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日蓮考察

131Leo:2006/02/02(木) 23:55:58
みなさん、こんばんは。

「筏のたとえ」ですが、佐倉哲さんのHPにも資料がありますね(わめさんも引用してたページと
違うページにも引用されています)。「筏のたとえ」とは「ドグマへの信仰」を捨てよといっている
のであって、「正しい理解」や「真実・真理を知ること」まで捨てよとはいってないのではないでしょうか。
陸に上がって筏をかついでいるのは確かにおかしいですが、なんでも捨てろだったらたとえば砂漠を行くのに
ラクダや水や食料や地図を捨てるんでしょうか?!
2番目の資料ではブッダの主張も暫定真理だというニュアンスはあるかもしれないですね。

「(3)信仰ではなく、「正しい理解」による
(中略)
ブッダは見解(ドグマ)への執着を捨てることを説いたのですから、ドグマへの信仰はブッダの思想に似合いません。
 人間苦の原因やそれからの解放に関する真実・真理を知ること、それこそがブッダの思想に似合うものと思われます。

比丘たちよ、教え(法)とは筏のようなものであると知るとき、なんじらはたとえ善き教え(法)でも捨て去るべきである。
  悪しきものならばなおさらのことである。
(マッジマ・ニカーヤ 22)」
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism31.html

「もうひとつ、仏教には、有名なブッダの「筏の教え」というのがあります。ブッダ自身が、自分の教えを「筏」にたとえて、
川を渡るのに大切な筏も、川を渡ってしまえば必要ないものとなるのだから、捨てるべきである、
と教えたという仏典の記録です。

比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることをなんじらに示そう。
 (中略)
(マッジマ・ニカーヤ 22)

 ブッダは自らの教え -- その中には「一切は壊れる」という無常の思想も含まれますが -- を「永遠不変の真理」
 として主張はしなかった、と思われます。」
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud078.html


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