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議論しませんか?(議題検討スレ)

60Libra:2006/02/05(日) 07:16:54
 わめさんは、「信仰を捨て去れ」という表現が埋め込まれている文脈を少し
でもお調べになりましたか。この句は、「釈尊がさとりを聞いたあとで梵天が
説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向って説いた詩のうちに」、あるい
は、「成道後の経過を述べるところに出てくる」のです[*3]。その文脈をとら
えて、中村先生ですら、「恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグ
マ)に対する信仰を捨てよ、という意味なのであろう」[*4]といわれているの
です。

 少なくとも、「信仰を捨て去れ」という句は、その文脈から考えて、「命題
に対してわれわれがとるべき態度」についての一般論を述べたものなどではな
いでしょう。「命題に対してわれわれがとるべき態度」についての一般論を述
べたものとしてあげるとすれば別の箇所にされるべきでしょう(かつてバート
リーがそうしたように[*5])。

 わめさんが今回お認めになられたように、シャカは「信」という言葉を肯定
的にも使っています。たとえば、『スッタニパータ』第184詩に、「ひとは
信仰によって激流を渡り、〔中略〕智慧によって全く清らかとなる。」とあり
ます。もちろん、仏教徒は、「命題に対してわれわれがとるべき態度」につい
てシャカが述べたことをもきちんと理解しています。

 以上のような理解にもとづいて、「仏教徒がシャカの教えを信仰する」こと
は「わけわかめ」なことなどではないということを、わたしはすでに述べまし
た。今回述べたことは、そのほとんどがすでに述べたことの繰り返しにすぎま
せんから、わめさんは、これまでと同じく、同意はされないでしょう。わたし
も、もうこれ以上は書けません。

 あと、ここまでの議論を追跡された読者の方々(そのような方はおられない
のかもしれませんが)に対して最後に言っておきたいのは、わめさんのご主張
のほうを正しいとおもわれるのであれば、素直に、わめさんのご主張のほうを
支持して頂きたいということです。

 先に、わたしは、「夏になったらまたここに戻ってくる予定」というような
ことを書きましたが、これはいちおう撤回しておきます(精神的負担があまり
にも大きいので)。


  [*1] 輪廻転生について
     http://page.freett.com/leo020503/bloglog3_003.html

  [*2] 宗教はやっぱり好きになれない
     http://wame.seesaa.net/article/10650360.html

  [*3] 『スッタニパータ』第1146詩に付された註(『ブッダのことば
      スッタニパータ』〔岩波文庫〕、岩波書店、1984年、pp.430-431)
     を参照。

  [*4] 同上。

  [*5] ブッダと「汎批判的合理主義」(小河原誠)
     http://page.freett.com/Libra0000/048.htm


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