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メモ帳

14わめ ◆TJ9qoWuqvA:2006/03/23(木) 15:45:17
EnjoyLifeブログの2005.12.20付記事の『自性・無自性について』のくまりんさんのコメント(2005.12.25)を転載。その一
http://wame.seesaa.net/article/10864702.html

わめさん、こんにちは。
>>この点においてテーラワーダもわめの言う唯一絶対思想、その強信者にはそのような態度が見受けられると思います。

 テーラワーダは議論の俎上に引き上げない限り不特定多数に向かってそのようなことはないと思います。とゆーかさんにしてもいきなり出てきたわけではなく「テーラワーダ仏教で言う障害」でわめさんの批判があったから応えに出て来られたのではないでしょうか。
  
 教団としてのテーラワーダは日本仏教の各派やキリスト教教団とも交流をしていますし、僧伽としての活動はそのスタート時点から社会に適応しており、創価学会のように真面目な信者から集めた財施を批判ではなく罵詈雑言で罵倒した教団への裁判費用ですとか、殺人事件に関与するような噂ですとか、出版妨害事件ですとか、盗聴事件で敗訴して有罪判決を受けるような世俗のルールを破るようなことはしていません。

 とゆーかさんとわめさんとのこちらでの議論はあくまで個人対個人の議論に納まるものではなかったですか。例えば他のテーラワーダの方も今回の議論は承知していたにもかかわらず、とゆーかさんを加勢に発言される方はおられず、あくまでもとゆーかさんとわめさんとの議論と言うことで見守られバトルになるようなことはなかったと思います。これが例えばわめさんのところではなく、わめさんが言われるような「創価バリバリ会員」のブログに僕なりとゆーかさんが出て行ったらおそらくバトルになってこちらが罵詈雑言で罵倒されたことでしょう。2chの創価系の版でも僕の大乗仏教成立に関するエントリに賛意を示してくださったかたがいらっしゃるんですが、他の方の反応をみるととてもじゃないけど発言する気にはなれません。

>>ブッダの真意がどちらの縁起にあるのかは興味深くこの後の議論に期待しています。
 十二支縁起が僕や宮本啓一が言うようにブッダの思想の確信として口伝されたと仮定するならば、スッタニパータなどにみられる「これがあるとき、かれがある。」は「無明があるとき行がある」「無明がなければ行はない」との時間的因果関係を指す十二支縁起のことになると言えます。ブッダの思想は四聖諦にも時間は貫かれており、弟子達によるアビダルマも存続し続ける過去とその自己反省による未来の選択も時間です。また前述の石飛道子によれば「〜がある」「〜がない」という形式を用いる言語世界はブッダの認める「生じ滅する」ダルマだけが代入を許されることになるので生じ滅するダルマとはブッダ財世時の十二支縁起であり、部派の時代になればより細かく記号化されたアビダルマのダルマですからやはり十二支縁起と解釈するべきであると考えます。
Posted by くまりん at 2005年12月25日 16:35


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