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日本政治史Ⅱ

1sage:2011/05/22(日) 04:32:32 ID:cVrR2t2A0
2010年度 宮崎

1.以下の用語ないし事項につき、3〜4行で簡単に説明しなさい。
①超然主義
②憲政常道論
③政友会総裁伊藤博文の両義性 吏党の頭目か民党のリーダーか?
④桂園体制 *権力基盤にも言及すること
⑤ワシントン条約と政党政治安定との関係
⑥政党内閣期の非選出部分諸機関に新たに現れた反政党勢力と
旧来の非選出勢力との相違点
⑦国体明徴運動

2過去問あれば単位なんて楽勝:2011/05/22(日) 04:54:50 ID:cVrR2t2A0
2.以下のテーマのうち1つを選び、背景を含め詳細に論じなさい。

A.1890年第1回衆院選が行われ、帝国議会が開かれる前に、後藤象二郎を中心として
大同団結運動が展開された。この運動は、「急進ー穏健」軸のどこに位置し、何を目指す
ものであったのか。他の運動や明治政府の穏健派・保守派などの動きと関連させ、議会
開設前夜の政治状況を説明しなさい。

B.1898年6月の憲政党の成立から、同第3次伊藤博文内閣総辞職=大隈重信(隈板)内閣成立
などを経て、11月憲政党分裂と隈板内閣崩壊に至る政治過程を、藩閥官僚・民党対立と
民党間対立(自由党系対進歩党系)という権力過程と、軍拡問題・財源問題という政策過程
の両面から説明しなさい。

C.1912年の第1次護憲運動と1924年の第2次護憲運動につき、運動の態様とそこから生じた
政治的成果(民主化という尺度で考える)を比較して、なぜそのような違いが生じたのかを
論じなさい。

D.斉藤実内閣、特に高橋是清蔵相の努力と国際情勢の変化により、政党政治崩壊の原因は
ほぼ取り除かれた。1935年前後には、政党政治復活の声も上がっていたのである。
それにもかかわらず政党内閣が復活することはなかった。その理由を、政党側の問題、
政党政治に批判的な(反対する)側の問題、の両面から説明しなさい。

3過去問あれば単位なんて楽勝:2011/05/24(火) 22:29:33 ID:tfkkrC4Y0
2009年度 宮崎

Ⅰ.以下の事項について簡潔に2〜3行で説明しなさい。
①「開かれた競争的な政党制は原理的に意思伝達、方向付けの機能を
共に担いうる」ということの意味。
②増分主義の政治
③「護送船団方式」の産業政策
④日本社会党の「農村政党化」
⑤田中角栄の「闇将軍支配」

Ⅱ.70年代以降の自民党政治では、しばしば「政官業の癒着」ということが言われました。
政とは政治一般ではなく、自民党のいわゆる族議員のこと、官とは大きな許認可権等を持つ
行政官僚のこと、業とは産業界(第1次産業を含む)、産業団体あるいは個別企業を指し
ます。それらはどのような形で「鉄の三角形」といわれるほどの構造を形作ったのでしょうか。


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