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○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について

204わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/12/09(金) 17:29:08
 記事にしてブログでアップしようかとも思ったのですが、主観モロ出し偏った思考ぽいコメントではやっぱ修正すべき点が多いと言うかだらけ(笑)のようで、ここで書いてLeoさんのご意見や、あわよくばくまりんさんやLibra師匠などから批判的御意見を頂戴できてお話にもならないとぽいするか、手を加えればそれなりに使えそうかなどの悪巧みでここに書いてみます。^^

 あっと、>>202 の「危ない世界に陥ってしまいそうな危険な香り」にも関係するコメントです。

 模範とすべき心を観察しそれがどのようなものかを表したのが教えであり、その教えからの何かしらの妥当な実践(修行)で模範とすべき心を得ようとの試みではないかと思うのですが、これは物質的に随分乱暴なたとえになりますが、理想的(かどうかも分かりませんが)な実際の建物を詳細・緻密に観察し建物の図面から建物を完成させることが”教え”であり、その建物の図面から建物を現代(自己の心)に復元しようとの試みが教えの実践(修行)で、それは何と言えばいいのか”素材が個々に違い”クローンを作るようにはいかないわけで、それを無理してコピー的に人工的な建造物、模造建物を建てたとしても何か異質と言うか歪(いびつ)さがあるように思います。本来の理想的な建物はそのような建物の図面から出来上がったものではなく、この世界のありのままをありのままにつぶさに観察して出来上がったものなのだ思うのです。ですのでこの世界のありのままをありのままにつぶさに観察して出来上がるものがそれぞれ個人差(建物の形状の差異)があっても、そのそれぞれが理想的な建物と言えるし、元々この世界がそのような”仕組み”になっているわけですからそれが自然じゃないかと思うのです。
 いちいち理想的な建物の図面と自己とを睨めっこして精巧・緻密にそっくりに組み上げていっても、素材が違うためここが違うとかここが足らないここが過剰だとかが出てきて修正を加えていかなければならず、それでもまだそれが素材の違いが原因だと分かることならいいのですが、あるどこか図面どおりじゃない建て方をしてしまった可能性もあって、素材の違いなのか組み立て方のミスなのか分からず、そこに理想的な建物と同じ形にしようとの恣意的な”無理”が働くのではないかと思います。ですのでそのようにして出来上がった建物は理想的な建物とは一見同じようには見えても、その中身は理想的な建物とは異なものとなってしまうのではないでしょうか。言わばTVでお馴染みの芸能人のそっくりさんみたいなものでしょうか。本物じゃないのです。
 ちなみにここで言う素材とは、人間個々の遺伝子の違いや資質や経験や育った環境などの個体差を指して書いてみました。


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