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信じるということ

9みれい:2005/09/11(日) 02:22:24
フルナさん

いえいえ^^こちらこそいままでいつも読ませていただいておりました。

日本であのような宗教コラボな公演が見れてよかったです。
何宗とか何教とか、○○教っていうのはあくまでブランド名みたいなもので、
後世に伝えたい事の根本というか、みな目指すところはそんなに離れていないのだなァと思いました。
なぜならキリスト教の教えなんてほとんど知らなくてもあのシスター
http://www.yamatocalvarychapel.com/topic/watanabe.html
の話は感動したし、逆に日本の尼僧さんの説法にシスターが聴講に来たりしてました。

そんなご縁でキリスト教会のステンドグラスも眺めてきました。
特に西日がステンドグラスに当たる教会が、如来か天使が降りて来そうなほど綺麗でデートにもお勧めです^^

「信じ方」も禅宗では「疑心、疑心、大疑心!」とか、
「不信」「不審(これは禅の文献では「こんにちは」という意味だそうですが)」など、
なんとも徹底的に覚めて見ることを教えるようです。
どこまでも捨ててナンボだったり、マイナスの哲学というのか、自分を自分で突き放す大人の宗教という感じです。

日本のお寺は時代とともにだんだん悪くなっていったのかな、と思っていたら、悪いのは今始まったことでなくて、昔からなまぐさボウズはたくさんいたそうで(痔という字も坊さん達が、女人禁制ならと男色に皆走っていた結果出来た文字だそうでw大事な文献とともにおバカエピソード話もしっかり残っているようですw)。

逆に今でも本物のお坊さんは確実に存在しているようです。
葬式ビジネスだけで説法もろくにない寺の方が圧倒的に多く、当然そんなことで昔ほどの需要はないので淘汰も始まっているようですが。


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