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雑談スレ

133 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 07:42:10
「雑談」により癒やされたい、と思う人たちのためのスレです。
(とりあえず10000レスを上限として出発したいと思います。)

「脱線上等」!
(むしろ歓迎(笑))
感情的にならず、いろんなことを気楽に語っていきましょう。

★「ネチケットは遵守」でお願いいたします。 m(__)m

233 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 07:50:32
>きりんさん

御要望にお答えするべく、「雑談スレ」を立ててみました。
内容は、「ネチケットに反するものでなければ、なんでも可」とします。


皆様も、お気軽にご利用を。


どうぞよろしくお願いいたします。  m(_ _)m

333 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 07:58:52
>きりんさん

「美味いもの談義すれ」の250〜253、大変重いテーマになっていましたが、よろしかったら、こちらで続きをどうぞ。
(一部、【自然】心の遊び場【癒し】のスレの「8440」のほうにレスしておきましたが…。)

4:2007/12/25(火) 08:47:11
33さん
きりんさん
おはようございます
(^-^)/
わーい
雑談スレだー!\(^o^)/

533 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 15:33:25
夢子さん、ようこそ。

無断で「新スレ」を立てさせていただきました。
(きりんさんと話をしていると、つい脱線して話が飛び、スレ本来の主旨とかけ離れてしまい、ご迷惑をおかけすることが度々あったので。自分は本来「脱線」が好きなので、今後もご迷惑をお掛けしては申し訳ない、と思い、新スレ設置にイタッタな次第です。)
「1」にも書きましたように、とりあえず「10000レス」を上限としたいと思います。仕事や病気の都合で、1週間以上書き込みできないこともあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
そんな時は、みなさんでどんどん話を進めていっていただいてかまいませんので。

どうか、よろしくお願いいたします。  m(_ _)m

6きりん:2007/12/25(火) 19:40:54
わーい^^
33さんに甘えつくすスレだ!!

病気なんていって逃げても許さないぜ!
ーー;

7maki:2007/12/25(火) 20:53:57
33さん、新スレ立てたんですね。

雑談・・大好きです♪

1000まで ^^ よろしくおねがいします。

833:2007/12/25(火) 21:16:09
>きりんさん

「つづき」を書き込みますよ。


>makiさん

ごあいさつ、ありがとうございます。
よろしくお願いします。

「1000まで」 といわず、「10000」めざして(まったりと)いきましょう!

933:2007/12/25(火) 21:31:19
>きりんさん

「週間ポ●ト」の今週号を見ていたら、

「2007年 ビジネス街で売れたベストセラー年間ランキング」という特集があり、
堂々の1位は、なんと『生物と無生物のあいだ』福岡伸一(著) 講談社現代新書

あの本、今年の「ベストセラー」だったのですね。
全然知りませんでした。

1033:2007/12/25(火) 21:55:07
では、「美味いものすれ」の続き「第二弾」いきますよ。


キリスト教は一方向(ここで死後を滅している),
循環はない.
死後とどまることもない(人の死後は請答関係がないので神にならない).

確かに(「異端」とされたものを除き)「一方向」です。
しかし、「死後を滅している」とは思いません。
なぜならば、(プロテスタントの各宗派ごとの「教理」の比較検討はしたことはありませんが)「カトリック」では、『天国』・『地獄』の他に『煉獄』という所が想定されているからです。

【煉獄】
Purgatory
「天国」と「地獄」の間にあり、死者の「魂」が「天国」へ行くために生前の「罪」を「悔い改」め、「償い」、そして「浄化」を受けるとされる場所。
「ダンテ」の『神曲』は「地獄」「煉獄」「天国」を遍歴する物語として有名。
・「幽府(地獄)・・・インフェルノ」→「永劫の罰」を受ける場所
・「煉獄・・・プルガトリオ」→苛責によって「浄化」される場所
といってもいいかもしれません。

(『公教要理』によって確認したわけではありませんが)
生きている信者の「死者のための祈り」により、「浄化」の期間が縮められる、と聞いたことがあります。
また、「死者の霊魂」は、生きている信者が苦難に遭っているときに、「手助け」をしてくれる、とも聞きました。

「このような死者と生者の助け合い」のことを「諸聖人の通功」(古い「使徒信経」中の用語では)と言うそうです。

「浄化」を終えれば、あとは『最後の審判』を待つばかり。
審判後は二箇所のうちのどちらかで、「永遠」を迎える、ということになるのだと思います。
この「永遠」というものの重みを真剣に受け止めた時、多分キリスト教の信仰における 底知れぬ「重み」というものに遭遇することになると思うのですが、実際の信者の中にも「永遠」というものに真摯に向き合っている方は、ごくわずかであるような気がします。

11maki:2007/12/25(火) 21:57:45
33さんこんばんは
10000までと書いたつもりが、ゼロひとつ忘れていました。

>>8
>「1000まで」 といわず、「10000」めざして(まったりと)いきましょう!
はい。
10000まで、いきましょう!!♪

1233:2007/12/25(火) 22:12:20
(補足)

海外の災害や難民たちへの「支援」を行う時、日本におけるカトリックやプロテスタント諸派は「エキュメニズム」の考え方から、協力して事に当たっていると聞いたことがあります。

【エキュメニズム】
Ecumenism
キリスト教の超教派による結束を目指す主義、キリスト教の「教会一致促進運動」のこと。
「世界教会主義」(せかいきょうかいしゅぎ)ともいう。
転じて、キリスト教相互のみならず、より幅広くキリスト教を含む「諸宗教間の対話と協力を目指す運動」のことをさす場合もある。

※ただ、ここに含まれない団体が2つあります。
「統一原理協会」と「エホバの証人」です。
カトリックやプロテスタント諸派が共通の「共同訳聖書」を基にしているのに対し、彼らは独自の聖書(「エホバの証人」の場合は、ギリシア語「原典」からの「独自訳」であり、「十字架」の部分は「杭」と訳されている、と聞いたことがあります。)
基盤が異なるため、共通の話し合いが成立しにくいのが、その(日本における「教会一致促進運動」に含まれていない)原因ではないかと自分は考えています。
どちらにも、友人や知人が所属していましたので、何度か集会に顔を出したり、本や冊子を購入したり、何日間かの集中講義の記録ノートを読ませてもらったりしたことがありました。

1333:2007/12/25(火) 22:24:07
>血脈や生で経験する因果関係による凸凹は小さなもので,平等なのだ

旧約聖書の『ヨブ記』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0487.html
における「義人ヨブ」の「試練」およびその「苦悩」を思うとき、人間の弱さや「信仰とは何か」について、深く考えさせられると思います。
(キリスト教では、「カルマ論」を否定しているだけになおさらの面が感じられますが)

1433:2007/12/25(火) 22:37:38
>蛇が尻尾を食うモデルについて聞いたら,それはない!

「錬金術」や「魔術」関連書によく登場する『ウロボロスの輪』のことですね。

>死後を無として前提とし,有の生で刻みの中で幸せを追求することができる王道だよなー

キリスト教では、死後は「無」ではないと思います。
キリスト教では、人間存在を「二分節」として捉えているわけですが、
それは「肉体」と「霊魂」。

(キリスト教の考え方では)死後、「肉体」は滅びるが、「霊魂」は滅びることがない。
そこで「最後の審判」後の「天国」か「地獄」かの「二者択一」に思いを馳せる時、
「永遠」というものが、とてつもなく大きな意味を持ってくるのだと思います。



【ウロボロス】
Ouroboros
自分の尾を噛んで「環」を作る「蛇」または「竜」で表現されるシンボル。
始めと終わりがないことから、自己の消尽と更新を繰り返す「永劫回帰」や「無限」、「循環」、「真理と知識の合体」、「創造」など幅広い意味を持つ。
「錬金術」などで用いられる場合は背が「完成」を表す「赤」、腹が「発展」を表す「緑」の「竜」の寓意図で示される。

15月子:2007/12/25(火) 22:38:49
新スレおめでとうございます♪
そういえば、雑談スレってなかったんですね。
こういうの欲しいと思ってたって感じかな。

嬉しいで〜す☆ \(^O^)/
こんな私でもまったりできる場所ができたことが嬉しいです。
どこかでまったりしても、削除されちゃうのってつらかった。w
せっかく心から書き込んだものを削除された時は、悲しかったな。
でも、私がつまらないことに巻き込まれた結果ですね。テへ〜(;^Q^)

月スレのほう、レスありがとうございました。m(_ _)m
さっきから、というか昨日から、月スレにいただいたレスを読んでいたのですが、
思うことがあちこい散らばり、とうていレスがまとまりません。

私は本当に無知で、なにも知らないことが多いと思いますが、
興味が広がりすぎなのが、とりとめがなくなっている一因だと思っています。
33さん、いろいろ教えてください。

あらためて、よろしくお願いいたします。
今年はお世話になりました。(今年もあと一週間になってしまいました☆)

あちらには、ゆっくりになりますが、じっくりレスさせてください。
レスを考えるのが楽しみです。

16月子:2007/12/25(火) 22:41:47
>>6
>わーい^^
>33さんに甘えつくすスレだ!!

(^^;)

1733 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 23:02:33
>死後を無として前提とし,有の生で刻みの中で幸せを追求することができる王道

そのように捉えて見える方の考え方は「尊重したい」と思います。


だが、「まてよ?」と自分は思います。
頭の中をよぎるもの、それはキリスト教の歴史を振り返ったときに、決して無視することのできない、おびただしい数の「殉教者」が存在した、という「事実」です。
ローマ帝国の皇帝「ネロ」によるキリスト教徒への弾圧をはじめとして、世界各地で何十万という人々が信仰に殉じて自分の命を捧げています。

「殉教」。
これは、自分を例にとって考えてみればわかると思いますが、並大抵のことではありません。
「自分のすべてを投げ出し、捧げる」行為です。
この日本も例外ではありません。
※自分の住んでいる東海地方を例にとっても、江戸時代、罪人の処刑場の1つであった尾張の「千本松原」では、キリシタンが2000人以上処刑され、その首を埋める場所がお寺の境内では足りなくなったため、異なる土地に第二処刑場を設けざるを得なかった、と「千本松原」の住職さんにお聞きしたことがあります。

果たして、「殉教」していった、自分の命を信仰に捧げていった彼らは、「死後を無」と考えていたのか、
「有の生で刻みの中で幸せを追求することができる」と、本当に考えていたのだろうか、
もしそうだとしたら、「自分の命をかける」などということが果たしてできたのだろうか。

こう考えていったとき、自分は(申し訳ありませんが)「かれら(「殉教者」たち)の信仰」については、その叔父さんとは「異なる結論」に至らざるをえません。
(叔父さんの考えは、「尊重」しますが)

1833 ◆CxL9G6V072:2007/12/25(火) 23:41:25
>月子さん

ようこそ。
書き込みありがとうございます。

>興味が広がりすぎ

自分もです。

>『アトランティスの叡智』 ゲリ−・ボーネル

少し読み始めましたが、彼の説の基となっている「アカシック・レコード」を彼がどのように捉えているのか、について確認する必要がある、と感じました。
(2冊ほど、彼が書いた「アカシック・レコード」関係の著書の邦訳が出版されているようですね。
(今後)確認してみたいと思います。)

>『王家の紋章』

やっと第1巻を読み終えました。
どうやって52巻まで話(ストーリー)を繋げていくのか、楽しみです。

これからも、思いついたことを何でもまったりと書き込んでください。
(「ブログ風の書き込み」でもOKですよ。)

こちらこそ よろしくお願いいたします。 m(_ _)m

1933 ◆CxL9G6V072:2007/12/26(水) 00:16:22
>きりんさん

>とらわれを減らせば,一気に抜け出ることもできるわけで,
>でも,一気に抜けないとするのがキリスト教的なのかと思いました.
>一気に抜けても段階的に到達できないはるか高みの神がいらっしゃる.

「信仰と回心」について、思い浮かべるとき、自分は
空中を「的」に向かって飛んでいく「矢」を想像します。

「方向」が逸れようとする。
…これが「とらわれ」であり、「煩悩」なのかもしれません。

逸れかけた方向性(ベクトル)を、「的」の方向に修正する力。
…これがキリスト教でいうところの「回心」というものだと思います。
その力のもとになるのが、おそらく「祈り」であり、「秘跡」や「ミサ聖祭」の持つ力なのだと思います。


>とらわれを減らせば,一気に抜け出ることもできるわけで

そう簡単にはいかないのは、「参禅体験」をお持ちの方にはお分かりのことだと思います。
カトリックでは、「告解」の秘跡(サクラメント)という心理学的に見てもよくできた「システム」があります。
プロテスタント諸派の実情については詳しくありませんが、「懺悔」などを取り入れている宗派もあるのでは、と思います。
真摯にこれに取り組めば、大きな「浄化作用」が得られると思います。


>一気に抜けても段階的に到達できないはるか高みの神がいらっしゃる

神との合一体験を目指していくのが「キリスト教神秘主義」の立場なのだと思います。
代表的な人物として、自分が関心を持っているのは、12世紀の「マイスター・エックハルト」という人物です。

【マイスター・エックハルト】
Johannes Eckhart
(1260頃-1328)
ドイツの神秘主義思想家。
チューリンゲン生まれ。
パリ大学にてマイスターの称号を受ける。
ドミニコ会のザクセン地方管区長やボヘミア地方副司教等を歴任。
1326年ケルンで神学者として活動。
万物に神が宿っているとする汎神論的立場から、「魂と神との神秘的合一」を説いた。

「汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。
さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。
神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう」

このような「ネオプラトニズム」(新プラトン主義)的な思想が、教会軽視につながるとみなされ、異端宣告を受けることとなった。
これに対し「弁明書」を提出。
当時教皇庁があったアヴィニョンで同じく異端告発を受けた「ウィリアム・オッカム」とともに審問を待つ間(もしくはケルンに戻った後)に、没した。
その死後 1329年、「エックハルト」の命題は異端の宣告を受け、著作の刊行・配布が禁止された。
これによって彼に関する記録はほとんどが失われた。
その生涯は上記の「弁明書」等から再構成されるのみであり、不明な部分が多く残されている。


【放下】(ほうか)
Gelassenheit
「キリスト教神秘主義」、とくに「ドイツ神秘主義」で用いられる概念。
「我性」を捨てて「イエス・キリスト」にすべてを委ね、死にきり、己を「無」とする。
そのことによって「キリスト」の「受難と復活」に与り、真によく生きることをいう。
「マイスター・エックハルト」における中心概念であり、「ヤーコプ・ベーメ」らに継承される。


【離脱】
「エックハルト」が著書や説教で使用した用語。
外面の影響が内面には影響を及ぼさない状態に至ること。
「離脱」後は、「為すこと全て」が「神の在り方にかなう」ようになる、とのこと。
(※一般に言われる「幽体離脱」や「体外離脱」とは意味・使用法ともに異なる。)

20月子:2007/12/26(水) 01:15:01
あんのー
ゲリー・ボーネル、一冊しか持ってないし、斜め読みで未完読なのです。
「王家の紋章」4冊でグッタリしましたんで。(借りたのです)
それに、まだ完結してないんですよね〜(^^;)

33さんの情熱に頭が下がります。私は浅く広くしかできないなあ。。。
お休みなさい。ありがとうございました。

21月子:2007/12/26(水) 01:16:57
>>20>>18 33さんへもレスです。

2233:2007/12/26(水) 10:06:30
>月子さん

自分も「浅く広く」です。

昔から、愛書家の間で言われている言葉に「一書の人を恐れよ」という言葉があります。
ある1つのものを極めれば(「達人級」のマスターになれば)、すべてのことに「応用」が利くようになる、という意味であると思います。
似たニュアンスを持つ言葉といえば、「一芸に秀でるものは、諸芸に秀でる」あたりかもしれません。
その極めた「一芸」を通して、他のものにも共通「真理を悟る」ことができているのかもしれませんね。
いわゆる「職人芸」の持ち主に、このような方(哲学的な知識はなくとも何が大切であるかを嗅ぎ分けることの力を持ってみえる方々)が多いと思います。
そのような方と話をする機会があると、短い時間でも、幾多の苦労・艱難や体験に裏打ちされた「永く心に残る言葉」に出会えることがあります。
(夢子さんの「幽体離脱体験」から得られた直感や認識も、そのようなものとして(自分は)理解させていただいています。)

23きりん:2007/12/28(金) 13:26:33
夢子さん,makiさん,つきこさん!
こんにちは〜^^

33さん
見ていたのですが,,,
おってレス考えますね!

2433 ◆CxL9G6V072:2007/12/28(金) 20:35:39
>きりんさん

レス、楽しみにしています。

25月子:2007/12/28(金) 21:54:36
オルテガ・イ・ガセットの言葉
「人間は造物主でなく、ただ歴史あるのみ」

ロイ・ポーター(理学博士)
人は自分で人になり、自分の幸福を自分で保証する。
人間は、自分を変える無限の能力を持っている。
人間は時間の産物なのだ。

ジョン・ダン(16−17世紀の詩人、神学者)
「天性のおとった動物は現在に囚われるが、人間は未来の動物である」

時間について考えてみた。

26月子:2007/12/28(金) 22:01:35
エリアーデ
「人生は他者に教えられた仕種の絶えまない繰り返し」

27月子:2007/12/28(金) 22:09:59
>>15
こんばんは。
読ませていただくことが多く、ふと思ったこと、読んだ本などから
ピックアップしてみたりでもいいでしょうか。

エジプト人の神話
死者の埋葬の儀式の中で、故人に捧げられる言葉
「我は昨日なる、今日なり、明日なり」

キリスト教の暦は最後の晩餐の再現。

ヒンズ−教の聖典
「われわれは神々がはじめになされたことをしなければならない」

28月子:2007/12/28(金) 22:15:24
訂正
×キリスト教の暦は最後の晩餐の再現。

○キリスト教の暦では、毎年キリストの降誕節、受難節、死と復活劇が
 儀式として祝われつづけている。キリスト教徒の晩餐式は、
 最後の晩餐の再現である。

2933:2007/12/29(土) 08:56:25
>月子さん

たくさんの「話題提供」ありがとうございます。
ただ、提供の際、短くてもよいので、★「月子さんご自身のコメント」をつけていただくと、レスが返しやすいです。
これからは(★月子さん「ご自身のコメント」付け)よろしくお願いします。

3033:2007/12/29(土) 09:09:48
>オルテガ・イ・ガセット

法政大学出版の書物などで名前は見かけたことがありましたが、著作は未読です。
今回下記サイトにて少々調べさせていただきました。

「ウィキぺディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BB%E3%83%88
「松岡正剛の千夜千冊」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0199.html

どのような文脈で語られた言葉なのかは存じませんが、
「人間は造物主でなく」
については、同感です。
人類の「クリエイティブな活動」は、「無」から「有」を造りだす性質のものではないと感じています。

「ただ歴史あるのみ」
ただ、「知られている以外の歴史」もあるのでは、と思います。

3133:2007/12/29(土) 09:28:10
>ロイ・ポーター

>人は自分で人になり、自分の幸福を自分で保証する。

これも前後の文脈が不明ですが。
「疑問」です。
人は自分だけでは人にはなれない。
狼に育てられた少女、「アマラ」と「カマラ」の例からも明らか。

>人間は、自分を変える無限の能力を持っている。

「潜在能力」として知られていますね。
また、人は一生の間に脳の10パーセントほどしか使っていない、などの記述を読むと、そのように感じられます。

>人間は時間の産物なのだ。

肉体自体には、その言葉はあてはまると思います。
大きな視点に立てば、「地球」も「太陽系」も「銀河系」も、そしてこの「宇宙」も「時間の産物」と言えるのかもしれません。

乱読ノート 〜千里の山も一歩から〜
http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20060806

3233:2007/12/29(土) 09:48:35
>ジョン・ダン(16−17世紀の詩人、神学者)
>「天性のおとった動物は現在に囚われるが、人間は未来の動物である」

確かにそれは、人間の「長所」であり、「他の動物にはない特徴」だと思います。
しかし、次の言葉を聞くと、それが返って「短所」に思えたりすることもあります。

6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
   けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、
   ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。

                   『新約聖書』より

自分の好きな言葉は
『明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう』
とか
『明日は明日の風が吹く』
(※「人事を尽くして天命を待つ」という意味で)
です。(笑)





ジョン・ダンの生涯と作品
http://www.edu.yamanashi.ac.jp/~taki/donnej.html
ダンのちょっと気になるテキスト集
http://www.edu.yamanashi.ac.jp/~taki/passage.html
『ジョン・ダン全詩集』
http://home.hiroshima-u.ac.jp/forum/30-1/jityo1.html

3333:2007/12/29(土) 09:59:23
>エリアーデ

「エリアーデ」には興味深い著作が多いですね。
彼の「オカルト事典」には、お世話になっています。

>「人生は他者に教えられた仕種の絶えまない繰り返し」

グルジェフの「人間機械論」を連想させられました。

ウィキぺディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%87

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%95
「松岡正剛の千夜千冊」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0617.html

3433:2007/12/29(土) 10:31:05

>エジプト人の神話
>死者の埋葬の儀式の中で、故人に捧げられる言葉
>「我は昨日なる、今日なり、明日なり」

エジプト人は、(一般的に)「死後の生」を信じていたとされています。
「死者の書」が「免罪符」的性質を持つもの、とするのは「地獄の沙汰も金次第」的な感じがします。

死後身体から離れた「魂」にこそ「霊性が宿る」という考え方は、世界の諸宗教の霊魂に対する考え方に通ずるものがあると思います。

>「我は昨日なる、今日なり、明日なり」
これも、用いられた文脈が判然としません。

どちらかというと、昔読んだ「ヨガ文献」の、
すべて
「今!今!今!の連続である」
という言葉に近いような気がします。

ここでは、「過去」や「未来」というものなどは無く、ただ「今現在」にのみ「生ききる」という決意(意識)が感じられました。

逆にキリスト教関連では、
「モーセ」が出会った神(YHVH)の
「我は在りて在る者なり」
という言葉や、
「メルキセデク」の
「私はアルファでありオメガである」
という言葉を思い浮かべます。(神の臨在)


【エジプトの「死者の書」】
Book of the Dead
1842年ドイツのエジプト学者「レプシウス」が「ツリン・パピルス」という165章のパピルス文書を『エジプト人の死者の書』と名付けて出版。
『死者の書』は、パピルスの巻物に描かれ、柩の中やミイラの両足の間の包帯の中に収められた。
各章は「死者の告白」、「懇願」、「祈り」などが一人称によって語られている。
本来は、葬儀の際に「神官」によって唱えられる「呪文」。
死者自らも唱えることが出来るように、死者と一緒に埋葬されるようになったという。
こうした『死者の書』は特定の個人のために作られた品ばかりでなく、買い手の名前を書き入れる場所が用意された「販売用」のものも用意されていた。
この「パピルスの所有者」である「死者」は、「冥界」を支配する「オシリス神」の前で「無罪」とされ、やがて「オシリス神」となることが出来た、とのこと。
残された『死者の書』のうち、どれ一つとして190章全部を包含しているものはない。
そのなかで書記官「アニ」のパピルスが最も有名。
1888年にテーベで発見。
製作されたのは第18王朝の中頃(紀元前1450〜1400年頃)とされており、現在「大英博物館」に収められている。

【ミイラ】
mirra(木乃伊)
人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、長期間原型を失わないで保全可能な状態となった死体。
「語源」は防腐処理に使われた樹脂「ミルラ」(没薬、myrrh)。
古くより神秘的な力があると考えられ、死者を後世まで残すなどの目的で古代から行われた。
古代エジプトでは、心臓以外の内臓を摘出したあとの死体を70昼夜にわたって「天然炭酸ナトリウム」に浸す。
それを取り出したあと、「布」で幾重にも巻いて完成させた。
内臓の摘出には開腹手術をおこなったが、脳の場合には頭蓋骨を開かず、鼻から鉤状の器具を挿入して取り出した。
「理性」の宿る場所を脳と見做さなかった当時においては、死後身体から離れた「魂」にこそ「霊性が宿る」との観念に立てば、心理的抵抗は無かったと考えられる。
むしろ「心臓」が「理性」の場と考えられ、これは取り出され壷に入れられ大切に保管された。

3533:2007/12/29(土) 11:06:36
ある宗教・宗派がどんな内容を持っているのかについて、手っ取り早く知る方法の1つとして、その宗教の重視している「行事・祭り・典礼暦」などを調べてみる、という方法があります。

暦の歴史
http://209.85.175.104/search?q=cache:e_L59LkI3P8J:www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Subjects/phenomene/histoire_calendrier.html+%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99+%E5%85%B8%E7%A4%BC%E6%9A%A6&hl=ja&ct=clnk&cd=7&gl=jp&lr=lang_ja
カトリック典礼暦
http://209.85.175.104/search?q=cache:AIgvNYGfIZUJ:www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/1052/koyomibn40.html+%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99+%E5%85%B8%E7%A4%BC%E6%9A%A6&hl=ja&ct=clnk&cd=6&gl=jp&lr=lang_ja

3633 ◆CxL9G6V072:2007/12/29(土) 11:36:21
>キリスト教徒の晩餐式は、
>最後の晩餐の再現である。


上記の文が、どこからの引用かは存じませんが、ここ(「晩餐式」に対する見解)ではプロテスタント諸派とカトリックとを分けて考える必要があるように思います。

カトリックでは,7つの聖礼典(秘跡:サクラメント)を行うが,プロテスタントは『バプテスマ』と『主の晩餐式』の二つの聖礼典だけ。

プロテスタントにおける(バプテスト派では)「主の晩餐式」(Lord's Supper)または(福音派などでは)「聖餐式」(Holy Communion)
パンと杯を受けること。
自分が以前いくつかのプロテスタント諸派の教会で体験した所では、実際に1cm角くらいに切り分けられたフランスパンと1ml程度のブドウ酒が使用されていた教会もあった。
イエスが十字架の上で成し遂げた“あがないのわざ”を記念して執り行われるもの。

これに対し、カトリックのミサでは、実際のパンやブドウ酒ではなく、使用されるものは「聖体パン」(ホスチア)とよばれる薄くて味の無い煎餅上のもの。
プロテスタント諸派が聖餐式を「しるし」(記念)として執り行うに対し、カトリックでは、単なる象徴ではなく、ミサの途中で「聖変化」(ホスチアにおけるキリストの現存)が起こるとしている点が異なる。

3733 ◆CxL9G6V072:2007/12/29(土) 11:59:42
>ヒンズ−教の聖典
>「われわれは神々がはじめになされたことをしなければならない」

『パガヴァット・ギーター』はかなり以前によんだことはありますが、部分的に印象に残る部分はありましたが、細部までは覚えておりません。
月子さんがおっしゃられる「ヒンズー教の聖典」とは何をさしているのでしょう。
教えていただければ幸いです。

「ウパニシャド」における「インドラ神話」のことでしょうか。
http://blog.so-net.ne.jp/two-tone-cat/archive/c35380213

それとも「乳海撹拌の神話」?
http://mymeme.shiftweb.net/mt/archives/000088.html
http://www.geocities.jp/r13679/study/hindu_mythology.html

3833 ◆CxL9G6V072:2007/12/29(土) 12:23:41
再び

>エジプト人の神話
>死者の埋葬の儀式の中で、故人に捧げられる言葉
>「我は昨日なる、今日なり、明日なり」

素直に
「我=死者」
ととれば、

「死者の霊魂」
は、
「昨日あったように、今日も、そして明日もありつづける。」
という意味かもしれませんね。

39:2007/12/29(土) 16:31:34
みなさんこんにちは
(^-^)/

今夜はおせちの煮しめをつくる予定です

みなさんはお正月はどんなご予定ですか?
私はお正月はきらい。
だって退屈なんだもん

子供の頃は楽しみだったけれど

4033 ◆CxL9G6V072:2007/12/29(土) 17:25:05
>夢子さん

毎年、親族で集まって、皆で「おせち料理」を食べながら歓談し、ゆっくりと過ごすのが恒例です。
(「お年玉」の用意が必要ですね)

41きりん:2007/12/29(土) 23:42:17
>夢子さん

お正月
子供のころはきらいでした,
大人になると,ちりじりになった家族が年にいっぺんそろって
おせちを・・・っていうのもいいなー
ご〜んマダハヤイ

4233 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 06:08:48
お正月

賑やかいよ。

なんせ兄弟の子どもたちが集まるので

トランプ1つじゃ収まりきらない。

そのうち、他のゲームや、テレビゲームも始まるし…。

「お年玉」を渡すときは、順番に並んでワクワクしながら「ご挨拶」の儀式。(笑)


大人たちは、テレビを見ながらビールを飲んで、近況報告&世間話。

みんなの懐かしい笑顔に囲まれ、宴会気分を味わうひととき…。

4333 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 09:52:21
子どものころは、お正月といっても、それほど変わったことはなかった。
餅や雑煮を食べる機会が増えたこと、友だちとの年賀状のやりとりを楽しみにしていたこと、凧あげなどを楽しんでいたこと、兄弟でカルタやトランプ、坊主めくりや花札などで遊んだこと。
親戚付き合いはそれほど多くはなく、お年玉をもらった記憶は少ない。
宗旨の違いから、初詣にはいかなかったが、神社という場所は嫌いではなく、むしろ他の子よりも足繁く通っていたかも。
(子どもたちにとって、遊びの際の集合場所の一つになっていたので、そこで遊んだ思いでも多い。)
しかし、神社の森は村で一番の「マムシ」の生息地でもあり、なんとなく「森は怖い」という思いを持っていた。
実際、夏にカブト虫やセミなどを取りに行った際、セミをみつけた、と虫とり網をふりかぶったところ、そのすぐ下(木の幹)に、蛇がいたことがあったし、入り口近くの木の洞(うろ)には、蛇が棲んでいる、と言われていた。
また、鳥居に続く参道の階段(三段ほどだが)付近に朽ちた丸太が転がっていたため、何かシロアリなどがいるのではないかと思いひっくり返してみた所、蛇の卵(黄色味を帯びた白色)がいくつか転がって出てきたので、びっくりしたことがあった。

子どものころの正月の思い出から始まって、「神社と蛇」の思い出になってしまった。
(自分の「夢」の中では、「神社と蛇」が結びつくと、「金運急上昇」の合図になっています。(笑))

4433 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 10:05:23
>きりんさん

>大人になると,ちりじりになった家族が年にいっぺんそろって
>おせちを・・・っていうのもいいなー

本当にそれを実感しますね。
(兄弟の中には日本の各地に離れて住んでいる者もいますので…)

父親は15年ほど前に他界しましたが、母親は健在です。
盆や正月に親族が集まってはいますが、それもこの母親が生きているうちのことかもしれないな、と感じることがあります。
遠隔地から家族そろって里帰り(現在、実家は取り壊されて残ってはいません。この地には、「一族のお墓」がありますので、「お墓参り」という意味はありますが)するのは、日程的・費用的にも負担が大きいので。

親の死後は、自然と「冠婚葬祭」的なつながりだけが残っていくのかも……。

(※「家族の歴史」というものを考えたり、「家族霊」についても考えたことが以前ありました。)

45きりん:2007/12/30(日) 10:17:01
>33さん
父の死後は,頼べばどこにでも出現するんだ!
と思ってます.わたしにはこちらのほうが心強いです.

4633 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 10:26:48
〔正月前後の思い出〕

昭和の世代に生まれ育った自分の中では、
「大晦日」といえば、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」。
それほど歌謡曲に関心があるわけではありませんでしたが、
「美空ひばり」の「歌唱力」が、他の歌手たちとは群の抜けた境地であるように感じられた(「風格」が感じられた。また、客を「うっとりとさせる」という意味で本物の「プロ」というものを感じさせられた。)という印象があります。
男性歌手では、「森進一」とか、「北島三郎」がよく「トリ」を勤めていました。
その後の「ゆく年・くる年」の各地のお寺からの「除夜の鐘」の中継も楽しみでした。

年が明けると、(子どもですので)なんでも「初○○」といっては、喜んでいました。
新年には、テレビのCMも改まっているものが多く、新鮮に感じられました。
年が変わっても同じCM内容のものを見ると、なぜか軽い「腹立ち」を覚えたりしました。(笑)

47きりん:2007/12/30(日) 10:35:37
年末年始
なんつーか,
108つの煩悩数えたら,
すぐ初詣でつぎの煩悩,
う〜ん,あなどれん!!
オレか?^^;

4833 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 11:21:16
>きりんさん

>父の死後は,頼べばどこにでも出現するんだ!
>と思ってます.


「祀る所に霊はあらわれる」といいますからね。

父との別れの場合は、「覚悟」ができていましたので。
(10か月間、看護しましたので。おかげで「看護」を学ぶよい機会を持たせていただいたと思っています。)

4933 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 11:26:15
「ほんのう(本能)」が濁ると「ぼんのう(煩悩)」になると言いますね。

まあ、(本能も)完全になくなると生きてはいかれないのでしょうが。
その意味では、本能を「悪」とするわけにもいきません。

囚われたり、振り回されたりせずに、(本能と)うまくつき合っていけるとよい、と考えています。

50きりん:2007/12/30(日) 11:34:46
このへん肉体ルールがありますからね.
だれも平常心でいられない,ハズ

まぁ〜,今日も元気だ!
ご飯が美味い!!^^

5133 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 14:12:06
2ヶ月ほど前になりますが、
1ヶ月を「15円」の所持金で過ごされたことのある方のお話を伺う機会がありました。
草でもダンボールでも何でも食べたとのこと。
その方が「犯罪」に走らなかったことは、自分には「奇跡」のようにも思えました。


一杯の飯のうまさよ うれしさよ

感謝!

5233 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 14:42:01
人は「衣」・「食」・「住」に死ぬまで困らなくなったとき、何を思う。

『終身受刑者の日記』より

自分の「仮想」です。

5333 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 14:46:22
逆に、昔の「雲水」など、托鉢で食べるものが何も得られなかった時など、「不安」はなかったのか。
特に冬場は(心身ともに)辛かったのでは…。


「旅に病み 夢は枯れ野をかけ巡る」

芭蕉

54きりん:2007/12/30(日) 15:09:51
托鉢僧は,きっと夢などではなかったと思います.

55きりん:2007/12/30(日) 15:53:56
存在論,目的論,いろいろありますが,
おもわくとは無関係に時は過ぎていく・・・

と一年いっぺんくらい身を振り返って反省してみていーではありませんか!^^;

5633 ◆CxL9G6V072:2007/12/30(日) 20:14:46
>きりんさん

レスありがとうございます。

ご指摘の通り、「雲水」から「芭蕉」では、飛躍しすぎていましたね。

実は、その間に
「野垂れ死に」→江戸時代の「野垂れ死に」した無名の俳人(あるいは「歌人」)の晩年を描いた「つげ義春」の作品
が思いだされ、そこから芭蕉の句へと連想が進んだような次第です。
「芭蕉の抱いていた夢」にも少々興味はありますが。

しかし、「托鉢僧」にとっては、それが生死に直結する現実。

そんなことの他に、自分が幼少の頃(4〜6歳の頃)のある冬の朝、足のない「乞食」が自分の家に、食べ物を分けて貰いに自分の家を訪れた時のことを思い出していました。
(※戦争(第二次世界大戦)で足を失った方(戦傷者)だったと思います。)

また、岩下志麻が演ずる『はなれごぜ おりん』が、暗い日本海に臨む小道を転びながら杖をついて歩く姿も重なって思い出されました。

5733 ◆CxL9G6V072:2007/12/31(月) 13:19:21
さて、本日は大晦日。
年始参り関係の準備を終えたら、読書。
夕方には風呂上りにビールを飲みながらまったりと「K1観戦」の予定。

皆様、今年一年、いろいろお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。 m(_ _)m


では、よいお年を。

58:2007/12/31(月) 21:45:48
私は第九を聞きつつ。。。
よいお年を。

59:2007/12/31(月) 21:52:15
きりん様
来年もどうぞよろしくお願いします。
よいお年を。

33様もみなさまも、よいお年を。

60:2007/12/31(月) 22:06:34
みなさんこんばんはー
今年ものこすところ後二時間。まったりしてますか〜
私はおせちを作りと掃除を終え、ただいま洗濯中。これがすんだらTVをみながらコタツムリになります。
近年、おせちを買う家庭が急増ですね。味もいいが値段もいい。私は例年、10人ぶんをくらいを作るので、高くてかえないのです。(笑)

61:2007/12/31(月) 22:13:23
むかしは大晦日というと、友人と初詣にでかけるのでわくわくしました。いまは…さむくってそんなパワーがない。
昨日、イタリアの古代遺産のDVDと単行本を購入。ゆっくりみたいなとおもいます。


来年もよろしく〜
よいお年を!

62:2008/01/01(火) 00:02:19
あけましておめでとー

6333 ◆CxL9G6V072:2008/01/01(火) 03:08:57
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

皆様にとって、よい年でありますように。

64夢子 ◆BD3Eqi1LqU:2008/01/01(火) 13:14:46
あけましておめでとです〜

65きりん:2008/01/03(木) 01:45:17
おめでとーございます!!
>月子さん,夢子さん,makiさん,ねこさん
遅ればせながら・・・^^;

托鉢僧なり,足のないこじきは自分,
そう思って生きて生きつつ,だまされつつ...

K1はどうなったのでしょうか?
オレは今年も初詣にいって,
新たな煩悩,かさねましたぞ〜!

66きりん:2008/01/03(木) 01:46:29
あれ,忘れてた^^:
33さん
あけましておめでとうございます!
ことしもよろしく!
です

67きりん:2008/01/03(木) 02:04:51
>>56
つげ義春

「ごおぉぉ〜」(冬の風)

てな感じです.流れにしてながしてるのでしょうか?
芸術家の方々には頭が下がります.

6833 ◆CxL9G6V072:2008/01/03(木) 10:51:59
きりんさん、こちらこそよろしく。

【2007 大晦日 K1の結果(テレビ放送分)】

▼オープニングファイト:K-1ルール 3分3R
       ○立川隆史 vs 井上由久×
        1R1分53秒、TKO ※3ノックダウン
▼K-1甲子園トーナメント1回戦:K-1ルール 3分3R
第1試合 ○HIROYA vs 才賀紀左衛門×
        3R判定3-0
第2試合 ×久保賢司 vs 雄大○
        3R判定3-0
▼HERO'Sルール *:5分3R **:1R10分、2R5分
第3試合 ×宮田和幸 vs ヨアキム・ハンセン○ *
        2R2分35秒、チョークスリーパー
第4試合 ○メルヴィン・マヌーフ vs 西島洋介× **
        1R0分49秒、TKO
第5試合 ×ミノワマン vs ズール○ *
        3R3分03秒、TKO ※タオル投入
第6試合 ○田村潔司 vs 所英男× *
        3R3分08秒、アームバー
▼K-1甲子園トーナメント決勝戦:K-1ルール 3分3R
第7試合 ×HIROYA vs 雄大○
        延長R判定1-2
▼K-1ルール 3分3R延長2R
第8試合 ○武蔵 vs ベルナール・アッカ×
        3R1分26秒、KO
第9試合 ○ニコラス・ペタス vs キム・ヨンヒョン×
        2R0分41秒、TKO ※タオル投入
第10試合 ○魔裟斗 vs チェ・ヨンス×
        3R0分54秒、TKO ※タオル投入
▼HERO'Sルール *:5分3R **:1R10分、2R5分
第11試合 ○ボブ・サップ vs ボビー・オロゴン× *
        1R4分10秒、KO
第12試合 ×ハニ・ヤヒーラ vs 山本“KID”徳郁○ *
        2R3分11秒、KO
第13試合 ○桜庭和志 vs 船木誠勝× **
        1R6分25秒、チキンウイング・アームロック



【その他の試合結果】

×ジム・チョンボン・キクチ(1R1分6秒KO)デヴィット・ヴェラスケス○

○ジェフ・フォード(1R2分58秒TKO)フィリップ・プリース×

○ダニエル・ピューダー(判定)ジェイ・マコーン×

○ジミー・ウェストホール(1R1分33秒TKO)アダム・バーノン・グェラ×

○ジョン・フィッチ(1R2分41秒TKO)ゲイヴ・ガルシア×

○中嶋勝彦(1R1分25秒TKO)ジェイソン・レイ×

○佐々木健介(1R2分35秒フロントネックロック)クリスチャン・ウェリッシュ×

○ボビー・サウスワース(2R0分41秒TKO)ブライアン・バードー×

○ダン・ボビッシュ(1R1分33秒TKO)ベイシル・キャストー×

6933 ◆CxL9G6V072:2008/01/03(木) 10:58:03
56に対する67のレス、ありがとうございます。

調べてみたところ、単行本『無能の人』の一篇、
『蒸発』中で描かれていた流浪の俳人
「井上井月」のエピソードでした。

この作品に関連すると思われる「つげ義春」の談話がありましたので、紹介しておきます。

「旅の究極は蒸発して行方をくらますことだと思うんです。
ふつうには旅の魅力は一時的に日常から遊離する解放感だと思うんですけど、蒸発はそれを持続させる行為、帰ってこない旅ですから、社会から脱けてしまうことですね。
(略)
仏教風にいえば自分から解放されるというのは解脱というんですかね、
何ものにも拘束されない自在の境地。
(略)
旅に惹かれるというのは、その奥深い解放感をどこかで感じるからではないですかね。」
(「伊那谷の鉱泉宿の辺りで、乞食になって消えていきたい。」
『温泉四季vol.1』91年8月、所収)

70きりん:2008/01/03(木) 12:37:12
こんにちは〜!
K1の結果,ありがとうございます
秋山は負けたらしいですね,総意なのか?

やれんのか! 大晦日! 2007
第1試合 5分2R
○ アメリカ合衆国の旗 マイク・ルソー vs. ロシアの旗 ローマン・ゼンツォフ ×
1R 2:58 前方裸絞め
第2試合 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 川尻達也 vs. ブラジルの旗 ルイス・アゼレード ×
2R終了 判定3-0
第3試合 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 瀧本誠 vs. ブラジルの旗 ムリーロ・ブスタマンチ ×
2R終了 判定2-1
第4試合 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 石田光洋 vs. アメリカ合衆国の旗 ギルバート・メレンデス ×
2R終了 判定3-0
第5試合 Dynamite!!協力試合 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 三崎和雄 vs. 日本の旗 秋山成勲 ×
1R 7:48 KO(左フック→キック)
第6試合 Dynamite!!協力試合 1R10分、2R5分
○ ロシアの旗 エメリヤーエンコ・ヒョードル vs. 大韓民国の旗 チェ・ホンマン ×
1R 1:54 腕ひしぎ十字固め
第7試合 セミファイナル 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 桜井"マッハ"速人 vs. 日本の旗 長谷川秀彦 ×
2R終了 判定3-0
第8試合 メインイベント 1R10分、2R5分
○ 日本の旗 青木真也 vs. 大韓民国の旗 ジョン・ブギョン ×
2R終了 判定3-0


世間から行方をくらます
吾を発見する
世間に帰ってくる

*繰り返し

因果な商売ですな〜

7133:2008/01/03(木) 13:46:18

三崎に「反則」の可能性があるとのこと、秋山と再戦の可能性も出てきました。


以下、mnsのスポーツ欄より
(前略)
 衝撃的なKOシーンでファンを熱狂させた三崎のキックに「反則」の可能性が浮上した。「やれ―」の主催者として元日返上で試合を精査した谷川EPが語気を強めて言った。「試合そのものは近年まれに見る緊張感にあふれる試合だった。ただし、KOシーンを見ると反則と取られてもおかしくない。調査する。秋山サイドの話しも聞く」。

 問題の場面は8分すぎ。三崎の左フックを浴びてダウンした秋山が、起き上がりざまに右のキックを顔面に受けた。この一撃で三崎の勝利が決まった。しかし、「やれ―」のルールでは両手と両足をついた「4点ポジション」の状態にある相手への顔面・頭部へのキックは禁止されていた。起き上がろうとした秋山の両手がマットから離れていたという見方もある一方で、フックを浴びた直後に4点ポジションにあり、そこから蹴りにいく行為を問題視する意見も出ていた。

 既に谷川EPの元には秋山陣営から「反則ではないのか?」とルールを確認する声も届いている。秋山本人は一昨年反則を犯した自分は不満を言えないとして自重しているが、谷川EPは「去年のことは抜きにして、ルールにのっとって手続きしてもらいたい。遠慮は必要ない。提訴した方がいいと思うなら、そうすべき」と話した。秋山陣営から正式な提訴を受けてから、本格的な調査に着手することになりそう。

(中略)再戦の声が上がっている。秋山が完全なアウエー状態で戦ったことから、秋山の主戦場のHERO’S、もしくは秋山の祖国韓国が再戦会場に挙げられている。

2008年1月3日 08時46分 日刊スポーツ

7233 ◆CxL9G6V072:2008/01/03(木) 14:07:12
自分もテレビ観戦していて、目が離せない、緊張感あふれる一戦でした。

ルールについての予備知識がなかった自分は、すんなり結果を受け入れてしまいましたが、ニュースで指摘された点は、たしかに「微妙」かな、という気もします。
なかなか漫画『コンデ・コマ』(ブラジルに柔術を伝えた「前田光世」の伝記漫画…ウィキぺディアによれば、「脚色あり」、と評されていますが…。)

7333 ◆CxL9G6V072:2008/01/03(木) 14:09:16
すみません、72の途中で切れてしまいました。「続き」を掲載します。

なかなか漫画『コンデ・コマ』(ブラジルに柔術を伝えた「前田光世」の伝記漫画…ウィキぺディアによれば、「脚色あり」、と評されていますが…。)のように、勝負後はすっきりと、というわけには行かないようですね。

74きりん:2008/01/03(木) 14:13:34
ルールがあってもすっきりとしないんですか?

うーんーー

箱根駅伝!!

75きりん:2008/01/03(木) 14:20:22
わたし,ドラえもん,紅白観て飲み食いしてました.

紅白は白が勝った.・・・あとで誰かが言ってた.
勝ったら,その瞬間,やったー!!って拳を上げてしまうそうです,
そのあと,はて?と思う.
でも負けると,負けた・・・って思うそうです.

ルールがあっても思い通りにはならない,微妙な心情.
だからルールが悪いのかっておもうと, これまた絶妙なのかなぁー?

76きりん:2008/01/04(金) 00:44:25
>>72
そういえば最近コンビニで前田光世の伝記まんがを立ち読みしました・・・
ブラジルまで伝えて,それが今日本に帰ってくるって,すごいことですね!

77きりん:2008/01/04(金) 00:52:58
>>9
>「ベストセラー」

そうなんですか.悩んでるんだか,病んでるんだか,生命について知りたい時なのか・・・そう考えるとわるくない世の中の時なのかもしれないですねまじめで!(不真面目なオレがいうのも・・・)
居心地悪いんだろうなー

>>10
>「ここで死後を滅している」

教えにしたがい実践して生きていると,
生きている間に,あとのことを,
あれやこれや,考えて悩まなくともいいよ!

>>煉獄
ちゃんとした浄化が後にあるなら,
あやまったり懺悔するのは,
生きてる間に気になる汚れを捨ててさっぱりする,
生きている間の救済なのでしょうか.
とすればどこまであやまればいいかは,
どうせ完全は無理だから,
各自,すっきりするまで!

わたしは怠けで,
ひとりで「壊れた窓の理論」実践しがち.
はやめの検知を,めんどくさー ー_ー
いやいや日々実践実践・・・

78きりん:2008/01/04(金) 00:55:24
>>10
>「死者の霊魂」は、生きている信者が苦難に遭っているときに、「手助け」をしてくれる、とも聞きました。「諸聖人の通功」

そうなんですか.なんとなく,日本人にもなじみありそうな考え方ですね.しかし苦難って...

>「永遠」

??考えても無駄だ

79きりん:2008/01/04(金) 00:58:16
>>12
>エキュメニズム
はじめて聞く言葉でした

>>13
>ヨブ
以前,通りかかった教会のまえに書かれた,「ヨブ」の字を見て,神様にわからないことを尋ねようとしたことがありました.祭壇のまえにはすわらせてもらえませんでしたが...牧師さんがかわりに聞いてくれました.

ヨブ記
はじめてちゃんと読みました,
ありがとうございます.

8033 ◆CxL9G6V072:2008/01/04(金) 03:15:29
>きりんさん

>76

確かに…。

今年対戦が予定されている
「桜庭」 対 「ヒクソン・グレイシー」(公式戦400戦無敗)との戦いを楽しみにしています。

>77

「ベストセラー」の件、ご存知なかったようですね。

>教えにしたがい実践して生きていると,
>生きている間に,あとのことを,
>あれやこれや,考えて悩まなくともいいよ!

それが、あらゆる信心に共通の「帰依」というものだと思います。

>どうせ完全は無理だから,
>各自,すっきりするまで!

心理学的に考察すれば、最初からあきらめず、「素直に」、「思いつく限り、どんな細かい点までも反省してみる」という「作業」そのものが大事なのかもしれません。
キリスト教的な順番としては、
「大罪」(「十戒」に関するもの)→小罪(「十戒」に関するもの以外の罪…「覚えたる罪」)→覚えざる罪(自分が自覚しないで犯している罪)
というようになるのかもしれません。

完全なる告解、完全なる通悛というものは、誰にとっても確かに難しい事だと思います。

>生きてる間に気になる汚れを捨ててさっぱりする,
>生きている間の救済なのでしょうか.

そのような働きをするシステム(秘跡)と理解してよいと思います。
自分の「イメージ」としては、黒や茶色に汚れてしまった「着物」をクリーニングし、再び元の「輝く白さ」を取り戻す行為、ですね。
どこまで落とせるかは、本人の「良心」(自分自身の罪に正面から向き合い、みつめ、反省する心)に対する「正直さ」にかかっているのかもしれません。
(自分は、この手の事について考える時、ふと、古今東西の「童話」に登場する「良いおじいさん」と「悪いおじいさん」の象徴している「意味」について、考えたりすることがあります。)

>「永遠」
>??考えても無駄だ

考えや思いを「深める」という意味では無駄「ではない」と思います。
時々ヨーロッパの哲学関係の文献などで引き合いに出される言葉「メメント・モリ」(「死を忘れるな」…「髑髏」を書斎や枕元など、目に触れやすいプライベートな空間に置く行為…なかには形だけを真似した「趣味人」もいたようですが(笑))は、このことを差しているのではないかと考えます。

(もちろん、四六時中考える必要はないと自分も思いますが…。)

>ヨブ記

この「ヨブ記」に限らず、
すべての「言葉」との出会いにも「縁」というものを感じさせられます。

※耳にしたり、目にしても「機が熟していない」時には、傍らを素通りしていってしまうもののように思えますので…。

8133 ◆CxL9G6V072:2008/01/04(金) 03:23:54
80のレス中

>完全なる通悛



完全なる「痛悔」

に訂正いたします。

なお、「痛悔」については、キリスト教のうちでも、宗派により解釈が少しずつ異なる点については、知っておくべきかもしれません。

「ウィキぺディア」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%8A%E8%A7%A3

失礼しました。

82きりん:2008/01/04(金) 11:24:19
m(_ _)m

83きりん:2008/01/04(金) 11:48:01
>「作業」そのものが大事
発見とはそういうものですよね.
しかし,一方向で考えたり,逆方向で実践したり・・・疲れる^^;
まぁ,パワーの供給源はあるし,それはみんな知ってる

84きりん:2008/01/04(金) 12:13:57
あはは^^
そんなことはとりあえず,
わたしは暖房器具を準備せねば!!
価格ドットコムをみて
経済状況に合わせたガスファンヒーター探さねばならない
と内部に命令?してる次第^^:
近況報告,近況過ぎる?^^;

85きりん:2008/01/04(金) 12:29:23
「帰」と「依」
重い音ですね
わたしは,まだまだ!!
遠いです
すぐそばにあったとしても,そう思いたくない!
ということなのでしょうか?

頑固もんですわ

だれかと思えば,オレか
わかる範囲は,狭い

8633 ◆CxL9G6V072:2008/01/04(金) 12:59:43
>きりんさん

>経済状況に合わせたガスファンヒーター

リサイクル店を利用(2〜3軒は回ってみること)すれば、価格的にもピン・キリで入手可能だと思います。
(ただし、「中国製」は、火災の心配も考えられるので、要人したほうがいいかも。個人的には、少々割高となっても、「国産」のものをお勧めいたします。)


>帰依

人によって異なると思いますが、(長い人生のうちで)自分の力が及ばぬ経験をいくつか積み重ねるうちで、次第に(自分自身に頼ることができないと思い至ったときに)「帰依」という方向に近しくなっていくのかもしれません。
(もちろん、一生無関係ですごされる方も多いとは思いますが)

必要を感じない内は、無理に考えなくてもよいかと思います。
(ただ、どんな宗教であれ、信心を持って生活している人たちの「信仰生活・内面生活」といったものだけは、(たとえ自分にとって理解できないものではあっても)尊重する態度は失いたくないものだと思います。※ただし、一部の「反社会的カルト宗教」は除く。)

8733 ◆CxL9G6V072:2008/01/04(金) 13:17:08
86のレス中

>要人したほうがいいかも



用心したほうがいいかも


に訂正します。

失礼しました。

88きりん:2008/01/04(金) 13:30:46
>>86
>たとえ自分にとって理解できないものではあっても)尊重する態度は失いたくないものだと思います

同感です

あるのかないのか.
あるとしても,無力,
今は今で生きよう!!

時は選べない,場所は選べる
そこで
1意思
2勇気
^^

89きりん:2008/01/04(金) 14:08:51
選べるってことは,

自由なのか.
総意なのか,
だましなのか

脳を使う,体力も!

9033 ◆CxL9G6V072:2008/01/04(金) 22:56:06
>選べるってこと

「選ばない」という選択肢も含め、一応、「選択の自由」がある、ということでは…。
(今のところ、「予定調和」的な考えは、除外して…)

91きりん:2008/01/05(土) 01:11:53
選ばないってことは,とりあえず捨てるか,保留するか

保留がいやだ・・・

選べない状況を作り出すこともできるけど,
一人では難しいー_ー
限界がある
大ネタだったら,それもありですが...

92きりん:2008/01/05(土) 01:44:30
>80
>「死を忘れるな」
忘れ得ない.
でも考えない!ようにする

  >真似した「趣味人」
   ^^;

>「縁」
縁なんて語に共感してしまうオレは年老いたのでしょーか!?
ま,これも縁か,演歌?え〜んか?ええやろ〜^^

93きりん:2008/01/05(土) 02:03:46
夜,自己愛モードです^^

外部の必然は,自に偶然
わかったり,わからなかったり
登れなかった山を,下り,機がくれば登れることもある.
やはり縁
そのときのために,身辺をきれいにしておくことは大事だと
自分に命令し,,,惰眠を貪るのであるー_ー
おやすみなさい

9433:2008/01/05(土) 10:14:20
まぐれの「幸い」を願ったりするが、「死」は待ってはくれない

9533:2008/01/05(土) 10:19:32
>外部の必然は,自に偶然

運転免許の更新時に見せられる「交通事故の事故現場の記録フィルム」などを見ていると、
事故を起こす双方とも、事故の現場に向かって、(一生懸命その瞬間に向かって、まるで「砂鉄」が磁石に吸い寄せられるように)わき目もふらず、「突進」していっているように見える…。

100きりん:2008/01/05(土) 14:17:04
>>99
>これ
ええ,それ!

心が洗われました,泣きながらみました,です


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