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日蓮・法華経関係

24希望 ◆1Mf4u1QB3c:2010/01/28(木) 09:57:39
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   日蓮は国家主義者か

梅原 話はとぶかもしれませんが、日蓮において、国家いうもの、日本国というものはいったい何であったか。仏教というものは本来超国家的なものです。だから親鸞や道元でも、日本とか国家についてあまり考えていない。ところが、日蓮は日本というもの、国家というものに対して真剣に考え言及している。このことどう見るのかという問題が出てくると思うのですよ。
 日蓮が、明治以来インテリに非常にきらわれた理由には、さきほどのべた日蓮のあくどさと同時に、国家意識みたいなものがその理由である。それが非常にコスモポリタンと称する日本のインテリにきらわれた。しかし、同時に石原莞爾というような、国家主義の人たちに日蓮はもてはやされる。はたして日蓮は国家主義者なのか。晩年の高山樗牛は、日蓮は国家主義者ではないといっています。日蓮は蒙古を滅ぼすことではなく、むしろ日本が蒙古に滅ぼされることを祈ったのだ、蒙古こそ仏の軍で『法華経』を忘れている日本を滅ぼしに来たのだということを強調しているんですがね。日蓮と国家の問題をどういうふうに考えるか……。
紀野 日蓮は国家主義ではないと思いますね。仏法は国家を越えた立場を持っておりますし、日蓮だってやはり例外じゃないと思いますよ。ただ、日蓮の場合は、国主というものが正法を護持する国家がいちばんいいと考えていたわけで、そういう意味では、ときどき国家主義的なことばを発することはあったようですけれども、本来はそうじゃなくて、正法によって治められる国家というものを、彼は理想にしていたわけですから、朝廷というものを絶対視して、盛り立てていこうというような考え方、つまり明治のころに一部の日蓮宗の人たちがいったような考え方は、そんなになかったと思いますよ。
梅原 日蓮には皇室に対する崇拝はないですね。日蓮においては、日本というのは『法華経』の国だという特別な歴史的意味を持っていて、日本こそ『法華経』広宣の国だ、という確信があった。そういう意味では日蓮は国家主義なのです。しかし日蓮の思想には本質的に皇室というもの、あるいは幕府というような現実の政治権力とむすびつかない。だから日蓮自身どこかでいっておりますね。天照大神、八幡大菩薩はじめ、日本の神々は『法華経』の座にはべっている周辺の神々にすぎないんだ。この周辺の神々は、法華経行者のおれに対して尊敬の念を払うべきであり、おれを助けないのはけしからん、何しとるッと。神様を叱ったのがありますね。(笑)
紀野 徹底しておりますよ。神々だって、『法華経』の信心を持っている人を守護すべき仕事があるんで、その意味において存在価値があると思っているんじゃないですかね。(笑)
梅原 日本の国法も、日蓮を庇護する限り存在価値がある。(笑)
紀野 しかし、正法というものを打ち立てようと思ったら、それぐらいの信念がなくちゃやっていかれないでしょうね。念仏の信心というものを打ち立てるときだって、念仏一辺倒ですからね。
梅原 ですから、その意味において、日蓮は国家主義者ではなかった。一切の権威というものを認めないという点においては、彼は国家主義者ではなくて、むしろ非国家主義だったというふうに思うのです。
 けれども、同時に、例の正法・像法・末法という形で時代区分を行ない、歴史的哲学をこしらえるでしょう。正法時代はインドで釈迦が中心である。ところが像法の時代になって仏教は中国に来る。その中心は智邈だ。しかし末法の時代には仏教は日本において栄えるが、その中心は日蓮だというふうにしますね。そうすると、やっぱり日本という国が、日蓮の歴史的哲学からいうと、非常に大きな意味を持ってくる。そういう点があると思うんですよ。
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※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
P218〜220より抜粋


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