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2021年なのですが

1紋章官:2021/01/03(日) 23:38:56
あけましておめでとうございます。いかが三が日を過ごされましたか?コロナのため年末のコミケはなく、静かに年越しをしたようなところです。

コミケがない分、冊子つくりの追い込みもなく、年末に横浜で開かれたお城エキスポ見物!前日はNHKが生放送した等身大ガンダムのお披露目!そのため公開初日ではありました
ので、その分、桜木町駅は賑わっていたようですが、お城エキスポの会場はそんな賑わいの外。何しろ展示場の一番端、新設展示場だったので仕方ないかあ、というところ。
逆にいえば、三密の心配はほとんどない。とはいえ、コロナの影響でブースだけのお城や地域もありました。
一方で販売エリアで本を漁る。それで買ってきたのは戎光祥出版の「大友宗麟の城郭」
レアなネタですねえ。他にも図説 近畿の城郭、織田信長の城郭などありましたが、はじめから買うのは、この一冊!選んでいる際、思わず「織田信長関係の城の本なら、
また出るでしょうし、再版もあるでしょうけど、大友宗麟はないでしょう」と言ったら、販売の出版社の人は大笑いしました。もちろん論文集。ないですよねえ、九州の
城となると、熊本や福岡など近世城郭の本はあっても、戦国城郭に関する本はなかなレアです。まあ、全体的にそうですが、最近はそれこそ戎光祥出版で各地の戦国城郭
ガイド本が出ているので、そのうち出てくるでしょうが、大分の順番はいつごろになるやら。大友氏の城郭統制論などじっくり読んでいるところです。
ちなみにこの本、定価と消費税で凡そ12000円、そこを会場特価2割引き!お城エキスポの当日入場料が2000円!ちょうど入場料分、安くなりました!とはいえ、
年末大きな出費!しばらく、パンとコーヒーでお昼を過ごそう!それでは今年もよろしくお願いします。

2紋章官:2021/01/09(土) 16:50:41
まずは今年も1週間経過、コロナ、大雪お見舞いもうしあげます。まずは安全第一で。

さて昨年の年初は2019年12月にNHKが首都大地震想定番組をやっていたので、災害問題で書き始めて、パンデミックに触れたら、そのまま現実化
するとは正直、思わなかったところ。去年の今頃は、まだ正月気分で浮かれていました。で、思い切って話を変えて中国史でいきましょう。
なんでも中国共産党は今年で創設100年とか。そして中華人民共和国成立が1949年なので建国して72年となります。
そうなりますと中国王朝史の原則でいけば、今が絶頂期で衰退がすでに生じ始める時期。中国四千年とは言いますが、秦漢帝国に始まる中央集権国家
は不思議と同じサイクルを繰り返す。春秋戦国の諸国分立を秦が大統一、しかし、秦は短命で次の前漢は約200年、新を挟み動乱を経て後漢
凡そ160年、そして三国志のあと一時的な晋の統一はもろく崩壊、五胡十六国、南北朝を経て隋の大統一と崩壊。
そして唐王朝は太宗から玄宗時代以後は短命な皇帝と絶え間ない反乱が続き滅亡、五代十国を経て北宋が収拾。しかし統一途中から北方諸族、契丹、
遼、西夏、金、北宋は崩壊して南宋が建国、そこへモンゴルが登場、南宋も滅ぼされる。ところが元もクビライ一代で事実上覇権は終わり、
以後は反乱続発で不安定化、大都を放棄して北へ帰る。朱元章が明を打ち立て、永楽帝が靖康の変で皇位を獲得、大遠征を繰り返すも、
孫の代以降は短命な皇帝が多く、万暦帝時代、張居正が強権政治ながら宮廷改革と財政再建を達成、王朝を再建するも、豊臣秀吉の朝鮮侵攻への
援軍負担、北方を含めた地方反乱、さらに張居正死後の万暦帝の贅沢や寵臣政治で弱体化、土木の変を経て一気に滅亡に至る。
なにしろ万暦帝の息子は明滅亡の大反乱、李自成軍により処刑されているのですから、その後の滅亡がどれだけ短期間かわかります。
なかでも痛ましいところは、優れた重臣、武将を皇帝が対立や讒言で処刑してしまう事。彼らは骨があるだけに嫌われがち。
土木の変で明を救った于謙を武宗が復権後に処刑したのは、その最たるもの。最後の崇貞帝は宮廷に頼るものなしと嘆きつつも懸命に政務に
努めるも自身の猜疑心の深さで讒言を信じてあたら忠実な武将を処刑して、己と王朝の運命を終わらせる。そして清が始まる。康熙帝の拡大、
雍正帝の引き締め、それをもって乾隆帝の繁栄となりますが、以後は暗君こそないものの、在位が短く、巨大な国家の運営に苦しみ、近代化
した欧州諸国と最後に日本との日清戦争の敗北で衰退が決定的となり終焉を迎える。そして中華民国は国民党、軍閥、そして日本軍の侵攻の
戦乱の中、中国共産党が誕生、日本敗戦後に国共内戦で共産党が勝利して現在の中華人民共和国に至る。
不思議ですよねえ、統一体制は短命国家と長期国家、そして分裂動乱時期と同じ流れを繰り返す。しかも王朝史も同じ。初代皇帝のあと
もめてだいたい5,6代目皇帝が繁栄期で、その後は国は続いても反乱等に苦しむ。その時期に入っているんですよねえ。ついでに言うなら、
日本の例で引き当てましょう、それは次に

3紋章官:2021/01/09(土) 17:38:55
それでは日本史に引き当てましょう。但し、時代は江戸幕府崩壊から明治国家滅亡の太平洋戦争敗戦まで!1603年に徳川家康が征夷大将軍と
なり江戸幕府が開始、1615年の豊臣家滅亡で武家権威統一が図られ、島原の乱やたびたびの大飢饉もあるも、事実上1853年の黒船来航まで
徳川幕藩体制は機能、もちろん大塩平八郎の乱のような武装蜂起や一揆はあるも局地的事件に留まり、行き詰まりはあるも幕府崩壊の兆しは
見られない。ところが、1867年に大政奉還と王政復古の大号令。その間、わずか14年。それも事実上は、最後の5年の流れでした。とはいえ、
戊辰戦争から西南戦争までの国内戦乱時期を経て、近代化を成し遂げ日清戦争を制し、日露戦争を引き分け、そして第一次世界大戦では
ほとんど被害なく国際連盟の常任理事4大国入りを達成。その間、約50年余り。一方で国内では大正デモクラシーにより政党政治時代に
入る。これを中国に置き換えてみましょう。中国共産党が国共内戦に勝利、建国後、国内統治に取り組むも、権力闘争や大躍進、文化大革命などの
混乱、しかし、その中、日本が沖縄県を創設したようにチベットを併合、そして鄧小平による収拾でまずは小安を得て改革開放を開始、
そこで分岐点となるのは、日本で桂内閣を阻止した民衆運動にあたるのが天安門事件とすれば、ちょうど時間軸があう。なにしろ中華人民共和国が
中華民国に代わり国連加盟と常任理事国席を獲得を日本の国際連盟参加と常任理事国入りも、アメリカが参加見送りによる棚ぼたであった事に
重なる。明治国家も共産党政権も共に富国強兵、拡張主義。もしかしたら、胡錦涛時代が若槻内閣の国際協調時代に当てはまり、そして現在に
至る。今回のコロナウィルスに関するWHOの調査団は満州事変時のリットン調査団に重なり始める。あれ、中国史のつもりが日本近代史になり始めた。
なにしろ、アメリカとの関係が緊張、欧州も香港問題で見直しをかけ始めている事も、何か太平洋戦争に進んでいく対日警戒論に重なる。
中国包囲網と言われるものも、日本が経験したABCD包囲にあてはまり、国威発揚と愛国鼓舞、一方で言論弾圧も戦前の検閲や国際協調派追放に重なる。
いわゆる戦狼外交も、当時の日本の外交で一部見られたもので、あまり知られていませんが、のちの吉田茂も中国大陸赴任時代、同席した陸軍側が
たしなめるほどの中国での強硬論を会議で述べたと伝えられています。なんか、書いてて怖くなってきた。
想像した以上に、戦前の日本が歩んだ道を中国は現在、歩んでいます。それも都市の繁栄に比べて農村部が取り残され、すさまじい富の偏在格差。
あまりに多くの事が重なっています。その明治帝国体制は1945年、78年目に破滅。たった5年前に強大な軍事力を誇った軍事国家は見る影も
なく焼け野原となって。皇紀2600年の祝典時、誰も夢にも思わぬ無残な惨状。中国は今年共産党100周年で当然、軍事パレードや観閲式など
繰り広げるでしょうが、まさかねえ。これで当たったら、預言者で飯が食えるかな?その前に危険思想と中国からサーバー攻撃で削除されていたり
して。それでは

4紋章官:2021/02/22(月) 17:43:51
2月も後半、今月は祝日が移動しないので、珍しく平日が挟まるところ。どこか曜日間隔が狂います。

さてコミティアが再開になったかとおもいきや、またも21日はまたも中止。仕方ないとはわかりますが、どうにも張り合いがありません。5月のコミケも
また無理かなと思う今日この頃。オリンピックのために大規模イベント規制とかされそうで、季オリンピック並みの動員数を誇るコミケが権力の手で
潰されるのは目に見える・・・同人誌即売会が正常化するのはワクチンやイベントごとがかたずいて来年の今頃からでしょうかねえ。
そんな嘆きはともかく、先に中国共産党体制を明治維新体制の歴史の流れに重ねてみましたが、考えてみれば敗戦から76年。ちょうど、日本も
戦後体制と明治維新から敗戦までと等しくなる。民権運動と普通選挙法運動が安保闘争、ベトナム反戦運動と細川内閣から民主党政権までを
大正デモクラシーから政党政治時代、神戸震災を関東大震災、東日本を昭和三陸津波に当てはめると、いまは太平洋戦争時期。なにしろコロナとの闘いと
なにやら政府やマスコミは戦争色でうまくはまる。そのうえ、NHKは大本営発表だし、首相や国会議員は大本営参謀さながらの高圧と権力乱用、銀座通い。
庶民に節約を敷いて、高級軍人たちが料亭通いをしていたのは知られた話。
さて、私たちは後世、どのように笑われるのでしょうか?歴史を考えるのに冷静な目が必要ですが、現在を褪めた視線でどんどん見るようになっています。
こんな醜態ばかり記録に残すしかないとは、ただただため息です。みなさん、しっかり記録しましょうね。公式資料はシュレッダーか改ざん、黒塗り
にされるでしょう。そこを一般の記録で見た記録を残しましょう。それでは

5紋章官:2021/03/23(火) 18:29:54
さくらの花も咲き誇り、いよいよ春めく今日この頃。あとはコロナが収まることを願い、せめて秋には神保町の古本祭りくらいは、開催してほしいと願いばかり。
あ、春はダメですから・・・ワンフェスもどうなるのかなあ。こんなのんきなことを考えて現実逃避に努めるしか救いがない今日この頃。

そこで雄大な妄想オカルト話。こんなの知ってますか?日本、世界縮小図説!日本の地形を世界地図におきかえて、となえられたものです。
日本を90度ほど横にしまして、本州を軸に、北海道、九州、四国の位置関係を調整するとあら不思議、本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、
四国はオーストラリア大陸、北海道は北米大陸に見えてくる!
紀伊半島がうまくインドに思えて、知多半島がマレー半島、伊豆半島が朝鮮半島、房総半島がカムチャツカ半島、多少大きさ比率で
違いや解釈違いがあるのはご愛敬、四国をずらして、九州を入れれば瀬戸内海は地中海、淡路島をおろせばマダガスカル、そうなると伊豆大島は台湾?
気がつけば南極、南米を除けば4大陸と主要島がほぼそろう!だから超古代、日本は世界の中心だった!などとトンデモ論も展開されますが、
笑いながらも、確かに似ているし、うまくはまるので、うまく考えたものと思います。ほかにもありますよ。日本は竜神が天に駆け上がる昇竜の姿をもつ
龍国とか、人の想像力と着眼点を考えるにはある種、参考なります。この手のライトノベルがあってもいいようなあ。はまると、異世界ものみたいに
ジャンルになりそうです。まてよ、そうか、昔の超古代説は今で言うライトノベルか!それでは〜

6紋章官:2021/04/09(金) 13:58:10
さくらも散り果てて、4月もどんどん過ぎていく。コロナ変わらず、なんとも空気がよくない。諦めなのでしょうかねえ。

何やら中国絡みのネットニュースが多いですが、考古学でも四川省の三星堆遺跡で新しい祭祀坑が発見発掘され、新たな黄金製品など出土とか。中国の古代王朝は
金製品より玉器、青銅器、宝貝(このあたりは漫画封神演義でおなじみ)重視で金製品はあまりないのが常識。ところが、この三星堆遺跡では青銅器に被せる等、
金製品が出てくるのがまずは特徴となっています。今回も、金の薄板による仮面や龍(?)図が出土、また発掘写真を見ると、どうも象牙らしいものも一緒に多く
埋まっているようです。この古蜀国文化や遺物は、ここの最初の発掘まで知られなかったものなので、後世に伝来することや他の地域に広がることが無かったと
すれば、この遺跡の埋蔵坑の意味合いは極めて興味深いものとなります。
すなわち古蜀国の人々はその最後において、これら祭祀用具を貴重な象牙を供え物にして「埋納」、その独自の文化の幕を下ろした、とも推測できるのです。
青銅器の「埋納」自体は珍しくありません。それは墳墓だけでなく、犬戎侵入による幽王戦死と西周陥落時の混乱に伴い、周の貴族たちが逃亡にあたり、
先祖伝来の青銅器宝物を隠匿した埋納遺物発掘がしばしば長安と洛陽の間の地域で見つかります。
重い青銅器を持っていくのは大変なので、埋納するのは当然の事。そのため、開墾、耕作、道路工事などで遺跡のいの字もないような斜面や平地で出てきます。
しかし、この三星堆遺跡は完全に都城遺跡範囲内。そうなると逃亡時にあわてて埋めたとは考えにくく、何かしら意味合いがあったと思われます。地鎮具とか、
それとも祭祀の度、もしくは王(もしくは祭祀主催者)の代変わりの度に新しいものを誂えて、古いものは埋納したのか興味深いところです。
さて、どう考えましょうか。それでは

7紋章官:2021/04/29(木) 16:08:00
いちおう、連休なんですよね。4月29日、昭和の日。平成が31年間、昭和は62年間と半月(元年と64年は短いので)。それだけ長く祝日
でお休みでしたから、すっかり休日に定着したところ。みなさん、どう過ごされていますか?

さて先日、高級刀剣販売会は無事終了。とはいえ、すこし人出が寂しかったですが、それでも1年ぶりや3年ぶりに会えた人がいたので、こういう
機会は大切なものです。それがまた緊急事態宣言で、開催直前で平和島骨董市、東京国際コインコインベンションが急きょ中止・・・
コミケは初めから組んでいないのが幸いというべきか。実際のところ、コロナワクチンが有効なようで、海外取引先でイギリスとアメリカの企業が
ワクチン接種進捗に合わせて急激に元気になってきたところ。去年の今頃から半年以上、本当に死んでるような沈黙が、一気に暴風雨になって
注文と納期あおり!これを見ていると、ワクチンが有効であるとしか、言いようがありません。一方で奇妙なのは中国で、あまり浮上している感覚
がない。主に購入なのですが、昨年春の大混乱ぶりはないとはいえ、かつてのような勢いある供給に戻らない。あれ?本当に抑え込んでいるの?
なんか不思議。それにしても、来年の連休にはコミケかコミティアがビックサイト借り切りイベントで開催されて、皆さん方とわいわいと
お会いできればいいのですがねえ。さすがにこれまでのコミケの売上貯えも尽きたので、次回申し込み費用、工面できるかなあ〜それでは。

8紋章官:2021/05/14(金) 20:48:34
プロフェッショナルで東京の刀鍛冶吉原義人さんが紹介されました。何回か宴席で同じテーブルになったことはありますが、お話をすることはありませんでした。
馴染みの刀剣商や愛好家がにぎやかに話し込んでいるので、そもそも割り込めません。眺めている限りでは、どこかとぼけた愛嬌のある方です。
他にも研ぎ師さんやら、鑑定家と紹介された刀剣商やら、おそらく新年会があれば、この番組収録時の話が聞けたのでしょうが、コロナで機会がなかったところ。
さて番組で一振り製作期間の4か月を取材と解説していましたが、実際のところ依頼して順番待ちしているような人も多く、知り合いの方で3年待ちしている
人がいます。もう、届いたのかな?
とはいえ、刀鍛冶の生活は大変です。吉原刀匠のように食べれるのはごくごく一部。何しろ、あえて現代刀を買う、誂えるには、それなりに理由がないと動けない。
ですので、現代刀の刀鍛冶は包丁を製作したり、ペーパーナイフ風の小刀作ったり、最近は守り刀のPRなどで制作技術維持と収入確保に努めています。
実際、吉原刀匠なら4か月かかっても、一振り100万単位で買う人もいるので、食べていけますが、同じように一振り打つのに4か月もかかっても、100万で
他の刀鍛冶の現代刀を買う人がいるかは難しいところ。何しろ、同じ金額で江戸時代の脇差で程よいものが十分買える!
それこそ一振りを1か月もかけずに製作して、1振り50万程度で売れれば、生活費と素材や燃料代をやっと1か月分、まかなえるかどうかとなります。
それも毎月売れることが前提!はたから考えても難しい話。厳しいですねえ。まだ研ぎ師さんの方がいい。なにしろ、研ぎの方は古い刀であってもする必要があるので
刀剣商が仕入れいてきた刀や博物館など所蔵刀などを販売や展示会のために研ぎに出すので、稼げる可能性がまだ高い。
とはいえ、それほどらくではありませんが。そんなお話でした。それでは

9紋章官:2021/05/21(金) 20:43:51
また雨です。雨は必要ですが、災害が起きないように程度で願うばかり。災害といえば、先々週、先週で映画「タイタニック」が久々に放送されましたが、やっと
また見る気になりました。海難事故によるパニックものですが、船と陸地に置き換えれば、人が逃げまどい、波にのまれる現実を私たちは目にし、それを体験された
人たちが存在していることを忘れてはいけません。

さて奈良で行基の供養塔址が見つかったとか。行基が活動した時期も災害と疫病に苦しんだ時代にあたります。ちなみに行基の師匠は道昭、記録上での日本初の火葬
をされた人物。そして道昭は唐へ留学僧であり、そこで玄奘三蔵に学んでいますので、行基は玄奘三蔵の孫弟子と言う事になります。思わぬ有名人との繋がりがでて
きます。それで行基に話を戻し、よく知られるように行基は当時の僧侶寺院居住義務を破り、庶民に入っていった人物。そして救済や民衆を組織化して、道路や橋、
農業用水の整備、寺院建立などを進めていった人物。それは、仏教が天皇、有力豪族など支配階層の舶来宗教から日本国内に根付き始めたことを示します。
同時に、その事で新しい政治方法を模索していた聖武天皇の目に留まったといえます。
前にも書きましたが、現在の研究で聖武天皇、律令体制最盛期に在位したこの天皇は天皇親政を志向するも、藤原一族を代表とする朝廷官僚との「対立」関係になり、
本来、有力な助力者であった長屋王一家を救えず、厳しい立場にあったと考えられています。それが度重なる遷都、もしくは流浪であり、仏教帰依だったといえます。
聖武天皇は政治面に玄昉、宗教面で行基を登用したといえ、孝謙・称徳女帝は道鏡をもって立ったといえます。
実際のところ、玄昉、道鏡は失脚、行基は大僧正の位を受けつつ、協力を大仏建立に集中して一歩外に立って身を全うしたといえます。とはいえ、彼が独自につちかった
民衆への影響力と動員力は、政治組織同様の官寺の僧侶であった玄昉、道鏡に比べ、確固とした足場だったことは間違いありません。
そうか、宇宙皇子の流民動員は行基の活動がモデルと考えればいいと、今更ながらきがつきました。そういえば、完結したんだっけ?それでは。

10紋章官:2021/05/28(金) 20:37:11
せっかくの月食は曇り空で見えず、がーかり。世の中、がっかりする事ばかり。去年の今頃は緊急事態宣言の解除の方向に進んでいたころで、そろそろ解放!との
雰囲気がありましたところが、今年はだらだらで継続中。来年はどうなっているのやら。やれやれ。

さてコンナご時世のせいでしょうか?異世界ものが人気が高いのは、現実世界に希望が持てない裏返しなのでしょうか?異世界に行って、特殊能力を発揮、人生ウハウハ
と煩悩を爆発させる。別に日本だけではありません。英国のファンタジー小説が第2次大戦中のロンドンから異世界へ移動して冒険、そしてロンドンに戻るのは、そんな
異世界への逃避しても結局は現実の日常があるのだから、現実を切り開けと諭しているようにも思えます。
とはいえ異世界訪問譚は世界中にある話なので、古く新しい主題と言えます。一時期、逆転架空戦記物が主流だったことがありましたが、これも異なる時間軸としての
異世界空想といえましょうか?異世界ファンタジーもので、古くはダンバインがありましたが、すこーし毛色が違っていたのが「混沌世界ボルドー」というのもありま
して、この場合、主人公の父親が先に異世界へ行って、英雄王となり、息子を呼びよせる。またその世界へは様々な時代の様々な地域から流れて行っているので、
戦国武者もいれば、キリスト教徒もいるとまあ、まさに混沌とした世界観を作っていました。まあ、えらくふるーい異世界ものとジャンルが確立する前の話ですが。
それでは

11紋章官:2021/07/16(金) 23:57:18
梅雨明けしたようで、いよいよ暑くなりますね。そのうえ、カレンダーの変更。19日が平日になり、22日から休日。おかげで今週は道路が混んだわ
とりあえず暑さとコロナに気を付けましょう。

さて気分を変えまして、いきなり聖徳太子のお話。いわゆる厩戸王問題。その実在、業績活動については論争があります。それは当然の事。一方で彼と彼周辺の
伝承と行動範囲を見直すと他の王族と異なる様子が見えてくる。これは親子3代、用明天皇、厩戸王、山背大兄王と続く。
まずは用明天皇、かれは臼杵石仏のある大分県では都の争いを避けて豊の国(豊後・豊前)に逃れてきて、現地の満野長者の娘を后にするとの伝説を持ちます。
そこで気になるのは、彼の名前「橘豊日皇子」と称される事。この時代の王族の名前は居住地、領地や支配する部民に関係するのは常識。
橘は住まいを指すとは橘寺などから容易に想像がつく。次の豊と日が何を暗示するかと言えば、豊の国と日向の国を示すと解釈できる。しかも伝承とおり、
四天王寺式伽藍の古代寺院跡が大分の伝承地で発掘されています。そのうえ、厩戸王の弟来目王子、当麻王子が新羅遠征軍司令官として九州に赴いたことが記録
されています。この王族将軍もそもそも用明天皇のときに九州に地盤を持っていれば、自然な流れに見れます。
さて厩戸王。彼は生まれた場所が厩だからとか、馬にのり伊勢から富士山、北陸を3日で往来したという伝説など馬にまつわる伝承がある。しかし、先の王族
名前は管掌する部民に関係するとすれば、厩、つまり馬の飼育を行う部民を持っていたことを示し、そのまとう伝説は当然となります。
そこで気になるのは馬で伊勢、富士山(甲斐)、北陸を回ったとの伝承。これも単なる伝承というよりも、古代の馬の産地が東国、甲斐、信濃に点在していた
事を示していると解釈できます。それを示すように、馬の飼育を担った渡来人系の古墳がこれらの地域に点在する。そうなると、厩戸王は馬を通じて、東国にも
関係をもっていたと想像できます。そして山背王。彼は蘇我入鹿に追われた際、燃える宮に「馬の骨」を投げ込み避難。そして隠れている際、臣下から縁ある東国へ
逃げて再起を図ることを勧められたと記録されています。
臣下の言葉も厩戸王により上宮王家が東国に関係や領地を持ったことを示す事も想像されます。さて、どう考えましょうか?ひとつの解釈です。それでは

12紋章官:2021/07/31(土) 18:57:49
7月も終わり。やけっぱちオリンピック開催中。コロナ拡大中。100年後の歴史家はなんと評価しますか。無邪気に金メダルを喜んでいる人がうらやましい。
思い返しましょう。近代オリンピックの創始者クーベルタンは初オリンピック後、もし100年後ならどうする?と新聞記者に問われて、こう答えました。
「オリンピックを終わらす」と。なかなか意味深です。

さてbook-offへ出かけて漫画を眺める休日。そこでまた珍しい題材の漫画がありました。「キンとケン」中国宮廷絵巻と題打たれていたので、てに取りました
ところ、またレアなネタ!前漢の哀帝劉欣と大司馬董ケンを主人公とする話。可愛らしい絵ですが、まあ、宮廷のどろどろした中での哀帝と董ケンの物語と
なっております。この後に王莽の簒奪があるので、哀帝と董ケンは目立ちませんが、短期間ですが、外戚王氏の勢力をそぐことに成功しています。
とはいえ、哀帝にとって不幸は祖母フ氏(漢字がでない!)が悪すぎた。王莽の新が倒れ、後漢が始まり班固が「漢書」を編纂した際、後補列伝の中で、
皇太太后と尊号を送ることを強要した祖母フ氏を厳しく批判しています。一方で彼女のライバルであり、王莽簒奪への道を開いた皇太后王政君には夫人の
鏡と称えている。彼女は一族を引き立てましたが、後に王莽の王朝簒奪に大反対、恩知らずの遺骸は犬も食べないと罵ったと漢書に記されています。
そのため漫画の中でも善良な人物に描かれています。さて哀帝は在位10年弱で崩御、その際、玉璽を大司馬董ケンが預かっていましたが、大后王政君
の指示におとなしく従い、彼女へ献上。その直後、妻と共に自害したと記録されています。
そして王太后が王莽を召し出し、復権させたことで一気に漢王朝は滅亡へと進んでいきます。もし、董ケンが自殺しなかったとしても、流罪か処刑の
可能性はありましたでしょうが、どうしておとなしく玉璽を献上したのか、興味深いところです。漫画も哀帝の悲劇を容赦なく描いており、この終焉への
道を展開していくこととなるでしょう。絵柄が愛らしいだけに切ないわ。それでは

13紋章官:2021/08/21(土) 09:20:59
コロナ拡大中、その上の長雨。皆様、くれぐれに命大事にしてください。これが古代や中世なら、天候不安定と疫病は政治の悪さと天が怒っている証と
されるものです。こんかいのコロナは、将来「オリンピック風邪」とも称されるかもしれません。

アクション俳優で時代劇にも活躍した千葉真一さんが亡くなったとのニュースに続き、上方落語の重鎮笑福亭仁鶴師匠まで。そして歴史系には
馴染み深い、みなもと太郎先生まで死去のニュース!これで大長編歴史系漫画「風雲児たち」は未完になりました!長期連載漫画といいますと、
「こち亀」「ゴルゴ13」「ガラスの仮面」など有名作がありますが、この「風雲児たち」も目立ちませんが40年から書き続けられてきたものです。
本来、幕末の話を書くのを関ケ原合戦から始めて、それまであまり日の当たらない人物たち、現在でこそ再評価されている人物や政策を好意的に描いて
いた先駆的作品。顧みれば、ここ数年で急速にNHKドラマや歌舞伎などの題材に取り上げられ、注目度を上げてきたところでの死去、まだ70代って
漫画内で教授服にふけた顔の自分キャラを早くから入れていた事から、逆にこんなにお若かったのかと驚くところ。
考えてみれば、コミケやコミティアで自分の同人誌を手売りされていたお姿も割と御歳に見えていた感じでしたが、もう、あのお姿を見られないと思うと
なんとも残念です。ただただご冥福を祈るばかり。これで、昭和ギャク漫画も幕が下りると思うと時の流れを、感じるところです。それでは。

14紋章官:2021/09/03(金) 20:43:09
雨が続きしのぎやすいを通り過ぎて肌寒いくらい。でも寝るのは楽ですね。

さて先だっての英雄たちの選択でえらーく珍しい人が取り上げられました。北条時行!中先代の乱の主役!通常、登場はそれだけで、どこで死んだのかな?と
思っていたくらいでしたが、その後も戦い続けていたいたのですね。
この人の評価難しいです。挙兵後の鎌倉奪還はただ復讐のためだったのか?それとも番組内でも紹介されたように北条政権再建だったのか?しかし、短期間とは
いえ3度も鎌倉入りに成功している事を考えると、滅ぼされたりといえど北条家の威光がまだまだ根強かったことがわかります。
実際、北畠親房が常陸小田城滞在中に神皇正統記を書いた際に、承久の乱を上皇謀反と書いて、北条義時や泰時の理があった事を書かざるを得なかったことは、
北条氏の関東や各地の武士たちにまだまだ根強い支持と憧憬があった事を教えてくれます。
その北条氏の歴史の上に北条時行が生きていました。しかし、相手が悪すぎた。隠者要素満載なのに戦となると人心掌握に長けて、めっぽう強い足利尊氏
が相手なので、次々、ひっくり返される。もちろん、足利尊氏も北条時行なみに負けて、何度も京都から逃げ出し、九州まで行っていますが、最後は勝つ。
番組内でも行っていましたが、足利尊氏の周囲には政務に長けた弟直義、戦の高師直、いずれも粛清しますが、足利一門などの人材がいましたが、北条時行の
場合、最後に共に首を切られた長崎、工藤氏などの身内人系の家臣が若干いたようですが、名を成すほどの家臣はいなかったのが辛いところだったといえます。
何か、同じく信州で挙兵した源義仲と源頼朝を見るような気がします。
しかし、足利尊氏正室は赤橋家北条登子。彼女の兄は最後の執権北条守時。考え方として、鎌倉幕府滅亡後は北条家の出で肩身の狭かった北条登子が
息子義詮の立場強化に、根強い北条家支持層を取り込むため北条時行に和解を働きかけることも可能だった思われます。
逆に得宗家次男北条時行を除けば北条家嫡流に連なる赤橋登子の名で北条家支持層を掌握するために時行排除を足利尊氏が選択、また北条時行にしても足利家打倒
は必要事項で戦い続けたとも言えます。この論点は番組にはありませんでしたが、どうでしょうか?
しかし、妄想がそそられる。北条時行が赤橋登子の引きで降参、足利幕府に参画、その場合は三管領ではなく4管領だったのか?それとも鎌倉府の関東管領、
むしろ遠隔地でも北条家にゆかりのある奥羽探題や鎮西探題に派遣。その場合、自立の可能性が出てきてダメか。どう考えても殺される可能性が高いな。
双方すみわけには、北条時行は陸奥に独立勢力を構築、九州の島津氏や浪岡御所と伊勢国司の北畠氏のようにしぶとく残り、生存権を認めさせる
ことだったかもしれません。どうでしょうか?それでは。

15紋章官:2021/09/03(金) 20:43:50
雨が続きしのぎやすいを通り過ぎて肌寒いくらい。でも寝るのは楽ですね。

さて先だっての英雄たちの選択でえらーく珍しい人が取り上げられました。北条時行!中先代の乱の主役!通常、登場はそれだけで、どこで死んだのかな?と
思っていたくらいでしたが、その後も戦い続けていたいたのですね。
この人の評価難しいです。挙兵後の鎌倉奪還はただ復讐のためだったのか?それとも番組内でも紹介されたように北条政権再建だったのか?しかし、短期間とは
いえ3度も鎌倉入りに成功している事を考えると、滅ぼされたりといえど北条家の威光がまだまだ根強かったことがわかります。
実際、北畠親房が常陸小田城滞在中に神皇正統記を書いた際に、承久の乱を上皇謀反と書いて、北条義時や泰時の理があった事を書かざるを得なかったことは、
北条氏の関東や各地の武士たちにまだまだ根強い支持と憧憬があった事を教えてくれます。
その北条氏の歴史の上に北条時行が生きていました。しかし、相手が悪すぎた。隠者要素満載なのに戦となると人心掌握に長けて、めっぽう強い足利尊氏
が相手なので、次々、ひっくり返される。もちろん、足利尊氏も北条時行なみに負けて、何度も京都から逃げ出し、九州まで行っていますが、最後は勝つ。
番組内でも行っていましたが、足利尊氏の周囲には政務に長けた弟直義、戦の高師直、いずれも粛清しますが、足利一門などの人材がいましたが、北条時行の
場合、最後に共に首を切られた長崎、工藤氏などの身内人系の家臣が若干いたようですが、名を成すほどの家臣はいなかったのが辛いところだったといえます。
何か、同じく信州で挙兵した源義仲と源頼朝を見るような気がします。
しかし、足利尊氏正室は赤橋家北条登子。彼女の兄は最後の執権北条守時。考え方として、鎌倉幕府滅亡後は北条家の出で肩身の狭かった北条登子が
息子義詮の立場強化に、根強い北条家支持層を取り込むため北条時行に和解を働きかけることも可能だった思われます。
逆に得宗家次男北条時行を除けば北条家嫡流に連なる赤橋登子の名で北条家支持層を掌握するために時行排除を足利尊氏が選択、また北条時行にしても足利家打倒
は必要事項で戦い続けたとも言えます。この論点は番組にはありませんでしたが、どうでしょうか?
しかし、妄想がそそられる。北条時行が赤橋登子の引きで降参、足利幕府に参画、その場合は三管領ではなく4管領だったのか?それとも鎌倉府の関東管領、
むしろ遠隔地でも北条家にゆかりのある奥羽探題や鎮西探題に派遣。その場合、自立の可能性が出てきてダメか。どう考えても殺される可能性が高いな。
双方すみわけには、北条時行は陸奥に独立勢力を構築、九州の島津氏や浪岡御所と伊勢国司の北畠氏のようにしぶとく残り、生存権を認めさせる
ことだったかもしれません。どうでしょうか?それでは。

16紋章官:2021/09/18(土) 11:11:45
台風襲来、皆さま、ご安全に!

さて英雄たちの選択、豊臣秀吉の「京都新城」発見をもとに、その終活と晩年を討論されました。京都新城、あまり紹介されません。書籍でも中公新書の「北政所」で
番組で紹介されたように、大坂を引き払った北政所ねねが引っ越した場所として言及されるのが、一番、手に入りやすい本での記載でしょうか?
この本では高台寺を造営、そこに新しい屋敷を造営するまで居住と記録しています。ただ、その時点では存在が謎あったので「三本木の屋敷」を重視しています。
問題は北政所ねねの行動ですが、近年の研究で関ケ原直後にねねが御所に「逃げ込んだ」と読める当時の日記が確認されているところから、彼女の関ケ原合戦時の立場
と振る舞いがどうなのか、再検証が掛かっているところです。番組中では西軍が新城の石垣、堀を破却している事で、伏見城からの東軍側の落ち武者が立てこもる防止
策との解釈がありましたが、ねねの御所逃げ込みも退却してくる西軍側による拉致の回避と朝廷工作に直ちに動いたとも見えます。
この場合、彼女が「従一位」という位階の頂点にいた事が大きな意味を持ちます。このあたりなまず堂さんが「淀殿は無位無官」との指摘の鋭さは重みをもちます。
官位では、この時点でねねが徳川家康よりも上位。徳川家康が強硬に出てきたときに、朝廷を動かして勅命による停戦、牽制を行うことができます。
しかも、東軍側に福島正則など子飼いの大名たち、かわいがっていた徳川秀忠もいる。彼女が大坂ではなく、京都にいることで東西手打ちを仕立てることは可能
だったといえます。ひとつの可能性、そもそも関ケ原合戦なるものがなんだったのか?という事自体にも問題に至ります。「玉城」発見による実像変化の可能性、
黒田官兵衛などが東西衝突は長期戦になる事を想定していたのも、野戦ではなく城を巡る攻防戦であれば、当然の想定。
それは北政所ねねも同じ。彼女も京都にいて、東西両軍が膠着状態になった時に官位を活かして上位者による調停、実務は北政所が采配するとしても、豊臣秀頼
の名において行い、秀吉に変わる秀頼の権威を誇示する事を考えていたのかもしれません。まさか、初めからそのために石田三成たちが挙兵したとは思えませんが。
そうるとにわかな挙兵や家康の俄かな書状工作に見える慌てぶりも説明できてきます。それでは。

17紋章官:2021/09/24(金) 21:46:28
中秋の名月を眺め、秋の気分を味わいつつ、ここで暑さとはなんぞや、と9月の終わりを感じております。ところで20日のコミティアはどうでしたか?仕事で
行けませんでした。そのうえ、次回の11月21日は大刀剣市も開催予定。芝とお台場、掛け持ちするか!

さて前回の続き。秀吉最大の失敗と言えば、朝鮮の役と豊臣秀次粛清事件。時期も重なります。このうち豊臣秀次粛清、通常、秀次と近臣の高野山での切腹、その
後の京都での妻子侍女などの皆殺しに焦点が集まりますが、他にも近臣が切腹に追い込まれています。つまり秀次一家だけでなく、側近家臣団も一掃しています。
一方で、本来、秀次つきに回されていた中小大名、中老とされた中村一氏、山内一豊などは直前に呼び出して詰問役を命じ、その事で「切り離し」、
その後の処罰を「回避」できるようにした、とも見えます。
そこで疑われるのが石田三成などの奉行衆。すなわち秀吉死後に秀頼を立てても、秀次が事実上の後見役に立ち、秀次側近団が奉行衆にとってかわる事を恐れた
という事になるところです。しかしながら、ここで中村一氏など、奉行衆より年長で経験豊かで地味だが役目を果たす中堅クラスを切り離した事は気になります。
そこで、思い出したのは田中芳樹先生の「タイタニア」のとあるセリフ。田中先生の中国史への造詣の深さは有名ですが、その歴史観が時として示唆に富む
セリフを生み出します。正確ではありませんが、タイアニア当主の独白のようなセリフは、意味的にはこういう内容です。
「初代以来、代々のラントレスクランナーは臆病だ」
作中でタイタニア一族は圧制者側。強大な軍事力と財力を持って抵抗者を滅ぼし、収奪して、権力を誇り恐怖で支配する。
しかし、その圧制や弾圧も、自分が滅ぼされる恐怖への裏返しの行為である。見た目のような強者の行いではなく、臆病者ゆえの行為である。
と解説するものです。もちろん、強さにおごって気を緩めれば、自分が滅ぼされるので徹底せよ、という戒めにも見えますが、弾圧行為への考察として意味深い
ところです。これを秀次事件に置き換えると、解説が容易になります。それは従来からある説の補強です。その場合、奉行衆も何も、みな無罪、ただ豊臣秀吉の
単独犯行、秀頼への溺愛というより、否応なく豊臣家中にとって跡取りは豊臣秀頼しかいない状態に追い込んで、一本化するための冷酷な方策と見えるのです。
その際、彼の頭にあったのは、明の事が考えられます。長くなりますので、また次回。それでは。

18紋章官:2021/10/01(金) 20:31:48
台風と共に10月になりました。今年もあと3か月。緊急事態宣言は解除ですが、まだまだ気を付けていきましょう。

さて秀次事件、凄惨な一家近臣粛清は日本では珍しい事ですが、目を転じるとそうでもない。事に中国では。そこではたと気が付いたのは、朝鮮出兵の影響。
豊臣秀吉の最悪手、朝鮮王朝に続き、明帝国を敵に回しての戦争となりました。この出兵の背景に、実は朝鮮が目的でなく、明との正式交易開始があったとの説が
あります。このあたり漫画「センゴク」で展開されていますので詳細は譲りまして、そこで当然ながら豊臣秀吉は朝鮮王朝や明の情報を得ていたと思われます。
殊に足利義満による永楽帝との交渉を先例として学んだことは疑いえません。そこで明王朝の事も知る事になったと考えられ、王朝前期の大粛清の話も
耳にしたものと思われます。すなわち、明の創始者洪武帝朱元璋の功臣官僚の粛清、靖康の役による永楽帝の皇位簒奪と建文帝近臣の粛清。
なにしろ両者の粛清の桁は段違い。当人家族一族どころか、友人一族や出身地域の住民まで皆殺し。数万人桁で都度、粛清しており、その連座具合を
芋蔓に例えて。「つるまんしょう」と後世非難されています。
さて、この話を豊臣秀吉が聞いた事は十分考えられます。そこで、永楽帝が若い甥を追い落とした事が彼を不安にさせた可能性はあります。
本来、洪武帝の功臣粛清は洪武帝に比べ温厚な皇太子、更に幼い孫の建文帝が重臣に簒奪されないために行っていたとされています。
ところが、建文帝を滅ぼしたのは息子の永楽帝、そして粛清しすぎて建文帝の周囲は文官ばかりで、戦に慣れた武将不在、それで敗れたものでした。
この事実を聞いた時、秀吉は自分に置き換え、慄然とした可能性はあります。そもそも朱元璋は貧農出身、それも幼いうちに家族を飢饉などで失い、僧侶になって
かろうじて生き延び、更に戦乱に有力者に見いだされ、能力を発揮して皇帝に上り詰めた人物。その境遇に秀吉は自分の姿を重ね合わせてもおかしくありません。
そして皇太子を失い、年若い孫に継承させる。秀吉もまた老いて得た幼い秀頼を後継者としている。否応なく同じ立場であること意識させられたでしょう。
もうお分かりですね。秀吉は建文帝と永楽帝の事から、秀頼にとっての脅威は家臣ではなく、親族と判断したと考えられます。
そして秀頼を追い落とす可能性が高いのは関白豊臣秀次。しかも秀次の正室は池田輝政の妹から菊亭晴季の娘と公卿の一員。当然、その子が生まれれば、一大名の
浅井長政の娘である淀殿の子である秀頼よりも出自が高く、朝廷にも受け入れやすいと考えることはおかしくありません。
この結果、秀吉は秀次一家と近臣粛清を断行。一方で、その下につけていた堀尾吉晴、中村一氏、山内一豊の戦慣れした中堅武将を手元に取り戻す。
こう考えると、あまりに凄惨な事件の裏側と理由が説明できる事となります。どうでしょうか?ちなみに朱元璋の夫人馬皇后は中国歴代王朝の皇后の中でも
指折りの賢后の一人、その創業を支えた女傑であり、そのあたりも秀吉の正室北政所ねねを彷彿とさせます。それではまた。

19紋章官:2021/11/05(金) 20:46:53
気が付けば11月。大刀剣市は中止になりました。来年5月に開催模索って、4月に大阪で刀座、東京でも超高級刀剣販売会「日本刀の美」とあるのです。なにか
嫌がらせに思えてくる。しかし、神保町の古本祭りもなく、、気が抜けています。酉の市、行けるといいなあ〜

さて豊臣秀次事件に絡み、明の開祖洪武帝朱元璋を紹介しましたが、彼の正后馬皇后もご紹介。彼女は、中国版の北条政子か北政所ねね!何しろ夫を
諫言して、ともかくも粛清の暴走を制しできた唯一の人物。疑心暗鬼が酷くなっていった朱元璋のブレーキ役として、粛清者の係累を押さえたり、助命する。
また夫が戦場にいる間は政務を見る。まさに糟糠の妻。何しろ、永楽帝は馬皇后の息子でもあることを強調していますが、実際は彼女の息子ではない
というのが通説で、それは朱元璋の息子たち全員がそうだと言われています。通常、中国では男子優位で、よほどの理由がなければ、後継者の母親がだれで
あってもいいわけで、後継者は即位後に実母を祭り上げればいいだけの事!
それが朱元璋の息子たちに限っては、すべて馬皇后の血を引くことが重視された、という事は馬皇后の宮廷内外での声望と実力がわかるものです。
何しろ朱元璋は馬皇后を深く愛し、皇帝即位後に多くの宮女が増えても、第一に馬皇后を傍に置き、政務の相談などをしたといわれ、また馬皇后は馬皇后で
帝位についても謙虚な人柄で、皇帝家としての必要を除けば、質素な生活を送っていたと伝えられており、そして病に倒れ、助からないと察すると、いくら夫や
周囲が懇願しても自分が死んだ後に、責任を問われて医師たちが族滅されないように、医師を遠ざけ、近寄らせなかったと伝えられており、その人柄が伺われます。
そして彼女の死後、朱元璋の粛清は歯止めがなくなり、暴走の一途をたどり、それが建文帝の敗北につながっていくのです。
朱元璋に隠れて、日本では知名度が低いですが、このような女性もいたという話です。次は、ナポレオンの母の話でもしましょうか。それでは

20紋章官:2021/11/26(金) 21:20:29
気が付けば11月が終わる。原稿が進まない!にわかなコミケモード、慌てふためいております。仕事、団地の当番、趣味での新年鑑賞会のしたく、そして
コミケ!重なりすぎ・・・

さてナポレオンの母の話。名前をうっかり忘れてしまった・・・さて、この母ありて、この子あり、と言える胆の据わった女性。ナポレオンを見るに、
父親よりも母親の影響が強い事は有名な話。夫の死後、家を切り盛り、息子たちを叱咤激励、コルシカ島から亡命や革命期の混乱でのナポレオンの一時閉塞など
で生活困窮する中でも道を踏み外さず、事実上の家長として家を守る。
それはナポレオンが権力を握り、裕福な生活と権勢を誇るようになっても変わらず、彼女自身は簡素な生活を続け、ナポレオンからの莫大な生活費を節約貯金、
傲慢になる息子たちを怒鳴り飛ばす度量と節度を示します。殊にナポレオンの皇帝即位とローマ教皇を召喚しての即位式には大反対で、ナポレオンと
大げんかしたと伝えられます。現在、ルーブル美術館にある有名なダヴィッドの大作「皇帝ナポレオンの即位式」では、彼女も参加して微笑むように見る
姿が描かれていますが、これは捏造。激怒した母は即位式の発表があると、旅に出て当日はローマに滞在中。
 さて、彼女はナポレオン没落後は、ローマに従弟の枢機卿(もちろん、ナポレオンが後押しで位につけた)のところに滞在、ローマ教皇の保護を受けます。
この教皇、ナポレオンに即位式に参加させられるわ、その後幽閉されるわと災難でしたが、ナポレオン没落後は、その一族を庇護するなど寛容な
態度を示します。中でも、節度を示していたナポレオンの母には好意的なので安全でした。さて、彼女はローマでも変わらず質素な生活を続けており、それまで
ナポレオンから送られたな生活費による莫大な貯金を、ナポレオンの近臣などで困窮した者たちへの支援に用い、他にも寄付など慈善活動を行って死去しています。
ナポレオンの兄弟たちは浪費して困窮したものもいるのと好対照、どうしてナポレオンたち子供は、この母の美徳をもてなかったのでしょうか?それでは

21紋章官:2021/12/05(日) 09:20:26
気がつけば12月、新しいコロナ株に戦々恐々、というか慣れかあきらめか、気のゆるみか?なにか、どこかで会ったyおうな話・・・・

さて金曜日からNHKは太平洋戦争シリーズを始めています。それというのも日米開戦80年だからです。太平洋戦争、開戦の昭和16年は3週間、よく17年、
18年、19年を通し、20年8月の敗戦を迎える。戦況は昭和17年はミッドウエー海戦の大敗がありましたが、一進一退、18年は徐々におされつつも
半ば膠着状態。19年の後半から一気に崩れ、20年には破綻する事となります。
そのため昭和18年くらいは救援不可能ででアッツ島玉砕などありましたが、当初から玉砕戦は考えずに、ガダルカナル、キスカなど撤退作戦を実施、まだ戦術上
に余裕というか、合理的な判断による後退する作戦を行っています。それが本格的にできなくなるのが昭和18年後半から、あとは当初から見殺し状態。
碁の「捨て石」を実地するようになります。こういう言葉というか、やり方のある遊戯があるのも精神的に見殺し作戦を容易にしているのでは?と疑いたくなります。
なにしろ囲碁は高度な趣味なので、また当時は将棋、碁などくらいしか、手軽なゲーム性のある遊戯具がなかったのですから、碁の愛好者は今より余程多いところ。
作戦参謀たちが、その意識で兵を使ってもおかしくありません。まあ、そうでもないと戦争などできないでしょうが。
さて、振り返り見れば2019年12月頃に武漢でコロナが始まり、20年2月には日本も巻き込まれ、世界で感染、21年今年はともかく今は国内がおちつき、
さて来年はいかにというところです。さて2022年12月はどうなっているでしょうか?それでは

22紋章官:2021/12/17(金) 20:25:07
12月17日の金曜日!今年も残すところ2週間!コミケまでも2週間!感染者数が急増しなければ、このまま開催になだれ込める!なんとか、増える
ペースが抑えられますように!

明日は横浜ユーラシア館にオホーツク文化展を見に行きます!なにしろ知名度の低いネタなので、空いているのは目に見えている。とはいえ、以前も
冬コミケ直前にシベリアの岩絵とか、どうして冬場にこういうネタをやるのやら!
さてオホーツク文化とは名前通り、オホーツク海沿岸一帯に広がった文化で、狩猟漁労文化です。それだけにいわゆる北方狩猟(漁労)民族の文化を考える
上で、一つの重要なパーツです。そこには遠隔地への移動しての狩猟活動、交換交易での繋がりなど、広大な世界が広がっています。
しかし、いかんせん書籍が少ない!そんな展示会があるのですから、なんとかコミケ原稿を書き上げ、コピーを終えてまずは手折も終わりましたので、
安心して出かけるところです。それにユーラシア館の入場料は安い!ぜひ、時間に余裕のある方は見学に行ってあげてください!

さて、そのあとの回るお城expoの高額な入場料と足して2で割るとちょうどいい!お城エキスポは各地のお城のチラシをもらってくるのが楽しみなんです。
結構、力の入ったものが多く、地図や案内、逸話などがのっていて、このチラシ集めだけでも、下手なお城の本を1冊買うより、よほど面白い!それではまた

23紋章官:2021/12/25(土) 09:43:59
クリスマスの朝!いかがお迎えですか?こちらはなぜか二日酔い・・・親と缶ビール1本しか飲んでいないのに、深夜からトイレを何度往復したのやら。
その上、頭痛。昨年から、時々、缶ビール1本弱で起こすんです。もともと、弱いところが、更に弱くなった!チョコレートボンボンが怖い・・・

さて30日に大坂冬の陣の番組があるとか。先だって地上波の歴史探偵で紹介された大坂城北部地域を水没させた作戦を紹介するようです。
この水の使用、いかにも豊臣らしい戦術と言えます。失敗した忍城水攻め、名高い備中高松城水攻め、それに目立たないのが紀州太田城水攻めと
あります。一方で但馬でも水攻めを行った記録があり、この時は、守城側、攻城側双方で小舟を繰り出し野戦ならぬ「水上戦」船戦を行っています。
さすがに船戦は豊臣勢ではしていませんが、この大坂城の洪水作戦は守備側が繰り出した手として珍しい例です。
後に西南戦争では、熊本城に対し西郷軍が川の土手を切って水没作戦を実施。この場合、攻める手というより、政府軍南下に呼応して熊本城守備隊が
出撃してくるのを防ぐ目的。水攻めといってもいろいろありますね。しかし、この熊本城の場合、加藤清正は防御手段として考えていなかったのか
検証が必要に思えます。古い地形図と水没地域マップ、それに清正の治水事業に関する伝承を集めないといけません。それでは


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