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歴史漫画再び

4紋章官:2013/09/27(金) 22:32:43
9月も終わりです。明日はミケランジェロ展にでかけて、そのあと鑑賞会
に回ります。最近、鉄鍔にひかれ始めまして、刀剣博物館では企画展
として鉄鍔の展示が行われます。そちらも行かないと!

さて歴史マンガ再び。なのですが、前回「風雲児たち」ネタでやりました
のでこちらに出てきた一人の人物をご紹介。再評価される人々編。
ご紹介しますのは保科正之。会津松平家開祖。徳川秀忠庶子で
徳川家光・忠長兄弟の異母兄弟。
ご存じ秀忠正室崇源院を憚り江戸市中にて誕生、その後、秀忠
の依頼で武田信玄の娘見性院姉妹に母子ともども保護をうけてのち、
彼女が見こんだ保科正光が養子に迎え、信州高遠城で成長。
家光・忠長の実の兄弟が対立で悲劇を迎える一方、正之は家光の
信頼をうけて、石高は水戸藩と同等(会津25万石及び預高10万石、
実質35万石、水戸藩はこの時点では23万石、その後33万石)
その上、幕政に参画。江戸幕府260年の歴史で将軍兄弟で幕政に
参画したのは彼一人。他は御三家御三卿といえど影響力はあっても
基本的に幕政中枢からは締め出されるのが通例。
例外は将軍就任を前提に将軍後見役になった紀州藩主吉宗の他は、
幕末に幕府海防役になった水戸藩主徳川斉昭、将軍後見役になる
一橋慶喜がいる程度。松平定信、松平春嶽は御三卿田安家から譜代
(越前松平家は親藩といえど半ば譜代の扱い)に養子に行っています。
もちろん保科家も譜代のうちに入りますので、その例といえますが、
保科家は正光の時代は1万7千石。それも5千石は正之の養育料
として将軍秀忠が内意で加増させた、といわれています。
それだけに正之のスタートは、他の例に比べて不利。しかし、家光は
この異母弟を優遇、父秀忠の霊廟建設を任せ、自分の代理に参拝
させるなど、将軍舎弟にふさわしい晴れ舞台を与え、さらに次々と
転封を兼ねた加増を行います。ちなみに本領25万石と預高10万石
にわけているのは、水戸家に配慮した結果といわれます。この預高は
他に譜代名門、彦根藩井伊家にあり、譜代最大の石高を持ちます。
(井伊家の預高は桜田門外の変に際に没収)
なお、途中で本来の保科家は正光の弟正貞にゆだねるとして別に
加増、上総飯野藩1万7千石(後2万石)で立藩しますので、会津
松平家は正之を開祖として始まるのです。
風雲児たちの中では「大老松平加賀守(保科正之のこと)」と演出上
記載されましたが、実際は大老、老中にもなっておらず、将軍の弟、
そして家綱のときは将軍叔父の役職なき立場で幕政に参画している
のです。この役職についてない、というのは一見、不利なようで実力
ある人物の場合、きわめて有利な立場。
なぜなら役職についていれば、組織上の上司は存在するわけで、
そのことで制限をうけることになります。しかし役職についていなけ
れば、組織上の役職に伴う権限の保障はありませんが、逆に組織の
しばりはなく、無制限の権力を振えます。
正之は後者の例で、家綱の成人までの間は実質の4代将軍はこの人
と言えます。何かと家光・家綱の時代では苦労人松平伊豆守の知恵
者ぶりが名高いですが、彼もまた手腕を振ったといえます。それでは。


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