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コミケのない夏

5紋章官:2020/09/12(土) 01:31:54
きがつけば9月11日。ニュヨークのテロから何年か。コロナ下、静かに追悼を行っているのでしょうか?

さて名君市井を知るとはもうしますが、まずは極端な例。前漢の宣帝、清の康熙帝、この二人の共通項を御存知ですか?それは子供の頃、宮中ではなく民間で育った事。
宣帝は武帝の廃太子の孫(一応、正史ではそうされてます)ゆえ、一方、康熙帝も8歳の時、宮中から迎えの使者が来た時、近所の子供と街中を駆け回っていたとか。
名君、市井を知るとは言いますが、そんな例。南宋でも二代皇帝も本来、宋太祖の家系ながら、弟の家系が皇帝位を独占していたので、太祖の家系は不遇、そのため
彼もほとんど下級貴族程度で宮中とは縁が薄かったと言われています。
一方、欧州では乞食王子の寓話はともかく、時折、市中へ出かけて行く国王や皇帝の話がある。古代ローマの場合、「皇帝」といえど「市民」出身であり垣根が低い
所がありますが、ネロの悪所通いはともかく、哲人皇帝マルクス・アウレリウスと共同皇帝だったルキウス・ウェルスは町の酒場が好きで、しばしばでかけただけで
なく、屋敷の中に町の酒場を作ってしまい、皇帝や元老院の宴席から帰るとそこへ飛び込み、カウンターで飲み直していたとか。
堅苦しくて共同皇帝として振舞う疲れがあったのでしょうね。その点、町の酒場の気楽さがよかったのでしょうね。当時は写真とかありませんし、もちろん、当時の
貨幣は中世よりも精密に横顔を現していますが、町の酒場の人も、隣で飲むのが皇帝とは気がつかず、酒飲みの気やすさで笑い合っていたのかもしれません。
なにしろ、当時の酒場の楽しみで、コインでコップを割るいたずらがあり、ルキウスも夢中だったという話があるそうで、町の酒場で腕を競って盛り上がって
いた様子が思い浮かびます。皇帝の重責からの解放感だったのか、気取らずに済む気やすさだったのか、どこか庶民的で親近感が感じられる話です。それでは


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