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議論しませんか?(議題検討スレ)

59Libra:2006/02/05(日) 07:15:19
>>57>>58

 わめさんは、今回、「理解はできませんが師匠が言うのですからそのように
受け止めるよう心掛けます」と返答されたわけですが、少なくともわたしはそ
のようなことは要求していません。わめさんもそのようなことはしたくないで
しょう。わたしが「苦痛」といった意味をどうか勘違いなさらないで下さい。

 わたしの苦痛は、わめさんが同意されないことに起因するものではけっして
ありません。というのも、わたしは、最初から、わめさんに同意などは求めて
いないからです。このことも、以前、申し上げました[*1]。

 わたしが苦痛に感じるのは、同じことを何度も書かなければいけないことで
す。

 「「信は慧の因」の信が「仏教的信仰」と言えるかどうかは不明」とのこと
ですが、不明なのでしたら、どうか頭をお使いになって、はっきりとお分かり
になるまでお考えください。「信は慧の因」の「信」は、初期仏教でいえば、
「信解脱」のことです。「信は慧の因」の「慧」は、初期仏教でいえば、「慧
解脱」のことです。

 今回、わたしの「シャカが「信」という言葉を否定的にのみ使ったなどとい
うことはありませんし、伝統的にも、仏教徒は「信」という言葉を使ってきて
おります」との発言に対して、わめさんは「私もそのように思っております」
と返答されました。これを見たとき、正直、わたしは自分の目を疑いました。
もし本当にわめさんが最初からそのように思っておられたのだとすると、わた
しは何も言う必要はなかったようにおもいます。

 しかし、わめさんは、「ブッダは”信仰を棄てよ”とおっしゃっております
が、その仏教においてもブッダ及びその教えを”信仰していく”のは如何な訳
かもわけわかめ」[*2]といわれています。この発言が、上のことを理解された
上でのものだったとすれば、わたしからみれば、わめさんのご発言は「わけわ
かめ」です。

 以下は、わめさんの上記ご発言の前段部分に対するわたしの批判のひとつで
した。

  ─────────────────────────────────
   そもそも、この「信仰を捨て去れ」という表現は、この文句が埋め込ま
  れている文脈から素直に解釈すれば、《シャカがそれまでにはなかった斬
  新な見解に到達した》ということを、従来の見解との対比において描写し

  たものであると捉えるのが自然だろうとおもいます。この文句が埋め込ま
  れている文脈から、《信仰の対象を限定せずに、何かを信仰すること一般
  をすべて否定している》という解釈を導き出すのはひどく困難だとおもい
  ます。

   そういう意味では、この文句は、ブッダゴーサがいうように、「当時の
  諸宗教に対する信仰を捨てよ」[*3]という意味に解釈するのが妥当だとお
  もいます。中村先生もこのオーソドックスな解釈を紹介され、かつ、肯定
  されています。

  (http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/92
  ─────────────────────────────────


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