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日蓮考察

101Libra:2006/01/31(火) 03:57:09
3.『法華経』と縁起説の関係について

 縁起を説く詩(「法身偈」とか「縁起法頌」とよばれています)で終わって
いる『法華経』があります。縁起法頌とは以下のようなものです。

  ─────────────────────────────────
  いかなる存在も因縁から生ずる。如来はそれらの因縁を説かれた。そして、
  それらの滅についても、大沙門はこのように説かれた。

  (中村瑞隆『現代語訳 法華経 下』、春秋社、1998年、p. 221)
  ─────────────────────────────────

 舎利弗がこの縁起法頌を縁として仏道に入ったいう話はとても有名です。

 イントロダクションともいえる序品をのぞけば、《『法華経』で説かれるす
ごい教え(妙法)とはいったい何なのだろう》ということが最初に問題にされ
るのは、いうまでもなく方便品です。その方便品の主人公として《縁起法頌を
聞いて目覚めたことで有名な舎利弗》を作者が採用し、最後に縁起法頌をズバ
リもってきているのは、《妙法とは縁起である》という主張のあらわれである
ようにわたしにはおもえます。

 法華経の中心思想は「縁起」であり、「空」であるとおもいますが、法華経
はそれを「もっぱら実践的関心に即して表現しようとした」[*2]ものであると
わたしは理解しています。

 「空の思想」の実践とは菩薩行であり[*3]、法華経は全編にわたって菩薩行
を説いています。

 法華経は「空の思想」について哲学的な議論を展開するものではないとはい
え、空について直接説いている箇所もあるという点につきましては、Leo さん
のご指摘のとおりです。


  [*2] 藤田宏達「一乗と三乗」、横超慧日編著『法華思想』、平楽寺書店、
     1969年、p. 400。

  [*3] 仏教の真理に目覚めるということを抜きにした慈悲行などはあり得ない(小川一乗)
     http://page.freett.com/Libra0000/069.htm


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