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わめの独り言

6 わめ ◆TJ9qoWuqvA :2005/07/19(火) 03:34:05
人である以上、誰もがそうであるように、私もまた自分自身を意識できる。
私はこの意識を自らの生命と感じる。
この肉体が滅んだ時、肉体と共にこの意識は消え去るのであろう。
つまりは無意識であり、生命の死である。
だが本当に我が意識は滅び去り、無に帰するのであろうか?
我が意識が肉体と共(少し遅れてだが)に生まれ、この世を知る。
生まれる前も、また死後も、この世の存在は知覚出来ないから推測でしかないが、この世は、私が生まれる前から存在し、私の死後も存在するであろう。
我が肉体は、突然何も無いところから生まれたのか?
そうではないことは言うまでもない。
我が肉体が死する時、突然無に帰するのだろうか?
そうではないことも言うまでもない。
生物としての生体活動を終え、我が肉体は焼かれ煙となり、灰となり土に返り、この世に何かしらの形で残っていく。
我が意識、我が遺物もまた、他者の意識に何かしらの影響を与え、この世に何かしらの形で残っていく。

私の心情は、理性に従う。理性は、真実なるものを指し示す。
心情は、個性の現れであり、個々の心情は広がり続けていくものであろう。
云わば水面に投げ入れた石ころと、そこから広がる波紋のように、理性は波紋の源を探り、心情は波紋が広がるように。

この世とは、云わば人間ブッダの説いた「縁起の法」のようなものである。
仏教において、無我・空・無常と表わされることはあるが、これは皆縁起の思想を指し示す言葉と認識している。
縁起の法とは、すべてのものは依存関係(以下関係性と略す)にあると説く。
個としての存在のように見えるものすべて、この関係性の中でのみ存在していると言えよう。
この関係性の中で私は生まれ死んでいくのである。
否、生まれたのも死んでいくのも私の意識だけなのである。
私を司る有機的なものすべては、関係性の中で生体としての形を整え、関係性の中で私という意識を芽生えさせ、関係性の中でやがて衰え生体活動を終え、私という意識は消え去るのである。
この関係性こそが、私の意識の生みの親であり、私の意識の帰る場所なのである。
それ以上でもなく、それ以下でもない。それだけなのである。

このばかばかしいほど当たり前なことに、今頃ではあるが気付けたことは、私の生きた証になるのかもしれない。
そして私の心情も、すべては関係性との答えに、至上の喜びを感じ満足し、飛び跳ねているようだ。


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