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こんな私の16年/苦しみと涙と血

1小さい女の子。:2013/02/26(火) 18:59:17

これは、まだ16年という年齢の私の今までを書いたスレです。

「同じ経験をしたことがある」「辛いのは私だけではない」という方や、
こんな私でも「支えてあげたい」「励ましたい」
そう思ってくださる方に出会うことを目的としています。

誰ともなく疑問を投げかけたりするかもしれません。
そういった書き込みにも返事をくれると嬉しいです。

イジメ、近親相姦、自傷などのことも赤裸々に書き綴るので、気分を害される可能性があります。
そういったものが苦手な方はなるべく閲覧なさらないよう、気をつけてください。

打ち間違いや変換のミスのなどの指摘もどんどんくださって構いません。

ここでの喧嘩はご遠慮ください。
誹謗、中傷もお断りです。
できればここが、共感しあう為の気楽な場所であって欲しいです。

2小さい女の子。:2013/02/26(火) 19:07:27

まずは出生、
今は廃病院となった小さな産婦人科で生まれた、小柄な女の子。それが私です。
(文中では「私」といいますが、たまに「ウチ」と言ってしまうことがあるので悪しからず…)

関西人の両親、優しい5つほど離れた姉、困った2つ離れた兄、そして身長の低い私。
こんな家族ですが、おそらくイメージがコロコロ変わると思います。
酷いことをしてきた人が、次の日に優しい。なんてことはざらだったので。

幼稚園児だった私は、とても小柄だったのでよく囲まれたり小さいスペースに入れられたり。
結構からかわれるタイプの子でした。
その時から、泣いている子や一人ぼっちの子を放っておけないような子で、よくからかうのが好きな男の子と対立して喧嘩をしていました。
この性格が、後に私を苦しめ続けるとは知りもしなかったんです。

3小さい女の子。:2013/02/26(火) 19:21:13

私への「イジメ」が始まったのは、小学校1年生の時。
おせっかいというか、面倒を見ることが好きなタイプだったので、男の子はたぶん嫌いなタイプだったんだと思います。

小学校1年生の運動会の時、最後の体操で目の前にいる女の子が我慢できずにオシッコをしてしまった時は、私の親が私を撮り続けてくれているのも知っていたのですが放っておけず、
涙目になったその子に「どうしよう、オシッコ…」と口パクされたので、近くに駆け寄って「一番近くにいる先生のとこ、いこう!」と励まし続けたりもしました。
因みに「あの時どうしたの?」と誰かに聞かれても、絶対に誰にも言いませんでした。

三学期に、まだ自転車に乗れなかった姉の友人(私が小1の時、姉とその友人は小6)の自転車の荷台に乗って姉の友人の運転に身を任せていて、左足を車輪に巻き込まれてしまって骨にヒビが入ったことがありました。
私が嫌われ始めていることに気づいたのはその頃。
松葉杖をついている私に、助けの手を出してくれる子がいなかったのです。
放課になるごとに松葉杖を隠され、先生に注意されるまで返してくれなかったりもしました。

女の子からは普通に仲良くしてもらっていたのですが、男の子からはどうも好かれていなかったようでした。
隠していたのも男の子ばかりでしたし。
小学校2年生の時も若干の嫌われてる感を背負いながら、3年生に進学しました。
中学年。私にとっての本当の地獄が、そこには待っていました。

4小さい女の子。:2013/02/26(火) 19:31:33

中学年。
それは低学年という自分たちを見習う存在ができたばかりで、誰もが少し大人になれたような気分になる。そんな感じの年でした。
その頃から、多くの子が「皆から強いと思われたい(恐れられたい)、かっこいいと思われたい」という衝動があったのではないかと思います。
だから人を「イジメる」という行為で、悪友を作る。
そうするとイジメは大きくなる。
そんな集団の格好のターゲットが、私でした。

私物を隠され、紙くずが飛んでくる。
長い髪の毛(後ろ髪は生まれてから小学校卒業まで一度も切ったことがありませんでした)を「きもい」「さだこみたい」
と言われるように。

それでも、常にクラスに3人ぐらいは友達がいたんです。
一人だった子に手を差し伸べていたら、友達になった。というような子達が、常に寄り添ってくれていた。

最大の問題は、4年生。
初めてクラスに転校生(以後Kちゃん)という子が来てからでした。
気の強い、人を集めるカリスマ性のある子でした。

5小さい女の子。:2013/02/26(火) 19:48:03

Kちゃんに最初に声を掛けたのは私でした。
新しいクラスで友達と離れ、ちょうど1人だった私とKちゃん、同士として仲良くなりたかったんです。
「わたしM、よろしくね。何か分からないことがあったらなんでも相談してね!!」
そう言ったのを覚えています。

…あれ?
…なんで、こんなことになってるんだろう…?

そう思ったのは、Kちゃんが転校してきてから数ヶ月経った頃
何があったのか、何も人に恨まれるようなことはしていない…というか、
下級生や障害者の子などにとても優しい姉を尊敬していて、できる限りで人に親切にしてきた私が、
Kちゃんを中心とした女の子のグループに、イジメられていた時。

その中には、今まで私が手を差し伸べてきた子がほとんど含まれていました。
嫌がらせの手紙をたくさん投げつけられたり
階段で髪を輪ゴムを使って引っ張り沢山抜いて、目の前でイジメっ子間で擦り付け合って「うわ最悪ー汚ーい」的な事をされたり
スカートをどうやってか知らない間にまくり上げ、先生に「パンツ見えてるよ」と言われたことを広めたり。

正直その頃は、姉が高校生になったばかりで疲れ気味で、家族全体が喧嘩が多くなっていたりしたので、誰にも言えませんでした。
仲良かった子までもが私をイジメ、人間が怖くなり始めていました。

でもまだ、いざとなったら家族が味方をしてくれると信じていました。

6小さい女の子。:2013/02/26(火) 20:05:09

5年生。
イジメは終わらず、学年からはハブられ、友達を作るとその子にまで被害が行くので校内ではなるべく人と関わらなかったです。
学校は嫌いでした。
でも、クラスの女の子(近所でお互いの家で仲がいい子)がよく泣く子で、男子のおふざけ中にぶつかったりして泣いちゃうので、庇ってあげなきゃ。と思い、
その一心で、イジメに耐えていました。

その友達と些細なことから喧嘩をしてしまい、いよいよ家族に相談しようか。
そう悩み始めた時、その家族をも信じられなくなる出来事が、私を襲いました。

7小さい女の子。:2013/02/26(火) 20:37:16

更なる地獄への門を開けたのは、兄でした。
私の家では兄弟3人でひとつの部屋を使っていて、寝室はその隣。
寝る時は、家族5人が同じ部屋で寝ていました。

姉が「一番端でしか寝れない」というから、姉とすごく仲のよい私は当たり前のように姉の隣でした。
よって、姉/私/兄/母/父という順番で寝ていたんです。

ある日の夜、
兄とは小学校にあがった時から喧嘩仲で、その夜も喧嘩をしたまま、私が先に寝たんです。

隣で寝る姉の寝息とリビングで両親が見ているテレビの音を聞きながら、胸に違和感を感じた私は薄目を開けました。
なんとその違和感の正体は、兄が私の胸をまさぐっている手でした。
あまりの驚きで声も出ず体も動かず、ただたんに妹の成長を確かめているのか…?
なんて思っていました。

しかし、その手が去ったかと思えば今度は私の口をこじ開け、
あろうことか自分の、男性器(不快な思いをさせているかもしれません。)をねじ込んできたのです。
さすがに気持ちが悪くなり「ぅうーっ!」と呻くとようやく慌ててトイレに逃げて行きました。

その日から私は兄を嫌悪するようになり、家族というもの自体嫌いになりました。
もともと被害妄想が酷くすぐヒステリックになる母や、無責任な父、私の非を見つけてはネチネチと言ってくる姉が苦手で、
余計イジメのことが言えなくなりました。
もちろん、兄が復讐してくるタイプだったので、兄のことも。

それが、大きな誤算だったんですね。

8小さい女の子。:2013/02/26(火) 21:09:29

小6では、友達が私の顔に×と付けられている写真の私の前で笑い事にするなど、嫌なことしか起こらない一年でした。
この時初めて2日休んで、先生の謝罪を受けました。
でも、その時先生をよく見るとなんと 嘘泣き してたんです。
先生も同級生も家族も信じられない。
完全なる八方塞でした。

兄からの性的な行為はその後も続き、
下着越しにお尻に性器を擦り付けられたりキスされそうになったり。
いつも目が覚めたら触られていた。という状況だったので未然に防ぐことはできず、
ファーストキスは本当に愛した人が求めてきたら。と決めていたので、キスだけは守っていました。


イジメってなんでするんだろう…?
私は私をイジメてきた人たちに聞きたい。
「なんで私をイジメたんですか?」
もちろん答えは返ってこない。
今となっては聞くことすらできないのだから。

9小さい女の子。:2013/02/26(火) 21:20:22

中学に上がっても、私は人目に付かないよう、地味なイジメを続けられ、兄の行為はエスカレート。
正直限界でした。

唯一の楽しみは部活。
小さい頃からの憧れであった、新体操部に入部。
1、2年はなんなく過ごしたけれど、3年になった時に私の知らないところで喧嘩が起きたらしい。
後で聞いた話によれば、「あいつに関わるな」みたいな子供じみたことをするチームメイトがいたんですって。
ハブられた子は私とよく話をする仲の子で、でもその時すでに不登校気味だった私はその子が部活での立場を奪われたことに、最初は気づきませんでした。

私がその子と話をしていた時に、友達が「やめなよ。R(主犯らしい子)に目、付けられるよ。」と言われて、初めて気づきました。
私は怒りました。
これでもかというほど強く友達の手を振り払い、ハブられた子の元から離れないようにしました。

(1人ぼっちは辛い。)
(こんな張り裂けるような辛い思いをするのは、私だけでいい。)

もし彼女が、私が側にいることで笑顔になれるのならどんな苦しみだって受け入れたい。
その思いしかありませんでした。

10小さい女の子。:2013/02/26(火) 21:39:17

話は中1の時に戻りますが、その時私に親友ができました。
Tという子です。
中1の時に、私のクラスに大阪から転校してきた女の子です。
明るくて笑顔のとても素敵な子で、引っ越してきた家は私の家とすごく近いところでした。

Kちゃんのイジメ先導以来、転校生を敵にすると怖い。
その思いしか頭になかった私は、夏休みの補修学習の日(全員参加の課題点検などを行う日)に転校してきたTに、誰よりも早く駆け寄って話しかけました。
中学に入って友達のいない私に最初に声をかけてくれた友達と3人ですぐ仲良くなり、一緒に登下校して、放課はべったり。
私をイジメ続けてきた人達と接触させることだけは、避けたかったのです。

今思えば、利用したみたいで本当に酷いことをしたと思っています。
純粋に仲良くなりたいという思いから始めたかった。
でも、そうでもしなければ生きていけないと思っていたほど、私は弱っていました。

それでも彼女は、分かってるよ。といわんばかりに私に寄り添っていてくれました。
彼女の…Tの存在は私に人に頼ることや友人のありがたみ、温かさ教えてくれました。

「私…イジメられてきたんだ、今もそう。Tのことは大好きだよ。でも、私のせいでTまで嫌われて欲しくない。」
そう言った私に、彼女は怒りもせずに
「大丈夫。」
とだけ、言ってくれました。最高の笑顔も。

彼女がいなかったら、私は生きていないと思う。
だから、彼女の存在は私にとって、宝物なのです。

11小さい女の子。:2013/02/26(火) 22:00:45

私という人間について書こうと思います。
私は変わっているな。と自分でも思います。

先生がよく言う言葉「人の立場になって考えなさい。」
普通の人なら胸には残しつつも実行まではいかないと思います。
だからこそ、イジメっ子はイジメをやめない。

でも私は、いかなる時もこれを実行していました。
リスクを覚悟で沢山の子に手を差し伸べた時も、部活で1人にされた子と、皆に見せ付けるように仲良くした時も。

いつだって私は助けて欲しかった。
1人が怖かった。
だから、「大丈夫?」って言って手を差し伸べてくれる人の存在を夢見ていた。
      結局1人もいなかったけど。

いいことをしたら、巡りめぐって自分に降りかかってくる。
母親のこの格言を元に、いろんな人を助けた。

どんな人にだっていいところは一つはある。だから、そこを見つけて皆のことを好きになればいい。
姉のこの言葉が胸に響いた。
以来、イジメっ子のことも、心の中では好きになった。皆、いいところを探せばいい人だった。怖い存在には変わりないけど。

でも…でも、私は嫌われ続けた。
誰も助けてはくれなかった。
それでも、
それでも…

あ、ごめんなさい、今泣いています。
なんだか止まらないんです。
胸が苦しい…

「助けてよ!」
「私、あなたのこと助けたのに、なんで…?」
「生きるのが辛いよ、苦しいよ。」
「なんで私は救われないの?」
「ねえってば!助けてよ!なんで聞こえないの?お願い、助けてよ!」

あの時言いたかった沢山の言葉が、今更になって溢れてくる。
どうしよう、涙で画面が上手く見えません…

自分が人に幸せを届けることで、皆から幸せをもらえると信じていた。
でもそれ以上に、こんな辛い思いを、自分1人で背負えたら、皆もっと幸せなのになって思った。

皆のことが好きな私。
だから、もう誰にも孤独を味わって欲しくなくて、こんなことばかり考えて・・・
でも、私1人が皆を助けれる訳がなくって、
「じゃあ、私は何のためにこんなに苦しんでるの…?」

その思いからは、いまだに開放されていません。

12小さい女の子。:2013/02/26(火) 22:12:46

中学3年生。
中学生活、最後の体育大会。

最後は、いいクラスだった。
いい先生だった。
だから、最後の体育大会前、先生に今までのイジメのことと兄のこと、全部話した。

途中から耐えられなくなって、ぼろぼろ泣きながら、半ば叫ぶように。助けて欲しいと訴えた。


ようやく私は泥沼から引っ張り上げられた。
涙と、踏みにじられた時に付いたどろどろとした土が混ざった、負の沼から。


それでも家族では素直になれなかった。
母の言葉を聴きそびれ、返事ができなかった時があった。
すると急に母は泣き叫びながら兄に報告。
兄はここぞとばかりに私に蹴りかかる。
こんなことのサイクル。
喧嘩が起こるたびに見てみぬふりをする父のせいもあり、家族で唯一心が置けるのは、姉だけ。
仕方ない。

13小さい女の子。:2013/02/27(水) 11:02:00

私が自傷行為を始めたのは中2のこと。
リストカットという行為は知っていたものの、人目につくのは嫌だった。
先生とかに見つかったら、広まるかもしれない。
私は別に「あの子リスカしてんだって。」とか言われたくない。
目立ちたくない。
目だったら、イジメはエスカレートする。って思って。

胸の痛みを体の痛みでごまかす。
リシカって「死にたいやつの行為」って言われてるけど、本当はこうだとおもう。
誰かに付けられた心の傷を、認めたくないから。
自分で傷を付けて初めて「痛い」って実感してもいい。そう思える。

でも目立ちたくはない私は、シャープペンシルでお腹を何度も引っかいていた。
手首もガリッ…あ、ダメだ。
手足の皮膚の薄い私は、すぐに血が出る。
裁縫が好きな私。
途中で指を針で刺しちゃったら、ニコリ。
そんな毎日だった。

あの子の手首は美しかった。

14名無しさん:2021/07/14(水) 07:58:27
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他罰的で他力本願で問題解決力が低く対外評価を気にする不寛容者ほど、情緒安定と自己防衛の為にマナー礼儀作法ルール法律を必要とする

感情自己責任論(解釈の自由と責任)〜学校では教えない合理主義哲学〜
://kanjo.g1.xrea.com/


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