>>ブッダの真意がどちらの縁起にあるのかは興味深くこの後の議論に期待しています。
十二支縁起が僕や宮本啓一が言うようにブッダの思想の確信として口伝されたと仮定するならば、スッタニパータなどにみられる「これがあるとき、かれがある。」は「無明があるとき行がある」「無明がなければ行はない」との時間的因果関係を指す十二支縁起のことになると言えます。ブッダの思想は四聖諦にも時間は貫かれており、弟子達によるアビダルマも存続し続ける過去とその自己反省による未来の選択も時間です。また前述の石飛道子によれば「〜がある」「〜がない」という形式を用いる言語世界はブッダの認める「生じ滅する」ダルマだけが代入を許されることになるので生じ滅するダルマとはブッダ財世時の十二支縁起であり、部派の時代になればより細かく記号化されたアビダルマのダルマですからやはり十二支縁起と解釈するべきであると考えます。
Posted by くまりん at 2005年12月25日 16:35