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ラノロワ仮完結作品投下スレッド

1 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 19:44:34 ID:vP/xCASw
したらば雑談スレの>>905であんなこといってたわけですが。
無様に前言撤回。出来たものから小出しにしていきます。

↓以下言い訳タイム。読んでも時間が無駄になるだけです。

というのも、制作が遅々として進まないわけです。
人数が多くなるとそれぞれのキャラが動かしにくい、というのもあるんですが、
本質的に私の制作方法に問題があるんじゃねーかと最近思い始めました。
というのも新しい話書いててそれに詰まると、私は過去作の校正に逃げる悪癖がありまして。
そうしてる内にいいアイディアが浮かぶと
これから各作品のプロット変更してでも組み込もうとするわけです。
そうすると結果として話が全然進まないので、
自分を追い込む意味でも容易に話を変えられないように投下してしまおうと思い立ちました。

↑言い訳タイム終了。以下テンプレと本編。

2 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:16:35 ID:vP/xCASw
=テンプレ=

このスレッドは◆5Mp/UnDTiIが妄想したラノベ・ロワイアルの仮完結ルートを書き散らすスレです。
とりあえず完結させる、という点に重点を置いてるということと、
パロロワ企画の醍醐味のひとつでもあったリレー小説という形態を放棄している為、
本来ラノロワが持っていた魅力をだいぶ殺してしまっていると思います。ご容赦のほどを。

なおこれは私◆5Mp/UnDTiIの妄想の産物であります。
個人的にもラノロワの正史にしたくないので、あくまでも「仮完結ルート」とさせていただきます。
どなたか「俺だったらこういう結末にしてやるぜ」とか
「ここまできたら俺だって完結ルート書くぜ!」という方がいらっしゃれば大歓迎です。
というか他作者様の書いたラノロワが読みたい。書け。書いてくれぇぇ・・・・・・

まあそんな生き霊の怨嗟はともかく、以降本編を投下します。

自分に課すルールとして、とりあえず最低限月に一作品投下のペースで。
間に合わなければとりあえずプロット投下して、あとで肉付けします。

テンプレは以上。では投下開始。

3 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:19:15 ID:vP/xCASw
 分かってはいたつもりだったんだがな。
 出雲・覚は顔を伏せ、真新しい盛り土を見つめている。
 H-1境内。襲われることもなく辿り着けたが、それを取り立てて幸運と喜べるような目的でここまできたのではない。
 社務所の物置から発掘した古びたスコップとシャベル。 
 それぞれを出雲とアリュセの二人で分担し、仕事にかかったのが21時過ぎ。今からおよそ一時間前。
 穴を掘り、再度埋める。元より高くなった部分の土が、その穴の中に埋められた故人の存在を主張している。
 新庄・運切。かつての仲間。仲間だったモノ。現・物言わぬ死体。
 死ねば、人はそれまでだ。霊魂は存在するのかもしれないが、それは出雲の認識する領分ではない。
 死ねば終わる。何もかも一切、根こそぎにして終わる。
 あとはその死体を燃やそうが腑分けしようが、故人は泣き叫びもしない。
 だから埋葬という行為は生者の為だけに存在する。
 そして故人と親しかった者にとっては、その行為は儀式となる。
 単に生の肉の塊を放置するのが不衛生だという理由だけで埋葬を行うのなら、それは面倒な労働に過ぎない。
 それ以外の意味があるから葬は儀式として成立する。
 死者に囚われ続けることがないように、未練を断ち切るための儀式。
 そしてそういった儀式を必要とする者がいるということは、未練というものが断ち切り難いものであるからに他ならない。
 出雲が土葬の痕からなかなか目が離せないのはそのせいだ。
 アリュセは心配そうにそんな出雲を見上げている。墓から目を逸らせずとも気配でそれは知れた。
(分かっていたつもりだったんだがなぁ。あんな啖呵切っといて、実際はこの様か)
 ……情けねえ。
 聞こえないようにそう呟いて、出雲は区切るように大きく息を吐いた。言い聞かせるように、言葉を浮かべる。
 死は覆らない。
 ――わかっている。
 彼女は永遠に土の下。
 ――分かっている。
 もう、二度と会えない。
 ――分かってるっつってんだろが。
 胸中で吼え、出雲は無理やり引き剥がすように顔を上げた。
 それも、彼に必要な儀式だった。寂しさとそれに付随する未練がましさを断ち切るための。
 あるいは、それから目を逸らすための。

4 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:20:09 ID:vP/xCASw
「――もう、いいんですの?」
「長過ぎたくらいだ」
 放置していたスコップを足先でどけながら、出雲は頷いた。そう、時間は使えない。
 無駄なことに使える時間はおろか、大切なことに割く分すらも足りてはいない。
「んで、あの放送についてどうするかだけどよ。どう思う?」
 ダナティア・アリール・アンクルージュによって行われた演説。
 無言で穴を掘りながら、彼らはそれを聞いていた。
 埋葬を終えた今、次に取り掛かるべき問題だ。アリュセは自分の中でまとめていた考えを述べた。
「『理由』は断定できませんわね。可能性だけで語れば、それこそ幾らでも邪推は出来ますし。
 だけど『目的』だけは一目瞭然ですの。
 あんな放送をすれば、なにはともあれ注意を引くのは自明の理でしょうから――」
「人は集まる、か。佐山並みの目立ちたがり屋だな、ありゃ」
「ええ。詐欺師か、指導者か。少なくとも人前で宣まうことに慣れている人物でしょう。
 そして集まったのが子猫だろうが人食い虎だろうが対処できる自信、つまり戦力もある」
 空に向けて放たれ、暗雲を消し飛ばした閃光。力の誇示。
 言って、アリュセは思案した。
 放送を行った集団の真意は分からない。それこそ実際に会ってみなければ。
 推察するべきは、あの放送に他の参加者がどういった反応を示すかだ。
 素直に放送の主と接触を求める者――
 放送を信じるなら、あの集団の人数は12名。
 この悪趣味な状況を鑑みれば、奇跡的な大集団だ。おそらくこの島で最も情報と人材を保持している。
 同じ世界から参加させられた仲間を探している者からしてみれば、思わず接触を求めたくなる魅力的な団体だ。
 逆に、『優勝』を目指す者からしてみれば殺しておきたいところだろう。これ以上の大集団となる前に。
 あるいはあの周辺に罠を張り、集まる者を歯牙にかけようとてぐすね引いて待とうと画策する者もいるかもしれない。
 結論として――参加者は島の中心部に集中する。
 島の外周であるこの辺りならば、人に会う確率は減るだろう。

5 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:21:07 ID:vP/xCASw
「人探しをするんなら、とりあえず中心を目指すのが得策ですわね。
 後はそのタイミングをどうするか。
 あの集団、ないしはその周辺で戦闘やトラブルが起きるのは決して低い確率ではないですの」
「安全策を取るなら、しばらく様子見ってのが定石だわな。だが……」
「ええ、覚の探し人がそのトラブルに巻き込まれる可能性も考えられます」
 言われて、出雲はふむんと顎に手を当てた。
「まずは落ち着いて考えてみるか。危険と効率、どっちを取るかって話だ。」
 考えてみる。危険と効率。両者を天秤に乗せ、不確定情報を加味し、カオス理論にバタフライ効果も――
 知っているそれらしい単語を並べて、それらをすぐに放棄した。どの道、確率論に過ぎない。ならば選択すべきは単純明快。
「そうだな……とりあえず近くまで行こう。で、実際に会ってみるのは0時の放送の後でいいんじゃねーか?」
「まあ、妥当なところですわね。実際に何人かの集団だとして、旗頭はおそらくあの演説の主。
 そのダナティアという人が放送で呼ばれなければ、その集団は存続しているとみていいでしょう」
 取ったのは中庸案。危険も効率も半々。
 一応の結論が出たことに出雲は満足そうに頷いた。そして、付け足す。
「そうだな。あとそれと、もう一個だけ分かることがあるぞ」
「なんですの?」
「あそこに佐山の馬鹿はいねえっぽいな。いれば絶対マイクの取り合いになるだろうし」
「……そうですか」
 なにやら疲れたように方を落とすアリュセを見て、出雲は頷いた――穴を掘って埋めるのは大変な労力だ。
 あるいは、途中で休憩を挟むことも必要だろう。その為の癒しグッズも気の利く自分は用意してある。
 お供え物として備える用以外にもいくつかデイパックに放り込んでおいたソレ系の本の重さを肩に感じながら、出雲は歩き出した。

6 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:21:48 ID:vP/xCASw
 アリュセもそれに倣い――そして、小さく囁いてきた。
「ねえ、覚?」
「あ、なんだ?」
「貴方の身体って、無駄に大きいですわね?」
「無駄ってなんだよ。千里の愛力に耐えうる為の適切な進化と呼べ」
 だがそんな出雲の言葉に、アリュセはつっこまなかった。
 ただ一言。震えもしない平坦な声で、告げる。
「穴を掘るのが大変そうですから、死なないでくださいね?」
 出雲は立ち止まった。数歩送れてそれに倣ったアリュセの後姿を見つめる。
 彼女の顔を見もせずに、ただ頭の上に手をぽんとのせた。
 どんな顔をしているのかは想像できた。きっと、自分も同じような顔をしているだろうから。
 埋葬は死を意識させる。だがそれは埋葬された当人の死だけに限らない。過去の死だけに限らない。
 こんな剣呑な状況であればなおさら、次に起こる『死』が連想される。自分と親しい者の死が。
 アリュセがいた世界からの知り合いは全員死んでしまった。
 だがそれでもなおアリュセにとって死んで欲しくない人物は存在する。
 出雲の元いた世界からの仲間は残り二人。だが、この舞台において彼が死を願わない人物はそれよりも多い。
 出雲・覚は眼前の少女を見る。手の平に感じる柔らかな髪の感触。
 僅かに感じる脈動は、血液を送り出す不随筋によるものか、果てまた連想した未来に対してのものか。
(重いな、ほんと……)
 こっそりと、胸中で息を吐く。
 手の中にある彼女の身体は新庄よりも一回り小さいが、それでも――

 ――俺だって、穴を掘るのはもうごめんだ。


【H-1/境内/1日目・22:00頃】
『覚とアリュセ』
【出雲・覚】
[状態]:左腕に銃創(止血済)
[装備]:スペツナズナイフ/エロ本5冊
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/炭化銃/うまか棒50本セット
[思考]:千里、ついでに馬鹿佐山と合流
    /クリーオウにあったら言づてを/ウルペンを追う/アリュセの面倒を見る

【アリュセ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン5食分・水2000ml)
[思考]:覚の人捜しに付き合う/できる限り他の参加者を救いたい
    /クリーオウにあったら言づてを/ウルペンを追う/覚の面倒を見る

※新庄の死体をH-1境内に埋葬しました。

7 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:22:59 ID:vP/xCASw
投下終了。
続いて投下。

8犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:23:57 ID:vP/xCASw
 夢を見ていた。
 何もかも曖昧な、だけど幸せと分かる、惰眠のような夢だった。
 笑いもせず、騒ぎもせず、それでいて満ち足りている。
 ――果たしてそれが本来あるべき日常だったのだと、いつまで覚えていられるだろうか?

◇◇◇

 雷撃による気絶から約数時間後、陸は目を覚ました。
 これほどまでに早く覚醒できたのは、ひとえに陸が犬だったからだろう。
 獣のタフネスと、そして気絶させた下手人が犬相手にどれ程の電流を流せばいいのか計りかねていたということもある。
 まどろみから現実に回帰し、回復した視界に浮かび上がってきた光景は特に面白みも無い木々の群れだ。
 少なくとも、自分がいたテーマパークではないことは確かである。
「ここは……?」
 自分は何故ここにいるのか。今の今まで気絶していたのだから、分かる筈もないが。
 周囲に人の気配はしなかった。李淑芳。傍にいた筈の彼女さえも。
 おそらく、自分を気絶させたのは彼女だろう。今だぼんやりとした思考回路で、ただ過去の事実を復唱する。
 だが何故彼女は自分を襲ったか――?
 気まぐれ、発狂、腹いせ。愚にもつかないことならばいくつか思いついたが、だからと言って正解など分かるはずも無い。
「ああ全く、猫の手でも貸してほしいくらいです」
 口をついて出たのはただの愚痴だった。口にした後、ああやっぱり意味は無いな、と後悔するような類の言葉だ。

9犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:25:25 ID:vP/xCASw
 だから、横から本当に手が差し出されたことに陸は少々驚いた。
 自分は地面に臥せっていたとはいえ、気配も臭いもしなかったはずだ。
 ならば、その正体は――
「……」
「さあ、卵を産め」
 半漁人だった。
 とりあえずそう形容したくなる外観だった。
 いや、陸を目指して中途半端に進化した魚といったほうが正しいのかもしれない。
 巨大な魚に、人間の四肢を直接糊付けしたようなフォルム。
 生態系とか、たぶん考えてない。そんな、進化の過程において失敗を重ね重ねた先にある生物だろう。
 思考は瞬時に停止。だが口はほとんど反射的に――相方にツッコミをいれる芸人のような心境で――質問を紡いでいた。
「あの、誰ですか、あなた」
「さあ、卵を産め」
「ここはどこでしょう?」
「さあ、卵を産め」
「それしか喋れないんですか?」
 半眼で呻く。確実に参加者ではない。ならば自分と同じような位置づけなのだろうか。
「……いえ、それは控えめにいって死ぬほど嫌ですね」
 げんなりとする。このデイパックの中身を選別した者には文句のひとつでもくれてやりたいところだった。

10犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:26:40 ID:vP/xCASw
 ――陸は気付けなかった。
 誰が造ったのかは知らないが、この半漁人の模型は恐ろしく悪趣味なまでにリアルである。
 細部まで、それこそ鱗の一枚一枚まで丁寧に作り込まれている。
 だから、気付けなかった。
 外観のインパクトに圧倒され、彼我の身長差も手伝って、胴に貼り付けられた手紙に気付けなかった。
 それゆえに陸は、それほど悩まずに決定を下せた。
 シズを探したいという気持ちはもちろんあるが、だからといって淑芳をこのまま放っておくというのも後味が悪い。
 彼女の変異の理由、あるいは彼女が陸に渡そうとした偽りの手紙の内容さえ知らぬ陸は、痛む体に渇をいれ立ち上がる。
「……とりあえず、淑芳さんを探しますか」
「さあああああああ! 卵ぅをぉぉぉおおおお! 産めええええええ!」
「黙ってくれませんか?」
「……」
 そして気付かぬままに、陸の『淑芳を探す』という言葉を命令と受け取った魚は犬の後を追っていく。
 ――あるいはこの時手紙を見つけていれば、彼らの運命も変わったのかもしれないが。

11犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:28:07 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 現在地がまったく分からなかったので、海岸線を頼りに陸がF-1の海洋遊園地にたどり着けたのは第四回放送まであと三十分を切った頃合だった。
 途中でゲームからの脱出を目論む集団の放送があり、淑芳ももしかしたらそっちに向かったのかもと思ったが、
 場所もよく分からなかったし、とりあえず先に海洋遊園地を見てからにしようと判断したのである。
 そして、その判断は正しかったようだ。
 ここには淑芳の匂いが確かに漂っている。
 それもまだ新しい。少なくとも、数分前まではここにいたのだろうと確信を持てる。
(ですが、それだと解せませんね)
 自分を気絶させて、そしてわざわざ遠い場所まで運び、そして再びここに帰ってくる――
 そんなことをした理由が、陸にはさっぱり分からなかった。
 ――仮に、彼女が殺し合いに乗ったのだとしたら。
 彼女の情報を知る自分は明らかに邪魔なはずである。ならば自分がこうして生きているはずは無い。
(では私を遠ざけたかった? 何のために? まあ確かにそれほど仲が良いとは言えなかったかもしれませんが)
 それに対する仕打ちがあの電撃なのだとしたら、それは少し以上に理不尽である。
 結局、彼女に聞かなければ分からない。ならばこうして思考することに意味は無い。
 それでも、無駄なことを完全に切り捨てられないのが人という生物である。
 まあ人でこそ無いものの、陸は人間的な思考を持ち合わせている。あまり有意義でないその想像も尽きなかった。
 だから、『それ』に気付くのにも少しばかり遅れてしまい、相手に先手を取らせることになってしまう。

12犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:29:14 ID:vP/xCASw
「――なんだ、馬鹿犬じゃないか」
 響いたのは、声変わり前の男の子のような声である。
 陸はその声に聞き覚えがあった。
 声の方を睨むと、そこには予想通り口の悪いあのモトラドが停められていた。
「お前も来てたのか、ポンコツ」
「まあね。ちょっと持ち主が襲われた挙句井戸に放り込まれて、僕達はその犯人にここまで連れてこられたんだけど」
「キノさんが?」
「いや別の人。っていうか、そっちに反応するんだ、スケベ犬が」
「うるさいな。自分じゃ歩けないくせに生意気だぞ――ところで、僕達?」
「ああ、ほら、僕の後部キャリアの上」
 言われて見てみると、そこには何か六本足の動物のようなものがいた。
 紐やらなにやらで拘束された上に猿轡を噛まされ、むーむーと呻いている。
「……自己紹介、という雰囲気でもありませんね」
「そうだね。出来ればそれ取ってあげてほしいんだけど」
「ふぅむ――流石に噛み千切れそうにありません」
「何だよ、役に立たないなぁ。――じゃ、そっちの人は? いや人?」
 ついに突っ込まれて、陸は観念するように目を閉じた。
 例の半漁人は、あれからずっと陸の後を付いてきている。
 もう関わりたくなかったのでずっと無視をしていたのだが、これでそうもいかなくなった。

13犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:30:12 ID:vP/xCASw
 ――空気よめよ、ポンコツ。
 溜息をひとつはいて、うんざりと告げる。
「何故かは分かりませんが、ずっと私の後を付けてくるんです」
「ふうん……ん? なんか持ってるね?」
「私は何も?」
「スケベ犬じゃなくてそっちの魚のほう」
 同列に扱われたことに憤慨しながらも、陸は半漁人を横目で見やった。
 確かに、手に紙袋のようなものを提げている。
 もっとも陸は最初からそれに気付いてた。
 ただその紙袋にも半漁人の絵が描いてあったので、たぶん専用の呪われた装備品か何かだろうと大して気にしていなかったのだ。
 正確にはもうこの半漁人自体を気にしないようにしていた、だが。
「たぶん魚肉ソーセジとかでしょう。気にしてもしょうがないのでは?」
「いや、でも何か約に立つものかもしれないじゃない」
「……そうだとしても、アレに飛び掛って奪うのは御免こうむりたい」
「お願いでもしてみたら?」
「その袋をこっちにください半漁人さん、とでも? 冗談で――」
 しょう、という言葉尻にまで到達する前に、どさりと紙袋が放り出された。
 無論、それを行ったのは例の半漁人である。
「……」
「……言っといてなんだけど、本当にくれるとは思わなかったなぁ」
 中を見てみなよ、と言外にエルメス。
 正直生理的な嫌悪感を覚えないでもなかったが、だからといってくれたものを無視するのも気が引ける。
 ゆっくりと――半漁人を警戒しながら――陸は、その袋の中を覗き込んだ。
 中にあったのは、なんと言うことは無い。ペットボトル入りの飲料水とコッペパンだ。
 ――だが、それに付着していた匂いは、探し人のものだった。

14犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:31:07 ID:vP/xCASw
「淑芳さん……?」
「んん?」
 エルメスが何か訝しげな声を出しているが、それを無視して陸は考えた。
 何故、この半漁人の持っていた紙袋の中に彼女の匂いがついた品が入っているのか。
 それは単純に考えれば、彼女がこの半漁人にそれを持たせたということだ。
 ならば、この半漁人が自分の後を付いてくるのにも彼女の思惑が――?
「ねえ、ちょっと」
「うるさい。少し黙れポンコツ」
「そうしてもいいんだけど、ひとつだけ――そのシュクホウって、血塗れの服きてる女の人?」
「っ!? お前、会ったのか?」
「さっき襲ってきたって言うのが、その人。あ、ちなみに向こうから襲ってきたよ」
「馬鹿な、どうして……」
 彼女は、やはり殺し合いに乗ったのか。
 いや――
 その考えを打ち消すように頭を振る。
 それならやはり、自分を殺さずに遠ざけるだけに留めるのは不自然だ。
 彼女がゲームに乗ったはずは無い。
 だが、それは自分がそう思い込みたがっているだけではないのか――?
 答えを得るため、問いを紡ぐ。
「彼女は、淑芳さんはその人を殺してしまったんですか?」
「うーん。僕はモトラドだから生死の判断は出来かねるけど、でも死体を拘束はしないと思うから、たぶん生きてると思うよ」
「そうですか……」
 ほっと安堵の息。だが、それを聞いてますます訳が分からなくなる。
 殺せるときに殺していない。だが自分から戦いを挑んでいる。
 彼女は一体、どんな立ち位置にいるのだ?

15犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:31:59 ID:vP/xCASw
「あ」
「今度はなんです?」
「いや、その魚、お腹になんかくっついてるよ」
「? どこに?」
「いやだからそこに――ああそっか。喋るけど犬だもんね。
 ちょっと分かりにくいかも。ぴったり貼り付けられてるし」
 またお願いすればいいんじゃない? と言われ、陸は張り付いているものをこちらに渡すように要求した。
 半漁人から渡されたのは一枚の紙切れだった。
 どうやらそれは手紙であるらしい。女性らしい丸みを帯びた文字が、びっしりと書き込まれている。
 誰の字であるかは、考えるまでも無かった。
 内容は――想像していたものより酷い。
 殺し合いに乗ったこと。シズを殺すのは最後にするということ。その他様々。
 見るものに嫌悪感を催させるような文の組み立て方で、最悪の決断が綴られている。
 最後の行まで読み終わると、陸は深々と――疲れたように溜息を吐き出した。

16犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:32:45 ID:vP/xCASw
「嘘が、下手ですね」
 例えば、もしも陸がこの手紙をエルメスと出会う前に見つけていたのなら、それを信じていたのかもしれない。
 だが、いまではもう零崎をわざわざ拘束して井戸に放り込んだという、彼女の奇妙な行動を知ってしまっている。
 彼女に聞いてみなければ、正確な答えは分からない。
 だけど、李淑芳は殺人者でもなければ脱出派でもない『奇妙な立場』にいることは間違いが無いのだ。
 ならばこの手紙は、自分を遠ざけるために書かれたもの。
「決めました。私は淑芳さんを追いかけます」
「そういえば知り合いなの? ずいぶん物騒な人だねえ、まあキノも零崎もたいがいだけどさ」
「彼女が乱暴な行動に出たのにはなにか理由があるはずなんです。それを私は聞きに行きます。
 ポンコツに頼むのは癪なんですが、もしも機会があったら、淑芳さんが傷つけたという人に謝っておいてはくれませんか」
「まあ伝えておくよ。もうすぐ僕の仲間が迎えに来てくれる筈だしね」
 その返事を聞くと、陸は別れの挨拶もそこそこに去っていった。

17犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:34:13 ID:vP/xCASw
 モトラドに呼吸器はないが、エルメスは嘆息でも尽きたい心情だった。もとよりあの犬に礼儀は期待していなかったが。
 暗闇の中に薄れていく犬の後姿を見つめながら、エルメスはふと独りごちる。 
「なんだかなぁ、割とノリで返事しちゃったけど、不味かったかもしれないなぁ」
 自分達が連れてこられたのは十数分前かそこらというところだから、臭いを辿る犬の追跡を逃れる事は出来ないだろう。
 つまり、それほど時間を必要とせず、彼らは再び邂逅することになる。
「よく考えてみたら、そのあとシュクホウって人が僕に何するかなんて分かったもんじゃないよね」 
 陸がどの程度ここでの会話を伝えるかによるが、零崎の仲間がもうすぐ来るという事を知れば、再び襲ってくる可能性もある。
 その際、自分が巻き添えにならないとも限らない。
 電撃やら炎やらを飛ばしてくる相手だ。可燃性燃料と電子機器を搭載したモトラドにしてみれば天敵である。
「あれ、僕もしかしてピンチじゃない? 不味いなぁ。佐山くんじゃなくてもいいから誰か早く来ないかなぁ」
 そんな願いを口にしても、残念ながら流れ星の類は見えなかったが。

18犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:34:55 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 再開は障害もなく驚くほどスムーズだった。
 格納庫。カイルロッドが死した、彼らにとって因縁の場所。ここから全てが狂いだした。
 玻璃壇の前で、入り口から入ってきた陸に背を向けるようにして彼女は立ち尽くしていた。
「――来てしまったんですね、陸。せっかく殺さずに生かしておいてあげたというのに」
 振り返りもせず、彼女は後ろ向きに声を飛ばした。
「あの手紙には、邪魔をしても構わないと書いてありましたからね」
「ええ。それと、そんなことをしても無駄だとも」
 彼女は依然として振り向こうとしなかったが、それでも変化があった。いつの間にか呪符を握り締めている。
 振り向きざまに雷撃でも放たれれば、避けきれるかどうかは賭けになる。 
 それでも、陸は身動ぎもせず、彼女の背中をじっと見つめていた。
「淑芳さん。あなたがどうしてこんな事をしているのか私は知りません。でも、」
「去りなさい、陸。次は手加減をしません。私はゲームに乗りました。
 これから参加者を皆殺しにするのに、足手まといは御免です」
 鋭い囁きが陸の言葉を切り裂いた。
 強い言霊だった。常人なら、思わず従ってしまっただろう。
「貴女は殺し合いに乗っていない」
 だけど、最初から嘘だと分かっていれば別だ。
「さっきポンコツのモトラドに会って事情を聞きました。少なくとも一人の参加者を貴女は殺せたのに、殺していない」
 その事実を告げても、彼女は動じなかった。
 だが僅かに発汗の量が増えた事が、陸の嗅覚によって察知される。
「嘘が下手ですよ。淑芳さん。あの手紙もです。
 貴女くらい性格が悪ければ、わざわざ殺し合いに乗ったなんて情報を広めるような文書は書かないでしょう。
 私が起きる前に、あの半漁人から誰かが奪ってしまえばそれまでですから。
 淑芳さん、貴女は、まるで貴女が殺人者であると広めたかったみたいだ」
「全て、気まぐれです。そう言ったら?」
 彼女の囁き。それも、少しだけ上擦った様子を見せている。
「そんなんで優勝を目指す、なんて人は危なっかしくて放って置けませんから、やっぱり付き纏おうと思います」

19犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:36:47 ID:vP/xCASw
「そうですか――じゃあやっぱり、殺さないと駄目みたいですね」
 彼女はミスをしていた。
 彼女の目的は自分を脅威として参加者に認識させ、結束させ、アマワに対する勢力にすること。
 その為に彼女が行った行動や演技は完璧だっただろう。
 だけど一匹だけ。それを決意する前の彼女を知っている犬を、彼女は生かしてしまっていた。
 彼女の変わりよう、その不自然さを推察できる存在を放置してしまった。
 もっとも、そのミスを清算するのは簡単だ。
 幸い、陸は覚醒してからすぐに彼女を追いかけてきたらしい。あまり他の参加者とは接触していないだろう。
 ならば、ここで陸を殺せばいい。あの二輪車も戻って破壊すればいい。
 そうだ。アマワを倒すためになら、誰かを殺すのだって躊躇わない。
 呪符を握る手に、力がこもる。
「――出来るわけ、ないじゃないですか」
 だけどその手は、すぐにだらりと力なく垂れ下がった。
 そうだ。仲間を失うというアマワの予言を恐れて、彼女は陸を遠ざけた。
 そんなアマワを恐れて憎んだから、彼女は悪役に徹した。
 その最初の原点。それを、殺せる筈がない。
「淑芳さん、貴女はやっぱり――」
「陸、お願いです。何も聞かないで、誰にもこの事を喋らず、私に関わらないで下さい」
 それは懇願だった。
 神仙としての力強さなどなく、ただ途方にくれる迷子のような脆弱さ。
「泣いている人を放ってなんか置けませんよ。知り合いなら尚更です」
「どうしてですか……! 私は陸に、いっぱい酷い事をしたじゃないですか。
 そんなに仲だって良かったわけじゃないのに、どうして私に付き纏うんです」
 大粒の涙を浮かべながら、淑芳。
 陸は、その笑っているような顔を少しだけ困った風に歪ませ、
「貴女が、カイルロッドのことを気に病んでいるのは分かります。
 それは私も同じです。同じだから、傍にいたいと思います。それでは駄目ですか?」
「違う――違うんです。カイルロッド様が死んだのだって、私のせいなんです。
 あいつが、アマワが私にそう」
「あの馬鹿げた予言とやらを、まだ気にしていたんですか」
 聞き返されて、失言に気づく。これでは殆ど肯定しているようなものだ。
 仲間がいるという暖かさを、彼女は長い間忘れていたような気がした。
 それに久しく触れて、どうやら気が緩んだらしい。
 だが、駄目だ。陸を巻き込めば、これまでの覚悟が水の泡になる。
 彼女は涙を拭った。そして、躊躇しなかった。
 振り返り、呪符を振りあげる。
 その様を見て、陸は泣き叫ぶように声を張り上げた。
「淑芳さん!」

20犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:38:27 ID:vP/xCASw
「陸――『逃げなさい』!」
 その言葉の意味に陸が気づく前に。
 淑芳の身体がぐらりと傾いだ。まるで頭部に強い衝撃を受けたかのように、後頭部から地面に叩きつけられる。
 同時に陸の耳朶を打つ乾いた音。これは聞き慣れた音だった。パースエイダーの発砲音。
 ――撃たれた!?
 陸が現状を認識把握するまでに掛けた時間は最短。
 主人は荒事に巻き込まれることが多かった。故に、こういう時の躊躇が危険なのは骨身に染みている。
 だがその最短よりも更に早く、淑芳を撃った下手人は陸をも撃ち抜いていた。
 振り返る事すら叶わず、陸もその場に倒れ伏す。
 だがそれでも陸は自分を撃ったのが誰か理解できた。
 漂い始めた血の臭いに邪魔されながらも、それでもこの臭いを知っていた。
(まさか、貴女は――)
 下手人が近づいてくる。陸の横を通り過ぎ、淑芳が覗き込んでいた玻璃壇を調べだす。
 その横顔は――

21犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:42:04 ID:vP/xCASw

◇◇◇

「じゃ、行こうか。エルメス」
「オッケー。それにしてもキノに乗られるのも久しぶりに感じるなぁ」
「きの よろしく」
 海洋遊園地の、その地下――格納庫から戻ってきたキノが、エルメスのエンジンを始動させる。
 その様子は平静そのものといった感じで、とても人一人と犬一匹を射殺したとは思えないものだ。
 ――陸が海洋遊園地に到達する以前から、キノはここに潜んでいた。
 偶然、というわけではない。キノは潜伏先を探していたからだ。
 A-1の地点から比較的近く、それでいて先住者が居そうにない場所というのは限られている。
 大規模破壊のあった東側、C-3商店街の近くは望むべくもないだろう。
 故に南下してみたが、公民館は死体の山が積み上げられていた。
 E-1の商店街に身を潜めようかとも思ったが、そこで目と鼻の先にある海洋遊園地が目に入る。
 荷物の保管場所というだけなら、広さとアトラクションの複雑さがあるあっちの方が適しているかもしれない。
 そういった理由でキノは海洋遊園地に足を運び、適当な事務室らしき場所に荷物を放り込んでこれからの計画を練っていた。
 そこで聞こえてきた声に気づき、物陰から会話を盗み聞きしていたのである。
 疲労から捜索を徹底しなかったのは、逆に幸運だった。
 もしも陸より早くエルメスと再開していれば、淑芳を殺すチャンスは失われていたからだ。
 少なくとも、エルメスや草の獣に気取られずにことを済ますのは不可能だっただろう。
 エルメスと陸の会話から、キノは近くにあの淑芳が潜んでいることを知った。しかもあの零崎と戦って勝ったということも。
 このゲームで優勝を重ねたというのも、嘘ではないのかもしれない。
 だからこそ、この機を逃すわけには行かなかった。零崎とやりあったのだから、多少なりとも疲労は溜まっているはずだ。
 キノが生き残りを狙う上で、大きな障害になるであろうと予想される彼女を殺害するのは、今しかない。

22犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:43:30 ID:vP/xCASw
 あとは簡単だった。臭いを辿れる陸の後を追いかけていけばいい。
 常に風下に陣取り、こちらの気配を悟らせないこと位、キノにとっては造作もないことだ。
 さらにヌンサの模型が陸の後を足音も殺さずについて回った事もキノにとっては幸運だった。
 そして道案内が終わったあと、隙を窺って背後から撃ち殺したのである。
 だが危なかった。その後知った事だが、淑芳が覗き込んでいた模型は、どうやら参加者の位置を表示するものだったらしい。
 それで最後はこちらに気づいて、咄嗟に攻撃を仕掛けようとしてきた。
 彼女が泣いていなければ――視界がぼやけていなかったら、もっと早く気づかれていただろう。
 その後、淑芳の支給品を奪い、何食わぬ顔でエルメスたちと合流。
 草の獣の拘束を解き、事情を聞いて、まずは佐山という人物と合流することにした。
 その佐山の仲間であるという零崎は井戸に落とされたらしいが、さすがにキノ一人では引き上げられない。
(零崎、か)
 その名を反芻し、思わず顔をしかめる。
 零崎に苦手意識があるのは確かだが――どうやら今の集団に属している間は殺人癖も抑えられているようだし、それに何より利用できるものを利用しなくては生き残れない。
(何より、『殺人者でも構わず取り入れる』というグループは稀有だ。
 受け入れて貰えれば僕が生き残れる確率はかなり上がるだろう――上手く立ち回る事が条件になるけど)
 その佐山の集団に受け入れて貰ったとしても、いずれダナティア達とは対立することになる。
 最悪の場合、抗争すら起きるだろう――その際、自分は生き残れるような最適のポジションに居なければならない。
 だけど僕は最後まで生き残って見せますよ、師匠――

23犬と二輪、そして ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:46:21 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 地下格納庫の中で、陸はゆっくりと死に近づいていた。
 胡乱になっていく思考が、先ほど起きた出来事を発狂しそうな緩慢さで検分していく。
 使用されたのは小口径のパースエイダーだろう。聞きなれた音と硝煙の匂いでそれを察する。
 そして、それを使用した人物にも見覚えがあった。
 正確無比に陸の内臓を撃ち抜き、こちらを一瞥すらしなかった彼女は――。
(キノさんが、どうして。ゲームに、乗った?)
 容赦のない人だとは思っていたが、まさかこんな馬鹿馬鹿しいゲームに乗るなんて。
 ……いや、それよりも重要なことがある。
「淑芳、さ、ん」
 掠れるような声で、呼びかける。
 生きているだろうか。彼女は生きているだろうか。
 残った力で何とか首を向けることに成功した。
 ――彼女に向けて放たれた弾丸は、眼球を貫き脳へ達していた。
 赤い脳漿が、玻璃壇を濡らしている。
 即死だった。
(ああ――すみません、淑芳さん。どうやら、私は、貴女を――)
 思考が散乱していく。失血のせいで何処かまどろむように、陸は目を閉じた。


【033 李淑芳 死亡】
【支給品 陸 死亡】
【残り 34名】

【F-1/海洋遊園地/1日目・23:45頃】

【キノ】
[状態]:冷静/体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/折りたたみナイフ/カノン(残弾4)/
    /ヘイルストーム(残弾6)/ショットガン(残弾3)/ソーコムピストル(残弾9)
    /エルメス/草の獣/自殺志願 (マインドレンデル)(少し焦げている)、
[道具]:支給品一式/師匠の形見のパチンコ
[思考]:佐山・宮下と合流/
    最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)/禁止エリアの情報を得たい
    /零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
[備考]:第三回放送を完全に聞き逃しましたが、冒頭部分の内容を教わりました。
    玻璃壇の存在を知りました。

・使わない支給品と残弾0の『森の人』は海洋遊園地の建物の中に隠してあります。

24 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:47:17 ID:vP/xCASw
投下終了。
続いて投下。

25病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:48:47 ID:vP/xCASw
 本来ならば、前衛の攻性咒式士にとってこの程度の損傷は傷のうちに入らない。
 特に己の肉体を自在に強化・変態させる生体系咒式士のギギナならば尚更である。
 だが課された制限は重い。気絶から覚醒するのに彼は数時間を要していた。
 恒常咒式は最低限働くようになってきたが、それでも全快には程遠い。
(……制限の度合いが変動している?)
 意識が目覚め肉体を再び掌握しきるまでの刹那の間に、ギギナは思考回路を回転させていく。
 代謝の異常促進、つまり空腹の具合からすでに『その』兆候は確かに現れていたが、しかし――
(制限の仕様か? いや、だがそれで発生する管理側のメリットは思いつかない。
 その上で咒力制限が不安定ということは管理側のミスか……あるいは、誰かが手を加えたか)
 ギギナはこれまでさほど刻印に関しては考えたことがなかった。
 闘争の場があるのならドラッケンとしてそれに赴くだけであり、ひたすらに命を削り合う愉悦に浸っていた。
 だが相棒と仇敵の亡き今ならば話は別だ。多少は、ほかの事に意識を向ける余裕と必要性がある。
 もっとも、それだけに集中できるような状況でもないが。
 制限のことはひとまず放っておいても構わないだろう。変動といっても微々たる物だし、さほど戦力的な影響はない。
 なによりまずは、起き上がらなくてはいけない。
 その決意を鍵としたように意思による肉体の掌握が完了した。
 五感が戻ってくる。外界の状況を認識し、次いで――己の内の状況、すなわち痛みが湧き上がってきた。
 胸部の怪我はまず間違いなく重傷だった。幸い呼吸は出来るが、戦闘行動はほとんど無理だろう。
 損傷を前提とした前衛咒式士としての肉体でなかったら、十分に死ねた傷である。
 思わず咳き込みそうになるが、それをすると折れた肋骨が致命的な部位に突き刺さるかもしれない。

26病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:49:49 ID:vP/xCASw
「……ギギ、ナ?」
 必死に耐えていると、横から彼の名を呼ぶ声がした。
 金髪の少女。彼がとある恩人から保護を頼まれ、そして先ほど間一髪のところでどうにかその約束を果たせた人物である。
 気道を遡る空気の塊を何とか鎮圧し、その名を呟いた。
「クリーオウ、か」
「ギギナっ!」
 突如、地べたに座り込んでいた彼女が弾かれたように立ち上がり、横たわる彼に駆け寄ってきた。
 彼に、触れようと。
 瞬時に湧き上がる嫌悪感。ギギナは女性から触れてくることを決して許さない。
「触れるな!」
「……!」
 剣幕に驚いたのか、クリーオウはギギナに触れる寸前、その手を押しとどめていた。
「あ……ごめん、怪我、してたよね」
 謝罪。だがその表情には拒絶されたことに対してか、それとも単純に怒鳴られたからか、
なんにせよ深く傷ついたことがありありと見受けられる。
 面倒だ。ギギナはそう断じると、ゆっくりと体を起こした。
 恩人から頼まれたのはこの小娘の保護と移送。精神面のフォローまでは含まれていない。するつもりもない。
「今は、何時だ?」
「あ、う、うん。えっと、十時半くらいだけど」
 時計を見ながら、クリーオウ。それを聞き、舌打ちをひとつしてギギナは立ち上がった。
 思ったより時間をとられた。この負傷では約束の時間までに目的地にまで辿り着くのは難しいかもしれない。
 弾き飛ばされた屠竜刀を拾い上げ、それを杖代わりにする。
「行くぞ。時間があまりない」

27病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:50:35 ID:vP/xCASw
「……待って、ギギナ。私、まだ言ってないことがある」
 入り口に足を向けた矢先だった。
 溜息を吐きながら――その労力さえ今の体では惜しかったが――振り返る。
「――クエロの埋葬ならば、手伝えん。その時間も、義理も私にはない」
「違うの。ううん、クエロの埋葬もしてあげたいけど、私が言いたいのは――」
 そこでようやく、ギギナは気づいた。
 目の前で何やら俯いているこの小娘は、先ほどから何かに脅えているような顔をしている。
 最初は自分の態度に対してのものかと思っていたが、それにしては少しばかりこれは重症だった。
 そして、少女が口を開く。
「さっき私たちを襲ってきた子が、まだ生きてるの……!」
「な――にを?」
 咄嗟には理解できない。あれは確かに禁止エリアに投げ込んだ。ならば生きている筈などない。
 いや、そもそもあれがまだ生きているならば、自分がこうして目を覚ましていること自体がありえない。
 敵の存在を探ろうとしたギギナの目の動きをクリーオウは悟ったのだろう。
「ううん、もう居ないよ。何でか分からないけど、あっちの――」
 と、B−3へ続く通路を指差し
「――あっちの通路から、行っちゃったから」
「我々には目もくれず、か? 何故だ?」
「……分からない、けど」
 それでも、あの表情には見覚えがある。
 二度目の襲撃の時、どこかふざけているような雰囲気など微塵も感じられなかったあの時の表情。あれは、
(ライアンの、表情――)
 何かに絶望していた表情だったように、彼女には思えたのだ。

28病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:51:25 ID:vP/xCASw
「ならば、なおさらゆっくりとはしていられんな。
 禁止エリアから抜け出てきたというのは気になるが――さっさといくぞ、娘。荷物を持て」
 まるで逃げるような体裁なのはギギナにしてみれば憤懣やるかたないが、だからといってドラッケンは無駄死も奨励していない。
 さっさと歩き出そうとするギギナを、慌ててクリーオウは再度呼び止めた。
「あの、待ち合わせしている仲間が居るんだけど……」
「時間がない、と言ったはずだが?」
「でも……」
 再び俯いてしまう、クリーオウ。
 ギギナは何度目かになる深い溜息をついた。
「……場所はどこだ?」
「行ってくれるの!?」
「常ならば貴様を担いででも連れて行っているところだ。
 だが、この怪我では貴様が本気で逃げようとすれば捕まえるのは骨が折れる。
 ならば仕方があるまい」
 堂々と犯罪チックなことをのたまうこの男に、クリーオウは思わず呟かずにはいられなかった。
「人攫い……」
「何か言ったか?」
「別に……あ、ほらあっちの道だよ?」
 そういって先導して歩こうとするクリーオウに、だが今度はギギナが静止の声をかけた。
「――娘、止まれ。貴様、先ほどあの襲撃者は逆の通路から出ていったといったな?」
「う、うん。そうだけど」
 急に剣呑な空気をまとったギギナに、クリーオウは動揺しながらも答える。
「ならば、何故あの剣が――」
「剣? 剣なんてどこにもないけど……」
「無いからおかしいのだ。私はあの通路の入り口辺りに、もう一本の剣を置いていた」
 魂砕き。
 魔神王を打ち破らんがために誕生した漆黒の魔剣が、あるべき筈の場所にない。

29病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:52:19 ID:vP/xCASw
 だが近づいてみると、代わりに別のものが存在していることが知れた。
 ご丁寧に剣を刺してできた穴の真上に、それは置かれていた。
 紙切れと、そして先ほど地下通路でクリーオウが落とした懐中電灯である。
 正確にはドクロちゃんが拾い上げて、そのあとギギナとの戦闘で取り落としたのだが、幸い故障はしていないようだった。
 だが、ここにひとつ問題が発生する。
「これ、ギギナが拾ってきてくれたの?」
「いや? 私ではない」
 ならば、それは、
「十中八九、剣を盗んだ下手人だろうな。貴様はずっと起きていたのだろう? 犯人の姿を見なかったのか?」
「私、怖くてずっと逆の通路を見てたから……それに」
「それに?」
 剣を取られたことに静かに怒っているらしいギギナに話すのは少々躊躇われたが。
 確証というほどの確証は無い。だが犯人は通路の懐中電灯を拾い、ここまでやってきた。
 それはつまり、通路の向こう側からやってきたということに他ならず、
 そして、待ち合わせ場所だった通路の先に居る筈だったのは――
「多分、これを置いていったのは私の仲間だと思う」
 置いてあった、紙切れ――手紙を広げながら、クリーオウはそう呟いた。

30病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:53:15 ID:vP/xCASw


 一方――
 ライアン・スプーン・キルマークドと同じだの絶望していただのと一見シリアスに語られそうだった三塚井ドクロは、
 現在シリアスとかハードボイルドとかとは無縁の状況だったりする。
 いや、本人から見てすれば大真面目だ。この苦悩だけで大長編が執筆できそうな、そんな凄みを彼女は纏っていた。
 だがそんなことに時間を費やしている時間は彼女には無い。彼女にはやるべきことがあるのだ。
 誰もが一度は味わったことがあるであろうあの激痛、まさしく神の試練と彼女は戦っているのである。
「僕のわっか、どこ……!?」
 天使はそのシンボルである輪っかを頭上に戴いていなければ、恐ろしい腹痛に見舞われる。
 何故彼女たち天使を創造した神はこのような弱点を設計したのだろうか。
 ミロのヴィーナスのように、欠けている美しさを演出しようとしたのだろうか?
 なんて素晴らしいんだろう。死んじゃえ。
 ――などと思考する時間も、彼女には無い。
 彼女が超絶激・真・裏闇変態覇王(憎しみによってパワーアップした)に輪を飛ばされてから、すでに一時間半ほどが経過していた。
 一時間半、である。お分かりいただけるであろうか。一時間半、彼女はあの苦痛にさいなまれ続けているのである。
 その理由はわっかが突き刺さった場所にあった。彼女の身長を超える位置にある木の幹。
 一般的に、腹痛時に視線は下がるものである。
 机の上や電車の床を一心不乱に眺め続け、この苦痛からの開放を苦行者たちは待ち望む。
 そして通勤や授業から開放された彼らは聖地へと駆け込み、そして事を済ませトイレの天井や空の青さに涙するのである。
 だが彼女を拘束しているのは時間的経過で何とかなるものではない。
 故に、もはや限界など当に突破している彼女には、わっかを見つけられない。
 ついでに言うと、彼女の消失までのタイムリミットも大幅に縮まっていたりする。割と洒落にならない展開である。
 ――故に、頃合だった。
「――探し物は、これか?」
「……! それ、返して!」
 ドクロちゃんが振り返った視線の延長上、隠れ身を解き、金色の輪と魂砕きを手にしたピロテースがそこにいた。

31病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:54:18 ID:vP/xCASw

 
 もはや説明するまでもなく、魂砕きを盗んだのはピロテースであることは明白である。
 だが、いかにして彼女がそれを手にいれる経緯となったのか?
 時間はクリーオウとギギナが出会ったときまで遡る。
 その時、とりあえず八時まで待ってみようと城の地下で待機していた彼女は突如鳴り響いた轟音を耳にした。
 音のした方へ行ってみれば、そこにはクリーオウと銀髪の男、そして凶器を構えた少女の姿。
 無論、すぐに声をかけようとしたがクリーオウはすぐにもと来た道を戻っていってしまう。
 ここでクリーオウの仲間だと言って出て行っても、自分も事態を把握できていないし、混乱を招くだろうと判断。
 銀髪の男はどうやらクリーオウの味方であるらしかったので、いざとなれば助太刀をする心算だった。
 だがそれをするまでもなく、銀髪の男が勝利する。
 そこで出て行っても良かったのだが――その頃までには、ピロテースは銀髪の男の特徴が、
 クエロの言っていた戦闘狂の特徴と一致することに気づいていた。
 無論、ピロテースはクエロのことを手放しに信頼している訳ではない。
 だが、彼女が吐いた情報を全て嘘だと断じることも出来ない。
 良い策謀家とは、ばれないような嘘を考える者ではなく、嘘と真実をごちゃ混ぜにしてかく乱する者のことだ。
 故に、僅かに行動が遅れ――結果的に、それが彼女の命を救った。
 奇妙な呪文を合図に、目の前の少女の傷が修復されはじめたのだ。
 撒き散らされた血液はそれ自体が生物であるかのようにおぞましく蠢き、主の体内に潜り込んでいった。
 傷口はおろか、衣服、両断された凶器の類まで修復され、ゆらりと幽鬼の如く立ち上がる……

32病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:55:06 ID:vP/xCASw
 明らかな致命傷。それをこうも容易く癒せる人物というのは、とてつもない脅威だ。
 故に彼女は慎重に後をつけていった。クリーオウがいるということは、この奥にはせつら達もいるということだ。
 それに、再びあの少女が襲い掛かってもまたあの男が撃退するだろう――そんな楽観も、無かったといえば嘘になる。
 だが、現実はそう上手くはいかない。
 せつらの姿は見えず、クエロは死体となっていた。
 せつらがクエロとクリーオウを二人きりにするとは思えない――ならば死んでしまったのか、
 少なくとも最早この集団には属していまいと彼女は判断した。
 そして少女と銀髪の男の勝負も、彼女の予想とはまるで違う展開になっていた。
 再戦までの間隔は僅か数分にすぎない。それなのに、先ほどは容易く斬殺された少女が今度は優勢さを見せている。
 空間ごと対象を粉砕するような殴打の応酬は、結果として剣舞士に重傷を与えた。
 だが、辛くも勝利を掴んだのは再び狂戦士。少女の首筋を深く切り裂き、さらに禁止エリアとなっている湖に投げ込む。
 ――これだけだったのなら、彼女はそれを選ばなかったのかもしれない。 
 怪我人を背負い込んで足が遅くなるのは勘弁だったが、それでもあの男はアシュラムの情報を持っているかもしれない。
 同盟破棄は、その上でクリーオウにきちんと告げればいい。
 彼女は様子を窺うために潜んでいた通路から身を乗り出し、自分の存在を知らせるため声を上げようとしていた。
 だが、その声は永遠に上がることはなかった。
 彼女は気づいてしまった。通路のすぐ傍にに突き刺さっていた魔剣と、天使の少女が禁止エリアから再び這い出てきたという異常に。
 魂砕きはあの銀髪のものか、それともクリーオウたちが新たに入手したのか――
 いずれにしても、それを貰ってすぐ同盟破棄など受け入れられるはずも無い。
 そして何より、禁止エリアから出てきたあの少女。
(刻印が、解除されている?)
 ならばあの超再生能力も、人外の腕力も納得できる。
 数刻前に出会った、ロードスに縁のある者と名乗った少女との遣り取りで、彼女はアシュラムと再会した後の事も考え始めていた。
 この島で勝ち残るにしても、脱出を目指すにしても、最大のネックになるのははこの刻印。
 ――ならば。
 彼女は決断した。
 突き刺さっていた魂砕きを引き抜き、残り僅かな精神力で隠れ身を張って、天使の追跡を開始したのだ。

33病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:56:25 ID:vP/xCASw


 そして、現在の構図が出来上がる。
 ピロテースにとってこの天使の少女の予想外の弱体化は、降ってわいた幸運だった。
「ねえ、それ、返してぇ……!」 
「これ、か?」
 金色の輪をちらつかせる。どうやらこれがないと目の前の少女は不調をきたすらしい。
 だから、こうなるまで放っておいた。
 だから――
「返すわけなど、ないだろう」
 ――全力で、その天使の輪を明後日の方向に投擲した。
 少女が悲鳴を上げる。だがそれでどうにかなるわけでもなく、わっかは一瞬で暗い闇の中に消えた。
 もう、まともな手段では見つかるまい。
 彼女が如何な手段で刻印を解除したのかは知らないが、笑いながら何の力も無い少女を殺そうとするような異常者である。
 どうせ外道の手管であろうし、容赦する気は毛頭ない。
「――なんてことする、のぉ……!? まさかっ、お姉さんも、あの変態の仲間……!」
「さて、な。だが、質問に答えれば見つけてやらんことも無い」
 森はピロテースのフィールドである。まともでない手段など自分はいくらでも持っている。
 ドクロちゃんは割りと必死だった。
 たとえ目の前の女性があの変態王の仲間だとしても、今の彼女は悪魔にさえ魂を売り渡す所存である。
「答える! 答えるから、早くぅ……!」
「ならば、質問はひとつだけだ――貴様は、いったいどのような技術に精通している?」
 問うのと同時に、ピロテースはメモをドクロちゃんに突きつけた。
 すでに用意してあった、筆談用の紙である。内容はこうだった。
『貴様は、どのようにして刻印を解除した?』
 刻印には盗聴機能がある故、多少なりとも刻印の事情に通じた者ならこうして筆談を使う。
 ――だがこの天使は、そんなことなど知らない。
「刻印なんて知らないよぅ! 解除ってなに!? どうすればわっかを返してくれるの!?」
「ばっ――」
 絶句。思わず罵倒しようとして――だがそれも叶わないだろうという諦観が押し寄せてくる。
 しかし刻印による制裁は、いつまで経っても訪れない。
「……?」
「ねえ、わっか、取ってきてよう!」
 まさか管理者が今のを聞き逃していたという訳でもあるまい。
(刻印解除に関する話でも、取るに足らないということか?)
 くっ、と笑う。ならば今まで必死にこそこそと筆談をしていた自分達は道化以外の何者でもない。
 いいだろう。その慢心に付け込ませてもらう。
 ピロテースは、ドクロちゃんの腹にそっと足を乗せた。

34病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:57:21 ID:vP/xCASw
「な、なに……!? 何する気!?」
 慌てるドクロちゃん。彼女の腹部はアルマゲドン状態である。いつ爆発してもおかしくない。
 だが、ピロテースはそんな彼女の腸内事情を知らない。
 ピロテースが把握しているのは、あくまでドクロちゃんの体調が悪化しているということだけである。
 具体的な症状など知らず、足を腹部に乗せたのは、ただ効果的に痛みを与えられて、
 その上で会話に支障をきたさない部位だったからという理由に過ぎない。
「話さないのならば、相応の痛みは覚悟してもらう」
「だ、だって、僕、そんなの知らない――」
 ピロテースは容赦なく足に力を込めた。
 もとより、彼女は拷問のつもりである。加減はしてあったが、その加減も死なない程度に、というレベルのものに過ぎない。
 ――故に、ヒロインにあるまじき惨劇が巻き起こった。
 空気が抜けるような音と水っぽい音が同時に響き渡り、そして立ち込める臭気。
 描写に耐えない、阿鼻叫喚の地獄絵図がそこにあった。
 ところで、慢性的な腹痛でも、いったん出してしまえばその瞬間は楽になるものである。
 三塚井ドクロも、それは同じだった。
 ――まあ楽になったから反撃した、というよりは、
 単にこの恥辱の場面を見た者を抹殺しなければという危機感が先に立っていたのだが。
「い……いやあああああああああああああああああああああ!」
 振るわれる愚神礼賛。
 それは奇しくも、先の風の騎士の最期に酷似した状況だった。
 予想外の惨状に気を取られたダークエルフの腹部を、愚神礼賛が殴打する。
 そう、それはとてもとてもよく似た状況で――
「ぐっ……!」
 だけど似ているだけで、違う結果がそこにはあった。
 吹き飛び、地面に転がるピロテース。だが彼女の腹部はまだ存在していた。何故か?
 単純に、ドクロちゃんの力が低下していたというのがひとつ。
 すでに彼女は、一般人と同程度の腕力しか行使し得ない。
 そしてもうひとつの理由は――

35病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 20:58:16 ID:vP/xCASw
「……がはっ、ごほっごほっ」
 ごぷりと、口から血色の泡を吹き出す天使の少女。
 もうひとつの理由は、ピロテースが咄嗟に手にしていた魂砕きをドクロちゃんに突き刺していたからに他ならない。
 腹部を貫通し、背中にまで達したその傷は致命傷だ。
 ――だが、この天使は致命傷では死に切れない。
「ぴぴる、ぴるぴる……」
 詠唱される、呪文。死すら癒す魔法の言葉。
 しかし、ピロテースはそれをすでに二度、見ている。
 故に、対策も立てていた。
「ぴぴるっ!?」
 詠唱が中断する。
 それはそうだろう。圧し掛かられ、喉を絞められていれば、声は出せない。
 彼女の魔法が如何なるプロセスを経て使われているのかは知らないが、少なくともあの謎の呪文は必須だったようである。
 もっとも、もし不必要だった場合、ピロテースはそのまま絞め落とすつもりだったが。
「……死にたくなければ、話せ。そうすれば癒させる」
 手を僅かに緩め、ピロテース。
 だが、ドクロちゃんは話さない。否、話せない。当然だった。刻印の情報は彼女の既知の外だ。
 このままでは、遠からず失血死する。
 どうやら、完全に話す気は無いらしい。あるいは、話せないような理由でもあるのか。
 内心で舌打ちをしながら、体の上からどき、魂砕きを傷口から引き抜こうとしたその瞬間――
「――あら、じゃあその続きは私が引き継ぐわね」
「……なっ!?」
 振り向いたときにはすでに遅く。
 放たれた<火球>の呪文が、彼女に直撃していた。

36病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:00:43 ID:vP/xCASw


「ぐっ……貴様、は」
「そんなに睨まないで、といっても無駄でしょうけどね」
 肩をすくめながら悪びれもせずにいるのは、数刻前に出会った貫頭衣の少女――カーラである。
 ピロテースは致命傷を負い、地面に倒れ付しながらも、自身に不意打ちをしてきたその魔女を睨みつけている。
「なぜ、ここに」
「そう不思議がることではないでしょう?
 でもいうならば、そうね、貴女との取引を重視した結果、かしら?」
「――は、」
 馬鹿なことを、とでも言いたかったのだろうが、彼女はすでにそんな言葉さえ紡げない。
 当然だ。火球は胸部に直撃していた。肺機能も横隔膜も、すでに満足には動いていない。
 それとは対照的に、カーラは言葉を紡ぐのをやめなかった。
「別に嘘ではないわ。貴女との約束の時間が迫っていたから、私は城の付近にいた。
 さっきの戦闘に遭遇して、あとは貴女の隠れ身を解くタイミングが私より早かったというだけよ。
 まあ貴女の望んでいた情報は手に入らなかったのだけど……これはしょうがないわよね?」
「……」
 ピロテースは、喋らない。
 ただ、怨敵を睨み殺さんばかりの視線が生存を主張している。
「その点、貴女は優秀ね。私の欲しかったものを二つも手に入れているんだもの」
 そう言って、カーラはとピロテースが落としていたメモを拾い上げる。
 その内容に目を通し、この娘がね、といまだ突き刺さったままの魂砕きを眺めながら呟いた。
「貴女は、魂砕きを誰にも渡さないつもりだったみたいだし……この状況だったら、こうなるのはしょうがないでしょう?」
 ねえ? と、同意を求めるかのように、カーラは再び地に臥すダークエルフへ視線を戻す。
 だが、唯一生存を証明していたその両目からも、光が完全に消えていた。
「……」
 念のために脈を取り、完全に死んでいることを確認してから、やれやれ、と溜息を吐く。
 制限下における長時間の隠れ身で、さしものカーラといえどその精神力は疲弊していた。
 もっとも、疲弊の度合いで言えばこのダークエルフの方が重度だったのだろうが。奇襲がいとも簡単に成功したのだし。
「さて、と」
 さらに視線を移し、刻印を解除したという少女の方を見やる。
 血はほとんど流し尽くし、もはやその顔色は蒼白だ。
 だが、カーラは別に治療を施そうとも思わなかった。
 それよりも、すべきことがある。
 流れている血が少ないのは好都合だった。
 魂砕きを引き抜き、そして、躊躇うことも無く少女の刻印の付いている方の腕を切り落とす。
 こちらの少女も、もはや悲鳴を上げない。
 ――死体は、悲鳴など上げない。
 死とは、停止だ。停まった彼女は、これ以上個性を損なわれることは無い。
 デイパックに、少女の手首を放り込む。ついでに、ダークエルフの死体にも同様の処置をした。
 これでデイパックの中には腕が五本。
「ぞっとしないわね――」
 そんな戯言を紡ぎながら、灰色の魔女は楽しそうに笑う。
 ――思わぬ収穫だった。まさかすでに刻印を解除している人物がおり、あまつさえ目の前で死に掛けているなど。
「運が向いてきたかしら?」
 思ってもいないこと呟き、笑いながら彼女は歩き出した。

37病する天使は苦しくて○君の事を思うとつい撲殺しちゃうの ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:01:43 ID:vP/xCASw


 手紙を読み終わったクリーオウは、ゆっくりと立ち上がった。
 その様子はどこか泣いているようにも見える。
「……行こうか、ギギナ」
「仲間は良いのか?」
「うん……ごめんね、剣」
「……本来なら追いかけて三度は切り殺している所だが、構わん。
 もとより私の誇りを乗せ、矜持を守る剣はこれだけだ」
 ネレトーを指し示し、ギギナが背を向ける。
 ――それが無骨な心遣いのように思えて、クリーオウには嬉しかった。
 
 その手紙は短いものだった。
 時間が無かったのだろう。ほとんど殴り書きに近い。
 
『クリーオウ・エバーラスティンへ。
 まずは自分の不義理を許して欲しい。だが、私は私の忠に従う。
 私に出来ることは何も無い。私のことを千の言葉で罵り、万の言葉で呪ってくれても構わない。
 だが、もしも願えるのなら。
 できれば次に出会ったときに、お互いに殺しあわない関係であればと、切に願う。
                                        ピロテース』


【069 ピロテース 死亡】
【106 三塚井ドクロ 死亡】
【残り 35名】

【G-6/森の中/1日目・23:15頃】
【福沢祐巳(カーラ)】
[状態]:食鬼人化
[装備]:サークレット、貫頭衣姿、魔法のワンド 魂砕き
[道具]:ロザリオ、デイパック(支給品入り/食料減)
    腕付の刻印×4(ウェーバー、鳳月、緑麗、ピロテース)
    解除済み腕付の刻印×1(三塚井ドクロ)
[思考]:1.フォーセリアに影響を及ぼしそうな者を一人残らず潰す計画を立て、
    (現在の目標:火乃香、黒幕『神野陰之』)
    そのために必要な人員(十叶詠子 他)、物品を捜索・確保する。
    2.解除済みの刻印を解析する。
[備考]:黒幕の存在を知る。刻印に盗聴機能があるらしいことは知っているが特に調べてはいない。刻印の形状を調べました。

 【D-4/地下/1日目・22:30】
【ギギナ】
[状態]:肋骨全骨折。打撲。疲労。
[装備]:屠竜刀ネレトー。贖罪者マグナス。
[道具]:デイパック(ヒルルカ、咒弾(生体強化系2発分、生体変化系4発分))
[思考]:クリーオウをオーフェンのもとまで保護。
    ガユスの情報収集(無造作に)。ガユスを弔って仇を討つ?
    0時にE-5小屋に移動する。強き者と戦うのを少し控える(望まれればする)。

【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。疲労。精神的ダメージ。
[装備]:強臓式拳銃 “魔弾の射手” (フライシュッツェ)
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
    デイパック2(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
    缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録。ピロテースからの手紙
[思考]:1.E-5に移動。オーフェンに会う。
    2.ピロテースを……?
[備考]:アマワと神野の存在を知る。オーフェンとの合流場所を知りました。

※地下に居た為、ギギナとクリーオウはダナティアの放送を聞いていません。

38 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:07:36 ID:vP/xCASw
投下終了。しくじった。犬と二輪の方が時系列的にあとだこれ。
一端小休止。

39 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:33:05 ID:vP/xCASw
投下再開。

40彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:40:35 ID:vP/xCASw
「本当に行かないのか?」
 隻腕の少年が、もう一度同じ問いを口にする。
 さきほどから状況は何も変わっていない。誰とも遭遇せず、何か異変を見つけたわけでもない。
 城でいったん休息をとり、そして再び同じ面子で島を歩き回っている。
 変わったものといえば時計の針の位置だけだった。短い方が十一、長い方が八を指している。
 だがその程度の時間は、悠久を生きる『彼女』にとっては瞬きをしている内に過ぎ去ってしまうような時間だ。
 返答は、変わらない。
「行かぬよ。それと、しつこい男は嫌われるぞ。のう、かなめや?」
「……なんであたしに振るんですか?」
「懇切丁寧に説明しても良いが?」
「――いいえ、遠慮しておきますっ……!」
 状況は、変わらない。
 相良宗介の左腕は相変わらず失われたままで、彼は少女を守るために強者の後を追う。
 千鳥かなめは、ただ宗介についていく。
 アシュラムは一言も発さぬまま、美姫の後を追っている。
 そして美姫は、ただふらふらと気の向くままに歩き回っている。
(――いや、一応の目的はあるのか)
 アシュラムは気づいていた。ただひとり会話に参加せずにいたため、思考に割く時間にはことかかない。
 数時間前に放送があった。ただし死者をつたえる陰鬱な放送ではなく、希望をもたらそうとする宣告が。
 内容を簡潔にまとめると、このゲームに対する宣戦布告。それとともに脱出のための仲間を集める呼びかけ。
 罠かどうかはわからない。考察はいくらでもできる。実際に行ってみなければ、真実はわからない。
 その放送を聞いて、城から出発した後、最初に美姫へ意見したのは隻腕の少年――相良宗介だった。
 先ほどから繰り返しているように、とりあえず接触してみようという提案。
 少年はあの集団にいい感情を抱いていない。それは先刻の相対からアシュラムも察していた。
 だが、彼は同行者である少女を守ろうとしている。おそらく、そこからきた安全策なのだろう。
 あの放送によって、他の参加者の多くはあの集団を目指すはず。同盟目的にしても、殲滅目的にしても。
 そして敵対する者を打ち倒し、庇護を求めるものを取り込み、そうしてあの集団が大きいものになったとしたら、この吸血鬼は目の敵にされる可能性が高い。
 アシュラムは別段、自分以外の美姫の同行者である二人に対して特別な感情を抱いてはいない。
 それでもその意見に反対するとこはなかったし、あの吸血鬼ならば首を突っ込むだろうと思っていた。
 だが予想に反して、美姫は首を振った。縦ではなく、横に。
 そして、それからは放送があった地点――C-6の周囲をゆっくりとしたペースで歩くに留まっていた。
 おそらく、少年を焦らして楽しんでいるのだろう。その証拠に、少年はどこか落ち着かない風で意見を繰り返している。
(だが――奇妙だ)
 焦らして楽しんでいる。それはそうだろう。美姫が優先するのは己の娯楽であり、それ以外の何者でもない。
 だが、ならば放送をした集団に接触する方を選ぶのではないだろうか。
 あれほど大々的な宣言をした集団だ。これから何か大きな動きがあるであろうことは容易に予想できる。
 この吸血鬼風に言えばそちらの方が面白いだろう。
 確証はない。もしかしたら集団に接触しようとした他者を掻き乱すつもりなのかもしれないし、それこそただの気まぐれなのかもしれない。
 それでもやはりただ延々と歩き続ける美姫を、アシュラムはらしくないと感じていた。
(……まあ、いい)
 それまでの思考を切り捨て、アシュラムは胸中さえも沈黙させる。
 状況は変わらない。ならば、自分はただ自分の意志に従って美姫のあとを追うだけだ。

41彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:41:49 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 状況は変わらない。状況を変えたくない。
 美姫は歩いていた。ただ、歩いていた。
 外面にこそ出さなかったが、その心中は穏やかとは言いがたい。
 相良宗介や千鳥かなめで遊ぶことで誤魔化しているが、その焦燥にも似た感情は募るばかりだった。
(まったく、らしくない)
 自分でも、そう思う。
 彼女は生まれてこの方、したいようにしてきた。
 欲しいものがあるのならば手に入れた。気に入らないものがあったのなら壊した。そうして生きてきた。
 ただ――数少ないが、それができなかったこともあった。
 彼女のものにならず、あまつさえ歯向かい、そして彼女を退けた存在。
 それが、この島にある。
 単身で自分に刃向かった男だ。おそらくこのゲームにも乗ってはいまい。
 ならば、おそらく例の放送を行った集団に属しているだろう。あるいは、加わろうとするだろう。
 仮に罠だとしても、あの男を打ち破ることのできる存在などありはしない。
 さて、そして――自分はどうしたいのだろうか?
 あの男はすぐ手の届く場所にいるともいえるし、永遠に手の届かないところにあるともいえる。
(会わせる顔は、文字通りない……か)
 醜くただれた半顔を撫でながら、胸中で呟く。
 この無粋な刻印によってもたらされる渇きは、おそらくアレと会ってしまえばどこまでも自分を衝き動かすだろう。
 牙をあの美麗な首筋に打ち込むことを、いまの自分は自制できるか?
 おそらく、無理だ。そしてそんな支配を自分は望んでいるわけではない。
 だから会えなかった。会えば、自分は矜持を喪失するだろうから。
 だが、ならば自分はなぜこんなところを何時間もうろうろと彷徨っている?
(――だとしたら本当にらしくないではないか、ええ?)
 自嘲しながら、それでも彷徨うことはやめられない。
 放送時間までは、待つ。そう決めていた。
 そこで明かされる死者数によっては、あの集団と接触する以外の選択肢はなくなってしまうかもしれない。
 自分はそれを忌避しているのか。あるいは、待ち望んでいるのか。
 彼女は飢えていた。
 『刻印』による制限は彼女の自制心を蝕んでいた。
 身と喉が無性に乾き、本来なら耐えられる筈の誘惑にその身を焦がしていたのだ。
 美姫は心のどこかで焦燥していた。お世辞にも精神状態はよくなかった。
 そんな最悪の状態で、彼女は彷徨っていた。

42彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:42:34 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 状況は変わらない。できれば変わって欲しいけど、この場でそんな奇跡は望めない。
 千鳥かなめは歩いていた。心配しながら歩いていた。
 彼女の心配事は、無論相良宗介のことだ。
 同じ世界から連れられてきた最後の知り合い――いや、彼女にとって彼はそれ以上の意味を持つ。
 だからこそかなめは宗介のことを心配したし、また心配することもできる。傭兵の胸中に、どんな感情が蟠っているのか見透かせる。
(ソースケの奴、無理しちゃって……)
 これまで戦争馬鹿だと罵ってきたが、それは撤回しよう。こいつはただの馬鹿だ。
 先ほどの放送は、テッサの死の原因となった人物の声だった。
 無論、かなめ自身もダナティアに対していい感情は抱いていない。
 だがそれ以上に、相良宗介はダナティアを嫌悪しているだろう。
 それでも宗介は行こうという。おそらくは、千鳥かなめを守るために。自分を押し殺してまで。
(ちゃんと嫌だっていったのに。ほんと馬鹿なんだから……)
 かなめはちらりと宗介の左腕に――左腕があったところに視線をやった。
 いまは、なにもない。処置は完璧にされているが、それでもなにもない。
 幸か不幸か、彼女はこの島に来る前からドンパチに巻き込まれることが多々あった。
 だから、わかる。兵士にとって、片腕を失うということがどれだけの喪失か、理解できる。
 ――いや、兵士にとって、というだけではない。体の一部を失うというのは、誰だってつらい事だ。
 だというのに、そんな状況の中でさえ宗介は自身を一番に考えていない。
 繰り返す。相良宗介はただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
 だから、自分がフォローしよう。かなめは胸中で繰り返す。
 こんな馬鹿に守られてばかりは癪ではないか。彼の左腕に自分はなろう。彼の足りない部分を補おう。
 彼女の姉御肌ぶりが発揮された、というわけではない。
 ――ただ、想い人をこれ以上ぼろぼろにはしたくなかったのだ。

43彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:43:17 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 状況が変化した。それも悪い方向に。
「――参ったな。まさか零崎君がやられるとは」
 何とはなしに夜空など仰ぎながら、佐山・御言が呟く。
 淑芳と零崎の戦いの様子は、ムキチを通して伝わっていた。
 伝わってくる状況や言葉の端々等からどうやら零崎が優勢で、しかも約束通り殺人を犯さないようにしていることは分かっていた。
 だから静観していたのだが――結果として零崎人識は敗北している。
「まあこんな不自然な環境なのだし、何が起こっても不思議は無いがね――死なずにいてくれたのは本当に幸いだった」
 ふぅ、と知らぬ内に肺腑を限界まで膨張させていた呼気を吐き出す。
 零崎が行動不能になった場合の取り決めをエルメスとしていたのは不幸中の幸いだろう。
 喋る二輪が草の獣を通して語った情報はふたつ。彼らの居場所と、そして相手の容姿。
 まず、零崎は何かで拘束されて井戸に放り込まれた。
(死体をわざわざ縛るようなことはしないだろう。ならば、おそらく零崎君は生きている。
 ……相手がネクロフィリアでもない限りは、だが)
 それでも生きている可能性は高いだろうし、どちらにしても確認はしなくてはならない。
 そしてエルメスと草の獣は遊園地らしき場所に置き去りにされている。地図上でいうならばF-1の辺りか。
 こちらは草の獣がいる限り場所を把握できるが、零崎の方はそうもいかない。
 まあ、井戸の中ならば殺人鬼に襲われる可能性も低いだろうが――
(しかし奇妙だ。零崎君の要求を断り、なおかつ彼に勝利した上で殺しはしない。
 ふむ。どうにも行動の原理が見えてこない)
 相手は簡単に殺せる筈の零崎を殺さなかった。つまり優勝目的ではない。
 ならば脱出目的か。だが仲間になる選択肢は放棄し、仮に単独での脱出が目的なら殺人は厭わないはず。
(あるいは狂人という線もあるな。冷静に見えたが――外面だけということか?)
 そして、またあるいは――
(私と同じ、か。彼女が"悪役"に徹しているならば、何とかして上手くやりたいところだが)
 悪役をこなすにしても、彼女のやり方では遠からずその身を滅ぼすだろう。
 現に今回だって、零崎人識が佐山と約束を結んでいなければ彼女は死んでいた。
 ――なんにせよ、零崎君とは早めに合流しなくてはな。
 とりあえずの方針を定め、佐山は倉庫の外壁に立てかけておいたG-Sp2を手にした。
 そのまま藤花に呼びかけるでもなく、ドン、とドアに背を預け、
「さて、交渉を始めようか――まずはそちらの名前をお聞かせ願いたい」
 現れた四人の来訪者たちを迎えた。

44彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:44:29 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「不躾な輩じゃな。名を尋ねるのならば、まずはそちらから名乗るべきではないか?」
「これは失礼した。ただこういう使い古されたやりとりも時にはしてみたかったものでね。
 では改めて、私の名は佐山・御言。このゲームを忌み、終わらせようとする者だ」
 月光の下、佐山と美姫は対峙していた。
 アシュラムは美姫の斜め後ろ――二人の間に飛び込める位置で青龍偃月刀を構えている。
 宗介と千鳥はさらにその後方。宗介が千鳥を庇い、アシュラムの背に隠れるようにして状況の推移を見守っていた。
 今のところ、名乗りあった二人の態度に剣呑なものは見えない。
 だが美姫の後ろに控える三人は、この吸血鬼の気まぐれさを知っていた。
 瞬きを一回する間に目の前の佐山と名乗った優男の首が飛ぶかもしれない。
 そんな警戒を他所に、美姫は恭しく頭を下げる佐山を値踏みするように眺めていた。
「礼儀は、それなりにわきまえておるようじゃの」
「無論だ。礼儀正しさは私の存在証明だよ。『礼儀正しい、故にそれは紳士佐山である』
 ……む、即興のせいかあまり語呂はよくないね」
「どうやら見込み違いじゃったようじゃ」
 呆れたように、美姫。
 そして――ふと思いついたかのように、ぽつりと尋ねた。
「おまえ、もしや親類に宮野というものがおらんか?」
「ん? 何かね、そんなに私に似ている者がいたのかね?
 私ほどの紳士振りを発揮できる者など存在し得ないとは思うが、まあ世界は広いしね。
 ああ、ちなみに私の親戚に宮野は居ないが、その方も参加者の――」
 問いかける途中で、思い出す。
 宮野。それは確か、教会の吸血鬼と、その騎士によって殺された――
「そうじゃ。会ってすぐに殺したが、な」
 そしてその記憶を、目の前の怪物の言葉が裏付けた。
 佐山が知っている中でも最悪の部類に属する殺人者。それが、目の前に居る。
「その表情からして、もう私のことは知っているようじゃな?」
「さほど詳しい訳ではないよ。貴女の名前は知らないことだしね。そちらはアシュラム氏でいいのかな?
 後ろの二人は――どういった経緯でそこに居るのかは分からないが、相良宗介君と千鳥かなめ君かね?」
 それでもあくまで平静を装って、佐山は吸血鬼の背後に佇んでいる者達に問いかけた。
 騎士と少年少女は黙って小さく頷く――いや、アシュラムだけは小さく顎を動かした後、暫くぶりに口を開いた。
「……お前は、ミヤノの知り合いか」
「間接的ではあるが。彼と一時期行動を共にしていた者達に会ったし、その内の一人は我々と行動を共にしているよ」
 その内の一人、というのは支給品扱いの兵長の事であったが、説明するとややこしくなりそうなので省く事にした。
 幸い、アシュラムはそれを追求することはなかった。ただ、懺悔する様に頭を垂れる。
「ならば謝罪したい。ミヤノを実際に手に掛けたのはこの俺だ」
 紡がれる贖いの言葉。佐山は片眉を跳ね上げてほう、と洩らした。

45彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:45:30 ID:vP/xCASw
「貴方が彼を殺害した時の様子は聞き及んでいる。改心した、と受け取っていいのだろうか?」
「命を奪っておいて、都合が良すぎるとは理解している。だが――」
 それで十分だというように手でそれ以上の言葉を制し、佐山が頷く。
「殊勝な心がけは評価しよう。だが貴方が謝罪するべきは私ではない。
 言葉は取っておきたまえ。望むのなら、その言葉を使う場は私が設けよう」
「……感謝する」
 言いたい事はそれだけだったのだろう。伏し目がちのまま、再びアシュラムは沈黙した。
「さてお待たせしたね、女史。良ければ貴女のお名前と、貴女自身が抱いている宮野氏の死についての考えをお聞かせ願えるかな?」
「私を待たせておいて、挙句さらに質問か。ま、構わぬが。
 私を呼ぶのならば、唯、姫とでも呼ぶがよかろう。我が名にさほど意味はない。それと、奴の死についてだったか」
 それこそ、その吸血鬼は今日の献立を決める程度の気軽さで、
「まあ、余興程度にはなった。その程度の感慨しか持ってはおらん。
 ああ、ちなみにアシュラムが手を下したのは事実だが、その時は私が術を掛けて従わせていた。
 故に、謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが」
「……なるほど」
 聞き及んでいた通りの人物だ、と胸中で言葉を継ぎ足す。
 確かに危険人物だった。この島で出会った人物の中でもっとも注意を払うべき存在だ。
 事態を好きなように混乱させ、そしてその混沌の中を直進できる強さと自信を持っている。
(自らを姫と呼称するような痛い性格でもあるようだしね)
 先のアシュラムを庇う様な発言も、まさかそれが本心ではあるまい。
 全ての元凶であることを認めた上で、『それがどうした?』と言っているのだ。
 あるいは、零崎の時よりも彼女の説得は難しい――だが不可能ではないだろう。
 自分は佐山・御言なのだから。
「単刀直入に言おう。その考えを悉く改める気はないだろうか?」
「ほう? これは大きく出たものよな」
 どこか愉快そうに、美姫が呟く。
 玩具を見つけた幼児のような笑みを浮かべながら。
「では聞くが、私がそれをせねばならぬ理由は?」
「究極的にいってしまえば、私がそうして欲しいからだね」
 堂々と、佐山はそんな事を言ってのけた。

46彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:46:43 ID:vP/xCASw
 交渉とは要求と要求の擦り合わせだ。つまりお互いが納得できる妥協点を探しあう事である。
 我が方の理由は正当である、という主張は負い目を覚えるような相手ならば有効だが、目の前の美女はその類ではないだろう。
 この吸血鬼はどこまでも奔放。世界にも派閥にも縛られていない。ならば理由付けなど不要だ。
「即答か」
「ああ即答だ。私は私の目的を果たすために交渉し進撃する。
 先ほども述べたが私の目的はこの無意味な殺戮を強要する舞台を打ち壊す事だ。
 美姫女史としても、こんな馬鹿げた行いに無理やり付き合わされるのは好ましくないのでは?」
「無論、あのような輩の言いなりになる私ではない」
 首肯する美姫。だが、すぐに冷たい視線を佐山に送った。
「だがそれに関しては貴様も同じ事。貴様の目的に私が付き合う道理はどこにあるのかえ?
 自由に喰らい、自由に壊し、自由に救い、自由に愛す。それが私じゃ。
 私を曲げる理由は見当たらんな」
「少なくとも、我々はこの悪趣味な脚本に付き合う気がない、という一点で共通している」
 その視線を飄々と受け流しながら、佐山。
「ならば、その部分では協力し合えると思うのだが?」
「協力――協力と言ったか?」
 艶然とした笑みを浮かべながら、美姫が繰り返す。
 そして、ゆったりとした動作で右腕を前に突き出し、空を撫でる様に僅かに動かした。
 少なくとも、そうとしか見えなかった。
 だがそれだけにしては反応があまりにも激烈すぎた。
 まるで対戦車地雷でも炸裂したかのように一瞬で地面が破裂、轟音と共に土を巻き上げる。
 だがそれでいて土塊がぼとぼとと落ちてくるということはなかった。
 熱量でも発生したのか、あるいは砕いたのか。とにかく土は全て細かな砂へと変じ、宙に漂っている。
 それが同時に三箇所、佐山の立っている場所からほんの数十センチしか離れていない場所で起きた現象だった。

47彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:47:34 ID:vP/xCASw
「もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た」
 美姫は右腕を下ろしながら、あからさまに殺気を込めた言葉を突き立てる。
「実力の差は理解できたか? 惰弱な人間風情が、よりにもよって私と“協力”?
 何様のつもりか。私の足下に跪き、床に九度頭を擦り付けながら庇護を求めるのが筋であろうが。
 言葉を撤回せよ。さもなくば、この一帯ごと芥にしてくれようぞ」
 美姫の豹変に、宗介とかなめが息を呑む。
 この吸血鬼が本気で力を振るった所を、彼らは未だ見てはいない。
 理解していたつもりだったが、それでも現実に起きた事はあまりにも常識はずれ。
 この怪物は、あまりにも絶対的である――そう思わざるを得ないような光景だった。
 ――そんな中で、
「……砂を巻き上げるのなら、先に警告して欲しかったね」
 コホコホと咽ながら、佐山はパタパタと手を振って砂を散らす努力をしていた。
 緊張感など微塵も存在しない、かなり情けない姿だった。
 何とはなしに、かなめは半眼になりながら――愛用のハリセンが手元に無い事を悔やみつつ――呟いた。
「あのー、そのパタパタってあんまり効果ないと思いますけど……砂を撹拌してるだけだし」
「むう、一理ある。だがまあ、形式美という奴だよこれは。ところで君はマスクなど所持していないかね?」
「すいません、無いです」
「そうか……いやいや悔やむ事など無い。佐山・御言の役に立てぬからといってそう悲観的になるのはよくない事だよ。
 それに視覚を阻むことなく顔面に装着でき、尚且つ通気性が確保できるほど薄い布地の存在を君が忘れているだけという可能性もある」
「……重ねてすいませんが、何の事だか」
「ふむ、君はノーパン派かね?」
「千鳥、落ち着け。千鳥!」
 凶悪な釘バットをゆらり、と振り上げるかなめを必死に静止する宗介。
 そんな微笑ましい(と、佐山は断じた)光景を放置し、再び美姫に向き直る。
「武力を前提とした交渉は確かに有効だ。実際、女史の力には恐れ入った。
 だが私はそういった存在と交渉を重ねる身でね。一々こんなものに気圧されていたら勤まらない。
 それに、本人にやる気が無いと分かっていればそれは全くの無意味というものだよ」

48彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:49:08 ID:vP/xCASw
「――なるほど、の」
 美姫はあっさりと殺気を霧散させると、改めて値踏みするように目の前の男を見つめた。
「どうして私が本気ではないと?」
「理由は幾つかあるが、総合的に半分以上は勘かな。
 とりあえず一つ目としては、貴女が他者の同行を許している点だ」
 アシュラム。宗介。かなめ。
 三人の同行者。それを順繰りに佐山は見つめた。
「先ほどの攻撃、正直なにをされたのかさっぱり分からなかった。それなりに非常識な経験はあるつもりなのだがね。
 つまり女史の力は私の見識を超えるものなのだろう。それほどの力を持っているのなら、どうも平和主義者というわけでもないようだし、気に入らないものを皆殺しにできるだろう。
 だが私の聞き及ぶ限りにおいては、貴女はそちらの相良君に非効率な試験を課し、今は亡き宮野氏を試すようにアシュラム氏をけしかけた。
 これらの事実から、女史が殺戮以外の何かに執着しているということが推察できる」
「まさに推察でしかないな」
 美姫は鼻で笑った。
「なんとも不確実な賭けにでたものじゃ。私を計るなどと、分不相応な」
「なに、人材の見極めも悪役の適正のひとつさ。細々しているものを含めれば理由は他にもあったしね。
 ああ、それとついでだ。私の方からも協力に値する所を示すとしようか」
 呟きと同時、佐山の姿がその場から消えた。
 目にも留まらぬ速さで動いた、のではない――気配も反作用もなく、ただ突然にして美姫の知覚から掻き消えたのだ。
 美姫の目が細められる。それはちょうど近眼の人間が細かな文字を見ようとする仕草にも似ていた。
「まあ即興だがね。多少見苦しい所はあったかもしれないが」
 唐突に声。消えた地点から一歩も動かずに、佐山は芝居がかった動作でお辞儀などしてみせている。
 先ほどまでと変わっていることはひとつだけだった。佐山が持っていた白い槍が、思いっきり地面に突き立てられている。
 美姫の目にその瞬間を見せることなく、だ。
「最初に私がそちらに対し全くもって敵意が無いということを理解して貰ったうえで、先ほどの言葉を返そう。
 “もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た”」
 佐山が発したその言葉を受け取り、美姫はしばらく黙考するように口を閉ざした。
 反対に、宗介とかなめはボソボソとなにやら会話している。
(ねえ、今、なんか普通に槍を地面に突き刺しただけよね……?)
(ああ、そのようにしか見えなかったが)
(なんか物凄いシュールな絵面なんだけど、この状態)
 ちなみに先ほどの歩法は美姫のみを対象にしていたので、かなめ達の目にはそういう風にしか映っていない。

49彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:50:11 ID:vP/xCASw
 沈黙を破ったのは美姫だった。何かを決めたようにひとつ頷き、佐山に向かい問いかける。
「そういうことか?」
「どういうことかは分からないが、貴女の聡明さに期待しよう。そういうことだ」
「姿が見え辛くなる程度の子供騙しの手品とはいえ、その種までは見破れなんだ。
 私が知らぬ術がある、井の中の蛙であるとお前は言いたいのであろ? そこに協力する利があると」
 佐山の戯言に付き合う気は無いらしく、美姫は淡々と考察だけ口にする。
 めげずに、世界の中心。
「女史ならば蛙というよりは竜だろうがね。その通りだ。
 殺し合いに乗っておらず、その上で本当に協力が必要ないと言えるのはこの島から脱出した者だけだよ。
 なるほど、貴女の力は確かに凄まじいものだ。だが万能ではない。まだ脱出を果たしていないのだから。
 協力し合えばそれを果たせる、あるいは果たし易くなるというのは明白だろう」
「例えば、これか?」
 美姫が刻印の刻まれた腕を示す。
「手慰みに調べてみたが、解析できたのは凡そ9割、といったところじゃな。
 まあ確かに残りの解析くらいなら貴様らにもできるか」
「なんとも頼もしい言葉だろうか。それで、どうだろう。協力して貰えるだろうか」
「構わん」
 あっさりと吸血鬼は首を縦に振った。そのあまりの軽さに同行者達の目が見開かれる。
「が、その前にふたつほど尋ねておくことがある」
「何かね?」
「まず一つ目」
 美姫が白魚のような指を一本、ぴっ、と佐山の前に立てる。
「先ほども述べたように、私は宮野を殺した張本人じゃ。
 お前の連れに宮野の仲間がいるようだが、私が謝罪をする程度で免罪符は下るかの?」
「先ほどアシュラム氏にも言ったとおり、そちらに謝罪の意思があるのなら私が平和的な話し合いの場を用意する。
 その後の事までは――すまないが正直断言できないね。無論、和解できるように尽力するが」
「そうか。つまり、お前自身はそれを許す、というのじゃな?」
「……その、つもりだ」
 佐山は心臓を撫で付けた。肉越しに触れた臓器に異常は無い筈だが、僅かにちくりとした痛みを感じたのだ。
 数十分前に兵長に指摘され、宮下藤花に助言を受け、だが今もなお見つかっていない『解答』。
 それを再度指摘するような吸血鬼の言葉は、果たして偶然か?

50彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:51:27 ID:vP/xCASw
(いや――なんにしても、まずはこの交渉を取り纏めることだ)
 あくまで埃を払っただけ、という仕草を演じ、心臓から手を離す。
「そして、二つ目」
 再び美姫の指が蠢く。二本目を立てることはせずに、既に立てていた指が佐山の方に向けられた。
 放たれた質問は、奇妙なものだった。
「お前が、佐山なのだな?」
 訝しむような表情を浮かべる佐山。その表情の理由は無論、名前を再度問われた事に関して。
 だがそのことを気にしている時点で――
 既に、彼は術中に捕らわれているのだといえた。
「その通り。何かね、先ほどの自己紹介では不足だったかね? ならばあと七通りの自己紹介方を――」
「要らぬ。それよりも、わたしはお前宛の言伝を頼まれていた」
 その発言で、佐山の表情が僅かに動く。
 何故か、胸に焦燥感が沸いていた。心臓を再び押さえつける。
 彼宛てにわざわざ伝言を残すのは、今まで殆ど情報が無かった自分の仲間達の可能性が高い。
 そして、その中でも最も知りたかった人物の名前は――
「……ほう? 誰からかね?」
「名前は、知らぬ」
 ――その吸血鬼の顔が邪悪に歪んでいて。
「聞く前に、殺してしまったからの」

51彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:52:34 ID:vP/xCASw
 今度の心臓の痛みは、撫でる程度では治まらなかった。
 ナイフで一突きにされたような激痛。歯を食いしばった為、その苦痛はしっかりと顔に出てしまっただろう。
「おや、どこか具合でも悪いのかえ?」
「いや大丈夫……大丈夫だ」
 嬲るような笑みを浮かべている吸血鬼に、佐山は自分に言い聞かせるように返した。
 ――落ち着け、まだそうと決まったわけではない。
「それで……私宛に言伝を頼んだという人物は、どのような外見だったのか教えてもらえないだろうか」
 発する言葉を練るのにやけに時間がかかった。
 それは単に心臓の痛みのためか、それとも答えを聞きたくなかったからか。
 言葉を受けて、美姫はしばらく間を空けた。視線は佐山を固定。だが迷うではなく、どこか焦らすような視線だ。
 佐山の頭が最悪の想像で一杯になる頃、ようやく美姫が口を開く。
 間は僅か十秒ほどだっただろう。だが佐山にとってはもはや耐えられないほど長い時間。
 そして――吸血鬼の発した最悪が彼を直撃した。
「やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女じゃった。
 ああ、適度に肉が付いていたので中々美味ではあったの」
 無慈悲にも、聞きたくなかった答えが告げられた。
 鈴を転がすような音色で笑うのとは対象に、その言葉には底の見えない悪意があった。
 そして、もはや認めたくなくとも認めるしかなかった。
 彼宛に伝言を遺す、ロングヘアの少女。
 この島で、その条件に当てはまるのはおそらく一人しか居ない。
「新、庄くん」
 呆然と、意味なく名を呟く。
「ああ、やはりお前の連れであったか。犯す前も喰らう前も、佐山という名をしきりに呟いていたからな。
 ちなみに言伝とはそれじゃよ。遺言、いや断末魔といった方が正しかったかもしれんが。
 しかし、そうか。それは悪い事をしたの」
 吸血鬼の紡ぐ冒涜の言葉が、そのままクリアすぎるほど佐山の脳内で再生された。
 吸血鬼に組み敷かれる新庄・運切。すでに四肢は千切れ達磨となり、辺りは一面赤く染まっている。
 血が失われすぎたからか、彼女はさして涙を流してはいない。
 代わりに血に塗れた彼女の顔が佐山の脳髄を圧迫する。力なく蠢く彼女の口許が眼球を圧倒する。
 彼女は最期まで――縋るように彼の名を呼んでいた。
 気づかぬ内、佐山は膝を突いていた。
 激しく跳ねる心臓が零れぬよう片手で押さえ、もう片方の手で地面に突っ伏すのを防ぐ。
 その、どこか跪いているようにも見える姿勢の佐山の頭上から、美姫は言葉を落下させた。
「まあ、済んでしまった事は仕方ない。謝罪しよう。
 殺してしまって、ごめんなさい」
 誠意など欠片も篭っていない言葉を吐く吸血鬼。
 佐山は痛みに体を痙攣させながら顔を上げた。そこにあるのは美姫の笑み。
「さて、これで晴れて我々は仲間というわけじゃ。
 さ、今度はお前の仲間を紹介してくれぬかの?」
 その時、佐山は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

52彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:54:02 ID:vP/xCASw
◇◇◇
 
 状況はどうなっているのだろうか。
 薄暗い倉庫の中、兵長は黙りこくっていた。
 スピーカーから垂れ流されている名前の知らないピアノサックス曲がBGMの役割を果たしていたが、
 その曲はあまりに長く、既に耳に馴染み過ぎていた。ならば静寂と大差はない。
 こうしていると旅をしていた時のことを思い出す。
 脳裏に浮かぶ光景は電車の中。車窓を背にし、自分は備え付けの小机の上でゲリラ局の音楽を受信していた。 
 そしてその傍には、黒髪の少女が――
 ため息を吐く。もっとも、それはスピーカーを介し小さなノイズに化けただけだったが。
 キーリはもういない。
 死には慣れていた筈だった。戦争中はそれこそ兵士という職であったし、なにより自分自身が死んでいる。
 だが――それも、何年も何十年も昔のことだったということだ。
 すっかり忘れていた。ぽっかりと空き、そして痛みを発する胸中の空間。その感覚を忘れていた。
 埋める為の手段も思い出せない。ただ、キーリを殺した奴は許せなかった。
 頭に血が上り易い性質だとは自覚している。そいつが目の前に現れれば、自分は躊躇いなく復讐を果たそうとするだろう。
 佐山・御言。その時になったら、あいつはどう反応するだろうか。
 これまで自分の暴走は未然に防がれていた。だが仇を前にして電源を落とされるようなへまをするつもりはない。
(……知るか。勝手にやるさ)
 再度ノイズを吐き出し、その思考を打ち止める。
 考えることを止めれば自然と周囲に注意が移った。
 目の前には宮下藤花とかいう少女がダンボールを座布団代わりにして座っている。
 小屋に入って休息をし始めてから三十分ほどだろうか?
 畳まれていたダンボールを組み直して作った台の上に乗せてもらった時に礼を言って以来、彼女との間に会話はない。
 兵長はキーリのことで頭が一杯だったし、藤花は先ほどの兵長と佐山の遣り取りを見ていたから気まずいのだろう。
 彼女は目線を伏せたままコンクリートの床を見つめていた。
 肩まで伸ばした黒髪が垂れて表情の大部分を隠しているその様子から、何とはなしに目を逸らす。
 そうしてしまえば、あとは特にすることもなかった。
 意識しなければどうということもないが、一端気づいてしまうと空白という奴はどうにも苦痛である。
 居心地悪く、視線が落ち着かない。
「――歌っているんですか?」
『……あ?』
 しばらくして、空白を破ったのは少女だった。
 唐突な質問に思わず短い疑問符で返事をしてしまう。さぞ柄が悪く聞こえてしまっただろう。
 弁解するか、相手の言葉の意味を吟味するか。悩んでいるうちに少女が言葉を接ぐ。
「いや、あの……そういう風に聞こえたんですけど」
 ごにょごにょと尻すぼみになって行く少女。

53彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:55:11 ID:vP/xCASw
『あ、ああ、その、いや、いいんだ』
 はた、と経過してその事実が過去になった瞬間、自ら愕然とする。
 再び口を噤もうとした少女の姿を見て、自分は反射的に言葉を紡いでいた。
 その理由は知っていた。だが理解したくはなかった。
(ああ、くそ――もうどうとでもなれ)
 混沌とした胸中に整理をつけず、継ぐように言葉を紡いだ。
『しかし、歌か。俺、歌ってたか? 流れてる曲じゃなくて?』
「多分……あ、でも本人が疑問系なら歌ってないですよね。すいません」
『いや、分からんさ。長年ラジオなんかやってるとな、たまにそういうこともある』
「そうなんですか?」
『そうさ。嬢ちゃんもラジオになればきっと分かるぞ』
「笑えないですよ、それ」
 そう言いながらも、藤花の口元には軽口に対する可笑しそうな笑みが浮かんでいた。
 兵長も釣られて笑う。共有した笑みは自然と会話を引き出した。
『嬢ちゃんは音楽、好きか? 糞ッ垂れた教会のじゃなくて――ああ、そういや住んでた世界が違うんだっけか』
「そうですね。それだけ聞くとちょっと変な意味に聞こえますけど」
『違えねえや。異世界やらなにやら、実際にこういう状況にでもならなけりゃ頭のイカレタ戯言だわな』
「ああ、うん、確かにそういう意味にも取れますね――でもちょっと私の意図した意味とは違うかも」
『? どういうこった』
 兵長が尋ね返すと、藤花は人差し指を唇に当てながら考え込むように少しだけ宙を仰いだ。
「なんていうか、ほら、よくいうじゃないですか。
 さっき言ってた音楽とか、そういう専門的な分野で活躍している人とは住んでる世界が違うんだー、とかって」
『ああ、そういう意味か』
 得心がいった、という風に兵長。
 だがひとつ気になった事があった。尋ねる。
『違ってたら悪ぃんだが、もしかしてそいつは嬢ちゃん自身の意見か?』
 図星だったらしい。藤花は大げさに目を見開き、兵長を良く当たる占い師でも見るかのような目で見つめた。
「……分かるんですか?」
『まあ、似たような奴が身近に居てな』
「女の子?」
『いんや。嬢ちゃんとは違って、手のかかる面倒くさくてどうしようもない餓鬼みたいな奴さ』
 ふうん、と藤花は相槌を打ちながら何とはなしに喋るラジオを手に取った。
 拒絶されない事を確かめると、そのままスピーカーが外を向くように抱え込む。
「私が付き合ってる人なんです。デザイン系のところでバイトをしていて、将来はそっちに進むらしくて。
 それで……ちょっと、最近ぎすぎすしちゃってたんです。でも――」
 何かを言おうとしたのだろう。藤花は口を開き、舌に言葉を乗せ――だが結局外には出さずに飲み込んだ。
『……』
 腕から伝わる体の震えから、兵長はそれがどんな種類の言葉だったのか推察することができた。
 兵長も似た気持ちを経験した事がある。戦場へ赴く時の家族との別れだ。
 それは誰かに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖。軍人であった自分でさえ逃れることはできなかった。
 ならば、覚悟もなしにこんな場所に放り込まれたこの子はどれだけ不安なのか――

54彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:56:16 ID:vP/xCASw
『……嬢ちゃん、ちぃとチャンネルを変えてもらってもいいか?』
「えっ、あ、はい」
 少女の細い指がラジオのツマミに触れる。
 この空間には奇妙なことに複数のラジオ用の電波が流れている。目当てのものが流れているように兵長は祈った。
『そう、少しずつ――いや、行き過ぎだ。二メモリ戻してくれ』
 微妙な調整が成功する。奇しくもそれはあのゲリラ局の周波数チャンネルと同じだった。
 兵長のスピーカーから望んでいた音波が放射される。
 ギターとベースとドラム。それらが刻むリズムに乗せて叫ばれる歌詞。
『ロックは好きか?』
「あんまり聞かないかな。兵長さんは好きなんですか?」
『ああ、ロックはいい。生きる事を謳った歌さ』
 兵長が何を言おうとしているか悟ったのだろう。その程度にこの少女は聡い。
『自分の足で歩いていこう、自分の道を見つけて進もう――まあ、独りでそれが出来るのは強い奴だけかもしれねえ』
(あの佐山みてえな、な)
 言外に、苦く認めた。あの男は強い。無論、それが最良というわけではないが。
『けどな、別にあんたはひとりじゃねえさ。その彼氏さんがいる。
 なら別にその彼氏さんもひとりって訳じゃねえだろう。嬢ちゃんがいる。
 それにな、この場にだって――』
 口を塞いだ。
 塞がざるを得なかった。それは口にしてもいい言葉なのか。
 自分が力になると言うだけならば簡単だ。
 ――だが、責任は取れるか?
『――お』
「兵長さんは、優しいな」
 遮る様に、藤花が言葉を重ねた。
 抱きしめる様にラジオの筐体を腕の中に沈める。
「とても暖かいです」
『……基盤が、か?』
「いいえ、くれた言葉が。兵長さんみたいなお父さんが欲しかった、かな」
 音楽は人に変化を与える。
 アップテンポのリズムは彼女の沈んだ気持ちを少しだけ支えるのに役立ったのだろう。
 そして、少なからず兵長の言葉も。
(偽善、だな)
 だが、暖かい肉の中で兵長は皮肉気に自嘲していた。
 会話を続けようとしたのも、彼女を励まそうとしたのも、宮下藤花という少女の事を思ってではない。
 自分はこの娘にキーリを重ね合わせている。
 自らを嘲る様に認めた。共通点は俯き具合と黒髪だけ。それなのに自分は彼女にキーリの役割を求めてしまった。
 慰めるための言葉も、音楽も、本当はこの少女ではない別の少女に向けて放たれているのだ。
(ああ、馬鹿みたいだな、俺は――)
「そんなことはないさ。君自身が言った事だよ」
 至近から浴びせられた声に、兵長は驚愕した。
 ラジオのチャンネルが切り替わるように、変化は唐突にして一瞬。
 宮下藤花の口から紡がれていたにも関わらず、それは決して宮下藤花ではない。
「人は誰しもひとりじゃあない。その中には君自身も含まれているはずだ。
 君の言葉は確かに宮下藤花の助けとなっている。なら君も宮下藤花に助けて貰えばいい。
 だって君が言ったんだろう、人はひとりじゃあ生きられないっていうのは――」
 抱きしめていたラジオをダンボールの上に戻し、そいつは兵長と対面した。
『お前――誰だ』
 問いかけに、宮下藤花の顔をした人物は左右非対称の奇妙な笑みを返す。
 いつの間にかロックンロールは終わり、部屋の中にはワーグナーが鳴り響いていた。

55彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:56:59 ID:vP/xCASw
◇◇◇
 
 両手で土を握り締めた。
 本当なら裂けてしまいそうな心臓を押さえたかった。だがそんな余裕はない。
 それに今の自分が掴めば心臓は逆に潰れてしまうだろう。激痛の中、佐山は静かにそれを認めた。
 拳が軋んだ。指の骨が撓った。筋力を全く制御できていない。
 だがそれは狭心症がもたらす激痛の為か?
(違う) 
 痛覚は悲鳴を上げている。枯れるほどの絶叫。掠れて消えそうになるほどの大音声。
 だが自分の胸中は何処までもしじまを保っていた。
(私は冷静だ)
 そう何処までもクールだ。そして何処までも強烈に――
 視線を上げる。見える光景は地面から離れ、こちらを見下す吸血鬼の微笑みのみを映した。
 自分は冷静だ。決して揺れない。
 だって頭の中は新庄君の死に顔で一杯だから。
 それだけが頭と胸の内を占めている。許容量はとうに限界。張り裂けて漏れ出しそうなほど。
 だから自分は冷静だ。徹頭徹尾、やり抜こう。
(ああ、私は――)
 声が響いていた。耳朶の奥から。ならばそれは自分の声だ。
 実際に声帯を震わすのは止めておこう。それをしてしまえばチャンスはなくなる。だから胸の中で呟こう。
 ――私は、貴様を殺したい。
 大切なモノを奪った貴様を許さない。新庄君に叩き付けた陵辱を万倍にして返そう。肉を削ぎ、骨を砕き、目を抉り、四肢を落として硫酸を垂らし刃物を刺し縄で縊り圧力で破裂させ炎で焼き冷気で凍らせ鎚で砕こう。
 万の呪詛を唱え、億の行為で追い立てよう。
 彼を思い立たせたのは新庄の死。行動を促進させたのはつい先ほど聞いた宮下藤花の言葉。
『ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの』
 彼女の言い分。それは正しい。正しかったと身に染みて理解する。
 ああそうだ。そんなのは嘘だ。新庄君が否定される。そんなことは許すものか。
 さあ進撃しよう。幸い手段はすぐ傍にある。G-Sp2。世界を構成する概念核を叩き込まれて無事な存在などいない。
 吸血鬼と視線が合った。いままで見ていたのに視線は不思議と合っていなかった。焦点すら結べていなかったか。
(私は死ぬかな)
 おそらく死ぬだろう。吸血鬼に一矢報いることなく、佐山・御言は死ぬ。
 だが自分の命など知らぬ、下らぬと佐山は断じた。それよりも自分にとって大切なものがある。
 それは誇りだ。新庄・運切の誇り。彼女の死した後さえそれは残る。
 ならば、その誇りを汚したままになどしておけるものか。
 脳裏には走馬灯。いくつも閃いては消える運切の姿。
 そして。

56彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 21:58:34 ID:vP/xCASw
 唐突に気づいて、佐山は立ち上がった。
 膝と手に付着した土汚れを払い落とし、努めて冷静な声を絞り出す。
「――虚言を弄すはやめたまえ。美姫女史」
「ほう、私が嘘を? 一体なんのことやら」
「貴女は新庄くんを殺してなどいない――そう言ったのだ」
 吸血鬼の嘘を、看破した。
 美姫が微笑む。それは正解の証左。佐山は続けた。
「女史は新庄くんの容姿をこう形容した。"やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女だった"、と。
 なるほど、それは正しくして新庄くんだ。だが一面に過ぎない」
「一面?」
「新庄くんの名前が呼ばれたのは第二回目の放送の時だ。つまり新庄君は午前六時から正午までの間に死んでしまったことになる」
 ため息をつき、佐山は再度、膝と掌に付着した土をどこか腹ただしげに払う動作をしてみせた。それはまるで落ちぬと分かっている汚れを無理に落とそうとしているかのようでもある。
「私としたことが失念していたよ――その間、新庄君は切だ。男性の体なのだよ。ああ、分からないか。新庄君は日中は男性、夜は女性に性別が変化する人でね」
 美姫が苦笑した――悪戯がばれた童子のような笑み。
 そう、人の死を騙り、それをもって人を弄んだとしても、それはこの吸血鬼にしてみれば軽い悪戯でしかない。
 嘘を認めたということだろう。その証左である微笑みを睨みながら、佐山は推理する。
「女史が如何に強力な力を持っていようが存在しない人物は殺せない。おそらくこんなところではないかな。女史はどこかで新庄くんの亡骸を発見した――新庄くんの性別変化が死後も働くかどうかなど知りようもないことだが、きっと働いたのだろうね。女史の発見時、彼女は"運"だった。そして新庄くんの荷物には、私の名前のところに印のあった名簿が残されていた。女史はそこから私の知り合いだと判断して、今の悪質な試金石にした――」
「おっと、それは間違いじゃ。私はただお前の思い浮かべた想い人の像を読んだに過ぎんよ」
 そう言って、美姫は腕を振るった。

57彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 22:00:13 ID:vP/xCASw
 佐山の全身を新鮮な涼気が撫でる。二人を包んでいた見ることも感じることもできぬ奇妙な薄皮が剥がれるような感覚。
「え、っと? あれ? さっきまで二人でずっと睨みあってたのに――」
 かなめが不思議そうに首をかしげている。
 どうやら外からでは中がどう動いているか分からなくする概念空間のようなものが美姫の手によって展開されていたらしい。佐山は不快そうに眉をしかめた。
「こんな小細工にも気づかないとはね――私も堕ちたものだ。例の奇妙な焦燥感も女史が?」
「そう怖い顔をするな。ちょっとしたお遊びではないか――」
 美姫は微笑んだ。
 嫣然とした、哂い。
「――そしてそのお遊びで、お前は一瞬、憎しみに心を奪われたな」
「……痛いところをついてくれるね」
 そう、それは事実だ。たとえ美姫が嘘をついていても。たとえ美姫が心を僅かにかき乱す術を行使していても。
 佐山・御言はあの時、確かに新庄・運切を殺した犯人を許せなかった。
 それは、当然だ。新庄をなかったことにすることなどできない。
 だがそれならば、自分はそれほどまでに残酷な決断を他人に迫っていたということか。
 その傷を撫でるが如く、美姫の言葉は止まらない。
「脆い、脆いな。お前の心は脆い。私が愛した魔人達の域には達しておらん。当事者の立場になれば容易く決意は鈍る。心の臓になにやら抱えているな? 真に強者であることを謳うのなら、その程度振り払って見せろ」
「全く持って、女史の言うとおりだ」
 佐山が苦虫を噛んだような表情を浮かべて頷く。
 自分は、佐山・御言は探していた答えを突きつけられた。
 自分の仲間を殺した者が仲間になろうと言ってきた時、自分はそれを許容できるのか。
 ――否。できない。できなかったというのは先の遣り取りで証明された。
 その在りようは無様のひとこと。あれほど殺人者の許容を説いておいて、いざ自分の番になればそれができない。当たり前だ。口先で形作る理想など、所詮リアルには敵わない。
 それは佐山・御言の敗北だ――完膚なきまでに、自分は口先だけだったという証明。

58彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 22:01:35 ID:vP/xCASw
 だが、それでも。
「……だが、その言葉は私だけに語るには真に迫りすぎている。失礼だが、それは女史にも言えることなのでは?」
 佐山・御言は言葉を失わない。
 その瞳には確かに自嘲がある。だが、諦観の色だけはどこにもない。
 予想もしていなかった反撃。美姫は一瞬、きょとんと何を言われたか分からないような表情を浮かべ――
「ふ、ふふ、ふははははは――!」
 楽しげな声が上がる。夜天を切り裂くが如き哄笑。
 可笑しくてたまらぬといった風に、美姫は高らかに笑った。
 美姫の脳裏には未だ焼きついて離れない魔界都市のマン・サーチャーの美麗な表情。
 そうだ、と美姫は笑った。自分もまだ振り払えてはいない。
 それを見抜いたのはただの人間だった。そう、目の前の青年は本質的にただの人間でしかない。だが、
「魔人でもない人間風情が、弱みを看破されてなお強者を装うか! 強者を装うことができるか!」
「当然だ。コテンパンにされた程度で諦めるのなら、はなから脱出など説いていないよ。佐山の名は悪役を任ずる――悪役は糾弾されてこそ悪役だ」
 そう、佐山・御言は失敗した。新庄を殺した犯人を許せなかった。
 答えは見つかった――そして、その答えを前にしてどうするべきかも。
「ああ、そうだ。私は新庄くんを殺した犯人を許せないだろう――だが、だからどうしたという。私にできないことでも他人におしつけよう。それが最善に必要であるというなら、そうする。それが佐山の姓だ。悪役の本質だ」
 手を差し伸べる。相手は舞台最強の吸血鬼。このゲーム盤をひっくり返すどころか叩き割りかねない規格外。そんな存在に、まるで引っ張ってやるから手を出せとでもいう風に。
「さあ、美姫女史――貴女はよりにもよってこの佐山・御言を試したのだ。いまこの場で合否通知をいただこうか」
 かつて彼の魔界都市を未曾有の危機に陥れた吸血鬼に向かって、あまりにも傲岸不遜なその言葉に、当の吸血鬼はくつくつと笑う。笑いながら手を伸ばす。硝子細工の如く繊細にして、生半可な概念など切り裂いてしまうであろう凶手。
 その手が、佐山の手を握り返した。
「お前は面白い。その心が、この場でどれだけ保つのか――私はその行く末を見てみたくなった。下になってやるのも、また一興」
 ぞくりと怖気にも快感にも似た感覚がその白い指を伝って佐山を捕える。
 引き返せはしない。この吸血鬼を抱き込んでしまっては、もうきっと引き返せない。
(上等だ。もとよりこの世界に退路などない)
 ならば、誓いを。
「我らはただ前方にのみ進撃を開始する。姫よ、誓えるのなら――」
 悪役が口にしたその言葉を、美姫が繰り返した。
「――Tes(テスタメント)」
 ここに契約は完了した。

59彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 22:03:07 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 状況は移ろっていく。これは真理だ。
(ならば俺がすべきことは、俺とチドリにとって都合の良いように状況を推移させることだ)
 握手を交わす美姫と佐山をいつも通りのむっつり顔で眺めながら、だが胸中に計画を秘めて宗介は独りごちる。
 相良宗介は傭兵である。
 傭兵が通常の軍属と最も違う点は責任が軽いということ。そしてその分、組織的な庇護は受けにくいということ。
 だから傭兵は生き抜く為の術に長けている。
 この美姫のもとに居るのもそうした判断からだ。幸い、この化け物は自分とチドリを敵視していない。だからその威を借りている。核の傘のようなものだ。
 問題は、その傘自体がいつ襲ってくるか分からないということ。
 今までは気にならなかったリスクだ。それを度外視できるほどにこの吸血鬼の力は強大だった。
 だがここにいるのがベストかどうか、少し考えざるを得ない状況になってしまった。
 原因は例のダナティアの放送だ。自分が考えているより遥かに早く、そして多くの仲間を彼女は得ている。
 第三回目の放送までで出た死者の総数は60。参加者の半数が死んだ。
 ダナティアの言葉を信じるなら、彼女の仲間は12名。残りの参加者の五分の一を占めている。
 いや、死者が出ることも考えればそれ以上だ。おそらく現在、この島で最も多く情報と人材を手中に収めている。
 対して、この吸血鬼は強い。だが強いだけだ。
 強く在ることはできるだろうが、その他は何もできまい。
 例えばそれは組織だった行動だ。自分とこの吸血鬼は仲間ではない。自分たちが勝手に吸血鬼の後をつけて回っているだけとすら言える。
 おそらく、遠からずダナティアの擁する組織とこの吸血鬼は対立しあう。そしてダナティアと美姫、両名とも干戈を交えることに関しては躊躇わない人種だ。
 その際どちらが勝つかというのは魔術等の超能力に対して理解の薄い自分には分からない。
 分かるのは、数が多いというのはそれだけで脅威であるということ。
 美姫とダナティア組が戦闘になった際、その中で果たして自分は生き残れるのか?

60彷徨傭兵 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 22:04:23 ID:vP/xCASw
(まず、無理だ)
 自分が万全の状態で相応の装備を持ち、ゲリラ戦にでも徹すれば殲滅も不可能ではないだろう。
 だが現実はどうか。自分は片腕を喪失し、武装は全て失った。
 千鳥かなめ。放り出すことの出来ないしがらみも抱え込んでしまった。
 美姫は核のように他者に対する脅しにはなるが、実際に自分たちを守ってくれるかどうは不確実。そんな信頼性の低いものに自分の命を預けられる筈もない。状況はこれ以上ないほど最悪。
(そう、無理だ――なら、状況を変えるしかない)
 宗旨替え。美姫の元を去り、別の集団へ付く。
(現状、もっとも強い勢力はダナティア組だろう――チドリはああ言っていたし俺自身も大佐殿のことで蟠りはあるが、生き残る上でそんなことは考えるべきことではない。状況はそういう風に変わってしまった)
 先の決別の言葉を撤回し、必要ならば相手の靴を舐めてでもダナティア組につく。
 相良宗介にとっての最優先事項は、千鳥かなめを生かすことなのだから。
 美姫に集団への接触を何度も促していたのもその布石。
 この吸血鬼は自分たちを嬲るようにして遊んでいる。だからダナティア組の近くに行きたいような素振りを見せれば、それに対して昼に持ちかけられた取引のような、何らかのリアクションを取るだろうと考えていた。
 結果は上々。美姫はふらふらとダナティア組みの根城の近くを焦らす様に彷徨い、こうして別の参加者の組と共同できている。少なくとも、目の前の佐山と名乗った人物は吸血鬼より組み易しそうだ。
(そう――何も変わっていない。俺は、絶対にチドリを守る。どんな汚いことをしても、俺のプライドを粉砕してでも。それが俺の戦いだ)
 隻腕の傭兵の戦争は銃火を閃かせず、ただ静かに進行していく――

◇◇◇

 そして、数分後には第四回目の放送が始まる。
 秋せつらの名を含んだ放送が。
 ダナティア・アリール・アンクルージュの名を含んだ放送が。
 風見・千里の名を含んだ放送が。
 ハーヴェイの名を含んだ放送が。
 いくつもの死を孕んだ放送は、いったいどのように状況を変化させるのか。
 それはまだ、誰も知らない。


【E-4/倉庫前/1日目・23:58】
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]: G-Sp2 (ガスプツー)、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
    PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
    参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)

【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
    /ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。

【相良宗介】
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する

【千鳥かなめ】
[状態]:通常?
[装備]:エスカリボルグ
[道具]:荷物一式、食料の材料。鉄パイプのようなもの。(バイトでウィザード「団員」の特殊装備)
[思考]:宗介と共にどこまでも/?

【E-4/倉庫/1日目・23:58】
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。

61 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/25(水) 22:05:26 ID:vP/xCASw
投下終了。とりあえず今日はここまで。
続きは明日投下できれば明日。遅くても明後日。

62 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:47:58 ID:vP/xCASw
投下再開。データをネット上に移す際、時系列順にしなかったのを絶賛後悔中。

63片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:49:04 ID:vP/xCASw
「そうだな――」
 敵意を持った相手に銃を突きつけられるという傍目から見れば致命的な状況の中でさえ、この男の態度は飄々としていた。
(そう。傍目から見れば……ね)
 体制と表情を崩さぬまま、風見は背筋を落ちていく冷や汗を感じていた。
 一般的に言って、指一本の動きで済む拳銃と最低でも手首以上の稼動が必要なナイフ。
 有利なのは拳銃に決まっている。撃つべき弾が込められていて、しかも相手が化け物でなければ、だが。
 最悪なことにその条件は両方ともクリアできなかった。つまりこれは本当に張子の虎でしかない。
 この男はそれに気づいているのか。気づいていて、こちらを嬲っているのか。
 その弱気な思考を見て取ったかのように、怪物が口元を歪めた。
「確かに、これはどうしようもないな。だが、朝まで根競べでもする気か?
 それとも俺とお前、どっちが速いか競争するか」
「残念だけど、一晩一緒に過ごすほどあんたは好みじゃないわ。それに、賭けもあまり好きじゃないの」
 銃とナイフ。互いに凶器を突きつけたまま、お互いの隙を探る二人。
 だが条件は五分ではない。風見は激しく思考を廻らせる。隙が見つかればこちらの負けだ。
「交渉といきましょう。幸いこちらに死者は出ていない。そっちが刃を収めてくれるんなら、こちらも引くことができる」
 取引を先制して持ちかけ、会話のアドバンテージを取る。こういうのは佐山の領分だが、自分とていろは位は知っている。
「生憎とこっちは引く気が無い。全くの無関係ならともかく、お前の仲間はシャーネを殺した」
「私たちの仲間が?」
「EDって奴が仲間にいるんだろう?」
 いわれて、風見はあの仮面を付けた痩躯の青年を思い浮かべた。
 やせ細っていた、というわけではないが、さりとて戦部に見えるかといえば答えはノーだ。
「確かにEDって奴は知り合いだけど、人を殺せるとは思えない。性格的にも、肉体的にも」
「貧弱野郎だって問題はないさ。シャーネは騙し討ちされたんだろうからな」
「それは確かな情報? 他人から聞いたとかじゃなく、自分の目で現場を見たわけ?」
「さあな? 逆に聞くが、お前らは自分の仲間の無罪を証明できるか?」
「そうね、出来ない。でも、それはそっちもなんじゃない? 私たちの有罪を証明できる?」
 証明は無理だ。目の前の怪物は、どう見てもまだ見ぬ隣人を信用する人柄ではない。
 そんな人物相手に、この島で出会って一日も経っていない奴の潔白を弁論できるはずがない。
「つまるところ、お前は仲間の無罪を証明できない。俺はナイフを引く理由が無いってことか。
 いや――勢いよく首筋に押し付けて引く理由ならある、か?」
「この状態からなら、こっちは最悪でも相打ちに出来る。
 そっちの目的が復讐なら、それは望むところではないんじゃない?」
「そうだな。だからこうして話し合いに乗っているわけだが――」
 ナイフを風見の首筋から離さないまま、クレアが応じる。
「自己紹介をしてみる、ってのは、どうかな?」
「――何、それ」
 クレアの荒唐無稽な提案に、思わず脱力しかける風見。慌てて銃を突きつけ直す。
 幸い、怪物はそれを気にしなかったらしい。こともなげに続けてくる。
「お前は俺と交渉したいんだろう? なら、相互理解を深めた方が良い解決案もでるんじゃないか?」
「本気で言っているの?」
 その言葉に肩をすくめて応じる怪物を見ながら風見は相手の言葉の裏を探る。
 まさか本気で平和的な解決を望んでいるはずは無い。そんなお人好しは新庄くらいなものだ。
 ならば会話の中でこちらの油断を探す気か。

64片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:49:47 ID:vP/xCASw
(どちらにせよ……私に次の手は無い。時間を稼ぐ必要がある)
 相手が話をしている間に、次の手を考える。それが自分に許された中ではベストの手段だ。
「……オーケイ、いいわ。なら、言いだしっぺからね」
「ま、それくらいなら呑んでやるさ。さて、何から話したもんか……
 とりあえず、名前はフェリックス・ウォーケンだ。昔はサーカスをやってたが、いまはマフィアで殺し屋なんかをやってる」
「――その名前は参加者リストに記載されていないようだが」
 外野から、BB。クレアは悪びれもせずに、
「ああ、偽名だ。俺の名前を呼んでいいのはシャーネだけさ」
「……相互理解を深めようって言っといて、それ?」
 呆れたように風見が呻く。だが、視線は逸らさずにクレアを見つめ続けていた。
 会話の内容自体に意味は無い。問題は如何にしてナイフという脅威から逃れ、間合いを空けるか。
「そういう奴だ、とでも理解してくれ。――さて、話がずれたな。どこまで話したっけ?
 ああ、マフィアで殺し屋をやってるってとこまでだった。そのマフィアの頭とは昔馴染みなんだ。
 トランプ好きの三兄弟なんだが、特に長男が阿呆みたいに強くてな。
 俺は大概のことじゃ負けはしないんだが、こればっかりはガキの時分から勝ったといえるほど勝ったことがない」
 すらすらと淀みなく明かされていく、眼前の男の過去。
 他愛もない昔話にしか聞こえない。だがその裏で、こいつは何を考えているのか――
「勝敗が拮抗するばかりだから、ある日俺は観念してコツを聞いてみたんだ。
 そしたらその死神みたいな面してる奴曰く――」
「――千里っ!」
 ブルー・ブレイカーの鋭い声。
 視線を外す訳にもいかず、風見はその方向に声を飛ばして応対する。
 なによ。どうしたの急に。
 いま見ての通り取り込み中なんだから、邪魔を
 あれ。
(おかしい、声が出ない?)
 思わず喉に手をやろうとして、だけどその前に声が聞こえた。
「切り札ってのは、最後まで取っておくもんじゃねえ――切るべき時に"切る"もんだ、ってさ」
 風見の首元から鮮血が噴き出す。
 クレアの振るったナイフはまるで水を切るかのごとく、一切の遅延を見せずに風見・千里の喉笛を通過した。
 あっさりと均衡を破っておいて、銃口を避けようともしない。それを脅威として認識していない。
 ――はったりだと、ばれていた。
 蒼い殺戮者が飛び出し、クレアに向かって梳牙を叩き付ける。
 クレアは一瞥すらせず、その場から飛びのいた。嬲る様な言葉を置き土産にして。
「弾が入ってないことは最初から分かってたよ。
 入ってるなら、俺がそこのデカブツとやり合ってる時に撃つなり突きつけるなりできたもんな?」
 それでも、銃弾が入っていないというのは所詮憶測に過ぎないが――
「――なにより、俺が死ぬわけが無い。だから俺の命をチップにしたギャンブルなんて成立しない!」
 高らかに勝利の笑いをあげる世界の中心。
 それは風見のよく知っているほうの世界の中心とは似て非なるもの。
 一点の曇りも無く、ただ純粋に。
 彼は努力の元に培った己の強さと正しさを信じることができる。
 クレア・スタンフィールドという存在は、恐怖では縛れない。何故ならそれ自身が恐怖たる怪物なのだから。

65片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:51:46 ID:vP/xCASw
「子爵、千里の傷を――!」
 ブルー・ブレイカーとクレアは再び戦いを始めている。
 いや、よく見てみれば先ほどの戦いとは若干違う箇所があった。
 クレアは始終、ブルー・ブレイカーの攻撃を避けるに専念している。攻撃の意思がまったくない。
 それは単に手持ちの武器では傷を与えられないということを理解したというだけではなかった。
 その場に留まり続け、ブルー・ブレイカーを牽制する。治療の妨害だ。
 ブルー・ブレイカーは子爵を頼ったようだが――
【心得た、といいたいところだが……】
 赤い液体が緩慢な動きで風見の傷口を覆った。
 念力を応用しての止血。だが、もとよりそれはさほど強いものではない。
 完全には、止まらない。
(長くは、もたないな)
 ――彼女も、私自身も。
 倦怠感――いや、これは自己が希薄になっていく感覚だ。
 能力の制限下においても、子爵はほぼ不死身の身体を持っている。
 だが、それを維持する為のエネルギーの消費はこの島に来てからかなりの増大を見せていた。
 先刻喰らった茉衣子の蛍火の影響で、その不足は決定的なものとなった。
 それでも、このまま動かなければ生き延びられるかもしれない。朝を待てば再び光によって養分を蓄えられる。
 風見・千里を見殺しにすれば。
(馬鹿な。それは紳士の行いではない)
 疑問すら差し挟む余地は無い。
 だがこのまま止血を続けてもあまり意味がないことも事実である。
 もっと適切な処置が必要だ。そして不幸なことに、いまこの場でそれが出来るのは怪我をした当人だけだった。
 子爵は気力を振り絞り、風見の前に血文字を作って見せる。
【風見嬢、気をしっかりと持ちたまえ――風見嬢!】
 反応は、無い。
 子爵は歯噛みをするような気持ちで周囲の惨状を見渡した。
 すでに相当量の血が流れ出てしまっている。おそらく、風見の意識は限りなく薄い。
 子爵の血文字を見ることさえ、叶わない。
 手段は、ある。手段はあるのだ。風見の意識が戻りさえすれば。
(ええい、声帯の無い我が身を悔いることになるとは!)
 死に逝く少女と、消え逝く吸血鬼。
 二人の意識は薄くなっていき、そして――

66片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:52:54 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 ――意識が薄れていく。
 風見・千里。彼女は忘我の淵にあった。首を切り裂かれた痛みは全く感じない――むしろ失血による体温の低下を心地良くすら感じた。
 致命傷だ。風見は確信していた。
 怪物の太刀筋は見事の一言に尽きる。
 脊髄を断ち切って即死させることもできただろうに、動脈のみを綺麗に切り裂いたのは刃の消耗を避けるためだろう。
 あの怪物にとって、風見・千里という人間はその程度の意味しか持っていない。全力を尽くさねばならない相手では決してない。
 悔しい、馬鹿にしている、ふざけるな――いつもの彼女ならそんなことを思ったかもしれない。だが血圧の低下は感情の起伏すらも失わせていた。
 いまはただ、只管に眠い。
 遠くで――今の彼女の感覚で察知できるぎりぎりの距離で、打撃音が響いていた。戦っている――
(誰が?)
 知っていたはずだが、思い出せない。そして、それがさして重要なことだとも思えない。
(もう、いいか――どうでも)
 死は柔らかい毛布に包まるのと同じだ。朝起きてから二度目の惰眠を貪るような心持ちで、彼女は暗く深い所へと落ちていく。
 二度と目覚めることのない眠り。死神は死者が安眠できるように便宜を図ってくれる。
 部屋の明かりを落として、脳髄にミルクを一滴垂らし、ゆっくりと確実に意識を混濁させてくれる。
 朝日は訪れない。鶏は鳴かない。目覚ましも騒がない。
 だが、それでも。
 彼女に安眠は訪れなかった。
 静寂が取り払われる。喧しく、耳障りな、それでいて死神の囁きよりも心地よい、
「――千里ぉぉぉぉおおおおおおお!」
 そんな馬鹿の声だけは、彼女の耳に響いて。
「……遅いのよ、バ覚」
 ともすれば吐息と錯覚しかねないほど掠れた声が虚空に染み込んだ。

67片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:53:44 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 偶然だった。出雲とアリュセがこの瞬間にこの場所を訪れたというのは偶然の産物に過ぎない。
 アマワが零時迷子によって復元された獣精霊の炎に焼かれる寸前にもたらされた、最後の偶然。
 しかしそれが仕組まれた偶然であったなら、それは何を意図してもたらされたものなのだろうか。
 見たままにデッドエンドの悲劇か、それともここからハッピーエンドへの逆転劇へと転じるのか。
 少なくとも、出雲・覚はバッドエンドを望まない。叫びながら駆け出す。倒れ伏す風見・千里を目指して。
「おっと――お前はそいつを助けられない」
 想い人に駆け寄る男に、同じ絶望を味わえと怪物が嘲笑した。
 突如現れた出雲に対して迅速に反応し、クレア・スタンフィールドが転進する。
 BBによって横一文字に振られた木刀をしゃがんで回避。そしてそれ自体が次の行動の為の予備動作。
 撓めた膝のバネを利用して跳躍。得物を振り切った機動歩兵の横を軽々と飛び抜けて――
「行かせると――」
 ブルー・ブレイカーが足止めの意思を見せる。
 だが彼は既に攻撃を終えてしまった。再度武器を振りかぶる時間はない。
 問題はない。彼は人ではない。彼にしかできない足止めの方法もある。
 突如飛び出した蒼い壁が、クレアの視界いっぱいに広がった。
 飛行ユニットを再展開し、自身の脇をすり抜けようとしたクレアの進路に鋼鉄の翼を広げたのだ。
 空中での急激な方向転換は人間には不可能だ。それこそ、奇術でも使わなければ。
「いや二度目だぜ、それ」
 だが怪物には通じない。クレアの跳躍の軌道が変化。BBの飛行制御翼をひらりと飛び越えた。
「なっ――!?」
 振り返った時にはすでに遅く、クレアは既にBBの振るう梳牙が届く範囲から離れている。
 何のことはない。クレアがしたのは単なる跳び箱運動だ。
 飛び出した翼のふちに手を掛け、飛び越えた。種を明かせばそれだけに過ぎない。
 だがそれを全力の跳躍中に、しかも突如出現する目標に対して行えるというのは異常だ。
 その一連の動作を見て、出雲は直感した。相手は自分よりも強い。少なくとも、接近戦においては。
 ならばこのまま近づくのは得策ではない。鋼鉄の壁を飛び越え、尋常ならざる速度でこちらに突進してくる男を見て出雲は冷静に分析した。距離を取るべきだ。
「うるせえ関係あるか!」
 だが止まらない。合理的な思考は、激情を以って打ち砕かれる。
 出雲は右手でナイフを鞘から引き抜いた。狙いは敵の心臓。躊躇いなく突き出す。
 抵抗なく、ナイフの柄までが相手の胸に埋まった。だがその望外の成果に満足することなく、出雲は怪物の横をすりぬけ――
「なあ、実はこれロボットも切断できる魔法のナイフだったりしないか?」
「なっ――!?」
 そして、それが唯の夢でしかなかったことを思い知らされた。
 自分が握り締めていたはずのナイフが、いつの間にか敵の手の内にある。
 柄まで完全に刺さったと思ったのは奪われていたからで、自分はただ空の拳を突きつけただけだった。
 その拳の威力すら完璧な体捌きによって殺されている。ならば次に訪れるのは――
「まあ、お前で試してみるか」
 出雲・覚の死だ。振り上げられる銀の軌跡を見て、それを認識する。

68片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:54:44 ID:vP/xCASw
「伏せて!」
 鋭い声と、頬を炙る熱量。その両方を知覚した出雲は反射的に全身から力を抜き、地べたを転がっていた。
 その上を通り過ぎていく火球。弱体化しているとはいえ、直撃すれば一撃で死をもたらすウルト・ヒケウの業。
「SFの次はファンタジーか! 節操ってもんを知らないのかね!」
 クレアが笑う。当然の如く、葡萄酒の名を冠する殺し屋もまた、その場から飛び退いて火球を避けていた。
 それでも怪物との距離が開いたのは幸いだった。その隙に出雲は立ち上がる。
 ごろごろと土の上を転がりまわって髪は土塗れ。それを振り落とすように頭を振った。
(――冷静になれよ、俺)
 無理な注文だとは思っても、そう自分に言い聞かせた。激情に任せて突進し、突破できるような相手ではない。
「すまんアリュセ!」
「全く! 静止する暇もなく飛び出すんですから!」
 ガサガサと、不必要に音を鳴らしながらアリュセが茂みから歩み出てくる。
 自分の存在を、数の優位を敵にアピールする。そんな重圧の掛け方。ただ、問題は――
(相手が、それで怯むかどうか分からないということですが)
 アリュセは思考する。先の火球は完璧なタイミングで放ったつもりだった。
 敵は出雲に完全に注意を向けていて、しかもこちらの魔法という手札を相手は知らなかった筈。
 それなのに、かわされた。
 数の上ではこちらが有利。だが、それでも彼我のパワーバランスがどうなっているのかまるで見当が付かない。それほどの敵だ。
(ここで戦うことは良策ではありませんわね。ならばまずは――)
 戦う理由を潰す。アリュセはクレアに向かって、鋭く声を張り上げた。
「そこの貴方! そちらの方々とどういう縁があって戦っているかは知りませんが、ここは一端お引きなさい!
 こちらは三人です。二人がかりで貴方を抑えて、一人が怪我人を治療できます。
 貴方はその女性を殺したい様子ですが、それは最早不可能です。
 ここで退いて頂けるなら、我々は追撃をいたしません」
 その宣言を聞いてまずブルー・ブレイカーが動いた。
 戦術的な状況判断において、自動歩兵たる彼は何よりも優れている。
 出雲とアリュセ側につくように立ち位置を変え、クレアと再び対峙した。
 アリュセの宣言において、三対一とは彼がこちらの味方につくことを前提としたものだ。
 蒼い機兵が風見・千里と如何なる関係であるか知らないアリュセにしてみれば、B.Bの動きは不安要素のひとつだった。
 それが無くなる。目論見どおりに状況が動いたことに、まずは息をつく。
「あー……なるほど、一理ある」
 出雲から奪ったナイフを検分するように手の中で弄びながら、クレアはうめいた。

69片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:55:31 ID:vP/xCASw
「確かに、いかに俺といえどもSFとファンタジー両方相手にしながら立ち回るのはちょっとしんどいかもな」
「会話で時間を延ばすことを考えているなら無駄ですわよ? 即答しないなら、私たちは先の通りに行動するだけ」
 BBが前衛に立ち、アリュセがそれを魔法で援護。出雲が風見の応急処置。
 おそらく、そんなところがベストだろう。怪物と対峙して殺されずに済むのは装甲を纏う蒼い殺戮者のみ。
 そして――その事実をその場に居る誰もが知っていて。
「じゃあ簡単だ。二対一にしよう」
 だけど、その事実を一番良く理解しているのは他でもない怪物自身で。
 バチン、と何かが弾ける音。薄く鋭い風切り音。
 それを耳にして、三人はそれぞれ別の行動を取った。出雲は身構え、B.Bは最早間に合わないことに歯噛みし、
 そして、アリュセは、
「――っ、ぁ……?」
 喉から刃を生やして、その場に倒れ伏した。
 スペツナズナイフ――柄の中に強化スプリングを仕込んだその特殊ナイフは、ボウガン並の速度で鋼鉄の刃を射出することができる。
 射程はおよそ10メートル。ギリギリだったが、クレア・スタンフィールドは難なくその奇襲を成功させた。
 そう――レイルトレーサーと対峙して"殺されずに済むのは"蒼い殺戮者のみ。
 倒れ伏す少女をさめた視線で見つめながら、最強の殺し屋がつぶやく。
「ファンタジーは、硬くないな」
「……てっめえ――!」
 再度激昂した出雲が踊りかかる。事実を忘れて、決して勝つことの出来ない怪物へと。
「返すぜ、これ」
 クレアが腕を振るった。投擲されたスペツナズナイフの柄が出雲の顔面に直撃し、視界を奪う。
 その一瞬の隙で、クレアは出雲との距離を零にしていた。逆の手に持っていたハンティングナイフが出雲の首筋に――
「させると、思うか!」
 三度目の正直。
 爆発的に膨れ上がる音の暴波。その場に存在する空気が、まるでその音に指揮されるかの如く踊り狂った。
 刹那、蒼い影がクレア目掛けて疾る。これまでのものとは段違いの速度。
「――とっぉ!」
 飛行用ブースターを吹かし、極限低空飛行を実施したBBがクレアに体当たりを敢行。助走も無しに自動歩兵を空へと持ち上げる超出力ブースターの突進である。
 流石にこの一撃は予測しきれず、クレアは紙一重でかわすものの体勢を狂わせられる。
「空まで飛ぶのか! SFは節操がない!」
 BBは突進が失敗に終わったと見るや否や機体に逆制動を掛けて急停止。
 地面すれすれを飛ぶ曲芸飛行など危険極まりない。少しのベクトル変化が大事故に繋がる。二度と試す気は無い。
 梳牙を片手に再び接近戦へと移行。攻守は完全に逆転。クレアが崩れた体勢を立て直す暇を与えないように計算して殴打を積み重ねる。相手の武装がこちらの装甲を貫けない以上、防御を気にする必要はない。
 一方、突進の余波に吹き飛ばされたのは出雲も同じだった。
 再び地面の上を転がり、そして立ち上がる。
(本当に――馬鹿か、俺は!)
 だが分かっていても、目の前で親しい間柄の人間が二人も殺されてかけていて冷静になれる人間など存在するのか。
 少なくとも自分はその類の人間ではない。
(だけど冷静に判断しなけりゃ死んじまう。俺が、じゃねえ。二人が死ぬ!)
 倒れ伏した二人。
 片方ではアリュセが首から金属片を生やし、もう片方では風見が首から血を流している。
 首からの出血は、危険だ。すぐにでも手当てをしなければ助からない。出雲は立ち上がり――
 だが、それならばどちらを先に手当てすべきか?
 そんな胸中に浮かんだ疑問に、意識をを絡め取られた。
 時間的に見れば、先に斬られた風見の方を優先するべきだろう。
 だがアリュセは肉体的に言えば小さな子供でしかない。体力、血液の量も大きくそれを裏切るということはないだろう。同条件ならアリュセは風見よりも早く失血によるショック死を迎える。
 いや――
 彼の勘が告げていた。おそらく、助けられるのは片方だけだ。
 ずっと探し続けていた元の世界の想い人か、それともそれを一緒に探し続けてくれたこの島での友人か。
(俺は……俺は……!)
 出雲は迷い、迷って、そして――
 それを決断させたのは彼ではなかった。
 ひゅぼっ、という空気が熱によって膨張する音。
 慌てて出雲が屈む。その頭の上をアリュセの放った火球が通り過ぎていった。
「アリュセ……?」
 喉元から鋼色の刃を生やし、口元からは鮮血を吐いて。
 それでも少女の目は力を失っていなかった。睨むような視線を出雲に注いでいる。
 それは、明確な拒絶の意思表示だ。自分ではなく、元の世界の知り合いを助けろと。
 向けられた、貴すぎる自己犠牲の意志。それを向けられ、出雲は――
「……すまん、アリュセ」

70片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 20:56:25 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「……すまん、アリュセ」
 呟いて、ようやくこちらに背を向ける男を見て。
 アリュセは溜息をつこうとして、だが気管を貫いた鋼鉄に邪魔されて咳き込んだ。
 この結末は、どこかで予想していたものでもあった。
 口の中一杯に広がる血の味を感じて、呻く。
 カイルロッド。イルダーナフ。そしてリリア。この世界に拉致された自分の知り合いは、すでに全員が死んでいる。
 後を追ってしまおうと考えたことはなかった。ウルト・ヒケウは、そこまで弱くない。
 だが、それでも自分の死の瞬間を想像したことがないとはいえなかった。アリュセという少女は、そこまで強くない。
(そう……結局、私にはこの島で生き延びようとするために必要な、明確な目的が無くなってしまっていた)
 行動するための目的。歩むための道標。それを失っていた。
 それでも、自分が真に孤独でなかったのは。
 だんだんと小さくなっていく男の背中。その光景が胸中にもたらすのは寂しさと僅かな痛痒。
 それでも、それを見つめながらアリュセは小さく微笑んだ。
 この絶望の島で、ずっと一緒だった馬鹿な男。
 立派な体格をしていると思っていた。だけど、いま見るとその背中は驚くほど小さく見える。
 あの背中に、自分は負ぶわれてきたようなものだ。
『別にいいじゃねえか? 縋るくらい』
 そう。あの時かけて貰った言葉の通り、自分はあの背中に縋っていたのだろう。
 だけど、あの背中は人ふたりを背負うには小さすぎる。
 そして、あの背中は本来、自分のものではない。
 だから、その背中は持ち主に返すべきだ。
(ですわよね、リリア……私も、貴女たちに会いたかったんですもの)
 ――それでも胸中の虚無は埋める事が出来ず。
 孤独による寂寥のみを看取り手に、小さな少女は息絶えた。

71片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:12:20 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 馬鹿がこちらに走ってくるのを捉えられたのはふたつの幸運のお陰だ。
 まずあの馬鹿が怪物に殺されなかったというのがひとつ。
 そしてもうひとつは、さながらゾンビの如く自分の視覚が働いていたこと。
 風見・千里は既に死人である――まだ意識が残っているというだけで。
(あの、馬鹿)
 駆け寄ってくる出雲を見ながら、そんなことを呟く。
 呟いたつもりだった。呟こうとしたつもりだった。だが実際に声は出たのか。それすらもう自分には分からない。
 そう――もはや自分は助からない。
 少なくとも自分の知る出雲・覚には救えない。
 なら、ならばせめて。もうひとり、出雲と共に現れた少女の方を助けて欲しかった。
 だがあの馬鹿はきっとそれをしない。
 そしてその事実が嬉しくもある。
 生存への希望は残されていない。だけどきっと自分はこの島の中では比較的幸福に死ねるのかもしれない。
 大切な人に看取られて死ねるのだから。
【私が見えるかね、風見嬢】
 だが、その弱気な思考を遮る様に赤い文字が視界をよぎった。
 返事をしようとして、声がでないことを思い出す。幸い、文字は間を置くことなく続いた。
【ああ、無理に返答はしなくていい。ただ、少しだけ聞いてくれ】
 そこで風見も気づいた。今の子爵には余裕がない。文字の綴り方も人が殴り書きをするのに近い。
 そして、それを証明するように子爵が文を続けた。
【どうやら 私はもうすぐ死ぬらしい】
(そう……悪いわね、付きあわせちゃって)
 どうやら表情筋くらいはまだ動くようだ。こちらの表情を読み取ったらしい子爵が取り繕うように文を綴る。
【何、君のような女性と共に逝けるならそれは光栄というものだよ……だが、私はその栄誉を受けるべきでない。せっかく君の想い人が来てくれたのだ。若い鴛鴦の番いを死に別れさせるというのは紳士的ではないな。むしろ縁結びを果たしてこそ、だ】
 無駄な長文。人で言うならば、それは空元気と呼べるものなのかもしれない。
【淑女にこんな台詞を言うのは紳士的にどうかとも思うが】
 一度、文章が途切れる。迷うかのような逡巡。
 それは、以前その行為を促した少女の未来を知っているからだ。それを繰り返すことになりはしまいかと自分は悩んでいるからだ。
 だが、それでも彼女は生きるべきだと思った。
【私を喰らいたまえ。それで君は生き延びることが出来る】
 食鬼人化。
 吸血鬼を喰らうことによってその力を手に入れることのできる儀式。
 子爵は変り種とはいえ吸血鬼だ。その体を喰らえば、吸血鬼としての性質を手に入れることができる。この場合は、子爵の不死性を。
 それでもこの傷から回復できるかは正直賭けでしかない。だが、どの道このままでは二人とも死ぬ。
【すまないが時間がない。吸血鬼になる、と聞いて想像されるようなリスクは殆ど無い、とだけ言っておく。生きたいのなら、早く……私が死ぬ前に。この身は灰にこそならぬだろうが、それでも死ねば残るまい】
 そう文字を綴りながら、子爵は体の一部分を風見の口元に伸ばしていった。少し唇を開けば子爵の"体"が流れ込むだろう。
【決断するのは、君だ】
 そう、最後に綴られる頃には。
 風見はもう思考すら満足にできないほど衰弱していた。脳に血液が回らない。だから自我のある血液を飲むなどというおぞましい行為への嫌悪もない。
 視界には、自分の傍に座りこんで何とか止血をしようとしている馬鹿の顔。
 彼女は決断した。

72片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:14:07 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 そして、その瞬間。

 ぐしゃり、と。

 風見の顔があった部分が、男物の革靴に占拠されていた。
 それはつまり、彼女の頭部が踏み砕かれたということで。
 脳を失ってしまえば、人は即死して。

 突然の事態に、出雲は驚くことさえできない。
 自分でも分かるほどの間抜け面で、その革靴の主を辿る。
 仰ぎ見れば、そこにはにっこりと満点の笑みを浮かべるクレア・スタンフィールドが。
「二度あることは――」
 殺し屋は自動歩兵を殺せない。
 そして、それと同じくらいブルー・ブレイカーではクレア・スタンフィールドを止められない。
「三度あるってことさ」
 踏みにじられた脳漿が飛び散り、出雲の頬に濡れた感触を与えた。
【貴様――!】
 その飛び散った赤い液体の中から乖離するが如く、激昂状態の人間が綴ったような荒々しい筆跡が浮かぶ。
 だがそれは一瞬で形を失った。ぱしゃり、という水音を最後に、もう動こうともしない。
 死したのか、それとも最早動くことすら出来ないのか――液状の吸血鬼の生死など、出雲には分からなかったが。
「あ……あ?」
 怒号を上げるべきだ。叫んで哀悼を捧げるべきだ。
 だが、できない。空気は声帯を素通りして霧散。出雲・覚は掠れた声を断続的に吐き出す。
「お前の女か。まあ、どっちでもいいが」
 その様子を見て、クレアは笑った。
 もしかしたらその笑いに激昂して自分は飛び掛ったのかもしれない。掴みかかったのかもしれない。
 だがどちらにしても同じことだっただろう。次の瞬間には顎を爪先で蹴り抜かれ、出雲は三度地面に転がされていた。
 加護がなければ顎の骨が砕けていただろう。もしかしたらその砕けた骨が脊髄を断っていたかも知れない。
 そうなればよかった。出雲は思う。死ねば良かった。無事だったからこそ、動けもしないのに相手の言葉だけが一方的にこちらを突き刺してくる。
「守れなかったのはお前が弱かったからだ。目の前にいたのに、お前が弱かったせいでてめえの女も守れない」
 クレア・スタンフィールドのその言葉にはどこか悔恨が滲んでいる。
 だが出雲にとってそれは知るところではない。ただ、その言葉は正論のように感じた。
 むざむざ目の前で、自分の女を殺されている。何故? それは何故?

73片翼たち ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:15:03 ID:vP/xCASw
 思考を断ち切るように風切り音。クレアに追いついたBBが梳牙を振るうが、それが掠りもしない事はすでに十分すぎるほど証明されている。
 悔しさに歯がみするという無駄な機能を自動歩兵が搭載しているわけもないが、それでもBBは思わずにはいられなかった。
 フレシェットライフルが、せめて内蔵のスタンロッドが残されていれば。
 ここまでの無様は晒さなかった。この男を殺せて、風見千里やさきほどの少女は死ななくて、そして彼自身の片翼ももしかしたら――
 だが所詮、それは無い物ねだりにすぎない。
 クレアは最後に、地面に転がったままの出雲に嘲笑した。
「お前は次に会うまで生かしておいてやる――俺の絶望の万分の一でも味わえ」
 そんな言葉を置き土産にして。
 見もせずに木刀の一撃を飛び退いて回避したクレア・スタンフィールドは、そのまま森の中に逃げ込んでいった。
 鬱蒼と木々が立ち込める中、巨体のBBでは追跡できない。それを理解しているのだろう。BBは無機質な光学センサーで逃走した方向を見つめこそしたが、それ以上は何もしない。
 その場に残ったのは二人だけ。倒れ伏した出雲と、立ち尽くすブルー・ブレイカー。
「出雲――出雲・覚か。風見・千里の知り合いの」
 状況から推察して、蒼い殺戮者が沈黙を破る。
 出雲は答えない。いや、答えられない。顎の痛みは退き始めたが、それでも何を話せというのか。
 再び、沈黙。どう話を続ければいいのか分からないのはBBも同じだ。
 あまりにも突然すぎる。あの怪物が僅か数分のうちに彼らの世界から奪っていたものが莫大過ぎた。
 だから、何をすればいいのかすら分からない。出雲は土の上に転がったまま、BBはその青年の様をじっと見つめる。
 風が、吹いた。二人分の新鮮な血の匂いが、流動する。
 長くここにいるのは、あまり推奨できる行為ではない。
「――なにか、できることはあるか」
 BBの口をついてでたのは、そんな言葉。
 そしてその言葉に出雲は反応した。表情は浮かべぬまま、ただぽつりと呟く。
「……穴を掘ってくれ」
「穴? 埋葬か?」
「ああ、俺はもう、駄目だ。無理だ。そんなものは掘りたくない」
 その時、唐突にBBは気づいた。
 この男が蹴飛ばされたまま起き上がらないのは、なにも見たくないからだ。立ち上がれば視界は広がる。状況を再度認識しなければならない。それを出雲・覚は頑なに拒否している。
「俺はもう――穴なんか、掘りたくない」
 脳震盪で万華鏡のように歪む意識と視界。それを味わいながら、どこか曖昧な言葉を出雲は口にする。

 そして、第四回目の放送が始まった。
 この場で死した、三名の名を含むであろう放送が。


【045 ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵) 死亡】
【074 風見・千里 死亡】
【104 アリュセ 死亡】

【残り 26名】

【B-6/森/2日目/00:00】

『亡失者たち』

【出雲・覚】
[状態]:脳震盪 左腕に銃創(止血済) 激しい喪失感 倦怠感
[装備]:エロ本5冊
[道具]:支給品一式(パン4食分・水1500ml)/炭化銃/うまか棒50本セット
[思考]:何もかもどうでもいい

【 蒼い殺戮者 (ブルー・ブレイカー)】
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]: 梳牙 (くしけずるきば)、エンブリオ
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:不明/三者の埋葬。/火乃香の捜索?     
    /脱出のために必要な行動は全て行う心積もり?

※アリュセの死体にスペツナズナイフ(刃のみ)が刺さっています。
※B-6森にスペツナズナイフ(柄のみ)が落ちています。

【クレア・スタンフィールド】
[状態]:健康。激しい怒り
[装備]:大型ハンティングナイフ(片方に瑕多数、もう片方は比較的まし)x2
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、コミクロンが残したメモ
[思考]:この世界のすべてを破壊し尽くす/EDをCDと誤認
    “ホノカ”と“ED”に対する復讐(似た名称は誤認する可能性あり)
    シャーネの遺体が朽ちる前に元の世界に帰る。
    /B.Bを破壊できる武器・手段の捜索。
[備考]:コミクロンが残したメモを、シャーネが書いたものと考えています。
    シャーネの遺体を背負っています。
    BBを火星兵器の類と勘違いしています。

74 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:18:54 ID:vP/xCASw
投下終了。次の話はちょっと長いので、今日は途中まで投下して終わり。

75 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:23:11 ID:vP/xCASw
「……ふむ」
「どうしたのさ。難しそうにため息なんかついたりして?」
 イザークの洩らした小さな唸り声を、しかし娯楽に飢えていたディートリッヒは聞き逃さなかった。
 彼ら管理者のみに入室を許されたモニタールーム。そこには“ゲーム”の進行状況が刻々と映し出されている。
 一日が過ぎ、既にゲームは佳境。『刻印』を解除できそうな集団も現れ始めている。
 イザークの視線の先にある電光板にはいくつもの点が映されていた。
 これはひとつひとつが参加者――その身と魂に捺された『刻印』を表すものだ。
 基本的に刻印は不滅だ。死後もそれは残る故に、その数は減ることがない。
 だからこそ、それはイレギュラーとしてカウントされた。
「刻印の反応がひとつ、ロストした」
「……消えたってこと? 除去されちゃったのかい?」
「いや、直前の会話を聞く限りそれはないよ。さすがにあれは演技ではないだろうからね」
 気付けば銜えていた細葉巻はほとんど灰になっていた。だいぶモニタに気を取られていたらしい。
 演技でない本物の慟哭、宣言、裏切り、吐露――下手な演劇を見るよりは格段に楽しめた。
 その余韻と共に紫煙を吐き、燃え尽きたシガリロを灰皿に押しつける。
 彼ら管理者に与えられている権限は、実のところそれほど多くはない。
 刻印の発動権限を除けば、あとは盗聴や島中に隠した監視カメラの映像をみるのが精々だ。
(クライアントにとって我々は駒でしかない。目的を達するための道具であって、参加者と同列程度にしか見ていないだろう。
 ……もっとも、こちらも似たような認識なのだから他人のことは言えないが)
 自分らとて、籠の中の鳥には違いないのだ――魔術師はそう考える。
 だが自由に羽ばたけぬ鳥も、餌箱の中身くらいは自由にできる。喰らうも、払い落とすも自由だ。
 そも、その鳥が金網を突き破って羽ばたくような怪鳥ではないと誰がいいきれるのか――?
 あちらが自分たちを良いように使っているように、こちらも向こうを利用できるモノとしか見ていない。
 騎士団としては、異世界の技術が手に入ればそれでいい。
 それに対して求められた、クライアント達の望む物は――

76 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:24:08 ID:vP/xCASw
「心の実在を証明せよ、か……」
 それは喉に刺さった小骨のようなものだ。些事だが、それでも常に気に障る。そんな呟き。
 その微かな囁きを人形使いの耳は拾うことが出来た。
 僅かに虚空を見上げるようにして考え込み――だがすぐに記憶の検索を放棄して、尋ねる。
「なんだっけ、それ。どっかで聞いた覚えはあるんだけど」
「クライアントがこの話を持ちかけてきた時、さ」
 ああ――と納得した風に鳶色の瞳が揺れ、そしてすぐに小馬鹿にした笑みへと変じる。
 こんな箱庭を造り、あまつさえ好き放題に他世界へ干渉した挙句、求めるものが『心の証明』。
 馬鹿馬鹿しい。そうとしか言いようがないではないか。
「本当は何が目的なんだろうねぇ。まさか本当にあんな理由でここまで酔狂をすると思うかい、イザーク?」
「無いとも言いきれないさ。それになかなか興味深い問いかけだよ、これは。
 古文詩における偉人達も幾度としてそれを綴ってきた。だが正答はいまだ現れていないのだから。
 機会があるのならば、答えを聞いてみたい問いではあるね」
 肩をすくめながら、魔術師。
 それを見てディートリッヒは笑った。
 その態度こそが、イザークなりの『答え』に見えたからだ。
「イザーク。君はさ、心の証明ができるなんて信じちゃいないんだろう」
「心はあると信じているよ。私なりの証明としてはそれで十分だ。
 すでに持っている存在の有無など、悩むだけ無駄というものだろう。
 それよりも刻印の問題に取りかかるとしようか」
「それもそうだね。消えたのは誰だい?」
 あっさりと興味を失い、ディートリッヒがコンソールに触れた。高速で流れていく数字の羅列。
 それは参加者のデータ――能力や生い立ちに至るまでを詳細に綴られたものだった。これも神野から提供された物である。
「NO.078……ダウゲ・ベルガー。最終確認地点はC-6」
 それを確認し、イザークがその名を読み上げる。
 ディートリッヒはモニターの端から端まで目を通し、だがすぐにうーんと困った風な声をあげた。
「出自はぶっとんでるけど、彼自身に刻印をどうこうできるような能力はないね」
「すると、要因は別にあるというわけか……人形使い、支給品の選定をやったのは君だったね?」
「そうだけど?」
 さして興味もなさげに、ディートリッヒ。
 ここではない別の部屋には、魔剣から高機動戦艦まで様々な異世界の物品が収められている。
 すべてクライアントから提供された品で、支給品として配布した物以外は好きにして良いらしい。だが、
「なら、彼の支給品はなんだったんだい?」
「……説明書が付いてなかったけど、確か黒い置物じゃなかったかな?」
 だが中には正体不明の品も数多くあるため、手を出せないと言うのが現状だった。
 触れた瞬間爆発する可能性も否定できないため、人形使いがわざわざ屍兵を使ってまで『気紛れに』選別したのである。
 イザークは複数あるモニターの一枚を指した。どうやらそれは参加者が島を移動した軌跡を線で示しているらしい。
 その中で、NO.078を示すマーカーは奇妙だった。線が途中で何回か途切れている。
「過去のデータを見るに、彼に支給されたのは瞬間移動を可能にする品だったらしい。
 だがそれでは刻印の反応が消失する理由にはならない。証拠は不十分、か。さて、どうしたものかな?」
「刻印を発動させてみれば良いんじゃない? 不安要素なんだし」
 それはつまり「殺せば良いんじゃない?」ということと同義だ。
 何気なく、彼らは死を提案できる。
 刻印の発動は瞬時。望めば、それこそ瞬きする暇もなく参加者を皆殺しに出来るだろう。
 そう。主催者に従い殺す者や、それに抗う者。迷う者。
 その全ての努力を、一瞬で無為に帰すことが出来る。
「そうすることは簡単だが、さて……」
 魔術師は小さく呻き、そして――

77 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:27:46 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「アラストール……出来るか」
『もちろんだ……ダウゲ・ベルガー』
 紡ぐ言霊はただ一言。
 その一言に少女の遺志を。女帝の遺志を。
 そして全てを織り交ぜた絶大な自身の意志を伴って、彼らは往く。
 目標は怨敵。このゲームの黒幕である神野陰之。
「それで? 君達はどうする気かね?」
 その進撃を、神野が嗤う。
「ダウゲ・ベルガー。神の半身たる“運命”を失った君ではこの無名の庵を切り拓くことは敵わない。
 断罪の王よ。もとより契約者を失った君に何が出来る?」
 無名の庵に出入り口はない。
 参加者は神野自身がそれを許可するか、でなければ“偶然”に頼ることでしかここに立ち入ることは出来ない。
 ――否。“出来なかった”。
 そう――その法則は、すでに過去のものだ。
 それはもはや打ち破られた。ただ弄ばれることしかできなかったはずの二人によって。
 ダウゲ・ベルガーとアラストール。その両名が抱いた、独りの少女に対する想い。
 それはルールの一端を破戒した。ならば黒幕達の思惑など、すでに障害となりえない。
 故に彼らは恐れない。進撃は止まらない。
「おい、自分で言っといてもう忘れたのか?」
『貴様は言ったな。ああ確かに言った。死者の側から為せることは何もないと。
 我らは生者だ。ならば我らは貴様に届くぞ。屍を乗り越えて進むぞ。死の河を渡って進むぞ。志を背負って進むぞ。
 ――そしてその果てに、我らは必ずや貴様を打ち砕こう』
 その言葉を具現するように、コキュートスを身につけたベルガーは歩き出した。神野に向かって一直線に。迷うことなく強靭に。
 そして彼らの宣言と行軍を前にして退きもせず、神野は近づいてくるベルガーに言葉を投げる。
「――だが、不可能だ。
 なるほど、その気概はなかなかどうして強固だ。打ち砕くのは容易ではない。
 それでも君たちはどこにも行けない。歩む意志があっても、足と道が無くては進めないだろう」
 彼らには決定的に“手段”が不足しているのだと。
 神野は、その現状を突きつけた。
 それは確かに事実かも知れない。
 単純な力技でここら脱出するのならば、それこそ神に等しい力でもなければ不可能だ。
 それでも彼らは歩みをとめない。
「お前の妄言は聞き飽きた。ずっと聞いていた。シャナの心がズタボロにされるのを、ただ聞かされていた」
 意識の手綱はいつから戻っていたのか。
 思考を取り戻した瞬間の記憶はなく、ただ曖昧な感覚だけがある。
 それでも彼は知っていた。
 自らを犠牲にして彼を救った少女を。それを決断をした男を。
 破壊精霊の攻撃で離ればなれになってしまった二人のその末路を。
 己の生存の代価である、仲間の死を知っていた。
 それは神野の話を聞いていたからか。それとも何か他の理由があるのか。
 いずれにしろ、取るべき道は一つしかない。ベルガーは獰猛に笑った。
「だから、迷わないさ。俺は世界で二番目に、諦めが悪い男なんでね」
 歩むための四肢が無いというのなら、地面を喰らってでも這いずろう。その為に、まだ自分は生きている。
 進むための道が無いというのなら、埋め立てて進もう。その為の代償は、すでに支払われてしまった。
 如何なる障害を前にしても、もはや、折れない。ダウゲ・ベルガーは疾く直進する。
 神野とベルガーの距離は縮まり、あと数歩で両者は届く。
 それでも神野は嗤っていた。一歩も動かずに、ただ飄々とそこに佇み、冒涜を口にし続ける。
「ただ『私』は真実を述べているだけだよ。一面に置いての真実かも知れないがね。
 つまりある一面に置いて、彼女は確かに誤った選択肢を選び――」
 その冒涜が、唐突に途切れた。
 代わりに響いた声はベルガーの静かな恫喝――
「――約束だからな、シャナ」
 そして同じく響いた音はとても鈍い音。骨が肉越しに敵の骨を打つ音。
『その想いを否定できるものなど居るものか。
 居たら、俺が殴り飛ばしてやる』
 それは炎髪灼眼の少女が消滅する寸前に、ベルガーが交わした誓い。
 その果たされた約束は、神野の横面を捉えていた。
 躊躇いもなく全力で打った拳からは、確かに相手の骨を砕く感触が伝わってくる。

78 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:29:08 ID:vP/xCASw
 その感触。音。そして確かに変形した筈の神野の顔をベルガーの視覚は捉えていた。確かに五感で感じていた。だが、
「彼女を否定する気は無いさ。無論、肯定するつもりもないが」
 朗々とした声は、ベルガーの背後から響いた。
 ゆっくりと振り返ると、殴られた頬に痣一つ無く、嘲笑を浮かべたままの神野が立っている。
 殴られた事実など無かったように、一瞬前となんら変わらず闇はただ悠然と存在していた。
「そして君たちを弄言でどうにかできるとも思っていない。
 いまので身を以て実感したのではないかな? 抗える手段はない、と」
 そこで神野はいったん言葉を切った。
 動じもせずにこちらを静かに見据えているベルガー。その眼に恐怖が無いことを確かめ、ふむと頷くと、
「故に、『私』がその手段を提示しよう。君にはその資格と可能性がある。
 何、難しいことではない。只の問いかけだ。これまでただのひとりしか解答を示せなかったというだけの。
 ――心の実在を証明せよ。ただし、我が盟友が満足する言葉でだ」
『それに答えて、我らに何の益がある?』
 アラストールが逆に問い返す。ただし、確かな返答拒絶の意志を伴って。
 それは神野にも伝わっていだろう。
 だがあえてそれに気付かない風をして、万能の暗黒はただその支払われる報酬を提示した。
「全て、だ。解答者が彼の望みを満たして未知でなくした時。
 この瞬間で最も強き未来精霊の願望を叶えられる者がいるのならば、『私』はその者の願いを悉く叶えよう。
 例えば――この盤上で死した者達との再会、などというのはどうかね? 無論、黄泉での再会などという戯言ではなくだ」
 暗い嗤いを止めずに、神野。
 ――僅かに落ちる静寂の帳。
 ただどこまでも陰の広がる荒野の中で、その言葉は不釣り合いなほどに希望に満ちていた。
 ――旗を立て直し、かつての誇り高き炎を再燃させる。
 騎士の曇りを拭い去った少女を、漆黒のデュラハンを、魔界医師を、猛き竜の化身を、デモンスレイヤーを、陰陽を司る者を。
 その全てを、ただの一言で取り戻すことが出来る。
「そして、なにもそれはこの島の中だけに限らない。天壌の劫火、望むならば君の前契約者ですら――」
『……』
 その囁きに天罰を司る魔神は沈黙した。
 神野の言葉が真実かどうかは分からない。神野にそれほどの力があるのかも判断は出来ない。
 だが、それはあまりにも魅力的な提案だった。
 アラストールの前契約者。先代『炎髪灼眼の討ち手』。
 死に別れた彼女とアラストールは浅からぬ関係にあった。
 それはただの契約者と被契約者という間柄以上の縁であり、そしてアラストールは完全に彼女のことを忘却したわけではない。
(……マティルダ・サントメール)
 いましがた、その存在の末期にさえ心を痛みに満たされた少女に勝るとも劣らぬほどに、その存在は愛しい。

79 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:30:03 ID:vP/xCASw
『彼女を、知っているのか』
「当然の如く。ここに招いた者のことで『私』が知らぬことなどないさ」
 一呼吸置いてアラストールが口を開き、その一呼吸の間を楽しむように神野が応じた。
『いいや――知らぬのだろう』
 だがアラストールは疑問を差し挟む余地など許さぬといった風に、その言葉を否定する。
 名を知っている? ああ確かに知っているのかもしれない。だがそれは上辺だけだ。その名の持つ意味を知っているのならそんな提案が出来るはずがない。誇り高く死した彼女を侮蔑するような提案を出せるはずがない。
 だから返答は決まっていた。空間が弾けるように震える。
 夜闇の魔王の顔に影が落ちた。
 神野が纏う闇ではなく、それは炎の光によって生まれた影だった。
 ベルガーの周囲の空間に火の粉が飛び散り、爆ぜている。
 陰に満たされた無名の庵に、陽炎の如き紅蓮の光が生まれつつあった。
『あの子の決意を弄び、あまつさえ誇りある死すら冒涜しようとするその性質。『徒』にも劣る下衆め、我が名を刻むがいい。
 我は天壌の劫火アラストール。両世の調律を守護する者。それが貴様などに与するものか!』
 空間を振るわす程の怒号。消えかけてなお、紅世の魔神はその純度を落としてはいない。
 それでも相対する『闇』は揺れず、ただ粛々と言葉を紡ぐ。ひたすらに嗤いながら。
「なるほど。君たちの『決意』は知れた。それでは最初の問いに戻ろう。
 さあ、君たちは如何にしてこの世界から逃げおおせる――?」
 無明の地たる無名の庵。それを改めて示すように両腕を掲げる神野。
 そしてその問いを待っていたように、ベルガーとアラストールの返答は刹那の間すら挟まなかった。
 ざん――と、荒野を削る足音。彼らが一歩、暗黒すら蹂躙するように力強く踏み出している。
『逃げる必要などあるまい』
 アラストールが宣言する。契約者はなくとも、さらに発する炎熱を高めながら。
「ああ。なんたって黒幕が目の前にいるんだからな――お前は、ここで倒す」
 ベルガーが継ぐ。その手に運命はなくとも、彼の言葉は道を拓く。
 唱和した意志は高らかに――
「ここで――閉幕だ」
 ――このゲームの終焉を予言した。
「……契約。それが君たちの手段かね?」
 彼の世界を冒す灼熱。だんだんとその範囲を広げる火の粉の雨の中、神野はぽつりと洩らした。
「フレイムヘイズ。運命を対価としその身に<王>を宿した者。
 なるほど、ダウゲ・ベルガー。己が運命すら振るう君ならば真正の魔神たる断罪の王を収められる器ともなるだろう」
 神野が呟く傍ら、ベルガーの背に巨大な翼が生まれた。
 轟炎が満たす部分の闇は駆逐され、陽炎に空間が揺らぎ始める。
「だが、無駄だ」
 炎に包まれながら、神野は涼しげにそう断言した。
 赤が冒すのは極々一部の空間のみ。無限に広がる無名の庵は飲み干せない。
「刻印で弱体化した、それも急造の炎の揺らぎでは世界など打ち破れまい。
 そも、君の炎髪灼眼の討ち手すら盤上からは逃れられずに果てた。そうではなかったか?」
『……その通りだ。故に、ここで貴様を討滅する』
「それこそ不可能というものだね。フレイムヘイズが在るのは紅世と現世の『現在』のみ。
 ダウゲ・ベルガー自身もそれは同じ。故に、無数に偏在する『私』を殺せない」
 その返答に、ベルガーは笑みを零した。目には見えないが、きっとアラストールも。
 ――こいつは何も分かっちゃいない。犬はどこまでも食らいつき、そして天壌の劫火は相手が何者であっても審判を下す。
 すでに神野陰之の“運命”は決まっている。
 瞬間、さらに劫火が膨れあがった。
 轟々と燃え盛る巨大な赤灼。周囲に満ちる力を薪として、それは既に天にも届こうとしている。

80 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:30:46 ID:vP/xCASw
 その時になって、神野も気付いた。
「ほう……?」
 笑みをさらに深くし、僅かに驚いたような息をつく。
 いつのまにか、炎の位相が神野を越えようとしている。神野陰之が持つ狂気と畏怖を薄めるほど、火勢が強くなっている。
 これはフレイムヘイズではない。弱体化したフレイムヘイズにここまでの力量はない。
 ならば、これは――
『荒振る身の掃い世と定め奉る、紅蓮の絋にある罪事の蔭』
 粛々と、名も無き庵に祝詞が響く。遠雷が轟くような、地を震わす声が荒野を駆ける。
 ダウゲ・ベルガーの声ではない。ならばこれはアラストールか。
 だがその声は神器越しに聞く、どこか遠い声ではない。
 そう、それはまるで――世界という薄い膜の裏側で轟くような響きだった。
『其が身の罪という罪、刈り断ちて身が気吹き血潮と成せ――』
 その響きに導かれ、帳が落ちる。夜闇の世界を裂くように紅蓮の幕が引かれていく。
 捧げられるは魔王の力。四界に繋がる四つの宝玉。その全てが彼の者の『心臓』となる。
「……なるほど。正直、これは予測していなかった。さすがに魔神の心までは読めないか。
 贄はおろか、喚び手もなしに顕現するとはね。
 そうか、砕かれた石の名はデモンズ・ブラッド――君にも匹敵する魔王達を表すモノであると同時に、その異界へ通じるモノでもある。
 この場で、その全てを捧げた上での芸当というわけだ」
 無名の庵は『どこでもあってどこでもない場所』。
 全ての世界から皮一枚分だけ外れ、全ての世界が交錯する場所。
 故に『歩いていけない隣』にあるそれは、ささやかな薄皮を突き破った。
 この世界を壊すには神にも等しき力でなければ不可能。ならば容易い。それはすぐそこにある。
 紅世から無名の庵までを突き抜けて、神威が召喚される。
 ベルガーの背後にあった翼はその位置を高くし、その翼が在る者は全容を顕わにしていた。
 盤上という『制限』から脱し、顕われたのは炎の衣に身を包んだ見上げるほどの巨人。
 その熱量は膨大。その威容は無限。
 審判と断罪の権能を持つ天罰神。故に、その名を、
「天破壌砕――王の中の王。紅世真正の魔神たる“天壌の劫火アラストール”」

81 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:33:29 ID:vP/xCASw
 神野のその呼びかけに答えるように、天を衝く魔神は無名の庵を睥睨した。
『覚悟を決めよ、神野陰之――』
 その厳かな宣告に重ねるようにして、別の声も響き渡る。
 声の主はダウゲ・ベルガー。
 炎を背にしているというのに、彼の顔は逆光の影に侵されてはいなかった。
「俺とアラストール、そしてシャナの魂――」
 告げる、告げる、告げる。その役柄を以て、彼らは全霊を込めて宣告する。

 貴様如きに――推し量れるか?

 瞬間、膨大な量の業火が神野に向かって放たれた。
 それはまるで炎の津波。たったひとりの人間に向けて放たれるには大げさを通り越して、最早馬鹿馬鹿しい。
 だがそれはあくまで人間を相手にした場合。
 受肉した神の片鱗は時を越えて偏在する故、ほとんどの干渉を受け付けない。
 溶鉱炉の中に飛び込もうが絶対零度の中に在ろうがその存在に影響はない。
 だがすでに神野の顔に嗤いはなかった。
 己が呪圏たる『影』を以てして、全力で炎を迎え撃つ。
 隆起し、神野と外界を遮断する壁のような黒色と、すべてを烏有に帰す紅蓮が衝突する。
 森羅万象を飲み込む虚無の口と、それすら凌駕し氾濫しようとする熱波。
 ――その軍配は、不意打ちに近かったアラストールに上がる。
「……っ」
 神野の顔に、久しく浮かぶことの無かった苦痛が象られる。
 そう。アラストールの炎は、到達しない経過であるはずの彼を『灼いて』いた。
 偏在という枷を破り、神野陰之という存在を害していた。
「……そうか。アラストールという存在自体が『神野陰之』という器と同等以上の古さを持つのか。
 君自身が『私』を殺し得る呪物というわけだね」
 傷は深くない。それこそほんの僅かに火傷を負った程度。だが、神野は顔を歪ませていた。
 魔神の炎は、神野陰之を殺し得る。
 アラストールの焔がここにいる神野陰之を焼けば、その火は偏在する神野陰之にまで燃え移るだろう。
 こと浸食することにかけて火は最速。いかに夜闇の魔王が究極の魔法だとしても滅びからは逃れられない。
「ここが『私』の世界でなかったら、終着を見せていたかも知れないな」
 それでも、まだ神野の方が有利だ。
 アラストールはその身を維持するため、タリスマンの残滓とシャナの残した存在の力を消費している。
 その力は莫大だが、無尽蔵というわけでもない。
 そして神野は、『いつぞや』のように拠点の守護を命じられているわけではなかった。
「さらばだ。天罰神よ」
 彼はここを去り、ただ別の場所でアラストールが自然消滅するのを待つだけでいい。
 再びその白い貌に嗤いを浮かべた神野の姿が薄れていき、そして消えた。
 ――いや、消えるはずだった。
 だが唐突に、夜闇の魔王の双眸が僅かに見開かれる。
 『かつて』呪い釘を打ち込まれた時のように、それは彼を磔刑に処す。
 その眼に映るのは魔神ではなくただの人間。
 アラストールの足下に佇んでいたダウゲ・ベルガー。
 その手に彼の半身たる強臓式武剣“運命”は、ない。
 アラストールとは違い、彼は神野に対して有効な攻撃手段をなにも持っていない。
 だけど、この場で最も神野に対して致命的なものを持っていたのは彼だった。
 呪文ですらない。それは本来何の意味も持たず、ただ噛み締めるように紡がれた言葉。
 その言霊が成す未来を神野は知った。
 それは本来有り得ざる未来。あまりにも出来すぎている、どこか恣意的なものさえ感じさせる結末。
『ああ。なんたって黒幕が目の前にいるんだからな』
 ならば、それこそが運命だというのか。
 宣言は既に。誓いは既に。
 運命を捧げたフレイムヘイズでない、未だ人の身であるダウゲ・ベルガーの『願い』は唱えられていた。
 そのどこまでも純粋な意志の誓言が――
『――お前は、ここで倒す』
 神野陰之を、ここに封じ込めた。

82 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:35:31 ID:vP/xCASw
「……感服せざるを得ないな。“契約者”でもない限り、彼無きこの時間では都合の良い偶然は起きないというのに。
 いや、そうか。だからといって偶然が起きないというわけでもない、ということかな」
 彼らは神野陰之という存在の性質を知らない。その言葉は神野を縛ることを目的としていなかった。
 ――それでも彼らの意志はここにこの瞬間、覇道への“運命”を手繰り寄せたのだ。
 願いによって、神野がその輪郭を再びはっきりとさせる。
 課された制限は『逃走』。決着が付くまで、神野はこの場から消えることは出来ない。
「これが君達の手段か。なるほど、世界樹に吊されし魔術師と同等、あるいは凌駕する願いだ」
 ならば、叶える者の成すべきことはひとつだけ。
「いいだろう――ならばその『願い』を受理しよう」
 神野の呟きは命令だった。
 その一言で世界が胎動する。無名の庵が主の命に従い蠢く。
 闇に満たされた荒野。この世界そのものが神野の『領域』である。
 暗黒が膨れあがり、造り上げられたのは影の大波。
 先刻の炎に対抗するかのように、それは天を衝くアラストールさえ凌駕する巨大さ。
 舞台照明が暗転するかの如く、影が落ちるのは瞬時。魔神が何かするよりも早く、夜色がベルガー諸共魔神を飲み込んだ。
 無明の庵が再びその暗さを取り戻す。
 ほんの、一瞬だけ。
『――無駄だ。影如きでは我が身を包み切れん』
 重圧さえ感じさせる、威厳に満ちた声が響いた。
 影が炎を遮ったのは刹那にも満たない時間。
 火とは照らすもの。いかに深い影であっても、燃え盛る篝火の明るさは奪えない。
 ただその存在のみで神野の呪を打ち破り、アラストールは悠然とその場に在った。
 夜闇では炎に勝てない。常世の炎ならば兎も角、天壌の劫火を飲み込める影は存在しない。
 そして何より――いまのアラストールは神野の闇に恐れを見ない。
「……そのようだね。力量は互角でも相性が悪いか。
 もっとも、ダウゲ・ベルガーに関してはその通りではないが――」
 神野がちらりと視線を移動させた。
 アラストールの足下。彼の影に覆われる直前にベルガーが立っていた位置には誰も居ない。
「例の装置が働いたようだ。この空間に来ることが出来たのだから、出ることも可能なのは道理だね。
 潰えた種とはいえ、天なる人類を甘く見ていたか」
『この期に及んで、そのような思考は無意味だろう』
 天から響く声に、神野が視界を上げる。
 その頬を、轟風が撫でた。
 アラストールがその巨大な翼を羽ばたかせていた。だが巻き上がるのはただの風ではない。
 それは紅蓮の風。触れたモノを灰燼に帰す暴風。
 まるで刃の如く荒野に深い爪牙の痕を刻み、乱立するモノリスを打ち砕く。
 幾条にも吹き付ける赤の線は、その全てが神野へと収束していく。
「――君こそ彼の心配をした方がいい。あれは持ち主の身内の元へ転移するが、彼はその全員の死を知っている。
 ならばアレがどこに飛ぶのかは想像も付かないだろう。
 盤上へと戻るのか、果てまた元の世界へ帰還するのか、異次元に落ちるか。
 いや、そもそも装置は起動したのか? 彼は闇に飲み込まれただけかも知れない」
 神野の影が再び膨れあがる。今度は余裕を持って、魔神の放った赤の嵐をすべて飲み干す。
 一欠片の熱波すら残さず、暗闇のなかで神野は問いを発した。
「君は確たる『解答』を出すことが出来るのかな? 天壌の劫火」
『無論。ダウゲ・ベルガーは生きている』
「それをどうやって証明する?」
『貴様に答える必要があるか?』
「違いない」
 神野は嗤う。声は出さずに、ただ頬を吊り上げる吐き気を催す笑み。
 それを潰すために、魔神はただ火力を絶えることなく放ち続けた。
 地面が溶け、空が燃え落ちていく。その様はまさに煉獄。
「少し話をしよう。つまらない身の上話だがね。
 『私』は――神野陰之という存在は、ただ願いを叶えることしかできない存在だ。
 いまこうして真っ正面から君と対峙しているのも、ダウゲ・ベルガーの願いがあるからに他ならない」
 だがその劫火のなか、影による防御を続けながら後退する神野はそれでも饒舌だった。

83 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:36:14 ID:vP/xCASw
「……感服せざるを得ないな。“契約者”でもない限り、彼無きこの時間では都合の良い偶然は起きないというのに。
 いや、そうか。だからといって偶然が起きないというわけでもない、ということかな」
 彼らは神野陰之という存在の性質を知らない。その言葉は神野を縛ることを目的としていなかった。
 ――それでも彼らの意志はここにこの瞬間、覇道への“運命”を手繰り寄せたのだ。
 願いによって、神野がその輪郭を再びはっきりとさせる。
 課された制限は『逃走』。決着が付くまで、神野はこの場から消えることは出来ない。
「これが君達の手段か。なるほど、世界樹に吊されし魔術師と同等、あるいは凌駕する願いだ」
 ならば、叶える者の成すべきことはひとつだけ。
「いいだろう――ならばその『願い』を受理しよう」
 神野の呟きは命令だった。
 その一言で世界が胎動する。無名の庵が主の命に従い蠢く。
 闇に満たされた荒野。この世界そのものが神野の『領域』である。
 暗黒が膨れあがり、造り上げられたのは影の大波。
 先刻の炎に対抗するかのように、それは天を衝くアラストールさえ凌駕する巨大さ。
 舞台照明が暗転するかの如く、影が落ちるのは瞬時。魔神が何かするよりも早く、夜色がベルガー諸共魔神を飲み込んだ。
 無明の庵が再びその暗さを取り戻す。
 ほんの、一瞬だけ。
『――無駄だ。影如きでは我が身を包み切れん』
 重圧さえ感じさせる、威厳に満ちた声が響いた。
 影が炎を遮ったのは刹那にも満たない時間。
 火とは照らすもの。いかに深い影であっても、燃え盛る篝火の明るさは奪えない。
 ただその存在のみで神野の呪を打ち破り、アラストールは悠然とその場に在った。
 夜闇では炎に勝てない。常世の炎ならば兎も角、天壌の劫火を飲み込める影は存在しない。
 そして何より――いまのアラストールは神野の闇に恐れを見ない。
「……そのようだね。力量は互角でも相性が悪いか。
 もっとも、ダウゲ・ベルガーに関してはその通りではないが――」
 神野がちらりと視線を移動させた。
 アラストールの足下。彼の影に覆われる直前にベルガーが立っていた位置には誰も居ない。
「例の装置が働いたようだ。この空間に来ることが出来たのだから、出ることも可能なのは道理だね。
 潰えた種とはいえ、天なる人類を甘く見ていたか」
『この期に及んで、そのような思考は無意味だろう』
 天から響く声に、神野が視界を上げる。
 その頬を、轟風が撫でた。
 アラストールがその巨大な翼を羽ばたかせていた。だが巻き上がるのはただの風ではない。
 それは紅蓮の風。触れたモノを灰燼に帰す暴風。
 まるで刃の如く荒野に深い爪牙の痕を刻み、乱立するモノリスを打ち砕く。
 幾条にも吹き付ける赤の線は、その全てが神野へと収束していく。
「――君こそ彼の心配をした方がいい。あれは持ち主の身内の元へ転移するが、彼はその全員の死を知っている。
 ならばアレがどこに飛ぶのかは想像も付かないだろう。
 盤上へと戻るのか、果てまた元の世界へ帰還するのか、異次元に落ちるか。
 いや、そもそも装置は起動したのか? 彼は闇に飲み込まれただけかも知れない」
 神野の影が再び膨れあがる。今度は余裕を持って、魔神の放った赤の嵐をすべて飲み干す。
 一欠片の熱波すら残さず、暗闇のなかで神野は問いを発した。
「君は確たる『解答』を出すことが出来るのかな? 天壌の劫火」
『無論。ダウゲ・ベルガーは生きている』
「それをどうやって証明する?」
『貴様に答える必要があるか?』
「違いない」
 神野は嗤う。声は出さずに、ただ頬を吊り上げる吐き気を催す笑み。
 それを潰すために、魔神はただ火力を絶えることなく放ち続けた。
 地面が溶け、空が燃え落ちていく。その様はまさに煉獄。
「少し話をしよう。つまらない身の上話だがね。
 『私』は――神野陰之という存在は、ただ願いを叶えることしかできない存在だ。
 いまこうして真っ正面から君と対峙しているのも、ダウゲ・ベルガーの願いがあるからに他ならない」
 だがその劫火のなか、影による防御を続けながら後退する神野はそれでも饒舌だった。

84 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:37:04 ID:vP/xCASw
うわ二重書き込み

85 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:38:15 ID:vP/xCASw
「そして今、『私』はひとつの願いを叶えるためにある。
 心の実在を証明すること。だが、願望無き『私』という存在が口にする心の定義では彼は満足しなかった。
 故に今回の盤上遊技を提案したのだが、さて――この意味が分かるかね?」
『――貴様と話す舌など!』
 戯言を一言にて切り捨て、アラストールはさらに存在の力を燃やし、その神威を高めていく。
「ふむ。まあ聞きたくないと願うのなら、それを拒むことは出来ないが」
 神野はさして気にしないとでもいう風に、ただ炎を防ぎ続ける。
 影による防御は完璧。初撃以降は、火の粉すら神野に触れることは叶わない。
 されど炎は無限にその熱量を高めることができる。
 踊る二体の魔神。だが炎と闇の鍔迫り合いは、決して均衡を保つことはなかった。
 じわじわと――だが確実に、神野の呪圏が追いつかなくなってきている。
 アラストールの放つ炎がその輝きを増し、神野の影を打ち消し始めていた。
 闇と、それを焼き尽くす炎。
 『逃走』を願いによって制限された神野と、全力で追撃するアラストール。
 それは殆ど出来レースのようなものだ。
 アラストールが踏み出す。合わせて神野が後退する。
 差は縮まる一方。歩幅が違う。だがなによりも神野は積極的な逃げに徹することができない。
 そのことを理解していてなお――神野陰之は『冷静すぎる』。
(策がある、ということか)
 アラストールは胸中で確認するように呟いた。
 このまま続ければ間違いなく自分が勝つ。眼前の黒衣の男もそれは分かっているはず。
 それで慌てていないという事は、まだ罠やその類のものを用意してあると考えていい。
「――逃げ切れないか」
 苦笑しながら、神野。だがさしてあせる風も無く、魔王はパチンと指を鳴らした。
 響く乾いた音色。渦巻く熱波に掻き消されぬこともなく涼やかに響き渡ったそれは、正しく魔性の類である。
 闇に満ちる無名の庵に、更に闇が増した。
 それは今までそこにあった影とは異なる陰。文字通りの異界の闇。
 ぽっかりと恨めしげに開いたその穴から、白い手がぬらりと這い出てくる。
「神隠し――この場合は少し意味が違うかもしれないが」
 通じた穴は一つだけではなかった。
 闇の違いを見分けるのは困難だが、それを知るのは容易だった。
 なぜならば、穴から伸びる白い線は無数に、そこかしこから引かれているのだから。
「堕ちたまえ」
 号令と同時、怪異は宙を出鱈目に走りまわった。
 関節がいくつもあるかのようにガクガクと折れ曲がりながら、複雑な軌道を描いてアラストールに掴みかかる。
 無論、白い腕は触れた部分から消し炭になった。
 だが燃え尽きるよりも穴から伸びてくる方が早いらしく、白い腕は着々と魔神を拘束していく。
 圧倒的な物量による力押し。
 だが、それでもまだ不十分。
 アラストールはさらに力を取り込み、それまでよりも強力な自在法を発現させる。
 瞬間、白の線は赤に変じ、一瞬後には炭色となって、そしてぼろぼろと剥がれ落ちた。
 火はどこまでも浸食し、線が出てきた『穴』の中にまで到達する。
 名の無い荒野に、いくつもの絶叫が響き渡った。
「さすが。足止めにもならない」
 耳を劈くような異形達の断末魔の中で、神野は笑っている。
 どんな怪異を呼び出してもアラストールには届かない。だが、哂っている。
(なるほど、奴の狙いは――)
 神としてのアラストールは無敵だ。神野が如何な怪異を用いようが、それを正面から粉砕できる。
 より強力な自在法で――より莫大な存在の力を消費して。
 今のアラストールは、不完全な天破壌砕で顕現している。
 呼び手も、贄もない、力尽くでの神威召還だ。
 自然、彼は存在の力を消費しなくてはその身を維持できない状態となっていた。
 だからこそ神野は待っているのだ。燃料を消費しきり、劫火が鎮火するその瞬間を。
 なるほど。確かに怪異は足止めにもならない。
 だがアラストールに一手を打たせることはできる。
 神野は只管に駒を張り続けていればいい。いずれ、アラストールはその一手が打てなくなる。

86 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:39:24 ID:vP/xCASw
 ――それが、奴の狙いだというのなら、
『愚かな』
 その一言に尽きる。
 厳かな宣言。それは紛れも無い死刑判決であった。
 アラストールは大きく呼吸した。だが取り入れるのは酸素ではない。紅世の王の炎は酸素では燃えない。
 取り込むのは存在の力。文字通りの生命線。神秘の劇薬。
 膨大な量の力を取り込み、そして解放する。
魔神の全力。それはまさに、世界が溶鉱炉にでもなったかのような錯覚。
 炎が世界となり、世界が炎となる。その主である神野も当然灼熱に包まれた。
 だが、それでも神野には届かない。
 神野にとって、僅かな隙間もない防御陣を造り上げるのは造作もないことだ。
 事実、神野の周囲に落ちた影は完全に炎を食い止め、その熱波を万分の一も伝えない。
 この炎は無意味だ。ただ巨大なだけの炎壁では、神野陰之を倒せない。
 そう――この炎自体に攻撃の意味はないのだ。
「……まあ、そうなるだろうね」
 影の内側から神野は見ていた。
 陽炎の中に、炎を纏った魔神の姿が消えるのを。
 アラストールが貴重な存在の力を大量に消費してまで造り上げた大火が持つ意味は単純にして明快。
 すなわち――梅雨払いである。
『――捕らえたぞ、神野陰之』
 周囲はタングステンすら蒸発する灼熱に包まれ、もはや怪異を呼び出しても全てが一瞬で消えうせるだろう。
 故に、アラストールの一手は神野にかかる。
 チェックメイト。
 天上から延びてきた巨大な炎腕は、なんの障害もなく神野の体を鷲掴みにした。

87 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:40:10 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「あ――は。あは、は、は」
 燃え盛る空気の中であれば、その外に声は漏れない。
 狂気に濡れた笑いはただ彼女の周囲を無限に旋回し、心の傷をより抉っていく。
 炎が浸食する部屋の中。熱は彼女を容赦なく炙っていたが、それでもまだ致命的なことには至っていない。
 慶滋保胤の矜持は彼女を救った。
 ほんの僅か、彼女から死を遠ざけた。
 十分な量の燃焼剤があれば、遅かれ早かれマンションの一室など火の海となる。
 すでに火の粉は机上のレポートに燃え移り、そこを新たな苗床として炎を生んでいた。
 もっとも、集合住宅という種類の建築物はそのほとんどが耐火構造になっている。
 たとえばこの火災で、マンション一棟が丸焼けになるということはないだろう。
 ……だけど、部屋の中に有るものはまた別の話だ。
 海野千絵がまだ生きているのは、彼女が部屋の入り口に――炎の発生点からやや遠い場所に居たというだけの理由に過ぎない。
 それでもすでに炎は部屋の大部分を浸食し、もう少しで彼女を飲み込むであろうことは明白だった。
(ここにいちゃ、いけない)
 その赤の侵略に対し、彼女は立ち上がろうとしていた。
 心的外傷を負っても、それを癒やすことのできる者が居なくても、脅威は目の前にあるのだから。
(……ここにいちゃ、いけないんだ)
 ――いや、はたしてそれは炎から逃げようとしての行動だったのか。
 千絵は窓を見て、そしてすぐに無言の悲鳴を上げて視線を逸らす。そこには未だ、彼女を見ている死体がいたからだ。
 彼女が逃げだそうとしているのは、身を焦がす炎熱などではなく――
 己の罪。その罪悪感ゆえに他ならない。
(やっぱり私は、ここにいちゃいけないんだ!)
 奇しくもそれは、彼女と同じく吸血鬼の呪いに苦しんだ少女のように。
 千絵は己の過ちを恐れ、この集団から逃げだそうとしていた。
 恐れは思考から自由を奪ったが、逃走という行為だけは促進した。
 進む。逃げ出すために、弱々しく足を踏み出す。
 だけど、それすらも折れた。
 時計の針が零時を示した瞬間、放送が始まるその寸前に。
 『1日目と2日目の境。狭間の時間。鏡の中と外が入れ替わる』
 零時迷子の能力で制限はされたものの、それでも魔女の綴る物語は健在で。
 窓の中に存在する死者の国と、現実たる部屋の中が入れ替わってしまったように。
 硝子から這い出てきた男の手が、千絵の、足に。
「あ――」
 確たる感触を以て、彼女を捕らえた。
 万力の如き剛力。
 だがそこから伝わってくるのは痛みなどではなく、ただ絶対に逃さないという負の感情。それのみ。
「ひ――あ?」
 視線が合う。
 生前の男の人なりを、千絵は知らない。
 だからその男が纏う怨嗟の不自然さにも気付かずに、彼女は異界に引きずり込まれた。

88意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:41:50 ID:vP/xCASw
「――や、あ、ァァアアアアアアアアアアア!」
 悲鳴を上げる。バタバタと身じろぎする。
 だけど体中を欠損している男は、その部分を有り得ないくらいにねじ曲げ、伸ばし、彼女の肢体に絡みついた。
 ――逃サナイ。逃サナイニガサナイニガサナイニガサナイ……!
 耳元でひたすらに囁かれる呪。逃れられないのだと理解するのに時間は掛からない。
「や――ごめ、ごめんなさ、あ」
 謝罪は不可能だ。すぐに気付き、口をつぐむ。
 触れられたのは一瞬だった。男の虚像が現実に這い出てきたのはほんの一秒。零時ジャストのその瞬間だけ。
 だけど、その感触が残したものはそうではなかった。
 永劫に残るであろう傷跡。外目には見えない致命的な裂傷を、その幻影は置き土産にしていった。
 ――どうすればいいのだろう。
 精神への負荷が限界になってほとんどの思考が停止する中、それでも最後に残ったのはその疑問だった。
 どうすれば良いのか。身を焦がす赤色の中、ただその解だけを模索する。
 どうすれば、この痛みから逃れられるのか。
 ……その問いに対して、彼女の精神は賢明だったと言える。
 崩壊を防ぐために、かつて存在した『痛まなかった』時期を記憶の中から探し出し主に提供し、それを指針とした。
「――あ、」
 目の前には剣の柄。リナ・インバースが己に突き立てた光の剣。
 刃は既に無かった。それを拾い上げ、懐に仕舞う。密かな武装行為。誰かを害するための行為。
 海野千絵という少女は、最悪なまでに不幸だったといわざるを得ない。
 その痛まなかった時期というのは、仲間に恵まれていた時でも、陽光の下に回帰した時でもなく――
 ――暗黒に身を委ねている時だけだったのだから。
「……あはっ」
 千絵は緩みきった笑みを浮かべた。まるで決壊したダムのような、ある種の清々しさがそこにはあった。
 ――支払うべき対価はここに。あの女怪の記憶は留めている。
「『だが、おまえが私を見つけだして望んだならば、再び吸血鬼にしてやろう』」
 約束された言葉を吐き、自ら陵辱した男の残影を背負って。
 彼女はゆらりと立ち上がった。

89意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:42:54 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 闇は恐怖である。したがって、神野陰之は恐怖の具現である。
 故にその影に包まれた瞬間、ノルニルの緊急避難装置は作動した。
 だがその装置は何処へ繋がったのか?
 黒い卵は所有者をその身内の下へ転送する。
 だがベルガーと同じ世界からきた旧友はすでに亡く、彼が身を置いていた集団もほとんど崩壊していた。
 生き残りは彼の他に僅かに二名。海野千絵と折原臨也。
 だが満足に会話したことすらないこの両名を、避難装置は身内と見なすのか。
 しかし、その二人以外には誰もいない。
「――ならばどこにも届かない。そうではないかね?」
 結果として、ベルガーが落ちたのは深い闇の中。
 無名の庵のような荒野ですらなく、ただどこまでも黒一色でしかない粘液のような空間だった。
 そんな場所で、夜色の外套を纏った神野陰之とダウゲ・ベルガーは対峙している。
 神野の言葉を無視して、ベルガーは短い問いを発した。
「どうしてここにいる?」
「『私』はあらゆる空間と時間に偏在する。どこにだっているさ――“こんな場所”にさえ」
 その白い貌が目立つ暗黒の世界を示しながら、神野は見透かすような目でベルガーを見ていた。
「ああ――君は心配しているのかな? 『私』が天壌の劫火を打ち破り、君を追ってきたと?」
「まさか。あのアラストールが負けはしないだろうさ」
「その根拠は?」
 尋ねる神野。ベルガーはすぐさま返答した。
「お前に答える義理は、ないな」
「いいや、はっきり言いたまえ――無いのだろう? そんなものは」
 ベルガーが訝しげな表情を浮かべる。
 嬲るようなその言葉に、怒りは沸かなかった。
 何故なら、その言葉を吐いた神野がどこまでも感嘆している様子で、さらに拍手などしているからだ。
「そう、君の言葉に根拠など無い。だが、君はその言葉を信じている――素晴らしい。いや、素晴らしいよ。僅か一日にして、か」
「……なにを言ってるんだ?」
「君達は答えに辿り着いたのさ、ダウゲ・ベルガー。心の存在証明。
 かつてとある一人の契約者が未来精霊を退けた解答を手に入れた」
 それはこのゲームの根源、その存在意義だ。
 心の証明。ただそれだけのために、この殺し合いは開幕した。
 その解答を手にしたというならば、つまりダウゲ・ベルガーは勝利したということ。
 この殺戮の舞台上から去る権利を得たということだ。
 だから――ベルガーはPSG−1を構えた。
 まるで拳銃でも扱うかのように片手で保持し、その銃口を神野の鼻先に突きつける。
「ああそうか。それで?」
「それで――とは?」
 凶器を向けられながらも、神野は笑みを崩さない。
 神野に対し、今の自分は有効な手を何も持っていない。それは理解している。
 だからこの行為は、ただ拒絶の意を明らかにしただけ。
「勝手にこんな場所に拉致しておいて、用が済んだらもう帰れ、はないだろう。
 それに、その口ぶりだとまだ帰す気はなさそうだが?」
「その通り。君たちが体現した『無条件の信頼』という答えはいまやアマワに通用しない。
 かつてアマワはそれを突きつけられ、それでもなお心の証明を望むのだから」
「……それはまた、ずいぶんと傲慢だな」
 ため息混じりに、ベルガー。
 なんとはなしに漏れた言葉だった。ほとんど反射的だったとさえいっていい。
「そう、傲慢だ。式に対する解答が必ずあると確信するなど」
 だから、それに対する反応があったことに、ベルガーは一抹の疑念を抱く。
 不吉を予告するように、周囲の闇が蠢いた。
「お前は、アマワとやらに協力してるんだろう? 心の証明をするために。なら」
「ならば『私』も証明の方程式があると信じているはずだ――かね?
 だがその論理は適用されないよ。『私』は他者の願望によって動く者でしかないのだから」
 淡々と、当たり前のことでも話すかのような神野。
 いや、それは神野にとっては当たり前なのだろう。だが彼を知らぬ者にとっては未知なのもまた道理。
(こいつは協力しておいて、答えがでるとは思っていない?)
 ベルガーは思考する。どこか焦るように、思考する。
 対峙した時間は一刻にも満たない。それでもこの神野という怪物の力は理解させられていた。
 神野陰之は闇そのものだ。人を脅かす怪異の根底に存在する。
 それを目の前にすれば、人は誰しも恐怖を抱く。
 ベルガーは気丈な方だ。恐怖ではなく、まだ不安や疑念といったレベルで済んでいる。

90意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:43:40 ID:vP/xCASw
 ――そう。まだ、いまのところは。
 アラストールという篝火が傍にあったときは、まだ。
「それじゃあ、お前は」
「ひとつだけ質問を許可しよう」
 遮る形で、どこか面白がるように神野はそんな提案を投げかけた。
「君のあらゆる質問に答えよう、ダウゲ・ベルガー。
 刻印の解除法、この世界から脱出する術、管理者たちの部屋へ至る道筋。
 ただひとつだけ、何の制限もなしにあらゆる解答を提示しよう。無論、私が知る範囲でだが」
 唐突な、そして無視できないほどに破格の条件。
 神野は発せられる問いを待つ。只管に笑いながら。
 それはまるで、これから起こる哀れで愚かな惨劇を慈しむように。
 ベルガーは、応えない。
 なにかを黙考するかのように、じっと神野を睨み付けたままだ。
「心の証明ができるか、あるいは我々を倒すことが出来るか――ふむ、君の心配事はそれかね?」
 その思考を見透かしながら、神野は嗤い続ける。
 ベルガーは喋らない。その表情にはなにも浮かんでいない。
 それでも神野は、どこか満足げに頷くと、
「なに、証明の可能不可能はこのさい問題ではない。君達はもとより心の証明などする気はなかったのだから。
 ならば取るべき手段は一つだけだ。
 我々を倒す。理に適っているよ。『私』か『彼』か。そのどちらが潰えてもこの遊戯は崩壊する。
 そして刻印を持たず、あの盤上における制限もないアラストールならばそれも可能だろう」
 まるで他人事のように神野はそう言い切った。ただしもう一言だけ、付け加える。
「ところで、決まったようだよ」
「なにがだ?」
「天壌の劫火アラストール。その敗北が」
 神器コキュートス。アラストールの意志を伝える術。
 ベルガーの胸にあったそれから、あの厳かな声が聞こえる。
 それは強く、高らかで、そして――どこまでも恐怖に溢れる、絶叫と知れた。

91意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:44:58 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「強い意志や願いは力となる。いまの君たちのように」
 アラストールにその身を握りつぶされる寸前であるというのに、神野の声は涼やかだった。
 だが、涼やかなのは声だけだ。
 身に纏う外套は焦げ臭い匂いを発し、その色を夜色から焦げ色へと変えている。
 神野陰之とは名付けられた闇。故に、その本体こそが統べられた世界の暗黒。
 だからこそ天壌の劫火に握られてもその程度で済んでいる。
 ――緩やかに死に行くだけで、済んでいる。
「では力とは何だろう。力とは蹂躙するものだ。
 刀は触れた物を斬る。銃弾は砕く。炎ならば焼く。ならばつまり、意志とは蹂躙するものだ」
 それでも、覆せぬ死が眼前にあるというのに神野陰之は語り続ける。
 まるでそれこそが己の役割だとでもいうように。
「この期に及んで戯言か。ならば応えよう。
 我が力は――我が意志は、決してその方向を違えん!」
「言い切れるかね、天壌の劫火。君の、君たちの意志が何か致命的なものを何一つ見逃していないと」
 慎ましくもなく、苦し紛れでもなく、はったりでもなく。
 ――夜闇の魔王は、ただ真実のみを口にする。
「この瞬間、貴様を討滅するこの一瞬に、そのようなものが介入する余地などない」
 アラストールがさらに存在の力を拳に籠め、神野に加える熱量を上げていく。
 炭化した外套がぼろぼろと剥がれ、零れ落ちていった。
 初めて――恐らくその誕生から初めて、神野陰之という存在が致命的なまでに害されていく。 
「あるさ。蹂躙する側の君が気付かないというだけで。
 ふむ。解答を提示することは吝かではないが、それは拒絶されているのだったね」
「……」
 アラストールは最早、応えない。
 神野という存在は、既に焼け始めていた。恐らく、もってあと十数秒。それで闇は名を失う。
「意志は、より強い意志に打ち砕かれる。だから願望なき『私』の言葉は君に届かず――」
 そして神野の存在が燃え尽きる、その寸前に。
「君は敗北するのだ、天罰狂い」
 ――炎の衣を纏うアラストールを、地下より吹き上がった別種の炎が包み込んだ。

92意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:45:59 ID:vP/xCASw
「なっ――!?」
 驚愕するアラストール。その隙に、神野陰之はその手から飛び出していた。
 着地し、満ち満ちる闇をその身に絡めるように一回転すると、それだけで傷は消え、黒の外套も復元されている。
 そうして全快した魔王は、改めてアラストールへ視線を向けた。
 炎に包まれる巨人。それだけならば、先程と何ら変わりはない。
 だが、分かる。いま魔神を包んでいる炎は、決して天壌の劫火ではない。
 アラストールは炎に捲かれたまま数歩後退し、そして察した。知っている。自分はこの感覚をかつてから知っていた。
「これは――坂井、悠二の――!?」
「その通り。零時迷子が復元する世界の疵痕。獣精霊ギーアの残滓」
 嘲る言葉をたどり、発見する。炎の向こう側、いまだ健在している神野陰之。
 あと一息。あと一息で、倒せたというのに――
 そう。あと一息だった。では諦めるか? あと一息だったと笑いあって諦めるか?
 ――まさか。諦められるものか。
「このようなもの……!」
 さらに存在の力を注ぎ込む。
 まずはこの炎を跳ね飛ばし、それからもう一度神野を焼き滅ぼす。
 それを切望して――だが、出来ない。
 残りの存在の力が少なすぎるからというだけではない。
 炎から伝わってくる怒り、悲しみ、喪失感――それらが、あまりに巨大すぎる。
 自分すら飲み込みかねないほどに。
「無駄だよ。いかに君とてその炎からは逃れられない。
 それは、本来何者からも干渉されるはずのなかった未来精霊すら封じる力だ。
 宝具によって復元され、今も世界とアマワを焼き続けている――丁度その位置に、君は踏みこんだ」
 ほぼ無制限に広がる無名の庵。そのほんの僅かな一画。猫の額よりも狭い空間に、その場所はあったのだ。
 そして不運にも、アラストールはその場所に踏み込んだ――?
「馬鹿な、そのような――」
「偶然があるわけない? だがその『偶然』はあの盤の上で散々付きまとっていただろうに。
 アマワは偶然を操る――もっとも、そのアマワも今は君同様に焼かれているがね。
 だがそれでも“あの盤上でないのなら”偶然は起こるのだよ」
「なぜだ!」
 抵抗を止めぬまま、アラストールが叫ぶ。
 それは焦燥と苛立ちが生み出した意味の無い叫びだ。
 だが同時に、紛れも無くそれは心の底からの紛糾だった。

93意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:46:51 ID:vP/xCASw
 ――それが、最後の一線。
 神野が嗤う。醜悪に、毒々しく、嬲るように――だが淡々と。
「君の意志が蹂躙したのは『私』の言葉だ。
 『契約者でも無い限り、この空間で都合の良い偶然は起きない』。
 裏返せば、契約者であれば偶然に守護されるということ。
 あの盤上で君たちの力を縛る制限は二つ。その身に捺された刻印と、そして外部から隔絶する為に箱庭自体に施した刻印。
 前者は認識しやすい脅威として、後者は君のような規格外を制限するために用意させて貰った。
 保険のようなものだったが、君の同類の例から見て間違いではなかったようだ」
(――マルコシアス!)
 送還されたか、それとも果てたか――どちらか分からないが、それでも志は折れたのだろう。
 哀れだった。惨めだった。
 今の自分のように。
「後者の刻印は外部からの働きかけを制限する。加護や概念の類ですらもね。
 だからこそ、契約者とてあの盤上では死ぬ。
 そして『彼』のことを『私』が何と呼んだか――君は覚えていないだろう、アラストール」
「……っ」
「“盟友”だよ。『私』は契約者だ。
 やや変則的だが、心の証明に協力する限り――つまりこのゲームが続いている間はほぼ滅びることがない。
 少なくとも"君程度"の脅威ならば。
 今のように、あらゆる偶然が『私』を助けてしまう。これはすでに結ばれた約定なのだから、アマワの有無は関係ない」
 紅世の王の力ですら、神威ですら破ることのできない約束。
 ならば、何がそれを壊せるというのか。
「ぬ……ぐぅ……!」
 呻く。獣精霊の炎は天壌の劫火を掻き消すほどではないが、それでも拮抗していた。
 脱出は不可能ではない。
 それでも、それをした後に神野を再び追い詰められるかと言えば、おそらく無理だ。
 ――だけど。
「――諦めるか……諦めるものか!
 契約をした! フレイムヘイズの契約ではない、だが絶対の契約をダウゲ・ベルガーと交わしたのだ!」
 その約束を、果たさねばならない。
 契約の不履行など、この断罪の魔神にあってはならない。
 天壌の劫火は獣精霊の炎を纏いながら、一歩、また一歩と――僅かな、だが確かな歩みを見せる。
「そうだね。君らの『意志』と『願い』は強固だった。その獣精霊の残滓を凌ぐほどに。
 『私』を倒す、ゲームに幕を引く。ああ、確かに強固だった。だが――」
 神野は、動かない。
 もとよりそれほど距離が離れていたわけではない。アラストールがあとほんの少し踏み出せば、神野に届く。
 ――だが、それでも闇に浮かぶ嗤いは絶えず。
「だが、それでもゲームは続いている。それが君達の限界だ、アラストール」
 神野の言葉によって、道は閉ざされた。
 思い出す。否、強制的に情報を叩き込まれる。目の前の存在が如何なるモノであったかを。
 より強き願いによってのみ動く究極の魔法、神野陰之。
 それがまだゲームを続けているということは――
「そうだ。君たちの『願い』も『約束』もアマワのものに届かなかった。
 君たちの意志はアマワより薄弱で、君たちの決意はアマワより劣っていた。
 君達は正しくして――より強き想いに敗北した」
 砕けた。
 天壌の劫火。その巨体を支える膝が折れ、地に伏す。
 前進しようとする心は四散して、燃え盛っていた輝きは鎮まった。
 精霊は、ただ一つの意味に硝化して生まれる。
 アマワは隙間を埋めることの出来る存在を求めるが為に生じた。
 ただ本当に、なんの混じりけもなく、そのためだけに。
 叶えることにおいて夜闇の魔王が究極ならば、未知の精霊は求めることにかけての極致。
「そ、んな――」
 否定しようと口を開き――それでも言葉は出てこない。
 ダナティアの高らかな宣言。他者を生かすために自刃したリナの遺志。自分が守ろうとしたシャナの誇り。
 そしてダウゲ・ベルガーとの約束。それらが全て取るに足らないものだったと――
(ならば、我らが抗う意味とは――?)
「……アラストール」
 そして意志の折れたアラストールに、神野の言葉を防ぐ力はなく。
 哀れむような嘲るような、丸眼鏡の向こうの双眸に心の底まで貫かれ。
「事実だ」
 その言葉に、アラストールは恐怖した。
 届かない――いかに気高い決意も、強固な意志も、あらゆるすべてが届かない!
 気付かず、悲鳴を洩らしていた。
 いつの間にか、アラストールは神野陰之という存在に恐怖を覚えていた。
「さて、『私』と君の力量は互角。それでも、二対一ならば――」
 だけど、その悲鳴はすぐに、
「――消え去るがいい。“天壌の劫火”」
 断末魔となった。

94意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:48:10 ID:vP/xCASw
◇◇◇

「これで君は切り札を失ったな、ダウゲ・ベルガー」
 絶叫は絶え、いまやコキュートスからはなんの意思も伝わってこない。
 追うように、ベルガーも沈黙を守っている。
 ただ闇だけが、まとわりつくように言葉を発していた。
「さて。改めて、君はどうするのかな?
 この空間から脱出する術も知らず、『私』を倒す手段も失われ。
 君達の意志の脆弱ささえ証明された。さあ――どうする?」
 成せることは……何も、ない。
 あのアラストールでさえ駄目だった。自分たちの意志さえ否定された。
 文字通りの八方塞がり。ならば、どうしようでもないではないか?
 それでもベルガーが口にしたのは、懇願でも狂気でも泣き言でもなく、問い掛けだった。
「質問を許可する、といったな」
「ああ、その通りだ。あらゆる問いに真実を返そう」
「なら――質問だ。
 "その質問を許された代価は?"」
 だが、ベルガーの心中は穏やかでない。
 闇を前にしている恐怖がある。仲間を奪われた怒りがある。
 彼を支えていたのは誓いだった。
 怒りに身を任せず、諦めに心を委ねず。
 彼らの御旗。ダナティア・アンクルージュの宣告は、未だ彼の中で生き続けている。
 ――それでも、御旗を照らす篝火は失われた。
 ベルガーが発した問い掛け。それは、本当に諦めから来たものではないのだろうか?
 幾多の死線を潜り抜けてきた彼の嗅覚は、だいぶ前から最大の警鐘を鳴らしている。
 しばしの沈黙。その後に、神野は高らかに嗤い声を上げた。
「君は本当に賢しいな、ダウゲ・ベルガー。
 そう。確かにあんな破格の質問が許されるはずが無い。
 ――なに、何かを支払えというわけではないさ。
 ただ、ああいった質問が許されるのは“どういった人物”なのだろうね?」
 饒舌な神野とは対照的に、ベルガーは押し黙る。
 それは口を開くタイミングを逸したというよりは、むしろ重圧で口が開けなくなっているという方が正しい。
 知らぬうち、ベルガーは己の心臓の辺りを服の上から鷲掴みにしていた。
 ――脳裏をよぎるのは、炎髪灼眼の少女。
 彼女は何故、自分の行為が織り成す絶望を知ることが許された――?
 それを見越したように、闇はその醜悪な嗤いを強めていた。
「開始時に説明されたはずだ」
「――なに、を?」
 ――呼吸が、出来ない。
 片肺は未だに再生中。いくら空気を吸ってもどこからか漏れている気がする。
 だが、この息苦しさはそれだけで説明できるだろうか――?
「刻印の発動条件さ。違反に応じて、それは発動する。
 この『ゲーム』を壊す為の『前準備』ならば容認もしよう。偶然に導かれて集うのも問題はない。
 だが、ダウゲ・ベルガー。契約者ですらない君が、アマワが存在しない時間に無名の庵に踏み込んだ。
 脱出を禁じられた箱庭から飛び出し、主催者に危害を加えようとした。
 今回君が冒したのは明確な『ルール違反』だ」
 そして、と神野は続ける。陰のように静止した笑みを口許に浮かべながら。
「刻印を作ったのはこの『私』だ。無論、それを発動する権限も――」
 ――シャナが己の行為の結果を知ることができたのは、すでに参加者ではなかったから。
 それはまるで、最終章のダクトを振り下ろすかのように。
 神野の指が、虚空を滑る。
 瞬時にベルガーの胸に灼熱が走った――

95意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:48:54 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 魔術師が指を弾いた。
 途端、新たに銜えられていたシガリロの先に赤が点る。
「様子見、というところにしておこうか」
「あれ? 刻印は作動させないんだ?」
「クライアントは過度な干渉を控えるように忠告していただろう……君の遊びも度が過ぎるぞ、人形使い」
 吐き出す紫煙に諌める言葉を載せながら、魔術師。
 肩をすくめて部屋から去っていく人形使いを尻目に、彼は深い思考に埋没していく。
 彼にはひとつ懸念している事柄がある。
 それは、このゲームが始まってから付きまとって離れない違和感についてだ。
 “黒幕”と“管理者”の迎合は、切っ掛けも何もなく唐突な瞬間から始まった。
 最初にそれと接触したのはイザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファー。通称“機械仕掛けの魔導師”。
 厳重な警戒システムがあった筈の彼のラボに、気配も前兆もなくそれは現れた。
 現れた男の名は神野陰之。
 “心の実在を証明する気はないかね?” ――それが闇を身に纏ったその男の第一声だった。
 それから細々としたやり取りを経て、彼らは管理者という役柄に納まるに至っている。
 ――どこか、おかしい。
 魔術師は懸命に思考する。だが、その思考が解にたどり着くことはない。
 薔薇十字騎士団は短生種だけではなく長生種をも構成員に含んでいるが、それでも一応は人間的な思考で動く組織である。
 対して、神野陰之は人間であれば恐怖心を抱かずにはいられない暗黒だ。
 確かにオルデンは他人の野心等に付け込み、それを利用する形で自らの目的を果たそうとする性質が有る。
 だが同時に彼らは慎重だ。果たして、それこそ『魔女』のような精神構造を成してない彼らが神野と取引をするだろうか?
 誰も、違和感を覚えない。
 例えば、参加者の会話を盗聴できることに彼らは疑問を抱かない。
 住んでいる世界が違うというのに言語を理解できる。その理由を想像しない。
 例えば、彼らは安全な場所に居るが故に己の全力を行使する必要はない。
 だからその能力が低下していることに、気づかない。
 最初に神野と対峙したケンプファー以外は、そもそも黒幕に対しての不信感など抱いていない。 
 完全な状態の刻印を植えつけられる前に神野を知ることのできたケンプファー以外は、誰も違和感を覚えない。
 そしてその魔術師にもすでに刻印は刻まれている。だから、違和感の正体には気づけない。
 『管理者』という区別をされた、証明への参加者たち。
 彼らは揺り籠/牢獄の中にいる。

96意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/27(金) 21:49:37 ID:vP/xCASw
とりあえず今日はここまで。続きは明日。

97名も無き黒幕さん:2011/05/27(金) 22:31:50 ID:50ohktMY
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
投下されとるやん!
待ってましたぜッ!

98名も無き黒幕さん:2011/05/28(土) 07:58:44 ID:???
感動、その一言に尽きます
大変でしょうが、頑張って下さい!

99意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/28(土) 23:00:56 ID:vP/xCASw
投下再開。昨日の続きから。

100意志葬送 ◆5Mp/UnDTiI:2011/05/28(土) 23:02:15 ID:vP/xCASw
◇◇◇

 闇色の海に、炭の如き黒色が浮いていた。
 それはかつて誉あるものだった。尽き果てぬ篝火。だがいまは、闇にまぎれてしまうほどの価値しかない。
 すでにそれは天壌の劫火ではない。燃え尽きた灰。堕天した劫火。
 そんな言葉がお似合いだろう。本来なら似合うはずのなかった自嘲を、アラストールは繰り返していた。
 そう。すでに自分は天壌の劫火ではない。紅世の王を名乗る資格などとうに失った。
『我は、最悪か』
 その身を汚され、フレイムヘイズを否定された愛しき子。彼女でさえ最後まで戦い抜いたというのに。
 対して自分はどうだ? こうしてなにもしないまま暗い空間を漂っている。
 だけど、もうどうしようもないではないか。
 存在の力をほとんど使い果たし、意思の強さでさえ敗北した。
 罵られてもかまわない。だが、何もできないのに何を求められるというのだろう?
 思考は停止し、アラストールは沈んでいく。無思考のまま、ただ黒いだけの場所に堕ちていく。
 ――だから、すぐその足音に気づくことができた。
 この地面すらない闇の中、だが規則正しいリズムで刻まれる音が確かに響いている。
 そして近づいてきた音の主は、横たわるアラストールをじっと見つめた。
 もはや、何にも興味はわかない――だから力なく、アラストールはそれをみて一番最初に思いついた単語を口にした。
『……死神か』
「――失礼ね。あんなモノと一緒にしないで欲しいわ」
 女学生の制服を着たそれは不満げな声音で、だが無表情のまま抗議する。
『だが我は貴様の名を知らぬ』
「名前、ね。私はもう死んでしまったモノだし、本当は無意味なんでしょうけど」
『呼ぶのには不便だろう』
「――ああ、そういえば彼にも言われたわね。なら、イマジネーターと。ねえ――燻っている劫火さん」
 さりげなく、だが刃のごとく突き出された言葉は、アラストールの深奥に突き刺さった。
 だけど、それを痛みとして感じる部分はとうに失っている。
 結果としてアラストールは沈黙するしかなかった。
 ただ、時間だけが流れていく。
『……』
「それ以上落ちれば、本当に戻れなくなるけれど?」
『……戻るとは、どこへだ?』
「どこへだっていけるでしょう。
 貴方はまだ死んでいないのだし、私のように地面に叩きつけられる運命にあるわけでもないのだから」
『……まだ、死んでいない?』
 胡乱げに、繰り返す。
 もはや言葉の意味を解するのも億劫なほど、アラストールは疲れ果てていた。
 それでも放棄せず、少しずつ噛み砕いて飲み込もうとしたのは、彼の性分がまだ多少なりとも生きていたからだろう。
 死んで、いない。確かに、アラストールという存在はいまだここにある。
 存在の力は九割方使い果たしてしまったが、それでもまだ、顕現は続いている。
 そう――いまの自分は、そんな状態でしかない。
 アラストールには、そのイマジネーターの名乗った者の言葉が皮肉のように聞こえていた。
 死んでいない――だからどうしたというのだ。
 くつくつと、消えた炎は死んだ笑いを響かせる。
『未だこの身が滅んでいないとはいえ、それでどうなるというわけではなかろうよ。
 何も成せない。何もできない――ならば、その生にどんな意味があるというのだ』
「私に死を講釈するの?」
『そのようなつもりはない。だが、放っておいてはくれまいか?』
「お断りするわ。私は、私の意思でここまでやってきた。
 聞きたくないのなら耳を塞げばいいでしょう。もっとも、いまの貴方にはそんな力もないでしょうけど」
 ああ、確かにそんなわずかな力さえない。
 だから、侮蔑するようなその言葉にも怒りはわかない。
 それでも――負け惜しみを吐くことくらいはできた。
『意思――意志か。だが、我はそれすら奪われた。完膚なきまでにたたき折られた。
 貴様にはあるのか? 意志を奪われたことがあるのか?』
「私は死神に殺されたわ」
『だがここにいる。我と相対して言葉を交わしている。それならば意志はまだあるのだろう』
「なら、貴方だって話しているわね。それは心があるっていうことになるの?」
『我は――流されているだけだ。貴様が話さねば、我もまた口を開くまい』


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