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ラノロワ仮完結作品投下スレッド
1
:
◆5Mp/UnDTiI
:2011/05/25(水) 19:44:34 ID:vP/xCASw
したらば雑談スレの
>>905
であんなこといってたわけですが。
無様に前言撤回。出来たものから小出しにしていきます。
↓以下言い訳タイム。読んでも時間が無駄になるだけです。
というのも、制作が遅々として進まないわけです。
人数が多くなるとそれぞれのキャラが動かしにくい、というのもあるんですが、
本質的に私の制作方法に問題があるんじゃねーかと最近思い始めました。
というのも新しい話書いててそれに詰まると、私は過去作の校正に逃げる悪癖がありまして。
そうしてる内にいいアイディアが浮かぶと
これから各作品のプロット変更してでも組み込もうとするわけです。
そうすると結果として話が全然進まないので、
自分を追い込む意味でも容易に話を変えられないように投下してしまおうと思い立ちました。
↑言い訳タイム終了。以下テンプレと本編。
218
:
◆5Mp/UnDTiI
:2011/10/12(水) 00:36:37 ID:riNkCTUQ
投下終了ー。状態表はちょっとミス発見したんで後で投下します
219
:
<管理者より削除>
:<管理者より削除>
<管理者より削除>
220
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:38:46 ID:f0Abop4o
「畜生、まだ頭が痛みやがる。油断してたわけじゃねーが――いや、油断してなかったとすると実力で負けたってことになるのか? じゃあどこぞの王様ばりに油断してたってことで――待て待て、日頃から油断してるってことになるとそれはそれでアレだよなぁ……」
エリアF-2に設置された井戸。その傍で、ひとりの少年がぼやいている。
「んじゃこうしよう。あんな雷とか炎とか出してくる種無しマジシャンにごくごく一般的な殺人鬼が勝てるかっつーのっていう自己弁護を展開してみる。かはは、笑えるぅー……いや、笑えねえよ、って一人ノリ突っ込みまで一連の流れにすれば笑える? マジで? 傑作?」
ぶつぶつと意味の無い戯言を吐き出し続ける少年の全身はずぶ濡れだった。その声には精気が見当たらない。少年が小柄であるということと、場所が真夜中の森であるということもあわせて、酷く荒涼としたものを連想させる光景だった。
ぽたぽたと髪の先から滴る雫が、地面に落ちて吸い込まれていく。全身に出来た擦り傷と、さらにその体躯が銀の輪で拘束されていることを併せて見れば、彼がほんの数分前まで井戸の底にいた――それも何者かによって叩き込まれたのだという事実が浮かび上がってくる。
それはまあ、いい。
(いや良かねえけど)
零崎人識は溜息を付いた。うっかり重要な問題さえも頭から流出しそうになる。
思考が上手く働いていない。全身は冷え切っていた。井戸の底は別に温泉が沸いているということも無く、普通に湧き水であったのでその冷たさは押して知るべし。太陽の恩恵が無い夜間ともなればなおさらだ。
そんなものにずっと浸かっていればどうなるか――低体温症についての詳しい知識を零崎は持っていなかったが、ぶるぶると制動できない程に震える我が身を思えば、現状で既に危険な状態であるということは理解できる。
そしてその認識は正しかった。あのまま井戸の中で放置されていれば、零崎は日の出までに死んでいただろう。
「ったく、佐山の野郎は助けにこねーし。あいつとつるむのやめよーかなぁ。そもそも俺があの姉ちゃんに殺されかけたのも不殺同盟に入ってたからだし、なぁ――」
ふらりと、よろけながら立ち上がる。全身に張り付く水を吸った服が気色悪い――せめて上着だけでも脱いでしまいたいが、彼を拘束する環状宝具『圏』は、両腕と上半身を封じるようにして嵌められていた。これを外さない限り上着を脱ぐことは難しいだろう。
無論、誰かに手伝って貰えば話は別だが。
「……で、そろそろ反応が欲しいところだが、いつまで無視を決め込む気だアンタ?」
正面。伏せていた顔を上げて視界を得る。そこには一人の男が立っていた。
宙を舞う異形の黒鮫を従えたその男が、口を開く。
「テメエが黙るまでに決まってんだろ」
甲斐氷太。狂犬の王。最強の悪魔使い。
何をするでもなく、零崎の戯言を聞き流しながら、彼はその場に佇んでいる。零崎が立ち上がるまで、その濡れ鼠をつまらなそうに見下していた。
いや、何をするでもなく、というのは語弊があるかもしれない。
さしもの零崎といえども、両腕を重量のある鉄輪で拘束された状態で、足場も取っ掛かりもない井戸から自力脱出することなど叶わない。
ならば零崎人識は誰に助けられたのか。
「あー、何だ。それじゃあ黙るとするか。これから誠心誠意を込めた、聞いただけで向こう三年は幸福な気分になれる渾身のお礼の言葉が飛び出すところだったんだが、黙るぜ。やめにする。――ところで、アンタはどうして俺を助けてくれたんだ? そんなナリしてボランティアが趣味だったり?」
「……そぉかい。黙る気はねえんだな」
ちっ、と舌打ちをひとつ。苛だたしく頭をがりがりと掻き毟りながら、甲斐は言葉を続けた。
「腹の足しにならねえこたしねえよ。ただ都合が良かったんでな」
「おいおいマジかよ? そりゃどう贔屓目に見ても悪党の台詞じゃねえか」
「悪党でねえとでも思ってたのかよ?」
「ギャップ萌えでも狙ってるのかな、と。雨の日に捨て犬を助ける不良効果」
「ずぶ濡れの捨て犬が、テメエで言ってちゃ世話ねえな」
「捨てられてはいねーよ。まあそろそろ飼い主のところから脱走しようとは思っちゃいるが」
221
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:39:51 ID:f0Abop4o
それで、と零崎は話題を切り替えた。
「繰り返すが、何度でも繰り返すが、聞くけどよ――なんで俺を助けた?」
結局、問題はそこに落ち着く。
目の前の男は悪党だ。人を傷つけることを、あるいは殺すことすら躊躇わないであろう悪党。
無論、殺人鬼の零崎はそれについて特に何も思うところはない。ただ純粋な疑問はあった。悪党が何故人を助けるのか。
井戸の底から惨めったらしく夜空を眺めていた零崎を救い出したのは、空を飛ぶ黒鮫だった。身動きできないところを牙のびっしり生えた口に咥えられた時はさすがに死を覚悟したが、しかし黒鮫は零崎を噛み千切ることなく、井戸の外にまで運び出した。
だから零崎は問う。お前は何故自分を助けるのかと。
甲斐が皮肉気な笑みを浮かべて、答えた。
「言ったろ? "腹の足し"にならねえことはしねえってよ」
ぞろりと、狂気が滲んだ。
やっぱな、と零崎が呟く。気まぐれで助けてくれた、などという幸運は無い。凶悪な異形を従える少年の瞳は赤一色に染まりきっている。否、それはもはや眼球ではなく、色の付いた『鏡』の如く。もはや甲斐氷太という人間の瞳は現実を映していない。自分に都合の良い、どこか別の世界にチャンネルを合わせている。
その甲斐の右手が持ち上げられた。握られていた掌がゆっくりと開かれる。
「――飲め」
握られていたのは一錠のカプセル。外見は何の変哲も無い、ゼラチン質の薬品。
だがただの薬ではない。零崎人識は、まるで汚物でも突きつけられたかのように顔を引き、表情をしかめた。
自身の第六感が告げてくる。これは『呪い名』張りに碌でもないものだ。断じて風邪薬を与えてくれようとしているわけではない。
「悪いけど遠慮しとくぜ。兄貴に口をすっぱくして言われたんでな。『知らない人に食べ物をもらっちゃいけません』……まあその兄貴は誑かす側だったわけだが、それでもさすがに毒薬を配るほどアレじゃなかったぜ?」
「はっ、勘は鋭いみたいだが……」
甲斐の目が細められ、同時に黒鮫が動いた。
宙を回遊していたそれがゆらりと回頭を行い、その凶暴な面構えを零崎に向け――
奔った。
成人男性を二口で完食できそうな巨体が見せるのは戦車砲の如き突進。叫び声も無く、地を蹴る音も無い。だがどうしてもその様を静寂と形容することはできない圧倒的な存在感。暴力が、零崎に迫る。
しかし――零崎一賊は『殺気』を読む。
この盤上において、カプセルの悪魔は誰にでも視認できる状態にあるが、『零崎』を冠する者ならば仮に見えない状態でも十全の殺戮を展開するだろう。
ましてや人識は零崎と零崎の間に生まれた零崎の中の零崎。こんな分かりやすい敵意を見逃す筈も無い。
そして零崎人識は鮫の軌道も、速度も、何もかもを見切って――
「がはっ!」
――その上で、悪魔の一撃を成す術も無く食らっていた。
細身の体はまるでボールか何かのように吹き飛び、井戸を飛び越え、そして地面に叩きつけられる。腹部に染み込んだ衝撃に、まるで尺取虫のようにぴくぴくと体が折れ曲がった。
拳銃の弾を真正面から回避できる零崎が、何故来るのが分かりきっている攻撃をかわせないのか。
簡単なことだった。来るのが予測できて、回避する為にどう動けばいいか分かりきっていても、今の人識の体がそれについていかないのだ。
重度の低体温症。嵌められた、ある程度軽減されているとはいえそれなりの重量がある『圏』。李淑芳に負わせられた傷。この三つの制約が、二流の殺人鬼にして一流のナイフ使いを凡百の人以下にまで貶めていた。
「拒否権なんざねーんだよ。そんくらい分かれ馬鹿が」
手の中でカプセルを弄びながら、酷薄な薄笑いを浮かべた甲斐が吹き飛んだ零崎に近づいていく。
222
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:40:54 ID:f0Abop4o
甲斐氷太の目的――『王国』へ乗り込み、そこでウィザードとの決着をつける。
鏡越しに見たその夢を、ジャンキーは妄信する。それは『物語』と『カプセル』によって励起された狂気に他ならない。故に甲斐は止まらず、手段は選ばない。
『王国』と『ここ』を隔てる城壁を破壊するには力が要る。そして悪魔は悪魔を食らうことで更なる力を得る。
だからカプセルを無理やり飲ませ、運良くそいつが悪魔を引き出せればその悪魔を鮫の糧にする。それが甲斐の出した結論だった。
あの放送のあったマンション方面に行かなかったのもその為だ。悪魔は機械のように緻密な制御が利くものではない。もとよりアッパー系のドラッグに似た精神作用を引き起こすカプセルを服用するのだから当然ではある。それ故に相手を殺さずに無力化するのは、悪魔戦ではなく殺し合いを是とするこの場では難しい。何より一度戦いになってしまえばそんな自制が叶う筈も無い。それは甲斐自身がよく理解していた。
悪魔を食えないまま、全員を皆殺しにしてしまいましたなどとなってしまっては笑い話にもならない。だから甲斐は人が集中するであろう中心部には行かず、あえて島の外周を回り、負傷者やそれに近い者を探していたのだ。
そしてようやく芽を出したその成果が、拘束され身を震わせていた零崎人識という少年なのだった。
「おら、なに寝てやがるテメエ!」
うつ伏せに転がった零崎の髪を乱暴に引っ掴み、顔を無理やり上げさせる。井戸の水で濡れた頬には泥が付着し汚れていた。瞳もどこか虚ろ。手加減されたとはいえ、甲斐の悪魔の一撃をまともに受けたのだ。もはや抵抗するだけの力は残っていないだろう。
それを確認すると、甲斐は零崎の顎に爪先を叩き込み、口を開かせた。指先でカプセルを摘み、力を込めて圧壊させる。どろりとした内容液が滴り、零崎の口の中に流れ込んだ。ごくりと喉仏が上下し、嚥下される。
それを確認して、甲斐は零崎の頭を離した。数歩後退し、べしゃりと顔面を地面にダイブさせた少年から距離をとる。
適正があれば、この刺青少年から悪魔が呼び出される。呼び出されたなら、それを喰らう。
反対に適性が無く、悪魔を呼び出せないなら少年の体を食い千切る。
何れにせよ、甲斐は攻撃を仕掛ける気でいた。新たなカプセルを一粒ポケットから摘み出し、口の中に放り込む。苦味のある粘液を喉の奥に押し込めば、そこから手足の末端まで、電気が流れるような感覚が神経を尖らせた。黒鮫を拳銃に込められた弾丸のように従え――
そして甲斐は即座に身を翻すと、背後の木立に向けて悪魔を突進させていた。先ほどの零崎に向けたものとは違い、手加減抜きの全力突貫。尾ビレを強靭にひらめかせて宙を切って進む黒い鮫は、一抱えもある大木を一撃でなぎ倒した。
気づいたのは偶然の産物だった。ドラッグによって一瞬だけ鋭敏になった意識と、カプセルを服用した零崎の変化を観察しようと感覚のアンテナを外側へ向けたこと。でなければ気づくことは無かっただろう。その事実に苛立ちが募り、そして容易く甲斐の許容量を超えた。木々の合間に存在する深い闇を睨みつけ、怒号を叩き付ける。
「こそこそしやがって出歯亀野郎が! 甲羅ごと噛み砕いてやるから覚悟しやがれ!」
「まあまあ、怒るなよ。魚野郎」
ばきばきと破滅的な音を立てて倒れていく大木の枝。そこから人影が飛び降りた。
「それより、お前は感謝すべきだ。熱心に何かをやっているようだから、殺さずに、殺すのを待ってやっていたんだからな――この俺が」
危なげな様子も無く着地したのは一人の青年だった。濃紺色の制帽のようなものを被っていて、その下からは燃える様な赤毛が覗いている。
背後から響く倒壊の轟音にも、宙を舞う異形の大鮫にも頓着せず、そいつは甲斐と真正面から向かい合った。
クレア・スタンフィールド。
最強の殺し屋と、最強の悪魔使いが相対した。
223
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:41:38 ID:f0Abop4o
「……何が目的だ、テメエは」
口の中に沸いてきた、カプセルのそれとは別種の苦味を吐き捨てつつ甲斐が問う。
甲斐がクレアの存在に気づくことが出来たのは偶然だ。人識が生むかもしれない悪魔に備えるため警戒したのと、カプセルによる感覚の鋭敏化という二つの幸運が重なっただけ。
成功するかどうかは別にして、目の前の赤毛の男は自分を背後から襲えていたはずだった。
問われたクレアは、被った制帽の唾を指先で撫でながら鼻を鳴らした。
「その質問は俺がしようと思っていたんだがな――だがまあ先に質問したのはそっちの方だし答えてやるか。武器を探してる。だから、その馬鹿でかい魚が武器になるんじゃないか、と思って見ていたわけだ」
言いながら帽子を脱いでそれを月光に翳す。かつて彼が被っていた車掌の物ではない。それは交番に立つ警官が被るような制帽だった。
その制帽を投げ捨てて、クレアは芝居がかった溜息をひとつ付く。
「アレから色々廻って調べたんだが、どうにもあのSFを壊せるような武器が見つからない――こんなつまらない小道具はいくらでも見つかるのにな。だから俺は考えたわけだ。そういう武器は、あらかた他の連中が持ってるんじゃないか、ってな」
例えばそれ、とクレアの指先が甲斐を――甲斐のポケットを指向した。
「そのカプセル。そっちの刺青を井戸の底からひっぱり出すとこから見させてもらってたんだが、それを飲んだ瞬間にその魚が出たな? 当然、俺はこう考える。そのカプセルを飲むと、同じような"何か"を呼び出せるんじゃないかってな。いや――」
そう言って、クレア・スタンフィールドは二振りのハンティング・ナイフを抜刀した。
シャーネの遺体は少し離れた場所に隠してきている。異形の鮫を相手にして、多少派手に暴れても問題は無い。
「――呼び出せるに決まっている。この世界はそういう風に出来ているんだからな。俺が望めば、俺に叶わないことなんかない」
「狂ってやがんな、テメエ」
尊大にして不遜な態度のクレアに、甲斐は半笑いで応じた。ポケットの中から一掴みカプセルを取り出し、見せ付けるように掌の上でジャラジャラと弄ぶ。
「確かに言う通り、こいつは悪魔を呼び出すためのドラッグだ。そして俺の目的は、他の奴に悪魔を呼び出させてそれを食うこと。だから欲しいって奴がいりゃあくれてやるつもりだったんだがよ――」
ぶちゅり、と甲斐の手の中から汚い音が響いた。
カプセルを握っていた手を、甲斐が思いっきり握り締めている。潰れたカプセルからドロリとした内容液が漏れ出し、甲斐の拳を汚染した。
それをべろりと舌先で舐めとりつつ、甲斐がクレアを睨みつける。
「――今回ばかりはやめだ。テメエは気に食わねえ」
「別に構わないさ。もともと頭を下げて貰うつもりも無かったんだからな――その薬を頂いて、ついでに殺すさ」
クレアが駆け出す。葡萄酒が流れ出す。それは赤い閃光だった。
魔界刑事に匹敵する運動能力に体運び。相対しているからこそ甲斐も対応出来るが、不意打ちを受けていれば成す術も無く刃を急所に差し込まれていただろう。
その事実が、気に食わない。
「舐めくさりやがって――千切れちまえ!」
黒鮫が口を開け、真正面からクレアを迎撃する。
カプセルを数錠追加して飲み込み、甲斐の悪魔にはさらに力が漲っていた。カプセルは精神を強制的に高揚させる。甲斐自身のダメージや疲労を一時的にではあるが緩和し、悪魔の動きには屍と戦った時の様なキレが戻ってきていた。砲弾のような突進。先の大木を薙ぎ倒す威力を見れば、真っ向から立ち向かうのは愚策以外の何物でもなく。
そして葡萄酒と呼ばれた殺し屋は、その愚をこれ以上ないほど完璧に犯してみせた。
フェイントは微塵も無く。鏡合わせに相対するかのように、殺し屋と悪魔は互いを目指して一直線に疾走し合う。故にその接触は最速。ここから横に回避するにはトップスピードに乗りすぎている。上に飛び跳ねれば、宙を舞う黒い鮫の餌食になるだろう。
224
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:42:18 ID:f0Abop4o
だから、クレア・スタンフィールドは当然の如く下を行った。
「は――」
その光景を前にして、甲斐が息を詰める。
クレアの行動を一言で言ってしまえば、何のことは無い。宙に浮いた鮫の下を潜り、駆け抜けたというだけ。
だがその精度は異常だ。甲斐は悪魔を地面擦れ擦れに泳がせていた。そこに生じる隙間は半メートルもない。ぺったりと寝転がってしまえば擦り抜けられるだろうが、その場合はその場で停止した馬鹿者を悪魔で押し潰してしまえる。だからこそ相手は足を止めず、速度を緩めず、一切の躊躇を置き去りにして走りぬけた。自らの顎が地面に触れるほど低くした体勢で。
甲斐から見て、己の悪魔を擦り抜け、その下の地面から湧き出すように出現したクレアの姿は都市伝説に出てくるような陳腐な怪物を想起させた。題するならさしずめ――悪魔の影をなぞる者というところか。
「は、は――!」
だから、甲斐は笑った。
「ぎゃははははっ! なんだそりゃ! なんだよそりゃあ!」
悪魔の影をなぞる。その程度の怪物に。
『影の悪魔』でもないような奴が、自分に食いつこうとしているという事実に。
「――この甲斐氷太様ぁ相手取るには、そりゃ不足ってもんだろうが!」
叫んで、腕を振り回す。
その腕は指揮棒である。甲斐は、相手が何らかの手段を持って黒い鮫を回避することは予測していた。
クレア・スタンフィールドが優秀な殺し屋であるように、甲斐氷太もまた歴戦の悪魔使いだ。そして既にこの島で悪魔とは別の異形を相手にした戦を経験している。相手が魔界刑事並の強者である可能性を考慮していないはずも無い。
腕を振るって"扉"の向こうに待機していた白鮫に命じた。同時、ひょいと体を横にずらす。
甲斐の背後には――先ほどまで、零崎人識を飲み込んでいた井戸があった。
「――!」
次に息を呑んだのはクレアの方だ。正面から襲ってきたの無数の石礫。そしてその中を泳ぐ白い鮫を前にして。
甲斐は白鮫を井戸の中に出現させ、そして中から外へ突き破らせたのだ。井戸を構成する石のブロックは砕けて弾丸に変化し、さらにそれとは別に銃弾のように真っ直ぐ飛ぶだけでない、敵を追尾し続ける鮫の悪魔が襲ってくる。
石の弾丸はさすがに音速に届くということは無いが、それでも当たれば動きを停滞させるであろう十分な威力を持っていた。そして足を止めれば、二対のモノクロ鮫がクレアの体を噛み砕くだろう。クレアは人間だ。例えばブルー・ブレイカーのような装甲も、アリュセの使った魔法のような手管も持っていない。
持ち合わせているものといえば、そう。向かってくる無数の弾丸を全て見切るような動体反射と、回避を可能にする運動能力くらいのものだ。
咄嗟に足運びを変えて進路を九十度直角に変更し、それでも直撃しそうになる礫は片手間にナイフで叩き落す。銃弾以下の速度に、銃弾以上の大きさ。ならばクレア・スタンフィールドにとってこの程度の芸当は容易い。
逃げ道を塞ぐ様に迫ってきた白鮫を、先の黒鮫と同じ要領でかわす。だがさらにその先を黒鮫が塞いだ。白鮫の下から顔を出したクレアを叩き潰さんと、投下された爆弾のように真上から黒鮫が降ってくる。
それを見もせずに察知したクレアは、今まさに擦れ違おうとしていた白鮫の尾びれにナイフを突き刺した。急激に加わる、進行方向とは真逆への力。ナイフを握る方の肩にかかる莫大な負担を持ち前のバランス感覚と筋力で耐え切り、まるで小判鮫のように白鮫に張り付く。黒鮫は一瞬前までクレアの体があった地面を抉り取った。
「――さすがに二匹もいると鬱陶しいな」
尾びれの動きで叩き落される前にナイフを引き抜き着地して、クレアが呟く。一連のやり取りをしても、息切れひとつ起こしていない。
「……サーカスのピエロか、テメエは」
甲斐も、クレアの馬鹿げた運動能力を前にして、呆れるように吐き捨てた。ナイフで刺された悪魔からのダメージフィードバックに顔を歪ませる。蚊に刺された程度の痛みだったが、それでも気に障った。
片やナイフを構え直し、片や二匹の悪魔を傍らに寄せ、睨み合う。
「仕方が無い。面倒くさがらず、まずは一匹減らしてやるか」
「ピエロなら精々、擦り切れるまで踊ってやがれ!」
再動。その瞬間。
その場にある、第三の要素が動いた。
225
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:42:59 ID:f0Abop4o
「――あ?」
「なにっ?」
第三の要素――言うまでもなく、それはクレアの登場によって放置されていた零崎人識だ。
甲斐とて忘れていたわけではない。だが行動不能に陥るだけのダメージは与えていたし、あの容態ではそもそも気取られずに逃亡することなど不可能。
仮に悪魔を呼び出すことに成功しても、まともに操作できる筈はない。そう判断していた。
そしてその判断は正しい。零崎は倒れた位置から動かず、いまだ地に突っ伏したままだったし、悪魔を呼び出した気配もなかった。
だが要素とは、何もそれ自身だけが場に影響をもたらすわけではない――その要素が、その場にない第四、第五の要素に働きかけることだってあるのだ。
それは天から響く轟音だった。クレア・スタンフィールドにとっては一度聞いた音であり、甲斐氷太もまたその音の主を知っていた。
天から降りてくるのは蒼い装甲を施された自動歩兵――ブルー・ブレイカーである。亜音速で飛行するそれは、甲斐とクレアが反応し、何らかの対応を果たす前に地上に到達。人識の体をむんずと掴み、まるで荷物を扱うかのごとく無造作に抱え上げた。
「てめっ、人の獲物を――!」
咄嗟に甲斐が白鮫を突撃させるが、その疾駆は連続して響く乾いた音と、同時に甲斐の体に走った激痛をもってして強制停止させられる。
BBが片手で長銃を構えていた。もっとも人にとっては長銃というだけで、自動歩兵である彼にとってはさしたるサイズでもない。
PSG-1。それが彼の構える銃の名称だ。セミオートの狙撃銃。トリガーガードを切除、加えてトリガーの長さを伸ばし、BBにも扱えるように改造されていた。
二連射された銃弾は、狙い違わず白鮫の額に食い込んだ。今度はナイフで引っかかれたのとは比べようもない激痛が甲斐を襲う。
「づ、ぁ……!」
甲斐は膝こそ付かないものの、体をくの字に折り曲げ苦鳴を洩らした。それは明確な"隙"だったが、BBもクレアもそこにつけ込もうとはしない。クレアは数時間ぶりに遭遇した機体を冷ややかに見つめ、そして当の蒼い殺戮者は、
「――警告する。こちらに交戦の意思はなく、自衛以上の武力を行使するつもりもない」
なんら悪びれず、そんな宣告を両名に下した。
「即刻武装を解除し、"我々"に下れ。なお、現在この場での返答を要求する――」
「舐めやがって……っ! ふざけんじゃねえぞこら!」
一方的な投降勧告。それに対して、体勢を立て直しつつ甲斐が押し殺した怒声を洩らす。明確な拒絶の意を孕んだ声。
「同意見だな」
クレアも両手でナイフを弄びながら応えた。
片や宿敵との再戦を望み、片や殺された恋人の復讐に臨む男たち。両名に妥協できる点はない。
即時に否定を返されて、だがBBは動揺も無念さも見せなかった。承諾を期待していなかったのか、それとも自動歩兵に期待という概念はないのか――どちらにせよ、ブルー・ブレイカーは声も発さずに次の行動に移った。
背部飛行ユニットから吐き出される、煌びやかなジェットの噴流が周囲を照らし出す。
離脱。人識を片手に抱えたまま――自動歩兵の体が宙に浮いた。
226
:
そして全ては収束していく
:2014/04/16(水) 15:43:56 ID:f0Abop4o
「逃がすかよ糞が!」
甲斐がカプセルを口に放り込む。瞬時に体を走り抜ける刺激に痛みを忘却し、白鮫が再びBBに向かった。
BBによる再度の発砲――容赦無しの三点射撃。だが先と違うのは、全弾を受けても甲斐の悪魔が怯まないこと。カプセルによる高揚感が、痛みに対する防壁となっている。
PSG-1の弾倉は空だ。この銃に支給されたマガジンの装弾数は僅か五発のみ。知性ライフルのような自動歩兵に規格をあわせた銃ではないため、迅速な再装填も難しい。
だがBBの中核を成す、突然変異の培養脳は僅かな驚愕も見せない。
白鮫の追撃をBBは完全に回避していた。人識を抱えているためその飛行は決して流麗なものとはいえず、速度もトップスピードにはほど遠い。
それでもただ異常な先読みの能力と、まるで全身に目があるような認識能力をもってして、蒼の自動歩兵は甲斐の攻撃を巧みに擦り抜けながら上昇していく。
ナイフの消耗を嫌い攻撃を仕掛けなかったクレアはその様を見て眉間に皺を寄せた。以前戦った時と比べて、あのロボットの動きが違う。まるで制約から解き放たれたような機動。死角からの攻撃すら認知してかわしている。
(どういうことだ? あの時は手加減していた――というわけでもないよな)
その答えが出る前に。
もとよりトップスピードとは程遠いとはいえ、それでも自動歩兵の飛行速度だ。あっという間に甲斐の悪魔の射程距離を飛び越して、彼方に飛び去っていく。
「……ちっ」
結局、掠りもしなかった悪魔を引き戻す甲斐。隠しもしない苛立ちを表情に乗せて、クレアに振り返った。
「――逃がしちまった。どうしてくれんだよ、おい」
「知らないな。たとえお前が俺を警戒して黒いほうの魚を使えなかったとしても――仕留め損なったのは、お前自身がへぼだからだ。俺がその魚を使えば結果は違っただろうな」
「言ってくれるぜ、綱渡りのピエロ野郎が……よし、決めた。生贄も掻っ攫われちまったことだしな――」
獰猛に笑いあって、再び両者は得物を構え合った。
両者に和解はなく、両者に妥協はなく、両者には容赦がない――だからその結果は決まっていた。
「だからさっさとその薬を寄越せよ、チンピラ」
「カプセルはくれてやる。テメエがボロボロになって、くたばりきる寸前にだけどな!」
◇◇◇
227
:
そして全ては収束していく
:2014/04/17(木) 00:12:18 ID:f0Abop4o
◇◇◇
「へっ――きし! あーくそ、口の中が苦ぇ。あと吐きそうだ……」
寒空の下。口の中に残るカプセルの味に悪態を吐きながら、零崎人識が震えている。カプセルの効能――悪魔召喚は成らず、単なるドラッグとしての作用だ――と、上昇の際の加重で意識が覚醒したのだ。
ブルー・ブレイカーの腕の中で、人識は抱きかかえられるようにして運ばれていた。金属製の左腕に温もりなど存在するわけもなく、吹きすさぶ風は濡れた体からさらに体温を奪っていく。
眼下には一際巨大な枝の傘が流れていこうとしていた。巨木。してみると、ここはE-3――自分が先ほどまでいたF-2の北東に位置するエリアだ。
鮫に体当たりを貰って気を失ったと思ったら、気づいたときにはこうして謎のロボットに抱きかかえられて空の上。正直混乱はしていたが、それで暴れて落とされたりしては敵わない。そもそも動く気力もさほど残っていなかったし、相変わらず"圏"による拘束は続いていたが。
先に声を掛けたのはブルー・ブレイカーだった。くしゃみに気づいたのだろう。頭部を動かしもせず、前を向いたままの姿勢で訊ねて来る。
「気が付いたか。顔面の刺青に、情報通りの拘束具――零崎人識で間違いないな? 生きてはいるようだ」
「寒くて死にそうだけどな。エコノミークラスもびっくりな乗り心地だぜ」
「自動歩兵の設計は貨物の運搬を想定していない」
「俺は貨物扱いかっつーの……って」
言って、零崎はこのロボットのいう貨物が自分だけのことを指し示しているのではないことに気づいた。よく見れば自分を抱えているほうの腕に、パンパンに膨れ上がったデイパックがいくつか括り付けられている。
ファスナーの隙間から入りきらなかった剣の柄やら刃やらが飛び出しており、飛行の影響で激しく揺れていた。同じ腕に抱えられている零崎にしてみれば生きた心地がしない。
「気が付かなきゃよかった……お前――メカだけど呼び方お前でいいよな? ちょっと下ろして、この拘束具だけでも外してくんねーか? ビームソードとか出るだろ、メカだし」
「……」
シャガッ、とブルーブレイカーの左腕先端部のパーツが動作した。中から棒状の何かが飛び出してBBの手の中に収まる。
(うわびっくりした! もしかしてメカ呼ばわりに怒ったのか。いやでもどう見たってメカじゃねーか……って)
よく見れば、ブルー・ブレイカーの手に握られたのは武器の類ではなかった。機械の中に内臓されるにしては奇妙な物体。
それは木の棒だった。きちんと整形された、節や歪みのない綺麗な円柱状。没収された電磁衝撃ロッドの代わりに、大きさを調整して造られたそれを挿入していたのだ。
ちなみにその棒の先には『人造人間の超重要パーツ(世紀の天才コミクロン製作)』と掘り込まれていたが、意味は分からなかった。
ブルー・ブレイカーは喋ろうとしない。反応に困り、零崎も押し黙る。と、
228
:
そして全ては収束していく
:2014/04/17(木) 00:13:05 ID:f0Abop4o
『おひさしぶり ですね』
木の棒が喋った。男性的とも女性的とも取れる声。零崎には聞き覚えがある。というより、喋る木の知り合いなど一人しかいない。
「あ……? お前、ムキチか?」
『たすけるのが おくれて すみませんと さやまが』
棒の先端から水が噴出し、刃を形成。自在に形状を変質させ振るわれる刃が"圏"を切断した。二つに分かれた金属環が地上に落下していく。
内蔵したムキチにBBはパワー・ジェネレータの余剰熱を食わせていた。オーヴァ・ヒートの心配もなくリミッタを解除できる。その速度を持ってして島中を飛び回っていたのだ。腕に抱えた支給品の山も、そうして回収された産物である。
「そーか。このメカさんは佐山の使いか。助かったぜ。信頼して待ってたかいもあったってもんだ」
ぐるぐると肩をほぐすように回しながら、零崎が嘯く。失った体力が戻ったわけではないが、拘束さえ外れれば走る程度のことはできるだろう。
「だけどそれにしちゃ遅かったな。いや、別に責めてるわけじゃないぜ? でも空飛ぶロボットが仲間になったんならもっと早く助けにこれただろ? あれから結構経ってる気がするんだけどよ」
「現在時刻はAM4:27。お前の救出より、武装の回収を優先した。話し合いの結果でな」
『さやまは たすけようと しゅちょうしていました』
「あー、いいよ。大体分かった」
ムキチのフォローに手を振って、零崎は呻いた。
察するところ、佐山は例の集団形成に成功したのだろう。このロボットもその副産物。だが自分を救出する段になって、他に仲間になった連中から反対、あるいは疑問の声が上がったに違いない。
「まあ殺人鬼だしな、俺。見捨てられなかっただけでも儲けもんか。で、あれから結局どうなったんだ?」
「……それは――」
『いろいろ ありました まず きゅうけつきの おひめさまが――』
零崎の質問にBBとムキチは語り出す。
ここ数時間で起きた、結成と喪失の物語を。
◇◇◇
229
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 13:26:20 ID:f0Abop4o
◇◇◇
小早川奈津子にとっての不幸は、ボルカノ・ボルカンという疫病神に関わってしまったことにあった。
そもそもこの殺し合いの舞台において――あるいは元の世界においても――この地人が役立つ事柄というのは皆無である。
手下にするには忠誠心が足りず、肉の盾にするには根性が足りず、対等の関係を結ぼうにもボルカンが他人に提供できるようなものなど何も無い。
百害あって一利なし。実際、小早川奈津子が仮にボルカンと出会わなければ、彼女は魔界刑事や甲斐氷太との戦闘に巻き込まれたりはせず、こうして生死の境を彷徨わずとも済んだだろう。
A-3市街地。彼女のいるその場所は、21:00をもって禁止エリアとなる。
如何に彼女が常識外れのタフネスを持っていようが刻印が発動してしまえばそんなものは関係なく、そしてそのタイムリミットはこくこくと迫ってきていた。
ならば、彼女は迅速にここを離れるべきだった。
しかし――実際、彼女がどうしているかといえば。
「ぜぇ……ぜぇ……全く、害虫ならばそれらしく早々に潰れればよいものを……」
未だ、彼女はA-3の市街地エリアから逃れることはできていない。
ところどころ刃の潰れた"吸血鬼"を杖代わりにして、どこか青白い顔色の彼女は、這々の体で道を進んでいる。
時計を確認する時間も惜しく、今が一体何時なのか――あとどのくらいの猶予があるのかということも彼女は知らない。ただ、気力と体力を振り絞って舗装された道を進んでいた。
彼女が今現在、何故このような状況に陥っているのか。ボルカンの企みを看破した彼女が、何故結果的に窮地に追い込まれているのか。その理由は二つ――実質的にはひとつ。
ひとつ目の理由は負傷だった。魔界刑事から受けた一撃は彼女の体を確実に蝕んでいる。安静にしていれば少なくとも彼女なら死にはしない程度の負傷であったが、しかし彼女の傷は現在、その深度を増していた。これ以上動き続ければ、さしもの豪傑・小早川奈津子といえども危険なほどに。
それは何故か。二つ目の理由がその解答となる。
一言で言ってしまえば、ボルカンを殺すのに手間取ったのだ。
何せ"吸血鬼"の刃がほとんど通らない。無論、皮膚を裂くことは出来る。内臓を抉ることも可能だろう。だが骨を断つことは叶わなかった。
地人種族は外見は人間の子供に近い。が、その実、全く別の生物であるといっていい種だった。骨は鉄よりも硬く、体は水に浮かない――つまり恐ろしく密度の高い造りになっている。
おまけにボルカンは抵抗した。それはもう見苦しく、彼の持つ往生際の悪さを存分に発揮した。結果として、首や腹部といった急所に成り得る部分を一撃で叩くことが出来なかった。
小早川奈津子という人物が存在の力やそれに類似した異能を持たず、"吸血鬼"の性能を発揮できなかったというのも不幸のひとつだ。
そんなわけでボルカンを処刑するのに、予想外に手間と時間がかかってしまった。彼女の負傷はその程度をさらに深刻なものとし、傷ついた肺は酸素を取り込む役目を放棄し始めていた。
血中の酸素濃度は低下し、その顔色をみれば深刻なチアノーゼを引き起こしていることは明らかだ。思考に霞がかかり、正常な運動能力を奪っていく。
果たして本当に自分はエリアの外に向かっているのか? そんなことすら疑わしく、そしてその可能性を疑うことができないほど、彼女の肉体は限界だった。
定められた刻限まで余裕はない。それは分かっていた。ボルカンを処断している最中にすら、その事実は頭の片隅にあった。
ボルカンなど無視して――あるいは拘束してその場に放置するなどしてA-3に置き去りにすれば、こんな事態にはならなかっただろう。だが彼女の自尊心がそれを許さなかった。大いに尊ばれるべき存在である自分を裏切った者を許すことはできず、また一度始めた処刑を「相手が異様に頑丈だから」という理由でとりやめることも何か負けたように感じてしまう。
そう。実質的に、彼女がこのような苦境に陥っている理由はひとつの事柄に起因する。
ボルカノ・ボルカンに出会ってしまったこと。そのたったひとつの不幸に。
そして――時計が、21:00を刻んだ。
小早川奈津子の視界が、黒に染まる。
◇◇◇
230
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 18:43:09 ID:f0Abop4o
◇◇◇
「……んー」
E-5の小屋。現在その中で、三人の男性が顔を付き合わせて座り込んでいた。
その内のひとり、ヴァーミリオン・CD・ヘイズが腕を組んで唸っている。
床には図形や式が書き込まれた紙片が散乱していた。刻印の解析。その作業に今まで勤しんでいたのだが、
「分っかんねえなぁ……」
「何がだ?」
ぶつぶつと呻くヘイズに対し疑問の声を上げたのはオーフェンだった。
反応して、ヘイズの視線が刻印に関するメモから離れ、黒魔術士を向く。それでも未だ思考は刻印の事柄から離れないのか、その視線にはどこか疑念の色が混ざっているように感じられた。
そんな視線に晒されるのは居心地の良いものではない。咳払いをひとつして、オーフェンは同じ言葉を繰り返した。
「何が分からないっていうんだ? "脳みそ"に関しては――」
と、呪いの刻印を意味する代替語を交えて話しかけてくるオーフェンを、ヘイズは右手で制した。後を引き取る。
「ああ、"火乃香の脳みそ"の構造に関してはほぼ解析が完了したな。まだ不明な領域はあるが、無茶をすれば現時点で解除できないこともない。強いて言えばあとひとり、俺たちとは"別の考え方"ができる奴に協力してもらえりゃいいんだが……そいつは高望みかもな」
「ならば先ほどから何を唸っている?」
ヘイズの返答に横入りしてきたのはギギナだ。二人とは少し離れた位置に、連結済みの屠竜刀を抱くようにして座っていた。一応協力することになったとはいえ、気を許してはいないし、また許す予定もないらしい。
刻印の解析に関してはヘイズに一日の長がある為、オーフェンとギギナがそれぞれ自身の持っている知識で解除式を改良し、それをヘイズが受け取り統合するという形で進められた協力体制だが、ヘイズにとっては期待以上の成果が、それもかなりの短時間で上がった。
これはギギナのもたらした咒式という存在が、オーフェンやコミクロンの黒魔術より、さらにヘイズ達の情報制御理論に近い性質のものであったということが一因である。
黒魔術、情報制御、咒式。これらは三つとも世界に対して命令し、世界を変質させて力を引き出す技能・技術だ。
魔術士はそれを生来備わった感覚とシステム・ユグドラシルを用いて、
魔法士は高速演算が可能なI-ブレインによって<情報の海>を直接操作することで、
咒式士は咒力を通して特殊な仮想力場に干渉し、作用量子定数や波動関数を変換して望む現象を引き起こすという違いがあるだけで、根幹的には同じものだと捉えていい。
「つまり過程はともかくとして、俺達の技術や能力で出来ることの限界には大して違いがないわけだ。だがそれで"火乃香の脳みそ"が九分九厘理解できちまってる……いくらなんでも造りが甘くねえか? あー……"ギギナの脳みそ"にしても、だ」
指差して示すのは剥き出しになっているギギナの左腕。そこには幾何学的な紋様が組み合わされた例の刻印がある。一見、ヘイズやオーフェンのものと何ら変わりは無いが、
「俺達の"脳みそ"に比べて、ギギナのは出来が悪い。なんというか、非常にアレだ。本人を傷つけずにこれをどう表現して良いのか悩むが……」
「貴様の頭蓋を開いて直接汲み取ってやろう」
目にも留まらぬ速度で振りぬかれたネレトーを予測回避しつつ、ヘイズは会話と同時進行でペンを走らせていたメモをぴっ、と指で弾いた。空中でどう動くのか計算され尽くしたその紙きれは、一ミクロンの誤差も無くオーフェンとギギナの中間距離に舞い降りる。
『精査した結果、ギギナの刻印はプロテクトや本来の機能がいくつか破壊されている。ギギナがやった訳じゃないらしいから、勝手に自壊したか、あるいは最初から不良品だったか……』
ギギナが違和感を覚えていた咒力制限の緩和。ヘイズが有機コードを通して自身の刻印と比べた結果、それはギギナの刻印が不完全であることが原因であると分かった。
そのお陰で破損部分から解除方法を逆算することが可能になり、解析は飛躍的に進んだわけだが、しかし――
231
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 18:44:01 ID:/JzOWGrI
「――お粗末過ぎるだろう、いくらなんでも」
相性が良かったとはいえ、たった三つの世界の技術を付け焼刃で組み合わせただけで解除されてしまうプロテクトも。
無人島での殺し合いという劣悪な環境での動作を前提としていた筈なのに、一日も保たずに機能を狂わす耐久性も。
こうしてみると、自分たちの刻印さえ完全な状態なのか疑えてしまう。本来、この刻印にはもっと強固な攻性防壁や制限機能が備えられていた可能性があった。
そもそも、自分たちはここに囚われた側なのだ。圧倒的に不利な立場であるといっていい。その不利を、たった一日と少しで挽回しつつあるというのは異常だ。
『どうも向こうに本気で刻印解除を阻止しようって意思が感じられねえ。そもそもこの刻印は何の為にあるんだ? アワワの目的にどう関係する? データを外部へ送っているのは分かるが、実験っつーにはサンプルの選択が大雑把だし、手段も乱暴すぎる。戦闘能力の収集が目的なら、力を制限するのも理に適っていない。いやそもそもデータが欲しいなら、殺し合いさせる前にやることはいくらでもある筈なんだ。刻印の呪殺機能のせいで、こっちは向こうに逆らえやしねえんだから』
「確かにバラバラな感じはするな」
ヘイズのメモを読んで、オーフェンもだんだんと刻印機能の違和感に気づき始めた。顎先を指で揉みながら、呟く。
「なんていうか……ひとつに目的を絞りきれてないっていうのか? 複数の考えが、ごちゃ混ぜになってるみたいな……おい、ギギナは何かないのか?」
「思考遊戯は私の役目ではない。意見が纏まったら呼べ」
「……ま、期待はしてなかったけどよ」
再び屠竜刀を抱えるポーズに戻り、両目を瞑って完全に休息の態に入ってしまったギギナを見て、オーフェンは肩を竦めた。見た目よりも疲労しているのかもしれない。魔術による怪我の治療も拒んだ彼は、未だに重傷を負ったままだ。そもそも咒式士の身体構造が通常の人間とはだいぶ異なるので、コミクロンならまだしも、オーフェンには治療することは難しいのだが。
まあそもそも三人以上で筆談するのは面倒だったので好都合といえば好都合だ。ヘイズの投げたメモを裏返し、サシで筆談を開始する。
『例の薔薇十字騎士団と、アマワ、神野って奴か? まあ一枚岩の組織なんか有り得ねえしな。それが……対立してる?』
『あるいは水面下で利用しあってるのかもな――このサラって奴のメモを見る限り、力関係で言えば神野とアマワが黒幕で、騎士団はその使い走りって感じだが』
ヘイズが床から一枚のメモを取り上げる。
それはクリーオウによって齎されたサラ・バーリンのメモだ。無名の庵で神野に出会い、さらに四人の魔女の質問によって得ることの出来た知識が要点だけ纏められている。
『アマワが望んでいるのは心の証明。その"望み"を叶えるのが神野陰之。このゲームはその為に開催された。これは確かな情報だと断定しちまって良いと思う。あの巨人使いのガキが洩らしたっていう情報とも一致するしな』
「それはまあ、確かかも知れんが」
オーフェンは呻いて、ちらりと視線を横に滑らした。小屋の片隅ではその少女――フリウが寝息を立てている。負傷と疲労が酷く、まだ少女は目を覚ましていなかった。だが呼吸は落ち着いてきているので、目覚めはもう間もなくだろう。ここから移動する際には起こすつもりだった。
一応、彼女の告げた情報が嘘でないと分かった訳だが、無論のことまだ信用はできない。そもそも言葉を交わしてすらいないのだから。
視線を戻し、オーフェンはさらにペンを動かす。
『だったら何であいつらはそれを最初に言わなかったんだ? 心の存在が証明されれば帰します、じゃなくて、殺し合って最後の一人になってください、ってのは変な話だと思うんだが。それも騎士団の独断、っていうのは少し無理があると俺は思う』
『ああ。刻印の意味もあわせて、まだ少し情報不足な感じはするな』
と、そこまで書いたところで、ヘイズがメモから顔を上げた。再びオーフェンの顔をじっと見つめる。
「……なんだ? なんか俺の顔についてるか?」
「いや……」
気まずげに視線を外しながら、ヘイズは誤魔化す様に床に散らばった紙片を集め始めた。
訝しげな表情を浮かべながら、オーフェンもそれに追従する。ギギナは片目を開けてその様子を確認したが、我関せずといった風にすぐ目を閉じてしまった。
232
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 18:45:29 ID:f0Abop4o
(……得体が知れないって点なら、アンタも同類なんだがな)
メモを束を揃えている黒髪の男を横目で伺いながら、ヘイズは胸中で呟いた。
今回の刻印解析に当たって、ヘイズが一番期待していたのはギギナの持つ咒式だ。何せ、オーフェンの黒魔術は結局コミクロンと同じ能力でしかない。だからそれほどまでに新しい発見はないと思っていた。
(だが実際の所、今回の解析部分でこいつが貢献した部分はかなり大きい……それは非常にありがたいんだが、どうにもコミクロンの黒魔術とは違う体系の"何か"について知っている気がする)
音声黒魔術が干渉できるのは物理現象のみ――もっとも意味情報も彼らのいう『物理』の範囲内らしいが、とにかく干渉できる範囲には限界がある。必然的に、刻印の解析にも限界が生まれるのは当然で、コミクロンとの作業からヘイズはその限界を予測していたのだが、オーフェンはその限界を大きく超えてしまっている。
そもそも、この黒魔術士はコミクロンの"後輩"であるはずだった。
だがどう贔屓目に見ても、コミクロンより年上にしか見えない。無論、彼が"キリランシェロ"であることは先の問答で明らかになっているが……
(そういや、あの時も何か言いにくそうにしてたな……先を急ぐ必要もあったから見逃したが、失敗だったか?)
時間的な余裕が無い以上、ヘイズは清濁併せ呑むつもりでいた。リスクを承知でギギナを迎え入れたのもそのせいだ。自分とコミクロンのように、ギギナに襲われたり、あるいは殺された人物の知己との因縁が発生する可能性は非常に高い。その危険性には目を瞑っている。
しかし、この黒魔術士と組んでから厄介ごとが加速度的に増しているような気もする。
(いやまあ、貧乏クジ引くのはいつものことだけどな。だがなんとなくツキの無さが二乗されてる気がするんだよなー……)
ギギナとの二度目の遭遇にしてもそうだし、そもそもいまこうして足止めを食っているのだって――
と、そこまで考えるのを待ち構えていたように、小屋のドアが開いた。ひょっこりと火乃香が顔を覗かせる。
233
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 18:46:11 ID:f0Abop4o
「こっちは終わったよ。そっちは――そっちも一段落ついたみたいね」
「ああ、丁度な。そっちはどんな感じだ? あいつ――折原臨也っていったか? 例の集団の生き残りなんだろ?」
回収したメモの束をオーフェンに預けて、ヘイズは立ち上がった。
マンションに向かわず、未だこの場に留まっているのは先ほど遭遇した男への対応を決めかねていたからだ。とりあえず火乃香とコミクロン、そしてどうやら折原臨也と面識があるらしいクリーオウが話を聞く役に回り、ヘイズ達は刻印解析に勤しんでいたわけだが。
「ん。とりあえず話に矛盾はなかったけどさ。ケータイっていったけ? あの小型通信機についてた録音機能で会話は録っておいたから後でヘイズも聞いておきなよ」
「分かった。それで、折原の言ってた『敵討ち』ってのは?」
「……裏切りがあったらしいんだよ。あのグループ、放送してから班を二つに分けたんだって。
ひとつはあの放送で集まってきた連中を待ち受ける戦闘組、もうひとつが戦う能力がない連中を集めて避難させておいた待機組。で、戦闘組の方で集まってきた連中とドンパチがあって、その隙を突いて戦闘組の方にいた――」
言いながら、苦い表情を火乃香が浮かべる。あまり思い出したくない記憶だったが、そうも言っていられない。
「――ダウゲ・ベルガーって奴が、もうひとり待機組の海野千絵って奴と一緒に裏切った。覚えてる? あたしらが石段の上で襲われたとき、大剣持った奴と白衣と黒コートの三人組が乱入してきたでしょ? 話を聞く分だと、黒コートがそのベルガーだったみたい」
「確か、あいつは――」
ヘイズは記憶を辿る。あの時は唐突に襲撃されまともな連携も取ることが出来なかったが、その分、襲撃者の動向には集中していた。
「――あの巨人に殴られたのが最後だったな。死んじまったのかと思ってたが……」
「リストで確認したけど、零時の放送じゃ呼ばれてないよ。どうも瞬間移動が出来るみたいね。そういう力を持ってるのか、支給品なのかは分からないけどさ。ともかくそれで待機組のとこにまで飛んで、その場にいた人間を皆殺し。一応、待機組にも護衛の戦力はあったみたいだけど。折原はその護衛のひとりに庇ってもらって、運良く逃げ出せたんだってさ」
「……ベルガーって奴になら会ったことあるぞ、俺」
メモをデイパックに収納し終えたオーフェンが、ファスナーを閉めながら声を上げた。
「あの放送をしたダナティアって奴と一緒にいた。服装も一致するし、確かに例の集団の一員って感じだったな」
「……状況から見るに、最初から裏切るつもりで潜りこんでいたってところか。優勝を目指しているのなら確かに良手だろうな。大規模な集団の中で体力を温存し、終盤で正体を現しスパートをかけるってのは効率的だ」
234
:
そして全ては収束していく
:2014/04/18(金) 18:47:13 ID:f0Abop4o
もっとも、とヘイズは言葉を続ける。
「折原の主張が全部本当だったら、だけどな。逆に裏切ったのは折原で、ベルガーと海野って奴を始末しこねただけ、ってこともあり得る」
「その辺はあたしだって分かってるけど、矛盾は無いって言ったでしょ? それに折原は武器を持ってなかったし、身のこなしも……ド素人って訳じゃなさそうだけど、傭兵みたいなプロフェッショナルじゃ決してないよ。護衛として残されるような連中と真正面から戦えはしないと思う。……つまるとこ、嘘とも本当とも分からないってのが結論ね」
否定できる証拠も、肯定できる証拠も無い。
はぁ、と溜息の三重奏。演奏者はヘイズと火乃香、そしてオーフェンだった。
「……見捨てちゃ駄目か? ぶっちゃけ、折原を同行させるメリットは薄いと思うぜ? 戦闘力はないし、技術者って感じでもない」
ヘイズが疲れたようにぼそりと呟く。それに対し、火乃香は口元を引きつらせながら応じた。
「持ってたので役に立ちそうな支給品は人間探知機くらいだしね……あとはケータイがふたつ。内ひとつはバッテリーパックが入ってないから通話も充電もできないし。同行させるとなると、折原の言ってることが本当であれ嘘であれ100%トラブルに巻き込まれるよねぇ……」
シビアな意見だが、しかし正しいものでもあった。伊達に二人とも元の世界で便利屋稼業を、しかもフリーランスで営んでいたわけではない。
組織的な援助が無い以上、判断を間違えれば即死亡に繋がる。それはこの島でも同じだ。ギギナの場合は戦闘力と咒式の知識、フリウの場合はアマワという黒幕の情報とリスクに釣り合うメリットがあったから同行させているが、折原臨也という人物を同行させて得られるメリットというのは、確実に遭遇するのが分かっているリスクと比べると小さ過ぎる。
「……そこまで分かってるなら見捨てちまえばいいじゃねえか。何か、奥歯に物の挟まった言い方だな」
オーフェンが訝しんで声をあげると、火乃香は半眼で返す。
「そりゃここで縁切りしたいのは山々なんだけど……ひとりね、反対してる子がいんのよ」
「反対してる子……って」
同じ言葉を口の中で繰り返してみて、オーフェンはそれが意味していることに気づいた。このグループの中で火乃香が『子』と形容するような人物はひとりしかいない。年齢で言えばコミクロンや、さらに火乃香自身とも同い年くらいの筈だが。
ぱちんと額と目を覆い隠すように手を当て、そのまま天を仰ぐように顔を上げた。
「……クリーオウか」
◇◇◇
235
:
名も無き黒幕さん
:2014/04/18(金) 19:11:55 ID:???
もう更新されないんじゃないかって思ってた、うれしいよ!
続き楽しみだよー
236
:
そして全ては収束していく
:2014/04/20(日) 23:14:31 ID:f0Abop4o
◇◇◇
(何とか上手くいった……やれやれ、ほんとに冷や冷やさせられたよ)
小屋の外、荷物を出したデイパックを座布団の代わりに敷いたものの上に、臨也は腰を下ろしていた。
待機組のマンションから抜け出し、禁止エリア解除装置を回した後、臨也は早々にC-6のエリアから逃げ出した。あの場に留まっていれば、第二、第三の襲撃者がやってこないとも限らない。
できれば茫然自失の状態だったとはいえ、事の一部始終を見ていた海野千絵は戻って始末しておきたかったのだが、あの場にいた保胤が半不死である以上そうもいかない。悠長に保胤の命が尽きるのを待っているような猶予は無かった。
(誰かに襲われて死んでくれたら嬉しいんだけど、それは都合が良すぎるかな。まあ対策の必要があったクエロ・ラディーンの名前が呼ばれただけでも御の字だ。ベルガーは……どうだろう。少量とはいえ不死の酒を飲んでるし、やっぱり手は打っておくべきだよねぇ)
00:00の放送ではどちらも呼ばれなかった以上、保険はかけておく必要がある。
ではどんな保険をかけておくべきか。
あの二人がそれぞれ肉体的、精神的に持ち直したとして、その後の行動は予測できる。おそらく、自分を探して復讐しようとするだろう。そうでなくとも危険人物であるという情報を流されるのはほぼ確定的だ。大集団に所属していない参加者何人かとも繋がりがあるということは確認できている。
状況はかなり厳しいといえた。
(全く、酷いもんだ。この島は本当に殺し合い推奨なんだね。ただ生き残りたいだけの俺にこんな厳しい試練を課すなんて。静ちゃん殺したのは素直に賞賛するけど)
だが殺し合いが推奨されているとはいえ、臨也はそれに乗るつもりは無かった。どう楽観的に考えても自分が戦って勝てる相手より勝てない相手のほうが多いだろう。
ならば保険の内容はいつもと同じ――情報屋としての折原臨也が常日頃からしているものでいい。
(というか、それくらいしか出来ないんだけどさ)
自分にとって都合よく事が運ぶように情報を流す。職業柄、情報というものの性質をよく知っている臨也にとってそれ自体はさほど難しいことではない。
便利な道具も持っていた。人間探知機。情報は速さが命だ。今回でいえば、ベルガーらが臨也の情報を広める前にこちらにとって都合の良い情報を流さなくてはならない。
だからいち早く他の参加者に接触する必要があったのだが、探知機があればそれも簡単になる。現にこうして、なるべく大勢で固まっている参加者のグループを見つけ、接触し、なんとか対話に持ち込むことに臨也は成功していた。
結果はおそらく最上のものだろう。ここのグループのメンバーが、これより後に接触してくるかもしれないベルガーの話を頭からは信じられなくなる。そんな程度の猜疑心を埋め込むことが出来れば良かった。
237
:
そして全ては収束していく
:2014/04/20(日) 23:15:13 ID:f0Abop4o
だが幸運は自分に味方し、それ以上の成果を生んだ。
「大丈夫よ、イザヤ。見捨てるようなことにはならないから」
「ありがとう、クリーオウ」
心からの感謝の言葉を、眼前の少女にかける。
(運がよければ、このグループに庇護してもらえる)
その望外の結果を引き出したのは目の前の少女のお陰だ。クリーオウ・エバーラスティン。疑いを知らぬ、無垢な少女――というわけではないが、それでも小娘に過ぎない。折原臨也は、こういった年頃の少女に対する人心掌握に長けている。元の世界では幾人もの取り巻きを作ることが出来るほどに。
さらにクリーオウには臨也に対する負い目があった。かつてマージョリーに学校が襲撃され、彼女がクエロと逃げ出した折、一度臨也に会っている。 その際臨也はクエロに追い払われた。それも、かなり邪険に扱われて。
それがクリーオウという少女の心に、臨也に対する憐れみの感情を根付かせていた。クエロが彼女たちを裏切っていたという事実もその印象に拍車を掛けている。彼女の取り繕いの下にある真意にクリーオウは気づけなかった。だからこそ疑念を持ってしまう。クエロのとっていたあらゆる行動が、破滅への切っ掛けだったのではないかと。
クリーオウはクエロを完全に許せたわけではない。心から憎悪しているわけでもないが、しかし彼女のしでかした裏切りをなかったことにはできない。第四回目の放送ではピロテースの名が呼ばれた。無論、あのダークエルフの死に関して、クエロが直接的に関わっているわけでもないが――それでもクリーオウは想起してしまう。どこかで自分がクエロの笑顔の裏にあるものに気づいていれば、彼女の死は免れたのではないかと。
故に、クリーオウは"クエロが追い払った折原臨也"に憐憫を抱く。そして切っ掛けがあれば、それをさらに深くすることは臨也にとって容易い。
仮に残りの仲間の猛反対があって臨也がこのグループに潜り込めずとも、それはさらにクリーオウの臨也に対する心象に拍車をかけるだろう。その後、ベルガーがこのグループに接触すれば、最悪――臨也にとっては最高なことに――この少女が起爆剤になり、何らかの"事件"がおきる可能性が高くなる。
(いや、さっき聞いた話によると、このグループはダナティアの大集団と接触しようとしていた。いまは俺への対応で足を止めちゃってるけど、その後は予定通りに動き出すだろう。そうなるとベルガー達と接触するのはほとんど確定的だ)
その時に自分がこのグループにいて、なおかつクリーオウという味方がいれば。
(ベルガーに"対処"ができる……かもしれない)
238
:
そして全ては収束していく
:2014/04/20(日) 23:20:45 ID:f0Abop4o
口を封じるというのは、何も殺すだけが手段ではない。ここの連中にベルガーを信用させず、自分を殺させないように仕向ける。クリーオウという手札があれば、少なくともそれくらいのことはできるだろう。
自分に応対したのはクリーオウの他に二人。傍に座ってこちらを警戒しているコミクロンという少年と、小屋の中にいる仲間に報告しに行った火乃香という少女。
コミクロンの方はどんな性格なのかいまいち掴みかねたが、しかしどうやらこのグループの中での位置づけは火乃香のほうが上らしい。そしてその火乃香は、少なくともクエロより厄介な相手ではないようだ、というのが先の質疑応答を通して臨也が抱いた印象だった。
確かに人並み以上に警戒心があり、交渉のいろはも心得ている。だがクエロや自分と違って"裏"が無い。クエロのように何をしてくるか予想できない、というような怖さは感じられなかった。
話を聞いてもらう交換条件として支給品、特に人間探知機を差し出したのは痛かったが、他の支給品に関してはいくつか細工をしている。携帯電話は対のものと連絡が取れないように連絡先や通話履歴を削除し、SIMカードを抜いておいた。
さらに形状がモバイルフォンに似ていた禁止エリア解除装置もバッテリーを抜き、これが『臨也が持っている携帯と対になっている携帯電話である』という風に見せかけていた。これは役に立たないため自分が持たせてもらっている。抜いたバッテリーパックはかなり小型だったため、いくらでも隠しようはある。いまは支給品の食料の中に埋め込んで隠していた。さすがに食べかけのパンまでは没収されることもない。
(ま、どっちに転んでも俺は痛くないし……できればこのグループには最後まで守ってもらいたいけどね)
いい加減、結んだ同盟関係が片っ端から壊滅していくというジンクスには決着をつけたいと。
その最たる原因である人物は、心の底で皮肉気に笑った。
◇◇◇
239
:
そして全ては収束していく
:2014/04/21(月) 23:58:13 ID:f0Abop4o
◇◇◇
「なるほど――君も姫に会ったのだね、詠子君」
「"法典"くんも……だよね」
C-6にある無事なマンションの一室で。
佐山・御言と十叶詠子。ひとつのベッドに隣り合って座った二人は、俯く様に視線を床に落としながら言葉を交わしていた。
「さっきは、恥ずかしいところを見せちゃったな」
はにかむ様に、恥じらいを混ぜた声音で詠子がぽつりと呟いた。先ほどの乱れようを思い出し、少女の頬に朱色がさす。
「何、別に気にはしないよ。逆に君の意外な一面を見ることが出来て理解が深まったとさえ言える」
「それが恥ずかしいっていうんだけれど」
さらに深く俯く詠子の肩に、佐山が手を置いた。
「恥ずべくことではないさ――本当に、あの吸血鬼は恐ろしい。どうやら震えは止まったようだね」
こくり、と無言で頷く詠子。
朱がさしてなお、その顔面は蒼白だ。それは細い体で無理やりに全力疾走を続けた代償と、そしてその身に初めて根付いた"恐怖"という感情の為。
十叶詠子は魔女である。あらゆる怪異を見抜く瞳と、言葉を交わせる耳と口、そして理解し合える精神性を持っていた。
詠子にとって、"あちら側"と"こちら側"の区別に意味は無い。両方の世界を、彼女は等しく知っている。
だが、あの吸血鬼は。
あの美しくも妖しい姫は、"こちら側"でも"あちら側"でもない。
どちらに所属することもなく、ただ孤独。
何に迎合することもなく、森羅万象の悉くに反発する。
だからこそ、魔女さえ恐怖を覚える。否、魔女だからこそだ。詠子はアレの魂のカタチを見てしまった。アレの本質を見てしまった。
それは美しい輝きを放っている。だけど取っ掛かりがどこにもない。魔女の視覚をもってしてさえ、それを形容することができない。
単純な力量でなら神野影之の方が上かもしれない。だが詠子が恐怖を覚えるのは力の強弱ではなく、その在り方だった。絶対的な孤独。あの吸血鬼が体現するのはまさにそれだ。
これまで彼女は怪異を恐れなかった。それは彼女にとって怪異は怪異でなく、ただ見える人の少ない、隣の住人に過ぎなかったからだ。
だからこれは、無垢な少女が初めて――他人の言うところの"怪異"を経験したということ。
ここに辿り付いた時は会話さえままならなかったのだ。ムキチによる体力回復と佐山が付きっ切りに宥める事で、どうにかいまの状態にまで回復したが。
「……休みたまえ、詠子君。ここは安全だ。私が……私たちが君を守護しよう」
佐山の台詞に、詠子が弱々しく微笑んでみせた。
(……なるほど。確かに今の私の台詞は失笑ものだ)
佐山もまた苦笑を浮かべる。この島に、安全な場所など無い。
互いの浮かべた笑みの意味を相互に理解しあって、二人は微笑みながら頷きあった。
「うん……そうさせてもらうよ。おやすみ、"法典"くん」
ベッドに入り、すぐに小さな寝息を立て始める詠子。
その光景を背にし、佐山は部屋を後にする。
明るい部屋の中から、薄暗いマンションの共用廊下へ。がちゃりと後ろ手にドアを閉めて、溜息を付く。と、その佐山に声が掛けられた。
「……どうだった」
「詠子君はようやく寝付いてくれたよ。今はムキチ君が付いていてくれているから大丈夫だろう」
「俺がしているのはお前の彼女の心配じゃない。美姫のほうだ」
「女史については想像通りだったよ。そして訂正したまえ、私の伴侶は新庄君だけ……だ。そちらの成果は?」
胸の痛みに顔をしかめる佐山に問われて、部屋の外で佐山を待っていたベルガーが体重を預けていた壁から背を離す。
240
:
そして全ては収束していく
:2014/04/21(月) 23:59:43 ID:f0Abop4o
詠子の憔悴振りに、彼らはマンション内部へと話し合いの場を移していた。佐山は詠子を落ち着かせながら情報を聞き出し、そしてベルガーは、
「半分外れで、半分当たりってところか。俺の"運命"は部屋に無かった。多分、アラストールの炎を通って"向こう側"に落ちたんだろう……予想外のオプションがふたつ、残ってはいたがな」
そう言ったベルガーの手に握られているのは小型の機械と酒の瓶だった。
ある時は絶望を、ある時は希望を拡散した拡声器。
かつて保胤がセルティに飲まされ、そしてベルガーに飲ませた不完全な不死の酒。
その酒瓶は臨也に保胤が火達磨にされた折、蓋が開いたまま手から零れ落ちたものだった。だが、内容量が少なかったため零れずに済んだのだ。残りはコップ一杯分あるかどうかというところ。
「それが例の不死の酒という奴か。その残量では一人分、というところか?」
「いや、こいつはかなり飲まないと効果が出ない。これだけじゃ、精々ちょっと傷の直りが早くなるくらいだろうな」
ベルガーが服の上から胸を押さえる。光の剣で焼き切られた肺は、ようやく正常な換気能力を発揮し出していた。
致命的な重症から完治するまでに約一時間。実験してみる気は無いが、おそらく脳を損傷するなど即死級の怪我には耐えられないだろう。それが三分の一ほどの量を飲んだベルガーの状態だ。
「しかし、例のアラストールの炎とやらはしっかりと機能しているようだね? 黒幕の存在する空間に繋がった炎――か。火傷を心配する必要もないとは至れり尽くせりだ」
「ああ、あいつは義理堅い。世界で二番目の俺以上にな」
そう言って、二人は天井を――天上を仰ぎ見る。
このマンションはベルガーが無名の庵へ転移した場所を基点に、上へ向かって炎が伸びている。
結果として、このマンションはいまやほとんど火の柱と化していた。無論、そのような建物の中に居ては蒸し焼きになることは避けられない筈が、佐山達は汗ひとつかいていないし、そもそも熱気を感じてもいなかった。
紅世真性の魔神。審判と断罪の権能。天壌の劫火アラストール。この炎はその忘れ形見である。
魔神の意思を伝えるコキュートスが消滅する際に、ベルガーに伝えられた最後のメッセージ。
(アンタの誇りある死は――決して無駄にしない)
彼が最後まで望んだのは他者の幸福な生。それを、ベルガーは受け取った。
なればこそ、終われない。このままでは終われないに決まっている。
「……恐慌状態の詠子君がここを目指したのも、この炎の光に優しい"物語"を見出したからだそうだ。そういう意味では私もアラストール君に感謝しなければならないね」
そう言って、佐山は仰ぎ見ていた顔を戻した。そのまま顔を横に向ける。
「――こうして、不本意ではあるが元の世界での仲間と引き合わせてくれたことも含めて」
「……悪かったな、本意じゃなくてよ」
低く響いたのは別の男の声だった。廊下の向こう側から、大柄な体躯の持ち主が歩いてくる。
「俺も、別にお前と会いたかったわけじゃねーよ――阿呆の佐山」
「馬鹿の出雲。そこは咽び泣きながら感謝するところだろう。素晴らしき佐山様に会えたという幸運を、遠慮せず讃えてくれたまえ」
出雲・覚。佐山が元の世界で所属していた全竜交渉部隊のメンバー。
見た目通りの耐久力馬鹿ではあるが、その分戦闘では前衛の役割を十分に果たしていた。また時折鋭い意見をみせることもあり、メンタルの面で言えば部隊の誰よりも磐石であったといえるかもしれない――少なくとも、佐山の知っているかつての出雲は。
だが佐山の減らず口に、目の前の出雲は力なく、はは、と笑った。そしてすぐにその笑みを引っ込め、無表情に疲労の色を加えた、生気の無い顔つきに戻る。
(……やはり、堪えているか)
風見・千里――出雲の恋人であった、やはり部隊の一員だった彼女の死。
出雲をここに連れてきた、自動人形というよりは小型の武神という方が近い形状のロボット――蒼い殺戮者によれば、出雲はその死の場面に遭遇してしまったらしい。
目の前で想い人を殺される衝撃――出雲で無ければへし折れていただろう。
こうして自分の力で立ち、歩けているというだけでも異常だ。
とりあえず、今はそれでいい。佐山はその話題に触れることはせず、再びベルガーに向き直った。
「……さて、話が逸れたが例の吸血鬼のことだったね。詠子君は姫から私宛のメッセージを受け取っていた。内容はこうだ。"夜明けまでにかつて語った決意を実行してみせろ"」
「決意――っていうのはあれか、佐山・御言。お前が前から言っていた」
「そう。殺し合いを否定し、全員一丸となって脱出を目指すという決意だ。つまり彼女はこう言っているのだよ――自分に対抗する勢力を練り上げろ、と」
241
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 00:01:15 ID:f0Abop4o
「でもよ、何でそんなことわざわざ伝えてきたんだ?」
出雲が首を傾げて疑問の声を挙げた。
「いやだってよ、各個撃破する方が簡単だろ?」
「彼女が尋常な存在であれば……だがね」
美姫についての情報を持たない出雲に、佐山は苦笑を投げかけた。
「愚かな貴様に分かるように例えで説明してやるとだね。部屋の掃除をする際に、ゴミが散らばっているのと一箇所に集中しているのではどっちが掃除しやすいと思う?」
「……そのゴミってのは俺達のことか」
顔をしかめる出雲に、そういうことだ、と佐山は頷いて見せた。
「女史にとって我々は塵芥も同然。そもそも、さほど私の働きに期待してもいなかったのだろう。宝くじを買うようなものだ。
詠子君が早期に私と接触できたのは例のアラストール君の篝火のお陰というだけで――この島では本当に嫌な言葉だが、ほとんど"偶然"なのだから」
「つまり、その姫ちゃんとかいう女の子は油断してるわけだな」
「……私の言ったジョシは女子ではなく女史だぞ、出雲」
「あ? だから女子だろ?」
「話が進まんから黙れ貴様」
なるほど、彼を黙らすことのできる風見というのは有り難い人材だったわけだ。
彼女の喪失を心の底から惜しみながら、佐山はやれやれと頭を振った。
「さておき、美姫にのみ関して言えばそれは油断でも慢心でもない。残りの参加者全員を相手にしても勝てる、というのは寝言や妄想の一言で片付けられるほど現実味の無いことというわけではあるまい。彼女に勝てる存在は彼女自身くらいのものだ。唯一、押さえ込める人材もいたようだが――」
「秋せつらのことだな」
ベルガーが後を引き取った。
ダナティアの大集団に所属していたメンバーは、既にかつての仲間から美姫の情報を得ている。
「俺達の集団にいたメンバーの中にはデュラハンや竜といったハイデンガイストや、大魔導士に大魔術師といった戦闘面で秀でた連中がかなりいた。俺も含めてな。だがその中でも頭ひとつ飛びぬけていたのがメフィストって医者だ。美姫と同じ世界の出身らしい」
破壊精霊すら完封する、魔界都市新宿の誇ったドクター・メフィスト。
本来彼は癒し手であるが、自らの患者を害そうとするものに対して、彼は容赦を知らなかった。
「そのメフィストが言っていたよ。もしも秋せつらが死ねば――そしてその時にまだ美姫が生きているのなら、もはや打つ手はないだろうってな」
無論、それはメフィストが戯れに言っただけだ。
魔界医師は秋せつらが敗北するなど想像もしていなかった。
その想像が裏切られた最たる原因は刻印による制限。知る由も無いが、秋せつらにはかなり重い――本来全員に等しく掛けられるはずだった"本来の制限"に近いものがかけられていた。
「"あれは存在に対する反存在だ。滅ぼすことは不可能で、接すればどんな存在も破滅させてしまう"――だとさ」
「"不滅"と"破滅"の概念……」
呟いてしまってから、出雲は額に手を当てて宙を仰いだ。その出鱈目さに眩暈がしたのだ。
彼らの世界において概念とは『そういうもの』だ。重力に従って質量が落下するというような、ほとんど常識といえるほどに定まりきった法則である。
文字は力を持つ、名は力を与える、金属は生きている――それが概念としてあれば、自分の常識と照らし合わせてどれほど不条理でも『それはそういうものなのだ』として納得するしかない。
完全な不死や無敵といった概念は出雲の知る限りどのGにも存在しないものだったが、あるとすればこれほど不条理な概念もあるまい。
「ていうかあってたまるか。実際そいつは概念核じゃねえし、俺たちとおんなじ呪いの刻印がくっついてんだろ。なら完全に無敵って訳でもないんじゃねえのか?」
「それに一縷の希望の託したいところではあったのだがね……どうも、限りなく不滅に近いというのは確からしい」
出雲の問いかけに、佐山は肩を竦めた。
242
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 00:01:56 ID:f0Abop4o
ムキチ経由で、草の獣からアシュラムとブギーポップの戦いの結果を聞いたのだ。結果はアシュラムと兵長が喪われ、キノという人物の援護もあってブギーポップが辛勝した。死神の勝利――それが意味するのは美姫の死。
だが時間的に、詠子が美姫と遭遇したのはそれより後だ。つまり美姫は、少なくとも概念核兵器で心臓を潰された程度では死なないということ。
「……勝てねえじゃねえか、それ」
出雲がお手上げだという風に溜息をつく。概念核兵器は彼の知る限り最強の武装のひとつだ。力が完全解放されていなかったとはいえ、それを心臓に叩き込まれて死なないというのなら、確かに不死と言ってもいいくらいの不死身さ加減だ。
「そもそも殺し合いをしろ、と言われて放り込まれた舞台に殺しても死なない奴がいるっていうのはふざけた話だ」
ベルガーも皮肉気に顔をゆがめふん、と鼻を鳴らした。
(確かに奇妙な話ではあるな……)
佐山はこのゲームに放り込まれた当初から、この殺し合いの目的に疑問を持っていた。
その際の考察の結果として、"戦闘能力ではない、何か別のもの"を測ろうとしているのではないかと仮定し、その後に未知の精霊と接触することによって"心の証明"を求められているということを知った。
ベルガーから聞いたことで、四人の魔女による夜会と、神野陰之という存在のことも己の知識に加えている。
手札は、確実に揃いつつある筈だ。
(だがその手札から成される筈の"役"がどうにも見えてこない)
殺し合いと、心の証明。
押し付けられた手段とそこに秘められた目的が、どうやっても食い違う。
(仮に彼らの思惑通りにことが運んだとしよう。一人を残して、全員が死に絶える。それが心の証明になるのか? ……なるまいな。ならばその過程で証明がされることを期待したということか?)
裏切りに自己犠牲。発狂に覚醒。熱狂に悲哀
そういった人間ドラマは、きっとこの島の至る所で展開されてきただろう。
ここにいる自分達もそれは経験している。親友を失ったベルガー。最愛を失った佐山と出雲。
(だが……未だに証明の終了は宣告されていない。そしてそこに、さらに美姫という存在だ)
決して死なぬ、不滅の存在。
そんな者がいる時点で、このゲームは――"殺し合い"は破綻している。
(……しかし、ゲームは未だに続いている。ゲーム開始後にアマワや神野陰之が干渉している所をみると、破綻しているというわけでもない?)
成立するはずが無いのに、成立している。まるで一部分が欠落した数式のよう。
ならばそれを埋めるピースがどこかにある。
(つまり――美姫という存在が不滅であっても、心の証明は可能であるということか?)
そして問いは最初に戻る。
何を持ってして、未知の精霊と夜闇の魔王は心の証明とするつもりなのか。
(……このゲームの黒幕二人の内、主導権を握っているのは精霊の方だ。もう片方は手段を提供しただけのいわばパトロンに過ぎない。ならば実際に証明の裁定を下すのはアマワだろうか?
神野陰之は詠子君の世界の出身――ならばアマワが生まれた世界から連れてこられた者も存在する? 会うことが出来れば……)
もっとも本当に参加しているのかも分からず、参加者の半数以上が没した以上、仮に参加していても死んでしまった可能性は高い。
(……今はこれ以上考えても仕方ないか。そもそも、私は心の証明などに挑むつもりはない。証明の条件が分かっていればカードにはなるかもしれないが……いまはとにかく美姫への対策だな)
とはいえ不滅の破滅に対抗する策など、そんなものは――
目の前の二人の顔を見渡す。出雲はどこか生気のない顔で呆としており、ベルガーは諦めてこそいないが、絶望的な条件に焦燥を隠せずにいるようだった。
そんなものだろう。佐山もまた無念そうに俯き、辛そうな声音で呟く。
「美姫に対する策は――叡智の化身たる私といえども、ひとつくらいしか思い浮かばないのだが。君たちはそれ以上思いついたかね?」
ベルガーと出雲が、ばっと顔を上げる。そこに浮かぶ感情は驚愕。
それは、二つの事柄に対するそれぞれの思いがけなさが合わさった、二重の驚きだった。
ひとつは佐山の言葉。あの無敵の吸血鬼に対抗する策がひとつでも存在するということ。
そして、もうひとつの驚愕は、
「――それなら私はさらにもうひとつ、カードを提供できるわ」
佐山の言葉のすぐ後に、この場にいる三人以外の言葉が重なった故。
そうして姿を現した灰色の魔女は、にこりと毒のような微笑を咲かせた。
◇◇◇
243
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:18:20 ID:f0Abop4o
◇◇◇
佐山達のいるマンションの前に、異形のヒトガタが佇んでいる。蒼の装甲を纏った巨躯。不寝番を努めるブルー・ブレイカーだ。
――クレア・スタンフィールドによる襲撃の後。BBはアリュセと風見、そして子爵の遺体を土の下に埋めた。自動歩兵の出力ならば掘削にさほどの時間はかからない。そもそも死した子爵の体は地面に染み込んでしまったので、実質的に掘った穴は二人分だけ。三十分も掛けず、死体を地面の中に投棄し終えた。
自動歩兵に葬送という概念は無い。それは単に、死体を埋没処理するという意味合いしか持たなかった。
(いや……しずくと会ったとき、一度似たようなことはやったか)
バード・ストライク。二度と飛べなくなってしまった鳥を埋める為の穴を掘ってやった。
あの時は、何かを想った気がする――だがもう思い出せない。土を掛けた風見の遺体に、何の感慨も沸かなかった。
その後、動こうとしない出雲を強引に抱えて飛び立ち、すぐに燃え盛る建築物を発見した。光学カメラでは確かに燃えているのに、相応の熱反応が存在しない、奇妙な現象――BBは誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにそこに近づき、そして佐山達と遭遇した。
何故、自分はそんなことをしたのか。
BBは今更――行動を終えてしまった今更に、そんなことを思考していた。
(俺は――)
自動歩兵はザ・サードに運用される戦闘兵器である。その中でもかつて蒼い殺戮者は禁じられた技術――テクノス・タブーに抵触するような機材や人材を独立裁量で破壊できる権限を与えられていた。
だが独自の判断で動けるような権限を与えられていたとはいえ、結局のところ自動歩兵は戦闘兵器だ。
彼らは培養脳を搭載し中枢としているが、それは機械的な合理性を"直感"という生物特有の合理性で支援するために採用されたシステムである。
自分で思考し、自分で進む道を選択するためのシステムではない。
ならば何故、自分はあのような行為を?
(……俺にはもう"自分だけの理由"など――)
しずくは、自分のもう一枚の翼は失われてしまった。
今の自分は片翼だ。かつてブルー・ブレイカーが任務よりも大事にしたいと思えた存在は潰え、そこには空虚だけがあった――もう、自分が自分自身の翼で飛ぶことなど有り得ない。
蒼い殺戮者は弱くなった。かつての自分は単独での任務を好み、随伴する同僚の自動歩兵など捨て駒程度にしか思えなかったというのに、火乃香に出会い、しずくと出会ってしまってからは、そうではなくなってしまった。
火乃香に殺戮行動によってのみ構築される価値観を砕かれて、しずくがそこに収まった。それは弱さだ。どうしようもない、戦闘兵器としての欠陥。しずくを喪った今、自分の中には何も無い。復讐すら出来ず、周囲に八つ当たりするほどの気力も無かった。
(……出雲・覚を助けたのは――代替行為か)
何もすることが思いつかず、とりあえずその場にいた人間の懇願を聞き入れ、その身を保護しようとしたのか。
だとしたら――なんてくだらない。
しずくの代役など、誰にも果たせないというのに。
(……火乃香を、探すか?)
胸の中の空虚を押し退け、この島に来てすぐに設定した目的を思い出す。
この島からの脱出。そしてその為に火乃香を探し出し、協力すること。パイフウは四回目の放送で呼ばれてしまっていたが、しかしまだ火乃香はいる。殺戮者だった自分を変えた少女が。
244
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:19:02 ID:f0Abop4o
(そうだ。火乃香と合流し、この島から脱出し……脱出して……どうする?)
命令系統への復帰。かつて自分が自分に課した行動指針。
だが不思議なことに、いまではその目的を積極的に果たそうとは思えなくなっていた。
(……そうだ。戻っても、俺にはもう……)
自分の知る蒼空に戻れたとして、もう自分は飛べない。片翼では飛び立つことは出来ないのだから。
どうしようもないまでに自分には意味が欠落している。
BBが思い出したのはかつて存在した自身の二号機だった。STW-9000改。ブレイカーⅡ。
奴は自分との戦闘に敗北し、自分の意味を見失って――自壊した。
いまなら、奴の行動を心から理解できる。
(ここから脱出したとして――それでは、俺はしずくを置き去りにしてしまう)
それだけはしたくない。彼女を置き去りにはしないと、かつて彼は誓ったのだから。
タマシイという概念を、BBは詳しく知らない。だがしずくのタマシイはこの島にある、ということだけは何故か確信できていた。
なら、自分がすべきことは。
(――あの時から、俺に許された行動はこれだけだった)
一度決意してしまえば、行動は容易だった。
スラスターを噴かして一気に上昇する。少し飛べば、程なくして例の限界高度にまで達するだろう。
この島の天井は低く、狭い。空とは呼べないほどに。
だけど、それでも――二人で飛ぶのならきっと寂しくは無い筈だ。
例の高度から地面まで動力降下すれば万に一つの間違いも無く、機体は耐えられない。装甲は砕け、四肢は千切れ、培養脳は潰れて飛び散るだろう。そうしてようやく、ブルー・ブレイカーはしずくと同じ場所に行くことが出来る。
(待っていろ、しずく)
そうして、目標高度の半分ほどまで到達した、その時。
『――ブルー・ブレイカー? どうしたの、急に飛び上がって』
外部通信から入力。少女の声が、BBに届いた。
(海野……か)
海野千絵。ここに来たとき、二三言葉を交わしただけの人間だった。
地上にいるその少女と自分を繋げるのは、ベルガーが持っていた携帯電話だ。不寝番をすると決めた時、BBの方で周波数を合わせることによって通信ができるようにしていた。
海野は外で見張るBBとの連絡係を割り振られていた――おそらく窓か何かから、空に飛び立つ自動歩兵の姿を見つけたのだろう。
問われたのなら応えなければならない。それは彼の機械的な性格による、一種の条件反射のようなものだった。
『――ねえ、聞こえてるかしら? どうしたの? 誰かが飛んできたの?』
「……すまない」
それでも返した言葉は短すぎて、自分でもよく分からない不明瞭なものになってしまう。一度言葉を切り、言い直した。
「すまない海野。俺はもう――駄目だ」
『駄目? 駄目って、どういうこと』
「意味を、失ってしまった。俺がこうして存在し続ける意味を」
『存在し続ける意味って……ちょっと! まさか自殺でもするっていうの!?』
存外に鋭く自分の目的を察した少女に、BBは素直に賞賛の念を抱いた。
抱いて――それだけだった。
「しずくの所に行くだけだ。見張り役は誰か別の者をあてろ」
それを最後の言葉として。
ブルー・ブレイカーは一方的に通信を打ち切り、チャンネルを閉じた。
◇◇◇
245
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:20:06 ID:f0Abop4o
◇◇◇
(自殺、自殺ねぇ――)
BBの装甲に引っ掛けられるようにして保持されているアンク――エンブリオが声には出さず独りごちていた。
高速で上昇していく際に生じる気流の乱れの中、エンブリオは激しく揺らめいている。
金属製のアンクが、幾度も幾度も蒼い装甲にぶつかり、甲高い音を立てた。だがBBには気づく素振りもない。
エンブリオは風見・千里の遺品だ。BBが何を思って埋葬する直前、そのペンダントを回収したのかは分からない。エンブリオも聞こうとはしなかった。何故なら、
(俺が殺したようなもんじゃねえか)
風見だけではない。この島に来て関わった連中。そのことごとくが死んでいた。
このロボットが自壊を選択した原因。しずくの死。その事象にも、自分は深く関わっている。なにせ笑えることに、凶器そのものなのだから。
無論、エンブリオにしずく殺しの責は無い。エンブリオはとあるMPLSの少年、その精神波のコピーだ。今はエジプト十字のペンダントに込められている。だから自ら動くことは不可能で、言葉では芽衣子の暴挙を止めることは出来なかった。
そう――自分は役立たずだ。
かつてエンブリオを巡って二つの組織の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。エンブリオには特殊な能力があったからだ。
"秘めたる才能の開花"――その身に宿す才能を引き出し、それを完成させる能力。
開花させた才能は数知れない。いちいち覚えてはいないが、どれも常軌を逸した飛びぬけた才能だった。
だがそれだけだ。
引き出した才能は、かつての所有者達の人生に多大な影響を与えただろう。だがそれだけだ。エンブリオ自身が人に影響を与えたことは無い。
あるいは"未だ"無い、というだけなのかもしれない。もしかしたらの未来において、"エンブリオの能力"ではなく"エンブリオそれ自体"が誰かに影響を与えていたのかもしれない。
しかし、結局のところそんなIFに意味はない。現実として、このエンブリオにそんな経験はなく、このエンブリオには意味がなかった。
だからこの自殺を、エンブリオは止めることが出来ない。その諦観に、エンブリオは声すら出さなかった。
もとより、止めるつもりも無い。エンブリオの望みは自殺だったのだから。このロボットの墜落に巻き込まれれば、頑丈な金属製のペンダントであっても破損は免れないだろう。
(……)
だが心待ちにしていた筈の死を目前にしてさえ、どうしてか心が晴れない。
自分が心待ちにしていた"死"はこんなものだったのだろうか――そんな疑問符が胸中に浮かぶ。
いや、だが――きっと、これでいいのだ。
エンブリオは思う。否、思わない。諦めに支配され、エンブリオはもはや思考を停止していた。
だから。
だからペンダントの紐がBBの装甲の出っ張りから外れ、上昇する感覚が自由落下のそれに変わった際にも、エンブリオは何ら感慨を抱かなかった。
高度数百メートル。そこから地面に叩きつけられ、金属製のペンダントが壊れずに――あるいは精神波たるエンブリオを留めておける程度の損傷で済むかは、誰も知らない。
◇◇◇
246
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:20:53 ID:f0Abop4o
◇◇◇
「なんだってのよ……!」
役立たずに成り下がった携帯電話を放り捨て、海野千絵は管理人室から飛び出した。マンション一階の入り口に面し、BBが立っていた場所が良く見えるその場所も、相手が空へと飛び上がってしまえばさほど意味は無い。
駆けだした足を止めず、海野はマンションの階段へ向かった。何か考えがあっての行動ではない。ほとんど衝動的に足は動き出していた。
だがそれでも自分のしようとしていることは分かる。
(自殺なんか――やめさせる)
千絵はBBとまともに会話したことがない。そもそも会ってから一時間にも満たない存在だ。ほとんど他人に近い。
だが、躊躇はしなかった。海野千絵は躊躇をしない。
足を大きく振り上げて、階段を一段飛ばしに上がっていく。ベルガーや佐山に声を掛ける暇は無い。ならば自分だけでやるしかなかった。
階段を駆け上がりながら、千絵は考える。BBを止めるにはどうしたらよいのか。考察の材料は先ほどの短い会話くらいしかなく、時間的な余裕はもっと少ない。足は緩めず、脳の回転速度を速めていく。
(ブルー・ブレイカーは自殺しようとしている。自殺の理由は――最後の言葉からして、しずくって子ね。リストに名前があったのを覚えてる。つまり参加者で……もう亡くなっている)
ここから分かることは、BBにとってしずくは何よりも大事だということ。失ってしまえば、己の生命すら投げ出しかねないほどに。
機械がどれほど人間と心理を同じくするのかは分からないが、その部分は自分達と一緒ということだ。一時の喪失感に押し流されて、自分の命を放棄しようとしている――
(っざけんじゃないわよ!)
千絵はさらに足に力を込めた。飛ばす段の数を増やして、数段飛ばしで階をあがっていく。マンションに充満するアラストールの炎の内、かつて自分たちが根城にしていた部屋以外の部分は余波のようなものだ。ベルガーが見てきたという黒幕のプライベートルームには繋がっていないし、熱くもない。
それでも全力疾走に膝が悲鳴を上げ、全身から汗が噴出した。だが速度は緩められない。科学の力で飛ぶBBと、人力でひいこら言いながら階段を上る自分。どちらが早いかなんて誰でも分かる。
かろうじてこちらに分があるとすれば、移動する距離だ。統計的に遺書のある、つまりは発作的でない計画的な投身自殺には目に付き、そして侵入できる範囲で最も高いビルが選ばれることが多い。BBは空を飛ぶことが出来る。おそらく"自殺できる最低高度"よりも"可能な限りの最高高度"を選択する筈。
(……問題はその後ね。あいつが落ちる前に、私が屋上に到達できたとして――説得のための言葉が物理的に届かない)
これが人間相手なら、会話で油断を引き出し、隙を見て拘束するという処置が一般的だ。だが空を飛ぶスーパーロボット相手にどうしろというのか。
今の千絵は身体的に普通の少女だ。当然空を飛ぶことは出来ず、上空云kmにまで声を響かすことも不可能。
いやそもそも、どうすれば思い留まってくれるのだろう。
(いまのあいつはしずくって子を失って、多分、もうそれ以外は何も考えられなくなってる)
つまりそれ以外のことに意識を向けさせればいいのだが――
(で、その為にはとにかく会話を――これじゃ堂々巡りじゃない!)
説得のための言葉を思いついてもそれを届ける術が無い。止めるための手段が、自分には存在しない。
あるとすればBBが落下して自分とすれ違うその一瞬。そこでただ一言に望みを託すか。
(いや現実的じゃないわね。相手は言葉の意味を吟味してる間に地面と衝突するわ)
あのロボットがどれだけの速さで飛べるのかは知らないが、最悪、亜音速で飛行できるのなら言葉自体届かない可能性すらある。
言葉は届かない。ならばどうやって止める? 死んだ者のこと以外、何も考えていない相手をどうやって。
247
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:22:24 ID:f0Abop4o
(……何も考えていない?)
自己の内で繰り返した言葉に違和感を覚えた。
BBは死んでしまったしずくという人物のことで頭が一杯になっている――千絵はそう考えた。
(でも……少なくともBBがそれを知ったのは、四回目の放送より後のことよね?)
流石の千絵でもしずくが何回目の放送で呼ばれたか、ということは覚えていなかった。だが一回目や二回目の放送でそれを知ったのなら、BBはもっと早くに自殺を試みている筈。
あるいはそれまで何らかの理由や要素で精神の安定が図られていたということも考えられるが――何にせよ、BBという存在の中でしずくの死が確定したのはここ一時間くらいでのことだろう。ここに到着してからBBはほとんど誰とも接触していない。しずくの死に関する情報を手に入れられる機会は無かった。
ならば、ひとつだけ方法はあるのかもしれない。
ようやくたどり着いた糞重い屋上の扉をもどかしげに押し開けて、千絵は夜空を見上げる。
(――間に合った)
星よりも一際明るい光点が、だんだんと地上に近づいてきていた。
◇◇◇
最高高度に達したブルー・ブレイカーは、躊躇いもせずにパワー・ダイブを決行した。出力は全開。重力に逆らって上昇する時とは逆に、かなりの速度で地表が近づいてくる。
――地面に叩きつけられて機能停止するまでに、十秒。それがBBに残った時間だ。
想像していたよりは、何も感じない。迫る死への恐怖も、しずくに会えるという恍惚も。
だからBBは速度を緩めもしなかった。無心で前を、つまりは落ち行く先である地表を見つめて残りの距離を消化していく。
――九秒。制限によってまともに働かないBBの複合センサーが、炎でライトアップされたマンションの屋上で小さな動体反応を捉える。
――八秒。反射的に、光学カメラを最大望遠に。それは狙撃を警戒してしまう自動歩兵としての反射。
――七秒。炎による揺らめきの補正に手間取りながらも、その動体を確認する。照合して、海野千絵と確認する。
――六秒。千絵は屋上の端にいた。落下防止用の柵に手を掛け、上空にいるこちらを睨みつけている。
――五秒。地上まであと半分。だがマンションの最上階の高さにはほとんど届きかけている。
――四秒。千絵が、柵を飛び越えた。
「――!? 何を――!」
BBが驚愕の声を洩らす。
宙に身を躍らせた少女に命綱の類は見受けられない。そして人間の強度では、動力降下でなくとも地面との衝突には耐えられない。
そんな当たり前の真実が自動歩兵の中にあった。
だからこそ、逡巡も、躊躇いも無く。
――三秒。落下する千絵を追い越したBBが、体勢を変更する。落下から再度の上昇へ。急激な負荷に装甲が軋んだ。だが不可能ではない。自動歩兵の人型とは速度を犠牲にして小回りを獲得した兵器特性。
――二秒。だがもはや意味の無い数字だ。BBは出力リミッタを解除。スラスタが爆発的な加速を生んだ。自分にかかる下向きのベクトルを相殺していく。掲げた視界にはゆっくりと降ってくる少女の姿。
自身の落下速度を限りなく軽減して、BBは少女との相対速度を合わせた。相手を損傷させないように慎重にスラスタの出力を調整しつつ、少女に向かって腕を伸ばす。触れる。掴む。
鋼鉄のマニピュレータは、しっかりと千絵が着ているブラウスの裾を摘んでいた。落下のエネルギーをもろに受け止め、ピシリと生地が悲鳴を上げるが、それで破れてしまうという悲劇はどうにか免れたらしい。
「……」
BBは無言で千絵を見つめた。無機質なセンサーが、レンズの奥で揺れるような輝きを放っている。それはアラストールの炎の照り返しか、それとも――
「……やっぱり」
ゆっくりと降下していく中、機械の腕に納まった海野千絵が、囁く様に独りごちた。
◇◇◇
248
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:23:39 ID:f0Abop4o
◇◇◇
「千絵、何故あんな真似を――」
「それはこっちの台詞よ」
地上に降りてから発せられたBBの質問に、千絵は何でもないようにそう返した。
千絵はよいしょとBBの腕の中から飛び出して、華麗に着地――し損ねた。ぷぎゅっ、と変な声を出して地面に転がる。
自動歩兵は人よりもかなり大きい。そこから運動神経が良い方ではない千絵が飛び降りれば、こうなるのは必然であった。
「……」
「……こほん」
BBに背を向けて起き上がり、ぱんぱんと土の汚れを叩き落としてから咳払いをひとつ。それで過去を無かったことにしたのか、千絵はようやく振り返った。
「それはこっちの台詞よ。自殺だなんて――何を考えているの」
「しずくに会うためだ」
まるっきり論理的ではないそんな言葉を、だがBBは迷わずに口にした。
「しずくを喪った俺に、もう意味は無い。こうして存在している俺は残り滓のようなものだ」
BBにはすでに自分が何をすべきか、ということが分からなくなっていた。かつて設定した行動指針は放棄され、しかし過去の――殺戮者としての指向性を取り戻すことも出来ない。
だから、なぞった。
過去に見た、自身の意味を喪った者の行動を。ブレイカーⅡの末路を模倣した。
(奴は、正しかった)
この寂寥。この不安。
確かにこれは、重い。重すぎると実感する。空を飛び続けることなど叶わなくなるほどに。だから墜落を選んだ。だから自壊を選択した。ブルー・ブレイカーには、それ以外に正しいと思える道がもう残されていなかった。だというのに、
「お前は、何故――」
「――それなら、なんで私を助けたの?」
BBの抗議を、千絵の言葉が塗りつぶした。
「貴方に意味が無いのなら、どうして私を助けたのかしら?」
「それは」
何故か。
訊かれて、さらに自問して。
その答えが自分の中にないことに、BBはふと気づいた。
(俺は何故、こいつを助けた?)
経験はある。
咄嗟に目の前の生命を救ってしまった経験は過去にもあった。それは、初めてしずくと出会った時だ。初対面の、本来は破壊か捕獲をすべきだった対象をBBは救った。
しかしそれは、しずくという機械知性体が己のもう一枚の翼であるという根拠不明の確信が己の中に生まれたから。
では目の前の海野千絵はどうか?
(こいつは――)
違う。自分の半身でもなければ、縁の深い人物でもない。助けるべき理由が――見当たらない。
「私だけじゃない。以前にもあの男の人――出雲・覚を貴方は助けている」
出雲・覚。葡萄酒に飲まれてしまった敗残者。BBと同じく半身を失ったという共通点はあったが、しかしそこに共感はない。同じ境遇の者が存在するという後暗い慰めを、BBは求めない。あの男にも救うべき理由など無かった。
だというのに、自分はあの男をここまで連れてきている。誰に頼まれたわけでもなく、自分の意思で。
それを言うのなら、風見・千里もその類だ。クレアとの戦闘で彼女を庇おうとしたのは何故だったのか。あの時、すでに自分には意味が無かったというのに。
「もう意味は無い? いいえ、意味はあるわ。少なくとも、今の貴方には意味がある」
「俺の意味――?」
「すでに貴方は私を含めなくても一人救っている。だから、きっとその人にとって貴方は意味のある存在でしょう?」
「……それは、違う」
BBは否定する。首を横に振る等という人間くさい動作はなく、ただ無機の言葉で反論した。
249
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:25:12 ID:f0Abop4o
「それは他者が俺に抱くイメージだ。俺自身が内包するものではなく、俺が連続する為に必要な構成要素ではない」
他者にとってBBが命の恩人であったとしても、BB自身はそれに何の感慨も抱けない。
だが千絵は首を振った。BBとは対照的な、人らしい感情の籠もった動作。
「他人が貴方からそういうイメージを受け取るなら、それは貴方にそういう要素があったからよ。貴方が貴方に関係の無い人の命を救ったのは事実でしょう」
結局は、そこへ戻る。
何故蒼い自動歩兵は、三人の人物を救おうとしたのか。
いくら考えても分からないその問題に、BBは目の前の少女を見つめた。
「俺は――何故、お前を救った?」
問いかける。その理由は、しずくの代わりになるものなのか。
この背に圧し掛かる重みに抗し得るものなのかと。
その問いかけに、千絵はきっぱりとこう告げた。
「そんなの、私が知るわけ無いじゃない」
「な――」
絶句するBBに、千絵は間髪いれずに言葉を畳み掛ける。
「私は貴方をよく知らないもの。知っているのは、貴方が目の前の人間を助けようとしているってことだけ。その理由までは分からないわ」
そう理由など知らない。彼女が推理したのは、ただBBが自殺を企てる人間を前にして、どういう行動をとるかということだけ。
だから海野千絵は身を投げた。
それをBBは助けるだろうと予測して、そしてそうなれば言葉が届くと確信して。
「貴方には意味があるわ、ブルー・ブレイカー。それが何に根ざすものなのかは知らないけれど、誰かを救おうとするその衝動がある」
そう。それが何かは分からないけれど、胸の内にそれがあることだけが分かっている。
「空っぽじゃない。しずくって子の他に、貴方の中には何かがあるのよ」
(俺の中に、何かが――)
結局、その正体は分からなかった。
しずくに匹敵する何かが、この世界にあるとも思えない。
だが、それでも自分は千里を守ろうとし、出雲を安全な場所まで運び、海野を救った。
自分の中の、何か。それは確かに存在する。
その正体を知りたいと、BBは思った。それが千切れた翼の痛みを補ってくれるなら。
だから、とりあえず今のところは。
展開した飛行ユニットを収納しながら、BBは思った。もう少しだけ、しずくのもとへ行くのは先送りにしようと。
◇◇◇
250
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:26:31 ID:f0Abop4o
◇◇◇
鋼の翼を閉じていく自動歩兵の姿を見て、千絵は全身から力を抜いた。
もしも説得が通じず再度の自殺をBBが試みた場合、千絵にはもう止める手段が無い。だからBBが翼を畳むのを見て安堵の溜息を吐く。
それと同時に、階段を全力で昇ったツケが全身を襲ってきた。疲労感と倦怠感が、全身に火照りをもたらしていく。
冬のような寒さでないとはいえ、太陽の無い夜は昼より冷える。なるべく早く建物の中に戻ったほうが良いだろう。
そして、マンションへ戻ろうと体の向きを変えた、その時。
「海野……お前は、どうして俺を止めようとした?」
背後から、声が掛けられる。
BBからの質問が意味するところはすぐに分かった。BBは明確な理由無く千絵を救った。だが同様に、千絵もBBを救っている。
二人の間には何も無い。信頼も、憎悪も、憐憫も、悦楽も。ただ無関係。救う理由がないというのはお互い様だ。
千絵の足が止まる。背に注がれている自動歩兵の視線に、千絵は振り向くことで応じた。
「――貴方と似たようなものよ、ブルー・ブレイカー。私の中にある正義感に、私は従っただけ」
海野千絵。かつては葛根市に蔓延するカプセルを排斥しようと、単独でジャンキー供とやりあった少女。
危険な目にもあった。セルネットに目を付けられ、命を狙われたことすらある。だが千絵は折れず、ただドラッグの根絶を掲げた。
そう、彼女は正しいことを奉じる人種だ。その彼女から見て、自殺は度し難い行為であったということ。
――だけど、それだけなのだろうか。
もしも此処に彼女を知る者が――彼女と同郷の者がいれば、そんな疑問を抱いたはずだ。
海野千絵は、その為だけにマンションの屋上から躊躇いすら見せずに飛び降りるような少女だっただろうか。
確かに、過去の彼女は無謀な行いを数多く犯した。そもそも、大した後ろ盾も持たない一介の女学生が薬物売買を行う犯罪集団に関わろうとするその姿勢が既に無茶だったとも言える。
だが――どうだろう。過去の彼女は、結果として命を危うくしても、直接的に命を危うくするような手段を取ったことがあっただろうか。
他者の為に、自らの命を投げ出す種類の蛮勇を、過去の彼女は持っていたのか。
しかし、この場において、それを指摘できる者はいない。
結果として、BBは海野千絵の言葉を無言で胸に留め――
そして、海野千絵は振り向いた先の光景を見て、顔を引きつらせた。
「あんたは――」
千絵の豹変に、BBもようやく気づく。センサーに反応。捉えた動体は八。自分たちに続く、新たな来訪者。
その内のひとりが前に進み出てきた。黒いコートを纏ったその青年は、千絵が浮かべたような表情――憎悪と呼ぶその感情を貼り付けて、応じる。
「……何で生きている、とでも言いたいのかな?」
「――折原、臨也……!」
ヘイズ。コミクロン。火乃香。オーフェン。クリーオウ。ギギナ。フリウ。
そうした多くの人物らと共に、折原臨也は大集団の跡地へと舞い戻った。
◇◇◇
251
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:27:25 ID:f0Abop4o
◇◇◇
結果として、折原臨也は火乃香たちのグループに潜り込むことに成功していた。
その原因は大別してふたつだろう。ひとつはクリーオウ・エバーラスティンという少女を、臨也が最大限にまで利用したこと。
臨也を仲間にしてもさしたるメリットは無い。だから臨也はメリット・デメリットではなく、ただ正義感、同情心というものをつつきまわした。その場合この金髪の少女は、かつてクエロ・ラディーンがそうしたように絶大な効力を発揮する。
そして二つ目の理由は、このグループに所属する者たちの大半が、最後の一線でお人好しだったという点。
火乃香やヘイズはフリーの便利屋であり、最も自分の抱えるリスクに関して敏感な人物だったといえる。
だが両者とも、不必要なものを全て切り捨てられるような冷徹さを持っていなかった。貧しい依頼主を哀れんで多額の借金を背負ったり、シティの軍に追い回される羽目になったりするヘイズは言うに及ばず、火乃香ですら最後の一線で情を捨てきれないところがある。
オーフェンはクリーオウに対してあまり強気に出れない事情があった。彼の記憶では、彼女と最後に会ったのはメベレンストの病院だ。そこにいた彼女は精神的にかなり参っていて、いつものような――否、かつてのような罵倒し合いを経験してすら、どうにもそのイメージが抜け切れていなかった。それ故に、クリーオウが強く願えば彼はそれを拒みきれない。
コミクロンとてさほど弁舌に長けるわけではなく、一学生でしかなかった彼に、ヘイズや火乃香のようなリスク管理の経験もない。
最もそういった判断に関して冷徹になれるのはギギナだっただろうが、彼は群れることに関してあまり口を出そうとはしなかった。いざとなれば斬ってしまえばいいという心算と、現状、自分が彼らの仲間という区分に落ち着いていることに完全な納得をしていなかったからだ。
そして、意識を覚醒させたところでフリウに発言権があるわけも無く、結局――目的地だったマンションまで折原臨也の同行を許し、道中では消極的に保護する、といった辺りで妥協の線は引かれた。
――そうして、再び争いの場が構成される。
マンション前の整備された区画で彼らは対峙していた。剣呑そのものの空気を形成する中核は三名。折原臨也と海野千絵。そして騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたダウゲ・ベルガー。彼らは一切の妥協なく仇を、あるいは仇と偽っている者を睨みつけている。
「よく顔が出せたもんだな折原臨也。後ろの連中が新しい仲間か? 今度はいつ裏切るんだ?」
「そっちこそ手が早いね。俺の仲間を殺しておいて、もう別の人を誑し込んだのかい?」
皮肉気なベルガーの揶揄を受け流し、臨也が嫌味を返して、
「藤堂さんを殺しておいて、よくもそんな――」
「それはこっちの台詞だよ――」
ヒステリックに調子を高めていく千絵の憤怒に、同じだけの猛りがぶつけられる。
そんな言葉の応酬に、
「――なるほど、事情は理解した」
仲介役を買って出た佐山が割って入った。睨み合う両者の中間辺りに立って、周囲を見回す。
対立しているのは三名。ベルガーと千絵、そして臨也。
それを取り巻く形で、臨也と供に来訪した火乃香ら七名。さらに加えて、元からマンションにいた自分達。
この島においては壮観な光景といえた。ゲームには乗っていないと、少なくとも表向きはそう宣言している参加者がマンション内部にいる詠子を合わせれば総勢で十五人。かつてダナティア・アリール・アンクルージュがつくりあげた大集団をも上回る人数が集結している。
(否、これも彼女の功績か)
彼女の行った放送と、そして彼女の仲間だったアラストールの炎が再度つくりあげた、ゲームを崩壊させるための金の針。
だというのに、最もこの光景を待ち望んでいたであろう者達はほとんどが没している。この場にいない者達の死を、佐山は惜しんだ。
252
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:28:30 ID:f0Abop4o
そう――彼女が存命だったならば、このような複雑な状況は生まれなかっただろう。
ダナティアの率いるグループが崩壊した原因のひとつ――内部の裏切り。
千絵とベルガーは臨也を裏切り者と糾弾し、臨也はその逆を訴える。
声高に糾弾しあった結果、この場にいる全員が双方の主張を訊き、そして共通の感想を抱いていた。即ち、
(水掛け論だ)
佐山は肩を竦めて、状況を整理する。
彼らの主張にはロジックが無い。感情的になっている――無論、そういった要素もあるのだろう。ダナティアという御旗は、彼らの中でそれだけ大きな存在だった。
だがおそらく一番大きな要因は別にあり、しかも双方ともにそれに気づいているということが、本来理性的な態度を貫きそうなベルガーと千絵にさえ感情的な面を発露させている。
(おそらくどちらの証言を詳しく分析しても、簡単に矛盾は発見できない)
佐山はまだ折原臨也という人物の言い分を詳しく聞いていないし、臨也とともにやってきた彼らはベルガー達の言い分を知るまい。
だがそれでも分かることはある。臨也か、ベルガーと千絵のコンビか。どちらかは嘘をついていて、それでもこうして相手と対峙し、舌戦に挑んでいる。
(ならば自らの過失がばれるような下手は打っていないだろう。ばれない自信があるから、あるいはそれを暴けない予感があるから、こうしてお互いを糾弾している)
実際、どちらが本当に裏切ったのか、という真実がかなり分かりにくい状況なのは間違い無い。
何しろ彼ら以外の関係者は全員が亡くなっており、さらに事件現場はアラストールの炎によって別次元へと通じてしまっている。証拠の類は残っていないだろう。仮に残っていたとしても(例の不死の酒の瓶などだ)、それを精査する設備がここにはない。指紋照合や遺留物の状況から犯人を見つけ出すことは出来ない。
つまり、嘘をつこうと思えばいくらでも矛盾のない嘘をつけるということだ。
(仮に話しに綻びがあったとしてもそれは薄く、そして極小の罅割れに過ぎない。両者の話を総合しながら、それを探すのは――)
不可能では、ない。
おそらく不可能ではない、と佐山は思う。ばれにくい嘘を吐くことは可能だろう。だがまんまと騙し通されてしまう自分ではない。その自負がある。相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪となってそれを叩き潰せる。
だがそれには時間がかかってしまう。両者の話を付き合わせながら検証し、吟味し、罠を張るのは重労働だ。おそらく一時間か、あるいはそれ以上。そしてその間、集まったこのメンバーで連合を組むことは難しくなる。
(そうなれば――確実に間に合わなくなる)
夜明け前には美姫がここを襲撃してくるだろう。そうなれば終わりだ。戦力的に言えば、あの吸血鬼に対抗するにはここにいるメンバーでも足りはしまい。
否、あの妖姫の性質を考えれば、どれだけ戦力があっても無駄だ。有効な方策としては、秋せつらのように戦闘力以外のもので彼女を押さえ込める存在を用意するか、あるいは――彼女自身をもう一人調達してぶつけるか。
それはただの夢想に過ぎない。首を振って思考を切り替える。もっと現実的な策はあるのだ。佐山・御言だけに可能な、あの美姫に対抗する為の策がひとつ。
だがこの策を実行するには、単純に頭数が必要だ。だから少なくとも表面上は諍いや問題の無い同盟を締結させる必要がある。
(ならば――美姫のことを切り出すか?)
差し迫った危機があることを伝え、一時的にでもこの諍いを収める。
だがそれも難しいだろう、と佐山は考えた。ベルガーはまだいい。臨也を前にして、完全に熱くなってはいない。前に交渉した時の言葉を鑑みれば簡単ではないだろうが、それでも妥協を引き出すことは不可能ではない。
だが海野千絵。彼女はどうやら違うようだった。
「あんたさえ、いなければ……!」
ぎり、と歯が砕けんばかりに怒りを噛み締めている少女の姿に、臨也という濁りを併せ呑むような余裕は一筋も見つけられない。
(本来なら一端保留にしてこの場を収め、何らかのカードを手に入れるべきだ)
元の世界で自分が行っていた全竜交渉のように、それぞれの因縁を見定め、互いの納得できる道を探り、提起すべきだ。
だがその時間がない。
もはやどちらかを切り捨てることでしか、道は拓けない。
「切りたくない札を切るしかない――か」
ぽつりと佐山は呟く。その声音は苦々しいものに満ちていた。
253
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:29:11 ID:f0Abop4o
「――随分な言われようね」
この場に居る十数名の中で、もっともイレギュラーに近い存在。それが一歩、三人の諍いを遠巻きに囲んでいた輪から進み出た。
全員の注目が、その少女に向けられる。その灰色の女に。
「初めまして――の方が多いわね。私は灰色の魔女、カーラ」
先ほどマンションの中で、佐山達の目の前に姿を現した魔女。
その正体をダナティアから伝え聞いていたベルガーに警戒されながらも、カーラが告げたのは敵対の宣告ではなく、求めたのは佐山達との対等な同盟関係。彼女が警戒していたダナティアの大集団は弱体化し、刈り時が来たとの判断。
そしてそれは受け入れられた。カーラが決して善性のものでないのは佐山も、事前にダナティアから話を聞いていたベルガーも見抜いていが、彼女のもたらすカードは鬼札。文字通り、このゲームのルールを根底から覆す。
だからこの悪神を祭る女は、この輪の中に入ることを許されていた。
「世界の平穏を望み、このゲームを開催した魔人の抹消を望む者」
その台詞も間違いではない。彼女が平穏を望んでいる世界はロードスだけであり、消えて欲しいと思っているのは神野陰之だけではないが。
白々しい魔女の嘯きに、佐山の表情がさらに苦味を増す。その変化を背中越しに楽しむように、カーラは笑みを浮かべて言葉を続けた。
「その私が、最初にひとつだけ問うわ――相手を許し、その罪を問わないことは、どうあっても許容できないのかしら?」
「無理よ」
即答したのは千絵だった。表情は憤怒に染まりきり、眼前の許容を説く相手にすら噛み付かんという勢いで叫ぶ。
「こんな――こんな奴、どうあったって許せるわけ無いじゃない!」
およそ正義感、という点に関して、千絵は人一倍強いものを持っている。仲間を裏切り、人の心を弄ぶような手管を容赦なく用いる折原臨也は、そんな彼女にとって許すことのできない存在だろう。そこに個人的な恨みが加わればなおのことだ。
そんな糾弾する少女に対して、当の臨也は、
「……条件次第だね」
深く――震えるように息を吐きながら、そう呟いた。
視線は地面に固定され、表情を窺うことは出来ない。しかし全身が小刻みに震えているのは分かる。それは怒りを堪える仕草にも見えた。
「俺は、こいつらを許せないけど――けど、きっと。ダナティアなら許したと思うから」
怒りに身をゆだねるな。憎しみを繋ぐな。悲しみを繋ぐな。
かつて放送で告げられたその言葉を想起させるように、強い意志を込められた言葉。
折原臨也は、臆面も無くそんな言葉を口にした。自らが裏切り、崩壊の一端を担った集団の長。その想いを、見えぬ手の中で転がす。
「あんたが、それを言うの……!?」
「ストップ。良いわ。どの道、多数決で決められる問題でもない。ひとりが納得できないというのなら、その時点で同盟はなりたたない。一時的なものならそれでもいいけど、ここで結ぶものはそうではないもの」
「話が先に進んでるみたいだけど」
と、話に割って入った者がいる。
その人物を認めてカーラは微笑んだ。神野陰之に対するジョーカー。同時にロードスを脅かしかねない諸刃の剣。
火乃香。彼女もまた、周囲の輪から一歩進み出て疑問を突きつける。
「同盟を結ぶって体で話してるみたいだけどさ、こっちはまだ何にも言ってないし、聞いてもないんだけど」
「なら、貴女達は何を望んでこの場に訪れたの?」
「とにもかくにも話を聞きに。イザヤの件はおまけだよ。あたし達は別に、イザヤの味方ってわけじゃない」
「ちょっと、そんな風に言わなくてもいいじゃない!」
「落ち着けって」
火乃香の発言にクリーオウが噛み付こうとするが、話が逸れる前にオーフェンが押さえつけた。
その光景を見て、くすりと艶然にカーラが笑う。
「そちらも一枚岩というわけじゃないみたいだけど……そうね、話す必要があるわ。良いわよね、佐山?」
「……ああ、構わない」
254
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:30:01 ID:f0Abop4o
そうして、カーラは恐るべき吸血鬼の存在を、その場に居る全員に朗々と説いた。
それは最強にして不滅。このゲームを終焉に導くファイブカード。魔界都市を壊滅寸前にまで追い込んだ妖姫。それを知り、全員の顔つきが変わった。
「待て待て待て待て不死身だと? そんな非科学的なものがあってたまるか。伝説のケシオン・ヴァンパイアでさえ剣で刺されて死んだんだぞ?」
「不死身の吸血鬼……か。真実どこまで話通りなのかは知らぬが、勝てぬ相手に挑むというのは面白い」
「んなこと言ってる場合かよ」
例外的に喜色を浮かべるギギナへ律儀に突っ込みを入れながら、ヘイズは呻いた。その話が本当なら確かに勝ちの目はない――本当なら。
カーラに視線を据えて、問う。
「そいつが本当に不死身って証拠はあるのか?」
「少なくとも、心臓を潰しても死なずにいたらしいということだけれど?」
「不足だな。そもそも参加者である以上、"刻印"が刻まれてるだろう? なら――」
いや、とヘイズは言いかけていた言葉を飲み込んだ。
刻印が絶対ではないということは、すでに自分たちが解明している。さらにギギナの証言もあった。禁止エリアに放り込まれても、魂を抹消されることなくそこから這い出てきた奴がいるらしい。
「証拠云々を言い出されてしまうと、どうしようもないわね。まさかここに連れてくるわけにもいかないし。同盟を結びたいが為のブラフ、と思われてしまってもしかたがない」
「そうは思っちゃいねえよ。そっちも戦力的には充実してるみたいだしな。そんな誤魔化しようのない嘘をついて、後々トラブルの火種になるような悪手を踏むとは思えない」
個人的に言ってしまえば、このグループと同盟を組むのは有りだ、とヘイズは思っている。
残り人数の半数以上で組めば乗った連中への牽制になるし、なにより刻印の解除も可能となるだろう。戦力的には拮抗しているので、どちらが下につくということもない。
獅子身中の虫がいる可能性は――それこそダナティアグループ崩壊の時ような――否めないが、それを想定しておけばある程度は対応もできる。
総じて、ベターな選択だろう。火乃香もそれは分かっている筈だ。
(それでもなお躊躇っちまうのは――このカーラって奴の胡散臭さのせいだ)
おそらく、それを一番感じているのも火乃香だろう。彼女の天宙眼は完全な読心こそできないが、自分に向けられる殺気や悪意に対しては敏感だ。
そんなヘイズの思惑をよそに、カーラは鷹揚にうなずいて見せた。
「そうね。どの道、同盟を組んで貰えればわかることだし……ここからは、純粋なメリットの話をしましょう」
カーラが話題を変える。
「私は、あなた達の"メモ"を見る機会があった」
(……街道のあれはこいつだったのか)
刻印に関して記されたメモ。九連内朱巳からの譲渡とも考えられたが、だとしたら彼女がこの場にいないのはおかしい。
「興味深い内容だったわ。だけど穴もあった。それこそ、"解除"するに際してもっとも障害となる穴が」
言語理解――
多数の異世界から集められた参加者にとって、刻印は翻訳装置も兼ねている。下手に解除すれば意思の疎通は不可能になる。
そう告げるカーラの言葉に、ヘイズはうめき声を上げた。
「……なるほど。あの解析できなかった部分はそれか」
ヘイズの情報制御理論や黒魔術、咒式の知識では解明できなかった領域。呪殺機能にはリンクしていない独立した区画であったのでさほど重要視はしていなかったが、思わぬ落とし穴だ。
「それで、あんたが協力してくれればその問題は解決できるかもってことか?」
「正確には、すでに解決済みね。具体的な方法はまだ教えられないけど……」
そうして、カーラは着ている服の袖の部分をまくり、白い腕を衆目にさらした。
「すでに私は"解除"した。お望みなら、調べさせてあげてもいいわ」
255
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:32:19 ID:f0Abop4o
「――マジかよ」
「馬鹿な、この天才を出し抜いて……!?」
驚愕のざわめきが起こる。特に刻印の解析に携わってきた者たちはその難解さを知っている。故に、ポーカーフェイスを気取る余裕すらないのは無理からぬことだった。
疑おうにも疑えない。それこそこんな嘘に意味はないのだから。刻印を調べればわかることだ。
「さて、これで同盟を組む気になって貰えたかしら。私たちからは"解除"を、そちらは吸血鬼に対抗する際の協力を。とてもフェアな取引だと思わない?」
「……まあ、破格ではあるけど」
不承不承といった感じで、火乃香も頷く。残りのメンバーも、異存はないようだった。
「……それで、同盟の話は分かったけど。俺たちの問題は結局どうするんだい? 君に交渉役が替わったってことは何か考えがあるんだろう?」
放置される形になっていた臨也が口を挟む。
彼にとって、同盟の話は渡りに船だった。このメンバーが同盟を組み、さらにそこに加わることができれば脱出の目も見えてくる。
吸血鬼の件は臨也にとっても不安要素だったが、話を聞く分にはその吸血鬼は無差別に人を襲おうとするらしい。ならば、もっとも生存率が高くなる選択肢はこの同盟に入り込むことだろう。
しかしその為には、自分と海野千絵、およびダウゲ・ベルガーとの対立を解消しなければならない。
会話での和解は難しいだろう、と臨也は踏んでいた。ベルガーならともかく、あの海野千絵という少女は完全に頭に血が上っている。だがそうなると、
(そうなると一番可能性が高いのは、戦力的に役立たずの俺を切り捨てるって方法になっちゃうよねえ)
一応クリーオウという保険は用意してあるが、その保険とて臨也を確実にこの同盟に加えさせられるようなものではない。あくまで、ここでリンチに遭わないためだけのものだ。
(まあ、そうなったらそうなったらでいいか。吸血鬼の件に関しては、このグループを盾にして――)
折原臨也がこうしてわざわざ裏切りの地に出向いてきたのは、自身の裏切りが露見することはありえないと確信していたからだった。
それこそ、佐山を悩ませたように。臨也が裏切りの犯人だと第三者に証明できる物的証拠は、何もない。
――だけど、折原臨也はもっと慎重になるべきだった。
この舞台上には、デュラハンに勝るとも劣らないような怪異が溢れているのだから。
臨也の口にした質問に、カーラはごく簡潔に答えた。
「要するに、あなた達のどちらかが嘘をついていて、それを見破ればいいわけでしょう?」
なら話は簡単と、魔女は嗤って、
「――嘘を見破る魔法を使えばいい」
◇◇◇
256
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:34:57 ID:f0Abop4o
◇◇◇
センス・ライ。
文字通り、対象のついた"嘘"を探知する呪文である。
この呪文の前ではあらゆる虚言は意味を失う。それが、カーラが予め交渉の手管のひとつとして佐山に伝えていたものだった。
「だけど、本当にそんな便利な魔法があるのかい?」
その説明を聞いてなお、臨也は食い下がる。食い下がらねばならない理由が彼にはあった。
「嘘をつく理由がある?」
「人数的にも戦力的にも俺のほうが劣っているからね。取り込みたい方を優先するために、ってことならあり得ると思うけど」
「私としてもこの同盟は万全にしておきたい。裏切りの前科がある者を排除しておくのは当然のこと。それに"嘘を見破れる"なんて嘘が成立すると思って?」
「……それは」
カーラの返答に、臨也が言いよどむ。
確かにそんな嘘は成立しない。いくつか質問するだけでたちまちばれてしまう。そしてこの盤上に置いて、虚言を口にしたことがばれた際のデメリットは計り知れない。
悩む臨也とは対照的に、千絵は挑むような表情を浮かべて前へ踏み出した。
「上等よ。その魔法、受けるわ。こちらの腹は痛くないんだから、探られたってホコリは出ない。そうでしょ、ベルガーさん?」
「……ああ」
千絵ほど乗り気な様子ではないが、それでもベルガーも了承の意を口にする。
他の面々も、止める気配はない――もとより、これはダナティアのグループが残した遺恨の清算だ。関わりのない者が口を出す道理はない。
視線が集中し、臨也は肩を竦めた。コートのポケットに手を突っ込みながら、ゆっくりと首を振る。
「ああ、わかったよ……だけど、ひとついいかな?」
「何かしら?」
「さっきの説明を聞いた限りだと、その魔法は相手の"言葉"を嘘かどうか判断するんだよね?」
「そうね。頷きなどのボディランゲージでは判別できないし、黙秘を貫かれればそれでお終いだわ」
「そうやって逃げる気?」
挑発的に言い募ってくる千絵に、臨也は皮肉る様に黙って首を振った。視線をカーラに戻し、続ける。
「なら尋問の手順だけど、こういうのはどうだろう。俺が半日くらい前に会った人とやったゲームなんだけどね。順番に一つずつ質問して、互いにそれに答えるんだ。例えば俺が"このゲームを終わらせるためには――"と言ったら、自分が思うその方法を交互に答える。これなら公平だし、絶対に言葉を発しなきゃいけないから、君の言う"嘘を見抜く魔法"にはぴったりなんじゃないかな」
「……ええ、こちらはそれで構わないけれど」
カーラはそう頷きながら、意向を問うように千絵とベルガーの方に視線を向けた。
「私もそれでいい。どんな策を弄したって、嘘を見抜く魔法があるなら同じこと。ベルガーさんは?」
「……相手の提案した方法に、何も考えずに乗っかるっていうのはアレだが……今のとこ、インチキしてるようには見えないしな」
千絵と、不承不承と言った感じでベルガーも頷く。しかし、野犬はすぐに言葉を継ぎたした。
「――だが方法はそっちが決めたんだ。最初に質問する権利はこっちが貰っていいよな?」
「ああ、いいよ。そっちの言葉を借りれば、どんな質問でも結果は変わらないからね」
挑発するような臨也の言葉に、千絵が表情を引きつらせるのを見ながら、ベルガーは思考する。
257
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:36:34 ID:f0Abop4o
海野千絵が全く冷静でないことは見ればわかる。そしてその理由も、ベルガーには何となく察しがついていた。
(俺の予想が正しいなら、今の彼女に冷静になれと言っても逆効果……それより今は臨也の方だ)
真正面に立つ、黒いコートを着込んだ優男をベルガーは睨みつける。
こうして早々に再開するとは思っていなかったし、真正面から来るとも思わなかった。同行者はいるようだが、そいつらも臨也の仲間、というわけではないらしく、あくまで一緒にここまで来ただけ、という関係のようだ。つまり、今の奴にはこちらに対抗するだけの武力は無い。
だが、それならばあの態度は奇妙だとベルガーは訝しむ。
(俺があいつの立場だったら、あんな余裕はない。あの魔女の言う嘘を見抜く魔法とやらは十中八九本物だろう。奴もそれは分かっている筈……あの魔法の存在はここに来てから明かされたもんだ。対応策を事前に用意できた筈はない)
唯一可能性があるとすれば、それは臨也が提案した問答の方法。それに何かを仕込んでいること。
安全を取るのなら、拒絶し、別の方法を提案すべきだっただろう。だが千絵の言う通り、どんな方法であっても、嘘を見抜く魔法があるのなら同じことだ――少なくとも、正しい方にとっては。
(ここで断ると疑いの目は俺たちに向けられる。中立の立場をとる連中がいればなおのこと。その後、別の方法で臨也の裏切りを暴けても、一度起きた疑念は完全には無くならない。下手に"魔法"っていう万全な解決策を出されたことで、方法にこだわることが出来なくなった)
カーラを睨みつける。終とダナティアから聞いた情報から判断すれば、当然、善意で行動する相手でないことは分かる。
だが、今はまだカーラにだけ集中することもできない。まずは折原臨也だ。相手が張っている筈の罠に警戒しながら、その罠をすり抜ける。
「さあ、それじゃあ御質問をどうぞ」
臨也はあの皮肉めいた笑みを浮かべながら、こちらの質問を待っている。
(さて、どうするべきか……)
ベルガーはすべき質問の内容を吟味する。
嘘を見抜く魔法がある以上、最終的に臨也の罪を告発することは可能だろう。だが下手な質問をすれば、それは相手につけこまれる隙を与えることにも――
「"あんたは――私達、いえ、ダナティア達を裏切った!"」
「……千絵っ!?」
横合いから、まるで新兵が暴発させた銃弾のような唐突さで、海野千絵が叫んだ。
思わずベルガーが叱責するような視線と声を向けるが、しかし彼女は怯まずに頭を振った。
「私にやらせて、ベルガーさん。あいつは私が。私が、追いつめないと――」
――否、怯まなかったというのは正確ではない。
外界が見えていないのだ。まるで熱病にうなされる患者が吐く戯言のように、海野千絵は焦点の合っていない目で折原臨也を睨みつけている。
そこに"探偵"としての冷静さは無く、あるのはただ、強迫観念にも似た正義感だけだった。
(……根は、ここまで深かったのか)
ベルガーは海野千絵の様子がおかしいことに気づいていたし、その理由にも見当がついていた。
海野千絵の"事情"を、ダナティアを初めとした大集団のメンバー何人かに聞いていたからだ。
ベルガーが気にかけていたシャナと同じく、吸血鬼にされた少女。その際に海野千絵は、本来の彼女が持っていた資質から見て"絶対に許されない罪"を犯してしまった。
その罪の意識は、彼女の根底に刻まれてしまっている。冷静でいられないほど、まともでいられないほど、彼女の精神を蝕んでいる。
だが、ベルガーに知ることが出来たのは其処までだ。
"物語"による更なる精神への悪影響――
目の前で慶滋保胤をむざむざ殺させてしまった罪悪感――
ダナティア達の仲間でいたいという気持ちと、吸血鬼と交わした約束の間で揺れたこと――
そうした少女の内面を澱ませているいくつもの事柄をベルガーは知らない。
ほとんど見ず知らずと言っていい自動歩兵を救おうと宙に身を投げ出させる程にまで、海野千絵の正義感が暴走している理由。それは一言でいうのなら、彼女が免罪符を求めているからだ。
自分のしてしまった"悪事"を、過剰なまでの"正義"で相殺しようとしている。既に物部景のことも、その死を彼の恋人に伝えるという義務感も投げ出している。彼女はある意味、"もう他人にかかずらっている余裕がない。"
だから今の彼女にとって、"悪人"である折原臨也は絶対に許せない存在だ。それを前にして正常でいることは出来ない。
258
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:37:24 ID:f0Abop4o
――こうしてにこやかに嗤う、臨也の目論み通りに。
「微妙に質問の形になってないな。まあいいや、答えると――当然、"俺はダナティアを裏切っていない"。自衛以外の目的で人を傷つけるつもりはないし、このゲームに乗ってもいないよ」
口ごもることなくそう答えた臨也は、教師に答え合わせを申し込む生徒の様な態度でカーラを見やった。
「……ええ、本当よ。今の発言に"嘘"はないわ」
「そんな……!」
臨也を肯定するカーラを、信じられないものを見るような目で千絵が睨む。
「そんな筈ないわ! だってあいつは、私達を――」
「言い訳は見苦しいよ? それよりも、君たちも答えなきゃあ……答えられるなら、さ」
狼狽する千絵を見ながら、臨也は笑みを浮かべ続ける。
最初の質問を乗り越えられるかどうかは、正直臨也にとっても賭けだった。仮に自分のしでかしたことが明るみに出ても、この場を無事に離れる為の"保険"は用意していたが。
とはいえ、完全に運任せの勝負だったというわけでもない。海野千絵が暴走する確率が高いであろうことを、海野千絵の心の傷の深さを、臨也はベルガーよりも知っていた。
あの場で――"物語"の影響で錯乱した千絵の姿を臨也は目撃している。携帯越しに、それも他人が話しているのを又聞きしただけのベルガーよりは得た情報が多かったのだ。
この短時間で回復できるような取り乱し方ではなかった。それなのに一見、彼女はまるで何も無かったかのようにふるまっている。
(じゃあ答えは簡単――本人もその事実を見ないようにしている)
とどのつまり、それは薄氷でできた蓋だ。中身は何ら変わっていないのに、それをどうにか誤魔化そうとしている。
だから少しつついてやれば直ぐに激昂し冷静でなくなるだろうというのは、このくらいの年頃の少女の心理に敏い臨也には簡単に予測できた。無論、そんな彼女をベルガーが抑えるというのも想定していた状況のひとつだったが……
(どうも、あのカーラって子にも意識を割いてたみたいだね。だめだよ、二股はさ)
再び錯乱の様相を見せ始めた千絵にベルガーは近づき、その肩に手を乗せた。
「あ……べる、がー、さん。ごめ、ごめんなさ」
「落ち着け、海野千絵。状況は変わっていない。奴を追い詰めることはまだ出来る――こちらも答えよう。当然"ダナティアを裏切ってはいない"。どうだ?」
「そうね。その言葉にも嘘はない」
「おっと。ベルガーだけじゃなくて、千絵ちゃんの方にも答えて貰いたいなぁ」
「……臨也」
嬲る様に言葉を投げかける臨也に、ベルガーが苛つきを含む声を出して、
「……だいじょう、ぶ。大丈夫だから……私は……私も、"裏切っていない"」
「……こちらにも、嘘はない」
千絵の震える、それでもはっきりとした宣言に、カーラが再び首肯を返す。
その様子に、彼らを取り囲む者達の内、何人かが首を捻った。
「あ、あれ? どういうこと? どっちかが嘘を言ってるんだよね。でも、両方とも嘘はついてない……?」
「質問が悪かったんだろうね」
クリーオウが漏らした疑問の言葉に、臨也が肩を竦めて答えた。
259
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:38:55 ID:f0Abop4o
「あれじゃあ曖昧すぎる。なにをもって裏切りになるかなんて、人それぞれだろうから。例えば最初から同盟関係を結んでいるつもりがなければ"裏切った"ことにはならないだろうし。まあ、自分たちの行いを誤魔化す、という意味では悪くない質問だったんじゃないかな?」
嘘を見破る魔法というものがあり、それを用いるのなら、第三者が観測できない、その人物の思惑や感情を問うような質問をすべきではない。もっと具体的な行動を問うような質問にするべきだ。
事実、臨也が恐れていたのは"藤堂志摩子の死に関して、最後の一押しをした人物は誰か?"というような質問だった。
「……どうとでも言えばいい。そら、次はお前の番だろう」
「少し考えさせてよ――"無駄な質問"はしたくないしね」
「……っ」
揶揄するような言葉に、千絵が思わず臨也に詰め寄りかけるが。
「千絵」
背後から掛けられるベルガーの声に、びくりと震えて静止した。
「……そうやって挑発を繰り返すのは、あまり褒められた趣味じゃないな、折原臨也」
「別にそんなつもりじゃないんだけどね――うん、まとまったかな。いいかい? えーと、カーラちゃん?」
「ええ。いつでもどうぞ」
カーラの頷きに、臨也は改めてベルガーの方を向いた――ベルガー"達"ではなく、ベルガー"個人"の方を。
(……なんだ?)
ベルガーが胸中で訝しむ。
臨也にとってはベルガーよりも先ほど詰め寄ろうとした千絵の方が距離的には近い。それなのに、わざわざ臨也は意図的に千絵から視線を外し、ベルガーを見ていた。
臨也が口を開く。
「――"この島に連れてこられる前、全員が一度、同じ部屋に集められた"」
「……?」
その発言の内容に、胸中でベルガーは疑問符を浮かべた。一見その言葉はダナティアの作り上げた大集団とは、何の関わりもないように思える。
周囲を見渡せば、それはほとんど全員がそうであるらしい。臨也が自分で言った質問の形にもなっていない。
それでも誰も声をあげなかったのは、臨也が続けて息を吸い込んだからだった。
「"そこで『見せしめ』が起こった――二人の男が黒幕に斬りかかって、だけど刻印を発動されて死んじゃった"」
臨也は言葉を続ける。まるで国語の教科書を朗読するように、全員の頭の中に、共通の絵を想起させるような語り口。
ほぼ丸一日前。この場に居る全員が見ていた筈のその光景。それを再び思い出させる。
「"その内の片方――金髪を長髪にした方には、女の連れ合いがいた"」
脳裏に浮かんだ、その光景を理解して。
ベルガーと千絵の目が見開かれた。相手が何を企み、何を言おうとしているのか理解する。
「"彼女の名は、リナ・インバース。俺達の、ダナティアの仲間だった――リナは知己の死に傷つき、それでも乗り越えていった。俺の目から見ても彼女は本気で、懸命に、この島からの脱出を果たそうとしていた"」
臨也を止めなければならない。だが、どうやって?
暴力は論外。言葉で止めようにも、彼はルール通りに"質問をしようとしているだけ"だ。下手な制止はこちの首を絞めるだけ。
そうして千絵とベルガーが躊躇するうちに、臨也は最後の、もっとも致命的な言葉を吐き出していた。
「"そのリナが死ぬことになった原因は――"」
静寂と緊張が、その場を支配する。
その理由は明らかだ。千絵とベルガーが口を開かない。ただそれだけの理由。
やましいことがないのなら、すぐに質問に答えればいい。ならば逆に、もしも言い淀むようなことがあれば、それは――
「答えられないのかな?」
言葉を探すように視線を彷徨わせるベルガーと、顔が見えぬほど深く俯く千絵。
その二人に、その場にいる大多数の者の気持ちを代弁するように、臨也が言った。
それは同時に、こういう意味も含んでいる――"君たちが犯人ということでいいのかい?"という意味を。
「違う……」
蒼白な顔で、震える言葉を紡いだのは千絵だった。
「質問の答えになってないよ? 一体何が違うのかな?」
傷ついた獲物を追う猟犬のように、臨也が言葉を発する。千絵は怯える様に小さな、それでも反論の言葉を紡いだ。
「私は……私のせいじゃない」
「それは"嘘"」
その反論を、カーラが微塵に粉砕する。
260
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:40:39 ID:f0Abop4o
彼らを取り囲む周囲の人間が、驚愕にざわめいた。
「……彼女がリナ・インバースという人物を殺害したと?」
「少なくともいまの発言は嘘だった。つまり彼女はリナ・インバースの死に関して、その一端を担ったという自覚がある」
佐山が発した問いに、カーラが答える。同調するように、周囲のざわめきは更に大きなものとなっていく。
千絵はそのざわめきを耳から締め出すように、自らの身を強く掻き抱きながら数歩、後退した。
「違う……違う……!」
「そう、違うね」
声は千絵の正面から。
声の主――臨也は千絵を見もせず、視線を別の人物に注いでいた。
「俺が質問したのは"実行犯"のことだよ――どうして君は答えないんだい、ベルガー?」
全員の視線が転じる。
その先には臨也の言葉を受けてなお、微動だにしないベルガーの姿があった――臨也の言葉によって身動きのとれなくなったベルガーの姿があった。
野犬の顔に浮かぶ感情は苦悩と焦燥。発するべき言葉を探すように、何度も何度も視線が激しく宙を切り返す。
「答えられないかい? まあ、そうだろうねえ。こればかりは誤魔化しようがないし」
――計算通りだ、と臨也は胸中で言葉を続けた。
そう、ベルガーはこの質問にだけは即答できない。
ベルガーは常に飄々としいてて、一見無責任な人物のように見える。だがその実は真逆だ。真逆の筈だ、と臨也は推理していた。
(なぜなら彼は、ダナティアに信用されていた)
ダナティアの人を見る目は確かだろう。なにしろ自分を信用しなかったのだから。臨也は皮肉気に笑った。ダナティア・アリール・アンクルージュは女王だ。人を見極め、人を使う。
その彼女がベルガーを、それもかなり深いところまで信用していた。それは例の『宣言』の際、自らを狙撃させるという重役を与えたことからもはっきりと分かる。
待機組だった臨也はほとんどベルガーと会話していない。それでも、彼が自分勝手に全てを放棄できる悪党でないことは知っていたのだ。
だからリナ・インバースの死の一因を作ってしまったことに関して、『あれはただの事故で、自分に責任は全くない』という風にはきっぱりと切り捨てられないだろう。臨也はそう考えた。
そして事実、ベルガーの心の中にはリナに対する負い目がある。黒い卵の効果に関してもっとよく考えていればあの状況は防げただろうし、すでに一度身をもって体験していたのだから考察の為の材料だってあった。
嘘を見破る魔法に、感情を委ねるべきではない――人間の感情なんて、この世界でもっともよくわからないもののひとつなのだから。
さあ、終わらせよう。臨也は正義の味方が悪を糾弾するように、力強く一歩を踏み出した。準備は整った。あとはほんの少し後押しするだけ。
「なら俺が先に答えるけど、文句はないよね? どうせ結果は同じだし」
伸ばされた臨也の腕はベルガーを指向し、
「待――」
放たれた臨也の言葉は、他の全ての言葉を抑えて響き渡った。
「"リナを殺したのは、そこに居るダウゲ・ベルガーだ"」
臨也の宣言に全員の視線がカーラに集中する。
カーラは怯みもせず、首を縦に振った。
「本当よ。ダウゲ・ベルガーは"ゲームを打ち壊そうと邁進していたリナ・インバースを殺害した"」
その言葉に、カーラに向けられていた視線が、驚愕と警戒の感情を帯びてベルガーへと殺到した。
◇◇◇
261
:
そして全ては収束していく
:2014/04/22(火) 18:42:39 ID:f0Abop4o
◇◇◇
センス・ライ。
嘘を100%見抜くというこの呪文は、一見、名探偵が真っ青になるほど便利なものに思える。もはや証拠集めも鑑識も、果てには裁判すら不要になってしまうであろうほどの。
だがそういった用途に使おうとするのなら、このセンス・ライにはひとつだけ大きな欠点が存在しているといえた。
それは、センス・ライは確かに『嘘を感知する』呪文であるが――しかし『真実を見抜く』呪文ではない、という点である。
例えば呪文を掛けられる対象の認識次第では、事実と異なる証言を口にしても『嘘』として感知されない。リナの直接の死因は光の剣での自殺だったが、そもそもの発端はベルガーが黒い卵の作用で致命傷を負わせてしまったことだ。それが無ければ待機組は未だ健在で、臨也もその庇護下にあっただろう。
だから臨也にとって、先の言葉は嘘にならない。"自分は同盟を裏切っていない"ことと、"ベルガーがリナに致命傷を与えた"こと。この二つは、彼の中で等しく真実として扱われている。
そして逆に、対象の認識次第では事実と相違ない発言も"嘘"だと感知される可能性もあった。
だから先ほどの海野千絵の言葉は"嘘"になってしまう。待機組で起こった惨劇を、自らの責と抱え込んでいる彼女にとって。
そして当然のことながらカーラはこの欠点を知っていた。
知っていて、彼女はセンス・ライのみによる犯人探しを提案したのだ。
何故なら、カーラにとってダウゲ・ベルガーと海野千絵、そして折原臨也の価値は等価だったから。
カーラの目的は、火乃香を利用して神野とアマワを倒し、その後に火乃香さえ始末して、ロードスへの介入を防ぐこと。
ベルガー達と臨也。どちらが嘘をついていて、どちらが生き残ろうがカーラには関係が無い。片方が追放され、この集団内にトラブルの火種がなくなりさえすればそれでよかった。
むしろ安全策を取るのなら、力のない臨也が生き残ってくれたほうが御しやすい。ダウゲ・ベルガーは英雄足りえるだろうし、その力は神野を倒す際に非常に役に立つだろう。だが、その分綱渡りな自分の計画を崩壊させる一因になるとも限らない。
(それに、神野とアマワを滅ぼすだけならば彼女がいる)
火乃香。彼女の力が、おそらくもっとも神を殺すことに向いている。
だから、どちらが生き残ってもカーラにとっては同じだった。魔法はただ時間を節約しようとしただけ。
(仮に、"犯人"の方が残ってしまったとしても構わないのだし)
美姫対抗するために佐山が打ち出した案。それに必要なのは人柄でも能力でもない。単なる頭数なのだから。
◇◇◇
262
:
名も無き黒幕さん
:2014/08/23(土) 23:13:29 ID:f0Abop4o
◇◇◇
状況は全て折原臨也の予想通りに動いた。
何一つ計画に狂いはない。全員の視線は、意識は、確かにその一瞬だけ、ダウゲ・ベルガーのみに注がれた。
だから、臨也は予定通りに動いた。
腕を伸ばす。その先には動かない頭で懸命に反論の為の思考を紡いでいた海野千絵の体があった。
ベルガーに詰め寄る様に一歩を踏み出したのはこの為の布石。リナ・インバース殺害を糾弾する瞬間、臨也は千絵の身柄を拘束できる位置に居なければならなかった。
「っ、な――きゃっ!?」
右腕を千絵の首に掛け、力任せに引き寄せる。同時に左腕をコートのポケットに突っ込み、この場を脱出する為の保険として用意していたものを掴んだ。
千絵は抵抗しようともがいたが、お世辞にも運動神経が良いとは言えない彼女では、こうした荒事に多少は慣れている臨也の拘束を振り払うことは難しい。
そこまでくれば、周囲の人間も状況の変化に気づく。あるものは武器に手を掛け、ある者は己の異能を発現させようと意識を集中させ、
「――動くな!」
臨也の発した短い警告に、その動きを止めた。
それを確認してから、臨也は素早く自分とそれ以外の位置取りを確認する。もっとも近くにいるベルガー。そこからやや離れた場所に居る、仲裁役だった佐山とカーラ。そして遠巻きにこちらを見ている同行してきたヘイズ達。
完全な包囲はされていない。それを確認すると、臨也は暴れる千絵を難なく押さえつけながらさらに数歩後退した。
「イザヤ!?」
クリーオウが咎めるのと制止するのとを混ぜこぜにしたような声音をあげる。それを見て臨也は笑った。もしかしたら、彼女はこう考えているのかもしれない――裏切られ、仲間を殺された男が、その怒りを暴発させたのだと。
(まあ、苛立ちはあるけどね――全く、本当にここは常識が通じなくて嫌になる。嘘を見破る魔法なんて、そんなものを持ち出されたらどうしようもないに決まってるじゃないか。綺麗すぎる水に魚は住まないって言葉を知らないのかな)
センス・ライは確かに完全無欠の魔法ではない。だがそれは、強力な魔法ではないということにはならない。
少なくとも臨也にとってはそうだ。こうして一時は誤魔化せても、問答を続ければいずれはぼろが出る。一度ペテンにひっかけたからと言って、それで『はい、処刑』という風にはならない。この後、ベルガー達に質問が繰り返されれは、いずれはこの誤解も解けてしまう。
そして反対に自分が追及されれば、他の"余罪"が明かされる可能性も大きい。臨也は朝比奈みくるやサラ・バーリンの殺害に関して"仕方がなかった"と心の底から思っているが、その思考に同調してくれるのは少数派だろうということも理解している。
だから臨也は、センス・ライの存在が明かされた瞬間から、この集団に潜り込むのではなくて、いかにしてこの場から脱するかということだけを考えていた。
逆上状態の海野千絵が向こうに居る以上、大人しく降参するという手はない。謝ったところで見逃して等くれないだろうし、即時処刑がないとしても、この少女が捕らわれの身になった自分に対して私刑を加えない保証はなかった。せめて挑発する前にセンス・ライの存在を知っていれば別の手も打てただろうが……。
「……それは、君が犯人だという自白代わりの行動、ということでいいのかな?」
「さあね? 少なくとも、俺の言葉に嘘はないよ? あと、これからは喋るのも禁止だ。魔法使いみたいに――いや、まさに魔法使いがこの場に居るんだしさ」
佐山の言葉に、臨也は応じるというよりは一方的に要求を叩きつけるような心地で言葉を吐き捨てる。同時に、ポケットに突っ込んでいた左手を掲げた。高々と衆目に曝されるのは携帯電話大の黒い機械。
(あれは……)
コミクロンはその機械を知っていた。臨也の武装解除を行った際にもっていた"バッテリーパックが入っていないケイタイデンワ"の筈だ。
263
:
名も無き黒幕さん
:2014/08/23(土) 23:14:17 ID:f0Abop4o
そんな彼の表情を見て取ったのか、臨也はコミクロンの属するグループがいる方に向けて肩を竦めて見せた。
「騙して悪いけど、これは"禁止エリアを操作する支給品"だ。バッテリーも隙を見て事前に入れ直させて貰っておいた。もう指の動きひとつで作動できる状態にあるし、必要なら俺はこれを使う――さて、俺は嘘を言っているかい、カーラちゃん?」
臨也の問いかけに、カーラはゆっくりと首を横に振った。それは臨也の言葉が嘘ではないことの証明。
ざわり、と臨也を取り囲む者達の間に緊張が走る。臨也の言葉は、あの装置を使えばこの場を禁止エリアに変えられる、と言う風に取ることもできるからだ。
無論、臨也の掲げている黒い機械はあくまで禁止エリア"解除"装置であって、自由に禁止エリアを設定できるというものではない。だが臨也以外にその真実を知る者がいない以上、臨也の言葉は確かに脅しとして成立する。その可能性がある以上、強硬策に出ることは難しいだろう。おまけに、今の言葉が嘘ではないと保証するセンス・ライという魔法があるせいで、余計に"現実味のある言葉"として影響してしまう。
加えて、臨也がボタンを押し込む前にあの装置を破壊、奪取できる手段も乏しい。この場に居る異能を持つ者――魔術士や念糸使い達の能力は、ボタンひとつ押し込むより早く効果が発現するものではないのだ。
可能なのは人の意識をよりも素早く動き敵の装備を切断した実績のあるギギナか、指を鳴らすのとほぼ同時に効果が発現するヘイズの破砕の領域。だが前者は三塚井ドクロと交戦した際に深手を負い、コミクロンによる治療の申し出も拒んだ為、かつての剣速は発揮できない。ヘイズにしても無思慮な行動はとれなかった。あの装置の情報強度がどれほどのものか分からない以上、ヘタに刺激すれば最悪の結果を招きかねないのだから。
「俺の要求はただ一つ。この場で俺を見逃すこと。まったく、ここを離れなきゃいけないのは残念だよ。その吸血鬼とやらに会ってしまったら、俺は絶対に死ぬだろうしね――だからできればその前に、君たちが倒してくれるといいんだけど。それを祈っているから、君たちに俺は手を出さないよ。見逃してくれるんなら、このエリアに対しては今後も装置を使わない」
カーラの張り巡らせているセンス・ライの感知網を潜りぬけるように、言葉を慎重に選びながら臨也は喋り続ける。既にセンス・ライの魔法に穴があることは、この数度のやり取りではっきりと確信していた。
「とはいっても、この装置だけじゃ心もとないから、もうひとつ保険は張らせてもらうけど。千絵ちゃんは俺の安全が確定するまで……そうだな、このエリアから離れるまで人質になって貰う。もちろん危害は加えないし、用が済めば傷一つ付けないで開放する。どうだい? ……と言っても、返答がほしいわけじゃないけどね」
再び問いかけるような視線。それを受けたカーラは、再び"嘘はない"と仕草で全員に伝えた。
緊迫する雰囲気の中、じり、と臨也が交代する。全員がそれを睨みながらも、しかし行動は起こさない――臨也の言葉に激昂した千絵を除いて。
「誰が、あんたなんかにっ!」
首をほとんど絞められていたが、移動の為に僅かに拘束が緩んだ。その隙に、大口を開けて臨也の手に噛み付こうと、
「喋るな、って言ったのが聞こえなかったのかな?」
「っ、ぐ、ぅ、っ!」
背後から拘束されている際、拘束されている側が取れる反抗の中で、特に有効なのは背後への肘打ち、敵の足への踏みつけ、さらに噛み付きなどがあげられる。引きずられている格好の千絵が行うのなら、その中で脅威になるのは噛み付きくらいのものだ。
それを予想していた臨也は、彼女が口を開けた瞬間、逆に親指を喉奥に突っ込んだ。反射的な反応で、千絵は口内の奥深くにまで侵入してきた異物の感触にえずいてしまう。人は物を吐き出そうとするとき、同時に物を噛むことは出来ない。
「千絵!」
叫んだのはBBだった。動こうとしたのを無理やり制動したように、蒼い巨体を僅かに震わせている。ほとんど突発的ともいえるその行動に、火乃香をはじめとする何人かが驚愕の表情を浮かべながらブルー・ブレイカーへ視線を向けた。
「……二度は言わないよ? 俺はゲームに乗ってるわけじゃないけど、降りかかる火の粉を払うことには躊躇しないからね」
警戒を緩めず、周囲に視線を這わせながら臨也が囁く。禁止エリア解除装置の存在を誇示するように掲げた左手を揺らしながら、じりじりと後退を続ける。その様子を見て、ギリ、とベルガーは歯噛みをした。
264
:
名も無き黒幕さん
:2014/08/23(土) 23:15:06 ID:f0Abop4o
(……手が出せない。このままだと、逃げられる)
この手に"運命"があれば、あの拘束を断つことは容易だ。装置も奪えるだろう。だが己が半身たる強臓式武剣はここにない。アラストールの炎を通じて『無名の庵』に落ちてしまった。
そも、この状況も自分の不甲斐なさが招いたようなものだ。佐山・御言との交渉よりも、吸血鬼への対策よりも、何よりも先に海野千絵の状態を確認し、対応しておくことが必要だった――
(……過ぎたことを言っても仕方がない。まず、この状況にどう対応する?)
臨也を連れてきた連中は無視してもいい。どうやら先ほどのホノカという少女の言動を見る限り、臨也はあの集団の中で確固とした地位を築いているわけではない。おそらく、ただの同行者程度の関係だろう。自分が臨也に対して攻撃的な行動を行っても、それを妨害される可能性は低い。
そして同時に、連中からの援護も期待できない――彼らにとって、この問題は対岸の火事だ。火種の臨也がここから去り、海野千絵も戻ってくるというのなら、つまりは実質的な被害が出ないというのなら良心が痛むこともない。むしろ万々歳というところだろう。危ない橋を渡る必要はない。
(……そして、その図式は俺にも当てはまる)
感情の面で言えば確かに臨也をここで逃したくはない。だが、それとこの場にいる全員の命は釣り合わない。
(臨也の狙いもそれか。千絵の安全は、カーラのセンス・ライで保障されている――先ほどの"用が済めば生きてそっちに返す"って言葉は嘘じゃないみたいだからな)
ベルガーは横目でカーラを睨む。それに気づいた魔女は嫣然と微笑んで見せすらした。灰色の魔女もここで動くつもはないらしい。例外は佐山くらいのものか。だが、佐山は今の自分と同じく、特に異能を持ち合わせているわけではない。二人掛かりで飛び掛かれば臨也を拘束することは容易だろうが、仮にあの装置でここを禁止エリアにできるとしたら、完全に拘束する前に、盛大な自殺に付き合わされることになる。
結果として、この後のことを考えるのならここで臨也を見逃すのが最善手であるという結論が出てしまう。既に生存者のほとんどがここに集まっている、あるいは集まりつつある現状を考えれば、単体では人並み以上の戦闘力を持つわけではない折原臨也はさほど脅威ではなくなるからだ。
感情は、噛み殺せば済む――だからベルガーはぎり、と歯を強くかみ合わせ、退いて行く臨也を睨みつける。それ以上はしない。できない。言葉(テクスト)を発することすら。
だが、
「……駄目」
静寂を打ち破る声が響いた。
声の主は海野千絵――かつて正義だったもの。やがて吸血鬼になったもの。そして、失ったものを取り戻そうとしていた少女。
彼女は口を開いた。首を絞められながら後退させられているせいで、顔はやや上を向いている。それでもなお、その場にいる全員の耳に届くだけの声量を絞り出した。
「こいつの思い通りになんて、なっちゃいけないわ」
「喋るな、って言ってるんだけど?」
囁きと共に、臨也は首の拘束を強める。気道を狭められた千絵は表情を僅かに歪ませた。だが、続ける。
「こいつは、悪よ。志摩子さんにリナさん、そして保胤さんもこいつのせいで死んだ。本質的に、こいつは他人と交われない」
「言いたい放題だね。俺って、一応人類愛を標榜してるんだけどなぁ」
「あなたが一方的に愛してても、向こうから愛されることはないわ。少なくとも、あなたの本質を知っている、まともな人からは」
「そろそろ本当に黙ってくれない? 意外と拘束しながら喋るのって疲れるんだよ……気絶した人間を抱えながら移動するのは、もっと疲れるんだろうけど」
さらに臨也は腕に力を込めた。今度は気道を絞めるものではなく、頚動脈洞を圧迫する締め方だ。あと少し力を込めれば海野千絵は容易く気絶するだろう。その方法をよく心得ている締め方だった。
265
:
名も無き黒幕さん
:2014/08/23(土) 23:15:48 ID:f0Abop4o
その気配を察して千絵は口を噤んだ。全身から力を抜く。諦めたわけではない。ただ、準備をしただけ。
必要な言葉はあと一言。それを紡ぐ決心をした。
(ごめんなさい……)
問いかけるような視線を向けてくるベルガーを視界に収めて、千絵はもう外に出す機会はないであろう謝罪の言葉を胸中に浮かべた。
悔恨はある。それも、数えきれないほどに。
(それでも、私は……)
目を閉じる。
この島に連れて来られて、海野千絵の瞳に強く焼きついた光景。それが瞼の裏側に幾重にも投射された。
それは例えばアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンの死であるとか、初めて人の血を啜った瞬間だとか――
そうしたろくでもない光景ばかりであるのは、この舞台の性質上、仕方のないところだろう。
だけどそうでない光景もある。その光景を自分は目に焼き付けている。
千絵は手を自分の胸に当てた。その奥にある感触を確かめながら、欲した光景を想起する。
リナ・インバースは手袋をしていた。
「――光よ」
口にしたキーワードに従って、上着越しに握っていた光の剣は確かに発動した。
あの部屋から逃げる際に拾っておいた、リナが自刃するのに用いた武器。
刃を発現させるのに素手で直接触れている必要はない。発声と、それを握っているという事実さえあれば良かった。
「なに、を……――?」
千絵の発した唐突な単語への疑問を口にしようとした臨也は、だがその言葉の後半を掠れさせる。体内に強い熱を無理やり刺し込まれた為だ。
光の刃は、魔族の身体さえ容易に切断せしめる魔王の武器は、容易く千絵の体の中心と、密着していた臨也の腹部を抉っていた。
「千絵――!」
絶叫と共に誰かが、あるいは誰かたちが駆け寄ってくるのを千絵は感じた。
だが、間に合わない。背後から首に回された腕の力が緩むのと同時、千絵の膝は折れ、その場に倒れ伏した。拘束していた臨也も同じだ。人間二人分の体重が地面と衝突し、低く重い音が響き渡る。遅れて光刃の消えた柄が懐から滑り落ち地面に転がった。
それがただの刃であったのならまだ希望はあったのかもしれない。だが光の剣はアストラル体をも斬り裂いてしまう。ただの人間が耐えられる筈もない。つまりは、千絵も臨也も助からない。
266
:
名も無き黒幕さん
:2014/08/23(土) 23:16:39 ID:f0Abop4o
それでも、その時千絵の胸の内を占めていたのは生命が終わる悲しみではなく、むしろそれとは正反対に位置するものだった。
(やった――)
もう声を出すこともできそうにないが、千絵は胸中で小さく勝鬨をあげた。地面に体を支配している筈の激痛も気にならない。千絵の心は目的を果たせた満足感で満たされている。暴走し、歪んでしまった正義は、それでも目標を達成した。
代償は大きい。意識が消えていく。焼き切れた傷口からは満足に出血もしないが、光の剣は生命を維持するにあたってもっと大切なものを奪っていく。
「……そんな……酷い……酷い……な」
だけど、それは気にならない。
地面に倒れ伏しても、なお臨也の声は背後から聞こえた。消えかけた感覚がそれを捉えた。あの神経を逆なでするような声の調子は失せ果てて、いまの臨也の声は非常に弱く、この現状を悔いているように感じられた。
(やった――!)
表情筋が動けば千絵は満面の笑みを浮かべていただろう。
胸中を満たすのは狂気/狂喜。人生の全てを賭け、使い果たし、欲しかったものを掴めたというかけがえのない誉れ。
折原臨也を止められた。皆の仇を討った。自分は、正義を――
「……本当に……酷い自己満足だよねぇ」
――その達成感が打ち砕かれる。
耳に届いた臨也の囁きに、歓喜の渦中にあった海野千絵の思考は瞬時に停止した。
(何を……言っているの?)
臨也の声は弱々しい。もはや取り繕うこともできないほど――だからこそ、今、彼の口から出る言葉は紛れもない本心で。
その本心が、海野千絵の心に入りこんでいく。
「最後に見せつけられたのがこんな自己満足だなんてさ。ああ、本当についてない。こんなの、ただの自殺に付き合わされただけじゃないか」
(違う――私は、皆の、遺志を)
反論しようにも声はでない。光の剣は彼女の肺を貫いていた。ひゅーひゅーと掠れた息だけが漏れる。だが体格差の関係で、臨也は腹部を抉られただけだ。それでも十分に致命傷だが、彼には言葉が許される。
「あの集団には意志があった。力があった。興味深い人間がたくさんいた――これは……違う。ひどくちっぽけでつまらない、ただのヒステリーだ。大体、ここで死ぬ必要がどこにあった?」
(それは)
「本当に俺が憎いなら、解放された後に襲い掛かればよかったんだ。保胤の残した想いに応えたいんなら、俺のことをなんか無視して脱出の為に力を注げばよかったんだ」
(……それは)
「ああ、分かりきっている。分かりきっているから、つまらないんだ。それでも、こんなことをしたのは――」
臨也にも、自身がここで"終わり"だということは分かっていた。
しかし、『だから最後に、言葉を弄してこの少女の誇りや尊厳といったものをずたずたにしてしまおう』というような意図は全くない。彼はただいつものように、自分のやりたいようにやり、思ったことを口にし続けるだけだ。死の間際でさえも。
「――死にたかったからだよねぇ。償えないって分かっているから、償うことが億劫で、面倒で……だから、てっとり早く死を選んだんだ」
それが折原臨也がその生涯で紡いだ、最後の言葉だった。
光の剣がそのアストラル体を焼きつくし、蛍光灯が途切れるような唐突さで折原臨也の全てが停止する。
だが既に放たれた彼の言葉は、それこそ弾丸のように海野千絵の精神、その最奥に秘められたものを撃ち抜いた。
(――あ……)
言語化されて、それを耳にして。海野千絵はようやく、自分が抱えていた後ろめたさの正体を自覚する。
(……ああ)
B.Bを救おうと屋上から飛び降りたあの行為の意味を、正しく再認識した。
そう、自分はもう、この状況をいち早く終わらせたくて――
(あああああああああああああああああああああああああああ!)
反論は許されない。臨也の言葉は紛れもなく真実であり、そして海野千絵の呼吸機能は断ち切られている。
そして周囲の人間が彼女に触れられる距離に至る前に、彼女の生命は終わっていた。
だから、海野千絵は死んだ。
ただの一欠けらの救いもなく、ほんの僅かな慰めもなく、完全無欠に情け容赦なく――深い深い、二度と浮上できぬ後悔と自己嫌悪の海に没した。
【003 海野千絵 038 折原臨也 死亡】
【残り21名】
267
:
名も無き黒幕さん
:2024/01/16(火) 00:32:53 ID:Bl0tE9GY
イキスギィ!
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