年前くらいに行きました!今日は友人がサンライズ出雲でお嫁さん探しに出かけているところ!うらやましい奴め!
さて松江城は宍道湖畔の亀田山に築かれた大城郭。完全に完成したわけではありません。規模が大きすぎて、縄張の一部は未着手、郭も未完成部分があります。小高い小山の上に本丸と天守。そんな立地なのに、落雷にあわず江戸時代初期の五層天守が残ったのですから姫路城と共に幸運と言えます。
さて裾野の堀は船で見物できますし、その堀端の武家屋敷見物もよいものです。堀端の武家屋敷、なかなか風情があります。その上で五層天守。建築様式としてはこれも古風な様式となっています。建設時期は姫路城と同時期ですが、漆喰のない板壁方式。中も古風に広間部分があり、いざという時に天守に籠る事を前提にした建築となっています。太い梁や柱、印象的な正面の破風。他の天守にくらべてもどっしりした感じをうけるものです。
姫路城天守が白鷺城と白亜の鳥にたとえられますが、こちらは力士のようなもの。堂々たるものです。当分、こみそうですが、おりがあれば行ってみてください。それでは。

21 紋章官 :2015/07/03(金) 21:51:15
7月に入りました。豪雨、火山噴火、地震とみなさん、防災に気を配りましょう!そしてコミケ原稿もがんばりましょう!私は落ちましたので、城郭模型普及推進委員会さんのところで間借りします。新刊はドイツ騎士団史(仮称)!急いで進めてます。もちろん、御刀本も準備中!

さて、このあいだ「お城ツアーズ」をやっていたので、お城に行ってきました!松本城天守編!ここもずいぶん前に行きました。整備が始まっていた時期で、町並みなどはいろいろ観光地らしく整備された一角もありまして、御土産を見るにはちょうど良い感じ。
一方、お城は門の復元に向けての調査中、まあ、五層天守が目的なので、復元建築はよこにおいておき、見てきました。
ご存じのとおり、松本城は平城。そして郭の構成もけっこう単純。そのため、他の城址に比べて平坦さと広さを感じることができます。何しろ門を入れば、ほとんどさえぎるものが天守までない。さて、この天守、五層の大天守に小天守、月見櫓が連結された集合体。
他の天守が独立、もしくはわたり櫓で小天守や櫓と結ばれているのに比べ、密集度が高い事が知られます。また天正から慶長前期の建設ながら、高欄(ベランダ)がない形式として知られますが、これは積雪対策だったと言われ、後に続く真田期沼田城天守も同様だったと考えられています。
なお、この時期にいわゆる近畿以外の地域で五層天守が存在したのは、毛利輝元の安芸広島城、宇喜多家の備前岡山城、豊臣秀吉による相模石垣山城、徳川家康の慶長期江戸城天守、蒲生氏郷の陸奥合会津若松城(六層)、真田家の上野沼田城くらいで、この石川家による松本城五層天守は真田家と共に、他家に比べ石高が段違い小さい中、大変、背伸びをした存在とわかります。
とはいえ、現存五層天守の中で一番古い!天守のなかでも古株のため、構造に古風な点が多くありますが、一方で積雪対策という現実的対応で、破風の廃止など工夫を凝らしていることでも知られます。でも、再度行くことがあれば、今度は転用材の有無をみなおしたいところですが。それでは

22 紋章官 :2015/08/22(土) 01:33:26
早いものでコミケから1週間。本当、お疲れさまでした。友人の店番で初日、2日目はサークル参加。3日目は午後から一般参加。松風さんのところで幽翠街道さんとばったり。その晩は友人連との打ち上げで、月曜日からは仕事。強引にでかけて、振り込みをして冬の申込書を発送。でも月曜日は休みたかったなあ〜さすがに今日は疲れが限界で定時にあがって帰ってきて、先ほどまで寝ていました。明日もゆっくりしたいのですがそうもいかないのがつらい。みなさんはどうですか?

さてお城に行ってきました!コミケで紅丸組さんから山城の資料に長野県の城館の書籍を購入されたとのこと。この書籍シリーズは長野県全土を網羅する大変な労作。地元研究家が地道に現地調査を積み重ねたもので、それを書籍化するという出版社も太っ腹!
城郭の構造を示す縄張り図も豊富。但し、中世山城の図面なので、ひごろ目にする石垣をもつ近世城郭の縄張り図に比べ、慣れないと分かりにくいところがありますでしょう。
これは中世城郭、それも山城の構造上のせいもあります。中世山城は山の稜線や起伏をもとに、その傾斜部分を削って多くの削平地をつくり、柵、土塁、空堀や堀切を設けて防備を固める。そのため、単なる平坦地と削平地の見分け、堀も単純な堀と竪堀と縄張り図での表現を覚えないといけない。しかも、単純そうで多くの削平地を設けるので、案外と複雑な構造を持っていることもある。わかりにくいと言えば、わかりにくい。
また現地に行っても、初心者にわかりやすいとは言い難い。紹介しました八王子城や月山富田城に行っても、石垣などのある居館区域を除けば、山城地区を歩いても、正しく城跡と感じるのは難しいところです。そんなわけで、わかりやすい城跡を行くのが一番。それも交通の便のいいところ。片倉城跡公園もいいようなのですが、行ったことがないのでわからない。そこでうちの近所の茅ヶ崎城跡。なにしろ行くのが便利!センター南駅から歩いて10分弱、前にも紹介しましたが、今年出た神奈川中世城郭図鑑でも「駅近優良物件」(笑)と紹介されているほど便利な場所。ここは関東の丘陵城郭の代表例としても紹介されてもいる城跡。何しろ土塁や堀、郭がほぼ完全に残る。山城ほどの険しさはありませんが、一度、谷底まで降りて、底から登り始めれば平地と丘陵の関係が感じられますので、山城の疑似体験でもできます。ただ、縄張りは山城ほど複雑ではありません。
もちろん、山城といっても、単純に山の頂上を削り、いくつか削平地をもつだけの単純な構造もありますので、それらと比較すればさ程のことではない。但し、茅ヶ崎城跡はかなり整備された郭構成なので、その点を差し引かなければなりませんが、まずは戦国・中世城郭の雰囲気を感じるには良いのではないでしょうか?それでは

23 紋章官 :2016/03/18(金) 21:25:40
3月半ばです。明日から三連休、小旅行にもいいところ。ただし、私は歴史
部に向けて原稿に追い込まれ始めています。関東の水軍城ネタに悪戦
苦闘中!欧州中世家屋史(仮称)もすすめないといけないし、悩ましい
ところです。

さて久々にお城に行ってきました!はたと思いだしたんです。そういえば
埼玉の居館跡に行っていたなあ〜そこで三連休に近い場ということで
仕事ついでに見物したところをご紹介。
まずは菅谷城址!ここは畠山重忠の菅谷館跡といよりも、中世後期から
戦国期の城跡というのが正しいところ。現在、資料館を備え、大規模な
土塁や空堀が残り、中世の土の城を感じることができます。
この周辺は木曽義仲の古跡や青鳥城、武蔵松山城址など、いろいろと
見るところがあります。
そしてもう一つは河越氏館跡。川越市街から少し離れ川を渡った先、に
あります。ここも河越氏といよりも、中世後期の長尾氏による居館跡とい
う方が正しい。小学校と寺院に挟まれた一角が発掘後、公園として整備
されています。こちらは完全に平坦地の居館跡のため、
堀などは埋まり、低い土塁の跡が残るばかり。説明板を見ながら昔日の
様子をしのぶばかりです。
しかし面白いものです。両方とも鎌倉時代の武士にかこつけながら、
実際は室町時代後期から戦国期の遺構という状態。
立地条件として、同じような場所を選ぶ、ということなのでしょうか?
それでは


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