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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1 語り(管理人) :2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

2 語り(管理人) :2015/05/29(金) 21:54:36
第1話  漂流





「恭也、ちょっとこっち来い」

 そう呼びかけるのは外見が20代半ば位の男だった。
 黒髪黒瞳の整った顔立ちと、長身で、大柄ではないにも拘らずひ弱さを感じさせない引き締まった体つき。周囲の人間が威圧感を感じかねない特徴であるが、今その男はそれらを相殺して余りある悪戯小僧然とした表情を浮かべている。

「父さん。少しはみんなを手伝ったら?」

 多分に呆れを含んだ口調でそう答えながらも大人しくそちら、呼びかけた男の方へ歩み寄る少年。黒髪黒瞳の整った顔立には呼びかけた男の面影があり、返答通り二人が親子であることは容易に想像が付く。
 こちらは外見からすると10代半ばと言った所だろうか。血筋なのか育ちなのか、見る者が見ればしなやかな猫科の肉食獣をイメージさせる所まで良く似ている。
 その為だろう。その感情の現われていない表情が殊更強調された印象を受けるのは。そして、初対面の人間がこの親子と対面したときに歳の離れた兄弟だろうと推測し、「父」と言う単語が聞こえたときに驚くことになるのは。どちらも実年齢と外見年齢が一致していないのである。ただし、仕事時などでは表情を引き締めることの出来る男-不破士郎-と違い、常時無表情な少年-不破恭也-は体格に恵まれていることも災いし、ランドセルを背負う姿を「小学生なのに留年したのか?」と父親からからかわれる日々を送っている。
 感情が表情に出にくいことと感情の起伏があることはまったくの別問題である。そして、悔しがっていることを一番隠したい相手を含め、周囲の親しい者には感情がほぼ筒抜けになっていることが、近頃の恭也にとっての最大の悩みだった。

「馬鹿野郎、人聞きの悪いことを言うな。余興の剣舞のことだ」
「何を企んでるの?」

 瞬時に発言内容が詰問に移行する辺り、普段の遣り取りを容易に想像させる。と言っても言い回しこそ違えど返答の内容は親類であれば一致していただろう。そして、それは士郎自身も承知しているため、あっさりと聞き流しつつ自分の用件を話し始める。

「折角の祝いの席なんだ。琴絵さんを祝福するためにも派手に行こうじゃないか」
「一臣叔父さんも含めてやりなよ。
 そもそも後2時間もしたら式が始まるのに今更変更なんて出来ないだろう」

 そう言いながら恭也は周囲を見やる。
 流石に直前にどたばたと準備などしている訳は無いが、普段は落ち着いた雰囲気の日本家屋、御神宗家が静かな賑わいを見せている。

 今日は御神宗家の長女である御神琴絵と、御神の分家の一つ士郎と恭也の実家である不破家の当主不破一臣の祝言である。
 琴絵は美しく気立ても良い女性で親族の誰からも慕われていたが、生まれつき体が弱く、1年の大半を床で過ごしていた時期もある。琴絵と一臣が婚約を済ませていながら式を挙げることが出来なかったのもそれが原因であった。
 最大の分家筋である不破家の当主は血筋を守る義務がある以上、結婚相手には健康であることも求められる。長く続く家系であるため、当主として個人の感情より体面を優先することを求められる事は無理からぬことだったのだ。周囲から他の相手との結婚を求められた一臣は、せめてもの抵抗として結婚を先延ばしして琴絵の回復を待ち続けた。
 体面を優先させた老人たちとて琴絵を憎んでいた訳ではない。だからこそ、最後の条件を満たして迎えることが出来た今日と言う日を祝うために、親族全てが集まっているのである。

3 語り(管理人) :2015/05/29(金) 21:55:11
 また、剣舞とは式の余興として恭也と士郎が真剣を用いて行う殺陣である。結婚式の余興が剣舞と言うのはどうなんだと言う意見はあるのだが、伝統行事なのだ。これは御神宗家および不破家が実践剣術を伝える家系だからだろう。
 士郎が既に袴で身を包み腰に2本の刀を挿しているのに対し、恭也が黒一色の普段着のままであるのは、単に着付けの順番待ちである。
 本来ならば違和感の付き纏う服装をごく自然に着こなしている士郎は、純日本家屋が背景になっていることもあり侍と言われればそのまま信じてしまいかねない趣がある。顔を引き締めたまま喋りさえしなければ!
 色々な意味で危険を伴う士郎と、その士郎が特にハッチャけることの多い相手である恭也が揃って剣舞に任命されたのは、それぞれの年代で屈指の腕を持つと認められているからこそなのだが、

「まあ、聞け。別に手順を変えるわけじゃないんだ。
 この血糊の入った袋をオレの懐に忍ばせておくから、最後の袈裟切りの時に上手いこと斬って驚かせるんだ。どうだ、こいつはウケルと思うだろ?」

 本当にその人選は正しかったのかと問い質したい者は多いだろう。人格は必ずしも剣椀に比例する訳ではないのだ。
 ちなみに、恭也に血糊を仕込んで斬られ役にしないのは万が一を考えての父親としての優しさだ。などと言うことは全く無く、不破の当主の式でもあるため剣舞の内容に「継承」の意味を含めて「弟子が師を越えていく図=年配者が斬られ役」とされてたからである。

「なるほど、良いんじゃないか?それなら血が流れても誤魔化せる。」
「だろ?こいつで澄ました顔して座ってる連中の度肝を抜い・・・。」

 士郎の発言が途切れ、二人の間にしばし沈黙の時間が流れる。密談するために近づいていた二人の距離がごく自然な動きでわずかに開き、その流れのまま双方共に注意して見ていなければ気付かない程度に膝を曲げ、突発的な行動を取れるよう準備を整える。

「やっぱり、斬られる予定の無い馬鹿息子が突然流血する方が驚きは大きいよな」
「謙遜することは無いぞ馬鹿親父。みんなに敬愛されている者が予期せぬ事故に遭えば誰もが悲嘆と驚愕に包まれる事請け合いだ。流血して倒れている父さんを指差して爆笑しているみんなの顔が目に浮かぶよ」
「てめぇ、言っていることが滅茶苦茶じゃねぇか」
「聞き間違いだろう。内容は一貫している。
 まさかとは思うが、自分がみんなから敬愛されていると思っている訳じゃないだろう?」
「言うようになったな、恭也」
「まだまだ序の口だ」

 言葉を重ねるごとに縁側からでも感じ取れるほど緊張感が高まっていくが、周囲の人間に気にした様子はない。無論、式の直前の準備に忙殺されて気付かない訳ではなく、このような掛け合いがこの親子にとって日常茶飯事だからである。
 しかし、今回は普段通りの斬り合いに発展することは無かった。大事な式の直前だからでも、恭也が帯刀していなかったからでもない。始める時には状況も装備もお構いなしに始める連中が休戦に至った理由は、外的要因によるものだった。

「何だ?」

 不審そうに屋敷に視線を向ける士郎。対峙しているにも関わらず視線を逸らす士郎に奇襲を掛けないのは、恭也自身も現状に違和感を感じているためだ。
 それは、悪意も害意も感じ取ることができず、音も光も発することのない、初めて体験する感覚だった。



* * * * * * * * * *

4 語り(管理人) :2015/05/29(金) 21:55:49
* * * * * * * * * *



 良く晴れた昼過ぎの臨海公園で、車椅子に乗った少女-八神はやて-は、紫がかった長髪の怜悧な美貌の女性-シグナム-と金髪の柔和な佳人-シャマル-と共に散歩を楽しんでいた。
 公園内は手入れが行き届いており、季節に見合った柔らかな日差しも手伝い、とても居心地の良い空間と言えた。にも関わらず人が疎らで閑散としているのは、今が平日の昼間だからだろう。そうでなければ、これほどのんびりと寛ぐ事はできない。

 はやては経験上、このメンバーで街中を歩けば注目を集めることを知っていた。たいていの場合まず、自分に、ではなく車椅子に視線が集まるが、不躾に眺め続ける者はほとんど居らず程なく視線は逸らされる。が、その時視界に年上の二人の内どちらかが入れば再び視線が集まる上、今度はなかなか離れない。男性からは勿論、女性からも視線を集めて止まない美貌の持ち主が2人も家族に居ることが、はやてのささやかな自慢だった。“ささやか”なのは勿論この評価に不満があるからだ。はやては、「外見だけやあらへんねん!」と声を大にして主張したいのだ。
 ここには居ない2人を含め、自分が家族として迎え入れた、そして自分の家族であることを容認してくれている4人-ヴォルケンリッターの面々-を世界中の人に自慢して回りたくなることすらある。

 はやては足が不自由になり車椅子に頼るようになってから小学校を休学している。
 休学の理由はいくつかある。小学校という施設には車椅子で過ごせる設備がなかったし、頻繁に通院する必要があったことも小さくはない。だがそれらの理由より、子供ならではの無遠慮で無躾な視線にはやてが堪えられなかったからだ。
 単に怪我をして一次的に車椅子を使っていただけなら気にならなかったかもしれない。しかし、事故で両親を失ったショックが癒える間もなく、徐々に足が動かなくなっていくという恐怖は、幼い少女から笑顔と心の余裕を奪い去るには過分な威力があった。

 だが、はやてはクラスメイトを非難する気はなかった。
 珍しいものに好奇の視線を向けるのは無理のないことだと理解できる程度には、つまり年齢からすると不相応と言える程に、はやては聡明であり優しい気性だったからだ。
 しかしだからこそ、悪く言えば内向的なその気性は、歳相応と言える未成熟な精神を追い込んで行った。
 そして、諦観と悲嘆に潰される寸前に不幸の続いた少女の元に漸く、彼女曰く「幸運」が舞い降りた。それも、反動とでも言うように夢物語のレベルの物が。

 その幸運とは、はやてが9歳の誕生日を迎えた瞬間に起こった、後に家族となる4人がはやての元に召喚された出来事を指す。
 はやてにとって昨日の事の様に思い出すことが出来るその初の対面は、しかし対面した後のことを思い出すことができない。勿論忘れた訳ではなく、「真夜中に突然輝きだした本の中から飛び出した4色の光の玉が人の姿になった」という、メルヘンなのかSFなのか判断に苦しむ現象を前にして、感情が希薄になっていた少女ですら驚きのあまり意識を手放してしまったからだ。
 はやてはこの時のことが話題に上る度に、家族になる者との感動の対面をふいにしてしまい一生の不覚、と語っている。

 だが、はやての家族になれた事についてヴォルケンリッターの誰一人として、はやての言葉通りの幸運だとは思っていない。召喚者がはやてであった事は、あくまでもはやてが闇の書の主となれるほどの魔道の才能を秘めていたからだ。そのことを明確な事実として認識しているからこそ、自分達が家族になれた理由は、はやての言葉通りの「家族になれる者に出会えた幸運」などによるものではなく、家族として迎えてくれたはやての優しさであり、包容力であり、強さであるということを履き違えたりしなかった。

 事実、過去、闇の書の主として選ばれた者の中には、力を忌避して主としての権限を書の主であることと一緒に放棄する者(無論この考えを持つだけでも希少であったが)は居ても、家族として遇する者は皆無であった。そもそも、自分達はこの待遇を期待することなど思考の片隅にもなかったし、家族になれと言う要求は想像の範疇を超えていた。

5 語り(管理人) :2015/05/29(金) 21:56:22
ヴォルケンリッターはそもそも「希望」など持ち合わせていなかった。自分達自身を、主の意向・意思・希望・野望・欲望を実現するための存在として、道具として定義するようになっていた。
 感情すら表すことはなくなった。書の主の選定基準は魔道の才能のみであり、人格が考慮されることはない。心の中で鬼畜・外道と蔑んだ者も、自分達に欲望の矛先を向ける者も、闇の書が主に選定した以上は、闇の書の守護者に否やはない。そんな権利は存在しない。
 だからこそ、この出会いを幸運、いや奇跡と言うのであれば、それは闇の書の主にはやてが選ばれたことであり、自分達が言うべき台詞なのだというのが、ヴォルケンリッターの共通の見解であった。


「シグナム、剣道道場の方はどないやの?」
「はい、皆他流派の私に対しても良くしてくれます。」
「カッコいい男の人はおった?」
「・・・そうですね。純朴で実直な、好感の持てる青年が居ました。」

 はやての「おお!?」とシャマルの「ええ!?」という2種類の声が重なる。剣の道一筋と言わんばかりのシグナムの口から男の話題が出るとは考えていなかったのだろう。
 自分から振っておきながら満面で「驚いた」と表現していたはやては、年頃の少女らしく、と言うには少々早熟に過ぎる気もするが、早速シグナムの恋愛話に食い付き先を促す。

「それでそれで?」
「主はやても将来はあのような青年を選ばれるのであれば私も安心できます。」
「・・・あれ?」

 想定外の返答に思考が止まるはやてと、返答内容に呆れるシャマル。

「シグナム、あなた将来はやてちゃんが”純朴で実直な好感の持てる青年”を連れて来たとしても、はやてちゃんに相応しい人物か確認する、とか言って果し合いでも挑むんでしょ。それもはやてちゃんに内緒で」
「無論だ。主はやての手を煩わせるまでもない。主はやての伴侶となるからには少なくとも私より強くなくては。無論、強いことなど最低条件だが。」
「そんな人滅多に居ないわよ。」
「当然だ。主はやての伴侶が有象無象であって良い筈がない。」

 さも、当然のこととして話すシグナム、会話が進むにつれ呆れの度合いが深まるシャマル、やや笑顔の引き攣るはやて。
 はやてもシグナムが強いことは聞き及んでいる。ただ、シグナムの戦闘シーンどころかテレビで放映される格闘技くらいしか見たことがないはやてにとって、シグナムの強さが具体的なイメージには繋がらない。そのため、ドラマに出てくる「頑固親父にその娘を嫁にもらうために挨拶に行き殴られる男」の図を想像してしまったのだ。

「シグナム、あな――っ!?」

 続く呆れた言葉を中断し、唐突に海の方向に顔を向け凝視するシャマルと、シャマルから一瞬遅れたものの何かを感じ取ったのか同じ方向を警戒するシグナム。
 一人状況に取り残されたはやては、二人と同じ方向に視線を向ける。海への落下防止用の鉄柵が5mほど離れたところにあるが、鉄柵の向こう側は何の変哲もない見慣れた海、そして鉄柵と自分達の間にはきれいに舗装された地面のみ――?

 前触れもなく、唐突に鉄柵が歪んだ。

「レヴァンティン!」
「クラールヴィント!」

 はやてが鉄柵の異常に気付いた時には、シグナムが剣を携えはやての前方に、シャマルが直ぐ脇に近寄り車椅子に手を添える。
 そして、はやては視線を動かしたことで自分が誤認していた事に気付いた。鉄柵が歪んでいたのではない。鉄柵との中間点の空間が歪んだために光が屈折したのだ。
 目の前の現象にはやての認識が追いつくのを待っていたようなタイミングで、地上から50cmくらいの高さの空間に黒い物体が出現し鉄柵に向かって吹き飛んでいった。地面でワンバウンドした後、鉄柵にぶつかった物体を見て、はやての口から言葉が零れた。

「・・・男の子?」



続く

6 語り(管理人) :2015/06/09(火) 21:06:59
第2話 遭遇



 シグナムには空間転移してきた目の前の少年からは魔力を感じることはできなかった。巧妙に隠している可能性を危惧してシャマルに視線を向けるが首は横に振られた。クラールヴィントを使用した上で否定したと言うことは少なくとも脅威となるような魔力資質ではない。だからと言って目の前に空間転移して来た者を敵ではない等と言える訳も無い。
 シグナムは推測を続ける。どう見ても私服姿だが管理局の人間だろうか?だが、闇の書とその守護騎士を捕らえるなら単独で来るなどあり得ないし、目の前に転送してくる意味が無い。陽動にしてももっとマシな手があるだろう。
 無関係な人間が転送時に何かのトラブルで飛ばされたのかもしれないが、はやてがそばに居る今、その様な楽観論を選ぶことはできない。
 結局、シグナムとシャマルには現在の手持ちの情報でこの少年が敵なのか、無関係なのかを判断することは出来なかった。だが、はやてが傍らに居る以上、何らかの対処はしなくてはならない。
 はやてを守る方法は2つある。脅威を排除するか、近づかないかだ。

 排除。端的に証拠を残さず殺してしまえば脅威ではなくなる。
 だが、シグナムははやての未来を血で汚さないために仲間達と共に自ら殺生を禁じていた(無論好んで殺人を犯したい訳ではなく、必要性があり、誓いを立てていなければ行ったと言う意味だ。戦場に剣士として立つ以上奇麗事を語るような愚かさは持ち合わせていない)。
 だからこの場で採れる無難な方針は、近づかないこと、関わらないこと。

 だが、今この場にははやてが居て、少年が倒れる様を目撃している。

「大丈夫ですか?」
「はやてちゃん、待って」
「ここは私が」

 声をかけながら近付こうとするはやてをシャマルが制し、代わりにシグナムがゆっくりと少年に近付く。

 自分達の主が倒れている者を前にして「看過する」という選択肢を持たないことは承知していた。だから、はやてと共にこの場面に遭遇した以上、取るべき行動は初めから決まっていた。
 すべての危険からはやてを遠ざけたければ、部屋に閉じ込めるしかない。そんな飼い殺しの様な真似が出来る訳がない以上、はやての騎士である自分達の役割ははやての安全を確保する事だ。
 そして、シグナムはそのことに不満は無い。はやての優しい思いを守ることができる自身を誇らしいとすら思っている。

7 語り(管理人) :2015/06/09(火) 21:08:06
 シグナムは少年の全身を視界に収めつつ、ゆっくりと近づく。
 呼吸はしている。顔色も特に悪くはない。左側面が上になる姿勢で横たわっており、左手は力無く地面に垂れ下がり右手は体の下敷きになって確認出来ない。
 後三歩の距離までにそれだけのことを確認したシグナムが更に進もうとした瞬間に、それまでピクリとも動かなかった少年の体が跳ね起きる。今まで隠れていた右手には棒状の物、鞘に納められた剣が握られている事を見て取り、シグナムは鞘から剣を抜き、シャマルもシグナムのフォローとはやての防御ができる体勢をとる。
 一方の少年は先程までのぐったりした様子が芝居だとでも言うように無表情ながらも鋭い眼差しで3人に均等に視線を送っている。
 右足を前に出した半身の少年は剣を納めた鞘をそのまま右手で掴み体の前に掲げる様に、攻撃がきても受けて捌ける姿勢をとっている。その構え方はシグナムの目から見ても堂に入ったものだった。右手で鞘を掴んでいるのが、倒れていた状況からの流れで持ち替える際に生じる隙を見せないためなのか、左手で剣を扱うからなのかが俄かに判断出来ない程だ。
 膠着した状況を動かしたのははやての呼びかけだった。

「お、お兄さん、大丈夫なん?」

 別に場の雰囲気が読めなかった訳でも、少年が構えている物が何か判らなかった訳でもないだろう。だが、緊迫した空気に怯えながら呼びかけた声に見えるのは心配の色のみだった。
 掛けられた言葉が聞こえなかったかのように、少年は表面的には無反応。だが、シグナムには少年の警戒レベルがいくらか下がったことがわかった。
 そのまま数秒が経ち、はやてが更に声を掛けようとした頃、少年が構えを解き、静かに頭を下げた。

「失礼しました」

 頭を下げたまま言葉を発した少年に対して、シグナムは構えを解きレバンティンを鞘に戻した。
 少年が完全に警戒を解いていないことは判っていたが、無防備に頭を下げてみせた以上、歩み寄るためにはシグナムも妥協を示す必要がある。示さなければ目の前の少年は改めて臨戦態勢を取っただろう。
 シグナムには、正体不明、更には武器を所持しているような不審人物と馴れ合う気は毛頭無いが、はやてが間近に居るこの状況で斬り合う訳にはいかない。
 目的は打倒しての勝利ではない。シグナムは戦えば自分が勝つことを微塵も疑わなかったが、どれほど小さくともはやてが危険に晒される可能性は排除しなくてはならない。
 自分達の配置からはやてを守ろうとしていることは、目の前の少年も読み取っているはずだ。戦闘が始まれば間違いなくウィークポイントのはやてが真っ先に狙われるだろう。
 一見したところ和解した様な、実際には火薬庫でタバコを吹かしている様な状態ながらも会話が可能な空気は作ることができた。はやてはそのことを正確に理解した上で、少年を刺激しない様に慎重に言葉を投げかける。

8 語り(管理人) :2015/06/09(火) 21:09:19
「お兄さん、頭大丈夫?」
「は、はやてちゃん!?」
「え?…ちゃ、ちゃうねん!フェンスに頭ぶつけたみたいだけど、痛くない?ゆう意味やねん!」

 少年は無言。
 はやてはその無言を怒りと受け取り怯え、シャマルは何とかフォローしようと言葉を紡ぐ。
 シグナムだけはそのやり取りの間も変わらず少年を観察し続ける。

「聞きたいことがある」
「ヒッ!」

 ポツリと漏らした言葉は声量に反してよく通り、慌てていた2人の動きを凍らせる。手を取り合って固まる2人と動くことのないシグナムを見ながら、少年は感情を見せずに言葉を続ける。

「頭をぶつけたことを心配すると言うことは、あなた達はしばらくここに、俺が来る前からここに居たんですか?」
「え?ええ、居ましたよ」

 シャマルの答えに再び少年は口を閉じる。代わりとでも言うようにシグナムが口を開いた。

「お前、頭をぶつけたショックで記憶が混乱しているな?」
「え!?」

 質問と言うより確認の意味合いが強いその言葉にはやてが驚きの声を上げ、少年に視線を向ける。
 が、当の本人の表情には何の変化も無い。言い当てられたことによる動揺も驚愕も悔恨もない、と言うことは的外れだったのでは?とはやてが思った時に少年が応じた。

「やはり隠し切れませんか」
「当てられたんなら、ちょっとは驚かんかい!」
「元気が良いな。だが、気付かれる事は承知の上で言ったのでな。ここに来た経緯どころかこの風景にも見覚えが無い。気付かれずに全ての情報が手に入るとは流石に思わない」
「そ、それって記憶喪失?」
「いや、そこまでではない。自分自身のことも私生活も覚えている。だが、先程目が覚める前の事が思い出せない」
「そうでしょうね」
「どう言う意味です?」

 シャマルの台詞に再び少年の視線が鋭くなる。その反応に鎌かけを込めて言葉を返したのはシグナムだった。

「そう焦るな。我々がお前に何かをした訳ではない。口で言ったところで信じないだろうがな。
 ありのままを言うなら、お前は突然空中に出現してフェンスに向かって吹き飛んで行った。意図した行動であればフェンスに激突するような現れ方はしないだろう」
「突然空中に?…それを信じろと?」

 シャマルは少年の観察を続けながら、この反応が演技なのか本心なのかを見極めるためにクラールヴィントを使って思考を探る。悟られないように表層部分だけに限定しているが、シグナムが話を振ってくれたので思考がそのことに向いている。気付かれずに見抜けるはずだ。
 本心、つまり空間転移を知らないのであれば囮として巻き込まれた現地人の可能性が出て来るからだ。その場合実行犯が別に居ることになり、目の前の少年にこちらの注意を向けさせることが敵の意図である可能性が高くなる。

9 語り(管理人) :2015/06/09(火) 21:10:23
<シグナム。あの子は魔法の、空間転移のことは知らないわ。おそらく現地人だと思う>
<やはりな。だがこの男にも油断はするなよ>
<ええ>

「ほんとやよ。今シグナムが立ってる辺りが突然歪んで見えた、思ったらお兄さんが地面にワンバウンドしながらフェンスにガッシャーン!って」

 2人の思念通話での遣り取りには気付くことなく、はやてはシグナムの擁護をしながらも、これは無理やろなぁ、と思っていた。少なくとも自分なら説明している相手を指差して笑うか、哀れみの眼差しを向けるだろう。

「そうか」
「え?それだけ?」
「情報料として金の無心か。子供の頃からそれでは将来が思いやられるぞ」
「っは、甘ちゃんが。気取ったこと言うとったっておマンマ食えんのや。ってちゃうわ!」
「ほう、ノリツッコミまでこなすとは、将来有望だな」
「え?そ、そうやろか?」
「はやてちゃん、喜ぶところなの?」
「だが、お笑いの道は長く険しいと聞く。生まれ持った才能だけで渡って行けるものではないだろう。これからも精進を怠らないことだな」
「はい、師匠!」
「いつの間に弟子入りしていたの!?」

「主はやて、彼に我々の無実を示さなくても良いのですか?」

 空気が凍り付いたかの様な静寂が場に満ちる。先程の喧騒から一転、沈黙したまま自分に集まる視線にシグナムがたじろぐ。

「シグナム、何事にも流れ言うんがあるんよ?」
「参加できないにしても、せめて黙って見守るくらいのことはして欲しかったわね…」
「まぁ、これも得がたい資質なんでしょう。そのうち役に立つときもきっと来ますよ。どんな場面なのか想像もつきませんが」
「ちょっ待て、何故お前まで同調している!?これでは私だけ孤立している様ではないか!?私は話が逸れて来たから修正しようと!」

 揃って哀れみの視線を逸らす3人にシグナムも言葉が詰まる。

「まぁ、シグナムいじめるんはこれくらいにして、お兄さんほんとに納得したん?」
「いや。
 ただ、お前達の話の内容が正しいことを証明できないように、それを否定する証拠も持ち合わせていない」
「常識的に言って否定すると思うんですけど」
「そうですね。ですが、尋ねておいて何ですが、重要なのはここに来た方法ではなく、これからどうするかですから。とにかく一度家に戻ります。落ち着けば何かしら思い出すかもしれません」
「まぁ、状況が逼迫していないなら、それも一つの手だな」
「もう復活しましたか、シグナムさん。なかなか打たれ強いですね。努力次第でその女の子の相方になれるかもしれません」
「ほ、本当か!?」
「気にしてたのね、シグナム」
「シグナムは、寂しがりやさんやなぁ」
「っな、違!」
「それでは俺はこの辺りで」
「貴様、逃げるか!」
「まぁ、シグナムもその辺で。
 私は八神はやて言います。こっちはシグナム、こっちはシャマル。良かったらお兄さんの名前も教えてんか?」

10 語り(管理人) :2015/06/09(火) 21:11:08
 少年の去り際に邪気の無い顔でそう呼びかけるはやてを眺めた後、少年も応じて答える。

「恭也だ」
「恭也、さん。えっと苗字は?」
「次に会う機会があれば教えよう」
「まーた、カッコつけて」

 はやての言葉を聞き流しつつ踵を返す少年、恭也を見て、はやては「おや?」と思う。
 終始、掛け合いの時でさえ引き締められていた無表情だが、去り際に目元が緩んだように見えたのだ。

「少しは心を許してくれたんやろか」
「突然見知らぬ地に放り出された上、気絶していた自分に近づいてきた不審者相手に早々気を許すような男には見えませんでしたが」
「やっぱり、そやろか?」
「でも、張り詰めていた状態よりは少しは良くなったんじゃないですか?」

<結局何も起こらなかったわね。何だったのかしら>
<まだ警戒は解くなよ。揺さぶりの可能性は残っている>

「だといいなぁ。
苗字、教えてくれる時が来るやろか」
「シグナム、腕試しなんて要らないわよ」
<今思うと、あの空間転移自体通常のものとは違ったわね>
「何故だ?何処の馬の骨とも判らんやつだぞ」
<言われてみれば長距離転送のはずなのに魔法陣も確認できなかったな>
「次にあった時で十分よ」
<何れにせよ"気をつける"以外の対処方法は無いわね>
「なるほどな」
<前触れがあっただけ良かったとするしかあるまい。ヴィータとザフィーラにも伝えておこう>
「シャマル、シグナム。何の話や」
「主はやての幸せについてです」
「・・・この調子やと男の子の友達は出来へんのやろか」

 (シグナムとシャマルの密談を含めた)冗談を交わしながら恭也に目を向けると、かなりの健脚なのか既に公園を出ようとしていた。
 剣を持ったまま街中を歩くのはまずいだろうと、慌てて声を掛けようとしたところではやては気付いた。流石に捨てるとも思えないが後姿を見る限り、剣を持っているようには見えない。
 はやての疑問を察してシグナムが種明かしをする。

「剣は袖から服の中に隠したようです。動作から不自然さをなくすことで周囲の目を誤魔化しているんです。
 暗器、隠し武器を使うものは技量の差はあれ行います。ですが、普通ダブついた服を着て誤魔化易くしますが、あの少年は服の遊びが少ない。服が黒いため陰影が目立ち難いとは言え、驚くほどの技量です」
「そんなこと、できるもんなんや」
「もしかすると、見た目通りの年齢じゃないのかもしれないですね」
「あれで二十歳過ぎやとちょっとかわいそうやな」

 反対方向ながらも真実の一端を掠めたことを本人達は知る由も無いが、日常から大きく切り離されていた邂逅を話のネタにしながら、はやて達は日常である散歩に戻っていった。




続く

11 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:16:36
第3話 再会




 それは恭也と別れた日から僅か5日後だった。

 恒例となっている臨海公園への散歩に繰り出したメンバーは、シャマルに代わって活発さが全面に表れている美少女―ヴィータ―と精悍な外見に見合った落ち着きのある佇まいの大型犬―ザフィーラ―の3人と1頭である。

「いやー、昨日の雨が嘘みたいにカラッと晴れとるね」
「ほんと、スゲー気持ちいいな、はやて」
「ですが、かなり冷え込んでもいます。寒くはありませんか?」
「ん、ありがとうな、シグナム」
「いえ」

 どこまでも実直なシグナムに微笑みかけた後、はやては車椅子を押しているヴィータに語りかける。

「昨日のゲートボールは残念やったな?」
「雨じゃ、しょうがねぇよ。あ〜あ、せっかくはやてにアタシの勇士を見せるチャンスだったのに。
 あんな雨じゃ、今日も水浸しでゲームになんねぇし」
「仕方あるまい、大人しく次の機会を待つんだな」
「ウッセーな、分かってるよ」

 シグナムに対して子供が背伸びしている様な返答を返すヴィータの様子にはやてが笑みを零す。
 休日とは言え午前中でも少々早い時間帯のため、公園には余り人影がなかった。そのうちの一人、ゆっくりとした足取りの少年に目が止まる。

「ん?」

 今は雨上がりの上、早朝であるため吐息が白みかけている程冷え込んでいる。にも拘らず、少年の服装は見ている方が震え出すような薄着だ。傍らに”子供は風の子”を体言しているヴィータが居るが、振る舞いに闊達さがないためだろう、少年の姿はとても寒そうだ。

12 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:17:15
「あれ?シグナムあそこに居るの、こないだの、えっと、そう、恭也さんやない」
「恭也?あのはやてに言い寄ってきたって奴か!」

 先に反応したのはヴィータだった。
 5日前、食卓で話題に上った恭也を、はやてに言い寄る男として敵視していたのだ。

「ヴィータ、そんなんやないって言うとるやん。まぁ今度会ったら苗字を教えてくれる約束やし行ってみよか」
「しかし、何をしているのでしょうか。この公園を知らなかった様子でしたから近隣の者ではないと思うのですが」
「会いに来てくれたなら嬉しいなぁ」

 言葉通り嬉しそうなはやてから顔を背けたヴィータは顔いっぱいに不満を表しながらも素直に恭也に向かって車椅子を押す。
 学校を休学しているはやてが同年代の友人がいないことを寂しく思っていることを知っていたからだ。

「流石に今日は剣持ってないやろな。
 …ん〜?なんか様子がおかしない?」

 楽しそうに話していたはやての表情が怪訝なものに変わっていく。近付くにつれ、恭也の異常さが目に付いてきたのだ。
 まず服が黒いから気付くのに遅れたが全身ずぶ濡れだ。昨日の雨だろうか?それでは濡れたまま一晩過ごした事になる。滴りこそしていないが、この寒さの中では命に関わりかねない。ゆっくりとした足取りも衰弱に依るものではないのか?
 更に頬がこけている。たった5日間会わないだけでここまでやつれるなど、よほどの大病を患っていなければまず有り得ない。まさか、5日間まともに食事を取っていないのだろうか?
 恭也の側面からあと5mも無い距離まで近づいたこちらの存在に、気付いた様子も無い。

 顔は青ざめ、呼吸も乱れているのに無表情を保っている姿は、滑稽を通り越して恐怖心を煽られる。

13 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:17:48
「恭也さん!?」

 その異常さに絶叫の一歩手前の声量で呼び掛けるはやてに対し、恭也はけだるげに顔を向けて掠れた声で呟く。

「はやて、だったか?こんなところで何をしてる」
「何って・・・」

 余りにも平時を想像させる言葉に、逆にはやては背筋が寒くなる。
 言葉を詰まらせたはやてに代わりシグナムが問い掛ける。

「お前こそ何を、いや、ここが何処か判っているのか?」
「…何処だ?」

 シグナムの言葉に周囲を見渡した後、零した言葉には、やはり内容に反して感情が篭っていない。周りを見るどころか何も目に映っていなかったのだろう。
 ここに来て漸く表情に感情が表れた。それは親とはぐれた子供の様な、途方に暮れたものだった。

 ヴィータがさりげなさを装いつつ恭也に突貫出来る位置へ、ザフィーラが異常さに震え出すはやての手に頭を擦り寄せながらはやてを護れる位置に移動する。
 はやてやシグナム達から聞いていた恭也の人物像は“理性的な戦闘者″だ。それが正しければ無意味に襲い掛かって来ることはないが、逆説的に必要があれば攻撃して来るということだ。恭也の目的がわからない以上、警戒は必要だ。
 また、ヴィータもザフィーラも聞いた話を鵜呑みにする積もりはない。信用出来ない訳ではなく、責任の問題だ。だから、恭也に近付いた時も何時でも動けるように気を引き締めていた。
 そうでありながら今更位置を変えたのは、今目の前に居る少年が事前情報を適用出来る心理状態にある様には見えないからだ。最悪、何時錯乱して襲い掛かってくるかわからない。

 ザフィーラを撫でる事で、そして恭也が垣間見せた感情の揺らぎを確認する事で落ち着きを取り戻すことの出来たはやては、ゆっくりと恭也に質問を投げ掛ける。

「家に帰る言うてはりましたけど、何かあったんですか?それにずぶ濡れみたいですけど、はよ着替えんと風邪引いてしまいますよ?」
「そうだな。風邪を引くのはまずい。着替えて来ないとな」

 そう呟くと再び歩きだす恭也にはやては慌て言い募る。

14 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:18:46
「待った!
 なんか理由があって帰れんかったんと違いますの?それに凄いやつれとるやないですか!ちゃんとご飯食べてないでしょう?
 事情が言えんのやったらなんも聞かんから、ウチで休んでいって下さい!」

 はやての半ば予想通りの言葉にヴォルケンリッターは内心で恭也の訪問によるはやての身の危険を案じるが、声に出して止める事はしなかった。
 5日前の初対面から今日の不審人物然とした振る舞いまでを鑑みた結果、恭也の行動に特筆する程危険な行動がなかったからだ。
 一般論として、このご時世に見ず知らずに近い他人を気軽に家に招き入れるのは危険な事だが、はやてには”本から出現した”と自称する正体不明の四人組を家族として招き入れた実績があるのだ。招かれた本人としては、この行為を咎めづらい。
 だが、その提案は誘われた本人により否定された。

「気のせいだ。心配されるほどではない。
 だが、謝礼替わりに一つ忠告しよう。人助けは立派なことだが、得体の知れん者を気軽に招き入れるのはやめておけ。
 シグナムさん、危機管理を教えるのは保護者の役割ですよ」
「耳が痛いな。
 だが、私もお前が衰弱していると言うはやての見解には同意する。
 心配させたくないならもう少しマシな面になるまで休んでいけ。
 心配は要らん。お前が怪しい動きをした場合は、はやてに危害が加えられる前に私が責任を持ってお前を切り捨てよう」

(おい、シグナム!何言ってんだよ!こんな奴ほっとけよ!)
(シャマルに記憶を読ませる気か?)
(ああ、あれから5日経つが何の変化もない。この男の出現は意味不明だ。幸いこれだけ衰弱していれば大したことは出来まい)

「な、シグナムもこう言ってるし、ウチで休んでいきって。長居したないなら食事だけでも食べていきや」

15 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:19:39
 よほど気が急いているのか、はやては「切り捨てる」発言をスルーした上、口調から慣れない敬語が抜け落ちている。
 自分を気遣う言葉に、恭也は視線を地面に落とし、大きなため息をつく。
 しつこい誘いに根負けした態度、そう解釈したはやての喜色を表そうとした表情が、再び顔を上げた恭也により驚嘆に変えられた。
 恭也からは先程までの吹けば飛びそうな脆弱さが消失して、替わりに覇気と呼べる程の気迫を発していたのだ。

「気のせいだと言っているだろう。この程度の演技に騙されているようでは簡単に詐欺に合うぞ。
 人を信じることは美徳だが、もっと警戒することも覚えておけ」

 はやてに向かってそれだけ告げて、恭也は颯爽と歩き出す。歩き方すら澱みの無い滑らかなものだ。

「…あ、あれ?」
「ッチ」

 呆然と呟くはやての傍から舌打ちしつつヴィータが足早に近付き、身長差を埋めるためにジャンプしながら恭也の頭を殴りつけた。
 ガン!となかなか豪快な音を響かせた恭也の頭がそのまま直ぐ脇の低木に埋没する。

「ヴィ、ヴィータ!?」
「ったく、そんな見え見えの強がりで誰が騙されるかってんだ。
 テメー、はやてが優しく声を掛けてくれたってのに何様の積もりだ!?」
「強がりって、じゃあやっぱり…」
「はい。
 彼は5日前に気絶している状態で、私が近付いたことに気付いて見せました。 背後からとは言え足音も隠していないヴィータの接近に気付かないはずがありません。
 間違いなく衰弱していました」
「そんな状態なのになんで無理するん?そんなにウチに来たくなかったんやろか…」

 寂しそうに、年の近い少年に拒絶されたことを悲しむはやてに対して、シグナムが否定の言葉をかける。

16 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:20:35
「彼は恐らく何かしらの事情を抱えているのでしょう。そして、主はやてが自分に近づくことでその事情に巻き込まれることを危惧したのではないでしょうか」
「どんな事情やろ?」
「そこまでは判りません。ですがこのまま彼を招き入れれば彼の配慮が無駄になる恐れはあります。
 それでも、彼が自分の事情に人を巻き込んだことを悔やむ可能性があっても、彼に関わりますか?」

 シグナムの言葉にはやてが黙り込む。気付くとヴィータとザフィーラもはやてを注視していた。はやてが関われば家族であるこの場の3人と今は留守番をしているシャマルにも迷惑が掛かるかもしれない。
 だが、それでも。

「恭也さん、あんなにボロボロなのに私らのこと心配して遠ざけようとしてくれたんやろ?そんな優しい人が苦しんでるんやったら私はほっとけへん。助けてあげたい。
 でも、ほんとに何かに巻き込まれるとしたら、みんなにも迷惑がかかってまう。それは嫌や。嫌やねん。
 それでもやっぱり恭也さんを見捨てられへん。それに私だけでは大したことしてあげれへん。
 みんな、ゴメン。これは私の我侭やってわかってるけど、力を貸してくれへんやろか」


 はやては闇の書の主だ。その言葉は守護騎士にとって絶対となる。それでもはやては”家族の一員”としてみんなに意見を求める。仮にシグナム達が否定の言葉を口にすれば、はやてはそれを受け入れるだろう。
 そして、そんなはやての願いだからこそ、“手伝いたい”と思えるのだ。

「あったり前だろ。はやてのためならあたしに出来ることは何だってするさ」
「私も主の願いとあらば身を粉にして働きましょう」
「我が剣に掛けて、必ず主はやての願いをかなえて見せます」
「うん、ありがとな、みんな」

 困難に直面した時ほど心が、思いが一つになることを強く意識する。はやては嬉しさのあまりこみ上げてくる涙を何とか堪えながら、優しい家族に感謝する。

 喜びを共有していた面々を現実に引き戻したのはザフィーラの台詞だった。

「む!?いかん!」
「どうしたんだよ、ザフィーラ?」
「何があった!?」

 瞬時に緊張の糸を引き締めたヴィータとシグナム、不安そうなはやてにザフィーラが告げた。

17 語り(管理人) :2015/06/21(日) 18:21:09
「あの少年、起き上がらんぞ」
「あ」
「恭也さん!?」
「衰弱していたところにあの一撃では無理も無い。止めになったか?」
「シグナム、テメっ、っちょ、ちっ違うぞはやて!あたしはちゃんと手加減したんだ!」
「その割にはかなりいい音がしていたがな」
「ザフィーラ、てめーもか!?」
「いいから、はよ恭也さんを運ばんと!えーと、ザフィーラ頼めるか?」
「承知しました」

 周囲をざっと見渡した後、大型犬から人型に変身したザフィーラが恭也を抱えあげる。
 と、左の袖から剣が滑り落ちた。

「今日も持ってたんや」
「急ぎましょう、主」

 恭也を背負いながらはやてを促したザフィーラは足早に歩き出し、それを追ってヴィータが車椅子を押し、シグナムが落ちた剣を拾い上げて後に続く。

「なぁシグナム」
「何だ?」
「その剣、5日前にも持ってたってやつだろ?」
「そうだが?」
「ひょっとして、アイツ5日間道に迷ってたせいで弱ってた、なんてこと無いよな?だから恥ずかしくて誤魔化そうとしてた、とか」
「…さぁ、な」

 その時、またも4人の思いが一つになったことを意識した。“それはちょっと寂しいな”と。




続く

18 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:56:06
第4話 交渉




 シャマルは静かに座布団に座ったまま、フローリングに直接敷いた布団に寝ている恭也を眺めていた。
 棺おけに片足を突っ込んでいる様な蝋のように白かった顔色も、“体調の悪い人”程度に回復している。

 八神家に運び込んだ直後の恭也は体温の低下が酷く、心拍数まで下がった冬眠の一歩手前と言う状態だった。恐らく意識を失ったことで一気に状態が悪化したのだろう。
 事前にシグナムから念話で事情を聞いていたシャマルは、客間に布団と着替え一式を用意した状態で待機し、到着した恭也に迅速に処置を施した。
 普段“怠惰な主婦”とまことしやかに囁かれているシャマルにとって、湖の騎士としての面目躍如と言ったところか。部屋の片隅では恭也に最後の一押しをする形になったヴィータがこっそりと大きく安堵の吐息をついていた。

 既に記憶の確認は済んでいる。
 遭遇した日から再会した今日までの5日間の記憶を覗いた結果、恭也自身は“白”と言う結論が出た。
 また、第三者に利用されている可能性についてもまずあり得ないとシャマルが告げる。記憶が改竄された形跡はなく、実際に転移して来た事についても既存の魔導技術では不可能な要因が絡んでいるため、限り無く白に近いと。その結論に至るための記憶の内容について誰も訪ねようとしなかったのは、シャマルの辛そうな表情を見たからだろう。
 その後、心配しているはやてに恭也の容態を説明するためにシャマルを残し退室した。シャマルのみが残ることは3人から反対されたが、シャマルは必要な事だからと押しきった。
 はやてが恭也の様子を気にしていたが、シャマルの意図に沿って、休ませるためにそっとしておくべきだと言いくるめた。恭也の感の良さと車椅子の隠密性の無さは事実であるため、はやても大人しく肯き、シャマルが見立てた恭也が目を覚ます時間に合わせて食事の準備を進めている。

19 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:56:32
 身じろぎ一つせずに眠っていた恭也がゆっくりと目を開ける。

「目が覚めたみたいね。気分はどう?」
「問題ありません」

 シャマルは目を開けた直後の問いかけに澱みなく返答する恭也を見て、意識の覚醒がもっと早かったことを察した。そして不思議に思う。どのような生活を、どのような鍛え方をすればこの歳でこのような技能を身に付けられるのかと。
 シャマルの思考が逸れている間に恭也がゆっくりと体を起こそうとしていた。慌てて恭也の両肩に手を置き、押し留める。

「まだ無理をしては駄目よ」
「大丈夫です。横になったままでは話もできません」

 身体の調子を確かめるようなゆっくりした動きでそのまま布団の上に正座すると、窓越しにまだ日の昇りきっていない空を眺めた後シャマルへ顔を向ける。

「確か、シャマルさん、でしたか?」
「あら、覚えていてくれて嬉しいわ」
「一応確認しますが、俺はどのくらい寝ていました?」
「2時間くらいかしら。かなり危ない状態だったのよ」
「自覚はあります。ありがとうございました」

 深く頭を下げた後、恭也は本題を促す。

「それで 俺に何か話があるのでは?」
「あら、どうしてそう思うの?」
「看病役があなた一人だからです」
「単に順番に看病しているだけかも知れないでしょ?」

 その問い掛けは既に恭也の考えを肯定していたが、シャマル自身隠しているつもりがない。このやり取りはあくまでも確認作業でしかないのだ。

20 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:57:04
「シグナムさんは俺が戦闘行為に長けている事を知っています。例え武装を解除している上に俺が衰弱していてもです。
 俺があなた方の立場ならならあらかじめ拘束しておくか、相手を押さえ込める人物あるいは複数の人間を見張りに充てます。
 思いつく例外は俺が知らない特殊な手段による制圧方法があるか、人払いをした上で俺に対面する必要がある場合です。
 一応先に言っておきますが、今のところ俺にはあなた方にしかける理由はありません。信じるかどうかの判断はお任せしますが」
「そう。そこまで推測した上で聞いてくれるということは、ある程度のお願いは聞き入れてくれるのかしら?」
「上限はありますが」

 恭也の回答にシャマルは満足げに微笑む。予想通り、いや予想以上だ。始めに時間を聞いてきたことも、あるいは”特殊な制圧方法”の可能性に行き着いた理由の一つだろうか。
 だが、その“満足出来る回答を出せる知性”と、これから告げるお願いを承諾してくれることは別問題だ。
 シャマルは表情と共に気を引き締め、本題を切り出した。

「あなたには、しばらくの間この家で暮らして貰いたいの」

 言葉を切り、恭也の反応を窺う。

「・・・理由は?」

 即座に拒絶されなかったことに一先ず安堵する。逆に躊躇なく飛び付くようなら再考しただろう。

21 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:57:38
「これから私たちはやらなくちゃいけないことがあってはやてちゃんの傍から離れる事が多くなるからよ。
 知っての通りはやてちゃんは足が不自由なの。だからどうしても行動範囲が狭くなってしまう。
 はやてちゃん自身はとてもいい子だけど、接点が無ければ人と触れ合いようがない。身体面以上に精神面が孤独に耐えられない。
 だから支えてくれる存在が必要なの」

 一度言葉を切り、恭也の様子を確認すると無言で肯いて寄越したためそのまま続ける。

「気付いているとは思うけど、念のために言っておくと、その”やらなくちゃいけないこと”は、はやてちゃんには内緒なの。内容は勿論何かをしていること自体」
「話すことは出来ない内容だけど、やらずに済ませることは出来ないこと、ですか」

 念を押す恭也の言葉を首を縦に振ることで肯定してシャマルが話を進める。

「病院の先生から聞いた話では私達が来る前のはやてちゃんはとても静かで感情をほとんど表さないような子だったらしいの。
 今は明るくなった。自惚れかも知れないけれど私達がはやてちゃんの支えになれていると思ってる。だからこそ傍に居られない時間が長くなることは危険だと思うの。
 人間の精神はそれほど強くない。一度希望を抱いてしまえばそれまで耐えていた絶望にすら耐えられなくなるわ、先が見えないなら尚更」
「精神が追い詰められることを危惧する以上、長期的な話でしょう?月単位なのか年単位なのかは知りませんが、俺はその間拘束されることになる。俺の都合を考慮していない理由は何ですか?」

22 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:58:20
 シャマルにとって想定していた質問ではあったが、最初に来るとは思わなかった。
 普通、何故逢って間もない自分を選んだか?あるいははやてが危険であることを知りながら離れなくてはならない理由とは何か?などを聞いてくるものだろう。
 だが納得も出来た。前者には“直感”程度の、根拠など無いような回答でも(納得できるかどうかは別として)返すことが出来る。後者に関してはそれこそ恭也の興味でしかない。
 短時間しか接していないとは言え、恭也が人の事情を根掘り葉掘り聞いてくる人物には見えなかった。何より正直に事情を話した結果“興味を引かれたから引き受ける”と言うのであれば、それはすなわち闇の書の力を目当てにしていると言っているのと同義だ。
 ただ、恭也にとって質問の内容については他のことでも良かったのだろう。
 周囲の人間からどのような印象を持たれようが、恭也が義務教育を終了していない子供である事実は変わらない。今回の頼み事は学校を休ませる、長期の外泊をさせるなど、子供に対してするには問題となる項目が複数含まれている。
 身体能力を別にすればただの子供である恭也に、通常であれば頼めることではないことを頼んでいる理由を知ることが今回の恭也の質問の意図だ。
 同時にこの回答が、恭也の欲している“自身の現状についての説明”に繋がっていることを期待していることも、恭也の記憶を覗いたシャマルにとっては想像がついた。

「その前に、恭也君に見て欲しいものがあるの」
「何です?」

 話を逸らすような発言にも苛立った様子を示さずに続きを促す恭也に、シャマルはクラールヴィントをはめた手を恭也の胸に翳しながら説明を始める。

「あなたの体調が2時間程度の休息で回復するものじゃなかったのは気付いているでしょう?」
「はい。通常であれば丸一日は回復に努めなければ今の状態にはならないと思います」
「え?一日?三日は必要だったと思うんだけど」
「鍛えてますから」

 そういうレベルではなかったと思うが、本題はそこではない。シャマルは無理やりスルーして話を進めることにした。

「お願いねクラールヴィント。
癒しの風よ」

 シャマルの言葉に呼応して恭也の身体が淡く発光する。病人のような顔色にも赤みがさす。

23 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:59:11
「細胞を活性化させたわ。体力に依存する術だから流石にこけた頬までは戻らないけど。あとは体力を消耗した分お腹がすくわよ」
「なるほど。ありがとうございます。ですが、先程の俺は体力が底をついていたはずですが?」
「ええ、さっきは外部から活力を与える術をかけたの。でもそちらは多用する訳にはいかないの。楽な方法を覚えると身体がサボるようになるから」
「なるほど。
 ところで”術”と呼んでいましたが、やっぱり”魔法”と言うやつですか?」
「そうね、その認識で間違ってないと思うわ。ただ、童話に出てくるような万能の力ではないのよ?」

 まぁ童話も12時に効力が途切れたり、自分が一番美しい存在になるために自身を変えるのではなく他人を蹴落とす辺り、万能とは言い難いだろうが。
 だが、本題はそこではないのだ。制約の程度はともかく、この技能は間違いなく“特殊な手段”だ。

「では、俺がこの場所にいるのがあなたの仕業である可能性もあるんですね?」

 目を細めた恭也から受けるプレッシャーに耐えながらシャマルはその言葉を否定する。

「いいえ。私達の力は万能ではないの。空間の、場所の移動は出来ても時間の移動は出来ないわ。
 この言葉の真偽を判断する材料はあなたには無いでしょうけど、信じてもらう以外に手立ては無いわ」
「では、俺が時間を移動したことをあなたが知っている理由は?」
「この5日間のあなたの記憶を読ませて貰ったの。だからあなたに帰るべき家がない事を知っている。これがさっきの質問の答えよ。これを知ったからはやてちゃん以外のみんなにあなたをこの家に住まわせる提案をしたの。反発はされたけど反対はされなかったわ。
 寄る辺の無いあなたにとっても利害は一致していると思う。はやてちゃんは優しい子だから無理にあなたの状況を話さなくても住まわせてくれると思う。
 あ、記憶の内容は誰にも話してないわよ?」

24 語り(管理人) :2015/07/06(月) 22:59:41
 恭也は先程のプレッシャーを霧散させて、これで全て、と口をつぐむシャマルを見つめ続けた。
 シャマルには相変わらず恭也の表情から感情が読み取れない。だが、自身の後ろめたい気持ちからその無表情が非難の意思表示のように思えてくる。
 自業自得と知りながら、いたたまれなさから状況を動かそうとシャマルが閉じているつもりだった口を開いた。

「非難しないの?」
「?何故です?」
「えっ、何故って、それは」

 余程意外な質問だったのだろう。言葉が途切れたシャマルに替わり恭也が話し掛ける。

「本当に5日間の行動をトレースしただけなんですね。俺の考え方まで知っていればそこまで驚かない」
「あ、当たり前です」
「それでも動揺しているのは、記憶を覗くのが人の心に土足で踏み込む行為だから?」
「そう、それよ。普通なら嫌悪するような事をされたのよ?なのにどうして平然としてるの!あなた変よ!」
「それを実行した本人から非難されるのは流石に憤りを感じますね」

 低くした所で声変わり前の子供らしいものであるはずの声が、妙な凄みを帯びたことに驚き、シャマルは興奮状態から一転して平身低頭することになった。

「スミマセンスミマセン調子に乗り過ぎました!頭を下げるだけで足りない分は、体で払いますから!」
「ではそれで」
「え?」

 シャマルは口から出た子供にはわからないはずの謝罪内容に躊躇無く飛びついた恭也を“意表を突かれました”と表現している顔で眺める。

「持て余し気味なので2回や3回では済みませんからね?」
「え?え?」
「シャマルさんなら挟んだり出来ますよね?一度やってみたかったんです」
「えぇ〜!?」

 徐々に朱色を増していた顔が首筋まで紅く染まり、両手が無意味に虚空をさ迷うが、視線は恭也から逸らす事が出来ない。
 もはや後退りすら出来ないほど動揺したシャマルが何とか自らの胸元を守る様に自身を抱きしめたところで、恭也はそのままトドメとなる一撃を放つ。

「もちろん冗談です」

25 語り(管理人) :2015/07/06(月) 23:00:20
 平然とした恭也の言葉が浸透するにつれ、顔の赤みをそのままにシャマルの目尻が吊り上がっていく。
 だがシャマルが爆発する直前、機先を制す様に恭也がドアに向かって声をかける。

「どうぞ」
「え?」

 疑問を発するシャマルに答える様に一拍の間を空けてドアを開けたのは、ノックの前に声を掛けられたことに訝しがるシグナムだった。

「起きていたか。そろそろ食事の準備が終わる。食べられるならダイニングへ・・何かあったのかシャマル?」
「ありません!」
「そ、そうか?」

 思わず気圧されるシグナムは恭也を見るが、ここに到っても表情を崩さない恭也から状況を推し量ることは出来なかった。
 拳の落し所を失うどころか振り上げることすら出来なかったシャマルが、肩を怒らせて客間を出て行く。
 その姿に声をかけそびれたシグナムがため息を漏らす。戻る前に交渉の結果を確認しておく必要があるが今のシャマルに聞いて答えが得られるかどうか。
 だがその答えはシグナムの予想しない相手から得られた。

「提案は受けるつもりです。ただ、概要しか聞けませんでしたから後で詳細を教えて下さい。もちろん利害の一致に過ぎませんから、俺の話を聞いたうえで拒否してもらっても構いません」

 シャマルの様子とは非常に分厚い隔たりのある恭也の落ち着いた声にシグナムは頷くことで応える。
 恭也とシャマルの態度の違いは深く考えないことにしたようだ。シャマルの態度よりはやての生活の支えになる恭也の動向の方を優先しただけだろう。

26 語り(管理人) :2015/07/06(月) 23:00:58
 シャマルがダイニングに入ると、はやてはキッチンで最後の仕上げに取り掛かっており、ヴィータはリビングのソファーでテレビを眺め、ザフィーラは床に寝そべっていた。
 シャマルに気付いたヴィータとザフィーラが振り向き、声を掛ける。

「シャマル、どうなった?」
「・・・まだ返事は貰ってないわ」

 ザフィーラに不機嫌そうに答えるシャマルの様子を見てヴィータが首を傾げる。返事がまだなのに不機嫌な理由がわからなかったのだ。

「珍しいじゃん。”覗いた”後はいっつも落ち込んでるシャマルが違う態度なんて。まぁ喜んでる訳じゃねぇみてぇだけど」
「え?」

 シャマルは指摘されて漸く気付く。普段であれば落ち込んでいるところだが、後ろめたさすら忘れていた。
 思わず振り向いたシャマルは入ってきた恭也と目が合う。さっきの遣り取りなど無かったかの様に平然としている恭也に、自然にシャマルの目がジト目に変わる。
 仮に意図して感情を逸らしてくれたのだとしても素直に感謝する気にはなれない。だが、見ようによっては苦笑しているように見えなくもない恭也の無表情を見ても先程の怒りは湧いてこなかった。

「シャマル?やはり何かあったのか?」
「もぅ。ホントに何もないわよ」

 シグナムはシャマルの呆れ気味の口調に残った怒気の残滓を感じ取り、浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「?あって欲しかったのか?」
「なっ!?そんな訳ないでしょ!?」
「ああそうだなある訳ないよな分かっているともだからフォークを構えるのは止せせめてナイフにしてくれ!」

慌てふためくシグナムと律儀にナイフに持ち替えるシャマルを横目に、呆れ混じりの会話が交わされる。

「あいつら何やってんだ?」
「さあな。またシグナムが余計な事を言ったんじゃないか?」
「みんな仲良しやろ?」
「確かに。
それにしても、どうしてシャマルさんはフォークを握ると微塵も隙が無いのに、ナイフを構えたら素人同然になるんだ?」




続く

27 小閑者 :2017/06/10(土) 15:39:22
第5話 現状




「ご馳走様でした」

 合掌してそう告げる恭也に集まるのは感心と歓喜の視線が一つ、呆れた視線が四つ。

「はい、お粗末様です。
 それにしても、ほんまに気持ちええ食べっぷりでしたね。料理人冥利に尽きるってもんや」
「恥ずかしい限りだ。いくら空腹とは言え、がっつき過ぎだな。
 それにしてもその歳でこれだけの腕を持つとは恐れ入る。責任転嫁になるのは承知の上だが、料理が美味かったのも理由の一つではあるぞ」
「ややわ〜、これ以上何も出えへんよ?」

 満足そうに見えなくもない恭也と嬉しそうなはやての会話に、おもしろくなさそうにしていたヴィータが横槍をいれる。

「けっ、いくらはやての料理がギガ美味だからって図々しいってんだ」

 拗ねている事がまるわかりの、聞こえる程度の小声での悪態に、はやてが苦笑しながら窘める。

「これヴィータ、そんなこと言わんの」
「だぁってよぅ」
「でもホントによく食べたわね、そんなに細身なのに。回復魔法をかけた副作用みたいなもので普段よりお腹が空いてたでしょうけど、胃が大きくなる訳じゃないから元々そのくらい食べるんでしょ?」
「まぁそれなりに。それにしても久しぶりに食べたはずなのに普通に胃が受け付けた事が意外でした。これも魔法のお陰ですか?」
「まぁ普段の状態まで戻すのが役目ですから。でも、太る事を気にせず食べられるって羨ましいわね?」

 世の半数以上の女性が気にしているであろう話題をシグナムへ振るシャマル。しかし返って来たのは裏切りの言葉だった。

「いや、同意を求められてもな。私は食べた分運動するから気にしたことはないぞ」
「アタシもないな」
「私はそんなに食べられへんな」
「わ、私だけ!?」
「そういやシャマルの腹スゲー軟らかかったな」
「いやー、言わないでー!」
「目を逸らしても何の解決にもならないと思いますが」
「恭也さん、そこはあえて耳を塞いで逃げ回るんが乙女心ゆうもんやよ」
「不可解なものだな、オトメゴコロとやらは」

28 小閑者 :2017/06/10(土) 15:40:48
 食後の談笑が一段落したところで、打ちひしがれるシャマルを置いて恭也が話しを変える。

「さて、少し真面目な話をさせて下さい。
 先程シャマルさんから話を聞いた結果、俺は今一人では如何ともし難い状況にあることが分かりました。そのため皆さんにお願いしたい事があります」
「ん、ええよ。そんくらいの事、全然構へん」
「ありがとう。礼と言ってはなんだが食器の片付けは俺がやろう」
「ちょっと待てー!今、間が抜けてたろ!
 テメ、無表情のまま不思議そうな顔してんじゃねぇ!内容が抜けてたろ、お願いの内容が!!」
「そうだったか?」
「惚けてんじゃねぇ!はやてもこんな怪しげな奴の言う事を無条件でOKするなよ!」
「や、恭也さんなら大丈夫やろ?」
「何の根拠もないのに自信満々で信じちゃダメだろ!?」
「その通りだ、はやて」
「テメーが言うな!!」

 鼻息荒く締め括るヴィータが気を沈めて腰を下ろすのを待ってから再び恭也が口を開く。

「ヴィータの活躍に免じて真面目に行こうか」
「ややなぁ。ホントに恭也さんの為なら全てを捧げる覚悟があるんですよ?」
「大変有り難い申し出だが撤回してくれないだろうか?現在進行形で俺の命が非常に危険な状態にある。シグナムさん、既に剣先が皮膚を圧迫しています。そのまま軽く引くだけで頸動脈がパックリいってしまいます。ヴィータ、そのまま振り下ろすと聖門(頭頂部)だ。とても危険だ。シャマルさん状況からしてその円盤は俺を助ける為の物じゃありませんよね?そして誰かこっそりと俺の足首をかみ砕くこうとしている犬を止めて下さい」
「大人気やね」
「不思議なことに溢れ出すのは嬉しさより冷や汗と脂汗だがな」
「アハハ、ゴメンな?恭也さんが深刻そうやったから緊張をほぐす積もりやったんや」

 思いの外、食いつくがよかったので調子に乗ってしまった、と照れながら頭を掻くはやてと舌打ちしつつ武器を納めるヴォルケンズ。ちなみに足首に噛み付いていたザフィーラは衣服の上からでなければ皮膚が裂けていた位に強く噛んでいた。喋ることが出来ないため出番が少ないことに対する憂さ晴らしだろうことは想像に難くない。

「えー、では改めて。
 結論から言わせて貰えば家に帰る手段がないので暫く泊めて貰いたいんです」
「何だ、結局ただの迷子かよ」
「何や、そのくらい全然かまへんよ」
「有り難い申し出だが最後まで聞いてくれ。期間が問題なんだ。
 どうやらただの、つまり物理的な問題に因る迷子ではないようなんです。だから帰る目処が立ちそうに無い。つまり期間が月単位、あるいは年単位になりかねないんです」
「物理的でない迷子とは?別の次元世界からの漂流なのか?」
「次元?流石に点や線の存在ではないんですが・・・」
「テン?何の話だ?」
「?単語の認識に齟齬がありそうですね。後にしましょう。
 ですが、今俺から話せるのはこの辺りまでですね」
「値を吊り上げる立場にいるとでも?」
「いえ、はやては情に篤い様なのでこれ以上聞いてからだと断りづらくなるかと」

 言いながら視界に入ったはやての表情にため息を一つつき

「思ったんですが遅きに失した様です。どの時点で口を噤めば良かったのやら。強制連行された時点で無理だったようにも思えますが。
 まぁ過ぎたことは流しましょう。物理的ではないというのは、俺の認識と今現在の時間がズレているんです。
 シャマルさんに確認した限り、魔法での移動は空間のみだそうですね」
「確かにな。だが時間の移動というのは確かなのか?にわかには信じがたいのだが」
「少なくとも俺の記憶とは10年近い相違があります」
「10年!?そんなに」

29 小閑者 :2017/06/10(土) 15:41:42
 絶句するはやて。自身の年齢を越える歳月が想像出来ないのだろう。それでも何とか現実を見据えて意見を出す。

「でもそれやったら家に帰った方がええんとちがう?」
「しかし主はやて、それは」

 言葉を濁すシグナムにはやては頷いて返す。

「うん。そりゃ家の人は突然いなくなった息子が10年前の姿のまま戻って来たら驚くやろ。けど、それでも恭也さんがその気になれば一緒に暮らせる筈や。家族ってそういうもんやろ?」

 理想論だ。そう断じる者はいなかった。子を虐待する親も、親を刺す子も確かに存在するが、家族とはそういう存在で在りたいと誰もが思うだろう。そして例に漏れず、その姿がはやての憧れであることは明白だ。
 だが恭也は別の問題があったんだと言い、5日前から順に語ることにした。

「5日前になるのか?別れ際に言ったと思うが俺は家に帰ろうとした」
「道は分かったのか?出て来た公園は見覚えがなかったんだろ?」
「これだけ大きな町なら特に問題ない。本屋に地図があるからな」
「なんだ、近かったのかよ」
「ああ。二つほど隣の県だった」
「全然近くねぇじゃん!」
「お前、確か財布を持ってなかったろう?」
「…ええ、移動は徒歩でした」

 出来た間に心情を察したシグナムが親切に恭也の疑問に答えてやる。

「私は武装を解除しただけだ。着替えさせたのはシャマルだぞ」
「わざわざ言わなくても。でも下着までずぶ濡れだったんだから仕方が、え?」

 医療行為の一環と割り切っているシャマルが補足しようとしたとき、やや俯いた恭也の顔に朱がさしていることに気付き言葉が途切れる。

「シャマル、年頃の男の子にその話題は流石に可哀想やろ。唯でさえシャマルが普段使ってるパジャマから漂う女性の香りに落ち着けないのに、寝てる間に年上の美人のお姉さんに裸に剥かれて悪戯されてたなんて事実、そりゃぁ恥ずかしがるやろぅ?」
「え、あれ?でも、だってさっきは挟むとか何とかって」

 頬を赤らめた恭也を見た一堂は各自の判断で行動していた。一方的にからかう側に居た恭也が見せた隙に微塵の容赦もなく、捏造までして、嬉々として恭也に追い打ちをかけるはやてと、描いていた人物像との差異に戸惑い、捏造部分を否定することも忘れて疑問を口にするシャマル。純粋に意表を衝かれた様子のシグナムと参戦すれば自爆する内容だと理解して距離をとるヴィータは無言で推移を見守る形だ。
 ちなみにザフィーラは先程恭也の足に噛み付いて以降は部屋の隅で耳を立てたまま寝そべっている。決して台詞が無くて不貞腐れている訳ではないはずだ。

30 小閑者 :2017/06/10(土) 15:42:55
 反撃どころかかわす事も出来ずに被弾し続けた恭也は、これ以上は無理という程紅くなった顔のまま弱々しく悪態をつく。

「あ〜クソ、しくじった」

 顔を覆う様に片手を当てているので見えないが、恐らく今なら鉄面皮の様な無表情も崩れているだろう。
 大体の状況が分かってきたシャマルは、確認のために恭也が顔から手を離したところで質問を切り出した。

「恭也君、さっき私に言った冗談はひょっとして私の気を紛らわす為のもの?」

 これだけ動揺しているなら小細工をする必要は無いだろうと、内容は極めてストレートなものだ。

「まさか。からかっただけですよ。リスクを負わなくては不公平でしょう」

 そう答える恭也の表情の変化は微々たるものだったが、それでも無表情を貫いてきた先程迄と比較すれば劇的と言えるものだ。

「恭也さん、そりゃあ事情を知らへん私でも騙せへんよ?」
「ノーコメント」

 苦笑しながら告げるはやてに赤ら顔のままながらもポーカーフェイスを取り戻しつつ恭也が答える。

「やはり何かあったのか」
「ん〜、ちょっと暗い話になった時に気を紛らわしてくれたのよ」

 シグナムに答えるシャマルの声の柔らかさに眉を動かしたのを最後に、恭也が仏頂面を取り戻す。顔色に赤みが残っていなければ今見せた動揺すら幻の様だ。

「話が盛大に逸れたが、そろそろ元の話題に戻して良いか?」
「何の話だっけ?」

 ため息混じりの恭也の台詞に素で聞き返すヴィータを見て、シャマルがけっこうシリアスな内容なのにと同情する。元凶の一端を担っていることは気付いていない事にしたようだ。

「俺が家に帰った話だ」
「徒歩でな」
「手段は問題ではないでしょう?」
「限度があるんとちゃう?」
「せいぜい150km前後だ」
「十分だろ!往復だから300km近くを五日で往復したんだから!しかもそれ直線距離だろ?」
「いや、ほぼ直進したからだいたい合ってる。
 …どうしてこんなに話が逸れるんだろう?」

 話の腰を折られる事を揶揄している訳ではないだろうが、順を追って説明してる筈なんですが、と首を傾げられると口を挟んだ三人はやや気まずい。

「順は追ってるけど恭也君の行動自体が突飛過ぎて疑問が尽きないのよ。みんなも一先ず最後まで聞きましょ?」

 再開してから唯一口を閉ざしていたシャマルが助け船を出す。
 頼りがいのあるお姉さん風味のシャマルに恭也からの感謝とはやてからの感心の言葉が返る。だが、それが事前に知っているからに過ぎないと分かっているシグナムとヴィータはジト目だ。

「まあ、そう長い話ではないんですが。
 結局、明け方にたどり着いた目的の場所には家がなく、そこは空き地になっていたんです。
 念のために通っていた学校と最寄り駅に行って自分が住んでいる町なのは確認しました。空き地の様子を見る限り、空き地になってから経過した時間は1年や2年ではないでしょう。
 ウチはそれなりに続いている家系なので仮に火災で全焼したとしてもそのまま引き払うことは考え難い。少なくとも事態を収拾したら再建しようとするでしょうし、詳しくはありませんがそのくらいの資産もあったはずです。
 つまり、再建できなくなるような何かが起こり、かなりの年月が経過しています。
 これが家に帰れないことの根拠です。
 時間移動に気付いたのはニュース番組と新聞です。季節も変わっていたんですが、晩春から晩秋に移動していたので“随分冷え込む”程度にしか思いませんでした」

 淡々と話し終えた恭也は、表情を硬くして沈黙する一同の様子を確認した後、もう一度要約した頼み事を口にした。

「俺の状況はこんなところです。俺自身が理解できていないので、この事態について質問されても答えられることは少ないと思いますから、ここまでの内容で俺をここに置いても良いかどうか決めて下さい。
 念のために言っておきますが、断るのが一般的な反応だと思いますし、断られても逆恨みしたりはしません。
 それから、置いて貰う期間について、最初に年単位と言ってしまいましたが、そんなに長く迷惑をかけるつもりはありません。施設に入ることも含めて、身の振り方を決める迄ですから」

31 小閑者 :2017/06/10(土) 15:45:25
「これを捻るとお湯が出るわ。最初は冷たいけど、暫くするとお湯が出るようになるから。タオルはこれを使って。着替えは着ていた服がもう乾いているから」

 現状説明の後、入浴させて欲しい旨を申し出た恭也をシャマルが風呂に案内し、そのまま使い方を教えていた。

「…ありがとうございます」

 反応の鈍さに恭也の方を見ると視線に落ち着きが無いことに気付く。不思議に思うのも束の間、シャマルが至った結論を口に出す。

「珍しい?」
「ウチが純和風だったのもあるとは思いますが」
「フフ」

恭也の様子にシャマルは笑みを零すが、直ぐに表情が沈む。

「ごめんなさいね、一番辛いあなたに気を遣わせてしまって」
「構いません。俺が取り乱していないのは、現状に感情が追いついていないだけでしょう」
「…そう」

 否定の言葉を何とか抑えて同意しておく。シャマルにも、それを指摘しても恭也を傷付けるだけでしかないことが分かっている。

「急かすつもりはありませんが、15分くらいしか入っていられないので、結論は後日でも構いません。今更野宿に抵抗もありませんから」
「分かったわ」




 シャマルは脱衣所を後にし、未だ衝撃から立ち直っていない一同の居るダイニングに戻った。ドアを開けた音に過敏に反応するも顔を向けることが出来ないはやてに代わりシグナムがシャマルに問いを発する。

「あいつは何故平然としている?現状を理解して、いや実感できていないのか?」
「そんなことは無いと思うわ。実感できていないなら、朝みんなと出会ったときにあれほど憔悴していなかったでしょうしね」

 シャマルの言葉で今朝出会った時の恭也の異様さを思い出す。憔悴した顔つきと、思考が停止し前後不覚になるほど感情が飽和した、虚ろな表情。
 先程淡々と現状を説明していた恭也が別人ではないかと、あるいは何年もの時が経過しているのではないかと疑いたくなる。

「何でなん?何であんなふうに話せるん?自分がどうゆう状況にいるかわからんくて怖かったんやないの!?突然知らん場所に放り出されて、帰ってみたら家が無くなってて、家族の誰にも会えれへんで!
それなのに何で!!」
「はやてちゃん!」

 シャマルは取り乱し声量が大きくなっていくはやてを抱きしめ、優しく髪を梳かしながら、肩の震えが治まるのを待つ。
 人間は自分の理解が及ばない存在に恐怖を抱く。はやてが守護騎士の存在を認めることが出来たのは、闇の書から得た知識が助けになった部分が大きいだろう。
 はやては人と接する経験が少ない。足のこともあるが、この場合年齢に因るところが大きいだろう。同年代の子供と比較すれば逆に人の気持ちを察することが出来るだけでも評価されても良いくらいだ。
 だが、今回は相手が悪過ぎた。シャマルでさえ恭也の考え方は酷く異質だと思える。
 シグナムとヴィータ、人型に変身したザフィーラが顰めた顔のまま、説明を求めるようにシャマルを注目していた。
 シャマルははやてが落ち着いてきたことを確認すると、髪を梳かす手をそのままに自分の考えを話し出した。

「たぶん恭也君は私たちのことを気に掛けてくれたんだと思います」
「どうゆうこと?」
「今朝はやてちゃんたちが会ったとき、会話中に、その、正気を取り戻したときに直ぐにはやてちゃん達から遠ざかろうとしたんですよね?知っている人が周りに居なくて心細いはずなのに、5日前に言葉を交わしただけとはいえ、面識のあるはやてちゃんやシグナムから距離を取ろうとした。それは、きっと自分の置かれた訳の分からない現象にはやてちゃんたちを巻き込まないためだったんじゃないでしょうか?」
「あたし達のことを警戒して離れようとしただけかもしんねーじゃん」
「それなら言いくるめてから穏便に距離を取る、なんて余裕は無いと思う。明らかに異常事態ですもの。
 普段から体を鍛えている人なら、元凶だと思っている相手と言葉を交わす前に、逃げ出すか、逆に”元凶”を捕まえようと攻撃しようとするかしていてもおかしくない状況でしょ?」
「では先程まで淡々と説明をしていたのは、悲哀の情に巻き込まないように、か?」
「ええ」
「俺には、仮にそう考えていたとしても実行できるとは思えん。確かにあの男は尋常でないほどの修練を積んでいることは見て取れるが、とても精神が成熟しているとは言えない年齢だろう。個人差があるとしてもだ」
「そうね。生まれつき感情の起伏の少ない人だっているから、一概には言えないし、何か別の要因もあるのかもしれないけれど。何れにせよ”優しい”の一言で括れる様なものではないとは思うわ」

32 小閑者 :2017/06/10(土) 15:47:23
 シャマルは4人の疑問に順に答えた後、ゆっくりと抱きしめていたはやてを離し、不安を押し込めた真剣な顔をじっと見つめながら語りかける。

「はやてちゃんには”怖いから関わりたくない”とは言い難いかもしれない。でも人は万人と仲良くなれる訳ではないのも事実です。一緒に居ることで傷つけ合うくらいなら離れることも手段の一つですよ?
 恭也君もそれを理解しているからこそ、最後に拒否する選択肢を示してくれたんだと思います」
「あたしは…反対だ。あんなよくわかんねぇやつがはやての傍に居るのは、なんか嫌だ」
「私は特に反対はしません。接した時間は長くありませんが、恭也自身は信用しても問題ないと思います」
「だが、あの男自身はともかく、あの男の巻き込まれている状況は軽視できるものではないぞ」
「そうね。でも、それでも私は恭也君を助けてあげたいとは思う」

 意見が出終わると暫くの間誰も喋ることも無く身動きもせずにはやての結論を待った。
 決定するということは責任を持つことでもある。はやてにはそれが理解できていることを知っていて、なお4人はそれをはやてに求める。
 酷である事は承知しているが、書の主を差し置いて決められることではない。
 状況を整理し問題点を提起した上で自分達の意見を上げて選択肢を示す。その代わりに恭也がはやてにとって害をなす存在であれば自分達が排除することは、確認するまでも無く4人の一致した決意だ。
 4人が見守る中、はやてがしっかりとした口調で、自分の考えを再確認するように口に出す。

「私も恭也さんのこと、助けてあげたいと思う。
 1人はあかん。絶対にあかんのや。私はみんなのお陰でそれがよう分かってる。せやから、恭也さんはウチに住まわせたげたい」
「はい」
「まぁ、はやてがそう言うんならしょうがねぇ」

 同意する3人と、仕方なさそうに、しかし安堵が混じる声で答えるヴィータ。優しい家族に誇らしさと嬉しさがはやての胸を占める。
 不安はある。最初は守護騎士とて面識の無い他人だったが、魔道書の主に対して忠誠を誓う存在であったことを思えば、恭也は正真正銘の他人だ。倒れた恭也を連れてきた時には気にしていなかったその事実は、恭也の異質さと言う形で実感することになった。
 同居するということはそのまま接する時間が長いということだが、はやての認識においてはそれだけではなかった。はやては、同居とは他人の寄せ集めでは無く家族として接することと同意だと思っているため、なお不安が大きかった。あそこまで異質な面を垣間見た恭也と上手く接することが出来るだろうか、と。

 だが、結論を告げたときに見た恭也の表情に、不安を圧してでも迎え入れることを選択して本当によかったと安堵した。



続く

33 小閑者 :2017/06/10(土) 16:48:38
第6話 天秤




 家族として恭也を受け入れることを告げた後、気持ちを落ち着ける時間をとることも兼ねて食器の片づけを行った。その後場所をリビングに移すと、はやての提案で新しく家族に加わる恭也のための自己紹介が始まった。

「まずは言いだしっぺからやね。八神はやてです。歳はぴちぴちの9歳。家事は一通りこなせるけど、料理の腕にはちょっと自信あります」
「ああ、さっき堪能させてもらったからな、次からも期待させてもらおう。それと、別に丁寧な話し方でなくても構わないからな?」
「ありがとう。や〜、慣れん話方は辛かったわ。ボロが出る前に戻せてよかった〜」
「既にボロボロだったと思うぞ?」
「嘘!?」
「いやなに、言葉の端々に隠しきれない可愛らしさが滲み出ていたと言いたかっただけだから、シグナムさんとヴィータはそんなに睨まないように」
「フン!」

 ヴィータは恭也への視線を和らげることなく復元していたグラーフアイゼンをペンダント状態に戻す。シグナムはデバイスを復元していなかったが、だからと言ってヴィータより寛容だった訳ではないのは未だに殴りかかるために握り締めた拳に力が篭ったままであることからも明らかである。
 はやてのこととなると沸点がやたらと低い2人が常態に戻るまでの間を取るためにシャマルが口を開く。2人の姿から普段の自分の姿が容易に想像できてしまい、居たたまれなくなったのだ。

「じゃ、じゃあ、次は私ですね。ご存知の通り名前はシャマルで、先程お見せした通り癒しの魔法を使えるから怪我をしたときには私に言ってね。
 家事についてはお掃除とお洗濯は出来るようになったけれど、お料理は勉強中と言うところかしら。あとは・・・そうね。一緒に暮らすんだし特に敬語を使わなくても構わないわよ」
「それは有難い。はやてのことが言えるほど俺も敬語は得意ではないんだ」
「私にも敬語は不要だ」
「俺にもな」
「ありがとう」
「あたしにはちゃんと敬語を使えよ」
「畏まりました、ヴィータお嬢様」
「へ?」

 からかう気満々でニタニタしながらヴィータが切り出すと、予想とは裏腹に即座に謙(へりく)だった態度で対応されたため思考に空白が生じてしまった。そして、対峙した者が見せた隙を見逃すような甘さを持たない恭也はすぐさま追い討ちをかける。

34 小閑者 :2017/06/10(土) 16:49:28
「如何なさいましたか、ヴィータお嬢様?もしやご気分が優れないのでは?シャマル、悪いがヴィータお嬢様のお加減を見て差し上げてくれないか。寝室には俺が。
 ヴィータお嬢様、失礼致します。本来であれば私ごとき下賎の者がヴィータお嬢様に触れるなど恐れ多いことと承知しておりますが、今は危急の時。後ほど如何様な罰も受けますゆえ、この場はどうか平にご容赦下さい」

 などと、今まで見せたことも無いほど真剣な表情でヴィータに語りかけると、ヴィータの横から右手で肩を抱き寄せ左手を膝裏に回すと掬い上げるように持ち上げる。
 虚を衝かれたとは言えヴィータが抵抗する間も無くお姫様抱っこの形に収まってしまうほど、一連の動作は自然であり優雅であり洗練されていた。

「な、ななっな、何しやがる!?」
「ヴィータお嬢様、お願い致します。お怒りはごもっとも。ですが今は、今だけはご容赦を!
 わが身可愛さのためにヴィータお嬢様の治療が遅れ、万一のことがあっては、私の命をいくつ積み上げても取り返しがつきません」

 体勢の関係で至近から恭也の真摯な視線を受け続けた結果、本人の意思とは無関係にヴィータの顔に急速に血液が集まり続ける。

「わかった!あたしが悪かった!」
「何をおっしゃるのですか!?ヴィータお嬢様に落ち度などありません!傍に控えさせて頂いていたにも関わらず気付くのに遅れた私の責任です!!」

 恭也の言葉に熱が篭るのに比例して、徐々に2人の顔が近付いていく。既にヴィータには周囲の4人の食い入るような視線に気付く余裕すらない。
 これ以上ないほど赤面したヴィータは、恭也の瞳から視線を逸らすことが出来ない上に、恭也の肩に添えている手が、押し返すためのものなのか引き寄せるためたのか傍目から判断が出来ないほど弱弱しい。
 平常であれば冷ややかな視線を投げかけつつ殴り倒してお終い、という程度のことだが、初撃で虚を衝かれた上、澱みなく追撃を重ねられたため思考を整理することも出来ずに追い詰められてしまったのだ。
 ここまで詰められてしまっては全面降伏しか道は無かった。

「ごめんなさいごめんなさい、もうからかったりしないから赦して下さい〜」
「深く反省するように」

 僅かながらも瞳を潤ませているヴィータに対し、スイッチを切り替えたかのように熱の消えた声で返し、あっさりと開放する恭也。ヴィータは開放されると足を縺れさせながらもはやての影に隠れて威嚇する。
 とてもはっきりとした勝者と敗者の姿だった。

「おぉ〜、恭也さんは容赦ないなぁ」
「はやて、叩けるうちに叩くのが勝負の鉄則だぞ?」
「後が怖いんとちゃう?」
「今を生きるのに精一杯で先のことなど考える余裕は無いんだ」
「でも、心の中では羞恥心を押さえ込むのに一生懸命だったんでしょうね」
「そこ、見透かさないように」
「ヴィータが即座に反撃に出られないほど徹底的に攻撃するところが凄いな」
「今反撃に出れば返り討ちに会うことが判断できる冷静さがヴィータに残っていることの方が怖いのではないか?明日の朝日を拝めることを祈っておいてやろう」
「祈りより直接的な助力の方があり難いのだが?」
「藪を突付くつもりはない。そもそも自業自得だろう」

 恭也の反論がないことを確認した後、そのままザフィーラが名乗り出た。

「名はザフィーラ。普段はペットの立場を取っている」
「・・・ペッ・・・ト?そ、それは、跪いたり、その、く、首輪を付けられて引かれたり、床で餌を、与えられたり、とか、されているの、か・・・?」
「?まぁ、概ね合っているが」

 そう言い、恭也の様子を訝しみつつ周囲に視線を投げかけると、帰ってくるのは憐憫と苦笑の交じり合った視線。(ヴィータは恭也への威嚇に勤しんでいたが)

「ザフィーラ、お前その姿のままで鎖につながれていると思われているんじゃないか?」
「な!?」

35 小閑者 :2017/06/10(土) 16:52:02
 シグナムの言葉にザフィーラが驚愕の面持ちで振り向くと、恭也は平静を装いつつもザフィーラを直視しないように盛大に目を泳がせていた。バタフライもかくやと言う程の泳ぎっぷりからして、この手の人には会ったことがないんだろうなぁ、と言うことが良く分かる。
 先程までの異常なまでの落ち着き振りとの落差に全員が思わず微笑ましい気持ちにすらなる。無論、ザフィーラを除いて。

「貴様、妙な誤解をするな!俺は狼を素体とした守護獣だ!変身魔法でこの姿をとっているに過ぎんのだ!」
「え?・・・あ、じゃあさっき俺の足首を砕きそうな勢いで噛み付いていた犬がザフィーラなのか?」
「犬ではない、狼だ!」
「やかましい!動物のすることだから大目に見ようと思っていたが、人語を解するなら話は別だ!喰らえ!」
「喰らえと言われてくらがぁ!?」
「なに!?」

 ザフィーラの額にデコピンを炸裂させた恭也にシグナムが驚愕の言葉を漏らす。無論、ヴィータとシャマルも同じ思いだ。
 真っ向からザフィーラに攻撃を仕掛け、抵抗らしい抵抗すらさせずに攻撃を成立させて見せた。如何にここが団欒の場でザフィーラが気を緩めていたのだとしても、盾の守護獣の二つ名は伊達ではないのだ。容易にできる事ではない。
 指を弾いて痛みを与えるという“おちょくること”を目的とした行動だったが、今のが鋭利な刃物を使用した攻撃であれば命に届くことはなくとも行動力を大幅に削ぎ落とす事は出来た可能性もある。先程あっさりとヴィータをお姫様抱っこして見せたのも同じ技能だったのではないのか?
 ここまで思考を進めた結果、シグナムは知らず寄っていた眉間のしわをそのままに、剣呑な視線を胡乱なそれに変えて恭也へ問いかけた。

「お前、そんな高度な技能をこんなくだらない事にばかり使っていいのか?」
「何を言う!全力で挑まなければ返り討ちに遭うんだぞ!?
 仕掛けるならあらゆる技能を出し惜しむな。父から叩き込まれた教訓だ」
「すごいお父さんやね」
「未だに完全勝利は2割を切るからな。いや、単独で挑んだ場合は引き分けが関の山だった」
「そのお父さんに育てられちゃったのね」
「なんて傍迷惑な父親だ」
「全く持ってその通りだな」

 ヴィータの心からの評価に同意したのは他ならぬ恭也自身だった。現在の自身の在り方に何かしら思うところがあるのだろうか、ザフィーラが反撃を躊躇する程度には視線が虚ろだ。

「え〜と、次、ヴィータな」
「・・・ヴィータだ」

 恭也の気を紛らわすように振られたことに対して不満はあったが、はやてからの指名では突っぱねる訳にもいかず不機嫌さを隠すこともなく名乗る。そして、せめてもの抵抗として“それ以上お前には教えてやらねぇ”とばかりに全員の視線を集めても無言を貫く。

36 小閑者 :2017/06/10(土) 16:53:13
 ヴィータの態度にはやてが苦笑しつつフォローする前に、いつの間にか復活していた恭也が口を開く。

「ヴィータお嬢様は慎ましい方ですからね。差し出がましいとは思いますが、不肖私「しゅ、趣味は近所のじいちゃんばあちゃんと一緒にゲートボールすること、あと、あと、えーと、好きな食べ物ははやての作ったご飯とお菓子、嫌いな物は特になし!」
「必死だな」
「さっきのがよっぽど恥ずかしかったんでしょうね」
「それよりあの男、さっきのあれは演技だったのか?」
「どうやろな〜。単に打たれ強いと言うか打たれ慣れてるんとちゃう?雰囲気的には寡黙な印象があったのにここまではっちゃけた性格に成れたのはよっぽど打たれ続けてそうや」
「“成れた”のではなく“成ってしまった”んだ。環境に順応した結果、俺自身の理想像からは遠く離れてしまったよ」

 唐突に会話に加わったかと思ったらそのまま遠い目をしている恭也に慰めるようにはやてが声をかける。

「辛かったんやろね、理想の姿と本性が掛け離れてるゆうんわ」
「追い討ちか。容赦がないな、はやて。俺は周囲の悪影響を受けただけで、本来はもっと静かで落ち着いた性格だったんだぞ?」
「恭也さん、人生はやり直しがきかへんのやから現実から目を背けても何もいいことあらへんよ。今ここにあるもんが全てやねん」
「非情な真理だな。ご高説痛み入る」

 漫談に混ざる内容が子供の会話ではない。だが、一方は両親を事故で亡くし足の麻痺した者、他方は先日実質的に一族全てを失った上知人すら居ない異郷の地に放り出された者、そしてその過酷と言える境遇から目を逸らすことなく受け止めている両者だからこそ、背伸びをしているような印象がない。
 シグナム達は境遇についてはやてを不憫には思っていたが、精神面が歳不相応であるとは実感できていない。知識として、この年頃はもっと無分別で周囲が見えないものだとは知っていたが、新参の恭也が(漫談は別として)輪をかけて落ち着き払っているので彼女達の認識が修正されることはなかった。
 余談だが、これから彼女達が関わることになる同世代の少年少女は総じてマイノリティに分類される者たちばかりだったため結局修正される機会はないのだった。

「では私で最後だな。
 シグナムだ。最近は市内の剣術道場で非常勤の指南役をしている」
「指南?他流派だろう?仮にも剣術を名乗っている道場にしては革新的だな」
「何かおかしいん?」
「俺の知る限りでは、剣術は剣道と違って共通したルールがない。まあ得物が刀、勿論木刀だろうが、それである以上扱い方は似か寄るだろうが、自分の流派こそが最強だと言う自負はそれぞれが持っているものだろうから、他流派の者に技を知られることを嫌う。恐れると言い直してもいい。技を知られれば対抗策を練られるからな。
 剣術と言う名が形骸化している傾向はあったからこの10年で拍車がかかったのか、その道場だけなのか」

 どこか寂しそうに恭也が呟くが、シグナムが早とちりだと嗜める。

「剣術道場と言っても一般人に向けて剣道を教えているんだ。私が指南しているのはそちらだよ。私も剣術については何度か手合わせをした程度だ」
「なんだ、そういうことか」
「お前も嗜むのなら覗いてみるか?他流派との手合わせは勉強にも刺激にもなるぞ」
「ああ、知っている。だけど今は止めておくよ。自分の技能を煮詰める時期なんだ」
「無理強いはしないがな。では、私とするか?道場では無理だが、そこらの空き地でも構わんのだろう?」
「魅力的ではあるが、やはり辞退しておこう。なけなしの自信が跡形もなくなりそうだ」
「よく言う。その論法では最強になったことを確信するまで誰とも手を合わせしないことになるじゃないか。
 まあいい、気が向いたときと言う事にしておくか」
「ああ、気が向いたときに、な」

 不敵っぽく笑い合う2人に対して、別の2人が食って掛かった。

37 小閑者 :2017/06/10(土) 16:56:16
「てめ、アタシのときと全然違うじゃねぇか!」
「俺のときともな!」
「何を馬鹿な。礼には礼を、失礼には失礼を返しただけだろう」
「ぐっ」
「待て。俺が噛み付いていたときはシグナムだって剣を突きつけていただろう!?」
「・・・そうだったかな。だが、まあ男が細かいことに拘るな」
「あからさまに誤魔化しとるなあ」
「流派の理念上、勝てない場合には戦わないことにしている」
「ただのヘタレじゃねぇか!」
「そういう言い方も出来るな」
「でも負けると分かってる時でも戦わないかん時があるんやないの?」
「そうなのか?」
「いや、聞き返されても・・・」
「負けることが“分かっている”んだろう?そうであれば戦うことに意味はないと思うがな。他の人間は別の意見を持っているかもしれないが、戦ったと言う事実で自分を満足させているに過ぎない、と俺は思う」
「でも、自分より弱い相手としか勝負せえへんのやったら弱い者虐めみたいなものやん」
「?どうしてそうなるんだ?強い相手と戦う事くらいあるだろう?」
「勝てへん相手とは勝負せえへんのやろ?」

 恭也は話が噛み合っていないことに気付いて言葉を切る。はやてが、何か間違っていただろうかとシグナムの方に視線を向けたところで恭也が再び口を開いた。

「ああ、なるほど。目的と手段の違いか」
「何の話?」
「主、あの男にとって対戦者を打倒することは目的を達成するための手段でしかないのでしょう」
「練習中であれば“強くなる”って言う目的の糧になるから勝負自体には負けても構わねぇってことか」
「あれ、何でザフィーラもヴィータも急に恭也さんの味方やの?」
「べ、別にあんなやつの味方したわけじゃねーよ」
「あの男を少々侮っていたことについての自戒です」

 スポーツではなく術(すべ)としての剣技=剣術。半年に満たないとは言えこの町を見てきたからこそ、この国にそのような考え方が残っているとは思っていなかった、それがザフィーラの正直な感想だった。
 空気が引き締まったことを感じ取ったシグナムが改めて許可を取るためにはやてに話しかけた。自分達の秘密とも言える内容だから流石に漫談中に切り出したくはない。

「主はやて、恭也に我々の存在について教えようと思いますがよろしいでしょうか?」
「存在?・・・あ〜、あのことやね。ん〜ちょお待ってな、その前に一つ確認しとくことがある。
恭也さん、うちらに隠しておきたいことあるか?」
「・・・そうだな。いずれ話せる日が来るかもしれないが今はまだ話せないことがある」
「なっ」
「そか、じゃあ私とみんながどうやって出会ったかはそん時でええかな?」
「気を遣わせてばかりで申し訳ないな」
「いいのかよ、はやて!」
「話したないことくらい、誰にだってあるやろ?自分の秘密を話すことは信頼の証になるやろけど、相手にも強要してる様なもんや。
 私らのこと騙そうとしてる様な人には関係ないやろけど、恭也さんは優しそうやからな。無理強いはしたない」
「本当に良く出来た子だな。小学生にしておくのは勿体無い」
「どんな勿体無さかわからんて。けど、お褒めに預かり光栄や、惚れ直した?」
「滅相も無い、恐れ多くて惚れることも出来ん」

 苦笑しつつ受け流す恭也を見る限り、特に不快感は抱いていないようだと安心するはやて。

38 小閑者 :2017/06/10(土) 16:58:40
 俺の番か、と呟きつつ居住まいを正す恭也に一同が視線を集める。

「約束していたのに随分遅くなってしまったな」
「そういえばまだ苗字を教えてもろてへんでしたね」
「苗字は不破という。不破恭也。初対面の人にはまず間違われるので先に訂正しておくが、今年で10歳になる」
「…またまた。誤魔化さないかんような歳やあらへんやろ?」
「ああ、だから誤魔化してはいない。ついでに言うなら今のところ年齢を重ねることに抵抗はないし、外見上15,6歳に見えることも分かっているので間違えたことを非難するつもりもない。ただ、以前に面倒くさくなって放置しておいたら、ややこしいことになったことがあるので訂正だけはするようにしている」
「えっと、ランドセルとか背負っとるの?」
「…ああ」
「ぶわっははははははははははは」
「容赦ないな、はやて。ヴィータですら笑ってないって言うのに。いや、知らないだけか?」
「はははッゲホ、ガハガハ」
「はやて、大丈夫か!?テメー何てことしやがる!」
「俺が被害者のはずなんだが。いっそ清々しいほどの至上主義っぷりだな」

 はやてが落ち着くまで待ってから再開する。

「今度背負ってる姿見せてな」
「笑われるために背負うなど断固拒否する。そこの4人、拒否してるんだからな!」
「主はやての意向は絶対だ」
「…小太刀を見ているから分かると思うが剣術を習っている」
「強引に進めましたね」
「コダチ、とはあの短い剣か?」
「ああ。この国では剣のことを刀と呼ぶ。特徴は片刃であることと刀身に反りがあること。主に長さによって分類されていて、俺が持っているものは小太刀と呼ぶんだ」
「あの長さではあまり攻撃には向かないと思うが、細身の割には刺突に特化した形状という訳でもなかったな。守りが主体か?」
「それもあるが、技の中に室内戦を想定している傾向がある」
「なるほどな」
「どういうこと?」

 納得するシグナムにはやてが問い掛ける。

「武器は基本的に長い物ほど、重い物ほど、遠心力や慣性により一撃の威力が増します。また、長ければ敵よりさきに射程に捕らえることも出来ます。
 反面、長大な武器は手数が減りますし、モーションが大きくなるため敵の接近を許すと反撃が難しくなり、障害物があれば存分に振るうことも難しくなります。
 つまり狭い室内は、長い武器が短いそれより不利になるシチュエーションです。」
「なるほどなあ」

 はやてが納得したことを確認してから、今度はヴィータが問い掛ける。

「暗器の類いまで持ってたみてーだけど、この国でそんな実戦紛いなことやってるもんなのか?」
「少なくとも私が世話になっている草間一刀流は古流剣術をうたっているが、そこまでではないな。せいぜい上級者の一部が真剣を扱う程度、それも薪藁相手に振るう位だった。
 念のために言っておくが、馬鹿にしている訳ではないからな?剣士としては寂しく思うが、それだけこの国が平和だと言うことだろう」
「少し違うな。平和であることは事実だが、今の時代、仮に戦争が起きたとしても熟練に長期的な鍛練を要する剣術よりも、体格に関係なく引き金を引くだけで一定の成果を期待できる銃火器を選ぶだろう。
 剣道はもちろん剣術すら肉体の鍛練と精神修養以上の物ではなくなっているのは当然の流れなんだろう。今は刀を振るえばどう言い訳したところでそれは暴力として扱われる。俺の流派も多少実戦の側面が色濃く残っているが大差はないんだ」
「そうなんかぁ」

 受けた説明を鵜呑みにするはやての隣でシグナムが、今のは嘘だろうと推測していた。気絶状態から臨戦大勢をとるなど、相応の経験が必要だし、先程の“相手を打倒するのは手段に過ぎない”と言う言葉に反してもいる。

「なんと言う流派名なんだ?」
「俺の実力では名乗ることが許されていない」

 恭也の返答はシグナムの予想から外れるものではなかった。隠そうとする意図が正確に分かる訳ではないが、戦闘者として手の内を明かす積もりは無いのだろうと当たりをつけて黙認した。非難できる事ではないだろう。

「別に良いじゃねぇか、咎めるやつも」
「ヴィータちゃん!」
「あ!…悪い」
「いや。一応俺自身のけじめでもあるので勘弁してくれないか?」

 特に動揺する様子も見せずに受け流した恭也は、そのまま気遣わしげな視線を寄越すはやてに願い出る。

39 小閑者 :2017/06/10(土) 17:01:03
「はやて、厚かましい事は承知の上で一つお願いしたいことがある」
「何?」
「この家においてくれている間だけで良い、八神の性を名乗らせて貰えないか?」
「うん、ええよ。恭也さんも今日から八神家の一員やしな!」

 あっさり即答した上、満面に笑みを浮かべるはやてを不思議そうに見ている恭也に替わりシャマルが疑問を口にする。

「はやてちゃんなんだか嬉しそうですね?」
「私、優しくてカッコイイお兄ちゃんにも憧れとったんよ」

 誰もがザフィーラに向かいそうになる視線を必死に押し止め、きっと兄よりペットの方が優先順位が高かったのだろう、と胸の内で納得するだけに留めておく。

「では選択の余地がなかったとは言え、夢を壊すようなことになって悪かったな」
「?」
「憧れていたなら理想像位あったんだろう?」
「なんや、そんなん恭也さんなら全然オッケーや」
「俺が言うのもなんだが、志しは高く持つものだぞ」
「やっぱそうかな?じゃあ理想のお兄ちゃんが現れるまで、そのポジションに当たる人と暮らすのはやめとこか」
「いや、やはり高望みは良くない。地に足を付けて堅実に進むのが幸せへの道程と言うものだ」
「必死だな」
「そうね」
「軽はずみな事を言うからだ」
「ザフィーラ、そんなに気にしなくて良いと思うぞ。はやても他意はなかったろうし」
「八つ当たりで言った訳ではない!」

 何故、飛び火がこちらに来るのかと内心首を傾げながらも、ザフィーラは盾の守護獣として耐え忍ぶ事にした。無論、現実逃避でしか無いのだが。

「それじゃあ自己紹介はこれくらいにして夕飯の買い物に行こか」
「では、荷物持ち位努めよう」
「行き倒れていた人が何を言ってるんですか!」
「シャマルの言う通りお前は、今日は休んでいろ。主はやて私が供をします」
「ん、ありがとなシグナム。シャマルは恭也さんのこと見張っとってな」
「任せて下さい、はやてちゃん」
「失礼な。見張りなど無くても安静にくらいしている」
「そういう台詞は目を合わせて言わんと説得力ないで。ヴィータとザフィーラはどないする?」
「ん〜この時間ならまだやってるだろうから、じーちゃん達ん所行って来るよ」
「では俺もそちらに」

 言って変身したザフィーラを見て、恭也が驚嘆の声を上げる。

「おお、そんな風に変身するのか」
「変身シーンでも裸は見えへんよ?」

はやてがニヤニヤしながらからかう気満々で言うが、恭也は疑問符を浮かべるだけだった。

「むう、リアクション薄いなぁ。シャマル出番や、変身シーンを見せたって」
「シャマルも何かに変身するのか」
「えぇ?私は服が変わるだけよ?」
「見せなくて良いから」
「即答したな」
「もう少し突いたらさっきみたいに真っ赤になるんじゃねぇ?」

 ニヤニヤ笑うヴィータの頭に恭也が穏やかな表情でそっと手を置くと、

「人をからかうのは楽しいよな?」

 万力のように締め付ける。

「いでででで!手ぇ離せこのヤロ!」

 ヴィータの蹴り足をヒラリとかわすと、恭也はそのままリビングから退室した。

40 小閑者 :2017/06/10(土) 17:04:35
「鮮やかな転進だな」
「攻撃しておいて反撃が来たらあっさり逃げ出すとは男らしくないやり方だな」
「ザフィーラ…」
「シャマル、その目はやめろ。八つ当たりではないと言っただろう!」
「あ〜ザフィーラ、ゴメンな?デリカシーなかったな」
「主、本当に気にしておりませんから、お気使いなく。ペットとしての役割を全力で全うする所存です。それではこれにて。行くぞヴィータ」
「お、おう。何でそんなに張り切ってんだ?」

 覇気の漲る声でヴィータに声をかけ颯爽と部屋を後にするザフィーラを、今まで痛みに悶えていて聞いていなかったヴィータが不思議がりながら追って行った。

「そんなに力まんでも。…ひょっとしてペットとして振る舞うのって結構大変なんかな?」
「いえ、恐らく主はやてに気にかけて頂けて喜んでいるのでしょう」


* * * * * * * * * *


 シャマルが客間に入ると恭也が布団の上で目を閉じて正座していた。流石にフローリングの床に直接正座するのは避けたようだ。

「恭也君、寝てなくちゃ駄目よ」
「日常生活程度であれば問題ないくらいに回復していることはシャマルも分かっているだろう。大人しくしているから勘弁してくれ」

 シャマルがクスクス笑っていると漸く恭也が目を開いた。

「一つだけ確認しておきたいことがある。魔法についてだ」
「答えられることなら」
「まず第一に俺にとって魔法の存在は童話や物語の中のものでしかなかった。隠蔽されていたのか、あるいは…俺が良く似た別の世界に飛ばされたのか」

 恭也が感情を面に出さないために費やしている精神力がどれほどのものなのか想像するだけで胸が痛んだが、同情で半端な希望を与えるわけにはいかない。それに縋り付けば反動で後のショックが大きくなってしまうだろう。

「この次元世界には魔法が使える人間どころか魔力を保有する人間すらほとんどいないの。はやてちゃんも保有する魔力量こそ大きい、つまり魔法の素養は高いけれど、魔法技術を持っていないから扱えないわ。魔法の存在が知られていないのはそれらが理由だと思う。
 後者の可能性は有るとも無いとも言えないわ。ただし、恭也君は実家の周辺を確認した結果、目安になるような施設には大きな差異が無かったのよね?10年の歳月でどの程度の変化があったのかは分からないけれど、町並みから受ける印象に違いが感じられないなら、その可能性は極めて低いと見るべきでしょうね。
 私も全ての次元世界を把握している訳ではないけれど、経験上酷似した世界を見たことはないわ」

 シャマルは恭也が再び閉じた目を開くまで辛抱強く待った。如何に実年齢に見合わない精神の成熟を見せていても、何の前触れも覚悟も無く家族を失う事態に直面すれば、余程冷徹か逆に憎んででもいなければ家族を失ったという事実が簡単に受け入れられる訳はない。だからこそ僅かな希望に縋ろうとする姿は当然と言えるものだろう。
 再び目を開いて質問を始めた声に動揺の色を見せない恭也のことが不憫でならないが、その努力に報いるためにもシャマルは同情を面に出さないように努めながら会話に集中する。

41 小閑者 :2017/06/10(土) 17:06:13
「魔法にはどのような種類があるんだ?」
「大まかには戦闘用、医療用、移動用と言ったところかしら。
 さっきも言ったと思うけど魔法は誰にでも使えるものではないの。それはこの世界に限ったことではなくて、ランク差は勿論あるけれど、それ以前に全く使用できない人のほうが多いのよ。だから、日常生活用に開発された魔法はほとんど無いわ」
「戦闘用というのは?」
「大別すれば攻撃魔法と防御魔法と補助魔法ね。もっと詳しく知りたい?」
「いや、追々聞いていこう、詰め込みきれそうに無い。それより、はやてが魔法使いに襲われる可能性は?希望的観測は抜きで頼む」
「そう言われてしまっては魔法の存在しないこの世界で私達が出会ったんですもの、零ではない程度に低い、としか言えないわね。でも、管理局だって魔力保有量だけで書の主を見つけられる訳ではないでしょうし、まず有り得ないと思って良いわ」

 シャマルは意図して管理局の名前を出して、素知らぬ振りをしながら恭也の反応を窺ったが見て取れるような反応は得られなかった。
 気付かなかった、ということはないだろう。自分達に敵対する組織があること、それが攻めてくる可能性があることも気付いてもらえたと思う。名前からして治安機構であることは推測できただろうか?自分達の行動が犯罪に分類されること、あるいは書の主であると言う事実だけで取り締まられる可能性があることは?
 だが、恭也はシャマルの意図を全く無視する形で話題を変えてしまった。

「最後に何度か耳にした次元世界と言うのはどのような概念だ?平行世界と言うものとは違うようだが」
「あ、えーと、この世界の概念では別の銀河系、が一番近いと思うわ」
「ああ、なるほど。現在のこの星の技術力では一生涯ではたどり着けない距離に存在する他の生態・文明か。
 今の時点で知りたいことは大体分かったよ」
「そう。答えられることでよかったわ」
「っと、それとは別に俺は普段どんな生活をすれば良い?最初からはやてにベッタリでははやてが疲れてしまうだろうし、俺もこの町のことを知っておきたい。
 幸いこの外見なら補導される心配は無いだろうから、ある程度街中を歩き回ろうと思っているんだが」
「ええ、それで構わないと思うわ。夕食時にでもはやてちゃん達に話しておけば問題ないと思う」
「わかった。では夕飯までここでじっとしているので家事があるならやってきてくれ。
 そんな目で見られなくても今日は大人しくしている」

 それだけ言うと正座のまま目を閉じ、微動だにしなくなった。瞑想と言うやつだろうか?
 それにしても鎌をかけたつもりだったが完全にスルーされてしまった。精神が不安定なはずの今現在に、ここまで考えを隠されては打つ手がない。
 先程は感情を露呈する場面が何度かあったというのに隠すべきときには隠し切って見せたのだ。
 はやても9歳児とは思えない言動をするが、その1年後を想像しても恭也にはならないだろう。本来は恭也の感情、心理、思考を把握した上で行動することで、最悪の事態、自分達が管理局に捕まったとしても恭也が“巻き込まれただけ”という立場を取らせたかったのだが、思い直すしかないだろう。
 恭也は、自身のとった行動の責任は自身で請け負う、そう言っていると解釈するべきだろうか?
 シャマルはその結論が自分の都合のいい解釈でしかないのか、恭也の本心であるのかを、これからの彼の行動から読み取るという前途多難な課題に頭を悩ませるのだった。


* * * * * * * * * *


「ほな、そろそろ寝よか」
「うん」
「お休みなさい、はやてちゃん」
「お休みなさい、主はやて」
「お休み」
「良い夢を」

 ヴィータに車椅子を押されながら、家族全員から就寝の挨拶を受けたところではやてが疑問を口にした。

「恭也さんは寝えへんの?」
「ああ、俺はまだいい。寝る前に体を動かしておきたい」
「何言ってるの。病み上がりなんですから今日は大人しく寝なくちゃ駄目よ」

 恭也は即座にかけられたシャマルのダメ出しに、予想通りと言うように肩を竦める。

「もう大丈夫、と言っても納得してくれないだろうからな。分かってる、部屋で体操する程度にするさ」
「風呂はどうする?」
「先に入ってくれ、俺は寝る前でいい。今日は昼にも入ってるしな。では俺は部屋に戻る。物音はたてない積もりだが煩かったら言ってくれ、直ぐにやめるから」
「ここでやれば良いじゃない」
「軽くとは言ってもこれだけ物がある場所では無理だ。万が一と言うこともある。シグナム、風呂から上がったら教えて貰えないか?」
「分かった」

42 小閑者 :2017/06/10(土) 17:06:57
 はやて・ヴィータに続き恭也が部屋から出ると、リビングに静寂が満ちる。
 シグナム、シャマル、ザフィーラの三人は、はやてが寝るために部屋に行ったあと特に会話もなくそれぞれの思索に耽る。
 以前は一日を振り返り、はやてと供にあるという幸福を噛み締める時間だったが、最近考え込むことは自ずと最重要事項である蒐集に関する事ばかりだ。殺伐としている。それに気付けたのは恭也というイレギュラーな存在のせいだ。この場合″おかげ″と表現するべきか?
 皮肉なものだとザフィーラは思う。犯罪を犯している自分達にとって部外者である恭也は秘密が漏洩する可能性を高める不安要素だ。だが、その不安要素によって、秘密の厳守を意識するあまり、蒐集活動を始めてから外部との隔絶が大きくなっていたという事実を突き付けられた。
 むろん、秘密の厳守は絶対だ。だが、そのために孤立すれば思考の硬直に繋がる。それは気付いてしかるべきことに気付けず、大切な事柄を忘れてしまう事態に致りかねない。代表的な事例でいえば“目的と手段が入れ代わる”という事態は、他人事だと笑っている者ほど陥り易い罠なのだ。
 蒐集活動の成果が文字通り主の命を左右するため、自然に悲壮感が強くなっていたのではないだろうか。日常の主との会話中でさえ、頭の片隅から離れることのなかった問題を一時とはいえ忘れることが出来たのは良かったと言えることなのかもしれない。
 ぽつりぽつりと零れる他の二人の言葉はザフィーラの考えを肯定するものだった。
 激動、と言うのは大袈裟だが大きな変化のあった一日だった。余りにも能動的な行動の余地が少ない選択肢ばかり突き付けられたように思うが、久しぶりにはやてと行動を供にしたと実感出来たように思う。


* * * * * * * * * *


「首尾はどうだ?」
「私は5ページ」
「あたしとザフィーラは13ページだ」

 海鳴市のオフィスビルの屋上にて互いに今日の蒐集結果を報告しあう。
 自慢気に胸を張るだけあってヴィータ達の成果は一度の出撃では最高値だ。

「やるな。私の11ページが最多になると思っていたんだがな」

 内容とは裏腹にシグナムの声も明るい。
 恭也が転がり込んで来た今日は、はやての笑顔も多かった様に思うし、色々と気付けたこともあったし、蒐集の結果も良かった。偶然でしかない事は百も承知だが、恭也が幸運を運んできたのではないか、などという思考さえ過ぎる。
 あまりな思考に苦笑が漏れるが、芳しい成果が得られた時には喜ぶべきだ。悲壮感に陶酔しても得られるものはない。
 家に着くと、ささやかな満足感を胸に音を立てないように静かに廊下を歩いていると、前触れも無く蛍光灯が点灯する。
 先頭を歩いていたシグナムとヴィータは蛍光灯の明かりに照らされて現れた眼前の光景に息を呑む。別に凄惨な光景があったわけでも管理局員が待ち構えていた訳でもない。

「やっぱりシグナムたちか」

 目の前に居たのはシグナムがメルヘンなことを考えていた恭也だった。シグナムの剣が届く範囲の半歩外という距離で照明スイッチに手を掛けた姿のままこちらを見ている恭也の存在に対して、頬を汗が伝うのを感じる。

「すまんな、起こしてしまったか?」
「いや、トイレに行こうとした時に衣擦れの音を聞いただけだから」

 それだけ答えるとトイレに向かって歩いていった。
 その無音歩行は、先程足音を忍ばせていた自分達がまるで無造作に歩いていたのではないかと錯覚させられるような完璧なものだった。

「ヴィータ、気付けたか?」
「…いや」

 害悪にしかならないプライドを押し込めて、認めたくない事実を認めたヴィータに同意の言葉を返して、シグナムは緩みかけていた警戒心を引き締めなおした。



 恭也が来たことで良かったと思えることはいくつもあった。だが、それらを相殺するほど、その本人の行動は不審なもの、不可解なものがあった。
 あの男が加わることで、果たして事態は好転したのか悪化したのか?


続く

43 小閑者 :2017/06/13(火) 22:35:43
第7話 露呈




 八神はやての朝は早い。
 目覚まし時計を止めると一緒に寝ているヴィータの寝顔に頬を緩めてから起床。身支度を整えると台所でシャマルと合流して家人が寝静まっている中、朝食の準備を始める。

「そういや、恭也さんは朝食もたくさん食べるんやろか?」
「あ、どうなんでしょう。とりあえず、ご飯だけ多めに炊いておきましょうか?」
「そうやね、おかずも昨日の残りならちょおあるし、漬物も、…恭也さんて嫌いなものあるんやろか?」
「あ、それも聞いてなかったですね。何でも食べそうな気はしますけど」
「まぁ、今日は無難なところを揃えとるし大丈夫やと思うけど。それに好き嫌いは良うないしな。大きくなれへん」
「…十歳児としては育ち過ぎてるから、きっと好き嫌い無いんじゃないかしら」
「…それもそうやね」

 そんな雑談を交わしながら朝食の準備を進めているとシグナムがリビングに入ってくる。それに合わせてリビングで寝そべっていたザフィーラ(狼形態)が起き出す。
 狼形態だと準備の手伝いが出来ないどころか無駄にはやてに気を遣わせてしまうため、いつからかシグナムに合わせるようになったのだ。

「おはようございます、主はやて、シャマル」
「おはようございます」
「おはよう、シグナム、ザフィーラ」
「おはよう、2人とも」
「おふぁよ〜」

互いに挨拶を交わしていると、眠たそうに目を擦りながら、うさぎの縫いぐるみを片手にヴィータがダイニングに入ってくる。

「おはよう、ヴィータ。眠そうやね」
「ねむい〜」
「はい、牛乳や」
「あんがと〜」
「それを飲んだら顔を洗って来いよ」

 シグナムはヴィータに釘を刺した後リビングのカーテンを開けに行き、昨日加わった新たな住人がこの場に居ないことに気付いた。

「恭也はまだ起きていないのですか?」
「どうやろ?あんまり寝坊するようには見えへんけど、昨日は疲れとったはずやし、まだ寝とってもおかしないね。まぁ起きたけど部屋から出て来てないだけかもしれんけど。
 シグナム、悪いけど起こしてきてくれへんか?」
「…いえ、必要ないようです」
「え?」

44 小閑者 :2017/06/13(火) 22:36:15
 はやてが疑問の声を上げるが、シグナムはそれに答えることなく庭に続く窓を開けると呼びかけた。

「恭也、もう直ぐ朝食の準備が済む。上がって来い」
「フッ!…ああ、わかった」

 型稽古の区切りが付いたのだろう、残心を解くとシグナムに答えて出入り口を兼ねた窓から上がってきた。
 今朝は季節に見合う程度に気温が低いが、十分に体が温まっている事が分かる。汗を掻く程ではないようだが、室内に音が聞こえない様な静かな動作で体が温まる運動量となるとかなり長時間だっただろう。

「剣、刀だったか?使わないのか?」
「流石に早朝とは言え庭で真剣を振り回すのはまずいだろう」
「まあ、な。しかし、お前の流派は徒手の“型”まであるのか。剣術の流派だろう?」
「古流だからな。刀がないから戦えませんでは話にならなかったんだろう」
「…どうやって庭に回った?俺には庭での修練どころか、家を出た音も聞こえなかったのだがな」

 矜持を傷付けられたのだろう、ザフィーラの言葉には隠しようのない悔しさが滲んでいた。
 昨晩、蒐集から帰宅した折のことが脳裏に蘇り、シグナムの表情も硬い。

「庭の土は軟らかかったし、窓ガラスとカーテンを閉めていたからな。カーテンの吸音性はかなり高い。簡単には音は届かないだろう」
「それは音源側にカーテンがある場合だろう?」
「それでも有ると無いとでは随分違うさ。
 家を出るときも廊下とのドアが閉まっていたから気付けなかったんだろう。空気が遮断されているから匂いも伝わらないしな」

 勿論、フローリングの床も柔らかい地面も通常の歩き方では音が発生する。早朝の静まり返った空気では尚更響くだろう。
 恭也には特別に疑惑が掛かっている訳ではないが、八神家に運び込んでから丸一日と経っていないにも関わらず得体の知れない面を頻繁に見せ付けられれば警戒心も湧くと言う物だろう。
 この男はひょっとして態と疑われるような真似をしているのだろうか?シグナムでなくともそんな考えが湧いてくるだろう。

45 小閑者 :2017/06/13(火) 22:36:50
 恙無く朝食を済ませ寛いでいると、はやてが恭也の予定を聞いてきた。

「俺はジョギングがてら町を見て回ろうと思っている。昼食には戻ってくるつもりだ」
「それやったら私が案内しよか?」
「ふむ。有難い申し出ではあるが、まずは施設や店ではなく、道や町のつくりを把握したいんだ。後で町の地図を見せてもらいたい」
「ええよ。でも、まずは買い物を先にした方がええんとちゃう?服とか必要やろ?コーディネートは任せといて」
「服は、まあ確かに必要なんだが。楽しみにしているところ悪いんだが、動き易い事が前提だからな?後、黒系統を選べとまでは言わないが、目立つ物は避けてくれ」
「むう、ちょう不満はあるけどしゃあない、妥協しよか。直ぐ行く?」
「いや、午前中はやはり町を見ておきたい。落ち着かなくてな。午後から頼む」
「うし、任せといて。ジョギングにはジャージでも着てく?」
「…あの赤いのは遠慮しておきたい。動き易い物を選ばせてくれ」
「あの、はやてちゃん。今日は午後から定期健診の日ですよ?」
「あ」

 完全に忘れ去っていた様子のはやてを見て、シャマルとシグナムが顔を顰める。
 別に忘れっぽい訳でもないはやてが病院の検診を忘れるのは、症状が慢性化しているためだろう事は想像に難くない。症状が改善されていることが体感できていれば積極的に病院に通っているかも知れないが、通常の医療技術では回復しないことが分かっている2人には辛いところだ。
 はやてを病院に通わせているのは、医療行為で回復できれば、という有り得ない望みと、何よりはやての症状が通常の怪我だとはやて自身に思わせるためだ。
 聡明なはやてに元凶が魔道書からの侵食であることを知られれば、頻繁にはやての元を離れるようになった自分達の行動の目的も察してしまうだろう。そのことではやてに叱られるのは良い。いや良くは無いのだが、その程度の罰は承知の上で行動している。だが、リンカーコアの蒐集自体を禁じられれば闇の書が完成せず、はやてへの侵食を止めることができなくなる。そして、恐らくはやては自身の命に関わると知ったとしても蒐集行為を禁じるだろう。そのはやての優しさが誇らしくあり、もどかしくもあった。
 ヴォルケンズの内心の葛藤に気付くことなく、恭也が話を続けた。

「では買い物は明日にしておこう」
「う〜、しゃあないなあ」
「他の4人はどうするんだ?」

 話が逸れたことに対する安堵を隠しつつシグナム達が順に答える。

「私は午前中は道場へ行く。午後からは主はやてに同行する」
「私はお洗濯やお掃除と、同じく病院への付き添いね」
「アタシは遊びに行ってくる」
「おれはヴィータについていく」

 ヴィータとザフィーラがはやての通院と言う重要事に別行動をとるという不自然な返事にも恭也は特に反応を見せることも無く頷き返すと、準備のために部屋を出て行った。
 恭也の態度にシャマルは感心しきりだ。日常的に見え隠れする先程のような自分達の言動に興味が湧かないはずが無いのに、こちらが触れて欲しくない内容には悉く無反応である。昨日の恭也が担ぎ込まれた後の対談で彼の観察力・洞察力を見ていなければ、本当に気付いていない鈍感な人物だと誤解しかねない。

46 小閑者 :2017/06/13(火) 22:37:39
 恭也を見送ってからはやてがふと思いついた疑問を誰にともなく口にした。

「昼食までて、4時間近くも走り続ける訳やないよね?」
「ペースにも依るでしょうが流石に休憩を挟みながらでしょう」
「やっぱそうやよね。なんや、恭也さんならやりかねん雰囲気やから」

 ザフィーラが当然の予想を返すが、それはシャマルによって否定された。

「実際にどうするかは分からないけれど、恭也君、5時間以上走り続けられるみたい、よ?」
「5時間!?」
「も、勿論、ペースに依るんでしょうけど、恭也君にとって疲れないくらいの“ゆっくり”ってかなり速いみたい」
「正確には軽い運動中でも体を“休める”技法があるんだ。はやて、地図を見せてもらいたんだが」
「び、びっくりするじゃない!」
「何か後ろめたいことでも?」
「いきなり現れりゃ誰でも驚くっつうの!」
「…そうか。すまない、意図していた訳ではないんだ。周りにこんなことで驚く者が居なかったから、“いきなり”話しかけている意識がなかったんだ」

 皆当然のこととして対応していたからなあ、とやや視線が遠くになる恭也にザフィーラが確認の声を掛ける。

「では、ほとんど物音をたてない歩き方も?」
「?ああ。勿論鍛錬の一環として始めたことだが、最近は特に意識していなくてもあまり物音はたっていないかもしれない」

 その答えにザフィーラとシグナムが視線を交わす。朝食の前に抱いた恭也の不審者に見える行動は、この認識の違いにあったんだな、と。


* * * * * * * * * *


 恭也ははやてから借りた紺色のジャージと虎のマークが付いた野球帽に身を包むとと早速ジョギングを開始した。借りた男物のジャージのサイズが合っていることについては深く考えないことにしたようだ。

47 小閑者 :2017/06/13(火) 22:38:16
 家を出発すると臨海公園を経由し、海鳴市の外縁を巡るルートをかなりのハイペースで、しかし息を乱すことなく駆け抜ける。
 通勤・通学時間に重なる時間であるにも関わらずあまり人に出会わないのは、家を出る前に確認した地図で主要な道路や施設、オフィス街の位置関係を把握しているからだろう。
 町を半周し山間の神社に辿り着くころには汗が頬を伝うようになっていたがそれでも呼吸には大きな乱れはなく、境内へ続く階段を駆け上がる。境内に入ると漸く足を止めるが、それが休憩ではないことは敷地内の広場の地面やその周囲の木々を観察する様子から窺い知れた。やがて、何本かの木の幹についた傷を確認すると短く嘆息して、再びジョギングを再会した。ただし、町の方ではなく更に山の中へと。
 恭也は傍から見ると遭難しているようにしか見えないような道なき道を、街中を走るのと大差ない速度で彷徨った後、山の中腹にある自然公園らしき場所に現れた。意表を衝かれた表情と、周囲をきょろきょろと見回す仕草からすると意図した状況ではないようだが、その実年齢に見合う、外見年齢からは幼い仕草は直ぐに鳴りを潜め、神社の境内で行っていた様に周囲の様子を確認し始めた。
 そこは何脚かのベンチとゴミ箱があるだけのちょっとした広場で、地面は平らにこそなっているがコンクリートやアスファルトで舗装してある訳ではなく、広さとしてもテニスコート程度だ。位置的には山の8合目といったあたりだが登山道はこの公園が終着のようで町の方向を向いて右手側に下りの道があるが、登り道は無いようだ。
 恭也は一通り確認作業が終わると、今度は分かる者にしか分からない程度ながらも満足気な表情で頷くと、今度は山中ではなく登山道へとジョギングを再開した。


* * * * * * * * * *


 恭也が朝食の席で話していた通り、正午になる頃八神家に戻ってくると、はやてとシャマルが家の前に居た。シグナムが玄関に鍵を掛けて振り返ったところで近付いてきた恭也に気付き声をかける。

「帰って来たか」
「あ、恭也さん。間に合って良かったー」

 全身から湯気を立ち上らせる恭也が、やや速くなっている程度の呼吸をさっさと整えると、今朝の会話と照らし合わせて推測したであろう疑問を口にする。

「これから病院か?」
「うん。予定より早いけど検査装置の都合で今から来て欲しい言う電話があったんよ」
「ヴィータちゃん達には連絡してあるわ。恭也君への連絡手段が無くて困ってたところだったのよ」
「食卓に書置きを残したが、そもそもお前には家の鍵を持たせていなかったことに気づいてな。かと言ってこれ以上病院に行く時間を遅らせることも出来なかったから、最悪ヴィータ達が戻るまで待ってもらうことになるかと思っていたところだ」
「予定がずれる事くらいあるだろう。今回はたまたま間に合ったが、間に合わなくても仕方ないさ」
「割り切っているな。それで、鍛錬できそうな場所は見つかったか?」
「お見通しか。八束神社だったか?その傍にちょっとした広場があったからそこを使わせてもらおうと思っている」
「鍛錬の場所?」

48 小閑者 :2017/06/13(火) 22:38:51
 共通認識の下に交わされていた会話にはやてが当然浮かぶ疑問を口にした。割って入る形になってしまった声に気分を害した様子もなく恭也が答える。

「剣術の鍛錬だ。これでも修行中の身でな、日課として早朝と深夜に鍛錬している。時間帯の都合で音がしても周囲に迷惑の掛からない場所を探していたんだ」
「なるほど。けど結構遠くまで行くんやね」
「人気の無い場所がなかなか無くてな。神社なら大丈夫かと思ったんだが先客が居たようだ」
「先客?他にも練習場所を探している人が居たの?」
「いや、練習場所として使っている人が居たようだ。周囲の木々に木刀や蹴撃で最近ついた傷があった」

 話が一段落したところでシグナムがはやてを促した。

「主はやて、そろそろ出発しましょう。恭也、この鍵を渡しておく。昼食後に出かけるなら戸締りを頼む」
「承った」
「口調が時代劇みたいや」
「放っておけ」

 苦笑するはやてに恭也が投げやりに返す。

「そや、恭也さん、明日の買い物で携帯も買お」
「携帯?」
「…携帯電話、やけど、知らん?」
「知ってはいるが、…そうか、子供が1人1台持つほど普及しているのか」

 感慨深げ(?)な恭也にはやての苦笑が深まる。「さっきからおじいちゃんみたいな反応や」という感想は一応胸の内に留めて病院へ向けて出発した。



* * * * * * * * * *



 栗色の髪を頭の左右で纏めた少女、高町なのはは一緒に歩く同じ年頃の2人の少女の内、茶色味がかった金髪の少女に楽しげに話しかける。

「アリサちゃん、結局携帯は替えるの?」
「暫くは様子見よ。面白そうではあるけど、今一できることがハッキリしてないのが踊らされてるみたいで嫌だもの。すずかはどうするの?今日バッテリーを買いに行くんだから暫くは今のを使うつもりなんでしょうけど、替えるつもりあるの?」

 話を振られた紫がかった長髪の少女が朗らかな笑顔のまま意見を述べる。

「う〜ん、私は今のところ替える気はないかな。あんまり興味のあるソフトも出てないみたいだし」
「そういや、あんた似たような機能の持ってたもんね」
「あ、あれ凄いね。映画を見せてもらったとき画像も凄くきれいだったし」

 取りとめも無い話をしながら駅前のデパートに向かう3人は私立聖祥大附属小学校に通う親友だ。
 既にそれぞれ一度帰宅して私服に着替えてから集合し、今はすずかの携帯のバッテリーを買いに行くところだった。
 その後は特に予定を立てていないため、デパート内をウィンドーショッピングした後なのはの両親が経営している喫茶翠屋に行き、夕方にあるアリサとすずかの習い事の時間まで過ごすことになるだろう。
 特にどこかに遊びに行かなくても、アリサとすずかはいくつかの習い事をしているため、放課後に3人揃って遊びに出ることはそれほど多くはないので十分楽しいのだろう。
 デパート内の携帯コーナーに向かっていくと、アリサが目敏くショップ内に居るとある人物に気付いた。

「あ、恭也さん」
「え、お兄ちゃん?」

49 小閑者 :2017/06/13(火) 22:39:22
 なのはがアリサの視線を追うと確かに携帯を繁々と眺める兄・恭也が居た。
 なのはの知る限り恭也はあまり携帯の機能に興味を持っておらず、“通話とメールが出来るので十分”という理由で何年も前から同じ携帯をそのまま使い続けている。
 故障でもしない限りショップに来ることのなさそうな恭也が熱心に携帯を見ている姿はなのはにとって意外と言えるものだった。だが、この場合なのはの感想はある意味当然といえるだろう。携帯を眺めている恭也は“高町”ではなく“八神”だったのだから。
 恭也の事情など知り得ない3人は、恭也が普段通り全身黒一色だったこと、距離があったこと、恭也の周囲に体格を比較できる他の人間がいなかったことが災いし、なのはの兄とは別人であることに気付けなかった。

「あ、そうだ!」
「なのはちゃん?」
「何企んでるの、なのは」
「あんなに集中してるなら、今なら成功するかも」
「あ〜」
「無理、なんじゃないかなあ」

 気合を入れるなのはとは対照に、2人は“まだ諦めてなかったのか”と苦笑する。
 暫く前にクラスで、背後から目隠しをして「だ〜れだ?」とやるのが流行ったことがあり、なのはも家族にその悪戯(?)を行おうとしたのだが、成功したのは母・桃子のみだった。父・士郎と恭也、姉・美由希は背後から近付いても3m程の距離で気付かれてしまうのだ。2回目からはなのはの意図を察して気付かない振りをしてくれるようになったが、今度はなのはが納得できなかった。
 意地になったなのはが何度か試すうちに姉は読書中なら驚かせる事が出来るとわかった(そのことが判明した翌日の朝食の席では何故か姉が疲労困憊してぐったりしていた)が、父と兄には成功したことがない。それ以来、なのはが機会を見つけてはチャレンジするようになったのは周知の事となっている。
 アリサとすずかは、なのはに付き合って恭也の死角まで移動すると、単独で恭也の真後ろから慎重に近付いていくなのはを見守ることにした。

「なのはも良くやるわね〜」
「ふふ、なのはちゃん、お兄ちゃん子だから。
 でも私のお姉ちゃんも何度かチャレンジしてたけど一度も成功してないみたい」
「忍さんに出来ないなら、なのはには絶対無理でしょ。運動神経ほとんど無いんだし。って、すずか、どうかしたの?」
「え?え〜と、恭也さんに何か違和感が…」
「違和感?」

 そんな会話が交わされているとは知らずに恭也に忍び寄っていたなのはだが、すずか達の予想通りその努力が報われることは無かった。恭也があっさりと振り返ったのだ。
 周囲の雑音も多いこの状況でありながら、普段よりも更に離れた位置で気付かれたことで逆に驚かされたなのはは、誤魔化すように愛想笑いを浮かべながら話しかける。

「あ、あはは、見つかっちゃった。お兄ちゃん今日は大学じゃなかっ…あ、あれ?」

 そこまで話しかけたところで、なのはも漸く違和感に気付く。
 眼前の人物は、目を合わせるために上げた視線が普段よりかなり低く、体格もやや小柄だ(あくまでも比較基準を兄の恭也として)。鋭い眼差しと引き締められた口元は客観的に見て、また兄と比較しても、かなりキツイ表情に分類されるが、それに怯えずに済んだのは敵意・悪意といったものがそこに含まれていないことを敏感に感じ取れたからだろう。

50 小閑者 :2017/06/13(火) 22:39:58
「人、違い…?っあ、ご、ごめんなさ」
「ほう」 “ッガシ” 
「にゃ?」
「つまりお前には俺が二十歳前後に見えると、そう言いたいんだな?」
「イタッ!?イタタタタタタ!?」
「ちょっと何してんのよ!」
「あ、あの、スミマセン、なのはちゃん人違いしただけで悪気は無かったんです!」
「ああ、わかってる」

 なのはの窮地を見て取ったアリサとすずかは慌てて駆け寄る。“なのはを助ける”という同一の目的でありながら、掛けた台詞が非難と擁護の対極であるのは2人の性格を如実に表している。
 恭也は自らの言葉を証明するようにあっさりと手を離すが、気の強いアリサが友人に暴行を働いた者をその程度で許すはずも無い。

「いい歳してんだから、女の子に暴力振るうって事が恥ずかしい事だってことくらい覚えておきなさい!
 なのはの顔にかすり傷でもついてたら、あんたの下らない人生全部費やしても償えないわよ!」
「初見で人の人生内容を断定するか。それに顔ではなく頭だ。加減もしている。していなければ頭蓋が陥没しかねないからな」
「場所なんて関係ないわよ!それにそんな見栄張ってる時点であんたの人格なんて高が知れてるわ!」
「りんごを握り潰せるなら出来るんじゃないか?」
「…ほんとに潰せるの?」
「やったことは無い」
「結局ハッタリじゃない!」
「食べ物を粗末に出来るか。コインを握力で折り曲げられるなら出来るだろう」
「ハッ、漫画の読み過ぎよ。ハッタリ一つにも知性の欠片も無いわね」
「いや、こちらは実際にやったことがある」
「お金を粗末にするのも良くないですよ?」
「すずか、論点がずれてるわよ!口から出任せに決まってるじゃない!」
「その点は大丈夫だ。硬貨ではなく、パチスロだかゲームセンターだかのコインだったからな」
「わあ、すごーい」
「なのは、何和んでんのよ!あんたがやられたんでしょうが!」
「あ、うん、ごめんね、アリサちゃん。それと怒ってくれてありがとう。突然だったからビックリしたけど、ほんとにそんなに強くなかったから、もう大丈夫だよ」
「…まあ、あんたがそう言うなら…」
「そうだな、その辺で許してやれ」
「あんたが言うな!!」
「まあまあ」

51 小閑者 :2017/06/13(火) 22:40:33
 苦笑しつつアリサを宥めるすずかを横目に、なのはは改めて自分より年上に見える恭也へ言葉を選びながら非礼を詫びる。

「あの、ほんとにスミマセンでした。その、大学生っぽく見えたとかじゃなくて、お兄さんの顔が私の兄に良く似ていたもので」
「ああ、気にしていない。年上に見られるのはいつものことだ」

 本当に気にしていないのだろう。恭也は既に先程まで見ていた携帯のサンプルを再び眺め始めていた。
 なのははこれ以上の謝罪は無意味以上に邪魔になるだろうと友人の方に合流しようとして、しかし、恭也がサンプルを眺める様にふと振り返ろうとした体の動きを止めた。タッチパネル形式の携帯の継ぎ目をこじ開けようとしているのは、ひょっとしてダイヤルボタンを探しているのだろうか?
 今度はそれに気付いた恭也の方からなのはへ声をかけた。

「まだ何か用か?」
「あの、お詫びと言っては何ですが、私に分かることなら説明しましょうか?」
「…そんなに、奇怪なことをしているか?」
「キカイ?」
「物凄く怪しいわよ」
「あ、アリサちゃん」
「なのは、あんな恭也さんのバッタモンみたいな奴ほっといて行くわよ」
「アリサちゃん、いくらなんでも失礼だよっ」

 先程の会話で軽く往なされた事に腹を立てたのか、アリサは当初の目的も忘れてあからさまに挑発し始めた。いくら何でもやり過ぎだと、すずかが嗜めようとするがその程度では止まれない位にアリサは暴走していた。

「いいのよすずか、“大人な”こちらの男性は子供の態度に腹を立てるほど心が狭くは無いようだし?」
「なるほど、だから“子供な”お嬢さんは遠慮なく人をバッタモン呼ばわりするわけか」
「誰が子供よ!
 フ、フンッ!何よ、私から見たらあんたなんて恭也さんにちょっとだけ似てる偽者なんだから、バッタモンで不満ならパチモンよ!間違ってないでしょ?!」
「なるほど、確かにな」
「なっ」
「い、良いんですか?」
「何、ああいう“俺様”な性格は対等に張り合うより、自分は引いて相手を煽った方が反応が良いんだ。
 熟練してくると、上手く焚きつけて思い通りに躍らせることも出来るようになるぞ」
「なんですって!!」
「いやいや、餓鬼の戯言だ。心の広い淑女は馬鹿の世迷言になど耳を貸さないものだぞ?」
「ぐっ」

 挑発しようとしていた本人が軽い返しに激昂していては世話が無い。アリサが何とか踏み止まり反撃しようとするも暖簾に腕押し、あっさりとかわされる。明らかに役者が違う。
 もっとも、アリサが感情を高ぶらせていた状態であったのに対し、恭也が平常だったのだから、アリサにとっては不利に過ぎた。
 とは言え、アリサは気性が激しい面があっても知性と理性を兼ね備えた聡明な少女だ。当然礼節も弁えている。つまり、興奮している状態でなければ、攻撃をしかけるような真似をするわけも無いので、アリサから仕掛ける状況は既に彼女の負けが決まっていたことになる。

52 小閑者 :2017/06/13(火) 22:41:26
「すごい」
「勉強になります」
「あんたたち、何納得してんのよ!!いったいどっちの味方なの!?」
「流石に今回はアリサちゃんの方に非があると思うよ?」
「うぅ〜」

 すずかが漸く自分の声を聞けるようになったと判断して改めてアリサを嗜めると、アリサも不承不承引き下がった。現在の冷静さを欠いた自分では良いようにからかわれることを悟れる程度には落ち着いたようだ。
 そんな友人の遣り取りに苦笑しつつ、なのはは再度恭也に申し出た。

「それで、どうしますか?」
「そう、だな。恐らく店員に聞くほどの内容ではないだろうからな。お前も携帯電話を持っているのか?」
「はい」
「それなら問題ないだろう。だが、良いのか?お前の連れは明らかに不愉快そうだぞ?」

 声に釣られてアリサを見れば、頬を膨らませて明後日の方向に視線を向ける、という非情に分かりやすく古典的な主張を行っていた。

「え〜と、アリサちゃんすずかちゃん、そんなに掛からないと思うから先にお買い物を済ませて来てくれる?」
「アリサちゃん、どうする?」

 アリサは眼前の少年から距離を取る選択肢を示されたことで、まるで自分が我侭を言って2人を困らせているような状況に陥っていることを自覚する。これで恭也が2人から見えない位置から嘲笑う様な視線でも向けてくれば戦意を掻き立てられて対峙することも出来るが、先程の遣り取りが無かったかのように視線から感情を読み取ることが出来なかった。
 こうなっては、これ以上意固地になることこそアリサのプライドに反する。何よりなのはを初対面の男と2人きりにするのはとても危険な気がする。

「分かったわよ。別に急いでる訳じゃないんだし、つきあったげるわよ」
「アリサちゃん、ありがとう!」
「別になのはのためって訳じゃないわよ」
「ふふ」

 アリサはすずかの零した微笑にばつの悪そうな顔をするが、誤魔化す様に場を仕切りだした。

「それで、何が知りたいのよ?ええと、そういえば名前も聞いてなかったわね。私はアリサよ。アリサ・バニングス。こっちの2人は私の親友。学校のクラスメイトでもあるわ」
「高町なのはです」
「月村すずかです」
「八神だ」
「…こっちはフルネームなのに、あんたは苗字だけ?」
「どうせこの場限りだろうに。恭也だ。八神恭也」

 恭也の自己紹介に頬を引き攣らせるアリサと苦笑いするすずか、目を丸くするなのは。それらのリアクションが予想通りだったのだろう、恭也は溜め息を一つ吐き、爆発しようとするアリサの機先を制して弁明する。

「予想通りの反応をありがとう。だが、別に蒸し返そうとしている訳じゃない、本名だ。証明のしようもないがな。不満なら聞き流して苗字だけ覚えれば良いだろう?」
「あ、ちょっと驚いただけですよ?すごい偶然だなって。わたしのお兄ちゃんも恭也だから」
「何度か耳にしているから予想はしていた。ついでに言うなら歳はお前達とそれほど変わらないだろうから無理に敬語を使う必要は無いぞ」
「敬語はともかく、言うに事欠いて“歳が変わらない”はないでしょ?5歳も離れてれば十分変わるわよ。ドンだけ見え張るのよ」
「…だから、5歳も変わらないんだ。今年10歳になる」
「ええ!?」「嘘付け!!」「そうなんだぁ」

 驚愕、否定に続いた受容の言葉の主に3人の視線が寄せられる。

「あっさり信じてどうするのよ!?」
「流石はなのはちゃん」
「え?で、でも」

 不安に駆られてなのはが恭也を見るとしみじみとした口調で呟いていた。

「その反応は新鮮だな」
「嘘だったの!?」
「当たり前じゃない!」
「いや、本当なんだが初対面で信じる奴には初めて会った」
「…褒められてるの?」
「…どうなんだろう?まぁ、高町が生涯詐欺師に会わないことを祈っておいてやろう」

53 小閑者 :2017/06/13(火) 22:41:57
 そう告げると、恭也は持っていたサンプルを棚に返し、場所を変えると言いながらショップから出て行った。どこへ行く気だろうと視線だけで恭也の背中を追おうとして視界に入ってきたのは周囲からの好奇の視線だった。


* * * * * * * * * *



「それで結局休憩用のベンチまで移動することになっちゃって」
「アハハ。でも、その子の聞きたかった事はモノがなくてもわかったの?」

 今、なのはは山道、といっても中腹にある自然公園へ続く整備されたコンクリート製の階段だが、そこを一人で登っていた。一人なのに会話が成立しているのは肩に乗ったフェレット、に変身している同年の少年であるユーノが答えているからだ。

「うん。恭也君が聞きたかったのって決まった機種のことじゃなかったんだよ」
「どういうこと?」

 あの後、恭也を加えたなのは達四人は、携帯の説明をメインとした雑談の後に解散した。何度か発生した漫談に想定外の時間がかかってしまい他の二人の習い事の時間になってしまったのだ。

「恭也君が聞いてきたのは“携帯電話は通話の他に何が出来るんだ?″って」
「…結構普及してるみたいなのに。テレビのCMを見てるだけでもメールとカメラの機能位分かると思うけど」
「田舎から出て来たばかりだからって言ってたけど」
「そういうレベルかなあ」
「アリサちゃんも同じ事言ってた。
 でも、他にも色々からかったり文句言ったりしてたけど、1番丁寧に説明してたのもアリサちゃんだったよ」
「アリサらしいね」

 今、二人はなのはの魔法の練習のために桜台の登山道に来ている。
 高町なのはは自身が魔導師であることを、親友であるアリサ・バニングス、月村すずかはおろか家族にすら秘密にしている。それはこの世界で魔法の存在が認知されていない為だ。となれば、その練習は人目を避けて行う事になる。
 二人は目的地である自然公園にたどり着くと、ちょうど会話が一段落したこともあり、早速練習を開始することにした。

「それじゃ始めようか」

 なのはの肩から降りたユーノは瞬時に結界魔法を展開する。
 ユーノの性格上自慢することも勿体つける事もないが、結界魔法は誰にでも出来る訳ではない。特に予め魔法陣を描きもせず単体で山一つを覆う程の範囲をカバー出来る規模で展開させられるのは一握りの者だけだ。
 もちろん攻撃魔法とて魔力を圧縮して打ち出すような単純なものは初歩の初歩であり、高度なものは芸術品のごとき複雑にして精緻な組成になるため難易度について優劣がある訳ではない。ただし、扱える者が少ないという点で稀有な存在であることもまた事実だ。
 なのはは魔法を知るきっかけとなった、そして今現在、師として指導してくれる少年が高度な技術を持っている事は知っている。しかし、その希少性は理解できない。
 時空管理局の局員であるリンディやエイミィ、クロノから説明されても、地球という魔導士がいない(魔導の才が“可能性”のまま埋もれてしまう)環境で育てば当然のことである。
 ユーノは自身の技量が絶対評価として高位にあることと希少な技能であることは承知している。しかし、上には上がいる事も理解している。目の前にいる愛らしい少女に誤解の余地もないほど明確に突き付けられているのだから。

「今日はスターライトブレイカーの発射シークエンスを変えてみたから試射してみようと思うんだけどいいかな?」

 この才能の差に妬む気持ちを持たずに済んでいる理由について、ユーノ本人は相手が女の子であることとなのはの性格に助けられていると自己分析している。これがなのはへの恋愛感情なのかどうかは結論が出せていないが、事実上、高町家になし崩し的に居候している身としては、高町家を出てなのはと一緒にいられなくなる前に自分の気持ちを確かめておきたいとは考えていた。

「やっぱり発射までの時間を短縮するための高速化?」
「ううん、逆だよ。チャージタイムを長くして最大威力の強化を重視してみたの!」

 「え?これ以上!?」と、言う言葉を何とか堪えて浮かべた愛想笑いは引き攣っていることが自覚出来るものだった。

「じゃあ早速始めるね」
「待った!」

 なのははフェレットの表情の差異に気付くことなく朗らかに笑うと言葉通り即座に魔法を起動しようとしたため、ユーノが慌てて制止する。

「結界を強化しておかないと。前みたいなことになったら大変だ」
「あ、そっか。ごめんなさい」
「いいよ。…でも、まあ、気をつけて」

54 小閑者 :2017/06/13(火) 22:42:59
 気にしていないと言いつつ念押しをする辺り、ユーノの脳裏に以前の試射で結界を貫通されたこととそれに関連した諸々の騒動が蘇っていることは想像に難くない。無論、推測しているなのはとて2度と味わいたくはない。

「これで良し。なのは、いいよ」
「うん。じゃあ改めて。レイジングハート」
【オーライ、カウントスタート。10,9,8】

 スターライトブレーカー(SLB)は周辺の魔力を収束して放つ、なのはの最大級の攻撃魔法である。
 当初は、戦闘中に通常の攻撃を行う際に攻撃魔法とは別に自身の魔力をSLB用のストックとして周辺にばら撒き、SLB発射の際に回収することでチャージタイムを大幅に短縮する方法を取っていた。貯水タンクが大きくても水道の蛇口から出すと溜まるのに時間が掛かるため、戦闘の隙を見てはバケツに水を貯めていき、必要なときに回収するということだ。
 その改良版が、術の構成を自身の魔力で編み、術の威力を上げるためのブーストとして周辺の空間から収束させた魔力を使用する方式だ。他者の魔力の吸収など出来ないため、単純に寄せ集めただけ、とは本人の言だが、真似出来る者はいないだろうとユーノは思っている。
 以前結界を打ち抜かれたのが、この方式のSLBの試射だった訳だが、感覚で魔法を組み立てる人間は末恐ろしいと実感させられた出来事だった。だが、その認識がまだ甘いと、この試射で証明されることを、彼は知らない。

「むむ、これは結構凄いかも。ユーノ君、ガツンと来るから気をつけて!」
「わ、わかった」

 注意を喚起する言葉から前回の結末を想起させられるが、結界を維持している今のユーノにはもはや神に祈る以外に出来ることは何も無い。

【3,2,1】「スターライト」
【カウント0】「ブレーカー!」
【Starlight Breaker】




『なのは!ユーノ!生きてるか!?』
「ふえ〜
な、なんとか…」
【スミマセン、マスター】

 時空管理局艦船アースラからの無事を確認してくる通信に、砲撃の衝撃と魔力の枯渇から来る疲労で朦朧としながらも応答するなのは。ユーノは結界“機能”の破壊という効果が付加されたSLBに全力で抵抗した結果、目を回してなのはに抱えられている。

『よかった。
 人が集まる前に移動した方が良い。出来るか?無理ならこちらで転送するが』
「う、うん。大丈夫だと思う」
『無理はするなよ』

 空間の内外に相互干渉できなくする為の結界を破壊されれば当然の結果として、その隔離された空間内で発生した事象は通常空間に影響を与える。今回の状態をそのまま表現すれば、SLBの砲撃音と閃光が丸見えになったのだ。それらは多少の危機感があれば野次馬になることを躊躇させるレベルだったが安心しきる訳にも行かないし、危険だからこそ警察関連は来る可能性が高い。
 幸い砲撃自体は空に向けて放っていたためどこも破壊せずに済んでいる。
 アースラからの通信が途絶えたことを確認すると、なのはは山を降りるために準備を始める。普段は意識せずに行うその行為だが、今は朦朧としている自覚があるため確認の意味も込めて声に出して列挙する。

「え〜と、先ずはレイジングハートを待機状態に戻して、バリアジャケットを解除して、鞄を拾って」
【マスター誰かが来ます】
「ユーノ君を中にしまって…え?」
【距離500mを切りました。明らかにこの場所を目指して移動しています。残り400m、到着推定時間残り40秒】
「100mを10秒くらい。魔導師か。アースラの人じゃないよね?」
【不明です。ですが、恐らく違います。魔力を検知できません。対象は移動に魔法を使用することなく既に200m以上スピードを維持して移動しています】
「ええ!?そんなスピードで走り続けられる人なんて、…滅多にいませんよ?」

55 小閑者 :2017/06/13(火) 22:43:56
 陸上選手、それも世界レベルの人間が100mを10秒以内で走破できるのは、距離を限定されているからこそだ。その速度を維持できるなど人類の枠を逸脱していると言っても過言ではないのだが、脳裏を過ぎった身内3名がなのはの言葉を尻すぼみにさせた。実際にはその内1人は10年ほど前に負った負傷のために現役時代の動きは出来なくなっているとの事だが、人並みの運動能力にも届かないなのはにしてみれば”50歩逃げても100歩逃げても同じなんだよ”と言ってやりたい。
 横に逸れた思考を慌てて修正したなのはは別の可能性を思いついた。

「あ、そうか何か乗り物を使ってるのか、…乗り物で階段を?それに乗り物の割には遅いかな」
【エンジン音も検知は出来ませんが、いずれにせよ障害物の多い経路をこの速度は不自然です】
「障害物?」
【残り20秒。先ずは身を隠しましょう】
「あ、そうだね」

 なのははレイジングハートのアドバイスに従い、この公園に繋がる唯一の山道を見て右手側の森に向かって駆け出すが、直ぐに制止の声が掛かる。

【マスター違います。対象はそちらから来ます】
「え!?森の中から?」

 溢れ出す疑問を押さえ込み慌てて進路を変えて走り出すが、残念ながらなのはの純粋な身体能力は著しく低いため、とても間に合いそうにはない。そして、その短所を補って余りある才能は、たった今魔力が底をついたため使用不可能。
 なのはは現実を冷静に見据えた上で、現状取り得る手立てとして考え付いた手段をとることにした。

 公園のあちこちに視線を向け、何かを見つけるとそれに近付いていってじっと観察する。

 それらを繰り返すことで、なのはは“私も野次馬ですよ”と主張することにしたらしい。
 自身の演技力とこの場に現れる者との2つの不安から、レイジングハートが示した地点へちらちら視線を向けつつ演技を続けるが誰も現れる様子がない。

「レイジングハート、そろそろだよね?」
【既に辿り着いています。木の陰からこちらの様子を窺っています】

 不安のあまり屈み込んだ姿勢で小声で確認を取ると、帰ってきた答えに動悸が早くなる。緊張から更に動きがぎこちなくなって来たのを見かねたのだろう、レイジングハートが“何も見つけられずに諦めて帰る”事を提案。なのはが躊躇無く採用し、山道に体を向けたところで、

「高町」
「にゃあ!?」

 気が緩んだ瞬間を見透かしたかのようなタイミングで掛けられた声に素っ頓狂な声を上げてしまった。慌てて声の主に視線を向けると視界に映るのはつい先程脳裏を過ぎった全身黒尽くめの男性。

「お兄ちゃん!?」
「八神だ」
「え?」

56 小閑者 :2017/06/13(火) 22:44:34
 緊張と混乱の中にあるなのはには、恭也の言葉が何を意味しているのか理解できない。もっとも、数時間前に少々話し込んだ人物よりも長年兄妹として接してきた人物が頭に浮かぶのは無理の無いことでもある。
 恭也も承知しているのか別段怒った様子も無く、丁寧に訂正する。

「八神恭也だ。先程、携帯電話屋で会っているだろう。お前の兄とは別人だ」
「あ、ああ、きょ、うや君か」
「妙なところで区切るな。それより、おおっぴらに魔法を使って良いのか?流石にあれだけの音と光では町中に知れ渡りかねないぞ?」

 なのは、思考停止。
 身じろぎもしないまま全身のいたる所から冷や汗を流していたが、レイジングハートからの念話による呼びかけによりかろうじて再起動を果たすと、動揺覚めやらぬ思考ながらも何とか誤魔化そうと白を切る。

「ななな何のこと?わた、私も凄い音がしたから見に来たんだよ?」
「さっき、思いっきりぶっ放していたじゃないか」
「う、撃った時は結界の中だったから見えるわけ無いよ!そ、それに恭也君はずっと遠くから、さっきここに辿り着いたんだから絶対無理だよ!」
「ふむ、ばれては仕方ないな。まあ良い。それよりも早めにここから離れた方がいいぞ。野次馬に来た者に誤解されると面倒だからな」
「う、うん、そうだね、って何で森に入っていくの?」
「元来た場所に荷物を置いてきたから戻る。じゃあな、高町もさっさと行けよ」
「あ、うん。気をつけてね」

 そう言葉を交わした後、なのはは先程声に出して確認した通り、杖の状態で握り締めていたレイジングハートを待機状態に戻し、SLBのバックファイアで煤け保護機能をオーバーしてあちこち破損したバリアジャケットを解除し、野次馬として来たなら考え難い公園の一番奥にあるベンチに置いてある鞄を拾うと、“誤魔化せて良かった”と胸を撫で下ろしながら帰路に着いた。


 なのはがユーノと共にレイジングハートから録音した恭也との語るに落ちている会話を聞かされ羞恥に悶え、のた打ち回ることになるのは、後は寝るだけとリラックスしたPM8:30のことだった。



続く

57 小閑者 :2017/06/18(日) 19:39:57
第8話 発露




「そういえば、今日の夕方でっかい音がしたけど、なんやったんやろな?」

 何気なく食後の団欒にはやてが持ち出した話題が、なのはの放ったSLBだとヴォルケンズは知らない。だが、詳細は知らずとも概要、何者かによる魔法の行使であることは、離れた八神家からでも知覚出来た。
 能動的な走査魔法を使用すれば更に詳細な情報、つまり個人の特定ができた可能性は高いが、それは同時に自分達の存在、この魔法の発展していない世界に即座に魔法による調査を行える存在が潜んでいることを知らせる事でもある。間違いなく高位の魔導師であることは分かっていても今は迂闊に手を出す訳にはいかない。
 その時間に蒐集のために他の次元世界に渡っていたヴィータとザフィーラにも状況は説明してある。協議の結果、この次元世界だけ蒐集に現れない、という不自然さをなくすためにも、次に魔力を検知するか暫く期間を空けてから標的を捜索することにした。
 もともとこの世界の魔力素は低いため数カ月前にあったもの(このころは蒐集を行っていなかったため、警戒するに留めていた。管理局であろうとその他の勢力であろうと示威行動の意味が見出せなかったのだ)と今回のものの二回しかまともな魔力反応がないため、そのくらいでないと不自然でもある。
 だが、分かっている・いないに関わらずはやてに答える内容は決まっていた。

「何だったんでしょうね」
「臨時ニュースにもなっていないので大きな被害はなかったのでしょうが」
「ああ、痕跡すらなかったからな」
「オメェ見に行ったのかよ」
「ジョギングの最中だったからついでにな」

 呆れ声を出したのはヴィータだったが、もちろん全員の総意でもある。
 恭也は夕方になのはと遭遇し、本人の語るに落ちる誤魔化しによりなのはが魔法を行使した結果であることは分かっているはずだが、鉄面皮に変化は見られない。
 もっとも、恭也の持つ情報の中には、“ヴォルケンズがリンカーコア蒐集のために力を持つ魔導師を探していること”がなく、“なのはは魔法がこの星の人間の常識から外れる技能だから隠したがっていること”があるのだ。個人情報を秘匿するくらいの良識を持っていると見るべきだろう。

「意外に野次馬根性豊富やったんやね」
「それ以前に危機意識が欠如しています。恭也、他に野次馬などいなかっただろう?」
「もちろんだ。あれだけの音量だからな。仮に何かが爆発したのだとすれば二度目があるかもしれないし、警戒心が強い者ならガスの発生も考慮するだろう」
「そこまで分かっていて、なぜ近づいた?」

 不審を表すザフィーラに恭也は沈黙する。思わず頭ごなしに否定してしまったが、実年齢に見合わない外見をしたこの少年は、その外見年齢すら上回る異常と言える思慮深さを持っている。一同は遅まきながら、危険に近づいた理由がある、という可能性に気付いた。

「いや、先程のは後で思い」
「信じへんよ?」
「…言い終わる前に全否定か」
「黙ってる間の恭也さん、“適当にごまかしときゃよかった″ゆうときの態度しとったからなあ」
「どういう洞察力だ」
「どっちもどっちなんじゃあ…」

 シャマルの呟きはやはり四人の代弁だった。

58 小閑者 :2017/06/18(日) 19:40:28
 恭也の鉄面皮は相変わらず変化しているように見えないし、特別に不審な挙動を取っていたとは思えないのだが。鎌掛けの可能性もあるが、はやてを見る限り自信満々でハッタリとも思えない。
 恭也もごまかすのは無理と悟ったようで小さくため息をつくと理由を話し出した。

「火災が発生している様子はなかったし、風下から飛び立った鳥にも異常は見られなかった。念のため風上から近づいたからガスが発生していてもまず問題ないと踏んだんだ」
「近づいた理由は言いたない、言うこと?」
「…いや、ただの儚い抵抗だ。
 音の原因が物理的な物とは思え難かったから、短絡的に魔法関連かと思ったんだ。四人の予定は聞いていたから除外した結果、」

 恭也が言葉を切ったが急かすことは誰にも出来なかった。無表情な容貌が寂しそうに見えたから。

「誰か、来たんじゃないか、と」


* * * * * * * * * *


「寂しい、やろね」

 はやては浴槽に浸かり、背後から包む様に体を支えてくれるシグナムに語りかける。

「態度も外見も全然そうは見えへんから忘れがちやけど、恭也さん、私と歳変わらんのやから」

 あの後、恭也は夜間の鍛練に向かった。日課ではあるだろうが明らかに気を遣っての行動でもあるだろう。

「あるいは不安なのかもしれません。“移動”の直前の記憶はまだ回復していないようですから」

 たとえ眼前に並ぶ全ての状況が“死亡″を示していたとしても、決定的な証拠である死体を突き付けられなければ受け入れることは難しい。親しい者、大切な者、愛する者の死とはそういうものだ。
 “もしかしたら、自分と同じようにこの時代に飛ばされてきた者がいるのではないか?”その極度に低い可能性に縋る姿を笑う権利など、あっていいはずがない。

「そうやね、私も覚えがあるわ。
 あの時、涙が涸れるまで泣いたから歩き出せたんや、言うのが今なら分かる」

 はやての経験から来る重みのある台詞に、シグナムは返す言葉が思いつかなかった。慰めの言葉を欲しての発言ではないだろうことを、揺らぐことの無い口調から察して、先程の続き、自分なりの恭也の人物像を話し出した。

「非武装時を想定した体術すらあのレベルとなれば、メインである剣腕は非常識なものでしょう。あの歳でそれを身に付けるには才能と指導者はもとより、明確で強固な意思が必須です。
 本来、四六時中剣にのみ意識を合わせることは集中力の低い子供時代には不可能と言って良いでしょう。
 感情が他に向けられなくなるほどの出来事があったのか、あるいはそんな常識を無視できるからこそ天才と呼ばれるのか」
「天才、なんか?」
「本人に自覚があるかどうかは分かりませんが、間違いなく。
 いずれにせよ、自身の全てを賭しても護りたい何かが、誰かが、過去の世界にはあったのでしょう。あれだけ自身を律することに長けている恭也に、感情を優先して行動させたのですから」
「恋人、やろか?」
「どうでしょうか」

 好奇心に目を輝かせるはやてに思わず苦笑を漏らす。
 物心がつく前から剣を握っていたとしても意思を固めるのは自我が芽生えた後だ。だが、1年前や2年前とは思えない。その幼さで恋愛感情が芽生えるものなのかどうかシグナムには分からなかったが、間違いなく恭也のことを案じていたにも拘らず、瞬時に興味津々の態を見せられては苦笑せざるを得ない。
 だが、子供の感情とは、本来この位の柔軟性があるべきなのだ。内容が恋愛関連では興味を示すとは思えないが、恭也にも何か心を弾ませることの出来る対象があるのだろうか?


* * * * * * * * * *


 翌日の早朝、図書館への道すがら、はやてが思い出したように隣を歩く恭也に問い掛けた。

「そういえば、恭也さんの用事って何なん?」
「あ、私も聞こうと思ってたんですよ」

 この日は朝食後、はやてがシャマルを伴って図書館へ行こうと玄関に向かうと、部屋から出て来た恭也と廊下で鉢合わせしたのだが、行き先を告げるとそのまま同行を申し込まれた。断る理由は何処にもないので快く承諾したのだが、恭也と読書が結び付かなかったのだ。
 転移してくる前も含めてテレビではニュース番組しか見てなかったのでは?と思えるほど芸能界については無知の一言で済ませられる彼は、文学のジャンルも同じ傾向だ。決して馬鹿ではないと分かっているが、高い運動性能を保ち、更に延ばしていくために、まだ決して長くない人生の大半を費やしていることは想像に難くない。興味を抱くのは当然の帰結だろう。

59 小閑者 :2017/06/18(日) 19:41:00
 車椅子を押しているシャマルも聞いていなかったようだ。

「暇な時に眺める本でも見繕おうかと思ってな」
「ああ、絵本か」
「失礼な」
「眺めるんだから写真集じゃないですか?」
「図書館にはないやろう。恭也さんなら気配とか消せるらしいからシャマルやシグナムの入浴シーンとか、こっそり覗いとるんちゃう?」
「そっちか」

 もちろんシャマルが言ったのは風景や自然の写真だ。曲解してからかいに行くはやてだが、当然恭也が素直に赤面してからかわれるとは思っていない。何通りかの回避と反撃を想定しつつ身構えるが、

「確かに真っ平らなはやてを覗いても意味はないからな」
「まっ!?
 な、何をっ、っ見たことないのに断言すな!」

 予想を上回る口撃にあっさり飲み込まれる。

「そこまで動揺することか?そもそも一目で分かるじゃないか」
「そんなヤラシイ目で見んといて!」

 はやては胸元に注がれる視線を遮るように両腕を交差させるが、恭也と視線が交わると怯んでしまう。

「視力に不自由しているとは知らなかった。意地を張ると悪化するらしいから、素直に眼鏡をかけたらどうだ?」
「…疑問の眼差し?」
「否定が正しい。批難でも可としよう」
「うわ〜ん!恭也さんのアホー!もう、大きなっても揉ませたらんわー!」

 順当に育ったら揉ませてあげる予定だったのだろうか?

「はやてちゃん、大丈夫よ。これから大きくなるわ」
「つまり、シャマルも今の私が真っ平ら言うんは認める訳やな?」

 はやてはシャマルからのフォローという名の気休めすら揚げ足をとる。完全にやさぐれてしまった様だ。

「…人間の体はほとんど曲面で出来ているから、真っ平らな部分なんて滅多にありませんよ?」
「性別で分けることも出来ん事実聞かされても、何の慰めにもならへん」

 妙に冷静なツッコミである。

「そもそも現実が平面か曲面かは問題ではない。概念的にはやてがペッタンコだと言うことだ」
「ペッタンコ言うな!」
「はやて、聞く相手に無理があるだろう。これだけ起伏のある体を誇示しているんだ。どう考えても、シャマルはこの話題と無縁だ」
「誇示なんてしてません!」
「そうやね。私も毎晩この手で確かめとるのに、思わず縋ってもうた。シャマルもシグナムもオッパイに関しては私の敵や!」
「それを認められれぱ、後は反撃あるのみだ」
「今にシャマルに目にもの見せたる!」
「いつの間にか、はやてちゃんの敵味方が入れ代わってる!?」
「利害関係が常に変動するのは当たりまえだろう」
「たった数十秒で変わるとは思ってなかったわ…」

 空を見上げながら世の無常を儚なんでいるシャマルを残し、いつの間にやら車椅子を押している恭也がはやてと共に図書館へ入って行った。

60 小閑者 :2017/06/18(日) 19:41:47
 図書館を利用する間、シャマルは買い物に出掛け、はやてと恭也は館内で別行動をとった。開館とともに入館してから既に2時間が経過している。

「おっと、そろそろ帰る準備せんと」

 昼ご飯に合わせてお腹を空かせて帰ってくる家族を迎えるのが、ここ最近のはやての楽しみになっていた。

「少し前はいっつも一緒やったけど」

 それこそ、四六時中5人が揃って行動していた時期を思い出すとどうしても寂しいと思ってしまう。
 だが、それを皆に知られる訳にはいかない。知られれば優しい家族は自分のやりたい事を後回しにして付き添ってくれるだろうが、それは強制していることと変わらない。自分が望み手に入れたのは、“家族″であって“家来″ではない。家族という存在が限りなく親しい他人である以上、個人の意思を尊重しなければならない。
 だが、はやては歳相応の欲望である独占欲を不相応な理性で押さえ込む理由が“愛想を尽かされ嫌われるかもしれない″という恐怖心に根差している事には気付いていない。どちらの感情も孤独を畏れ、人との触れ合いを望む心理から発生するものだ。相反する感情に折り合いを付けることは、誰もが成長の過程で身に付けていくしかないのだ。

「はやて」
「えっ、恭也さん!?」

 孤独感に抗うことに手一杯になっていたはやては、恭也の接近に気付けなかった。ごまかすために突然現れた恭也を批難しようとしたが、

「正面から近付いたのに気付かれなければ、これ以上どうにも出来ないぞ」
「う」

 言葉になる前に機先を制された。だが、このまま黙り込む訳にはいかない。羞恥に熱を持ち始めた頬を隠すために俯きながら上目使いで問い掛ける。

「恭也さん、いつから、居たん?」

 はやては独占欲を“後ろ暗いもの″“隠すべきもの″と認識しているが、今はそれより自分の弱々しい面を見られたことの方が問題だ。勇んで聞き出そうとしたが、恭也の返事を聞いて漸く気が急いていたことを思い知らされた。

「今来たばかりだ」
(あかん、ぜんぜん信じられへん)

 もともと恭也の表情を読み取ることは難易度が非常に高い。
 それでも乙女のプライドに賭けて鉄面皮を睨み続けた結果、努力に相応の成果が得られた。その内容が欲した答えと何の関係もなかったことを悔やむのは欲張りすぎと言うものだ。

「恭也さん、何か、あったんか?」
「何かとは?」
「えーと、何やろ?」

 自分で言い出したにも関わらず明確な言葉に出来ないはやて。
 睨み付けた結果得られたのは漠然とした違和感だった。
 恐らく恭也は、その無表情の下に何らかの感情を隠そうてしている。無論、たった今恭也に気持ちを知られたかどうかを確認することに躍起になっていたのははやてである、感情を隠すことを批難する気はない。
 はやてが気にしているのは、恭也が感情を隠し切れていないことだ。昨晩、恭也の所作からその思考を読み取ることに成功したが、それは何時でもできる訳ではない。恭也は感情も思考も表情や言動に表すことが非常に少ない。つまり、今の恭也は強く感情を揺さ振られているということであり、そして経験上それは転移や不破の家に関する事柄である可能性が高い。しかし、それらが図書館と結び付かないし、それ以外の可能性も零ではないだろう。
 はやては直接的な表現をして“実は全く関係ないことを考えていたのにわざわざ刺激してしまう″ことを恐れて言葉を濁していると、察した恭也が白状した。

「別に心配されるほどのことではないんだ。
 適当に開いた本が怪談の特集でな、途中で放棄する方が後で気になると思って読み通したらドツボにハマったんだ」

 思い出したのか恭也の表情が僅かに歪むのを見て、意表を突かれたはやては我慢しきれず噴き出してしまった。



「まったく、笑い過ぎだ」
「ゴメンゴメン、勘忍や」

 何とか笑い声を押さえ込んではいたので注目を集めることは避けられたが、余程はやてのツボのど真ん中だったようで、延々と笑い続けたため流石の恭也も珍しくむくれてしまった。そのことにまた密かに笑みが浮かぶ。恭也の無邪気な面が見られる機会は滅多にないため嬉しくなったのだ。
 だが、その気持ちは司書の一人が話しかけてくることで潰えた。若くて綺麗な司書が玄関に向かい車椅子を押す恭也に気付いて挨拶程度に声をかけてきたのだ。

「あら、さっきの。どう?見つかった?」
「はい、お蔭様で。ありがとうございました」

 礼儀正しく謝辞を述べる恭也に眉間に皺がよるのが自覚出来た。猫被りおって。

61 小閑者 :2017/06/18(日) 19:43:03
「どういたしまして。
 簡単だったでしょ?データベース化されるまでは全部誌面のまま保存してたらしいから大変だったって聞くけど。
昔の新聞記事を見る場合はたいてい一つの記事に関連したものを追い掛けるから検索出来なかった頃は大変だったみたい」

 はやてはツラツラと雑談を始めた司書の口にした単語にひっかかりを覚える。同時に先程までの恭也との会話が蘇る。
“昔の新聞記事”“感情を隠し切れない動揺”“怪談=恐怖”

「あっと、引き止めてゴメンなさい。…え?あなた、顔色悪いけど大丈夫?」

 はやてには心配してくる司書に答える余裕などなかった。
 ただ車椅子の後ろに立つ少年を振り仰ぎ名前を呟く。

「恭也さん…」
「なんて顔をしている。
 まったく、聡いにも程があるぞ」

 恭也は優しくはやての頭を撫でると、状況が把握出来ずに困惑する司書に会釈してその場を後にした。


 恭也が図書館で不破家の記事を調べていたことは、帰宅直後に全員に知れ渡ることになる、はやてのこの予想は、自分の沈んだ顔を見て一同が恭也に尋問に行くことを意味する。そして、この予想が確定した未来だ、と断言できたのは図書館の外で合流したシャマルのお陰だ。
 はやてとしては何とかしてこの未来を変えるべく努力したが、帰宅までに持ち直すことも3人の目を欺くことも出来ずに徒労に終わることが帰宅と同時に証明された。
 恭也は当然の様に気にするなと言ってくれたが、どう考えても触れられて楽しい話題ではあるまい。一番辛い恭也に対して尋問することになったヴォルケンズにとっても同じだろう。それを察してはやてが落ち込み、更にヴォルケンズが沈むという悪循環は、恭也によって断ち切られた。

 恭也は気まずい雰囲気を気にした風もなく新聞から得られた情報を淡々と開示した。
 御神家で開かれた、その長女と不破家次男の結婚式当日のガス爆発とそれによる火災。家は全焼。
 式出席者92名中、死者86名、行方不明者6名、生存者0名。
 行方不明者は爆心地で原型を留めていない遺体だろう、と締め括る恭也に対して、誰も生存の可能性を説くことは出来なかった。その気休めこそが恭也を傷付けることに成り兼ねない。

 “恭也はリアリストである″との見立ては共通している。恭也が魔法と言う自身の知識や一般常識から掛け離れた現象を目の当たりにしても頭ごなしに否定することなく受け入れた実績からの評価だが、これは恭也が騙され易いことを意味する訳ではない。“タネや仕掛け”と表現するものであっても“魔法という原理”であっても、事実として眼前で発生している現象を否定することに意味がないと考えているのだろう。魔法という名称も共通認識のため便宜上受け入れているに過ぎないだろう。

 行方不明者の内、彼を除いた5名が誰なのかは不明だが、この事故から10年の歳月が流れ、現場である御神宗家が現在更地となれば、再会はまずありえないだろう。

 御神の一族がその存在の性質上“閉じていた”ため親類縁者は広がりがなく、この式が宗家長女と最大分家の不破当主との結婚であったため一族が総じて出席したので、生存者がいたとしても頼るべき血縁がいないことになる。個人的な知人を頼るならば“行方不明者”のままは不自然だ。
 恭也は未だに自分の流派の特殊性を語っていないため八神家の誰も知らないが、御神流の存在を知っていて受け入れる人物であれば、行方不明者のままである可能性もあるが、それは逆に隠蔽されてしまい生存者の存在を追えない事になるし、自力で隠れたならば尚更だ。結局、公表されていないということは、仮に生存者がいたとしても恭也には探し出す手段がない。
 勿論、恭也が目立つことで生存者側から見つけてもらう訳にも行かない。そもそも、生存者が存在しない可能性は決して低くない。存在していたとしても彼らは“隠れている”のだ。誰から?近年は表の仕事としてボディーガードをしていたこともあり恨みを買うことはあっただろう。個人となり、組織として弱体化した御神流を潰しに来る者も居るだろうが、そもそも御神家が滅んだ出来事が報道通りの事故ではない可能性が出てくる。
 御神流の宗家に襲撃を掛け、成功させることがどれほどの難度であるかを想像できる恭也には考え難いことではあるが、遠距離から爆弾を投下するという非現実的な方法が実現できるなら不可能ではないかもしれない。
 それに10年間歳を取っていない恭也は、事情を知らない事故前の知人にとって“10年前に死んだ恭也によく似た他人”である。

62 小閑者 :2017/06/18(日) 19:43:45
 しかし、今回の恭也の新聞記事の検索には大きな落とし穴があった。
 検索項目の絞込みに“年代”を加えなかったのだ。記事が多年に渡っている事を考慮したこともあるが、何より恭也がパソコンに初めて触れたため情報を読み落としたことに気付かなかったのだ。
 先入観もあった。恭也の記憶が途切れていたのが結婚式近辺であったため、“結婚式当日の事故”という記事を読んだ瞬間にイコールで結び付けてしまったのだ。だから、恭也の“一臣と琴絵の結婚式”がこの世界のそれとずれていることに、つまり、恭也が居た世界ではないことに気付くことが出来なかった。

 恭也は記憶と情報の食い違いに気付くことが出来なかった。



* * * * * * * * * *



 昼食を取り終わると、恭也は山間の公園で鍛錬に励んだ。はやては休息を取ることを勧めたが、体を動かした方が気が紛れると言われれば頷くより他、選択肢が無い。
 一心不乱に両手に持った鉄パイプを振り回している恭也は、盛大に息を乱していた。休憩を入れずに全力で動き続けていることもあるが、雑念が入って動作が雑になっているのだ。
 ちなみに鉄パイプは不燃物置き場から持ち出してきたものだ。誰と打ち合うわけでもないため手頃な太さのものを見つけ、重量と重心を整えるために重りを巻きつけただけの代物だ。
 飽きることも無く仮想敵と切り合い続けていた恭也だが、唐突に動きを止めて登山道へと視線を向けた。視線の先には飛び立つ鳥がいる訳でも、物音が聞こえる訳でもないが、持っていた鉄パイプを木陰に隠して登山道に向かって歩き出すと、あからさまに“足音を忍ばせてます”という歩き方をした少女と出くわした。
 恭也は、驚きに目を見開く少女・高町なのはを一瞥すると、声を掛けることも無く下山しようとした。

「あ、あの!こんにちは…」

 去り際に声をかけられたことで足を止めた恭也は、尻すぼみに小さくなるなのはの声に答えることもなく視線のみを向ける。その視線に含まれる怒気ではない何かが、なのはの体を震わせ混乱させた。
 なのはの挙動から察したのか、恭也は視線を体ごとなのはから背けると大きく深呼吸した後、改めてなのはに話しかけた。

「悪いが見ての通り余裕がないらしい。俺への用件なら後日に出来ないか?」
「ごめんなさい。出来れば、今すぐにお話したいんだけど」

 申し訳なさそうに、しかしはっきりと意思を示すなのはに恭也が今度こそ正面から向き直る。

「わかった。だが、さっき言った通り余裕が無いらしい。何に反応して暴れ出すかわからん。トチ狂って俺が襲い掛かったら遠慮なく魔法で吹き飛ばせ」
「そっ、そんなこと出来ないよ!?」

 本人からの突拍子もない提案に、思わず反発したのは当然の反応だろう。だが、酷く物騒な言葉ではあったが、なのはは僅かながらも安堵した。本人いわく“余裕のない″状態でありながら人を気遣えるのは、彼の性根が優しいからだと思ったのだ。
 だが、恭也は冗談の積もりはないようで、なのはと共に公園へ戻りながら更に言葉を重ねる。この辺りの言動からすると本当に余裕が無いのだろう。

「別に殺せと言ってる訳じゃない。自衛してくれれば十分だ。
 それから魔法でどんなことが出来るか知らないが、意思を介して行使するものなら虚を突かれたら対処できないんじゃないか?俺の行動に対応できるだけの距離を取れ。
 いや、それより壁のような、あーバリア?そんなものが張れるなら今から使っておいてくれ」
「僕が結界を張っておくよ」
「そうしてくれ」

 フェレットに変身したユーノの言葉に同意する恭也を見て疑問を持ったのはなのはだった。今の恭也に多少は慣れてきたのか、観察するくらいの余裕が出てきたのだ。

「どうしてユーノ君が喋ったことにびっくりしないの?」

 なのはが口にした疑問に恭也が返したのは答えではなかった。

「よく気付けたな。高町はこちらが堂々としていれば疑問を抱かないと思っていたが」
「ひどーい!私そんなにぼんやりしてないもん!ね、ユーノ君!」
「もちろんだよ」
「…ねぇユーノ君?どうして目を逸らすの?」
「魔法使いのペットなら言葉くらい話すだろう」
「僕はペットじゃない!」
「使い魔、だったか?」
「違う!人間だ!」
「ああ、人間に育てられたチンパンジーは自分を人間だと思い込むと言う奴か」
「それでもない!魔法で姿を変えてるんだ」
「ペットにしか見えんぞ。何か意味が…高町、これと一緒に風呂に入ったりしているか?」
「な!?」
「え?うん、一緒に入ってるよ」
「ほう」
「ち、違っ」
「少女、いや幼女の範囲か?何れにせよ、実行に移る前に処分しておくか。なに命までは取らん。ペットらしく去勢で済ましてやろう」
「ま、待って!僕は彼女と同じ歳なんだ!」
「訂正するのはそこか。目的が合っているなら十分だ」
「今のは言葉の綾なんですー!」

63 小閑者 :2017/06/18(日) 19:44:21

 なのははユーノを鷲掴みにしている恭也を眺めながら、蚊帳の外に出されていることに漸く気が付いて首を傾げる。私が怒ってたんじゃなかったっけ?
 だが結果的に、いつの間にか始まっていた漫談から、更にいつの間にか放り出されたことで、恭也が何か大変な状態にある(となのはは解釈した)ことを思い出すことができた。自分の都合で彼を何時までも引き止める訳にはいかない、と考え用件を切り出すことにした。
 客観的には、話しに混ぜて貰えないことを寂しがって割り込んだように見えることは気付かないことにして。

「あの、恭也君!」
「おお?どうした、寂しがりやの高町?」
「ちっ違うよ!?寂しがってた訳じゃなくて、って気が付いてたの!?」
「当たり前じゃないか。高町ほど愉快な奴を見捨てたりするものか」
「う、嬉しくないよ!」
「その表情でか?」
「う〜!」

 選択に迷ったかのように次々と変わっていくなのはの表情を眺めていた恭也に、なのはが恨みがましく呟いた。

「…楽しそうだね」
「非常に楽しいな」

 ユーノの目には不機嫌な恭也が腹いせに嫌味を言ってるようにしか見えないのだが。とは言え、なのはの性格が“陰湿″から程遠いことも、意外に感情の機微に敏感なことも、長いとは言えない付き合いながらもよく知っている。言葉通りなのはの目には恭也が(こちらも陰湿なものではなく)楽しんでいるように見えるのだろう。

「茶化し過ぎたか。スマンな、真面目な話なんだろう?」
「あ、うん」

 仕切り直しとばかりに口調を改めた恭也に合わせて、なのはの表情が改まり先程までのやり取りがなかったかのように緊張に強張る。少女にとってはそれほど重要なことなのだろう。踏ん切りがつかないのか暫く視線を彷徨わせ逡巡したが、口を開くと逆に単刀直入に願い出た。

「私が魔法を使えること、内緒にして欲しいの」
「わかった」

 間髪入れずに返された同意の言葉は、逆になのはがその意味を理解する方が時間を要した。浸透するに従い笑みが深まり、満開になると同時に嬉しさのあまりなのはは少年に抱き付いた。

「ありがとう!」
「ああー!?」

 フェレットが上げた叫び声に含まれた感情は目の前の2人には全く理解されることはなかったが、その目的だけは達成することが出来たようだ。なのはは慌てて体を離しながら謝罪した。

「あ、疲れてる時にゴメンなさい!」
「別に疲れている訳じゃない。少々気落ちしていたので体を動かしに来たんだしな。
 だが、まあ汗を掻いているからくっつかない方がいいだろう」
「あ、じゃあ、お邪魔しちゃった?」
「いや。あまり集中できなかった。意味が無いからそろそろ切り上げようかと」

 恭也は言葉を切るとまじまじとなのはを見つめると突拍子も無いことを提案した。

「高町、俺を魔法で攻撃してくれないか?」
「ええー!?」

 聞いた二人は驚愕の声を上げると、恭也を思い止まらせようと言葉を重ねる。

「駄目だよ!何があったか知らないけど考え直すんだ!」
「そうだよ、危ないよ!」
「自殺なんて考えちゃ駄目だ!まだまだ、これから良い事だってあるよ!」
「ユーノ君?」
「そんなに威力があるのか?」
「当たり前だよ!間近で見ていた僕は非殺傷設定のはずなのに直撃を受けたフェイトを見て即死したと思い込んじゃったんだよ!?」
「…」
「ほう」
「そんな魔法を更に改良して威力を上げちゃうなのはから攻撃を受けるなんて、自殺以外の何物でもないだろう!?」
「なるほどな。色々と言いたいことはあるが、とりあえず最初に言うことは決まった。
 今の台詞の内容だと、危険なのは“威力の高い魔法”ではなく、“魔法を使う高町”と言うことになるが相違ないな?」
「ハッ!?」

64 小閑者 :2017/06/18(日) 19:45:10
 ユーノは説得するために恭也に向けていた視線を、ゆっくりとなのはにずらしていく。逸らしたままで居たいと必死に訴える感情より、恐怖の対象を死角に置いたままにできないという本能(感情か?)が勝ったのだ。
 未だに恭也に鷲掴みにされているユーノがなのはの身長より高い位置にいるため、必然的になのはは上目遣いになっている。誰だ!?美少女の上目遣いが萌えるなんてほざいた奴は!
 「少し、頭冷やそうか?」という言葉とともに放たれる攻撃魔法を幻視した時点でユーノの意識は途絶えていた。

「高町、その辺りにしておいてやれ」
「別に何もして無いもん」
「それだけのプレッシャーを与えられれば十分だ。こいつも勢いが付いて、口が滑っただけだろう」

 隠していた本音が零れ落ちただけだ、と言われても機嫌を直す者など居ない。なのはもマイノリティではなかったようだが、恭也は気に掛けた様子も無く話を戻す。
 ちなみになのはにはプレッシャーをユーノ個人に絞り込むような器用な真似が出来る訳ではないので、分け隔てなく周囲に発散している。直視されてこそいないが恭也とて存分に浴びているのだが、小揺るぎもしている様子がない。

「俺はひたすら躱し続けるから、高町は魔法で攻撃してくれ。非殺傷設定とやらもあるんだろう?」
「それでも危ないよ?」
「構わん。俺も身体能力は非常識に分類される口だ。
 口実が欲しいなら、そうだな、お前が魔法を使えることを黙っていて欲しければ俺を攻撃しろ」
「滅茶苦茶だよぅ…」
「まあ、心底から嫌だと言うなら無理強いは出来んが、昨日の魔法だって使えることが嬉しくて身に着けた訳ではないだろう?地面か建造物にしか撃たないと主張するなら別だがな」
「う〜ん、わかった。でもそれならユーノ君に結界を張って貰わないと、周りに被害が出ちゃうよ」
「では起こすか。…フェレットの気付けってどうやるんだろうな?」


 こうして気紛れの様な流れで2人での鍛錬が始まった。
 初めこそ恭也を思いやってデバイス抜きで魔法を行使していたなのはだが、明らかに手を抜いている恭也に掠る事すら出来なかったため、レイジングハートを起動させるのに大した時間を要することは無かった。
 だが、速度と制御力が飛躍的に上がったディバインシューターですら、単発で恭也を捕らえることは出来なかった。
 意地になったなのはが2発目を追加するが、恭也の回避範囲が広くなっただけで結果は同じ。ここに至って、単発のときに恭也の動きが1mほどの円からはみ出ていなかった事に気付き、なのはとユーノの頬が引き攣る。
 恭也からは魔力を感じ取ることが出来ない。彼の回避能力は、魔法による移動速度の底上げも身体強化による筋力向上も施されていない、純然たる八神恭也の肉体と技能に因っているのだ。
 だが、2人が目の当たりにして呆れた回避能力は、まだ上げ底でしかなかった。限界だろうと思っていた回避速度が更に上がったこともあるが、何より恭也が誘導弾の動きに慣れてきたのだ。
 ディバインシュータは弾速の低い魔法に分類されるが、それでも目視して躱せるものではない。…ない筈なのだが、恭也はそれを行っていた。
 恭也が子供の頃から行ってきた鍛錬には、当然“誘導弾”と言う概念が無い。地球上の兵器には対人用の誘導弾など存在しないし、有線タイプのロケット弾を想定した場合は着弾後の飛礫を躱す練習の方が現実的だ。ロケット弾の弾速を、遅いから躱せて当然、としている辺りが御神である。
 最初から3発の誘導弾で攻撃されれば被弾していた筈の恭也は、しかし、短時間で学習し、回避行動を最適化した結果、なのはの全力である5発目が投入されるまで撃墜されることはなかった。

65 小閑者 :2017/06/18(日) 19:45:53

「世話になったな、高町、小動物」
「あはは…」
「誰が小動物だ!ユーノ!ユーノ・スクライアだ!」
「擬態したまま姿も見せん奴が何を偉そうに」
「うっ」

 ユーノは指摘されてから漸く礼を失していることに気付くと、なのはの肩から降りて変身魔法を解除した。

「ユーノ・スクライアだ。この世界とは別の、え〜と、別の星から来た。来た時にかなり消耗していたから、回復するために消耗の少ないフェレットの姿を取って行動していたんだ。
 周囲の人にはその姿で認識されてるから、まだなのはの傍に居るときにはフェレットの格好になってる。
 けっして邪な理由からじゃないから」

 恭也はユーノの言い分を聞き流しつつなのはの反応を確認し、改めてユーノに向き直る。

「高町から聞いているだろうが、八神恭也だ」
「…今、この姿が本物かどうか確認しただろう?」
「当たり前だ。初対面が擬態した姿だったんだ。今のその姿が本物だと証明するものなど無いだろう」
「あ、私も初めて会った時フェレットの格好だったから、ユーノ君が男の子の姿になった時にはビックリしたんだよ?」
「ほう」
「なのは、このタイミングでそんな事言わないで!
 ホントだから!この姿が本来の姿なんだって!」
「油断するなよ、高町。脂ぎった30代の中年太りしたおっさんの可能性は残っているぞ」
「言うに事欠いて、最悪な言いがかりつけるな!」
「え〜と、あ、大丈夫だよ。フェレットの姿が変身魔法だって一発で見抜いたクロノ君が、この姿になったユーノ君に何も言わなかったから」
「うう。クロノを通しての信用か」
「油断するなと言っただろう。
 その保障した人物が魔法関連に熟知しているということはお前の知り合いだった訳ではないだろう?グルかも知れんぞ」
「そう来るか!?」
「で、でも、え〜と警察関係の人だよ?」
「100歩譲ったとしても、むさいおっさんの見栄に憐憫の情を抱いたのかも知れん」
「どこまで疑えば気が済むの!?」

 恭也はユーノをいじり倒した挙句、気が向いたらまた相手をしてくれ、となのはに言い放ってあっさり身を翻した。後には唖然とするユーノと苦笑するなのはが残るのみ。

「なんて奴だ…」
「あはは…。でも、恭也君、少しは気が紛れたかな」
「何言ってるんだよ。絶好調だったじゃないか」

 拗ねた様に唇を尖らせているユーノに、なのはは苦味の割合を増した苦笑を向ける。

「え?あれでも、まだ?」
「どうなんだろう。気のせいかもしれないけど、ユーノ君をからかう振りをして私達に気付かれないようにしてた気がするんだ。お姉ちゃんに心配されてる時のお兄ちゃんの態度に良く似てるから」
「恭也さんの?」

 ユーノの知る高町恭也は、八神恭也の態度からはかけ離れている。だが、長年妹として接してきたなのはの言葉は信用に足るものだ。それでもその言葉は、ユーノにとって信じたくない内容だ。
 先程の回避練習が気落ちして集中力を欠いている人物の動きだったのだろうか?



* * * * * * * * * *

66 小閑者 :2017/06/18(日) 19:46:32


 その日の夜中、と呼ぶにはやや早い時間。はやてが普段就寝する時間をいくらか過ぎた頃、夜間の鍛練の準備をしている恭也の部屋をノックする者があった。

「開いている」

 聞こえているはずの返答に対してドアを開ける様子がないことに不審感を見せることなく、恭也は自らドアを開けると訪問者を確認する間もなく話しかけた。

「どうした、はやて」
「え?私やって分かってたん?」
「気配でわかる」
「…へー、そう」

 恭也はひどく平坦な口調の感嘆の台詞を聞き流し、もう一度尋ね直す。

「それでどうかしたのか?」

 当然と言えば当然の質問に、しかしパジャマにカーディガンを羽織った姿のはやては逡巡の間を空けてから、言いづらそうに口を開いた。

「あの、な?ちょお、怖い夢見てしもて、一緒に寝てくれへんかな、思て」

 沈黙。

 言葉を発することなく見詰めてくる恭也に対して、はやては気まずそうに視線をさ迷わせる。その態度をどう受け取ったのか、恭也はドアの前から身を引いた。

「体を冷やしたらマズイ。とにかく中へ入れ」
「あ、ありがとう。
 って、全然暖かないやん」

 呆れ顔のはやてに、やや気まずげな口調の恭也の弁明は“準備のために部屋に入っただけだから″と言う至極まっとうなものだ。押しかけた身で文句もなかろうと思い直し、はやてが一言謝り恭也が謝罪を受け入れると会話が途切れた。
 はやての窺う様な視線と恭也の落ち着いたそれが暫くの間、交わる。
 はやてにとって、恭也は同年代の男子と認識することがどうしても出来ない。知識こそ読書量の多い自分の方が上だと思うが、人生経験や精神の成熟と言った人間としての大きさや厚さが掛け離れている。
 元々早熟な方だという自己評価は、足の自由が利かなくなって、思索に耽る事が多くなったために揺るぎない物になっている。
 では、その自分を上回る恭也は?それとも、完璧だと思える彼の姿も一側面に過ぎず、脆い面・歪つな面があるのだろうか?

 あるに、決まっとるやん!

 はやては余りにも馬鹿げた自身の思考を罵倒した。
 自覚はある。恭也には完璧な人間で在って欲しいと、自分には届かない遥か高みにいて欲しいと言う願望を持っているという自覚は。目標とか憧れとは違うこの感情が何と呼ばれるものなのか分類出来ていないが、悲劇の渦中にあると言って良い恭也にとって間違いなく負担を増やす考えのはずだ。
 成長とは努力と時間(経験)に才能(素養)を係数とした乗算だ。同じ時間、同じ努力をしても成長の量は個人差が出る。だが、努力せずに成長することだけはない。もちろん先天的に保有している能力に大きな隔たりがある場合もあるが、精神の成熟は間違いなく後天的なものだ。
 恭也は他にも異常と言えるほど身体技能・運動能力が特出しているのだ。それに見合うだけの努力と時間を子供として過ごすはずの時間を割いて注ぎ込んでいることはこの数日だけで十分に理解できる。つまり割いた分だけ、平均値に満たない面があるだろう。

「はやて、ともかく布団に入れ」
「え?あ、ええの?」

 つらつらと恭也への評価を並べることに夢中になって、一瞬何を言われたのかわからなかったが、促されるに任せて床に直敷された布団に向かう。
 はやては恭也が膝裏に手を差し込むのを戸惑う事なく受け入れるが、抱え上げられてから顔の近さに気付き漸く緊張する。ベットとは違い車椅子から床に下りるのは容易ではないため、何の疑問も湧かなかったのだ。
 十歳児としては大柄だが、成人男性としては小柄な体は、危なげな様子を微塵も見せることなくはやてを布団に横たえた。

 はやては僅かに速まった鼓動が落ち着くにつれ疑問が頭を擡げる。
 恭也は古風な人間だと思う。口調は言うに及ばず、根本的な価値観にそれが見え隠れしている。例えば、男尊女卑ではないが、男は女を守るものだと疑いなく信じている面がある。それからすると、「男女七歳にして同衾せず」と言われて拒否されるかとも思ったのだが。あるいは、ヴィータはともかく、シャマルやシグナムを頼らないのは不自然だと思われないだろうか。
 はやては当然の疑問を抱くが、彼女の目的の都合上問い掛ける訳にはいかず、後者についてはシャマルたちの“隠し事″そのものをはやてから隠す約束をしている恭也から出ることはないだろう。

「ヴィータは良いのか?」
「うん、あの子は一度眠ると朝までグッスリやから」
「そうか」

 それだけ確認するとおもむろに袖口から取出した刀を枕元に、何本かの鉛筆程の細い棒と糸の束をどこからか取出して机に置いた。相変わらずはやてには気付けなかったが武器を帯びていたのだ。
 恭也は武装を解除するとはやてに向き直り、1テンポ動きを止めると、頭を掻きながら収納ボックスへ向かう。取出したパジャマの前後を確認しながら着替える様はいかにも不慣れだ。

67 小閑者 :2017/06/18(日) 19:48:28

「あんまりパジャマとか着いへんの?」
「まあ、な」

 歯切れの悪い恭也の様子を不思議に思うが、まさか寝込みを襲われても戦えるように服装どころか暗器を帯びたまま寝ているとは思わないはやては追及しなかった。
 恭也は着替えると躊躇なくはやての隣に潜り込んだ。

「ひょっとして、誰かと寝るの慣れとる?」
「ああ、たまに妹分が潜り込んで来ることがあった」

 照れた様子も無く同衾する恭也の行動に納得できたが、何やら面白くない。だが、ここで駄々を捏ねても目的が達成できないし、そもそも駄々を捏ねる明確な理由も自覚できていない。渋々ながらも自分を納得させるとはやては恭也に抱きついた。
 はやてが抱きついても恭也が抵抗することは無かった。初めに怖い夢を見たと告げているため不安になっていると解釈してくれたのだろう。
 人は不安を覚えると人に触れたくなる。触れて他者の体温を感じれば心が満たされる。安心できる。はやての目的はまさしくそこにあった。
 恭也は夕飯前に帰って来た時には、既に図書館で見せた不安定さを見せることは無かった。勿論、吹っ切れたわけではないだろう。だからこそ、はやては不安になったのだ。
 前触れも無く自分の家族を失った上、周囲の環境があらゆる意味で激変したというのに、取り乱すことなく隠し通してしまう強靭な精神力が、恭也の心の限界強度を超えて破綻してしまうのではないか?と。
 人に弱さを見せることの出来ない人間もいるだろう。それが恭也の性質と言うなら無理強いしても負担にしかならない。それでも、何とか恭也の心労を軽くする方法がないかと考えた末に思いついたのがこの添い寝だった。
 成果の程は分からない。元々恭也の表情から内心を推し量るのが容易ではない以上、とにかく思いついた手段を実行するしかない。
 だが、この企画には思わぬ落とし穴が二つ存在した。
 一つは恭也の体温がはやてにとってもとても気持ち良かった事。もう一つは、恐怖に怯えている(であろう)子供に対して、恭也が物凄く寛容だった事。具体的にははやてが眠りに付くまで髪を梳き続けてくれたのだ。普段の規則正しい生活と相俟ってはやての意識が眠りの園に旅立つことに抗えたのは10分ほどだった。



 だから、それは偶然だった。
 普段一緒に寝ているヴィータがベットから抜け出すことも戻ってくることも気付かずに、朝まで眠り続けているはやての意識が浮上したことも。
 1分にも満たないはやての覚醒がそのタイミングだった事も。
 はやての精神の覚醒を他所に肉体が休息し弛緩していたために、動揺に体が強張る事も無く、恭也に気付かれなかったことも。
 全てが、偶然の上に成り立っていた。



 嗚咽に震える声ではない。
 激情を押し殺すような、搾り出すような声でもない。

 ただ、空虚に。
 知らず吐息と共に零れ落ちたかの様な。
 はやての耳に届いたのは、そんな呟き。








「…寂しいよ
 …父さん」







続く

68 小閑者 :2017/07/02(日) 14:01:48
第9話 得手




 はやてが恭也の心情を意図せず知ってしまった頃、シャマルはベットの中で眠れずにいた。
 いつも通り、蒐集活動の後ベットに入ったのだが、出発前の出来事が気になっていたのだ。
 眠気が一向に訪れず悶々としていたが、結局朝食を作るための起床時間になってしまった。今から眠れば起きられなくなるだろうことは明白なので渋々ながらも起き出し、身支度を整えながら昨夜のことを思い返した。


* * * * * * * * * *


 はやてが自分のベッドを抜け出したことを、同じベッドで寝たふりをしていたヴィータは当然気付いていた。
 最初はトイレだろう、と気にもしていなかったが、30分も経つ頃には流石に不審を抱いた。いつ戻って来るかわからないため寝たふりは続けながら、他の3人に思念通話で呼びかける。

『はやてが戻って来ねぇんだけどそっちに居る?』
『主はやてが?』
『俺の方には来ていない』
『私の方にもいないわよ。トイレじゃないの?』
『わかんねーけど30分くらい経ってるから』

 全員が沈黙したのは会話に参加出来ないもう一人の同居人を脳裏に描いているからだろう。

『…まさかな』
『私、見てくるわね』

 ヴィータの疑念の声にシャマルが応える。
 念のためトイレの電気が消えていることを確認してから恭也の部屋へ向かい、小さくノックしてドアを開ける。豆電球の弱い光で照らされた部屋は、廊下の照明の明るさに慣れた目にはやや光量が足りなかったが、かろうじて恭也の顔は判別できた。
 突然の夜中の訪問であることを気にすることなく、恭也が当然の様に視線を向けて来ることには驚かない。視線に呆れが混じることまでは抑えられなかったが。
 シャマルが気を取り直して口を開こうとすると恭也が身振りでそれを制した。左手の人差し指を立て自分の唇に当てた後、そのまま右肩辺りを指し示す。そこにあるのは大きな毛糸球に見えなくは無い何か、恭也が音を立てないように促したということは聞き取るであろう第三者だ。
 回りくどく思考することで何とか自制してから、一目で至った結論を認め、恭也に呼びかける。

<どうしてはやてちゃんと一緒に寝てるのかしら?>

 語りかける声に棘があると自覚しながらも、シャマルはやはり自分が確認に来て良かったと思う。ヴィータやシグナムなら問答無用で先制攻撃に出て、恭也の回避なり迎撃なりの行動で眠っているはやてを起こしてしまうところだ。
 どこまでもはやて中心の思考である事を自覚しながらも、シャマルは恭也に思念通話を強制的に繋げて呼びかけるが、恭也からの応答が無い。部屋が暗いため、ただでさえ変化の少ない恭也の表情から思考を読み取ることは放棄するしかないので、応答が無くては話が進まない。
 だが、苛立ちつつ再度呼びかけようとしたところでシャマルは恭也から言い知れないプレッシャーが発散されていることに気付き、困惑する。
 思念通話を通じて感じ取れるのは、言語化されない怒気と拒絶。思考の表層的な部分しか読み取れないように設定している思念通話を介して流れ込んでくるほどの明確な感情。何であれ恭也から感情をぶつけられたのは初対面の時くらいだ。いや、あの時は記憶まで覗いたことを告げたのにその事に怒った訳ではなかったし、そもそも演技…記憶?
 シャマルは流れていく自身の思考の断片に引っかかった単語を拾い出し、恭也の心情を察すると、慌てて行為の補足説明をした。

<待って、この意識のリンクは表面的なもので、相手に伝えようとしたことしか伝わらないように設定しているの。だから、普通に考えていることや記憶は私には伝わらないわ>

 その言葉で恭也からのプレッシャーが霧散した。
 シャマルは、恭也が記憶を覗かれていないことが分かって安心した訳ではなく、感情が露呈していたことに気が付いて抑え込んだのだと悟った。
 彼は聖人君子などではなく、感情を持たないプログラムでもない。半日前に親族の、家族の死亡を突きつけられた子供が体面を整えているだけでも異常なのだ。はやてのことが絡んでいるとは言え、今の彼が一番痛みを感じるデリケートな部分に土足で踏み込んだと勘違いをさせるような真似をした自分にこそ非がある。

<すまない。反射的に身構えてしまった>
<謝るのこちらの方よ、ごめんなさい。はやてちゃんの姿が見つからなくて、ちょっと慌てていたの>

69 小閑者 :2017/07/02(日) 14:05:01
<やはり、あなた達には何も言わずに来たのか。
 暫く前に怖い夢を見たと言って尋ねてきてな。シャマルかシグナムの部屋に行くように勧めようかと思ったが、今晩も出かけるのだろう?活動に支障が出ても不味かろうと招き入れて現在に至る。
 今のところ魘される様子も無いので問題は無いと思う。あなた達が気付いていることにするかどうかの判断は任せるが口裏を合わせておく必要はあるだろうから、筋書きは教えてくれ>
<そう、ね。では気付かないことにしておきましょうか。ちょっと寂しいけど、私達が気付いていることをはやてちゃんが知れば、今後同じことがあった場合に先ず私かシグナムを尋ねるようになるでしょうから。
 今ははやてちゃんが辛い思いをしていないことを最低条件にして、少しでも外に出なくちゃいけないから。恭也君にとっても辛い時期だとは思うけどお願いね>
<ああ。養ってもらっている身だ。契約くらい果たすさ>

 この遣り取りをはやての行動についてのみ簡単に3人に伝えてから蒐集に出向き、なかなか進展しない活動に苛立ちそうになる心情を宥めて帰宅し、それぞれ就寝した。
 だが、実際に恭也と言葉を交わしたシャマルは結局一睡も出来ずに朝を迎えることになった。



 書の主であるはやては、現在小康状態といえるだろう。足の麻痺は徐々に進行しているが、明確な対処法があり、即座に解決こそしないが解決のために活動することができている。
 だが、同居することになった一般人である筈の少年の方は深刻な状況にある。

 恭也の現状は、大の大人であろうと茫然自失して無気力状態になるほどのものだ。
 失った者が親しいほどその傾向が顕著になるというのに、子供にとって世界の全て、価値観そのものと言える親や兄弟を本人の知らないうちに、そしてとうの昔に失くしていたのだ。如何に恭也が早熟とは言え、実家が消失していることを確認した後の4日程を前後不覚になって彷徨ってから、精神の再構築を成し得るほどの期間は経過していない筈だ。
 彼の心は、傷が塞がるどころか死に到る傷から血を流し続けている状態の筈なのだ。それでも正気を保ち続けていられるのは、本人の強靭な精神力だけではなく、親身に接する他者が存在するからだろう。気遣う言葉を掛ける者ではなく、身内として、家族として接する者だ。
 強い感情は本人の意思に関係なく周囲の者を引きずり込むため、親身に接するはやてにどれほどの影響が出るかは想像も出来ない。だが、はやてにとって決定的な不利益になることが証明でもされない限り、今更恭也を放り出すことは出来ない。感情的なヴィータでも、一歩引いて客観視するよう努めているザフィーラでもそれは同じだろう。
 恐らく恭也自身も今の自分を支えてくれている者が誰なのか気付いている。気付いていて尚、何の効力も持たない口約束に等しい“契約”を持ち出して距離を取る理由はなんだろうか?自分の感情に巻き込まないための拒絶か。家族を失う恐怖から来る拒否反応か。まさかとは思うが一人で生きていけると強がる子供じみた見栄か。…不利な状況であれば何時でも切り捨てられる駒だという主張か。
 何れにせよ、飛び込んできた異邦人の状況を嘆くべきか、それがあらゆる面で異常なスペックを誇る恭也であったことを喜ぶべきかは迷いどころであった。ただし、何の問題も無い状況にある“近所の子供”の恭也であれば、内側に入らせることは決してなかったのだ。
 寂しい思いを隠しきれなくなってきたはやてが曲がりなりにもそれを忘れられる現状は、守護騎士一同にとっても一概に悪いものだとは断言できない。


 回想に浸りながらも身支度を整えたシャマルがキッチンへ向かう途中、恭也の部屋の前を通りかかると、ドア越しにくぐもった声が聞こえた。はやてが寝ている時に恭也が独り言を言うとも思えないのではやてが目を覚ましたのだろう。
 予定通り気付かないことにして通り過ぎようとしたのだが、その声がはやての鳴咽であることを認識した瞬間、ドアを開けて踏み込んでいた。

「はやてちゃん!?」


* * * * * * * * * *


 恭也はまだ日も昇らない早朝から目を覚ましていた。
 恭也は昨夜からほとんど姿勢を変えた様子が無く、はやても恭也の右腕を抱え込むように抱きついたままだ。ただ、恭也はいくらかは持ち直したのか昨夜の、心情を吐露した時の虚ろな表情ではなく普段通りの鉄面皮を取り戻していた。
 時折小太刀とはやての頭に視線を向けるのは昨夜に続いて鍛練に行けなかったためだろう。

70 小閑者 :2017/07/02(日) 14:05:36
 恭也は部屋の時計が6時を回ったことを確認してから、はやてを起こすために肩を揺すりながら呼びかけた。

「はやて。そろそろ起きる時間ではないのか?」

 呼びかけに応える様に上がったはやての顔は明らかに寝ぼけていた。恭也ははやてが寒くないように配慮して掛け布団を捲くらずに這い出し、枕のあった位置で胡坐を掻いて座ると、はやてもぼんやりとした表情のまま体を起こし、不自由な足を手で誘導しながら対面するように座り込む。
 その様を見て珍しく恭也が見て分かるほどの苦笑を表すが長く続くことはなかった。
 寝ぼけ眼が焦点を合わせることなく恭也を眺めていたかと思うと、唐突に表情を崩す事なく涙を零し始めたのだ。“泣く″と表現することが躊躇われるような、生理現象として目から涙が溢れ出したとでも言うかのように、寝起きから変わらない表情のまま涙が頬を伝うのに任せるはやてに恭也の方が狼狽した。

「は、はやて?どうしたんだ?」
「きょうやさん……う…うあ、ぁあ」

 一度恭也の名前を口にすると思い出したかの様に鳴咽が出始め、同時に表情が崩れる。
 号泣とは程遠い、途方に暮れた迷子の子供が心細くて泣き出している様な、他者に訴えかけるためではなく、ひたすらに心情を発露させる様な、そんな泣き方。不安を、心細さを埋めようとしているのか恭也にしなだれかかるように縋り付き、温もりを求めるように力なく恭也の体を掻き抱く。
 言葉も無く、意味を成さない嗚咽を上げながら弱々しく涙するはやてを、恭也があやすように頭を優しくなで背中を軽く叩いているとシャマルが部屋に飛び込んできた。

「はやてちゃん!?」

 はやての嗚咽から昨夜と同じ疑念を抱いて飛び込んだシャマルは、恭也に縋りつくはやての姿を認めるとそのまま呆然と眺めていた。本当にそれ以外の可能性を想像していなかったようで、何のリアクションも無いシャマルに呆れながら恭也が声をかける。

「また怖い夢でも見たんだろう。目を覚ましたと思ったら突然この状態だ」
「怖い夢?」
「内容までは聞いていない。
 この状態では食事の準備は無理だろうから、よろしく頼む。
 そこの3人も聞こえたな?この体勢でははやても巻き込むから切り掛かってくるなら後にしてくれ」
「え?」

 シャマルが振り向くと恭也から死角になる場所で、デバイスを構えた2人と牙を剥いた1頭が何かと葛藤しながらも辛うじて自制を利かせて踏み止まっていた。


* * * * * * * * * *


「ご馳走様でした」
「礼儀正しいな」
「…一応は、な」

 恭也の食後の挨拶にシグナムの嫌味のような言葉が返る。だが、恭也は普段から食後に感謝を込めて手を合わせている。つまり、シグナムの意図しない嫌味(つまり本心から“よく礼が言えるな”と言ってる訳だが)の台詞は言われた恭也にはそのままの意味で、頬を引き攣らせた者には潜んだ意味で届いた。

「これはやはり“はやてを泣かせた報復”だったのか?」
「バーカ、シャマルの腕はこんなもんじゃねぇ。5品中1品なんて、たったの2割じゃねぇか」
「味についても調味料の種類と分量を間違えた程度だからな。創作料理こそシャマルの真価といえよう」
「出された食事にケチをつけるのはルール違反だとは思うが、そうか、種類を間違えるのが“程度”か…できればシャマルの真価は知らずに済ませたいものだな」

 会話が進むにつれてシャマルの体の震えが大きくなっていくが、黙して語らないザフィーラも決して弁護する気が無いのは見て取れる。
 寝起きの醜態を軽く流してくれる一同に感謝しながら、はやては「シャマルはまだ料理を始めて一年未満の勉強中なのだから」と一応のフォローを入れたところで、恭也が早速ジョギングして来ると席を立った。

 はやてはたまに見かける恭也のこの行動を、自分に聞かれたくないことは今のうちに話し合っておいてくれ、と言う意思表示として受け取っていた。勿論、鍛錬を行うという恭也の言葉に嘘は無いだろうが、こちらの事情を慮ってくれているのも事実だろう。
 だが、恭也の心情を知った今では運動することで気を紛らわせているのではないかと勘繰ってしまう。そもそも、元の時代では恭也は昼間小学校に通っていたのだから、これほど剣の練習に割ける時間は無かったはずなのだ。
 もっとも、はやては知る由もないが、恭也は不破家では休日には時間を作っては刀を振り続けていたので、現在は“毎日が日曜日状態”なだけなのだが。

 何れにせよ、真実がどこにあろうと状況は進むもので、はやては想像した恭也の気遣いに感謝しながら4人に向き直った。

71 小閑者 :2017/07/02(日) 14:06:07
「一応、朝のこと話しとくな。
 気付いてるとは思うけど、昨日は恭也さんの部屋に泊めてもらったんよ。予定としては朝一で起き出して誰にも知られんようにしようと思ったんやけど、これは失敗してもーた」

 恥ずかしそうに笑うはやてに4人は渋面になる。はやてはその渋面を、恭也と同衾したことを諌めるもの、4人の誰でもなく恭也を頼ったこと、今朝恭也に泣きついていたこと、などに対してだと察したが、はやての目論見通りに進んだとしても、はやてに隠している蒐集活動によって、知ることになってしまっていた、という後ろめたさが加わっていたことまでは気付けない。

「でも怖い夢を見たから、言うんは嘘やねん。恭也さんが悲しい気持ちを溜め込ませんように出来んかなと思ったんよ」

 シャマルは驚きに目を見開く。
 恭也が隠していた感情は自分の不用意な行動に対する彼のリアクションにより浮き彫りになったが、昨日の夕方に帰宅した後の恭也の態度は平静そのものに見えていたはずだ。
 だが、同時に納得もしていた。恭也の所作から心境を測った実績のあるはやてなら、状況からだけでなく恭也の心情を察して積極的に動いたとしても不思議は無い。
 だが、それが同衾することに繋がらない。まさか“女”として慰めに行った、などということはあるまい。
 疑問が顔に出ていたのか、はやてが行動の意図を口にした。

「人の体温を感じると気持ちが落ち着くから、せめて寝てる時だけでも、と思ったんよ」
「ああ、それで」
「逆に私の方が釣られて悲しくなってしもたけどな」

 やー恥ずかしい、と言いつつ頭を掻く。
 シグナムは、釣られるような何かがあったのかもしれないと想像しながらも言及することはしなかった。はやてが話したくないと、話すべきではないと判断した以上無理強いする気はない。

「流石に何度も使える手やないけど、少しでも恭也さんの心を軽く出来んか、思ってるんやけど」
「でも、あんまり気を遣うと逆に恭也君が嫌がるんじゃないですか?本人も隠そうとしてるのは私達への気遣いだけじゃなくて男の子としてのプライドもあるでしょうし」
「そうやろね。プライドうんぬんのレベルをとうに超えとる気もするけど。ザフィーラは同姓としてどう思う?」
「弱い面を隠そうとする気持ちはあると思います。あまり構い過ぎるのも得策ではないかと」
「やっぱりそうか。私も事故の後は塞ぎ込んで、話しかけてくれる人を煩わしいと思うことあったしな。何様やっちゅうねん。
 その点も恭也さんは凄いな。理由が何であれ周りを気遣えるんやから」
「でも、はやてはこれからも続ける気だろ?」
「うん。直接そのことを突付くと嫌がるのはわかっとるから、なんか理由見つけて一緒に居ようて思とる。独りになりたい時は剣の練習なんかで出かけたときになれるしな。…独りやと変に考え込んでしまうかもしれんから」
「けど、ホントにアイツまだ悲しんでんのか?そりゃ昨日の昼間は良く見りゃ様子がおかしかった気もするけど言われるまでわかんなかったし、夜には平然としてたじゃん。
 見た目だけ平気そうにしてるのかも知れないけどホントに平気なのかも知れないだろ?親を亡くしたら悲しむだろうけど立ち直る速さは人それぞれじゃん」

 ヴィータの意見にも一理はあった。少なくとも恭也の内面に触れる機会の無かったシグナムとザフィーラは否定する材料を持ち合わせていない。
 だが、

「…うん。そうやね。
 私も起きてから、夢やったんかな、って何度も思ったんよ。
 でも、もうやめた。
 たとえ夢やったとしてもあんな恭也さんほっとけへんよ」

 今朝の泣いている姿を想起させるはやての弱々しい笑顔を見せられては、それ以上の言葉を発することなど出来なかった。


* * * * * * * * * *


「試合、ですか?」

 昼食時に帰宅したシグナムを待ち構えていたようにはやてが持ち掛けたのは、自己紹介のときにシグナムが恭也を誘っていた剣の手合わせだった。

「そう。前に恭也さんを練習に誘っとったよね。最近素振りばっかり言うとったから私から提案したんよ」
「意外ですね、恭也がその提案に乗るとは」
「…心境が変化するだけの出来事はあったから、なぁ。
 午前中も、な。練習を見せてくれたんよ。庭で刀振るの見せてくれたわ。あ、いや、練習見せて欲しい言うたんは初めてやし、言うたら元々見せてくれたのかもしれんけど。
 隠そうとしてると思とったから頼んだことなかったから」

 はやては気まずそうに視線を泳がせながら言葉を濁す。やましいことはないはずだが、恭也の心が弱っていることに付け込んでいるかのような後ろめたさがあったのだ。

72 小閑者 :2017/07/02(日) 14:06:45
 察したシグナムははやての気を逸らすために話しかけ、了承することを伝えることにした。蒐集には出られなくなるがはやての希望を無碍にはできないし、元より恭也の剣腕には興味があったのだ。

「分かりました。では午後にでも草間の道場を借りましょう」
「へ?そんな簡単に借りられるもんなん?」

 シグナムはともかく恭也は現時点では部外者だ。剣道なら体験入学のような意味合いで飛び入り参加も出来るかもしれないが、目的はあくまでもシグナムと恭也の試合なのだ。はやての疑問は当然と言える。

「実は以前から恭也のことを話していたんです。先方も興味を持たれたようで是非連れて来るようにと。幸い夕方になるまで学生や社会人はいませんから恭也も人目を気にせずに済むでしょう」
「誰もおらんの?」
「いえ、少数ですが現役を引退した方々がいます。
 先達としての畏敬の念もありますが、体力や腕力こそ落ちていますが引き換えに洞察力や技巧に秀でているので油断の出来ない相手です」
「へー、凄いんやね」
「主はやても見学にいらっしゃいますか?」
「え、良いの?ってゆうか恭也さんはともかく見た目も小学生の私が昼真っから行くのは良い顔せんやろ」

 いくら車椅子に乗っているとは言え、本来は義務教育を免除される理由にはならないのだ。咎められても文句を言えないことを承知しているからこそ、普段は学校の授業時間帯には事情を知っている馴染みの場所にしか出かけることはしてない。

「いえ、皆おおらかな方ばかりですから。女である私を剣士と認める度量を持っていることがその証拠です」
「そういうもんなん?ん〜、そんじゃ折角や、見学させてもらおか」

 こうして、はやてはシャワーからあがってきた恭也にシグナムから了承を得た旨を伝えて、昼食の仕上げに取り掛かるためにキッチンに向かった。
 シグナムがはやての背中を見送っていると今度は恭也が声を潜めて話しかけてきた。

「すまないな、午後も出かける予定だったんだろう?」
「気にするな。お前の腕を見るにはいい機会だ。それよりお前の方こそよく誘いに乗ったな」

 シグナムとてはやての言を疑うつもりは無いが、自らを剣とすることを目指しているこの男が例え親族を失ったとはいえ、いつまでも動揺を露にしているとは思えなかったのだ。自分が描いている恭也の人物像と本物とに差異があるなら埋めておく必要がある。

「気付いていない訳でもないだろう?朝からはやての様子がおかしいからな。
 怖い夢を引きずっているからなのかは知らないが、情緒不安定な感がある。
 午前中は俺が傍に居たが、俺だけでは不足だろうからな。何かしらの理由を作ってあなた達4人の内の誰かと一緒に居られた方がはやての心も落ち着くだろう」
「…ああ、なるほどな」
「どうかしたのか?」
「何でもない。食後に一息ついたら出発するから準備をしておけ」
「わかった」

 はやてと恭也は互いが互いを思いやっているが、内容がデリケートであるため直接聞くことが出来ずにいる状態にあるようだ。だが、両者の考えを聞いたシグナムにはどちらにも語ることは出来ない。知れば恭也は今以上に心情を零さないために自らを縛るだろう。はやては自身を恭也を苦しめる元凶として批難するだろう。
 もどかしい、とシグナムは思う。これほど互いを大切に思っているのだ。誰一人として血の繋がりなど無くとも、直ぐにでも周囲に自慢できる程の“家族”になれるだろう。なのに後一歩のところでブレーキが掛かる。
 枷になっているのは、はやてを蝕む魔道書か、蒐集を禁止するはやての優しさか、家族を失った恭也の境遇か、そのことを悲しむ恭也の弱さか。
 恭也に背を向けてから奥歯をかみ締めることしか出来ない自身の不甲斐なさを、痛感する。


* * * * * * * * * *

73 小閑者 :2017/07/02(日) 14:08:04
* * * * * * * * * *


 道場へ向かう道すがら3人で会話を交わしていた。このメンバーではやはりはやてが会話のメインとなる。主従の問題ではなくシグナムと恭也が率先して発言するタイプではないからだ。

「恭也さんはいつもあんな練習してるん?」
「同じことばかりではないが、まあ似たようなことだな」
「どんなことをお見せしたんだ?」
「ただの型だ。特に珍しいことはしてない」
「でも右手でも左手でも同じことができるって凄いんやない?シャマルも言うとったよ、左右での誤差がほとんどないって」
「鍛えれば誰でもできるだろ」
「またまた。内臓の多くは左右対称にないから全身運動で左右をそろえるのは大変やろ」
「…そうなのか?内臓がどこにあろうと筋肉はほぼ対称にあるから出来るんじゃないのか?」
「え?えーと、シャマルはそう言うとったよ?」
「受け売りか。まあ仕方ないだろうが」
「あ、後、最初ゆっくりやった動きを後で早送りみたいにして動いてたんは面白かったなぁ」
「強引な話題転換だな。
 あのゆっくりな動きだけでは実際に使いようがないからな。正確な動きを体に覚え込ませるためのものなんだ」
「へー。…あ。こんな話シグナムに聞かせて良かったん?」

 今更ながら、手の内を見せるような話を振ったことに気付いたはやてが恐る恐る恭也に確認を取る。
 普段から共に鍛錬をしているなら不要な配慮だが、今回はどちらも相手の戦闘スタイルを知らないのだ。尤もシグナムの魔法を使った戦闘スタイルを知っていたとしても、それを今回の手合わせで生かせるかどうかは疑問ではあるのだが。

「ふむ。シグナム、何か役に立ちそうな情報は含まれていたか?」
「左右どちらでも剣を扱えることはわかったな」
「1つハンデが増えたか」
「あぁ〜ゴメンナサイー」

 恭也は苦笑しながら頭を抱えながら謝罪するはやての頭をポンポンと撫でる。

「気にするな。どうせ大差はない。今回は小太刀サイズの木刀も無いだろうから、どの道片手では振るえないだろうしな」
「サイズを合わせて切り落としたらどうだ?」
「借り物をそんな扱いする訳にはいかないだろう。どうしたところで重量も重心も違うんだ。長刀のままでも構わんさ。負けた時の言い訳にもなるしな」
「長さの違う得物を扱えるのか?」
「その辺りは節操の無い流派でな。流石に“どんな種類であろうと”などとは言えないが特に日本古来の武器は見られる程度にはしている。
 それにどの道、持っていたあの小太刀は俺が使い込んでいたものではないんだ。あれの所有者は父でな、何故俺が所持していたのかはわからないが、俺が使っていたのはあれより細身で軽いものだ。
 シグナムだってあの剣、レヴァンティンだったか?それを使う訳ではないだろう」
「流石に道場で振るう訳にもいかないだろう。…はっきり言ったらどうだ?“対等な条件など有り得ない。現有戦力が全てだ”と」
「言っただろう。負けた時の言い訳は取っておくと」

 はやては自分に理解できない何かを共感している2人を交互に眺める。
 共通している目の輝きはどこから来るものだろう。自分の実力を試したい、相手の技を見てみたい、そんな感情だろうか?自分に置き換えた場合、人に料理を振る舞って喜んで貰う様なものなのだろうか。
 普段大人びて見える二人の、子供の様な面が見られてなんだか嬉しくなる。いや、恭也は正真正銘子供な筈なんだが。


* * * * * * * * * *


 道場には初老の男性が2人いるだけだった。一方は柔和な表情を、他方は鋭い眼差しをしていたが、どちらも快く3人を迎えてくれた。
 道場は試合場が3面引かれているが、基準を持たないはやてにはこの道場が広いのか狭いのかは判断できない。代わりという訳ではないが手入れがよく行き届いていることは分かった。
 シグナムが電話で経緯を説明していたのだろう。挨拶もそこそこに、2人とも木刀を手に取り早速始めようとしていたので、はやては2人の方を注視した。

74 小閑者 :2017/07/02(日) 14:08:52
 二人は中央に移動すると無言のまま対峙する。両者共に木刀を正眼に構えたまま時間が流れていく。はやてには理解の出来ないフェイントを応酬していると分かったのは隣に正座している初老の男性の感嘆からくる呟きを聞いたからだ。
 二人の緊張感の煽りを受けてはやてが息苦しさに喘ぎ始めた頃、唐突に二人が激突した。

 恭也は一気に距離を詰めると刺突を放つ。
 極限まで無駄を排し最短距離を飛んで来る木刀がシグナムの眼前で更に加速した。淀みなく片手刺突に移行した恭也に間合いを外されたシグナムは、躱しざまに放とうとしていた横薙ぎを中断し左方向、恭也の背面に倒れ込むようにして移動する。恭也からの追撃の薙ぎ払いを木刀を立てて受けるが、シグナムが予想した以上の威力が込められた一撃は崩された態勢で受けきれる重さではなかった。シグナムの態勢を悪化させたその一撃は、しかしシグナムを弾き飛ばす程の威力はなく、間合いを広げる助けにはならない。恭也の体格からすれば順当と言える威力だが、シグナムには意図して調節した一撃だという確信があった。
 そのことを素直に認め、潔よく追撃を躱すことに専念したからこそ、その後の途切れる事なく繰り出された恭也の連撃が二桁に届く頃には間合いを取ることに成功していた。



 再び対峙する2人を見て、はやては漸く自分が息を止めていることに気付き、2人の邪魔をしない様に密かにゆっくり息を吐き出す。掌にかいた汗を服の裾で拭いながら、深呼吸を繰り返して早鐘を打つ心臓をなんとか落ち着かせる。
 木刀での打ち合いというものを軽く考えていたが、これではまるで殺し合いではないか。

 はやては格闘技にあまり興味がないが、それでも稀にテレビで観戦したことはある。だが、今眼前で展開している試合はそれらとは全く違っていた。
 テレビモニター越しに見る映像と、呼吸さえ聞き取れるほどの至近での試合では迫力が違う。物理面に作用していると錯覚するような気迫を放ち、離れたはやてにまで振動が届くほど強く踏み込み、目に映らないほどの斬撃が応酬しているのだから当然だろう。
 また、方や剣型アームドデバイスを振るう古代ベルカの騎士にして闇の書の守護騎士を纏める烈火の将。方や若輩ながらも銃弾飛び交う戦場において、多勢にさえ2振りの小太刀と少々の暗器だけで渡り合う御神流の英才教育を受けた御神の剣士。比較されるスポーツ選手が可哀想だろう。
 何より、ほとんど膠着することも無く攻撃を繰り出し続けているのにどちらも当たらないのだ。シグナムと恭也の試合は今のところ一方的に恭也がシグナムに斬りかかる展開だったが、防戦しているシグナムすら結局一太刀も浴びていない。
 ボクシングなどの競技とて急所に受ければ一撃で意識を奪われるため、高度なディフェンス技術があるのだが、目の肥えていないはやてには相手の攻撃をひたすら我慢しながら殴り合い、先に耐え切れなくなった方が負け、というイメージを持っている。実際に肉弾戦の競技は距離が近すぎて相手の攻撃を視認してからでは到底回避が間に合わないため、余程実力差がなければ我慢比べの展開になる。そしてテレビ中継される試合に出場する選手の実力差が大きく開くことはまず無いのだから、予備知識の無いはやてが誤解するのは無理の無いことではある。

 恭也とシグナムの回避・防御技能が高いのはどちらも本来真剣を武器にしており、その思想が体の何処かに一撃を受けることを敗北とイコールで結んでいるためだ。
 骨は論外としても筋肉ですら切断されれば戦力が大幅に落ちる。痛みの問題ではなく、ただ刀を振り下ろすという行為をとっても全身の筋肉や関節を連動させた一撃と腕だけで振るったそれでは威力が違ううえ、そもそも戦闘そのものが全身運動が前提なのだ。
 多対多の戦闘であれば負傷者とて何かしら(身を挺した足止めなど)の役割を持つことも出来るが、1対1では負傷による戦力低下は致命的な差になる。そして戦闘条件は本人が選べるとは限らないのだ。
 勿論実戦であれば負傷したとしても負けを認めたりはしないし、御神流では負傷を想定した上での鍛錬までしているが、それは決して攻撃を受けることを許容している訳ではない。

 ちなみに恭也は普段から物理的な防具を装備していない。防刃・防弾着や強化樹脂などの軽量で硬質な素材は存在したが、銃弾を防ぐには相応の厚さと重さが必要になるため御神流の最大の武器であるスピードを阻害されることを嫌っているのだ。

75 小閑者 :2017/07/02(日) 14:09:45
(強いな)

 実際に剣を交えて技術と技の連携、手の読み合いの錬度を見た感想がシグナムの脳裏に浮かぶ。勿論、八神家での生活の端々から剣腕を推測していたし、最初に実際に対峙したことで確信できたことだが、切り結ぶことで具体的なことが実感できた。それに、油断も慢心もなく切り結んだからこそ、今再び間合いを広げて仕切り直すことが出来ているのだ。
 恭也の体格からすればかなり高く見積もっていた身体能力を、スピードもパワーも更に上をいかれた。
 恭也は決してボディビルダーのような筋肉の固まりではない。強靭でありながら柔軟な筋肉を、動作を阻害しないように、削ぎ落とす事なく、爆発しそうなほど細く細く絞り込んだ肉体。その肉体をフルに活用することで初めて得られる高度な技能。何よりそれらを統括・制御し、最大限の効果を発揮させる頭脳。
 魔法の発達していないこの次元世界において間違いなくトップクラスの戦闘者と言えるだろう。
 派手な技を使った訳ではない。だが、移動の際に上下動しない肩、ブレることのない剣先、そこから繰り出される理想とされる“点″の刺突。四肢の振りどころか、筋肉一つ一つの動きを明確に操作しなければこうはいかない。
 シグナムは、長い年月をかけて熟成させるべき技を現段階でここまで操ってみせる恭也を素直に称賛しているし、また正直末恐ろしく思う。
だが、

「まだだ。この程度ではあるまい?」

 シグナムは呟きと共に正眼から上段に構えを変える。
 特に反応を示す様子もなく、正眼のまま静かに佇む恭也に対して猛烈な踏み込みで一気に間合いを詰めると躊躇なく振り下ろした。

ッガガン!

 木刀とは思えない音をたてて二本のそれらがぶつかり合う。折れる事なく拮抗することが出来たのは、激突の寸前に恭也からも間合いを詰めて、互いの鍔元で受けたからこそだ。
 見学しているはやてには細かい理屈はわからない。だが、対峙していた2人が休憩している訳ではないだろうとは思っていたが、前触れも無く突進したシグナムが放つ断頭台の様な一撃に、表情を微塵も揺るがす事なく自ら踏み込む恭也の正気を疑った。
 自殺志願者でも恐怖感を掻き立てられそうなあの斬撃に曝される心境など想像も出来ない。
 だが、実際に鍔競り合いをしているシグナムには、この期に及んで崩すことのない鉄面皮の奥で恭也が奥歯を噛み締め必死に耐えていることが読みとれていた。

 恭也が弾き返そうと力を込めるタイミングを正確に読みとり、シグナムが木刀を翻すと狙い通り恭也の体が僅かに流れた。
 あのタイミングで外されて、この程度の重心の崩れで済ませたことにシグナムは胸中で賛辞を贈る。だが、当の恭也の目には隠しきれなくなった感情が、悔恨の念が浮かんでいた。
 恭也が初めて見せた隙は、だが即座に決着が着く程のものではない。直後に始まったシグナムの猛攻を凌いでいることがその証拠と言えるだろう。
 隙の大きさとしては、この試合の開始後すぐにシグナムが見せたものと同程度だ。だが、シグナムに出来た事が恭也には出来ない。劣勢を押し返す事が、距離を開き仕切り直す事が出来ないのだ。
 欲をかいて反撃を狙っている訳ではなく、ひたすら耐え忍んでいるが、間合いをとる事も鍔競り合いにもっていく事も出来ず、それどころか徐々に追い詰められて行く。
 これが今の恭也とシグナムの実力の差だった。

 シグナムと恭也には魔法の有無という決定的な違いがある。シグナムが本気で戦闘を行う場合は当然騎士甲冑を纏う為、余程強力な攻撃でなければ無視出来てしまう。無論、騎士としての誇りから技能の研鑽を怠ることはなかったが、恭也は常に背水の状態にある。恭也にとって回避や防御の技能は切実なものだろう。
 そうでありながら、シグナムは恭也の攻撃を凌ぎきってみせ、恭也はシグナムの攻撃を捌ききれない現状こそが2人の総合力の差を如実に表していた。
 だが、刻々と悪化している戦況を把握して尚、恭也は投げ出す事なく、懸命さを無表情の奥に隠したまま、木刀を振るい続けた。

76 小閑者 :2017/07/02(日) 14:10:28
 シグナムはこの状態に至りながら、なお疑念を消す事が出来ない。この程度ではない筈だ、と。初めて対峙したあの時感じたものは確かに…、そこまで考えて苦笑を漏らしそうになる。
 なんのことはない。自分が考え違いをしていたのだ。


 胸元に放たれた刺突を木刀で右側へ逸らしながら左下方へ体を沈めた恭也に、シグナムが返す刀で唐竹割を放つ。この劣勢のきっかけとなったのと同じ剣筋に対して、しかし体勢を崩した恭也は柄だけで支える事を断念して、木刀の両端を持って防御に専念する。剣道では有り得ない形だが、誰からも批難の声は上がらなかった。上がる前に恭也が弾かれた様に水平に跳んだのだ。違う。“様に″でも“跳んだ″のでもない。シグナムに蹴り飛ばされたのだ。

 シグナムは恭也を蹴り飛ばすと直ぐさま弓を引き絞る様に木刀を握る右手を引いて半身となり、蹴られた勢いのまま壁際へと床を転がる恭也へ追撃に向かうべく駆け出した。
 5mの距離を瞬時に0にすると、停止しきる前の恭也に対してシグナムが構えのまま繰り出した刺突が空を切る。一瞬前まで転がるに任せていた恭也が床を蹴りつけ水平に跳躍してシグナムの間合いを外すと膝を曲げた状態で壁に着地。伸び上がる勢いを利用して、お返しとばかりにシグナムの顔面に刺突を放つ。
 シグナムは刺突を切り上げながら、木刀と共に体勢が伸び上がる恭也にぶちかましを仕掛けようと左肩から前傾姿勢をとろうとした段階で恭也の刺突が軽過ぎる事に気付いた。
 悔恨の念を押さえ付け、舌打ちする間も惜しんで踏み出そうとしていた身体に制動をかけ、後方へ跳躍しようとした時、視界の隅に恭也が映る。

 恭也が右掌をこちらの胸元に伸ばし肘と肩を固定。
                              速い、跳躍するような余裕は無い。

 彼我の距離が無くなり壁を蹴った勢いを前に出した右足が吸収。
                              まずい!僅かに撓んでいる膝と足首の力で上体を反らす。

 恭也の左足が床板を踏み抜くような勢いで蹴り、その反作用を膝から腰、腰から肩、肩から右掌へ無駄にすることなく伝達し、結果接触しているシグナムの胸部に衝撃として炸裂した。

「ゴフッ!」

 シグナムは強制的に肺の空気を搾り出されながら背後に投げ出された。
 恭也が放った技は、射程範囲はせいぜい10cm程度、決まれば相手を吹き飛ばすことなく踏み込んだ力を100%衝撃に転換することを目的にしたものだ。シグナムが後方へ飛んでいるのは本人の努力の結果だ。
 シグナムの視界に映る恭也は技後の硬直から抜け出せていない。徒手の技だけに錬度が低いのだろう。
 シグナムは衝撃に硬直していた体のコントロールを接地する寸前に取り戻し、受身を取りながら着地、勢いを利用してそのまま起き上がる。
 恭也もそのときには硬直から抜け出し、しかし、無手の為迂闊に仕掛けることも出来ず、2人は三度対峙した。

 シグナムは既にスポーツでは放ってはいけないものを発散している。濁流の様に恭也に叩きつけられるその殺気は、余波だけでもはやての呼吸が覚束なくなるほどのものだ。だが、真っ向から受けている筈の恭也は小揺るぎもしない。怯むことも強張ることも反発することすらなく、ただそこに在る。
“止めなくては”そう思うが、歯の根が合わないはやてには声を出すことも出来ない。
 殺気を放つシグナムも、それを受けて平然としている恭也も、はやてには理解できない。どうしてこの2人は殺し合いをしているんだろう?

「そこまで!!」

 試合前に温和な表情で挨拶を交わした老人の突然の大喝によってはやての危惧する惨事は未然に防がれたが、極限の緊張状態を強いられていたはやての意識はあまりの大声に危うく暗転しそうになるのだった。

77 小閑者 :2017/07/02(日) 14:12:11
 木刀での試合から殺し合いの様相を呈した模擬戦へと発展した恭也とシグナムであったが、内容の深刻さに反して立ち会った2人の老人からは何のお咎めも無かったことに、はやては驚けば良いのか怒れば良いのか真剣に悩むことになった。
 だが、当事者である筈の2人も今はのんびりと家路についているため、道場での本気で殺すつもりかと疑いたくなるような気迫を伴った睨み合いさえ演技だったのではないかと思えてくる。

 はやての険しい表情が一向に晴れる様子が無いため、シグナムが口を開いた。
 終盤の殺気に中てられて怯えていたはやてに、元凶である自分から話し掛けるのは逆効果だろうと、気持ちが落ち着くまで待っていたのだが、平静を飛ばして一気に不機嫌になってしまったため今まで声を掛けられなくなっていたのだ。

「主はやて。
 先程は驚かせてしまって申し訳ありません。
 恭也の手応えが予想以上に良かったので、つい熱が入ってしまいました」
「…いつもあんな風なん?」
「初めて見たなら驚くのも無理は無いだろうが、“剣術”の場合あんなものだ。元々殺し合いの技術だからな」

 はやては、恭也の言葉にシグナムが口を挟む様子を見せないことから、これが2人の共通認識なのだと分かったが納得するには抵抗があった。平和な時代に育ったはやてならば当然の反応だろう。10年前ってそんなに物騒だったんだろうか?

「そやシグナム、道場出るときにおじいさんになんや言われとらんかった?」
「良い気迫だったが一般人が居る時には止めておくようにと。あとは道場は一般生徒がほとんどだから、指南の時にはくれぐれも見せないようにと」
「…あれ自体は批難しとらん言うことは、やっぱり剣士としては普通なんか…?」

 真剣に悩んでいるはやてを余所に、恭也とシグナムが穏やかに語り合っていた。

78 小閑者 :2017/07/02(日) 14:12:43
「無茶をさせてすまなかったな。普段あの道場でああいった戦い方はしていなかったんだろう?下手をすれば出入り禁止になっていたろう」
「こちらこそ余計な気を遣わせてしまったな。
 何より、お前のことを剣士と呼んでおきながら“この世界の住人”という括りで見ていた。侮辱に等しい行為だ。すまない」
「それこそ気にするな。そもそも俺が隠していたんだ。逆にどうして俺があの不意打ちに対応できると思ったんだ?真剣を所持していた事だけでは理由として弱すぎる。あの蹴りはモロに入ればこめかみを砕いて脳細胞を破壊していたぞ」

 こっそり聞き耳を立てていたはやては、あまりの内容に絶句した。普通に死亡、良くて植物人間か軽くても身体機能に後遺症が残るのだから当然の反応だが。

「人聞きの悪いことを言うな。お前が反応していなければちゃんと止めていた。
 対応できると思ったのは、初めて公園で出会ったときのお前の反応を思い出したからだ」
「初めてと言うと…」
「お前が転移してきた直後だ。
 気絶していたにも拘らず警戒しながら近付いた私に反応して即座に構えて見せただろう」
「ああ。随分昔の話をしているみたいだ」
「お前にとっては怒涛の様に時間が流れているように感じるだろうからな。
 たまには雑念の入る余地が無いほど、戦いだけに集中するのも良いものだろう?」

 はやてはシグナムの言葉に意表を衝かれた。
 それは、今朝はやてが恭也の居ない席で皆に話した内容、恭也の寂しさを紛らわせることに通じるものだ。
 直接協力を仰ぐ言葉を使わなかったとはいえ、あんな話し方をすれば皆も協力してくれる、とは全く考えていなかった。そこまで頭が回るほど余裕が無かったのだ。
 だから、はやてはシグナムが言葉を汲んで行動を起こしてくれたことが嬉しかった。方法が物騒であることは咎めるべきかも知れないが、逆に言えば恭也もそういった側面を持っているのだから、シグナムにしか出来ない方法を取ったと考えるべきだろうか?

「どうだった?少しは練習相手を務められたと思うんだが?」
「フン、言ってろ。近いうちに、せめて魔法抜きでくらいは全力を出させてやる」
「勝ったる!くらいのことは言うたらどうや?」
「先程まで何やら悩んでたくせに、敗者を嬲る話題に嬉々として飛びつくな。子供の内からそんな性格では先が思いやられるぞ」
「グハッ!う、うっさいわ!だいたい人のこと言えるんか!恭也さんかて、1歳しか違わんのに性格悪いやないか!」
「何を馬鹿な。言うに事欠いて、大抵の人から“良い性格してる”と褒められている俺を捕まえて性格悪いなどと、ちゃんちゃらおかしいわ」
「“ちゃんちゃらおかしい”なんて普通に会話に使う人初めて見たわ」
「主はやて、もっと他に指摘するべきところがあるのでは?」
「シグナム、覚えとき。レベルの低い見え見えのボケは敢えて無視するんが本当の優しさ言うもんや。“恥ずかしい”とか“悔しい”とか思わんと人間成長せえへんからな」
「恭也、主はやての御厚意を無にせぬよう、いっそう精進しろよ!」
「超巨大なお世話だ!はやて、シグナムのこれは良いのか!?」
「わかっとるくせに。シグナムのはボケやのうて天然や。このままでええねん。いやこのままだからええんや!」
「左様で」

はやては恭也をやり込めた勝利の笑顔に、呆れ交じりの穏やかな声を聞けて安堵したことを恭也から隠した。



続く

79 小閑者 :2017/07/02(日) 14:15:28
第10話 始動




 高町なのはの朝は早い。まだ日も昇らない時間に起き出し、早朝練習のために山腹の公園へと向かう。もっとも、家族五人の内二人、兄と姉は既に剣術の鍛練に出向いているし、残った両親も経営している喫茶店の仕込みのために間もなく起き出すはずなので、高町家は全員朝早くから活動しているのだが。
 ちなみに、魔法の事は家族に秘密にしているため、苦手な運動を克服するためのトレーニングと説明している。全員が納得してくれたことは有り難いが、自分の運動神経が鈍い事が共通認識になっているのだと再確認するはめになり軽く凹まされたのは全くの余談だ。
 季節がら早朝の空気は身を切る様な冷たさだ。魔法の行使には高い集中力が必要とされるため、疲労した状態で使用することを想定して公園までジョギングする事にしていたが、最近では体を暖める事が主目的になりつつある。
 公園へ続く階段を上りきるころには完全に息が上がってしまう。だが、たどり着く前に体力が尽きて、ヨレヨレになりながら歩いて登っていた頃に比べれば、これでもかなり進歩しているのだ。
 10分程の休憩を挟み漸く呼吸が整うと、元気な声で挨拶するのが最近の習慣になりつつあった。

「おはよう、恭也君!」
「ああ、おはよう高町」

 かなり冷え込む様になってきたのに、厚さがある様には見えない黒い長袖のシャツを着て静かに佇む姿は、容姿だけではなく在り方そのものまで兄の恭也と重なって見える事がある。

「最近はスクライアの姿を見ないな。愛想を尽かされたか?」
「もぅ!意地悪な事言わないでよ!
 ユーノ君は用事が有って出掛けてるだけです」

 口を開けばたいていこちらをからかうか意地悪を言うかなので、あっさり別人であることが判明するのだが。


* * * * * * * * * *


「じゃあ、魔法の事を現地の人間に知られたのか?」

 呆れ気味のクロノの言葉にユーノは一瞬怯んだ。
 魔法の存在しない世界の住人に魔法を見せる事は原則として禁止されているし、状況にもよるが罰則が課せられることもある。もちろん原則と言う以上、例外も存在する訳で、原因はともかくその現地人が悪用しない限り口止め程度で済まされる事が多い。

「しかたないだろう?僕は気を失っていたし、なのはは疲れで頭が回ってなかったんだから」

 言い訳にしかならないと自覚しているのか、拗ねた様に小さな声で反論するユーノに、フェイトが執り成す様に話題を進めた。

「どんな人だったの?」
「う〜ん、どう表現したら良いのか。
 初対面で人の事をからかう様な奴だから、僕の目から見ると嫌な奴とか性格の悪い奴になるんだけど、なのはから見るとちょっと違うらしいんだ。
 まあ、魔法の事を知っても僕にもなのはにも普通に接してるから悪い奴ではないみたいなんだけどね。
 子供に知られたら、悪事を働く、とまでは思ってなかったけど、怖がるか逆に友達自慢で周囲に言い触らすかするくらいは覚悟してただけにちょっと意外だったかな?」
「まあ、あんたからかい易そうたがらね」
「もう、アルフ!」

 茶々を入れるアルフをフェイトが窘めるが、頭を使うのは苦手だと公言しているアルフに、“単純だ″と言われたユーノは頬が引き攣るのを自覚する。

80 小閑者 :2017/07/02(日) 14:17:03
 横でニヤニヤと笑うクロノをこれ以上喜ばせない為にも表情を取り繕いながら、一応は反論しておく。

「別に相手は選んでないみたいだよ。なのはのこともからかってたし、別の時にはなのはの友人も対象になってたから」
「それって、アリサやすずか?」
「ああ、ビデオメールに2人も映ってたんだったね。そう、その2人。
 それぞれの評価は、強くて優しい人、腹の立つ奴、面白い人」
「最初のがなのは?」
「そう。流石にからかわれて喜んでる訳じゃないだろうから、別の部分を評価してるんだろうけど、腹の立つ奴って言ってたアリサも別に嫌ってる訳じゃないみたいなんだ。
 確かに言動に悪意は混ざってない気もするけど…」

 回想しようとするユーノに、クロノが雑談を切り上げて再開することを告げる。
 ユーノがなのはの元を離れて、ここ時空管理局艦船アースラに居るのはフェイトの先の事件についての裁判において証人役を務めるためだ。
 もっとも裁判とは言っても、当時のフェイトの境遇や状況、また本人の性格、反省具合、管理局への協力姿勢などから、監視付きながらも無罪同然の判決が確定していると言っても良い物ではあるのだが。
 今はその裁判での質疑応答の練習に区切りが付いて小休止していた時に、フェイトになのはの近況を聞かれたユーノが先日の出来事を話していたのだ。
 クロノにより雑談が終了したため、以降恭也についての話題が持ち上がることは無かった。ユーノの話でも特に問題がなさそうだったので誰もがそれほど意識に留めなかったのだ。
 恭也の容姿や尋常ではない運動性能まで話題が進んでいればもう少し別の反応があっただろうが、ユーノにとって恭也への印象の内、一番強いものが彼の性格だったため後回しになったのだ。
 ユーノに他意はなかった。だから、フェイトやクロノが恭也と対面したときに様々な点で振り回されることになるのは誰のせいでもないだろう。


* * * * * * * * * *


 静かな公園にアラーム音が鳴り響く。
 それを聞いて集中を解いたなのはが大きく息を吐き出し、恭也は激しい運動により乱れた呼吸を整えながらなのはに歩み寄る。
 いつものことながら会話できる距離になる頃には平常になる恭也を見て、同じ人類に分類されることがなのはには納得できない。季節柄、全力運動だった証として全身から汗が湯気として立ち上っているのが唯一の救いと言えるだろうか?

「大分、様になってきたな」
「ありがとうございます。でも、とうとう恭也君には掠りもしなくなったね」

 練習を続けている内に教師と生徒の立場は逆転していた。いや、元々なのはが何かを教えていたという訳ではない。ただ、当初は恭也に乞われて鍛錬の手伝いをしているはずだったのだが、程なく恭也が被弾しなくなったためなのはの制御訓練の意味合いが強くなってしまったのだ。

「まあ、俺の方も魔力弾の動きが把握できるようになったからな。高町が俺の動きを目で追っている間は早々中てられることはないだろう」
「恭也君の動きの先読みなんて出来ないよう」
「泣き言など聞く気は無い。
 だが、俺からの反撃には対処できるようになったんだ。ちゃんと進歩はしてるだろう」

 そうなんだけどね、と言いつつなのはは不満気だ。魔法と言う本来であれば圧倒的なアドバンテージを持つなのはの方が劣勢なのだから、分からなくもないのだが。
 優越感に浸りたい訳ではない。だが、これで恭也に魔法の才能があれば自分など手も足も出ないことになる。大した取柄の無かった自分(本人談)が、胸を張れる技能を身に付けたというのにあっさり覆されれば意気消沈するのも仕方ないだろう。
 もっとも、空を飛ぶ術の有無は戦力評価の大きなポイントになるし、魔導師としての能力だけで評価してもなのはの多少の経験の差など補って余りある火力は、自覚こそしていないが現時点でトップクラスに入るのだが。

 一方的に鍛えて貰うのは気が引けるからという恭也からの提案で、恭也が回避行動を取りながら放つ飛礫をなのはが躱すなり防ぐなりするようになった。勿論、なのははバリアジャケット無しでの練習である。
 提案された時は、あれだけ激しい回避運動の最中に飛礫など飛ばせるのかと懐疑的だったが、実演として小石を指で弾いて5m先の空き缶に中てて見せられては、納得するしかない。“納得”で済ませるのはそれまでの実績から、今更何が出来ても驚くには値しないからだが。例え指で弾いた小石がなのはの全力で投げたそれのスピードを上回るどころか、横から見ていたらまともに目に映らなかったとしても。

81 小閑者 :2017/07/02(日) 14:19:42
 尤も的にした厚みのあるタイプのスチール製の空き缶が凹んでいることに気付いた時には、大慌てで辞退したが。
 結局、妥協案としてどんぐりを使用することになった。練習の有用性には納得できたからだ。だが、納得できたからといって、痛みが無くなる訳でも耐えられるようになる訳でもなく、額に中てられた時には痛みに蹲って呻く事になった。
 開始当初に恭也から注意されていた、飛礫を警戒して恭也の手元ばかり注意が向いてしまい誘導弾の制御が疎かになる事態にあっさり陥り、結局はレイジングハートにシールド展開を任せて気付いた時だけ躱すことにした。これはユーノからの進言で、なのはの想定する敵は魔法による反撃がメインだから気付けない様な攻撃はないから、とのこと。勿論言い訳である。言った本人も言われたなのはも聞いていた恭也も分かっていたが、最初から出来るなら練習など要らない、とは恭也の言。

「万能たれなどと言うつもりはない。誰にだって出来ないことはある。
 想定できる事態に自分に出来ることの中から対処法を確立しておけば問題ない。
 勿論、出来なかったことを出来るようになることも大事なことだがな」

 言葉通り恭也は出来ないことにも失敗することにも極めて寛容だった。
 なのはは諦めて投げ出すことが無いため知ることは無かったが、それをしていれば恭也は諭すことも叱ることも態度を変えることもなく、ただなのはと距離を置き、助言の類は一切しなくなっていただろう。ずっと後になって雑談中にそれを聞いたなのはは、諦めなくて良かったと安堵することになる。

 可愛らしく拗ねてみせるなのはに取り合うことなく着々と帰宅の準備を進める恭也に気付き、なのはも慌てて自分の鞄を拾う。

「お待たせ。じゃあ帰ろうか」
「ああ」

 階段を下りるきるまでは練習についての反省会・講習会となる。反省とは主に恭也がなのはの攻撃の仕方や気付いたことを指摘し、講習とは互いに疑問点を確認することだ。指摘は勿論、魔法に関する質問すら恭也から聞かれることで今までに無かった着眼点が得られるため、なのはにも有意義なものとなっている。

「じゃあ、また明日」
「気が向いたらな」
「またそういうこと言う」

 階段を下りると挨拶を交わし、それぞれの帰途につく。あれだけ走り回ったにも関わらず、走って帰る恭也の体力が羨ましくてならない。走らなければ体力がつかないのは分かってるが、家まで走って帰ると疲労から朝食が食べられなくなることは経験済みだ。
 焦らずじっくりやろう。そう呟いて自分を慰めるしかなかった。
 ユーノからも今の9歳のなのはの魔力が全次元世界を含めても上位に位置するとは聞いている。これから成長すれば魔力も更に伸びるはずだとも。なのはにもこの半年の訓練でPT事件の頃より魔力が増えたことも、制御技術と運用技術が大幅に高くなったことも自覚している。
 だが、それでも自分には無いものを持つ人を羨ましいと思ってしまう。“隣の芝は青い”とは言うが、あの恭也でも他の人を見て羨ましがることがあるのだろうか?


* * * * * * * * * *


 最近の夕食は、はやてと恭也で一緒に作ることが多い。
 他の4人が不在になることが多いため、恭也が手持ち無沙汰だからと夕飯の手伝いを申し出たのが切欠で、以降は特に断ることなく恭也も台所に立つようになった。もっとも、手伝いの域を出る積りが無いのか、材料を切ることと鍋等を運ぶ以外は眺めているだけだが。
 はやてとしては、手伝ってくれることよりも一緒に作業をすることが楽しいため異論はなかった。
 予想していた通り恭也は包丁の扱い方が抜群に上手かった。魚を三枚に下ろすのもテレビに出てくるプロの板前の様にほとんど骨に身を残すことなく捌いてみせた。ただし、知識がある訳ではないようで、からかって朝食用に買ってあったシシャモを下ろすように頼むと悪戦苦闘しながらも16匹全てを見事に三枚にして見せたことがあった。捌かれたシシャモを見て呆然としているタイミングで“食べられる骨を切り分ける必要性”を尋ねられたため、頭が回らずからかっていたことが発覚した時には「ほっぺたうにょーんの刑(はやて命名)」に処せられたが。

82 小閑者 :2017/07/02(日) 14:20:41
 この日もいつも通り切り分け作業が終わり、背中に感じる恭也の視線をこそばゆく思いながら、具材に火を通そうとしたところで電話が鳴った。

「はい、八神です」

 調理の手を止めて電話に出ようとしたはやてを制して恭也が電話に出た。ただそれだけのことが妙に嬉しい。まるで新婚夫婦の様な気分になり、体がムズムズしてじっとしてられない。
 浮かれているはやてを気にすることなく通話を終えた恭也が、その内容を伝えようとしてはやてに視線を向けていることに気付いたのは一通り身悶えた後のことだった。

「きょ、恭也さん!じっくり眺めとらんで声掛けてーな!」
「いや、あまりにも楽しそうだったので関わってはいけないような気がしてな。
 電話はシャマルからだ。シグナムと一緒にヴィータを迎えに行くから少々遅くなるとのことだ」
「あ、そうなん?
 しゃあないなぁ。中華は冷えたら美味しなくなるから、火ィ通すんは後にしよか」

 折角の家族の団欒だ。皆揃ってからにしたいし、少しでも美味しいものを振舞いたい。それは恭也も分かってくれているようだが、今度はどうやって暇を潰すかが問題になった。普段であれば間も無く皆が揃う時間だから、食事中にテレビをつけない八神家ではこの時間のテレビ番組が分からないのだ。
 だが、今日に限っては直ぐに解決した。はやてが借りてきたDVDがあることを思い出したのだ。

「恭也さん、すること無かったらDVD見いひん?」
「DVD?…ああ、あのディスク版のビデオか。構わないぞ」

 恭也と日常会話をすると、この10年で如何に生活様式が様変わりしているかが良く分かる。もっとも、当時から普及していても所々一般常識の抜けている恭也が知らないだけと言う可能性もあるため油断は出来ない。
 恭也ははやてを車椅子からリビングのソファーに移すと、レンタルショップの袋からDVDを取り出しはやてに選ばせてデッキにセットする。映画のタイトルを見ても分かるわけがないので、全てはやてに一任である。
 はやては恭也が隣に座ろうとしたところで待ったを掛ける。

「恭也さん、私の後ろに座って。こう抱きしめる言うか足の間に挟む感じで」
「…なぜだ?それは帰ってきたシグナムたちに見られたら俺がどうなるか知った上での要請か?」
「あー、それはまあ、恭也さんならドアの開く音を聞いてからでも離れられるやろ?
 実は借りてきたのホラー映画やねん。怖いもの見たさで借りてきたけど誰かにくっついとらんとよう見られへんのよ」
「そんなもの借りてくるな。
 じゃあこれはシャマルかシグナムが居る時にして、別の奴にすればいいだろう」
「全部ホラーなんよ」
「…一人で見られんようなものを5枚も借りてくるな」

 嘆息しながらも膝の間に座らせて背凭れにまでなってくれる恭也に謝辞を述べる。
 凭れた恭也の胸板は外見から想像していたより遥かに厚い。先日のシグナムとの試合を見ているので相応の筋力がついていることは承知していた積りだが、着痩せするタイプなのか服を着た状態の恭也からはあまりマッチョなイメージが無いのだ。しかも、その感触が筋肉としてイメージしていたものとは違い、ひどく軟らかい。勿論、シグナムやシャマルのものとは全く違うが、緊張させた硬い筋肉を思い浮かべていたので驚きも一入だ。
 シグナムとの試合で剣の強さは見せ付けられたが、感触として知るとやはり驚いてしまう。

「どうしてそんなに緊張しているんだ?怖いならやっぱり止めておくか?」
「あ、や、そんなこと無いよ?ちょお重ないかなぁ思て」
「軽過ぎるくらいだ」

 会話することで余裕を取り戻したはやてはリラックスして恭也に凭れかかる。
 実は、はやてはホラー映画が怖くない。実際、恭也が来る前に皆と何本か見ているが、その時は抱っこしてもらうことも無く普通に視聴していたのだ。
 そう、これは添い寝に引き続き、恭也にくっつく作戦の第2弾なのだ。

「恭也さんはホラー映画とか良く見るん?」
「いや、初めてだ。映画自体ほとんど見ないからな。
 昔妹分が漫画の映画を見たがったから引率代わりに連れて行った位か?」
「…私の記憶違いや無ければ、恭也さんは今現在も子供のはずやけど」
「…色々あったんだ」
「あ、あー始まるで!」

 黄昏る恭也を慌てて映画の方へ引き戻す。
 この話題は失敗だった。転移前のことを思い出させるような内容を振ってどうするか。

83 小閑者 :2017/07/02(日) 14:22:14
 はやては無理に話題を振るより今は映画を見せることにした。選んだ映画は色々な面で話題になったものなのだ。今は何が地雷になるか分からないフリートークより映画の方が良いだろう。

「ん?」
「どうしたん?」
「外から何か聞こえた気がしたんだ」
「あれ?もう帰ってきたん?」
「…いや、聞き間違いだろう。それよりこれは洋画なのか?」
「うん。洋画は嫌い?って見たこと無いんやったね」
「ああ。聞き取れるかどうかが心配なだけだ」
「…心配せんでもちゃんと字幕が出るよ」
「それはなにより」
「ほんまに見たこと無いんやね…」

 映画の内容は、旅先で嵐にあった主人公達グループが、避難させて貰った洋館内で殺人鬼に襲われ、一人ずつ殺されていくというベタなものだった。真新しいものといえば、CGによって切られた傷からリアルに血が噴出すところ位だろうか?斬新ではあるが良くこれで放映禁止にならなかったものだ。
 はやては少々後悔した。ホラー映画に慣れているはやてでさえ気分が悪くなる映像だ。初心者の恭也には辛かったんじゃないだろうか。時折恭也の「うわっ」とか「うおっ!」とか言う声が聞こえてくる度にはやては心中で恭也に詫びていたが、声と同時にいつからか体に回された恭也の腕に抱きしめられるためちょっと嬉しかったりした。
 中盤に差し掛かる頃には、はやての興味は次はいつ抱きしめてくれるのかに移っていた。惨殺シーンを心待ちにするのは人としてどうだろう?という思考が脳裏を過ぎるが、そもそもホラー映画とはそれを期待して見るものなんだから登場人物だって喜んでくれるやろ、と自己完結しておく。…抱きしめられる事を期待しているだけなんだから、惨殺される登場人物が浮かばれるとは思えないが。
 だが、何人かが殺されても恭也が一向に抱きしめてくれないまま、残った主人公達が安全そうな部屋に逃げ込んだ。慣れてしまったのだろうか?適応能力高すぎやろう、と思わないでもないが相手が恭也では納得するしかない。
 そんなことを考えていたからだろう。突然木製のドアを貫いた鋭い槍が生き残りの一人に到達する寸前に、はやては抱きついてきた恭也に何の抵抗も出来ないままソファーに押し倒された。3人掛けのソファーの中央に座っていた2人が横向きに倒れた形だが、ただ倒れた訳ではなく恭也がはやてに覆い被さる様な体勢になったのだ。

「……?…??」
「ッハ!?す、すまんはやて!」

 我に返った恭也が体を起こしてはやてを覗き込むが、はやての方は茫然自失状態だ。倒れ込んだとき恭也が腕で自分の体を支えていたので、はやてを押し潰すような事はなかったが、流石に恭也も慌てていた。急激に倒れたことではやてが脳震盪でも起こしたと思ったのだろう。玄関の開く音を聞き漏らしてしまった事からも、恭也がどれほど狼狽していたのかが分かるというものだ。



「…で?何か釈明することはあるのか?」
「特に無いな」
「てめぇ…!」
「あ、待った待った。アカンよ皆!」

 はやての仲裁の言葉も今回ばかりは効き目が薄い。何しろ帰宅してみればソファーではやてを組み伏せている恭也を目撃したのだ。更に流石のはやても身の危険を感じたのか、声に力が無いことが3人の怒りに拍車を掛けている。
 現在、恭也をリビングの中央に正座させ3人で周囲を包囲し、震えるはやてをシャマルが抱きしめている。

「恭也君?言い訳しないのは立派かもしれないけど、ちゃんと事情を説明してくれないと誤解が解けないわ。
 はやてちゃんを悲しませるのはあなたの本意ではないでしょう?」
「どういうことだ、シャマル?何か分かったのか?」
「状況から推測してるだけだから確認を取りたいの。今言えるのは、少なくとも恭也君がホラー映画を見ながら劣情を催すとはちょっと思い難いと言うことかしら」

 シャマルが説明したタイミングでテレビから悲鳴が響いた。見ると生存者の最後の1人が断末魔の叫びを上げ、ドクドクと出血しながら息絶えようとしていた。皆殺しとは救いの無い映画である。
 皆の視線が画面から恭也へ移行する。シャマルの言に一理あると思ったのか、視線からやや角が取れていた。

「…ホラー映画を見るのは初めてだから、驚いたんだ」
「怖くて抱きついたってのか?お前がそんな玉かよ」
「最初のうちはそうやったかもしれんけど、途中で慣れたんやないの?」
「他にも罪状は有ったと言う事だな?」

 しまった、と表情が雄弁に語るはやてを特に責めることなく、恭也が淡々と言葉を綴る。

84 小閑者 :2017/07/02(日) 14:24:47
「…切った張ったは平気だったんだ。動脈に届かん裂傷であんなに派手に出血する訳が無いから作り物にしか見えなかったしな。だが、突然の画面の外からの攻撃には、反射的に体が動いてしまったんだ」
「それはまあ…分からんでもない」
「ザフィーラ、いきなり歩み寄んな!」
「えと、どゆこと?」
「実際の戦闘であれば、視覚以外の情報があります。音、空気の流れ、匂いなどです。
 視界が限定され、音も製作者側に意図的に編集されているテレビは、それに長けている者ほど混乱するのです。
 恭也はその能力が我々より更に特出しているため混乱も一入でしょう」

 経験を積む事で、五感から得られる情報を総合して周囲の状況を把握できるようになる。所謂“気配”と言う奴である。この技能が高度になると目を瞑ったままでも周囲の状況が読み取れるようになる。そして、本人すらも五感からの情報がどう結びついたのか分からないままに結論だけ得られるところまで来ると、“第六感”と表現される。もっとも傍から見ている一般人からすれば、五感と六感の区別など付かないが。

「はぁ、恭也さんが扉越しに人が居るのがわかるんはそういう原理やったんか。…私の心が“その原理では納得しきれん!”と騒いどるけどまぁええわ。
 …最後のだけ倒れたんは意味があるん?」
「…はやてのこと、守ろうとしたんだろ」
「…あ」

 不承不承答えるヴィータの言葉に思わず声を漏らし、恭也の方を見る。そっぽを向かれたが照れ隠しなのが見え見えで、逆にはやての方が照れてしまった。
 思い返してみれば、それまでの抱きつき方も縋り付かれている訳ではなく、守られているような安心感があったような気がする。咄嗟の事態に身を挺して守るような行動はなかなか取れるものではない。それが分かるからこそはやては頬が緩むのを抑えられなかった。

 最終的にちょっと得した気分になれた映画鑑賞だったが、はやてはこれを封印することにした。食後に一緒に入浴したシャマルに、恭也の気持ちを落ち着かせると言う目的から大きく逸脱していることを指摘されたのだ。
 どこで目的が変わってしまったのだろう?





 はやてとシャマルとヴィータの3人が入浴中、残った3人はリビングに居た。元々無口なこの3人だとそのまま口を開かずに時間が流れることも少なくない。だが、今日に限っては珍しく恭也からシグナムに話しかけた。

「珍しいな。シグナムが風呂に入らないとは。腹の傷か?」
「やはり気付いていたか」

 シグナムは苦笑しながらも恭也の言葉をあっさりと肯定すると、服を捲り上げ、腹部に付いた打撲の様な痕を見ながら呟く。

「澄んだ、良い太刀筋だった」
「シャマルに治して貰わなかったのか…ん?」
「遅れていたからな。帰ることを優先したんだ。…どうした?」

 晒した腹を恭也に凝視されている事に気付いてシグナムが怪訝な声を出した。

「どんな攻撃を受けたらそんな傷痕になるんだ?まさか木刀と言う訳じゃ…、あ、刃物の攻撃を魔法で緩和したのか?」
「ああ、お前には馴染みのない傷痕だろうな。騎士服で防ぎきれない攻撃はこの様になる」
「騎士服?…ッスマン!」

 仔細を見ようと手が届く程の距離まで顔を近付けていた恭也がシグナムの顔を見上げようとして、慌てて顔を背ける。視界に何が収まったのかは、推して知るべし。
 恭也のらしくない失態に、シグナムが邪気の無い笑みを浮かべると、服の裾を戻しながら問い掛けた。

「気にするな。
 それより何か有ったのか?今日はお前にしては珍しくヘマが多いんじゃないか?」

 苦虫を噛み潰した様な顔を見せる恭也をザフィーラが訝る。ここまで表情が豊かな恭也(あくまで本人比)を見た事がない。ザフィーラは恭也の顔面神経の麻痺を真面目に疑ったことすらあったのだ。

85 小閑者 :2017/07/02(日) 14:27:05
<迂闊につつくなよ?>
<承知している>

 思念通話まで使って念を押すザフィーラに苦笑を浮かべそうになる。仲間を護る事を本分とするだけあって、ザフィーラは細やかに気を使う。

「さっきの映画位しか思いつかん」
「それほど繊細だったとは気付かなかったよ」
「良い機会たから覚えておいてくれ。硝子細工の様に繊細だと」
「強化硝子か」
「なるほど、脆くは無くとも繊細と言う条件は満たすな。つついた指の方が切れそうだが」
「ザフィーラ。突然口を開いたかと思えば、自分の発言に満足そうに頷いているんじゃない!」

 恨めしそうな恭也を見るのはザフィーラにとって悪い気分ではなかった。勿論、優越感じみた暗いものではなく、感情を表に出す様になってきたことが嬉しいのだ。
 先程恭也が感情を表したことを訝しく思いはしたが、この時代に転移してくる前の恭也はこの程度の感情表現は有ったのではないだろうか?それが親族の死から立ち直ってきたのか、自分達に気を許してくれるようになってきた結果なのかは分からないが、恐らく良いことなのだろう。

 恭也も自身の不調を自覚しているのか、深みに嵌る前に撤退することにしたようだ。やはり見て取れる程度に不機嫌そうな顔をして部屋に向かおうとする。だが、夜間鍛錬の準備だと察して、シグナムが制止の声を掛けた。

「何か用事か?」
「不躾で悪いが、暫く夜間の鍛錬を控えて貰えないか?」

 肩越しに会話していた恭也が、体ごと振り返りシグナムを正面から見据えた。
 剣士に対して鍛錬するなとは、無理難題と言えるものだ。どの分野であれ、一定レベルを超えた技能は鍛え続けなければ即座に低下する。高ければ高いほど低下する幅は大きくなる。生活する上で不要なほどに付いた筋肉を減らすのも、“適応”という面から見れば成長を意味する。“1日休めば取り戻すのに3日掛かる”というのは嘘でも誇張でもない厳然たる事実だ。
 魔道書のプログラムであるシグナム達には、これが適用されない。身体性能は、鍛えても怠けても上下しないのだ。勿論、新しい技能の習得と言う点でシグナムにも鍛錬の意味はあるが、体を鍛えるのとは意味合いが違う。
 だが、先の発言は、自分に関係ないことだからと軽々しく口にした訳ではない。恭也がどれほど直向きに体を鍛えているかは周知の事だし、4人はそうできる事は尊いことだとも思っている。

86 小閑者 :2017/07/02(日) 14:29:26
 これは先程の戦闘の後、4人で協議して出した方針だった。
 とうとう管理局員と正面から対立してしまった。今までは撃退に成功し、自分達の痕跡を消すことが出来ていたが、今回は間違いなく姿を見られているだろう。この日が遠からず来ることは分かっていたが、来てしまった以上は今までより更に蒐集を急ぐ必要があるし、はやての安全を確保しなくてはならない。例え魔法が使えなくとも、自分達4人が蒐集で不在の間、恭也をはやての傍から離すことは避けたいのだ。
 戦力としてだけではない。最悪、自分達が捕まった場合に恭也が居れば、はやてを独りにしなくて済む。はやてを励ます役など、自分達を除けば恭也以外に考えられないと言える位に近しいことは、全員が認めていることだ。
 鍛錬を控える理由を言及されるだろうか。今まで明らかに不審者然とした4人の行動に対して、恭也から問い詰めてくるようなことはなかったが、関係が近しくなるほど問わずには居られなくなるだろう。
 だが、

「夜間だけで良いのか?」
「!…ああ。無理を言ってすまない」
「このくらいのこと、気にしなくて良い」

 あっさり承諾する恭也に、シグナムの方が全てを話してしまいたい衝動に駆られる。
 何の解決にもならないその衝動を抑えながら恭也の背を見送る。
 恭也に隠し続けるにはこれ以上近寄るべきではないのかもしれない。


* * * * * * * * * *


 翌日の早朝。
 山腹の公園には恭也の姿があった。他に動く物が何もない公園で暗闇と表現して差し支えない時分から黙々と二本の鉄パイプを振るい続ける。
 いつもなのはが階段を上ってくる時間はとうに過ぎているが、階段の方を気にした風もなく、動きに乱れを見せる事もない。
 最後に力強く振り下ろした後、残心を解き大きく息を吐くと朝日に焼かれた空を見上げる。

「…来ない、か」

 呟き、目を瞑る。

「愚痴は零した、弱音も吐いた、泣き言も言った。
 何より、いつまでも醜態を晒し続けていられる状況ではなくなって来た。受けた恩を返さなくちゃな」

 感情と思考を切り離す。
 恐怖は体を縛り、憤怒は視野を狭め、悲嘆は思考を妨げる。
 御神流の鍛錬を始めるにあたり、最初に言われる、しかし、実行できない者も少なくない、戦闘者としての必須技能。

 目を開くと、意思の強さが現れたかのように、揺らぐことのない射抜くような眼差しとなっていた。

「先ずは状況整理か」

 恭也は木切れを拾うと地面に屈み込んだ。頭を使うのは苦手なんだが、と言う呟きが漏れるのは呟きの内容そのものより現状に愚痴を零したくなる様な要因があるからだろう。

「はやて」

 口に出しながらどんぐりを一つ地面に置く。

「シャマル、シグナム、ザフィーラ、ヴィータ」

 同じく隣に4つを纏まりとして置き、先の一つと一緒に四角く枠で囲んだ上で、はやてとヴォルケンリッターの間を隔てて線で仕切る。

「4人ははやてに内密にして何かをしている。
 内容は不明。恐らくは犯罪に該当すること。
 目的は、はやてに関連していて、尚且つはやての為になること。
 足の治療?…弱いな。初めて対面した時には車椅子に乗っていたと聞いているから半年ずれていることになる。
 はやてにまで罪が及ぶ事を承知して、尚、犯罪を手段として採用しなければならない理由」

 恭也の言葉が途切れる。
 思いつかない、訳ではない。
 認めたくないのだ。だが、認めなくては先に進めない。恭也はその事を、よく、知っている。

「生命、か。
 秘密裏に行動するだけの余裕があり、徐々に焦りの色が濃くなっていると言うことは、即座に命を落とす訳ではなく、それでいて状況の悪化が窺い知れること。
 有力なのは病気の類だが、となると、やはりあの足の麻痺か?症状が進行している?あるいはまったく別の病気?
 だが、シャマルが治せないのは不自然か?万能ではないと聞いていたが、それでも地球の医学は越えているはずだ」

 ウィルス性の病気には本人の免疫力を高めることで人体には本来生成できないような抗体を作らせたり、遺伝子情報の劣化による細胞の変質である癌にすら正常な遺伝子情報に書き換えることで根本から治療できる。勿論、どちらも間に合わないことはあるが、それでも圧倒的な優劣と言えるだろう。

87 小閑者 :2017/07/02(日) 14:34:17
「足の麻痺そのものが医学的な原因ではない?
 あるいは足とは関係なく病気ではない可能性。
 …無理か。そもそもこれ以上突き詰めても解決しそうにも…、いや逆か。戦力にならない俺にはシグナム達と同じ手段は取れないし、助力すら出来ないんだ。協力できるとすれば、ここ、全く別の手段の調査しか有り得ないのか」

 沈黙。
 今度は理由が表情に表れている。無理難題と呼んで差し支えないような途方もない条件に、挫けそうになる心を必死に支えているのだろう。
 先程の決意も虚しく既に疲労困憊の態ではあるが、辛うじて心の再構築を果たした恭也は思考を先に進めた。

「先ずは事実の確認だな。
 シャマルが参謀役だったな。現状と目的。
 手段はどうするか。知らない方が先入観を持たずに済むが…。聞いておくか。聞ける機会が何時でもあるとは限らないからな。
 医学面は医者に任せるとして、シグナム達が手を出しているであろう魔法関係に絞り込みたいところだが・・・」

 空を仰ぐ。
 魔法に関わりのない地球上には、当然関連書物などない。シグナム達とは別の手段を調査しようとしている以上、本人達から得た知識を基にしていては得られる筈がない。
 それ以前に俄仕込みの知識で解決するほど都合良くいく筈がないのだ。
 高層建築物は高等数学、物理学、破壊力学、流体力学、化学、建築学etc、何が欠けても完成しない。僅か数日で得た算数の知識程度では犬小屋すら出来ないだろう。

 英雄願望とは無縁な恭也は、子供らしい夢に溢れる妄想ではない解決の糸口が脳裏を過ぎるが、別の問題に思い至っていた。
 幸いにも恭也には魔法の使い手に伝がある。全くの偶然で出来た八神家とは無関係のその伝は、しかし、既に被害者になっている算段が高い。

「魔法使いそのものが標的なのか、近くに居たから巻き込まれたのか、魔法使いにとって看過出来ない行為なのか。
 太刀筋と言っていたからあの傷跡は高町には無理だろうが、偶然、と言うには条件が揃いすぎている。
 …戦闘に参加していたと仮定するしかないな」

 息を吐いて、次に少し離してどんぐりを二つ置く。

「高町とスクライヤ。
 警察関係者と知り合いとか言っていたか?確か変身魔法の時だから魔法関連の警察か」

 二つのどんぐりを枠で囲うと、「警察」と書き込む。

「高町が治安機構に属している?小学生でか?
 …流石に不自然か。小学生の警官が居るようでは世も末と言うものだ。
 魔法の警察関係者に知り合いが居る程度か?だが、昨日のシグナム達の戦闘と高町が無関係とするのは楽観し過ぎだろう。
 では巻き込まれただけ?可能性はあるが、昨日聞こえたのは恐らく高町が公園で煤けていた時と同じ物だ。…と思う。それなら少なくとも参戦していた筈だな」

 恭也は口を閉じると、地面に書いた「警察」の2文字を暫くの間睨み続けた。

「地球の価値観を基準にしない方が良いか。矛盾するよりは、常識から外れても筋を通した方が良いだろう。
 この際、年齢は無視しよう。
 魔法関連の組織なら当然地球人である高町が関わるのは、魔法を使えるようになってからだ。確か1年未満だと言っていたか?
 組織である以上、役職に就く事は“力”を行使する権利と責任を負うことになる。その為の評価は、当然時間が掛かる」

 知識はもとより、判断力や決断力、人脈や交渉力など、多岐にわたる評価項目が短期間で網羅出来るとは、いくら魔法の世界とは言え考え難い。

「となれば、高町は人員に指示を出す立場よりも実働部隊と考えるべきか。
 スクライアの話では、高町の魔法に関する資質は魔法のある世界でもトップクラスだったな。
 直接シグナムに手傷を負わせたのが高町ではなかったとしても、戦力の高い者を放置するとは思えないから結果は同じか」

 集団戦の鉄則として、弱い者から潰すと言うものがある。強者同士の戦いが拮抗すれば、放置した弱者によって天秤を傾かされる可能性が高くなるからだ。だが、弱者にかまけていて強者から意識を逸らしては本末転倒となるため、結局は状況次第でしかない。つまり、なのはの実力の高低は負傷の有無と直接関係しないことになる。

88 小閑者 :2017/07/02(日) 14:38:18
 ただし、ヴォルケンリッターからすれば敵方の主戦力は潰しておきたいと考えるだろう。恭也が4人の具体的な活動内容を知らないとは言え、その位は想像がつく。一朝一夕で目的が達成できるなら、そもそも活動は終了しているはずだ。

「逸れたな。
 高町は治安機構側に属していると仮定しよう。となれば、高町に尋ねるのは自首しに行くのと同義だな。
 可能性があるとすれば巻き込まれた形を取る位か…。とても現実的とは言えんな」

 余程のことをしなければ仲間だと思われるのがオチだ。そして、上手くただの被害者として見られたとしてもそんな相手に情報を公開してくれるはずが無い。下手な探りを入れれば、最悪そこからはやてにまで害が及ぶ。

 最後に、先のどんぐりとは三角形の位置になるように更に2つのどんぐりを置く。

「あとは、月村とバニングスだな。
 第一に魔法使いなのかどうか。
 高町との魔法の練習に参加している様子はない。
 地球でほいほいと魔法使いが現れても困るんだが、高町とはやての前例があるからな。そうか、スクライアと同じく別の惑星からの来訪者の可能性もあるのか。
 高町との繋がりに魔法が関連しているかどうかは推察のしようがないな。
 同じ所属の魔法使いだが存在がばれ難いように接触していない。所属が違うために互いに魔法使いであることを知らない。魔法が使えない完全な一般市民。
 いや、魔法が使えなくても情報提供者の可能性は十分あるのか」

 可能性を列挙した後黙考して出した結論は無難なものだった。

「魔法を使用している現場を目撃する以外に俺には見分けがつかないんだ。何れにせよ薮をつつく訳にはいかないな」

 地面の落書きを足で掻き消して立ち上がる。

「顔を合わせた事の無い他の人員はどうにもならないし、こんなところか。
 方針としては、現状は情報収集のみ。
 都合良く情報が集まったとしても介入するのは、4人の活動内容が致命的に破綻しているか、今からでも方針転換した方が良い結果が得られると確信できるだけの情報であった場合、くらいか。
 …どう考えても自己満足にしかなりそうにないが、門外漢ではこんなものだろうな。…いや、破綻している位なら徒労に終わるべきだろう。
 今のところはやての傍に居ること以外、具体的に出来る事はない、か…。」



 両手を見る。
 誰かを守れるようにと、守ることが出来ると信じて、幼いなりに鍛えてきた要所の皮が厚くなっている掌。
 暗器を扱うための器用さと、刀を振り続けることの出来る頑強さを兼ね備えた掌。
 “万能などない”と教えてくれた、掌。

「…高町に大事無ければ良いんだが」

 それはなのはの身を案じただけの言葉ではない。
 自身に訪れる死を回避するために他者に死を振りまくなど八神はやては絶対に許容できまい。必ず残りの人生を縛り付ける鎖となる。
 何より、罪科を問われ、はやてと4人が引き離されるなどはやてには耐えられないだろう。

「間違えるなよ。ただ命さえあれば良い訳ではないだろう?」

 誰に対して発したかわからない呟きは、誰にも聞かれる事なく空に解けていった。




続く

89 小閑者 :2017/07/02(日) 14:43:15
第11話 確認




 ほど良く晴れた暖かい昼下がりの臨海公園で、恭也は海を眺めていた。

「意外とあっさり話してくれたな」


* * * * * * * *


 シャマルは朝食の後、恭也に現状と自分達の行為についての説明を求められた。
 何時か聞かれることは覚悟していた。だから惚ける事なく、代わりに今になって説明を求めた理由を尋ねた。自分達の行為が犯罪に値することを恭也が承知していることが前提のその問いは、実質的には犯罪に加担する理由を尋ねたことと同義だ。
 恭也はシャマルの意図を違えることなく、明確に答えた。

「あなた達にもはやてにも返しきれないほどの恩が出来た。微力であることは承知しているが俺に出来ることだけでも返したい。
 何より、家族として接して貰っているんだ。気付かなかったならまだしも、知って尚、見ない振りをする訳にはいかないだろう?
 内容によってはあなた達を俺が止める。まぁ足元の小石程度の妨害にしかならないだろうがな。
 だが、まぁあなた達のすることが私利私欲とは思え難いし、俺が推測する限り、例え世界中を敵に回したとしても止まれない理由だろう。
 …どちらかと言うと外れていることを祈っているんだがな」

 シャマルはその答えに苦笑を返した。やはり、恭也は断片的な事実を繋ぎ合わせることで全貌を推測しているのだろう。この質問は推測でしかないそれの裏付けと、知り得ようのない詳細の確認だろう。

「じゃあ、説明する前に言っておくわね。
 ありがとう。心配してくれて。家族だと思ってくれて。
 ごめんなさい。巻き込んでしまって。隠し切れなくて。
 本当は、あなたが訊ねて来る前に全てを済ませたかった。解決してしまいたかった。
 あなたが来てくれてから、はやてちゃんは毎日楽しそうだった。単に新しい家族が増えたというだけではなく、あなたの人柄に惹かれているんだと思う。
 私達4人も、あなたのお陰でたくさんの事に気付けたし、はやてちゃんの歳に見合った様子も見ることが出来た。
 私達全員、本当に感謝しているの。だから、あなたを巻き込むことなく済ませたかった」

 シャマルの言葉を聞いている恭也は無言のままだった。糾弾の言葉は無論のこと、容赦の声もなく、じっとシャマルを見つめていた。それが恭也の声無き弾劾でない事が分かる程度には人柄を理解できている積りだ。
 ゆっくり息を吸い、吐き出す。気持ちを切り替えるとシャマルは恭也への説明を始めた。

 はやての現状とその原因。解決する手段として自分達が採った行動と現在の達成率、そして本格的に敵対することになった治安組織である時空管理局について。

 ただ、自分達とはやての関係は、主と従者という説明に留めた。留めている事まで話し、隠している訳ではないことも明かしてある。理由は、恭也が八神家に来て自己紹介をした際に、恭也の「隠しておきたいことがある」との発言に対して釣り合わせる為に伏せておくべきだとはやてが判断したことだからだ。つまらない対抗心や敵愾心ではない。秘密を許容した上で、恭也が気に病まずに済むようにと配慮したのだ。

「…小学生の考えることじゃないな」
「…何を他人事の様に言ってるんだか」

 恭也の自身の事を棚上げした発言に対して、シャマルは半眼でツッコミを入れつつ呆れていた。
 一通り説明を受けた恭也からは驚嘆に類する様子が見受けられない。ぶ厚い面の皮で隠し切っている可能性はあるが、この場合は恭也の予想の範囲から逸脱しなかったと解釈するべきだろう。だが、全貌を組み立てられるだけの断片があったとしても、全てが印象に残るほどの出来事ばかりではなかったはずだ。日常に埋もれる事象を拾い上げ、矛盾無く組み立てるのは言うほど易しいことではない。そもそも恭也は自分のことで手一杯になっていた筈の時期なのだ。
 断片から像を組み上げる知性を持ち、シグナムに追い縋る武芸を持ち、魔法も使わず周辺探査や無音行動を見せ付ける。年齢以前に本当に人類かどうか解剖検査でもしてみたくなる。
 そんな馬鹿げた事を考えていると、恭也が警戒心を剥き出しにしてこちらを注目していることに気付いた。とうとう読心術まで身に付けたのかと愕然としていると恭也が口を開いた。

「シャマル。頼むからそういう恐ろしい考えは口に出すな。実行するなど以ての外だからな!」


* * * * * * * *

90 小閑者 :2017/07/02(日) 14:45:56
* * * * * * * *


 海沿いのベンチに腰を下ろし視線を海に向けている恭也の表情には、心情を表す要素は何も浮かんでいなかった。
 はやての容態、その原因、そして解決策、そのための手段とその結果。その運命を悲嘆しているのか。
 その性質上、殺害に至らないとは言え、間違いなく他者に危害を加える蒐集と言う“手段”。その是非を悩んでいるのか。
 状況からすると、昨日蒐集の被害者となっているであろうなのは。彼女の安否を心配しているのか。
 或いは、思考することを放棄してぼんやりと海を眺めているだけなのか。



 暫くそうして海を眺めていた恭也が前触れもなく振り向くと、20m程離れた公園の入り口にいる少女を目に留めて安堵の滲む声で呟きを漏らす。

「やっぱり高町か」

 ゆっくりした足取りで公園に入って来たなのはは、恭也に気付く事なく歩き続けた。そのまま公園を横断して海沿いの歩道まで来る積もりだろう。

「高町」
「え?あ、恭也君」

 呼びかけながら近付いた恭也は、微笑みを返すなのはの顔をまじまじと見詰める。
 特別に顔を近付けられた訳ではないが、静かで落ち着きのある黒瞳に見詰められるとまるで吸い込まれる様な錯覚にかられて、なのはは視線を外すことが出来なかった。

「今日は一人なのか?」
「…え?」

 呆けるなのはに対しても恭也は苛立つ様子はもちろん、指摘する事もからかう事もない。日常における恭也が滅多に見せない真摯な態度だが、この場には呆けているなのはしか居ないため誰にも気付かれず過ぎてしまう。

「バニングスか月村は一緒じゃないのか?」
「うん、今日は一緒じゃないよ」
「そうか。では、俺の暇潰しに付き合ってくれ」
「あ、でもこの後予定が」
「公園内の事だろう?ベンチで適当に無駄口を叩くだけだから問題ないだろう」

 一方的にそう告げると返事を待つことなく、なのはを掴んで恭也が歩き出す。

「うん、それくらいなら、ってあの、こういう場合、普通は手を繋がない?」

 数歩進んでから漸くなのはの反応が返る。まるっきり寝呆けている様な反応だ。

「そんな恥ずかしい真似が出来るか」
「だからって頭を掴まなくても」

 そう言いながらもなのはに怒る様子はない。これは寝ぼけているための反応ではなく、恭也の性格を鑑みた結果、照れ隠しだと判断したのだ。
 ただの乱暴者ではないし、必要もなく体に触れて来るほど失礼でもない。それが分かる位には早朝の練習は続いている。最近はユーノがアースラに戻っていて2人きりでの練習になるため、尚更だろう。
 今までも恭也がベタベタと触れて来たことはないので不快感を抱いたことはないが、どうせなら手を繋いでくれた方が嬉しいのにとは思う。

「ちょうど掴み易い高さだからな。とはいえ、安易に手を出したのは失敗だったようだ」

 そう言いつつ頭を掴んでいた手をなのはの肩に廻して抱き寄せると、なのはの両足を払い飛ばす。

「にゃ?」

 思考が追い付かず、足が地面から離れた事を人事の様に認識した頃、間近から大好きな女の子の声が聞こえてきた。

「なのはを、離せー!」

 膝裏と背中を恭也に支えられ、お尻から地面に軟着陸すると同時に頭上を鋭い風切り音が過ぎ去った。

91 小閑者 :2017/07/02(日) 14:57:05

 フェイトは、なのはが直立していても当たらない、なのはの頭の更に上の位置、つまりなのはの頭を鷲掴みにしていた変質者(フェイト視点)の側頭部を狙った右回し蹴りが空を切った事に驚愕した。
 蹴りの直前に声を発したのは、怒りに任せて怒鳴り散らしたわけではない。先制のチャンスをわざわざ不意にする愚を冒したのは、怒り心頭のフェイトに残っていた最後の理性が、例え相手が犯罪者であっても無警告で攻撃を加えるのはいけない事だ、と訴えたからだ。もっとも、驚愕したと言う事は、声に反応しても回避が間に合う訳がないと分析していたと言う事でもある。また、フェイトは気付いていないが、男が声に反応して振り返ろうとしていれば、フェイトの蹴り足は振り返りかけた男の顔面か後頭部に入っていたはずなので、結構な惨状を披露していた可能性もあったのだが。
 一旦距離を離したフェイトは驚愕を振り払うと、立ち上がり振り返った男がこちらに何歩か近付いたことに、なのはから離れたことに安堵しつつ、改めて男を観察する。

 上背はそれ程ではない。ひ弱な印象こそないが、もっと大柄な武装局員とも手合わせをして勝利したこともあるのだ。魔法を使う訳にはいかないが、条件が同じなら負ける要素はない。
 先程の蹴りをかわした事は認めるが、その拍子にぶつけたのだろう鼻を左手で押さえたまま対峙するような間抜けに負けるものか。

「あの、フェイトちゃん、」
「その短いスカートで上段に回し蹴りとはな。俺の動態視力への挑戦か?青と白が10mm位の間隔で8層並んでいたとみるが、どうだ?」
「!」
「?」

 瞬時に赤面しスカートを両手で押さえるフェイト。なのはも疑問符を顔に貼付けていたが、フェイトの様子に事情を察して恭也に非難の視線を向けるが、恭也の背後に座りこんでいるため届く訳がない。だが、なのはが非難を視線から音声に切り替える前に、眦を吊り上げたフェイトが恭也に殴り掛かった。




 右正拳で顔を狙い男の意識を上に向けてからローキックを放つ。だが、鼻を押さえたまま首を傾げる様にして右拳をかわした上、足元に注意を払う素振りも見せずに蹴りを回避してみせる男に思わず舌打ちする。
 蹴りの勢いのまま旋回して左の裏拳を放とうとしたところで、男の攻撃を察知した。男の体勢と挙動から右手での頭部への攻撃と推定。自分の裏拳より先に届く上、この体勢から回避は間に合わない。フェイトは攻撃を断念すると、旋回運動をそのままに上体を反らしつつ裏拳から肘撃ちに移行、男の右拳を迎撃。拳の側面に肘を当て、軌道を逸らす。回避には成功するが、回転運動が止まり男のほぼ正面に停止することになった。この位置はまずい。

 僅か数手だが、フェイトは徒手空拳での技能が恭也に劣っていることを認めた。暴漢程度と高を括っていたが、恭也を相手に足を止めての殴り合いは不利に過ぎるだろう。
 フェイトは己の非力を自覚している。先程の肘撃ちも拳の側面に当てたのに押し返されている。結果として拳との相対距離が開いた事で回避出来ただけだ。恭也を小柄と評価したのはあくまでも成人男性としてであり、フェイトの方が頭一つ分小さいのだ。
 なにより、彼女の戦闘スタイルは元々一撃離脱を旨としている上、今は武器であり相棒であるデバイス・バルディッシュも手元にない。

 男にとっては手を伸ばせば届く距離。だが、リーチの差があるためこちらは踏み込まなくては届かない距離。何とかして距離を取りたいが、それは男も察しているだろう。特に構えるでもなく立ち尽くしている様に見えるのに、こちらが仕掛ける全てに対応されそうな雰囲気がある。この期に及んで鼻を押さえたままの左手が腹立たしい。
 感情が混じり始めた自身の思考を諌めていると、男の自然な立ち姿において左手だけが破綻していることに気付いた。
 顔から手を離す程度は1挙動と呼ぶほどではないが、まさか鼻を押さえる姿勢を“構え”にしている訳ではないだろう。実力差は既に男も察しているはずだから、今更誘いとも思い難いし、そもそも他に狙える場所も無い。
 先程のやり取りが脳裏を掠めるが選択の余地はない。追撃がいつ来てもおかしくない以上、覚悟を決めるべきだ。

92 小閑者 :2017/07/02(日) 14:57:39
 左手を僅かに動かし気休め程度のフェイントを掛けた後、右足を跳ね上げ男の腹部へ回し蹴りを放つ。即座に右腕で左側面をガードしつつ踏み込んで打点を外してきた男に、蹴りの軌道を変化させ目標を頭部へ移行。空手でいう二枚蹴り。蹴り足はあっさり身を伏せた男に躱されてしまうが、何を思ったか男の方から後退して間合いを空けた。
 意表をつくことが出来たのだろう。自分には慣性に逆らって蹴り足を止める程の筋力がないため、実は先程の二枚蹴りは威力などなかったのだ。後退せずに更に踏み込まれて密着されていたら、そのまま押さえ込まれていただろう。二度は使えない手だ。
 だが、これでこちらの非力さが印象に残ったはずだ。バルディッシュが無くとも簡単な魔法であれば使うことは出来るのだ。光を放つような魔法を使う訳にはいかないが、見た目では分からない身体強化でパワーやスピードを底上げすれば、この男を打倒できるだろう。




 急激な展開に、なのはは声も無く見続けることしか出来なかった。恭也の異常な身体能力は魔法の練習に付き合って貰っているため知っていた筈なのだが、格闘技としての動きは初めて見たのだ。

「高町、いつまでも呆けてないでこいつを止めてくれ」

 恭也がフェイトから視線を外す事なく自分から挑発したことを棚上げしてなのはに仲裁を頼みだしたため、フェイトも気を張ったまま様子を窺う。

「あ、うん。フェイトちゃん、誤解だよ。恭也君は私のお友達なの」
「え?」「え!?」

別の意味が含まれた同じ言葉が二人の口から同時に零れる。

「…え?」「…え?」

今度こそ同じ意味の同じ言葉がペアを変えて呟かれた。

「あの、どうして恭也君が不思議そうに聞き返すの?」
「待て、高町。いつの間に友達になっていたんだ!?」
「ええ!?お友達だと思ってくれてなかったの!?だっていつも朝一緒に練習してるじゃない!」
「…あれだけで、友達なのか?」
「うぅ…じゃ、じゃあ改めてお友達になって下さい!」
「めげないとは。強いな高町」

 それだけ言うと恭也は何歩か後ずさり距離を取った。拒絶されたのかと、なのはがショックに目を見開くが大きく離れることもなくフェイトの方をチラッと見てから思案するように視線を彷徨わせた。フェイトが構えを解いていることを確認したのだということに思い至り、警戒のための後退だったことに胸を撫で下ろす。
 とは言え、友達になりたいと伝えただけなのに考え込まれるとは思わなかった。フェイトの時といい、今回といい、このところ友達になるのにずいぶん苦労している。2人とも難しく考え過ぎではないだろうか?

 そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないの?一緒に居たいと思える子と仲良くなるだけなんだし。アリサちゃんやすずかちゃんやユーノ君…あれ?

 なのはは自分の特に親しいと言える友人を思い浮かべるが、直前に考えていたほど気軽に交友を結べていない気がする。難易度が高い方が絆が深い傾向があるような…?
 逸れ始めたなのはの思考を引き戻したのはフェイトだった。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」




 急な展開に置いて行かれた形になったフェイトは、なのはの申し入れに戸惑っているらしい、しかし仏頂面のまま変化した様に見えない恭也の顔をぼんやり眺める。間柄はともかく、二人が顔見知りであることは遣り取りを見ていて察しがついた。
 胸が痛む。優しくて可愛いなのはが人に好かれる事は分かっていたし、ビデオメールに友達としてすずかやアリサが一緒に映っていた。だが、やはり目の前でなのはの友人を見ると、まるでなのはを取られた様な気持ちになる。勝手な考えだとは承知しているが、感情が膨らむことは抑えられない。せめてこの醜い感情はなのはに知られない様にしようとそっとしまい込む。
 気持ちを落ち着けるために視線を外そうとしたところで、ふと、フェイトはこの男の顔に見覚えがあることに気付いた。先程まで左手で鼻を押さえていたので見られなかったが、この顔は記憶にひっかかる。活動範囲の狭いフェイトは男女問わず知人どころか知っている顔自体が少ない。この星の住人となれば尚更だ。
 以前、この町で活動していた時には周囲を見る余裕は無かったが、その後はそもそもこの土地には来ていない。他人の空似だろうか?だが、なのはが口にする恭也と言う名にも聞き覚えがある気がする。
 そこまで思考し、ビデオメールを思い出す。なのはの家族紹介で映っていた兄の容姿を思い出し、納得しかけたところで再び首を傾げる。なのはの言動は身内に対して採るものではないのではないだろうか?
 フェイトは恭也が黙考を続けていることを確認してからなのはへ問いかけた。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」
「実は、軽いイタズラをしたら嫌われてしまってな。それ以来ずっと他人として扱われているんだ」
「へ?」

93 小閑者 :2017/07/02(日) 15:09:02
 なのはは高町恭也を知る誰もが大抵陥る誤解を解くために口を開こうとすると、滑らかに会話に参加した恭也の台詞に虚を衝かれ思考が停止してしまう。それは当然、致命的な隙となる。
 考え込んでいるとばかり思っていた恭也から返答を得たことに面食らいながらも、フェイトが更なる疑問を口にした。

「でも、今友達に、って」
「ああ。漸く怒りが治まってきたようで、先日“赤の他人”から“知人”に地位が向上してな。これから友人、親友、恋人、家族へステップアップしていくと最後に兄に戻れるんだ」
「こ、恋人になっちゃ不味いんじゃ…」
「な、何言ってるの恭也君!」

 なのは、再起動。が、ここまで加速している恭也を簡単に止められる訳はなく、いつものごとく巻き込まれた。

「しまった!これで赤の他人からやり直しか…」
「あ…。ね、ねぇなのは?怒るのは分かるけど、他人の振りは流石に可哀想なんじゃ…」
「違、ほ本当に恭也君はお兄ちゃんじゃないんだよ!?意地悪とかじゃなくて、よく似てるけどなのはのお兄ちゃんは別にいるの!」
「まぁ嘘なんだがな」
「な!?」
「うぅ、そんなあっさりと…」

 睨みつけるフェイトに対しても、何処吹く風と余裕の態度の恭也になのはの方が呆れてしまう。先程の動揺も既に見当たらない。
 せっかく申し出たのにうやむやになってしまうのは寂しいので、もう一度尋ねてみるべきか?そんな事を考えながら恭也の顔を見詰めていると、目があった。

「とりあえず、友達になる件は保留しておこう。
 お前が俺をどう位置付けても構わないが、俺がお前を何に分類するかも勝手にさせて貰う」
「なのはの友達になるのが嫌なの!?」
「お前が反応するか?…まぁするか。高町の事になると見境がなさそうだしな。
 別に嫌うつもりはないが、万人に好かれる者もそうそういないという事だ。
 あくまで保留だ。拒絶した訳ではないのだからしょげ返るな高町」
「うぅ、だって断られるとは思ってなかったから…」

 子犬の様に打ちひしがれるなのはを直視し続けるのは流石の恭也も後ろめたいのか視線が泳ぐ。

「あー、高町、会う予定の相手はこの子であってるのか?」
「…うん」

 あからさまな話題転換ではあったが、恭也を責めるのが筋違いであることは理解できているなのはは素直に返答した。返答の鈍さに納得できていないことが如実に表れているのは仕方が無いことだろう。
 恭也はなのはの様子に溜息を漏らしながらも、未だ地面に座り込んだままのなのはを抱き上げた。あまりに自然な動作だったため見ていたフェイトは勿論、当のなのはすらベンチに降ろされるまで、それが童話に出てくる女の子の憧れ“お姫様だっこ”であることに気付かなかった。

「きょ、恭也君!?」
「今日はあまりふらついてないで、早めに帰宅しろよ」
「え?あ、そっか。今日練習に行けなかったから…。
 ゴメンね、恭也君」
「今朝は俺も行っていない。別に約束していた訳じゃないしな。
 体調不良くらい見れば分かる」

 恭也の言動が至って平静だったため、なのはも上気した頬はそのままに、恭也の大幅に省略した言葉から自分の体調を慮ってくれていることを読み取り、何とか会話に応じる。恭也の嘘が見抜けるくらいには、嘘を指摘してその気遣いを無駄にしないくらいには冷静だったことに、内心で安堵する。
 フェイトが2人の会話にある“練習”という言葉から思いついた事を確認するように呟いた。

「あ、ユーノが言ってた練習を見られた相手って…」
「あのイタチが人語を解すことを知っているということは魔法関係者か。外観や仕草で見分けが付かないのは不便だな。
 以降、顔を合わせる機会があるかどうかは分からないが、一応名乗っておこう。八神恭也と言う」
「…え?あ、わっ私はフェイト、フェイト・テスタロッサ。時空管理局の嘱託魔導師です」
「あ、時空管理局って言うのは、魔法世界の警察みたいな所だよ」

 恭也の素っ気無い名乗りが自己紹介だと気付くのに遅れたフェイトが慌てて名乗り返す。その言葉に恭也が僅かに眉を顰めたことを見て取ったなのはが補足説明を入れた。

94 小閑者 :2017/07/02(日) 15:09:38

「ああ、スクライヤに同情して中年太りのムサイおっさんという事実を伏せている組織か」
「…おまえ、僕がここに居る事を知ってて言ってるだろう!」
「当たり前だ。居ない所で言ったら陰口になるだろう?」
「目の前で言ったら悪口だ!」
「何か問題が?」
「有りまくりだ!」
「ま、まあまあ、ユーノ君もそのくらいで…」

 何時からか近付いて来たユーノを巻き込み、混沌が広がる様を見てフェイトが不安に襲われていた。先程から話題の矛先と刺激される感情が目まぐるしく変わるため混乱してきたのだ。
 闇の書事件の本拠地としてこの土地で生活することが決まっているため、付近の住人が先程から引っ掻き回され続けている恭也の様な人ばかりだったらどうしようかと、同じ住人であるなのはの存在を忘れて本気で心配し始めた。
 恭也は不安に揺れるフェイトに気付きながらも、触れることなく疑問を持ち出した。この会話の流れで抱く不安など大したものではないと切り捨てたのだろう。

「高町の体調不良は魔法絡みか?昨晩、市街地の方で何時ぞやの砲撃音らしきものが聞こえてきたが、また暴発か?」
「ま、またってどういうこと!?私そんなに失敗してないよ!?」
「へー、そうなのか」
「信じてない!その目は絶対信じてないでしょ!?」
「気のせいだ。それで?ただのガス欠なのか?」
「あ…いや、その」
「歯切れが悪いな、スクライヤ。部外秘ならそう言え。治安機構なら機密保持は当然だろう」
「あー、機密と言うほどじゃないんだけど、地元の民間人が知ると余計な混乱を招くかもしれないから…」
「それを機密と言うんだ、戯け」
「ゴメン」
「謝るな。部外者だという自覚ぐらいある」

 フェイトは心底申し訳なさそうに謝るユーノとそれに答える恭也を見て驚いた。先程恭也にからかわれて食って掛かっていた事からユーノは恭也の事を嫌っているのだと思っていたし、恭也の口調にユーノへの労りが感じられたからだ。

「だが、まあそうだな。暫く朝の鍛錬は控えるか」
「え!?」
「…いや、何故そこまで驚く?高町もその…食卓魔導師なんだろう?」
「嘱託。正式に職員に任命されていないけど、ある業務に携わることを頼まれた人」
「…ユーノ君、どうしたの?」
「いやー困ってる人が居るみたいだったから」
「そのニヤニヤとした不細工なツラは非常に気に入らん」

デコピン!

「っうが!?」
「ヒッ!?」

 恭也の指に額を弾かれて、首だけで勢い良く空を仰ぐユーノにフェイトが恐怖に引き攣った声を上げる。
 あれ!?さっきの互いを思い遣っている空気は何処に行っちゃったの!?
 額と首を押さえてのた打ち回るユーノを見て恭也がポツリと呟いた。

「悪は滅びた」
「恭也君、やり過ぎだよー!」
「なに、峰打ちと言うやつだ」
「指に刃なんて付いてないでしょ!」
「ああ、切りつけずに打撃を与えることを言うんだから峰打ちだろう?」
「え?…え〜と?」

 即座になのはが批難の声を上げたが、瞬時に論点をずらされた上に思考を占領されてしまう。マルチタスクは何処へ行った?


 地面でのたうつユーノ。
 それを見て呆然としているフェイト。
 頭から湯気でも上がりそうなほど考え込んでいるなのは。

「本当にこれが戦力になるのか、時空管理局とやらは?」

 恭也の呟きは、非常に失礼でありながらも、クロノが居れば反論できずに頭を抱えそうなこの光景を端的に表すものであった。



続く

95 小閑者 :2017/07/16(日) 15:58:46
第12話 仮定




「どうして俺はここに居るんだろうな?」
「難しいこと考えてるんだね。哲学?」
「似合わないからやめといたら?」
「大げさな内容ではないんだ、月村。
 巻き込んだ元凶に言われると流石に腹が立つぞ、バニングス」

 公園での遣り取りの後、別れようとした恭也を引き止めたのは偶然合流したアリサだった。勿論、恭也も特に用事があったわけでは無いからこそ誘いに乗ったのだろうし、なのは、ユーノ、フェイトと交流を深めることが目的に沿うものであるという打算も働いたのだろう。だが、恭也が同意した上での現状とは言え、見目麗しい少女4人に囲まれた状態で人通りのある商店街に位置する翠屋のオープンテラスに座ることになるとは考えていなかったのだろう。周囲の視線がかなり気になるようだ。
 恭也が恨みがましい視線をユーノに向ける。この町の知人にはフェレットで通していると聞いていたので、気を利かせた恭也がユーノにアリサ達が公園に入ってきた事を伝えたのだ。結果、ユーノがさっさと変身してしまった為、女子4人に男1人の状態になってしまったのだ。
 見た目高校生の男子が小学生の美少女に囲まれている図は、変質者とまでは行かなくともロリコンのレッテルは貼られるだろう。
 ちなみに、5年後同じ状況に陥った時には、道行く男達の尋常ではない視線が突き刺さるのだが、現状はそこまでには至っていない。視線を集めていることに変わりは無いが。更に言うなら“高町”恭也が普段から無自覚に似たような状況を作り出しているため、翠屋においては日常風景として処理されている。

「気になるんなら店内に座れば良かったんじゃない。あんたが外の方が良いって言い出したんだから今更文句言うんじゃないわよ」
「店内の男女比率を見れば流石にな。甘い匂いも苦手なんだ。
 …それ以前に喫茶店に来るとは思っていなかったんだが。一般論に意味は無いのかもしれんが、小学生だけで喫茶店なんて来ないんじゃないのか?」
「そうだね。いくら翠屋さんのケーキがおいしくてもなのはちゃんの家じゃなかったら私達も子供だけじゃ来てないと思う」
「ここが高町の家なのか?」
「住んでる訳じゃないんだよ?お父さんが店長さんでお母さんがパティシエ、えっとお菓子を作るコックさんなの」
「なるほど。店員のこの視線は高町兄のバッタモンを物珍しがっているのか」
「べっ別にそんな言い方しなくてもいいと思うわよ?顔が似てるのはあんたの所為じゃないんだし」
「優しいじゃないかバニングス。その言葉を真っ向から言い放った人間とは思えない台詞だ」
「っう、根に持つんじゃないわよ!陰険な男ね!」
「まあまあ」
「あら、楽しそうなところゴメンね。お待たせしました」

 すずかが仲裁に入ったところで、にこやかな店員が4つのケーキと5つのカップを運んで来た。
 美人だ。
 背中まである髪の色と整った顔立ちから、なのはの血縁であることを察するのは難しくないだろう。心を暖めてくれるような笑顔は血筋以上に家族であることを想起させる。
 女性は運んで来たメニューをそれぞれに配りながら挨拶を交わしていく。

「いらっしゃい、すずかちゃん、アリサちゃん」
「こんにちは桃子さん」
「お邪魔してます、は変か。こんにちは」
「はい、こんにちは。ゆっくりしていってね。
 フェイトちゃんは初めまして、ね。ビデオレターはなのはと一緒に見させて貰ってたから何度か会ってた気分だけど」
「あ、はい、初めまして、フェイト・テスタロッサです。よろしくお願いします」
「ふふ、あまり畏まらなくて良いのよ?私の事は“桃子さん”て呼んでくれると嬉しいな」
「はい、桃子さん」
「うん、素直でよろしい。なのはと仲良くしてあげてね。
 で、あなたは恭也君でよかったかしら?なのはから噂は聞いてるわよ?」
「初めまして。噂通りご兄弟に似ているでしょう?」
「え?」
「ん?」
 キョトンとした表情が浮かぶ桃子の顔を見返す恭也。面識の無い高町恭也と実年齢を知らない桃子に対して、兄とも弟とも明言しなかったのは恭也なりの気遣いだったのだろうが、この反応は想定していなかったようだ。
 年齢の不祥さは恭也の専売特許ではないことは叔母の美沙斗や琴絵で知っていたが、それほど多く居る訳ではないのも事実だった。だからこの誤解は仕方ないと言えるだろう。

「あはは、ありがとう。改めて自己紹介。高町桃子、なのはの母です」
「母!?姉ではなく?」
「あ〜うん。おかあさん」

 確認するような視線を寄越す恭也に、なのはが表情の選択に困りながらも肯定する。

96 小閑者 :2017/07/16(日) 16:00:36
 商店街では有名人といえる翠屋の看板娘その1(主婦だが)なのでこの手の誤解は多くないのだが、他の町から来た客は当然の様に間違える。なぜ間違えている事が分かるかと言うと、ちょくちょくナンパされるのだ。そして、桃子自身がその時の事を家族に語って聞かせる。別に自慢している訳ではなく、ナンパされた時の士郎の焼餅を焼く様を語りたいだけなので、結局は惚気話でしかないのだが。

「…失礼しました。少々意表を衝かれたもので」
「ふふ、どういたしまして。若く見てもらう分には全然構わないわよ?
 それにしてもホントに大人びてるのね。なのはと歳が変わらないとは思えないんだけど」
「年寄りくさいとはよく言われます。高…、娘さんから他に何か聞いてますか?」
「そうね、意地悪されたとか、からかわれたとか、嘘つかれたとか?」
「ほうほう」
「お、お母さん!」

 桃子の語る暴露話になのはが抗議の声を上げる。恭也の対応が今以上に過激になっては身が持たない。

「不満そうな顔しながら楽しそうに話してくれるから、よっぽど恭也君と一緒に居るのが嬉しいのかしらね?
 あと、凄く運動が出来るんだって、自分のことのように自慢してくれるから、お父さんやお兄ちゃんの顔が引き攣ってたのよねぇ、なのは?」
「お、おおおお、お母さん!?」

 前触れも無く内容が180度方向転換した事に、先程以上に慌てるなのは。
 熱くなった顔を自覚して思考が空回りを加速させる一方、妙に冷静な部分が“疚しい事はないはずなのにどうしてこんなに恥かしいのだろう”と首を傾げている。
 なのはは自分の反応を楽しそうに眺める桃子を、立ち上がって一生懸命睨みつける。視線を下ろせば皆の顔が見えてしまうため、必死である。返る視線は“お見通し”と言わんばかりに余裕に満ち溢れているため、桃子を睨み続けるのもかなりの気力を要するのだが。

「なのは、家で男の子の話をする事があんまりなかったから、桃子さんちょっと感激しちゃったのよ。
 恭也君、これからも仲良くしてあげてね?」
「まぁ、俺で良ければ。ですが、人選ミスかもしれませんよ?」
「ふふ、そこはあまり心配してないわ。なんたって桃子さんの自慢の娘ですもの」
「お母さん…」

 桃子の声に含まれる信頼と慈愛の感情に思わず矛先を緩める人の良さが、なのはのからかわれる最大原因であることに本人が気付くのは何時になるのだろうか。

「でも、この分だと美由希よりなのはの方が早いのかしら?
 安心して、なのは!今日、士郎さん用事で隣町に行ってて帰ってくるの夕飯頃だから!」
「何を安心するのー!?」
 
 桃子は愛娘を弄り倒して満足したのか、最後に「ごゆっくり」と言い残し去って行った。
 感情が飽和しかけているなのはの事は完全に放置である。呆れの混じる苦笑を浮かべるアリサとすずかの様子からするとこれも日常風景なのだろう。
 目を丸くしているフェイトへのフォローは後に回すとして、先ずは立ち尽くすなのはを落ち着かせるべく2人で声を掛ける。

「なのは、落ち着きなさいよ。…桃子さんも相変わらずね」
「あはは…、ホント桃子さんらしいね」
「あんたも、今のはなのはをからかうために引き合いに出されただけなんだから、図に乗るんじゃないわよ?」
「もぅ、そんな言い方しなくても…?恭也君?どうかしたの?」
「……ん?…あぁ、スマン。高町母のインパクトが強くて呆然としていた。何の話だった?」
「あんたね…まぁ分からなくは無いけど。あ、さては桃子さんが美人だから見とれてたんじゃないの?」
「…確かに美人だったな。高町は容姿も整っているが、スタイルも保障されたようなものだな…」
「!?…っえ、え〜!?」
「ちょ、あ、あんた何言い出すの!?まさか、本気でなのはの事!?」

 先程以上に赤面するなのはと動揺するアリサ、声も無く驚くフェイトとすずか。発言者の恭也が至って平静であるため、第三者からは余計にその落差が強調される。

97 小閑者 :2017/07/16(日) 16:02:48
「驚くようなところか?月村だって姉を見る限り将来有望だろうに」
「えっ私!?」
「こーら、公衆の面前で何平然と人の妹口説いてんの?『ガタンッ!』 へ?」

 唐突に恭也の背後から声を掛けたのは、翠屋の制服である黒いエプロンを纏ったすずかの姉・月村忍だった。だが、本人には驚かせる気は無かったようで、椅子を蹴り倒して立ち上がり自分を凝視するという恭也の過剰な反応に逆に驚いている。忍が真後ろに立っていたら蹴り倒した椅子がぶつかっていたところだ。

「あ、あれ?ゴッゴメン。驚かせちゃった?えと、八神君、だよね?」

 正確に表現するなら、忍は背後に立ったことに恭也が気付いていないとは思っていなかったのだ。思わず人違いだったかと心配するほどに。

「お姉ちゃん、急に後ろから声を掛けたら誰でもビックリするよ!」

 すずかの姉を注意する言葉を聞きながらも、全員が胸中で首を傾げる。
 初対面の時に背後からこっそり近付くなのはに気付き、早朝練習で背後から迫る誘導弾に反応し、つい先刻背後からの奇襲を(声を掛けたとは言え)躱して見せた八神恭也が、無造作に近付いた忍に気付かないのはあまりにも不自然だ。いや、不自然と言うなら先程からの褒め言葉(?)も、思ったままを、もっと的確に表現するなら思考を挟まず脊椎反射的に口にしていたような…?

「いえ、俺の方こそすみません」
「…恭也君、大丈夫?何か、その、辛そうに見えるけど、気分悪いの?」

 なのはが、言葉少なく謝罪する恭也の様子を見て心配げに声を掛ける。
 アリサはすずかに視線を向けるが小さく首を振って返された。2人には恭也の動揺が椅子を蹴り倒した行動からしか窺う事が出来なかったのだ。ここは唯一恭也の表情の変化に気付けたなのはに任せるしかないだろう。

「高町に俺以外の男友達が居ないと聞いて驚いたんだ」
「そこは忘れてー!」

 駄目だった。
 だが、頼りにならないと言ってしまうのは、なのはが可愛そうだろう。恐らく恭也も自分の変化に気付いたのがなのはだけだと察して、口撃を仕掛けたのだ。心配されることを嫌っての口撃であるなら問い質そうとしても集中砲火を喰らうだけだ。

 すずかとアリサはこの場に居る年長者である忍に視線を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではない。普段おちゃらけていてもいざと言う時に頼りになる女性ではあるが、流石に今来たばかりで全てを察する事など出来るはずが無いのだ。
 だから、忍を見たのはこのテーブルに来た理由を確認する程度の意味でしかなかったのだが、視界に映った意味不明な光景に2人の目が点になった。忍が普段見せないような真剣な表情で妙な踊りを踊っていたのだ。

 周囲から置いてきぼりにされたフェイトは、この場で唯一状況を俯瞰して見られる立場に居た。
 だから、すずか達から見たら妙な踊りにしか見えない忍の動作が、店内に居る人物、恐らくは店の責任者であるなのはの母・桃子と意志の疎通を図るためのジェスチャー(この場合はブロックサインか?)である事がわかった。尤も、その内容までは推し量ることは出来ず、困惑していたことに変わりは無かったが。

「さて、桃子さんの許可も下りたことだし、ちょっとだけお姉さんも話の輪に入れてもらうわよ?」
「えっと、お姉ちゃん?」
「どうしたんです、忍さん?」
「ホントは挨拶だけの積もりだったんだけどね?
 普段の八神君ならからかう隙もなさそうだけど、今は情緒不安定っぽいから、チャンスかなーって」
「不要です」
「ダメー。この短時間で復活して見せた精神力は買うけど、それとこれとは別問題。
 可愛い妹とその友達に害が及ぶ可能性があるんですもの。危険は少しでも排除しなくちゃ」

 2人の遣り取りを聞いている間にすずかとアリサの表情が引き締まる。
 会話が不自然だ。普通恭也の返答は「止めて下さい」か、恭也らしく「返り討ちにして差し上げましょう」などになる筈だ。忍自身も「恭也をからかう」と言いながら、最後に忠告を促す内容になっている。つまり、最初の「からかう」が嘘なのだ。

「では、俺が離れましょう」
「それも駄目。過保護にし過ぎて“温室育ちのお嬢様”にするつもりは無いの。何時までも私が傍に居られる訳じゃないもの、状況と危険度を理解した上で乗り越えて貰わなきゃ。
 全てを知った上で“今の自分には無理だから回避する”って言うのは有りだけどね?
 とは言っても、あなた達には聞かない権利があるわ。どうする?」

 言葉こそ冗談を装っているが、忍の目は4人の少女にも十分に理解できるほど真剣そのものだ。

98 小閑者 :2017/07/16(日) 16:03:32
 なのはが心配そうに恭也へ視線を送る。今の会話の流れと恭也の硬い表情からすれば、忍がこれから語ろうとしている内容を察しているのだろう。だが、恭也の硬い表情を見てもなのはは断ろうとはしなかった。
 忍の発言に含まれる“自分達への忠告”とは恭也に妨害させない為の大義名分なのだと察したのだ。
 これから語る内容は恐らく、忍の言葉を否定できない程度には周囲に被害が及ぶもの。しかし、忍の言葉通り自分たちに降りかかるものより、遥かに多くの実害を恭也が受けるのだろう。
 つまり忍はこう言っているのだ。「心の弱っている恭也には辛いことだから助けて上げて欲しい」と。

「聞かせて下さい、忍さん」
「うん、そう来なくっちゃ。すずかとアリサも良いわね?
 フェイトちゃん、あなたはどうする?あなたはこの町に来たばかりって聞いてるから、八神君とはそれほど親しい訳じゃないんでしょ?」
「…私も聞きます。特別に恭也を助ける義理はありませんが、なのはの力にはなりたいから」
「フェイトちゃん、ありがと」
「ふふ、それも有りだね。それにしても八神君、こんな良い子に嫌われるなんて何したの?」
「心当たりがありません」

 いけしゃあしゃあと言い切る恭也にフェイトは絶句する。どれだけ面の皮が厚ければこんな事が言えるのか?
 尤も、下着を見られたのは、勘違いさせる原因が恭也にあったとは言えフェイト自身の行動の結果だし、嘘を吐いてからかうことは恭也にとってコミュニケーションと同義になりつつあるため罪悪感すらなさそうである。

「う〜ん、正負を交えて女の子の注目を集めちゃう辺り、恭也よりも女の子泣かせになりそうでお姉さん心配よ?」
「そう言う不要な親切心を“老婆”心と言うんです。若い女性らしくさっさと本題に入って下さい」
「…っく。そう言う最初から反論を封じるような言い回しは敵が増えちゃうんだからね!」
「余計な心配をされるくらいなら、敵で結構」
「フンだ!いいもんね、八神君が嫌がる事、これからもいっぱいしてやるんだから!」

 子供っぽく頬を膨らませて周囲に微笑ましい気持ちを振りまく忍。桃子といい忍といい、類は友を呼ぶと言う格言は正しいようである。

「フェイトちゃんは恭也に、なのはちゃんのお兄さんの高町恭也には直接会ったことないのよね?」
「はい、ビデオメールで見ただけです」
「そっか、じゃあ恭也の説明を先にした方が良いわね。あ、これから恭也って言ったら高町恭也、八神君って言ったら八神恭也の事だと思ってね。
 恭也はね、カッコよくて、優しくて、格闘技も強くって、頭もそこそこ良くて、それでいて努力家という、何処の漫画の主人公だ?って問い詰めたくなるような人で、私の恋人なの!」
「…は、はぁ」
「お姉ちゃんお姉ちゃん」
「大丈夫よ、すずか。脱線してる訳じゃないから。
 そんな非の打ち所の無い恭也ではあるんだけど、だからこそ周囲から妬みややっかみを受ける事がある。自分の失敗を人のせいにしたがる奴は意外と多いのよ。
 残念ながら万人に愛される人は居ないんでしょうね。
 光が強いほど出来る陰は濃くなるものでね、分かり易い実例を挙げるなら、自分が好きになった女の子が振り向いてくれないのはアイツが居るからだ!って訳。
 しかも、恭也の恋人がこんな可愛い忍ちゃんとくれば、モテナイ男共のやっかみはもう避けようがないのよ!」
「大変ですね」
「……ごめんなさい、最後のは聞き流して下さい」
「相手を選ばずに言うからですよ」
「くぅ」

 フェイトに大真面目に同意されてしまい居た堪れなくなった忍は、恭也からの追撃にも黙って耐えるしかない。すずかとアリサの呆れ4割、同情6割の苦笑がとても辛い。

99 小閑者 :2017/07/16(日) 16:04:11

「ゴホンッ
 そんな訳で恭也はちょくちょく人気の少ない路地を歩くと八つ当たりの襲撃を受けてるみたいなの。相応の力で撃退してるらしいけど、後を絶たないらしいわ。今じゃ噂が噂を呼んで「恭也を倒せば最強の称号が得られる」みたいなノリになってきてるみたい」
「さ、最強?」
「まあ、恭也に実力で勝てるならそこら辺のチンピラくらい物の数じゃないから、あながち間違いじゃないんだけど。で、ここからが本題。
 そんな恭也とそっくりな八神君を見かけたらそいつらはどうするでしょう?」

 想像するまでも無いだろう。勘違いで襲われることになるのだ。
 だが、アリサとすずかが言葉を発する前になのはが否定した。

「えっと、でも、恭也君もその辺りの不良さんの3人や4人には負けないと思うんですけど…」
「え?なのはちゃん?」
「あ、なんだ、なのはちゃんは知ってたんだ。こないだ隣町から来た20人くらいの団体さんを撃退したらしいんだけど」
「20人!?なのは、知ってたの?」
「20人て言うのは初めて聞いたけど、1時間くらい連続で動き回っても平気そうだからできるかなって」
「1時間!?は、まあ凄いけどジョギングとは違うのよ!?」
「目で追うのがやっと位のスピードだよ?」
「もしかして、さっきの公園での動き位?」
「うん、あんな感じ」
「…こないだ、なんかの特集で同時に3人から攻撃されると、大人と子供ほどの実力差があってもまず勝てないってやってたんだけど」

 話題の渦中に居るはずの恭也の方を窺うと、話題に興味を示すこともなく、膝に乗せた野良猫の喉元をくすぐっていた。体を弛緩させて寝転がる猫は非常に気持ち良さそうである。

「…忍さんが話したかったのはそれ?だったらあんまり役に立てそうに無いって言うか、本人が言ってた通り手助け不要な感じなんですけど?」
「違うよ。この話だけなら八神君だって止めなかったと思うよ?」

 忍の声に反応するようにそれまで弛緩していた猫が顔を持ち上げ、恭也を下から見上げて一声鳴くと膝から降りて、名残惜しそうに何度も振り向きながら去っていった。

「…嫌われたか」
「気を遣ってくれたんでしょ?猫は感情の変化に敏感なのよ?」
「あ…」

 猫に囲まれて生活しているすずかには思い当たる節がある。悲しかったり心細くなった時に慰めるように猫達が体を擦り寄せてくれる事が何度もあった。では、あの猫が恭也から離れていったのは、偶然ではなく恭也が独りになることを望んだから?

「ここからが本題。八神君、心の準備はよろしいか?」
「勝手にして下さい。何を言ってもやめるつもりは無いんでしょう?」
「ご名答」

 冗談のような遣り取りをしながらも、忍が恭也を気遣っている事が見て取れた。恭也が本気で拒否すれば辞めるつもりではいるのだろう。

「今話したのは物理的な嫌がらせ。予想がつくと思うけどこれから話すのは精神的な攻撃。
 最悪なのがそいつらは自分に非があることを自覚してない、ん〜ん、自分が正しいと信じ込んでいる辺りかな」

 思い出すのも腹立たしいと言わんばかりの忍の態度にすずかが驚いた。
 今でこそ明るいお姉さん然としている忍だが、両親を事故で亡くしてからは、恭也と恋仲になるまですずかと2人のメイドの他にはごく少数の信頼する人物にしか感情を見せる事がなかった。両親の残した莫大な遺産に顔も知らないような親族が群がってきたのがその原因だ。
 その時期に偶然、最も信頼している叔母の綺堂さくらに親族の性根の汚さについて愚痴を零している姿を見かけた事があった。あれほど苦しそうに吐露していたのに、結局すずかの前で忍が笑顔を絶やすことは無かったのだ。
 状況が違うとは言え、感情を隠すことに長けた忍が、嫌悪を露にしているからには余程のことだろう。

100 小閑者 :2017/07/16(日) 16:04:49

「妬み嫉みの感情を持つのは男に限ったことじゃなくてね。
 直接暴力に訴えない分、女の方が陰湿になり易いのかな。勿論、全員がそうだとは言わないし、私だけ例外だなんて言う積もりも無いんだけどね。
 回りくどく言っても仕方ないから言っちゃうよ?
 恭也に恋人が居ることを知らない女の子が、告白しようとして良く似た八神君に告白しちゃうの。ここまでは男の場合と同じ。
 八神君が説明して誤解を解くと、ごく一部に彼を批難する人がいるの」
「批難?勝手に間違えたのに?」
「フェイトちゃんの言うことは尤もなんだけどね、恋する乙女は状況が分かるほど冷静じゃ無いらしいの。
 捨て台詞は―――ッ」
「“騙したのね”とか、“卑怯者”とか、かな。月村さんが聞いてたのは“偽者”だったかな?“紛い物”ってのと合わせて言った本人的には一番的を射てるんだろうな」

 口ごもった忍の台詞を恭也が何でもない事だとでも言うように代弁した。事実、アリサにもすずかにも、恭也が特に表情を歪めている様には見えなかった。そう、表情を崩しているのは本人よりも寧ろ。

「軽い調子で言ってもダメ。そもそも、その捨てゼリフの前に延々と思いつく限りの罵詈雑言を並べ立ててるじゃない」
「毎回、よくあれだけ思いつくものだと感心していますよ。普段から悪口を考えながら生活しているんですかね?
 …そんなに気を遣って貰わなくても、悪口位で泣いたりしませんよ」
「そんな顔して言われてもねぇ。君が図太いことは知ってるけど、悪口言われて喜ぶほど捻くれてはいないじゃない。
 私が偶然見かけた回数だけで2桁に届こうとしてたんだもの。何十人から言われ続ければいつか耐え切れなくなるよ?
 しかも、律儀に最後まで付き合ってるんでしょ?今度から殴り倒して黙らせるのもありかもしれないよ?」
「恭也君…?」
「恭也、あなたは…」

 寧ろ、冗談めかしながらも心配している忍であり、恭也の肩に手を掛けるなのはであり、言葉を失うフェイトの方だった。

「気のせいですよ。月…あ〜、あなたの妹君やバニングス嬢は特に違和感を持っていないようですよ?
 あの時にも言ったでしょう?見ず知らずの他人に口先だけで何か言われた位で傷つく様な繊細さは持ち合わせていないんですよ」
「…うん。私もあの時の君だったから、その台詞を信じることにしてあげた。納得は出来なかったけどね?
 でも、今の君の言葉は100歩譲っても信じてあげることはできないよ。
 この1週間で何かあったの?それとも、さっきの桃子さんとの会話?」
「さあ?仮にあったとしても秘密です」

 埒が明かない、と忍が周囲に目をやるが4人も返せる情報など持っていない。それほど頻繁に恭也と会っている訳ではないし、先程の桃子を交えた談笑とて被害者は寧ろなのはだった筈だ。

「…もう、どうしてそう強情かな。折角女の子が心配してくれてるんだから素直に甘えれば良いのに。ねえ?」
「えっと〜、お兄ちゃんもそうですし、男の人は強がっちゃうものなんじゃないでしょうか?」




 そう。分かるはずが無いのだ。恭也の境遇など。

「…もしも本当に、自分が偽者だったら、誰かに造られた存在だとしたら、どうする?」

 だから、フェイトの発した質問の内容が恭也にとって深く傷付いた心を抉るものであったとしても、恭也がフェイトを非難する事はなかった。



 
 フェイトが漏らした疑問の声に全員がギョッとしてフェイトに視線を集めた。

101 小閑者 :2017/07/16(日) 16:05:37
 この場ではなのは以外知る者の無いフェイトの秘密。大魔導師プレシア・テスタロッサが、事故で亡くした一人娘アリシアを蘇生しようと試み造り出した、しかし、アリシアではない何か。“失敗作”であり“紛い物”であり“偽者”である自分。
 PT事件の後、本格的な身体検査を行った結果、何の欠損も無い人間であると言う結論が出た。その時はそれを教えてくれたリンディ達に「おめでとう」と祝福された事に素直に喜ぶ事ができたが、時間が経つにつれて別の考えが頭を擡げてくる。
 そもそもアリシア・テスタロッサであることを望まれて生み出されたにも関わらず、それ以外でしかなかった自分は“人間”であろうと価値など無いのではないか?実情として親に愛されない子供が居ることは知っていたが、少なくともその子供も両親の愛の結晶であって自分とは生まれ方が違うのだ。(フェイトが具体的にどうやって子供が出来るのか知らないからこその誤解ではあるのだが)

 確固たる自我が確立されていない子供が、価値観の全てとも言える母親に面と向かって拒絶されてからたったの半年しか過ぎていないのだから、思考が後ろ向きになるのは当然の結果だ。そして、その事が頭の隅に常にあり続けたため、自らの根幹に関わる内容である先程の恭也の発言に反応したのだ。

 フェイトは決して自分本位でもなければ短慮な方でもない。たまに思い込みで突っ走り恥かしい思いをするようなうっかりやさんではあるが、人を思い遣る優しさはある。
 にも関わらず、“八神恭也”の存在を否定するような質問を発したのは、普通の生活を送っている者であれば馬鹿げた仮定だからだ。…人と関わる経験が圧倒的に少なかった上に、恭也と会って間もないフェイトからしても、恭也が“一般的”に分類して良い存在であるのか非常に疑わしいことは感じ取っていたが、流石に現在の境遇を推測することなど出来る訳が無い。
 だから、なのはを心配させるであろう事、初対面のアリサやすずかに良い印象を持たれないだろう事を頭の片隅に浮かべながらも問わずには居られなかった。
 多少なりとも近い境遇における、フェイトの事情を知らない他者の、慰めの言葉ではない本音を聞きたい。
 後で振り返ってみると、この時のフェイトは何故か、恭也から奇異の目を向けられたり馬鹿にされる可能性を疑っていなかった。“馬鹿げた想定”でありながら、恭也ならこの問いに真剣に応えてくれると何の根拠もなく確信していた。

 そんな事を考えていたため、忍やなのはの恭也を心配する言葉は頭に入る事がなく、自身の不安と打算と奇妙な信頼に任せて疑問を発したフェイトは、ただ一人恭也の顔に表れた表情を見て、血の気が引いた。

 フェイトには恭也の仏頂面から感情や思考を読み取ることは出来ない。
 恭也の表情を読み取るには対人関係の経験だけでは足りず、本人との長い付き合いが必須となる。
 なのはと忍は“高町恭也”との経験を“八神恭也”に適用しているからこそ読み取れているが、“高町恭也”との接点の少ないアリサとすずかにはそれが出来ない。
 どちらも不足しているフェイトには望むべくも無い技能だ。

 だから、フェイトが驚いたのは希少な恭也の表情から感情を読み取れたからではない。
 自身と近似した感情であったために共感できてしまったのだ、半年前に自分が母から受けた衝撃に劣る事が無い程の心境であることを。
 せいぜいが悪口を言われた程度の事だと思っていたからこそ、自分の言葉がどれほど恭也の傷を抉ったのかを悟り、フェイトは蒼褪めた。

「あ…、ごっごめんなさい…いま、今のは」
「辛いだろうな」

 動揺し、発言を取り消そうとしたフェイトを抑え込む様に呟いた恭也の弱音とも言える台詞に誰も口を挟む事が出来ない。

 この中で恭也の境遇を垣間見た事があるのはなのはだけだ。それも出会って間もない頃、魔法を秘密にして貰うように頼んだ時のみで、その時ですら愚痴を零すことすらなかったのだ。
 アリサやすずかなど恭也に悩みがあることすら今日まで知らなかった。
 だが、たった一言の呟きにより、今まで見てきた人をからかうことに人生の全てを費やしているかのような恭也の姿がほんの一面であると言う当然の、しかし、先程忍となのはに心配されていた様子からは実感できなかったその事実を突き付けられた気がした。

102 小閑者 :2017/07/16(日) 16:07:30

「それが事実だったら、な。
 状況に依って随分変わるだろう。
 誰から、どの様に、何を目的として知らされたか。
 そして、何を目的にして造られたのか。
 オリジナルが健在かどうか、そして自分が周囲の人をどう思っているか。

 気にしない振りをして、それまでの道を進み続ける。
 反発して、自分のことを誰も知らない土地へ行く。
 オリジナルが健在ならそいつを押し退けて、入れ替わる。
 自棄を起こして周囲に当り散らす…のは、選択肢に上げるには稚拙か。長続きもせんだろうしな。

 何れにせよ、どれを選択したとしても共通して言えることは、恐らく知らなかった頃には戻れないと言う事だ。気にしない振りをしたところで出来る訳が無い。
 他者が自分に対してとる態度の一つ一つを、“オリジナルへの代替としての行為”として疑うことになるだろう」

 フェイトは淡々と語る恭也から視線を外す事が出来ない。
 恭也の表情の変化を確認出来たのは問い掛けた直後の、その一瞬のみだったため恭也の心情が計り知れない。だからこそフェイトには恭也が自ら心を切り裂きながら語っている様に見えるのだ。
 フェイトが期待した通り真剣に、想像し得なかった傷付く行為であるにも関わらず、何の事情も説明していない自分の問いに応えてくれている。目を逸らすことなど出来る訳がない。

「俺なら、そうだな。
 家族以外から聞いたなら信じない。全ての状況がそれを示していても、それ以外の可能性を見つける事が出来なかったとしても、絶対に信じない。信じてなど、やらない。
 家族から聞かされたなら、…仕方ないな。何を求められているのかを確認して、その通りに演じるかな。演技力に自信はないんだが」
「―――それで、良いの…?」

 幾分かの自嘲が混ざった恭也の答えにフェイトが問い返す。
 長引く程恭也に苦痛を強いるであろう事は分かっているが、ここまで語らせておきながら真意を取り違える訳にはいかない。
 震えそうになる声を必死に抑え込みながら問い掛ける。「自分を生み出した家族を恨まないのか?」と。

「ああ。
 感謝こそすれ、恨む筋合いはない。家族として接してくれた記憶があり、記憶の中の家族には感謝の念しか湧かない以上、この記憶が彼らの都合を押し付けるために植付けられた偽りであろうと構わない。
 俺にとっての世界は俺が認識できる外側には存在しないからな。
 他の誰の目から見ても、道化にしか見えなくとも俺はそれで良い」
「その人達のしようとしている事が、―――悪い事だと、しても?」
「そうでないことを祈るんだが、な。
 …もしも、彼らが俺の知る、俺の記憶にある家族が許容しない事をするなら、妨害する」
「え?でも…」
「ああ、出来る限り家族の望みに応えてやりたい。
 だけど、家族だからこそ、協力できない事、黙認できない事はある。
 犯罪かどうかは問題じゃない。それが俺の家族なら許容しないであろう行為であったなら、俺に取り得る如何なる手段を持ってしても、敵対することになったとしても、彼らを押し留める。
 憎まれても、罵られても、絶対に引かない。
 俺は彼らの奴隷でも道具でもない。対等な家族であろうと想う以上、絵空事でしかない俺の記憶の中の家族に戻ってもらう。
 それが俺を生み出した彼らの責任と言う事にしておこう。
 まぁ、“失敗作”だったと諦めてもらうしかないな」

 そう自嘲的に言うと恭也は話を締めくくった。

103 小閑者 :2017/07/16(日) 16:08:05

 記憶に従う。

 フェイトはそんな考え方をしたことがなかった。
 自分の記憶が、過去が、他人の物であるなら、その人の物を無断で使っているようで、記憶や経験を基にして行動しては駄目なのではないかとすら考えていた。
 ましてや、自分を生み出した存在に、母に、逆らうことなど赦されない事だったのではないかと、今でも悩み続けている。

 あれだけスムーズに口に出せた事からすると、この世界では信じがたい事ではあるが、少なくとも恭也の主観においては“自分の記憶が他者から与えられた物である証拠”が揃っている、あるいは、否定できる証拠が揃えられない状況にあるのだろう。つまり、口先だけの理屈ではないのだ。
 恭也の方針は論理的に理性的に“自分の感情を納得させられるであろう行動″を突き詰めた結果、辿り着いた結論だろう。
 感情論を正当化するための言い訳とも取れるが、家族と敵対してでも“記憶の中の家族”を守ると言う一貫した芯もある。これらの仮定が現実となったとしたら、恭也はこの考えを実行するだろう。フェイトには嫌われることを恐れて、プレシアに反論することすら出来なかったのに。
 悩んでいない訳がない。人格は記憶や経験を土台として確立される物だ。それが捏造されていたとなれば自分を成り立たせる全てが瓦解する。
 それでも、絶望する事なく、状況に合わせて在り方を決める。言うに易いその行為はフェイトには出来なかった事だ。



 恭也は語り終えると一同を眺め、最後に視線を忍に固定する。語られた内容に戸惑いつつも忍が頷いて返したことを確認すると、千円札を机に置いて立ち上がった。

「あ、恭也君!」
「高町、白けさせて悪かったな。“もしも”の話にちと力が入り過ぎた。
 思ったよりも時間が過ぎたことだし、そろそろ退席させてもらう」

 一方的に告げてさっさと遠ざかる恭也を放心したように見送る少女達の中で、フェイトが慌てて立ち上がると「ゴメン!」の一言を残して恭也を追いかけて行った。
 フェイトの姿が見えなくなっても声を発することの無い一同に、恭也に後を託された忍が何でもない事の様に話しかけた。

「…凄い想像力だね。
 突然あんな、有り得なさそうな状況を提示されてスラスラと答えちゃうなんてさ」
「…あ、そうだね。前に恭也さんが“戦う時には色々な状況を想定するんだ”って言ってたけど、恭也君もそう言うのに慣れてるんだろうね」
「あ、ああ、そうなんだ。それにしても変に細かい所まで想定してるから、私でも信じそうになっちゃったじゃない」

 忍、すずか、アリサが口々にあの内容が“空想”であることを強調しながらなのはの様子を窺う。

「うん…そう、だね」

 だが、なのはの強張った表情を和らげることは出来なかった。

「無理、か。
 まったく、自分でも言ってたじゃない。“知ってしまったら元には戻れない”んでしょ?」

 忍の愚痴交じりの小さな呟きは誰にも聞き取られることはなかった。
 忍の知る八神恭也は、不用意に周囲の人間に不安を撒き散らせるような人物ではない。それはつまり、弱音を漏らす事が、助けを請う事が出来ないという事だ。だからこそ、今日友達として接しているなのは達に恭也を支えて貰おうとお節介を焼いたのだ。(今まで恭也とあった時には常に独りか“敵”しかいなかった)
 その恭也が、恐らくは自身が直面しているであろう問題を口にしたのは、フェイトにとって絶対に必要なことだと判断したのだろう。
 どれだけ日常からかけ離れた突飛な話であろうと、本心から語る言葉を聞き違えることの無いところまで高町恭也に似ているとは。
 忍は浮かびそうになる思考を必死に振り払う。

 間違えるな!彼は八神恭也だ!

 忍は軌道を修整し、思い詰めた表情のなのはへの対処に集中する。
 なのはは軽い冗談も本気にしてしまいかねない純真さを持っているが、決して愚鈍な訳ではない。ましてや、兄とは多少の差異があるため精度が落ちるとは言え、恭也の表情を読み取る事が出来るのだ。
 話を合わせてくれたすずかやアリサとて、騙せるとは思っていなかっただろう。
 と、なれば次善の策を考えるしかない。恐らく恭也もこちらを期待していたのだろう。

(まったく。八神君、この借りは高く付くからね!)

104 小閑者 :2017/07/16(日) 16:19:42
 元を正せば恭也が止めるのを黙殺して話を始めたのは忍なのだが、既にそんな事実は忘却の彼方に追いやっている。程度の差はあれ、この状況は忍が企んでいた通り、恭也が独りで抱え込まないように周囲の関心を集めること、そのものなのだが。

「なのはちゃん、早とちりしちゃ駄目だよ?」
「え?」
「流石に“誰かに造られた存在”って仮定そのものの状況じゃあないとは思うけど、今、何かしら八神君が信じているものが、信じたいものが揺らいでるんだと思う。
 でも、彼自身が言ってたでしょ?本人達から言われない限り、絶対に信じないって。信じてやらないって」
「…はい」
「なら、なのはちゃんも信じてあげて。
 見たこともない“彼が信じたい誰か”の事じゃなくて良い。八神君自身の事を、心配するんじゃなくて、信じてあげて。
 彼が信じたい存在が、信じてきた存在が間違っていないって。根拠なんて無くても良いから、彼が揺らぎそうになったら、励ましてあげて」
「はい!」

 不安に揺れていたなのはの目が力を取り戻したことを確認して、忍が気付かれないように安堵した。

105 小閑者 :2017/07/16(日) 16:36:20
 恐らくは恭也の嫌がる内容だろうが、知ったことか!丸投げした彼に文句を言う権利など無いのだ。何より既に宣言してあるし。「嫌がることいっぱいしてやる!」と。
 そんな事を考えながら溜飲を下げているとアリサとすずかの問いた気な表情に気付いた。
 予想していた事である為、なのはに気付かれない様に答えて返す。

「励まし過ぎると負担になったり、実際に裏切られた時に八つ当たりの対象にされる可能性はあるんだけどね?その時はなのはちゃんの周囲がフォローしてあげれば良いの。
 私も気に掛けとくし、恭也にも伝えておくけど、あなた達にも期待してるんだから、がんばってよ?」
「傷付く事が予想出来るなら、けしかけるような事言わなくても…」
「アリサ、子供の頃からあんまり頭でっかちになるのは感心しないわよ?頭でっかちに育った先輩からのささやかな忠告。
 さっきも言ったと思うけど、あなた達を温室育ちのお嬢様にする積もりはないの。傷付くこと全部から逃げ出すってことは誰とも関わらないってことだよ?そんな人生、つまらないでしょ?」

 相手が八神恭也であればそれほど心配要らないだろうと考えながら、妹達の納得8割、不満2割の視線に余裕の笑みを取り繕う。世の中に“絶対”など無いことを良く知っているからこそ、皆が幸せになれることを祈りながら。




「恭也!」
「まだ何か質問か?」

 ゆったりした足取りで立ち去る恭也に、全力で走って漸く追いつけたことに内心首を傾げながらも、数歩の距離を空けて恭也と対峙する。
 周囲に人影が無いのは都合が良い。
 まっすぐに恭也に視線を合わせ、伝えなくてはならない言葉を口にする。

「ごめんなさい」
「あの話は愚にも付かない空想だ。そうである以上、謝罪される様な事をされた記憶は無いんだが?」

 そう、あの話は空想なのだ。決して恭也が信じないと決めた、真実であってはいけない仮定。

「うん。
 でも、あなたの心を傷つけたと思う。だから、ごめんなさい」
「強情なことだ。高町もそう言うところがあるようだから、やはり傾向の似た者が集まるものなんだな。
 わかった。謝罪される謂れは無いが受け取っておいてやる」

 呆れたように溜息を吐きながら数歩の距離を詰めるとフェイトの頭を優しく撫でる。
 フェイトはその手を振り払う訳にもいかず、顔を見られない程度に俯けると奥歯をかみ締め必死に耐えた。

「本当に強情だな」
「あなたには…言われたくない……もう、放して…」

 茶化す様な内容とは裏腹に労わる様な口調の恭也の言葉に、フェイトが搾り出すように抗議の声を上げるが、頭上から手が退かされる気配はない。
 傷付いたのは私じゃない。何度も自分に言い聞かせる。

「気持ちは分からん訳でもないが、そう言うな。
 …出来れば代わりに泣いてくれると助かる。俺にはなく理由はないはずだからな」
「――――ッ!」





「…恭也は、卑怯だ」
「そうか?
 その評価は不本意ながら何度か聞いた事があるが、不思議でならん」

 結局恭也に縋って泣いたフェイトが落ち着くと、泣き腫らした顔で翠屋に戻ることも出来ず、2人して臨海公園に行くことにした。
 道中、フェイトは泣き腫らした顔に視線が集まることを覚悟していたが、隣を歩く恭也が僅かに前を歩いてブラインドになってくれたのでほとんど気付かれなかったようだ。

106 小閑者 :2017/07/16(日) 16:37:07

 濡れた胸元を気にする風もなくベンチに座る恭也を横目に睨みながら、顔を洗っている間に買って来てくれた温かい缶紅茶を飲みつつ思い返す。
 優しく慰めてくれた訳ではない。そもそも我慢しようとしたのを恭也が無理に泣かせたのだ。どの道、恭也は自分が泣く積もりなんて無かったくせに。
 我慢しようとしていた時にあんなことを言われたら加害者の私は従うしかないんだ。言ってみれば、恭也に泣かされたようなものだ。
 でも、酷い奴なんだと思おうとしても上手くいかない。
 本当にズルイ。

「そもそも、私が泣く理由なんて何処にも無かったのに」

 恭也の感情に共感して、恭也を深く傷付けた事を悟り自責の念に駆られた上に、母の事を思い出したのだ。
 感情が高ぶるには十分な理由だったような気もするが、敢えて気付かないことにして恭也の所為にしてみる。

「理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ」

 あっさりと返される言葉に、頬を膨らませながら背けた顔は朱に染まっていた。
 フェイトは自覚していない。子供染みた(歳相応の)我侭を口にしていることも、それを許容してくれた事を喜んでいることも。


「…泣きたくても泣けなくなってからでは遅いからな…」


 風の音に紛れるような小さな呟きを耳にしたような気がして振り返ったフェイトが見たのは、先程と変わる事の無い仏頂面の恭也だけだった。

「どうした?」

 突然振り返って凝視するフェイトに恭也が訝る様に問いかける。
 その声に我に返ったフェイトは誤魔化す様に慌てて顔を逸らすと、とって付けたように呟いた。

「そういえば、まだゴメンとしか言ってなかったね」

 窺う様に視線だけ向けるフェイトに恭也が無言で問い返すと、フェイトはしっかりと向き直り軽く頭を下げながら微笑みを浮かべた。

「答えてくれて、ありがとう」

 恭也は特に反応するでもなく、再びゆっくりと視線を逸らす。
 フェイトも何かを期待していた訳ではないので不満に思う事はなかった。それどころか根拠もなく脳裏に浮かんだ考えに、逆に笑みを深くした。

(照れたのかな?)

 同時に今更ながら不思議に思う。何故あんなに真摯に答えてくれたのだろう?
 会ったばかりだが、恭也が内心を、特に弱音に類する物を他人に見せるのを嫌う事は容易に想像出来る。自分が頼んだ事だし、あの時は答えてくれる事を疑いもしなかったのだが、考えてみればやはり不思議だ。
 信じきっていた自分自身には疑問を抱いていない事を自覚しないまま、問いかけようと恭也の横顔を見て、開きかけた口を閉ざす。

(慌てなくてもいいか)

 そう思えた。今日会ったばかりなのだ、少しずつ知っていけばいい。

 恭也の在り方は、フェイトには真似出来ないものだ。
 それでも、記憶の中に居る優しかった母・プレシアの事を大切に想っていても良いのだと肯定してくれている様で嬉しかった。

107 小閑者 :2017/07/16(日) 16:37:45


「…まあいい。今度こそ帰らせて貰うぞ」
「あっ」

 調子が狂うと言わんばかりに頭を掻きながら腰を上げる恭也に、フェイトが慌てて声を掛けるが咄嗟に何度も話題を思い付けるほど都合良くは行かなかった。
 続きを待って自分を見つめる恭也の視線に、鼓動が加速していくため思考が纏まらない。何事だろうか?
 待っても続きが出そうに無いフェイトに首を傾げながら恭也が妥協案を提示した。

「まあ、思い出したら高町にでも伝えておいてくれ。体調が回復したら朝会うだろうからな」
「あ、そっその訓練に私も参加しても良い?」
「?元々時間と目的が一致しただけだから参加制限はないだろう。場所は高町に聞いてくれ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、また」

 背中越しに片手を上げて答えながら去っていく恭也を見て心臓が落ち着いてきたことに、フェイトは安堵と寂寥が混ざった奇妙な感覚を持て余しながら先程の恭也の様子を思い返す。


 風に紛れる呟きに振り返った時に見た恭也が、仏頂面の下に必死になって隠していた感情は何だったのだろうか、と。



続く

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109 小閑者 :2017/07/16(日) 18:04:17
第13話 思惑




「たっだいまー」
「お帰りなさい」
「お帰り、ヴィータ」
「腹減ったー」

 帰宅の挨拶の最後に独り言として自らの状況を漏らすヴィータにシャマルとはやてが笑顔を向ける。

「今日もいっぱい遊んできたんやな」
「うん。そうだ、はやて、今日は玄さんに勝ったんだぜ!」
「お、玄三郎さんにか?ヴィータ頑張ったやない!こりゃお祝いせんとなぁ」
「やったぁ…あれ?」
「フフ、恭也君ならまだ帰ってないわよ?」
「あ、あいつの事なんて聞いてないだろ!」
「そうか?恭也さんがツッコミ入れるタイミングで身構えとったやろ?」
「なっ、違うよはやて!」

 ヴィータが慌てて否定するが言葉が強い程、裏返しにしか聞こえない。焦りの成分には、はやての嬉しそうな笑みにこの後の展開を予想した事も含まれているのだが。
 皮肉なことにヴィータの窮地を救ったのは元凶(?)である恭也だった。

「ただいま」
「お帰りなさい、恭也さん。今なぁ、ってなんかやけに疲れてへん?」
「ん?そう大袈裟な話ではないんだが、少々匂いに中てられた」

言いつつシャマルが用意してくれた熱い焙じ茶を礼を言って受け取りながら食卓に着く。

「匂い?そう言えばなんや甘い香りがするような…」
「…はやて、そういう行為ははしたないから止めておけ」
「え?…べつにこのくらい、たいしたことありません。きょうやさんはきにしすぎです。」
「はやての方が余程気にしてそうだが」
「はやてちゃん、言葉遣いが変ですよ?」

 はやてが椅子に座る恭也に染みた匂いを嗅ごうと背後から恭也の首筋に顔を埋める様に近付けたのだ。
 恭也の指摘で顔を上げると、自分の唇が恭也の頬に触れようとしていれば、動揺もするだろう。
 背もたれがあったとはいえ、肩辺りにしておくべきだったと反省しつつ、体勢を整えるべく話題を転換することにした。形勢の不利をいつまでも放置する訳には行かない。

「その上品な香りはひょっとして翠屋?」
「よく分かるな、その通りだ」
「…甘い香りが苦手ってことは独りで行った訳はないよね?女の人?逆ナン?まさかとは思うけどナンパ?」
「女性と言える年齢ではないから女の子と表現するべきだろうな。あとは…難破ではないだろうが、なんだ?」
「恭也君、今、凄い文字に変換しなかった?」
「アタシもそう思う」
「そこの2人うるさい。はやてもニヤつくな」

 恭也の語彙はかなり多いが、流行言葉(?)の類には滅法弱い。
 一般的に子供は書物よりもテレビなどのメディアや友達からの伝聞で言葉を覚えるため、文字を知らずに音声だけで覚える傾向が強いが、恭也はまるっきり逆の傾向である。友達居なかった事が丸分かりだ。

「おっと、危うく誤魔化されるとこやった。恭也さんから声かけたんか、ゆうことや。あと、子供だけで喫茶店?」
「声?…元を正すならかけられた方だ。子供だけでという点については店の娘だったらしい。俺も知ったのは今日だが。
 尤も、引っ張って行ったのはその友人だがな」
「…へぇ、あの娘かわいい思うやろ?将来絶対別嬪さんになりそうや」
「知り合いか?店で働いていた母親にも会ったが、よく似ているし美人になるのは容易に想像出来るな」

 はやての鎌掛けの質問に恭也は疑う事無く返答する。

110 小閑者 :2017/07/16(日) 18:04:54


 リビングの隅で放心していたはやても夕飯の準備が済む頃には辛うじて復活して、もそもそと夕食を摂った。
 当然、夕飯を作ったのはシャマルだ。メニューは無難にカレー。流石に市販のカレー粉を使ったので味付けに失敗はなかった。

「それにしてもシャマルの選定基準が分からん。それ以前にナマコなど何処で手に入れたんだ?」
「…前に一人でお買い物した時に、蛸と間違えて…。に、似てると思わない?」
「思わねーよ!」
「最早、特異技能と評価しても差し障りないな」
「シグナム、コメントがキツ過ぎない?私だって失敗しちゃったなーって思ってるのよ?」
「だから1人で料理する日に俺を台所から追い出して証拠隠滅しようとしていた訳か。それでいて、調理方法を調べておかない辺りの杜撰さがシャマルらしいな」
「“らしい”は酷いわ。それに蛸に似てるから普通ぶつ切りにすれば食べられると思うでしょ?」
「そこは同意してもいいがな」

 尤も、その見立てで両断した結果、出てきた黄色い腸に驚いて叫び声を上げてしまい、明るみに出たのだが。

「それにしても、恭也はよく調理法を知っていたな」
「知らん。シャマルに毒が無いことは確認したから、適当に掻っ捌いて内臓と軟骨らしきものを取り除いただけだ」
「何?知らない食材を澱みなく捌くことなど出来るものなのか?普段のシャマルよりも余程様になっていたじゃないか」
「切り分けるだけだからな。味付けや火の通し加減を総合して調理と呼ぶだろう?俺のは一工程に過ぎない」
「それにしてもやたら硬かったよな」
「海産物の類は火を通しすぎると硬くなるから、ナマコも同じだったんじゃないか?切った時より矢鱈と縮んでいたしな」
「結局、シャマルは良い所無しか」
「そこまで言うこと無いじゃない!」
「ス、スマン、シャマル!謝るからフォークを構えるのは止せ!」

 最後の一言しかコメントしていないのに怒りの捌け口になる辺り、流石は盾の守護獣だ、と巻き込まれないように一歩離れて見守る一同。“黒ヒゲ”を引き当てる能力があるのか、境界の見切りが甘いのか。
 そんな騒ぎの外からクスクスと笑い声が上がる。

「もう、皆が揃っとるとゆっくり落ち込んどる事もできへんなぁ」
「漸く復活したか、はやて。放心していた理由がよく分からんが元気が出たなら何よりだ」
「その話題には触れんといて。皆もゴメンな、もう大丈夫や」
「いえ、こちらこそお役に立つことも出来ず、申し訳ありません」
「ええんよ。私も皆に心配かけんようにせなあかんな、わぁ!?」
「馬鹿たれ。落ち込みたい時には落ち込め。出来る事なら誰かに相談しろ。
 無理して平静に振舞うほど周囲に心配させるものだ」

 わしわしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でる恭也の手に浮かびそうになる笑みを抑え付け不平そうな顔を取り繕いながら、それでも手を振り払うことも無く反論する。

「恭也さんには言われたないなぁ。辛い事があってもいっつも独りで黙って耐えとるやん」
「ちゃんと話しているじゃないか」
「状況説明やのーて、“悲しい”とか“辛い”とか、そう言う気持ちは全然言わへんやん!」
(あかん。これ以上は駄目や)

 深く考える事無く始めた話題だったが、軽い切り返しとして恭也が口にした言葉にはやては過敏に反応してしまった。自分で思っていた以上に心に溜め込んでいた不安が大きかったのだ。
 はやては恭也を見ることが出来ず俯いて歯を食い縛る。
 恭也が苦しんでいる事が分かっていて、手を差し伸べたいと思っていても、これ以上は恭也を傷つける事も分かっている。
 恭也を救うためにはそれを越えて更に近付かなくてはいけないとは思っているのだが、それが恭也に致命的な傷を負わせることになりはしないか?そう思うとはやてにはどうしても踏み込む勇気が持てない。

111 小閑者 :2017/07/16(日) 18:05:41
「そうか。それがはやてにとっての辛い事なら、言い出した本人としては解決してやるべきだろうな」
「…え?」

 恭也が何を言ったのか理解できない。顔全体でそう表現しているはやての頭を優しく撫でると、恭也は睨む様に鋭い視線を寄せる4人に怯むことなく、全員を促してリビングへ移動した。
 彼女らの視線が恫喝ではなく自分を心配している物であることが理解できる程度には恭也も近しい関係にあるのだ。



 恭也とはやてが3人用のソファーに並んで座る。対面のソファーにシャマル、シグナム、ザフィーラの3人が窮屈そうに、ヴィータが長方形に配置されたソファーのはやて側の短辺に位置する1人用の物に座った事を確認すると恭也が話し始めた。

「さて、何から話すべきか」
「…家族の事やないの?」

 恭也の隣に体が触れるほど距離を詰めて座ったはやてが問い掛ける。

「括ってしまえばそうなるんだがな。
 状況に変化があったんだ。もう少し正確に表現するなら“他の異変に気が付いた”になるか」
「改善か?それとも…、スマン」
「構わないよ、ザフィーラ。皆も気になる事、知りたい事は聞いてくれ。思い付きで話すから漏れる事もあるだろう。
 残念ながら改善ではない。そもそも実家が全焼していた事や未来に飛ばされて来たと言った状況について進展した訳ではないから改善や悪化とは違うだろう。あ、いや飛ばされて来たこととは関連しているのか?」

 恭也自身にも整理が付いていないのだろう。
 はやてには恭也が語ろうとしている事が予想できない。家族の事でありながら、転移に関連する事柄、それでいて他の異変。
 これ以上、恭也の状況が悪くなった訳では無いと願いたい。恭也の口から聞くということは、既に生じた事なのだが。

「話す前に改めて確認するが、シャマル達の使う魔法は時間軸の移動は出来ないんだったな?」
「え?ええ、あくまでも空間だけよ」
「そして、文化や町並みが酷似する世界は確認できていないと」
「ええ。映画なんかにあるパラレルワールドの様な相似した世界は空想上の物でしかないとされているわ」
「…わかった。それじゃあ順を追って話そう。以前に隠したことも含めて全部だ」
「あの、恭也さん、無理に話さんでもええんよ?」
「いや、そろそろ話そうとは考えていたんだ。寧ろ口実にさせて貰っているんだから、はやてが気に病む必要は無い」

 特に気負った様子も悲壮な風も無い恭也を見てもはやてには安心できなかった。恭也の辛い事を隠す技能が日に日に磨かれている気がするのだ。
 少しでも恭也の気持ちが軽くなる事を願い、恭也の大きくてゴツゴツした右手を両手で包むように握り、体を寄せて自分が居ることを、恭也が独りではない事を、伝えようとした。
 恭也もはやての意図を察したのか、普段の様に照れ隠しの憎まれ口を叩く事も無く話し始めた。

「先ずは、俺が隠した事からかな。
 隠していたのは俺が習っている剣術の流派名とその素性。それに関連して八神の姓を名乗らせて貰ったことだ」
「苗字が関係あるの?」
「まぁ、な。
 俺の学ぶ剣術は江戸時代に国から最強の称号である“永全不動”を与えられた八門の流派の内の一派、御神真刀流と言う。流派の設立はもっと前だったそうだがな。
 強さは本来個人の資質に依るところが大きい。永全不動を冠された流派はどれも、一般人からすれば異常とも取れる逸脱した強さを持つ者を育成する為の体系づけた鍛練方法を確立した流派と言える」
「お前みたいなのを量産してる訳か」
「俺などまだまだだ。父の代は化け物の様だったからな」
「信じ難いと言うか信じたくないんだが」

 シグナムの弱音とも聞き取れる発言にシャマルが苦笑する。普通に魔導師と渡りあえそうだ。

「まあ、そうは言っても得物は刀だからな。魔法使いにはそうそう勝てんさ。
 せいぜい銃弾の飛び交う戦場に立つ程度だ」
「それが、低いと?」
「シグナム達は縁がないから知らないだろうが、拳銃は形状を見れば弾の種類や威力が推測出来るし、基本的に弾丸は直進しかしないから射線から退けば当たらない。散弾は射程が短いから斬りに行けば済むし、手榴弾なんかは投擲されるだけだから飛礫を当てて弾けば被害を受けない」

 簡単だろう?とでも言いたげな口調だが、勿論普通は出来ない。腕の角度を変えるだけで修正出来る射線から身体を退かし続けるなんて手段、実行出来る者など人類の範疇に入れたくない。

112 小閑者 :2017/07/16(日) 18:06:21
 そもそも恭也は語らなかったが、近代の戦場は刀を振り回していた時代の名乗り上げなど無い、互いに姿を隠して行動する純粋な殺し合いだ。仮に恭也が言ったように射線を躱し続ける事が出来る技能を持っていたとしても、認識の外から撃たれればそれまでなのだ。
 索敵こそが最初の、そして最大の難関なのだ。気付かれる前に敵を発見できれば、奇襲をかける事で圧倒的にリスクが下がる。この索敵能力の高さこそ、御神の剣士が戦場に立てる最大要因といえる。

「恭也さん、ひょっとして鉄砲持った人と戦った事あるん?」
「いや、演習に参加させて貰っただけだ。ッと、スマン脱線したな」

 恭也が軌道修正を告げた為、演習だから簡単だとでも?と言う言葉は全員の胸の内で蟠る事になった。演習とは実戦で役立つレベルで行うからこそ価値があるのだ。

「“全て永久(とこしえ)に動く事なかれ”と言う称号の通り、八門の流派は組織だって動く事を禁じられていた。その気になれば嘘でも誇張でもなく国家転覆できるような流派だからな。
 もっとも、強制力に成り得るものが互いの流派しか無いと言っても過言ではなかったから、結局互いを監視させる制度を作るしかなかったんだろう。
 そして、逆に個人で動く分には干渉されない。だから、護衛を仕事にする者が多く、それなりに名前が売れていった。
 重武装の出来ない街中であれば御神流を名乗れる実力を持つ者と渡り合う事の出来る者など、皆無ではないが極僅かだ。
 だから、襲撃者側から恨みを買う事になる。
 そして、“不破”と言う姓は、御神宗家の最大分家であり相手によっては御神より余程大きな恨みを買っている。
 だから、実力の無い者が流派を名乗ることを禁じられていると言うのは方便ではない。
 これが、俺が流派を隠した理由であり、姓を名乗らない様に、八神の姓を借りた理由でもある」

 恭也は言葉を切ると悲しさを隠しきれていないはやてに頭を下げた。

「すまない、はやて。俺はお前の厚意を利用した」
「…ええねん。それは私らを守る為でもあったんやろ?
 恭也さんかて名乗らんければ済むのを、大切な苗字の事で、吐かんでもええ嘘吐く事になったんやから。
 …でも、今でも八神の苗字に抵抗ある?」
「…いや、その、なんだ。こういうことは言葉にすると空々しく聞こえるから好きじゃないんだ」
「そか。私も今ので十分分かったから、もうええよ。でも、偶には言葉にしてくれた方が私は嬉しいかな」
「…善処しよう」

 はやての嬉しそうな笑顔からばつが悪そうに視線を逸らしたところで、恭也はヴィータとシグナムの突き刺す様な視線に漸く気付き話を再開する。

「度々すまん。
 言い遅れたが、御神と不破の名は口外しないでくれ。一族が滅亡して10年が経つとは言え、誰が聞いているか分からないんだ。警戒するに越した事はない」
「まさか、お前の家が焼けたのって…」
「可能性はある。ただ、言っては何だが、あの人達を出し抜くのは並大抵の事ではないから少々信じ難いと言うのが正直な所なんだが…」

 恭也は一息付くと一同を静かに見渡す。
 その視線は家族の死についての話題に揺れる事も無く、はやてにも感情を読み取ることが出来ないものになっていた。
 一月前には家族と共に在る事を当然の日常としていたであろう少年とは思えない。
 一族が滅亡する事態が絵空事ではないと以前から考えていたのだろうか。それとも麻痺した感情が撥ね付けているのだろうか。
 どちらが良いのかはやてには分からない。ただ、少しでも恭也にとって痛みの少ない方であって欲しかった。

113 小閑者 :2017/07/16(日) 18:06:57



「ここまでが隠し事、次は新しく気付いた事だ。
 最近、街中を歩くと人違いで声を掛けられる事が多い。夕方に話題にした翠屋と言う喫茶店の息子によく似ているそうだ。
 身長は180を超えるらしいから、明らかに頭二つ分は体格が違うのにその人物の妹にまで間違われた。雰囲気が似ているそうだ」
「あ、声掛けられたって…」
「ああ、この事だ。
 先日まで、俺は自分がその人物と同一人物ではないかと疑っていた。正確に表現するなら俺がその人物の偽物である可能性だ」
「…え?」

 はやては、恭也が文章を読み上げたかの様に感情の篭らない声で語った内容が何を意味しているのか、咄嗟に理解出来なかった。

「まって…待って!
 何言うとるん!?恭也さんはここにおるやん!その人がどんな人か知らんけど、恭也さんはここにおる恭也さんだけや!」

 縋り付く様に恭也の腕を掴むはやての方が余程追い詰められている様に見える。その事がヴィータの気に障る。どうしてコイツは何時も何時も!

「恭也!はやてに『辛いことは辛いって言え』っつったのはテメーだろうが!何普段通りのボケ面晒してんだよ!」
「失礼な。誰がボケ面だ」

 落ち着かせる様にしがみ付くはやての頭を撫でながら、ヴィータに向かって見て分かる程の苦笑を表す。

「話を戻すが、それは精神的に疲弊していた時期に何の根拠も無く浮かんだ、普通に考えれば有り得ない様な単なる妄想だった。
 思い付いた時には一笑に付したんだ。
 頭から離れなかったのは事実だが、その頃に知っていた共通点は年齢と容姿だけだったしな」

 シャマルは言葉が途切れた恭也に制止の言葉を掛けるべきか迷った。
 人に話すことで心が軽くなる事がある一方で、口にする事で曖昧だった思考が明確な形を持ち、心を傷付けることもある。
 悩んだ結果、結局シャマルは止める事を止めた。ここまで感情も思考も隠されてしまっては悩みの相談に乗ることも出来ない。恭也が悩んでいない訳が無い、それを知っていて放置できる程、恭也との距離は離れていない。

「過去形なのは、想像の域を出るだけの証拠が揃った、と言う意味かしら?」

 シャマルの補足するための質問に恭也が頷き、話を続けた。

「未だに面識もないが、その人物についての情報は増えていった。
 名前は高町恭也。大学生、男性、一般人からは掛け離れた身体能力を持つ格闘技経験者。
 父・士郎、母・桃子、恐らく妹・美由希、そしてなのは。
 たったこれだけの情報だが、一致する符合が多過ぎた。
 名前や身体能力は勿論、正確な年齢は聞いていないが、大学生なら二十歳前後、俺がこの時代まで順当に歳を重ねたとすれば一致する。
 俺の父の名も士郎と言い、妹の様に一緒に育った親戚は美由希と言う。
 母は違うが、逆に高町桃子が二十歳前後の子供を産んだと言うのは無理がある程若く見えた。後妻と考える方が妥当だろう。
 つまり、本物の不破恭也は10年前の火事で生き残り、不破士郎、御神美由希と共に消息を消して家族として過ごし、後年、士郎が桃子と再婚し高町なのはが生まれ、現在に至る。それが本来の歴史ではないかと考えている。
 高町姓が消息を絶つ為の手段なのか、再婚した際に母・桃子の家に婿入りした為かはわからないがな」
「では、お前と言う存在はどう説明を付ける?」

 シグナムが感情を殺した声で問い掛けた。先ずは恭也の考えを全て吐き出させる積りなのだろう。

「さあな。
 自然発生した異常の塊でも構わないが、御神の戦闘力を欲した組織が作成したクローン体の方がまだ現実的か?
 何れにせよ、シャマルから酷似した世界は存在しないと、観測されたことは無いと聞いている。そして、この世界に高町恭也が存在している以上、俺は高町恭也の偽者と言う事になる。
 クローンなのか、生霊なのか、ドッペルゲンガーなのか、もっと他の何かなのか。何であるにせよ、“高町恭也以外の何か”だ」

 はやては、自身を偽者扱いする恭也に対して、不満げな顔ながらも今度は止めることはなかった。

114 小閑者 :2017/07/16(日) 18:07:29

「続き、あるんやろ?」

 続きを促すはやてを恭也が見返す。意外だったのだろう。

「恭也さん、自分の事は我慢出来てしまうやん。それはそれで不満やけど、恭也さんが気にしてるんは違う事やないの?」

 不機嫌そうな表情に不安と心配が隠しきれず透けて見えるはやてを恭也が見詰める。その視線を順に他の4人に移すと、浮かべる表情こそばらばらだが垣間見える感情が同じである事は直ぐに察した様だ。

 恭也がゆっくりと息を吐き出す。
 気持ちを落ち着ける様に、噛み締める様に。

 はやてはこれ程はっきりと感情を顔に浮かべる恭也を初めて見た。こんな話の最中だと言うのに顔が熱い。
 不機嫌な表情を維持できなくなり、恭也から顔を隠すために釘付けになる視線を恭也の顔から引き剥がすと、それが自分だけではない事が分かった。ヴィータからシャマルまで幅広い年齢層に有効とは恐ろしい限りだ。
 唯一の救いは、それが性別の壁を超える事がなかった事か。ザフィーラに人の姿をとる事を禁じずに済んで本当によかった。
 はやてが視線を戻すと恭也は既に平静を取り戻し、皆の様子に気付くことなく続きを語りだした。

「最初にこの可能性に気付いた時には悩まなかったとは言わないが、開き直るのにさほど苦労はしなかったんだ。
 何であれ俺はここに居て、“個”としての自分を自覚しているからな。直ぐに高町恭也の偽者であろうと構わないと思えるようになった。
 だから、俺が“高町恭也の記憶を持っている何か”であっても、それはそれで構わなかったんだ。
 思い付いた時に一笑に付した理由はそれだ。
 強がりではなく、そう思えるようにはなったのはこの家に住まわせて貰っているからだろう。…本当に感謝している」

 恭也が照れ隠しの為に付け足す様に、紛らわせる様に呟いた感謝の言葉については誰も触れなかった。本心からの言葉を茶化す者などここには居ない。
 恭也も何も無かった様に、しかし、改めて感情を消した声で続きを話し出した。

「自分自身の存在については一応の結論を出せたんだが、その後、記憶と現実の齟齬に気付いてしまった。俺にとってはこちらの方が余程大事だった。
 高町士郎の娘である高町なのはが今年9歳になるそうだ。これでは10年前に一族が滅亡してから1年と経たずに不破士郎が再婚したことになる。
 御神の流派に名を連ねる者が、ただの事故だと言う証拠を並べられた所で襲撃である可能性を無視するとは思えない。必ず周囲を巻き込む危険を考えて暫くは身を隠すはずだ。
 俺が知る限り、不破士郎は巫座戯た言動や子供の様な振る舞いをする事はあっても、周囲の人間を危険に晒すことは極力避けていた。結婚を考えるような相手であれば尚更だろう。
 あるいは高町なのはが高町桃子の連れ子で不破士郎とは血縁が無いのかもしれないが、流石にそれを本人には聞ける訳が無い。
 この矛盾に気付いてからの方が、高町恭也の偽者説を真剣に否定しようとしたよ」
「…何故だ?記憶と現実がずれているなら、お前が高町恭也とは別の人間であるということだろう?
 それはお前が観測されていない近似した世界の住人と言うことになるのではないのか?」
「可能性は勿論ある。だが、俺は悲観的な精神構造をしているようでな。
 誰も観測したことの無い世界の存在よりは、有力だと思える説を思い付いた。
 俺の記憶が間違っている可能性だ」
「…何?」

 シグナムには返された答えの意味が理解できなかった。自分の抱いていた父親の人物像でも間違えているというのか?
 シグナムの考えている事が分かったのか、恭也が苦笑交じりに補足する。

115 小閑者 :2017/07/16(日) 18:08:05

「間違いの程度にも依るんだがな。
 俺の父親がどうしようもない碌でなしだったと言う程度でなかった場合、俺の記憶が全て間違っている可能性が出てくる。
 高町恭也の記憶を元にして、俺自身が記憶を改竄している、或いは俺を製造した者の意図によって改竄した記憶を持たされている可能性だ。
 常識的に考えれば有り得ない内容ではあるが、俺の知る常識には魔法など無いし、その非常識な魔法でさえ近似世界を否定しているとなれば、“俺の存在していた世界”こそが有り得ないんだろう。俺が偽者であった場合、俺の家族が何処にも存在していなかったことになると思ったんだ。
 転移してきたのが俺しか居ない以上、答え合わせのしようが無いからな」
「それは、…悲観的に過ぎるだろう」
「そうか?ザフィーラだって知っているだろう。元々人の記憶は時と共に本人の都合の良い様に変質して行く物だ。
 人間は記憶の“忘却”や“変質”が出来なければ生きて行くのが難しいらしいからな。
 第三者に依るものだとしたら何の意味があるのかはわからないし、俺を放置したままにしている事は説明がつかないが、どちらも相手の都合であって俺の状態とは直接関わりが無いから無視した。
 だけど、まぁ、俺もこの記憶が、覚えている家族が存在しないなんて事はあって欲しくはなかった。だから、今日、高町恭也の父と妹の名前を聞くまで偽者説を否定し続けてきた」

 淡々と語る恭也がどの様な心境なのか、はやてには想像しきれている自信がない。

「だけど、今日、高町家が経営している喫茶店で聞いた士郎と美由希と言う名前は無視する事が出来なかった。
 “頭から信じていない”態度として、“疑う”態度もとらない様に意地を張っていたんだが、軟弱なことに名前を聞いてからは確かめずにはいられなくなった。
 喫茶店を出た後、止せば良いのに、以前高町なのはを送っていった時に知った高町の家へ家捜ししようとして行ってみたら、偶然、玄関の前で美由希に会った」

 美由希の母である美沙斗に良く似た女性。
 10代半ば辺りまで成長した美由希を想起させる、美由希の面影を持った女性。
 気配も仕草も驚いた時の癖も、恭也がよく知る御神美由希と同じ、女性。

「もう、どんな言い訳も思い浮かべる事は出来なくなっていた。
 それでも、記憶の齟齬が小さいものであると思いたくて史実と記憶を突き合わせることにした。
 図書館でもう一度過去の新聞記事を確認したんだ」

 誰にも声を掛ける事が出来ない。予想出来る話の結末に反して、未だに恭也は口調からも表情からも感情を隠しきっていることが、痛々しさを助長している。

「判明するのに時間は掛からなかった。火災事故の一番最初の記事に載っていた。前回閲覧した時に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
 結婚式の日取りが、俺の記憶より3年早かったんだ」

 恭也が何度目かになる大きく息を吐き出す姿を見てもはやては口を開かなかった。
 もう、恭也が完璧な人間であるとは思わない。これほど不安を抱いて揺れている姿を見ればそんなことは思えない。
 それでも、期待してしまう。まだ、恭也の目が全てを諦めているようには見えないから。

「…記憶を共有してくれる人がいない今の俺には、物心ついてからの数年間が全て幻だった可能性を否定する事が出来なくなった。
 …今となっては想像も出来ないが、もしもあの時気付いていれば、近似した世界の存在に縋る事も出来たのかもしれない。
 …でも、今は無理だ。どれだけ思い込もうとしても出来そうにない。

 それでも、嫌だ。
 死ぬのは、仕方ないと思う。生きていて欲しいとは思うけれど、永遠の命なんて無いんだ。少しでも幸せだと思える事が多くあってくれる事を願うだけだ。
 でも、あの人達が存在しなかったなんて事は、絶対に嫌なんだ」

 起きてしまった事実の説明ではなく、感情を源とした拒絶の意思。
 淡々とした口調のままではあるが、自発的に恭也から明確に感情を示す言葉を聞いたのは誰もが初めてだった。

「だから、これから探そうと思っている。俺の居た世界が存在している証拠を。出来ることなら帰る方法を」
「…え?」

 この状況で尚、思考を放棄していない恭也の言葉に、しかし、はやては安堵する前に自分の耳を疑った。
 帰る?何処へ?そんなの決まっている。そうか、恭也の家は、ここではなかったんだ。

「…わっ!?なに!?」

 突然髪を掻き混ぜるように頭を撫でられた事に驚いて顔を上げると、苦笑を浮かべた恭也に見つめられた。

116 小閑者 :2017/07/16(日) 18:08:35

「探すと言っても何の当ても無いんだ。
 魔法の発展していないこの世界に、その手の資料など有る訳が無い。だから、頼るとすれば魔法の世界の警察機構だが、存在することはシャマルから聞いたが伝どころか連絡手段すら分からない。
 結局、現状維持と全く変わらない」
「そうなんか!…ごめんなさい」
「いいさ。そこまで慕われていると悪い気もしないしな」
「うぅ」
「フッ。
 だが、逆に言えば仮に帰る手段が見つかったなら、それは千載一遇の機会だ。連絡する余裕があるとは限らない。状況にも依るが飛び付く事になる。
 不義理となることは承知しているが、突然消息を絶ったらこの関係だと思ってくれ」
「なっ!てめぇ、散々世話になっておいて挨拶も無しにトンヅラするってのかよ!」
「ヴィータ、あかん、やめて!ええねん!恭也さんが帰れるならその方がええに決まってる!」
「良いことなんてあるか!そんなの納得できねぇよ!シャマル!シグナム!ザフィーラ!何で黙ってんだよ!」
「…我々が、闇の書があるからか?」
「ザフィーラ?」
「闇の書が何か関係あるの?」

 ザフィーラの発言にヴィータが怒気を抑え、はやてが問い掛ける。

「…想像でしかないが、治安機構であれば過去に犯罪に関わった物品を所持していることは処罰まで行かなくとも、取り締まりの対象になるんじゃないか?」
「そんな!うちらは何にも悪いことしてへんよ!?」

 恭也の疑問に反論したはやての言葉に4人の表情が硬くなるが、幸い恭也を注視しているはやての視界には入っていなかった。
 恭也も承知しているため、はやての視線を固定するために正面から見つめながら言葉を続けた。

「知っている。
 だが、はやてより前の持ち主全員が善人ではなかったとも、シャマルから聞いている。
 日本では登録する事無く拳銃を所持していれば取り締まられるだろう?
 事件が発生してからでは被害が防げない以上、ある程度の規制は有効な手段だ。
 実際にその組織がどういった行動を採るかは分からないが、内密にしておくに越したことはない」

 はやてにもその理屈が十分に理解できることを承知している恭也は、優しくはやての頭を撫でて間を取ると言葉を足した。

「あまり深刻に考えないでくれ。
 そもそも魔法関連の治安機構に連絡が取れるかどうか分からないし、取れたとしても元の世界に帰る手段があるかどうかは分からないんだ。
 存在の立証はして貰いたいが、それすらも難しいのかもしれないしな。
 帰る手段が見つかったら、せめて連絡を取れる時間くらい貰える様に話してみるさ」
「…うん。見つかるとええね」
「ああ。ありがとう」







「それで、何処まで本気なんだ?」

 恭也に問い掛けながら、はやての入浴中に行うこの密談めいた遣り取りも回を重ねたな、と妙な感慨に浸るシグナム。
 ヴィータはほぼ毎回一緒に入浴しているとして、シグナムかシャマルのどちらかがはやての補助として付くことになる。
 基本はシャマルが、はやてに指名された日にシグナムが当たるため、自然にはやてに聞かせられない情報の遣り取りを恭也とするのはシグナムである事が多くなる。

「普通、事実確認から始めないか?」
「あれが嘘だとは思えなかったがな。だがまあ、確かに手順としてはそちらからか」

 密談の割にはシグナムにも恭也にも人型のザフィーラにも固い雰囲気はない。気負っても状況が改善される事が無い以上、家では無用に硬くなるべきではないとの恭也の提案を受けての事だ。

117 小閑者 :2017/07/16(日) 18:09:10

 ちなみに、恭也の隠し事の対価としていたヴォルケンリッターの秘密、闇の書の作り出したプログラムである事は既に明かしてある。
 恭也の反応は「そうか」の一言。予想はしていたものの流石にヴィータが「他に反応は無いのか!」と言うと、悩んだ挙句「凄いな」だった。
 自身が人間どころか生物ですらない可能性さえ受け流して見せたのだから当然の反応と言えるが、驚きさえしないとは。
 唯一シャマルだけが、恭也の精神が飽和しかけている事を危惧していると解散した後に思念通話で全員に伝えてきた。
 転移して来た事を含めてこの一ヶ月に恭也が体験したことは通常なら有り得ない事ばかりなのだから危惧して当然の内容だが、転移した直後から恭也を見続けているシグナムは元々こうなのでは?と密かに疑ってもいた。

「良いけどな。
 先程話した内容については、9割方本当だ。違うのは管理局に伝があること位か」
「伝だと?知り合いが、いや、何処かで遭遇したのか?」
「…ここは少し位は疑うべき所じゃないのか?」
「疑う?お前をか?
 フッ、お前にしてはユーモアに欠けた冗談だな」
「…もう良い。くそっ」

 恭也が失笑するシグナムとザフィーラに照れ隠しに悪態を付く。随分態度に感情を表す様になったなと言葉にする事無く、ザフィーラが感慨に浸る。

「話題に出した高町恭也の妹、高町なのはが管理局に関わっている。立場は嘱託魔導師、民間協力者だな。恐らく、あなた達が昨日の夕方に交戦して蒐集した対象だ」
「知り合いだったのか。それは、」「謝るなよ?」
「…そうだな」

 自分達のしている事は友人知人でなかったとしても赦される事ではないのだ。ならば友人知人が相手であったとしても謝罪するのは筋が通らない。

「高町家では魔法使い、魔導師だったか?それは高町なのはだけの様だ。魔導師の才能が血筋に遺伝するものなのかどうかは知らないが、少なくとも魔法を使える者は1人の様だ。
 ただし、高町の友人の内、少なくとも2人は魔導師だ。
 ユーノ・スクライアとフェイト・テスタロッサ。2人とも高町と同年代。
 スクライアは男で結界を得意とする様だ。他の魔法を使っている所は見た事が無いから、隠しているだけなのか使えないのかは分からない。
 テスタロッサは女で、魔法を使用している所は見た事が無いから分からない。格闘技は多少齧っている程度だ」
「格闘技経験まで分かるのか?」
「シグナムだって、立ち居振る舞いで多少は分かるだろう?もっとも、テスタロッサに関しては挑発して交戦したんだから自慢する程のことではないがな。
 その時は無手だったが、武器を使用するタイプだろう。射程は1m程。武装は恐らく両手で扱うタイプで刺突には向かない物だから剣や槍ではなく、斧かそれに準じた形状。柄まで含めれば身長とほぼ同じ長さ1.3mといったところか。
 心当たりはあるか?」
「…ある。男の結界は薄い緑色、女の方は腰に届く位の金髪だろう?」

 頷いて返す恭也を眺めながらザフィーラは思う。“これ”を量産していたと言う事は、この国も実はあまり平和ではなかったのでは?

「提供できる情報はこんなところだろう。
 誘い出す様な類の手伝いは必要ないな?
 活動を続ければ嫌でも交戦することになるだろうし、俺の行動にも差し障る」
「ああ、テスタロッサとは遠からずぶつかることになるだろう。
 だが、お前の行動とは?」
「はやての治療について別の手段がないか探そうと思っている。
 差し当たっては管理局に情報が無いか探る積りでいる」
「…理由は?」
「あなた達の活動が破綻した時の保険だ。犯罪以外の方法が見つかるならそれに越した事は無いしな」

 確かに管理局と明確に敵対した以上、蒐集活動が破綻する危険は飛躍的に上がっている。1対1で負ける積りはないが、多数を相手にすれば不測の事態は必ずあるだろう。“質”が力である様に“量”も間違いなく力なのだ。恭也の考えを否定するほどシグナム達も管理局を低くは評価していない。

118 小閑者 :2017/07/16(日) 18:09:51

「薮蛇になる可能性もあるぞ?」
「それについては後でシャマルに相談するが、リスクを背負うだけの意味はあると思っている」

 ザフィーラの当然の懸念にも恭也が動じる様子は無い。
 ザフィーラもシグナムも、恭也が承知して尚行動すると言うなら止める積りは無かった。蒐集についても綱渡りである事に変わりは無いのだ。その方針を認める位には恭也のことも信頼している。

「突然音信普通になってもはやてに訝しがられない程度の言い訳はした積りだ。
 あなた達も外で、管理局に縁のある者がいる所で俺と出会ったら他人として接してくれ。ヴィータやシャマルにもその様に」
「わかった。
 …元の世界に戻る方法を探すと言うのも本当なのか?」
「ああ、本当だ」

 即答した恭也に問い掛けておきながらシグナムは言葉を返す事が出来なかった。それは恭也にとって、何より優先しなくてはならないだろう事だから。
 ザフィーラにもそれが分かっていたが、おざなりにする訳にはいかない内容である事もまた、分かっていた。

「…それが、主の利に反する事であった場合には、―――どうする、積りだ」
「さあ、な。
 まあ、あなた達が俺の行動をはやてに害成す物だと判断したなら、躊躇せずに切り捨ててくれ。精神的にも肉体的にもだ。
 …迷うなよ?」

 恭也の挑発的とも取れるその言葉は、内容に反して2人には懇願されている様にしか聞こえない声だった。




続く

119 小閑者 :2017/08/06(日) 23:48:00
第14話 接近




 フェイトは心此処に在らずと言った表情のまま、帰路に着いている。先程まで恭也と過ごした夢の様な時間が原因である事は明らかだ。

「フェ、フェイトちゃん、大丈夫?」
「余り気にしない方が良いよ?」
「…無理だろ、そりゃ」

 同道しているなのはとユーノの言葉を否定するのは子犬形態のアルフだ。犬の表情が読めないなのはとユーノには分からないが、アルフもフェイトと同じ心境なのだろうか?
 フェイトはゆっくりと首を巡らし、今、自分の心を独占している恭也の事を少しでも知ろうとなのはとユーノに問い掛けた。

「…どうして魔法も使わずにあんな動きが出来るの?」

 言葉にしたことで思考が動き出したフェイトは、先程の、夢であって欲しい早朝訓練での恭也の体捌きが脳裏に鮮明に甦る。



 魔法の有無が圧倒的な優劣に繋がるのは、魔法の存在を知る者にとっては常識だ。
 御伽噺として正義の魔導師達一行が、自分達より高位の悪い魔導師を倒すという物語があるが、仮にこれが史実であったとしてもランク差を覆している訳ではなく数の暴力に訴えているだけである事は年齢を重ねて行く事で気付く事だ。勿論、コンディションの好・不調はあるためランク差だけで勝敗を決め付ける事は出来ないが、魔導師ランクとは保有魔力量、魔力の収束率、魔法の展開速度と言った魔法に関する物だけでなく、敵との駆け引きや使用する魔法の読みあい等の状況判断力も含めて評価している以上、簡単に覆らない事も事実なのだ。2つ以上ランクに開きがあれば容易にひっくり返すことは出来ないと思って良い。
 フェイトはその常識に則って恭也の実力を測っていた。見下していた訳ではない。相手とどのような関係であったとしても公正かつ厳格に見定めなければ、過剰に評価した結果戦場で命を落とす可能性があるのだ。相手の事を思うのであれば尚更正当に評価しなくてはならない。
 …別に評価に影響する様な感情を恭也に対して持っている訳じゃないよ?あくまで一般論だよ?
 フェイトは公園での魔法抜きでの対戦で遅れを取ったことは認めているが、魔法を使用すれば立場は逆転すると考えていた。魔法を使えない恭也に対して魔法を使う事で優位に立ったとしても自慢できる事だとは考えていないが、先にも述べた通り、絶対的な評価なのだ。
 だから、如何にレイジングハートが修理中の為にデバイスを使用していないとは言っても、なのはの誘導弾を大した回避行動を取っている様に見えないのに躱し続ける恭也の姿に唖然とした。フェイトもアルフも近接戦闘をこなす事は出来るが、恭也の動きは明らかに自分たちの、バリアジャケットの防御力に頼った動きではない。
 本調子ではないとは言え、なのはの腕が低い訳ではない。むしろ、PT事件後になのはとフェイトで本気で行った1対1での試合より格段に誘導弾の扱いが向上している。だから、フェイトの目から見てもヒットした様にしか見えない弾が何発もあったのに、被弾していない恭也こそ異常なのだ。だが、なのはに落胆した様子も驚愕した様子も見受けられない。つまり、この結果は2人にとって当然の事なのだろう。
 それどころか、恭也が回避運動中に時折放つ木の実がなのはの体に当たっている。なのはも決してその場に留まり続ける事無く空中を飛び回っているし、稀ではあるが反撃に気付いて対応しようとする事もある。フェイトが認識している範囲では努力も虚しく全弾命中しているが。
 だが、フェイトの動きと比較すれば劣るとは言え、なのはとて鈍重な訳ではないし直線的な機動を取っている訳でもない。恭也の飛礫が誘導弾では無い以上、なのはの動きに合わせて投擲して中てられるとは思えないので、なのはの動きを先読みして仕掛けている筈なのだ。それがここまで命中するものだろうか?

120 小閑者 :2017/08/06(日) 23:49:26
 フェイトとアルフが参戦していないのは、どの様な練習をしているのか見てからの方が良いだろうと恭也が提案したからだ。フェイトとアルフとなのはは額面通りに受け取ったが、ユーノは恭也の意図を察していた。
 魔法を使えない恭也に対して、アルフはともかく、フェイトがなのはと組んで本気で攻撃する事が出来ないと予想したのだろう。三つ巴で始めるのも手ではあるが、恭也への遠慮が無くなる訳ではない。
 空中へ距離を取って範囲攻撃でもしない限り、フェイトにもなのはにも恭也に勝てる要素はないと言うのがユーノの評価だ。勿論、魔法を知る者にとっては驚愕するべき内容だが、表現を変えるなら、恭也は相手が手の届く範囲に居なければ勝つ方法が無いと言う事だ。
 もっとも、なのはは以前恭也に「どうしても」と乞われて、上空から誘導弾を交えた砲撃で狙い撃ちした事があるが、恭也は20分近く逃げ続けて見せた。結末としてはディバインバスターの爆風でバランスを崩した恭也を誘導弾で打ち抜いた事で決着となったが、なのはが落ち込みまくったのは言うまでも無いだろう。それ以来この訓練は行っていないが、次回があれば間違いなく被弾までの時間を大幅に延ばしてくることは経験上明らかだ。

 フェイトが恭也への認識を改めた事を察したユーノが、交戦中の2人を止める事も、宣言することも無く、フェイトとアルフに参戦を促した。流石にフェイトが戸惑ったが、「恭也はその程度の不意打ちに気付かない様な可愛げのある奴じゃないよ」と言うユーノの台詞に、正確には台詞の直後に飛来してユーノが事前に張っていたシールドにぶつかり粉砕された木の実と、離れた所から聞こえた舌打ちに心底から納得した。既に不意打ちではなくなっていたが。

 この後、フェイトは即席ながらもなのはと連携しながら恭也に挑むが、当然のように軽くあしらわれて終わった。納得行かない、とバルディッシュに見立てた棒を持つとアルフと共に自身の得意とする近接戦を挑むが、それこそ文字通り恭也のテリトリーに踏み込む行為だ。結局恭也を捉える事が出来ずに、一発ずつのデコピンを喰らったフェイトとアルフは戦意喪失し、盛大に凹む事になった。(なのはは恭也に負ける事に慣れている)




 余談になるが、魔導師はデバイスがなくても魔法を使う事が出来る。ただし、単純な演算処理は一般的に人間の脳よりデバイスの方が向いている為、デバイスを使用する事で術の発動までの時間が短縮出来るし、威力・照準精度が向上する。敢えて使わない者はまずいない。
 また、デバイスは大別すると魔法が詰め込まれているだけのストレージデバイスとプラスして人工知能を載せることで魔法の補助や簡単な状況判断を行って自動的に魔法を起動する事も出来るインテリジェントデバイスの2種類となる。
 共通して言えることはデバイスには魔法が詰め込んであり、使用者の意志で呼び出して魔法を行使すると言う事だ。魔法と言うアプリケーションを使用するために外付けHDDであるデバイスからソフトを呼び出し、CPUとメモリを担当する術者が起動する。この時演算処理の一部をデバイスに任せることで威力と照準が上がる。結局人間が行うのは威力・照準・誘導となる。
 デバイスはAIの有無で分類されるが、それとは別に使用者の好みによりカスタマイズされる。例を挙げるなら、術者の負担を大きくしたのがなのは、逆に最小限にしたのがクロノ、例外に属するのがユーノだ。
 なのはは威力設定や照準を感覚で行っている。勿論、いい加減なのではなくその逆の成果が得られるためだ。
 射撃において弾丸は直進しない。これは質量兵器だけでなく魔力弾にも言える事だ。物質に作用すると言う事は物理的な力である、大気の流れ、惑星の重力、自転・公転の遠心力が魔力弾に影響を与えると言う事。如何に砲径が大きいとは言え誘導の利かない砲撃で長距離射撃を成功させる照準の算出はデバイスでも難度が高いのだ。そしてその不可能を可能とするものこそ、保有魔力量に隠れがちななのはの天性の勘である。

121 小閑者 :2017/08/06(日) 23:50:46
 クロノは魔法を使用する上で自分自身の役割を魔力タンクと割り切り、一切の手順をデバイス任せにしている。
 一見効率的に見えるこの方式を採る者が少ないのは、第一に熟練者にしか許可が下りないこと。この方式は例えるなら銃身の強度が低いのにマグナム弾を装填出来てしまうと言う事だ。そんなことをすれば当然自爆する事になるため許可制とされている。自身で魔法を起動すれば、不相応な威力の魔法はそもそも発動しないのだ。
 また、感覚に頼るところの少なくない魔法を完全に道具として扱う事が難しい事もある。術の使用をデバイスに任せているのに、魔法を使用する度に設定してある威力や弾速等をマニュアルで再設定していては本末転倒どころかマイナスになる。解決方法は至って単純で、デバイスに多種の魔法と豊富なバリエーションを登録しておき、必要な場面で必要な術を選択すれば良い。
 この点が選択のポイントとなる。一部の演算を自身で行うことで微妙な匙加減を感覚で行うか、僅かながらでも威力や発動速度を稼ぐ為に運用面で苦労するか。
 人間の“感覚”で最適化された加減がどれほど優秀であるかは、「生卵と鉄塊を力加減だけで掴み分ける事」だけを機械に再現させるために莫大な演算処理を必要とする事からも分かるだろう。
 適正の問題である為、選択そのものに優劣は無いが、それまで慣れ親しんだ方式を捨ててまでクロノと同じ選択をする者が決して多くないのが実情でもある。
 一方、ユーノはデバイスを使用していない。
 地球に来た当初はレイジングハートを所持していたが、持っていただけで正式にマスター登録はしていなかったし、今はなのはに託している。管理局局員であれば、少なくとも代わりのデバイスは持たされただろうが、ユーノには当て嵌まらない。また、PT事件はまだしも、今回はなのはに協力しているだけで、積極的に魔法戦闘に参加している訳ではないと言う中途半端な状態にある事も一因と言えるだろう。
 ただし、これらはユーノを取り巻く“状況”に過ぎない。デバイスを持たない最大の理由は、ユーノ本人がデバイスを必要としていない為だ。これはユーノの得意分野である結界魔法を始めとする補助魔法が簡単だからではない。逆に、結界や防壁は“破れてはいけない物”と言う意味では、消耗品である攻撃魔法より緻密で堅牢な構成を必要とする。デバイス抜きでそれを成し得るのは、偏にユーノ個人の演算能力がずば抜けて高いためだ。攻撃魔法の適正が低く、保有魔力量が特出していない為に目立つ場面が少ないが、魔法技能だけを見れば後に陸海空で若くしてトップエースと呼ばれるようになる3人娘に決して引けを取る事はない。
 後に無限書庫の司書長を務める事が出来たのも、デバイスに負けない演算能力と、莫大な記憶領域を併せ持つからこそと言える。




 自身の価値観や評価基準をボロボロにされたフェイトの姿は、恭也を見慣れているなのはにとっても自分の感覚が一般的でないことを認識させられる為辛いものがあった。尤も、魔法に触れるようになって半年ほどのなのはがフェイトより柔軟だったのは当然なのだが。

「恭也君みたいな事が出来る人なんてきっと他にはいないよ」
「そうそう。あんなの使い魔にだって余程の処置を施さなきゃ出来ないんだから、生身の人間には出来ないよ」
「…そ、そうかな?」
「この世界の人間全員が出来る訳じゃ…なのはもこの世界の出身だっけ。じゃ、キョーヤが異常って事で良いのかい?」
「随分な言い草だな。少なくとも前例が目の前に居るなら他にも出来る者が居ると思うべきだろう?」
「ゴキブリ見たいな存ざっっっくぅー!」
「背後を取られていながら大胆不敵だなスクライア」
「い、今凄い音がしたんだけど!?」
「だ、大丈夫?ユーノ君」

 後頭部を押さえて蹲るユーノになのはが声を掛けるが、幸いな事に恭也のデコピンを受けた事のないなのはにはどれ程の痛みなのか想像も付かない。出来れば知る事無く済ませたいと思ってもいる、切実に。

122 小閑者 :2017/08/06(日) 23:51:24
「まあ、実際の所、テスタロッサもデバイスとやらを持っているんだろう?高町はデバイスを持ったら誘導弾の数が5つに増えた上に軌道が鋭くなったからな。テスタロッサも同等と考えても良いんだろう?戦い方の相性にも依るから一概には言えないが俺を打倒するのはそう先の話ではないだろう。まあ、早い内に1対1で俺を打倒できるようになるんだな。
 いつも高町とテスタロッサが行動を共にしている訳ではないだろうし、俺と同等以上の体術を持つ者が複数現れたら今のままでは対応できないことになる」
「…痛たた、ふう。だから、そんな可能性まず無いんだから心配しなくても」
「そうだね。一応恭也君に対応する方法もあるにはあるんだし」
「?……まさかとは思うが本当に俺程度が他に居ないと思っている訳じゃないだろうな?
 待て、不思議そうな顔をするな。あと、高町、距離を空けて砲撃する事を言っているなら屋内で奇襲をかけられたら如何する積もりだ」
「あ」
「そりゃ絶対に居ないとは言わないけど、心配する程じゃないだろう?」

 平然と楽観論を口にするユーノから視線を転じるが他の3人も似た表情が浮かんでいる。実際ユーノやフェイトは、他の世界の人型の種族の中にはこの世界の人類と比べて筋力や瞬発力といった基本能力が高い種族が存在することを知っているが、それとてあくまでも基本能力であって技術ではない。恭也の様な存在が確認されていれば噂話くらいにはなっていてもおかしくないのだ。

「危機意識がそこまで欠如しているのは信じ難いんだがな。
 聞き方を変えよう。俺の体術が独学だと思っているのか?思っているのか…」

 言葉にするまでも無く表情で訴える4人に恭也が盛大に溜息を吐く。
 恭也も「考えた事もありませんでした」と主張する驚愕の表情には他にリアクションの取り様が無いのだろう。
 なのはが高町家に居ながら御神の剣士の身体能力を知らないのは、彼らがなのはに鍛錬風景を見せていないからだ。知らなければ広める事は出来ない。戦闘技能を持たない家族の安全を図るのなら当然の処置だ。
 辛うじて再起動を果たしたユーノが呻く様に呟く。

「恭也って生まれた時からそのままって言うか、ある時突然その姿で発生した様な印象が…」

 聞かせる為ではなく、思考を挟む事無く思い付いた事が駄々漏れになっている感じだ。この上も無く不用意と言わざるを得ないが。

「…ほう。すまなかったなスクライア。お前の事を路傍の石程度にしか認識していなかった」
「ヒッ…、き、気にしないでよ。そそそそんなに気迫漲らせて謝って貰わなくても、だじょぶだから!」
「謙遜する事はない。今この瞬間から昇格して殲滅対象にしてやろう」
「ええええ遠慮させて頂きます!僕は石ころですからー!」
「きょ、恭也!」

 豹変、と表現できる程に劇的に雰囲気を変化させた恭也にフェイトが気力を振り絞って静止の声を掛ける。アルフは大型犬に姿を変えて、フェイトの盾になれる位置で歯を剥き出し全身の毛を逆立てて恭也を威嚇している。
 恭也が感情の赴くままに発散するプレッシャーはジュエルシードにより凶暴化して襲い掛かってきた怪物のそれとは一線を画していた。あの時も命の危険は確かにあったが、在り方が“現象”に近く明確な意志を感じ取る事がなかったのだ。
 声も無く身を竦ませるなのはが一般的な反応であり、言葉を発する事が出来ただけでもフェイトは胆力があると言えるだろう。逆に言えば真っ向からプレッシャーを受けて一番萎縮してもおかしくないユーノが、多少どもりながらも受け答えて見せた事こそ特異なのだ。これは遺跡調査におけるトラブルで獰猛な肉食獣に追い掛けられる経験を何度も積んできた成果だった。
 怯えながら後退りする3人に対して、恭也はその場に留まったまま全身の筋肉を緊張させていた。ユーノに襲い掛かるための予備動作、ではなく、正反対に怒りに任せて襲い掛かる誘惑に必死に抗っている結果だ。
 いくらユーノが昨日の喫茶店に居合わせたとは言え、あの遣り取りだけで自分の発言内容が恭也の逆鱗を逆撫で、どころか毟り取るのに等しい行為である事を察するのは無理だ。そもそも、喫茶店に居た時よりも解散後に恭也が調べて回った結果として至った結論なのだ。明確に説明したことも無く、知らない内に進展している状況を「全て察しろ」では傲慢にも程がある。恭也もそれを理解しているからこそ何とか感情を抑えようとしているのだろう。問題なのは、論理も理屈も道理も無視して“触れた”という一事のみで怒り出すからこそ“逆鱗に触れる”と表現するのだ。感情の爆発を理性で押さえ付けるのは容易なことではない。

123 小閑者 :2017/08/06(日) 23:51:55
 恭也が何度も大きく深呼吸した後、ゆっくりと3人の方を見据える。感情のコントロールを取り戻すことには成功したのか、少なくとも3人の恐怖心を喚起した何かは発散していない様だ。尤も、だからと言って即座に恐怖心が拭える訳ではない。顔を向けることも出来ないなのはが最も顕著ではあるが、ユーノとフェイトにも全く余裕が無いし、アルフは臨戦態勢を解除する素振りも無い。

「怖がらせて悪かったな。
 だが、まあ、良い機会でもあるんだろう。
 俺が身体を鍛えているのは逃げ回るためじゃない、戦うためだ。人を傷つけ、殺すためだ。
 それを踏まえて、まだ俺と関わるかどうか決めてくれ。暫くは早朝訓練に来ないことにする」

 恭也の言葉には落胆も諦観も悲哀も寂寥も感じられない。当然の事、そう思っているのだろう。
 察したフェイトは、思ってしまう。その考え方こそ寂しいのではないか、と。

「慌てて結論を出す必要はない。時間を掛けて考えてくれ」

 それだけ告げて普段通り走り去っていく恭也に対して、誰も声を掛ける事が出来なかった。



            * * * * * * * * * *



「恭也さん、何かあったん?」
「…はやて、俺の生活が波乱に満ちていることは認めるが、流石に瞬間の連続で出来ている訳じゃないんだ。何の前触れもなく日毎に事件が発生していたら身も心も持たないぞ?」

 はやてが問い掛けたのは、恭也が4人を威嚇してから数日経ってからの事だった。
 恭也は宣言通り、あの日から合同訓練には参加していない。とは言っても単独での早朝鍛錬は続けているため生活スタイルには変化がない。また、本当になのは達の反応を当然のものと考えている様で、落ち込んでいる姿を見せたこともなかった。だから、恭也の遠回しな否定の言葉は至って正当な内容なのだが、それを聞いても彼を知る誰からも同意は得られないだろう。今現在何かの事件が発生していなかったとしても、次の瞬間には事件の渦中に居てもおかしくない。それが多くの者が恭也に対して持つ認識だった。そして、多数派に属しているはやては、普段から恭也の行動に目を光らせている。
 ただし、外部から得られた情報と恭也の態度から読み取れる物を秤に掛けると、後者の重みがまるで無いため、あまり重きを置いていないのだが。

「今日、図書館で会ったすずかちゃんから聞いたんよ。なのはちゃんとフェイトちゃんが落ち込んでるて」

 はやての口からなのはとフェイトの名前が出たことで一緒に聞いていたシャマルの表情が強張った。その2人が管理局側に属していることは恭也から聞いているため、自分たちの事が露見しないかと気が気でないのだろう。ヴィータが居ればもっとあからさまに動揺していたかもしれない。
 実際には、はやてはすずかとしか面識が無い。先日図書館から帰って来て「友達が出来た」と嬉しそうにすずかの事を話していた。すずかには親友が居て、折を見て紹介してもらえるとも。
 彼女達と面識がある事は恭也から告げている。管理局にヴォルケンリッターの存在が知られる可能性が高まるが、すずかの名前に何の反応も示さないのは不自然だからだ。
 恭也が八神姓を名乗っている以上、すずかから恭也の名前が出て来る可能性は十分にある。なのはやフェイトと八神家の繋がりは少ないに越したことはないが、不自然さを残せば心理的に確かめたくなるものだ。
 薄氷を渡る様な気分だが、だからこそ無用な綻びを作る訳にはいかない。

「高町とテスタロッサが?」
「心当たりはあるんやろ?」
「まあ、な」

 恭也の歯切れの悪さにはやてが苦笑を浮かべる。
 恭也が女の子、に限定する必要は無いのだろうが、酷い事をするとははやても思っていない。だが、本人が意図しなくとも他人を傷付ける事はあるだろう。恭也が女の子と仲良くしている図は面白くないが、何かの行き違いで恭也が悪く思われるのは嫌だった。

「何があったか、私に話してみ?こう見えても女の子の気持ちは恭也さんより詳しいんやよ?」
「俺より疎かったら流石に問題があるだろう」

124 小閑者 :2017/08/06(日) 23:53:01
 恭也の苦笑交じりの軽口を聞く限り、恭也が2人に対して怒っている訳ではないのだろうと察して、はやては安堵する。すずかが良い子である事は分かっているが、その友達が必ずしも良い子だとは限らないし、良い子であっても相性が悪い事だってある。紹介して貰える事を楽しみにしている反面、不安はあるのだ。伝聞だけで面識の無い相手の評価を決め付けてしまうのはいけない事だが、恭也が嫌う様な人物であれば不安要素が増してしまう。

「今回は一方的に俺の方に非があるんだ。
 会話の中で冗談交じりに、“おまえは子供の頃の姿が想像できないから、ある時突然その姿で発生した様だ”と言われてしまってな」
「あ…」
「大丈夫だ」

 表情を歪めるはやての頭を恭也が優しく撫でる。ゴツゴツした掌の感触が不安に揺れるはやての心を不思議な程に落ち着けてくれる。

「不意打ちで言われた所為で感情の制御が出来なくてな。咄嗟に手を出す事だけは堪えたんだが、殺気を抑える事までは出来なかった。
 実際にそれを言ったのは高町でもテスタロッサでもないんだが、その場に居合わせたから怯えさせてしまったんだ。
 誰にも悪気が無い事は分かっていたから一言謝ってその場を離れてからは、あいつらとは顔を合わせないようにしている」
「で、でも、恭也さん、折角友達出来たのにそのままでええの?」
「…高町達が冷静に考える事が出来るように時間を置いてから、もう一度だけ顔を合わせる積もりではいる。
 俺は自分の事を危険“物”だと思っているから、周囲の人間に俺と関わる事を勧める気にはならないが、判断するのは相手に任せている。勝手に決める様な独り善がりな真似は流石に傲慢だと思うしな。
 関わりたくないと言われれば従う積もりでいる。
 幸い俺の検知範囲はそれなりの広さがあるから相手より先に気付けば隠れる事も出来る」

 当然の事の様に告げる恭也にはやては掛ける言葉がなかった。
 恭也は煌びやかな面にのみ憧れて剣士の道を選んでいる訳ではない。人から忌避されることを承知していて、それでも尚、力を求めているのだ。どの様な在り方が人として正しいのかなどはやてには分からないが、恭也の決意が上辺の言葉で揺らぐ物でないことはわかる。
 恭也が目指す剣士の道が現代の日本では異質であり、存在を知られれば畏怖の対象となる事が、はやてには悲しかった。

「でも、その2人は落ち込んでるんでしょう?なら、恭也君の事を怖がってる訳じゃないんじゃないかしら?」

 はやての心情を察したシャマルが、2人に対してフォローを入れた。シャマルとて恭也が人から嫌われて嬉しい訳ではないのだ。

「どうかな。月村と高町達の遣り取りの内容を知らないが、月村が誤解している可能性だってある」
「もう、恭也君はどうしてそうネガティブなのかしら」
「まぁ、楽観的な予想で舞い上がっといて突き落とされるのは辛そうやけどね。でも、悲観的になり過ぎんでもええとは思うよ?
 ところで、その事件からどのくらい経っとるの?」
「…四日程か?」
「え、そんなに?向こうからも連絡あらへんの?」
「連絡先を知らないだろうからな」
「あほかッ!それじゃあ謝りたくても謝れへんやんか!何で携帯番号くらい教えたらんのや!」
「ああ、携帯か」

 その一言ではやてにも分かったが、あまり批難する訳にもいかないだろう。恭也には八神家に招いて直ぐに携帯電話を持たせているが、本人が所持している事に馴染んでいないのだ。下手をすれば存在すら忘れている可能性がある。
 また、はやては失念しているが、恭也は一族の性質上、おいそれと人を招く訳にはいかなかったことも一因だった。

125 小閑者 :2017/08/06(日) 23:53:32

「もう、いくらなんでも待たせ過ぎよ。落ち込んでるって言うのも連絡が無いから、恭也君に嫌われたと思ってるんじゃないかしら?」
「それは大袈裟だろう」
「何言うとんの!乙女心は繊細やねんで!?」
「はやてちゃん、すずかちゃんに2人の番号を聞いてあげたらどうですか?」
「それでもええけど、恭也さん、会って確かめたいんと違う?」

 恭也は即答する事無く、はやてを見る。その表情は相変わらずの仏頂面だ。少なくとも同席しているシャマルにはその顔から感情が欠片ほども読み取れない。はやての方をこっそり窺うと、こちらは誰が見ても分かりそうな程の嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。“楽しそうな”でも“面白そうな”でも、無論“嘲る様な”でもない。はやての目には別の光景でも映っているのだろうか?

「大丈夫、別に恭也さんの感情を読めるようになった訳やないから安心しいて」
「…恭也君、そんな事を心配していたの?」

 恭也は無言。これはシャマルにも分かる、図星だった様だ。
 結局、恭也ははやての笑顔の理由について言及する事無く、先程の質問に答えた。薮をつつく様な迂闊さ、ではなく勇気が無いのだろう。

「そうだな、直接確認してこよう」
「え、今から?」

 腰を上げた恭也に今度はシャマルが問い掛けた。時間的には夕方に分類しても良いが、季節柄既に日が暮れかけている。少女達の自宅を知っている訳ではないが、辿り着く頃には完全に日が沈むだろう。

「ええやん、行かせたれば。
 恭也さん、あんまり遅うならん様にな?」
「…善処しよう」

 全て承知していると言わんばかりのはやての態度にそこはかとなく悔しそうな口調でそれだけ言い残し、恭也が外へ出て行った。
 玄関のドアが閉まった音を聞いてから、シャマルが先程の遣り取りについての疑問をはやてに問い掛けた。

「どうして、電話じゃダメだったんですか?」
「電話では表情が分からへんからな。万が一、罪悪感で付き合いを続ける積もりやったら断ろう思うとるんやろ。要らん心配やと思うけどな」
「じゃあ、こんな時間に押し掛けたのは?」
「落ち込んでるって聞いて心配になったんと違うかな?」
「…はやてちゃん、よく分かりますね」
「ふふ。すこーしだけな?」

 前向きな行動力と、後ろ向きな行動理念。
 一月と言う期間が長いのかどうか分からないが、始終仏頂面の恭也の考え方が朧げながら分かるようになってきた事が、はやての誰にも言わないささやかな自慢だった。



            * * * * * * * * * *

126 小閑者 :2017/08/06(日) 23:54:07

 クロノ・ハラオウンは結界の外で続けていた捜索活動が実を結んだ事を確信し、珍しく笑みを浮かべた。成果を得られた事に対してではない。これで結界内で奮闘しているであろう2人の少女を危険から遠ざける事ができるのだ。本人達の意志で参戦したのだとしても、やはり可愛い女の子を危険に晒すのは気が引けるものだ。それが、例え近い将来魔導師として自分を超えていく才能を秘めていたとしても。
 クロノはビルの屋上で結界の中心を見据える人物の背後に静かに降り立った。
 まだ気付かれていないはずだ。そのために、飛行速度と引き換えに飛行魔法の行使により発散してしまう魔力波動を隠蔽した上で、探査魔法の使用を控えて肉眼で探したのだ。
 足音を忍ばせながら接近しつつ、その人物を観察する。黒いシャツに黒いズボン、更には黒い髪と全身黒尽くめ。後姿だけだが恐らくは男性。背丈はクロノよりやや高いがせいぜい150半ば、成人男性としてはかなり低い部類だ。体格は細身に見えるがひ弱な印象ではない。
 そう。面識の無いクロノは知り得ようの無いその不審者は、なのはとフェイトに会いに行ったはずの八神恭也だった。



            * * * * * * * * * *



 恭也は八神家を出ると、まず高町家に向かった。高町士郎や高町恭也と会う事は避けたかったろうが、フェイトの家を知らない恭也には選択の余地がなかった。
 高町家まであと僅かの地点で恭也が空を仰いだ。視界に映るのは町の明かりに負けじと瞬く無数の星と、その夜空を一直線に突っ切る小柄な人影。
 一瞥しただけで猛烈な勢いで移動する人影がなのはである事を識別した恭也は直ぐに視線を下げると誤魔化すように髪をかき上げて一言愚痴を零す。

「緊急なんだろうが、短いスカートで空を飛ぶのは何とかならんのか…」

 挑発したり、話題を逸らすためには躊躇無く持ち出すが、10歳男子としては珍しくそういった羞恥心も持ち合わせているようだ。だが、なのはとて気にしていない訳では無いので、見上げられても見分けが付かない位の高度を飛んでいたのだ、一般人に対しては。

 ちなみに、恭也は不破家において特別に性知識を与えられていない。元服となる12歳に達していなかったからだ。親族の中には身体が育っているのだから問題ないだろうと言う者もいたが、士郎が承知しなかったのだ。
 御神の剣士に“性的な面に弱点がある”などと知られれば、どの様にでも利用してくる世界だ(全裸の刺客くらいなら可愛いものである)。つまり実質的に御神の剣士として働けない事を意味する。ひたすら銃弾が飛び交うだけの戦場であれば別だが、流石に戦場は御神の剣士が本領を発揮できる場面とは言えない。
 士郎は「恭也に色事なんぞ10年早い!」と言い張っていたが、士郎の妹である美沙斗曰く「兄さんは意外に親馬鹿だから」との事。

 恭也にとって、なのはが飛び出して行った以上高町家に訪れる意味は無い。そして、戦力の逐次投入などの愚を犯さない限り、なのはが出撃するならフェイトも向かっているだろう。そうなれば、恭也には今外を出歩いている意味がなくなる筈だが、八神家に戻るために踵を返す事無く、なのはが向かったであろう都心に足を向け走り出した。
 恭也は道すがら見つけた公衆電話に向かい、軌道を修正して携帯電話を取り出す。
 持っている事を忘れていたのだ。
 折り畳み式の電話を開き、登録してある5つの番号を苦労して呼び出し、八神家の固定電話にかけた。

「はやてか?恭也だ。
 以前話していた俺の居た世界に繋がる情報が得られる可能性が見つかったかもしれない。
 …慌てないでくれ、不確定要素ばかりを積み上げた話だ。空振りの可能性の方が高い。だが、空振りに終わるにしても追いかければ2〜3日帰れない可能性はある。
 シグナム達は戻ったか?…シャマルまで?
 …月村に相談するか。一応、姉の忍さんにも面識があるから多少話は通り易いだろう。
 …は?ああ、美人だぞ。念のために言っておくがかなりグラマーな方だが手を出すのは自重してくれ。…違うのか?…ああ、高町恭也の恋人らしくてな、人違いで声を掛けられた。俺の立っている所だけ30cm程高くなっていたんだ。そんな事確認して如何するんだ?
 まあいい。じゃあ、月村の携帯番号を教えてくれ。…?そんな機能もあるのか。
 …分かった、任せるよ。
 …ああ、ありがとう。頑張ってみるさ。一段落したら連絡するようにする」

127 小閑者 :2017/08/06(日) 23:54:41

 恭也は通話を切ると更に携帯電話の電源を落とし、ゴミ箱に捨ててあったビニール袋を失敬してそれに包むと、手頃な民家の垣根に音も無く駆け上がり道路にはみ出している太い枝の道路側から見難い位置に括りつけた。
 その家の位置をもう一度確認すると、通話中には息を乱さない様に抑えていたペースから、闇夜に紛れれば視認出来ない様なペースに上げて都心に向けて走り出した。

 恭也が都心に辿り着いた時にはかなり人通りが激しかった。オフィス街の終業時間をいくらか過ぎた頃合ともなれば当然だが、逆に言えばこの人だかりの傍で音も光も派手に発する魔法の撃ち合いなど行えば注目どころかパニックを起こすだろう。
 となれば可能性は2つ。なのはの目的地が高町家と都心を結んだ直線の更に遠方にある場合、もう一つは、普段朝の訓練でユーノが展開している結界と類似の物が張られておりその内部で戦闘が行われている場合。
 恭也は空を見上げると、手近にあった高層ビルへと入って行く。帰宅しようとするサラリーマンの他に玄関口には警備員も立っているが、恭也を見咎める者、いや目に留める者すら居なかった。
 そのまま堂々とエレベータと階段を使い最上階へ上り、屋上の鍵をピッキングで開けて外に出ると空を見上げて立ち尽くした。現場だろうと予想した場所に辿り着いたもののこれ以上能動的に動ける要素がなくなってしまったのだろう。
 恭也の立つ屋上に音も無く小柄な人影が降り立ったのは、程無くしてからだった。




            * * * * * * * * * *




 町の明かりが強すぎて星の光も擦れているこの場所では、男の視線の先には結界以外は何も無いはずだ。この第97管理外世界の住人であれば、仮に魔法の才能があったとしても研鑽していないため、結界を認識する事無く何も無い虚空を見据えていることになる。背後から見る限り闇の書は確認できないが、この状況でこの場所に居てこの体勢に在りながら無関係な一般市民などと言うことはありえない。
 クロノは恭也から適度な距離、近過ぎて反撃を受けず、遠過ぎて逃走されない、全ての挙動が視線を動かさずに視界に入る位置に辿り着くと、ゆっくりと魔法杖を構えて警告を発した。

「うごおわ!?」

 失敗した。声を発した時には彼我の距離が無くなり、咄嗟に傾げた頭の横を髪を掠めて恭也の拳が通過したのだ。
 クロノは硬直しそうになる体を強引に動かし、距離を取るべく辛うじて床を蹴った。

 何が起きた!?
 気付かれた事は良い。いや、良くは無いが推測できる。隠蔽し切れなかった魔力を感知されたか、忍ばせた積もりの足音を聞かれたんだろう。
 だけど、距離を詰めた方法が分からない。僕が立ち位置を定めた時には確かに十分な距離があった。少なくとも挙動を感知してから対応できるだけの距離だった。それなのに声を、いや、多分魔法杖を構えた時にはその距離が0になっていた。だが、挙動は勿論、魔法を使った事にも気付けなかった。
 一体何がどうなっている!?

 未知の技能に対する驚愕を着地するまでの短時間に押し込め、思考を戦闘に切り替える辺り、若くして執務官に辿り着いたのは伊達ではない。だが、眼前の被疑者、八神恭也を相手取るにはそれでも遅過ぎた。
 クロノのバックステップに合わせて距離を詰めた恭也が放った前蹴りは、クロノの鳩尾を捉えた。一切加減されていないその蹴りは本来であれば呼吸困難に陥るどころが肋骨数本を粉砕する威力があったが、喰らったクロノは恭也の追撃の拳や蹴りに反応し、紙一重ながらも以降の攻撃を躱し続けた。バリアジャケットが恭也の蹴りの威力を相殺していたのだ。だが、ダメージを受けずに済んだクロノは、反撃に転じる事が出来ずにいた。
 クロノが反撃しないのは、恭也の攻撃の継ぎ目に隙が無い事だけが原因ではない。最初に喰らった蹴りにバリアジャケットが機能したことに動揺しているのだ。

 バリアジャケットはバリアやフィールドを複合した物なので、弾く事より相殺して柔らかく受け止める性質を持つ。この機能は攻撃を受けた時に発動する訳だが、自動的に行われるため“何に対して”と言う設定が必要になる。空気を遮断する訳にはいかないし、能動的に物に触れなくなったり、戦場での緊急回避措置として仲間から突き飛ばされた時に発動しても困るのだ。そのため、大抵は“魔力を含んだ攻撃”と“一定以上の速度を持った物体”で設定する訳だが、近接戦闘にも長けているクロノは魔力の消費を抑えるために物理攻撃に対する設定を一般職員よりかなり高くしている。だから、明らかに小柄な恭也が魔力による底上げをしていない純粋な体術でそれ程の威力を発揮した事が信じられなかったのだ。

128 小閑者 :2017/08/06(日) 23:55:46
 だが、何時までも動揺を引き摺るクロノではない。体術はほぼ同等の腕前であるため、この劣勢を押し返すことは出来ないが、クロノは魔導師、体術に拘る必要は無いのだ。
 恭也の蹴りをS2Uを立てて受け止めると同時にそのまま上空へ向けて魔法を発動。威嚇ではない。放ったのは操作性の高いスティンガースナイプ。クロノの意志を反映した魔力弾は鋭い弧を描いて恭也の頭上から襲撃した。
 だが、反射的に魔力弾を視界に納めようと恭也が頭上を仰いだところをS2Uで殴り制圧する積もりでいたクロノの予想に反して、恭也はクロノの挙動を注視したまま上空からの魔力弾をバックステップする事であっさりと躱してしまった。クロノにとって信じたくない事ではあるが、誘導弾の軌道修正が間に合わない程ぎりぎりまで回避行動に移らなかったのは決して偶然ではないのだろう。
 だが、クロノにとっての本当の悪夢はここから始まる。屋上に着弾する寸前に弧を描かせて再度恭也へ向かわせた誘導弾を恭也が躱し続けたのだ。

 何が起きている!?
 この男からは幻術系を含めて魔法を使っているような魔力を感知できない。これが本当に純粋な体術なのか!?
 だけど、さっきの攻撃は僕にも捌く事が出来たんだ。ここまで非常識では無かった。
 手を抜いていたのか?この状況ではそれも考え難い。最初に喰らった蹴りは十分に人を殺せる威力があったし、手を抜いているかどうか位は流石に分かる筈だ。…まさか、この男、本来は武器を扱うのか?

 魔導師にとって、近接戦闘は手段の一つに過ぎない。アームドデバイスの担い手が多ければ事情が変わっていたかもしれないが、そう言った者はごく少数だ。また、平均的なミッド式の魔導師は砲撃を主体としているため、近接戦闘に持ち込まれれば勝率が極端に下がる。言い換えれば武装毎の対応方法を練習するより、中・遠距離での戦闘に持っていく方法を練習する方が実践的と言える。近接戦闘能力について高い評価を得ているクロノと言えど、習得した武装の種類によって現れる所作の違いを見分ける事は出来ないのだ。
 一方、誘導弾を躱し続ける恭也も決して余裕がある訳ではない様だ。複数の誘導弾を扱うなのはの攻撃にさえ、隙を見て飛礫を放ってみせる恭也がクロノの単発の誘導弾を躱す事に専念しているのがその証左と言えよう。飛針ではバリアジャケットに阻まれて有効打にならないと予測できるからではない。“無駄な事はしない”のと“試す事無く諦める”のは違う事は恭也とて知っているのだ。
 クロノとなのはの違いは誘導弾の運用法だ。常に直撃を狙うなのはと、回避姿勢を誘導する事で身動きの取れない姿勢まで体勢を崩そうとするクロノ。眼前の光景は生まれ持った才能の差を努力で埋めた結果なのだが、残念ながら当のクロノは知る由も無い。
 クロノは成果の得られない攻撃に見切りを付けるのにいくらかの時間を要した。体力の低下に伴い回避運動が鈍る事が無いと言う結論に至るための時間、と言う事にしたが実際には、思考が停止しかけていたのだ。
 敵の回避手段が魔法を使った他の方法なら切り替えも早かったのだろうが、あまりにも想定外に過ぎた。それでも、魔導師としてのプライドを粉砕する様な恭也の技能を初めて目の当たりにしたにも拘らず、意地になって誘導弾に固執する事無く柔軟な思考を保っている辺りは流石と言って良いだろう。
 クロノは誘導弾を維持したまま、新たな魔法の詠唱を始める。選択したのは直線的に進む火炎魔法だ。誘導弾をもう一発打つのも手だが、あの動きが上限とは限らない。

「フレイム・ブレード!」

 名前の通りの炎の剣を右から左へ薙ぎ払う。と、炎を突き破るようにして飛び出す物体を確認。すかさず先程の誘導弾をぶつけるが、予想通りデコイ(上着だろうか?)だった。持続時間の限界を迎えて誘導弾もそのまま消滅するが、クロノは拘泥する事無く屋上を見渡す。
 誰も居ない。

「…に、逃げられた…?」
『クロノ君のバカー!!』
「うお!?」

129 小閑者 :2017/08/06(日) 23:56:28

 間髪入れずに飛んできた執務官補佐兼管制官エイミィ・リミエッタの罵声にクロノが怯む。
 相手の目的が分からない以上、この場に留まり交戦を続けるとは限らないのだ。自分にとってリスクが高いと判断すれば逃走するのは当然である。
 得られた情報として魔法が使えない可能性が高かったため逃げ場の無くなる魔法を選んだ積もりだったが、暗闇に慣れた視力には炎の明かりは眩し過ぎた。普段のクロノであればこんなミスはしないがやはり恭也の戦い方が異質に過ぎたため動揺していたのだ。勿論、言い訳にしかならない事は承知しているため口にする積もりは無いのだが。

 待て、魔法が使えない?

 エイミィの続いて発せられる筈の批難の言葉が届く前に、クロノは魔法杖を、屋上において恭也があの位置から身を隠せる唯一の場所である給水タンクに向ける。すると、磁石の同極が弾かれる様に上着を一枚減らした恭也が現れた。如何に非常識な身のこなしが出来るからと言って高層ビルの屋上から逃げ出す事は出来なかったのだ。ただし、現れたと言っても両手を挙げてなどと殊勝な態度ではない。
 恭也は給水タンクから飛び出すとフェイントを織り交ぜながらクロノとの距離を猛烈な勢いで詰めていった。
 焦ったのはクロノである。先程の火炎魔法で自身の不利は理解出来ている筈なのにこれ以上無駄に足掻く意味が分からなかったのだ。勿論、反撃を想定して既に詠唱は済んでいるが、無駄な争いはクロノの好むところではない。目的は時間稼ぎなのか?

「これ以上抵抗するな!大人しく投降しろ!」
「馬鹿か貴様は!?何処の誰とも知らん様な子供に殺傷能力の高い武器を突きつけられた状態で大人しく出来る奴など居るものか!」

 無駄を覚悟で呼びかけたクロノの言葉に、きっちりと返答する恭也。勿論、この間も距離を詰めるために走り続けている。クロノは想定外の被疑者の台詞に思わず言葉に詰まるが言い負かされる訳には行かない。誰が子供だ!っじゃなくて!

「お前が攻撃してこなければこちらからも攻撃しない!」
「貴様が馬鹿なのはよく分かった。先程までバカスカ攻撃しておいてその台詞を信じる奴がいるなら紹介してくれ。詐欺の鴨にしてやろう」
「う」

 やはり無理だった。
 恭也に対して安全と言える距離があるかどうか分からないが、少なくともあと僅かで瞬殺されかねない距離(背後から近付いた時のそれだ)に達しようとしていたため、思考を一旦保留したクロノは飛翔して距離を稼いだ。
 それにしても“鷺の鴨”とは何だろう?どちらも鳥類とは言え別の種類の筈なんだが。

「分かった、高所からで悪いがここでデバイスを仕舞おう。これなら良いだろう?まずは話を聞いてくれ」
「なるほど、貴様の事を誤解していた様だ」
「やっと聞いてくれる気になったか」
「貴様が馬鹿なのではなく、俺を馬鹿にしていた訳だな」
「何故そうなる!?」
「デバイスとやらがなくても魔法を使える事位知っている」
「では、どういう条件なら話を聞いてくれるんだ?」
「そうだな、せめて俺にも反撃の機会はあるべきだ。屋上に降りろ。距離は俺が先制した時の倍の間隔を空けても良い」
「飲める訳無いだろう」

 話し合いに応じようと言う恭也の条件をクロノは即答で拒否した。
 デバイス無しで魔法を使用できる事を知っていると言う発言は、以前から魔導師との接触があった事を意味する。あそこまできれいに誘導弾を躱して見せた恭也に対して何を今更、と思うかもしれないが、「初見で躱すせる者が絶対に居ないか?」と問われた時に最前線で戦ってきたクロノは「存在する可能性はある」と回答するだろう。ユーノたちの「絶対に居ないとは言えない」と言う答えとは一見同じでありながら大きな隔たりがある。
 そして、“魔法について何らかの知識を得ている”被疑者が提示してきた条件だ。それはつまり、恭也にとって、仮にクロノが魔法を発動しようとした場合に対処できる距離であり、外的要因などで事態が悪化した場合にクロノを制して人質に出来る距離だと考えるべきだ。先程までの遣り取りが恭也の運動能力の限界だとは限らないし、飛び道具を所持している可能性も否定できないのだ。

130 小閑者 :2017/08/06(日) 23:57:05

「…まあ、いいだろう。これ以上は平行線にしかならんだろうしな。中央まで移動するぞ?」

 そう言ってあっさりと背中を見せる恭也に、クロノの方が唖然とする。

「よく僕に背中を見せられるな。挑発してるのか?」
「背面から撃たれた程度で喰らう程間抜けではない」

 想像を絶する自信家。クロノはこの被疑者がそれを装っているのだろうと推測する。
 先程の遣り取りも高圧的に振舞う事で少しでも有利な条件を引き出そうとしたのだろう。クロノ個人は好まないが完全に無力化してから尋問する事も手段として考えてはいたのだ。それを承知しているからこそ恭也は自分の提案した条件を蹴られても武力行使になる前に話し合いに応じてきたのだ。

「改めて言うぞ。投降しろ」
「…分かった。それなら、先ずは目的を言え。俺の持つ何が欲しい?あるいは俺の行動の何が邪魔だ?内容によっては譲ってやる」
「…何を言っている?」
「事実関係の確認だ。生憎と俺にはこの世界で大した事をしていない。誤解の無い様に補足するなら、あー次元、世界だったか?それを含めての事だからな?」
「巫座戯るな!たくさんの人に迷惑を掛けておいて、『何もしていません』だと!?」
「そこで抽象的な表現をするな。たくさんの人とは何処の誰で、迷惑とは具体的に何を指している?まさかとは思うが、お前は動物保護団体で1ヶ月近く前に野兎を狩った事を言ってるのか?それなら悪いが投降する訳には」
「巫座戯るな!!守護騎士を使ってリンカーコアを蒐集している事だ!!」

 のらりくらりと話を逸らせようとする恭也の態度にクロノが感情を爆発させる。一刻も早く守護騎士の行動を止めたいと言う想いが焦りとなって表れ始めていた。

「…大体分かった。高町がこの中でその守護騎士と戦っているから、近くに居た俺がその仲間として容疑を掛けられている訳だ。
 あー、お前さんひょっとして時空なんたらの社員?」
「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ!最初に名乗っただろう!」
「名乗ってない、名乗ってない。まあ宣誓中に殴りかかって中断させたのは俺なんだがな。
 過ぎた事は脇に置くとして、どうしたものかな」
「さっさと投降してあの3人に戦闘を中止させろ!」
「俺が仲間だと決め付けている様だが、根拠は…なんて言ってても仕方ないな。
 仮に俺が仲間だとしよう。騎士と名乗るような連中が敵に捕まった仲間の、命乞いに見られかねない投降の呼びかけに応じると思うのか?俺の価値観からすれば仲間を切り捨ててでも目的を優先するぞ?敵に命乞いをするような者であれば尚更な」
「ただの仲間ならそうかもしれない。だけど闇の書の主であれば話は別だ」
「ここで新しい単語を出すか!?
 まったく、少しも進まんな。わかった、別の面からいくぞ。
 今この場で俺の容疑を晴らす方法は有るのか?」
「お前がこの場で闇の書を出して見せればいい」
「それ絶対、容疑を認める方法だろ!?」
「冗談だ、スマン。漸く冷静に成ってきた」
「無い袖は振れんからどうでも良いけどな」
「袖…?いや、関係ないか。
 お前が言いたいのはこういう事だな?
 お前が敵の仲間だった場合、白を切って容疑を否認されれば、僕にはこの場で敵の仲間である事を証明する方法は無い。
 無実だった場合には、同様に容疑を否認されるがこれも同じくお前の無実をこの場で明かす事が出来ない。
 つまり、僕は今この場に居ても事態は好転しない」
「ご名答、と言いたいが、お前達の価値観では時間が無為に過ぎる事は“悪化”とは言わないのか?」
「痛い所を付くな。だが、言った通りお前を解放する事も出来ないぞ」

 状況的に限りなく黒であるため半ば決め付けていたが、被疑者本人の否認を超えて断定するには証拠が足りず、だからと言って逆に、白だと証明する事も簡単に出来る訳が無い。つまり、保留にするしかない。そう結論付けた以上、クロノがこの場に留まるのは無為に過ぎる。先程から宣告している通り一時的にでも管理局に投降して貰うべきだ。

「仲間ではないと言うなら時空管理局の艦船まで同行してくれ。無実である事が分かれば直ぐに釈放する」
「断る」
「な!?何故だ!?」

 十全な説明をする前に事情どころか内情まで察してくれた事で協力的な行動を期待していたクロノは、恭也の拒否に動揺した。

131 小閑者 :2017/08/06(日) 23:57:39

「お前が時空管理局に所属している人物である確証が得られない。そもそも、俺の中で時空管理局と言う組織の位置付けが出来てない。
 高町とスクライア、会って間もないがテスタロッサの事も信用してやってもいい。だが、あいつらが所属しているからと言って、組織の全員が一枚岩だとは思えない。
 疑い深い性格だと言う自覚はあるが簡単に変わるとも変えたいとも考えていない」
「3人を知っているのか!?お前、まさか八神恭也か?」
「ご名答。無実の罪は晴れたか?」
「!…ダメだ。実証する術が無い。画像データでも受け取っていれば…」

 結界内で戦闘をしている2人は論外としても、内部で同じく書の主か4人目の守護騎士を探しているユーノを呼び出すのも避けたい。最優先はあくまで捜索だ。限りなく白に近いグレーのこの男に2人分の手を費やす訳にはいかない。
 任意同行に応じない事も責める気にはなれない。管理外世界において時空管理局など耳にした事が無くて当然なのだ。警戒されるのもまた然り。

「では、仕方が無いな」
「…残念だ。理性的な相手には話し合いで済ませたかったが、僕にも時間が無い」
「気にするな。選択を許さない状況などいくらでもある。今もその時なんだろう。そもそも勝てる積もりでいるのか?」
「無理だとは思わないが確かに勝つのは難しそうだ。だが、動きを封じる方法はある。この屋上をカバーする程度の閉じ込める結界なら僕一人でも張れる」
「やっぱりそう来るか。種明かししてるって事は準備万端だな?
 結局、本気になった魔導師には勝てないって事か。っくそ!
 ん?」

 クロノは恭也の台詞に言葉を返さなかった。上空に突如として発生した雷雲に凄まじい魔力が込められている事に気付き、それどころではなくなったのだ。
 あれはフェイトの扱うサンダーフォールの様に自然現象を魔法で促進させることで消費魔力以上の威力を発生させる天候操作魔法とは違う。落雷の形式を取っているだけで純魔力による攻撃魔法、分類するならサンダースマッシャーやディバインバスターといった直接砲撃魔法を遠隔地から放っている様なものだ。
 ただし、クロノが驚愕していたのは魔法の威力についてではない。下手をすればなのはのSLBと同等の威力の魔法を、恐らく守護騎士の最後の一人が単身で使用したと推測したからだ。
 その電撃魔法は、アースラの魔導師が総出で維持していた結界を破壊し、閉じ込めていた3人をあっさりと解放してしまった。




「次はぜってー潰してやるからな!」

 負け惜しみに近いその言葉をなのはに投げつけるとヴィータは身を翻して逃走を始めた。
 案の定、追い掛けようとしてくるが、典型的な射撃型であり、強固なバリアジャケットを身に着けているなのはは当然の弱点として、トップスピードに達するのに時間が掛かる。
 ヴィータは追いつかれることよりも遠距離からの射撃と他の管理局員の先回りを警戒しながら、シグナム達3人とは別の方向へ進路を取り、長距離転送を行えるだけの距離を取るべく飛翔した。
 いくらも進まない内に前方から魔力の残滓を感じ取った。視線を向けるとどちらも黒ずくめの似た背格好の2人の男がこちらに気付いて魔法杖を構えようとしていた。ここに居るはずの無い人物の事が脳裏を過ぎるが、アイツは魔法杖なんて持っていない、と自身に言い聞かせ、被弾しない様に最低限の注意だけをそちらに向けて飛翔を続ける。
 だが、2秒後には通過し、背景の一部でしかなくなる筈だったその2人に対して、ヴィータは無駄な接触を行う事になる。屋上にいるのが八神家ではやてと共に自分たちの帰りを待っている筈の恭也である事に気付き、動揺して飛行速度を落としてしまったのだ。
 一度は意識の外に置いた2人組みの内の1人が恭也である事に気付いたのは、屋上の中央で何の行動も起こさず立ち尽くしていた人物に不審を抱いて注意を向けたためだ。

132 小閑者 :2017/08/06(日) 23:58:12
 恭也は見つからない様にと傍観姿勢をとっていた事が仇になった事に気付くと即座に飛針を放った。「俺はお前の敵だ」と言う意思表示として放った飛針は、意図を少々上回る結果を齎した。8割近くの速度エネルギーを相殺され、先端の“点”に集中する圧力を分散された飛針は、殺傷能力を奪われながらもヴィータの額に到達したのだ。ただし、効果音をつけるならザクッ!ではなくスコーンッ!だったが。

「ホゲッ!?」

 間抜けな声を発しながら仰け反るヴィータをクロノが呆然と眺める。牽制で放った2発のブレイズキャノンを無造作に躱され、足止めに放ったスティンガースナイプをあっさりシールドで弾かれていなければ、ヴィータの実力を下方に評価しかねない情景だ。

「このヤロー!」

 驚きはしたがノーダメージのヴィータは、即座にグラーフアイゼンを振りかぶって恭也に殴りかかった。
 怒りに我を忘れた訳では無い。恭也が飛針に込めた意図を正確に読み取り、皆で交わした「蒐集途中に恭也に遭っても他人の振りをする」と言う取り決めを思い出したのだ。
 この攻撃は恭也と面識がある事を誤魔化すための行動であり、一中てしたら即座に離脱する積もりでいた。まともに決まれば恭也の脳天を陥没させる威力を持ったヴィータの縦一閃の一撃は、加減して管理局側に疑われないためであり、シグナムから聞いた恭也の技能を評価した結果であって、恥を掻かされた事についての八つ当たりが混ざっている訳では無い、きっと。
 恭也はヴィータの期待を裏切る事無く右足を引いて体を開いて躱し、しかし、反撃用に構えた右拳を振るう事無く、即座に床を蹴って間合いを開いた。その直後、グラーフアイゼンがその威力を存分に発揮した結果、ヴィータの狙い通り盛大に破壊された床材が散弾のごとく周囲に飛散した。
 建材を破壊した事で周囲を満たした粉塵が風に流されるより前に、自身の一撃のバックファイアを防ぐ為に自動的に展開されるバリア(攻撃魔法と同じ様にグラーフアイゼンに掛ける攻撃補助の魔法に最初から組み込まれている)の中でヴィータが呟く。

「化け物かコイツ…」
「その細腕で鉄筋コンクリートを粉砕する一撃を繰り出す幼女にだけは言われたくない。なんて理不尽な」

 ヴィータとて魔法を使えない者からすれば、自分の攻撃力が反則に見える事くらい承知しているが、魔法による底上げすらせずに飛来する拳大の破片を片っ端から両手で弾いて見せたこの男に言われるのは納得いかない。だが、逃走中のヴィータにとってこの遣り取りは、度し難い隙でしかなかった。

「しまった!」
「捕まえた!っえ、恭也君!?」
「…阿呆が」

 ヴィータの四肢を空間に拘束しているのは、後方から追い掛けて来たなのはのレストリクトロックだ。ヴィータからやや離れた位置に着地したなのはは、自分を挟んでヴィータの対面辺りに立つ予期しない人物に驚いていた。数日間、会いたくても連絡さえ取れなかった相手ともなれば尚更だろう。

「クソッ」

 ヴィータは自身の浅慮が招いたこの状況に歯噛みする。敵に拘束された事そのものより、それにより恭也に友人を裏切らせてしまう事が悔しかった。
 ヴィータは、恭也が管理局員に友人が居る事も、それが自分達の活動とは全く別に恭也が築いた関係である事も知っていた。恐らく、転移してきた事で生じた心身へのストレスの何割かは彼らのお陰で軽減できていただろう。だから、蒐集活動に直接参加しない恭也には、彼らとの友人関係を維持してほしいと思っていた。上辺だけになってしまうとしてもだ。
 恭也がはやての為に、そして恐らくは自分たち4人の為にも、それが必要であると判断した時には自分の持つあらゆるものをあっさりと捨ててしまう事を知っていた守護騎士にとって、ささやかながらも今の自分達が恭也に返せる数少ない物の筈なのだ。それをこんな事で!

133 小閑者 :2017/08/06(日) 23:58:58

「恭也君、どうしてこんなところに?」
「たまたま通りかかった」
「た、たまたま…?」
「ああ。ところで高ま」

 雑談がてら歩み寄る恭也の姿が、前触れもなくその場に居る全員の視界から消失した。なのはのバインドによって拘束している犯罪者に注意を割いているクロノは勿論、恭也を正面から見ていたなのはも見失った。だが、その事実に疑問を挟む余裕はなかった。なのはの右側面、直ぐ間近で何かを叩き付ける様な大きな音が、次いでなのはを挟んだ反対面で何かがフェンスに激突する音が響いたからだ。

 一連の出来事を俯瞰出来る位置に拘束されていたヴィータは、横合いから猛烈な勢いでなのはに飛び掛かっていった白を基調とした服装の人物に恭也が体当たりし、弾かれた襲撃者がフェンスに激突した事が分かった。位置関係上、恭也が体当たりするために距離を詰める姿は見えなかったし、寸前まで恭也が立っていた位置からするとどうやって距離を詰めたのか分からなかったが、腰を落とし左手で右肩を触るほど曲げた右手首を掴んで肘を突き出して、襲い掛かった人影の進路上に佇んでいればそう言うことなのだろう。

 ほうっておけば、お前が疑われずにアタシが開放されたかもしれないのに。

 そうは思うが、恭也に看過する事が出来ない事も分かっていた。あの人影が加減無しになのはに激突すれば、なのはが重傷を負っても不思議ではない勢いだったのだ。
 実際にはインテリジェントデバイスがバリアを張って緩和しただろうが、魔導師の特性に慣れていない恭也に咄嗟にそれを考慮して襲撃者の行動を看過しろと言うのは無理だろう。
 恭也と視線が合う。普段であれば強い意志の宿るその目から感じ取れるのは悔恨と懇願。
 ヴィータの心中に焦りが生まれる。
 恭也が感情を隠せないこと自体が異常な証拠と言っても良い。ヴィータは湧き上がる不安の正体を見極めようと恭也から感じる違和感を必死になって分析した。

 なのはは唐突に右手側に現れた恭也に驚きながらも、フェンスに激突している仮面の男との対比から自分を助けてくれた事を直感的に悟ると喜色を表して恭也に近寄ろうとして、漸く恭也の様子がおかしいことに気付いた。

「…恭也君?」

 身動ぎする事無く突き出した右腕に隠れて表情の見えない恭也に不安を覚えたなのはが呼びかけると、それに答えるかのように恭也が咳き込んだ。同時に水の滴る音。
 ゆっくりとくずおれていく恭也の姿を見てもなのはには何が起きているのか理解できない。したくない。
 だが、完全に倒れ臥した恭也から目を逸らし続ける事など出来なかった。

「イヤァーー!」
「なのは!しまっ!」

 クロノは自身の失策に舌打ちしたが後の祭りだ。
 なのはが拘束していた少女はバインドを打ち破り逃走してしまった。フェンス側に目を移せば、案の定、既に仮面の男の姿も無い。
 民間人と思しき男に負傷を負わせた上に、一度は拘束した守護騎士を逃がし、更には敵に加担しているらしき仮面の男まで逃がしてしまうとは。頻発する失態に自己嫌悪しながらも負傷した男、八神恭也を治療するためにクロノはアースラへの回線を繋いだ。




 2人の意識が逸れた瞬間にヴィータはなのはのバインドを打ち破り一気に離脱した。
 あの場でヴィータに出来る事は他に何も無かった。仮面の男との接触で恭也が負傷していることは直ぐに気付けたが、自分が手を差し出せば恭也が闇の書陣営である事を宣言するのに等しい。
 あの時恭也の視線にあった悔恨と懇願は、恭也がヴィータに助けを求めたのではない。ヴィータを助ける事が出来なくなる事を悔やみ、自力での脱出を願ったのだ。意識が途切れる瞬間までヴィータの身を案じていた恭也を見捨てて独りで離脱する以外に、恭也にしてやれる事が何も無かった。
 ヴィータにはそれがこれ以上無い程悔しかった。

「ちくしょう…
 チクショー!!」





続く

134 小閑者 :2017/08/19(土) 11:59:26
第15話 限界




 艦船アースラの艦長室では、部屋の主である時空管理局提督リンディ・ハラオウンへ先程の戦闘についてクロノとエイミィが報告に来ていた。

「…ヴィータと名乗った少女が逃走、同時に仮面の男も取り逃がしました」
「イレギュラーがあったとは言え見事な失態ね、クロノ執務官」
「面目次第もありません」

 今回のイレギュラーである少年の特異性は確かに異常と呼んでも差し支えない物だったとリンディも理解しているが、犯人逮捕が遅れる事がそのまま被害の拡大に繋がる以上、笑って許容する訳にもいかない。だが、本人がそれを理解し反省しているならば、それ以上の罰則を与えても意味がないと言うのがリンディの方針だ。事件が解決した後であるならまだしも、今この時に無駄に時間を浪費して良い筈がない。

「それでエイミィ、彼、八神恭也さんの容態は?」
「命に別状はありませんが、軽傷と言えるほどでもありませんね。
 肋骨を2本、左脇の辺りで骨折して肺に刺さっていました。意識を失う直前に吐血したのはこれに因るものです。また、全身の至るところで内出血を起こしていて、酷いところでは何箇所か肉離れや靭帯が伸びていました」
「全身が?大半の攻撃は躱していた様に見えたけど…。他にも躱しきれなかった攻撃があったのかしら?」
「いえ、残念ながら僕の攻撃は完全に躱されていました。ヴォルケンリッターの少女の攻撃も派生した飛礫まで捌いていましたから、彼に攻撃を加えられたのは仮面の男だけの筈です」
「じゃあ、あの回避運動はかなり体に負担の掛かるものだったと言う事?」
「そんな筈は…、少なくともスティンガースナイプを躱していた時には運動能力が低下している様子はありませんでした」

 リンディは勿論、クロノも恭也の治療の手配やヴォルケンリッターとの戦闘に参加していた局員の報告を受けるために先程のそれぞれの戦闘の解析結果は聞いていなかった。だから、仮面の男との接触による外傷以外に恭也が負傷している事実に疑問を挟む。

「確かに、映像を解析した結果、結局クロノ執務官の攻撃は一度もヒットしませんでしたから、彼が受けた外傷は仮面の男がすれ違いざまに打ち込んだ肘打ちだけです」

 クロノの失態を強調するエイミィ。
 クロノには分かる。表情を取り繕ってはいるが今のエイミィの発言には他意しかない。
 頬を引き攣らせるクロノを見て満足したエイミィは説明を続けた。

「恐らく、仮面の男のなのはちゃんへの攻撃を妨害した時だと思います」
「?仮面の男の攻撃は肘打ちだけと言わなかったか?」
「そうじゃなくて、なのはちゃんの正面から瞬間移動してたでしょ?多分原因はあれだと思う」
「ああ、あれか。最初と最後に1度ずつ見たな。何か分かったのか?魔法じゃなかった様だから彼の固有技能なのか?」
「固有技能って言うか…、とりあえずこの画像を見て下さい」

 再生されたのは恭也が倒れる数秒前のシーンだった。
 なのはが敵の少女をバインドで拘束した後、恭也がなのはと言葉を交わしている最中に突然屈み込み、次の瞬間にはなのはの右隣に現れる。
 あの時クロノは敵方の少女に意識を割いていたこともあり唐突に消え失せた印象があったが、注視していれば屈み込む段階までは肉眼で捉える事が出来た。だが、それが確認できた事で新たな疑問が発生した。その姿勢に何の意味があるのかが分からなかったのだ。

「もう一度流します。今度は恭也君の姿が消えた瞬間から30分の1でスロー再生します」
「30分の1?…まさか」

 クロノの呟きは再生を始めた映像に注視する事で途絶えた。
 映像の恭也はなのはに声を掛けている最中に言葉を切ると、上体を前傾にして右足を大きく、左足を小さく引いたのだ。ちょうどクラウチングスタートで体を支える為に付いていた手を地面から離した様な姿勢まで体が傾くと地面を蹴って走り始めた。そして上体を起こす事無く“階段から転げ落ちる体を支えようと足を出し続けている”と言った走り方で、それでいて頭部と両肩はブレさせる事無く30分の1のスピードで進む世界の中を通常の動作速度で駆けて行く。スロー再生している事を知らない者が見たら、転倒していなければおかしいほど重心が前にあるため、合成かCGだとでも思うだろう。

135 小閑者 :2017/08/19(土) 12:00:03
 人間が移動する際に地面を蹴るのは、地面から返される反発力を得る為だ。そしてこの反発力は地面に垂直方向の力と水平方向の力の合力である。脚力(反発力)の大きさが決まっているなら、垂直方向に分散する力を減らす事で水平方向に働く力を増やせばいい。恭也の走り方は非常に理に適った物の筈だが、目の当たりにしたクロノは感嘆や感心より理不尽な想いが先に立った。彼を人類の範疇に括って良いのだろうか?
 クロノの思考を余所に、恭也が駆け出すのと同時にフレームインした仮面の男が飛び蹴りの姿勢で画面を一直線に分断する様になのはに向かっていく。そして男の倍する程のスピードで追い縋った恭也が腰を落とした肘撃ちの姿勢へと滑らかに移行し、男を弾き飛ばした。
 画面に映し出されている異常な光景の中で、男が恭也へ肘撃ちを放ち、一矢報いている事は評価されても良いのかも知れない。
 3人の間に沈黙がたゆたう。愕然としているのだろう、或いは呆然としているのか。
 沈黙を破ったのはリンディだった。

「…走ってたわね」
「…走ってましたね」
「…クロノ、あなたは恭也さんが魔力を収束している様子がなかったって言ってたわよね?」
「はい。少なくとも僕が対峙している間は一度も」
「…あまり辿り着きたくない結論に至りそうなんだけど」
「おそらく僕も同じ結論かと」

 リンディとクロノは交し合っていた視線をエイミィに向けると、苦笑いを返しながらエイミィが止めを刺した。

「はい。恐らくは生身で肉体の限界を超える程のスピードで駆け寄ったために耐久限度を越えた箇所が損傷したものかと」

 脳裏に浮かんだ否定して欲しかった想像をエイミィに肯定されたリンディとクロノは、少しの間、無言で自身の常識と葛藤した。原理としてはフェイトの使うプリッツアクションに相当する事になるが、当然ながらそれを生身で再現する者が居るなどとは想像した事も無かった。


 魔法による高速移動には2種類の方法がある。術者の肉体自体を加速し設定した座標へ移動させる方法と、術者の動作を加速することで行動そのものを高速化する方法だ。例を上げるならフェイトの使用する魔法の内、ソニックムーブが前者、プリッツアクションが後者となる。
 ソニックムーブは自身の位置と目標座標との最短距離を突き進む様な直線軌道を辿る程単純な魔法ではないが、その軌道を事前に設定する事には変わりが無い。だから進路上に魔力弾や人体に割り込まれれば衝突する事になる。無論、バリアジャケットがあるし、この魔法独自の防御壁も展開するためその事で負傷したりはしないが、“目的地に辿り着けない”という意味では失敗したことになる。当然移動距離が長くなる程その危険は高まるし、流れ弾の多くなる混戦でも同様である為、使いどころは意外に難しい。それでも駆ける足場が無い空中戦においては、高速行動魔法よりも高速移動魔法を選択する事になるだろう。
 ちなみに、適当な物体にこの魔法を掛けて弾丸として飛ばす事も出来るが、魔力運用上、効率が悪くなる上に非殺傷設定など出来ない為、管理局員で使用する者は居ない。
 一方のプリッツアクションは、行動そのものを高速化するため空中戦でこそ効果が期待できないが地上戦においては変化する状況に対応して行動を修正出来る分だけ有用性が高い。ただし、相応するだけ難易度も高い。身体を加速させれば慣性力や遠心力は勿論、棍棒で殴り掛かれば反動が帰ってる来るため身体強化が必須となるし、視覚や触覚など神経系の伝達速度も向上させる必要がある。何よりも、思考速度は魔法で向上させる事が出来ないため滅多矢鱈に加速させると制御できずに自滅する事になる。

136 小閑者 :2017/08/19(土) 12:00:44
 魔法が魔導師の意志と魔力により事象に干渉する技法である以上、その基盤となる自身の思考速度に干渉する事が出来ないのだ(イメージとしては自分の襟を手で引っ張って持ち上げようとする事に近い)。言い換えれば他者に干渉する事は出来るが、精神や思考への干渉には抗魔力が働くため被術者より余程高い魔導技能が必要になるし、連続して魔法を掛け続けなくてはならないため戦場で使用するのは現実的とは言えない。また、肉体の場合と同様に、加速する事で発生する熱を冷却する必要もあるが、デリケートな脳に対して行えば危険度が跳ね上がるのは言うまでも無いだろう。
 結局のところ、解決策は地道に訓練を繰り返して脳に高速行動を慣れさせるしかないのが実情だった。


 現実と常識に辛うじて折り合いを付けたクロノは、恭也との戦闘を振り返り矛盾している事に気付いた。

「待ってくれ。最初に僕が彼の背後から接近した時にも瞬間移動をしていたが、体を痛めた様子は無かったぞ。それとも何か違いがあったのか?」

 恭也に魔法を使わずに高速行動が出来る事については固有能力の様なものだと考える事にしたが、代償として肉体を損傷するのであれば多用は出来ない筈だ。仮に2度目に使用した時に限界を迎えたのだとしても、1度目とて相当な負担が掛かっていなければおかしいのだ。敵と対峙している時に負傷を隠すのは当然ではあるが、あれが故障を抱えた者の動きとはどうしても信じられなかったし、信じたくなかった。

「そう言えば、さっきもそんなこと言ってたけど何のこと?彼の姿を見失ったのはこの時だけなんだけど」

 言いつつエイミィがクロノと恭也の開戦当初の映像を再生した。
 画像では、恭也の背後から接近していくクロノが動きを止めた時点で恭也が振り向き、高速移動どころか寧ろ無造作と言える様な足取りで歩み寄り、クロノが魔法杖を構えるのに合わせる様に殴りかかっていた。
 空間投影ディスプレイを凝視していたクロノが、今度こそ驚愕に声を荒げた。

「な!?そんな馬鹿な!あの時は確かに突然目の前に現れて…!?」
「つまり、クロノに移動した事を認識させなかったと言うことね?
 …瞬間移動の件と言い、魔法抜きでどうやればそんな事が出来るのか想像も付かないわね」

 リンディは自身の知識に反している事であっても、クロノの言を否定しない。勿論クロノとて間違える事があるのは承知しているし、依存している訳ではない。だが、どれ程非常識な内容であろうと一考に値すると判断する位には信頼している。

「彼の能力については一旦保留にしましょう。目を覚ましてから確認を取れば済む事ですもの。
 それより、八神恭也さんが今回の件とどう関わっているか、クロノの意見を聞かせて頂戴」

 恭也の能力があまりにも異端であったため注意が向いてしまったが、現状からすれば些事でしかないのだ。重要な事は恭也が闇の書とどの様な関わりがあるのかだ。

「詳細は想像も付きませんが、今大事なのは闇の書との関係の有無でしょう。
 あの場面で登場して無関係とは考え難いですが、なのは達と交友があり、多少なりとも魔法の知識を得ている以上、闇の書側のスパイと断言しきる訳にもいかないでしょう。
 エイミィ、彼には魔力資質はあるのか?」
「辛うじて計測器が反応する程度だね。どれだけ効率の良い魔力運用が出来たとしてもFランク以上にはならないと思う」
「Fランクか…。闇の書の主の個人的な繋がりは残っていますが、少なくとも魔導書そのものとの関連は考え難いですね」
「そうね」

 魔導書と一口に言っても、魔法に関する知識が記載されているだけの本と、魔力を帯びていて魔法の媒体やそれ自体に“力”が宿った物とがある。そして、前者であれば知識の取得という使い道があるが、後者は魔導師ではない者にとって(過ぎた力に手を出すのが身の破滅でしかない事も含めて)“高価な本”以上の価値はない。
 魔法が未発達なこの世界で恭也が魔導書の力を認識して近付いたとは考え難い。また、保有魔力量の少ない恭也を闇の書が主に認定する事は有り得ないし、過去の記録を確認した限り、闇の書が創り出す守護騎士は既に交戦している4人だけだ。仮に表に現れていない5人目が居たとしても、魔導書が魔法の素養を持たない肉弾戦専門の個体を創り出すと考えるのは無理がある。
 犯罪者を作りたい訳ではないので「残念ながら」などとは口が裂けても言う積もりはないが、安易に一般人に分類出来る状況でもない。何より事件の早期解決への糸口を探している身としては、「無関係で幸いだった」とも言い難いのが正直な心情ではある。

137 小閑者 :2017/08/19(土) 12:01:35

「現状では判断材料が無いのでこれ以上推測を進めて先入観を持つのは危険ですね。こちらも保留するしかないと思います」
「やっぱりそうなるか。彼が回復するまで待つしかないわね」
「そろそろ目が覚める頃合ですから病室へ行ってみますか?」
「そうね。なのはさん達も居るんだったわね」
「はい。4人とも居る筈です」

 現在の切迫した状況と、本人の登場の仕方とその態度、更には特異な身体能力からすれば、恭也は間違いなく不審人物ではあるのだが、所々にそれを否定する要素があるため非常に悩ましい。
 クロノは知る由も無いが、その苦悩は恭也が八神家に居候するようになった当初、ヴォルケンリッターが味わったのと同様のものだった。



* * * * * * * * * *



<さて、嫌な事はさっさと済ませますか>



『ヒッ、イヤ、イヤァァァ!コナイデ!!』
『…無理ね…。
 ごめんなさい、恭也』
『いえ…、多分、当然の反応なんだと思います。予想は、していました。
 ゴメンね、フィアッセ。俺がもっと強ければ違う方法もあっただろうけど。
 さよなら』




『静馬さん、一手指南して貰えませんか?』
『良いけど、恭也君、朝から、どころかここ何ヶ月かずっとだろ?たまには遊びに行ったらどうだい?』
『ちゃんと休養は取っています。体を壊したりしませんよ』




『あれ?姉さんだけ?恭也君、兄さんは?』
『時間には戻るとは言っていたんですが…』
『また何かに興味を惹かれて彷徨ってるのか。
 まったく。本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑っちゃうよ』
『…』
『一臣!そんな言い方があるか!』
『え?』
『お前には兄の偉大さを再認識させる必要があるようだな』
『ゲッ、兄さん何時の間に!?』



『おめでとうございます』
『ありがとう。私も何時までも恭ちゃんに捨てられた事を気に病んで俯いている訳にはいかないもの』
『あの、琴絵さん、そう言う冗談を一臣さんの居る前で言うのは流石にどうかと…』




<ん?途切れてる…。外傷、と心因性か?まあ戻りかけてる様だし、良いか>




『馬鹿野郎、人聞きの悪いことを言うな。余興の剣舞のことだ』
『何を企んでるの?』







『…死ぬな』






「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」





* * * * * * * * * *

138 小閑者 :2017/08/19(土) 12:02:05


ガアアンッ!!

「なっなんだ!?」
「今の音、医務局から?嘘っ、壁越しに!?」

 リンディが医務局のドアを開ける寸前に響いた打撃音にクロノとエイミィが声を上げる。
 宇宙を航行する艦である以上、外壁の損傷時に隔壁の役割を兼ねる艦内の壁は当然十分な強度を持つように設計されている。更に医務局はそれなりに防音処置もされている筈なのだ。その異常性に動きが止まっていたリンディが急いで扉を開けると、そこでは想像もしていなかった状況が展開していた。
 備品が散乱し数名のスタッフが倒れ伏す中、立っているのは叫びながら壁も備品も区別無く手当たり次第に殴りつける八神恭也と、彼に向かって必死に呼びかける2人の少女だけだった。

「ああああああああああああ!」
「恭也君、目を覚まして!」
「恭也!もうやめて!手が壊れちゃうよ!」

 フェイトの叫び声の示す通り、恭也の両拳は真っ赤に染まっていた。倒れ付すスタッフは、意識を失っている者、動けないだけの者、様々だが出血している者は居ない。壁を殴りつけた際、皮膚が裂けたか、打撃音の大きさからすると最悪砕けた拳の骨が皮膚を突き破っているだろう。
 クロノは状況を一瞥するとすぐさま行動を開始した。室内に駆け込むと暴れる恭也に向けてバインドを放った。

 クロノは恭也の人格を把握している訳ではない。それでも先の交戦で恭也から受けた印象と今の状態は結び付かない。原因はわからないが明らかに錯乱している。だから、自傷行為を止めさせる為に多少乱暴であろうと正気を取り戻すまで拘束するべきだと判断したのだ。

「あ!待って!」
「クロノ、駄目!」

 なのはとフェイトから制止の声が掛かる。
 当然だ。良く分かっている。彼女達が心配しているのは、恭也の事ではない!

「危ない!」

 エイミィが上げた叫び声を聞きながら、予想した通り瞬時に距離を詰めた恭也が放つ左回し蹴りを屈んで躱した。
 クロノは倒れている者の中にユーノとアルフの姿が含まれていた事から、知人を選り分けていた訳では無い事を推察してした。更に、なのは達とユーノ達の行動の違いを想像すれば恭也が何を基準に標的を選んだかは自ずと答えが出る。スタッフもユーノ達も暴れる恭也を拘束しようとしたのだろう。
 クロノはこの場に立っている5人の中で、今恭也の相手が務まるのが自分だけだと自覚している。なのはとフェイトには恭也を攻撃出来ないだろう。出来るのならば既に行っている筈だし、動揺したまま参戦すればあっさり沈められる。2人にも他に方法が無い事を認識し、そうする事が恭也の為になる事を納得すれば行動できる強さを持っている事はクロノも良く知っているが、そうするだけの猶予は無い。もっとも、これだけ狭い限定空間内で恭也を相手にするだけの格闘技能はなのはには無いし、恐らくフェイトにも難しいだろう。また、リンディも魔導技能が頗る高い反面、格闘技能はそれ程高くない。閉所において恭也を相手取るには相性が悪過ぎる。非戦闘員のエイミィは言わずもがな。
 恭也が反応しているのが魔法なのか敵意なのかは不明だが、何れであったとしてもこれで恭也の意識を自分に向ける事には成功した。
 だがクロノは、目論見通りに開始された恭也との戦闘が、予想を上回る恭也のスピードによって防戦に専念させられている事に内心で舌打ちしながら辛抱強く躱し続けた。壁を殴りつけていた時より明らかにスピードが増しているのは、明確な標的が現れたからか?
 これ以上の自傷をやめさせる為にバリアジャケットを装着する時間を惜しんだのは失敗だったかもしれない。

139 小閑者 :2017/08/19(土) 12:02:55

 クロノは恭也の強さが理性によって成り立つものだと推測していた。対戦者の目的を推測し、心理を読み、挙動を予測した上で最適な行動を選択しているのだろうと。
 先の交戦でクロノの誘導弾を躱す事が出来たのは、クロノの挙動を予測した上で攻撃箇所を誘導する様な動作をしていたのだろうし、投降の呼び掛けに応じて漫談じみた問答に持ち込んだのも、そうする事でクロノの攻撃を封じたのだろう。実際に管理局員としては投降の呼び掛け中に、特に会話が成立していて流れによっては応じる意志を漂わされると攻撃する事は躊躇われる。
 だからこそ、錯乱している今の恭也であれば制圧する事は難しくないと考えたのだ。実際に今の恭也の戦い方は滅茶苦茶だ。クロノの動きを見てはいても動きの先を読んでいない為に躱す度に少なからず体勢を崩しているし、自身の攻撃も技と技に連携が無い為、酷く単調で躱し易い。恭也の本来の戦い方を目の当たりにしているクロノにすれば、芸術家の絵画と子供の落書き程の違いを感じる。
 それでも、制圧するに至れない。身体の基礎能力に差が有り過ぎるのだ。
 相手は生身で魔導師と渡り合う非常識な存在だが、そんな事は先刻承知している。承知していて尚、制圧出来ると判断したのは恭也を過小評価した訳でも自身を過大評価していた訳でもない。恭也が実力を隠していたのだ。或いは殺さない事を念頭に置いた動きと我武者羅なそれとの違いなのかも知れないが、言い換えればこのスピードと戦闘を組み立てる理性があれば、状況次第で恭也に負ける可能性があるのだ。いや、状況を整える事も戦闘の一環である以上、魔法という圧倒的な優位性を生身の恭也が覆す事が出来ると言うことだ。
 クロノは決して選民思想を持っている訳ではないが、若くして執務官に就くのに相応しいだけの実力を持っているという自負はある。責任感と傲慢さの2つの側面を持つその自尊心を酷く傷付けられた事でクロノの思考が自覚できない程度に僅かに鈍る。普段であれば直ぐに修正されるそのノイズが、恭也の異常を目の当たりにすることで動揺として現れてしまった。恭也が左正拳を振り抜いた直後に咳き込み、吐血したのだ。

「ゴフッゲフッ」
「な!?」

 治療直後にこれだけの運動を行えば当然の結果とも言えるが、動揺し一瞬硬直したクロノを、自身の体の異常に拘泥する事無く放った恭也の蹴り足が捉えた。辛うじてガードしたが壁際まで弾き飛ばされたクロノに恭也がすぐさま追い付き追撃を仕掛ける。

「クッ」
「バルディッシュッ!」
【Yes Sir!Blitz Action】
「なっ!?ヤメッ」

 フェイトの声に眼前に迫った恭也の存在を無視してクロノが反射的に意識を向けてしまった。だが、その無防備なクロノに止めを刺す事無く、恭也がフェイトに向かって転進した。
 今の恭也は与えられた刺激に反射行動を起こしているだけなのだ。改めて認識した恭也のその戦い方は、たった1度の早朝鍛錬で恭也の戦闘が脳裏に鮮烈に焼き付いているフェイトにとって、痛まし過ぎて見続ける事が出来ない。
 同時に想起させられるのは、翠屋でフェイトの問い掛けに苦痛を堪えて答えてくれた時の鉄面皮であり、早朝鍛錬後に恐怖の混ざる自分達の視線を受け止めて自分の心が傷付く事を当然だと思っている恭也の姿だった。
 バルディッシュを起動させ、しかしバリアジャケットを纏う事無く、魔法により行動を加速したフェイトは、恭也が近接戦闘に特化している事を考慮してフェイントを織り交ぜつつ間合いを詰める。だが、恭也は大幅に向上したスピードにもフェイントにも惑わされた様子も無く迎撃してきた。フェイトは内心に浮かぶ感嘆の念を押し込みつつ、それでも反応速度を高めた視力で恭也の攻撃を正確に捉え、体を攻撃の死角へと移動させる。
 デバイスで斬り付けるだけであれば恭也の死角へと目に止まらない程のスピードで回り込めば済むが、今回の様に精密な動作を要求される時には大きく加速する事が出来ないのが難点ではある。
 常人には認識し難いスピードでありながら、恭也を相手にするには圧倒的とは言えない優位性を駆使して細心の注意を払って行動した結果は、恭也の死角に回り込むという形で結実した。
 敵を自身の死角に侵入させた事について慌てる様な情動が働いていない恭也は、焦る事無く、素早く的確にフェイトへ向き直る動作を利用して攻撃を仕掛けてきた。予想していた通りの、その何の捻りも無い攻撃パターンに対して湧き上がる悲しみを押さえ付けて、フェイトは近接戦闘の間合いを更に踏み越え、正面から恭也の顔を自身の胸に埋めるように抱きしめた。

「恭也!もう止めて!お願いだから目を覚まして!」
「な!?」
「フェイトさん!?」

140 小閑者 :2017/08/19(土) 12:03:33

 フェイトの突飛な行動にクロノとリンディが慌てる。一撃入れて気絶させるのだとばかり思っていた2人にとってフェイトの行動は考慮の外だ。

「恭也!クゥッ」

 フェイトの口から苦痛が漏れる。恭也がフェイトの腕を掴んで引き剥がそうとしているのだ。態々後頭部に位置する手首を掴んでいるのはフェイトにとって幸いだったろう。恭也の握力で二の腕を全力で掴まれれば筋肉が潰れかねないし、そもそもフェイトの胴体を殴り飛ばされればプリッツアクションの身体強化が残っていると言っても内臓を痛めかねない。
 だが、それよりマシと言うだけで、恭也の頭はフェイトの身長より上にあるので、胸元に抱きしめる事で足が宙に浮いているフェイトには抗いようも無い。

「バカッフェイトちゃん逃げて!」
「やめるんだ、フェイト!今のそいつは正気じゃない!早く離れるんだ!怪我では済まなくなるぞ!」
「嫌だ!
 決めたんだ!どんなに怖くても逃げないって!傷付けないって!
 もう、あんな恭也、見たくない!」

 フェイトは涙を零しながら強い口調で宣言し、嘘では無い事を証明するかの様にいつの間にかバルディッシュを待機状態に戻していた。

「ック、戒めの枷、堅牢なる檻、」
「クロノ待って!」
「母さん!?…え?」

 フェイトを負傷させる位ならばと、フェイト諸共恭也を捕縛する為にデバイス無しでバインドの詠唱を始めたクロノをリンディが制止した。状況からすれば他に手は無い筈なのに制止するリンディに思わず問い返すが、直ぐにクロノも恭也の様子が変化した事に気付いた。フェイトが抱きついているため表情は見えないが、いつの間にか恭也が動きを止めていたのだ。
 誰一人として身動ぎもしないまま数秒が経過すると、騒動の張本人である恭也が声を発した。

「…もう、いい。十分だ。放せ、テスタロッサ」
「あ…、恭也、気が付いたの!?」
「ああ。もう暴れないから放してくれ」
「うん」
「高町も、もう大丈夫だから」

 腕を解いてフェイトが床に下り立った事を確認すると恭也は部屋の隅に顔を向けた。恭也の視線を追うと、そこにはデバイスモードにしたレイジングハートを恭也に向けて構えるなのはの姿があった。

「ほんとに?本当に、もう大丈夫?」
「ああ。無理をさせて済まない」
「良かっ…たぁ。良かったよう」

 緊張の糸が切れたなのははその場でへたり込むと静かに泣き出した。
 なのはの目には、暴れ出した恭也の姿は悲嘆に暮れている様にしか見えなかった。それが暴力を振るって良い理由にはならないが、錯乱していても恭也は自身に魔法を向けられるまで人間を攻撃対象にする事は無かったし、魔法を向けた本人以外には手出ししていない事にも気付いていた。だからこそ、恭也に攻撃する事をぎりぎりまで躊躇していた。

 早朝訓練では必死になって中てようとしているのに、どうして今はこんなに攻撃する事を怖いと思ったんだろう?

 涙を流す事で落ち着きを取り戻し始めたなのはは、ぼんやりした思考ながらも先程の自分の心情を思い返して不思議に思った。
 なのはが恭也に向けて魔法を使用する事に自分でも驚く程に抵抗があったのは、恐らく理性を失う程の悲しみに包まれて尚、人を傷付ける事をしない恭也に魔法杖を向ける自分を嫌悪したためだろう。
 それを押して恭也に杖を向けたのは、フェイトに怪我をさせる訳にはいかなかったからだ。フェイトの身を守ろうとしたのは勿論だが、正気に戻った恭也がフェイトを傷付けた事を知れば深く後悔する事が容易に想像出来たのだ。
 無論、先程のなのはには順序立てて考えを巡らせる余裕は無かったため、過程を飛び越え、ただただ“恭也君を止めなきゃ”と言う結論のみで行動していた。
 フェイトは傍目には極度の緊張が解けて弛緩している様にしか見えないなのはを心配して駆け寄り、声を掛けた。

141 小閑者 :2017/08/19(土) 12:04:09

「なのは、ゴメン。私が無茶な事した所為でなのはにまで無理させて…」
「あ、ううん。フェイトちゃんがやらなかったら、多分私が似たような事をしてたと思うから」
「…なのはにあれは無理だろう」
「そりゃあ、フェイトちゃんみたいな近付き方は無理だけど!でも、たぶんさっきの恭也君は歩いて近付けばしがみ付くまで反応しなかったと思う」
「…いくらなんでもそれは無いだろう?」

 なのはの緊張を解そうとからかう様に声を掛けたクロノは、負け惜しみにしか聞こえないなのはの反論に今度は呆れながらも柔らかく否定した。だが、直後になのはの言葉を遠回しながらも肯定する言葉が上がった。

「あ、そうか、さっきの恭也は確かに…なのはは気付いてたんだね」
「…フェイトちゃん?」
「あ、何でもない」
「済まんがそろそろ良いか?加害者が言う台詞ではないだろうが、怪我人を介抱した方が良い」

 本人達も無自覚なままに探り合う様な会話を展開していたなのはとフェイトを引き戻したのは中心に居る筈の恭也だった。楽しそうに眺めていたリンディとエイミィが落胆しているのは倒れている医療スタッフの容態が軽度である事を確認済みだからだ。
 クロノが年長の2人に呆れながらも倒れている者を介抱していく。意識のあるスタッフも体が動くようになると他の者の容態を看ていったので短時間で事態が収拾していく。先程の恭也は一撃で意識を刈り取り、追撃を掛ける事も無かったので大事に至る者はいなかったのだ。寧ろ壁を殴り付けていた恭也の両拳の方が余程状態が酷かった。


 医局長である初老の男性が先程の騒動に居合わせた一同の前で恭也を治療しながら恭也とリンディに説教をしていた。
 恭也の拳の怪我は倒れていた全員の処置が終わる頃にフェイトの悲鳴により発覚した。恭也に拳の治療をなのはと共に勧めていたフェイトは、「皮がめくれただけだ」という恭也の主張を信じる事無く一瞬の隙を突いて恭也の掌を掴み、その異様な感触に悲鳴を上げたのだ。
 隠しきれる状況に無い事を悟った恭也が観念して差し出した両手は、その体積を2倍近くに肥大させていた。
 恭也の拳は内出血と亀裂骨折、それに因る炎症で腫れ上がっていたが、処置が早かったので2日程で全快するとの事だった。

「リンディ提督!あなたの趣味に口出しする積もりはありませんが、優先すべき事があるでしょう!?」
「面目ありません」
「まったく!
 おまえもだ!こんな大怪我をしているのに何故黙っていた!?」
「…」
「医者に怪我を隠す事が格好良いとでも思っているのか!折れた骨がずれたまま癒着すればまともに物も握れなくなっていた可能性だってあるんだぞ!」
「…」
「黙っていないで何とか言ってみろ!」

 なのはやフェイトが口を開こうとしたがクロノの視線を受けて言葉を飲み込んだ。2人にも恭也が怪我を隠していた事が間違っている事は分かっている。

「…何故、あなたは加害者を心配しているんですか?」
「…何?」

 ポツリと零した恭也の言葉に医局長が聞き返した。

「俺はあなたを含め、あなたの同僚を傷付けた。心配する必要は無いでしょう?」
「…そうか。
 そういえばお前、まだわしらにさっきの事を詫びとらんな?」
「…」

 老人の言葉は恭也の非礼に対する弾劾ではなく、事実の確認だった。理解出来たと言わんばかりの老人の口調に、恭也は治療を始めてから一時たりとも相手の顔から逸らす事の無かった視線をゆっくりと逸らした。

「そこで視線を逸らすようでは、失言しました、と言っとるのと変わらんぞ?」

 先程までの剣幕が嘘の様に老人が穏やかな口調で語り掛けると、一つ小さく溜息をついて恭也が老人に向き合った。

142 小閑者 :2017/08/19(土) 12:04:47

「素直で宜しい。
 坊主、お前さん今年で10歳らしいな?」
「はい」
「そこのお嬢ちゃんと同じ世界出身なのに刃物を身に帯びて体を鍛えてきた訳か。
 お前さんは自分の振るう刃物が“暴力”と呼ばれる事を承知しているな?」
「はい」
「それでも振るうか…」

 老人は恭也に伝えるべき事を検討した。
 少年が知らなくてはならない事は、言葉にするのは簡単だが、理解するには経験が必要なのだ。だからと言って、伝える努力を怠れば何時までも伝わらない可能性もある。傍についていられる訳ではない以上、今この時に伝える努力を惜しむ訳にはいかない。

「お前さんはまだまだ知らない事が山程ある事も承知しているだろうから多くは言わんよ。わしは、それは身を持って知るべきだと思うからな。だから今のシチュエーションについてだけ伝えておこう。
 お前は特別なんかじゃない。
 もし、あの嬢ちゃん達が何かに失敗する事でお前さんが害を被ったとして、お前さんはそれを咎めるのか?」

 それだけ言うと老人が口を閉ざした。
 端的に伝えた言葉の意味を恭也が咀嚼するのを静かに待つ。そして、表情に変化の無い恭也の様子に、老人が言葉を端折り過ぎたかと悩み始めた頃、恭也が口を開いた。

「ありがとうございました。それから、先程は済みませんでした」

 タイミングを外された事で言葉に詰まる医局長を余所に、恭也は立ち上がり部屋の隅で固まって自分の方を窺っている一同に近付くと深々と頭を下げた。

「済みませんでした」

 態度を一変させた恭也に、先程恭也に伸された医療スタッフも毒気を抜かれた様に緊張を解いた。もっとも、謝罪しない事に憤っていたと言うより表情を崩さない恭也が再び暴れ出す事を警戒していたのだが。

 恭也が局員と和解している様子を尻目に、リンディは医局長にだけ聞こえる程度に抑えた声で先程の遣り取りの意味を確認していた。

「謝罪する事で罪が軽くなるのを嫌ったと?」
「いや、恐らく被害者が恨んだり憎んだりし難くなると考えたんでしょう。そういった感情を受け止めるのが、加害者としての義務だと。そこまで覚悟して暴力を振るっているから、謝罪も出来ないし、負傷して弱っている姿も見せられなかった。
 今、謝ってるのも、さっき暴れていたのが本人の意思ではなかったからでしょう。多分、明確に相手を傷付ける意志を持って振るった力であれば態度を変えることも無かったでしょう。そう言う意味では、あれは事故に近い」

 それだけ言うと、医局長は仕事を果たすために少女達から心配されている怪我人の所に歩み寄って忠告を伝えた。

「坊主、治療は済んだが完治した訳じゃないんだ。明日まで両手は出来るだけ使うなよ?痛みを感じたら直ぐに誰かに言え。いいな?」
「わかりました。お世話になりました」

 治療中とは明らかに態度の違う恭也を訝しみながらも、場が落ち着いた事を感じ取ったクロノが声を掛けた。

「…恭也、慌しくて悪いが事情を聞きたいから一緒に来てくれ」
「え、今から?」
「わかった」
「あ、恭也君、少し休んだ方が…」
「平気だ。会話が出来る程度に冷静で、計算が働かない程度に動揺している間に情報を引き出したいんだろう。組織内の立場的にも事件の状況的にも、時間に余裕は無いだろうしな」

 心配するフェイトとなのはを留めて、恭也がこちらの状態を看破した上、態々説明してくれた事にクロノは内心で嘆息した。既に十分に冷静さを取り戻しているではないか。

「でも、態々それを口に出してるって事は、君も見た目以上に余裕無いんじゃないの?
 錯乱した直後なんだし、本当に少しくらい休ませて貰った方が良いと思うけど?」
「…そうか。自覚は出来ないがそう見えるならそうなのかもな。だが、それが目的なんだろうから、容疑者の俺から拒否する訳にも行かないだろう。さっきみたいに暴れ出すほどではないだろうが、十分に警戒はしておいてくれ」

 恭也はユーノの気遣いも拒否して事情聴取に臨む意志を示した。少々的外れな台詞は動揺とは別に彼の地だろう。
 …この男は本当に余裕が無いんだろうか?
 恭也に心配そうな視線を向けるなのはとフェイトの姿を見る限り本当なのかもしれないが、それが過剰な物なのかどうかクロノはなんとも判断に悩む。リンディを見ても結論を出しかねているようだ。それでも、恭也が指摘した通り時間に余裕の無いクロノ達は予定通り事情聴取を行うことにした。

143 小閑者 :2017/08/19(土) 12:05:23

 事情聴取のために集まった部屋は、全員が席についても息苦しさを感じない程度の広さがあった。メンバーはリンディ、クロノ、エイミィ、なのは、フェイト、ユーノ、そして恭也の7人だ。アルフは「考えるのは苦手だから」と医務局を出る前から辞退している。
 これが容疑者の取調べであればなのは達3人を退室させるのだが、今回はあくまでも事情聴取、つまり事実関係の確認だ。あの時あの場に居たこと以外に、恭也の言動に不審な点を見つけられていないし、身を挺してなのはを助けた実績もある。
 こちらに信用させるための仮面の男との芝居であった可能性は残っているが、それについてはそれ程心配していなかった。仮に芝居であったとしても、外部からアースラ内に無断で転移する為には数段構えの防壁を突破する必要があるので実質的には不可能だからだ。
 そして宇宙空間に閉じ込めている限り魔法の使えない恭也には逃走手段が無い為、強行手段に出たとしても結果は分かり切っている。錯乱する姿を見たばかりなので油断は出来ないが、理性的に行動する姿を見る限り無謀な行動を選択する可能性は高くないと判断したのだ。
 もっとも、3人の同室を許可した理由は別にあった。恭也から聞き出した内容の真偽を本人の表情や所作から判別するのが困難であると判断したためだ。なのは達ならば少なくとも恭也と共有している過去についての真偽を確認できるし、クロノ達には違いの分からない恭也の表情から虚偽を見抜ける可能性がある。


 正方形に配置された長机に対して、一辺に恭也が、対面にリンディとその両脇にクロノとエイミィが、恭也から見て右側の辺にフェイト、なのは、ユーノの順で着席するとリンディが代表者として審問を始めた。

「それじゃあ、八神恭也さん、疲れているところ悪いけれど始めるわね。
 今、あなたには私達が追っている事件に関わっている人物としての容疑が掛かっています。あなたには黙秘権があり、自分が不利になる証言をする必要はありません。ただ、事件と無関係であるなら容疑を晴らす為に出来るだけ正直に話して下さい」
「わかりました」

 リンディはお決まりの前口上を終えると、改めて恭也の様子を窺った。
 特に気負った様子は見られないが、事件の容疑者と言われても感情の揺らぎが表面に全く現れていないのは異常と言っても良い。仮に全く関わりが無かったのだとしても、非日常と言える状況で審問を受ければ居心地の悪さ位はあるものだ。
 今でこそ自分の息子も子供らしい面を見せる事が少なくなったが、10歳当時はもっと感情豊かだった。錯乱するほどのショックを受けた事で一時的に感情が凍結しているのだろうか?
 そこまで思考を走らせて、漸く脇道に逸れている事を自覚するとリンディは気を引き締めて、今度こそ審問を開始した。

「あの時、どうしてビルの屋上に居たの?」
「高町に用事があって自宅を訪ねに行ったら、高町が窓から飛び出して行ったのを見かけて追いかけてきました」
「…なのはさんの自宅から現場までの距離を考えると、なのはさんとあなたの到着の時間差が5分程度と言うのはちょっと不自然なんだけど?」
「問題が時間だけであれば再現は出来ます。ただ、高町を追い掛けた事そのものは証明の方法が無いから信じなくても…、あー、高町を下から見上げる形になったので、下着が見えましたが、これは証拠になりますか?」
「えぇー!?」

 声を上げたのは当然なのはだった。
 リンディはなのはを見遣る。一緒に生活しているユーノならばまだしも、恭也にはなのはの下着を見る機会は無いので一応証明にはなるが、なのはのプライバシーの問題でもある。
 リンディが口篭ったのは僅かな時間だったが、その間にクロノが疑問を口にした。

「ちょっと良いか?あの時間帯は既に暗かったし、なのはも飛行の際にはかなりの速度と高度を取っていた筈だろう?下着どころか細部を識別出来るとは思えないんだが…」
「出来ないのか?」

 クロノの当然の、そして恭也の理不尽さを知る者ならば無視する疑問は、本人が聞き返す形で肯定した。
 その状況に一緒に居た訳ではないクロノは、即座に否定する事は出来なかったが、同時に頭から信じる事も出来ず言葉を途切れさせたのを見て、エイミィが口を挟んだ。

「恭也君、あそこに書かれてる文字は読める?欄外の小さい奴」
「…読めません」
「え?」

144 小閑者 :2017/08/19(土) 12:06:28

 エイミィが指差す先を追った恭也が壁に掛けられた掲示物を見て即座に不可と答えた為、エイミィの方が驚いた。彼女にも読み取る事こそ出来ないが文字が書かれている事は分かるのに、目が良いと証言した恭也が読めないとは思わなかったのだ。だが、文字が読めなかった事で恭也の目の良さを否定するのは早計というものだ。

「エイミィ、慌てるな。見えないんじゃなくて、読めないんだろう」
「あ」
「…判定するならこれをどうぞ。地球で一般的に視力検査に使う方法です」

 赤面するエイミィをフォローするように、ユーノが取り出した紙片に何事か書き込み、それを隣にいるクロノに渡す。受け取ったクロノが確認すると無地の紙片の中心には1mm位の大きさで「C」と書かれていた。

「その途切れている部分がどちらを向いているかを識別するんだ」
「なるほど。見えるか?」
「ああ。上だ。その大きさなら部屋の両端に立っても見分けられると思う」

 互いに着席したまま2m程の距離で紙片を見せると恭也が躊躇無く答え、更には難易度を上げる発言をした。対角に立てば15mを越える距離で見分けられるとはクロノには信じ難いのだが本人がそう言う以上、確認することにした。

「下」
「…正解。提督、エイミィ、見えますか?」
「辛うじて黒い点が見えるわ」
「私は見えないや…」

 またしても、即答。念のために着席したままのリンディとエイミィに尋ねると、恭也の半分位の距離でありながら、2人には見えない様だ。
 至極正常な答えを得て、クロノはもう一度だけ確認する事にした。紙片を一度体で隠し、向きを変えると恭也に見せて尋ねる。

「これは?」
「何も書かれていない」
「は?」
「…正解」

 勘で答えている事を疑ったクロノは紙片の裏面を見せたのだが、断言された以上見えていると判断するしかないだろう。

「え〜と、なのはさんの下着の色だったわね。じゃあ、なのはさんだけに伝えて貰える?」
「わかりました」

 視力の確認が取れた事でリンディが審問を再開して恭也に発言の証明を求めると、部屋の隅に立っていた恭也はそのままなのはに歩み寄り耳打ちをした。

「…合ってます」
「恥かしいならスカートでの飛行は慎む事だな」
「うぅ…」

 フェレット形体とは言え、ユーノには着替えどころか一緒に入浴する事も気にしていないなのはだが、恭也が相手だと羞恥心が現れる。許容されているのか気にも留めて貰えていないのかでユーノが真剣に悩むが気付く者は居なかった。
 赤面したまま小さくなるなのはを少々気の毒に思いながらも、リンディが質疑を進める。

145 小閑者 :2017/08/19(土) 12:07:48

「何故、なのはさんを追いかけたの?あなたなら空を飛んで向かった事から緊急事態だと想像出来たでしょう?」
「何かの役に立てるかと思ったんです。初対面の魔導師を驚かせる事が出来る程度には体を鍛えてますから」

 これにも頷くしかなかった。
 格闘技能にも定評のあるクロノであったからこそ驚くだけで済ます事が出来たが、クロノと同じAAA+ランクの魔導師であったとしても不用意に恭也に近付けば沈められていても不思議は無い。
 格闘技能が低い事を自覚している者であれば空中から呼びかける事も考えられるが、あの時点では恭也が一般市民であった可能性が捨て切れなかった以上、出来る得る限り魔法を見せないように屋上=恭也の攻撃範囲内に下り立っていただろう。
 だが、異常な技能を持ち合わせていたとしても「友人が心配だから」という程度の気安さで魔法の飛び交う戦場に足を踏み入れる事を認める訳にはいかない。本物の殺意を向けられても恐怖に呑まれずにいるには相応の胆力と覚悟が必要なのだ。戦場で恐慌を起こせば、被害は本人のみならず味方全体に及ぶこともある。収容時に解除した数々の武装からすると杞憂の可能性はあったが、“次回”の可能性がある以上、リンディは確認しておくことにした。

「恭也さん。今回はたまたま管理局員が相手だったから良かったけれど、相手が犯罪者だった場合、最悪殺されていた可能性もあったのよ?それを理解していたの?」
「分かっています。殺し合いという物がどういう物なのか、俺はその暗さと深さを多少なりとも知っています。
 寧ろ、一般家庭で育ってきた高町を戦場に送り出す事が、俺には信じられません。例え、高町の技能の高さや本人の意思があったとしてもです」
「…痛いところではあるわね。
 管理局では実力と本人の意思があれば局員として採用する方針なの。勿論、最大限の支援はしているわ」
「…失礼しました。当事者が納得している以上、部外者が口を挟む内容ではありませんでした」
「…恭也君、心配してくれてありがとう」
「礼を言われる程の事じゃない。親しい者が危険に晒されていれば誰だって手を差し延ばそうとする」
「うん。でも、親しいって思ってくれてるって分かって嬉しかったから」
「…そうか」

 普段の恭也が照れてこの手の心情を口にする事が無いのはなのはにも容易に想像が付く。精神状態が平常に戻っていない事は純粋に心配しているが、それとは別に恭也が自分の事を大切に思ってくれている事は嬉しかった。
 リンディはなのはのはにかむ様子を微笑ましいとは思うが、まだ確認すべき事が残っている以上、いつまでも眺めている訳にはいかない。話の軌道を戻すために再び口を開いた。

「恭也さんが、なのはさんが魔導師だという事を知ったのは何時頃?」
「1ヶ月ほど前に高町が砲撃で結界を打ち抜いた時です」
「どうして現場に行ったの?
 かなり大きな爆発音だったわ。あなたが野次馬根性に突き動かされるほど軽い性格には見えないし、爆発音を聞いて危険感を感じないほど暢気だとは思えないけれど」
「…当時の俺は、それまで想像した事も無い様な状況に陥っていたんです。だから、それを覆せる可能性を求めて、非常識な何かを探していました」
「想像した事も無い状況?」

 リンディが口にした疑問に対して、恭也は視線をいくらか上にずらして言葉を途切れさせた。恭也の思案する様子から、黙秘ではなく整理していると解釈して無言のまま待つと、暫くして恭也がリンディへ視線を戻した。

「…結論だけ話すと誤解が生じるでしょうから、少々長くなりますが始めから順を追って説明します。
 疑問に思う事も出てくるでしょうが、質問は最後まで聞いてからにして下さい」

 魔法文明においても時間移動が不可能とされている上、近似世界の存在が否定されている以上、恭也の現在の境遇を結果だけ伝えれば根拠や証拠についての質疑応答を繰り返す事になるという推測は当然だろう。
 恭也はなのは達にも語っていない自身の境遇を語り出した。

「今から20年程前、俺は日本の静岡と言う土地で生まれました」
「え?20年?」

 初っ端からおかしな情報を耳にした事で思わずなのはが声を上げるが、予想していた恭也は視線だけでなのはを制して宣言通り説明を続けた。

146 小閑者 :2017/08/19(土) 12:08:34

「少々特殊な家系ではありましたが、普通に育ち、普通に歳を重ねました。
 異変があったのは10歳の時、つまり10年前。その春先に開いた叔父の結婚式当日でした。式の準備を手伝っていた筈の俺は、海鳴市の臨海公園で目を覚ましました。
 自分がどうしてそこに居るのかも、どうやって辿り着いたのかも分かりませんでしたが、現状を確認する為にもとりあえず家に帰り、家のあった土地が空き地になっている事を確認しました」
「…空き地?」

 次に声を出したのはエイミィだった。こちらは恭也に問い掛けるというよりは口をついて出た程度の声量だったので、更に話を進める。

「町並みや通っていた学校を見て回って自分が住んでいた土地である事を確認しました。テレビや新聞から、叔父の結婚式から10年が経過している事も。
 これが1ヶ月程前の事に成ります。高町とスクライアに会ったのはこの頃です。
 爆発音を聞いて危険がある可能性を知りつつのこのこ出て行ったのは、自分と同じ様に10年前の世界から誰かが来た事を期待したからです」
「その時、なのはに鎌をかけて魔法使いである事を知った訳だ」
「ああ。
 “夢を見ている”と言う位しか現状を覆す方法が思いつかない状態でしたが、逃げていても解決にならないことも分かっていました。
 時間跳躍の方法に心当たりはなかったので、超常現象か超常能力と仮定する事にした矢先に異常な爆発音が響いたので駆けつけました。高町が爆発音を発生させた当事者だったようなのでその音については超常現象の可能性を消しました」
「…一応誤魔化そうとはしたんだけど。私も様子を見に行っただけの野次馬だとは思わなかったの?」
「していたのか?…一応言っておくが煤塗れであの場に居たなら当事者か巻き込まれた被害者だ。煤に塗れるほど害を被った者が拘束されてもいないのにその場に留まり続ける理由はそうそう無いから、あの場でフラフラしている時点で当事者に確定してるぞ?」
「…うぅ。もっと勉強します」
「何処まで話したか…そう、超常現象の可能性を消したので、高町が持つ能力を絞り込むことにしました。
 俺の知っている超常能力は現実的なもので超能力つまりHGS患者と霊能力者、非現実的なもので魔法使いと未来から来たロボットくらいでした。最初に魔法使いを出したのは高町が持っている杖を見たからです」

 ユーノが指摘の内容と話の腰を折った事の両方に罰の悪そうななのはを苦笑しながら執り成しているのを余所に逸れた話を軌道修正した。エイミィがいくつか聞き慣れない単語に眉を顰めたが本筋から外れる事だろうと自重した。流石は優秀な局員である。

「後日、スクライアから、魔法でも時間の移動は出来ない事を聞いたし、次元世界には近似した世界が確認された事が無いことも聞きました。だから、原因がわからないままでしたが、現象としては俺が時間と空間を移動して、その10年の間に家が全焼し家族を失くしたと結論しました。
 勿論、そんな理不尽な話を簡単に受け入れられる訳は無いので、せめて何が起きたのかだけでも調べようとして、図書館で過去の新聞記事を調べました。その結果分かった事は、俺の家で起きた火事は、叔父の結婚式当日の出来事だという事、親族全員が出席していたその式の火災での生存者が居ない事、そして新聞記事とは裏腹に恐らく生存者が居た事」
「生存者が?そうか、式に出席しなかった者が居たのか?」
「さあ、な。まだ直接話は聞けていない」

 今度はクロノが口を挟むが、話の流れを阻害するものではなかったので、恭也が話の軌道をそちらに合わせた。

「聞けない理由はいくつかある。
 一つは多分に俺の推測が含まれている事。もう一つは当時の俺を知る者からすれば、10年間歳を取っていない俺が不審人物でしかない事。何より、もう一つ」

 数日前には確認するのに心構えを要した内容の質問を、今は気負う様子も無く口にした。

147 小閑者 :2017/08/19(土) 12:09:39

「高町、俺はお前の家族がその式の生存者だと思っている。話題に出た事は無いか?」
「え、私の家!?」

 突然話を振られたなのはは、当然の様に慌てながら記憶を掘り返す。

「えっえと、そう言う話は聞いた事ないかな…。あ、でも10年くらい前にお父さんがお仕事中に大怪我して入院したって聞いているよ?お母さんと結婚して1年位した頃から3年くらい入院してたって。だから、結婚式に参加できなかったのかな?」
「は?それじゃあ計算が合わっぐあ!?」

 なのはの話の矛盾点に気付いたクロノが指摘しようとした瞬間、恭也が医務局で受け取っていた痛み止めの入ったピルケースをクロノの額に投げつけた。手の届く範囲であったなら負傷も気にせずデコピンを放っていたのではないだろうか?

「クロノ君!?きょ、恭也君、えと、な、何で?」
「気にするな」
「ええ〜!?」

 審問の場で局員に手を出せば唯で済む訳がない。色めき出すほど単純な者がこの場に居なかったのは幸いではあるが、何の説明もしなければ、そのままお咎めなしなどと言う訳にも行かないだろう。
 恭也の心象を悪くしたくないなのはは必死になって考えた。状況からして恭也は間違いなくクロノの発言内容を中断させるために手を出した筈だ。そして、それはなのはに気を遣ったものだろう。

「…あっ!あ、あのね、お父さんはお母さんと再婚したの。だから、私はお兄ちゃんとお姉ちゃんとはお母さんが違うの」
「う…すまない、余計な事を言った」
「あ、いいよ、隠してる訳じゃないんだし」

 家族の血縁関係は間違いなくプライバシーの範囲だ。審問の場とは言え、その対象がなのはでは無い以上、わざわざ公開する必要の無い内容をクロノが言わせた様なものだ。勿論、あれだけ明確な齟齬であれば誰もが気付くだろうが、だからこそ態々言葉にさせる必要は無かったとも言える。
 恭也は遣り取りがなかった様に、必要な事をなのはに確認した。

「高町の家族構成は、父・士郎、母・桃子、長男・恭也、長女・美由希、次女・なのは、これで合っているな?」
「うん」
「やはりそうか。
 俺には、母は既に居なかったが、父と妹がいる。名を士郎と美由希という」
「え?」
「体格の違いが霞むほど似ている容姿。
 10年の時間移動を考慮すれば一致する年齢。
 成人男性の平均値から掛け離れた運動能力。
 10年前の、高町桃子さんと結婚する前と同一の家族構成。
 これだけ揃えば、嫌でも連想する事があるな」
「待ってくれ。何を言っているんだ?
 なのはの兄である高町恭也さんは存在しているんだぞ?」
「有り得ない、か?
 だが、時間移動の様な現象も体験しているからな。
 両方の現象を同時に説明するなら“俺が居た世界と酷似した、10年だけ先行した世界に移動した”か、“大学生の高町恭也は、俺がこれから10年前の世界に戻り成長した姿”となるが、近似世界も時間移動も否定しているお前達の常識から外れる事に変わりはない」
「…あ、あのね、恭也君。その、美由希お姉ちゃんはね?」
「そうか。それなら、尚更一緒だな」
「あ…、そうなんだ。うん。ありがとう」

 恭也となのはが半端な言葉で意志を疎通していたが、流石に全員がプライバシーの範囲である事を察して口を挟む事は無かった。次は何が飛んで来るか分からないのだから慎重にもなるというものだ。

148 小閑者 :2017/08/19(土) 12:10:17

「話を戻します。
 先程は高町兄が俺の10年後の姿であるという説を上げたばかりでなんですが、それでは辻褄が合わない事も見つけています。
 俺の記憶とこの世界の史実に齟齬があったんです。具体的には叔父の結婚式の日取りが史実の方が3年早かったんです。
 時代の違う良く似た世界に飛ばされた。これが俺の立たされている状況です」

 そう言って締め括ると辺りが静まり返る。全員が恭也の提示した情報を纏めるために意識が集中していた。
 沈黙を破りリンディが恭也へ問い掛けた。

「あなたの考えでは、あなたは近似した異世界から漂流して来た、という事で良いのね?」
「そうあって欲しいと考えています」
「…つまり、他の可能性も考えていると?」
「宇宙を航行する様な艦船を建造して、空間を渡り歩く術を持つ程の文明が近似世界を発見出来ていないのであれば、やはり確率は低いと考えるべきでしょうから」

 地球でもそれまで常識としていた事柄が間違っていた例はいくらでもある。天動説の様に迷信が蔓延っていた時代だけではなく、数学や物理の世界でも何十年にも渡って「定理」と信じられていた説が覆された事もあるのだ。
 だが常識とされているそれらは、それまでの経験では問題なく通用してきたという実績もあるのだ。例外が現れたなら常識を疑うよりは、それが適用出来ない様な条件が隠れている可能性を検討する方が先だろう。

「俺が思いついたのは、どれも常識外れな物ばかりですが、まあ状況自体が異常なので容赦下さい。
 まず、管理局側からすれば最も高い可能性は、俺の発言が全て偽称の場合でしょう。
 あなた方、時空管理局という組織の力を、そこまで大きくなくとも高町なのは個人の力を当てにして高町恭也氏の境遇を調べて近付いた可能性。勿論、この案は俺自身が考慮する必要の無いものですが、この派生として俺が操られている可能性があります。
 俺自身は単なる駒に過ぎず、何処かしらの組織が俺を時空管理局に潜り込ませようとしている可能性。こちらの場合は俺に騙し通させるよりも、俺に、与えられた記憶を信じさせて、暗示か何かで表層意識の認識できない所で連絡させる方が安全でしょう。魔法的な解決策があるならそちらでも。
 恭也氏の容姿と齟齬のある記憶を持たせる事で興味を持たせているとか?同時に警戒させる事にもなりますから、俺なら恭也氏本人を洗脳する方が余程現実的だとは思いますが。
 更にこれの派生として、俺は恭也氏を素体として複製したクローンで、目的は時空管理局とは関係なく、あくまで地球上で、魔法の存在しない地域で高町恭也の身体能力を欲した場合。
 ハラオウンとの戦闘を見て貰った通り、魔法無しでの戦闘であれば、未完成の俺でもそれなりの戦力にはなります。俺が修める武術の戦闘技能者を得ようと考えるのはおかしな話ではないでしょう。
 恭也氏の記憶を持たせている理由は分かりませんが、技能を身に付けた後で書き換える積もりだったのかもしれません。
 こちらの疑問点は、この武術は技能であって能力、つまり先天的に身に付いている物では無い事です。鍛えれば誰でも身に付けられるとまでは言いませんが、恭也氏の肉体に拘る必要があるとは思えません。まあ、鍛えてみた結果、上手くいかないので成功している恭也氏のクローンを作ることにしたのかもしれませんが、その場合戦力と表現出来るくらいの大人数が作られているんでしょうね」

 実際には、肉体も要素の一つではあるが、長い年月を掛けて確立された御神流の鍛錬法の方が再現するのが難しい筈だ。それは身近に御神の剣士が居る環境が絶対条件である為、“卵が先か鶏が先か”と言える。ただし、今回恭也がそれを口にしなかったのは、隠蔽よりは主題から外れない為の省略の意味合いが強いだろう。
 リンディ達には伏せられた内容は分からなかったが、「クローン」という言葉に顔を顰めた。正確にはその言葉がフェイトの心の傷に触れる事を危惧したのだが、本人のリアクションは予想とは違っていた。

149 小閑者 :2017/08/19(土) 12:11:23

「恭也…ゴメン」
「謝罪は前に聞いた。何度もする必要はない」
「フェイトさん?」
「…前に恭也に『自分が造られた存在だったらどうする?』って質問したんです」

 それはフェイトにとって一生忘れる事の出来ない問題だ。自分自身で答えを見つけ出さなければ、周囲の人間がいくら言葉で言い聞かせても解決する事はないだろう。勿論それはリンディも承知しているので気に病む事を責めている訳ではない。リンディが気にしたのはそれを聞いた恭也の反応だった。
 人間は仲間を集めて群れを成すが、その反面、特異な者を排斥する。肉体面、能力面、思想面、あらゆる面で差別しようとする。強大な外敵が現れればあっさりと確執を忘れて団結できる程度の曖昧な違いを、“別の生物”とでもいう程大げさに騒ぐ者も少なくないのだ。
 その質問が既に過去の話であり、フェイトが恭也に心を開いている以上、フェイトの出生を恭也が気にしていない事は分かっているが、無闇に広めて良い話題ではない。リンディも、恭也が口の軽いタイプには見えないが、念を押しておくべきだろうと恭也に向き直ると恭也の方が制する様に口を開いた。

「…別にテスタロッサの素性を聞いた訳ではありませんよ。興味もありません」

 歯に衣着せぬ恭也の発言に、3人が今度はフェイトに視線を寄せる。内向的なフェイトが真っ向から「興味が無い」などと言われれば傷付かない筈がない。そう思っていた3人は、拗ねているフェイトの姿に驚いた。“嫌われているんだ”と諦めている訳ではなく、“そんな言い方しなくても”と拗ねていられるのは、間違いなく先の発言内容が表面的な意味だけでは無いと信じているからこそだ。

「別に過去を知ったからといって彼女が別人になる訳ではないでしょう。
 俺が知っているテスタロッサが変わってしまわなければ、特に知る必要があるとは思っていません。俺から訊ねる積もりはありませんし、それを知ったからといって見る目が変わるべきではないとも思っています」

 前言を補足する様に言葉を続けるのが恭也の余裕の無さが原因である以上、フェイトはそれを心配するべきだと考えようとするが、やはり嬉しさから頬が綻ぶ事を押さえ切れなかった。
 そんなフェイトの様子に拘泥する事無く、恭也は話を戻して考えついた最後の可能性を口にした。

「最後に、先程の説が正しかった場合。
 俺が生まれ育った、今居るこの世界に限りなく似た世界が存在する可能性です」
「あなたの希望は、その世界が存在していて、その世界に還る事ね?」

 リンディが話の締め括りとして、当然その後に続くであろう恭也の言葉を先取りして、確認程度に訊ねたが、返された答えは予想とは違っていた。

「いえ。もう必要なくなりました」
「え?必要なくなったって…。でも、家族や友人が居るんでしょ?」
「先程思い出しました。
 親しい友人は居ません」

 恭也は、そこで言葉を切った。
 誰も何も言わなかった。待つ事以外、何も出来なかった。

 諦める事なのか、認める事なのか、本人にも分からない別の何かなのか。
 何れであったとしても、これから恭也が口にする事は、彼にとって重大事である事が分かる。彼をして心の準備をしなければならない程の。
 内容は察する事が出来た。“先程”がアースラに収容された後である事も、思い出した為に錯乱したのだという事も、恭也にとって最悪と言っていい結末であったであろう事も。口にさせる事は追い討ち以外の何物でもないと全員が考えたが、何故か留める事は出来なかった。

 長く感じた数瞬後、全員が想像した通りの内容が恭也の口から、感情を殺した声で語られた。



「家族も、居ません。
 皆、死にました」





続く

150 小閑者 :2017/08/27(日) 18:28:03
第16話 恩義




「ただいまー」
「おかえり、はやて」
「お帰りなさい、はやてちゃん」
「うん。
 それじゃあ、ノエルさん、ほんまにありがとうございました。
 すずかちゃんにまた遊びに来てって伝えてもらえますか?」
「承知致しました。
 はやて様も、ぜひまたお越し下さい。
 はやて様が遊びに来られて、すずかお嬢様もとても喜んでおられました」
「ありがとうございます」

 ヴォルケンリッターと時空管理局の2度目の大規模な闘争のあった夜が明けると、誰も居ない家で独りで過ごすべきではないという恭也の進言に従いお世話になった月村すずか宅からはやてが帰宅した。
 夜分と言える時間帯に突然押し掛ける事になってしまったにも関わらず、すずかも姉の忍も笑顔で迎え入れてくれた上に、4人の帰宅が遅れている事を知るとそのまま泊まって行くように勧めてくれたのだ。
 シャマルは、はやてを車でここまで送り届けてくれた女性、月村家のメイド長を勤めるノエルに丁寧に礼を述べ、車が遠ざかるのを見届けると玄関先で待っていたはやて達と共に家の中に入っていった。

 リビングではシグナムとザフィーラが迎えてくれた。
 朝食も月村邸でご馳走になる事を伝えてあったので4人も食事は済んでおり、はやてがソファーに座ると4人も思い思いに寛ぎだした。
 その情景を見て、はやての胸には寂寥感が込み上げてくる。一月前には暖かな、しかし、昨日と比べて1人分欠けた情景。

 ふと気付くと皆の顔がこちらを向いていた。
 気遣う様なその顔色から自分がどんな表情をしていたか悟り、気持ちを入れ替えるように頬を叩いた。恭也からの最後の電話を受けた自分は皆に恭也が不在にしている理由を告げる責任があるのだから。

「みんな、聞いてや。
 昨日の夕方な、恭也さんから“元の世界に戻る手掛かりが見つかったかもしれない”って電話があった。
 ホントは昨日、皆が帰ってきた時の電話で伝えた方が良かったんかもしれんけど、恭也さんの勘違いかもしれんかったから。
 でも、今日になっても帰ってこんちゅう事は当たりやったんやろね」
「はやて…」
「ごめんな、私だけ。皆も恭也さんにお別れくらい言いたかったやろ?」
「主はやてが謝る必要はありません。寧ろ謝罪するのは我々の方です。
 不安を感じている時に、傍に控えている事も出来ず、申し訳ありません」
「ううん、ええねん。それこそ仕方ないやん。
 …恭也さん、家に帰れとるとええね」
「…はい」

 帰る家その物がなくなっている可能性には敢えて目を瞑って、はやてが口にした思いにシグナムが同意した。
 辿り付いた家がこの世界同様全焼していたら、家族を失っていたら。そんな結末では一縷の望みに賭けた恭也も、寂しい思いを押し隠して見送った自分達も、余りにも報われない。
 せめて、恭也だけでも救われて欲しいと、はやては思わずにいられなかった。
 同時に考えてしまう。
 居なくなったのが恭也でなかったとしても、きっと同じ様に寂しいだろう。
 だから、もう誰も居なくならないで欲しいと強く願った。願う事以外に何も出来ない事に不安を感じながら、だからこそ願う事をやめる事は出来なかった。



     * * * * * * * * * *

151 小閑者 :2017/08/27(日) 18:29:08


 閉じていた目を開く。
 恭也の目覚めはそんな表現がぴったりと合う程、素っ気無いものだった。寝呆けるどころか眠気を引きずる様子も寝起き特有の緩慢な動作になる事もなく、体を起こし周囲を見渡す。
 白く清潔なその部屋は、閑散さと紙一重の微妙なものではあったが、窓際にある鉢植えの花の存在感を強調するために計算されたものだと説明されれば納得出来る不思議な優しさに満ちてもいた。
 実際、調度品と呼べる物は朝日を一身に浴びる鉢植えの他には特に無く、家具として恭也の寝ていたベッド以外には、座卓のガラステーブルの対面の床に敷かれた布団一式、それにタンスと壁掛け時計があるのみだ。
 恭也はベットに座ったままいつの間にか着せ替えられた暗色系のパジャマを一瞥すると珍しく眉を顰めた。アースラ艦内では気にする余裕がなかったのだろうが、武装を解除されている事はベッドで覚醒後直ぐに、目を開く前に確認していた筈なので目で見て確かめてから改めて眉を顰めるのもおかしな話ではある。
 アースラの医務局では服その物は変わっていなかった(外傷がなかったため、検査も魔法治療も非接触で行われた)のだが、まさか武装を解除された事より着ているパジャマの方が気に入らなかったなどということも無い筈なのだが。
 恭也は視界に映る金糸に初めて気付いたかの様にふと、眉を顰めたまま床に敷かれた布団へ顔を向ける。視線の先には穏やかな寝顔を無防備に布団の端から覗かせる金髪の少女・フェイトと、彼女と向かい合うように同じ枕に頭を乗せて眠る子犬形態のアルフがいた。
 恭也の方に顔を向けて眠るフェイトと後頭部を見せる子犬の様子を暫く眺めていると気持ちが落ち着いたのか、漸く恭也の表情が常態である仏頂面を取り戻す。同時に眠っていたアルフが何かを察知して耳を動かし、次いで目を開いて恭也に振り返った。

「あ、おふぁようキョーヤ。あの後も何回かうなされてたみたいだけど大丈夫かい?」
「…ああ、平気だ。ここはお前達の家か?」
「ああ、そうだよ。と言っても借りてるだけだけどね」
「…そうか。まあ、この話は後にしよう。テスタロッサがまだ寝ているしな」
「大丈夫だよ、フェイトもそろそろ起きる時間だ。ほら、フェイト、朝だよ」
「…ん」

 アルフの呼びかけに反応してフェイトが瞼を開き、きれいな紅玉の瞳が現れる。フェイトは2,3度瞬くと体を起こし、座り込んだまま両手を挙げて伸びをして眠気を追い出した。

「フゥ、おはようアル、フ…」
「おはよう、フェイト。って、恭也がどうかしたのかい?」

 視線をベットの上、恭也に合わせたまま動きの止まったフェイトにアルフが不思議そうに声を掛ける。

 恭也と同じ部屋で眠る事は昨夜話し合って決めた事だ。そして、リンディから客間で一緒に寝る事を提案された時に難色を示すクロノを抑えて同意し、更には自身のベッドを提供したのはフェイト自身なのだ。
 ちなみに「まだ、一緒にベッドで寝ても良いと思うわよ?」というリンディの台詞の“まだ”に首を傾げつつも、「恭也を起こしてしまうかもしれないから」と辞退したことで、知らぬ間にクロノの心の平穏をぎりぎりのところで保つ事に貢献していた。

 フェイトが恭也の顔を見て固まったのは、その事を忘れていた事だけが原因ではない。
 恭也が暫く前から起きていたなら、自分でどんな顔をしていたか分からない寝顔を見られていただろう。更には寝起きで恭也が居る事を失念してボゥとしているところも同じく。
 その事に思い至ったフェイトは、就寝前には想像もしなかった羞恥心に襲われたのだ。
 とは言え、何時までも恥かしがっていては恥の上塗りになってしまう。フェイトは赤みの差した頬を隠すように上目遣いになりながら恭也に挨拶した。

「お、おはよう恭也。もう起きて大丈夫なの?」
「テスタロッサ、だな?」
「え…?
 あ、うん。フェイト・テスタロッサだよ」

 念を押してくる恭也に一瞬何を聞かれているのか疑問を持つが、直ぐに何かに思い至ったフェイトは恭也の不安を解消するために慌てて同意した。同時にリンディの言葉を思い出して浮かべた微笑を僅かに翳らせた。

152 小閑者 :2017/08/27(日) 18:29:49

 恭也は本人の意思とは無関係に、自分の事を知る者の居ないこの世界に飛ばされて来たのだ。
 親しい者が知らない間に故人となって久しい時代に独りにされた挙句、自身の存在を否定する事実を幾つも突き付けられ、更には家族を失う現場を昨夜思い出したばかりとくれば“不安”どころではないだろう。
“目を覚ましたら知らない部屋”という状態は今の恭也には一番辛い事だろうから、とリンディから説明された時には、それで恭也の不安が解消されるならと即座に同意したのだが、それがどれほど重要な事だったのか今の恭也の様子を見て漸く実感する事が出来た。

「んじゃあ、早速朝ごはんにしよう。キョーヤもきっと驚くよ、リンディのごはんは美味いんだから!」

 アルフの陽気な声にフェイトの思考が引き戻された。
 沈みがちな事を自覚しているフェイトは、そんな自分を救ってくれる明るさを持つアルフに何時もの様に心の中で感謝した。

「…それは楽しみだな」
「もう。アルフ、着替えて、顔を洗ってからだよ?」
「わかってるって。あたしは着替える必要は無いんだから、フェイト達は早く着替えちゃってよ。あ、キョーヤの服はそこだよ」

 人間形態に変身したアルフの示した方を確認した恭也は、恭也の事を気にした様子も無く着替えるべくパジャマを脱ぎ始めたフェイトを一瞥すると、フェイトに背を向け自身もパジャマを脱ぎ始めた。アルフが驚嘆の声を上げたのはその直ぐ後だった。

「うっわ、あんた着痩せするタイプだったんだね。凄い体じゃないか!
 身長はともかく、傷も多いしそれだけ鍛えてる子供なんてあんまりいないんじゃないの?」
「背中にもあったか。すまん、見て気分の良い物ではないだろう」
「傷の事かい?戦う為に鍛えてるなら当然だろ。気にならないよ。ねえ、フェイト?」
「うん。でも、気を付けなきゃ駄目だよ?」
「そうか。だが、傷や筋肉はともかく、ハラオウンも似たようなものだろ。魔法の補助がある分、筋力に頼らずに済んでいるだけで鍛錬の量は大差ないんじゃないか?」
「でも、クロノって14歳だろ?あんたたちの歳で4年の差は大きいんじゃないの?」

 行為の意味を理解しないまま親の真似をして体を動かす事は出来るとしても、意思を持って体を鍛えるようになるのは早くても6〜7歳からだろう。仮に物心つく前から強制されていたとしても2年は増えないから4年の差は倍近い年数と言える。
 だが、恭也が聞き咎めたのはそこではなかった。

「あいつ、14歳だったのか?」
「は?…あ〜、まああんたとは別の意味でクロノも見た目と歳にギャップはあるね」
「あの、クロノも気にしてるみたいだから、背の事はあんまり…」
「承知している。からかって買うのは怒りであるべきだからな。引き際を誤って恨みまで買うようでは二流と言うものだ」
「そ、そういう事じゃなくて…」

 意図的に曲解しているであろう恭也を押しとどめようとパジャマを脱ぎ終えたフェイトは着替えを手に取りつつ体ごと向き直ると、フェイトに合わせて振り向いた恭也の視線が自身を捉えている事を唐突に意識して言葉を途切れさせた。

 恭也が普段から相手の目を見て会話する事はフェイトも知っている。
 それが洞察を主目的としているとまで察している訳ではないが、マナーとして相手の顔を見て会話するものだとはフェイトの知識にもある事だ。だから、今現在恭也が自分を見ているのは当然の事だし、その視線も自分の顔の位置で固定されている事もわかっている。
 恭也の表情は至って普段通りの仏頂面だし、視線にも時折街中で見知らぬ男性から感じる不快な感情が含まれている訳ではない。ないのだが、何か落ち着かない。
 更に、何故か視界に映る恭也の逞しい上半身に意識が向かってしまい、勝手に顔が熱くなっていく。
 フェイトは得体の知れない落ち着かなさから逃れる様に持っていた着替えを抱きしめて、無意識ながらもほぼ全裸とも言えるパンツ一枚きりの姿を隠した。同時に、視線を恭也の上半身から無理やり引き剥がし、何とか床に固定した。

「…!?―――?…??」
「?どうか…、あー、すまん。しばし待て」

 トマトの様に赤面して混乱しているフェイトを見た恭也は、フェイトに背を向けて手早く着替えを済ませると、フェイトに視線を向ける事も無く「次回からは男の前で服を脱ぐのはやめておけ」と言い残して部屋を出て行った。
 もっとも、フェイトが恭也の退室に気付いたのは、5分ほど続いたアルフの呼び掛けに正気を取り戻してからだったが。
 


     * * * * * * * * * *

153 小閑者 :2017/08/27(日) 18:30:49

 アースラでの審問中、恭也は家族が他界した事を告げると気力を使い果たしたのか大きく一つ息を吐くとそのまま机に突っ伏して意識を失った。
 リンディ達は泣き出しそうになるなのはとフェイトを宥めながら呼び出した医務局員に診察させた結果、心労に因るものと診断された。その診断結果を聞いたリンディは恭也を連れて海鳴に戻ることにした。
 肉体ではなく精神の疲労である以上、治療方法は当然落ち着ける場所で安静にしている事。理想としては生まれ育った家に帰るのが一番良いが、今の恭也にはそれが叶わないので次善案としてこの世界に来てから一ヶ月程の間生活していた海鳴を療養の地としたのは当然の流れと言えるだろう。
 勿論、一ヶ月程暮らしていた家の方が良いだろうが、恭也から聞き出せていないため探し出す事が出来ず、更なる妥協案として管理局の海鳴での拠点にしているマンションの一室、ハラオウン家に搬送したのだ。

 余談だが、なのはが家を抜け出してから結構な時間が経っている事に気付いたのは、マンションに移動して時計を見てからだった。
 リンディがなのはに付き添い、「遊びに来てフェイトと一緒に眠っていたことにリンディが気付かなかった」とかなり苦しい言い訳をしながら平謝りする事で、なのはは桃子から軽いお叱りを受けるだけで済んだ。
 


     * * * * * * * * * *



「フェイトさん、可愛かったわね〜」
「そうですねー」

 朝食を済ませ、フェイトが登校すると、食後のお茶を啜りながら漏らしたリンディの感想に同意したのはエイミィだけだった。
 同席しているクロノは苦虫を噛み潰した顔をしているし、クロノの隣、エイミィの対面に座る恭也は呆然と、あるいは愕然としていた。
 恭也の視線がリンディ、正確には彼女がおいしそうに飲んでいる湯飲みに向かっている事にクロノは気付いていたが、先程の罰を兼ねてフォローはしない事にした。
 着替えの際に起きた問題は恭也にそれ程の落ち度がなかった、と結論付けられた為、恭也は咎められていないのだ。
 精神の建て直しに成功したのか、恭也が自分に出された手元の湯飲みに視線を注いだまま口を開いた。尤も、湯飲みに添えられた手は微動だにする事は無く、そこに満たされた緑色の液体に口を付ける様子は無かったが。

「ハラオウン提督。テスタロッサにその手の知識が無い事は気付いていたんでしょう?
 同室する相手が子供とは言え、少々無責任なのでは?」
「あら、恭也さんなら大丈夫だと思ったからこそよ?」
「…ちなみに根拠は?」
「女の勘」

 リンディに即答された恭也は自信に満ち溢れている彼女の顔を凝視した後、重たそうに口を開いた。

「その拠り所にどれほどの信頼性があるのかは俺には判断できませんが、ご子息には異論があるようですよ?」
「母さん、フェイトを危険に曝す根拠が“勘”では、いくらなんでも酷過ぎるぞ。何かあったらどうする積もりだったんだ!?」
「そうねぇ。でも、これはフェイトさん自身も同意した事なのよ?」
「それはフェイトが何も分かってなかっただけだ!」

 リンディのあまりにも無責任な発言にクロノが声を荒げた。
 失敗して学ぶ事も確かにあるが、それが一生残る様な傷となるなら道を間違えない様に導いてやるのが大人の務めだろう。
 口調の強くなったクロノとは対照的に恭也は変わらぬ口調で言葉を継いだ。

「男の理性など当てにするべきではないらしいですよ?
 テスタロッサの容姿と無防備さなら、トチ狂う輩がいても不思議は無い。勿論、俺も含めてです」
「あら、それならフェイトさんに直接言ってあげなくちゃ。『君は思わず抱きしめたくなる程可愛いよ』って」
「表現が婉曲になっている上に論点がずれてます。
 …ひょっとして、実地で学ばせようとしたんですか?ここなら、直ぐに部屋に駆けつける事が出来るから。2対1なら片方が動きを封じられても、もう1人が騒ぐ事もできると?」
「流石ね。クロノよりよっぽど私の事を信用してくれているみたいで嬉しいわ」
「ぐっ」

 恭也はうめくクロノを横目に見ながらも、リンディの誤解を解くことは無かった。
 不意打ち、奇襲である限り、恭也が魔導師に劣ることはない。恭也にとって寝ているアルフを無力化してフェイトに手を出すのはそれ程難易度の高い作業ではないのだ。
 敢えて訂正しなかったのは話が拗れる事が目に見えているからだろう。

154 小閑者 :2017/08/27(日) 18:31:36

「では、俺の行動はご期待に沿えなかった訳ですね」
「まさか。フェイトさんを悲しませずに済んだんですもの、理性的に行動して貰えて嬉しいわ。
 むしろ、恭也さんの存在を気にせず着替えだす程だとは思ってなかったから、今回の事で男性に肌を晒す事が恥ずかしい事だって知ってくれたでしょう。
 恭也さんも役得だったでしょう?」
「母さん!」
「別段、注視していた訳ではありませんが、綺麗だった事は同意しますよ。性的な魅力が低かったのは年齢からすれば仕方の無いことでしょう」
「あら、やっぱり恭也さんも大きい方が好みなの?」
「他の誰と同じ枠に分類されたのかは敢えて聞く気はありませんが、メリハリがあるに越した事はないと思っています」
「そう。それじゃあ後5年位遅かったら流石の恭也さんでも自制出来なかったかもしれないのね。
 早めに改善できて良かったわ」
「左様で」

 呆れた様に短く同意する恭也にも笑顔を返しているリンディではあるが、朝食前に恭也から遅れてリビングに現れたフェイトが羞恥に顔を赤らめて、あからさまに恭也から視線を逸らしている姿を見た時には内心で盛大に冷や汗を流したものだ。
 表情と行動は精一杯何気なさを装いつつ、内心大慌てでフェイトをリンディの私室に呼んで事情を聞きだし、安堵の溜息とともに心中で恭也に感謝した。
 リンディがフェイトとアルフに男性との距離のとり方について注意点を教えてから一緒にリビングに戻ると、フェイトの態度に不審を抱いて問い詰めるクロノを恭也がのらりくらりと躱していた。勿論、フェイトの醜態を隠すためだろう。

 本当に何者なのだろうか?
 フェイトやなのはから聞いた限り、決して真面目一辺倒ではなく、隙を見つけては周囲の人間をからかっているようだが、その反面、本人達が本気で嫌がる内容からは逆に煙に巻いて話題を遠ざけようとすらしている。
 恭也には10歳という年齢からすれば肉体・精神・体術・思考・知能と規格外な面ばかり見せられている。これで知識が高ければ完璧超人なのだが、一般知識には疎いとの事なのでバランスは…いや、取れていると言うほど物知らずではなさそうだ。

 恭也と接した誰もが浮かべる疑問が思考を占めてたリンディは、当人の声で意識を引き戻された。

「ところで、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうね。恭也さんの置かれた状況と、今後の方針について、ね」

 リンディには恭也の語っていた“本人の意思に反する無作為転移”について心当たりがあった。一月以上前に時空管理局調査部が調査対象の遺跡を暴走させた件は、公私共に親しいレティ・ロウラン提督から「どこかの次元に転移した人物がいるかも知れないから気に留めておいて欲しい」と連絡を受けていたのだ。
 現在リンディ達が第一級ロストロギアに認定されている闇の書を追っている事はレティも知っているため、捜索に割く余力が無い事は承知の上で事務的に通達したに過ぎなかった。それでも通達したのは知的生命体であれば転移した事を転移先で周囲の民間人に訴えていれば噂話として耳に入る可能性があるからだ(魔法の存在が知られていない次元世界であれば精神異常者扱いだろうが)。
 逆に言えばそれ以上を期待していない為、知性体以外の無機物及び植物・動物に関しては、遺跡を暴走させたクォーウッド艦長率いる第十七調査艦に任せきりになっていた。
 暴走後に遺跡を解析した結果、魔導師が遺跡に侵入した時点でまず避けようが無かった事故である事は判明していたが、誰かがやらなくてはならない以上、白羽の矢が彼らに立つのは仕方の無い事でもある。
 クォーウッド艦長は偶然であろうと他部署の人間の功績になろうと、一人でも多くの被害者を救済出来るのであれば瑣末事と考える人物だ。その人柄を知っているからこそリンディも恭也本人の境遇とは別に少しでもクォーウッドの心労が軽く出来ると喜んだのだが、そう単純には進まない事が今朝受けた報告でわかっていた。

「八神恭也さん。
 あなたが転送された原因は、時空管理局で行った遥か昔に滅亡した文明が残した遺失物、私達がロストロギアと呼んでいる遺跡の解析調査中に起きた遺跡の誤作動に因るものと判明しました。
 管理局を代表して謝罪します」
「構いません。俺にとって一番大きな問題は転移そのものとは関連がありませんし、元の世界に戻っても解決する事ではありませんから」

 それはリンディにも分かっていた。そして同時に誰にも解決する事が出来ない問題であることも。
 リンディが言葉に詰まった事を察したのか、恭也が先を促した。

155 小閑者 :2017/08/27(日) 18:32:13

「それで、俺の処遇は決まりましたか?」
「勿論、あなたを元の次元へ返します。
 ただ、遺失物は基本的に我々の文明とは技術体系が違うため、解析に時間が掛かります。
 恭也さんの居た次元世界を割り出すのに1週間以上掛かる可能性があるんです」
「構いません。どの道、今更急いで帰る理由はありませんから」
「…ありがとう。
 代わりと言ってはなんだけど、出来る限りの待遇は保障するわ。と言っても恭也さんもご存知の通り、私達も現在捜査中の身なので大したことは出来ないけれど。
 そうだわ、こちらの世界でお世話になっていた家があったのよね?帰る前に挨拶に行ったらどうかしら。連絡さえ付くなら外出しても構わないわよ?」

 事務的な会話は終了とばかりにリンディが砕けた言葉遣いで提案した内容に、恭也はやんわりと断った。

「いえ、いづれ去るのですから止めておきます。強制的に飛ばされて来たので強制的に還される可能性があるとは日頃から伝えてありますから。
 暫く顔を合わせていた程度の行きずりの人間であろうと、別れる事を悲しむような優しい人達でしたから。そんなもの、何度も味わわせたくありません」
「で、でも、ちゃんとお別れした方がその人達にも良いと思うけど…」
「そういう考え方がある事は知っていますが、そうでない場合もあります。
 明確な根拠が無い以上、短いながらもあの人達と接してきた自分の判断を信じます」

 エイミィが思わず一般的な意見を口にするが、こう言われては面識の無い3人には無理強いする事は出来ない。

「そこまで言うなら敢えて勧めないけれど…。
 さっき、フェイトさんに念を押していたのもその事?」
「はい。帰るのに時間が掛かる事は想定していませんでしたが、いづれにせよどんな繋がりで話が届くか分かりませんから、高町にもテレパシーみたいなもので伝えて貰いました。
 月村やバニングスに、俺と面識のあるあの2人の友人も含めて誰にも話さない様に、と。
 高町もテスタロッサも、あまり嘘が吐ける種類の人格ではないのであっさり露呈する可能性はありますが」
「2人とも素直な良い子だから」

 苦笑交じりのエイミィの台詞に一同が笑みを零す。彼女達の正直さは年齢相応の好ましいものだ。

「やはり純粋さは子供の美点だな、八神恭也」
「何が言いたい、クロノ・ハラオウン」
「なに。大して歳が変わらないのに疑ってばかりいるすれた奴が身近にいると、よく分かると思ってな」
「ほう、自虐ネタとは高度なボケだな」
「自虐じゃない!君の事だ!」
「凄いな。俺には自分の事を純真無垢だとは口が裂けても言えない。
 見直したよハラオウン。どれほど面の皮が厚いと“自分は例外”などと言えるのか想像もつかない。尊敬した。真似したいとは欠片程も思わないが」
「べ、別に純真無垢だなんて言ってないだろ!歳が違うと言ってるんだ!」
「…言うに事欠いて推定身長140cmの分際で何を言ってる?そういう事は俺の身長を抜いてからにするんだな」
「コ、コ、コイツゥッ!!」
「お、落ち着いてクロノ君!先に言い始めたんだから文句言えないって!
 恭也君もその辺で勘弁してあげて?」
「フッ、修行が足らんな。出直して来い」

 慣れない冷笑を浮かべようと頬を引き攣らせた様な表情の恭也と、歯軋りして悔しがるクロノを眺めながら、リンディが微笑む。
 クロノの軽口は恭也を必要以上に沈ませない為のものだし、恭也の返しはクロノの配慮を承知した上で乗ったのだろう。今回は軍配が恭也に上がったが、それ自体は結果でしかない筈だ。
 どちらも子供らしい配慮とは程遠いが、出会ってから丸1日も経過していない上に戦闘行為から始まった関係としてはそれ程悪くは無いだろう。もっとも、恭也とフェイトの場合も大差なかったと知ったら流石にリンディも呆れるだろうが。

156 小閑者 :2017/08/27(日) 18:32:50

「あはは〜。あ、そうだ!
 修行で思い出したんだけど、恭也君のあの動きってどうやってやってるの?」
「あの動き?」

 場を和ませようと愛想笑いをしていたエイミィが唐突に切り出したのは、昨夜のビルの屋上でクロノとの戦闘で見せた恭也の瞬間移動についてだ。
 リンディとクロノは直ぐに気付いたようだが、当然聞き返してきた恭也に説明するためにエイミィは空中にディスプレイを投影すると件の戦闘シーンを再生した。

「ほら、ここ。姿が消えてるこの動き」
「…」

 画像を説明しながら恭也に説明していたエイミィはかなり珍しいものを見た。恭也が目を見開き(と言っても当人比1.2倍程度)、絶句していたのだ。

「お、おい、恭也?」
「…凄いな、何も無いところにテレビが映るのか…」

 恭也の態度に驚いたクロノが刺激しない様に気をつけながら声を掛けると、恭也が呆然としたまま呟いた。

「ア、ハハ…、まあこの星の人は初めて見たらちょっとビックリするかもね」
「…宇宙航行船を見てるんだからこれ位で驚かなくてもいいだろう」
「気絶してる間に運び込まれて、寝てる間に連れ出されたのに実感できる訳ないだろう。それに、こちらの方が身近な分だけ実感し易い」
「それでも既に受け入れて平常心を取り戻してる辺りは、流石と言うかなんと言うか」

 空想でしかない筈の魔法を受け入れた恭也であれば、地球にある技術の延長上にある(可能性のある)技術を受け入れられない訳がないだろう。

「じゃあ、もう一回流すね?
 ほら、ここ」
「…これが何か?」
「え?えっと、出来ればこの動きを説明して貰いたいんだけど…」

 恭也の“何か異常がありましたか?”と言わんばかりの発言にエイミィの言葉が尻すぼみになる。この瞬間移動じみた高速行動はこの次元世界の人間には当然の技能なのだろうか?

「…画像が途切れている事を俺に指摘させる事に意味があるんですか?」
「…は?」
「待て、恭也。何の話だ?
 ここからここまで一瞬で移動した方法について聞いてるんだぞ?」
「お前こそ何を言ってる?
 この場面は高町に向かって跳び蹴りしようとした男を弾き飛ばした時だろう?
 記憶が飛んでなければ、俺は走り寄って肘打ちしただけだぞ」
「…」
「…」
「つまり、恭也さんは特別な何かをした訳ではなくて、いつも通り走っただけ、と言うことかしら?」
「勿論です。俺に超常能力は備わっていません。少なくとも、そんな便利な機能があるなんて把握してません」

 答えた恭也は、表情は勿論、呼吸が乱れる事も、心拍数が変化して顔色が変わる様子も無い。
 問い掛けた3人は視線を交わすと念話での密談を始めた。

<クロノ、どう思う?>
<動揺した様子はありませんが、鉄面皮は何時もの事でしょう。それに初めから質問される事を想定していた可能性もあります。
 そもそもあそこまで極端な前傾姿勢を取るのは、あのスピードで走ることを前提にしていなければ有得ません>
<あ〜、でもスピードに合わせて体を倒すのは当然だって言われちゃうと反論が難しいと思うよ?我武者羅な時って覚えてないことあるし>
<或いは自分達の技術を隠蔽しようとしているのかもしれないわね。
 分からないのか隠しているのかすら不明だけど、何れにせよ問い詰めても答えが得られる事は無いでしょうね>

「どうかしましたか?」
「あ〜、何でもない、何でもない。
 それじゃあ、こっちは?
 一番最初に君がクロノ君に近付いた時、クロノ君には君の動きを認識出来なかったらしいんだけど…」
「こちらも特別な事をした訳ではないんですが…、とは言ってもあれだけ驚いていたと言う事は魔法の世界では存在しない技法なんですかね」
「じゃあ、こちらは何かしているのか!?」
「気配を抑えただけだ」
「…は?」

 余程気になっていたのか、クロノが勢い込んで問い掛けると恭也は何でも無い事の様に答えた。だが、技法が存在しないと言うことは“気配を抑える”という概念そのものが存在しないのだ。初めから言葉だけで伝わる訳が無い。

157 小閑者 :2017/08/27(日) 18:33:34

「えっと、それは具体的には、って、え〜〜!?」
「な、な!?」
「わかったか?気配を誤魔化されると、視界に映っていても認識し難くなるだろう?」

 クロノの感覚では目の前に座っている恭也が霞んで見えた。いや、色彩が薄れて透明に近付いたと表現するべきか?
 この感覚は、体験しなければ絶対に理解できないし、説明したところで誰も信じないだろう。そして、こんな事を意図的に行えるなら、瞬間移動が偶然の産物などと言う戯言を信じる気になれる訳が無い。
 またもや長年信じてきた常識を覆されてリンディが呆然と呟く。

「…魔法も使わずにこんな事が出来るものなの?」



 リンディ達が混乱するのも無理も無い事ではある。
 魔導師とは“魔法を使える人間”だ。人間と言うカテゴリーの中で魔法の使える一部の者と言う事は、言い方を変えれば魔法を使わなければ一般人と変わらないのだ。
 恭也を“一般人”にカテゴライズする事は、彼を知る全ての人から反対されるだろうとクロノは思うが、恭也の瞬間移動や認識阻害が彼個人の先天的な特殊技能では無いと言う言葉を信じるならば自分達も訓練すれば同じ事が出来ると言う事になる。…信じる、ならば…、信じられるか!!
 確かに、体を鍛えれば速く動けるようになるし、息を殺して身を潜める事もある。だが、限界は当然ある。あるべきだ!
 クロノの誘導弾を躱していた時の恭也のスピードは十分にレッドカードを付き付けられても文句を言えないレベルだったが、それでも常識の範囲の端っこにぎりぎり引っ掛かっているという事で目を瞑れなくは無いだろう。(そもそもあの回避行動の一番恐ろしい所はスピードそのものではない)
 だが、いくら体を鍛えた所で30倍速で行動できて良い筈が無いし、息を殺してコソコソしていたからと言って人の目に映らなくなるなら泥棒など遣りたい放題である。



 恭也の持つ脅威の能力を目の当たりにした事で自失していた3人は、お茶を入れ直して気持ちを落ち着けると、話題を今後の方針に戻して再開した。
 ちなみに3人は先程見せ付けられた精神衛生上よろしくない事柄については、アイコンタクトによる緊急会議で今後触れない方針で行く事が可決されたのだった。無論、何の解決にもなっていない。

「すっかり、話が逸れちゃったわね。
 どこまで話したかしら?
 …そうそう、挨拶に行かないなら恭也さんはどうするの?その一家と距離を取るなら街中を歩き回る積もりは無いんでしょ?
 このマンションに居て貰う分には構わないけれど息が詰まらない?」
「テスタロッサが警戒心を覚えたなら、同じ部屋で寝起きするなんて暴挙には出られないでしょう。
 昨日の、…宇宙船?あれの部屋が余っているならあそこでも構いませんが」
「空いてる部屋はあるけれど、閉鎖空間に閉じ篭るのは今のあなたにはお勧めできないわね。このマンションの空き部屋じゃ駄目かしら?」
「空き部屋があるのに同室に放り込んだんですか…?
 いえ、それでは暫くそこを貸して下さい。
 後は、何かする事を貰えませんか?出来れば昨日の事件の関連の手伝いを」

 恭也の申し出にリンディは思わず眉を顰めた。
 恭也がなのはとフェイトに出会った経緯は分かったし、例の遺跡のランダム転送に巻き込まれた被害者の1人である事も裏が取れている。恭也が闇の書側の陣営に属している可能性はまず無いという事になる。
 だが、そうなると態々事件に関わろうとする理由が分からない。
 なのはの時の様に事件の関係者に強い思い入れがある訳ではない。
 事件に関われば死に繋がる可能性がある事は判っているだろう。
 自分だけは大丈夫などと高を括っていたり、ゲームの様に死んでも生き返れると思っている訳でも無い。
 そして、それらが分かっている以上、参加表明は気軽なものでは無い筈だ。
 そうなると一番高いのは、家族の死を知って自暴自棄になっている可能性だろうか。

 リンディの危惧を察したのだろう。恭也が苦笑しながら言葉を足した。

「自棄になっている訳ではありませんよ。
 この世界に来てから助けられてばかりいるんです。
 あの人達が居なければ、俺は目の前の現実に呆気なく潰されていた」

 それは容易に想像出来る仮定だ。恭也にとって根幹と言える物を、何の前触れも無く全て喪失したのだから。

「だから、受けた恩に報いたい。
 皆に危険が迫っているなら、看過する事は出来ない。何が出来る訳では無いだろうけど、“何もしないでいる”なんて事、出来ない」

 何かを噛み締める様な、慈しむ様な眼差しに反して、淡々とした口調で語り終えた恭也にクロノが重い口を開いた。

158 小閑者 :2017/08/27(日) 18:34:09

「気持ちは、まあ、察する事位は出来る。
 だけど、許可する事は出来ない。
 僕らにはない技能を持っている事は認めるが、それでも魔法を使えない君では、力不足と言わざるを得ない」
「…そうか。
 分かった。無理強いして状況を悪化させたら目も当てられないからな。
 だけど、戦力にならないなら戦闘に参加させろとは言わないから、何かしら手伝わせて貰いたい。荒事の方が得意である事は事実だが雑用くらいは出来るだろう」
「お前だって被害者なんだ。そこまでしなくても、良いだろう?」
「いや、こちらは俺自身の都合で申し訳ないが、何かに集中していないと忘れていた反動なのか、あの記憶が繰り返し再生されて、あまり健全でない精神状態になりそうなんだ。
 物を考える余裕が無くなるほど闇雲に走り回っているのも手ではあるが、出来れば役に立つことをしたい」
「…わかった。何か出来る仕事を探しておこう」
「感謝する」

 自覚があったのか、恭也が納得して大人しく引き下がった事にクロノは小さく安堵した。
 恭也の技能はかなりの戦力として期待出来るが、一般人を巻き込むのは極力避けたい。それがクロノの偽らざる思いだ。リンディも、なのはの時とは違い本人が引き下がったためそれ以上勧めることはなかった。
 尤も、結論から言えば恭也は引き下がりこそしたが、納得した訳でも大人しかった訳でもなかったのだが。





「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」

 フェイトはいつもの4人で学校を出ると高町家でアリサ達と別れ、着替えを済ませたなのはと、合流したユーノと共にハラオウン家に帰宅した。
 普段から放課後には一緒にいる事の多い仲の良い2人ではあるが、この日の目的は恭也の様子見だ。
 昨夜、ハラオウン家に運び込んだ恭也が意識を取り戻す前に帰宅する事になったなのは達は勿論、フェイトも復調したとは言い切れない今朝の様子が気になっていたのだ。
 だが、帰宅と来訪の言葉に声が返される事はなかった。
 海鳴での拠点となるこのマンションで暮らすようになってから、フェイトが帰宅した時には必ず家にいる者が「おかえり」と迎えてくれていた。そのちょっとしたやり取りをここで暮らすようになってから得た数ある楽しみの内の一つとしていたフェイトは小さく落胆した。今日は誰もいないのだろうか?

「なのは、上がって。ユーノも変身解いたら?」
「うん、お邪魔します」
「僕も失礼して」

 フェイトの言葉に従って玄関に上がったなのはが脱いだ靴を揃えている隣で、なのはの肩から降りたユーノが人の姿に戻る。フェイトは着替える前に2人をリビングに通す為にそこに通じるドアを開けると、目の前の光景に立ち尽くした。
 先程の予想に反してリビングには先客がいた。立ち尽くすクロノとアルフ、そしてソファーに座った恭也だ。しかし、フェイトが言葉を無くしたのは予想を覆されたからではなく、場を満たす険悪な雰囲気に呑まれたからだ。

「主人の帰宅と来客だ。迎えてやったらどうだ?」
「あ、フェイトお帰り」
『え?あ、フェイトちゃん、お帰り』
「ただいま、アルフ、エイミィ。…何かあったの?」

 ドアノブから手を離す事も出来ずに立ち尽くすフェイトに背を向けたまま発した恭也の言葉に反応したのは、ドアが開いた事に気付かない程緊張していたアルフとこの場にいないエイミィの空間ディスプレイ越しの声だった。
 フェイトは改めて帰宅の挨拶を返してから、小声で恐る恐る現在の状況に至る原因を問い掛けた。恭也とクロノの仲は決して良好だった訳ではないが、理由も無く睨み合う程犬猿の仲と言う訳でもなかった筈だ。

『それがねぇ…』
「この男が模擬戦中のアースラの武装局員を襲撃したんだ」
「ええ!?」
「人聞きの悪い事を言うな。別に背後から忍び寄った訳でも、不意打ちした訳でもないだろう」

 クロノの怒気を孕んだ声に答える恭也の声は普段通りの平坦そのものだ。

159 小閑者 :2017/08/27(日) 18:35:37

「参加表明もしたし、あからさまに刀を構えて敵対姿勢も示したし、相手が認識したのも確認した。
 実際、彼らも初めて直ぐは躊躇していたが、最終的には全力を出していた筈だ。彼らが本気になるまで俺も躱す事に専念していたしな」
「だからと言って、彼らが自信喪失して塞ぎ込むまで追い詰めるのはやり過ぎだ!」
「それこそ俺を非難するのはお門違いも甚だしいぞ。
 模擬戦で遅れをとったのは彼ら自身の責任だ。あれが彼らの実力の全てだったとは言わないが、打ち負かした事に非があると言う理屈は承服しかねる。
 攻撃についても治療が必要になる程の負傷は負わせていない」
「それはっ…」

 恭也の台詞にクロノが言葉に詰まる。参戦そのものは恭也から押し付けたに等しいが、その勝敗の責任の所在については確かに正しい。正論だ。だが正しいからと言って納得出来るとは限らない。ただし、模擬戦が3対1だった上に当然ながら恭也が魔法を使えないため、圧倒的に優位にある筈の局員を負かした事を公然と非難出来る訳がない。尤も、だからこそ負けた局員のプライドが粉砕された訳だが。
 それでも人間は何も感じない木石でも感情の無いロボットでもないし、ましてや聖人君子でもないのだ。同僚が塞ぎ込んだ元凶が昨日医務局で暴れた人物となれば恭也への印象が良くなる事などない。今回は恭也が強引に仕掛けた事も不評を買う原因の一つだろう。

「ダメだよ、恭也君。悪い事をしたと思った時はちゃんと謝らないと」

 クロノに代わって恭也を諌める声は意外な人物から上がった。たった今事情を聞いただけのなのはだ。ただし、それはそれまでの会話の流れをまったく無視して恭也に非がある事を前提とした内容だった。隣にいるフェイトも不思議そうになのはを見ている事から、なのはの台詞こそ疑っていないながらもその根拠が分からないのだろう。
 なのはの台詞に援護して貰ったクロノを含めた恭也以外の全員が驚き注目する中、恭也はドア付近にフェイトと並んで立つなのはに背を向けたまま言葉を返す。

「…非難される要素が俺の何処にある?参戦が強引過ぎたと言うなら非を認めんでもないが、ハラオウンが咎めているのはそこではないだろう」
「そうだね。でも、私が言ってるのはその事じゃないよ。
 私はお父さんに『自分の心にだけは嘘をつくな』って言われてる。恭也君は違ってた?」

 その言葉に今度は恭也が沈黙した。この場合、“沈黙は肯定”と受け取るべきだろう。

 クロノは恭也の参戦そのものを責める積もりは無かった。なのは達との訓練内容は聞いていたし、恭也が戦う事を目的として体を鍛えている以上、必ず対戦形式のそれを必要とするのだ。だから、今回の騒動は、単純に恭也のやり過ぎが問題だと考えていた。
 しかし、なのはの台詞は恭也が故意に局員を過剰に追い詰めたか、恭也の参戦そのものが別の意図を、謝罪が必要な彼にとって後ろめたい理由を含んでいる事を示唆していた。

「なのは、どう言う事だ?彼が局員と戦った事に何か理由があるのか?」
「え?」

 クロノが自覚出来る程硬くなった声でなのはに問い質した。
 昨夜からの審問とその事実確認によって恭也が闇の書側の陣営に属している可能性は限りなく低いと結論したが、彼が意図して局員を害したとなれば“白に近いグレー”という評価が黒味を増すことになる。
 だが、キョトンとしたなのはの表情にはどう見ても『何を聞かれているのか解りません』と書かれていた。その反応にクロノが怪訝な顔をすると、リビングの入り口に佇んだままのフェイトとなのはをソファーの方へ行くように促したユーノが苦笑しながらフォローをいれた。

「クロノ、なのはは別に恭也の考えてる事を推測してる訳じゃないよ」
「どういう事だ?恭也の考えを予想できるから行動を咎めたんだろう?」
「それが勘違いなんだよ。
 なのはが指摘してるのは、行動じゃなくて今の恭也の態度だよ。ねぇ、なのは?」
「…うん。恭也君がした事が悪い事なのかどうかは私には分からないけど、後悔してる様には見えたから…」
「高町、一つだけ確認しておく。表情も見ていないのに何故そう思った?」
「え?えっと、話し方とか雰囲気とか、かな…」
「…理不尽な」

 恭也は小さく溜息を吐くと右手で髪を掻き揚げた。それは何気ない仕種ではあったが、恭也がこういった気を紛らわせる類の振る舞いをする事は少ない。その新鮮さと、物憂げな表情と仕種に、知らずなのはとフェイトの視線が釘付けになっている事をエイミィだけが目敏く気付いて浮かびそうになる笑みを苦労しながら隠していた。
 全員が静かに見守っていると、根負けした様に恭也が口を開いた。

160 小閑者 :2017/08/27(日) 18:36:09
「…ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり!?…何に対して?」

 クロノが怒りよりも疑問が先に立ったのは、クロノの描いている恭也のキャラクターから離れ過ぎていたからだ。
 悪戯のレベルならともかく、今回は陰湿と言えるレベルだし、それを屁理屈を並べて誤魔化そうとするとは思っていなかった。自分よりも付き合いの長い4人の様子を伺うと全員が驚いている事から、自分の見立てが見当違いという訳ではない様だ。
 恭也も自覚があるのだろう、酷くばつが悪そうにしている。それでも話し続けるのはなのはの指摘通り後ろめたい気持ちがあるのだろう。

「…認めたくなかったんだ。
 俺が習ってきた、…いや、父さん達が教えてくれた剣術が魔法に劣るなんて、認めたくなかった。絶対に。
 あんな事をしても意味が無い事は分かっている。
 強さなんて相対的なものだから、相性はあっても絶対的な優劣なんて存在しない。高町やテスタロッサ、ハラオウンに俺が勝てないから魔法の方が優れている訳でも、俺が他の局員を制したから剣術が勝る訳でもない。
 模擬戦の勝敗なんて当事者個人の問題でしかない、それが分かっていても我慢出来ずに勝つ事に拘った。
 八つ当たり以外の何物でもない。…無用な波風を立てた事は謝罪する」
『…それはひょっとして、今朝クロノ君から言われた『魔法が使えないから参戦を認められない』っていう、あれの所為、かな?』
「ずっと燻ってはいたんですが、まあ止めを刺したと言うならそれです」
「うっ」

 しばしば現れる現地の協力志願者を事件から遠ざける為に一番説得力のある理由としてクロノが普段から使っている台詞なのだが、今回ばかりは裏目に出てしまった。尤も、今までに内容そのものに反感を持たれたとしても、根拠を覆された事は無かったのだが。

「私、恭也に勝てたこと無いんだけど…」
「私も初めの頃はともかく、最近は負けっぱなしなんですが…」

 おずおずと挙手しながら弱々しく報告するのはフェイトとなのはだ。
 2人とも恭也を事件に巻き込みたいと思っている訳ではないが、恭也よりも強いと評価される事には物凄く抵抗感がある。

「それはお前達が態々俺の戦い方に合わせているからだ。テスタロッサはデバイスすらなかったからな」
「その代わりにあたしとフェイトの2対1だったけどね」
「それに私は近接戦闘も出来る積もりだったんだけど…」
「悪くはなかったと思うぞ?」

 恭也のフォローに対してフェイトは何とか愛想笑いで応えた。
 恭也に認められたと思えば嬉しいと思えなくはないが、恭也の動きを知っているだけにお世辞にしか聞こえない。

「何にせよ、空を飛ばれれば追撃できない事に変わりはない。ハラオウン執務官の言う通り戦力にはならないだろう」
「キョーヤも魔法が使えれば良かったのにねぇ」
「そう…、あれ?恭也は魔法が使えるかどうか確認した事あるの?」
「無いな」
「じゃあ、もしかしたら恭也君も私みたいに」
「ぶっつけでレイジングハートを託した僕が言うのもなんだけど、なのはは例外中の例外だと思うよ?」
『そうだね、残念だけど無理だと思う。昨日、医務局に担ぎ込まれた時についでに計測して貰ったんだけど、保有魔力量はFランク相当しかなかったから』
「それはどの程度なんですか?」
「11段階に分類したランクの一番下だ。
 魔法の資質は魔力量だけで決定する訳ではないんだが、魔法への変換効率や運用技術は練習量がそのまま反映されると言っても過言じゃないから初心者でそれらが高い事はまず無い」
「ちなみに管理局の平均はAランクだよ。
 なのはは認定試験を受けた事がないから正式なものじゃないけど上から4つ目のAAAランクくらいだ。フェイトは最近試験を受けて正式にAAAランクに認定されてる」

 ユーノの補足説明を聞いても、当事者のなのはに驚いた様子は無い。勿論、当然の事と受け取っている訳ではなく実感が湧いていないだけであるとこの場の全員が理解している。それに、明らかに魔導師としての資質についてが例外中の例外に分類されるなのはを引き合いに出して強調すれば恭也を混乱させてしまうだろう。

161 小閑者 :2017/08/27(日) 18:36:45
『更に付け加えるならさっきの模擬戦の相手は3人ともAランクだったんだよ?』
「敵方、闇の書の陣営は?」
「前衛の2人は推定AAAだ」
「テスタロッサと同程度か…。やはり、まともに相手を務めるのは無理と考えるべきか」

 改めて確認した事実に落胆する恭也とは対照的に、恭也の技量にエイミィは戦慄から頬を冷や汗が伝う。
 管理局には魔導師ではない局員も多いが、彼らが戦闘要員として前線に立つ事はない。局が彼らに要求しているのは指揮能力であって戦闘能力ではないからだ。
 そして、一般的に非魔導師が魔導師を制すると言えば、指揮を執る事で魔法を使えない状況に魔導師を追い込むか、局所的な戦術で遅れをとっても大局的な戦略で勝利を収める事を言う。
 恭也がしたのは、この一般論を真正面から覆す事だ。

 恭也はAランクを真っ向勝負で3人同時に下した。勿論、彼らが本来の力を発揮出来ていない事は想像できる。初見で恭也の動きに冷静に対処できる者は居ないと思ってい良いだろう。実際、恭也は昨夜AAA+であるクロノすら戦闘開始直後に撹乱する事に成功している。如何にクロノが無傷での無力化を念頭に置いていたとは言え、恭也とて殺傷する意思が無いからこそ武装しながらも徒手で応じたのだ。対峙が長引き、冷静さを取り戻すことで恭也の特性に付け入る方法を思いついたに過ぎない。
 つまり、魔導師の取り得る手段を知る恭也は、彼の戦闘スタイルを知らない魔導師を相手にする限り、付け入る隙を見出せることになる。
 更に、模擬戦では5ランクの開き、いや恭也は魔法を使えないのでFランクの資質を無視したとして6ランク差を覆したのだ。単純計算で恭也がDランクに達すれば、AAAランクの魔導師に対抗出来る事になってしまう。

『面白そうな話をしてるわね』
「かあさっ、リンディ提督…」

 話に割って入った通信者のにこやかな笑顔を見たクロノが頬を引き攣らせる。
 彼の母親は非常に有能な指揮官ではあるのだが、極稀にこの上も無く突飛な手段を思いつく面がある。ほとんどの場合にその突飛な手段が功を奏して通常よりも迅速な解決やより良い結末を迎えるのだが、堅実なプロセスを積み重ねて解決へ向かうクロノにとって胃を痛める思いばかりさせられるのだ。何より、その方針の拠り所が“勘”と明言されては、仮に長年の経験や観察眼を元にした信頼性の高い推測だったとしても、心配せずには居られなかった。
 今、空間ディスプレイ越しに彼女が浮かべている表情は、クロノに胃痛の苦しみを想起させるのに充分過ぎる威力を持っていた。

『話は聞かせて貰ったわ。
 八神恭也さん。
 模擬戦については実質的な被害も無かった事ですし不問とします。
 それから、あなたに参戦する意思があるなら、特別にこちらで魔法を使うためのデバイスを用意します』
「本当ですか!?」
『本当よ。
 あなたの資質と努力次第で飛躍的な力を得られるでしょう。
 ただし、私が実力不足と判断した場合には絶対に参戦を認めませんから、その積もりで』
「十分です。御厚意、感謝の言葉もありません」





続く

162 小閑者 :2017/09/17(日) 14:54:43
第17話 製作




「で、オメーの望みは何だ?」

 開口一番に投げかけられたその台詞には、辟易とした、と言うよりは興味なさ気な、つまらなそうな感情が込められていた。それは、声音に留まらず表情にも態度にも見て取れるのだから勘違いと言う訳ではないだろう。
 この人に頼んでホントに大丈夫かな?
 なのはとフェイトが揃って不安に駆られているのを他所に、恭也は感情を表す事無く男と向かい合っていた。



     * * * * * * * * * *



 リンディからデバイスの貸与を許可された恭也だが、その後もトントン拍子に話が進んだ訳ではなかった。
 何しろ恭也は魔道資質が低い上に、これまで一度として魔法の訓練を受けていなかったのだ。何年も先を見据えて訓練を始めるのであればまだしも、彼の目的はあくまでも現在直面している闇の書事件への参戦なのだ。
 そんな恭也に武装局員に制式採用されているストレージデバイスを持たせても当然魔法は使えない。魔法を行使するための演算をしてくれるデバイスと言えど、そもそも魔法を起動できなければ意味を成さないからだ。
 その予想は、クロノのS2Uを持たせてピクリとも反応しなかった事で裏付けが取れている。
 その結果に、当然の事と考えていたクロノ・エイミィ・ユーノと比べて、なのは・フェイト・アルフはあからさまにがっかりしていた。恭也にはそもそも魔法を起動する感覚が無いことは分かっていたので、これには確認以上の意味は無いのだが、普段の恭也が理不尽なまでにあらゆる事(主に特撮映画かCGでしか実現できない様な運動)をこなして見せてきたために、無意識の内に恭也に出来ないことは無いと思い込んでいたのだ。
 その様子を見て苦笑していた3人だが、僅かに眉を顰めている恭也に気付いて全員が驚いた。当然、魔法が発動しない事に対してだろうが、その程度で恭也が表情を崩すとは思っていなかったのだ。たとえ、事件に参戦出来るかどうかの瀬戸際だとしてもだ。
 エイミィは恭也にストレージデバイスの特性を説明し、本命である所有者の魔力を使用して自律的に魔法を発動できるAIを搭載したインテリジェントデバイスでの確認を促した。
 確認に使用したのは、なのはのデバイスであるレイジングハート。フェイトのバルディッシュを使わなかったのは、バルディッシュと恭也が初対面だったからだ。勿論、面識が無ければ出来ない訳ではないが、意思を持つデバイスである以上、普通はマスター登録を済ませた者以外に使用される事を拒む。今回はなのはからの頼みである事と、あくまでも確認だけだからこそ引き受けてくれたのだろう。だが、恭也に握られたレイジングハートが魔法を起動して見せても、恭也は納得しなかった。
 別に恭也が贅沢を言っている訳でも見栄を張っている訳でもない。戦闘で使用するなら恭也の意図を反映した魔法でなければ意味を成さないからだ。長年の付き合いを経て、阿吽の呼吸で互いの意思が汲み取れるようになっていれば未だしも、渡されて間もないデバイスのAIと即座に意思疎通が出来るようになる訳が無い。
 また、恭也のデバイスとしてではなく、魔法の使える戦闘要員としてインテリジェントデバイスを携える事も出来ない。魔力タンクとしての役割を果たすには恭也の魔力容量は小さ過ぎるのだ。

163 小閑者 :2017/09/17(日) 15:03:58

 落胆を表す恭也の姿に、クロノはふと違和感を覚えた。
 恭也の落胆は、自分が魔法を使えなかった事に対するものだ。それはつまり、闇の書事件に参戦出来ない事を悔しがっていると言う事。
 「戦力外」という汚名を返上しようとしている恭也が落胆してもおかしくは無いだろう。そう考えてみるが、違和感は拭えなかった。
 クロノは自身の勘を軽視していない。全幅の信頼を寄せるほどではないが、危機に直面している訳ではない現在、違和感の正体を突き止めるために思考を割くことを厭う理由はない。何に足元を掬われるか分からないので、今回の事件に限らず、クロノは懸念事項を極力その場で解決するようにしていた。

 もともと恭也には魔法が使えない事を理由に戦力外通告を出した訳だが、それが彼のプライドをいたく傷つけてしまった為に局員への八つ当たり紛いの行動を取らせてしまった。
 だが、本来なら咎められるべきその問題行為は結果的に彼の益となった。彼の戦闘技能を評価した提督が、戦力の向上を条件にして参戦を許可したからだ。
 しかし、そのための手段である魔法が、本人の適正の低さから足しにならないことが判明し、その事を悔しがっている。

 経緯を思い返す事で、クロノは違和感の正体に気付いた。
 クロノには恭也が事件に参戦する事に拘り過ぎている様に思えたのだ。
 汚名返上の手段としての参戦ではあるが、そのために魔法を使っていたら彼の技能、つまり彼の流派の優位性を示すと言う当初の目的は果たせていない事になる。
 まさかとは思うが、手段である「参戦」に固執するあまり目的を忘れているのだろうか?有得ないことではない。忘れがちだが彼は10歳児なのだ。目先の事に囚われたとしても何の不思議も無い。
 だが。
 正直、否定したい。したいのだが、考慮しなくてはならない。あらゆる可能性を考慮する事こそが、恭也へと何の疑いも無く信頼の眼差しを向けるなのはとフェイトに対して、彼女らの協力を得ている自分の責務だ。

 恭也の目的が事件への「参戦」だとすれば、あの「八つ当たり」はそのための布石、つまり戦力となる事をアピールするために計算して取った行動なのではないのか?
 だが、八つ当たりである事を指摘したのはなのはだったはずだ。彼女だけが気付くように演技したと言うのは無理が無いか?
 ならばもっと以前、ビルの屋上での僕との戦闘は?赤い少女とのやり取りや、仮面の男ともグルなのか?まさかとは思うが、フェイトと、いや、なのはとユーノに接触した事さえも?
 しかし、ロストロギアの誤作動に巻き込まれてこの世界に無作為転移してきた事は裏が取れているんだ。あの身の上話は事実なんじゃないのか?
 では、なのは達と知り合ったのはあくまでも偶然で、単にそれを利用しているだけ?

 自分が酷く混乱している事に気付いたクロノは大きく息を吐き出した。疑惑と証拠、状況と結果が絡まっていて、際限なく疑いが深まってしまいそうだ。

 落ち着け。
 今、一番重要なのは、彼の目的だ。
 参戦がなのは達への純粋な助力であれば問題は無い。
 …では、そうでなかった場合は?彼が、八神恭也が闇の書の陣営に属していたとしたら?



 ハラオウン家のリビングを包む奇妙な沈黙を破ったのは、デバイス貸与を認可してから通信を切っていたリンディだった。

『お待たせ。デバイスの当てが出来たわよ。
 あら?ずいぶんと沈んでるように見えるけど、何かあったの?』
「いえ、自分の不甲斐無さを痛感していただけです」

 恭也が自ら顛末を話すと、リンディが納得したように頷いた。

『そう。
 それで、どうするの?ここで諦めるのも選択肢の一つだと思うけど?』
「いえ、最後まで足掻く積もりでいます。
 一朝一夕で技能が上がる事は無いのでしょうが、座して待つことは出来ません」
『そう。
 でも、多分魔法が使えるようになるだけでは、あなたの戦力を向上させるのは難しいと思うわよ?』
「え!?どういう事ですか!?
 魔法抜きでもあんなに強いんだから、恭也君が魔法を使えるようになれば凄く強くなると思うんですけど…」

164 小閑者 :2017/09/17(日) 15:06:46
 リンディの言葉に反応したのはなのはだったが、当の本人である恭也とクロノ以外は同じ感想を持ったようだ。
 認めたくない事実だろうに、やや口篭りながらも恭也が口を開いた。

「…魔法でどんなことが出来るのか把握し切れていないが、高町の様に射撃魔法を主体とした様式では俺の戦い方に組み込めない。当然ではあるが、剣術には“射撃”や“飛行”の概念が含まれていないからだ。
 勿論、俺の魔法に高町ほどの威力があれば遠距離と近距離で使い分ければ済むんだろうがな」
『だけど恭也さんでは、たとえ攻撃魔法が使えるようになったとしても敵を打ち落とせるほどの威力は期待できない。
 やっぱり、ちゃんと分かってたのね』
「一応は。
 それでも新しく技能を身につけて、参戦出来るだけの戦力に上げて見せます」
『良い返事ね。それでこそ紹介する甲斐もあるってものよ。
 今から紹介するデバイス製作者は、私の知っている中ではいろいろと無理も聞いてくれる人で、一番上手に恭也君のような変則的な要望を適えてくれる筈よ。
 ただ、職人気質で気難しい人だから、気に入らないお客は相手にしない事もあるの。あ、媚び諂えって意味じゃないのよ?そういう人を一番嫌ってるみたいだし。
 いまいちあの人の選定基準が分からないんだけど、上手く気に入られる様に努力して』
「…わかりました。努力してみます」

 酷く漠然としたアドバイスであったが、恭也が同意した。勿論、他に返しようなど無かったのだろう。



     * * * * * * * * * *



 恭也がフェイトとなのはに連れられて訪れたのは、長閑な田舎染みた次元世界の片隅にある、民家にしては大きめな一軒家だった。
 無限書庫での事件に関わりのある資料探しを依頼されたユーノも、多数で出向くべきではないとのリンディの指摘で留守番役のアルフもいない。たった3人で初めての土地に訪れた心細さを表に出す少女達とは異なり、恭也は気後れすることも無く呼び鈴を押して来訪を告げた。
 そして、フリーのデバイス製作者の工房で、通された部屋にいた男に、自己紹介どころか挨拶も無しに開口一番に投げかけられたのが冒頭の台詞だった。

 老人の域に至ろうかという外見や面倒臭さそうな言動によって少女達から不安いっぱいの視線を浴びせられても、その男は態度を改める事も、入室直後から恭也に合わせていた視線を逸らす事も無かった。

「…聞いて貰っているとは思いますが、俺はデバイスはおろか、魔法にも馴染みが薄いんです。
 即席ではありますが概要は頭に詰め込んできましたから、具体的な表現でお願いします。
 インテリジェントデバイスかストレージデバイスかと言うことですか?」
「そんな事聞いてんじゃねーよ。
 リンディの嬢ちゃんが俺んトコに話を持って来たってこたー標準的なデバイスじゃあ役に立たねーってこったろーが。用途なのか形状なのか知らねーが、一般的なデバイスで満足できねー理由を言えってこった」

 一口に職人気質と言っても、要求されたスペック通りの製品を“賃金を得るため”に黙々と製作する者も居れば、そのスペックを要求する理由、ひいては顧客の性格や人柄を知り、“気に入った客の為に働く事”を生き甲斐にする者も居る。態度こそ客を相手にしたそれではないが、男は後者に分類されるようだ。
 別に優劣の問題ではない。賃金を得るためにも、気に入った客を喜ばせるためにも製作した品が他より優れていなくてはならないのだ。単に“仕事”と“趣味”の違いとも言える。
 仕事を請けて貰えるかどうかはこれからの会話に掛かっていると言っても良い。恭也もそれが分かっているのか、考えを纏める為に間をおいてから口を開いた。

「…守りたいものが、あります」

 恭也の答えは男の質問からはやや外れていたが、特に怒り出すことも無く会話を続けていった。

「魔法が使えりゃー守れんのか?」
「可能性が増えると思っています。
 勿論、魔法が万能でないことは知っています。それに、そもそも相手は魔法の達人で、俺には魔法の才能が欠片もありません」
「それじゃー意味ねえだろ。才能のある奴に任せといたらどうだ?」
「まず間違いなく、結果的には他の誰かが解決するんだと思います。ですが、俺自身が指を銜えて眺めている事に納得できません」
「自己満足か」
「はい」

165 小閑者 :2017/09/17(日) 15:10:00

 男の揶揄する様な言葉にも小揺るぎもしない恭也に、男の表情に笑みが含まれる。必死になって言葉を押し留めているのに、考えがありありと顔に表れている後ろの2人が恭也との落差を強調してくれるので尚更楽しいのかもしれない。
 なのはにとってもフェイトにとっても、真摯な思いを嘲笑するかのような男の態度は許せるものではなかった。それが大切な友人に対するものであれば尚更だ。それでも、声に出して非難する事を踏み止まっているのは、偏にこの家に入る直前に当の本人から口を出す事を固く固く禁じられていたからだ。

「オメーがその欠片も無い才能に縋り付きてぇって気持ちは分からんでもない。だが、縋り付く前に何かしらの努力はしてきたのか?
 それすらしてねぇってんなら、回れ右して、祈ってるだけで願いを叶えてくれる神様でも探しに行け」
「…才能が無い事に変わりはありませんが、努力を続けてきた事はあります」

 そう言いながら恭也は左の袖から鞘ごと取り出した八影を見せた。隠し持つには大き過ぎるそれを見た男は、隠し切っていた恭也の技量に驚き目を見開いた。

「剣か?」
「はい」
「そいつがオメーの住んでる次元世界の武器としては主流なのか?」
「いえ、疾うの昔に廃れています。俺の世界の優れた対人兵器といえば銃器になります」
「じゃあ、何でそいつを使わねぇ?剣だって十分に立派な殺傷力がある。遊び半分で握ってる訳じゃあねぇんだろ?」
「…憧れたんです。
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほど性能の勝る拳銃に見向きもせず、ただ剣を極めようと邁進する先達の背中に。
 助けた誰かから送られる僅かばかりの感謝の気持ちに嬉しそうに浮かべる笑顔に。
 誰かを助けるなら、これにしよう、と」
「…それがオメーの誇りって訳か」
「誇りなんてありません。どう言い繕った所で人を殺傷している事に変わりは無いんですから。
 先達の姿を格好いいと思ったから真似をしている、それだけです」
「それなら、浮気なんかしちゃ拙いんじゃねーのか?」
「別に罰則がある訳ではありませんから。
 きっと、あの人達なら魔法に頼る事無く守りきって見せるんでしょうが、残念ながら俺には無理でした。
 それなら、些細な事に拘る訳にはいきません」
「…その手、一月や二月で出来るもんじゃねぇな。
 本当に良いのか?その拘りを捨てちまって」
「俺は誰かを守るために剣を取りました。
 そして、腕が未熟なのは俺自身の責任です。
 そうする事で大切な人が助けられるなら、俺の拘りなどドブにでも捨てますよ」

 言葉に熱を込める事も感情を滲ませる事も無い恭也を見つめていた男は、そこで初めて視線を外し、悲しそうに恭也の背中に視線を投げ掛ける少女達を見やる。

 本人の口調ほど軽い決断じゃあねえな。少なくともこいつが剣に捧げてきた物は半端なもんじゃねえはずだ。
 たいしたもんだ。手段に拘って目的を果たせない奴なんざ幾らでも居るってのに。
 今まで積み重ねてきた全てを犠牲にしてでも、守りたい存在、か。
 しょうがねぇなぁ。

「いいだろう。この仕事、引き受けた」
「!ありがとう、ございます」
「そういうのは物ができてからにしろ」

 男の了承の言葉に深々と頭を下げる恭也に男は視線を逸らしながらそっけなく返す。
 その態度になのはとフェイトが顔を見合わせ微笑した。横柄な態度ばかり見せられていたので印象が悪かったが、正面からの感謝の言葉に照れている姿を見る限り、悪い人ではないのだろう。

166 小閑者 :2017/09/17(日) 15:12:05

「それで、お前さんはどんな奴がいいんだ?朧気でもなんかあんだろ」
「はい。まず、アームドデバイスにして下さい。形状は出来る限りこの刀と同じに」
「え!?…あ」

 恭也の回答になのはが思わず驚きの声を上げ、約束を思い出してバツの悪そうな顔をする。
 なのはは父や兄・姉が武器を、刀を大切にしている事を知っていた。危険物としての取り扱いという意味とは別に、自身の命を預けるものとしてとても丁寧に扱っているのだ。
 如何に剣への拘りを捨てると言ったところで、愛刀を手放すなんて想像もしていなかった。もっとも、これはなのはが本格的な、二刀を使用した御神流の鍛錬を見させて貰えていないからこその驚愕である。
 そして、初対面の男にとっても意外な回答だった。訝しむ様な表情で留めているのは、武器を消耗品と捕らえる考え方がある事を承知しているからだ。

「別にその剣を手放す必要はねえだろう?
 アームドデバイスを指定するって事は接近戦を主体にする積もりなんだろ?」
「手放す積もりはありません。
 今は一振りしかありませんが、俺の流派は二刀流、剣を二振り扱うんです」
「ええ!?」

 今度の驚きはフェイトのものだった。
 彼女は一度きりの早朝練習で徒手の恭也に惨敗を喫していた。だから、武装した恭也と対峙した事は無いのだが、一度だけ見せて貰った刀を使っての型稽古は一刀だったのだ。
 優雅な舞の様でありながら、敵の姿が幻視出来るほどの実践的な動きに、フェイトは目を奪われた。仮想の敵が、直前に素手の恭也に翻弄されていた自分とアルフだったのだから尚更だった。
 あの動きすら本来の恭也の動きではなかった事実に、もう恭也が何をしても驚くまいという暫く前からの誓いを、またも守ることが出来なかった。

「他には?」
「後は思い付きません。最初に言った通り、俺は魔法の知識がありませんから。
 目的は空中を飛び回る魔導師と渡り合う事、その一点です」
「…飛び回ってない魔導師なら渡り合える様な言い草だな?」
「これまで一度も魔法の練習をしたことも無く、魔道資質は最低ランク。そんな俺が、AAAランクの魔導師との能力差を埋める性能をデバイスに要求するのは、勝手が過ぎると言うものでしょう。
 飛び回っていない魔導師との能力差は頑張って補います」
「はぁ!?目標はAAAランクだと!?馬鹿かテメーは!頑張ったくらいで補える訳ねーだろーが!!」
「あの、それは物凄く当然の意見だとは思うんですけど…、恭也君は補えちゃうみたいですよ?」
「…あん?」

167 小閑者 :2017/09/17(日) 15:16:53

「…信じらんねぇ。
 お前さん、デバイスなんていらねえんじゃねぇの?」

 疲れ切った男の言葉になのはが口に出さずに心の底から同意する。
 男の反応は予想出来る物だったので、持参したクロノとの遭遇戦と局員3人を相手にした模擬戦のデータを見せ、それでも納得しない男を外に連れ出し、目の前でフェイトを相手に手合わせをした。
 恭也の武装は刀に見立てた工房にあった2本の金属パイプ、フェイトは当然バルディッシュ。
 結果は、

「何を言ってるんです。テスタロッサの圧勝だったじゃないですか」

という恭也の台詞通りフェイトの勝利だった。
 だが、内容が正確かどうかは視点によって異なるのだろう。少なくとも、なのはの隣で黄昏るフェイトを見る限り、恭也とフェイトの見解には高くて厚い隔たりがあるようだ。
 フェイトが受けたダメージは皆無、恭也は一発の魔力弾で昏倒しているので、恭也の意見にも一理はある。
 だが、恭也はその一発以外の射撃、斬撃、仕掛け罠、全ての攻撃を悉く躱し続けた。逆にフェイトは恭也にしこたま殴られている。それはもう嫌というほど。ダメージが無いのはバリアジャケットの性能故。
 フェイトのバリアジャケットは防御力より機動性を重視しているため、同じランクの者と比べれば確かに弱い。だが、AAAランクは伊達ではない。
 そして、恭也が敵対しようとしているヴォルケンリッターが推定AAAランクである以上、この模擬戦はそのまま実戦での結果となるだろう。

「…けどなあ、流石にバリアジャケットを破るような方法は思い付きそうにねえぞ?」
「いえ、そこまでは望みません」

 バリアジャケットを纏った魔導師にダメージを与える方法は2つ。
 属性か純粋な威力でバリアジャケットの性能を上回る攻撃を放つか、バリアジャケットそのものを無力化するか。
 どちらも簡単に実現させる事は出来ない。出来るならば魔導師の優位性がここまで高く評価されてはいないだろう。

「俺が欲しいのは空中にいる魔導師に近付く手段です。
 テスタロッサは基本的に接近戦を主としているので接点がありましたが、遠距離攻撃を主とする者もいますし、近接戦闘者だとしても頭上を支配されると圧倒的に不利になりますから」
「そうは言っても、高速移動する高位魔導師に追いつくのは簡単なこっちゃねえぞ?」
「ですが、同じ相手と何度も対戦することはあまり無いはずです。
 程度はともかく空を飛ぶ手段があれば、やりようによっては騙す事が出来るかもしれませんし、少なくとも警戒させることは出来るでしょう」
「確かにな。特にお前さんの戦い方なら、敵が順応して対応策を模索する前に潰せるって訳だ。
 攻撃さえ通用すれば、だが」

 男の指摘は尤もだ。
 少なくともフェイトとの模擬戦を見た者ならば、空を飛べない事よりも余程明確な欠点に見えたはずだ。

「攻撃が効かない事については、最悪、時間稼ぎの足止めに専念すれば、なんとか」
「そう甘かぁねえだろ。
 効かねえ事がばれりゃあ、お前さんの攻撃を無視して突っ込んで来るぞ」
「そうでしょうね。
 ですが、直撃させなければ威力が無い事はばれず、警戒させる事が出来ます」
「理屈だな。だが、そう上手くいくかい?」
「少なくとも、ハラオウン執務官とアースラでの模擬戦の相手には有効でした」
「あん?…まさか、あの対戦者がギリギリで凌いでた様に見えた攻撃は、お前さんが加減して凌がせてたってえのか!?」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「…ええ、まあ。
 念のために言っておきますが、余裕と呼べるほどの力量差があった訳ではありませんよ?“2撃で体勢を崩して3撃目を入れる”という組み立てをやめて、全て1撃で捉えようとしただけです。
 恐らくは魔力弾を躱す体術があるせいで、当たりさえすれば攻撃にも相応の威力があると思い込んでくれるんでしょう」

168 小閑者 :2017/09/17(日) 15:17:59
 クロノとの遭遇戦において、恭也の出鼻に放った蹴撃がクロノの鳩尾にモロに命中している。本人の言葉を信じるならば、その初撃でダメージを与えられなかった事を見て取った恭也が以降の攻撃をギリギリで躱せる物に抑えていた事になる。
 恭也の台詞を冷静に聞いてみれば、攻撃を躱させるのはあくまでも威力の低さを隠すための苦肉の策であると分かる。それは先程の模擬戦でフェイトにダメージを与えられなかったことで良く分かる。
 だが、対戦したフェイトは勿論、観戦していたなのはでさえ、恭也が実力を隠すための言い訳にしか聞こえなくなっていた。
 そして、剣術どころか剣道すら知らない3人は気付かなかったが、たった3撃で捉えられる事が、既に圧倒的な実力差なのだ。
 ちなみに、早朝練習時に恭也から攻撃を仕掛けた事はなかった。近付くことが困難だった事もあるが、いくらバリアジャケットの存在を説明された所でなのはやフェイトを殴り飛ばす事に抵抗があったのだろう。万が一にでも怪我を負わせる訳には、と言う訳だ。
 2人が習得しているのが魔法ではなく何らかの武術であったならば、訓練過程での負傷はあって然るべきものとして気にしなかっただろうが、恭也にとって“魔法”の位置付けが明確になる前だった事が要因だったのだろう。

「何れにせよ、明日にでも力が必要になる可能性があるんです。万全など望むべくも無い。
 同じ舞台に立てるならそれ以上の贅沢を言う積もりはありません」
「そこまで急ぐのか?
 だが、リンディの嬢ちゃんなら速攻で必要な材料は揃えてくれんだろうが、製作時間だけでもけっこうかかるぜ。
 取り敢えず、どんくらい時間が掛かるか試算してみるから、ちっと待ってろ。
 ついでに必要なモンの洗い出しと在庫の確認か」

 言い終えると男が席を立った。言葉通り在庫の確認に向かったのだ。

「手伝える事はありますか?」
「今んトコねぇよ。
 少し掛かるだろうから、そこらに適当に座ってろ。飲み食いしてぇならそっちの奥に台所があるから勝手に漁れ」
「ありがとうございます」

 恭也の謝辞を最後まで聞く事無く、扉が閉まった。
 勿論、恭也の謝辞は男の配慮に対するもので、本当に台所を漁ったりする事は無い。
 扉が閉まると、部屋には落ち込んでいるフェイトと彼女を宥めるなのは、そして緊張を解くように静かに、しかし大きく息を吐き出す恭也だけになった。



     * * * * * * * * * *



「提督、少し宜しいでしょうか」
「ええ、入って」
「失礼します」

 クロノが許可を得て入室したのは、リンディの執務室だ。
 クロノは自室に戻り、先刻抱いた恭也への疑念を整理すると、リンディに恭也の身辺調査を提案するためにやって来た。
 だが、そこにはリンディの他に予想していなかった先客がいた。

「おお、クロスケ!」
「久しぶりね」
「げっ、ロッテにアリア!」
「ほほ〜。
 久しぶりに会った師匠に対して随分なご挨拶じゃないか」
「これは久しぶりに師匠への接し方って奴を、みっちりと体に教え込む必要があるみたいだね」
「コ、コラ、近寄るな!纏わりつくな!!服を脱がすなー!!!」
「あらあら、愛されてるわねぇ、クロノは」
「笑ってないで止めて下さい!」

 クロノにじゃれ付いている2人の先客は、どちらも公私共に何かと世話になっているギル・グレアム提督の使い魔だ。そして、本人たちの言葉通りクロノの師匠でもあり、リーゼアリアが魔法を、リーゼロッテが体術をクロノの体に文字通りの意味で叩き込んでいる。
 また、2人が獲物を嬲って遊ぶ猫を素体としている事が関係しているのか、頻繁にクロノをからかって遊んでいる。生真面目なクロノが一々反応するため、悪戯に拍車が掛かる傾向にある。
 クロノにとっては、管理局員としても先輩に当たるため、3重の意味で頭が上がらない存在だった。

169 小閑者 :2017/09/17(日) 15:19:20
「それで、クロノの用件は何かしら?」
「ハァハァ、八神恭也の転移後の生活範囲について再調査を提案します」
「…それは闇の書との関わりについて、と言う意味ね?」

 クロノがなんとか2人を振り払うと、リンディの問い掛けに対して率直に提案した。

「恭也さんが異次元漂流者である事は間違いないようよ?
 それでも調査を再開する理由は?」

 民間の協力志願者についての身元調査は当然行う。管理局への入局志願者と同程度、と言うほどの労力は割かないが、担当している事件との関連性についてはそれ以上に厳重に行う。
 ただし、身辺調査と言ったところで、調査対象が管理外世界の出身であった場合、それまで過ごした年月を日毎に確認する事も、接触のあった全ての人物とその背後の繋がりを確認する事も実質的には不可能だ。思想や習慣に関連する行動範囲や、所属する団体の調査が限界なのだ。
 そして、調査範囲も基本的にはデータベース上に存在するものまで。存在さえすれば、技術力の差から大抵の管理外世界のデータは確認できる。
 恭也の場合は状況が特殊ではあるが、それでも協力の申し出を受け入れたのは、同情や憐憫、何より負い目が含まれていなかった訳ではないが、当然それだけではない。
 まず最初に、恭也自身とは別に事件の背景について。
 1つは、この第97管理外世界で過去に次元犯罪に関わる組織の存在が確認されていない事。勿論、今まで無かったから今も無いとは言えないが、「見つかるまで探し続ける」などという事は出来ない。管理局に限らず治安機構の活動が対処療法になるのは宿命とも言える。
 もう1つは闇の書の陣営が組織だった活動をしていない事。何処かの組織の中枢だった人間が主に選ばれれば話が変わってくるが、そうであるなら今までの蒐集活動を守護騎士だけで行ってはいなかっただろう。
 次に、当然恭也自身について。
 仮に彼が転移前に何処かの犯罪組織と繋がりがあったとしても現状では連絡を取り合う手段がなく、また、この事件に絡む可能性は考え難い。
 そして、既に恭也が転移後に暮らしていた八神家についても調査は終了していた。調査結果は、恭也を迎え入れた事からも分かる通り“シロ”。
 八神家の構成は9歳の少女1人きり。両親は数年前の交通事故で他界しており、親類はなし。それが、戸籍や病院の記録から判明した八神家の全てだったのだ。

 クロノが自分の気付いた恭也の言動の矛盾と意図的に行動している節がある事を説明すると、リンディは驚く様子を見せる事無く頷いて見せた。

「なるほど。
 つまり、あなたと同じ結論に至って恭也さんを疑う人が現れる前に彼の潔白を証明しておきたいのね」
「…どう聞いたらそういう結論になるんですか」

 同じ内容ではあるのだが、視点を変えただけでニュアンスが180度反転している。
 勿論クロノにも、リンディが自分をからかうために態とそういっているんだという事は分かっている、という事にしておいた。その考えが無かった訳ではない事を認められない程度には、男としての矜持を持ち合わせていた。

170 小閑者 :2017/09/17(日) 15:20:17
「照れてる照れてる」
「やーさしいなぁクロスケは」
「勝手な事言うな!
 …提督も同じ結論ですか」

 クロノが見る限り、リンディが驚かないのは“納得”というより“予想通り”というニュアンスだった。
 勿論、意外だとは思わない。自分が気付く事にリンディが気付いていない事はそれほど多くない。

「私が気になったのは、元の世界の縁故が一切無くなったと言っているのに、命懸けで守りたい人がいるこの世界に留まる意思を見せない事ね。
 余裕が無いせいで思いついてないって可能性もあるし、否定はしていたけど元の世界に戻りたいと思わせる誰かがいるのかもしれないから決定的ではないけれど。
 それに、昼間恭也さんに状況説明をしていた時、過去の闇の書事件の顛末を聞いて酷く驚いていたでしょ?
 暴走による被害が広範囲に渡る事を知って八神さんを心配したのかもしれないし、事件の問題点が襲撃とリンカーコアの蒐集だけだと思っていたからかもしれない。でも、私には書の主の身を心配しているように感じられたわ。訓練場に押し掛けたのもその後だしね。
 あと、恭也さんが恩を受けたと言っている相手が何時も複数の人を指している事もね。もっとも、八神さんの家は両親が他界していて女の子1人だけだから、世話をしてくれる誰かが居ても不思議は無いんだけど」
「そう、か。言われてみれば確かに不自然ですね。
 ですが、気付いていたのに何故彼の参加を認めるような事を言ったんです?確認が取れてからでも遅くは無かったでしょう」
「不自然と言ってもそれほど強いものではないし、管理局が彼に負い目がある事は事実ですもの。
 それに彼が本当に闇の書と関わりがあるならこちらが疑っている事を気付かれない方が良いわ。
 ヴォルケンリッターは間違いなく強敵ですもの。なのはさん達が実力をつけたとは言っても、拮抗出来るようになっただけ。天秤がどちらに傾くか分からない程度の力関係ですもの。
 数で押せるとは言っても危険は少しでも減らしたいのが本音だわ」

 魔導師の実力は高性能なデバイスを装備すれば自動的に上がる訳ではない。道具とは担い手の実力を引き出す事はあっても、底上げはしてくれない。
 金に飽かして手に入れたデバイスに振り回される高官の子息の姿は陸士訓練校の入校直後の風物詩として親しまれている程だ。
 なのはとフェイトがカートリッジシステムにより出力の上がったデバイスに振り回される事無く、完全に魔法を制御下において見せた事でも分かる通り、システム搭載前のデバイスには2人の能力を引き出しきれていなかった事を示している。
 だが、能力の上がった彼女達でさえ、客観的に見て“拮抗”だ。リンディの懸念は当然のものだろう。
 総合力で勝るとは言ってもそれは犠牲を前提にしたものだ。単一戦力として見た場合、アースラクルーの大多数は守護騎士に瞬殺されかねない程実力に開きがあるのが現実だった。

「ロッテ達に頼む積もりですか?」
「もう了解は得られたわ」
「ま、当たりを引いたら漏れなくAAAランククラスの魔導師4人に囲まれて歓迎されるとなれば、流石に通常の武装局員では手に余るだろうしね」
「私達だって馬鹿正直に正面から訪ねていけばあっさり潰されるのは目に見えてる。
 いや、潰されればまだマシか。逆に隠れていることにも気付かずに素通りさせられるのが一番まずいわね」
「だが、ハズレの可能性の方が高いんだ。存在しないのを上手く隠れているからだと思い込めば永遠に探し続ける事になる。
 君達の力を遊ばせておけるほど現状に余裕は無いんだ。見切りをつけるタイミングを間違えないでくれよ」
「分かってるさ」

 リーゼロッテはクロノに返事を返しながら、目配せをしてきたリーゼアリアに頷いて返す。

171 小閑者 :2017/09/17(日) 15:20:59
 危ないところだった。あの男の存在によって計画が大きく揺らいでいる。アリアが記憶を覗いて確認しているので、あの男があくまでも偶然彼女たちと関わりを持ったのだと言う事は分かっているが、それだけの事でここまで計画に狂いが生じるとは想像も出来なかった。
 もともと綿密な計画など立てようがなかったため、自分たち2人がイレギュラーに対して迅速に対処していく事にしていた。実際、一月ほど前にあの男、恭也が現れるまでは大きな狂いもなく進んでいたというのに。
 事がここまで進んでしまえば、恭也を排除するのも状況的に難しくなってしまったため、皮肉な事に彼の行動の尻拭いまでする羽目になっている。リンディの提案がなければこちらから不審な点を上げて、調査を買って出るという不自然な行動を取る事も覚悟していたのだ。逆に自分たちの登場が遅れていたら、クロノ自身が調査に出向き、守護騎士の存在が露見していた可能性もあったのだ。
 絶妙のタイミングだった事を思えば、まだ完全にツキに見放された訳ではない。

<ロッテ、気を抜かないで>
<分かってるって。こんなところで尻尾を掴まれたりしないさ>
<そうじゃない。タイミングが良すぎる事を疑えって事。
 リンディにとってもこのタイミングで現れた私たちは不自然に見えるはずよ。
 調査を振ってきたのも釜掛けの可能性があるわ>
<リアクション次第では疑われるって事か。最近はクロノも勘が働くようになってきたみたいだし、油断は出来ないね>
<父様の苦渋の決断なんだ。絶対に失敗は許されない>
<分かってる>

 自分達の主であるギル・グレアムが11年前の事件を悔いて下した苦渋の選択。それが決して正しい事ではないと分かっていても、悲しむ人間を最低限にするためには必要な事だと信じた。ならば自分達は使い魔として主の願いを叶えるために尽力するのみだ。




 それぞれの思惑が絡み合いながらも、時は止まる事無く進み続ける。



     * * * * * * * * * *



 男が試算を終えて部屋に戻ると、結局立ったままの3人に出迎えられた。
 栗色の髪の少女の目が赤みを帯びている事から、先程聞こえてきた泣き声がこの娘のものだと察する事が出来た。
 険悪な雰囲気も無く、来訪時に感じた張り詰めた気配が消えた事からすれば、何かしら心配事が片付いたのだろう。内容がこの少年に関する物だろうと思えるのは単なる当てずっぽうだが、外れてもいまい。
 金髪の少女も模擬戦で受けたショックからは立ち直っている様だ。この短時間で回復できるほど軽いものだとは思えなかったが、現実との折り合いは付けられたのだろう。
 上手いフォローが出来たのか、既に慣れていたのかまでは分からないが、何れにせよ余程少年に心を許していなくてはこうは行くまい。

「随分、賑やかだったじゃねぇか」
「すみません」
「バーカ、ガキが気ぃ使ってんじゃねぇ」

 子供は元気であるべきだ。
 面識の少ない者からは誤解されがちだが、男は子供好きなのだ。態々誤解を解いて回る積もりはないが、隠す積もりも無いのである程度親しくなった者は察している様だが。
 幼い子供があらゆる面で未熟である事は当然だと思っている。経験不足なのだから当たり前だ。
 同時に男は相手の年齢が低いからといって侮ることも無かった。今、目の前にいる3人は対等に扱うに足る人格を持っている。

172 小閑者 :2017/09/17(日) 15:21:44
「気のせいか、随分楽しそうに見えますが、何か良い事がありましたか?」
「そう見えるか。
 どんなデバイスにするか構想を練ってみたんだが、なかなか面白いモンに仕上がりそうだからよ。
 お前さんの剣は隠し武器とか仕込んであるか?」
「いえ。
 これには確実で堅牢な基盤としての役割を求めていますから、奇をてらう様な仕掛けはありません。
 出来ればデバイスもその方向でお願いしたいのですが」
「クックック、そうだろうそうだろう、それで良い。
 デバイスってのは、本人の能力を引き出すためのモンだ。縋り付く為のモンでも装飾品でもねぇ。
 最近はそんな事も忘れて不相応な性能やら無意味な機能やら付けて喜んでやがる連中が多過ぎる。
 シンプル イズ ベスト!
 今回のコンセプトはこいつだ。スペックの全てをお前さん固有の戦闘スタイルを引き出す事に注ぎ込んでやる!」

 フェイトと恭也の模擬戦を見た時には、完成された彼の戦闘スタイルに介入できるのかと懐疑的だった。芸術的な絵画に色を足して完成度を高めるなど普通は有得ない。
 単純に魔法技能を高めるだけであればどうとでもなる。現状が“0”なのだからどれだけ小さな増加量でも倍率としては無限大だ。
 だが、恭也が求めているのは魔法技能ではない。戦闘能力を高めるための手段としての魔法だ。
 しかし、だからこそ遣り甲斐がある。彼の技能を高められればどれほど爽快だろうか。

「製作には最低でも三日は掛かりそうだ。
 完成を急かすからには、お前さん時間は取れんだろうな?
 試作の度に調整が必要になんだから、完成するまで泊まってけよ?」
「それで短縮できるなら、異存ありません。
 聞いての通りだ。運んで貰っておいて悪いが、今日は帰ってくれ。デバイスが完成したら連絡する」
「うん。
 恭也君、無理しちゃだめだよ?」
「高町の方こそ、今日はちゃんと寝ろ。
 テスタロッサも突然の模擬戦で悪かったな」
「いいよ。
 良いデバイスが出来るといいね」
「ああ」



続く

173 小閑者 :2017/09/17(日) 15:25:38
第16.5話 共感



 艦船アースラで境遇を語り終えると同時に心労で倒れた恭也を残し、リンディに送られて高町家に帰宅したなのはは、深夜になっても眠れずにいた。

 いくらリンディに送って貰ったとは言え、普通なら間違いなく叱られる時間帯に帰宅したにも関わらず、母・桃子が注意を促すに留めていた事を考えれば自分は余程酷い顔をしていたのだろう。
 食欲も全く湧かず、「寝る前に食べたお菓子でお腹がいっぱいだから」という苦しい言い訳にも、母は疑問を返す事無く頷き、今日は風呂で体を暖めて早めに寝るようにと勧めてくれさえしたのだ。
 だが、母の気遣いに心の中で感謝しながらベッドに潜り込んでも一向に眠気が訪れる様子はなかった。戦闘による気分の高揚など当の昔に消え失せているし、高い集中と極度の緊張による疲労は間違いなく体に蓄積されていると実感できるが、それでも目が冴えてしまっていた。
 理由もちゃんと分かっている、恭也の事が気になっているのだ。

 リンディには恭也の事はアースラスタッフに任せて今日はゆっくり休むようにと言われている。なのはにも今の恭也にしてやれる事が無い事は分かってるが、だからといって感情を納得させる事など出来る訳ではない。
 ただ、なのは自身も自分の感情を測りかねている部分があった。倒れた恭也が意識を取り戻す前に帰宅したため、恭也の体を案じている積もりになっていたが、親友のアリサが風邪で倒れた時と違う気がするのだ。
 そこまで進めた思考をなのはは意識して停止させた。その先は何かとても怖い事のように思えたのだ。
 次にヴィータ達を捕捉出来るのが何時になるか分からない以上、常に万全の体勢を保つべきだ。
 意識が脇道に逸れないように、その建前に縋り付いて眠りに付こうと目を閉じていると、両の拳を血に染めて、感情を噛み殺す様に歯を食いしばり、力の限り壁を殴りつける彼の姿が鮮明に脳裏に蘇った。


 気が付くと母に抱きしめられていた。
 不思議に思って母の顔を見上げると、ほっと胸を撫で下ろしながら優しく微笑んでくれた事に心の底から安堵した。母の肩越しに家族3人の姿も見えた。
 聞いてみると、自分の悲鳴が聞こえたので駆けつけたら、泣きながら縋り付いてきたのだそうだ。言われて漸く、母の胸元が濡れている事に気付いた。広がり具合からすると、かなり長い間泣き続けていたのだろう。
 流石に恥ずかしくなって俯くが、まだ離れる事は出来なかった。柔らかな胸に包まれて髪を撫でられていると安心できた。
 父や兄姉ではなく母に抱きついていると言う事は、きっと帰宅後の自分の様子を心配して部屋のそばに居て、真っ先に駆けつけてくれたのだろう。夜間の鍛錬に出かけている時間帯に父達が居るのもきっと同じ理由からだ。そう思い至るとまた、涙が溢れた。
 先程なのはが怖くなって目を背けようとしたのは、恭也はこんな存在を永遠に失くしてしまったという事実に思い至ろうとしていたからだと気付いた。

 家族を失くしたという点ではフェイトも同様だが、プレシアはなのはの目から見る限り「母親の姿」からかけ離れていたため実感が湧かなかった。打ちひしがれるフェイトの姿に心を痛めはしても、それがどれほどの辛さなのか想像しきれなかったのだ。
 だが、恭也の家族はなのはも知っている。厳密には桃子との再婚前であるため共通の家族は士郎だけで、恭也にとって美由希は従兄弟なのだが、その2人を通してその先の家族がイメージできる。そのイメージが合っているかどうかはともかく、イメージを持った事で恭也の境遇に共感することが出来てしまった。

174 小閑者 :2017/09/17(日) 15:27:01

 家族が就寝し静まり返った高町家で、なのはは1人で自分の部屋のベッドで横になったまま恭也のことを考えていた。
 桃子や士郎から一緒に寝るように誘って貰ったが、なのははやんわりと断った。
 普段から両親の布団に潜り込む事はあったため、添い寝をして貰うこと自体には抵抗は無い。アリサに知られるとお子様呼ばわりされるため頻度は下がったが、なのは自身は両親と一緒に寝るのは好きだったし、両親よりも更に頻度は少ないが、兄・恭也あるいは姉・美由希と一緒に寝ることもあった。
 なのはを気遣っての誘いを断ったのは、恐らく今日は眠る事が出来ないだろうという予感と、1人で考える時間が欲しかったからだ。
 考え事とは勿論、八神恭也に何をしてあげられるのか?だ。

 誰かに相談することも考えた。子供であるなのは一人で考えるより余程しっかりした答えが得られるだろう。
 兄である高町恭也に意見を聞くことも考えた。なのはは、既に八神恭也の事を一個人として認識してしまっているため高町恭也と同一人物と言われてもピンと来なかったが、それでも意見を聞く相手としてはうってつけだろう。
 しかし、それらの選択肢を捨てて一人で考える事を選んだ。
 恭也の家族を取り戻す方法が無い以上、それ以外の行動は気休めでしかない。正解足り得ないのであれば、初めから相談するのではなく、自分の意見を纏めてからにするべきだ。その方がきっと恭也に喜んで貰えるだろう。

 周囲に精神年齢の高い者が集まるため、普段の言動から幼く見られがちななのはだが、そんな考え方が出来る程度には子供らしくない聡い少女だった。



 翌日。
 結局、予感が的中して一睡も出来なかったなのはは登校はしたものの授業に関する記憶がまるでなかった。登校途中に出会ったフェイトに恭也の様子を聞き出して安心した後、いつの間にか放課後になっていた。やはり小学生の身に徹夜は堪えた様で、居眠りこそしていなかったらしいのだが意識は完全に飛んでいた。

 帰宅すると荷物だけ置いて、ユーノと共にフェイトについてハラオウン家に訪れた。
 クロノに非難されていたため少々険悪な雰囲気ではあったが、昨夜の様子を引きずる事無く力を取り戻した恭也の姿を見た事で随分と安心できた。
 条件次第で恭也が参戦できるようになった事に驚きながらも、恭也が活力を取り戻そうとしている事が純粋に嬉しくもあった。その内容が少々殺伐としている気もするが、昨夜の様子と比べればどんな形であろうとやはり嬉しい。

 だが、恭也が元気になると、周囲の人間が凹むように出来ているのか、デバイス製作者に模擬戦を見せた後にはフェイトが黄昏ていた。リンディに紹介されたデバイスマイスターが家の奥に入っていった後になのははフェイトに話しかけた。

「フェイトちゃん、そんなに落ち込まなくても…」
「なのは〜
 だって、やっとシグナムとも互角に戦えるようになったと思ったのに、恭也には全然敵わないんだもん。
 バルディッシュが危険を承知でパワーアップしてくれたのに、私は全然バルディッシュの思いに応えられてない。
 私、弱いんだ…」
「たわけ」ッズビシ!
「キャウ!?」

 落ち込んだ気分と共に俯いていたフェイトの顔を持ち上げるように、恭也の左手の中指が額に炸裂する。

「〜〜ックゥーー」

 言葉を纏める余力の無いフェイトは、涙を溜めた瞳で襲撃者に抗議を訴えるが、当然の様に受け流された。

175 小閑者 :2017/09/17(日) 15:29:30

「阿呆が。それが勝者の台詞か」
「うぅ、だってあんなのどう見たって恭也の勝ちじゃない。
 きっとシグナムも恭也と戦う方がいいって言うよ」
「敵の機嫌を伺ってどうする。そして俺を殺す気か?
 だいだい、決着がついた時点で気絶していた俺と無傷のお前を並べれば勝敗など一目瞭然だろうが」
「だって、私は恭也の攻撃をほとんど躱せなかったんだよ!?恭也が今回初めて本気を出したのは分かったけど、今までこんなに誰かから攻撃を受けたことなんてないよ!」
「恭也君、ワザと避けられる攻撃をしてたって本当なの?」
「攻撃が効かない事は分かっていたからな。敵を殴ってばらす訳にはいかんだろ」

 “ギリギリで躱す事に成功しているから敵からダメージを受けていない”のと“敵の攻撃が弱過ぎて喰らってもダメージを受けない”のとでは意味が全く異なる。防御・回避を考慮する必要がなければ、その分攻撃に力が注げるのだから当然だ。
 拳銃を持った敵を牽制するには、自分の持つモデルガンを本物だと思わせなくてはならない。それには、チラつかせることはしても、弾を命中させて威力を実感させるなど論外だ。

「でも、恭也に攻撃力があったら、私なんて手も足も出ないよ…」
「…その言い方をするなら、テスタロッサに攻撃を当てられる技能や精度があれば完璧な訳だ」
「そんなの簡単に身につく訳無いよ…」
「俺にバリアジャケットを抜ける攻撃力が簡単に付くとでも?」
「それは、…恭也が魔法を使えるようになれば…」
「その魔法の才能が無い事が、目下のところ最大の問題になっている訳だ」
「…ごめんなさい」

 フェイトも自分の台詞が無い物強請りでしかないことに気付ける冷静さが戻ると、その内容が恭也のプライドを傷付ける類であることに思い至った。
 異様なまでの回避能力で忘れがちになるが、恭也の攻撃の性質は純物理的なものだ。高位魔導師の纏うバリアジャケットで防ぐ事は難しい事ではない。

「…でも、その、恭也、ホントに全力で攻撃してる?」
「フェ、フェイトちゃん?」
「ほー。
 フェイト・テスタロッサ様にとっては周囲を羽虫が飛び回っているようにしか感じないから、手を抜いているんじゃないかと。そう言いたい訳だ?」
「ちちちち違うよ!!そういう意味じゃなくてっ、剣のことみたいにまだ隠してるんじゃないかって!」
「あ、それはありそう」
「そうだよね!ほ、ほら、なのはだってそう言ってるよ!?」
「言質をとって仲間を増やしたか。1対2だからといって手を緩めると思われているとは心外だな」
「待って待って待って!2回もされたらおでこが割れちゃうよ!」
「安心しろ。3回目までは骨に皹が入らないのは実証済みだ」
「4回目で皹が入ったの!?まままま待って!恭也君指を構えながら近付いてこないでぇ!!」
「誰か助けてぇー!」
「お前たち、他所様の家で騒ぎ過ぎだ。少しは落ち着け」

 散々怖がらせておきながら、あっさりと態度を翻す恭也に恨みがましい視線が寄せられるが、勿論恭也には通じている様子が無い。そして、下手に抗議すれば「確かに中途半端は良くないな」などとデコピンの恐怖が復活しかねない。なんて理不尽な。

「もぅ。それでホントに隠してる事は他にないの?」
「疑い深いじゃないか。人を信じる純粋さを忘れてしまうとは寂しいことだな」
「そ、そんなの恭也のせいだよ!」
「そうだよ、フェイトちゃんはとっても素直な良い子だったんだから!」
「なるほどな。
 今のテスタロッサが人の言う事を信じない悪い子になった事を高町も認めている様だから言っても仕方ないかもしれないが、隠している事はないぞ」
「なのはぁ…」
「ち、違うよ!?今のは言葉の綾で、フェイトちゃんは今だって素直な良い子だよ!」

 半泣きのフェイトに必死になって前言を訂正するなのは。揚げ足を取って引っ掻き回した元凶は楽しそうな仏頂面で眺めている。

176 小閑者 :2017/09/17(日) 15:31:45

「もう、恭也君!どうしてフェイトちゃんを苛めるの!?」
「そうは言われてもな。あんな事を言われたら少しくらい反撃したくなるのが人情というものだろう」
「そ、そうりゃあ、さっきの言い方はフェイトちゃんにも悪いところがあったとは思うけど…」
「そんな生易しいものではないぞ。
 俺が高町との練習で毎回自分の非力さにどれほど打ちひしがれていると思っている。毎夜毎夜悔し涙で枕を濡らしているんだぞ?」
「え…」
「あ、ご、ごめんね?私、恭也君がそんなに気にしてたなんて知らなくて…」
「知らなくて当然だろう。
 嘘なんだから」
「な!」
「…恭也!」
「2人ともまだまだ素直な良い子な様で安心した」

 誤魔化すために頭を撫でられているだけなのに恭也の手を振り払えない。その事実がなのはの頬を膨らませる。
 だが同時に、恭也にからかわれている事に安堵もしていた。
 数日前のフェイトを交えた早朝訓練以降、恭也が冗談を言っている姿を見た覚えが無かったからだ。いくら早朝訓練から昨日の夜にビルの屋上で遭遇するまで顔を合わせていなかったとは言え、恭也の境遇を聞いた今、たとえ毎日顔を合わせていたとしてもそんな余裕など無かったのではないかと思ってしまう。
 だが、冷静に考えれば恭也は随分前からその境遇にある可能性に気付いていたのだから、ここ数日だけ落ち込んでいた訳ではないはずなのだ。
 なのははフェイトとなかなか逢えなかっただけで、あれほど寂しいと思っていた。昨夜など大切なアリサやすずかといった友人どころか、大好きな家族にまで2度と会えなくなることを想像しただけで泣き出してしまった程だ。
 そんな事を考えていると、恭也の戸惑いがちな視線に気付いた。

「…あ〜、やり過ぎたか?
 デバイス製作を引き受けて貰えて少々浮かれていた様だ。済まん」
「あ、なのは…」
「え?っあ、違う、違うよ!これはそんなんじゃないの!恭也君の所為じゃないから!」

 恭也の表情が翳る僅かな変化を敏感に感じ取ったなのはが目に溜めた涙を拭いながら慌てて否定した。だが、慌てれば慌てるほど溢れる涙が止まらなくなる。
 恭也の喜びに水を差している事が悲しくて、これを切っ掛けに境遇を思い出させてしまう事が怖くて、その境遇の過酷さに絶望して。
 何時からか、なのはは声を上げて泣いていた。既になのは自身にも何に対して泣いているのか分からない。困惑し、声を掛けることも出来ないフェイトに見守られながら、ただ只管、抱えきれない感情を吐き出す為に、弱々しく掴んだ恭也の胸元に額を押し付けて、声を上げて泣いていた。

「…心配を掛けたようだな。
 大丈夫だ。俺は、平気だ」

 肩に手を添え、空いた手で頭を撫で続ける恭也が、そんななのはを見守り続けた。



つづく

177 小閑者 :2017/09/18(月) 19:48:20
第18話 宣言




 恭也がデバイスの製作のために異世界へ行って二日が経った。予定では今日の夕方には恭也のデバイスが完成している筈なので、学校が終わったら状況を確認してなのはとフェイトで恭也を迎えに行く事になっている。
 フェイトは前日まで普通に過ごせていたが、三日目の今日は朝から落ち着けなかった。それはなのはも同じようだが、この二日間ずっと心ここに在らずでぼんやりしていたなのはほど酷くは無いだろう。

「あんたたち、なんかあったの?ここんとこずっと変よ」
「そうだね。フェイトちゃんはうっかりやさんに拍車が掛かってたし、なのはちゃんは何時も以上にぼんやりしてたよね?」

 …大差は無かったようだ。
 だが、恭也本人から内緒にしているよう頼まれているので話す訳にもいかない。別に恥ずかしいからじゃないんだよ?

「まさか、男じゃないでしょうね?」
『え!?』
「…そうなの!?」
「あ、あんた達、何時の間にそんな相手見つけたのよ!?」
「ち、違うよ!そんなんじゃなくて!」
「そうだよ!あの、えっと、ちょっと心配な事があって、今日その結果が分かる予定だから落ち着かないだけだよっ」
「怪しいわね」
「怪しいね〜」

 アリサだけでなく、普段ならアリサを抑えてくれるすずかにまで言われると圧倒的に劣勢になってしまう。
 フェイトはなのはとアイコンタクトを交す。大好きななのはのためならどんな苦労も厭う積もりはないし、今回に至っては利害まで一致しているのだ。1人では敵わない強大な難敵であっても2人で意思を揃えて立ち向かえば、きっと大丈夫だ。

「そ、そろそろ次の授業が始まるよ!」
「そうだよね!早く準備しないと!」
「…それで逃げれた積もり?」
「まあまあアリサちゃん。まだ、1時間目が終わったばかりなんだし」

 団結した2人が足並み揃えて背中を見せて全速で逃走しようとすると、すずかが助け舟を出してくれた。瞬殺するのと包囲網を狭めて少しずつ確実に刈り取るのと、どちらがより残酷なのかは考えない。先の不安に脅えるよりも現時点での無事を喜ぶのは、きっと正しい事だと信じたい。
 その判断は正しかった。結果的に、敵前逃亡して時間を稼いだ事が功を奏してアリサ達の追及を躱しきる事に成功したのだ。
 予定より半日早くデバイスの完成した恭也をアルフが迎えに行く事になったと授業中に念話で聞いて、酷く落ち込んでしまった2人にアリサ達の矛先が鈍ったから、という不本意な理由だったが。

「あんな抜け殻みたいになられちゃ、流石に追求できないわよ」
「何があったか知らないけれど、凄く楽しみにしてた事を横取りされちゃった様に見えたわ」

 それが後日聞いた2人の感想だったそうだ。

178 小閑者 :2017/09/18(月) 19:49:42


 時空管理局が第97管理外世界において拠点としているマンションの一室、別名ハラオウン邸。その中のベッドとタンスと机だけが置いてある簡素な部屋で、その部屋を宛がわれた部屋の主、恭也がベッドに横になっていた。
 フェイトの部屋も似た様なものだが、この部屋は簡素や質素なのではなく何も無かった。机の中には文具が無く、タンスの中には着替えも無い。勿論、何かの主張ではなく、着の身着のままハラオウン邸に匿われた恭也に手荷物は無く、部屋を宛がわれた当日から外泊をしていたので物が増えることも無かっただけだ。
 ただし、現在部屋には本人とリンディ達に用意された家具の他に部屋の中央、ベッドの脇に鎮座する存在があった。立派な毛並みをした大型犬、アルフだ。
 部屋は静かなものだ。リンディとクロノは不在、エイミィは別室にて事務仕事をこなしているため、物音一つしない。
 そんな中、アルフが不意に耳を立てた。玄関の開く音に続き、帰宅と来訪を告げる声。フェイトがなのはを伴って帰宅したのだ。

「キョーヤ、キョーヤ。フェイト達が帰ってきたよ!」
「…ああ、今起きた」

 恭也が体を起こす様子をアルフは心配げに眺めやる。
 確かにこのマンションは広く、この部屋は玄関からは奥まった位置にある。いくら静まり返っていても、扉をいくつか隔てたこの部屋で玄関の開閉音を聞き取る事は難しいかもしれない。だが、一般人に出来なくても恭也にならば出来るはずだ。自分が呼び掛けなければ起きられないという事は、やはり相当弱っているのではないだろうか?
 そんなアルフの心配に恭也が不服そうな声色で弁解してきた。

「念のために言っておくが、この部屋から玄関の開閉音が聞こえないのは人間としておかしなことじゃないからな?
 疲れている事は認めるが異常と言う程の状態じゃあない」
「じゃあ、多数決でも取るかい?今の状況をみんなに説明して、恭也に異常があると思う人と無いと思う人、どっちが多いか聞いてやろうか?」
「…さて、部屋に押し掛けられる前にリビングで出迎えるか」

 状況の不利を悟ったらしい恭也はあっさりと身を翻した。ちゃんと自覚はあった様だ。
 いそいそと扉に手を掛けた恭也にアルフは言葉が強くならない様に意識しながら声を掛けた。

「キョーヤ、あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「テスタロッサが心配するからな?」
「それも有るけど、何で捻くれた取り方するんだい!」
「…ああ。
 これが片付いたらゆっくり休むさ」

 言い残し、退散していく恭也を今度は黙って見送った。

179 小閑者 :2017/09/18(月) 19:50:27
 恭也がリビングに入ると、帰宅したフェイトとなのはをエイミィが出迎えているところだった。扉の開く音に気付いたフェイトが恭也を見つけると微笑みながら声を掛ける。

「あ、恭也、ただいま」
「お邪魔してます」
「ああ。
 テスタロッサ、悪いが後で手合わせを頼みたい。1人でデバイスを振り回していても分からない事が多くてな」
「…いいけど、お帰りって言ってくれないの?」
「いらっしゃいって言ってくれないんだ?」
「…間借りしているとはいえ、俺はこの家の住人ではないんだ。そんな厚かましい事は言えんよ」
「それくらい言ってあげればいいじゃん。固いなぁ恭也君は。
 そんな事言われたら私もお帰りって言えないじゃん」
「あなたは長く家族付き合いをしているんでしょう?それに将来的に家に入るなら問題ないじゃないですか」
「いや、そういう…ん?」

 もっと気楽に言って良いんだよと恭也を促そうとしたエイミィは、聞き流しそうになった恭也の台詞に首を傾げた。今、彼は何と言った?

「エイミィ、クロノと結婚するの?」
「わぁ、おめでとうございます」
「っな!?ふ、ふ、2人とも何言ってるの!?
 無い!無いよ!そんな事!!
 恭也君、何言い出すの!」
「場所は鍛錬に使っていた公園で良いだろう。テスタロッサ、直ぐに行けるか?」
「どうして話が進んでるの!?
 恭也君、さっきのちゃんと訂正してよ!」
「テスタロッサ、高町。リミエッタさんが恥ずかしさのあまり赤面している。
 その話はここまでにしよう」
「締め括ってどうすんの!」
「クロノ君と結婚するのは恥ずかしいんですか?」
「べ、別にクロノ君だから恥ずかしい訳じゃないよ!」
「え?結婚する事が恥ずかしいの?」
「テスタロッサ、察してやれ。
 神聖な行為であろうと年頃の女性にとっては恥ずかしい事もあるらしい。特に異性に対しての感情は本人にも分からない場合があるそうだ。感情は理屈ではないからな。
 お前たちももう少し大きくなれば、自然に知るようになるんじゃないのか?」
「そうなんだ、エイミィ、大人なんだね」
「フェイトちゃん!?違う、違うよ!私達何もしてないよ!?」
「は?」

 ヒートアップして墓穴を掘りかけたエイミィを救ったのは部屋中に鳴り響くエマージェンシーコールだった。
 瞬時にして表情と共に思考を切り替えたエイミィがモニター室に入り操作を始めると、後を追った3人が部屋に入る頃には、シグナムがどことも知れない荒野で巨大な百足の様に見える何かと戦っている姿が映し出されていた。

「シグナム」
「え?」
「…違ったか?」
「あ、ううん、合ってるよ」

 姿を見て徐に呟いた恭也にフェイトが驚き、声を上げた。たった一言だったが声の響きに暖かい感情が篭っていた様に感じたのだ。
 だが、聞き返す恭也からは何も感じ取れなかったし、なのはも特に反応している様子がないので勘違いだったのだろう。そう結論付けたフェイトは意識をモニターに映るシグナムへ戻した。
 別室に居たアルフが合流する頃にはその次元世界にいるのがシグナム一人だけである事が判明していた。ヴィータやザフィーラは別行動のようだ。

「シグナムが相手なら私が出るよ」
「うん、お願いね、フェイトちゃん」
「私はどうしますか?」
「なのはちゃんは待機してて。見つけられたのは1人だけだから、赤い方のヴィータって子が別行動してる可能性が高いと思う。
 アルフと恭也君も待機ね。使い魔の男も現れてないし、恭也君はまだデバイスの慣らしも済んでないんでしょ?」
「いえ、試験運転は繰り返し行っていますから問題ありませんよ。する事がないならテスタロッサに付いて行きます」
「え!?」
「だ、駄目だよ。敵は物凄く強いんだから恭也君じゃ勝てるわけ無いじゃん!」

 余程驚いたのかエイミィの台詞は彼女にしては珍しく物凄くストレートな内容だ。
 だが、フェイトとなのはがその内容に驚き絶句している横で恭也はショックを受けた様子も無く平然としていた。

180 小閑者 :2017/09/18(月) 19:51:07

「それが順当な予想だとは分かっていますし、それを覆して見せるといっても信じては貰えないでしょうね。
 では、別の観点から提案し直しましょう。
 連中は、今のところ殺人を犯していません。リンカーコアを抜き出すためとも考えられますが、自分達の存在を隠す積もりなら抜き出した後ででも殺すべきだ。それをしないということは、何の意味があるのかは知りませんが、少なくとも自分に余裕がある限り、敵対する者の命を奪う積もりは無いのでしょう。それなら、俺の命は保障されたようなものです。
 そして、テスタロッサとシグナムの実力は俺が見る限り拮抗している。それなら、勝率を上げるために先に捨て駒をぶつけて少しでも敵を疲弊させるべきです」
「うっ」
「そ、それはちょっと、…ずるいんじゃ」
「ほう。敵を打倒して自分の方が強い事を見せ付けたいということか。なかなか自己顕示欲が強いじゃないか」
「ち、違うよ!」
「それなら目的を見失うな、阿呆。
 あいつらを止めたいのだろう?
 自分達が間違ったことをしていると知っていて、尚、他人を害してリンカーコアを集めている連中から事情を聞いて、誰も不幸にならない解決策を模索したいんだろう?
 目的が手段を正当化する、とは言えないが、集団で戦う事が卑怯だと言うなら弱い者は強い者に従っていろ言っているのと変わらんぞ?」
「あ、う」

 恭也に捲くし立てる様に並べられた言葉に誰も言い返せなかった。
 間違いなく恭也にとって都合の良くなるような観点からの理屈だったが、聞いた限り即座に反論できるほどの穴が見つからず、何より決して敵は待っていてくれない。

「うぅ、分かった。この現場には2人で向かって」
「良いの?エイミィ」
「時間がないんだから何時までも悩んでらんないよ。
 ただし!絶対に無事に帰ってくる事!いいね!?」
「善処はしましょう。
 後でハラオウン提督に説教を受ける時には同行します」
「やっぱり、なんか拙い事なの!?」
「滅相もない。単に判断ミスの可能性を言っているだけです」
「嘘だ、絶対確信犯なんだ!
 はぁ、この場での責任者は指揮代行である私なんだから、恭也君の案を採用した責任は私にあるんだよ。気持ちだけ受け取っとく」
「この場合、確信犯とは言いませんがね。
 分かりました。後日何かしらで埋め合わせはしましょう」

 エイミィの台詞は当然ではある。
 提案者が持つ責任は、様々な視点から現状に適した方策を考案し、採用者(イコール責任者)の判断材料を増やして支援する事だ。そして、提示された案を採用するかどうかは、採用者が決める事であり、方針を決定する責任は採用者が取るべきものである。
 当然、提案された内容が相応しくないと判断した場合には、採用者の責任において不採用としなくてはならない。
 “恭也に提案されたから”などと言い訳しようものなら執務官補佐失格である。

「恭也、急いで!」
「ああ、すまん。
 …手を繋げば良いのか?」
「うん。
 っわ、おっきい手だね。それにゴツゴツしてる」
「気分の良いものではないだろうが、我慢してくれると助かる」
「そんな事ないよ!暖かいし…凄く、安心できる」
「…そうか?まあ、兎に角急ごう」
「あ、ごめん」

 そんな会話を交わしつつ姿を消した2人の居た方向を眺めていたなのはがポツリと呟く。

「…いいなぁ」
「…管制室。ここは管制室なの…」

 アラーム音が鳴り響いた直後の緊迫感など既に何処にも存在しない。尤も、手を繋ぐのが恥ずかしいからといって頭を鷲掴むような男と手を繋ぐ機会は確かに少ないだろう。
 目の幅涙を流すエイミィの様子を無視するように、なのはが先程の遣り取りについてに尋ねた。表情も口調も至って平静であることから、エイミィの呟きは聞こえなかったようだ。

「エイミィさん、恭也君が出ちゃったら何か拙かったんですか?」
「う〜ん、相手が相手だけにやっぱり不安ではあるんだよね。
 敵が対戦者を殺していない事だって、経験則であって、理由が分からないから安全とは言い切れないし。そもそも、致命傷ではないとは言っても無傷じゃないしね」
「そっか。
 そういえば、恭也君もまだ、デバイスには慣れてないんでしたね。本当はこれからフェイトちゃんと練習しようとしてたんだし」
「そうなのかい?」
「あ、そう言えばそう…ああー!」
「にゃあ!?
 エ、エイミィさん?」
「どうしたんだい!?フェイトに何か!?」
「そうだ…、リンディ提督から『相応の実力が認められない限り戦場には出さない』って言われてたんだ…」
「あ…」

 虚ろなエイミィの視線の先、モニタに映し出された異次元の荒野にはシグナムに追いついたフェイトと恭也の姿があった。

181 小閑者 :2017/09/18(月) 19:57:15

【Thunder Smasher】

 フェイトの放った雷撃魔法がシグナムを締め上げていた触手を持った巨大な百足の様な生物を一撃で葬り去った。
 結果的に労せず拘束から抜け出す事が出来たシグナムは、しかし、憮然とした表情で手助けをしたフェイトを見やり、同時に彼女の左手にぶら下がる様に掴まる恭也に気付いて片眉を跳ね上げた。

『ちょっとフェイトちゃん…敵を助けてどうするの?』
「あ、ごめんなさい」

 何故か弱々しいエイミィの声に内心で首を傾げつつもフェイトが謝罪すると、恭也が助け舟を出す。

「いや、あれで良い。敵の目的がリンカーコアの蒐集である以上、妨害する手段としては有効だ」
『だからって、先制攻撃するとか出来たでしょう』
「速度重視で来ましたから俺達が辿り着いている事は気付かれていますよ。
 百足もどきに苦戦していたのは生け捕り目的だったからでしょう。その気になれば何時でも抜け出せたはずだ。
 テスタロッサの存在に気付いていながら雑魚にかまけている様な、攻撃力しか能の無い阿呆にアースラの武装局員が遅れを取っている訳ではないでしょう?」
『…本当に良く口が回るよね」
「随分、含みのある言い方ですね」
「身内を引き合いに出して反論を封じるなど、真っ当な精神構造では出来んだろうからな」
「敵にまで言われるとは。
 俺は新参者でな、味方と言っても身内と言えるほどの関わりはないんだ。
 テスタロッサ、もう放してくれて大丈夫だ」
「え、この高さから?…じゃあ、放すよ?」

 残り10m以上の高さから危なげも無く着地する恭也を見やり、シグナムが目を細める。

「ほう。てっきり、テスタロッサが一人身の私に当てつけるために連れてきた恋仲の男かと思ったんだがな。
 その体術と先程の毒舌、ただの優男ではないな」
「な!?ち、違います…」
「否定する時には最後まではっきり言った方がいいぞ、テスタロッサ。
 シグナムといったな?毒舌に何の関係があったのかは知らんが、優男というのは優しげな男の事、一般的に美男子を指す言葉だ。
 皮肉として使うにはありきたり過ぎるし、本気で言っているなら眼科に行くか街中で審美眼を磨いてから出直して来い」

 言い切った恭也から視線を外したシグナムが恭也の背後に降り立ったフェイトを見ると、彼女も不思議そうに恭也の背中を見つめていた。
 恭也の顔は造作も整っていると言える範囲だし、何より視線に強い意志が宿っている(仏頂面なので表情には表われ難い)ため、美醜を超えて人の意識を惹き付ける。実際、“美人”と見なされる顔とは“平均的な顔立ち”という説もあるくらいなので、魅力とは顔立ちだけで決まるものではないだろう。
 結局、個人の好みに依存する程度のものではあるが、恭也の顔は10人に聞けば半数以上にはカッコイイと評価して貰える位には整っている。つまり、恭也本人が評価しない方の半数に属しているのだろう。

「別に間違ってないと思うけど…」
「何の話だ?」
「お前達はここに雑談をしに来たのか?」
「ふむ、それでも良かったんだがな。身の上話でもしてみないか?」
「断る。
 態々来てくれたのだ。有り難く蒐集させて貰う」
「性急だな。では、お前達の目的を明かしてくれたら俺のリンカーコアを提供しよう。それでも不服か?」
「恭也!?何を言ってるの!」
「交渉か。だが、お前達管理局は既に我々が闇の書のプログラムの一部であることを知っているだろう。我等が主の情報以外に自身のリンカーコアを掛けてまで知りたい事があるとは思えんが?」
「では、闇の書を完成させて何をする気だ?世界征服か?それとも世界平和か?」
「さあな」
「答えられん目的か、目的そのものが主に繋がるか。そのくらいは知っておきたかったがな」

 交渉決裂とばかりに恭也が抜刀した。右手に小太刀、左手に小太刀型アームドデバイス、それぞれを順手に握り、しかし構える事無く自然体のままでシグナムと対峙した。

「流石に態々付いて来て傍観という事は無い様だな。だが、お前のその灼熱の日差しに真っ向勝負するような黒尽くめの服は騎士服、いやバリアジャケットではないな。余裕の積もりか?」
「試してみれば分かる事だ。あと、色は趣味だ。ケチを付けるな。
 テスタロッサ、悪いが先に出るぞ」
「なんだ、一人ずつか。親切な事だな」
「残念ながら連携出来るほどの練習はしていなくてな。
 さて、久しぶりに二刀が揃った事だし名乗らせて貰おうか」

 気軽に言葉を紡ぎながらゆっくりと二刀を構えた恭也を離れた場所から見ていたフェイトは、照り付ける日差しの暑さも通り過ぎる風の音も消失した様な、正確には認識できなくなった事に気付けないほど、身体中の全感覚が恭也から逸らせなくなった。

「永全不動 八門一派 御神真刀流 小太刀二刀術 八神恭也」
「!」

 シグナムは言葉を失い恭也を見つめた。

182 小閑者 :2017/09/18(月) 20:01:45
 恭也は名乗ると同時にそれまでの隙こそ見せないながらも弛緩した雰囲気を、一瞬にして触れれば切れてしまうと思わせるほど張り詰めたものに一変させた。
 だが、勿論シグナムが意識を奪われたのはそこではない。恭也が流派を名乗った事に驚愕したのだ。
 流派を名乗るという事は、これからの行動は全て流派の代表者としての振る舞いである事、そしてその行動に嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言しているのだ。
 流派の名誉は剣士にとって命よりも尊いもの。それが次元も年代も超えてなお、剣士の共通の認識である事は、草間一刀流の道場で指南役を勤めている間に確認している。
 つまり、恭也はこう言っているのだ。

“ヴォルケンリッターとは袂を分かち、敵対する”

 シグナムは恭也の言葉の意を汲み取ると、感情を押し殺し、表情と態度に細心の注意を払いながら、自らも名乗り返す事で恭也の意思に応えた。

「ヴォルケンリッター 烈火の将 シグナム、そして我が剣 レヴァンティン」
“承知した。今、この時より我等は貴様を敵と見なす”

 その言葉と意味に満足げに目を細めた恭也の様子から、彼の期待に応えられた事を察したシグナムは内心で安堵した。
 自分も彼も剣士だ。意見が対立すれば敵対する可能性がある事は百も承知だ。だが、最後の瞬間だけでも家族の意に沿う事が出来た事が嬉しかった。
 その喜びを胸に、目を閉じて長剣を上段までゆっくりと掲げる。
 再び目を開いたシグナムからは、ただ眼前の敵に対する闘志だけが溢れていた。



 シグナムは上段に構えたまま感覚を研ぎ澄ませ、恭也の様子を伺う。
 恭也は右足を引いた半身で、やや前傾。左手のデバイスを水平に寝かし胸の高さに構えている。
 草間の道場で一振りの木刀を両手で構えていた時にも堂に入ったものだと感心した覚えがあったが、二刀を構えた今の姿と見比べてしまえば明らかに一刀は錬度が足りない事が分かった。あの時は、道場での立会いであった事、得物の長さが違う事が恭也にとってのハンデだと考えていたが、一刀であった事こそが最大のハンデだったのだ。シグナム自身も全力を見せた積もりはなかったが、恭也の方が隠していた引き出しの数は多かったのだろう。
 道場で見た彼とは別人だと思わなければ危険だ。
 それは、左手に握るアームドデバイスの存在を差し引いたとしても変わる事の無いシグナムの見解だった。

 彼我の距離はおよそ20m。
 魔法戦において近距離と言えるこの間合いは、白兵戦においては距離を詰めなければ攻撃の届かない遠距離だ。
 恭也がこの短期間に魔法を習得していて、魔法戦を仕掛けてくる。そんな意表を突いた戦法がシグナムの脳裏を掠めた瞬間を見透かしたかのように、恭也が柔らかな砂地をものともせずに猛烈なスピードで前進を開始した。

 恭也の選択は至極真っ当なものだ。
 仮に恭也の魔導師ランクがシグナムと並ぶ程のものだったとしても、それは才能でしかない。
 なのはですら、魔法に初めて触れた頃は、現在と比べて“稚拙”と評価せざるを得ない技能だったのだ。勿論、“習い始めたばかりにしては驚異的な技能”であっても“絶対的な評価からすればまだまだ低レベル”というのは当然だ。
 ましてやシグナムは高位魔導師との戦闘経験も豊富な歴戦の魔道騎士だ。強力な砲を撃てたとしても、戦術どころか戦技とも呼べない様な単発の魔法を使う駆け出しの魔導師など何の脅威にも成り得ない。
 シグナムが予想した、恭也が取る可能性の最も高い、そして恭也が勝利する可能性が僅かでも存在する戦法とは、剣術を主軸とした白兵戦のみなのだ。

 砂を蹴り上げながら距離を詰める恭也のスピードは、シグナムに肉薄する頃には道場での踏み込みに見劣りしない程になっていた。それは道場での手合わせ以外に恭也の戦闘行動を見ていないシグナムを驚愕させるに足るものだった。
 砂地では固い地面を走る様には移動できない。砂が変形して力を逃がしてしまうからだ。
 足で地面を押すと同じ大きさの、向きを反転させた力が跳ね返ってくる。この反作用を移動の際の推進力にしている訳だが、このベクトル成分の内、鉛直方向分が体を持ち上げ、水平方向分が体を前進させる。地面を蹴る力を効率良く推進力に変えるには、水平方向に地面を蹴れば良いのだが、砂地ではこの理屈を適用する事が難しい。水平に力を加えれば砂が飛散して力が逃げてしまうからだ。砂が移動しない程度の角度と力で砂地を蹴らなくてはならないのだ。原理は違うが、摩擦の少ない氷の上を移動するのと同じ現象である。
 恭也はこの問題を地面を蹴る回数を増やす事で解決している。一蹴りで得られる推進力が少ないなら回数をこなして合計値を合わせれば良い、という理屈なのだが、魔法で飛翔すれば済むシグナムからすれば、その解決方法を発案する事も実行する事も実行出来る事も正気の沙汰とは思えなかった。

183 小閑者 :2017/09/18(月) 20:02:24
 シグナムが驚愕を振り払い、恭也の突進にタイミングを合わせる。
 恭也の移動方法は突飛ではあるが、理屈の通ったものだ。そして、理屈に沿っている以上、この移動方法では急激な制動も針路変更も出来ない事になる。ならば、如何に砂地における移動としては非常識なスピードであろうとそれ以上のものではない。

 だが、この男がただ突進するだけ等と、そんな単純で無様な真似をすると誰が信じるものか。
 警戒レベルを最大まで高めろ。
 魔法の有無など関係なく、この男は危険だ!

 シグナムは恭也の行動を予想する事を放棄した。砂地での移動一つとってみても基盤となる技術の隔たりが大き過ぎることが分かる。下手に予想すれば先入観を生み、虚を衝かれた時に反応が致命的に遅れかねない。
 恭也の一挙手一投足を観察し、リアルタイムで次瞬の動きを予測し、それらの行動を積み重ねる事で恭也が目指す成果、つまりは戦術を洞察する。
 シグナムの行動はまさしく、対等の敵を迎え撃つためのものだった。

 シグナムの間合いの2歩手前で前傾だった恭也の姿勢が起き上がった。意図を察したシグナムが瞬時に間合いを詰める為に飛び出すが、それすら考慮の内だったのか体を起こした恭也は動揺する事無く、つっかえ棒の様に右足を前方の地面に突き立てた。
 突進による運動エネルギーが集約されたその一歩を受け止めた地面は、反作用として何割かを恭也に跳ね返しはするものの、エネルギーの大半を砂を弾き飛ばす事に転換し、結果、砂の瀑布が出来上がった。だが、恭也の行動を阻止出来なかったシグナムは、巻き上がる砂に動じる事無く、滝の向こう側にいる恭也を見据えていた。

 阻止する事は出来なかったが、シグナムが相手ではそもそもこの技(蹴りつけるだけでは有り得ないほど砂が舞い上がっている事からも分かるように特殊な踏み込みをしている)の効果が半分以下しか発揮されないのだ。
 砂を舞い上げたのは単純に姿を隠すためなのだが、その方法として目潰しとブラインドの二つの役割が込められている。だが、シグナムの騎士服は肌が露出している様に見える頭部や手足も保護しているため、機能の一部であるバリアが蹴り飛ばした程度の砂など完全に遮断するのだ。そして、飛散する砂のブラインドには恭也の位置を隠し切るほどの厚さと密度がない。

 シグナムは彼我の距離が自身の間合いに達した事を把握すると、恭也の間合いまで踏み込ませる前に上段に掲げたままのレヴァンティンを袈裟に振り下ろした。軌跡を斜めにする事で水平方向の射程範囲を広げた斬撃は空間に舞う砂の壁を切り裂きながら恭也へと迫り、しかし、剣に加えられた力によってベクトルの向きを強制的に変えられた。それは、確認するまでもなく恭也の仕業でしかなく、確信出来るのはこの一撃だけで終わりであるはずがないという事だ。
 シグナムの確信を裏切る事無く、恭也は更に踏み込むと、シグナムの斬撃を逸らした右の薙ぎ払いの回転運動をそのまま利用して左の小太刀型デバイスを振り抜いた。

「ああ!」
『嘘!?』
『凄い!』

 フェイトとエイミィ、なのはが展開された光景に思わず叫び声を上げるが、当事者であるシグナムは騎士服を切り裂かれた事に対して驚愕も焦燥もなく、翻って切り上げてきた右の小太刀を弾き返した。

 当然だ。二刀を構える姿を見た時から分かっていた。対等な実力を持つと認めた恭也の刀が騎士服を切り裂いた事に対して驚く理由が何処にある?
 何より、騎士服がその役割を全うしているからこそ、恭也の刀は肌まで届いていないのだ。あの威力の斬撃を受ける事は想定の範囲内。言ってしまえば騎士服の防御力未満の攻撃は幾ら受けても問題にならないのだから、シグナムの戦い方は恭也に今以上の斬撃を放たせない、あるいは喰らわない事だ。ただし、それとて決して容易なことではない。シグナムは、今の斬撃とて回避行動を取れていなければこの程度で済んでいなかったと思っている。

184 小閑者 :2017/09/18(月) 20:03:21
 長刀と短刀の戦いでは間合いの奪い合いになる。
 至極単純な図式として両者の腕力を同等と仮定して考えた場合、振り回された長刀を停止させた短刀で受け止める事は出来ない。腕力に加えて運動エネルギーが加算されるからだ。当然、立場を逆にした場合にも適用される内容だが、距離を詰めていった場合に先に間合いに到達するのは長刀である事を考えれば、この条件は長刀の利点と考えるべきだろう。
 振り回された長刀に対して同様に短刀を振り回してぶつけたとしても相殺するには条件が必要になる。長刀の方が質量が大きい分、速度との乗算であるエネルギーが大きいし、回転速度が同じなら回転の中心から離れるほど速度が増すため、これも長刀に分がある。相殺に必要な条件とはこれらを逆に考えて、長刀以上の速度でぶつけるか、短刀の先端で長刀の鍔元にぶつけるかをしなくてはならない。
 では、短刀の間合いではどうなるか。
 よく聞く通り、取り回しは短刀に分があるだろう。長刀とて短刀と同じ長さの部分だけ使用する積もりであれば切り付ける事も出来るが、物理的にその先がある以上、短刀よりも質量も大きく、先程長所として上げた中心点から離れた先端のエネルギーが逆に作用して刀の加速を鈍らせる。
 刀に運動エネルギーを与えるのが自身の両手である以上、大きなエネルギーを長所とする長刀は、短所として長刀にエネルギーを与えるための時間が多く必要になるのだ。つまり、同等の運動エネルギーであれば軽量の短刀は速度が速い。そして、人間の皮膚を切り裂くには大きなエネルギー量を必要としない。
 これらの優劣を覆すために技術が生まれた訳だが、逆説的に技術を持ってしか埋められない根本的な優劣が存在する以上、戦う上で間合いを制する事は絶対的なアドバンテージを得る事になる。
 ましてや二刀流の恭也はこの傾向が更に顕著になる。
 敵の間合いでは、片手で剣を握るため敵の攻撃を受け止める事が難しくなる。両手であれば、鍔側を握る手を支点とし柄尻を握る手を作用点とした梃子の原理が適用できるので、刀身で受けた敵の刀と拮抗させることが出来るが、片手では刀身に掛かる力により発生するモーメントを握力のトルクだけで対抗しなければならないからだ。
 逆に自身の間合いにおいて左右の刀で切り付ければ一刀の敵が対応する事はまず出来ない。無論、刀での「斬る」という動作は刀を叩き付けるだけでは成立しないので二刀を同時に出す事はないが、それでも圧倒的な優位性が覆る訳ではない。
 また、古流の場合はどの流派でも基本的に卑怯万歳、生き残りさえすれば良いという思想がある。今回、恭也は長刀の間合いを過ぎ、短刀の間合いに至る為に使用した砂の目晦ましもその思想からだ。だが、この場の思い付きで出来ることではない。ただ砂を蹴り飛ばしたとしても人の頭の高さまで砂を上げる事は出来るものではないし、敵に狙いを悟られるほどあからさまな予備動作をする訳にもいかないからだ。この技が砂地の少ない日本国内では日の目を見る機会がほとんどない事は分かっているはずだが、何時来るかも知れないその日のために練習していた事になる。
 古流で言う“戦い”が“殺し合い”を意味する以上、同じ相手と二度戦う事を考慮する必要はない。ならば、10回戦って1回しか勝てない実力差があろうと、最初にその1回を引き当てれば良く、そのための努力を惜しむ事は文字通り自殺行為と言える。奇策に頼り、溺れてしまっては意味が無いが、小太刀の間合いという圧倒的なアドバンテージを比較的安全に得る事の出来る手段を持つ事は重要なことだろう。

185 小閑者 :2017/09/18(月) 20:04:57

 恭也の攻勢が続いた。
 無論シグナムとて怠けていた訳ではない。凌ぎ、躱し、防ぎ、時には騎士服の防御力に任せて敢えて受けもしたが、恭也との間合いを広げる事が出来ないのだ。
 草間の道場で出来た事が実戦であるこの場で出来ない。それは恭也が実力を意図的に隠していた事を意味する。二刀流である事だけではない。小太刀と木刀では長さも重量も違うため、間合いも踏み込み速度も剣速も重さも違う。対峙した時に思ったのとは別の意味でも、道場で仕合った彼とは別人だ。
 だが、時間が掛かりはしたがシグナムは恭也の動きにも慣れてきた。恭也の戦い方は二刀と言う手数の多い利点を生かした文句の付けようのないものだが、この世界の住人では持ち得ない騎士服の防御力がそれを覆した。
 万全の体勢からの斬撃以外はほとんど無効化出来てしまうなど、恭也の世界では反則と言える機能だ。魔法世界では「実力の違い」と斬って捨ててきたその事実にシグナムは僅かな後ろめたさが心を過ぎる。それは恭也が当然の事と受け入れているからこそ助長される。
 だが、シグナムの侮りにも似たその思いは、恭也に冷水を浴びせかけられ消え去った。

 恭也の左の一撃を弾き、反撃に転じようとしたシグナムの脳裏に最大級の警鐘が鳴り響く。思考を挟む間も無く反射的に上体を反らすと、

警戒網を掻い潜ったかのように右の小太刀がシグナムの胸元を掠めた。

 僅かな痛みに刃が届いた事を悟る。切り裂かれたのは血が滴る程度の皮一枚分。だが、傷を負った事そのものより、右の薙ぎ払いに反応出来なかった事実にシグナムは混乱した。
 恭也は常に二刀を振るい続けている。ならば当然左の斬撃を受けている最中だろうと右の刀にも注意を払っていて然るべきだし、実際に直前までシグナムはそうしていたのだ。あの瞬間、あの右の刀から意識が外れた、いや、外されたのか!?
 シグナムの混乱を他所に、恭也の右の小太刀が翻り唐竹割が放たれる。
 混乱を引き摺りながらもシグナムが今度こそ両刀に意識を向けながらレヴァンティンを切り上げ、背筋を走る怖気に従い柄から離した左手に鞘を顕現させ、

鞘が実体化した瞬間、レヴァンティンをすり抜けた右の小太刀がシグナムの鞘と激突した。

 斬撃を防いだシグナム自身が驚愕に目を見開く。
 馬鹿な!何故、そこにある!?
 シグナムの驚愕も、攻撃を防がれた事にも、突然現れた鞘の存在にも拘泥する事無く、恭也が連撃の流れを滞らせることなく次の攻撃態勢に移行する様子を目にしたところで、シグナムが恭也より先に手札を切った。

「レヴァンティン!」
【Sturmwinde】

 主の呼び掛けに答え、レヴァンティンが魔法を発動、シグナムは狙いを付ける事無く地面に向かってその衝撃波を叩き付けた。騎士服の防御力に任せて被爆を覚悟で放った一撃だったが、地面の砂を爆散させはしたものの、既に恭也は安全圏まで退避していた。おそらく、魔力の高まりを感じ取って即座に行動したのだろう。バリアジャケットを装着していない恭也にとって魔法による攻撃はそれだけで脅威となるため警戒するのは当然だ。
 だが、シグナムにはそれで十分だった。もとより体勢も崩せていない状態で放った技を恭也が喰らう事など期待していない。攻撃を中断させ、距離を取る事を目的にし、達成できたのだ。それ以上は望むべくもない。

186 小閑者 :2017/09/18(月) 20:07:22
 冷静さを取り戻したシグナムは恭也を見据える。
 先程の2撃が技術なのか魔法なのかは未だに判断できないが、方法はともかく結果が分かれば対処の仕方もある。
 この戦いではあれを破る事は出来ない。ならば、出させなければ良い。
 弱腰にも思える考え方だが、当然の対処でもある。目的を達するために戦っているのであって、敵を打倒する為に戦っている訳ではないし、ましてや敵の技を破って勝ち誇ることには何の意味もない。
 そして、ここに至れば認めざるを得ない。剣の技量において恭也は自分を超えている。
 勿論、今回の一方的な展開は奇策により間合いを詰められた事が原因であると分かっているが、それを成功させた事も含めて技量だ。そもそもあの砂のブラインドで隠したかったものは、姿そのものではなくレヴァンティンの剣筋を逸らす為の最初の一薙ぎだったのだろう。見えていれば対処のしようもあったあの一薙ぎが勝敗を決したのだ。その意図を看破できなかった事こそが敗因と言える。
 おそらく騎士服を纏わず、魔法を使用しなければ、10回仕合ったとして5つは勝てないだろう。懐に入り込ませなければシグナムが勝利出来るが、恭也は正攻法でも間合いを詰める手立てを持っているに違いない。

 悔しい、と思う。羨ましい、とも。自分よりも強い者に対してこの思いを抱くのは当然だ。
 だがそれ以上に、尊い、と思う。
 武術は魔法程極端に生まれ持った素養が実力を左右するものではない。同じだけの修練を修めても上り詰められる者が一握りでしかない事に変わりはないが、威力のある術を組む事で飛躍的な効果を得られる魔法より、一つずつ積み重ねるしか道がない武術の方が道のりが険しいと思うのはシグナムの贔屓目だけではないだろう。
 どれほどの時間と汗と血を供物として捧げれば、この歳でこれほどの実力を身に付けられるのか想像もつかない。

 だが。
 それでも。

「魔法に頼る事無く、その若さでそれだけの技能を修得したことに対しては敬意を払おう。
 だが、何時までも付き合っている訳にはいかない。この力を持って押し通らせて貰うぞ」
「…」

 シグナムの宣言にも恭也は答えない。表情すら揺るがせる事無くシグナムの姿を注視している。
 その、流派を名乗った直後から変わらない、自らを剣にした姿こそが、彼の描く御神流剣士としての在り方なのだろう。





「凄い…」

 なのはの口から零れた言葉は、恭也への賞賛だった。7階級も上位の魔導師相手に手傷を負わせられる者など他には居ないだろう。
 だが、その内容に反して、彼女の表情は強張っていた。
 この均衡はシグナムが魔法を使用すれば呆気なく崩れ去るだろう。恭也が魔法を使う姿は見た事がないし、Fランクの魔法がどの程度の威力を持つのかなのはには実感できないが、誰に聞いても同じ答えしか返してくれなかった。
 “焼け石に水”
 恭也の非常識さを目の当たりにした者でさえ、なのはへの気休めの言葉にすら否定的な響きが含まれていた。恐らく、それは当の本人さえ認めている事実だ。
 それが分かっていても、圧倒的な力の前に立ち塞がろうとしている。

 何が彼をそこまでさせるのかが分からないなのはには、彼の願いを手伝う事が出来ない。
 だから、せめて無事に帰ってきてくれる事を心の中で祈った。




 再び対峙したシグナムと恭也だったが、今回は睨み合いは続かなかった。恭也に予想を上回る行動を取られる事を警戒したシグナムが即座に仕掛けたのだ。

【Explosion】  ッガシュン!

 シグナムの意思を受けたレヴァンティンがカートリッジから魔力を抽出、シグナムとレヴァンティンの固有特性である炎熱変換によって剣身に炎を纏う。それはシグナムの決め技の一つであり、シュツルムファルケンを除けば1,2を争う破壊力を持つ「紫電一閃」を放つための準備だ。ファルケンを選択しなかったのは発動までに時間が掛かる技では恭也に先制されてしまうと判断したからであって、恭也の安全を考慮して威力を落とした訳ではない。何故なら、紫電一閃は並みの魔導師ではバリアジャケットごと切り捨てられる威力がある「必殺技」と称しても決して誇張表現ではない技だからだ。バリアジャケットを纏っていない者であれば消し炭に出来るだろう。

187 小閑者 :2017/09/18(月) 20:09:32
 そもそも、致命の威力を忌避するのであればシグナムは攻撃魔法を使う訳にはいかない。非殺傷設定を持たないシグナムにとって、攻撃魔法は純粋に“魔法で防御力を上げている敵を打ち破る術”なのだ。魔法を使用していない恭也に対して行使すれば、シグナムの持つ如何なる攻撃魔法であろうと命中する事は即ち命を奪う事になる。言い換えれば、シグナムがカートリッジを消費してまで紫電一閃を放つのは、恭也の命を絶てる威力があろうとも他の魔法では用を成さないと判断したからに他ならない。
 ベルカ式の魔法は近接戦に特化している。そして武器を介して直接魔力を叩き込む事を基本としている以上、一撃の威力が大きい半面、単発になる傾向がある。ヴィータのようにオールレンジで戦えるベルカの騎士の方が稀なのだ。その事は日が浅いとは言え管理局に属している恭也も知っているだろう。ならば、たとえ命中すれば致命傷を被る攻撃であろうと躱しさえすれば反撃のチャンスになる、という絵空事の様な“言うに易い理屈”をこの男なら実現して見せる可能性がある。そして、この男が数少ないチャンスを何度も手放すとは思えない。他にどんな手段があるかなど想像も付かないが必ずシグナムを脅かす何かを仕掛けてくるだろう。ならば、限りなく低い可能性さえも潰えさせるためにも、恭也の回避範囲全域を攻撃対象とするしかない。
 極めて乱暴な方法だ。そもそも恭也が回避を選ばなければその時点で恭也の身が消滅しかねないのだ。
 シグナムとて恭也を殺害する事など本意ではない。幸いこれまで取ってきた方針のお陰で、無力化さえ出来れば命を奪う事が無くとも恭也との関係を疑われる事は無いはずだった。しかし、殺さないための手加減、つまりは魔法を行使する以前での決着というシグナムの目論見は恭也自身の手によって脆くも崩されてしまった。
 恭也の技量を目の当たりにしたシグナムには、魔法抜きでの恭也の制圧があまりにも細い綱を渡った先にあることが理解出来ている。後先を考えずに没頭出来るのならばシグナムとて心弾むこの戦いに全精力を費やす事に何の躊躇もないだろうが、今は戦う事を目的とする訳にはいかず、この後にはフェイトも控えているのだ。

 万が一にも負ける事は許されない。
 恭也が自分たちと敵対する道を選んだように、自分達は誰を敵に回そうとも主はやてのために闇の書を完成させると決意したのだ。

「行くぞ」

 聞かせるためではなく、自らの躊躇を断ち切るための言葉を呟くと、シグナムは飛翔魔法で恭也との間合いを猛烈な勢いで詰めていった。当然の様に先程恭也が技術を駆使して走破した速度を上回るその移動方法に対して、恭也は目に見えるような反応を示す事無く注視していた。
 攻撃を回避するにはタイミングが重要になる。回避行動を取るのが早すぎれば攻撃軌道を修正されてしまうからだ。恭也が未だに行動を開始しないのはそのタイミングに至っていないと判断しているのだろうが、それはつまり、回避距離が短くなるという事だ。
 最小限の動きで敵の攻撃を回避するのは武術の基本的な思想ではある。しかし、それでも普通はフェイントを交える事で的を絞らせないようにするのがセオリーと言えるのだが、恭也に回避運動を行う様子はない。
 何より、“数mmの間合いで刃を躱す”という実現するには非常に困難な理想的な回避方法は魔法のない世界でしか通用しない。余波だけで岩くらい砕きかねない威力を伴った攻撃に対して実行するには、相応の防御力が必要であり、バリアジャケットを纏っていない魔法初心者の恭也に実現できるとはシグナムには思えなかった。そのことにシグナムの中で小さな焦りが生じる。

188 小閑者 :2017/09/18(月) 20:10:39
 シグナムの中に芽生える逡巡を他所に彼我の距離がなくなる。シグナムは余計な思考を排斥すると振りかぶっていたレヴァンティンを恭也に向けて叩きつけるために両の腕に力を込めた。そしてそのまま斬撃のためのモーションを起こした瞬間、シグナムの目にはアームドデバイスを握っている恭也の左手が霞んで見えた。
 シグナムにとって攻撃をするには変更の効かない絶妙のタイミングではあったが、およそ小細工をするには遅過ぎる間合いでもある。
 紫電一閃には恭也のどんな行動であろうと叩き伏せる威力がある。その自負の元、狙いを定めて技を放とうとしたシグナムの眼前、文字通り両の眼球の直前で同時に何かが弾けた。そう気付けたのは、抑える事の出来なかった反射行動として目を瞑り僅かに顔を背けた後だった。
 恭也は実質的には何の脅威にも成り得ない威力しか持たないその“何か”によって、シグナムの視覚と攻撃の妨害という破格の成果を叩き出したのだ。
 だが、紫電一閃の一連の動作を体に染み込ませているシグナムは、キーとなる初動を入力した事で、停滞する事無く恭也の居た空間に向かって技を放っていた。

--ッズドン!!

 爆音と共に地面が爆散した。舞い上がる砂埃と膨大な熱量による光の屈折で視界は利かないが、直径が優に20mを超えるクレータが出来ているだろう。だが、シグナムは周囲への警戒心を最大に高めていた。

 何の手ごたえもなかった。その事実にいたく自尊心を傷付けられた。
 命中していれば恭也を消滅させていたのだから、躱されて良かったのだという思考もあったが、そんなものでは感情は納得してくれない。
 この結果は自分の驕りが原因だ。
 攻撃魔法を使う事を決めた時点で、恭也との実力差は大きく開いた。この認識が間違っている訳ではない。
 しかし、それは恭也の実力が下がった事を意味しない。どのような手札を隠し持っているか分からない、油断ならない強敵。その評価を無意識の内に取り下げてしまっていたのだ。
 なんという浅はかさか!
 このような醜態は二度と許されない!
 警戒を怠るな。恭也は必ず何処かから攻撃の機会を窺って


【SIiiiiMPLE IS BEeeeST!】



「…は?」



 シグナムは寸前まで纏っていた緊張感を霧散させると、背後を振り向きながら音源である上方を振り仰ごうとして視界を縦断する影を見つけた。
 影に視線を向けた時点で、既に恭也は地面に接触していた。素直に「着地」と表現しないのは小石を水の表面で跳ねさせる水切りの要領で、猛烈なスピードで砂地の表面を水平方向にバウンドしている最中だったからだ。
 砂煙を撒き散らしながら20m近く転がって漸く停止した恭也は、体中についた砂を払いながら起き上がった。距離がやや離れているため、ただでさえ読み取り難い表情は更に判別が付かなかったが雰囲気としてバツが悪そうにしている事は分かった。
 そんな恭也に向かってシグナムが口を開いた。これだけはどうしても確認しなくてはならない。

「1つだけ聞きたい。
 先程絶叫したのは、おまえか?」
「断じて違う!」

 間髪入れずに力強く否定したことから考えても、本人も余程恥ずかしかったのだろう。御神の剣士としてのスタイルもかなぐり捨てて、断固とした態度である。



 その、先程までの殺し合いから団欒の場面を編集で繋ぎ合わせたかのような場面転換に、爆発に巻き込まれた恭也を見て叫び声を上げる事も出来ずに固まっていたフェイトが、肺に溜まった空気を大きく吐き出すことで、止まっていた呼吸を再開した。
 呼吸と共に停止していたのではないかと思える心臓も、サボっていた分を取り戻す様に猛烈な強さと速さで拍動している。
 綱渡り、どころか、まるで糸を渡っているようだ。バランスを崩さずとも加減を間違えただけで糸が切れてしまうような危うさの中、漸く命を繋ぎとめたと言うのに瞬時にして気持ちを切り替えるなど、恭也の精神構造はどうなっているのだろうか?しかも、これだけの実力差を見せ付けられても恭也は自分と交代する積もりはないだろう。糸渡りはまだ終わっていないのだ。
 数日前の模擬戦で幾ら殴られてもダメージが無かった事を思えば、あの時ですら手加減をされていた事になるが、そんな事は既にフェイトの思考の片隅にもなかった。

189 小閑者 :2017/09/18(月) 20:11:50
「さっきのはデバイスの起動音だ」
「そうか。起動音にそれを選んだ訳か」
「それも違う!製作者の趣味だ!
 まったく。さっきまでの緊張感が粉微塵だ」
「対戦相手の気勢を殺ぐ事が目的だったなら、目論見通りと言えるんじゃないのか?」
「担い手の気勢まで粉砕していては本末転倒だろう。
 勘弁してくれ、おやっさん…」

 恭也のぼやきに苦笑を見せながらも、シグナムは彼の挙動から一瞬たりとも視線を外す事はなかった。
 デバイスの起動音に呆気にとられたのは事実だったが、恭也が地面に着地する様を見た時点でシグナムは冷静さを取り戻していた。軽口を叩いたのは確認作業に過ぎない。
 わざわざ魔法を使用して自由落下による垂直の速度ベクトルを水平方向へ変化させて、地面を転がりながら落下の勢いを殺している姿を見て、シグナムは恭也が負傷している事を察したのだ。
 起動音が上空から聞こえたことから、垂直方向に吹き飛ばされた事は分かる。だが、フェイトにつかまって現れた時には10mの高さから難なく降りたっているのだ。空中で停滞できなかったのも、飛翔して地面に接触する前にUターン出来なかったのも、単に魔法に不慣れなためか魔法の適正が低いからだと考えればそれで済む。それでも敢えて着地を不確実な魔法に頼らなくてはならなかった事自体が、恭也が負傷している証拠と言える。
 つまり、シグナムの呆れ口調の問い掛けに返事を返したのは時間稼ぎだ。立ち上がった恭也は左半身を前にしているため詳細は分からないが、上着の右袖とズボンの右裾が破れているようだ。熱により破損したのなら生身の肉体も火傷を負っているだろうし外傷だけとは限らない。
 負傷の程度の確認か、痛みをやり過ごそうとしているのか。そこまで恭也の思考が読み取れる訳ではないが、魔法を使い始めたシグナムを相手にして、デバイスの起動音ごときに呆気に取られる余裕が恭也に無い事だけは確かなことだ。

 恭也が紫電一閃を妨害するために放った金属の針は、技の直後に周囲を警戒していて見つけている。飛来物に因って目を背けさせられる直前に恭也の左手が霞んで見えたので投擲したのは左手だった事はわかるが、寸前までデバイスを握っていた手で隠し持っていた針を引き抜いて投擲し、自由落下を始めたデバイスを再び握り直した事になる。それだけの早撃ちでありながら、高速移動する自分の眼球を正確に狙撃したなどとは信じたくない話だが、闇雲に投げた針の数がたまたま2本で、それが偶然目の位置だったなど有り得ない。
 デバイスを起動させた時に自分の背面に居た事から、針を投擲して視界を晦ませた後、自ら前進して交差する事で斬撃を躱した事が推測できる。魔法で発生した炎を纏った剣で切り付けた事から、その威力が術者の前方、せいぜい扇状に広がると推測しての行動、いや博打を打ったのだろう。術者を中心にして放射状に破壊力を撒き散らす術だったならその時点で恭也の命はなかったのだが、賭けに出なければどの道未来はなかったのだから選択の余地などなかっただろう。
 そこまでして尚、恭也は紫電一閃の余波で空高く舞い上げられた。如何に舞い上げられた原動力が空気とは言え、「爆圧」だ。衝撃波で鉄筋製のビルを崩壊させる事すら出来るのだから、爆風に晒された恭也が致命傷を負っても何の不思議もない。少なくとも紫電一閃にはそれだけの威力があるのだ。しかし、風圧で飛ばされたからこそあの程度の火傷で済んだとも言える。仮に恭也がバックステップして斬撃の範囲から逃れていたなら本当に消し炭になっていたところだ。
 だが、恭也は術の余波に考えが至らなかった訳ではないだろう。紫電一閃に対して剣を合わせる事すらしなかったという事は、それだけの威力があると見積もっていたからだ。「炎」から「爆発」を連想する事もそれほど難しい事ではなかった筈だから、斬撃を躱すだけではなく出来る限り距離を取りたいと考えていただろう。ならば余波は「食らってしまった」のではなく「喰らわざるを得なかった」のだ。その理由は、紫電一閃を妨害するために恭也が「時間」という対価を支払った事にある。
 恭也は術の余波を往なせるだけの距離を取るために必要な、何物にも変え難い貴重な「時間」を費やすことで、針を投擲するタイミングを得たのだ。針に因るダメージが皆無である以上、早過ぎれば即座に体勢を立て直して斬りつける事が可能だったと自分でも分析できるし、遅過ぎれば斬撃が届いていただろう。つまり、恭也は余波を受けるという代償を支払う事で、紫電一閃の本命である斬撃そのものを回避したのだ。

190 小閑者 :2017/09/18(月) 20:14:43
 そこまでの労力を費やして獲得した回避の隙にしても余裕などなかっただろう。如何に直前で標的を見失ったとは言え、それまではしっかりと照準していた以上、あのタイミングでは踏ん張りの利かないこの地面では素早く動く事が出来ないため半身になって躱した程度の筈だ。逆に言えば、余波とは言ってもそれだけの至近距離で受けて生き延びているのは、自分が斬撃の姿勢を崩された事が大きかっただろう。
 つまり、偶然という要素も含まれているとは言え、五体満足で生き延びていること自体が、魔法の使えない恭也が得られる成果としては法外なのだ。ならばそれだけの難行を成し得た報酬として、せめて恭也の体勢が整うまで戯言に付き合ってもいいだろう。


「さて、そろそろ続きを始めようか?」
「私の攻撃を目の当たりにして続行しようと言えるのは大した胆力だな。同じ事が二度通じると思っている訳ではないだろう?」
「逃げ帰って布団の中で震えて居たい位だが、お前たちを投降させる為には相応の対価が必要だろう。優勢にある者が敵の呼び掛けに応じる訳はないし、劣勢に立ってもお前が投降するとは思えん。叩きのめして拘束し、交渉の材料になって貰う。
 お前自身の身の安全では他の守護騎士への投降の対価にはならないだろうが、お前たちに殺生を禁じている主には交渉の材料になる筈だ」
「誰がそんな命令を受けているといった?」
「命令でないのなら、お前たち自身が主のために自ら禁じていることになるな」
「それも推測でしかあるまい」
「闇の書の守護騎士が、書の主のため以外に行動する理由があるものか」
「水掛け論だな。それに、お前が自らの命を削る戦いを継続する理由を答えていないな。先程管理局員になって日が浅いと言っておきながら、そこまでする理由があるのか?」
「…お前たちが蒐集活動を続ければ悲しむ人がいる。それだけだ」
「…そうか。
 私にも成さねばならぬ事がある。テスタロッサも待たせている事だし、次で引導を渡してやろう」
「そう急ぐなよ、お客さん。
 不破、弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  ッバシュー!
「…おいおい。趣味に走り過ぎだろう」

 恭也のコマンドヴォイスに従いカートリッジをロードするデバイスにシグナムが目を見張る。起動音声に引き続きやたらファンキーな音声確認だったが、当然注目すべきはそこではない。苦笑を交えて呟く恭也にシグナムが問い掛けた。

「魔法が使えるなら何故今まで使用しなかった?少なくとも私が使い始めたのに合わせていれば先程の私の攻撃を躱すのに砂の上を転げ回る必要はなかったのではないか?」
「嘗めていた訳ではない。個人的な意地だ。それも先程跡形もなく粉砕して貰ったがな。
 何とかして御神流の技で決着を着けたいと思っていたんだが、“敗北”という結果では困るんだ。
 不破、身体強化」
【Circult of SOLDIER】
「さて。信条を曲げてまで縋り付いて手にした力だ。退屈はさせん。篤と御覧じろ」

 言葉と同時に恭也が駆け出した。
 40mの距離を詰めるべく駆ける恭也の姿は戦闘開始時を彷彿とさせるが、決定的な違いがあった。
 初速から全速。
 砂地では有得ない筈のその速度は身体強化では得られないものだ。だが、のんびりと併用している魔法を推測している猶予などない。小太刀の間合いに入られてはシグナムの持つ魔法では恭也の動きに対応する事は難しいのだ。
 シグナムは即座に飛翔し、自らも恭也との間合いを詰める。交差の瞬間、シグナムの斬撃を躱すために中空を駆ける恭也を見て、漸く彼の併用している魔法の正体がわかった。直径30cm程度の円盤状の魔方陣が垂直の壁を蹴るような姿勢になっている彼の足元に見て取れた。

 足場の形成。
 恭也以外の誰であっても、それ単体では効果の薄いその魔法は、恭也にとっては絶大な成果を齎すだろう。地という“面”を駆ける事しか出来なかった彼が、任意の“空間”を足場に出来ればその行動範囲に圧倒的な広がりを見せる。今回の様な不安定な足場であれば効果は絶大だ。恭也の跳躍は、自分が飛翔魔法を使用して旋回や方向転換を行った場合を圧倒的に上回る速度を持つ。つまり範囲こそ限定されているが超高速機動手段を手に入れた事になる。
 だが、それでも自分との戦力差は埋め切れない。
 恭也には魔法の才能がない。恐らく、あれ以上並列で魔法を起動する事は出来ないか、出来ても強い効果は得られない。一芸だけは自分をも上回るほどに秀でているが、それ以上の広がりがない。
 致命的なまでの攻撃力不足だ。

191 小閑者 :2017/09/18(月) 20:17:57

 シグナムはそう結論を下す自身の理性を笑い飛ばした。あの男にそんな常識に納まっているほどの可愛げがあるものか!
 シグナムが空中に停止して振り向くと、既に恭也が追い縋って来ていた。流石に速い、そんな賞賛が思考を掠めるが、勿論油断はしない。
 突拍子もない事を当たり前のように仕掛けてくる恭也を相手にして“待ち”を選択するなど下策ではあるが、彼に攻撃をヒットさせるのは容易でない事も想像が出来る。もしかするとヴィータの中距離誘導型射撃魔法シュワルベフリーゲンすら空間を駆ける恭也なら躱しきるかもしれない。そして、シグナムには使い手の良い空間攻撃法がないのだ。ならば、騎士服の防御力を頼りに攻撃で動きの鈍ったところへカウンターを打ち込むのも一つの手だ。

 恭也は間違いなく格下だ。それにここまで梃子摺る事自体がイレギュラーなのだ。
 シグナムの持つどんな攻撃でも一撃入れば沈められる。だが、その一撃が入れられない。これ以上ずるずると戦いを引き延ばされて消耗すれば後に控えているフェイトとの戦いに影響するし、今はまだ来ていないが時間が掛かるほど増援が来る確率が跳ね上がる。
 その一方で、恭也が次に何を仕掛けて来るかに心を躍らせている自分がいることにも、シグナム自身気付いている。

(この攻撃が躱されたら次こそ紫電一閃で決着を着ける)

 誰にも聞こえないその言い訳を胸中に留めて、接近する恭也を睨み付けていると突然自身の周囲が明るくなる。それが恭也の使用している足場のための魔法陣が同時に複数展開されたためだと理解する前に、シグナムはレヴァンティンへ防御を命じた。

「レヴァンティン!」
【Panzerhindernis】

 展開したのは全方位をカバーする障壁パンツァーヒンダネス。高い防御力と引き換えに術者の行動を封じるためシグナム自身は歴代の守護騎士としての人生を通して数えるほどしか使用した事のないその防御魔法が発動した瞬間、凝視していた恭也の姿が忽然と掻き消えた。
 次瞬、障壁上を斬撃が走り回る。シグナムの全方位から聞こえてくるその斬撃音と、初撃に獣の鉤爪の様に四本同時に刻まれたものを初めとした連続した斬線が、攻撃者が本当に一人なのか、両の手に握った二振りの刀だけなのかと疑いたくなるものだった。
 驚愕のあまり思考の停止しかけたシグナムの引き伸ばされた時間間隔では何分間にも感じられたその斬撃の嵐は、実際には2秒にも満たない内にガラスを砕く様な硬質な音と共に停止した。
 シグナムが愕然とした面持ちで視線を向けた先に見たものは、砕かれた無残な障壁ではなく、足場を踏み抜いて明後日の方向へ体を投げ出す恭也の姿だった。



「ッゼェ、ッゼェ、ッゼェ、ハッ」

 シグナムはパンツァーヒンダネスを解除すると、吹き飛んでいった先で不時着し、戦闘態勢を取りながら乱れた呼吸を整えようとしている恭也の方向を見やる。流石に視認出来ないスピードで飛んでいっただけあって、20m以上離れている。魔法初心者が形成した足場に耐えられなかったのも頷ける面はある。間抜けだが。
 息を乱している恭也を見て、シグナムは漸く今までの魔法に頼らない戦闘行動において恭也が呼吸を荒げている姿を見た覚えがない事に気付いた。勿論、恭也にとって大した運動量ではなかった、という事ではなく、消耗の度合いを敵に悟らせないようにしていたのだ。
 最終的にはあまりにも間抜けな形で強制終了したようだが、あの時、使用する魔法の選択を誤っていれば流石に無傷では居られなかっただろう。

「ゼェ、普通、ハァ、格下相手に、ックゥ、完全防御は、ハァ、大人気ないんじゃないか?」
「あれだけの真似をしておいて良く言うな。
 それにしても、先程姿を消して攻撃したのはどんな魔法だ?」
「…こんなに息を切らせて見せているんだから、根性を入れて走ったと考えるのが礼儀じゃないのか?」
「そんな礼儀は知らん。が、やはりな」

 問い掛けると同時に瞬時に呼吸を落ち着けて見せた恭也にシグナムは呆れるしかなかった。先程の攻撃が体術である事は分かっている。魔法の発動を感じなかった以上、これは絶対だ。それでもシグナムがあれを魔法だと思い込んでいる姿を見せると、すぐさま呼吸が乱れている事こそが演技だったように見せかけた。
 恭也自身が本当にシグナムを騙せたと思っているかどうかは微妙なところだが、大抵の者は彼の態度に疑心暗鬼になるだろう。何が本当で何が嘘なのかがとても分かり難い。あまりにも非常識な事を何気なくやって見せるから尚更だ。

192 小閑者 :2017/09/18(月) 20:20:14
 楽しい。非常に楽しい。
 一度の対戦でここまで次々と驚かせてくれる者は初めてではないだろうか?
 奇を衒う魔法を次々に仕掛けてきた者は居たが、恭也のそれは常識を無視して予想の斜め上を行くものではあるがどれもが正攻法の延長にあるもののようだ。
 だが、これ以上は本当にまずい。これ以上深みに嵌まる訳にはいかない。

「惜しいとは思うが、次で最後だ。
 正面から来い、とは言わんが逃げるなら全力で逃げろ。
 半端な真似をすれば、死ぬぞ」
「怖い事を笑顔で言うな。不殺の誓いはどうした」
「先程言っただろう。そんな物はお前たちの推測に過ぎないとな」
【Explosion】  ッガシュン!
「やれやれ、少しくらい休ませてくれよ」

 炎を纏ったレヴァンティンを見ても軽口を絶やす事無く恭也が二刀を納刀した。当然、それは逃走のための準備ではないのだろう。そのまま刀の柄から手を放す事無くシグナムと対峙した。

 真っ向勝負。
 そう見せかけて絡め手で来る可能性も考えないではないが、今回ばかりは堂々と正面から来るだろう。と思う。もっとも、恭也にとっての正攻法が自分と同じ基準とは限らないだろうが。普通に考えれば、魔法の補助に期待できない恭也に紫電一閃と破壊力で競えと言うのは無理難題と言う物だ。
 そもそも、恭也に紫電一閃に対抗できる攻撃手段があるのだろうか?
 武器は耐えられるだろう。彼の身体強化が装備にも掛かっているのは、先の紫電一閃で所々焼け焦げている服が、目に映らないほどの高速行動にも耐えている事から推測できる。
 問題は攻撃そのものだ。身体強化を解除する事が自殺行為である事は分かっているだろう。
 攻撃は最大の防御、紫電一閃の攻撃力を完全に相殺出来るだけの威力を持つ攻撃魔法であればバックファイアから術者を守るための相応の障壁が展開されるため全て解決する。だが、当然の事ではあるがそれは高等魔法だ。魔法初心者の恭也に扱えるものではない。
 それに恭也が気付いているかどうか分からないが、仮に同威力の砲撃で競ったとしても正面からぶつかれば斬撃という一点に威力を集中している紫電一閃に軍配が上がる。
 常識の範疇に納まるならば恭也に対抗手段は無い。だが、彼は先程身を持って紫電一閃の威力を体感していながら正面から対峙している。命懸けのハッタリという事はないだろう、自信はないが。
 可能性の高い方法は先程の高速行動で斬撃を躱しての反撃だが、明らかに消耗を隠しきれなくなっている今、如何に身体強化が継続していようと再度実行できる技とも思えない。
 ならば、純粋な身体技能で紫電一閃に対抗するだけの破壊力を実現出来るのか?無理であって欲しいところだが、先程はテスタロッサの使っていたプリッツアクションと同等の事を成したという実績がある以上、油断は出来ない。

 そこまで考えて、シグナムは考えるのを止めた。集中が乱れて威力を落とすほど未熟ではないが、何をしてくるか予想の付かない恭也を相手にして他事を考えていては対応できる訳が無い。

 汗が滴る。
 日差しは強く、地面からの照り返しも焼けた地面から立ち上る熱もある。シグナムが騎士服により大半の熱を遮断しているのにこれだけ熱いなら、恭也が熱によって奪われる体力はどれほどだろうか。この日差しに長時間さらされるだけで日焼けどころか火傷するだろうに。
 片隅でそんなどうでも良い思考を弄びながら対峙していたにも関わらず、恭也の意思が混線したかのように駆け出す瞬間がピタリとあった。
 飛翔するシグナムと疾走する恭也は、その中間点で接触した。
 シグナムが上段に構えたレヴァンティンを振り下ろすのに対し、恭也は右手で腰に挿した八影を、それを追うように左手で左肩越しから不破をそれぞれ抜刀、一振りの剣と二振りの刀が同時に空間の一点で接触した。

193 小閑者 :2017/09/18(月) 20:22:33

「目が覚めたようだな。
 そのまま聞け」

 結界の中で意識を取り戻したボロボロの姿の恭也に、覚醒しきる前の意識で致命的な発言をしないように牽制してからシグナムが語り掛けた。

「テスタロッサのコアは蒐集させて貰った。言い訳は出来ないが彼女が目を覚ましたら“済まなかった”と伝えてくれ」
「…何故、俺のリンカーコアに手を出さない?」
「お前の貧弱な魔力では数行程度にしかならん。情けだとでも思っておけ」
「テスタロッサに頼まれたか?」

 シグナムの言葉を無視するように尋ねる恭也にシグナムが逡巡するが、直ぐにそれが答えと同義である事に気付いて言葉にして肯定した。

「…ああ。
 今のお前が戦う力を失えば、自分の体を誰かの盾にするためだけに戦場に出かねないと。
 同意見ではあったが従う義理も無かったので無視するつもりだったが事情が変わった。その程度で謝罪になるなら数行分くらい他で調達すれば良い」
「この結界は、テスタロッサか?」
「ああ、ここの日差しでは私との戦いに決着が付く前にお前が丸焼きになりかねんからな。
 感謝しておけよ?カートリッジまで消費して、細部まで丁寧に築き上げた一品だ」

 フェイトは結界魔法の適正が低い。使えない訳ではないが、術者の意識が断絶した状態で継続するほどの結界は日差しを和らげ気温を調整する程度の物とは言っても容易いものではない。
 からかう様な台詞を顰めた顔のまま口にしたシグナムが、両手で抱き上げていた気絶したフェイトを結界内の恭也の隣に横たわらせようとしたところで、恭也が苦労して上体を起こし両手を差し出してきた。誤解しようの無い、フェイトを受け取る仕種に対してシグナムが意外さを表情に表しながらも無言で応じた。
 気絶している人の体は重く感じるものだが、恭也は軽い仕種で横抱きのまま受け取った。もっとも紫電一閃で受けたダメージはやはり深刻な様で動作は酷くゆっくりとしたものだったが。それでも、そのまま胡坐を掻いた足の上にフェイトのお尻を乗せて、上体を自分の胸に凭れ掛けさせた。たったそれだけの動作に呼吸を乱しながらも、力を失って傾くフェイトの頭を肩で支えながら、恭也がポツリと呟いた。

「阿呆が、人の心配をしている場合か…」

 それは言っている本人にも適用される言葉だったが、既にその場に聞いている者は居なかった。



     * * * * * * * * * *

194 小閑者 :2017/09/18(月) 20:24:45
     * * * * * * * * * *



「シグナム、恭也と戦ったってホントか!?」
「ヴィータ、少し落ち着け」
「落ち着いてるよ!どうなんだ!?」
「騒ぐとはやてちゃんを起こしてしまうわ。落ち着いて」

 シャマルがヴォルケンリッターに対する絶対的な強制力を発動させる魔法の言葉を口にすると覿面にヴィータが口を閉じた。それでも表情だけでシグナムを急かしている辺り、いかに恭也のことを心配していたかが見て取れる。
 負傷した恭也が管理局に収容された時の出来事は聞いている。負傷については直ぐに治療が施されている事は想像出来るためそれほど問題にしていなかったが、恭也のヴィータに対する態度を不審に思われたのではないかという点を非常に気にしていたのだ。

「ああ。ちゃんと管理局員として振舞っていた」
「そう、か」
「良かった、って手放しに喜べないところが複雑ね」
「俺としては恭也が前線に出てくるというのは意外だが。もっとも資料庫に立て篭もっていられる風でもなかったがな。実力はどうだった?」
「梃子摺らされた。次から次に予想を上回られた」
「戦場に現れるだけの事はある訳だ」
「そんな可愛げのあるレベルではなかった。極めつけは紫電一閃に真っ向からぶつかってきたぞ」
「はぁ!?知らないからって無茶にも程があんだろ!
 っつーかシグナム!恭也相手に何本気出してんだ!」
「そうよ!恭也君を殺す気!?」
「落ち着け、2人とも。
 …それほど恭也の実力が高かったのか?」

 興奮する2人を宥めたのは唯一冷静さを保っていたザフィーラだが、流石に疑わしげに問い掛けた。その当然と言える反応にシグナムがどこか誇らしげに答える。

「紫電一閃は二度放ったんだ。
 一度目は魔法の補助も無しに躱された。余波で跳ね飛ばしはしたが初見であそこまで見事に躱されては言い訳もできん。
 二度目は一度目で威力を実感していながら、身体強化しか使えないくせに正面から打ち合いに来た。結果は、奴は衝撃で意識を失い、私はレヴァンティンが刃毀れした」
「刃毀れ!?いや、正面から打ち合って生きてんのかよ!?」
「流石に見た目はボロボロだったし目を覚ましてもまともに身動きが取れない様だったが、紫電一閃の8割方の威力を相殺された事になる」
「ちょっ、待ってシグナム!恭也君、身体強化しか使ってなかったってほんとなの!?」
「使えない、と表現する方が正しいようだ。魔導師としての適正は低いらしい」
「では、身体技能だけでそれだけの威力を発揮したというのか!?」
「そうなるな。方法は全く分からんが、レヴァンティンが言うには強力な振動波を放っているようだ。恐らく武器破壊を目的とした技なんだろう。
 先程は8割を相殺と言ったが、刃毀れを起こしたレヴァンティンが自壊しないために威力を抑えた事も含めてだ」
「それでも、それは恭也君が刃毀れさせた事による成果ね」
「ああ」

 シャマルの正当な評価に満足げに答えたシグナムが静かに興奮していた。恭也との戦闘を反芻しているのが丸分かりだ。

「それにしてもこの短期間に魔法を使えるようになっていたとはな」
「登場した時から八影の他に同じ様な形状の刀を差していたんだが、待機状態にしていなかったから私も初めはアームドデバイスだとは気付かなかった。
 最初は魔法を使わずに済ませようなどと甘い考えを持っていたら、たいした時間も掛からずに追い詰められて使わされたよ」
「剣技だけでシグナムを上回るのかよ。振動波を打てるなら出来ない訳は無いんだろうけど…何に驚けばいいのか分かんねぇな」
「確かにな。しかし、恭也は何故最初から魔法を使わなかった?出し惜しんで命を危険に晒すタイプではなかったように思うが」
「そこは私も不思議に思っている。実際、魔法を使い始めたら惜し気もなく仕掛けてきたしな。本人は『剣士の意地』と言っていたが、目的と手段を違えるような未熟さが残っていたのか?」

 その手の失敗は熟練者でも陥る可能性のある罠なので、完全に否定するほどの事ではない。ただ、それは長期間一つの事に携わっている場合に陥りやすい傾向にあるものだ。

195 小閑者 :2017/09/18(月) 20:25:16
 恭也が八神家に来た当初、“目的と手段”の話題でかなり明確な基準を自分の中に備えている様だったので少々違和感を感じたのだが。

「管理局側に何かを隠そうとしていたんじゃないかしら。
 恭也君、他に何かメッセージを伝えようとしていなかった?」
「…そうか、それなら辻褄は合う。不用意だったんじゃないかと思っていたが、管理局側でも流派への拘りを見せていれば隠せるはずだ」
「何だよ、一人で納得してないでさっさと言えよ!」
「開戦時に、あいつが正式に流派を名乗ったんだ」
「…え?」
「永全不動・八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術 八神恭也」

 シャマルの口から零れた声にシグナムが砂漠で聞いた恭也の名乗りを口にした。

 この世界の剣術であればその戦技に魔法は組み込まれていない。だからこそ、恭也は名乗りを上げる事が不自然にならないように、流派の戦い方に拘る者として魔法を一切使わなかった。
 魔法を使わざるを得ないほど追い詰められてからは、流派の技こそ振るっていても、御神流の剣士として振る舞う事無く、軽口を重ねて見せた。

「…そう。誓いと警告ね」

 戦闘に直接携わらないシャマルも、剣士が流派を名乗る意味を取り違える事は無かった。
 ヴィータもザフィーラも無言のまま時が流れる。
 静寂を打ち破るようにシャマルが再び口を開く。

「誓いについては、良かった、って言うべきかしら。それとも残念ね、かしら?」
「勿論“残念”だ。この言葉は主はやてに宛てた内容ではないだろうが、それでも出来る事ならご報告したい言葉だった」
「そうね。はやてちゃん、一生懸命隠そうとしてるけど、やっぱり恭也君が居なくなって寂しく思っているもの」
「“管理局に所属しても八神として在り続ける”
 あいつが態々戦場に出向いて来たのは、その宣言をするためだけと言っても過言ではなかったんだな」

 流派を名乗るのは、嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言する事。
 恭也はシグナムと戦う事が避けられなくなる事を知りながら、ただ2つのメッセージを伝えるためだけに、細い糸を渡る様な戦いに身を投じたのだ。

 “八神”である、と。はやての味方で在り続ける、と。

 文字通り、恭也が命懸けで伝えてきたその1つ目のメッセージを、今一番その言葉を欲しているであろうはやてに届けられない。
 自分たちという存在こそが、はやてに害を齎しいるのではないかという考えが浮かんでしまう。
 そして、恭也が名乗りに込めたもう1つの意味。それは先程脳裏を過ぎった否定したい考えを指摘するかのような内容。4人共が正確に読み取り、しかし、口にする事で認めたくない内容。

 八神として、はやてのために、ヴォルケンリッターを止める。

 それは名乗ることで誰しもが連想する表面上の意味と重なる、スパイとしてではない、事実上の敵対宣言だ。
 誰も恭也が寝返ったとは思っていないし、決して肯定している訳ではないだろうが今更犯罪行為を理由に中止を呼びかけてくるとも思っていない。つまり、こちらの言葉の裏には警告が込められているのだ。

 『ヴォルケンリッターの行動、あるいは存在そのものに、はやてに致命的な不利益を齎す可能性がある』と。

 ただし、それも有力ではあっても可能性でしかない段階だ。絶対の確証を得れば、形振り構わず八神家に押し掛けている筈だからだ。

196 小閑者 :2017/09/18(月) 20:25:59

 恭也が居なくなってから、一度だけ4人で協議した事がある。恭也が安全・確実かつ平和的な方法を見つけてきた場合には、潔く自首するというものだ。4人共、好んではやての命令に背いて蒐集活動を行っている訳ではないため、当然の結論ではある。
 しかし、蒐集活動がはやての害悪になるという可能性は想定していなかった。闇の書の主として覚醒すればはやては絶対たる力を手に入れ、その一部として肉体機能が万全になる。書の侵食による下半身の麻痺はもとより、病気の類とは一生無縁になるのだ。手に入れた力を悪用すれば確かに害悪とも言えるが、はやてがそれをするとは思い難いし、万が一そうなったとしてもそれはその時対処する問題だ。
 だからといって、恭也が軽はずみな行動を取っているとも思えない。管理局側に信用させるためのポーズとしては、事が重大すぎる。剣士としての側面を持つ恭也が戦場に立つ以上、殺される覚悟は勿論、状況によっては4人のうちの誰かに止めを刺す覚悟も出来ている筈だ。
 恭也が決意するほどの、せざるを得ないほどの懸念事項。それが何なのか誰にも分からない。
 しかし、恭也の調査結果を座して待つ事は出来ない。闇の書の侵食速度が速くなっているとシャマルが診断したからだ。原因は不明だが、状況的に見て恭也の不在によるはやての気力の低下が有力だろう。ならば、蒐集を進めて結果的に悪化させる可能性と、停滞させた結果有力な解決手段が見つからず蒐集が間に合わなくなる可能性、二つを秤にかけて4人は前者を選択した。どちらも可能性でしかないならば、自分達の知る手段を実行することにしたのだ。

「闇の書が完成して、はやてが真の主になって、それではやてはホントに幸せになれるんだよね?」

 ヴィータが漏らした弱音の様なその言葉に即座に同意出来る者は居なかった。




続く

197 小閑者 :2017/09/19(火) 21:45:53
第19話 悪夢



 全身に軽度の、そして右腕、及び右足に他より症状の重い火傷
 右耳の鼓膜の破裂
 右側の肋骨が3本骨折、2本に皹
 多数の打撲、打ち身、擦過傷
 過度の運動による糖分、蛋白質、その他の栄養素の欠乏。つまりは疲労。

「あいつの非常識さには慣れてきた積もりだが、それでも信じ難いな…」
「うん、7階級差の敵と戦って“この程度”で済んだなんて、誰も信じないよね。多分、遭遇して直ぐに逃げ出したって言っても疑われるんじゃないかな」

 シグナムとの戦闘による恭也の負傷の診断結果を見たクロノが零した感想にエイミィが同意した。
 戦闘中に意識が途切れた時点で戦いには負けているが、エイミィの言葉通り五体満足で生きている事自体が異常事態だ。
 逆に止めを刺されなかった事自体はそれほど特異な事ではない。ヴォルケンリッターがこれまでの蒐集活動で殺害を避けていた事とは関係なく、本来なら7階級も格下の敵とは塵芥と同義なので態々止めを刺すような手間を掛ける魔導師は少数だ。今回はフェイトが後に控えていた事も根拠を補強している。
 尤も今回の戦いを見る限り、恭也を相手にした者は、彼を脅威と認定して止めを刺しに来ても不思議ではないので、魔導師ランクを覆す事が良い事ばかりとは限らない訳だ。

「それもあるが、これだけ負傷しながら、決定的な戦力低下に繋がるような傷が無い。
 骨折の痛みを無視するのは簡単な事じゃないが、あいつなら体力さえ回復すれば平然と戦線復帰する。骨折したのは例の高速行動の前のはずだしな」
「…あ〜、確かに」
「困ったものね」

 その程度の感想で済んでしまう辺り、恭也の非常識度に対する共通認識はかなり浸透しているようだ。


 現在、艦船アースラの会議室の一室には艦の首脳陣が集まっていた。先の戦いの事後処理がひと段落して反省や方針の確認を行うためだ。

 恭也がシグナムと交戦を始めた後、暫くすると別の次元世界でヴィータを発見した。
 闇の書を携えている事からこちらが本命であると推測し、捕縛のためになのはが出撃するがヴィータを追い詰めたところで仮面の男の横槍が入り失敗に終わった。
 しかし、エイミィが悔しがる暇も無く駐屯地である海鳴のハラオウン邸に設置した管理局と同レベルの防壁が組まれているシステムが、クラッキングを受けて即座にダウンさせられた。
 通常であれば有り得ないその事態に対してエイミィがすぐさま対処に乗り出せたのが、自分の中の常識という価値観を覆される事に慣れてきたお陰かどうかは不明だが、短時間でシステムを復旧させる事に成功。だが、時既に遅く、補足できたのは結界内で寄り添って座り込む傷だらけの恭也と気を失ったフェイトの姿だった。
 試験運行中だったアースラが現地へ急行して2人を収容し、即座に治療を行えた事で大事に至る事は無かったのが不幸中の幸いと言えるだろう。
 リンカーコアから魔力を吸収されたフェイトが意識を取り戻したのと入れ替わるように今は恭也が眠りについている。
 正確に表現するならば、疲労と負傷で何時気絶しても不思議ではないほど体力を消耗しているはずの恭也が全く眠らなかったため、治療に託けて魔法で眠らせたのだ。
 勿論、恭也が治療を拒絶していた訳ではないし、起きていたからといって治療できない訳でもない。実際、恭也の傷は鼓膜の再生も含めて治療が終了している。だが、蓄積した疲労を回復するには睡眠は不可欠と言ってもいい。

 恭也に眠りの魔法を掛けた時、アルフがなにやら慌てていたため何か問題を抱えているのかと少々気にはなった。
 だが、クロノと同様に疑問を持ったフェイトが問い掛けても、アルフは言葉を濁して明言を避けていた。アルフが主であるフェイトに対してそんな態度を取る事は滅多に無い事を知っているだけに余計に気になったが、フェイトに無理強いする積りが無い様なのでクロノにはどうにもならなかったのだ。
 流石に致命的な問題を隠しているという事は無いだろうから、何か恭也が個人的に困るような事を知っているのだろうか?
 無いとは思うが、おねしょが治っていなくて医務局のベッドを水浸しにしていたら、指を指して笑ってやろうとクロノは心に固く誓っている。

198 小閑者 :2017/09/19(火) 21:46:41
「恭也は魔法に頼れない以上周囲の情報は五感で集めるしかない。多分、傷そのものより右耳が聞こえないことの方が深刻だろう。
 尤も、それさえも視覚や触覚で補っていたようだけど」
「目で耳の代わりは出来ないでしょ?」
「唇の動きを見て台詞を読み取る技術がある。
 実際、爆圧で吹き飛ばされた時、鼓膜が破れた右耳は勿論、左耳もまともに聞こえなかった筈なのに会話を成立させていたしね」
「え、あれって聞こえてなかったの?」
「確かに恭也さんはバリアジャケットを展開出来ないものね。あれだけ至近距離から生身であの爆発音を受ければ暫くは聞こえないか。
 幾ら我慢強くても骨が折れた直後は痛みが引くまで動作に支障が出るから、少しでも回復する時間を稼ぎたかったとは言え凄いわね」
「いえ、もっと深刻な問題があった筈です」
「肋骨の骨折以上に深刻って事?」
「ああ。
 あの時の恭也は三半規管が揺らされて平衡が保ずに、戦闘行為以前に歩く事もままならなかった筈だ。ゆっくりした動作とはいえ立ち上がれたのが不思議なくらいだ」
「…とてもそうは見えないけれど」
「ですが、着地の際に砂の上を転がり回っていたのは恐らくそれが原因です。
 あいつの身体能力ならあのくらいの着地で無様を晒すとは思えません」
「信頼してるんだねぇ」
「…知っているだけだ」

 面白がっているエイミィの視線から顔を反らして熱を持ち出した頬を隠すクロノを見てリンディが微笑む。年頃の男の子としては素直にその事実を認めるのは恥ずかしいのだろう。

 クロノには同年代の友人が少ない。プライベートの時間がなかなか取れないからだ。職場では役職上、同年代はほとんどが部下となり、軍事組織としての側面を持つ管理局では階級差があると馴れ合う事が出来ない。更に本人の気質がその関係を助長してしまう。
 訓練校を卒業してから脇目も振らずに局員として過ごしてきたクロノにとって、立場を気にする事無く接する事が出来る相手は貴重だ。
 ましてや、各分野の技能を水準以上に高める事で高い戦闘力を得たクロノに対して、一分野の技能をとことん高める事で他を補っている恭也の在り方はとても刺激になるのだろう。
 エイミィの追求を避けるためにクロノが話題を修正した。

「それに時間稼ぎ以外にも目的があったと思う。多分、敵に自分の情報を与えない為のハッタリも兼ねているんだ」
「情報?…ダメージの大きさや箇所の事?」
「そうだ。負傷を隠すのは戦闘の駆け引きでは重要な事なんだ。
 “どれだけ攻撃しても効果が無い”と思わせれば敵に攻撃を躊躇させる事が出来るかもしれない。
 不安にさせるだけでも集中力を低下させる事が出来る。
 敵の表情が見分けられる近接戦では必須技能と言っても良いだろう。
 もっとも、恭也のは異常だけどね。僕だって、診察結果とモニターを見比べたから推測出来たけど、実際に対戦しているシグナムの立場だったら何処まで気付けたか…」
「理屈では分かるけど、私もここまでする人にも、ここまで出来る人にも会った事は無いわね」

 エイミィは勿論だが、リンディも近接戦闘の経験は多くない。
 典型的なミッド式の魔導師であるリンディは距離を取った戦闘を基本とし、その“基本”だけでほとんどの敵を撃墜出来てしまえるほど優秀だったため、訓練以外では近接戦闘の場面はなかった。勿論、訓練結果は優秀だったが、実戦でなければ分からない事は多い。尤も、そもそも指揮能力が高かったため前線にいる期間も長くはなかったのだが。

 クロノは恭也の戦闘についての講釈が一区切りついたところで、バルディッシュが記録していたシグナムと恭也の戦闘シーンを見終えたリーゼ姉妹に声を掛けた。

「感想は?」
「非常識」
「異常者」
「うわぁ、物凄く端的な感想だね」
「頷けてしまう辺り、恭也さんに同情してあげるべきなのかしら」

 2人の至極真っ当な感想に苦笑を浮かべるエイミィとリンディ。もっとも、多少なりとも恭也の戦闘方法を事前に知っている3人にとっても、この展開は異常極まるものだ。

199 小閑者 :2017/09/19(火) 21:50:02

「ロッテ、君にならあの戦い方は可能か?」
「…大半の行動は、再現は出来る。でも、この戦闘方法自体は無理だね」
「使い魔の身体能力でもそうなんだぁ」
「エイミィ、ロッテが言っているのは身体能力とは関係ない部分だ」
「言ったろ?再現は出来る。身体能力自体はこのボーズより私の方が上だ。勿論、魔法の補助があるからこそだけどね」

 リーゼロッテは猫を素体とした使い魔だ。魔法が無くてはそもそも人型をとることすら出来ない。そして、人型を取った時点で通常の人間の身体能力を大きく上回る。
 それは一般人と比較すれば人間を逸脱したような身体能力を持つ恭也すら超えるものだ。ならば、恭也の戦い方が出来るのか、と言えばそういう訳にはいかないのだ。

「だけど、戦い方そのものは真似できない。
 どの場面を見ても、私なら絶対に採用しないような選択肢ばかり、いや、選択肢として発想しないものばかりを実行してる。それは私の持つ技能からすると最適じゃないから、ってのもある。アリアほどではないとは言っても私も魔法は使えるからね。
 そもそも私の存在が魔法の上に成り立っている以上、魔法を使わないなんてナンセンスだ。それでも敢えてこの戦い方をするとなれば、少なくともこのレベルに達するには相当な年月を費やして練習する必要があるね」

 近接戦闘では敵の攻撃に対して一から十まで思考を働かせて体を動かしていては間に合わない。だが、条件反射だけで戦闘を成立させる事も難しい。敵を打倒する事が目的とは限らないし、そうであっても反射行動では同じパターンの繰り返しになりかねず、それは隙となる。
 一般的に武術では“型”を体に覚えこませる。敵の行動に対して適当な型を選択して実行する事で全ての動きをその場でアレンジするよりも格段に動作が速くなる。勿論、一連の行動を体に染み込ませる事で動作そのものにも技の連携にも無駄を無くす事も大きな目的の一つだ。
 荒っぽい表現をするなら、格闘ゲームでコマンド入力すれば技が出せるのと同じ様なものだが、その“一連の動作”の長さが問題になる。
 ロッテが再現出来ると言ったのは、流派を名乗るところから紫電一閃に打ち負ける所までの全てを“一連の動作”とする事だ。だが、当然ながらこれでは実戦では使いようが無い。少しでも敵が違う動作をした時点でかみ合わなくなるからだ。
 普通は“一連の動作”とは一撃単位まで分割し、敵の動作に合わせて他の“一連の動作”と組み合わせるなどの応用が不可欠だ。
 ロッテが練習の必要があると言ったのは、動作の習得と習得した動作の選択を適切に行えるようになる事の2つがある。

「とは言え、私の目からするとシグナムが魔法を使い始めてからは、あの戦い方は全部が博打にしか見えないわね。
 彼の実力でAAAクラスと遣り合おうと思えばこの辺りが限界なんでしょうけど、普通はそもそも遣り合おうなんて発想自体が湧かないわ。
 無知って怖いわね」
「意外だな。『戦いに“絶対”や完璧は無い。敵の攻撃を予測し、自分の取れる最善を模索する事こそ戦いの本筋だ。自分より弱い者としか戦えないようじゃあ役に立たない』そう言っていたのは、アリア、君だったはずだ。
 それに恭也はシグナムの技を見ても怯む様子を見せていない。AAAの実力を知っていたとしても平然と挑んで行っただろうさ。内心はどうか知らないけれどね」
「クロスケが男の味方をするとは珍しいね?」
「待て!性別で態度を変えた事はないぞ!」
「男性への評価が辛口になるだけよね?」
「公明正大を心掛けてます!」

 寄って集って苛められるのは最早クロノの日常と化しつつある。逆らえない存在と苦手な者と天敵が集まればジリ貧でしかないが、最後の矜持とばかりにクロノは必死になって抗う。その反応こそが彼女達を焚き付けるのだが、そのことに本人が気付くのはまだまだ先のことのようだ。

200 小閑者 :2017/09/19(火) 21:54:49
「ロッテ、話を戻すが恭也が終盤に見せた高速行動や剣を交差させた攻撃も再現できるのか?」
「チッ、嫌なところを付いてくるね。
 あの2つは難しそうだ。高速行動魔法を突き詰めれば近い事は出来るかもしれないけど、たぶん同じにはならないと思う。
 あれは異常だ。あれほどの高速行動に思考速度が追い付けるとは思えない」
「そうね。でも、もしかすると追い付いていないかもしれないわ」
「どういうことだ、アリア?」
「今回は敵が完全な防御体勢に入っていたでしょう?動かない標的であればそれほど思考を挟まなくても斬りつける事が出来てもおかしくはない。
 同じ速度で動く敵に対しては同じ事が出来ない可能性があるわ」
「あ、そうか」
「確かに、仮面の男を弾き飛ばした時も反撃の肘打ちに対応出来ていなかったな」

 クロノにも今度のリーゼアリアの見解には一理あるように思える。
 確かに魔法を使わずにあれだけの高速行動が出来る事には脅威を感じるが、発想を転換すれば魔法を使えない恭也が力技でそれを補っているに過ぎない。…力技で補える事自体が驚異的なのだが、恭也の非常識さに驚くのもそろそろ疲れてきたのだ。

「それに、何よりもあれほど疲弊するようでは戦闘中においそれと使えないわ。文字通りそれで戦闘を決着させる決め技にしなくちゃならない。一対一でなければ使いどころは無いと言っても良いくらいでしょうね」
「脅威的ではあっても絶対的では無いという事か。
 剣戟の方はどうだ?」
「どうって言われてもねぇ、解析結果くらい教えてよ。
 あんな細い剣を二振り重ねたくらいでアームドデバイスを刃毀れさせられるとは思えないんだけど?」

 その感想は当然と言えるものだ。
 刀は西洋の剣とは違い、刀身が細く、見た目からして強度が低い。それは“引き裂く”あるいは“切り裂く”刀と、“叩き切る”あるいは“押し切る”剣との用途の違いでもある。小太刀は刀身が短い分、やや厚みを持つが、それでも刀の域を超えるものではない。
 ただし、この剣戟の異様さはそれだけではなかった。

「特に後から追った剣は先の剣に叩きつけてるんだから、普通一振り目が折れるでしょ?
 見た目だけを真似るなら、まあ、簡単じゃないけど練習すれば出来なくはない。だけど同じ成果は得られない。
 今言えるのはそれくらいだね」
「見た目を真似るだけでも簡単には出来ないの?」
「出来ないよ。
 エイミィには実感が湧かないかもしれないけど、全力で振った両手の剣を同時に交差させて当てるってのは難しいんだ。
 どの程度のタイムラグまで許容するかにも依るだろうけど、真っ先に思いつくのは、一振り目の後ろから当てるためには、二振り目は剣の幅の分だけ手前を到達点にしなくちゃならない。右と左で到達点が違う上に、敵の剣も高速で向かって来るんだから勘に頼る部分も少なくないだろうね。
 更に言うなら、剣を振った時の軌跡の中で威力の高い場所は限られてるからね。あれが技術の集大成だってんなら、ただぶつければ良いって訳じゃあ無いだろうさ。想像出来そう?」
「…はは、難しそうだって事はなんとなくわかったかな」

 リーゼロッテが憮然とした表情ではあるものの、正直に考えを口にした。
 戦闘に従事する者は無意味に見栄を張る事はない。必要な場面ではハッタリも使うし、手の内を隠すために嘘も吐くが見栄とは別物だ。
 何より、リーゼ達は恭也の戦闘技能を知る必要があった。
 何処からか紛れ込んで来た取るに足らない羽虫、その程度の認識だった恭也が、状況と方法によっては十分に脅威と成り得る事がこの戦闘記録で明らかになったのだ。リンディ達に不審に思われない範囲で恭也に関するデータを収集しなくてはならない。
 ロッテの疑問に特に警戒する様子もなくエイミィが苦笑しながら解析結果を答える。

「あれを真似するのは、まだ“難しいみたいだ”って思えただけマシかもしれない。中身の方はもうどうやってるのか想像もつかないんだよ。
 原理は不明だから現象だけ言うと、剣を叩き付けた時の衝撃を任意の点、この場合なら敵さんの剣に集めてたみたい」
「…ハァ?」
「あ、やっぱり想像つかない?」
「衝撃を集めるって言っても…、ブレイクインパルスの様なものかしら?」

 エイミィの言葉から何とか既存の概念に当てはめようとしたリンディが考え付いたのは、物質の持つ固有振動数を解析し、その周波数の振動波を送り込む事で対象を破壊する魔法だ。
 固有振動数による破壊は、実際に吊り橋などで発生した事例もある事から分かる様に純粋な物理現象であり、ブレイクインパルスはその現象を魔法で強制的に発生させているに過ぎない。
 それが人間に出来る事かどうかは問題ではない。既に非常識の領域を漂っている恭也に今更そんな事を言うのはナンセンスだ。

201 小閑者 :2017/09/19(火) 21:57:34
「いえ、あれとも少し違うみたいです。
 先に言っておきますが、推論でしかない事を忘れないでくださいね?
 彼がやったのは、10枚重ねたガラスの板を、上から叩いて5枚目だけを割る、そういう技術だと思います」
「…また、そんな絵空事みたいな事を…。
 じゃあ、後から追った左の剣の威力が、一撃目の剣を透過してシグナムの剣を破壊しようとしたという事か?」
「そうなるかな。
 一撃目と二撃目の破壊力が、両方とも同じ点で同時に炸裂したからこそシグナムの剣を欠けさせる事が出来たんだと思う。もしかすると、相乗効果みたいな現象も働いてるのかもしれないね」

 そう締め括るエイミィの頬は引き攣っていた。まだ、恭也の行動の非常識さに悟りを開く事までは出来ていないのだろう。尤も、この場に居る誰一人としてそんな事は出来ていないのだが。

「…まぁ、恭也君が敵じゃなくて良かったよねぇ。何してくるかわかんないし」
「この戦闘記録の後じゃ、私たちの報告なんて大した意味が無かった気もするけどね」
「そんな事はないさ。恭也とシグナムがグルで、こちらに信じさせるために演技している可能性もあったんだ」
「でも、恭也さんがデバイスを持てたのは偶然の要素が強過ぎるわ。お爺さんからは間違いなく魔法に関して初心者だって報告も受けてるし。
 結託しているとしてもシグナムが恭也さんの魔法戦闘の実力を知っていることは有り得ない。相手の力量も把握していない状態であそこまでギリギリの攻撃を仕掛けるとは思え難いわね」

 リンディが苦笑しながらこの戦闘が演技であった可能性を否定した。尤も、本当に命懸けで騙そうとしてくるやばい連中も居るため油断する訳には行かないので、リーゼ達の「異常なし」の報告が有ったればこその結論と言える。
 その点、恭也とヴォルケンズとの繋がりを知っているリーゼ姉妹の方が余程驚いている。
 リンディの台詞にあった通り、シグナムは恭也の魔法戦闘の実力を知らない筈なのだ。少なくともバリアジャケットを装着していない事から大した魔法適正がない事は推測出来る筈だ。にも関わらず恭也に対して全力攻撃を仕掛けるなんて想像もしていなかった。

 ひょっとして、仲悪かったの?

 共にアイコンタクトで片割れに問い掛けるが、2人で同じ疑問を発している時点で答えなど得られる訳が無かった。


 姉妹が仲良く睨み合っているのを訝しげに眺めていたクロノに医務局の局員からコールが掛かった。内容は目を覚ました恭也が呼んでいるので手が空いたら来て貰いたいとの事。

 本来、執務官は多忙であるため一個人が、それも民間協力者が呼び出して良い存在ではない。恭也側から面会に行くのも同様だ。役職を無視したら組織など成り立たない。
 だが、ここはリンディを艦長に戴くアースラだ。上位者側に選択権があるとは言え、その行為自体を咎められる事はない。
 クロノとしても先の戦闘について恭也に訪ねたい事がいくつか出来たため、出向く事にした。尤も、彼固有の攻撃方法に関しては知る事が出来ないだろうと諦めている。回答が得られたとしても真実では無い可能性が高いからだ。幾ら突飛な答えだったとしても、行動そのものが非常識なので嘘か本当か判断できないから性質が悪いにも程がある。
 あと半日は眠り続けるはずの恭也が目を覚ました事で、自身の医療知識に不安を抱く通信をくれた医務局員に、くれぐれも恭也の事例は無視するように念を押したクロノは一同に断りを入れて退室すると、当然のように追って来たエイミィを伴って医務室に向かった。

「それにしても、恭也君、随分早く目を覚ましたよね」
「今更その程度の事、驚く気にもなれないけどな」
「そうなんだけどね。
 ただ、恭也君からクロノ君に、って言うより自分から誰かに話し掛ける事って無かったから、何か関係があったりするのかなって」
「…流石に、よく見ているな」

 エイミィの言う通り、恭也はアースラクルーに自分から近付く事がなかった。

202 小閑者 :2017/09/19(火) 22:00:09
 別に、恭也にもっと社交的になれと言うつもりはないし、なのはのプロフィールを調べる過程で知ったこの世界の御神流の在り方からしても目立つ行動を取るとも思えない。
 そもそも、仮面の男の攻撃で負傷してアースラに収容されてからたいした日数は経過していないし、乗艦していた時間自体も極短いのだから、クルーの中に溶け込めていなくて当然とも言える。
 しかし、異邦の地だからこそ不安を軽くするためにも意識・無意識に関わらず、少しでも面識のある者と共に行動しようとするものだ。いくら肉体面・行動面が非常識な恭也であっても精神面まで逸脱している訳ではないと思いたいのだが、知己の仲だと思っていたなのは、フェイト、ユーノが相手であっても自分から話し掛ける様子はなかった。
 当初は監視カメラにより行動を捕捉していたため、この結果は間違いが無い。与えた部屋から一歩も外に出歩いていないため、監視するまでも無く得られた結論ではあるのだが。
 恭也のこの行動が何を意図したものなのかは分からない。
 距離を取る事でアースラクルーと馴れ合わないようにしているのか、意外にも本性は引っ込み思案の恥ずかしがり屋…無い無い、絶対無いし信じない。

「まぁ、行ってみればわかるさ。逆に言えば、あいつの事は確かめてみなくちゃ、一つとして分からないよ」
「そういう言い方も出来るね」

 クロノの見解にエイミィが苦笑を浮かべながらも相槌を打ったのを確認すると、クロノは医務局の扉を開け放った。
 見渡すまでも無く視界に入ったのは、体を起こして立てた片膝を抱くようにしている気だるげな恭也と、見舞い用の椅子に座るなのはとフェイトの後姿だった。

「失礼する。
 随分早いお目覚めの様だが体調はどうだ?
 …?何かあったのか?」
「お蔭様で。
 医者に止められてるからベッドを離れる事が出来ないんだ。ここまで来てくれ」

 クロノの入室に気付いて僅かに振り向いたなのはとフェイトの沈んだ表情に気付いて問い掛けたクロノの言葉が無視された形になったが、恭也に呼び寄せられた事で、大きな声では言い難い内容なのだと察して文句を口にする事無くクロノは恭也に歩み寄った。
 廊下側からは死角になっていて気付かなかったが、入室する事で壁際に立っていたアルフにも気付いた。感情が表れ易い彼女から読み取れるのは、“何かに失敗して落ち込んでいる”といったものだ。そして、アルフの表情と比較する事で、なのは達の表情が“心配”を源にしている事に気付けた。だが、収容された直後の恭也の姿なら兎も角、治療後の現在、心配しなくてはならないような傷が残っているという報告は受けていない。
 クロノはベッドに歩み寄るとなのは達を刺激しない様に落ち着いた声で恭也に問い掛けた。

「何があった?」
「なに、人の努力を水の泡にしてくれた礼をしたかっただけだ」ッズビシ!!
「☆#%ッ〜〜〜!?」

 予想もしていなかった恭也の攻撃が、クロノに想像を絶する痛みを引き起こした。
 執務官として前線に立ってきたクロノは、当然多くの傷を負ってきた。だから、ある意味慣れ親しんできたこれまでの負傷による痛みとは一線を画する恭也のデコピンによる痛みに悶え苦しむ事になった。
 額表面の皮膚は全く痛みを感じないのに、脳味噌が物凄く痛い。いや、脳組織に神経は通っていないそうなので、この痛みの発生源は頭蓋骨の内側辺りなのかも知れないが、そんな場所だけを負傷した事など無いので何処が痛いのか判断がつかない。
 声を漏らす事無く(漏らす事も出来ず)、蹲ってひたすら痛みに耐えるクロノに女性陣がうろたえる。
 これまで恭也が披露してきたデコピンは、被害者の顔が空を仰ぐため痛みが直ぐに連想出来たが、今回クロノの頭部は微動だにしていなかった。それにも拘らずクロノの痛がり様は今までの比ではないのだ。それでも誰一人としてクロノが大袈裟だと思う者は居なかった。絶対、恭也が想像もつかない方法で、言語に絶する痛みを与えたに違いない。

203 小閑者 :2017/09/19(火) 22:02:38
「ク、クロノ君、大丈夫?」
「ッ痛ぅー、いきなり何をする!」
「…フンッ、ただの八つ当たりに決まっているだろう」
「堂々と言い放った!?」
「どんだけ理不尽なんだ、お前は!?」
「チッ、浅かったか。復活が早いな。
 医者の言う通り、まだダメージが抜け切らんか」
「これだけやって、まだ不服か!?」
「台所に現れる生命力豊かなアレの様に床の上をのた打ち回らせてやろうと思ったんだがな」
「イヤー!見たくない、そんなの見たくないよ!クロノ君、こっち来ないでー!」
「エイミィ、突っ込み所はそこじゃないだろう!それから簡単に混同しないでくれ!」

 クロノが入室してからものの数分で場が混沌と化していく。
 理不尽なまでの速度で伝達してくるその空気にクロノも半ば取り込まれかけたところで、援軍と言うには心許無いながらも普段であれば同じ軍勢に参列してくれる筈の少女達が沈黙したままである事に気付いた。

「フェイト、なのは?
 …恭也、もう一度聞くぞ。何があった?」

 当初の雰囲気を取り戻したクロノが再度問い掛けると、小さく溜息を吐いた恭也が同様に雰囲気を一変させて口を開いた。
 クロノにとっては非常に迷惑な話ではあるのだが、今のはなのは達の意識を逸らす為の演技だったのだろう。

「…やっぱり、こうなるか。
 たいしたことじゃない。眠りが浅くなると魘される事があるようでな、それをこいつらに見られたんだ」
「…内容は察しがつくが、そんなに酷いならなぜカウンセラーに相談しない?錯乱して暴れた時に医局長に念を押されていただろう」
「自分では見れんから詳しくは分からんが、それほど頻繁にある訳じゃない。
 要らん心配をさせないために人前では眠らないようにしていたと言うのに、つい先程その努力が水泡に帰したと言う訳だ」

 言葉とともに投げつけられる視線を受け流しながら、クロノは“頻繁ではない”という言葉が嘘だと断定した。
 人間の睡眠は、眠りに就いた直後に一番深くなり、その後、浅く深くという振幅を繰り返しながらその平均が浅くなっていくものだ。つまり、恭也は一時的に浅くなったタイミングだったとしても後半日は眠り続けられるほどの深い眠りにありながら、魘されて目を覚ましたのだ。“見るか見ないか分からない”などと言うほど浅い傷ではないし、それが自覚出来ていないとも思えない。
 恐らくは隠しているのだろう。戦闘を生業とする家系に生まれ育ったためなのか、恭也は行動の根底に自分の情報を隠す面がある。何が出来て何が出来ないか、その範囲や補う方法、技能・思考・身体等、自身に関するあらゆる情報を隠している。何処の誰が敵もしくはそのスパイであるか分からないため日常においても見せる事はない。
 現代の日本では過剰に過ぎるそのスタイルを否定する事は出来ない。クロノとて情報の重要性は嫌というほど理解しているし、彼らにとっては死活問題なのだろう。
 だが、心の底から恭也の身を案じている少女達が居るのに、その思いを裏切るような真似をする事がクロノには許せなかった。

「いい加減にしろ!
 お前が自分の弱みを隠すのは勝手だが、無理を重ねて命に関わる事態に陥ったらどうする積もりだ!
 お前自身は満足かもしれないが、フェイト達がお前の事をどれほど心配しているか分からないのか!?」
「止めとくれ!」
「え、アルフ?」
「あんたが怒るのは分かるけど、キョーヤも一生懸命なんだ。
 キョーヤの考えてる事知らないままで責めるのはやめとくれよ…」

 クロノの弾劾の台詞を止めたアルフにフェイトが驚きを表した。普段のアルフであればこういった場合には、内容的にクロノの台詞を支持する側に回るからだ。

「アルフ」
「ごめん、キョーヤ。これ以上は無理だよ」
「態々言う必要は…、無理か。
 ここまで来たら、言わないのは隠していた理由に反するもんな」

 恭也とアルフが互いにしか分からない問答を進めているのを眺めている内に、クロノにも凡その事情が分かってきた。
 短期間とは言え恭也があの状態を隠せていたのは共犯者が居たからだ。そして、アルフが共犯者足りえたのは、その結果がフェイトのためになる内容だからだろう。それに反しようとしている今、アルフが隠し続ける理由は無くなったのだ。
 一方、ハラオウン邸でアルフが恭也との行動を優先する場面を何度か見ていたフェイトは、ちょっと寂しかったり羨ましかったりと自分の感情を持て余し気味だったので、その理由を察する事が出来て知らず安堵の溜息を零していた。

「ごめん、フェイト。
 あたしはキョーヤが夢に魘されるのを知ってたんだ。でも、誰にも言えなかった。
 きっと、誰か詳しい人に相談した方が良いって分かってたけど、キョーヤにどうしてもって言われて、これ以上酷くならない限り黙ってるって約束したんだ」

204 小閑者 :2017/09/19(火) 22:07:37
 恭也が錯乱して暴れた夜。
 意識を失った恭也をハラオウン邸のフェイトの部屋に寝かしつけると、早々にフェイトとアルフも眠りに就いた。
 シグナムとの戦闘での疲労が大きかったためフェイトの眠りは少々の物音では覚めないほど深かった。
 逆にアルフは動物ならではの生まれ持った才能により浅い眠りのままだった。それは戦闘による疲労からすると浅過ぎるものだったが、無防備に眠っているフェイトを守るためには当然の処置だろう。警戒対象は勿論、同じ部屋に居る人物、八神恭也だ。
 この時のアルフの価値観では、既に恭也は“仲間”に分類されてた。普段であれば警戒する事はないが、今はフェイトが睡眠中という無防備な状態であり、恭也が錯乱してから大した時間は経っていない以上、警戒は当然だ。
 そして、アルフの危惧が現実になったのは住人全てが寝静まり暫くした頃だった。それまで身動き一つしていなかった恭也が呻き声を発したのだ。
 アルフはすぐさま意識を覚醒させると、恭也の動向を窺った。疲労の濃いフェイトを出来るなら起こしたくはなかったし、恭也に対しても手荒な事はしたくなかった。
 だが、魘され方は徐々に酷くなっていく。このままではアースラの医務局での惨事が再来しかねない。アルフは思いつく中で最も穏便な手段を取る事にした。
 まず、フェイトに対して外向きの結界を、部屋全体に内向きの結界を張る。これで恭也が暴れだしてもフェイトの身は安全だし、壁をぶち抜く事も無いだろう。
 自分に向けられた魔法にしか恭也は反応しない、と言っていたなのはの言葉が正しかった事を実証したあと、アルフは恭也に向かって恐る恐る手を伸ばした。
 アルフが取った穏便な手とは、至極単純ながらも魘されている恭也を起こす、というものだ。ある意味当然の対応ではあるのだが、つい数時間前に何をされたのかも分からないうちに無力化された身としては恐ろしく勇気の必要な選択肢だろう。

「キョーヤ…、キョーヤ!」

 アルフが声を掛けながら肩を揺すっても恭也は目を覚まさなかった。いくら気絶して運ばれてきたとはいえ、八神家の者であればそれだけで動揺しかねない状態だ。
 アルフも、眉根を寄せる程度とはいえ苦悩の表情を見せる恭也にどう対処すれば良いか分からず、不安が大きくなっていく。普段の恭也が感情も苦痛も表情に表さない鉄面皮だけに、今の恭也の表情を直視するのは痛ましくてならない。
 それは普段の恭也の無表情が、本人が意図して作り出しているものだという証拠でも有るのだが、動揺しているアルフにはそこまで考えが至る事はなかった。

「キョー「父さんっ父さん!っあああああああああああ!」
「キョーヤ!しっかりして!キョーヤ!」

 アルフの呼びかけも空しく、恭也が絶叫とともに虚空に向かって何かを掴もうとするように手を伸ばしながら跳ね起きた。勿論、意識を取り戻した訳ではない。そのまま暴れだそうとする恭也の頭を正面から抱きしめると、アルフは必死になって呼びかけた。
 その姿は半年前の、プレシアを亡くして暫くの間の、今でもたまに見せるフェイトの姿と重なるものだ。違いがあるとすれば、フェイトがそのまま消えてしまいそうな弱々しい姿であるのに対し、恭也は突き付けられた過去に全力で抗おうとしている事だろう。しかし、両者とも、僅かでも加わる力が増せば呆気なく折れて砕けてしまいそうな儚く脆い印象を受ける点は共通していた。
 だが、静かに泣き濡れるフェイトとは違い、全力で暴れようとする恭也は、押さえつけているアルフを傷付けた。“攻撃”ではないため致命的な傷を負う心配こそないものの、素の身体能力が既に人類のトップレベルからはみ出しかけている恭也に対して無抵抗に体を晒し続けるのは容易な事ではない。
 錯乱状態の恭也に敵意や魔法を含めた攻撃行動を取ってはいけない。その結果は数時間前にアースラの医務局で実証されている。尤も、アルフの行動は経験を活かした的確なものに見えるが、本人にはそんな考えがあった訳ではない。傷付き苦しんでいる恭也に対して強硬手段に出るという考え自体が浮かばなかったのだ。
 アースラでは、フェイトを守るという使命感から鎮圧に向かった。だが、涙を流す事無く獣の如く咆哮を上げながら暴れる恭也の姿に、群から逸れて彷徨う獣を想起させられた途端、攻撃する気力を根こそぎ奪われ、抵抗も出来ずに鎮圧された。
 意志力を漲らせ、何者にも侵される事の無い力強い普段の姿からは想像も出来なかった恭也の一面は、誕生から僅かな歳月しか経ないアルフの幼い母性を刺激するには十分だったのだろう。それは、たった今こうして恭也に傷付けられても尚、衰える事の無い庇護欲として表れていた。

205 小閑者 :2017/09/19(火) 22:10:33
「キョーヤ、しっかりしとくれよ!キョーヤ!」
「ッ!」

 アルフが必死に呼び掛け続けると、唐突に恭也が反応を示した。
 それまで、アルフの存在を無視するように前方に突き出していた左腕と、前進を阻むアルフを引き剥がそうと加減もせずにアルフの背中や肩に爪を突きたてていた右腕が動きを止めたのだ。

「…アルフ、か?」
「ああ、そうだよ。大丈夫かい?」

 アルフの豊かな胸に埋もれているため不明瞭な恭也の確認の言葉に、優しく頭を撫でる。その体勢は結果的に背中や肩の傷を恭也から隠すのに都合が良かったのだが、勿論アルフにはそんな計算高い考えなど欠片ほども持ち合わせては居なかった。
 アルフがそのまま姿勢を変える事無く時の流れに身を委ねていると、恭也がゆっくりと両腕を背中に回し、強く抱きしめてきた。
 更に胸に埋もれさせようとするが如く顔を押し付けてくる恭也の姿は、だが、内容に反して邪な下心を感じさせる要素は一欠けらも無かった。
 体の震えを止めようとするように縋り付いてくる恭也を、アルフはより深く抱きしめるように迎え入れた。





「ちょっと待て!」
「ど、どうしたんだい恭也?どっか間違ってた?」

 アルフの語る話の内容に恭也が堪り兼ねたように待ったを掛けたが、止められたアルフの方は心底から不思議そうに視線を返す。
 恭也が止めるのも無理も無い、と聞いていたクロノすら同情してしまう。

「ま…間違ってはいないが、そこまで細かく話す必要はないんじゃないのか?」
「え?でも、説明するには必要じゃないかい?」

 アルフの表情には一片の曇りも無い。当然だ。彼女は別に恭也をからかう積もりも辱める積もりも無いし、そもそも何故恭也が説明を中断させたのかも理解できていないのだから。

「あー、恭也。
 流石にその辺りの事をからかう積もりも言い触らす積もりも無いから、あまり気にしなくてもいいぞ?」
「う、五月蝿い!
 そんな思春期の息子の生態を見た母親の言い訳みたいな台詞で納められる訳が無いだろうが!
 アルフ、お前の記憶力が迷惑極まりないほど優れている事は良く分かったから、説明するならせめて要約してくれ」
「え、よっ要約?短い言葉で言い表すって事、だよね?」
「そうだ」
「う、うん。ちょっと待っとくれよ?」

 そう言ってアルフが考え込み始めたので、なのはとフェイトは恭也を見つめる。
 恭也は先程、跳ね起きたとは言っても直に正気を取り戻した。アルフが語った内容よりも症状が軽かった事は分かったが、それが快方に向かっているのか、日によって違うだけなのかまでは分からない。
 記憶が回復してからまだ一週間と経っていないのだ。フェイトの経験上、とても持ち直せるだけの猶予とは思えない。
 アルフの話すままに想像した彼女と恭也の抱きしめ合うシーンは妙にリアルに思い描けてしまい胸がモヤモヤしたし、歳相応の慌て方をする眼前の恭也の姿は微笑ましくすらある。
 だが、強烈に脳裏に焼き付いた悪夢に魘されていた恭也の姿が直にそれらを掻き消してしまう。普段、感情を押し隠してしまう恭也だからこそ、冗談を言っている最中すら家族の死に苛まされているのではないかと心配してしまう。
 だが、そんな2人の暗い思考はアルフの台詞が一瞬にして吹き飛ばしてくれた。

「え、えーとね、確か、フェイトとなのはの事を愛しているから、隠れている訳にはいかないって、…言ってたと思う」

 …?---ッボシュー!!

「わ!?なのはちゃん!フェイトちゃん!」
「お、おい2人とも大丈夫か!?」

 掛け値無しに恭也を案じていた2人だったが、アルフの台詞の意味を理解した直後、全身が瞬時に紅に染まった。エイミィには顔から湯気が昇ったようにすら見えたほどだ。

206 小閑者 :2017/09/19(火) 22:14:28
「お、おい、いきなりどうしたんだ高町」
「ふにゃ!?」
「悪化した!?
 …だ、大丈夫かテスタロッサ」
「…ぁぅ、--ぅぁ」
「更に赤く!?」

 先程の羞恥心を引きずっているのか、困惑の表情を隠せないままに恭也が声を掛けるが、当然今の2人には逆効果でしかない。
 人体の限界に挑戦しているかと思うほど赤かった2人の顔は、まだまだ序の口と言わんばかりに赤みを増した気がする。

「おい、恭也!
 事の元凶が声を掛けるな!どう考えても悪化するだけだろう!」
「人聞きの悪い事を言うな!俺は何もしていない!
 2人ともアルフの台詞に反応して、…ちょっと待てぇ!!
 アルフ。
 まさかとは思うが、さっきの台詞は、あの時の会話を要約した内容だ、なんて、言わないよな…?」
「そ、その積もりだったんだけど、どっか違ってた?」

 恭也が恐る恐る確認を取ると、アルフが自信なさ気に肯定した。
 クロノも、まんま愛の告白を人を経由して伝えられた割には当人の筈の恭也が平然とした態度だった事を不審に思っていたのだが、これなら納得も出来る。恭也本人が自分の話だと思っていなかった訳だ。

「原形留めてねぇよ!
 直前までアレだけ克明に覚えてたくせに何で突然杜撰になるんだ!?」
「えぇ?いやぁ、同じ位覚えてる積もりなんだけどぉ…」
「何処がだ!?あんな台詞、一言も言ってないぞ!」
「で、でも、要約ってのは短い言葉に言い直しても良いんだよね…?」
「あ。
 ねぇ、恭也君。ひょっとしたらアルフの中ではその時の会話がさっきの内容として理解されちゃってるんじゃないかなぁ」
「なっ!?」

 事の成り行きを黙って眺めていたエイミィが、第三者の視点特有の冷静さで指摘すると恭也が大口を開けて絶句した。わぁ、こんな顔も出来たんだぁ。
 エイミィは、恭也は向かうところ敵無し、といった印象を持っていたのだが、やはり天敵は存在するようだ。天然、恐るべし。既に、数分前のシリアスさもアルフの語った悲壮感たっぷりの情景も、砕け散って粉塵と化している。
 惜しむらくは、真似することが出来ない事と、アルフ本人にもコントロールが利かない事だろうか。何時こちらに飛び火してくるか分かったものじゃない。

 力を使い果たしたと言わんばかりに脱力しきった恭也は、ベッドの上で立てた膝に額を押し付けたまま弱々しく呟いた。

「もう、それで良いや…。
 そう言う訳で隠してたんだ…」
「うわ、物凄い勢いで妥協しちゃった」
「あー、まぁ気持ちは分からんでもないが、内容が中途半端過ぎて理由になってないぞ。
 アルフ、悪いが省略せずにあの晩の事を全部話してくれ」
「まぁ、良いけどさ」

 どこか不服そうにしながらもアルフが承服した。頑張って要約したのに認めて貰えなかったのが納得出来ないのだ。
 当然、別の意味で納得出来ない者も居た。

「なっ、蒸し返す必要は無いだろう!
 2人の事をあ、あっあ…守るために戦場に出たかったんだよ!」
「『愛してる』って言えたら、認めてやらんこともないぞ?」
「テメッ、この…!」
「あーもう、クロノ君も悪乗りしないの!
 恭也君には悪いけど、理由はちゃんと知っておきたいんだよね。隠し事してた罰だとでも思って諦めて」
「…なら、せめて別室でやって下さい」
「さっき打たれた額が妙な痛み方をするんだ。万が一の事があっては拙いから、痛みが引くまでは念のために医務局から離れる訳にはいかないなぁ」
「…お前だけは後で絶対泣かす…」
「もう、クロノ君、後でどうなっても知らないからね…。
 でも、内容が間違ってないか確認して貰いたいから、やっぱり一緒に聞いて欲しいんだけど?」
「…好きにして下さい。
 テスタロッサ、高町、そろそろ再起動しろ。見てるこっちが恥ずかしい。
 それから、さっきの内容は事実無根だから、きれいさっぱり記憶から消せ」
「は、は、ハイ」
「ワカリましタ」
「メチャメチャ引き摺りそうだな…」

 恭也とて、2人がそこまで感情をコントロール出来るとは思っていないようで、片言になっている2人をやるせなさそうに眺めるに留めていた。

207 小閑者 :2017/09/19(火) 22:19:50
「もう、大丈夫なのかい?」
「…ああ、手間を取らせて済まない」
「何言ってんだい!
 大切な人を亡くしたんなら悲しむのは当然だよ。
 それより、悲しい時にはちゃんと泣かなくちゃダメなんだよ?」

 アルフの言葉通り、対面している恭也は雰囲気こそ哀愁を帯びているが、目は充血していないし顔を押し付けていた彼女の胸元も濡れていなかった。先程の震えは泣いているものだとばかり思っていたが、悲しみに耐えていたのか。
 感情は押し殺せば死んでしまう。死んだ感情は消える事無く心の奥に沈殿し、変質しながら堆積していく。積み重なれば心が歪むし、耐え切れなければ壊れてしまう。恐怖、憎悪、悲哀といった所謂負の感情ほどその傾向は強い。
 泣いたり人に話す事で感情を発散する事は大切な事なのだ。
 アルフの主張は誰かの受け売りなのか本能的な物なのかは兎も角、確かに正しかったし、何より本気で恭也を心配してのものだ。それはきっと、アルフの顔を見ていれば誰であろうと疑う事はなかっただろう。

「…ああ。ありがとう。
 だけど、泣くのは無理みたいだ。受け入れられないのか、感情が強過ぎるのか…、何にしても涙が流れない。
 案外、肉親が死んでも悲しまない様な薄情者なのかもな」
「…ばか。薄情な奴がそんなに苦しんだりするもんか。
 冗談でも二度と言うんじゃないよ」
「…わかった。
 アルフ、迷惑ついでにもう一つ頼みたい事がある」
「ん?言ってみなよ」
「この事件が解決するまで俺が魘されていた事を誰にも言わないで貰いたいんだ。出来れば今後、俺が眠っている時に人が来たら起こして欲しい」
「な…、何言ってんだい!?クロノから医者に相談するように言われてたじゃないか!クロノの奴、あたしやフェイトにまで念押ししてったんだよ!?」

 錯乱するほど精神にショックを受けた者にカウンセリングを受けさせるのは当然の対処ではある。魘されるようなら、と言うのは消極的ですらあるが、恭也の性格上過干渉を嫌う事は容易に想像が付いたのだろう。カウンセラーの腕次第ではあるだろうが、カウンセリングを受ける事がストレスになっては無意味ではある。
 尤も、クロノがアルフやフェイトに注意を促したのは、本人に自覚が無い場合を危惧してのものであって、自覚して尚、隠し通そうとするような無謀な行為を考慮していた訳ではない。

「分かってる。だが、そこを敢えて頼む」
「…あたしが納得出来るような理由があるのかい?
 あんたにとってはどうか知らないけど、フェイトはあんたの事をもう友達だと思ってる。だから、あんたが無理をして怪我したらフェイトが悲しむんだよ?」

 主を最優先とする使い魔にとって、それは許容できない事だ。
 恭也に使い魔の在り方が分かっているとは思えないが、それが気軽に引き受けられない内容である事は自覚しているだろう。
 アルフの築いた結界の中で穏やかに眠るフェイトの顔を少しの間見つめた後、恭也はベッドから降りてフローリングの床に正座するとアルフに向き直った。

「テスタロッサには、絶望に沈んでいたところを身を挺して救い上げて貰った。
 高町にもこちらに飛ばされて不安に潰されそうになっている時に支えて貰った。
 あいつらが何処まで自覚しているかは分からないが、俺にとっては返しきれないほどの恩義なんだ。
 魘されている事が知られて病室に押し込まれれば、この事件に関わる事が出来なくなる。それだけは受け入れられない。そんな事になるくらいなら単独で事件を追うためにここを出て行く。
 だが、ここを抜け出してこれ以上2人に心配を掛ける事は同じ位避けたいんだ。誰かに見つかるまでで良い、見逃してくれ。
 頼む」

 そう言って、床に両手を着いて深々と頭を下げた恭也を見て、アルフは呆気に取られた。その姿勢を“土下座”と呼ぶ事までは知らなかったが、床に額を擦り付けるその姿が気安く出来るものではないことくらいは分かる。

208 小閑者 :2017/09/19(火) 22:24:10
「ちょっ、どうして、そこまで…」
「おまえに、テスタロッサに秘密を作らせるのに見合う対価を持ち合わせていない。
 こんな事で足りると思っている訳ではないが、他にどうすれば良いのか思いつかない」
「あんたが寝込んでもおかしくないほどのショックを受けてる事はみんなが知ってるんだ。
 無理に事件に関わらなくても誰も責めたりしないよ」
「俺は何としてでもこの事件に参加する。絶対にだ。
 何が出来るかなど分からないし、他の誰から責められても認められても関係ない。
 家族の死や体調を理由に事件を傍観するような事があれば、俺はこの先一生自分を許さない」
「…分かったよ、頭を上げとくれ。
 大したフォローは出来ないと思うけど、あたしからは誰にも言わない。
 でも、具合が酷くなるようならクロノに言うからね?」
「十分だ。感謝する」
「…無理し過ぎちゃ、ダメだよ?」

 恐らくは聞き入れてくれない事を感覚的に悟りながらも口にせずにはいられなかった。





 アルフが語り終えると医務室は静寂に包まれた。
 先程のバカ騒ぎの所為でシリアスな雰囲気など戻って来ないのではないかというエイミィの予想は裏切られた。

 なのはとフェイトは複雑そうだ。
 恭也は行動する際、一切の余分を排する。目的を達成するために取り得る最適な方法を選択する。極端な表現をするなら、誰かを守るために必要であれば他の一切を見捨てる事が出来る。
 なのは達にそこまで理解出来ていた訳ではないが、そんな恭也が無理をしてまで症状を押し隠そうとしたのは、2人の前から立ち去らずに済ませるためだ。
 あの時点であれば、精神的な負担を理由に事件が解決するまで海鳴へ戻ると言えば、何の問題も無く実行出来たはずだ。
 恭也にとって行動方針と秤に掛けるほどの存在になれた事を嬉しく思う反面、自分達のために無理をさせている事に心が痛んだ。

 あの時の恭也はまだデバイスを持つどころか、二刀の流派でありながら一刀しか装備していない状態だった。序盤だけとはいえクロノを翻弄して見せた技能は驚異的だが、本人の口から出た魔法の優位性を認める言葉が嘘だとは思えない。そのまま戦場に立つ事が無茶を通り越して無謀でしかない事くらい、この事件の最前線に立った事の無い彼にも予想出来ていただろう。
 恭也の態度から湧き上がる疑念は二度にわたり否定されているし、口にこそしないもののクロノ自身も外れていて欲しいと願っていたものだ。だが、事件が解決していない現在、疑わしい者はその疑いを晴らす必要がある。

「恭也。何故そこまでして戦いに参加したいんだ?」

 クロノのその問いを予想していたのか、恭也が驚く事無く、それでも仕方無さそうに小さく溜息を吐いてから口を開いた。

「黙秘。
 と、言いたいんだが、そういう訳にはいかないんだろうな」

 自分が未だに疑われている事は承知している。言外にそう言われたことに居心地を悪くしながらもクロノは黙って先を促した。

「昔、力が及ばず仲の良かった子を守り通す事が出来なかった事があった」

 澱みなく語られた内容に全員が驚きを表情に表すが、辛うじて声を上げる事は踏み止まった。10歳現在の恭也の実力なら大抵の難事は潜り抜けられるはずなのだが。
 恭也は周囲の様子に反応を示す事無く言葉を続ける。

「その頃は剣術を習い始めたばかりで、相手が体を鍛えた一般人程度でも正面から一対一で戦えば勝率は5分にも満たなかった。
 だから、その子を狙って刃物を振り翳す男を無力化するには、子供の力でも効果があって、敵に反撃の余地を与えない方法を取る以外にはなかった。
 結果、その子は、片目を潰され半狂乱になって暴れる男が頚動脈から血を噴出す姿を見たところで心を壊した。
 議員をしていたその子の父親の政策を妨害するためのテロ行為だった事と、その子が自室の隅から出て来なくなった事を、俺は病院のベッドの上で聞かされた」

 恭也は言葉を失くす一堂を一度だけ見回した後、言葉を足した。

209 小閑者 :2017/09/19(火) 22:27:33
「あの時の俺にはあれ以外に選択の余地はなかった。それすらサイコロを10回振って同じ目を出し続けたようなものだった。でも、それだけの博打に勝ってもあの子の心は壊されてしまった。そもそもの力が小さ過ぎたんだ。
 あの子の父親はテロリストに屈して政策を曲げる事は出来なかったし、子供を狙うほどの強硬手段に出るとは誰も予想していなかった。
 誰が悪かったかと言えば、馬鹿な企みを実行したテロリストだけど、根本から価値観の違うそいつらを未然に改心させるなんて出来る訳がない。
 だから、俺は俺に出来る事をする事にした。何時、誰が、どんな非常識な手段で向かって来ようと、守りたい人を守る手段を身に付ける事にしたんだ」

 その出来事が今の恭也を決定付けた事は想像に難くない。
 何歳の時の出来事かは分からないが、確実に今より幼い時だ。その結末について周囲に居た誰も恭也を責めたりはしなかっただろうが、他の誰でもない彼自身が自分を酷く責め立てたのだろう。そして、自分に“強くなる事”を課したのだ。
 正義の味方に憧れてテレビのヒーローを真似る子供の様な無邪気さは何処にも無く、奇麗事など挟む余地のない実戦で敵を殺す技術を磨くという選択はあまりにも血生臭い。ましてや、子供としての時間を全て捧げているとなれば、ある意味精神を病んでいたと言っていいだろう。
 果たして、それは次に表れる守るべき誰かのためなのか、あるいは、刑罰としての肉体の酷使なのか。
 その気持ちをクロノは理解できた。
 クロノにもあったのだ。
 他の一切に手が付かず、ただ只管に力を追い求める衝動に駆られてしまう経験が。非力な、無力な自分が許せず、憎しみすら抱いていしまう経験が。

「目指す頂は遥かに高いけど、実力を言い訳にして今何もせずに後悔するなんてのは死んでもする気はない。
 だから、前線とは言わないまでも何かしらに携わりたかった。
 それすら叶わないなら、ここから抜け出してはやての傍に居ようと思っていた。何か起こった時に体を盾にして守るくらいは出来ると信じたいんだ」

 静かに語られたその内容が本気だという事は、疑う余地もなかった。
 言葉通り恭也が身代わりになってその“はやて”さんが生き残ったとしても、恭也を犠牲にした事をその人が酷く悲しむ事は容易に想像が付く。恭也がそこまで決意するなら、その人は絶対に優しい人だ。
 そんな助かり方をしても、その人は絶対に喜ばない。それでも死んでしまえば悲しむ事も出来ない。
 どうする事が正しいのかは誰にも分からなかったが、恭也の意思を変えられない事だけは全員がハッキリと理解出来た。
 



            * * * * * * * * * *

210 小閑者 :2017/09/19(火) 22:30:53
            * * * * * * * * * *



「あちゃー、また失敗してもうた。
 恭也さんに愛想付かされてまうのも当然やな」

 それははやてが先日から事ある毎に口にする台詞だった。
 調理の味付けが僅かに濃過ぎた時。
 勉強道具を片付け忘れて部屋を出ようとした時。
 乾いた洗濯物を畳んでいて、シャマルとシグナムの下着を取り違えそうになった時。
 些細な、と言っても過言ではないほどのちょっとしたミスに気付いた時に声に出して繰り返した。自分以外には聞かれない状況で、聞こえない声量で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。



 はやては家族の雰囲気が変化した事に気付いていた。
 それが何時からなのかははっきりしない。恭也が居なくなって暫くは寂しさに浸って周囲が見えていなかったからだ。
 不思議には思ったがが、落ち込んでいる自分に気を遣ってくれているのかもしれない。そう考え、吹っ切れた事を主張するために何気なさを装って口にした「恭也」という名前に全員が過剰に反応した事で、直感的に理解した。
 全員、直に平静を装ったのではやても気付かなかった振りをしたが、見間違いと言う事は絶対に無い。恭也がこの家を出た日以降にみんなは彼と会っているのだ。
 恭也に会える。その事に嬉しさが込み上げて来るが、同時に内緒にされている事にちょっとだけ腹を立てる。ならば、とこっそりと恭也の携帯に電話を掛けた。
 気付いていないと思っているみんなを恭也と口裏を合わせて驚かせようという、他愛の無い悪戯の積もりだったが、「電源が入っていないため…」という音声ガイダンスを聞いて湧き上がった喜びが一瞬にして熱を失った。


 何の根拠もないその確信は、憤りを経て疑問に変わった。

 どうして、みんなは自分にだけ秘密にしているのか?
 どうして、恭也は元の世界に帰れなかったのに、直にこの家に戻って来てくれないのか?

 …秘密にしなければならない理由があるのか?
 戻る事が出来ない理由があるのか?

 恭也が何らかの理由で身動きが取れないとしたら?
 自分が知れば心配したり、悲しんだりするような理由だとしたら?
 身動きが取れないほどの怪我を負っていたり、最悪、

「無い!そんな事ありえへん!」

 数日前の記憶が頭に浮かんだ事をきっかけに、自動的に推論を推し進めようとした思考を大声で遮断して蓋をする。誰かに聞かれないように配慮する余裕は無い。
 震える体と心を落ち着かせるために、何度も大きく深呼吸を繰り返し、それでも声の震えが治まるまで待ちきれずに口を開いた。

「…まったく、ほんまに私も図々しいな。
 恭也さんに嫌われたんがまだ認められんか。
 有り得へんような他の理由を考える暇があったら自分の悪いところを直せっちゅうの。
 この調子じゃ、一生友達出来へんで」

 身の凍る様な恐怖から目を逸らす為に、自分の言葉で心を傷つける。
 他の3人が外出している時にはやての傍に居るシャマルには、部屋に篭る事の多くなったはやてを心配しながらも、最近急激に精神を疲弊させる原因を察する事が出来ずにいた。接する時間の短い他の3人も、日に日に笑顔を見せる事の少なくなるはやてを心配し、そのためにはやてと接する時間が短くなるというジレンマに苦しんだ。


 はやてが倒れ、病院へ運び込まれたのは翌日の事だった。


続く

211 小閑者 :2017/10/09(月) 11:13:53
第20話 勧告




 恭也が眠ると魘される事実が発覚した日から、彼が一人で過ごす時間は極端に短くなった。
 本人が人恋しさに自ら誰かに会いに行くようになった、などという事はこの期に及んでも無かったため、クロノが手を回したのだ。但し、恭也と面識のある者に限定したため、メインとなるのは学校も仕事も無いアルフだった。特別な趣味も無く、事件解決後には元の世界に帰るため海鳴で顔見知りを増やしたくないとの本人の希望から選択の余地が無かったのだが、それまでと大差無かったとも言える。
 違う点と言えば、予備知識を得たために今まで気付けなかった恭也の感情の揺らぎに気付けるようになったことだろう。泣き言を言う事も、表情を崩す事も無いが、ふとした瞬間に不自然に間が空く事があるのだ。食事中、雑談中、テレビを眺めている時。
 魘されている事を知ったために全てをそこに結び付けてしまっているだけかもしれないが、気のせいだと片付ける訳にもいかない。勿論、本人に問い質せる訳はないので何が出来る訳でもなく、結局は見守るだけだったが。
 なのはとフェイトも放課後には出来るだけ寄り道をせず、恭也とともに過ごしている。事件解決には必須の戦力である筈の2人が毎日のように恭也の傍に居られるのは、勿論サボっているからではない。ここに来て闇の書陣営の行動パターンに変化が現れたのだ。



 元々アースラが海鳴に活動拠点を設置したのは、フェイトになのはとの日常生活を楽しませてやる為だけではない。被害の発生した世界を纏めた結果、その範囲がこの世界近傍を中心にしている事がわかったからだ。
 しかし、この数日は、蒐集活動自体に変わりは無いが、ヴォルケンリッターの活動範囲が急速に広がり補足仕切れなくなっていた。発見できる多くがその痕跡のみで、上手く原住生物と戦っている場面を補足出来た時も距離が遠過ぎて転移を繰り返して到着した頃には姿を消されていた。
 真っ先に考えたのは管理局との衝突が増えたため活動拠点を変えた可能性だ。だが、行動範囲を追う限り、転戦を繰り返しているようにしか見えない。あるいは、そう見せかけるために蒐集行為の後に拠点に戻り、休息後、前回の次元世界に移動してから次の蒐集対象を探している可能性もある。
 それら一通りの説明を終えたクロノは、データの表示されているモニターを見ながら周囲の者と色々な可能性を検討しているスタッフ一同の中で、手持ち無沙汰そうにしている恭也(資料が読めない)と視線が合った。
 現状確認の意味も兼ねてブリーフィングに参加させただけだったのだが、ふと興味を引かれたクロノが問い掛けた。

「恭也はどう思う?」
「毎日拠点に戻るという方法は有り得ない、とまでは言わないが可能性は低いように思う。
 転送はそれなりに手間と労力が掛かるんだろう?繰り返せばかなりの疲労になると言うなら戦闘前に疲労し、戦闘後にも余力を残す必要がある。当然、効率が悪くなる。
 俺個人の意見としては転戦を繰り返している方を推す」

 尋ねておきながら、解答があることを期待していなかったクロノが面食らっていると恭也の両隣に座っていたフェイトとなのはが会話に参加した。

「でも、シグナム達が行く世界は人が住むのに適さない環境が多いって聞いたよ?体を休められないならやっぱり効率は悪くなる。
 他の人に転送して貰えば出来るんじゃないかな。この前、私が恭也と一緒に転移したやり方ならサポートに徹する人が居れば…」
「どの程度の装備を持っているかにも依るが、慣れた者なら体を休める事くらいは出来ると思うが。
 仮に敵陣営の4人のうち活動を確認出来ない1人が転送役だとすれば、他の3人を転送させている事になる。一度の転送で届かない距離なら一緒に移動するしかない。時間や労力の面でそれは吊り合うのか?」
「一日で1人当たり数回の転送を往復×3人分。更に術者本人の復路が加わって2倍。賢いやり方とは言えないな」
「じゃあ、フェイトちゃんの言ったやり方と個人転移を組み合わせてるかもしれないよ?」
「そちらも否定はしないが、やはり可能性は低いと思う」
「う〜ん、フェイトちゃんやなのはちゃんの案も私達を撹乱する分には十分な内容だと思うんだけど…。
 恭也君が強行案を推すのは何か理由があるの?」

 実際にはどちらであったとしても、アースラ陣営には待ち伏せという方法が取れる訳ではないので後手に回る事に変わりは無い。仮に毎日拠点に戻っているとすれば、撹乱のためにそこまで労力を費やすほど慎重な者が拠点を一箇所に留め続けるとは考え難い。
 エイミィが敢えて話を詰めているのは何かしら現状を打開出来るヒントが得られないかというのが一つ、メンバーに停滞しているという印象を与えないようにするという少々後ろ向きな理由が一つ。

212 小閑者 :2017/10/09(月) 11:15:17
「安全を考えるなら一時的にでも活動を停止させるのが一番です。それをしないと言う事はする必要がないか、出来ない理由があるということです。
 前者の場合、管理局の戦力を歯牙にもかけない圧倒的な戦力を保有している事が条件になりますが、それなら撹乱するような手間を掛けるのは辻褄が合わない。
 そうなると後者の可能性が高くなりますが、その場合時間的な制約を受けている可能性が高い」
「制約?」
「安直かもしれないが、スクライアの中間報告にあった闇の書からの主への侵食が発生している可能性だ」

 恭也の台詞にリンディとクロノが視線だけで意見を交わす。
 これまでの恭也の発言には、ここまで踏み込んだ意見はなかった。それはクロノ達が恭也の存在に疑惑を抱いていた事を承知していたとも、推論を積み上げるには恭也の持つ情報が不足していたとも取れる。
 何れにせよ、理論立てた内容であればこちらのミスリードを誘うためのものでも、判断材料として聞いておいて損は無いだろう。

「随分突飛な案だが、根拠はあるのか?」
「単なる消去法だ。
 以前、アルフが『蒐集活動が書の主の関知しないことだ』と聞いている。その言葉を真に受けるなら守護騎士は主に内密で自発的に活動している事になる。
 主と守護騎士が日常生活においてどのような関係にあるかは知らないが、守護騎士が自発的に活動するほどの忠誠心を発揮するなら何日間も顔を合わせなくても済むような関係にあるとは思えない」
「それならフェイトさんの意見の方が合ってる事になるんじゃ…」
「活動範囲の広がり方からすると休息時間は必要最低限でしょう。俺が医務室に縛り付けられている事から考えても、回復役が居たとしても回復魔法は負傷や疲労を瞬時になかったことに出来るほど便利なものではない筈です。
 主の下に帰還しても疲弊している姿を見られては、自分達の行動を隠すことが難しくなる」
「確かにそうね。でも、それは姿を見せなくなっても結果は変わらないんじゃないかしら?」
「守護騎士の活動自体は半年前から続いています。行動理念が忠誠心であれ、仲間意識や愛情であれ、それらを育むだけの期間が活動を開始するより前にあった筈です。なら、頻繁に不在にする理由くらいは用意しているでしょう」

 リンディからの疑問にも澱みなく答えを返す恭也に驚きながら、エイミィも当然浮かぶべき疑問を口にする。

「なるほど。でもどんな理由だったとしても一週間以上となれば流石に不審に思うんじゃないかなぁ」
「言い訳の内容までは分かりませんが、就職しているなら出張、友人と海外旅行、学校の行事、その場凌ぎで誤魔化すだけなら何でも構わないでしょう」
「それではエイミィの疑問に答えた事にならないぞ。
 自分でもその場凌ぎに過ぎないと言っているじゃないか」
「被害状況からして間も無く蒐集が終了すると言ったのはお前だろう。
 闇の書が完成した時に具体的にどんな現象が発生するのか知らないが、流石に書の主が無自覚なままという事はないんじゃないのか?
 ならば、守護騎士が独自に蒐集を行っていた事も露見する。つまり、隠し続ける意味がなくなる」
「…なるほど、な。
 じゃあ、主への侵食に繋げた理由は?」

 筋は通っているがここまでは強行案の補足説明でしかない。詰まらなそうにお茶を啜る恭也を見ながら続きを促したクロノは、説明を続ける恭也の姿にふと違和感を感じた。
 意気揚々と自説を披露する姿を想像していた訳ではないが、クロノの目から見ても違和感を感じるという事は余程気分が落ち込んでいるのではないだろうか?
 視線を動かさないように視界の端に映る会話に参加しなくなったフェイトとなのはを確認する限り、クロノの気のせいではないようだ。

「当初、活動を隠そうとしていたのは管理局やその他の勢力からの妨害を避けるためもあるだろうが、書の完成後も主の存在を隠そうと考えていたんじゃないかと思う」
「僕達管理局の目を誤魔化しきれると思っていると?」
「現に、今現在所在を見失っているぞ。
 このまま、蒐集活動自体が終了して今後魔法を使用しなければ、守護騎士は兎も角、姿を確認していない主は特定出来ないんじゃないのか?」
「む…」
「守護騎士に蒐集を命じなかったという事は、主には書の力そのものに興味が無い可能性が高い。書が完成してもその考え方が変わらなければ、主である事を隠匿して生活出来る可能性が出てくる」

 痛いところを突かれて言葉に詰まるクロノに追い討ちを掛ける事も無く言葉を続ける恭也になのはの表情が更に曇る。彼女が恭也の人物像をどう捕らえているかが如実に表れているが、この場には気付いている者は居らず、恭也も言葉を続けた。

213 小閑者 :2017/10/09(月) 11:18:10
「守護騎士もそう考えたんだろう。そのためには犯罪者として手配されていない方が良いのは当然だ。
 ここまでの仮定が正しかったとすれば、守護騎士が犯罪者と認定されて尚、活動を続けるのは矛盾する。捕まれば意味がなくなるからな。
 魔力資質の高い高町やテスタロッサのコアに着目したのは分からんでもないが、これ以上はリスクの方が圧倒的に高くなる。矛盾させないためには、この矛盾を解消できるピースを空白のままのスペースに嵌めれば良い」
「…主に命じられていもいないのに守護騎士が行動を起こした理由、か」
「他に適当な理由があるのかも知れないが、俺の手持ちの情報を組み合わせて完成する全体像はこんなところだ」

 そう締め括る恭也にブリーフィングルームに居るスタッフの驚きを含んだ視線が集まる。
 確かに恭也の持つ情報の中では矛盾してるところは無い。実際にアースラの首脳陣も同じ結論に至っていたが、個人レベルでここまで理論を組み立てるとは思っていなかった。戦闘に特化している印象があっただけにその思いは一入だ。

「お前がそこまで理論立てて考えられるとは思ってなかったな。
 頭脳労働にも向いてるんじゃないのか?」
「…フッフフッ。
 この数日間ベッドに縛り付けられていたせいで、どれだけ腕が落ちてるか不安になってる俺に、これ以上、体を動かすなと言いたいのかお前はー!!」
「ええ!?恭也君、それで落ち込んでたの!?」
「他に何がある!」
「…そんなこったろうとは思ってたよ」

 クロノのぞんざいな台詞にエイミィとリンディが苦笑を漏らした。
 だが、書の完成後、隠匿生活を送ると予測してもクロノ達には看過することはできない。
 典型的な管理局員とは違い、リンディの部下には犯罪者の断罪に執着する者は居ない。
 犯罪者が犯した罪に相応する刑罰を受けるべきだという考えは、被害者側の観点からも持ち合わせているが、何より優先すべきは被害拡大の防止であり、新たな犯行の抑制である。被害が広まらないと言う事が確約され、犯罪者が改心すればそれ以上追求する積もりはないし、その余力も無い。
 現実としてフェイトという実例があるとは言え、それが圧倒的少数であり、再犯の確約など得られないからこそ犯人を追っているだけだ。
 これは前回の闇の書事件でクラウド・ハラオウンを失っているリンディとクロノも同意見だった。クラウドを失った悲しみが無くなった訳ではないが、それは2人にとって管理局員である上での、信念と覚悟だった。
 だが、闇の書に関してはその考え方を適用する事が出来ない。闇の書の完成が力の暴走と直結するからだ。
 それは管理局の過去の記録と各次元世界での闇の書事件の記録に、ユーノが無限書庫で得た情報で補足された確定事項と言っても良い結末だとクロノ達は考えている。
 だが、幾ら躍起になったところで敵と接触できない現状が覆る訳ではない。
 リンカーコアさえあれば知性を持たないような獣すら手当たり次第に蒐集するヴォルケンリッターの、言葉通り形振り構わない鬼気迫るその姿勢からは次の標的を予測する事が出来ないでいた。
 網を張るには世界は広く、人手は少ない。下手に網を広げるために少数になればリンカーコアを提供するだけだ。
 アースラ陣営には地道に捜査を続ける以外に出来る事がなかった。



 その翌日、ハラオウン邸のリビングでモニタと向かい合うクロノ、キッチンで夕食の準備を進めるエイミィ、ダイニングで椅子に座り新聞を眺める恭也は、それぞれの体勢のまま学校から帰ってきたフェイト達を迎えた。
 放課後に真っ直ぐ帰宅したなら有り得ない時間に帰宅したフェイトが表情に陰りを帯びている事にはリビングに居た全員が直に気付いた。だが、原因に見当が付かず気遣わしげにフェイトを見つめるクロノ達を他所に、一緒に来たなのはが恭也に向かって遅くなった理由を静かに告げた。
 入院した八神はやてちゃんのお見舞いに行ってきたよ、と。
 クロノとエイミィがその言葉の意味を汲み取る前に、恭也が激的と表現しても良いほどの反応を示した。
 座っていた椅子を蹴り倒し、しかし、気づいた様子も無くそのままなのはに詰め寄って彼女の腕を掴み、辛うじて自制心を発揮して声を荒げない様にゆっくりと口を開くと、結局言葉に纏める事が出来ず再び口を閉じて歯軋りするようにかみ締めた。

 錯乱して暴れだした事はあったし、夢に魘されて絶叫しながら跳ね起きる姿も見た。しかし、その直後であろうと正気を取り戻した瞬間から強靭な精神力で自制して見せた恭也が、なのはの言葉に自意識を保ったまま動揺を露にしたのだ。
 リビングに居た全員が驚愕に目を見開いた。

214 小閑者 :2017/10/09(月) 11:21:47
 至近に迫る恭也の黒瞳を見つめ返すなのはも、吸い寄せられたかのように合わせた視線を逸らす事が出来なかった。恐らく、それは恭也に腕を掴まれていなかったとしても変わる事は無かっただろう。
 なのはの二の腕を掴む恭也の固い掌の力が僅かに増す。
 腕の神経は掴まれた直後から痛みを訴え続けているが、なのはの努力が報われているのか恭也には気付いた様子が無い。単に今の恭也にはなのはの様子に注意を払う余裕が無いだけなのかもしれないが。
 恭也が全力を出せばなのはの二の腕を握りつぶす事くらい難しくないだろう。つまり、恭也は力を込めないように必死に自制しているのだ。にも関わらず過剰な力が加わっているのは、恭也の強靭な理性を持ってしても抑えきれないほど強い感情が彼の内で荒れ狂っているのだろう。
 抑えきれない感情に揺れる瞳を見つめ返していたなのはは、不意に胸の奥を締め付けられる様な痛みに襲われた。それははやてへの嫉妬ではなく、幼さから来る純粋さ故の恭也の心を埋め尽くしている不安と恐怖への共感だった。
 それでも、なのはは恭也の感情に流される事なく、無意識の内に穏やかな笑みを浮かべていた。

「大丈夫だよ」

 強さと優しさを併せ持った微笑を浮かべたなのはの言葉に、緊張に強張っていた恭也がゆっくりと深く息を吐き出したことで、漸くクロノ達も緊張を解く事が出来た。

「…すまん…取り乱した」
「ううん、私こそ勘違いするような言い方してごめんね?
 はやてちゃん、普通にお話も出来たし、元気そうに見えたよ。
 今回の入院も検査のためなんだって」
「…そうか」

 なのはのフォローに恭也が辛うじて言葉を返した。
 検査のための入院。だが、入院してまで行うような大掛かりな検査が必要になると言う事は病状に変化が現れた可能性が高い。
 そして、原因が闇の書からの侵食であるなら好転する可能性は極めて低い。瞬時にそこまで考えが至ったからこそ、恭也の返事は重く、悲壮だったのだろう。
 なのははその内容が気休めでしかない事には気付いていないようだったが、それも仕方が無いことだ。
 闇の書が元凶である事を知らず、直接の面識も今日まで無く、接点自体もすずかを介したものだ。恭也からはやての事を聞いた事はないし、そもそも彼がこの世界に残っている事を隠すように頼まれていたため尻込みしてしまってはやてと関わり難くなっている。
 以前を知らなければ今回の入院にどの程度の意味があるかを推し量れるはずがないのだ。

「明日、もう一度みんなで学校帰りにお見舞いに行く約束してるの。ちょうどクリスマス・イブだからプレゼントを用意してはやてちゃんをビックリさせようって。
 …恭也君も行こうよ」
「…」
「…ごめんね。恭也君も自分の事で大変だって知ってるけど、はやてちゃんもきっと心細いと思うから…」
「…ああ。分かった」
「!
 うん、ありがとう!」

 我が事の様に喜び、満面に笑みを浮かべるなのはを見て、恭也も口元を微かに綻ばせた。




 帰宅したリンディを交えた夕食の後、フェイトとアルフが自室に戻り、リビングに恭也、リンディ、クロノ、エイミィの4人になると恭也が口を開いた。

「提督。闇の書に関する追加情報はありませんか?」

 その前日までと同じ内容の質問に対して、リンディの答えも変わり映えのしないものだった。

「残念ながら特に新しい情報はないわ。
 記録にある限り、起動した闇の書は例外なく暴走している事から、何代目かの所有者による改編によって魔道書の機能自体に支障をきたしている可能性が極めて高いこと。
 闇の書の元々の名前は、夜天の魔道書だったということ。一応、こちらは新しく分かった事と言えるわね」
「待って下さい!奴等自身、自分達の事を『闇の書』と言っていませんでしたか!?」
「ええ、そうね。
 こちらの認識に合わせてそう呼んでくれるほど親切でなければ、自分自身を間違えて認識している事になる。
 闇の書のプログラムがどんな組まれ方をしているか分かっている訳ではないけれど、本当に基礎部分にまで異常が発生している可能性が高いわね」

 リンディは恭也が奥歯をかみ締めるのが分かった。
 もう限界なのだろう。いや、ここまで良く頑張ったと言うべきか。

215 小閑者 :2017/10/09(月) 11:23:10
「現状に関しては昨日のブリーフィングで話した通りだ。
 全666ページの内、実際に何ページまで埋まっているかは不明だが、被害規模と状況からすれば完成はそれほど遠い日の事ではないだろう」
「状況とは?」
「残り時間に制限があったとしても流石に今のペースは異常だからね。ペースを変えない限り長続きはしないって私達はみてるんだよ。
 途中で力尽きて頓挫するんなら有難いんだけど、多分その前に魔道書が完成するくらいの目算は立ててるだろうから。
 そうだね、速ければあと1週間から十日くらいかな」

 感情表現の豊かなエイミィすら事実を淡々と口にする。情報の伝達に感情を交えれば正確さを欠く可能性があるのだから当然ではあるのだが。
 ただし、民間協力者でしかない恭也に対して開示するにはその内容はかなり突っ込んだ物と言えるだろう。
 局員であれば命令系統は明確になっているし階級による上下関係もあるため、個人の単独行動は起こらない。仮に起きたとしても大きな問題にならないように情報に制限が掛けられている。個人の判断で行動すれば現場は混乱するし、組織的な行動など取れなくなるからだ。
 民間協力者に時空管理局の規律を細部まで遵守させる事は、知識の面からも価値観からも難しいため、尚更与えられる情報は最低レベルであるべきなのだ。独自の判断で行動できるような情報は明らかに過剰だ。
 だが、恭也がそのことについて疑問を持っている素振りは見せていないし、リンディから説明した事はなかった。

「…“魔道書からの侵食を止める方法”か“魔道書の主である事を解除する方法”については、何か分かりませんか?」
「え、解除する方法?…あ!」

 黙考した後恭也の口にした言葉に3人が虚を突かれて目を丸くした。その着眼点は確かになかったが、同時にこれまでには活用しようの無い情報でもあった。
 だが、昨日の恭也の推測、“書から侵食を受けている主を救うために守護騎士が独自に行動している”という説が正しかった場合、その原因を解消出来れば必然的に蒐集をする必要がなくなるのだ。

 それは恭也がはやて達から遠ざかってまで欲した情報であり、そうでありながら今日まで直接尋ねる事の出来なかった内容だった。恭也がアースラに収容されてから得た情報を合わせる事で組み上げられる推論を超えてしまえば、恭也が、引いては身を寄せていた八神家が疑われるからだ。

「ユーノさんが連日、書庫で資料を探してくれているけれど、今のところ侵食を止める方法もマスター登録の解除方法も分かっていないわ」
「そうですか。…スクライア1人で、ですか?」
「…うん。
 ユーノ君の力不足って訳じゃないからね?
 無限書庫の蔵書量は尋常じゃないから、逆にこんな短期間でこれだけの情報を検索するなんて今までじゃあ考えられなかったんだよ。
 ユーノ君は十分以上に頑張ってくれてる。悪いのは無限書庫を整備出来てなかった私達の怠慢だよ」

 エイミィのフォローには特に反応する事無く恭也が僅かに俯いた。過ぎた事をとやかく言ったところで時間が戻る訳でも事態が改善する訳でもない。

「奴らが投降した場合、書の侵食を阻止する方法を探す事は出来ますか?」
「交渉する積もり?」
「はい。
 書の侵食と無関係であれば意味はありませんが、事実であればそれを阻止する手段を探す事を条件に投降に応じてくれる可能性はあると思います」
「分かったわ。
 魔道書そのものを解析すれば方法が見つかる可能性も高いし、襲撃事件がそれで終了するならその条件を飲みましょう」
「ありがとうございます。では、高町やテスタロッサにもその様に指示をお願いします」

 そう告げると恭也は大きくゆっくりと息を吐き出した。
 一仕事終えたとでも言うようなその姿に、リンディは辛うじて苦笑が浮かぶのを堪え、誤魔化すために湯飲みを口に運んだ。
 この数日間、医務局に縛り付けておいただけあって恭也がシグナムとの戦いで負った傷は完全に回復している。だが、体調は万全とは言えないだろう。
 精神と肉体が密接に関わっている以上、精神の疲弊は肉体に反映される。リンディは居合わせなかったが、夕方の恭也の取り乱し方はかなりのものだったと聞いている。
 時空間の転移に巻き込まれ、見知らぬ土地に孤立無援で放り出され、家族の死を克明に思い出した。ここに来て、この地での寄る辺となっていた親しい少女の病状が悪化して入院した事を聞かされたのだ。

(取り繕う余裕なんて、有る訳無いわね)

 これ以上は誰が考えても酷だろう。そう思考を締め括ろうとしたところで恭也と目が合った。

216 小閑者 :2017/10/09(月) 11:25:17
 夫・クラウドやその容姿を色濃く受け継いだクロノよりも尚黒い瞳。見る者によって“未知の恐怖”と“平穏な安らぎ”の両極面の印象を与える宇宙空間を思わせる漆黒が、静かにリンディを見据えていた。

「茶番、ですかね?」
「あら、そんな事言うものじゃないわ。
 例え、高い確率で現実になる事柄でも“未来”である間は変える事が出来るかもしれない。
 努力が必ず実るほど世界は優しくは無いけれど、努力しなければ絶対に覆す事は出来ないもの。
 私達に出来る事は、“未来”が“現実”になる瞬間まで足掻き続ける事だけよ。
 足掻ける時間は残り僅かよ?後悔せずに済むように、一緒に頑張りましょう?」
「…はい」

 恭也が僅かながらも瞳に力を取り戻した事を確認すると、リンディの内心で安堵感と罪悪感が鬩ぎ合う。本人が望んでいる事ではあっても、更なる苦境へ向かう彼の背中を後押ししたようなものだ。
 リンディの葛藤に気付いた様子もなく就寝の挨拶を告げてリビングを出て行く恭也を見送ると、クロノが口を開いた。

「母さん。バランスを崩さないようにね?」
「ええ、分かってるわ。
 でも、あんなに頑張ってる姿を見てたら、やっぱり報われて欲しいとは思っちゃうわね」
「…肩入れするな、とは言わないけど、下手をすればあいつ自身に跳ね返る事は忘れないでよ」
「はーい」
「フフ、優しいねぇクロノ君」
「フン」

 世界の治安機構を自任する時空管理局は、多数を守るという大義名分の下、法を盾に少数を切り捨てる事がある。
 社会の一員として共存するためには権利には義務を課せられ、自分勝手な行動は法により規制される。当然それを破れば罰則が下される。
 ルールを逸脱するほど利己的な者に対して適用されている限り、その制度は大多数には納得して受け入れて貰えるだろう。しかし、世界は“勧善懲悪”で完結するほど単純に出来ていないのだ。
 フェイトの生みの親であるプレシア・テスタロッサが起こした事件もそういった面を含んでいた。
 愛娘を生き返らせたいという気持ちは誰にでも理解出来るものだが、そのために近隣世界を巻き込みかねない次元断層を発生させる事を黙認する事など出来るはずがない。だが、その行為を断罪しに行った時空管理局の一部署の暴挙こそが、プレシアの愛娘であるアリシアを死なせたと言っても過言ではなかった。
 原因が何であろうと無関係の人々を巻き込む理由にはならない。だが、原因を作った側がそれを説くなど厚顔無恥にもほどあるだろう。
 また、管理局に落ち度が無かった事件であろうと、少数側に非が無い事など幾らでもある。
 それでも、リンディは提督として法という基準を当事者に押し付けて裁定を下す事を求められてきた。悠長に裁判の判決を待っていられない事例は少なくないのが実情なのだ。
 だからこそ、この事件の恭也のように、経験で培ってきた勘が闇の書との関わりを示唆していたとしても、明らかな確証が無い限りは出来得る限り自由に行動出来るように取り計らっていた。恭也の死に物狂いの行動が純粋な思いを源にしている事くらい見ていれば分かる事だ。

 法を盾に切り捨てる義務が課せられているなら、法を盾に守る権利を活用する。
 判官贔屓ではなく、力を持つ者が陥り易い価値観の押し付け、一方的な介入を戒めるための処置だ。
 戦力であれ権力であれ、力が容易に暴力に成り易い事も、人間と言う種族が如何に力に溺れ易いかも、管理局内で周囲を見渡せば実例付きで知る事ができる。「ああは成るまい」という気持ちを、薄めさせないための努力は大切な事だ。
 そう答えておけば、良心を持ち合わせている者は納得してくれる。
 ただし、リンディの親友であるレティ・ロウランなど親しい者からは『好き勝手するための大義名分』と笑われているのだが。

「だけど、アリアやロッテの報告からするとホントに恭也君が無関係の可能性は残ってるんだよね」
「―――ああ、そうだな」

 恭也がデバイス製作のためにこのマンションを離れている間に行った、リーゼ姉妹による八神家の再調査の結果は「複数の人の出入りは認められるが闇の書との関わりは認められない」
 彼女達も基本方針は同じなので、あるいは勘を刺激する程度の痕跡を見つけながら伏せている可能性はあるし、そもそも本当に何の痕跡も無かったのかもしれない。だが、フェイトと恭也のシグナムとの戦闘時に、管理局と同レベルのセキュリティを誇るここのシステムをダウンさせた存在を思えば、内部犯を疑わざるを得ない。
 クロノにとってリーゼ姉妹は師であり姉でもあるのだ。彼女達に疑いを抱いて穏やかで居られる訳が無い。
 もしも、恭也が転送事故に巻き込まれなければ、転送先がこの地でなければ、このタイミングでなければ、彼女達に疑いを持つ事も無かったのだろうか?
 リンディはそんな起こり得ない仮定を思い浮かべて、詮無い事だと静かに目を伏せた。

217 小閑者 :2017/10/09(月) 11:26:58
「なのはもフェイトも随分機嫌が良さそうだけど何かあったの?」
「ふふ、なんでもないよ、アリサ」
「フェイトちゃん、そんなに嬉しそうに言われたら何か隠してるって誰にでも分かっちゃうよ?勿論、なのはちゃんもね?」
「えへへ〜。実はね、はやてちゃんへのプレゼントをもう一つ用意出来たの」
「あぁ、なのは、内緒にしようって言ったのにぃ」
「ごめんごめん、でも中身までは言わないから」
「何よ、そこまで話したんなら最後まで言いなさいよ!」
「ダメだよー。ひ・み・つ!」
「うん、秘密。アリサもすずかもきっと驚くよ?」
「そうなんだぁ。じゃあ楽しみにしておくね」
「すずか、簡単に引き下がりすぎ!」
「まあまあ、アリサちゃん。もう病院に入るんだし静かにしないと」
「あ、ごめん、お見舞いの前におトイレ行ってくるね」
「じゃあ、私も」
「私達はここで待ってるからね」
「うん、ごめんね」

 連れだってトイレへ向かうなのはとフェイトを見送ると、アリサがはやてへのプレゼントを持ち直しながらすずかに話しかけた。

「あの2人、昨日までが嘘みたいにはしゃいでるわね」
「うん。心配事が無事に済んだならいいんだけど」
「ったく、私達には相談もしてくれないんだから!」
「仕方ないよ。話せるようになったらきっと教えてくれるから、それまで待ってあげよ」
「フンだ、親友を蔑ろにした報いは絶対取らせてやるんだから。
 …ところで、あのはしゃぎっぷりにはプレゼントが関係してると思わない?」
「うん、私も思う。アリサちゃんはプレゼントが何か予想出来そう?」
「はやてが喜ぶ物ってだけじゃ絞りようもないけど、同時にあの子達が嬉しい物っていうのがねぇ。まさかとは思いたいんだけど、あいつじゃないわよね?」
「どうだろうね?少なくとも、私の予想とは一致してるよ」
「お待たせ」
「あれ?アリサちゃん楽しそうに見えるけど何の話?」
「なのは、あんたはお見舞いの後にそこの突き当たりにある眼科で視力検査してきなさい」
「春に測ったときはちゃんと2.0だったよ?」
「問題が視力じゃないとすると脳外科か神経科か精神科ね。総合病院で良かったわ」
「な、何の話?」

 普段通りの、日常の遣り取りに無自覚ながらも昨日まで以上に心を弾ませていたなのはとフェイトは、入室の挨拶とともに自覚しないまま非日常へと踏み込んだ。

 2人は目の前の光景を理解するのにいくらかの時間を要した。
 このような場所で遭遇する可能性を欠片ほども想像していなかったし、普段着姿を目にする機会もなかった。なにより、あれほど穏やかな表情を見たことがなかったため、はやての病室に居る3人の女性が誰であるのか理解するのに手間取った。
 対して、彼女達も驚いてはいたようだが、なのはとフェイトが自分達の敵であることに即座に気付いたようで、瞬時に表情が引き締まった。
 皮肉な事にその警戒を露にした表情を見ることでなのは達にも漸く3人の女性がヴォルケンリッターである事が理解出来た。

 何故、八神はやての病室に?
 決まっている。闇の書の主を守る守護騎士がはやての病室に揃っているという事は、つまり“そういう事”なのだろう。

 辛うじて表情を取り繕う。シグナム達がどう対応してくるかは分からないが、アリサとすずかが居る以上、迂闊な真似をして戦闘に巻き込む訳にはいかない。
 来客として対応するシグナムに上着を預けながらフェイトが潜めた声で語りかけた。

「念話が繋がらない」
「シャマルが封じている。お前達も友人を巻き込みたくはないだろう。妙な真似はするな」

 シグナムの脅し文句に2人は密かに胸を撫で下ろす。シグナム達にも無関係の人間を好んで巻き込む積もりは無いようだ。
 建前だけである可能性も残ってはいるが、短くとも濃密な時間を共有してきた間柄だ。その言葉は信用してもいいだろう。

コンコン

 ノックの音にシグナムが僅かに眉を顰めるが、直にシャマルへ視線を投げ掛けた。
 フェイト達が今日この病室を訪れたのは間違いなく偶然だ。ならば新たな来訪者が彼女達の増援である可能性は低い。
 何よりシグナムたちははやての前でこれ以上不信な態度を取る訳にはいかなかった。既にこの時点で、はやては何かを感じ取っているのかその表情が固さを持ちはじめている。
 シグナムがフェイトを見遣り頷いて返すのを確認する。数度の交戦でフェイト達の性格は分かっている。この状況で周囲を巻き込む様な騒ぎを起こす事はないだろう。

「はーい、どうぞ」

 シャマルが声を掛けるとゆっくりドアが開かれた。

218 小閑者 :2017/10/09(月) 11:29:11
 はやてはシグナム達の硬くなった態度と、緊張感の高まった雰囲気を敏感に感じ取っていた。それは自分の知らないところで、重大な、そして決定的な何かが進行している様な予感。
 怖い。
 だけどしっかりしなくては。自分は八神家のお母さんなんだ。恭也がいない今、自分がしっかりしなくては。
 表情と態度に細心の注意を払いつつ、なのはを睨み付けるヴィータを優しく叱りながら来客に注意を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではなかったが、この雰囲気を変える切欠くらいにはなりはしないかという一縷の望みを託して新たな来客に視線を向けたはやては自分の目を疑った。

「え?」

 はやてが呆然としている事にも部屋の雰囲気にも気を留めた様子もなく、平然と入室してきた恭也が気負う事無く口を開いた。かつて八神家でそうだった様に。

「妙に緊迫していると思ったらお前たちか。
 シグナム、高町、こんな所にまでスーパーでの因縁を持ち込むな」
「何よ、因縁て?」

 異様な雰囲気に困惑していたアリサが、日常を纏って現れたかのような恭也の台詞に反応すると、それを合いの手に恭也が続ける。

「特売品の奪い合いをしていたんだ。
 方やはやての期待に報いるために、方や洋菓子屋の娘としての誇りに賭けて。公衆の面前で睨み合っていた」
「なのは、あんたって子は…」
「えぇ〜!?ち、違うよ!そんな事してないよ!」
「シグナム、そこまでせんかてええんやで…?」
「な!?ち、違います!恭也のデマカセです!」

 なのはやシグナムにとっては身に覚えの無い中傷なので当然反論するが、その程度の言葉で恭也の矛先を躱せる筈がなかった。

「ほう、シグナムにとってはやてへの思いはその程度だったのか?」
「そんな筈があるか!あ…」
「高町、姉の美由希の様にはなるまいと母に誓ったのは嘘だったのか?」
「嘘じゃないよ!ってなんで恭也君が知ってるの!?」
「まぁ睨み合っている間に商品を掻っ攫われて二人して膝をついていたんだ。
 隠したくなる気持ちも分からんではないがな」
「アカンやんけ!!」

 はやてが間髪入れずにツッコミを入れると、直前の緊張感から開放された安堵も手伝い、何時看護士に叱られてもおかしくないほどの笑い声が病室に響いた。
 流石は恭也さん、ブランクを感じさせない切れ味!笑い過ぎて涙が出て来た。
 はやては治まりきらない笑顔のまま、歩み寄ってきた恭也を見上げ声を掛ける。

「アハハ、もう恭也さんは相変わらずやね。アハ、ハ、笑い過ぎて、涙、出て――」

 恭也が無言ではやての頭を撫でる。
 その頃にははやて以外誰も笑声を上げている者はいなかった。
 ただ黙って、笑顔のまま涙を拭うはやてを見詰めていた。

「もう、私だけ、笑っとったら、頭悪い子みたいやん」
「よく頑張ったな」

 はやての笑顔が治まる。
 人が居れば、それが看護士であっても絶やす事のなかった笑顔が。
 頬を伝う涙を拭う事も忘れ、ぼんやりと恭也を見上げていたはやての表情がゆっくりと崩れていき、恭也がはやての頭を包み込む様に抱きしめると堰を切った様に声を上げて泣き出した。

「っう、うあ、ああぁあぁぁ、こわ、怖かった、っひく、怖かったんや!
 みんな教えてくれへんから、ぐすっ恭也さんが、死んでしもたんやないかって!
 ひっく、みんな、居れへんし、怖くて聞けれんくて、」
「心配させて済まない。もう大丈夫だ。絶対にお前を1人にはしない」
「うあああぁー!」

 はやては恭也が八神家を出て以来溜まり続けていた不安と恐怖を吐き出すかの様に恭也に縋りついて泣き続けた。

219 小閑者 :2017/10/09(月) 11:30:04
 全員に見守られながら泣き続けていたはやてが落ち着きを取り戻すと、恭也がすずかとアリサに視線を向けた。
 それだけで察した二人は頷き、泣き疲れたのか安堵に気が緩んだのか、どこかぼんやりしているはやてに暇を告げた。

「はやてちゃん、私達、今日はこれで失礼するね?」
「あっ、すずかちゃん!あの、ゴメンな?私、突然その…」
「ううん、気にしないで。こっちこそいきなり来ちゃってゴメンね?」
「ええねん、私ほんまに嬉しかった。アリサちゃんも、時間があったらまた来てな?」
「うん、絶対来る。その頃にははやても元気になってなさいよ?
 じゃあ、帰ろうか?」
「高町とテスタロッサはすまんがもう少し良いか?」

 恭也の言葉になのはもフェイトも穏やかな表情で頷いて見せた事にシャマルが訝しげに眉を顰めた。
 はやてが縋り付いて泣いた事から、恭也がはやてと親しい関係である事が分かるはずだ。それは同時に、恭也が負傷してアースラに収容された日より以前からヴォルケンリッターとも接触があった事になる。
 書の主と良好な関係にあることから守護騎士との関係も推し量る事が出来るだろう。交戦しているシグナムさえも恭也を警戒していないことから、主を介する事無く、個人的に友誼を結んでいる可能性だって気付けるはずだ。
 何処まで推測出来ているかは兎も角、この繋がりは管理局に所属するこの2人にとっては裏切り以外の何物でもないというのに動揺する様子すら見せていない。
 事前に恭也から自分達との関係を伝えられていたのだろうか?しかし、それなら病室に入ってから恭也が現れるまで2人が緊張していた理由が説明出来ない。あれは少なくとも敵との遭遇により開始する戦闘への緊張か、それにすずか達を巻き込む危険性を危惧していた事が原因のはずだ。
 すずか達が病室を出ると、シャマルの思考を代弁するように、幸せそうに抱きついていたはやてを離しながら恭也がなのは達に問い掛けた。

「高町、テスタロッサ。状況は理解出来ているか?」
「多分、ね」
「恭也君はヴィータちゃん達とお友達だったんだね」
「…お友達…
 まぁ、良いだろう。
 はやて。内容は理解出来ないだろうが、暫く黙って見ていてくれ。
 …どうした?」
「!?なんでもないよ?うん!」

 ベッドサイドに立つ恭也の服の裾にこっそりと手を伸ばそうとしていたはやてが慌てて手を引っ込めながら同意した。
 その挙動を不思議そうに眺めながらもこちらが優先とばかりに恭也はなのはとフェイトに向き直った。

「以前話した通り、俺はこの世界に来てから八神家に居候していた。当然、ヴォルケンリッターとも交流がある。
 俺はお前達を利用して、裏切って居たんだ。
 それに気付いているのに、何故お前たちは警戒を解く?」
「別に恭也は裏切ってた訳じゃないでしょ?」
「そうだよ。恭也君、ずっと言ってたじゃない。辛い時に助けてくれたはやてちゃんを守りたいんだって。
 そのために、アースラに来たり、シグナムさんと戦ったりしたんでしょ?」
「利用したって言う事は出来るのかもしれないけど、目的が重なるなら協力するのは悪い事じゃないと思う」

 聞いていたシャマルはポカンと口を開いて瞬きを繰り返した。
 時間を置いて考えたのなら分かる。それでも善良と言える回答だ。だが、たった今聞いた事実に対して即座に返した答えがそれというのはどうなんだろうか?あるいは、恭也個人への絶大な信頼を基にした思考なのだろうか?
 恭也には後者の可能性には思い至らなかったのか、至極当然、といった面持ちで考えを告げた2人に静かに溜息を付きながらシグナム達に向き直った。

「予想通りとは言え、思わず将来を案じるような回答だな。
 自己紹介させるよりも伝わったとは思うが、この2人は“善人”という生き物だ。管理局全体の事は知らんが、今回の件に携わっている陣営は多少の差はあれど、概ねこんな感じだ。
 それを踏まえて聞いて欲しい。投降してくれ」
「…単刀直入だな」

 シグナムは言葉を切ると静かに恭也を見つめ返した。
 気軽に思い付きで言っている訳ではない事は分かっている。そのメッセージを遠回しに伝えるためだけに命懸けで自分の前に立ちはだかって見せたくらいだ。
 ここで投降するという事はこれまでの蒐集活動による自分達の苦労も周囲への被害も全てが無駄になる事を意味する。だが、そんな事はどうでも良かった。全ては主はやてのために。はやてさえ助かるのなら、幸せになるのなら、どんな犠牲も厭わない。自分達の努力自体が徒労に終わる事など大したことではない。
 しかし、戦闘を介して恭也のメッセージを受け取った時点でその選択を取らなかったのは意地を張っていたからでも目的を見失っていたからでもない。
 第一に管理局という組織がはやてを任せるに足る存在かどうか計りかねたから。
 そして、

「それで、はやての体が治せるのか?」

220 小閑者 :2017/10/09(月) 11:30:40
 口を閉ざしたシグナムに代わり、メッセージに込められた“蒐集活動の危険性”に敢えて目を瞑って続行していた理由を問い質したのはヴィータだった。
 “犠牲”には自分達自身の存在も含まれている。はやてが誰を失ったとしても悲しむ事は分かっていたが、それでもはやてには生きていて欲しい。それが4人の願いだ。
 その願いを理解している恭也が率直に投降を呼びかけてこなかった理由は、この期に及んで提案に留めている理由は、根本的な解決策が見つかっていないためだろう。

「ああ、予想を裏切れなくて悪いが、現時点ではその方法は見つかっていない。何処まで効力があるかは疑問だが、お前達が無抵抗で投降する事を条件に書の主の救済に全力を尽くす約束を取り付ける事が出来ただけだ。
 残念ながら、仮に本当に管理局が全力を尽くしたとしても、救済が確約されている訳ではない」
「では、何故敢えてここに来て投降を勧める?」
「管理局側の調査ではあなた達の活動が破綻する可能性が高いと結論しているからだ」
「…根拠は?」

 その反応にフェイトは驚くとともに嬉しくなった。
 シグナム達が罪を犯してまで選んだ行動を真っ向から否定する内容であるにも関わらず、即座に跳ね退けないほど彼は信用されているのだ。
 だが、それは恭也にとっても好き好んで語りたい内容ではないだろう。声にさえ感情を乗せず、それでも一縷の望みに縋る様に問いを返す姿に、フェイトは胸に痛みを覚えた。

「魔道書が改変を受けている事は自覚しているか?」
「無論だ。闇の書は我々自身だと言ってもいいからな」
「では夜天の魔導書という名に聞き覚えはあるか?」
「夜天、の…?」

 シグナムの顔に浮かぶのは困惑。それはシャマルとヴィータも同様だった。聞いた事があるのにそれが何を意味するのか思い出せないのだ。
 恭也はその事を言及する事なく、論点を移した。

「“主″として覚醒した過去の書の持ち主を覚えているか?」
「ええ、魔導書に記録されたあらゆる魔法を使いこなせる様になるわ」

 シャマルが不安を払おうと直ぐ様言葉を返すが恭也はそれを否定する。

「違う、書に記載されている規定事項ではなく、記憶に残っているかと聞いているんだ。先代や先々代の主が覚醒した後どうしていたのかだ」
「それは…、主が覚醒した時には私達が現界していない事が多いから…」
「現界?実体化していないという事か?
 …本当にそうか?仮にそうだとしても書そのものでもあるあなた達が覚えていないのか?」

 恭也はシャマルの言葉に疑問を持った様だが、一先ず押し止め、続けて問い掛けるが、シャマルには答える事が出来なかった。
 動揺が広がる。シャマルもシグナムもヴィータも指摘されて漸く気付いたのだ。あえて目を逸らしていた訳ではなく、思考がそこに向かわない、向ける事が出来ない事に。

「…出来れば、否定して貰いたかったんだがな。
 書の改変は表層だけでは無く、根幹にまで及んでいるようだ。あなた達自身の認識が及ばないほど。
 管理局で記録している限り、主として覚醒した者は――、っ!?」
「あっ!?」
「何!?」

 恭也の言葉に動揺していたシグナム達は勿論、気を緩めていたなのはとフェイト、みんなの会話から朧気ながら凡その事情を察して驚いていたはやて、そしてはやてに手を伸ばした事で躱す機を逸した恭也、その場にいた全員が台詞の続きを遮るタイミングで仕掛けてきたバインドに拘束された。

「わあ!?なんやのこれ!?」
「はやて!
 シャマルっ、まだか!」
「やってる、けど、まさか無効化されてる!?そんな!」

 自身、解呪を試みながらのヴィータの焦りを溢れさせた問い掛けに対して、補助魔法のエキスパートであるシャマルは驚愕を込めて返した。シャマルの魔法を跳ね除けるほど強力な魔法という訳ではなく、効力自体を打ち消されていたのだ。
 魔法初心者ならば兎も角、シャマルほどの術者ともなれば術の強化やスピードアップのために術の構成をオリジナルに近いレベルまでカスタマイズしている。それを本人に気付かれないうちに無効化出来るほど解析するなど、通常ならば有り得ない事だ。
 だが、姿を見せない敵は対策を打つ時間など与えてくれる訳がなかった。次の瞬間には全員の足元に1つずつ魔方陣が展開される。

「今度はなんだ!?」
「この魔法陣は…強制転送!?」
「まずい!クソッ、はやて!」
「恭也さん!」

 拘束されて尚伸ばされた恭也の手をはやてが掴む前に術式が発動し、あまりの騒がしさに看護士が注意しに乗り込んだ時には病室は無人となっていた。





続く

221 小閑者 :2017/10/14(土) 22:34:01
第21話 前夜




 はやての意識がゆっくりと浮上する。
 普段の自然な感覚とも睡眠薬による眠気の纏わり付いてくるような感覚とも異なるそれを、浅くなるにつれて膨れていく焦燥感が急速に加速させた。
 覚醒と同時に中空を見上げたはやてが見たものは、虚空に磔にされている俯いたヴィータと、彼女を挟み込むように両隣に浮いているなのはとフェイトの姿だった。
 肌を刺す寒風にも、凍り付きそうなほど冷えた床にも気付く余裕もなく、はやては声を張り上げた。

「ヴィータ!?
 何!?何しとんの、なのはちゃん!フェイトちゃん!
 ザフィーラ、ザフィーラは!?」

 焦燥感の原因であったザフィーラの声どころかその姿さえ、はやてが覚醒した時には既に無かった。
 不安に駆られて周囲を見渡したはやては、シグナムとシャマルの着ていた服が散乱している事を認めると、驚愕の表情で空に在る3人に視線を戻した。

「はやて、君はもう助からないんだよ。どんな事をしても闇の書の呪いを解く事は出来ないんだ」
「…そんなん、ええ。そんなんええねん。私が死んでまうんは、しゃあないって分かってる。
 ヴィータを放して。みんなをどうしたん?」
「闇の書はね、ずっと昔に壊れちゃってたんだよ。勿論、そこから出て来た守護騎士達も。
 なのに本人達はそんなことも気付かずに必死になって蒐集してたんだよ?馬鹿だよねぇ」
「だから、壊れたおもちゃは危ないから君の代わりに捨ててあげてるんだ。コレで最後」

 それは、はやての心を絶望に閉ざすための言葉。
 非力で無力な自身では成し得ない望みを叶えるために、力を求めさせるための言葉。
 極めて狭い世界しか知らない少女の感情を揺さぶるなど、それを構成する守護騎士を残酷な方法で消し去るだけで十分なのだ。
 計算外だったのは、それが少女の逆鱗に繋がっていた事だろう。

「…あんたら、誰や」

 少女の口から零れた直前までの動揺が消滅したかのような平坦な声に、なのはとフェイトに怪訝な表情が浮かぶ。悲しみとも怒りとも憎しみとも違う、正確には2人が想定していたどの反応にもないはやての様子に僅かに警戒したのだ。
 ここまで来て尚、発生しようとしているイレギュラーに苛立ちそうになる感情を意思の力でねじ伏せて、静かに問い返す。

「…誰って、酷いなぁはやてちゃん。
 昨日も、今日もお見舞いに行ってあげたのに覚えてくれてないの?」
「なのはちゃんもフェイトちゃんもそんな事せえへんし、あんな酷い事も言わへんわ!
 早ようヴィータ放しや、この卑怯モン!」
「…勝手に偽者扱いしないで。
 君が私達の事どれほど知ってるって言うの?」
「確かに私は2人の事、大して知らへん。
 でもなぁ、私が騙される事あっても、恭也さんが信用してるあの子らがそんな事するはずあるか!」

 また、あの男か!
 11年越しの悲願が漸く叶おうとしているここに来てシナリオを掻き回す男の姿を脳裏に浮かべて歯軋りする。そんなフェイトの姿に気付かせないために、はやての視線を誘導するべくなのはが口を開く。

「恭也君がどう思ってるかなんて知らないけど、今のこの状況が変わる訳じゃないよ。
 壊れた人形を捨てるのにお別れの言葉なんて要らないよね?」

 この場に居るなのはとフェイトの真偽など状況を覆す鍵にはならない。それに気付かせれば何の支障も無いのだ。
 見せ付けるようにヴィータに向かって右腕を掲げると、はやての表情が恐怖に歪んだ。

「イヤ、やめてー!」
「止めさせたければ力ずくでどうぞ」
「はやてちゃん。世の中ってね、“こんな筈じゃなかった”事でいっぱいなんだよ」
「確かにな」

 言葉と同時に放たれた斬撃を瞬時に形成したシールドでなのはが受け止めると、動きの止まった襲撃者の背後に高速で回りこんだフェイトが光を纏う左腕で薙ぎ払う。完全な死角からのその一撃が見えてでもいるかのように襲撃者は光る円盤の足場を蹴って躱し、屋上のはやてと2人の中間へと危な気もなく着地した。

222 小閑者 :2017/10/14(土) 22:39:28
「恭也さんっ!」
「…はやて、すまん。間に合わなかった」
「…え?あ、―――ヴィータ」

 喜色を隠す事の無いはやての声は、恭也の謝罪の意味を目の当たりにした瞬間、一切の力を失った。
 ヴィータの名残である光の煌めきを呆然と見つめていたはやては、視界に割り込んできた2人の少女へと緩慢に焦点を合わせる。
 『何故?』
 思考はその2文字で埋め尽くされていた。

「どういうことだ?高町、テスタロッサ」
「この期に及んでそんなこと言うんだ?」
「恭也が闇の書側のスパイだって分かったのに私達だけ約束を守れっていうのは虫が良過ぎるよ」
「ック!」
「まあ、それでも恭也君自身が犯罪に手を染めてた訳じゃないし、闇の書のプログラムでもないんだから、抵抗しなければ大きな罪には問われないよ」
「そうだね。
 さあ、そこをどいて闇の書の主を引き渡して?」
「断る」
「…だろうね」

 茫然自失していたはやてを強引に正気付かせるほどに雰囲気が一変した。3人の会話は正確に聞き取れていなかったが、腕や手にしたカードを光らせる少女達と抜刀する恭也を見れば誤解の余地など無いだろう。

「…あ、やっ止めて!恭也さんは闇の書とは関係ない、悪い事なんてしてへんのや!」
「公務執行妨害ってやつだよ。はやてちゃんを、犯罪者を守ろうとする以上、力づくで排除させて貰うよ」
「ダメッ!
 恭也さん、もうええ、もうええねん!私、大人しく捕まるから、もう止めて!死んでまうよ!
 恭也、さんまで、死んでまったら、私…!」
「大丈夫だ、はやて。
 言っただろう。もう、絶対にお前を1人にしない」

 病室で聞いた時には歓喜に震えたその言葉が、はやての背筋を凍らせた。
 恭也は絶対に引かないだろう。
 絶望しかない戦いであろうと、絶対に。

 合図はなかった。
 少なくともはやてには理解できない切欠で始まった戦いは開始と同時に苛烈を極めた。
 なのはの放った20を超える拳大の光弾が空間を縦横に駆け巡る。直線・曲線・鋭角・鈍角・緩急を交えて空間を埋め尽くすほどのその軌跡に触れさせる事無く、姿が霞むほどの高速移動で躱しながら恭也が間合いを詰めていく。
 だが、明らかに人間の運動能力を上回るスピードで行われていた回避行動が唐突に破綻した。光弾の一つが足場となる円盤を打ち抜いたのだ。そして、恭也が体勢を崩した瞬間、あらゆる角度から恭也の体を光弾が通り過ぎた。
 はやての視界の中を恭也の体が至る所から液体を撒き散らしながら、床へ落下した。
 受身を取る素振りもなく人形のように無防備に落下した体は、小さくバウンドしたきり二度と動く様子は無く、欠損した各所から溢れ出して出来た水溜りの広がりだけがこの光景が静止画でない事を表していた。
 そのあまりにも呆気ない結末に対して、床に倒れ付した恭也を見つめるはやてが何かのリアクションを取る事は無かった。
 髪が風に揺れていなければ時が止まっているのかと錯覚するほど、近寄る事も顔を背ける事も声を発する事も表情を動かす事も感情を揺るがす事も無い。

(拙いな。
 刺激が強過ぎて精神を壊したか?)

 心臓すら動いていないように見えるはやての様子に、なのはとフェイトに焦燥が生まれる。
 闇の書を凍結封印するためには魔道書の起動は必須条件だ。今のはやてを闇の書ごと凍結させたとしても、はやての生命活動が停止した時点で魔道書の転生機能が働き新しい主の下へと移動するだけだ。
 起動条件は揃っている筈だ。あとは本人の意思で望みさえすれば。
 時間を置けばはやての意識が戻り、魔道書を起動させる可能性はあるが、この場に長時間留まり続ける訳にはいかないし、何より低いとは思うが精神を立て直される可能性すらある。
 はやての身柄を幽閉する事を検討しようと2人が少女から意識を反らした瞬間。

「嫌アアァァアアアアアアアァァアアァアア!!」

 はやてを中心に爆発的な勢いで放出された魔力が2人を打ち据えた。虚を突かれた事も合わさり、なのはのディバインバスターに匹敵するほどの衝撃に意識を飛ばされながらも、なのはが辛うじて転移魔法を発動し姿を消した。
 残されたのは魔力の柱に浮いたまま虚空を睨み付けるはやてとその傍らで自動的にページを開く魔道書だけだった。


【解放】



     * * * * * * * * * *

223 小閑者 :2017/10/14(土) 22:44:34
     * * * * * * * * * *


 遥か上空、はやて達の居たビルの屋上から直線距離にして2,000m以上離れた空間に形成されたクリスタルゲージに幽閉されていた恭也は、成す術も無く闇の書が起動するまでの一部始終を見せ付けられた。

「はやて…!」

 クリスタルゲージの破壊も体を縛る多重バインドの解呪も、一緒に閉じ込められたなのはとフェイトに委ねる他無く、恭也には“何もしない事”しか出来なかった。掌の皮膚を破らない様に拳を握り締める事も、歯を噛み砕かない様にかみ締める事も、拳を痛めない様にゲージを殴りつける事も、自傷に、戦力低下に繋がる一切の行動を多大な精神力を費やして抑え付けながら、只管遠方の推移を見守り続けた。
 そして、たった今、それらの努力が水泡に帰した。

「止められなかった…
 ぁぁああああああーーーー!」
「…きょうや」

 狭いゲージ内に恭也の慟哭が響く。鼓膜どころか直接皮膚を震わせるほどの絶叫は、そのまま恭也の絶望の深さを示しているのだろう。
 恭也に声を掛ける事も出来ずただ呆然と見つめていたフェイトの頬を涙が伝う。
 慰めも気休めも、今の恭也には意味を成さないだろう。

「諦めちゃダメ!」
「…なのは!?」

 恭也の慟哭に負けない声量で叱咤するなのはにフェイトが驚愕の視線を向ける。

「まだだよ!まだ、闇の書の暴走は始まってない!
 ユーノ君が一生懸命対策を探してくれてるから、頑張ってはやてちゃんを助け出そうよ!」
「なのは、ダメ!」

 それは絶望を悟った者に掛けるにはあまりにも楽観的に過ぎる言葉だ。一歩間違えれば相手を逆上させかねない。
 だが、フェイトの静止も間に合わなかった。
 なのはが第一声を発した時点で沈黙した恭也がゆっくりと振り返る。その顔に表れている怒気と憎悪、そしてそれらを上回る殺意を目の当たりにしたフェイトは本能的な恐怖と明確な死の予感を感じると同時に深い悲しみに包まれた。
 自分の持つ全てを代償にしてでも守ろうと誓った少女を目の前で失った悲しみが狂気へと変わったのだ。それを誰が責められるだろうか?
 だが、

「だ、ダメ、だよ…」

 恭也の苛烈な感情を正面から叩きつけられながらも、なのはは尚も諌めようと声を絞り出した。
 怖くない訳がない。
 恐怖に体は芯から震え、歯の根は合わず、意識さえ途切れそうになる。
 それでも、逃げ出す訳にはいかなかった。
 今逃げ出せば、口を噤めば、はやてを救い出す最後のチャンスを失う事になる。救い出せる可能性は限りなく低いだろう。それどころか有るか無いかすら分からない。だが、今ここで動かなければ可能性は確実に“0”になる。

「一緒に、はやてちゃんを助けに行こう!
 絶対、はやてちゃんは恭也君が助けに来てくれるのを待ってるよ!」

 なのはの瞳から涙が溢れ、雫となって零れ落ちた。
 恭也に対してどれほど残酷な事を言っているのか理解している。
 更なる絶望を突きつける結果に終わる可能性の方が遥かに高いことも分かっている。

「はやてちゃんを助けるんでしょう!?
 剣の道を捨てて、魔法に縋り付いて、どんな事をしてでも助けるって決めたんでしょう!?」

 それでも。
 全てが終わった後、今ここで蹲っていた自分自身を一生責め続ける。
 恭也にそんな事をさせたくない一心で言葉を重ねた。

 決めたんだ。
 恭也君が辛い時に支えてあげようって。
 進む道を見失った時には、一緒に探そうって。
 それで私が嫌われても、憎まれても、今の恭也君にとってどれほど辛い事だとしても。
 後で振り返ってみて、後悔しなくて済むように。
 あのとき諦めなくて良かったって思えるように。

「だったら!
 こんなところで諦めちゃダメだよ!」

224 小閑者 :2017/10/14(土) 22:50:09
 なのはが泣き叫ぶように言葉を叩き付けた直後、拳が頬を殴りつける鈍い音がクリスタルゲージ内に響いた。
 口を挟めず成り行きを見つめていたフェイトが顔を蒼褪めさせるほど、その拳は何の加減もされていなかった。
 あまりの事態に声を失うなのはが見つめる先で、口から滴る血を殴り付けた自分の右拳で拭いながら、恭也が大きく息を吐き出した。

「無様を晒した、すまん。
 高町、感謝する。お陰で目が覚めた」
「…!…!」

 なのはが安堵に口から零れそうになる嗚咽を堪えるために歯を食いしばったまま、思い切り首を左右に振る。

「謝罪も感謝も、全て終わらせてから改めてさせてもらう」

 なのはの頭を軽く撫で、フェイトに視線を投げ掛けながらそれだけ告げると、次の瞬間には、直前の一切を引き摺る事無く前を見据えながら恭也が口を開いた。

「さて。
 頼ってばかりで悪いが、早くこの檻を破壊してくれ」



     * * * * * * * * * *





 はやての居るビルから数km離れたビルの屋上に現れた魔法陣に出現したなのはとフェイトは、はやてから受けたダメージに堪えきれずに片膝を着いた。
 魔法として現象に転換することも目的に合わせて弾丸や砲撃のように形状を持たせてもいない単純な魔力の放射でこれほどのダメージを受ける事になるとは想像もしていなかった。魔導師としての訓練を一切受けた事が無いとはいえ、闇の書に主として選定された事実は伊達ではなかったという訳だ。
 だが、これで条件は揃った。
 後は闇の書が暴走し、理性的な判断が出来なくなってから凍結し、封印すれば二度と悲劇を生む事は無くなるのだ。
 なのはとフェイトが小さく安堵の溜息を吐き変身魔法を解くと、現れたのは全く同じ容姿の2人の仮面の男だった。

「多少のイレギュラーは発生したが予定通り進んでいるな」
「ああ。
 後は暴走まで待つだけだ」
「あの子達、持つかな」
「持って欲しいな。
 クリスタルゲージも破ったようだし、このタイミングなら上手く囮になってくれるだろう。
 …!?しまった!?」
「なにっ!?」

 どちらも歴戦の兵である。大事の後に危機に陥りやすい事は承知していたし周囲を警戒もしていた。
 それでも、この状況下で無駄口を叩いていた事が象徴する通り、大願成就を目前にした事で気が緩む事を抑えられなかった。その油断の代償として、2人は射程も発動速度も低いストラグルバインドに拘束され、全身を光に包まれた。

「くそ!」
「こんな魔法、教えてなかったのになぁ」
「1人でも精進しろと教えたのは君達だろう…」

 ストラグルバインドの機能である“拘束者に掛かっている強化魔法の強制解除”が働き、光が収束すると仮面と共に容姿や体格まで変化した2人の女性が拘束されていた。
 リーゼロッテもリーゼアリアも自分達が正体を晒された事より、クロノが自分達の姿に驚いた様子を見せない事に歯噛みする。どの程度まで真相に迫っているかは不明だが、“仮面の男”の正体が予想出来ていたと言う事は、その背後関係など容易に想像が付くだろう。

「闇の書側の活動の幇助、管理局のシステムへの不正アクセスの容疑で君達を逮捕する」
「あと少しなんだ!あと少しで闇の書を完全に封印出来るんだよ!」
「クロノだって、クライド君の事を忘れた訳じゃないだろう!?」
「…現時点では闇の書の主は何の罪も犯していないんだ。それを、!?」

 クロノが背筋を走る悪寒に従い会話を中断して振り仰ぐと、視線の先、距離にして50mほどの中空で、見知らぬ銀髪の女性が掲げた右手に漆黒の光球が収束したところだった。

「まずい!」
「デアボリック・エミッション」

 バインドで拘束されているリーゼ姉妹は当然の事ながら魔法を使用出来ないし、回避行動を取る事も出来ない。クロノは咄嗟に2人の前にシールドを展開し、自身は回避する事でやり過ごそうとするが、術者から全方位へと放射状に放たれた純魔力攻撃を回避する術など無かった。

225 小閑者 :2017/10/14(土) 23:13:20
「クロスケ!うわぁ!?」
「クロノ!ロッテ!」

 魔法をもろに喰らったクロノが弾き飛ばされ気を失うと同時に2人を拘束していたバインドと保護していたシールドの両方が消滅し、結果として魔法に特化したリーゼアリアのみが咄嗟にシールドを張る事で、漸く敵と思しき女性の攻撃魔法の威力の何割かを防ぐ事に成功した。
 不意を突かれたとはいえ、アースラのトップ戦力である自分達3人の内2人が最初の一撃で戦闘行動に支障が出るほどの負傷を受けたことにリーゼロッテが戦慄した。
 眼前の女の外見が闇の書の管理プログラムである事は過去の資料から分かっている。それが闇の書を携えているという事は、八神はやてとのユニゾンにより融合している事は想像に難くない。
 だが、なのはとフェイトを倒してから現れたとしたらいくらなんでも速すぎる。

「逃げても無駄だ。ヴォルケンリッターを、そして恭也を殺したお前達2人は我が主の望みに従い塵すら残さず消滅させる」
「!」

 淡々とした声色とは裏腹に烈火の如き感情を孕んだ視線を投げ掛ける女性の言葉でアリアも状況を察する事が出来た。
 恐らく、闇の書の起動直前にはやての中に生まれた激しい感情を起因とする願いが明確だったのだろう。
 “目の前で起きた家族を奪われる惨劇が夢であって欲しい”
 そのくらいの曖昧さを含んだ漠然とした願いであれば、闇の書も標的を選ぶ事無く無差別に周囲を破壊するに留まったかもしれない。あるいは、姿形の同じ本物のなのはとフェイトを攻撃対象としたかもしれない。
 …もしかしたら、先ほどのはやての台詞にあった『恭也が信用しているなのはやフェイトはそんな事をしない』という言葉が、強がりでも仮説でもない本心だっただけなのかもしれない。
 何れにせよ、はやての願いが“守護騎士と恭也を殺した者の死”であったなら、どのような姿をとったとしてもその対象はアリアとロッテ以外の誰でもないのだ。
 空間転移の経路を割り出す術があるのか、アリアとロッテ自身にマーカーとなる何かを打ち込んでいるのか、もっと他に方法があるのか。歴代の魔道技術を蒐集してきた闇の書ならば自分の知らない手段で追跡してきたとしても驚くには値しない。問題となるのはSランク魔導師が殺戮目標として自分達に矛先を向けている事そのものだ。
 だが、アリアとて負ける積もりはなかった。元々、なのはとフェイトが闇の書の暴走開始まで足止め出来なかった場合には自分とロッテで時間を稼ぐ覚悟はしていたのだ。
 ロッテが意識を取り戻すまで凌ぎきれば、制圧する事だって容易ではなくとも不可能では無いはずだ。
 リーゼロッテが格闘術に長けているように、リーゼアリアは魔道技術が高い。
 局員として長く働いてきた彼女達には、過去にSランク魔導師と対戦する機会もあった。彼らの大魔力を活かした広域殲滅系の魔法には苦しめられたが、その代償である魔力の精密操作・高速運用・並列処理の技能の低さを突くことで勝利を収めてきた。それらは大魔力を持つ者の性質であり、努力で補う事の出来ない特性だからだ。
 勿論誰にでも出来る事ではなかったが、リーゼ姉妹が管理局で最強の一角と評されている理由の最たる物は、姿を視認出来る距離に詰められればSランク魔導師とも渡り合ってきたその実績だった。

 唯一にして最大の誤算は希少なユニゾンデバイスとの戦闘経験がなかったことだろう。
 ユニゾンデバイスはマスターとの融合が前提となるためシステム自体が非常にデリケートである事は当然として、マスターとの相性まで関係してくる。当然のリスクとして融合事故が付随する事になるが、過去に製作された物の大半が事故を起こしたため、その製造方法自体が廃れていった。
 サンプルが少なく、現存する物は所有する一族が秘匿しているため、ユニゾンデバイスの性能は過去の記録でしか知る事が出来ない。
 何より、闇の書そのものが起動後の数十分しか正常に動作することが出来ない。
 そういった理由があるとはいえ、闇の書のユニオンデバイスとしての性能をどれほど過小に評価していたのか、アリアは直に思い知らされることになった。

 闇の書の周囲に30前後の魔力弾が発生した。それが誘導弾である事を見抜いたアリアは困惑しながらも迎撃のために同種の魔法を起動した。
 困惑の理由は弾数があまりにも多過ぎる事だ。
 魔導師ランクから考えれば当然といえる程度の数だが、誘導弾となれば話が変わってくる。
 全てを同時に制御してまともな誘導が出来るとは思えないし、小分けにして誘導するくらいなら直射魔法にして同時に射出した方が有効だ。あれだけの数なら直射魔法でも十分な弾幕になる。
 いや、それ以前に、操作・照準に精密性を欠くSランク魔導師が、誘導弾!?

226 小閑者 :2017/10/14(土) 23:16:04
 アリアが結論に至るまで待ってくれる訳も無く、闇の書が攻撃を開始した。
 当然の様に出し惜しむ事無く全弾一斉に、それでいて僅かなタイムラグを持って飛来する視界を埋め尽くすほどの攻撃に動揺する事無く、アリアも即座に打ち出した。数は比率にして10:7、一発当たりの魔力濃度も負けている以上、相殺する事は出来ないし意味が無い。
 誘導弾の操作は必ずしも精密操作である必要はない。そもそも操作の精度は個人差があるし、弾数が多ければ全弾が細かい動きをする必要がないからだ。要所の数発を敵のアクションを妨害するように誘導すれば残りは力押しで済む場合がほとんどだ。
 ただし、操作そのものを放棄する事は出来ない。そのため、誘導弾を操作する術者を攻撃して制御力を低下させて回避するのがオーソドックスな対処法となる。ヴィータがなのはを相手に取った手段であり、アリアも当然の対処として同じ行動を取ろうとしたが、その後の展開も、そして驚愕も同様に味わう事になった。

「馬鹿な…
 全弾撃墜だって!?」

 初撃の文字通りの範囲攻撃とは違い、弾丸として形成されている以上隙間と呼べる空間は存在する。魔力を弾丸として分割する事で攻撃範囲を広げているのだから隙間を失くすほど弾を一箇所に敷き詰めたら何の意味もない。だからこそ、人体が通り抜けられない程度の空間的・時間的なその隙間に魔力弾を通せばカウンターを入れることは難しい事ではない。
 セオリーだからこそカウンターに対する対処法も幾つも存在するが、大抵は持ち前の魔力量に飽かしてシールドやバリアで防ぐためバリアブレイクの効果を付加した弾丸は高い成果を齎してきた。しかしその実績も闇の書に届く遥か手前で魔力弾に撃墜された事で意味を成さなかった。
 だが、Sランク魔導師の常識を軽く覆す光景に驚いている余裕などアリアにはなかった。魔力弾の撃墜に何割か消費したとは言え、残りの半数以上が健在なのだ。
 誘導弾である以上に広範囲から殺到してくる弾数に対して、アリアには回避という選択肢は無い。展開したシールドに全精力を費やすように只管耐えていると、弾幕の向こうで掲げた右腕に落雷を受け止める闇の書の姿を見て愕然とした。

 自分達が思い描いていたシナリオから悉く逸脱しようとする現実に対して、焦りと苛立ちが募っていたのだろう。事ここに至って、漸くリーゼアリアも自分が闇の書について重要な特性を失念していた事に思い至った。
 闇の書は“蒐集”というレアスキルに隠れがちだが高位魔導師を補佐するためのデバイスだ。高位魔導師、即ち保有魔力量の多い者が抱える事の多い制御と高速・並列処理に対する適正の低さという問題を解決する事こそがデバイスとしての機能なのだ。
 相手が高位魔導師である以上、油断するほどの未熟さは持ち合わせていなかったが、「一般的なSランク」を想定した戦い方を選択してしまう程度には冷静さを欠いていた。そう現状を分析すると、リーゼアリアは仕切り直すべく闇の書を睨み付ける。あの腕に纏った雷撃による攻撃を凌ぎきり反撃に移る、心中でそう決意を固めた。
 容易い事ではない。それどころか絶望的と言ってもいいだろう。他の誰かであれば、あるいは普段のアリアであれば「不可能だ」と判断して撤退する事に全力を費やすような状況だ。だが、この戦いだけは退くという選択肢は存在しない。

 管理局員としての誇りも、自身の良心もかなぐり捨てて、罪悪感と自己嫌悪に苛まれながらも決して引き下がる事無く進めてきた父様の悲願なんだ。どんな犠牲を払ってでも必ず達成してみせる!

 不退転の決意を胸に、闇の書の攻撃に全身全霊をかけて対抗しようとしたアリアは、だからこそ背後から音も気配も無く駆け寄った存在に気付く事無く、その突進の勢いを余す事無く打撃に転換した右後回し蹴りを左肩に受けて吹き飛ばされる事になった。

227 小閑者 :2017/10/14(土) 23:18:24
 殲滅対象に対して斜め上空から最短距離を飛翔して間合いを詰めた闇の書は、接近する人影に気付いていた。
 敵の増援だろう。単騎であることに疑問を持たないではないが、自分に挑める高位魔導師が多くない事も分かっている。
 何より、敵がどれだけ増えようとも自分には関係のないことだ。主の願いは必ず叶える。力の暴走が始まるまでそれほど猶予があるわけではないが、だからこそ状況の変化に対応する事よりも目的の達成だけに集中する。
 そう自分自身に言い聞かせた彼女ではあったが、流石に増援だと判断していた人影が殲滅対象からみて左斜め後方から接近したかと思ったらそのまま蹴り飛ばして見せられたため思考が停止した。

「は?」

 彼女の認識では、現在自分に味方してくれる者はいない。だから、彼女の想定からかけ離れた人影の行動に軽く混乱した。
 この右腕の雷光から女を遠ざけるにしてももう少し他のやり方があるだろう。
 そんな思考が流れている間も肉体は攻撃行動を継続していた。殲滅対象と入れ替わるようにその場に残った人影に向かってそのまま腕を振り下ろそうとする自分を人事のように眺めていた彼女は、後ろ回し蹴りによる旋回運動で正面を向いた、つい先程死んだはずの恭也の顔に今度こそ頭の隅々まで白く染まった。



     * * * * * * * * * *



 なのはとフェイトがクリスタルゲージを破壊すると、2人が探査魔法を起動する前に恭也が指し示した戦闘区域に向かい、飛べない恭也の腰に抱きつく形で3人は一塊になって飛翔していた。

【進行方向、約4500m先に魔法戦闘の反応があります】
「ありがとう、バルディッシュ」

 バルディッシュの裏付けで恭也の言葉が正しかった事が証明されたがそれで納得する訳には行かない。
 恭也の非常識な技能を疑う様な愚かさは既に2人とも持ち合わせていないが、彼の非常識さを無条件に受け入れられるほど良識を捨てた訳でもない。
 移動時間を無為に過ごすよりは疑問を解消しておく方が良いだろうとフェイトが口を開いた。

「恭也、闇の書が転移したのがこっちだってどうやって分かったの?ケハイ?」
「この距離では気配を読むのは無理だ。さっき姿が変わる直前、はやてがこの方向を見ていたんだ」
「…姿が変わった?…ええと、偶然はやての顔が向いてただけとは思わなかったの?」
「睨み付けていたからな」
「…はやてちゃんの表情まで見えてたんだ?」

 顔を見合わせた2人は同時に苦笑しながら首を振った。2km以上離れた位置から顔の造詣など普通は見えない。2人には発生した魔力の柱の中に人影が見えた程度で、姿が変わったことも見取れなかったのだが。
 なのはの苦笑に呆れや困惑より嬉しさの割合が高いのは恭也の非常識さをまた1つ知る事が出来たからだろう。フェイトになのはの内面がそこまで理解出来たのはその気持ちを共感していたからに他ならない。

「目と目で通じ合っているところ悪いが、はやてへの対処について確認しておく。
 あいつを殴り倒せたとしても解決するとは思えないから、目的はスクライアが対処法を見つけ出すまでの時間稼ぎ。
 基本は説得、無理ならゴリ押し。恐らくは戦闘になるだろうな。
 ここまでについて何か異論は?」
「何か、随分表現が過激な気がするんだけど…」
「恭也、ひょっとして気が立ってる?」
「時間が無いから端的な表現をしているだけだ。
 説得については俺が担当しよう。弁が立つとは思っていないしはやての意識が残っているとも限らないが、今の自我だってヴォルケンズと何かしらの繋がりはあるだろう。
 説得に失敗すればそのまま戦闘になるだろうが、俺が倒されるまでは手を出さないでくれ」
「ええ!?
 何言ってるの恭也君!シグナムさんより強いんだよ!?」
「それは大した問題じゃない。そもそもシグナムだって俺より強いからな。
 拳銃が大砲になったところで当たれば死ぬ事に変わりは無い」
「その括り方は、流石にどうかと…」
「気にするな」
「…どうして1人でやろうとするの?」
「俺の目的ははやてを止める事だ。実力行使はその手段に過ぎない。
 さっきの2人組みがお前達の姿に化けていた以上、はやてがお前達を仇と勘違いする可能性は高い。興奮させては元も子もない」
「私達の姿を!?」
「拘束を解きながら見ていただろう?」
「あの距離では無理だよ…」

228 小閑者 :2017/10/14(土) 23:20:44
 魔法技能以外の肉体的なスペックで恭也と張り合う気にだけはならない。
 恭也の言う通りなら、確かに自分達が姿を見せれば話し合いの余地は無くなるだろう。だが、恭也が単独で向かったとしても必ずしも会話が成立するとは言い切れないのだ。
 会話が成立せず、強攻されれば戦闘になるだろう。この世界で育ったはやては魔法とは無縁であったはずだが、既に転移魔法を行使しているところからしてもデバイスとしての魔道書の機能に問題は無いのだろう。推定Sランク魔導師との戦闘になれば1人で行くのがなのはやフェイトであっても危険である事に変わりは無い。格上相手に1人で行くという前提がそもそも間違いなのだ。
 恭也に限ってそれが分からない訳が無い。つまり、どれほど大きなリスクを負ったとしても恭也にとっては引き下がれないラインなのだ。

「無理にでも付いて行くって言ったら、どうする?」
「なのは…」

 勿論、嫌がらせではない。
 なのはだってはやてを助けたいと思っている。ただ、その条件が恭也を危険に晒す事だとすれば素直に頷く事は出来なかった。

「…無理強いする権利も、力ずくで押し通す実力や時間も無い。
 形振り構っていられる余裕は当の昔に無くなっているが、俺には頭を下げる事以外に出来る事は無い。
 少しでもあいつに不利な条件を減らしたいんだ。頼む」
「…ずるいよ、恭也君」

 普段の飄々とした、あるいは不遜とも傲慢とも取れるような態度は何処にも無かった。それでいて形式的に謙(へりくだ)った鼻に付くようなものではない、真摯な態度だ。
 こちらの方が恭也の本来の姿だ、そう言われれば何の疑いも持たずに信じてしまえるその姿を見せられては、なのはには如何に正論であろうとこれ以上強く言う事は出来なかった。

「わかった、手出ししない。
 その代わり、絶対、無事に帰ってきてね!」
「…感謝する」

 そう言いつつ前方に目を向ける恭也に倣えば、数十の光弾が単色ながらも鮮やかな花火の様にビルの屋上に向かって打ち出されたところだった。

「ここまでで良い。
 まずは説得からだ。お前達は隠れていてくれ。
 弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  
「分かった。気をつけてね、恭也」
「ああ」

 恭也は短い返事を残すと、残りの200mほどの間合いを次々と足場を作り上げながら最短距離を駆け抜け、その勢いを余す事無くリーゼアリアの左肩に右後ろ回し蹴りにして叩き付けた。闇の書の攻撃に耐えるために全身全霊を懸けて前面に展開したシールドを強化していたリーゼアリアに何の抵抗も無く届いた右の踵は苦も無く彼女を弾き飛ばした。
 目的がアリアを闇の書の攻撃から逃がすだけなのだから、恭也であれば他にもっと穏便な遣り方は幾らでもあっただろう。それを採用しなかったのは間違いなく私怨だ。弾かれたアリアを受け止める事になったフェンスが大きく歪み、何本かの支柱がコンクリートから引き抜かれている事からも加減のなさが見て取れた。
 ただし、恭也が攻撃の積もりで放った蹴りであれば突進による運動エネルギーを100%衝撃に転換する事でアリアの体をほとんど動かす事無く致命的なダメージを与えていたであろう事を考えれば、如何に私怨が混ざろうとも目的だけは忘れた訳ではないことも分かる。
 アリアを弾き飛ばす事で位置を入れ替えた恭也は、当然の結果として闇の書の攻撃に身を晒す事になった。恭也の顔を目にした彼女の表情から簡単に読み取れる通り、驚きに染まる思考では攻撃を停止する事も攻撃の軌道を逸らす事も期待出来なかったが、恭也も当てにしていなかったのか遅滞なく回避行動に移っていた。
 移動の慣性を完全に失いリーゼアリアの居た位置に停止した恭也が、腰の高さに足場を生成するのと同時に回し蹴りの軸となった左足を跳ね上げて円板の下面を蹴り上げ、自身の体を下方へ反らし闇の書の雷光を纏わせた右正拳を躱した。
 右腕を振り抜いた姿勢で大きく目を見開いたまま動きを止めた闇の書の管制人格に対して、恭也はとんぼ返りの要領で数m下方に展開した足場に着地し彼女を見上げた。

「恭也…、生きていた…?
 そうか、先程のお前は奴等の幻術か」
「今の俺が偽者の可能性だってあるだろう?」
「そんな非常識な体術で躱す人間が他に居るものか」
「いやいや、お前が見た俺だって非常識だっただろ?」
「いや、思い返してみるとあれは無闇に高速で動いていただけで体術と呼べるほどの物ではなかった。高速移動型の魔導師と変わらない。
 それより、やはりお前自身も自分の動きが非常識に分類されるという自覚があったようだな」
「これだけ散々貶されれば話くらい合わせるようになる」
「そんな殊勝な心掛けなど持ち合わせていまい。
 …時間を稼いでどうする積もりだ?」

229 小閑者 :2017/10/14(土) 23:25:24
 穏やかとさえ言える柔らかい表情を浮かべていた美貌が呼吸1つで硬質なそれに変わる。
 対する恭也は無言。闇の書の指摘に是とも非とも答えず、静かに彼女の顔を見上げている。
 答えが得られそうにないと判断した闇の書は恭也と目線が揃う高さまで降下してから質問の矛先を変えて問い掛けを続けた。

「何故あの女を庇った?あれらが我が主に何をしたか見ていたのだろう」
「ああ。一部始終見ていたし、以前からちょくちょく煩わしいちょっかいを掛けてきた奴の正体だった事も判明した」
「ならば、何故邪魔をする?」
「それに答える前に1つ確認しておきたい。
 お前がはやてでは無い事は分かったが、ヴォルケンリッターの誰でもないようにも見えるんだが?」
「私は魔道書の制御プログラムだ。管理局の魔導師に喋るデバイスを使う者が居ただろう。そのAIが人の形を与えられたと思って貰えば良い」
「なるほど。シグナム達を統括しているという事か。
 彼女達はお前の一部なのか?」
「いや、役割が違うだけだ。魔道書を構成する一部という表現をするなら、それは私も含まれる。
 たしかに今はシグナム達も魔道書に蒐集されているため私の内にあるとも言えるがあくまでも独立した存在だ。
 理解出来たなら私の質問に答えて貰おう」

 表情を引き締めてからの彼女の言葉には遊びが無い。それはそのまま心のゆとりの無さを表していた。

「お前、殺す気だったろ?」
「無論だ。主の願いは守護騎士と恭也を殺した者の死だ。
 まさか、実際には死んでいなかったから無効だ、などとは言うまいな?」
「当たり前だ。
 だが、それがはやての意思とは俺には思えない。
 はやてを聖人君子に祭り上げる積もりはないが、だからこそ、突発的に強い悲しみに揺さぶられればその反動として衝動的に殺意を抱いても不思議には思わない。
 外見こそ変わったがお前の体がはやてのものであり、お前が“はやての望み”として人を殺そうとしている以上それははやての罪だ。
 殺人は取り返しのつかない罪だ。生物が生き返らない以上、コレは絶対だ。一時の感情で犯すにはその罪は重過ぎる。
 ならば、止めてやるのが家族としての俺の役割だろう」
「奴等の立てた身勝手な計画の犠牲者である主に、心に傷を負わされて泣き寝入りしろと言いたいのか?」
「殺意を抱くなとは言わない。報復は正当な権利だと俺は思っている。
 だが、それは万難を排してでも貫けるほどの意志か?
 感情に流されれば後で必ず後悔する。冷静になるまで時間を置いてからもう一度考えさせろ」
「数日程度で家族の殺害を許せるほど情の薄い方ではない事はお前も知っているだろう」
「許す必要などないが、他の報復行動で許容出来るようになる可能性はあるだろう」
「時間を置いても死を望まれた場合はお前も協力すると?」
「どうしても、と言うなら仕方ない。
 その時には改めてはやての前に立ち塞がるさ」
「何故そこまで邪魔をする?」
「どう考えても、あいつらを殺した先にはやての幸せがあるとは思えないからだ」
「それがこの国の人間の考え方か?」
「国民全て、とは言わないが、多数派だろう。少なくともはやてはこちらに属しているはずだ」

 恭也の言葉に闇の書が口を閉ざした。
 はやての幸せ。
 それは守護騎士にとって、延いては闇の書にとっての最優先事項だ。
 他の誰でもない恭也の言葉は十分な信頼性がある。それについ先程まで顕現する事が出来なかったとは言え、ずっとはやての傍らに寄り添っていたのだ。掛け値なしに心優しい少女である事は誰よりも良く知っている。
 迷う理由など何処にもない。

「退いてくれ、恭也。
 これ以上邪魔するのなら、たとえお前でも容赦しない」

 そう。
 初めから闇の書には選択の余地など何処にも無いのだ。

「…お前が奴等を手に掛ければ、あの子は泣くぞ。
 自分の激情が理由で家族が人を殺したなど、はやてが許容できる訳がない」
「主は、私の中で守護騎士やお前と共に平和に暮らす夢を見ている。
 私が在り続ける限り主は永遠に幸せで居られる」
「死んでいない事と生きている事は同じ意味じゃない。
 誰もが“永遠”に意味を見出せる訳でもない」
「これ以上は水掛け論だな」
「そうだな。
 最後に、1つだけ答えてくれ」

 そう言葉を足しながらも躊躇っている恭也の様子に、闇の書は質問の内容を察してしまった。

「…お前の名前を、教えてくれ」
「…すまない」

 その、答えになっていない返答に、恭也が表情を歪めるのが分かった。

230 小閑者 :2017/10/14(土) 23:28:53
 闇の書が起動した時点で、選択権など存在しなかったのだ。
 数分か、数十分か先に魔道書は暴走する。シグナム達とは違い、管制プログラムである彼女はその事実を認識していたが、それを未然に防ぐ手段はなかった。
 魔道書は、主をサポートすることこそ存在意義だ。力及ばず主を失うならばまだしも、自らの存在が主の命を奪うなど認める訳にはいかない。
 だが、だからと言って彼女に取れる手段は他にない。
 主を自らの内で眠りにつかせる。そして、闇の書の意識が在る限り、主の最後の願いを叶えるために全力を尽くす。
 魔道書としての自身を消滅させられない彼女には、何の解決にもなっていない事を承知で、それでも、道具としての役割に徹する以外に出来る事はなかった。



 気持ちを切り替えるようにゆっくりと目を閉じ、開く。同時にリーゼアリアに放ったのと同数の誘導弾を自身の周囲に展開した闇の書は、最後通告として恭也に確認を取った。

「…本気で私と戦うつもりか?」
「出来れば冗談で済ませたかったが、そうもいかんだろう。死んだら恨んでやるから加減してくれ」
「普通は『恨まないから遠慮するな』だろう?」
「何を馬鹿な。死にたい訳がないだろう」
「だったら立ちはだかるなと言いたいところだが、死にはしないから安心してくれていい」
「ほう?親切だな。手足を打ち抜くだけで済ませてくれるのか」
「お前を相手にしてそんな器用な真似は出来ない。
 管理局に居たなら非殺傷設定を知っているだろう」
「知ってはいるが、あれは確か比較的最近開発されたと…、蒐集ってそんなことも出来るのか?」
「察しが良いな。心置きなく喰らうといい」
「急所を外そうとしてくれる事を期待していたんだが、難易度が格段に跳ね上がったな。
 知ってるか?非殺傷設定と言っても喰らうとかなり痛いんだぞ?」
「知らない。受けた事はないからな」
「とことん上から目線だな。少しは弱者の気持ちを考えろよ…」

 この期に及んで軽口を止めない恭也に苦笑しながらも、闇の書は油断する事無く恭也に向かって全弾射出した。

 ヴォルケンリッターを内に吸収した闇の書は、彼女らの経験や感情をある程度共有している。複数の人格を吸収しているため共感には至らないし、適正の違いから技能は共有できないが、それでも彼女らが見た恭也を知っている。
 そして、だからこそ、知らない。
 恭也と対戦したオーソドックスな魔導師がどんな感想を抱くかなど。

「な…!?」

 過去に恭也と対峙した経験は、シグナムが剣道場と砂漠で1度ずつ、ヴィータがビルの屋上で一中てだけ。
 その知識だけでも十分に呆れられるものだったが、それらだけでは不十分だった。
 真剣での切り合いを本分とする剣術家にとって、的を絞らせない事は必須技能だとシグナムの思考が告げていたが、共感できない闇の書には実感出来ない。
 分かる事は、決して視認出来ないほどのスピードではないにも関わらず、空間を駆け巡る恭也にヒットしないという事実のみだ。
 5分近く繰り広げられたその光景は唐突に終了した。
 恭也に対して誘導弾は効果が無い。そう結論を出した闇の書が魔力弾をキャンセルしたのだ。

「ゼェ、ゼェ、お前、幾らなんでも、ゼェ、最低ランク相手に、大人気ないぞ!ゼェ
 加減が足りん!ハァ、ゼェ」
「…安心しろ。
 威力は兎も角、弾速と精度は全く手を抜いていない」
「あぁ、そうなのか?ハァ
 それなら今と同じ要領で、ゼェ、躱せばなんとかなるんだな。ハァ
 って、出来るか!どれだけ運頼りだったと思ってる!?」
「なに、謙遜する必要は無い。
 八神家での生活を見ている限り、お前はこれっぽっちも幸運に恵まれている様には見えなかった。
 先程のは100%お前の実力だろう」
「…え?
 いやいや、そんな筈はないさ。
 俺の実力などそれほどのものじゃないんだ。絶対にこれから先の運を相当消費した筈だ」
「それは無いだろう?そもそも持ち合わせていないんだ。
 この国の『無い袖は振れない』という諺の通りじゃないか。
 そもそも、どうして実力を評価されたのにそんなに嫌がる?」
「っくぅ
 うるさい!俺にだって見つめたくない現実って物があるんだよ!
 お前に俺の気持ちが分かって堪るか!」
「ふむ。
 分からないものだな。こんな事で精神的にダメージを与えられるとは思いもしなかったが」

231 小閑者 :2017/10/14(土) 23:43:38
 急速に呼吸を整えていく恭也の姿を見据えていた闇の書が深く息を吐き出した。
 あの呼吸の乱れは演技だろうか?
 恐らく演技だろう。
 シグナムとの戦いでは連続した戦闘行動は多くなく静と動が明確に分かれていたが、行動時には目まぐるしい状況変化とフェイントを交えた駆け引きが繰り広げられた。
 難易度自体は凄まじく高いが“誘導弾を躱す”という単一の目的だけで動いた先程の運動は、恭也にとって呼吸を乱すほどではなかったはずだ。
 そんな本筋から外れた内容で思考を締め括った。
 あれが誇張された演技で恭也の疲労が大したものではなかったとしても、休息を与える必要は無い。それでも敢えて会話に乗ったのは眼前で展開した異様な光景に動揺したからとしか言えないだろう。

「恭也。お前は本当に生物か?」
「…そんなざっくりとした括り方をされたのは初めてなんだが、その枠にすら入ってる事を疑われてるのか?」
「当たり前だ。
 展開した足場は即座に砕いているのに回避行動に支障がないし、妙な動きに照準を絞る事は出来ないし、数で押しても悉く躱される。
 視認出来ないほどの高速行動ならまだしもあれは異様過ぎる」
「フッ
 医務室に強制収容される程の病人だった筈の俺に、気晴らし程度の模擬戦で情け容赦なく技能の限りを尽くして撃墜しようとする冷徹な砲撃魔導師がいてな。
 訓練内容が、生き残りさえすれば誰だってこの程度の事は出来るようになっているという超ハードコースだったんだ」

 病人が模擬戦に参加している時点でどうなんだ?という至極もっともな彼女の視線を物ともせずに、ワザとらしく遠い目をする恭也。
 無理強いしておいて酷い言い草である。なのはが聞いていたら思わず背後から狙撃しかねない内容だ。
 魘されている事が明るみに出た後、医務室に強制収容されていた恭也であるが、勿論大人しく閉じ篭っている訳がなかった。なのはやフェイトが訪れる度になんやかんやと言いくるめて訓練室へ連れ込んでいた。3日目には2人とも諦めていたようだが。
 勿論、アースラ艦内の訓練室をこっそり使用することなど出来るはずは無いので、ガス抜きとして黙認されていたのだ。恭也もそれは承知していたようで、堂々と訓練室に入り、フェイトに頼んで設備を使用し、スタッフの誰かが止めに来るまでの1時間前後を只管駆け回っていた。

 闇の書が知る限り恭也がデバイスを手にしてから2週間と経っていない筈だ。
 この短期間に魔法の構築・展開・発動のプロセスに掛かる時間を短縮出来るほどの才能が恭也に無い事は分かっている。コンマ数秒という発動時間は恭也の運動能力からすれば遅過ぎるはずだ。ランクからいっても魔法の行使自体がデバイス頼りだろうから、恭也が如何に努力したところで敵の攻撃に合わせて瞬間的に足場を形成する事は出来ないだろう。
 だが、先程は間断無く降り注ぐ無数の魔力弾を幾つもの足場を作り出しながら全て躱して見せたのも事実だ。シグナムとの戦いのように事前に足場が形成されていれば破壊して動きを封じる積もりでいた闇の書にとっての誤算はここにもあった。
 恭也は常識的な観点からすれば在り得ない事を幾つも体現しているが、本人の思考は決して根性論や精神論で形作られてはいない。不可能を可能とするには本人のやる気や努力だけではなく、出来る事で補う必要がある事をちゃんと理解している。

「魔法が足場として具現化するまでのタイムラグを考えれば、魔力弾がかなり離れた位置にある段階でなければ足場を作り出せないだろう。
 仮に私を幻惑する動きが私からの攻撃を無視しても成り立つものだったとしても、それでは精密誘導していない魔力弾を避けられない。
 お前に防御力が無い以上、取れる選択肢は見て避けるしかない。だが、30近い弾丸のコンマ数秒後の軌道を全て予測するなど信じられん話だ。直進だけではなく弧を描かせた物も半数近くはあったから尚更な。
 予知能力じみた予測は勿論だが、その土台となっているお前の動体視力と認識速度は生物の域を超えているぞ」
「やけに口数が多いと思っていたら分析する時間を稼いでいた訳か。
 そこまで動揺して貰えるなら無理した甲斐があったというものだ」
「動揺か…
 術中に嵌まった様で癪に障るが、流石に平常心を保っていられなかったな。
 お前の方こそ動揺に付け込む事無く私に付き合っていた理由は何だ?
 私の力が暴走するのを待っている訳ではあるまい?」
「動揺程度で埋まるほど実力差が浅くないと自覚しているだけだ」
「立ちはだかっておいて泣き言など聞く気は無いぞ」

232 小閑者 :2017/10/14(土) 23:47:16
 無駄口はここまで、とばかりに闇の書の周りに8基のスフィアが展開された。
 恭也の動きに翻弄されてしまい誘導弾は効果が期待できないため、弾速と弾数で勝る直射弾で回避出来ないほどの弾幕を張る作戦だ。
 デアボリック・エミッションの様な空間攻撃系の魔法をこの状況で選択する気は無かった。あの系統の攻撃魔法はチャージタイムが掛かり過ぎるのだ。
 今まで恭也が見せてきた攻撃手段に高位魔導師相手に有効なものはなかった。僅かながらもシグナムの肌を傷つけた事はあったが精々その程度だ。闇の書のバリアジャケットは彼女のものより強固であるため完全に遮断出来るだろう。
 だが、それを根拠に恭也に攻撃手段が無いと決め付ける気は無い。シグナムの意見に頼るまでも無く、常識や一般論が如何に儚いものなのかをたった今見せ付けられたばかりなのだ。

 闇の書と恭也の睨み合いは長くは続かなかった。間近で空間転移魔法が発動したからだ。
 反射的にそれが先程攻撃した子供と2人の殲滅対象の内の誰かが使用したものだと確認した闇の書は慌てて意識を正面の恭也に戻した。
 意識を逸らした事を察したのか、単に行動を起こす切欠としただけなのか、その一瞬で恭也との距離が半分にまで縮められていた。
 舌打ちする間も惜しんで即座に射撃を開始しようとすると恭也の体がブレた。原理は不明だが、目に映っているのにそこに存在する事を疑ってしまうという誘導弾を躱された時に味わった奇妙な感覚に再び陥った。
 騙されるな!絶対にそこに居るんだ!
 そう強く思った時、恭也が右に向かって大きく跳躍した。反射的に直射弾を一斉射した闇の書は光の奔流の中で恭也の姿を見失った。
 魔力弾の光を目晦ましにして移動したのか、そもそも跳躍したように見えたこと自体が錯覚だったのか。推測を進めようとする意識を強引に押さえつけて常時起動している探索魔法から得られた反応に合わせて、振り向き様に左腕を掲げてシールドを展開。顕現したシールドが寸前で刀の進攻を阻んだ。
 右手に握った刀で切りつけた姿勢の恭也の姿が視界に映る。すぐさまスフィアから魔力弾を放つが、動揺を抑え切れなかった事も手伝って、既に恭也はシールドを蹴りつけトンボを切っていた。視線だけで追うと上下逆さまの状態から展開した足場を蹴りつけてアッサリと射線から離脱してしまった。
 追撃を諦め、裂傷を負った左手を見やる。治癒と言うより復元と呼べるほどの速度で回復するその傷はシールド越しに負ったものだ。
 視覚情報と感覚を狂わされる所為で、恭也には技術的に干渉出来ないはずの探索魔法の結果まで疑わされてしまう。その出鱈目な技術については最早何も言うまいと諦めていたが、この裂傷については流石に納得が出来なかった。
 刀身は完全にシールドで受け止めた。シールドの内側にあった彼女の肉体を傷付ける要素は何処にも無かったはずだ。

「…何をしたんだ?」
「教えてやらん。
 と言いたい所だが、ヒントくらいは出そうじゃないか。
 八神家で世話になって直ぐに携帯電話を渡されてな、コードも繋がってない上に掌に収まるほど小さいからどうして電話として機能するのか不思議でならなかった。
 そんな俺でも努力の結果、通話出来るようになったんだ」
「…それはつまり、お前自身にも分からないという事か?」
「その通りではあるんだがな。
 知ってるか?事実は端的に語るよりオブラートに包んだ方が会話が豊かになるんだぞ?」
「そんな豆知識は要らん」

 油断無く対峙したまま、雑談に突入した事を自覚した闇の書は苦笑が顔に浮かばないように取り繕うのに苦労した。
 顕現した直後ははやての感情に引き摺られてリーゼ姉妹を殺す事以外に向けられなくなっていた意識がいつの間にかニュートラルに戻っている。勿論、主の願いを叶えるために咎人達を殺す事に変わりは無いが、周囲に目を向けるだけのゆとりが出来た。
 あの2人には転移されてしまったが、追跡する事は造作も無い事と切り捨てて恭也を見据えた。

 他人の強い感情に触れた時の反応は人により異なる。
 共感する者、反発する者、嫌悪する者、恐怖する者、扇情する者、否定する者、無視する者。
 状況を理解した上で平時を意識した態度をとる事は決して容易い事では無い。
 感情の起伏が激しいヴィータが懐くのも頷ける。それに振り回されていてはヴィータと付き合っていくことなど出来ないのだから。

233 小閑者 :2017/10/14(土) 23:48:35
 恭也は敵対する形でSランク魔導師と対面しながら、逃げ出す事も積極的に攻勢に出る事も無く、こちらが明らかに動揺し隙を見せていた時にさえ会話を優先した。
 そんな事が出来るのは同ランク以上の実力を持つ者か、実力差の分からない愚者だけだった。
 恐怖を感じていない訳では無いと思う。非殺傷設定の攻撃だと宣言してあるが、恭也が本当の意味で恐れているのは、自分が命を落とす事よりも意識を失い全てが手遅れになる事だ。自分自身に関する事を全て後回しにしてでも目的を達成する、そういう生き方しか出来ない者を戦場で大勢見てきたから恭也もその部類だという目算は恐らく間違ってはいないだろう。
 そして、魔道書の核となる制御プログラムから、根源とも言える自身の名前が欠落している事を知ってしまった。表面的とはいえ管理局に属していたなら闇の書を危険物として認定している理由が力の暴走である事も聞いている筈だ。そして、暴走する原因である制御プログラムの改編が、修復が効かないほどの深部に及んでいる事を理解出来てしまったからこそ先程は絶望を隠し切れなかったのだろう。
 対峙する恐怖心をおくびにも出さない胆力と、はやてを救済する術が無いに等しいこの絶望的な状況にも抗う事をやめない精神力。

 それらが都合の良い錯覚でしか無いと知っているからこそ、苦い笑みが浮かびそうになるのだ。

「強いな。
 我が主のために自分の命を危険に晒す事も厭わず、私の暴走を防ぐ方法に目処も立っていないのに希望を捨てずに抗い続ける。
 誰にでも出来る事ではない」
「違う!
 買い被るのはやめろ!
 他の在り方を知らないだけだ!」

 それまでの軽口を続ける事も出来ずに顔を強張らせて否定する恭也の様子に、鎌をかけた闇の書が目尻を緩めた。

「そうか」
「ッ!?
 …なんて間抜けだ」
「そう言わないでくれ。
 済まない。今のは悪質に過ぎた」

 分かっていた事だ。恭也にだって余裕は無い。
 そう思ってはいたが、あの程度の言葉に反発するほど追い詰められていると思っていなかったのも事実ではある。
 自分達に見せた事はほとんど無かったが、別の場所では、あの少女達には、弱さを見せた事もあったのだろうか。

 恭也はこれまで十分に八神家のために尽力してくれた。それが、元の世界から放り出された事や一族の死という辛い現実に押し潰されないための行為だったとしても、はやてや守護騎士達が受けた恩に変わりは無い。
 それなのに、今目の前で闇の書が暴走すれば、はやてを救い出す事が永遠に不可能になるという事実を突き付けることになる。それは恭也の努力を裏切る事に他ならない。
 そして、はやてを助ける事に縋り付いていたと言っても過言では無い恭也には、その事実に耐えられず精神を壊す懸念さえある。その結末はあまりにも報われない。
 だが、恭也に対して「気にするな」と告げたところで何の効果も無い事も分かっている。本人の言葉通り、彼にはそう在る事しか出来ないのだろう。
 愛しくさえ思えるその不器用さを失わないために、取れる手段は多く無い。
 主や守護騎士達はこの選択を非難するだろうか?悲しみ、寂しがりはしてもきっと反対はしないだろう。
 そう自問自答した後、闇の書の管制人格は表情を引き締め恭也を見据えた。

「これ以上時間を浪費する訳にはいかない。
 決着を着けようか」
「さっきので見縊られるのも癪に障るな。
 いいだろう。窮鼠らしくその企みを粉砕して見せようじゃないか」

 三度目の開戦は言葉の終わりに被せる様に始まった。
 闇の書の周囲に瞬時にして魔力が集結する。形状は弾ではなく剣。16本の赤い短剣を顕現すると同時に残り5mまで間合いを詰めた恭也に向けて解き放った。

「穿て、ブラッディダガー」
【Blutiger Dolch】

 同時に射出された全ての短剣は視認出来ないほどの速度で飛翔し、恭也が立っていた魔法陣の上の虚空で互いに衝突して粉砕した。その破砕音が響いた時には視界の左端に八影を抜刀する恭也の姿が映った。シグナム戦で見せた視認出来ないほどの高速移動による回避だと悟ったと同時に腹部に裂傷。痛みを無視して左手を伸ばすと先程の高速機動の影響か、明らかに鈍くなった動作で恭也が死角となる背面側へと回避。即座に4つの魔力弾を生成、探査魔法を頼りに背後に向けて射出。微かな手応え。恭也の乱れた呼吸音が耳を打つ。仕掛けるならここしかない!

234 小閑者 :2017/10/14(土) 23:50:20
 半周して右側面に現れた恭也は無呼吸運動が出来なくなるほどの疲労を抱えていた。それでも防御力の無い恭也は守勢になって強制的に回避行動を取らされるより、僅かでも場をコントロール出来る攻勢を選ぶ。そして、防がれる事を承知で放った斬撃が、闇の書の右腕の肘から先を断ち切った。
 有り得ない筈のその光景が疲労と合わさり恭也の動きを一瞬だけ停滞させた。
 その一瞬を逃す事無く恭也を正面から抱きしめるように拘束した闇の書は、自分諸共恭也をバインドで縛り付けた。
 闇の書の豊かな胸の谷間に顔を埋める体勢になった恭也には、当然ながら嬉しさや羞恥に頬を染めるような余裕は無かった。

「まさか腕を切り落とさせるとはな。
 夜伽と言うには明る過ぎないか?」
「相手がお前なら私にも異論は無いのだがな。
 いや、性的な意味だけでは無いのだから間違いでは無いか」

 穏やかに話す闇の書の背後で爆発音が連続した。我慢出来ずに拘束された恭也を助けようとなのはとフェイトが攻撃を仕掛けているが、恭也が密着しているこの状況では打ち抜く訳にはいかない。そして、全力を出せない以上あの2人といえどもSランク魔導師である闇の書のシールドを打ち破る事など出来るはずがない。
 恭也にもこの体勢から抗う術は無かった。致命の傷で無ければ闇の書は無視するだけの覚悟をしているし、はやてを助けるためにここに居る恭也には致命傷を負わせることが出来ないからだ。

「我が主も、守護騎士達も、勿論私自身も、お前には言葉では表しきれない程の恩義を感じている。
 もう、十分だ。
 眠ってくれ」
「待っ…」

 その言葉と共に恭也の体を紫色の魔力光が包み込む。
 自分自身を犠牲にしてでも他者を守る。そんな生き方しか出来ない恭也を守るなら、恭也の周囲の人間が傷付かない世界にするしかない。
 その、現実には存在しない理想の世界も、夢物語ならば成立する。
 主や自分達を忘れられる事を寂しくは思うが、それが恭也の幸せに繋がるなら、皆もきっと納得してくれる筈だ。
 そうであることを願いながら、闇の書は恭也を眠りの園へと誘った。

【吸収】





続く

235 小閑者 :2017/11/04(土) 11:25:06
第22話 夢中




 静かに開かれる襖。無音と言ってもいいほどに忍ばせた足音。右手に握られた木刀。
 夜の帳も明けきらない薄闇の中で、見つかれば問答無用で通報されかねない不審者然とした行動ではあったが、そんな時間帯だからこそその人影を見咎める者もいない。
 更には侵入した部屋に居る人物が布団を被って眠っているとなれば、その不審者は襲撃者と断定しても問題ないだろう。

 日本家屋では人が歩くと音が出易い。板張りの床は不用意に歩けば踵が板を叩く音が響くし、仮に爪先立ちになって衝撃を吸収したとしても板が軋むことは避けられない。畳敷きの床は体重を柔らかく受け止めることで硬質な足音を出さない代わりに、芯に使用されている藁が擦れあう微かな音を発散する。
 雑音の多い昼間であれば聞こえない程度のそれらの音は、静まり返ったこの時間帯であれば眠りの浅い者を目覚めさせるほどの騒音となる。
 つまり、板張りの廊下を通り、畳を踏みしめて布団の傍らに至るまで一切音を発することのなかったという事実こそが、その襲撃者が素人ではなく相応の修練を積んでいることを証明していた。

 襲撃者がゆっくりと木刀を振り上げる。空気を押し退けることさえ危惧するような慎重さで上段まで移動した木刀は、逆に一瞬でも早く行為を終えようとするかのように躊躇なく一気に振り下ろされた。
 ボンッ!と木刀が布団を叩く音が響いたときには、布団に包まれていた人物・恭也は掛け布団ごと襲撃者の反対側へ跳ね起きた。布団を跳ね除ける動作のまま右手を腰へ、左手を肩口へ伸ばし、両の手が空を切ったことで流れるようだった一連の動作が澱んだ。
 一瞬の停滞。それは、襲撃者が木刀を躱された動揺から立ち直り構え直すより尚短く、文字通り瞬く間だった。
 全幅の信頼を寄せる存在を見失った者としてはあまりにも微小なリアクションの後、恭也は俊足の踏み込みで暴漢に肉薄した。
 武装している襲撃者に対して無手で反撃に転じたのは実力差を見抜いたからではなく、帯びていたはずの武装の一切を失っていることを察知したからだろう。そうでなければそもそも最大戦力である小太刀に手を伸ばすはずがない。
 もっとも、接触と同時に襲撃者を組み伏せる事に成功したことからもその判断が間違いではなかったと分かる。

「ま、参りました」

 あっさりと組み伏せられた襲撃者が漏らす敗北宣言に僅かながらも目を見開いた恭也はゆっくりと相手を子細に観察した。
 恭也より頭一つ分は小柄な体躯。鍛えられ、引き締まっていることを差し引いても華奢な、それでいて柔らかさを失っていない腕。一瞬とはいえ激しい立ち回りのために乱れながらも絹糸のように滑らかな、背中に届くストレートの美しい黒髪。
 その後ろ姿は、俯せに押さえ込み含み針を警戒して額を床に押しつけているため顔を確認できない襲撃者が、声や気配から連想した通りの人物である、という有り得ないはずの結論を肯定するものだった。

「…み、美由希?」
「え?うん、そうだよ?」

 何を今更、と言った様子で答える美由希。
 悪びれる様子がないのは恭也自身がこの襲撃を受けることを了承しているからに他ならない。

「兄さん?」
「…あ、ああ、すまない」

 何時までも解放されない事そのものより恭也の様子を不審に思った美由希が呼びかけると、我に返った恭也が固めていた美由希の手首を放した。
 体を起こした美由希が見やると、恭也は呆然と部屋の中を眺め回していた。

「兄さん…?どうかしたの?」
「…いや、刀を携えてどこか別の場所に居た気がしたんだが。
 八影は父さんが持ってるんだから、別の…別?
 何だ?俺の刀より大きかったのに、練習刀じゃなかった…?」

 独り言を呟きながら眉をしかめる恭也に美由希がいよいよ不安を抱いたのか、どたばたと廊下を走りながら声を張り上げた。

「お母さん、お母さーん!
 お兄ちゃんが変だよー!」

 少々失礼な言葉を叫びながら美由希が明るみだした廊下を駆けていく。
 不破家から声を張り上げても御神家で朝食の準備に取りかかっている美沙斗に聞こえるはずがないことに気付かないほど混乱している美由希に、言い回しを気にする余裕などなかった。

「夢を…見ていたのか?」

 一人残される形になった恭也は、美由希の言葉を咎めることもなくぽつりと呟いた。

236 小閑者 :2017/11/04(土) 11:26:52
 町内のジョギングと、御神の敷地にある道場での型と打ち込み。それが朝食の前に行う鍛錬の内容だ。
 平日から行っている日課は、休日であっても変わることはない。

「目に見えて上達するな、恭也君は」
「ありがとうございます。でも、まだまだですよ」
「年齢からすれば十分過ぎると思うけど、それじゃあ満足出来ないんだろうね。
 これは私もうかうかしていられないな」
「静馬さんが油断しているところなんて、俺は見たことがありませんけどね。でも、いつまでも目標でいて貰えた方が有り難いです」
「私個人に勝っても意味はない、か?」
「勿論です」

 クールダウンを行いながら会話する静馬と恭也。
 フィアッセが心を壊した事件の後、当時5歳の恭也は自発的に口を開かなくなった。元々口数が少なく表情も豊かとは言えなかったが、無口と表現する事も戸惑うほど事務的な応答しか出来なくなった時期があるのだ。
 そんな恭也に静馬は積極的に、辛抱強く話しかけ続けた。それは静馬に限ったことではなかったが、お陰で回復した今でもふとした時に恭也に話しかけることが癖になっていた。

「今の恭也君なら大抵の相手なら退けられると思うけどな」
「そうでもないですよ。無力感に打ちひしがれたばかりなんですから」
「…え?最近何かあったのかい?」
「ええ。…あれ?」
「どうした?」
「あ、いえ、それが…。
 何か、押し潰されそうなほど絶望的な状況に追い込まれた筈なんですが、その状況が思い出せないんです」

 静馬はおかしな事を言い始めた恭也の様子を窺った。
 普通に考えれば絶望的な状況などそう簡単に忘れられる訳がない。だが、恭也の困惑した表情は、その言葉が決して嘘ではないと主張してる。弱味を見せる事を嫌って口を濁している訳では無いようだ。

 恭也は誰に対しても弱音に類することを口にする事は無かったが、静馬と士郎だけは例外だった。尤も、今の言葉のように愚痴というより状況報告にしか聞こえないような、俯瞰というか客観視したような内容なのだが。
 静馬が自分が例外であることを知ったのは最近の事だ。
 日常的な話題で楽しげに、あるいは穏やかに会話している美沙斗や琴絵でも、鍛錬や兵法を中心にした話をする事の多い一臣でもなく、恭也が自分を選んだ理由は知らない。剣腕だけであれば美沙斗も一臣も恭也より上なのでもっと別の基準があるのだろう。
 その事で美沙斗から僻まれたこともあったが、別に優劣の問題ではないと思っている。逆に、恭也の他の側面については自分よりも彼女たちの方が余程詳しいんだし。
 恭也が何かを期待して弱みを見せる相手に自分を選んだとは思えないが、話してくれた時には出来る限り力になる事に決めていた。尤も、大抵が事後報告であるため次回のためのアドバイスが精々なのだが。
 とはいえ、今回は本人が思い出せないのようなのでアドバイスのしようもない。
 思いの外、恭也は悩み事が多いので解決しないまま抱え込ませるより、他へ気を逸らした方が良いだろう。そう判断した静馬は別の話題を探す事にした。
 再燃するほど重大な悩みなら、その時改めて相談に乗ることにしよう。

「…妙だな。どうして覚えてないんだろう」
「まあ、妙な話ではあるけど、あまり気に病み過ぎないようにね?
 ところで、今更だけど士郎さんはどうしたんだい?」
「父さんなら、昨日の夜中にフラッとどこかに出かけたらしいです」
「ふらっと、ね」
「そのうち帰ってくるでしょう」

 放浪癖のある士郎だが、その際、基本的には宣言してから出立する。恭也が生まれる前には宣言することなく放浪していたので、父親としての自覚が行動として現れている数少ない事例である。
 その士郎が何も告げずにいなくなったなら、仕事か目的のある私用だろう。そちらの方も内容を告げていって貰いたいのが正直なところだが、一定期間で帰ってくる事が決まっている用事は連絡しておく必要性を感じていないらしいのだ。
 困ったものだな、と思いつつも、恭也に言っても仕方が無い、と諦め気味に話を纏めて恭也を促した。

「まあ、いいか。
 恭也君、そろそろ戻ろうか」
「はい」

237 小閑者 :2017/11/04(土) 11:29:13
 鍛錬を終えると汗を流してから朝食を取る。
 不破家で生活している恭也も朝食だけは御神家で取る。以前は朝食も不破家で取っていたのだが、剣の修行を始めてからは今のスタイルになっている。
 宗家・分家を問わず剣術を生業とする者以外にも護身術や趣味として鍛錬に参加する者がいるし、少数ながらも外部の門下生もいる。そこに参加するようになった恭也は早朝鍛錬後の朝食まで行動を共にするように言いつけられていた。
 鍛錬を始めた当初のフィアッセの事件の前の恭也は、人見知りや物怖じすることもなければ年齢に相応な生意気な態度をとることもなかったが、お世辞にも社交的とはほど遠く、団体行動に向く性格ではなかったからだ。
 席順は特に決められている訳ではないが、だからこそ年齢や実力である程度席が決まってくる。
 同様に御神家と不破家も習慣通り固まって食事を取っていた。恭也と同じ座卓には静馬、美沙斗、美由希、一臣、琴絵が着いている。
 その席で今朝の出来事を興奮気味に語る美由希に、穏やかに美沙斗が受け応えていた。

「それでねぇ、今日は木刀を振りかざしても目を覚まさなかったから当てられる!って思ったのに、ぎりぎりでかわされちゃったんだ。
 ホントに、ホントに惜しかったんだよ?」
「それは残念だったね。
 でも、恭也が慌てていたなら追撃できたんじゃないのかい?」
「…なんか、昨日帰って着た時みたいには出来なかったの。
 今日の兄さん、近づいても気付かなかったのに目を覚ましてからは凄く速かったんだ。
 母さんよりも速かったかもしれないよ?」
「そうなのかい?
 それはお母さんもうかうかしていられないな」
「ホントだよ?ホントにもの凄く速かったんだよ?」
「それじゃあ美由希ももっと頑張らないと恭也から一本取るのは難しいね」
「あ…うぅ」

 恭也が如何に凄いかを母・美沙斗に訴えていた美由希は、指摘されることでようやくそれが自分のハードルの高さに直結していることに気付いたようだ。
 黙々と食事を続けていた周囲の面々も思わず苦笑を漏らす。
 基本的に内気な美由希は口数が少なく物静かな方だ。友達と外に遊びに行くよりも部屋で独り本を読むことを選ぶような性格だったが、例外も存在する。それは兄の様に慕う従兄弟の恭也に関することだ。
 剣術を始めたことも、両親の呼称を「お父さん、お母さん」から「父さん、母さん」に変えたのも恭也を真似たものだ。まあ、こちらに関しては恭也の呼称も含めてまだ定着していないようで、慌てたり興奮したりするとアッサリと戻ってしまうようだが。
 美由希の想いが兄妹から異性に対するものへと変化する日はそれほど遠くないだろう。それが当事者である恭也以外の共通した認識である。
 美沙斗も子供の頃から想いを寄せていた従兄弟の静馬に近付きたくて御神流を修めて想いを成就したという経歴を持っている。だから、娘の行動は昔の自分の姿を見せつけられているようで居たたまれない思いを味わわされている。同時に当時の自分の想いと重なり密かに応援してもいるのだが。

 最近、娘が自分よりも恭也と一緒にいることを優先することが多くなって複雑な想いをさせられる静馬が、内心を綺麗に押し隠した微笑を浮かべて同じ座卓で口を挟むことなく食事を続けている斜向かいの恭也に話しかけた。

「恭也君、今日は随分と追いつめられたみたいだね」

 静馬の声には揶揄するようなものは含まれていなかった。
 如何に愛娘の言葉とはいえ、現時点での恭也と美由希の実力差からすれば、たとえ不意打ちであろうと接戦になるはずはない。
 美由希の見た「もの凄く早い動き」とは、つまり普段見ている加減されたスピードではない、本来の恭也の動きだったのだろう。それを恭也が出さざるを得ないほど追い込んだ要因は美由希の実力では無いはずなのだ。
 周囲の者からは親馬鹿と評されている静馬だが、剣術に関しては御神流の現当主としての態度を崩すことはなかった。
 また、別の理由からも、美由希の自己主張ではなく、恭也の意見を聞く必要があった。
 美由希が基礎訓練から本格的な剣術の鍛錬に移る条件を、恭也に「実力を認めさせること」としたからだ。美由希が恭也に事あるごとに襲いかかっているのは、そのためだ。
 ちなみに、美由希には目標を高くするために「恭也から一本取ること」と伝えてあるが、それが不可能に近いことは分かっていた。才能はともかく、本格的な鍛錬を重ねている恭也が基礎訓練しか受けていない美由希の攻撃をまともに受ける訳がない。
 尤も、美由希の実力を測らせているのは恭也の訓練も兼ねていた。実力の高い先達を相手に技術を吸収するのと同じように、未熟な後輩という鏡を通して自身の未熟な部分を認識するのは良い勉強になるはずだ。
 年齢からすれば早すぎる役割ではあったが、年齢からはかけ離れた実力を持つ恭也であれば妥当だろう、との上位陣の判断からだった。

238 小閑者 :2017/11/04(土) 11:34:49
「そうですね。
 今日のは単なる俺の失態ですが、美由希が実力を付けてきているのは事実です。
 俺はこのままあと二月も基礎訓練を重ねれば、本格的な鍛錬に入っても良いと思います」
「ほ、ホントお兄ちゃん!?」

 思いがけない恭也からの好評に興奮して呼称が戻っている美由希に、苦笑気味に恭也が釘を刺した。

「ああ。
 ただし、一本取れなければ単なる俺個人の感想でしかなくなる。俺の評価が正しい事を証明するためにも頑張ってくれ」
「うん!私頑張る!」

 元気良く応じる美由希と僅かに目元を弛めて笑う恭也に周囲の大人の方が苦笑する。
 この2人が並んでいると大人しい性格の美由希が溌剌として見えてしまう。

「でも美由希ちゃんが恭ちゃんの枕元まで近付けたっていうのはホントに凄いわね」
「えへへー」
「いえ、それは俺の失態です。
 今思えば目を覚まさなかったのが不思議でなりません」
「ぶー」

 琴絵の褒め言葉に照れる美由希を諫めるように恭也がすぐさま否定した。
 膨れる美由希を見ながら琴絵が苦笑を漏らす。その言葉自体は真実なのだろうが、口にしたのは間違いなく美由希の増長を抑えるためだろう。
 恭也が剣に関することで美由希を褒めることは滅多にない。日常生活ではそこまでの厳しさは見せていないので、それだけ真剣なのだろう。
 先ほどの上達を認める発言に美由希が過剰に喜んでいたのはそれも理由の一つなのだ。
 そのやり取りに興味を示したのは静かに食事を続けていた一臣だった。

「恭也君のその手の失敗は珍しいな。何かあったのかい?」

 恭也が如何に年齢に不相応な実力を備えているとは言っても発展途上であることに変わりはない。失敗する事くらい幾らでもある。
 それでも珍しいと言う言葉に異論を挟む者がいないのは、恭也が突発的な閃き型ではなく堅実に力を積み重ねる努力型だからだ。初めて試みることなら兎も角、一度身につけた技能を衰えさせたところは誰も見たことがない。

「何かの夢を見ていたようで、眠りが深かったみたいなんです」
「夢って、どんな?」
「それが良く思い出せないんです。
 真剣を帯びていたような気になっていたので戦闘を含んでいたんだと思うんですが…」

 思い出せないことがよほど気持ち悪いのか、恭也が見て分かるほど眉間に皺を寄せていた。

「目を覚ましたら夢の内容を忘れてしまうなんて良くあることだろ?
 あまり気にしなくても…」
「それはそうなんですが…。
 何故かやたらと気になるというか…
 何かきっかけがあれば思い出せると思うんですが」

 思いの外恭也が気にしているようなので一臣が気に病まないようにと声を掛けるが、あまり効果はなかったようだ。
 話を振った手前放置するのも気が引けたのか、更にアドバイスを送った。

「断片的にでも覚えてないのかい?
 登場人物とか、どこかのシーンとか」
「登場人物は辛うじて。
 ですが、どの名前にも聞き覚えがないんです」
「それはないわよ。夢っていうのは記憶の断片ですもの。
 恭ちゃんが自覚してないだけで、マンガやドラマ、は、見ないか、兎に角、表札を見かけた程度でも記憶の一部のはずよ?」

 それまで傍観していた琴絵が話に参加した。食事をしながら会話する事が苦手な琴絵が本腰を入れて話し出した事を不思議に思った一臣が顔を横に向けると直ぐに理由が分かった。きれいに食べ終わっていたのだ。
 美由希が話していた時にほとんど会話に参加していなかったので珍しいと思ったら、面白い話題になりそうだと踏んで食事に専念していたようだ。

「それほど突拍子もない名前ではなかったので、印象に残ってないだけと言われてしまえばそれまでですね」
「参考までにどんな名前か教えてよ」
「何の参考になるんですか…。
 はやてと高町とテスタロッサです」
「3人居たんだ、しかも外人さんまで。
 ひょっとしてみんな女の子?」
「は?
 ええと、姿までは覚えていませんが、印象としては多分そうだと思います」

239 小閑者 :2017/11/04(土) 11:38:36
 ツッコミを入れながらも素直に口にしたのは、目を輝かせる琴絵の追求を躱すのが困難であることを知っているからだ。勿論、別段隠しておく必要がないというのも理由の一つだろう。
 その答えがどういった事態を引き起こすか想像出来ない訳では無いはずなのだが、琴絵に対する恭也の警戒レベルは格段に低く設定されているようだ。
 恭也が漏らした情報に当然の如く琴絵が、そして少々意外なことに美沙斗が食いついた。

「一人だけ名前で覚えてたってことは一番親しかったのかな?」
「立場の違いから呼び方が違うだけかもしれませんよ?
 恭也、そのはやてさんの名字は覚えているのかい?」
「あっいえ、名前だけしか…」
「と言うことは単に名前で呼んでいただけの可能性は高いね。
 でも恭ちゃんが名前で呼ぶって事は身内だったのかな?姉か妹?」
「その辺りが妥当ですね。
 私としては接する時間が少ないはずなのに身内と同じくらいの印象を与えている2人がどんな人物なのかが気になりますね」
「あの、他人の夢の登場人物でプロファイリングというのは」
「恭ちゃんは黙ってて」
「はい」

 最早、当事者そっちのけである。
 普段穏やかな美沙斗の珍しい一面に静馬が苦笑を漏らす。あまり人前で見せることは多くないのだが、美沙斗も結構な親馬鹿なのだ。
 自分が楽しくてやっている姉の琴絵とは違い、美沙斗は娘の美由希のために真剣に情報収集をしている事を静馬は知っていた。
 視線を転じれば、可愛らしく頬を膨らませている美由希が目に映り静馬は苦笑を深くした。
 夢の中とはいえ恭也が他の女の子と仲良くしているのは嫌なのだろう。

「恭也、夢で見たその女の子たちの特徴を詳しく言うんだ」
「いえ、ですから、人物どころか漠然としたイメージしか残っていないんです」
「恭ちゃん、夢は記憶でしかないの。モデルになった女の子は必ず居るはずよ?
 怒らないからお姉ちゃんに教えて?」
「なんで怒られなくちゃいけないんですか。
 照らし合わせるための人物像が残っていないんですって」
「琴絵さん。
 恭也君も困ってるからその辺にしときなよ」

 見かねた一臣が恭也に助け船を出した。
 だが、恭也が浮かべたのは安堵の笑みではなく苦笑だった。たとえ藁にでも縋りたい心境だったとしても、泥船にしがみつかない程度の冷静さは残っていたのだ。

「カズ君は黙ってて。
 愛する恭ちゃんの心に近付くチャンスなんだから!」
「お願いだから近付かないで。
 それ以前に、その冗談は結構キツいからやめて貰いたいんだけど…」
「そんな!私の愛を疑うの!?」
「今の流れだとその愛の向かう先は恭也君みたいに聞こえるんだけど!?」
「勿論よ」
「あの、琴絵さん。
 祝言を控えている身で、それは流石に一臣さんが可哀想ですよ」
「恭也君…ありがとう!」

 助けようとした相手に逆に助けられている一臣に呆れた視線が集まる。暫く前から周囲の食卓の意識もこちらに向いていたのだ。

「明後日には一生に一度の結婚式…一度だけですよね?」
「どうしてそこで疑問を持つんだ恭也君ー!?」
「恭ちゃんさえ肯いてくれればもう一回くらい!」
「いやあぁ!」
「お兄ちゃん取っちゃダメー!」

 気色悪い悲鳴を上げてのた打ち回る一臣に代わり、我慢できなくなった美由希が参戦した。
 琴絵の活き活きした表情にエスカレートする事を予想した周囲の者が苦笑を漏らす。
 病床生活の長かった琴絵が人との触れ合いに飢えていることは周知のため、余程の事が無い限り止める者はいないのだ。

「いくら美由希ちゃんのお願いでもそれだけは聞けないわ。
 どうしても私から恭ちゃんを奪いたいなら、恭ちゃんが放っておけないようなナイスバディでお淑やかな女の子になることね!」
「なるもん!
 ぜったい、ぜったい、ナイスバデーでおしとやかになるもん!」
「その意気や良し!
 美沙斗には成し得なかった偉業を成し遂げなさい!」
「はい!」
「クッ!」

 満面の笑みでサムズアップする琴絵と決意を表す美由希の横で、美沙斗の悔しげな声が広間に響く。

240 小閑者 :2017/11/04(土) 11:39:09
 響くはずのないその小さな声が響いたのは、広間が静まり返っていたからだ。
 雲行きが怪しくなり始めると同時に、他の食卓を含めた男性陣は誰一人として視線を向けるどころか物音一つ発していない。流石は気配に敏感な御神の剣士といったところだろう。
 美沙斗が自身のプロポーションにコンプレックスを持っていることも、その事を隠している事も、誰もが知っているためその話題に触れる者は当然いなかった。誰だって自分の命は惜しいに決まっている。
 敢えてその話題を取り上げる琴絵も、長く病床に就いていただけあってプロポーションは美沙斗と大差なかったりする。単に美沙斗と違って開き直っているのだ。

「お兄ちゃん!私、ガンバるね!」
「…まぁ、頑張れ」
「うん!」

 ある意味無邪気な美由希の言葉と共に向けられた美沙斗の澱んだ視線に怯みながらも返答する恭也に、男連中から同情と賞賛の視線が集まる。よく、「俺に振るな!」と言わなかったものだ、と。





 話に夢中になって食事が進んでいなかった美由希が気を取り直した美沙斗に窘められているのを、食後のお茶を啜りながら眺めていた恭也に復活した一臣が話しかけた。

「恭也君があの手の言葉を肯定するなんて珍しいね。それも夢の影響かい?」
「…ああ、さっきのですか。
 動機は何であれ努力するのは良いことでしょう。
 美沙斗さんと静馬さんの娘ですから素材としては保証されている様なものだし、努力を欠かさなければ将来惚れた相手を振り向かせるのに有利になるでしょうからね」
「その相手が恭也君だって可能性もあるだろう?」
「理想通りに成長できれば引く手数多になるでしょうからね。その事に気付けば俺に甘んじていることは無いでしょう」
「人を好きになる理由はそれぞれだと思うけどね。
 でも、それなら恭也君も自分を磨く努力をするべきだろう?」
「…そうですね」

 その答えに一臣は密かに嘆息する。
 耳を傾けていた静馬にも一臣の気持ちが理解できた。
 恭也が肯定の言葉を選んだのは単に追求を避けるためだ。それが分かっているからこそやるせない気持ちに支配される。

 恭也はフィアッセの心が壊れた事を自分のせいだと信じている。
 テロリストが原因だと理解しながら、それを止められなかった自分を責めている。
 恐らく、自分が幸せになることを肯定できないでいるのではないだろうか。
 幼い子供の多くは自分の失敗から目を逸らそうとする。それは受け止められる強靱さも柔軟性も持っていないため、本能的に傷つかないためにとる行為と言えるだろう。
 だが、恭也にはそれが出来なかった。理性が育ってしまったからだ。精神も年齢離れした強さを持っていたが、それでも受け止めきる事は出来なかった。
 恭也の態度に事件の影響を垣間見る度に、子供を守る立場にありながら、それが出来なかったという事実を突きつけられた様で酷く憂鬱にさせられる。
 士郎が飄々とした態度を保ちながらもその事を深く後悔していることを静馬は知っていた。
 現場に居合わせなかった“叔父”の静馬ですらこうなのだ。共に行動していた“父親”の士郎の心情は計り知れない。

「カズ君、暗い顔してどうしたの?」
「え?ああ、大したことじゃないんだ。
 恭也君も少しだけで良いから、兄さんみたいに気楽に生きられたら良いのにって話をしてたんだ」
「ふーん」
「話は変わりますが、琴絵さんはウェデングドレスも似合うと思うので、次は教会式にしませんか?」
「あ、流石は恭ちゃん!良く分かってる!
 じゃあ、気が変わらない内に日取りも決めちゃおっか?」
「待ってー!どうしてまたその話に戻ってるの!?」
「“戻ってる”とは失礼な。ちゃんと先に進めてるじゃないですか」
「そうよ。あとは日取りと招待客と予算を決めれば、大枠は完成でしょ?残りの細かいことはその都度決めていけばいいんだもの。
 ちゃんと練習したからバッチリよ!」
「練習じゃない、練習じゃないよ!明後日のが生涯一度きりの本番だよ!」
「カズ君にとってはそうよね」
「琴絵さんにとってもそうなの!そうでなくちゃ嫌だ!」
「一臣さん、あまりワガママを言って琴絵さんを困らせちゃ駄目ですよ?」
「これ以上苛めないでー!」

 何をやってるんだか。

241 小閑者 :2017/11/04(土) 11:42:37
 もの凄い勢いで脱線していく会話に、聞き耳を立てていた者が苦笑を漏らす。
 恭也が士郎に憧れ、必死にその背を追いかけていることは誰もが知っている。勿論、それが叶わず悔しがっている事もだ。
 性格面に関しては是非ともこれ以上近づくことなく、今の恭也のまま育ってくれる事を願っているのは静馬だけではないはずだ。士郎との掛け合いや、偶に一臣をおちょくる姿を見る限り既に手遅れな感も否めないが、それでもこれ以上は、と切に祈ってしまう。
 恭也自身も士郎の豪放磊落な性格に振り回された経験が何度もあるはずなのに、その面すら真似たがるのは何故だろう?あるいは、振り回されているからこそ振り回す側に立ちたいのだろうか?
 そんな訳で恭也は士郎と比較されることを嫌っているのだが、それが分かっているはずなのに一臣はちょくちょく口を滑らせて似た様な発言を繰り返すのだ。
 大概の皮肉や揶揄を受け流せる年齢不相応な恭也が、ほぼ100%ムキになる内容だから、一臣もわざとやっているのかもしれない。毎回手痛い反撃を食らっているので、かなり疑わしいのだが。
 何より、美沙斗の話では、恭也が士郎の真似をし始めた時期は、以前一臣がちゃらんぽらんな士郎を揶揄して「本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑わしい」といった不用意な発言をした頃と重なっている、とのことだ。
 余計な事を。時間が戻ることなど無いだけに、どうしてもそう思ってしまう静馬だった。



 そんな日常風景になりつつある光景が展開している大広間に、誰にも察知されずに入室してきた者がいた。
 恭也の十年後の姿と言われれば疑う者がいない位に似た容姿ながら、決定的に違うと言えるいたずら小僧の様な表情を浮かべた人物。

「おかえり、士郎さん。今回は何だったの?」
「野暮用だ。
 それより随分賑やかだな。なんかあったのか?」

 この距離まで気配を察知させない穏行を意識することなく行う士郎に、まだ気付いていない一堂に知らせる意味も込めて静馬が声を掛けると、気負った風もなく答えが返ってきた。
 日常において士郎が焦りや緊張を帯びている姿は、付き合いの長い静馬でさえも数えるほどしか見たことがない。
 士郎のこの態度は生まれながらの性格に因るところが大きいが、2割ほどは恭也を安心させる為に意識してとっていることを静馬だけが知っていた。
 あの事件に影響を受けたのは、なにも恭也だけではないのだ。

 朝から何処か様子のおかしかった恭也も士郎の姿を見たことで少しは落ち着いただろうか。そんな事を思いながら恭也に視線を移した静馬は、目を見開き完全に固まっている恭也の姿を見て呆気にとられた。

「…ぅっ、あ カハッ、あ」

 精神的な衝撃を受けた者が見せる、呼吸もままならないほどの重度のショック症状。
 頭の片隅で思い浮かべたその説明を恭也の状態と直結させる事が出来ない。つい先ほどまで一臣達と漫才を繰り広げていた姿と今の恭也が繋がらないのだ。
 呆然としている者たちの中で、唯一人、士郎だけが即座に恭也に駆け寄った。

「恭也!おい、どうしたんだ!?恭也!」

 肩を掴み強く揺さぶると、焦点を失っていた恭也の目が士郎を捉えた。
 蒼白になった顔色のまま、たどたどしく絞り出すように呟く声は、恭也のものとは思えないほどか弱いものだった。

「父さん、なのか…?」
「ああ、俺だ!不破士郎だ!」
「…じゃあ、ゆめ、だったのか?あれが?…あんなにがんばってた、くるしんでた、あいつらが…ぜんぶ、ゆめ?
 でも、…だって、ここに…」

 溺れる者が縋りつく様に、何の加減も無く士郎の二の腕にしがみつく恭也の指がジャケットを破り、肉に食い込む。
 恐怖に歪み、今にも壊れそうな、消えて無くなりそうな恭也の肩を力強く掴んだまま、滴る血も肉を引き裂く痛みも歯牙にかけず、言い聞かせるような力強い士郎の言葉が広間に響いた。

「俺は、此処にいるぞ!」
「ッ!」

 感電したかのように体を大きく震わせると、恭也はゆっくりと士郎を掴んでいる腕を伸ばし、距離を空けた。
 砕けそうなほど奥歯を噛みしめ、揺れる瞳で見つめてくる恭也を、士郎も力を込めてしっかりと見つめ返す。

242 小閑者 :2017/11/04(土) 11:43:12
 どれほどそうしていただろうか。
 静止した時間を動かしたのは、何かと葛藤していた恭也だった。

「お願いが、あります」

 絞り出すように告げる、幾らかの理性を取り戻した声は明らかに震えていた。

「もう、俺には何が本当なのか、分からない…」

 一言ずつ区切るように、声に出す。

「だから、確かめさせて、下さい」

 身を引き裂くほど辛くとも、逃げ出す事が出来ない在り様は、如何に立派であろうと幸せとは言えないだろうに。
 自分では恭也を変えてやることは出来ないのかと、無力感に苛まれながらも、表に出すことなく士郎が応える。

「何をすればいい?」
「俺と、試合って下さい。
 その結果に、従います。もう二度と、疑わないから。
 だから、お願いします」
「…分かった」







 恭也の反応は、それほど意外なものではなかった。
 流石にショック症状は想定していなかったが、顔を見せれば封じられていた記憶を触発する事になるのではないか、とは思っていたのだ。
 封印が弱かったのか、封じた記憶の印象が強過ぎたのか、精神力が強過ぎるのか。理由こそ定かではないが、記憶を取り戻したことは疑いようもない。
 だが、恭也は記憶を呼び覚まされて尚、どちらが現実なのか分からず混乱してしまった。どちらも鮮烈なのだろう。血塗れで倒れる自分の姿や恭也のために心を痛めてくれる少女たちの姿も、リアルに五感に訴えてくる今体験しているこの世界も。

 てっきり、恭也なら此処が夢だと気付けば、すぐさま現実世界に引き返すと思っていた。
 夢から覚めることは難しいことではない。夢だと認識し、決別するだけでこの世界は壊れてしまうのだから。
 やはり、実際に触れ、確かめる事の出来る世界が夢だとは思え難いということか。自惚れるなら、自分達が死んだという事実が受け入れ難いというのも一因かもしれない。
 仮に、恭也がこの世界を選んだとしても、誰にも責められる事ではないだろう。あいつはもう十分に苦しんだ。もしも責める者がいたら、そんな奴を斬り捨る事に躊躇するつもりはない。

 それより、一つだけ気がかりなことがある。
 それは、どちらの世界を選んだとしても、恭也が喪失する悲しみを追体験するだろうという事だ。
 それがどちらであれ、結果的に恭也は現実と認めた世界の人々のために夢と定めた世界の全てを切り捨てる事になる。そして、切り捨てる事で負う心の傷を、周囲の人間にも気付かせまいと隠し続けるだろう。
 酷な事をする。
 良かれと思ってこの世界を構築したであろう彼女には悪いが、それが素直な感想だった。


 士郎は自室で一人、装備を調えながら物思いに耽り、そんなことをつらつらと考えていた。
 自室を一歩出た瞬間からその身を戦闘者へと切り替えなくてはならない。考え事を抱えたまま対峙出来るような易しい相手ではないのだから。
 恭也との手合わせは何度も行ってきた。手合わせする度に前回を上回る何かを身につけている恭也を見るのは、本当に心が躍る。
 恭也は未熟だ。
 年齢を遙かに越える実力を身につけているし、“御神の基準”においても、師範には届かずとも十分に一人前と呼べる力量を身につけている。
 それだけの実力を身につけて尚、“未熟”なのだ。
 成熟した暁にはどれほどの剣士になっているだろう。十年に一人の天才と言われた静馬や自分を越える日はそれほど遠くはないはずだ。
 だが、此処に残れば成長は止まり、向こうに帰れば見られなくなる。どちらであっても、その時の姿を見られないことが心残りではあった。
 苦笑が零れる。
 誰に文句を言っても仕方ないと分かっていながらこれほど執着するとは。
 最近まで自分は比較的割り切りが良い方だと思っていたが、恭也のことになるとどうにも調子が狂う。
 親馬鹿になったものだ、と思う。夏織に赤子を押しつけられた当初はあれほど“面倒事を押しつけやがって”と身勝手にも憤慨し、途方に暮れていたというのに。

243 小閑者 :2017/11/04(土) 11:45:08
 大きく息を吐き出し、随分と脱線してしまった思考の軌道を修正する。
 道を見失い途方に暮れた恭也が、標として自分を頼ったのだ。不肖とはいえ、親を名乗る身として是が非でもその信頼に応えなくては。
 そう思いながらも、士郎は恭也が具体的に何を自分に期待しているのか分からずにいた。
 手合わせの結果に全てを委ねると言っていたが、勝敗でどちらの世界が現実か決める、などという短絡的な結論をあの恭也が出すとは思えない。そもそも、現時点の恭也の実力では士郎には勝てない事は恭也にも分かっているはずだ。
 勝てない筈の士郎に勝つことが出来れば此処が夢の世界だと言う証拠にはなるだろうが、逆に士郎に負けても現実である事の証明にはならないのだ。それでは“確認”というより“ギャンブル”と変わらない。
 それが“不破恭也”の選択とは到底思えない。
 だから、士郎はそれ以上考えないことにした。
 思考の放棄ではない。恭也が指標として“自分との手合わせ”を選んだ以上、それに全力を注ぐ事こそが、恭也の期待に応える事になると考えたのだ。
 それがどんな結論だったとしても。


 襖を開けて、一歩踏み出す。
 深呼吸や瞑想も必要とせず、その一歩で不破士郎は、不破恭也が師と仰ぐに足る最高の剣士に変貌する。
 それが、あの日自身に課した、恭也への贖罪だった。



 士郎が離れにある道場の入り口に立つと、中央に恭也が一人で佇んでいた。流石に「何時でも何処でも」行ってきた今までとは違い、今回は奇襲や不意打ちは無いようだ。
 趣旨からすれば当然の様にも思うが、逆に御神の剣士としての試合を望まれている事を思えば油断出来ない。別にシャレや冗談で卑怯な手段を採る訳ではないのだから。

「待たせたか?」
「いえ」

 恭也の対面へと士郎が移動するまでにそんな短い言葉を交わしただけで、5mほどの距離を隔てて対峙した後は互いに自然体のまま無言の時間が経過していく。
 道場には2人の他には誰もいなかった。
 だからといって、誰かを待っている訳でも開始の合図を必要としている訳でもない。
 実際には、無言のまま、身動ぎもせずに2人の戦いは始まっていた。

 一般人であればそれだけで気を失いかねないほどの殺気を濁流のように叩き付けてくる恭也に、眉一つ動かすことなく平静な視線を返す士郎。
 どちらにとっても特筆するべき事ではなく、そもそも殺気をぶつける事そのものは恭也にとって手段でしかない。
 唐突に恭也の殺気が途絶えた。
 ブツ切りにされた気の空白によって、苛烈な殺気に晒されていた士郎の感覚が恭也を見失う。同時に高速機動と巧みなフェイントで視覚的にも姿を眩ませながら距離を詰めた恭也の右手が腰から模造刀を抜刀し、動じる事無く抜き放った士郎の模造刀が正面からぶつかり合い甲高い金属音を響かせた。

 恭也の使った手法は別に恭也のオリジナルという訳ではない。古くからある技法の一つと言ってもいい。
 ただし、誰にでも使える訳ではないことも事実ではある。
 明るい部屋で突然照明を消されれば、目が暗さに慣れるまで見えなくなるのと同じ様な原理だ。つまり、叩き付ける殺気が苛烈であるほど、また殺気を消しきるまでの間が短時間であるほど効果が大きい。ONとOFFの落差の大きさこそがこの技の要だ。
 随分前から使って見せていた技の練度が増しただけ。言葉にすればそれだけの事であっても、一朝一夕で出来ることではないと分かっているだけに、やはり感嘆の念と同時に苦い思いが湧いてくる。
 本来これは子供に使える技術ではない。体術とは違い、見ることが出来ない分だけ修得が難しいというのが大きな理由だ。
 憑かれた様に鍛練に没頭していた時期に、四六時中肉体を虐め過ぎて体が壊れないように与えた課題。それを、鍛練以外の全ての生活時間中に行った結果が、今の恭也だった。
 生活の場の全てが鍛練。そうでなければ恭也の年齢でこの実力はあり得ない。だが、そんなことをすれば普通は精神が持つはずがない。それでも、説得して止められず、無理強いすれば精神が病みかねなかった。
 精神が壊れる前に自分を許せるようになる方に賭けるしか選択の余地がなかったのだ。感情が凍り付いていた事が賭の勝利の最大要因であることは皮肉以外の何物でもないだろう。

244 小閑者 :2017/11/04(土) 11:50:22

 士郎に感傷に浸る暇を与えまいとするかのように恭也の攻勢が続く。二刀を巧みに操り、息つく暇も無いほどの連撃を浴びせ続ける。四割ほどの確率で含まれる“徹”の威力も申し分ない。

 徹は刀の運動エネルギーを効率よく衝撃に変換する技術であるため、攻め手は同じダメージを与えるのに小さな力で済ませる事ができ、受け手は刀が接触した時点で衝撃が伝播するため受け流すことが難しいという特性を持つ。
 体格が小さく体力にも劣る恭也にとっては喉から手が出るほど欲しい技能だったこともあり、修得したての頃は斬撃の全てに徹を込めていた事があった。
 だが、如何に徹が技術的に威力を上げるものとはいえ、特殊な振り方である以上、通常の斬撃よりも消耗する。そして、徹を受け止めても尚、士郎の体力は恭也のそれを上回っていた。
 その反省を踏まえて、恭也は徹を込める割合を減らした。混ぜるだけで十分に効果がある事に思い至ったからだ。
 攻撃を受け止めるには威力に相応する力を込める必要があるが、徹が込められているかどうかは受けるまで分からない。力が不足していれば刀を弾かれてしまうため、無駄になろうと全て徹を受けられるだけの力を込めて防御するしかない。
 速さを信条とする御神の剣士と斬り結ぶ者にとっては、力の消耗よりも筋肉を硬化させる事で発生する動作の硬直時間の方が深刻な問題となるのだ。


 道場内を剣戟と床や壁を蹴りつける音だけが響き続ける。
 御神の剣士の戦いでは気迫を声に表す事が少ない。奇襲や隠密行動を前提とした戦闘スタイルなので必然的に声を抑えた戦い方になるのだが、この2人は本当に呼気以外漏らさない。
 恭也の姿が士郎の眼前で霞んで消える。開戦直後に行った気殺による認識阻害、その簡易版だ。それでも戦闘中に鋭敏になっている感覚は気殺の直前に叩きつけられる凶悪な殺気に中てられて瞬間的に恭也の気配を見失う。そして絶妙のタイミングで巧妙なフェイントを交えて左右へ、時には意表を突いて正面へと移動し、諦める事無く斬撃を放つ。
 徹の込められた斬撃を受け続ける事は如何に体力で勝る士郎とて容易な事ではない。それでも、表情を歪める事も動作を澱ませる事もなく全ての攻撃を受け続ける。
 対する恭也も放った攻撃を悉く受け止められながら、焦りも苛立ちも見せない。
 格上だから防がれて当然。
 そう思っているのか、単に内面を隠す事に長けているのか。どちらもありそうだ、と内心だけで苦笑していた士郎は、恭也の斬撃の軌道が前触れも無く変化した事を目敏く察して慌てる事無く受け止める。
 そうして平静を装いながら、やはり感心させられる。
 注意の引き方も軌道の変化もぎこちなさの無い実に滑らかなものだ。“貫”も十分に実戦レベルと言える錬度になったな、と。
 ただ、徹と同じく貫もアッサリ受け止めて見せたにも拘らず、やはり恭也に落胆した様子は無い。
 確かに今までも受けて見せていたし、同門である以上互いに手の内は知られているのが前提だから今更かもしれないが、恭也なりに上達している実感があるはずの技を防がれ続ければ何かしら思うところはあるだろうに。
 逸れかけた思考を引き戻し、士郎はいっそう気を引き締める。油断などした事はないが、もはやいつ不覚をとってもおかしくはないほど実力差はなくなってきているのだ。

 “貫”と一括りにしてもいくつかの種類がある。
 一番単純な物が手品と同じ要領で、上体への攻撃で意識を上に集めておいて足払いを掛けるといったもの。
 次に剣筋を変えるもの。
 普通の人間の動態視力では、斬撃中の刀身を見ることは出来ない。せいぜいが残影、刀が通過した後の光の軌跡が目に焼きついていたものだ。仮に刀身を肉眼で捕らえられたとしても見てから動いていては防御も回避も間に合わない。
 だから、足捌き、胴体、肩、腕の振り、視線、間合い、あらゆる兆しを総合して刀の軌道を予測する。刀身そのものを目で見て捕らえたとしても、その情報は最後の微調整にしか役立てることは出来ないのだ。
 そして、通常は熟練するほど剣筋がブレることは無いため、予測と現実との差違が埋まれば以降は反撃の糸口を探るためにどうしても注意が薄れる。だから、刃をバネで飛ばすナイフのような、軌道を変化させる手段が有効になる。

245 小閑者 :2017/11/04(土) 11:54:05
 刀身を無くしては戦えなくなるため、御神流では腕の振り方までは変えることなく、手首を返し、握りを変えることで拳一つ分剣線をずらす。せいぜいが50mm程度の変化だが使いようによっては十分な効果を発揮する。
 握りが弱くなるため威力は格段に低下するが、敵の防御を掻い潜る事を目的にしているのだ。低下したところで、人間の皮膚を切り裂くには何の問題もない。
 更に、無数の斬撃の中に一定のパターンを繰り返す事で敵に覚えさせるものもある。
 例えば、右の袈裟切りの後に必ず左の薙払いを放つことで、そのパターンを敵に覚え込ませる、あるいはそういう癖を持っていると思わせて、手首の角度だけで定位置に来た敵の防御をかわして切りつける簡易版の誘導型だ。
 最後にその発展型となる体捌きにより思考を誘導するもの。
 先述した通り、斬撃は刀の軌跡だけ見ていては対応が間に合わない。踏み込みから肩の振りまで総合して予測する。それは言い換えれば自身の体の動きで敵の予測を誘導出来ると言うことだ。対戦中に敵がどの動作のどんなポイントに重点を置いて予測しているかを見極め、敵の動作を、意識を、思考を誘導する。
 勿論、言葉にするほど簡単な内容ではない。予測する、と言うことは、敵は“そのプロセスを踏めばその攻撃しか出来ない姿勢になっている”と確信しているのだ。自分と同等以上の実力を持つ者を相手にして、その予測を覆す事など普通に考えれば出来る訳がない。
 だから、出来なくて当たり前。僅かでも敵の予測に誤差が生まれれば、あるいは敵の注意が一カ所でも薄れれば儲けもの。
 “貫”とは総じて、その一撃が決定打にならずとも敵を動揺させる事が出来れば十分な成果と言えるし、警戒させ意識を分散させる事が出来るだけでも見せる価値はあるのだ。



(また、腕を上げたな)

 嬉しさと苦さが等分に士郎の胸を占める。
 恭也は辛い事があると鍛練に没頭する。「辛い現実」が「自身の非力さ」と直結することが多いため、現実からの逃避なのか真っ向から立ち向かおうとしているのかは、俄かには判断出来ないのだが。
 この二ヶ月ほどの期間でこれほど腕を上げたとなれば、本当に鍛練漬けだっただろう。
 恭也にとっての幸せとは何だろうか?
 そんな思考が掠めたのを最後に、士郎は感情を締め出して攻撃に転じた。

 士郎が攻勢に出たのに合わせて恭也の行動パターンも変化する。
 士郎が押せば引き、引けば押し、時には押しても押し返してくる。士郎の攻撃を受け、流し、躱す。柔軟に対応し、無理な攻防で動きを破綻させる事もなく、しかし時には強引に流れを断ち切りにくる。
 攻撃面の成長と同じだけ防御・回避技能も錬度が格段に上がっている事に満足しながら、士郎も一手づつ積み上げていく。まだ負けてやるわけには行かないのだ。

 目まぐるしく攻守が入れ替わり、徐々に士郎の攻撃時間が長くなる。
 圧倒的な速度という訳ではではない。
 圧倒的な膂力という訳ではではない。
 ましてや、奇抜な技術を用いている訳でもない。
 それでも恭也は士郎に押されていく。
 時には最短に、時には迂遠に、時には緩やかに、時には迅速に。剣閃が、踏み込みが、回避が、防御が。
 速さも力もほぼ同等。今の恭也ならトレースすることが出来るレベルだ。つまり、選択の違いが天秤を傾ける要素なのだ。

 恭也の実力を見るために敢えて受け続け、その後僅かに上の技術を示してみせる。それが恭也と手合わせをする時の士郎のスタイルだった。
 恭也はその違いを省み、盗み、改善する。
 士郎は手取り足取り教えた事はない。それは他の者に任せていた。
 ただ、強く在る事。高い壁であり、目指すべき頂で在り続ける事。それが士郎が自らに課した役割だ。

「ック、ゥッ」

 恭也の食いしばった口から声が漏れる。

「…おぉ、アアアアァァ!」

 その声が己を鼓舞するがごとき雄叫びに変わっていく。
 珍しい、そう思いながらも士郎は呑まれる事も釣られる事もなく捌き続ける。
 鼓舞した事で勢いを盛り返し、しかし、無理に攻勢に出た事で生まれた僅かな隙を衝かれて、側面に回り込んだ士郎の刀が恭也の首筋に突きつけられた。

246 小閑者 :2017/11/04(土) 11:56:13
「ここまでだ。
 まだまだだな」

 それは手合わせ終了時に士郎が告げる定型句だ。
 この一言を口にするために自分を鍛え続けているという気もするな。そんな感慨に耽りながら納刀する士郎の感覚に、世界に亀裂が入る音が聞こえてきた。

「…え?」

 あまりにも唐突な事態の推移に士郎の思考が追いつかない。
 確かに恭也は手合わせの結果でどちらが現実か判断すると言っていたが、士郎には前後の脈略がどう繋がっているのかすら分からなかった。

「おい、恭…」

 恭也が決別した以上、その事に異論を挟むつもりはないが、未だに判断基準を聞いていなかった士郎は逸らしていた視線を恭也に向けて言葉を途切れさせた。
 視線を道場の敷き板に固定したまま顔を歪め、歯を食いしばって何かに耐える恭也を見て、悟る。

(これ以上言葉を交わせば恭也の辛さが増すだけ、か)

 それなら、黙したまま別れるべきか。
 そう結論づけようとした士郎に異を唱えたのは、歯を食いしばっていた恭也本人だった。

「永全不動八門一派 御神神刀流小太刀二刀術 不破恭也!」
「!?」

 先程の雄叫びを超える声量で叩きつけるように士郎に向かって名乗りを上げる恭也に、今度こそ士郎は呆気にとられた。
 恭也の意図が分からない。
 名乗り上げる意味も距離を開いた理由も猛烈な気迫も懇願するような視線も何もかもが分からない。

(そもそも何の為に名乗りを上げた?
 さっきまでの恭也は間違いなく全力だったし、俺がそれを疑ってない事くらい分かってる筈だろ?
 …!)

「永全不動 八門一派 御神神刀流 小太刀二刀術 師範」

 士郎は、名乗り上げに恭也の表情に僅かな喜色が浮かんだ事に気づいて安堵した。

(そうか。
 最期だもんな)

「不破士郎」

(俺の全力を見せてやる!)

『参る!』

 声を重ねた2人は直後に中間地点に到達、同時に抜刀。

 御神流 奥義之壱 虎切!

 微塵の加減もされていない虎切に模造刀が悲鳴と火花を散らし、威力と体格で劣る恭也を弾き飛ばした。
 士郎は即座に神速を発動。
 意識が加速する事で相対的に時間感覚が遅くなり、粘性の増した空気を突き破りながら、モノクロの世界を駆ける。
 全力を見せると宣言した以上、出し惜しむつもりはない。恭也も神速の領域に踏み込んでいるのだ、無様な真似など出来るものか!
 神速を発動していながら崩した体勢を通常の速度領域で立て直していく恭也に、容赦なく士郎が切り込む。潔く防御と回避に全力を注いだ恭也が、辛うじて士郎の攻撃をやり過ごした。これだけの速度差がありながら右太股と左頬の裂傷で済ませた恭也の手腕は瞠目に値する。

247 小閑者 :2017/11/04(土) 11:58:27
 恭也が神速の領域に達したのは1年ほど前の事だ。
 鍛錬中、本人も無自覚に踏み込み、そのまま引き延ばされた時間感覚に合わせて無理矢理動こうとした結果、完成していない肉体が破綻した。
 骨折と筋肉の断裂と肉離れ。再起不能になるほど深刻なものでこそなかったが、3週間の入院が必要になるほどの重傷を負った。
 以来、恭也には肉体が耐えられるほど成熟するまで神速を禁じていてる。本人も体を壊すつもりはないから、と答えたが、士郎は重ねて“意識の加速”そのものを禁じた。
 肉体が高速機動に耐えられないのなら、意識だけ加速させて肉体は通常機動をとれば問題はない。戦闘中、意図的に意識を加速出来るというアドバンテージは、同等の技能を備えた敵に対してい絶大な効果を発揮するのだ。敵の動作をつぶさに観察出来れば虚実も見抜けるし、行動に合わせて手を変えることも出来るだろう。
 病院のベットで神速の用途を模索していた恭也に、士郎は禁じ手とする様に伝えた。それが剣士としての上達を妨げる事になるから、と。
 神速は特殊な技能ではあるが、御神の剣士の専売特許ではないのだ。系統立てて鍛えることが出来る流派の存在を耳にした事はないが(存在したとしても吹聴して歩くはずはないが高速行動を目撃されれば噂位にはなるものだ)、ずば抜けた才能を持つ個人にそれが出来る可能性は十分にあるのだ。
 恭也もその説明で納得したようで、任意で神速に入る訓練をしながら、戦闘訓練中に意識を加速させる事はなかった。


 その恭也が、今、意識を加速させている。
 だが、神速を使うことを今更とやかく言うつもりはない。恭也なら自分の体と折り合いをつけてやっていくだろう。
 今、士郎が集中すべき事は全力を尽くすことのみ。
 神速が解けた士郎は即座に再度神速に入る。
 太股に傷を負った恭也には時間が経つほど高速機動が難しくなる。ならば、動けなくなる前に、圧倒的な実力差でねじ伏せる!
 二刀を納刀しながら床を蹴りつけ間合いを潰す。予想していたのか恭也は動くことなく士郎を迎え撃つために納刀した小太刀に両手を添えて居合いの構えをとっていた。
 正面に向き合った状態で2人同時に抜刀。

 御神流 奥義之睦 薙旋!

 抜刀により加速した2撃と、薙払いの勢いのまま回転することによる複雑な捻転と慣性により加速した2撃を合わせた4連撃を瞬時に叩き込む。
 ギギンッ!という金属同士が奏でる悲鳴と床を踏みつける足音を最期に道場が静寂に包まれた。
 静寂の中、抜刀からの2連撃で右の小太刀を叩き折られ、左の小太刀を弾き飛ばされた恭也が、首筋と胴体に刀を突きつけた士郎に見据えられていた。




「いくつか聞きたい事がある」

 その姿勢のまま口を開いたのは士郎だった。

「どうして、ここが夢だと確信出来た?」
「…結婚式の前の俺には不破士郎にあれだけの力を出させることは出来ないんです」
「なるほど、な。本当に“指標”だったんだな」

 恭也の返答に少々迷いながらも素直に喜んでおくことにして、本当に確認したかった事を口にした。

「じゃあ、もう一つ。
 …やっぱり、夢じゃあ満足出来ないか?」
「違う。そんなんじゃあないんだ。
 …はやてを起こそうとしたのは、それがはやての意志で選んだ結果じゃなかったからです。はやて自身の選択の結果であれば口出しする気はありませんでした」
「それなら、どうして?
 おまえもここに魅力を感じたからこそ、あんなに迷ったんだろう?」
「…俺が取り込まれたことはみんなが知っているんでしょう?
 高町もテスタロッサも俺が帰ると信じていると思う。それじゃあ、帰らなければ心配させる」
「心配、させる?」
「いくらあいつ等でも、気を逸らしていて勝てる相手じゃないはずです。俺のわがままにあの2人を巻き込む訳にはいきません。
 はやても目覚めていれば気に病むでしょう。元居た世界を模倣している場所に俺が留まっていると知れば尚更」

 その答えを聞いた士郎は、突きつけたままになっていた小太刀を鞘に納めた。
 やっぱり恭也は解放されていなかった。予想していた事ではあるが、やはり突き付けられれば胸が締め付けられた。

248 小閑者 :2017/11/04(土) 12:00:56
 自分自身を肯定出来ない。自分の価値を信じられない。
 遊ぶ事も笑う事も出来ずに戦う力を練り続ける、そんな子供が健全である訳がない。
 ずっと、何とかしたいと思っていた。専門家にも相談したし、出来る限りの手は尽くした。その甲斐あってか、実際に以前よりは余程マシになったと思う。時間さえあればきっと回復出来る、そう信じられる兆候もあるのだ。

 時間さえ、あれば…

 光が溢れ、道場の壁すら見えなくなった周囲を睨みつけることしか、士郎には出来なかった。
 自分の無力さに絶望するのは何度目だろうか?
 結局、恭也を泣かせてやることすら、出来なかった。

「…済みません」
「ッ!
 ッカヤロウ!何でおまえが謝るんだ!?」
「この世界があれば、あなた達も…」
「やめろ!
 お前が気に病む必要なんか無いんだ!ここは夢の世界だ!儚く消えて当然だろうが!」
「だけど!」
「うるせー!
 だいたい、なんで敬語なんか使ってんだ!?」
「っ!」

 話を逸らそうととっさに口にした言葉に恭也が息を呑んだ。意外な態度に士郎が怪訝な顔を恭也に向けると、逆に顔を背けた恭也が言い辛そうに口を開いた。

「…父は死にました。俺を庇って死んだんです。
 俺はあの人以外を“父さん”とは呼びたくありません」

 呼びたくない。
 義務でも、理屈でもなく、感情を基にした拒否。
 命を賭して守ってくれた父親の代わりなど望むつもりは無いということか。
 あるいは、ここにいる不破士郎を父親と認めることで、二度も今生の別れを体験したくないのかもしれない。
 他人のためにたくさんの物を譲った後ではあるが、少しは自分の感情を省みようとしている。そのことに少しだけ安堵した。
 …それが父親への思慕であるのは、気恥ずかしくはあるが。
 まったく。口は達者になってきたと思っていたが、こういう場面では結局素のままか。こいつの恋人になる女の子は苦労するな。
 そんな思考で何とか気を逸らす。男親として別れ際に涙を流すような真似だけは絶対に出来ない。

 ふと、良く似た他人というシチュエーションの方が伝えなくてはならない言葉を口にし易いことに思い至った。
 気付くと恭也の顔も光に埋もれて霞んでいる。もう、時間がない。伝えるべき事を伝えなくては。

「恭也君」
「っ!」
「何かの縁で俺の息子に会うことがあったら伝えて貰えないか?」
「…何を、ですか?」
「別れ際に“死ぬな”なんて後ろ向きな事言っちまったから訂正したかったんだ。
 幸せになれって」
「!」

 驚きに恭也が自分の視線を正面から受け止めていることを霞む視界の中で確認すると、ありったけの想いを込めて言葉を足した。

「無理に生きろとは言わないし、生きるために辛い思いをしろとも言わない。
 ただ、振り返って幸せだったと思えるように、自由に生きろ」
「…と、とうさ」

 言葉の途中で恭也の存在がこの場から消えた。そのお陰で醜態を晒さずに済んだ事に、士郎は僅かに安堵した。

249 小閑者 :2017/11/04(土) 12:02:18
 恭也の消失と同時に恭也の記憶を核として構成されていたこの世界の崩壊が加速していく。
 士郎は自分の存在も霧散していく事に気付いていながら、拘泥することなく背後の気配に穏やかな声を投げかけた。

「悪いな、俺ばっかり」
「狡い、と言いたいところだけど、恭也くんの御指名じゃあしょうがないな」

 士郎の言葉に、居並ぶ一同を代表して静馬が答えた。

「お兄ちゃん、幸せになるよね?」
「うん、きっと大丈夫。
 一人では無理だとしても恭也を幸せにしてくれる子が居るみたいだしね」

 恭也との別れに涙を流す美由希は、自身の消失を自覚しながら一心に恭也を案じていた。
 悲しみ、傷付いた恭也を幸せにしてあげたい。美沙斗はそう打ち明けてくれた愛しい娘を背後から抱きしめる。

「恭ちゃんみたいな息子を生みたかったのになぁ、ざーんねん」
「来世では一緒にその夢を叶えよう」
「えぇー、来世では恭ちゃんのお嫁さんの方が良いなぁ」
「そりゃないよ、琴絵さーん」

 形を失いながらも変わらない一臣と琴絵のやり取りに苦笑しながら、士郎がこの場を去った恭也に語りかける声を最後に、全てが光の中に融けていった。

「じゃあな、恭也。
 思うままに、自由に生きろよ」








続く

250 小閑者 :2017/11/04(土) 12:14:22
第23話 夜明




「バスター!」
【Divine buster, extension】

 愛らしい顔立ちを凛々しいと呼べるほど引き締めた栗色の髪をした少女の、子供特有の高い声が響き渡る。紡がれた言葉と共に放たれた女の子らしい桃色をした一条の光は、それらとは裏腹に莫大な威力を秘めて虚空を貫く。
 地球上に住まう生物が単体で発揮するには明らかに異常で過剰な威力を持つその攻撃は、しかし、標的にされた銀髪の女性が翳した右掌に届くことなく、僅かな空間を置いて鬩ぎあっていた。
 生半可な威力ではないことは、その炸裂音から容易に想像出来る。それでも、翳した掌に揺らぐ様子は無い。
 その構図は、単純であるが故に、2人の実力差を如実に顕していた。このままどれだけの時間を費やしたとしても、銀髪の女性に攻撃が届くことは無いだろう。
 それを理解しているからこそ、闇の書の管制人格である銀髪の女性に動揺はなく、それを理解していて尚、攻撃を防がれているなのはにも焦燥は浮かばない。
 どれほど実力差を突きつけられたとしてもなのはには焦る必要はないのだ。彼女には心強い仲間が居るのだから。

「ハーケンセイバー!」
【Haken Saber】

 闇の書の直上からなのはが信頼を寄せる金髪の少女が、近接武器の射程からほど遠い距離から光刃の鎌を振り抜く。
 柄から分離した光刃が高速回転しながら襲撃してくるのを視界に捕らえながらも、なのはの攻撃を防いでいる闇の書には回避行動をとることは出来ない。それでも、彼女はその怜悧な美貌を歪めることなく空いている左手を上空へと翳した。

「盾」
【Panzerschild】

 闇の書が展開した盾は顕現するのと同時に光刃と接触、回転鋸のように激しく音と光をまき散らしながら拮抗し、しかしなのはの砲撃同様、盾を切り裂くことは叶わず、光刃は彼方へと弾かれた。
 だが、そうなることは承知の上。
 腰まである金髪をはためかせながら光刃を追って間合いを詰めていたフェイトは、デバイスに再展開した光刃で直接闇の書の盾に切りつけた。同時にバルディッシュが自律で光刃を強化する。

【Haken Slash】

 AAAランクとSランクという階級差がある以上、一対一で出力を競っても勝ち目など無い。だが、なのはとの二面からの同時攻撃であれば、力を分散させざるを得ないはず!

「甘く見られたものだな」
【Schwarze Wirkung】
「!?」

 小さな呟きを耳にした事で意識を眼前のシールドから闇の書に移したフェイトは、彼女の右腕に収束する魔力に気付いて思わず息を飲んだ。

251 小閑者 :2017/11/04(土) 12:16:48
 シールドの発動に“手を翳す”というアクショントリガーを設定する者はまずいないため、その行為には術者のイメージ補強以上の意味は無い。フェイトはそれを承知しているから翳していた手を動かせる事を不思議には思わなかったし、いかにもオーソドックスな射撃型の闇の書が近接攻撃を選んだことに驚いている訳でもない。
 今、闇の書が展開しているシールドは一つのシールドの防御面を広げたものではなく、明らかに二つの独立したシールド魔法を起動したものだ。そこにさらに魔力付与、しかも疑うまでもなく属性か効果付加の込められた高度なものを発動した。
 いくらマルチタスクが魔導師の基本技能と言っても、既に常駐型の魔法として、バリアジャケットを纏い、恭也を内部空間に閉じ込めているのだ。その状態で飛行魔法とAAAの攻撃に揺らぎもしない高出力のシールドを二つ展開しているのに、更に高度な魔法を追加出来るなんていくら何でも反則だ。

 それは、魔力保有量や瞬間放出量も去る事ながら、人間は勿論、ハイスペックを誇るバルディッシュやレイジングハートを圧倒するほどの演算処理能力をこの魔導書が持っている事を示していた。

 フェイトが動揺を表した瞬間、闇の書はフェイトに向けていたシールドを消去し、体の流れたフェイトの光刃を躱しながら位置を入れ替えて右拳を振りかぶった。
 とっさにバリアを展開しながら、引き寄せたバルディッシュで拳を受けようとしたフェイトの反応速度は評価に値するだろう。同時に闇の書の背面側から十数発の桃色の光弾が飛来した。魔導師としての常識が身に付いていないがために闇の書の魔法の同時起動に動揺しなかったなのはが砲撃を中断して放ったアクセルシューターだ。
 だが、読み合いには闇の書に一日の長があった。
 なのはの砲撃が終了すると、闇の書は即座にシールドを消去してバリアを纏う事でなのはの誘導弾を受け流した。そのまま威力増加の他にバリアブレイクの効果を付与した右拳をフェイトに向かって振り下ろす。

 バキーン!
「っぁあああ!」

 硬質な破砕音を周囲に響かせながらバリアを破壊、デバイス越しにフェイトを海中まで弾き飛ばした。

「フェイトちゃん!」
【マスター!】
【Blutiger Dolch】
 ドドドドン!
「きゃあああ!」

 起動から発動、更には弾速までが高速のこの魔法は威力こそそれほど高くないが、堅いシールドを張れるなのはには極めて有効な攻撃手段と言える。
 反応速度を上回る攻撃を受けたなのはは、フェイトの様に回避する事もシールドを展開する事も出来ず、バリアジャケットと持ち前の抗魔力で耐えるしかない。
 ブラッディダガーの着弾により発生した爆煙が消える間もなく、追い打ちを掛けようと飛翔した闇の書だが、なのはに接近する事は叶わなかった。

「ファイアー!」
【Plasma Smasher】
【Panzerschild】

 電撃の特性が付与されているため弾速の速いプラズマスマッシャーをシールドで受けた闇の書は心中で舌打ちする。

 あの砲撃を放つためのチャージ時間を稼げたということは先ほどの拳打を受けた直後、それこそ吹き飛ばされながら術式を構築していた筈だ。それはつまり、拳打が効いていなかったということだ。
 原因は拳打を放つ直前に受けたなのはの誘導弾だろう。当然の様に対処して見せたが、あれを受けるのにリソースを裂かれて拳打の威力が落ちたのだ。
 戦闘開始直後には、1人+1人対1人だった戦いは、2人が急速に連携を高めていくため2対1の様相を呈してきた。
 勘も鋭く飲み込みも速い。戦闘経験によるアドバンテージは、2人の連携の上達とともに急速に縮められている。
 何故だ?
 恭也を吸収してから努めて動かしていなかった闇の書の表情が僅かに険しくなった。


<大丈夫、なのは?>
<うん、フェイトちゃんは?>
<私も平気>

 離れた位置から念話で互いの状態を確認したなのはとフェイトは、視線を交わすまでもなく相手が苦笑を浮かべている事が想像出来てしまい、一層笑みが深くなった。
 大丈夫な筈はないし、平気でいられる筈もない。
 完膚無きまでの空元気だ。
 それでも、はやてを助け出すのだ。恭也を取り戻すのだ。なら、泣き言など口にする訳にはいかない。
 その想いが揺らいでいない事は確認するまでもなく分かっていた。

252 小閑者 :2017/11/04(土) 12:19:57
<カートリッジ残り18発。
 スターライトブレーカー、いけるかな…>
<手はあります>
<レイジングハート?>
<エクセリオンモードを起動して下さい>
<え!?ダ、ダメだよ!
 フレーム強化が済んでないのにエクセリオンモードを使ったら、私がコントロールに失敗したらレイジングハートが壊れちゃうんだよ!?>
<失敗しなければ壊れません>
<それはそうだけど!>
<彼なら>
<!>
<引くことの出来ない戦いで、失敗を恐れて有効な手段を出し渋ることは無いでしょう。
 無謀な蛮勇に終わるか、勇気ある決断となるかはマスター次第です。
 私はマスターを信じます>
<レイジングハート…。
 うん、私もレイジングハートを信じるよ>


<バルディッシュ…>
<ご随意に>
<!
 …無謀かも、しれないんだよ?>
<どれほど無謀に見える行いであろうと、彼は仲間の信頼に応えるために微塵も躊躇することはありませんでした。
 私もあなたの信頼に応えて見せます>
<…ありがとう、バルディッシュ。
 …行くよ!>
<イエッサー>

 闇の書の視線の先で、幾らかの距離を隔てたなのはとフェイトがそれぞれのデバイスを構えた。
 あれは何かを決意した顔だ。それが分かるからこそ闇の書も気持ちを引き締め、覚悟を決める。
 出来れば恭也が大切にしている存在を傷付けることは避けたかったが、いつまでもこの2人の相手をしている訳にはいかないのだ。限られた残り時間で主の願いを叶えなくてはならない。

「レイジングハート!エクセリオンモード、ドライブ!」
【Ignition】
「バルディッシュ!フルドライブ!」
【Yes, sir.
 Zamber form】

 レイジングハートが槍の様な攻撃的で鋭角なフォルムに、バルディッシュが幅広の剣身を持つ光の大剣に、それぞれ変形するのを見ても闇の書に動揺はなかった。
 この場面で形状を変化させたなら、それはより攻撃に突化するためであることは容易に想像出来る。だが同時に、今まで出さなかったと言う事は、その形態に何かしらの問題を抱えているという事でもある筈だ。

 なのはが闇の書に向かって構えたレイジングハートの各所を環状魔法陣が包む。威力強化や精度向上を目的としたそれらがゆっくりと回転する。
 1対1での戦いであればあり得ない、長いチャージタイムも今は気にする必要がない。
 なのはの期待に応えるように、何の合図も無くフェイトは闇の書に向かって一直線に飛翔した。
 砲撃の準備を進める無防備ななのはに攻撃が向かえば斬り払わなくてはならないため、その進路は2人を結んだライン上だ。もっとも、直線的なスピードこそ速いが恭也のような躱し方が出来ないフェイトには、攻撃に晒される時間の短くなるその経路は危険を軽減する意味も含まれている。
 だが、フェイトにどのような思惑があろうと、闇の書にとって回避という選択肢を持たない正面からの突貫など絶好の的以外の何物でもない。

【Photon lancer, genocide shift】

 感情を排した機械的な音声により魔法が起動し、闇の書周辺を数十の光が煌めいた。
 それが、自分の持つ魔法の中でトップクラスの威力を持つフォトンランサー・ファランクスシフトの改良版であることを察したフェイトは戦慄した。
 フェイトがその魔法を使うには詠唱を必要とするし、弾丸の発射台となるスフィアを形成するのにも時間を要する。それを無詠唱で、しかも即座にこれだけの数のスフィアを形成したと言う事は、魔力量や演算速度の違いだけではなく、術式そのものが大幅にアレンジされている筈だ。
 全ての面で上回れるほどオリジナルである自分の魔法も杜撰ではないと思っているが、だからと言って速度や数だけの豆鉄砲だとは思えない。
 背後にはなのはが居る。回避はあり得ない。取り得る手段は迎撃のみ!

「間に合え!
 撃ち抜け、雷神!」
【Jet Zamber】

253 小閑者 :2017/11/04(土) 12:23:19
 闇の書の射撃に僅かに遅れて発動した、結界・バリア破壊の効果を付与した魔力刃をフェイトが駆け抜け様に降り抜いた。
 斬撃の前段として放つ衝撃波を省略したし、斬撃そのものも射撃やバリアに相殺されて威力の何割かを削られている。結果、闇の書の強固なバリアを斬り裂くことには成功したものの、本人は僅かに体を折ってはいても大きなダメージを受けている様子はない。対してフェイトは被弾しながら斬撃を放ったため、受けたダメージは決して小さくはない。
 だが、それで十分。

「エクセリオン バスター!」
【Excellion Buster」

 フェイトの援護を無駄にする事なく、なのははバリアを失った闇の書に向かって間髪入れずにこれまでで最大の砲撃を解き放った。
 直撃。
 桃色の砲撃は闇の書を飲み込み、魔法防御が働かなかった証として一瞬の拮抗もなく駆け抜けた。なのはの渾身の砲撃は、照射の終わり際に激しい光と音を伴って爆発した。

 煙で視界の利かない爆心地を警戒しつつ、切り払えなかった闇の書の直射魔法の痛みに顔を顰めたフェイトが煙を迂回しながらなのはと合流した。
 なのはも高威力の砲撃による消耗から肩で息をしながら闇の書の居た空間を油断なく見つめていた。

「はあ、はあ、なのは、どう?」
「はあ、文句無しのクリーンヒット。これで駄目なら…」
【マスター!】
【高魔力反応!】

 噴煙の中で高まる魔力を関知したデバイス達がそれぞれに警鐘を鳴らした。
 言葉を切って周辺の異常を探る2人の目に周囲の煙を押し退けて膨れ上がる黒い光球が映る。攻撃が来たのかと身を強ばらせた2人だったが、予想に反して急速に光球が萎んでいく事に困惑し、次の瞬間脳裏を過ぎった閃きに2人同時に戦慄した。

「空間攻撃!」
「フェイトちゃん、私の後ろへ!」
【Round shield】
【Diabolic emission】

 フェイトを背後に匿ったなのはがシールドを展開した直後、恒星の爆縮の様に高密度に圧縮された魔力が闇の書を中心に放射状に爆散した。
 強度に定評のあるなのはのシールドが軋むほどの凄まじい圧力に、表情を歪めながらもなのはは必死に耐える。シールドに添えた左手のバリアジャケットが破れていく様子が、その攻撃の威力を物語っていた。
 全てを閉ざそうとする闇の浸食と、それすら攻撃だと言わんばかりの轟音に耐えきり、疲労からバランスを崩すなのはと彼女を支えるフェイトは、共に息を乱したまま夜空を振り仰いだ。
 長い銀髪を靡かせ悠然と佇むその姿と、落ち着き払った静かな表情には、些かの陰りも見つけられない。
 2人掛かりでの、理想的と言っても良いほどの攻撃だった。にも関わらず、得られたのは僅かに衣服に煤を付けたという結果のみ。

「…ハァ、ハァ、ハァ
 フェイトちゃんがバリアを壊してくれてたから、大した防御は出来てなかった筈なのに」
「…魔導師ランクが一つ違うだけで、ここまで圧倒的な差が生まれるの?」

 ポツリとこぼれたなのはの呟きに、フェイトも追随するように言葉を紡いだ。
 疲労は蓄積し、再三に渡り受けてきたダメージも無視出来ないものになってきた。対して闇の書には有効と言えるほどの攻撃を与えることが出来ていない。
 何時、徒労感に押し潰されたとしても何の不思議もない状況だった。

 それは闇の書が意図的に2人の思考を誘導して出させた答えだ。そう印象づけるために開戦当初から実力差を示すような戦い方をして見せてきたのだから。
 自らの攻撃はその種類や属性を知られても防ぎきれない威力を、速度を、性質を持たせて散々に撃ち据えた。
 2人の攻撃は妨害せずに、撃たせた上で強固な防壁で弾き、対を成す属性で防ぎ、固有の特性を突いて封じて見せた。
 最後のバリア破壊から繋がる砲撃の被弾には想像以上のダメージを被ったが、爆煙がブラインドになったお陰であの2人にはダメージを受けた様子を隠し通せた筈だ。想定外の事態ではあったが、結果的には“バリアさえ抜ければ”という希望を砕くための演出になっただろう。
 ヴォルケンリッターがこの2人のリンカーコアを蒐集してるため、闇の書は2人にはそれぞれ奥の手とも言える魔法が残っている事を知っていた。だが、威力の分だけチャージタイムの長いその魔法を悠長に使う暇があるとはどちらも思ってはいないだろう。
 つまり、サポートの期待出来ない今の状況では、間違いなく先ほどの攻撃が一・二を競うほどの威力を持つ攻撃だった筈だ。更に言うなら同じ手が二度通じるとは思っていまい。
 それなのに、何故?

254 小閑者 :2017/11/04(土) 12:25:58

「何をしても効かないんじゃないかって、思えちゃう」
「うん。
 万全のなのはの砲撃に耐えきるなんて。
 こう言うのを絶望的、って言うんだろうね」

 なのはの砲撃に晒されても表情を変えなかった闇の書が僅かに顔をしかめた。
 当然だろう。
 彼女が意図した通りの弱音ともとれる2人の言葉は、不退転の決意を固めた表情や、意志力を漲らせた瞳で口にするものでは無いはずなのだから。

「恭也はこんなにも、ううん、きっとこれ以上の実力差を感じていたのに、少しも諦めようとしなかったんだ…」
「凄いね。
 いくら恭也君の戦い方が魔法に頼らないものだからって、闇の書さんの力が低くなる訳じゃないのに。
 私たちも、もっと頑張らなきゃだね」
「うん。
 2人掛りなんだ。恭也には負けられない」

 大きくはない声。強くはない口調。それでいて溢れ出すほど力を秘めた言葉。
 自分に向けられた訳ではないその言葉を聞いて、闇の書が諦観と共に納得した。いや、再確認したと言うべきか。
 恭也がアースラに身を寄せていた僅か約半月の間、この2人はずっと恭也の姿を追い、その目に焼き付けてきたのだろう。遠く離れても見失ったりしないほど、しっかりと。
 そんな2人が力に屈して意志を曲げる筈などないではないか。





     * * * * * * * * * *




「…眠い」

 泥の様に纏わり付いてくる眠気に抗いながら、はやてが辛うじて薄く目を開けた。
 目に映るのは見た事も無い空間。
 長年馴染んできた感触から車椅子に座っている事は察する事が出来たが、寝惚けているためか座っているのか倒れているのかも分からない妙な浮遊感を感じる。

「ここは…?」
「夢の中です」

 何とかして状況を把握しようとするはやてに声を掛けたのは見知らぬ女性だった。
 銀髪紅眼の整った顔立ちの美しい女性。季節を無視したぴったりとしたノースリーブを押し上げる胸元は羨ましい限りだ。

「ここは安全です。
 安らかにお眠り下さい」

 その言葉はまるで子守唄の様にはやての中に染み渡った。





     * * * * * * * * * *






「…恭也の、ためか」

 闇の書がポツリと呟いた。
 内容そのものより突然口を開いた闇の書に面食らいながらも、目的を見失う事無く2人は即座に会話に応じた。力で屈服させる必要など何処にも無い。

「うん、必ず助け出すよ。
 恭也君も、はやてちゃんも、そしてあなたも!」
「2人は私の中で眠りについている。永遠に醒めることのない静かな眠りの中で幸せな夢を見ている。
 それを無理矢理起こす権利などおまえ達には無いはずだ」
「どんなに幸せな夢でも、優しい夢でも、やっぱりそれはただの夢だ。
 夢はいつか必ず醒める。醒めなくちゃいけないんだ。
 眠り続けていたとしたら、それは生きてるとは言えない」
「生きていれば辛いことや悲しい事はいっぱいあるよ。
 それでも、はやてちゃんも恭也君も眠ったままで良い筈がない。
 辛いことでも立ち向かわなきゃいけない時が必ずくる」

 どんな攻撃にも無表情を貫いてきた闇の書が顔を顰めたのが見えた。闇の書自身も自分の行動に非があると考えているのだろうか?

255 小閑者 :2017/11/04(土) 12:28:43
「…綺麗事だ。
 おまえ達には、無いのか?
 心が壊れてしまうほどの、人の悪意に晒された事が。
 何も感じることが出来なくなるほど、凄惨な事故に遭遇した事が。
 …全てが夢であって欲しいと願わずにいられないほど、自分の“全て”と言える存在が理不尽な死を遂げる様を見せつけられたことが!」

 熱を帯びていく闇の書の言葉に息を飲む。

 フェイトには、あった。
 半年前、母と慕った女性の言葉にボロボロに傷付けられた挙げ句、自分を見捨てて遠くへ旅立たれた事が。
 あれが母の悪意であったとは今でも思いたくはないが、そのことで逃避し、自らの内に閉じ籠もった事があるのは事実だ。短時間で戻ってこられたのは、あのまま逃げ続けていたら本当に母を失ってしまう状況だったからだ。

 自身の事として愛する家族の死を想像しただけで泣き崩れたなのはにも、反論の言葉など無かった。先ほどの言葉は、事実ではあっても理想論であり、感情を無視した机上論でしかない事は自覚している。

 家族の死を鮮明に思い出したために狂ったように壁を殴り付ける姿も、その夢に魘され絶叫と共に跳ね起きる姿も、闇の書の起動を阻止出来ず絶望の叫びをあげる姿も。
 感情を押し殺す事に長けた恭也が耐え切れずに感情を爆発させている姿は2人の目に鮮烈に焼き付いて離れることはない。
 本来は理屈や気休めなど軽々しく述べて良いものではないだろう。

「…その辛さは、知ってるよ。
 同じだなんて言わないけど、心が壊れそうになる経験は私にもある」
「…私は、無いかな。
 想像しただけで、泣き出しちゃった位だもん。本当にお母さん達が死んじゃったら、たぶん、耐えられないと思う」

 フェイト達の同意の言葉を聞きながらも、闇の書は苛立ちに歯をかみ締める。どちらも表情を歪めてこそいるが、戦闘態勢を崩していない事は一目で分かるからだ。

「だけど!それでも恭也がはやてを見捨てて夢に浸ってるとは思えない!」
「闇の書さんだって知ってるでしょ!?恭也君なら絶対に夢から抜け出すために必死に努力するに決まってるって!
 だから、私たちは諦めないよ!」
「全部が終わって、どうする事も出来なくなるその瞬間まで、私たちは恭也と一緒に頑張るって決めたんだ!」

 その、恭也を神聖視するかのようなフェイト達の言葉に闇の書の苛立ちが募る。

 そんな事は知っている。
 はやてのためであれば、それどころかこの少女達のためであったとしても、恭也が自分の様々な物を押し殺してしまえる事くらい、言われなくても分かっている!
 誰にも認められなくとも、誰から非難されようとも、助けると決めた相手の為ならたとえ独りになろうとも絶対に諦めたりしない。
 そんな恭也だからこそ、誰かが守ってやらなければならないというのに!

「…お前達のその過度の期待が恭也を苦しめている事が何故分からない!?
 恭也は聖人でもなければ超人でもないんだぞ!
 親しい者の死には悲しむし、自分の無力に苦しみもする!
 …もう十分だ。
 主はやても、恭也も、これ以上苦しむ必要などない!」

 初めて感情を露にする闇の書に驚くと共に、拳を震わせ声を荒げながら叩き付けられた言葉になのは達も表情を歪める。その言葉が確かに恭也の一面を表している事は知っていたからだ。

256 小閑者 :2017/11/04(土) 12:30:04
「…知ってるよ。
 恭也が悲しむ姿も苦しみもがく姿も何度も見てきたから…。
 でも、だからって恭也に『見捨てろ』なんて、『後で傷付くから関わるな』なんて、言える訳無いじゃない!」
「どんな夢か知らないけど、恭也君が夢とはやてちゃんを比べてどちらを選ぶかなんて、あなただって分かってるんでしょ!?
 恭也君が、何も出来ずに全部が終わっちゃう事を一番怖がってるのを知らないの!?」
「そんな事くらい知っている!
 恭也に見せているのは家族の夢だ。恭也の記憶から再現した、失ってしまった恭也の世界の、本当の家族だ。
 勿論、死んでしまった事実も、この世界に飛ばされた事も、この世界で過ごした一切の出来事も、全て記憶に封印を掛けた。
 周囲の人間の誰も危険な目に遭わず、穏やかに生涯を過ごす、覚める事の無い夢。この夢の中でなら恭也は幸せに過ごす事が出来るんだ!」

 恭也は親しい者が傷付く事を看過出来ないからこそ、戦闘技術を身に付けた。
 身に付けていく上で、技術の向上を喜ぶ事はあっただろう。だが、決して人を傷付ける事を、力を振るう事を良しとしている訳ではない。身に付けた技能を発揮する機会など無いに越した事はないと考えているはずだ。
 誰も傷付く事無く、危険な目にも遭わない。そんな理想的な世界でなければ、恭也が穏やかに過ごす事など出来ないだろう。

 ここまで明かせば少女達も納得せざるを得まい。
 そう確信していたからこそ、顔色を蒼褪めさせた2人を見て訝る。
 どちらも納得した顔には見えない。
 だが、闇の書にはそのことを追求する余裕は無くなった。




     * * * * * * * * * *




「何故ですか?主はやて」

 必死に眠気を振り払い意識を繋ぎ止めようとするはやてに、闇の書の管制人格は悲哀と困惑に顔を歪めて語りかける。

「あなたの望みの全てがそこにあります」
「私の、望み…?
 私は、何を望んでたんや…」

 途切れそうになる意識で考えを纏めようとするはやてに、暗示を掛ける様に、思考を誘導する様に言葉を重ねる。

「皆と一緒に幸せに暮らす事。健全な体で、自分の足で歩く事です。
 そこにはあなたを傷付ける存在はありません。
 お眠りを、主はやて」

 ヴォルケンリッターと恭也、家族みんなでずっと一緒に幸せに暮らしていく事。それは、確かにはやての望みだ。
 それでも、はやては緩慢な動作ながら首を左右に振る事でその言葉を否定した。

「…それでも、それは夢や。ただの、夢や」

 外に居る2人の少女と同じ結論。それは幼さからくる純粋さだ。
 だが、その言葉を肯定出来ない理由のある彼女は、はやてを傷付ける事を承知しながら最も残酷な切り札を切った。

「…死ぬかも、しれないのですよ?」
「!?」
「現実の世界では、あなた自身は勿論、あなたが愛する周囲の者達の誰かが命を落とす可能性があるのですよ?
 守護騎士の4人が再召喚出来る事は既に御存知でしょう。
 ですが、…」

 言葉が途切れた。
 それがどれほどはやてを傷付けるか分かるからこそ、躊躇した。
 だが、突きつけなくてははやてが納得する事はないだろう。

「ですが、恭也を生き返らせる事は、出来ません」
「…あ、恭也、さん
 恭也さん、恭也さん、きょうやさん…」

 恭也の名前を呟きながらボロボロと大粒の涙を零しだしたはやてを直視出来ず、顔ごと視線を逸らす。

257 小閑者 :2017/11/04(土) 12:32:02
 自分がどれほど卑怯な事をしているかは理解している。
 恭也は生きている。それを知っていながら、ここに留めるためになのは達の偽者に殺されたと思い込んでいるはやてに態と誤解させるような言い回しで突きつけたのだ。
 だが、事実でもある。恭也が戦う人間である以上、絶対に切り離す事の出来ない可能性なのだ。
 第一、はやてが現実世界に復帰したとしても、恭也は夢の中から戻る事は無いのだ。恭也の見ている夢の内容を知れば、はやても無理矢理起こしたりする事は無い筈だ。

「…それでも、…ううん、だからこそダメや…」
「…え?」

 はやての言葉に思わず振り返ると、涙を流し続け、悲しみに顔を歪めたままの瞳に見据えられた。
 その瞳に気圧され、微動だに出来ずにいると、はやては歯を食い縛りながら言葉を搾り出した。

「恭也さんは、私を生かすために戦ってくれた。
 危険なんは承知しとった筈やのに、何も躊躇せずに立ち向かってくれた。
 なら、私が逃げ出す訳には行かへん!
 恭也さんが命懸けで助けてくれた私は、立派にならなあかんねん!
 恭也さんが無駄死にだったなんて誰にも言わせへん!思わせへん!
 皆が恭也さんに感謝したなるくらい、私は立派になったるんや!!」

 徐々に大きく力強く告げられるそれは、生きる上での制約であり、生きるための成約であり、自分自身への誓約だった。

<…辛いぞ、その生き方は>
「かまへん!私はそれだけの事を恭也さんにして貰ったんや!」
「…恭也!?」
「恭也さん、見とってや!絶対、恭也さんが命懸けで助けてくれた事を誇れるような人間になって見せたる!」
<まあ、程々にしておけ。
 逆説的に、はやてが誇れるほどの人間になったら俺は命を投げ打たなくてはならなくなるからな>
「馬鹿な、どうして…」
「何言うとんの、志は高くないといかんやろ!?…て、あれ?」

 ナチュラルに掛け合いへと雪崩れ込もうとする自分に気付いたはやてが虚空を見上げる。
 そこには相変わらず何もなかった。

 空耳?聞きたくて仕方なかった自分が作り出した幻聴?

 視線を下げると驚愕を顔に貼り付けた女性の顔が映る。どうやら聞こえたのは自分だけでは無いようだ。
 覚醒した時に得た知識が彼女が魔導書の管制人格であることを抵抗無く受け入れたはやては、最大の疑問を勇気を振り絞って口にした。

「今の、まさか、…恭也、さん」
<ふむ、ちゃんと声が届いているようだな。
 念話まで使えるとは知らなかった。随分詰め込んでくれたようだな。おやっさんに感謝しなくては>
「あ、ああ、恭也さん…、恭也さん恭也さん!
 どこ!?どこにおるの!?」
<落ち着け。俺に空間を渡る技能は無い。
 おい、何時までも呆けてないで何とかしてくれ>
「あ、なあ、あんた、恭也さん、ここに呼べるの?」
「…え?」

 新たに流れる熱い涙で頬を濡らしながら、恭也の声に促されて問い掛けてきたはやてに対して、呆然としていた彼女は完全に虚を突かれた反応を返した。
 恭也があの夢を拒絶して現実へと戻ってくる事など、有り得ないと思っていたのだ。

「…あ、す、済みません。この空間は独立しているため恭也の居る空間と繋げる事は出来ません」
「あ、そ、そうか」

 喜びに溢れていた表情を翳らせたはやてを見て心が痛む。
 そして、同時に自身を嫌悪すら通り越して憎悪する。はやての顔を曇らせるのは自分なのだ。自分がこれから犯そうとしている罪は、たった今はやてと恭也を隔てている事すら生温い、軽蔑、あるいは恨まれ憎まれすらする事なのだ。

<おい、もう時間が無いじゃないのか?
 俺達を外に戻せ>
「時間?…えーと、私ももう夢に逃げる気は無い。戻せるんやろ?」
「…出来ないのです」
「え?」

 涙を零しながら震える声で告げる管制人格をはやてが見つめる。
 隠し切れないと観念したのか、はやてに跪きながら声を震わせたまま言葉を重ねる。

258 小閑者 :2017/11/04(土) 12:36:59
「過去に改編された、魔導書に記述されている自動防御プログラムが暴走を始めました。
 今現在、私の持つあらゆる権限が奪われ続けています。
 もう、私には暴れだした顕現している実体を制御する事が出来ません。
 あなたに平穏に暮らして貰う事を望んでいるのに、あなたを喰らい尽くす自分を止められないのです」

 彼女の言葉を引き金にはやての持つ知識が引き出される。
 現状と、これから迎えるであろう限りなく現実に近い未来予想。
 その、知識から与えられる不可避という結論に顔色をやや蒼褪めさせながらも、涙を流す管制人格を見つめながらはやては口端を持ち上げて見せた。

「諦めたらあかん。
 マスターは私や。
 マスターの言う事は聞かなあかん」
「無理です。
 暴走した防御プログラムが邪魔をして管理者権限を使用出来ません」
<外に出てる奴だな?
 高町とテスタロッサが揃ってるならどうとでもなるだろ>
「加減していた私にすら太刀打ち出来なかったんだぞ。
 あの2人には無理だ」
<さっきから否定の言葉しか出ないな。
 問題ない。あの2人なら大丈夫だ>
「2人って、なのはちゃんとフェイトちゃん?
 …信頼、してるんや?」
<そう大袈裟なものじゃない。近くに居た分、知ってるだけだ>

 はやての表情を見られない恭也は、話を切り上げてしまった。
 こんな時だと言うのに無条件の信頼を見せる恭也に拗ねて見せるはやてが愛しくて仕方が無い。両頬を挟む様に添えられた掌の温もりを意識して、更に涙が頬を伝う。
 失いたくない。
 その想いが募り、涙となって溢れていく。





     * * * * * * * * * *





 恭也の記憶を封じた上で、失った家族と共に暮らす幸せな夢を見せている。
 なのはとフェイトは闇の書の放った言葉が浸透するに従って、顔から血の気が引いていく事が自覚出来た。

「…なんて、ことを…」

 その言葉を零したのがどちらだったかは意味が無いだろう。

 恭也にとって、それが理想の世界である事は理解出来る。
 だが、それでも認める訳にはいかなかった。
 いくら恭也を傷付けないためだからといっても、自由に羽ばたく翼をもぎ取って、籠の中に閉じ込めるような真似を認めるられる訳がないではないか!

 不自由さは、自分で選ぶ事無く思考を停止させて過ごせる、と言う面において“楽”だ。
 選択の余地も無く、ただ、目の前に提示された目標を達成する事だけを考えて過ごす生活を選ぶ者が決して少数ではない事実がそれを示している。
 だが、その気持ちを理解出来ないくらい少女達は気高く純粋であり、その怠惰を許容出来ない程度には、幼かった。
 それでも、恭也がどれほど家族の死に心を痛めていたか知っている2人を怯ませるには、その言葉は十分な威力を持っていた。現実世界に戻るために記憶と寸分違わぬ家族を自ら切り捨てなくてはならないなど、どれほどの苦しみを伴うか想像も出来ない。
 しかし、時間は待ってくれない。
 力の暴走までのタイムリミットは確実に迫ってきているのだ。今立ち止まれば全てが手遅れになってしまうかもしれない。

「…ダメだよ、そんなの!
 いくら守るためだからって、そんな世界に閉じ込めて良い筈なんて無い!」
「恭也は観賞用のペットじゃない!
 恨まれても構わない!
 力ずくでも助け出す!」



<頼もしいじゃないか。言葉が省けて何よりだ>

259 小閑者 :2017/11/04(土) 12:39:29
 唐突に語り掛けてきた念話になのはもフェイトも思考が停止した。
 それは、姿を消してからずっと聞きたかった声。

 もしかしたら、消滅して2度と会えないのではないか。
 もしかしたら、封じられた記憶が戻らず夢の世界から戻って来ないのではないか。
 もしかしたら、記憶を取り戻しても辛い現実に戻る事を放棄するのではないか。
 もしかしたら、現実に戻る手段が見つからないのではないか。
 もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら…

 必死になって抑えてきた不安が溶けて消えていき、安堵と歓喜が代わりに溢れてきた。

「きょう、や、くん?」
<待たせたか?>
「…恭也、なんだね?」
<他の誰かの声に聞こえるのか?>

 なのはとフェイトが聞き間違える筈が無い。
 その惚けたような台詞も、普段通りの口調も、間違いなく八神恭也のものだった。

<いつまで寝惚けている積もりだ?
 はやても目を覚ました。さっさとケリを付けるぞ>
「うん!」
「…恭也、あの、…大丈夫、なの?」
「あ…」

 恭也が無事だったと言う事に安堵したなのはが失念していた、恭也の状況を知らなかったはやてには気付けなかった、その懸念事項をフェイトが恐る恐る問い掛けた。
 闇の書の言葉が事実だとしたら、恭也は夢の中で本物と差異の無い家族と決別してきた事になる。平気でいられる筈がないのだ。

<平気だ。大した事はない>
「そんっ、…分かった」
「フェイトちゃん!?…」

 フェイトが飲み込んだ『そんな訳ない!』という否定の言葉を正確に読み取ったなのはだが、辛そうに表情を歪めたまま力なく首を左右に振るフェイトに言葉を途切れさせた。

 なのはにも分かってはいたのだ。
 念話で伝えられる感情を読み取れないほど平坦な声こそが、恭也の心情を雄弁に語っている事は。
 フェイトの質問で、恭也も2人が夢の内容を聞かされている事は察しているだろう。それなら、あれは触れるなと言う意思表示だ。
 脇目を振るなと言う意味なのか、辛い事に触れて欲しくないと言う意味なのかまでは分からなかったが、力の暴走まで時間が無いのは確かだ。痛みに耐えてまで夢を抜け出した恭也の努力を無にしないためにも、今ははやてを助け出すために全力を尽くす時なのだ。

「恭也君、どうすれば良いか分かる?」
<む、そうか。しばし待て。
 …お前達の目の前に居るのは意思を持たない魔導書の自動防御プログラムだけだ。それが停止すれば管制人格、今までお前たちと会話していた奴の承認ではやてのマスター登録が完了して管理者として魔導書を制御下に置けるようになる>
「停止させる、ってどうするの?
 バインドで縛ればいいの?」
<ああ、済まん。
 簡潔に要約すれば、非殺傷設定で攻撃すれば良い>
「え!?」
<加減は要らん。完膚なきまで叩きのめせ>
「恭也やはやては大丈夫なの!?」
<問題ない。俺達は管制人格の作り出した仮想空間にいるから、防御プログラムのダメージは影響が無い。
 どうせ今までは慣れない加減の所為で攻撃が粗雑になっていたんだろう?
 遠慮は要らん、得意の“全力全壊”で薙ぎ払ってみせろ>
「きょ、恭也君?確かに“全力全開”って言う事あるけど、何か響きが違わない?」
「私はそんなこと言ったこと無いよ!」
「フェイトちゃんに裏切られたー!?」

 恭也の意図に合わせて雑談により肩の力を適度に抜くと、恭也曰く闇の書の防御プログラムを睨み据える。
 先ほどから不自然なほど動きを取らなかった事に不審を抱いていたのだが、時折痙攣している事から何らかの強制力が働いているようだ。
 マスターであるはやてが目覚めたと言っていたので何かしらの働きかけをしてくれているのかもしれない。

「行くよ、フェイトちゃん」
「うん」

 恭也とはやてが甘い夢を振り払って戻ってきた。
 助け出す手段も判明した。
 半端な加減が必要ないことも分かった。
 何の憂いも無い。
 ランク差など些細な事だ。自分達が全力を発揮すれば解決する、恭也がそう言ってくれたのだから!

 先ほどまで体を縛り付けていた何かから開放されたなのはとフェイトは恭也の言葉に従い最大威力を行使した。





     * * * * * * * * * *

260 小閑者 :2017/11/04(土) 12:41:46

「ハァ…」

 念話による通話を終えた恭也の口から重い溜息が漏れる。
 精神的な疲労はフェイトの指摘を否定した言葉とは裏腹に最早限界に近いのだろう。他者の視線が無いとは言え、精気を失った虚ろな顔は、恭也を知る誰も見た事が無いほどのものだった。

「意識を保て。
 まだ、終わってない」

 自分自身に暗示を掛けるように呟く声も弱々しい。
 念話でははやて達に気付かせまいとしていたとは言え、呟いた声は念話に乗せたそれとは掛け離れたものだった。




     * * * * * * * * * *




 現実世界に復帰し、ヴォルケンリッターを無事に再召喚したはやては、なのはとフェイト、更にアースラからやってきたユーノとアルフに合流した後、1人で取り乱していた。

「あれ、恭也さん?恭也さんは何処行ったん!?」
「え?はやてちゃんと一緒じゃなかったの?」
<落ち着け、阿呆。
 俺なら魔導書の仮想空間内だ>
「え?なんで帰ってこうへんの!?」
<戯け、俺には空間転移なぞ出来んと言っただろうが。
 マスター登録が済んでるなら、お前の意思でもここから解放出来るだろう?>
「あ、そうか。
 うん、ちょっと待ってな?」

 はやての言葉に従って構築された魔方陣に影が浮かび像を成す。
 その僅かな時間を使って手櫛で髪を整え、服の裾を払って身繕いをする辺りは流石に幼いながらも乙女達である。尤も、そんな余裕があったのは浮かんだ像が恭也の姿を取るまでだったが。
 笑みを浮かべて迎えようとしていたはやてとなのはとフェイトは、恭也の姿を見た途端、緊張の糸が切れて三方から恭也にしがみ付いて泣き出してしまったのだ。

 無理も無いだろう。
 方や目の前で胸を光弾に貫かれて絶命する姿を見せ付けられ、方や姿を消失した上で二度と戻る事は無いと宣告されていたのだ。年端もいかない少女達が平然と受け入れられるものではない。

 困惑した視線を向けてくる恭也に対して、周囲の人間は苦笑を返す。
 流石のはやて至上主義者達もこの時ばかりは自分達の分まで奮闘してくれた恭也を非難する積もりは無いようだし、ユーノも何かしらの理由を付けてなのはを引き離すような強引さは持ち合わせていない。
 例外と言えるのはアルフで、彼女だけは非常に楽しそうな笑みだった。

 孤立無援である事を悟った恭也は憮然とした表情を浮かべながらも、泣きじゃくる3人を宥めに掛かった。

「ほれ、そろそろ泣き止め。
 まだ終わってはいないんだろう?」

 海面にあるドーム状の黒い物体を見据えながら声を掛ける恭也に、鼻を啜りながら顔を離したはやてが今更ながら無傷の恭也を見て驚いた。

「あの、恭也さん、怪我は大丈夫なん?」
「は?…ああ、お前が見た殺された俺は幻だ。
 あんな照準の杜撰な魔力弾など、幾ら速かろうと喰らうものか」
「…そ、そうか。凄いんやね」
「…」

 いかな恭也の言とはいえ信じ切れなかったのだろう、はやては困惑を表情に浮かべながらそれでも同意の言葉を口にした。
 周囲に居る誰も余計な事は言わない。“幾ら速くても”と言うのは言い過ぎのような気もするが、それでも見栄を張った誇張表現とは断言できないし、何より知る時は遠からず来るだろう。あの回避運動は、無邪気に『凄い』と喜んでいられる領域を遥かに逸脱しているのだ。
 知らないって、きっと幸せな事なんだよ?

「和んでいるところ済まない」
「おお、アッサリやられて活躍する事無く退散したハラオウンじゃないか」
「確かに反論し難い結果を残してしまったのは事実だが、その言い方は無いだろう!?」

 唐突に割り込んだ言葉に対して、渡りに船とばかりに恭也が返した言葉にクロノの頬が引き攣る。
 だが恭也の揶揄とは裏腹に、周囲の視線は勇者を称えるそれだった。
 いくら職務とは言え、照れ隠しに何をしてくるか分からないこの状況の恭也に自ら絡まれに行くとは凄い男だ。

261 小閑者 :2017/11/04(土) 12:46:05
「冗談だ。
 見ていた訳ではないから詳細は知らないが、身内の行動に気を取られて不意打ちでも喰らったんだろう?
 どんな理由があろうと生死の懸かった戦場で状況把握を放棄したり、敵対者から意識を逸らすなんて俺にはとても真似出来ないが、動揺していたんだし仕方ないさ。
 安心してくれ。ハラオウンがあんな短時間で、大した反撃も出来ずに、アッサリと撃沈されるなんて、不意打ちを喰らうか、他事に感けているか、ダラダラに油断している時だけだという事くらいちゃんと分かっているさ」
「…そ、そこまで言うか!?」

 恭也にしては珍しく悪意がてんこ盛りの揶揄だ。
 まあ、闇の書封印の手段としてはやてを殺そうとしていた連中と親しくしているクロノに対して何の蟠りも持たずに接するのは簡単な事ではないだろう。クロノがその陰謀に関わっていないと理解していたとしても、だ。
 はやてが助かったのは結果論に過ぎないのだから尚更だ。

「理解を示してやっただけだろう。
 それより、今更のこのこと現れたんだ、汚名挽回出来そうな情報でも持ってきたのか?」
「汚名を挽回してどうするっ!?
 …オホンッ。真面目な話なんだ、茶化さずに聞いてくれ」
「何故俺の方を見る?」
「お前以外にッ…
 ハァハァ、頼むから、聞いてくれ、時間が無いんだ!」

 クロノが力を込めつつ一言づつ区切りながら念を押すと恭也が肩を竦めた。
 恭也とて状況が逼迫している事には気付いているし、クロノがはやて達を助けようと尽力している事も知っているのだ。
 肩を竦める仕種を同意と解釈する事にしたクロノは改めて初対面のはやてと彼女を囲む守護騎士達に話しかけた。

「時空管理局・執務官、クロノ・ハラオウンだ。
 僕たちはあそこにある闇の書の防御プログラムの暴走を止めなくちゃならない。
 そのことについて君達守護騎士の意見を聞きたい。
 一応こちらで用意したプランは2つある。
 1つは極めて強力な凍結魔法で封印する方法。
 もう1つは艦船アースラの持つ魔導砲で消滅させる方法。
 これらについて、何か意見は無いか?出来れば他に有効な手段があると有難いんだが」

 クロノの質問は、同じ魔導書のプログラムである守護騎士であれば、弱点とまではいかなくとも防御プログラムの特性を知っているのではないかという期待を込めたものだ。
 だが、シグナム達には返せるだけの情報を持ち合わせてはいなかった。

「済まない。
 同じ魔導書の一部とは言え、我々と防御プログラムは完全に独立した存在だ。
 過去にもプログラムの暴走に立ち会った経験は無い」
「…そうか」
「凍結魔法での封印も賛成出来ません。防御プログラムは魔力の塊だからコアがある限り自己修復で直ぐに復元しちゃうと思います」

 シャマルの意見に言葉を返す事も出来ずに黙り込むクロノ。
 アルカンシェルを地表に向けて放てばどれほどの被害が出るか予測出来るだけにクロノの纏う悲壮感は誰もが声を掛ける事を戸惑うほどだ。だが、その被害を恐れてプログラムの暴走を放置すればそれ以上の被害が発生するのだ。

 クロノの気持ちが伝染した様に全員がその雰囲気に潰されようとする中、1人だけそんなものは何処吹く風と、普段と変わらぬ口調で言葉を発する者が居た。




「AAAクラスがこれだけ雁首揃えていながら、何をウジウジとやっている。
 時間が無いんだろう?
 無理なら下がってろ、面倒だが俺が切ってくる」




「え?」

 軽く言ってのける恭也に疑問符が零れ落ちた。
 それが呆気に取られていた自分の口から出た物だと気付いた事で正気を取り戻したクロノが、この期に及んで軽口を叩く恭也にとうとう切れた。

「巫座戯るな!冗談を言っていられる状況じゃないのが分からないのか!?」
「誰が冗談など言った?
 お前達が無理だと言うから代わりにやってやると言っているだけだろう。まったく、疲れているというのに…」

262 小閑者 :2017/11/04(土) 12:53:45
 そんな愚痴を零しながらも黒いドームから視線を外そうとせず小さな足場に危なげも無く佇む恭也の様子に、クロノの腕に鳥肌が立つ。
 本気で、言っている!?

「ちょっ、待て!何を聞いていたんだ!?無理だと言っただろう!」
「うるさい奴だな。
 それはさっき聞いた。だから代わってやると言ってるんだろうが」
「僕らが束になっても敵わない相手に、Fランクの君が敵う訳がnうおっ!?」

 クロノの台詞は、いつの間にか振り返った恭也に胸倉を引き寄せられた事で遮られた。
 恭也の黒く澄んだ瞳からは、静かな湖面の様に何の感情も読み取れない。その瞳と同様に感情を含ませない声音で恭也がはっきりと言い放った。



「俺は、俺がしたい事をしたい様にする。
 俺の限界をお前が決めるな」



 静かな湖面の奥に潜む何かにクロノは知らず背を震わせる。

「な、何を言って…」
「恭也さん!」

 クロノが搾り出すように口にした台詞を遮ったのははやてだった。
 視線を寄越す恭也に穏やかな笑みを浮かべると、先ほど迄の暗く沈んだ表情を微塵も感じさせない声ではやてが話を切り出した。

「恭也さん疲れとるんやろ?
 それなら先に、私にやらせて貰えへん?
 ダメやったら、そん時は改めて恭也さんにお願いするわ」
「私も手伝うよ、はやてちゃん」
「勿論、私も」
「我々は主はやての望みを叶える為に居ます。何なりとご命令下さい」
「あたしはフェイトの使い魔だからね。当然手伝うよ」
「僕もここにはお世話になった人がたくさん居るから出来る限りの事はするよ」

 既に無意味に悲壮感を振り撒く者はこの場には居なかった。
 これを、狙っていたのか?
 だが、クロノが疑問を乗せた視線を向けても恭也からそれらしい反応は返ってこなかった。

「…お前達が出るなら俺は必要ないだろ」
「…水を差す様で悪いが、ここに居る全員の総力を結集しても、恐らくあれの暴走は止められない」

 クロノとて好んで悲観論を口にしている訳では無い。だが、責任者としてこの場に居る以上、精神論に賛同して特攻する事など許可出来る筈が無いのだ。
 悲観に沈みこそしないもののクロノの言葉を覆す手札を持ち合わせていない事を自覚して押し黙る一同に代わり、口を開いたのはまたしても恭也だった。
 だが、今度の発言は先ほどの純度100%の精神論とは毛色が違っていた。

「状況を整理させて貰おう。
 あれの暴走を食い止めるのが前提になっているようだが、暴走したまま放置したらどうなるんだ?」
「自己修復の術式が狂っている所為で、魔力が続く限り無限に再生するんだ。いや、元の姿を保つ事無く周囲のあらゆる物を取り込みながら大きくなっていくから増殖って言った方が良いかな。
 試してみる訳には行かないけど、魔力はほぼ無尽蔵といっても良いから、理論上は一つの次元世界を丸ごと飲み込む事くらいは出来る筈だよ」

 クロノに変わって澱みなく答えたのはユーノだった。
 クロノの知識は無限書庫でユーノが探し当てた資料を基にしているものなので、ユーノの方が詳しく知っているのだ。
 それに気付いた恭也は問い掛ける相手をユーノに変えて質問を続けた。

「では前回の暴走を阻止した方法は?」
「さっきクロノが言っていたアースラの魔導砲だよ」
「それの使用を躊躇する理由は?」
「魔導砲アルカンシェルは被害規模が大きいんだ。
 勿論、闇の書の暴走を放置した場合とは比較にならないけどね」
「具体的には?」
「規模としては照準した空間を中心に半径数百キロ。効果範囲内の物質を対消滅させる兵器、って言って分かるかな?」

 ユーノが軍事機密を当然の様に知っている事とそれをアッサリ暴露した事に、クロノは額を押さえるながら『非常事態だから』と自分に言い聞かせる。

263 小閑者 :2017/11/04(土) 12:54:18
 その横でヴィータが声を張り上げる。

「そんなの絶対ダメー!そんなの使ったらはやての家が無くなっちゃうじゃんか!」
「そういうレベルの問題じゃないんだが…」
「わ、私も反対、そんなの困るよ!」
「いや、だから…」

 完全無欠の主観論が展開している脇で、恭也が更に話を進める。

「対消滅とやらが想像しきれないが、効果範囲の空間に存在する物質をごっそりと消し去るというなら、場所を沖合いに移したとしても海水の消失で高波が発生して沿岸部は壊滅しかねないな」
「多分、そうなるよ」
「仮に空中に持ち上げたとしても、空気だって物質だ。消滅するんじゃないのか?」
「間違いなく」
「と、なれば、突然の気圧変動とそれに因る気象変化か。陸地や海水よりは質量が少ない分被害が少なくなるだろうが、避けられるなら避けたいところだな。
 …宇宙航行用の艦船に搭載されている魔導砲なら宇宙空間でも撃てるな?」
「それは問題ないと思うけど…、エイミィさん?」
『管理局のテクノロジーを舐めて貰っちゃあ、困りますなぁ。
 撃てますよぉ、宇宙だろうと何処だろうと!』
「お、おい、まさか!?」

 恭也とユーノの会話をヴィータやなのはをあやしながら聞いていたクロノが慌てているが、2人は気にする事無く意見を煮詰めていく。

「あれを宇宙空間、いや、アースラの鼻先に転送させる方法は?」
「強制転送って術式があるけど、僕とアルフとシャマルとザフィーラが総出で掛けても保有する魔力量の差でレジストされると思う」
「待て、俺を数に入れるな。専門は防御であって補助魔法は大して役に立てない」
「と、なると3人か。
 魔力量の差と言う事はさっきの魔導書の管理者権限の時と同じ考え方が適用出来るのか?」
「…そうか、なるほどね。
 うん、それで合ってるよ。
 尤も、今あのドームの中であの時よりも魔力行使に適した構造を作り上げてるだろうから難易度は格段に跳ね上がってるだろうけどね」
「ハッ、泣き言なんぞ聞く耳持たん。
 まあ俺が思いつくのはこの程度だ。細かい手順までは知らんし、役に立たなくても責任は持てんがな。
 知恵熱も出てきたし、余波で吹き飛ばされては敵わんから後ろに下がらせて貰う。
 精々頑張れ。健闘を祈るくらいはしてやろう」

 一方的に告げると足場を展開しながら本当に後退して行く恭也を一同は呆然と見送った。
 あれだけ頭を悩ませていた問題にアッサリと解決方法を提示されるとは思っても見なかった。
 手段自体はトリッキーだし、綱渡り同然ではあるが、エイミィが即席で行ったシミュレートの結果はギリギリながらも実現可能範囲と出た。
 恭也の挙げる疑問に立て板に水とばかりに答えていたユーノも苦笑するしかなかった。一見、対等に話し合っているように聞こえるが、ユーノは知識を提示したに過ぎない。大事な事は豊富な知識を如何に活用して状況を打開する手段を見出すか、なのだ。
 残された時間でこれを上回る良案が浮かぶとは到底思えない。

「何から何まで規格外だな…」

 我が事の様に自慢気に恭也の事を語っている3人の少女達の様子にクロノの苦笑が一層大きくなる。

「無策で特攻を仕掛けようとしていたのは士気を上げるためか。まあ、当然か」
「…貴方にはそう見えるのか」

 クロノは独り言に反応が返ってきた事とその内容に驚きながら、返事を寄越したシグナムに問い返した。

「じゃあ、君は放って置いたら恭也が本当に特攻していたと言うのか?」
「しただろうな。貴方もそれを感じ取ったからこそ引き止めようとしたのでは無いのか?」

 確かにあの時は恭也が本気で言っているようにしか思えなかった。だが、それが無謀を通り越して絵空事にもなっていないことは恭也にだって感覚的にでも分かっていたはずだ。
 恭也の道化師じみた言動は何度も見てきたが、それでも彼の戦闘理論が極めてロジカルなものである事は分かっている。それが最も顕著だったのが、他でも無いシグナムとの戦闘だったのだ。

264 小閑者 :2017/11/04(土) 12:57:12
 シグナムにそれが分からないとは思えなかったが、自分よりも恭也との付き合いが長い事も事実だ。クロノはその見解を素直に口にする。

「…彼は感情に任せて戦って玉砕するタイプには見えないんだが?」
「私もそう思っている。
 だが、あいつは“勝てる相手だから戦う”訳ではない。“勝たなくてはいけない相手だから戦う”んだ。
 貴方は違うのか?」

 思わず息を呑むクロノを静かに見据えたまま、シグナムが言葉を足す。

「防御プログラムの暴走を看過する事は出来ない。
 手持ちの有効な対抗手段は管理局の魔導砲だけだと察しても、貴方の言葉から使用に躊躇する理由がある事も同時に気付いていたんだろう。
 ならば、出来る事は全て試してからでも遅くはない。
 恭也が考えていたのはそんなところだろう」
「…試してみる、なんて表現で済ますにはリスクが大き過ぎるだろう?
 いや、勝率など無い事は言われるまでもなく彼にだって分かっていた筈だ」
「…分かっていただろうな」
「なら、どうして!?
 …この世界の住民のためなのか?」
「いや、恐らく恭也は私と同じタイプだ。
 顔も知らない他人のために命懸けで戦う事は出来ないだろう。転んだ子供に手を差し伸べるのとは訳が違うからな。
 …恐らくは、無関係の人々を巻き込む事態に陥って、主はやてが生涯気に病む事を案じたのだろう」
「そ、そんな遠回しな理由で…?」
「管理局の執務官として無辜の民を救うことに尽力する貴方達には理解出来ない事かもしれないがな。
 私や恭也の様に“仕えるべき主君の剣になる”と言うのはそういう事だ。
 私達と貴方達とでは同じ“守る”という一事に対して対極のスタンスにあると言ってもいいだろう」
「対極?」
「多数のために少数を切り捨てるか、一人のために全世界を敵に回すか」

 シグナムの静かな言葉にクロノが絶句する。
 その言葉は本気なのだろう。
 クロノとてその言葉が全く理解出来ない訳では無い。だが、その在り方を真似する事は出来ないだろう。







「恭也君、怪我して無い?回復魔法掛けてあげるわよ?」
「そんなのよりあたしが守ってやるから安心しなよ、キョーヤ」
「…馬鹿な事言ってないで、さっさと配置についてこい。
 こっちに余力を回すくらいなら、倒れるまであれを攻撃しろ」

 恭也は言い寄るシャマルとアルフをにべもなく追い返すと、嘆息を付きながら念話をユーノに繋げた。

<おい、そこの中年男、笑ってないで手を貸せ>
<もう〜、笑ったのは謝るから『中年』は勘弁してよぉ>
<なら、さっさと俺の足場を用意しろ。カートリッジの魔力残量がヤバイ>
<それならシャマルかアルフの厚意に甘えればいいのに>
<御免被る。あんなものは子供が人の玩具を欲しがっているのと変わらんだろうが>
<君が人気者なのは間違いないと思うけど。
 それにしても、戦場に留まるなんて君も変なところで苦労を背負い込むよね。陸地まで下がってても良いんじゃないの?>

 恭也が口調にすらいくらかの疲労感を滲ませている事に気付いたユーノは、言葉を交わしながらも他のメンバーに気付かれないように注意しつつ恭也の足元に円盤状の足場を形成した。
 魔力が欠乏しているという言葉に嘘はなかったようで、恭也は絶妙のタイミングで掠れて消えていく自作の魔方陣からユーノ謹製のそれに乗り換えると足場を睨みながら顔を顰めた。
 何の変哲も無い筈の力場に視線を注ぐ恭也の様子に不安を煽られ、ユーノは先ほどの疑問を棚上げにして恭也に問い掛けた。

<どこか気に入らなかった?>
<…別に>

 短い返答を不審に思ったユーノが更に窺う様に恭也を見つめていると、恭也がぞんざいに言葉を足した。

265 小閑者 :2017/11/04(土) 12:59:48
<実力の差を突き付けられてやさぐれていただけだ>
<…足場を作っただけだろ?>
<その、片手間で作った足場が俺の力作より頑丈とあっては流石に、な>

 不貞腐れている恭也から顔を背けて笑いを堪える。
 “隣の芝は青い”とはこの国の諺だったはずだが、完璧超人の様な恭也の、無いもの強請りなどという人間臭い面を見せられると何処かで安堵している自分に気付かされる。
 だが、恭也に笑いを堪えている事を気付かれたらどんな仕返しが待っているか分かったものではない。
 ユーノは誤魔化すためにも話を戻す事にした。

<それで避難しないのは何か理由があるの?>
<ふん。
 逃げ出したいのは山々なんだが、あいつら妙なところで打たれ弱いからな。
 不用意に俺が後ろに下がると、深読みして無闇に心配した挙句、戦闘に集中出来なくなりかねん>
<ホントに意外なところで苦労性だなぁ。…あまり無理しない様にね>
「余計なお世話







「恭也さん!!」
「うおっ!?」

 突然目の前に現れた涙目のはやてのドアップに、恭也は反射的に仰け反り、その拍子に足場を踏み外した。

「おわっ!?」
「危ない!」

 バランスを崩し、足場となる魔方陣から落ちそうなる恭也に、正面からはやてが、左右からなのはとフェイトが慌ててしがみ付いた。
 慌てていた証拠とでも言うように力加減が全くされていないタックルのようなその抱擁は、恭也の首や胴を絶妙に締め上げた。

「グッ!い、きが、でき…、血が、暗・く」
「フェイト、なのは、と、はやて。その辺にしておかないと恭也が醒めない眠りに就くことになるぞ?」
『あぁ!ご、ごめんなさい』

 謝りながらも足場から完全に離れてしまった恭也をそのまま放す訳にもいかず、体勢はそのままに力加減に気を遣いながら浮遊する。
 浮遊するだけなら3人も要らないし、そもそも抱きついている必要すらないのだが、気付いているのか、いないのか、離れようとする者はいなかった。

「ケホッ
 …ふう。それで、全員揃って突然一体何なんだ?遊んでいる暇など無いだろう?」
「有るんだよ、遊んでる暇がね」
「…何?」

 恭也の回復力に呆れながら口にしたユーノの言葉に怪訝を表す恭也。その様子にわざとらしく溜息をついたのはシグナムだった。

「お前、どの時点から意識を失っていたんだ?
 防御プログラムは既に消滅している。お前が立案した通り、宇宙空間に転送した後、魔導砲で止めを刺した。
 あれだけの轟音と爆風の中で良く立ったまま…、ああ、足場だけじゃなく結界も張って貰っていたのか」
「…」

 シグナムの言葉を確認する様に恭也が視線を転じた海上からは黒いドームが消え、巨大な生物の内臓らしき物や形状のはっきりしない鉱物らしき物が徐々に形を崩しながら海中へと沈んでいくところだった。

「戦闘開始前に僕が展開した足場に降り立った後、会話の最中に立ったまま気を失ったんだよ。落ちないように回復を兼ねた結界も追加したけど、凭れもせずに立ち続ける辺りがいかにも恭也だよね」
「そんなに前から!?
 恭也君、やっぱりずっと無理してたんだね…」
「…態々全員に知らせてくれたスクライアには後で礼をくれてやろう」
「なっ!?」
「それより、何時までこうしている積もりだ?さっさとアースラに戻るなり地上に降りるなりしてくれ」
『そんなに照れなくてもいいじゃん。役得だと思って堪能しときなよ』
「リミエッタさんがそれほど寂しがっているとは知りませんでした。
 後で一週間は立ち直れない程度に捻り潰して差し上げますから、今は早く回収して下さい」
『えっ!?
 ま、待って!今のはウィットに富んだ軽いジョークであって、』
「その話は後で。
 はやてが限界です。速く治療を!」
『後でって、――――っえ!?』

266 小閑者 :2017/11/04(土) 13:02:27
 焦りを滲ませた恭也の言葉で全員の視線が彼の腕の中に集まったのは、それまで顔を蒼褪めさせ声を殺して耐えていたはやてが静かに意識を失った瞬間だった。
 つい先ほどなのはやフェイトと肩を並べるように破壊の力を行使していたため失念していたが、1時間前のはやてはベットから出る事も出来ない重病人だったのだ。

「はやて!?はやてー!!」
「エイミィ、急げ!」
『ゴメン、アルカンシェルの影響で直ぐに転送出来ないんだ』
「落ち着け、ヴィータ!
 主には大事無い。疲労で気を失っただけだ」
「…え?闇の書!?」

 驚きに声を漏らすフェイトの視線の先には、先刻死闘を演じた相手である闇の書の管制人格が実体化して、慌ててはやてに縋り付こうとするヴィータを嗜めていた。
 立て続けに何度も事態が急変したため、フェイトははやての魔法行使が魔導書とのユニゾンの結果である事に思い至らなかったのだ。
 尤も、それは知識を持たないなのはと深く思考する事が苦手なアルフ以外は気付いていた様で、クロノやユーノは勿論、通信ウィンドウ内のエイミィにも動揺した様子はなかった。

「リインフォース、はやてちゃんに回復魔法掛けた方が良い?」
「いや、必要ない、と言うより効果が無い。何の訓練もなく大威力の魔法を行使したのが原因だからな。
 リンカーコアが正常稼動したばかりで、魔法を使えばこうなる事は承知されていたというのに…」
「リイン…?いや、後だ。
 では、はやては休息を取れば回復するんだな?」

 聞き慣れない呼称に囚われかけた恭也だったが、すぐさま軌道を修正してはやての容態を問い質した。
 そう、名前など後でゆっくりと確認すれば済む事だ。現時点での最大の懸念事項ははやての容態だ。
 恭也なら自分とシャマルとの会話から凡その状況を察する事が出来た筈だが、それでも彼自身に理解出来る言葉を使い、誤解しようの無い状況認識に勤めようとしているのだ。

 そうでなくては、な。

 リインフォースは心中で満足気に評価しながら、鉄面皮に押し隠しているであろう不安を解消してやるために恭也の言葉を肯定した。

「ああ、主は大丈夫だ。
 しばしの休息は必要だが問題なく回復するし、リンカーコアが正常に作動しているからいずれは足の麻痺もなくなるだろう」
「そうか…良かった…」

 雑談中でさえ常に何処か緊張の糸を張り続けていた印象の恭也が漸く精神を弛緩させた。
 その様子を見て全員が思う。
 心底からはやての身を案じていたんだな、と。

 見知らぬ土地に放り出された不安も、知らぬ間に一族全てを失っていた孤独も、何の知識も無い魔法に対する無力も、事実上敵対していた管理局に単身で潜り込む緊張も、それら全てが間に合わず徒労に終わる恐怖も。
 全てを押し隠し、脇目も振らず奔走し。
 それでも、“報われた”ではなく、“無事で良かった”としか思っていないだろう事は想像に易い。
 少しくらい、自分に優しくしても良いだろうに。若くして執務官まで上り詰めた自分を律する事に長けたクロノでさえもそう思ってしまう。

 周囲の想いを他所に、恭也は俯けた顔を上げた時には既にいつもの自分を取り戻していた。
 リインフォースに向き合うと先ほど後回しにした疑問を持ち出す。

「名前を思い出したのか?」
「いや、違うんだ。
 幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース。
 この名は我が主から賜った新しい名前だ」
「…そうか。
 良かったな」
「ああ。私は、幸せだ」

 そう答えたリインフォースの淡い表情は、心の底から幸せを噛み締めている事が見て取れるものだった。
 その様子に、恭也が心情を吐露するように呟いた。

「凄いな、はやては…」
「恭也?」
「…命を守るのは難しい。だが、心を守る事はもっと難しい。
 …俺には出来なかった事だ」

 それが、恭也にとってトラウマと呼べるほどの出来事を指している事に気付いたなのは達が咄嗟に恭也に掛ける言葉を見付けられずにいると、事情を知らない筈のリインフォースが気負う事無く言葉を返した。

「そんな事は無い。
 お前は一度として私を“闇の書”と呼ぶ事はなかった。
 それだけでも、私には涙が出るほど嬉しかったよ」

267 小閑者 :2017/11/04(土) 13:05:23
 その言葉に恭也が目を見開いた。
 恭也の反応にリインフォースが苦笑を漏らす。
 恭也はやはり、気付いていなかった。恭也の言動にどれほど周囲の者が勇気付けられたか。喜んだか。心安らいだか。
 周囲の人達も、彼の心境を気に病んでいたようだ。恭也の様子に呆れると共に安堵している事が分かる。
 恭也が友人に恵まれている事に少しだけ安心した。

 だが、“それだけ”でもある。
 恭也が人前で意識を失うなど非常事態と言えるものだ。そして、ユーノの結界でどれほど回復出来たか知らないが、平然と会話して見せいている今現在さえ、気絶していた時とコンディションは大して変わらない筈だ。
 懸念が現実になる可能性など常について回っている。
 不意にリインフォースの口からその不安が零れ落ちた。

「…本当に、夢から醒めてしまって良かったのか?」

 周囲の者が色めき立つ中、当の本人は動揺する事無く視線だけで続きを促した。

「お前の性格や行動理念では、この先も生きていくだけで辛い事がたくさんあるだろう。
 かつて、私が仕えた主たちは夢である事を承知しながらも、その世界で一生を遂げる者は何人も居た。
 “現実から逃げ出した”と非難する者も居たが、そんな言葉の届かない世界だ。
 望みさえすれば、あらゆる害意も悪意も無縁になる。
 …それはお前にとって、それほど忌避するものだったのか?」
「…予想はしていたが、やはりそういう意図だったか」

 珍しく視線を彷徨わせながら恭也が嘆息を零す。
 面倒事を避けるためにせよ、弱味を見せないためにせよ、即座に否定すると予想していたクロノは訝し気に眉を寄せた。
 恐らくは何かを言おうとして性格やプライドと葛藤しているのだろうが、即座にそちらに傾かない事が既に珍事と言える。
 喫茶翠屋で初対面にも拘らず辛い境遇に関わる事を話して貰ったフェイトには、その時の様子を突き付けられている様で、かなり居た堪れない心境だ。

「別に忌避した訳でも嫌悪した訳でもない。
 …まあ、個人差だとでも思っておいてくれ」
「無理強いする気はないが、言いたく無いような内容なのか?」

 問われた恭也は腕の中のはやてと、抱きついて支えてくれているなのはとフェイトをちらりと流し見た後、溜息を吐く。

「まあ、な。
 …一つ挙げるなら。
 俺は父親に助けられた。なら、助けられた俺が逃げ出す訳にはいかんだろう?」
「我が主も、同じ事を仰っていたな…
 済まない」

 恭也とはやてが共通の見解を出したため、リインフォースもそれ以上夢の世界を勧める気は無くなった。だが、それを引き下げるからには、謝罪しなければ筋が通らなくなる。

「何故、謝る?
 そうする事で俺を救えると信じて取った行動だろう」
「悪意が無ければ何をしても赦されるとは思っていない。
 結果としてお前に家族との別離を体験させてしまったんだ。
 …償う術があるとは思っていないが、私に出来る事なら何でもしよう。
 お前の気の済むようにしてくれて構わない」
「…阿呆が、鏡を見た事が無いのか?
 お前の容姿で、男に向かって“何でもする”なんて二度と言うな。言えばそれさえ受け入れる気で居る辺りが尚悪い」
「…相手は選んでいるさ。
 恭也が望むなら、私は構わないが」

 その言葉にシグナムとシャマル、クロノとエイミィが驚いて顔を赤らめた。尤も、抱きついているなのはとフェイトはキョトンとしているし、恭也達は彼女らの反応を気に留める事もなく会話を続けていたが。

「お前が望むとも思ってはいないよ」
「左様で。
 …その事は気にするな。夢とはいえ、もう一度話す事が出来たんだ。むしろ感謝しても良い位だ。
 “何でもする”と言うなら、“二度とこの話題を蒸し返すな”」
「…わかった」

 答えた恭也の様子に納得出来るものがあったのか、リインフォースはそれ以上言葉を重ねる事はなかった。

268 小閑者 :2017/11/04(土) 13:05:58
 2人の会話が終わるタイミングを見計らいエイミィが全員に声を掛けた。

『お待たせ。
 転送の準備が出来たよ』
「分かった。
 はやても横になった方が良いだろう。君達も異論は無いな?」
「ああ。
 …迷惑ばかり掛けておいて虫のいい事を言っているという自覚はあるが、主はやての治療を頼む」
「最善を尽くす事は約束する」

 シグナムの願いにクロノが真摯な言葉を返すと、それを聞いたヴォルケンリッターが微笑を浮かべた。
 安心して浮かべた筈の微笑みが寂しそうに見えた事を不思議に思いながら、なのはとフェイトは長かった事件が無事に解決した事に笑顔を交した。



 まだ、幕が引かれていないことを知らされたのはアースラに戻ってからの事だった。




続く

269 小閑者 :2017/11/19(日) 10:45:33
第24話 選択




 転送ポートに揃って降り立つ一同を出迎えたのはデバイスを構えた20人前後の管理局員だった。
 シグナム達は雰囲気を緊張させながらも反射的に身構えようとする体を意識して押さえ込む。
 自分達は犯罪者だ。拘束されるのが当然であって、抵抗してこれ以上心象を悪くすればはやてが不利になるだけだ。
 だが、はやてを抱き抱えた恭也は場の緊張感をまるきり無視して歩き出した。気負う事の無いその歩調にあるのは、戦闘時の幻惑する様な不規則性でも見失うような希薄さでもなく、散歩しているような気楽さだけだった。
 局員の攻撃を誘発させかねない不用意な行動。恭也にもそう見られる自覚はあったようで歩調を緩める事無く落ち着いた口調で局員に向けて声を掛けた。

「病人です。抵抗する積もりはありませんから今は通して下さい。
 信用出来なければ片腕くらい置いていきますが?」
「怖い事をサラッと言うんじゃない!」

 即座に入ったクロノのツッコミに局員の態度が弛緩する。
 対照的にクロノ達は冷や汗が浮かぶ思いだ。
 今の恭也に冗談を言う余裕は無いだろう。冗談めかした落ち着いた口調だったがあれは本気だ。要求すれば即座に躊躇無く自分の腕を切り落としかねない。

「我々も戦いを望んでいる訳ではない。事件が解決したならそれで十分だ。
 だが、投降を認めたとはいえ規定に従い武装解除と拘束はさせて貰う」
「分かりました。武器は預けます。ですが、拘束はこの子を医務室に運ぶまで待って頂きたい」
「ああ、わかった、…んだが、話をする時くらい立ち止まらないか?」

 局員側の代表として発言していた壮年の男が、横を通り過ぎようとする恭也に呆れ気味に問い掛ける。
 恭也は片眉を上げる程度のリアクションも無く、右腕だけではやてを抱き上げ直すと左手で鞘ごと外した二振りの小太刀を押し付けるように男に渡して通り過ぎていく。
 顔を顰める男に対して頭を下げたのは、既に後姿を見せている本人ではなかった。

「あ、あの、ごめんなさい!」
「恭也、悪気は無いんです!」
「今、凄く疲れてて、でもはやてちゃんの事が凄く心配で!」
「だから、あなた方を怒らせようとか、そういう積もりはなくて!」
「分かってるから、落ち着いてくれ、2人とも」

 詰め寄る様にして恭也を弁護してくるなのはとフェイトに男も苦笑を返す。
 傍目にそうと分からないだけで恭也が極限状態にある事は全員が承知しているのだ。
 恭也が医務室で暴れた理由も、シグナムとの戦闘も、闇の書との遣り取りと夢中へ取り込まれた事も、且つ自力で帰還した事とそれが意味する事も。
 今の恭也を誰が責められるものか。
 …ただ、十代半ばの局員にはこんな可愛らしい女の子達が必死になって庇ってくれる恭也を羨み、去り行く彼の背中にじっとりとした視線を投げる者も居たが。

「君達もデバイスを置いたら行って良い」
「クロノ執務官、事情は聞いていますがあまり規定を外れる行為は…」
「…良いのか?拘束くらい構わないが?」

 クロノの言葉に難色を示す若い局員を気遣うようにシグナムが問い返すが答えたのは本人ではなかった。

「構いません。
 はやてさんが目を覚ました時に貴方達が縛られていたら驚いてしまうでしょう?」
「艦長…」

 いつの間にか背後に立っていたリンディに別の若い局員が情けない声を出した。幼さすら漂わせる顔立ちからも分かる通り入局して間も無いのだろう。教本を額面通り学んできた彼らは、規律を逸脱し続けるリンディの采配に困惑しているのだ。
 リンディは彼らの心情を察しながらも表情を曇らせる事無く、その局員にも納得出来る理由を開示してみせる。

「その代わり、監視モニターを切る事は出来ないから問題になる様な行動は取らないこと。
 裁判ではやてさんが不利になってしまいますからね?」
「承知しています。
 ご厚意、感謝します」

 リンディとシグナムの遣り取りが終わったと見るや、直ぐ様ヴィータが恭也を追って駆け出した。シャマル、ザフィーラ、シグナムも走りこそしないが、早足に後を追う。
 いくらリインフォースの保証があっても、実際にはやてが気を失っている以上心配せずにいられる筈がないのだ。
 ちなみに当然の様に歩いていく恭也には道案内は付いていない。アースラに滞在した期間の大半を過ごした医務室への道順を今更確認する必要は無いからだ。

270 小閑者 :2017/11/19(日) 10:47:43


 医務局長の言葉に全員が安堵のため息を吐いた。
 リインフォースの説明を疑っていた訳ではないが、やはり正規の医療関係者に回復を告げられると安心感が違う。

「そう、ですか。
 ありがとうございました」
「安心したならお前さんも休め。もうボロボロじゃろうが」

 医務局長は呆れと諦めを等分に込めた口調で恭也に言った。
 恭也の自己管理能力が高い事も、それでいて他人のために無理をする事も承知している。結局のところこの少年は本人が納得すれば勝手に休息を取るし、納得しなければ何を言ったところで休息を取らないのだ。
 勿論、彼も恭也が本当にヤバイ状態であれば力ずくでドクターストップを掛ける事も辞さない。それが声を掛けるに留めたのは少なくとも肉体的にはそこまででは無いと判断したからだ。

「大袈裟ですよ。
 それにまだ気になる事があるんです」
「ほどほどにな」

 忠告は済んだとばかりに控え室へと戻っていく医務局長の態度は見ようによってはかなり投げやりだ。恐らくは乗組員にも無理をする者がいるのだろう。
 いたく共感出来るシャマルは、去り行く老人の後姿に申し訳無さそうに頭を下げた。彼の心労を減らせない以上、シャマルに出来るのはこれで精一杯なのだ。
 だが、彼女らの心情など一顧だにせず、恭也ははやての診察中に遅れて入室していたリインフォースに向き合った。

「リインフォース。
 念のために魔導書を管理局で調査して貰わないか?
 …貴方にとって魔導書は体か何かに相当するんだろうから、敵対していた組織に預ける事には抵抗があると思うが、敢えて頼む」
「ああ、構わない。
 緊急事態とはいえ、お前が刀を預けるほど信用しているんだろう?なら、私が疑う訳には行かないさ」
「…すまない」
「謝る必要がどこにある。
 …防御プログラムの事か?」
「っ…ああ」
「まったく…
 魔導の知識は無いに等しいくせに、どうしてそこまで勘が働くのやら」

 そう呟きながらリインフォースは苦笑を漏らす。
 この男は隠したい事に限って、アッサリと嗅ぎ付けてみせるのだから始末に悪い。出来る事なら知られる前に片を着けたいのだが。

「残念ながら、お前の懸念は当たっている。
 そして、恐らくその希望は叶わない」
「納得出来ない結末を座して待つ積もりは無い」
「…そうだろうな」

 儚く微笑むリインフォースから目を背ける様にして、差し出された魔導書を掴んだ恭也は足早に医務局を出て行った。
 その後姿を閉じた扉が遮ると、怪訝な顔をしたヴィータがリーンフォースに問い掛けた。

「おい、リインフォース、何の話だよ」
「…遠く無い未来、防御プログラムが復活する」
「!
 …そっか。
 だけどどうして恭也が知ってたんだ?防御プログラムだけを破壊出来るなんて管理局だって想定してなかったんだろ?」
「何かしら勘を刺激するものがあったんだろう。
 この世界の家庭用のコンピュータでも、アンインストールしない限り何度でもプログラムを立ち上げる事が出来るから同じ様に考えたのかもしれないし、我が主がお前達を再召喚した事から連想したのかもしれない。
 案外、もっと単純に“嫌な予感”程度かもしれないな」
「じゃあ、恭也君は防御プログラムを修正する方法を探す積もりなの?」
「もしくは、魔導書から削除する方法だな。
 お前が『その希望が叶わない』と言う根拠は何だ?」
「…管理局にはあれを読み解く事が出来ない。恐らくな」

271 小閑者 :2017/11/19(日) 10:53:21
「解析出来ない!?
 どういうことだ!」
「それをこれから説明しようとしているんだ。
 少し落ち着いてくれ」

 詰め寄って胸倉を掴む恭也を冷静に見据えたクロノが、恭也を取り押さえようとする周囲の局員を手を翳す事で制止しながら静かに答えた。
 共に技術室を訪れ、1時間近い時間を費やして漸く得られた結論がそれでは恭也が取り乱すのも無理は無いだろう。
 殊更ゆっくりとしたクロノの言葉に漸く自分の言動に気付いた恭也が手を離し1歩退くと、苦労しながらもどうにか篭ってしまう力を抜く。
 クロノはそんな恭也から思わず視線を逸らした。

 流石に、キツイな。

 クロノとて局員として働き、多くの事件に携わってきた。
 ハッピーエンドに辿り着けたものもあったし、そこまで行かずとも悲劇を食い止める事に成功した事件もあった。だが、努力も虚しく悲惨な結末を迎えた事件も決して少なくはなかった。
 それらと比較すればこの事件は上手く収束に向かっていると言えるだろう。これまでに発生した闇の書事件と比較しても、形はどうあれオーバーSランクの魔導師が関わった事件としても、何より第一級ロストロギアに認定された事件としても信じ難いほど小さな被害規模で済もうとしている。ハッピーエンドに分類しても良い位だ。
 それでも、関わった者全てが幸せになれる訳ではないのが実情だ。

 決して恭也1人が努力してきたなどという事はない。局員の中には重傷者こそいないが未だに病室のベットから出られない者もいる。
 だが、だからといって、目の前で苦悩する姿を見て何も感じない訳ではない。

 深呼吸で表面上だけでも冷静さを取り繕った恭也が改めてクロノに問いかけた。

「…それで?」
「闇の書は、…スマン、夜天の魔導書は、体系としてはベルカ式に分類される。僕達の扱うミッドチルダ式とはプログラムの書式が違うんだ。
 更に言うなら、製作されたのは遥か昔だ。古代ベルカ式と分類している」
「それは予想出来た事だな?」
「そうだ。
 アースラの乗員に古代ベルカ式に精通する者はいないから、本局の技術部に解析できる者を何人か待機させていた。
 だが、送信したデータを読み解く事が出来なかった。文字がバラバラで文法どころか単語としても成り立っていなくて、とても意味を成しているとは思えなかったそうだ」
「まさか、そこまで…?」
「いや、プログラムが壊れている訳では無い筈だ。
 プログラムと言うのは複雑且つ繊細だ。人格を形成するほどのプログラムとなれば数十万行でもきかないだろう。その内、いくつかの単語が間違っているだけで正常に起動しない場合も有り得る。バラバラ何て以ての外だ。
 解析出来なかった理由として彼等が上げた物は2つ。
 1つは夜天の魔導書に用いられているプログラム言語が低級寄りの可能性」
「低級?
 人格を持つほどのプログラムの存在に懐疑的だったのはお前だろう。それはベルカのものがミッドのものより高度と言う事ではないのか?」
「プログラム言語としての高低だ。どういったら良いか…。
 デバイスが処理する言語は僕等の物とはかけ離れているんだ。それは人間の技術者が組むプログラムですらない。だから、デバイスはプログラムを実行する時に、技術者の組んだプログラムを翻訳・変換しているんだ。
 これはシステムソフトウエア、つまりリインフォースの人格部分でも、一つの攻撃魔法を起動する部分でも変わらない。
 言語の高低と言うのは、人間の読み易い物を高級、デバイス寄りの物を低級と言う。
 プログラムとしての優劣を言うなら言語変換に掛かる負荷が少ない分、言語として低級なほどプログラムとしては優れていると言えなくも無い。
 勿論、変換し終わったものを保存しているだろうから実質的な違いは大して無いんだが…」
「十分だ。尋ね返しておいて言うのもなんだが、脱線してるんじゃないのか?」
「う、スマン。
 古代ベルカ式の技術の多くは散逸してしまっていて、現在の研究成果では古代ベルカ式のデバイスが走らせるプログラムを直接読みとる事は出来ないんだ。現存する物は『壊れていないからそのまま使っている』か『デバイスを継承している一族のみにメンテナンス方法が伝承されている』ようだ。
 だから分かったことは、確認されている古代ベルカ式のデバイスの言語とは違うと言うことだけだ。
 更に言うなら、一言で『古代ベルカ式』と言っても、製作された年代から地域まで考えれば人間の組むプログラム言語どころかデバイスのシステム言語すら同じではない可能性がある。
 使用されている言語が未知のものであれば、言語の解析や体系付けるだけで最低でも数年は掛かるそうだ。
 リインフォースが魔導書にアクセスしてくれなかったらデータの引き出しすら困難だったらしいから、『古代ベルカ式』で一括りにしたのは考えが甘かったと言うことだろう」

272 小閑者 :2017/11/19(日) 10:59:29
「遠隔操作でそんなことまで出来るのか?」
「自分自身の様なものだからな。どの程度の距離までかは知らないが、艦内程度なら大した距離ではないんだろう。
 話を戻すぞ?
 解析出来なかった理由のもう1つの可能性はプログラムデータの暗号化だ」
「…機密か。そう言えば魔導技術の蒐集が本分だったな」
「ああ。
 他者から情報を隠蔽したとしても不思議じゃない。
 暗号だったとすればそれを解読するには10年単位の期間が必要になるそうだ」

 言葉が途切れる。
 防衛プログラムの再起動が何時になるか分かっている訳ではないが、仮にも「無限再生」などと呼ばれる程の機能を持っているのだから月単位と考えることすら楽観的だろう。
 だが、恭也は勿論、クロノとてデバイスの機構について専門的な知識は持ち合わせていない。専門家が解析不可能と判断したならそれを覆す手段など持ち合わせている筈がなかった。

「…リインフォースが言語の翻訳方法や暗号の解読方法を知っている、と言うことは無いか?」
「彼女なら僕達がプログラム解析で躓くことを予想出来ただろうからな。
 解読方法を教えてこないと言うことは、知らないのだろうとは思っていたんだが、先ほど確認したら謝罪の言葉が返ってきた」
「…クソッ」

 力無く悪態を吐いた恭也が、不意に顔を上げて入り口を見やる。
 それに倣ってクロノもドアの方へ顔を向けるが一向にドアが開く様子はなかった。
 気配とやらで人が居ることを察知できる恭也が視線を向けたので、てっきり誰かが入室してくるのかと思ったのだ。
 怪訝に思ったクロノが問いかける前に恭也の零した言葉が耳に届いた。

「どうして、誰も来ない…?」
「…恭也?誰か来る予定なのか?」
「違う。状況は分かっている筈なのにヴォルケンリッター達が何故1人も来ていない?」
「…あの子が目を覚ました時に不安がらせないように傍にいるんじゃないのか?」
「子供じゃないんだ、全員が揃ってる必要はないだろう」
「いや、9歳は十分子供だろう」
「ヴォルケンリッターの事だ!
 こちらにいても出来る事が無いのは変わらないかも知れないが、何かしらの情報が得られる可能性だってあるんだぞ!?」
「…管理局に期待してなかったんじゃないのか?
 端から解析出来ないと」
「藁にも縋りたい現状でそんな贅沢を言うほどの馬鹿じゃない…
 医務局の状況は!?」
「落ち着いてくれ。
 あの子の症状に変化があれば連絡が来ることになってる。大丈夫だ」
「そんな事を言ってるんじゃッ…
 お前、何か知っているな?」

 それほどおかしな反応は返していない積もりだったが、やはり不自然だっただろうか?
 騙し通せると思っていた訳ではないが、思いの外あっさりとばれたな。いや、予想通り、と言うべきか。

 諦観したクロノは、威圧感を増していく恭也を刺激しないように意識してゆっくしりた口調で語りだした。

「僕達はリインフォースからの提案を受け入れたんだ。
 魔導書の解析に成功し、防御プログラムの修正か削除が出来ればそれで良し。
 出来なかった場合には、魔導書からヴォルケンリッターの存在を切り離し、魔導書を破壊する、と」
「っ!
 …切り離す、とは?」

 「魔導書の破壊」と聞いても辛うじて理性をつなぎ止めている恭也に痛々しさすら感じながら、変わらぬ口調でクロノが答える。

「守護騎士プログラムはリンカーコアを形成し、それを核として実体を生み出すものだそうだ。
 そして、一度顕現すれば基本的に魔導書との交信を行う必要がない。
 だから、リインフォースの裁量と外部からの補助を受ければ、マスターであるはやての承認が無くとも独立させる事が出来るそうだ。
 独立、つまり魔導書から切り離してしまうと、以降は消滅しても二度と再起動は出来なくなる。つまり、人間の死と同等になる。
 代わりに、魔導書が破壊されても影響を受けなくなる」
「…問題が無い様に聞こえるが、それなら隠しておく理由がないな。
 リインフォースはどうなる?」
「…彼女の役割は魔導書の管制だ。
 当然、魔導書とも密接に関わっているし、顕現していても彼女自身はリンカーコアを形成している訳じゃない。言ってしまえば、彼女の核は魔導書そのものだ。
 リインフォースは、魔導書を破壊すれば存在する術を失うことになる」

 クロノはそれだけ告げると、黙って恭也の反応を伺った。

273 小閑者 :2017/11/19(日) 11:04:09
 射殺そうとするかのように鋭い眼光。全身から溢れ出す身の毛がよだつほどの殺意。それらを押し止める強固な理性。
 危ういところではあるが恭也がどうにか均衡を保っている事を見て取り、クロノは密かに胸をなで下ろした。
 怒りのはけ口として、全力で殴りかかってくる事も想定していたが、この期に及んで理性が感情を上回っているようだ。異常と言っても良いほどの自制心だが、素直にそれに感謝しておくべきだろう。
 この男と閉鎖空間で戦う事だけはなんとしてでも避けたい。それがクロノの偽らざる本音だ。
 加減されていた(筈)とはいえ、Sランク魔導師に肉弾戦を挑む無謀さも、ダメージを与えてみせる非常識さも、五体満足で凌ぎきる異常性も、敵対したくない理由には事欠かない男なのだから。

 クロノがあまり人に聞かせられない考えを巡らせていると、隣室にいた技術者が慌てた様子で飛び込んできた。
 恭也の纏う雰囲気に気付いていればそのまま固まってしまっていただろうが、幸いにも周囲を観察する余裕を失っていた彼はクロノの姿を認めた時点で叫ぶように呼びかけた。

「クロノ執務官!」
「どうした?」
「闇の書が突然転送しました!」
「…そうか」
「そうか、って、良いんですか!?奴ら、また暴れ出す積もりじゃあ!?」
「大丈夫だ。
 僕も提督も、その件は承知している。
 ご苦労だった。通常勤務に戻ってくれ」
「え?は、はあ…」

 クロノの言葉に呆気に取られる局員を完全に無視して、クロノに向けられている恭也の視線が圧力を増した。
 魔導書を破壊する案を聞いた直後にこの事態を知れば、誰であろうと直感が働くだろう。

「…魔導書を壊し終わった訳じゃ無いだろうな!?」
「恐らくは、まだだ。
 破壊する前に守護騎士達を独立させる必要があるから、相応の手順を踏む筈だ」
「場所は!?」
「聞いていない」

 怒鳴りつけるように問い掛けてくる恭也に答えながら、クロノは恭也の挙動に意識を集中する。
 最早、恭也が何時暴走しても何の不思議もない。
 出来れば穏便に済ませたいと切に願っているのだが、自分の持つ情報は嘘偽り無く開示しても恭也の怒りを触発する役にしか立たないだろう。
 嫌な感じの汗が背中を伝うのを感じていると、抑揚を失った声が部屋に響いた。

「…はやては?」
「…!?
 家に、帰っている」

 あまりの変貌に一瞬声の主が誰か本気で迷い、慌てて答えた。
 本格的に、不味いのでは?

「心身に負担がかかっているから、自分の家の方が療養に向いているという判断で了承された」
「不破を、デバイスを借りたい。
 それから俺も地球へ転送してくれ。今すぐだ」
「分かった。
 転送ポートへの道順は分かるな?
 君のデバイスもそこに運ぶように手配しておく」

 クロノの言葉を最後まで聞く事無く恭也が駆け出した。技術部の扉をこじ開ける様にして退室した恭也を見送るとクロノが大きくため息を吐いた。まさしく猛獣の居る檻に閉じ込められた気分だった。
 弛緩しているクロノに図った様なタイミングでリンディから通信が入る。まあ実際に部屋の様子をモニタしていたのだろうが。

<お疲れさま、クロノ>
「本当に疲れましたよ。
 ですが、行かせて良かったんですか?リインフォースには足止めも頼まれていたんでしょう?」
<『出来るだけ』って注釈付きだったもの。
 クロノが出来る範囲で時間は稼いでくれたじゃない>
「御命令とあれば拘束しましたが?」
<恭也さんを相手にするには、その部屋は狭すぎるわ。部下に無意味なリスクを背負わせる気は無いの>

 流石にお見通しか。
 まあ、恭也の戦闘記録は一緒に確認しているのだから、至る結論が同じになるのは道理だろう。
 尤も、それが必要であれば、リスクを承知でリンディは命じただろうし、最終手段として転送ポートを使用させなければ恭也に地球へ行く術は無くなるのだ。
 つまり、恭也を止めない理由は別にある。

<…立ち会わなければ、恭也さんだけ取り残されてしまうかもしれないものね>
「そう、ですね。
 前に進むためには、現実から目を逸らす訳には行きませんから」

 それが正しいと言い切れる自信は2人にも無かった。
 疲弊した恭也の精神には耐えきれない可能性だってあるのだ。
 だが、同時に引き留めることが正しいとも限らない。
 当事者ではない2人に出来ることは、ただ見守る事だけだった。



     * * * * * * * * * *

274 小閑者 :2017/11/19(日) 11:08:36
 音も無く舞い降りる雪がうっすらと敷き詰められた丘の上。
 市街の喧噪は届かず、厚い雲に月明かりも閉ざされたこの場所は、街灯の明かりで強調された闇によって異世界に迷い込んだかと錯覚するほどの雰囲気に包まれていた。
 その空間に、悲愴感の滲む少女の声が響いた。

「マスターは私や!
 言う事聞いて!」
「駄々っ子はお友達に嫌われてしまいますよ?
 私に、デバイスとして最も優れた手段を選ばせて下さい」

 転倒した車椅子の傍らで雪と泥にまみれたはやては、頬を伝う涙を拭う事も忘れて懸命に言葉を重ねていた。

 なのはとフェイトどころかヴォルケンリッターもこの儀式を行うために魔法陣の中に立っている。それはリインフォースが消える事を受け入れたという証だ。
 だが、ヴォルケンリッターを責める事は出来ない。その選択に因る犠牲がリインフォースだったのは単なる結果でしかないからだ。それが他の誰かだったとしても同じ様に選択しただろう。
 なにより、彼女達の悲しみに沈んだ顔が、決してこの選択を納得していないと語っている。
 ならば、この役目は、リインフォースを引き留めるのはマスターである自分が請け負うべきものだ。
 だが、幼い妹をあやす様に穏やかな口調で応えるリインフォースの透明な微笑を見ては、彼女の説得が無理だと悟らざるを得なかった。

 リインフォースは受け入れしまったのだ。
 自分が消える事で家族が助かるのなら、はやてだってそれを選ぶだろう。
 だが、それでも納得する訳には行かないのだ。

「そやかて、やっと解放されて、これからいっぱい、幸せにならなあかんのに…」

 手を離せばそのまま消えてしまう様な錯覚にかられ、リインフォースを掴む手に必死の想いで力を込める。
 だが、そんなはやての小さな手を暖めるように、リインフォースが上からそっと手を重ねた。

「私は十分に幸せにして頂きました。
 綺麗な名前を貰い、家族と呼ばれ、貴女の力になることも出来ました。
 私は、世界一幸福なデバイスです」
「…でも、でもぉ」

 はやての頬を伝う涙が増え、滲んだ視界がリインフォースの姿を霞ませる。
 想いとは裏腹に引き留める掌から力が抜けていく。
 抗えなくなる。
 彼女の言葉を、意志を受け入れてしまおうとしている自分がいる。

 心が挫け、諦めようとする寸前。
 まるで、絶望に直面した敬虔な信者が神の名を口にする様に、はやてがその名を呟いた。

「恭也さん…」

 恭也なら、きっと何とかしてくれる。そんな都合の良い事を思っていた訳ではない。
 それでも、ただ、傍に居て欲しかった。
 だが、同時に宇宙船にいる恭也がこの場に辿り着けない事も頭の片隅で理解出来ていた。
 だから、はやてにはリインフォースの言葉の意味を直ぐに理解する事が出来なかった。

「…来てしまったか。
 良かれと思ったんだが。
 …こうも悉く跳ね除けられると言う事は、残念だがおまえとは余程相性が悪いのだろうな」
「…え?」

 リインフォースの視線を追って空を見渡すが、街灯の明かりが闇を際立たせているため、はやてには街灯越しに何かを見つけることは出来なかった。…いや、木立より僅かに高い空間に鈍い光のラインがこちらに移動してきているのが辛うじて見えた。
 勿論、不思議がるのははやてだけで、他の者達は即座にそれの正体に見当をつけていた。
 あの光は、ラインが移動している訳ではない。
 いくつもの小さな光点がもの凄い速度でこちらの方向に生成され、極短時間で綻び、消滅しているのだ。それが距離を置いているために移動している様に見えているに過ぎない。
 そして、そんな方法で高速移動が出来る者も、そんな方法でしか高速移動が出来ない者も、この場に居る誰もが心当たりは1人しか居なかった。

「恭也さん!?」

 肉眼で判別出来る距離になり、はやてが驚いて声を上げる横でリインフォースが眉を顰めた。恭也が足場として生成している魔法陣が、遠目に見ても明らかに構成が粗くなっていたのだ。
 リインフォースが恭也とこの場を繋げる足場を形成しようとして、しかし恭也に隠れて消え去ろうとしていた後ろめたさから魔法の行使を躊躇った瞬間、足場を踏み抜いた恭也が林の中に落下した。

『あっ!』

 意図せず唱和した驚嘆の叫び声の直後、枝や幹が折れるバサバサバキバキという音が静寂を破って響きわたった。

275 小閑者 :2017/11/19(日) 11:10:40
 それが、普段の恭也であれば誰も心配などしなかっただろう。
 だが、普段の恭也は限界を見誤って足場を踏み抜く様な迂闊さも、落ちる先が林の真ん中になる様な不用意さも、枝を折る様な平凡さも持ち合わせていないのだ。
 防御プログラムとの戦闘から1時間程度しか経過していないし、自分達の体にもしっかりと疲労が残っている。
 恭也だけは例外。そんな、有り得ない幻想に囚われれば、また恭也に無理をさせてしまう。

『恭也!』
「動くなっ!
 頼む、動かないでくれ!儀式が崩れてしまう!」

 語尾こそ違えど、全員が名を叫び駆け出そうとするのをリインフォースが必死に押し止めようと声を張り上げた。
 だが、心底からの懇願の声に辛うじて踏み止まったとは言っても、納得している者は1人としていない。

「そんな事を言ってる場合じゃないでしょう!?」
「そうだ!恭也があんな落ち方したんだぞ!どう考えたってやべぇだろうが!」
「恭也君、ずっとずっと無理を続けてたんだよ!早く助けてあげないと!」
「儀式ならもう一度やり直せば良い!今は恭也を!」
「駄目なんだ!
 …もう一度、陣を築けるほど回復するには時間が掛かり過ぎる。
 今を逃せば、次の暴走に間に合わないかもしれない…」
「大丈夫や!みんなの力を借りれば、絶対さっきみたいに上手くいく!」

 リインフォースの言葉にはやてが必死に反論する。説得出来るとすれば彼女が感情を揺らしている今しかない。
 落下した恭也の事も当然心配だが、どのみちリインフォースを説き伏せなければ歩けないはやてには助けに行くことが出来ないのだ。

 恭也の様相と危うく儀式が中断しかけた事に動揺したリインフォースは、はやての魅力溢れる甘い言葉に思い切り揺さぶられた。
 終わる事は無いと諦めて久しい、幾度となく繰り返されてきた悪夢が終焉を迎えたのだ。
 過去の多くのマスターの中でも、幼いながらも非凡な人格を有する主に仕えることが出来るのだ。
 これほどの幸せは無い。
 これほどの喜びは無い。
 それらを失いたい筈など、無いではないか!



 だが、それでも。
 いや、だからこそ!



「…同じ方法が通用するとは限りません。
 皆の疲労が回復する前に始まる可能性すらあります。
 管理局の魔導砲が次も使用出来るとは限りません。
 仮に暴走までに期間があったとしても、管理局が高確率の危険を看過するとは思えません」
「や、やってもみんうちから諦めたらあかん!
 恭也さんに怒られたばっかやろう!?」
「一度でも踏み外せば奈落へ落ちる綱渡りを延々と続ける事など承諾する訳には行きません。
 既に発生してしまった事態であれば危険を孕む賭に出る事もあるでしょう。
 ですが、事前に事態を回避する選択肢が在りながら、敢えて危険な道を選ぶ事を勇気とは言いません」


「阿呆が。
 ゼェッ、仲間を見捨てる方法を、ゲホッ選択肢などと言うものか!」
「!?」


 荒い語調とは裏腹に呼吸の乱れたか細い声が届いた。
 発言者である恭也が藪をかき分けて姿を現すと、背を向けているはやて以外の全員が驚きに息を飲む。

「恭也さん!…ッ!?」

 恭也が無事だった事、リインフォースを説得する勢力になってくれる事に安堵しながら振り向いたはやても、恭也の姿に息を呑み、続く言葉を途切れさせた。

 覚束ない足取り。
 右手で樹に寄りかかることで辛うじて支えられている体。
 肘と手首の間で向きを変え、力無く下ろされた左腕。
 顔の右側面を赤く染め、顎から滴り落ちる大量の血。

 非殺傷設定での魔法戦しか知らないなのはやフェイト、そもそも戦闘経験が防御プログラム戦しかないはやては、眼前の光景が理解出来なかった。
 無理も無いだろう。言葉としてしか知らなかった、戦いとそれが齎す結果を見せ付けられたのだから。
 同時に、恭也だけは負傷とは無縁だという、無意識の内に持っていた妄信を浮き彫りにされ、完膚なきまでに否定されたのだ。
 敵が居るかどうかは問題ではない。本人のキャパシティを超える事態に対処しようとすれば、多少の差はあれ、同じ様にリスクを背負う事になるのだ。

276 小閑者 :2017/11/19(日) 11:12:06
 声も無く固まる一同の様子を意に介さず、真っ直ぐにリインフォースを見据えていた恭也にリインフォースから口を開いた。

「状況は聞いているな?」
「ああ」
「それでも、止めるのか?」
「当然だ」
「…暴走した時には、どう対処する積もりだ?」
「あんなものは俺が切り捨ててやる」
「命懸けで、か?」
「掛ける必要など無い。片手間でやってやる」
「ここに辿り着くだけでそれだけ傷だらけになっている様では説得力が無いぞ。
 それに、その事態に臨めば、ここに居るメンバーは全員が参戦するだろう。そして全員が等しく命を落とすリスクを負う。
 それは、今私がしようとしている事と本質的には変わらない」
「…」

 リインフォースの言葉が恭也の反論を完璧に封じた。

 成功の可否ではなく、実行する上で負う事になるリスクの大きさ。
 失敗すれば戦闘参加者全員の命とその次元世界に住む全ての生物が消滅する。成功したとしても、誰かが死傷する可能性は決して低くは無い。
 それは、今この場でリインフォースが行おうとしている行為とどれほどの差があるというのか?
 防御プログラムとの戦闘は誰も失わない可能性がある、と言えば聞こえは良いが実質的には不可能だろう。
 今回は圧倒的な火力であっさりと消滅させたように見えるが、実際には薄氷を渡るのに近い行為だ。出現地点が町中であれば全力を揮うことすら侭なら無い。メンバーが揃えられない可能性もある。何より、防御プログラムを消滅させるのに不可欠である魔導砲アルカンシェルは気軽に使用出来るものでは無いだろう。

 リインフォースは口を噤んだ恭也を見て苦笑を漏らす。
 論破されて尚、怯む事も、戸惑う事も無く、傷だらけの体を引きずりながら眼光を揺るがせない、その姿を。

 やはり、いくら言葉を重ねてもこの男は止められないか。

 予想は、していた。
 誰に言われるまでもなく恭也は理解していたのだろう。状況も、リスクも、成功する可能性の低さすら。だからこそ、すぐにでも体を休める必要があるにも関わらず、アースラに収容されても奔走していたのだから。
 いや、例え今指摘されるまで理解出来ていなかったとしても同じだったのかもしれない。
 周囲の声を聞く柔軟性を持ちながら、それでも一度決めたことは貫き通す奴だ。

「どうしても、諦めてはくれないんだな」
「当たり前だ。お前の命を代償に生かされるなど、御免被る」
「お前達の命を代償に生かされる私はどうなる?」
「知ったことか」
「身勝手な奴だ」

 リインフォースが溜息とともに僅かに恭也から視線を逸らした瞬間、樹に寄りかかっていた恭也が爆発する様な勢いで迷う事無くリインフォースへと突進した。リインフォースが魔法陣から出れば儀式が崩れる。その言葉が聞こえていたのだろう。
 だが、形振り構わず彼女を弾き出そうと最短距離を弾丸の如く駆ける恭也に、周囲の空間から幾つもの光の鎖が絡みついた。

「ガァッ!?」

 バインドは外観通りの鎖の形状を持ちながら、その凹凸が肌に食い込む事は無い。だが、猛烈なスピードを瞬時にゼロにされたため壁にぶつかるのと同等の衝撃が恭也を襲い、その口から苦悶が漏れた。
 瞬く間に終結したその一連の事態に対して、はやては理解が追いつかず、なのはとフェイトは驚き、ヴォルケンリッターは眉を顰める。

 魔力の枯渇した恭也には最早抗う手段が無い。
 予備知識を持たないはやては、その考えから恭也が何か行動を起こすとは思っていなかった。
 だが、そんな筈が無いのだ。
 意識を失っていない恭也が諦めることなど絶対に無い。それに、恭也の戦闘は魔法を主軸においてはいない。
 しかし、だからこそ、原因が負傷か疲労かまでは分からないにせよ、樹に寄りかからなければ体を支えられない状態では大した行動は取れない。なのはとフェイトはそう思っていた。
 ブラフなのだ。
 確かに左手は折れていた。頭部を負傷し派手に出血もしていた。人前で意識を失ったばかりなのだから、疲労も半端なものではなかっただろう。
 だが、意識を保っている恭也が疲労の度合いを計れる要素を親切に見せてくれる筈が無いのだ。

277 小閑者 :2017/11/19(日) 11:17:32
 例え、たった一歩踏み出す事すら出来ないほどの疲労であろうと、恭也は涼しい顔をしてみせるだろう。左腕を見せているのも、頭部の出血を隠さないのも、それらに見合うほど疲労していると、まともな戦闘行動が取れないと思わせるためのアピールに過ぎない。
 疲労や負傷を隠して警戒させるより、それらを見せることで油断を誘おうとしたのだ。…そうせざるを得ないほど、追いつめられていたのだ。恭也とリインフォースを結ぶ直線上にディレイ型のバインドが設置されている事を予想出来ないほどに。あるいは、予想して尚、真っ直ぐに突進する事に賭ける事しか出来ないほどに。
 全貌を正確に察したヴォルケンリッターの4人は、バインドに縛り上げられ身動きの取れない恭也の姿に、その状態で尚抗おうとする姿勢に哀しみに眉を下げた。


 恭也の動きを封じたリインフォースの顔には、捕獲に成功した喜色は勿論、失望も悲哀も表れていなかった。
 酷く透明な表情をしたリインフォースが身動きの取れない恭也へとゆっくりと歩み寄り、魔法陣の縁で恭也と正面から向かい合った。

「私は魔導書。意思など持たない、ただの道具だ」

 リインフォースの言葉に恭也の視線が斬りつけるほどに鋭くなる。だが、恭也が何かを言う前にリインフォースが穏やかに微笑んだ。

「それなのに、わが主は私を家族と仰られた。
 道具では無いのだと、一人の人間なのだと」

 左手を伸ばすと血塗れの恭也の頬をなぞる。
 慈しむ様に。
 惜しむ様に。

「だから、私は意志を持って行動する事にした。
 私も、私がしたい事を、したいようにする」

 それは恭也の言葉だ。
 恐らく、彼にとって大切な言葉。何処かの誰かへの誓い。
 恭也が顔を顰める様を見たリインフォースは楽しそうに微笑むと、再び微笑を穏やかなものに戻した。

「私は、命を賭して、我が主を守る。
 誰にも邪魔はさせない。
 もしも、それが理由でお前の負担が減ったとしても、それはただの偶然だ。気に病む必要など何処にも無い」

 そう告げると、リインフォースの頬を涙が伝う。
 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。
 はやてには彼女の涙の訳を表情や台詞から読み取る事が出来なかった。

 リインフォースは恭也の頬に添えていた左手を離すと、恭也の血で赤く染まった指で自分の唇に紅を差した。
 雪の様に白い肌にルビーの如き真紅の瞳と文字通り血の紅さを持つ唇は、リインフォースの美貌を壮絶なまでに引き立たせる。それでいて、穏やかで儚げな表情と流れる涙が、その鮮やかなコントラストとは裏腹に周囲の静けさに溶け込む様なとても自然な印象に変えていた。

「恭也。
 助けられてやれなくて、すまない。
 だけど、助けようとしてくれた事は、嬉しかった。
 ほんとうに、嬉しかったよ」

 リインフォースはそう告げると、魔力の鎖に絡め取られながらも険しい表情のまま睨み据える恭也にそっと唇を重ねた。





 誰一人として声を上げるどころか、身動ぎして衣擦れの音をさせる事もない。
 永劫の様な刹那の後、ほんのりと朱に染めた顔を静かに離したリインフォースは呆気に取られて目を見開く恭也を見て、口元を綻ばせた。

「フフッ。
 私からの礼だ。
 返品は受け付けない。何せ私の“初めて”だからな」

 楽しそうに、あるいは、恥ずかしそうに。
 恭也の赤く彩られた唇から視線を逸らす。

「それでは、主はやて、守護騎士達、それに小さな勇者達。
 ありがとう。そして―――さようなら。
 …出遅れて後悔する様な事だけは無いように」

 硬直している一同が正気付く前に別れのあいさつと焚き付けの言葉を残して、リインフォースは空へと還って行った。
 リインフォースの消滅と同時に恭也を絡めていたバインドが解けると、糸の切れたマリオネットのように恭也の体が純白の雪の上に静かにくず折れた。






     * * * * * * * * * *

278 小閑者 :2017/11/19(日) 11:24:13
「…お?
 目ぇ醒めたみたいだな。
 大丈夫か?恭也」

 声を発する事も無く、僅かに目を見開いた恭也に目敏く気付いたヴィータが声を掛けるが、恭也から反応が返る事は無かった。
 寝起きとは言え、初めて見るどこか呆けた恭也の様子に心配になったヴィータがそのまま覗き込む様に顔を近付けると漸く反応が返ってきた。ただし、仰向けのままベットを這いずって距離を取るという、ヴィータが想像もしなかったものだったが。

「あぁ?
 人が心配してやったってのに、なんだその反応は?」

 頬を引き攣らせながら恭也を睨みつけるヴィータだったが、恭也の頬が赤みを帯び、握られた左手が口元に寄せられている事に気付いた時点でそのリアクションの意味を悟り、顔を真っ赤にして思い切り動揺した。

「な!?
 ちっ違うぞ!
 今のは本当に様子を見ようとしただけで、キ、キスしようとかそういう」
「ヴィータ?」
「ヒッ!?」

 誤解を解こうとあたふたしながら言葉を重ねようとしていたヴィータは背後からの呼びかけに背筋を伸ばして固まった。物理的に背中に突き刺さっていると錯覚するほどの圧力を持った3対の視線に、歴戦のベルカの騎士が恐怖のあまりピクリとも身動き出来ずに赤かった顔を蒼褪めさせる。
 そんなヴィータの窮地を救ったのは事の発端である恭也だった。

「…はやて?
 高町とテスタロッサもか?
 随分殺気立っているが何かあったのか?」

 完全に他人事風味の発言ではあったが、目覚めたばかりで状況の分からない恭也には無理も無いだろう。状況を把握していたとしてどれほど内容が変わっていたかは不明だが。
 今度は3人娘が動揺する番だった。

「え!?」
「な、なんもあらへんよ!」
「そ、そう!恭也がなかなか目を覚まさないからちょっと心配してただけだよ!」
「む?
 そうか、すまんな。
 ここは…、病院か?」

 何とか誤魔化せた事に胸を撫で下ろす。
 実は3人ともヴィータの行動が恭也を心配していただけである事は理解していたのだが、ヴィータの行動がリインフォースの姿に重なった瞬間、反射的にヴィータを威嚇してしまったのだ。
 3人が声に出す事無く、視線とジェスチャーでヴィータに謝罪していると、シグナムとシャマルが揃って病室に入ってきた。
 コソコソと遣り取りをしている4人を気に留める事無く黙りこんで何事か考えに耽っていた恭也が何気なくシグナム達を一瞥し、思わずといったように話しかけた。

「何かあったのか?
 2人とも心なしかやつれている様に見えるんだが…」
「あ、あはは…」
「大した事じゃない、と言っては拙いんだろうな。
 石田先生にお叱りを受けていたんだ」
「お叱り…?
 あー、スマンが状況を整理して貰えないか?
 起きたばかりで、何故ここに居るのかも分かってないんだ」
「分かった。
 では、お前が意識を失う直前から」
「そこは割愛して下さい」

 恭也の申し出に応えるために全員が来客用のパイプ椅子に座った事で、慌しかった場が漸く落ち着いた。

 昨夜ははやてが仮面の男達に転移させられたため、病院側から見たら無断外泊になってしまった事。
 当然、病院では大騒ぎになり、八神家にも何度も電話を掛けていた事。
 リインフォースを送った後、帰宅して病院からの留守電で漸く事態に気付いた事。
 恭也の負傷を魔法で治療したが目を覚まさなかったため、そのまま病院に連れてきた事。
 病院には、寂しがるはやてを想うあまりシグナムとシャマルが黙って連れ出してしまったと説明した事。
 事情を知らない恭也が街中を駆けずり回ったため昏倒してしまったと説明し、はやての病室に簡易ベットを用意して休ませて貰えるようにした事。

 シャマルが順を追って説明している間、病室は静かな空気に満ちていた。時折、恭也が疑問を挟んでもそれが変わる事は無かった。

279 小閑者 :2017/11/19(日) 11:28:32
 悲痛、と言う訳ではない。厳粛、と言うのは大袈裟だろう。
 ただ、静かに故人を悼む恭也に引き込まれ、一通りの説明が済んだ後も誰も口を開く事が出来ずにいた。
 シャマルは、八神家で恭也の境遇が判明するたびに沈み込む一同の気持ちを切り替えるために率先して行動するのが、一番辛い筈の当事者である恭也だった事を思い出す。こんなところでも助けられていたのだと改めて気付かされて眉を顰め、今回こそはと顔を上げるが、結局口火を切ったのは恭也だった。

「リインフォースは、納得出来たと思うか?」
「…さあな。
 結局のところ、こればかりは本人に聞く以外には想像する事しか出来ないからな」
「シグナム…」

 シグナムの突き放すような言葉に、シャマルが呼びかけながら咎めるような視線を向ける。
 シグナムは5つに増えた非難の視線に苦笑を浮かべながら、1人だけ感情の篭らない恭也の目を見つめ返して言葉を足した。

「だが、お前には最後にあれだけの笑顔を浮かべていたあの子が納得していた様には見えなかったか?
 あるいは、お前があの子の立場だったら納得出来なかったか?
 お前の想像したその結論は、決してお前自身が罪の意識から逃れるための都合の良い言い訳などではない。
 私が保証しよう。それでは不服か?」

 シグナムの言葉を受けても無言のまま視線を返していた恭也が目を伏せた。
 そうする事で、無表情に見えた先程までの恭也の顔が張り詰めたものだった事に漸く気付く事が出来た。
 恭也は不安だったのだろう。
 最早、彼がどれほど自分の都合の良い理屈を並べて勝手に納得したとしても、リインフォースには否定する事も反論する事も出来ないのだから。

 シグナムには恭也の不安が分かっていたのだ。同じ剣士として共感出来る面が多いという事だろう。
 流石はヴォルケンリッターを纏める烈火の将。

「まあ、最後にキスして逝くくらいだ、好意的だったと解釈する以外にあるまい」

 前言撤回!普通、この場面でそれを蒸し返すか!?
 シャマルとヴィータが異質な者を見る眼差しをシグナムに送っていると先程を上回るプレッシャーが発生した。2人には怖くて発生源を確認出来ない。確認するまでもない、とも言える。
 高まった圧力が防壁を決壊させるよりも早く、動揺を隠しきれない恭也が抗議の言葉を発した。

「ちょッ!お前、その話題を今出すか!?」
「アッサリと唇を許していたんだ、恭也も満更ではなかったんだろう?」
「バッ、そんな筈あるか!身動きが取れなかっただけだ!
 そもそも、普通あの状況であんなことするか!?」
「まあ、感謝の印というのもあったんだろうが、心残りを作りたくなかったなかったんだろう」
「俺の意思は!?」
「そんなこと言うて、ホンマは役得やったとか思とるんと違う?」
「なっ!?」
「そういえば恭也は夢に取り込まれる前にあの人に抱きしめられてた時も大人しくされるがままになってたよね」
「テスタロッサ、誤解を招く様な発言は禁止だ!
 あれは動きを封じられていたんであって、決して喜んでいた訳じゃない!」
「フンッどうだか!
 男の子はみーんなリインフォースみたいに美人でおっぱい大きい子が好きやから心ん中では喜んどったんやろ?」
「ちょっと待て!
 そんな十把一からげみたいな扱いは納得いかんぞ!」
「じゃあ、恭也君は違うのッ!?」

 頬を膨らませて上目遣いで睨んでくる3人娘に、恭也が声高らかに主張する。

「当たり前だ!
 確かに、あいつは美人だったさ!
 胸だって抱きしめられたら顔が沈むほどボリュームがあった上に物凄く柔らかかったよ!
 それでいて、バランスおかしんじゃないの?ってほどウエストは細かった!
 性格だって多少過激なところはあったけど、一途で優しかったんだ!
 何処に文句がある!?」
「思いっ切り肯定しとるやんけ!!」
「おお!?
 いやいや、リインフォースに文句を付ける積もりは無いと言いたかったんだ!
 俺が問題にしてるのは、キスするならもう少し順序と言う物があるんじゃないかということだ!」
「恭也君、さっきと言ってる事、違うよ!」
「馬鹿な!?高町のツッコミだけは的外れになると信じてたのに!」
「そんな信頼のされ方、嬉しくないよ!」

280 小閑者 :2017/11/19(日) 11:29:39
「話が逸れてるよ!
 結局、恭也も胸がおっきい子の方が好きなんだね!?」
「それも本題じゃなかったろ!?」
「大事な事だもん!!」
「フェイトちゃん、その気持ちはメッチャ分かるねんけど今は後回しや。
 恭也さん!結局、恭也さんはキスされたり、抱きしめられてあのおっぱいに顔を埋めた事を喜んどったちゅうのを認めるんやね!?」
「どうしてそうなる!?」
「じゃあ、リインフォースとのウレシハズカシな諸々の出来事を忘れる、言うんか!?」
「…忘れる?」

 恭也が滑らかに進む掛け合いを途切れさせた。
 唐突な変化に戸惑う一同に気付く事無く、視線を彷徨わせた恭也が不意に言葉を零した。

「忘れてなど、やるものか…」

 病室に静寂が満ちる。
 その反応で漸く自分がどの様な態度をとったのか気付いた恭也は、誤魔化す様に前髪を掻き揚げながら1つ溜息を吐くと立ち上がった。

「どうにも詰めが甘いな。
 悪いが、外すぞ?繕うほど泥沼に嵌まりそうだ」
「…ああ」

 シグナムの返答に背中を押されるようにして退室する恭也へ、声を掛けられる者は居なかった。
 扉が閉まると後ろめたさを誤魔化すように髪を掻き揚げながらシグナムがポツリと呟いた。

「話を振ったのが裏目に出たな」
「…え?
 それじゃあシグナム、さっきの、態とだったの?」
「当たり前だろう。
 多少落ち込んでいても周囲が賑やかになれば気分が晴れるかと思ったんだがな。
 あいつ自身が真っ先に喰い付いて来るとは、いや、即座にリアクションが取れるほどの余裕があるとは思っていなかったんだ。
 軽率だったか…」

 気落ちするシグナムをどうフォローするか思考を巡らせていたシャマルは、なのはやフェイトと一緒に落ち込んでいると思っていたはやてが微笑を浮かべている事に気付いて訝しげに声を掛けた。

「はやてちゃん?どうしたんですか?」
「…え?」
「えっと、なんだか嬉しそうに見えたから…」
「ああ、うん。
 恭也さんの事は心配やねんけどな?
 でも、今は恭也さんが、リインフォースの事、忘れたないって思ってくれてるゆうんが分かってちょっと安心した。
 もう、覚えてる事くらいしかリインフォースにしてあげられる事、あらへんからなぁ」

 はやての言葉にシャマルが目を見張る。
 間違いなく恭也の事を心配していながら、ちゃんと周りを見渡す事が出来ている。
 大人であっても、周囲に居る者を傷付けても気付く事が出来ない様な盲目的な恋に陥る者が少なくないというのに。
 恭也の非常識さに隠れがちだが、はやても決して歳相応の未熟さとは縁が遠いのだと再認識する。

「リインフォースは、…やっぱり恭也さんの事、好きやったんかなぁ?」
「…少なくとも、あたしはあいつが自分からあんな、キ、キスするところなんて見たことないよ」

 単語に反応しているのか、シーンが脳内再生されているのか、頬を染め、視線を彷徨わせながらヴィータが証言した。
 その可愛らしさになのはとフェイトも小さく口元を綻ばせる。

「そうですね。
 恭也は、ある意味、リインフォースに一番近付いた存在だったでしょうから」
「一番って、シグナムさん達やはやてちゃんよりって事ですか?」
「ああ。
 絶対的な主従ではなく、意思を揃えた同郷でもない。
 実力差を恐れて媚びる事も隠れる事も無く、意見をぶつけ合い、相手が正しいと思えば賛同し、間違っていると思えば傷付く事も傷付ける事も厭わずに正そうとする、対等な存在。
 高ランク魔導師の元へ自動的に転送されるあの子にとっては、恭也の様な存在はどれほど望もうとも簡単に得られるものではなかっただろう」

 そう言いながらも視線を伏せるシグナム。
 言葉にしなかった想いを読み取り、シャマルとヴィータも視線を逸らした。

281 小閑者 :2017/11/19(日) 12:39:23
 リインフォースはずっと孤独だったのだ。
 過去にプログラムの改編を受けた事で、『夜天の魔道書』が『闇の書』と呼ばれるようになる頃には、リインフォースは守護騎士とすら意思を交す事は出来なくなっていた。
 書の管制人格の存在は覚えていても、6割以上の蒐集とマスターの承認なくしては意思を表す事の出来ない彼女とシグナム達が会話出来る機会は極めて稀だったはずだ。
 何より、例え、闇の書の起動から暴走までの僅かな時間に一同が会したとしても、暴走し、転生した時点で守護騎士の4人は記憶の大半をリセットされてしまっていた。
 言葉が交せずとも同じ悲しみや辛さを共有していたなら、リインフォースにとっても多少の慰めになっていたかも知れない。
 自分達の意思とは無関係であったとはいえ、辛い記憶を消去され、転生の度に暴走と言う結末のために奔走する自分達を、目を逸らす事も出来ずに見守り続ける役割を振られた彼女は一体どんな思いを抱いていたのだろうか。
 そして、マスターを殺してしまう結末から目を背けるために縋りついた『はやての願い』を、書の完成から暴走までの僅かな時間に実行しようとするリインフォースに対して『その行為は間違っている』と立ちふさがる恭也の事をどう思っただろうか。
 事情を知らない者が口先だけで正論を吐いていると思えば、苛立ち、憎悪すらしたかもしれない。だが、顕現出来なかったとはいえ、八神家で過ごし、はやてのために奔走する恭也を見ていたのだ。その恭也が一個の存在として“自分”を認識し、実力差に怯えて顔色を窺うこともなくヴォルケンリッターと同様に接してくれた事を思えば嬉しくないはずが無い。
 …だからこそ、文字通り生命を賭して立ちはだかる恭也をその手に掛けてしまう未来に恐怖し、凍り付いていたのではないだろうか。
 リインフォースの苦肉とも言える悲劇の回避手段、『吸収』すら跳ね除け、自力で道を切り開く姿に心を震わせただろう。
 危険を、いや不可能を承知で、それでも『消えるな』と言ってくれた事がどれほどの喜びだっただろう。
 …それでも、消える事を選択するより他にどうすることも出来ない己の悲運をどれほど恨んだだろう。憎んだだろう。哀しんだだろう。
 消滅するその瞬間まで、あれほどの笑みを浮かべている胸の内に、どれほどの想いを秘めていたのだろうか。


 ふと気が付くと、はやてに手を引かれていた。
 ヴィータもシャマルもシグナムも、優しく導かれるままに引き寄せられ、膝を着いて頭を包み込まれるように抱き寄せられた事で、漸く自分が涙を流している事に気が付いた。

「自分の事、そんなに責めたらあかん。
 きっとあの子も、そんな事望んでへんよ。
 …みんな、よう頑張ったな」

 言葉が、染みる。
 もう、嗚咽を堪えるだけで精一杯だった。




続く

282 小閑者 :2017/11/19(日) 12:45:47
第25話 岐路




 空を覆う厚い雲が日差しを遮り、昼になろうとしているこの時間でさえ辺りを薄暗くしていた。
 曇天により気温の上がらない今なら、あの雲から飽和した水分は間違いなく白い結晶として舞い降りるだろう。
 これからもリインフォースの別れ際を彩った無色無音の装飾を見るたびに昨夜の情景を思い出すのだろうか。
 そんな風に感慨に耽っていた狼形態のザフィーラは持ち上げていた頭を下ろした。
 背中の上で跳ね回る存在から逃避しきれなくなったとも言える。

「…勘弁してくれ」

 どれほど過酷な戦場であろうと漏らす事の無い弱音をザフィーラから引き出したのは、数匹の子犬だった。
 融け切らずに残った昨夜の雪で白く染められた中庭で、地面に伏せるザフィーラを中心にして犬種の違う数匹の子犬が元気に跳ね回っていた。
 どれも首輪を着けているところからすると飼い犬なのだろうが、周囲に飼い主の姿は無い。犬とは違い、この寒さの中、屋外で戯れる元気は持ち合わせていないのだろう。
 今朝の日も昇らない様な時間にはやてと気を失った恭也を担ぎ込んだ時からザフィーラはここに居る。毛皮のお陰で寒さに震える事は無いが、医者からの説教を聞かずに済む代償が今のこの状態では吊り合っているのか疑問の余地が有るとザフィーラは思う。

「モテル男は辛そうだな」
「…そう思うなら何匹か面倒を見てくれ」
「御免被る」

 唐突に背後から掛けられた言葉に平静を装って受け答えながら、ザフィーラは心中で溜息を吐く。
 いつもの事になりつつあるが、この男と一緒に居ると狼としてのプライドが傷だらけになる。
 ザフィーラの音の無い文句に気付く事無く、恭也はザフィーラの正面にあるベンチに腰掛け、即座に子犬の団子に揉みクチャにされる。

「…御免だと言った筈なんだが」
「聞こえなかったんだろう。頑張って説得するといい」

 笑いを含んだ声を掛けるザフィーラを恨めしげに見やりながらも子犬の所業を放置する恭也の様子に、ザフィーラは口を噤んだ。
 どんな対応だったら恭也らしいと言えるのかが具体的に思い描けている訳ではなかったが、それでも、その態度は恭也らしくない様に思う。

 何かあったのだろうか、などと白々しい事を考えている訳ではない。
 無い訳が、無い。
 ただ、だからといって何と声を掛ければ恭也の気が晴れるかが見当も付かなかっただけだ。
 そこまで考えて、ザフィーラは自分の思考に嘆息する。
 はやてやシャマル達にも出来なかったからこそ、病室を出た恭也がこの状態なのだ。自分に気の利いた台詞など、出る筈が無い。
 ならば、無理に慰めるような台詞は逆に恭也に気を遣わせてしまうだろう。そう結論付けたザフィーラは普段通りに話し掛ける事にした。

「これから、どうする?」
「…これから、か」

 途方に暮れた様な力の無い口調が、何のプランも無いことを雄弁に語っていた。
 転移事故に巻き込まれて着の身着のままこの世界に飛ばされて、それが『事故による転移』だと証明されてから2週間ほどしか経っていないのだから当然ではある。そもそも判明してから昨夜遅くに至るまで身の振り方を考える余裕など無かったのだから。
 ザフィーラとて、念のために確認してみたに過ぎない。

 身に付けた戦闘技能こそ非常識なレベルだが、恭也は社会的には未だに何の力も持たない未成年なのだ。この世界で文明的な生活を送るには非常に困難な状況と言えるだろう。
 恭也なら野山を駆け回って生きる事は出来てしまうだろうが、流石に事故に巻き込んだ責任上、管理局がその選択を良しとするとも思えない。
 管理局側の提示する最初の選択肢は元の世界に戻るか、この世界に残るかだ。
 本来であれば戻る手段が見つかった時点で恭也は強制的に送還された筈だ。この世界に来た事事態がイレギュラーなのだから、元の世界に身寄りが無くともそれが道理だ。冷たい言い方になるが、事故さえ発生しなければその状況に置かれていたのだから。
 だが、管理局としては今回の事件で恭也に大きな借りが出来た。

『第一級ロストロギア関連事件であるにも関わらず死者0名』

 その立役者が恭也とされるからだ。
 語尾が未来形なのに断定しているのはリンディが是が非でもそうしてみせるとにこやかに断言していたからだ。これはリンディが『送還方法が見つかった場合に恭也をこの世界に残せる方法』として本人以外に提案し、満場一致で同意を得たものだ。勿論、最終的にどうするかの判断は本人に委ねる事になっているが。
 尤も、恭也には未だに経緯は勿論選択肢すら明示されていない。ザフィーラは恭也が目を覚ましたら最初にその話になると思い込んでいたため確認を取らなかったのだが、提示されたところで即座に結論が出せない事に変わりはないので2人とも気付く事は無かった。

283 小閑者 :2017/11/19(日) 12:48:46
「無理強いする訳にはいかないが、八神家に残る事も考慮してくれないか?」
「…」

 恭也が視線だけで真意を問い掛けてきたためザフィーラが嘆息する。
 分かっていた事ではあるが、この男は自分自身の評価が低過ぎる。

「知っての通り、主は名実ともに我等守護騎士のマスターだ。
 我等を部下ではなく、家族として接して下さるが、それでも家長として振舞われる。
 本来であれば親の庇護を甘受するべき年齢でありながら、保護者としての振る舞いと責任を全うしておられる。
 それを成せる事は素晴らしい事だが、いつか無理が出る気がしてならない」
「…分からなくはないが、足の麻痺が治れば復学するんだろう?
 学校で友人が出来れば、その心配も杞憂に終わるだろう。
 学校でなくとも、高町やテスタロッサも居るし、月村やバニングスははやてが自力で築いた関係だ。
 俺が見る限り彼女らは至って健全な精神をしているし、人格についても問題は無い」
「分かっている。主が心を許すご友人だ、その点については何も心配はしていない。
 だが、彼女らはあくまでも友人であって家族では無い。どれだけ親身になり、心を許せても、限界はある」
「…突き詰めるなら、親子であろうと“本人”では無い以上“他人”だ。
 その理屈は通らないぞ」
「そこで“俺だって家族ではない”という言葉が出ないなら十分だ」

 その切り替えしに恭也が口を閉ざした。そのままゆっくりと曇天を仰ぐと肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。
 尋常で無い肺活量を証明するように宙に吐き出された大量の白い吐息が虚空へと融けて消えるまで無言で見つめ続ける。
 恭也にジャレ付いていた子犬達も一緒になって見上げていたため辺りが静寂に包まれる。
 その静寂を破り、恭也の悲しげな声が響いた。

「お前だけは人を引っ掛けるような真似はしないと思っていたんだが…」
「それは認識を誤ったな。主のためであれば泥に塗れる事も厭わぬのが守護獣というものだ」

 恭也の恨みがましい視線にもシレッと答えるザフィーラはどこか自慢げですらあったが、直ぐに口調を改めて言葉を足した。

「主はお前の前では歳相応に振舞う事が出来るようだ。それがお前を誘う理由ではあるが、恭也、それはお前にとっても同じでは無いのか?」
「…」

 今度の沈黙は先程の演技臭さの混ざらないものだった。
 ザフィーラが性急過ぎただろうかと恭也の様子を窺うが、僅かに逸らされた視線からは何の感情も読み取ることが出来なかった。

「…良いのか?そんな事を独断で決めて」

 恭也がポツリと漏らした呟きは訊ねたことに対する答えではなかった。

「我等守護騎士の総意と受け取って貰って構わない。
 確認してはいないが、主のお考えも、本音は大きく外れていないと推測している」
「そうか…」

 それだけ答えると、恭也は再び口を噤んだ。
 視線をザフィーラから外したまま膝の上でじゃれ付く子犬達を左手だけで構う姿は、途方に暮れた迷子の子供の様にしか見えなかった。




 どれほどの時間そうしていただろうか。
 ザフィーラは音もなく舞い降りる白い粉雪が視界に入った事で漸くそのことに思い至った。

「おい、恭也!早く建物に入れ!」
「…何かあるのか?」

 恭也はザフィーラの言葉とその語調に周囲を警戒するように視線を飛ばすが、その動作すら緩慢であることにザフィーラの焦りが募る。

「そんな薄着で出歩ける気温ではないだろう!
 早く暖房の効いた部屋へ入れ!」

 上着も羽織らずに薄着のシャツだけの格好では当然の結果ではあるのだが、唇を青くしながらも指摘されるまで自分が凍えている事に気付かないとは。
 過剰な評価は捨てた積もりだったのだが、今の精神状態の恭也に対してあまりにも配慮が足りなかった。

「そうだな。
 ほら、そろそろ開放してくれ」

 恭也は緩慢な動きのまま子犬を退かせると、ゆっくりとした足取りで病棟へと向かう。その後姿を見送るザフィーラは己の無力をかみ締めることしか出来なかった。

284 小閑者 :2017/11/19(日) 12:52:40
 時期に因るものか時間帯の問題か、2階までの吹き抜け構造になっている開放的なロビーは閑散としていた。無人と言っても差し支えない広いロビーに恭也が辿り着くとタイミング良く恭也の右手側から2人の少女が駆け寄ってきた。

「恭也君」
「どうした?高町、テスタロッサ」
「恭也がなかなか戻って来ないから探しに来たんだよ」
「よく見つけられたな?」
「探し始めたらちょうどザフィーラさんが念話で『ロビーに居るはずだ』って教えてくれたの」
「手間を掛けたな」

 気遣わしげな表情のなのはに対して、恭也が頭をぽんぽんと軽く叩きながら素直に言葉を口にした。
 その、らしくない態度になのはは逆に困惑してしまう。

「べ、別にそんなことないけど…
 大丈夫?話し方とか雰囲気が随分違う気がするけど…」
「まあ、な。
 自覚が無いが調子が出ないようだ。
 今日は何を口走るか分からんからあまり構うな」
「調子が悪いなら尚更放っておけないよ…って、恭也君の手、凄く冷たいよ!?」
「ん?ああ、すまん、冷たかったか」
「そんな事言ってるんじゃないよ!」

 謝罪しながら手を引っ込める恭也になのはが口調を強めて詰め寄る。
 普段から言葉遊びで煙に巻くような言動をする恭也だが、今の遣り取りはそうしたものとは違っているように思えた。
 なのはが引き戻そうとする恭也の左手を握り驚きに目を見開いたのを見て、フェイトも慌てて恭也の右手を、次いで頬に手を当てる。

「どうしてこんなに…
 まさか、こんな薄着で今までずっと外に居たの!?」
「フェイトちゃん、兎に角、体を温めないと!」
「うん。
 私、何か飲み物買ってくるよ!」
「そんなに慌てなくても、ロビーは暖房が効いてるから暫く放って置けば温まるだろう」
「ダメだよ!」

 恭也の投げ遣りな台詞にフェイトはおもわず声を張り上げた。
 離れたカウンターに座る看護士の姿にここが病院であることを思い出すと、フェイトは懸命に声を抑えながら、しかし感情の強さを表すように語気を強めて恭也に言い募る。

「今は無理する必要なんて無いでしょ!?
 お願いだからもっと自分を大事にして!」
「…悪かった。頼むからそんな顔をしないでくれ」

 困り果てた様にそう答える恭也にフェイトは複雑な想いを抱く。
 こちらの言葉を素直に聞き入れてくれる事は有り難いのだが、このリアクションはどう考えても平時のものではないだろう。
 それでも聞き入れてくれたことに小さく胸を撫で下ろすと、フェイトはじっと戸惑いを表す恭也の顔を見つめた。

 調子が出ないと言うのは本当の様だ。
 普段の恭也であればそもそも体が冷えている事を気付かせる様な行動は取らない筈だ。先程の反応と併せて考えるなら『調子が出ない』とは『思考がうまく働かない』つまり『隠し事が出来ない』という意味だろうか?
 捻くれた言動であれば困らされ、素直な態度を取られると心配させられるとは。
 いっその事、恭也の事を全て忘れて『赤の他人』になるというのはどうだろうか?
 そんな馬鹿な事を考えつつ、小さくため息を吐くことで、見慣れた者に分かる程度の無表情ではない恭也の見慣れない容貌から視線を逸らす。

 無理です。ゴメンナサイ。

 こんな時だと言うのに、普段と比べて格段に無防備な恭也の顔に顔が赤らむのが自覚出来てしまう。
 どう言う訳か、近頃はふとした瞬間に、恭也の顔を思い出したり、その場に居たらどんな反応をするかを想像したりする事が多くなっているというのに、恭也の事を忘れて過ごすなんて出来るとは思えない。
 なのは以外の人の事をこんなに考えるようになるとは思ってもいなかった。
 そんな事を考えていたフェイトは、自分が失念している事柄に気付いてそれまでの温かくもくすぐったい気持ちが急速に熱を失っていった。
 表情を強張らせたフェイトを怪訝に思ったのか恭也が問いかける。

「どうかしたのか?」
「え!?あ、ごめん!直ぐに買って来るから!」
「いや、別に急かすつもりは…」

 顔を見られないように恭也の声に慌てて駆け出す。

 忘れていた。
 事件が解決した以上、恭也は元の世界に帰るかもしれないんだ。

 決めるのは恭也だ。
 たとえどちらを選んだとしても、それを否定することも反対することも出来ないし、してはいけない。
 そう理解しているからこそ、行き場を失った想いがフェイトの胸の内で渦巻いていた。

285 小閑者 :2017/11/19(日) 12:57:00
 フェイトが早歩きで自販機コーナーに向かう姿を見送ると、なのはは手を引いて恭也をソファーへと誘導する。窓側のソファーは前庭が見られるように窓に向けて、通路側の物は受付が見えるように逆向きに設置されていたので窓側を選ぶことにした。
 恭也が素直にソファーに座ると、ピッタリと寄り添うようになのはもその右隣に腰掛ける。その距離に恭也が何かを言いかけるが、なのはは機先を制するように恭也の体に抱きついた。

「な!?」
「うわぁ、恭也君ほんとに冷たいよ」
「…ひょっとして、暖めようとしているのか?」
「え?
 うん、冷えた体を暖める時はこうするんでしょ?」
「誰に聞いた?」
「アリサちゃんが持ってるマンガに載ってたんだ。確か、すずかちゃんの持ってるのにも載ってたと思う」
「あいつら…。
 せめて分別のつく相手を選んで渡せよ」

 恭也はそう言いつつ溜め息を吐くと、なのはが顔を赤らめている事に気付かないまま軽く嗜めた。

「年齢的にはまだ大丈夫なのかもしれないが、曲がりなりにも男を相手に気安くこういった真似をするのは感心しない。
 国や風習によっては“はしたない行為”と受け取られかねないからな」
「そ、それは分かってるけど今は緊急事態だもん!」
「大袈裟な…
 俺の方が恥ずかしいから勘弁してくれ」
「じゃ、じゃあせめて腕だけでも」
「む、…その辺りが妥協点か」

 あっさりと同意されたことにフェイトと同じ様に複雑な想いを抱きながらも、なのはは言及する事無く恭也の腕を抱きかかえる。
 座った体勢のお陰で体格差が埋められたとは言え、それでもなのはの目の高さは漸く恭也の肩辺りだ。客観的に見て『しがみつく』と言ったところだろうか?もっとも、それ以前になのはの幼い容姿では色気より微笑ましさの方が前面に出ているのだが。

「うわぁ、恭也君の腕、凄く太いね」
「剣を振っていればこの程度にはなる。兄や父の方が太いだろう?」
「そうなのかな?
 意識したことなかったし、最近はあんまり触る機会なんてなかったから良く分かんないよ」
「そうか」

 そこで2人の会話が途切れた。
 恭也は元々積極的に発言する方ではないので、なのはが話しかけなければ沈黙が訪れるのはいつもの事だ。普段であれば、恭也は勿論なのはも無理に言葉を紡ぐ事はせず、その空気を楽しむ事が出来る。
 だが、今のなのはが話しかけないのは緊張によるものだ。その原因は沈黙に対してではなく、これから恭也に話す内容についてだ。
 今の恭也がかなり不安定であることは先程はやての病室で露見している。この話題は負担を増やす事にしかならないかもしれない。
 それでも、先延ばしにする事は出来ないし、何より万が一にも恭也が誤解している様な事があれば、そのまま決心を固めてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

「恭也君。
 もう、決めた?」
「何を?」
「その、…元の世界に戻るか、この世界に残るか」
「…元々、この世界に来たこと自体が管理局側の携わった事件が原因だったんだ。
 体面上の問題もあるから戻る手段さえ見つかれば強制的に帰されるだろう」
「え…?
 あ、まだ聞いてないの?恭也君が居たいならこの世界に残る事も出来るんだよ?」
「…初耳だ」

 危なかった。思っていたより遥かに手前の段階だったとは。

「望むなら…か」
「うん。
 誰も強制はしないと思う。
 だから、先に言っておこうと思って。
 恭也君がこの世界を選んでくれたらはやてちゃん達も喜ぶとは思うけど、私も恭也君と一緒に居られると嬉しいよ。
 多分、フェイトちゃんも」
「…え?」
「あ、あれ?
 どうしてそんなにびっくりしてるの!?」
「いや、意外だったから」
「ええ!?
 なんで!?私もフェイトちゃんも恭也君と一緒に居ると楽しいし、嬉しいよ!?」
「いや、そっちじゃない。
 俺が選択するまで何も言わずに、帰ると言い出してもそのまま黙って見送ると思ったが。
 高町も俺がそう考えるだろうと思っていたからわざわざ言ったんじゃないのか?」
「まぁ、予想通りではあったんだけど…」
「予想ね。
 兄と反応が同じか?」
「え?お兄ちゃん?
 えっと…、そうだね。お兄ちゃんも大事な事を黙って決めちゃう辺りは恭也君と似てるかな?
 ?どうかしたの、恭也君?」
「なんでもない」

286 小閑者 :2017/11/19(日) 13:04:24
 なのはの中では高町恭也と八神恭也は完全に別人として認識されているようだ。比較して尚、兄『が』恭也『に』似ている、という表現が自然に出てくる辺り、なかなかの徹底振りである。
 恭也としても、先程の発言が兄と重ねているからこそのものだと思っていたのか、なのはの言葉にいくらか戸惑いの表情が浮かんでいた。

「高町はそういう事をはっきり言うんだな」
「そういう事って…、嬉しいとか一緒に居たいとか?」
「気付けると言う事は一般的ではないと自覚しているんだろう」
「そう、だね。
 元々、あんまり抵抗はなかったんだけど、前に黙ってたのが原因でアリサちゃんと喧嘩になった事があったから。
 それに特に今回は、もしかしたら本当に二度と会えなくなっちゃうかもしれないし。
 恭也君が勝手に『なのは達の傍に居ないほうが良いんじゃないか』、なんて考えてたら大変だもん」

 そう言いながら柔らかく微笑むと、恭也が視線を逸らした。

「えっほんとにそんな事考えてたの!?」
「冗談だ。
 強制送還されると思っていたから何も考えていなかった」
「…それはそれで寂しいよ」

 少しくらいこの世界に留まれる様にリンディに掛け合って欲しかった、と考えるのは流石に贅沢だろうか?

「お待たせ。
 あれ?なのは、暖めてるの?」
「うん、ほんとに冷たくなってるんだもん」
「じゃあ、私はこっち側だね。はい、これ」
「ああ、ありがとう。
 …テスタロッサも抱きつく事に抵抗を感じない口か。
 2人ともあと2・3年の内に認識を改めておけよ?誤解してトチ狂う馬鹿が現れてもおかしくないからな」

 俯く事で意図せずそこはかとなく幸せそうに綻ぶ口元を隠したフェイトと、改めて恭也に擦り寄るなのはに念を押すと、恭也は差し入れてくれた缶のプルタブを開けようとして動きを止めた。

「…そんなに怒ってたのか?」

 ポツリと漏らされた言葉を不審に思ったなのはが恭也の視線を追って恭也の手に包まれたジュースを見て、固まる。

 おしるこ

 おもわずフェイトの顔を確認しようとしたなのはを遮る様に恭也が解いた右手でなのはの頭を軽く撫で、そのままプルタブを開く。

「冗談だ。
 ハラオウン提督にでも勧められたのか?」
「?うん、私はまだ飲んだ事ないけど、凄く美味しかったって。
 恭也はこれ飲んだ事ある?」
「滅多にないな。だが、体を暖めるには向いているんだ。有り難く頂こう」

 そう言って恭也は流し込む様に一気にお汁粉を飲み干した。
 フェイトにしても善意100%の行動だったのだ。惜しむらくはリンディと恭也の味覚に関する嗜好が180度向きを違えていると察する事が出来なかった事だろうか。
 早々にフェイトに教えてあげなくてはとなのはが心に誓っていると珍しく恭也から話題を切り出した。

「そう言えばまだ恩を返していなかったな…
 2人とも何かして欲しい事でも有るか?」
「オンって何?」
「どうやって翻訳してるのか知らないが、テスタロッサは時々不思議なところに疑問を持つな。
 謝礼や迷惑料だと思えば良い」
「恭也君が態と難しい言葉や普段の会話で使わない様な単語を使ってるだけだと思うけど…」
「標準語なんだが…
 まあ良い。それで何か無いか?どんな無理難題でも、とは言えないが、それなりの要望には応じる覚悟がある」
「それってアースラに来てから恭也を助けたお礼って事?」
「そうだ。勿論、直ぐに思いつかないなら保留にして貰っても構わない」
「いいよ、私は恭也にたくさん助けてもらったから、私の方が恭也にお礼をしなくちゃいけないくらいだよ」
「俺が何かしてやった事があったか?
 はやて達については騙した、と言っても否定されたが秘密にしていたのは事実だ。
 医務室で暴れた時には2人とも身を挺して止めてくれた。
 シグナム戦では無理矢理先陣を譲って貰ったし、結界まで張ってもらった。
 夜天の書が暴走した時には戒めや檻を壊してもらった。
 して貰った事ばかりでしてやった事は特に思いつかないが?」
「え、えっと…」
「あ、私はビルの屋上で仮面の人から助けて貰ったよ」
「それでも貸し借りで言えば圧倒的に借りっぱなしだと思うがな。
 直接的な表現に変えようか。
 魔道書の暴走の時にあろうことかトチ狂ってお前達に殺気を叩き付けたうえに、あまつさえ攻撃しようとしたことについて謝罪がしたい。何度自分の腹を掻っ捌いてやろうと思った事か」
「ええ!?ダッダメだよそんな事しちゃ!」
「そうだよ!いくら恭也でも死んじゃうよ!」
「疑問の余地も無く死ぬだろ。そのためにするんだし。
 だが、まぁ自己満足のためにお前達に負担を掛けては本末転倒だからそれはしない」

287 小閑者 :2017/11/19(日) 13:06:48
 なのはとフェイトが同時に脱力する。恭也の腕にしがみ付いていなければソファーに倒れ付していたかもしれない。
 多分恭也は本気だったろう。自分を律する事に掛けては妥協する様子を見せない恭也ではあるがここまで過激だと正直怖くなってくる。
 恭也が無茶をしないようにしっかり見張っていなくては!
 それぞれがそんな決意を抱いていると恭也が促してきた。

「更に言うなら高町には正気付けて貰ったからな。あのまま勝手に絶望して座り込んでいればはやて達を助けに行くことすら出来なかった。謝罪についても感謝についても何をどれだけ積んでも不足だろう。
 だが、途方に暮れ居ていても意味が無いからお前達にあれに見合う望みを挙げて貰おうと思ってな」

 恭也の申し出に、2人は咄嗟に思い浮かんだ『この世界に残って欲しい』という言葉を慌てて呑み込んだ。
 その選択肢は恭也自身に選んでもらわなければ意味が無い。
 理想論ではない。残留を望めば恭也は承諾してくれるだろうが、恭也の将来を限定するような願いは恭也の命を奪う事とどれほどの差があると言うのか。
 とは言え、なのはには適当な望みが浮かばなかった。この“望み”が恭也に対して相当な強制力を持つ事が分かってしまっては迂闊な事を言える筈がないだろう。
 きっとフェイトも同じだろうと恭也越しに窺うと妙案でも思いついたのか明るい表情を浮かべていた。

「じゃあ、私の事、名前で呼んで貰えないかな?」
「あ!それ良い!
 私も『なのは』って呼んでよ!」
「…いや、呼ぶのは構わないが、あれの対価がそれか?」
「でも、あの時は結局私もなのはも怪我はしなかったもの」
「うん。ほんとの事言うと凄く怖かったけど、怖い想いしたお詫びなら嬉しいことじゃなくちゃ」
「…理屈、か?
 いや、だがあの時の恐怖心と名前を呼ぶ事が吊り合いはしないだろう?そもそも名前を呼ばれるのが嬉しいのか?」
「ちゃんと吊り合うよ。それに納得するかどうかは恭也が決める事じゃないでしょ?」
「それは、そうだが…」

 フェイトの言葉は理屈が通っているが、恭也には屁理屈にしか聞こえないだろう。それでもフェイトもなのはも本当に嬉しそうに微笑んでいるとなれば否定の言葉を重ねられる訳が無い。

「まあ、良いが。
 それより、高ま、なのはは『友達になれ』とでも言ってくるかと思ったんだがな」
「にゃ!?そ、そう?」
「何に動揺して…
 赤くなるほど恥ずかしいなら呼び方戻すか?」
「ダッダメ!絶対ダメ!!」
「分かったから落ち着け。
 で、どうして膨れっ面になってるんだ、フェイト」
「…べ、別に」
「あのな、嫌なら嫌と言え。頬を引きつらせてまで嬉しそうな顔にする必要はないんだぞ?」
「そんなんじゃ、ないもん」

 顔を背けて恭也から表情を隠すフェイト。
 提案したのは自分なのに先に呼んでくれなかったから拗ねている、とは流石に自分の口からは言えない。ましてや、呼ばれた事が想いの外嬉しくて緩みかけた頬を、拗ねた手前無理矢理抑えているなんて知られる訳にはいかない。
 『乙女心は不可解だ』と公言しているだけあって、恭也はフェイトの心の機微に気付いた様子も無く視線を転じる。その先で懸命に平静を取り戻そうとしていたなのはは視線が合った途端、赤面しつつ目を泳がせる。

「会話にならんな」
「にゃ〜…
 え、えーとね?お友達になる話は、その、もういいの」
「ほう。
 意外に諦めが良いじゃないか?」
「別に諦めた訳じゃないよ」
「きょ、恭也が前に言ったんだよ。自分で決めれば良いって」
「そう、だったか?」
「そうだよ。だから私は恭也君の事、お友達だと思ってるし、恭也君もそう思ってくれてるって思ってるもん」
「他人の気持ちまで勝手に決めるのはどうかと思うのだが?」
「恭也ならそう言うと思ってたよ。
 でも、自分が傷だらけでも気絶してる私を気遣ってくれたし、私達に心配掛けたくないからって悪夢に魘されてる事を隠し通そうとしたり、…幸せな夢を振り払って帰ってきてくれたり…」
「さっき恭也君は私達が一方的に助けてるって言ってたけど、そんな事無いよ。そんな恭也君だから私達も何かしてあげたいって思うんだもの。
 だから、呼び方なんて何でも良いの。こういう関係でいられるならそれで十分だよ」

 恭也が天井を見上げた。
 赤みを残した顔で朗らかに微笑む2人に挟まれている為、顔を背けるにはそれしかなかったのだろう。
 2人はそれを察しながらも口にする事無く、抱えた腕をそのままに恭也に寄り添うように凭れ掛かった。
 そうして2人が幸せに浸り、リラックスした瞬間を狙い澄ました様な絶妙なタイミングで声が掛けられた。

288 小閑者 :2017/11/19(日) 13:10:01
「幸せそうやなぁ」
「にゃあっ!?」
「ひゃあっ!?」

 驚きを座ったまま飛び跳ねるという器用な真似で表現したなのはとフェイトが慌てて振り向くと、車椅子を操作してこちらに近づいてきながらはやてが苦笑を浮かべていた。
 特別に疚しい事はしていない筈だがやたらと恥ずかしい。
 そう思いつつも、なのはもフェイトもそれが自分の腕に恭也の腕を抱えている事に起因しているとは考えていない様で離す素振りは全く無い。
 腕を組んだまま並んで座っているため容易に向きを変えられない3人と向かい合うために、はやては苦笑を深くしながら前に回り込む。するとそれまで何の反応も返す事がなかった恭也と目が合った。
 恭也に驚いた様子は無いが、はやてにとってもその事に意外性は無い。だが、いつから気付いていたのかは不明だが、はやてが近付いてくる事に気付いていながら抱きつかれた腕を解かなかったというのはちょっと意外だ。
 リインフォースを助けられなかったショックで感情が鈍っているのだろうか?などと心配していると本人の口から真相が語られた。

「まあ、“両手に花”というやつだからな。
 もっともこれだけ可愛ければ片手だったとしても嬉しくない訳がないだろう?」
『…え?』
「ん?どうして疑問符が返ってくるんだ?」

 どうやら、はやての言葉を自分に向けられたものと勘違いしての台詞だったようだ。作られたニヒルな笑みも浮かべずに、普段の硬質な仏頂面から力みの抜けた柔らかい素の顔で、サラッと聞き慣れない単語を口にされて思わず聞き返してしまった。

「あ、いや、え〜と…
 恭也さん、今、あんまり冗談とか言えるほど、調子良うないよね?」
「ああ、さっきので懲りた。
 悪いが掛け合いは期待しないでくれ」
「つまり、本心な訳やね…」

 はやてがボソッと呟いた言葉も恭也にはちゃんと聞き取れいてたようだが、言葉の意味までは汲み取れなかったようで僅かに首を傾けていた。
 実際には、冗談が言えないからイコール本心、と言う訳ではないだろう。
 恐らくはやてがここに来る直前の会話を隠そうとしているのではないだろうか?
 普段であれば誤魔化すために場を引っ掻き回すような言動を選択していたところを別の話題に転換するという方法で代用したのだろう。
 だが、そのために恥ずかしい台詞を口にしていては意味が無い様に思うのだが。
 ひょっとして、『2人が可愛いことは周知の事実だから口にしても恥ずかしくない』とでも思っているのだろうか?…有り得る。

 チラッと視線を下げてみる。真っ赤だ。深紅と言っても良いかも知れない。完全に飽和して茹っている。口から魂がはみ出してそうだ。
 それでも恭也の腕を離さない辺り、なかなかの根性である。
 まあ、分からなくも無い。仮に周囲の人から言われ慣れていたとしても、言われる相手によって受ける印象や抱く感情は違ってくるものだ。
 ちょっと羨ま、いやいやいや!
 それよりも、滅多にあっていい事ではないが、恭也がこの状態になったらあまり女の子を近付けてはいけない。そう心のメモに極太マジックで大きく記しておく。
 それにしてもあの芸人風味の言動は本人の趣味でもあるのだろうが、周囲への予防線でもあったんだなぁ。

「ところで、はやて。
 その服、外出でもするのか?」
「え?あ、うん、外出許可が貰えてな」
「外泊許可?昨日の今日で良く貰えたな」
「昨日の今日だからかもしれへんね。
 超恥ずかしい事に、昨日病室で泣いてた事も知れ渡ってるっぽいんよ。それで、今日の検査結果も良好やったからって」
「なるほど。メンタルケアと言うやつか。じゃあ今日は自宅か」
「あ、いや、え〜とな?」
「ん?」

 はやてが言葉を詰まらせた事に不思議そうな表情を浮かべる恭也。
 辛うじて復活したなのはが控えめに手を上げながらおずおずと声を上げた。

「今日はうちでクリスマスパーティをすることになってて、はやてちゃんも来てくれるって」
「なのはの家で?」
「なのは!?」
「どうした、はやて?」

 唐突に素っ頓狂な声を上げるはやてに恭也が会話を中断した。はやてが何に反応したのか分からないのだろう。

289 小閑者 :2017/11/19(日) 13:12:20
「い、何時から!?
 ついさっきまで『高町』やったやろ!?」
「何を興奮しているんだ?
 つい先程なのはとフェイトを名前で呼ぶ事になってな。
 経緯は、まあ、色々あったんだ」
「イロイロ!?何?何があったん!?」
「秘密だ。想像に任せる。紆余曲折あったと思ってくれ」
「そ、想像に…?
 あ、あかんよ恭也さん!
 ああ、フェイトちゃん逃げて!金髪美人に恭也さんの理性が!!」
「え?え??」
「フェイトちゃん、どうなっちゃうの!?」
「ああ、小学生にそんなことまで…、ケダモノ、人の皮を被ったケダモノがおる…」
「え、え、ケダモノ?」
「どこ?どこにいるの!?」
「はやて、今のメンバーではまともな返しは期待できないからその辺にしておけ」
「あは、そやね。漫談するには2人ともちょう純粋過ぎるかな」
「え、あれ?」
「ケダモノは?」

 話に全く付いていけてないなのはとフェイトに苦笑が漏れる。
 そんなはやてに恭也が微かな笑みを返した。それに気付いたはやては頬を染めて目を泳がせた。

「はやて。
 あまり気を使わなくていい」
「あ〜はは…」

 その会話で漸くなのはにもはやての懸念が理解出来た。家族を失ったばかりの恭也から士郎や美由希の話題を遠ざけようとしたのだろう。

 やっぱり優しい娘だ。
 恭也君が一番辛い時期に一緒に居てくれたのがはやてちゃんで本当に良かった。

「クリスマス…聖誕祭か」
「せいたんさい?あ、えっと、そんなに正式なものじゃなくて、仲の良い友達を呼んで楽しむちょっとしたパーティだよ。
 フェイトちゃんも、あとアリサちゃんやすずかちゃんも来るの」
「そうか」
「恭也君は、…どうする?」
「あの、無理にって言う訳じゃないんだよ?恭也は、その、会いたくないかもしれないし」
「うん。でも、勝手に決め付けるのも、良くないかなって」

 はやてが2人の言葉に驚き、凝視する。
 どちらの表情にも恭也を気遣う気持ちが強く表れていた。恭也の気持ちを汲み取った上で、選択肢を提示しているのだ。
 敵対している組織に単身で潜入する様な無謀な真似を成し遂げられたのはこの子達が居てくれたお陰だろう。
 警察機構である管理局が、現地の一般人を危険に晒す行為を気安く容認する筈がないし、闇の書の被害を最小限に抑えるために事件を迅速に終結したいという思いもあっただろう。本来であれば二重の意味で、魔法についてド素人の恭也が魔法戦に、しかも事件の最前線に参加する事は出来なかった筈なのだ。
 だが、どれほど正論を突きつけられたとしても、必要と判断すれば恭也は絶対に引いたりしない。はやては恭也が『八つ当たり』と称してAランク魔導師3人を自信喪失まで追い込んだ事実を知っている訳ではない。それでも、恭也の無茶や無謀を机上論だけで押さえつければ、それらを振り切るために更なる無茶をする事が想像出来た。

 管理局にいる時に恭也さんと一緒に居てくれたんがこの子らで本当に良かった。

「出欠は今すぐ決めないと拙いか?」
「ううん、後で構わないよ。なんだったら直接来てくれても良いよ。
 6時から翠屋だから、気が向いたら寄ってね」
「そう…だな。では、そうさせて貰う。
 なのは、フェイト、もう十分だ。離してくれ」
「あ、うん」
「恭也さん、うち帰る?」
「いや、独りで色々と考える時間が欲しい。シグナム達に送って貰ってくれ」

 そう答える恭也の儚げな表情に、3人とも返す言葉が見つからない。
 立ち上がった恭也は、そのまま玄関を抜けると雪の舞う寒空へと去って行った。





続く

290 小閑者 :2017/12/03(日) 12:16:45
第26話 一歩




 舞い降りる粉雪が厚い雲に遮られた日差しと相まって、閑静な住宅街の色彩をモノトーンに染める。
 夕方と言うにはやや早い時間帯。繁華街であれば活気もあっただろうが、外出するには低すぎる気温は、普段から人通りの少ない街路から更に人を遠ざけていた。
 だが、出歩くには不向きな条件ではあったが、人影が皆無という訳ではなかった。
 顔立ちの整った妙齢の女性、なのはの母である高町桃子と、普段の彼女が滅多に浮かべることのない警戒心を露わにした視線の先を背を向けて歩く男性。
 2人は先行する男性に桃子がついていく位置関係でありながら、一緒に歩いていると言うには離れ過ぎ、かと言って探偵の様に尾行していると言うには近過ぎる距離を保っている。
 既に無言の同道は数分を経過しようとしていた。
 やっぱり、遠回りをすることになっても引き返すべきだっただろうか。
 そんな後悔の念を抑えながら、このまま何事も無く少しでも早く次の分岐路に辿り着くことを願う。
 足を速めて男性との距離を縮める訳にはいかない今の桃子にとって、願う事しか出来ることは無かった。



     * * * * * * * * * *



 今夜はそれぞれが親しい友人を招いてのクリスマスパーティだ。
 桃子は主催者として、翠屋のパティシエールとして腕に縒りをかけるべく、朝一番から下拵えに勤しんでいた。普段から手を抜いた事など勿論無いのだが。
 下拵えが済むと一度帰宅し、開始時刻ぴったりに仕上がるように翠屋に向かおうと息子である恭也と一緒に自宅を出た桃子は、タイミングよく降り始めた雪を見てすぐさま踵を返した。理由は勿論防備を整えるためだ。
 呆れた様な視線を寄越す薄情な息子は先に店に向かわせた。一足先に店に向かった夫であり翠屋店主である士郎と共に店のセッティングをするためだ。テーブルの配置換えなど、埃の立つ様な作業は調理の前に行う必要があるため、どのみち桃子の本格的な出番はそれらの後になるのだ。
 桃子は自室に向かう途中でドア越しに美由希に声を掛けた。美由希も気配とやらが読めるらしいのだが、恭也ほど上手ではなく気配の主が誰なのか分からないと聞いているので泥棒と勘違いされないための配慮である。
 尤も、床の軋む音で体重や歩き方が推測出来るから、歩いていれば美由希にも区別が付くとも言われている。“気配”とやらがどんな感覚なのかまるで分からないが桃子は、歩く音って“気配”の内に入るんじゃないの?と問い掛けた事があるが『そんなあからさまな物は含めて考えてない』という答えが返ってきた。音以外の何で察知しているんだろうか、となのはと2人で首を捻ったものだが、その疑問も早々に放棄している。分からないものはいくら考えても分からないのだ。
 とは言え、声を掛けるのは会話によって交流するためであって、識別を目的にした事務的な行為ではないのだ。気配で誰なのか特定出来る士郎や恭也が相手であっても見かければ声を掛けないなんて事はある訳が無い。
 ただし、今回桃子が声を掛けたのは美由希の様子を窺うという意味合いの方が強く、案の定、声が返ってくる事はなかった。その美由希の態度に桃子はこっそりと溜め息を吐いた。
 美由希が返事もせずに部屋に閉じ籠もっている理由が、体調不良の類ではなく拗ねているだけだからだ。
 美由希が拗ねている原因はパーティ開始時刻まで翠屋への入店を禁じた事にある。家族総出で行うイベントから締め出す様な真似をすれば美由希でなくとも拗ねて当たり前ではある。そうは言っても、心を鬼にするだけの理由と必要があるのもまた事実なのだ。
 そして、美由希も自覚と実績があるだけに強く反論する事が出来ず、強行するには父と兄の壁は厚く高い。結果、美由希は不貞腐れて部屋に閉じ籠もっているという訳だ。
 『夕方には拗ねるのにも飽きて出て来るだろう』と冷たく言い放ったのは翠屋に向かった恭也だ。普段は口数こそ少ないものの温和な性分の兄とは思えない辛辣な台詞だ。だが、彼にこんな台詞を口にさせるのにも当然の様に理由があった。端的に言ってしまえば美由希が振り撒く災厄の被害確率が最も高いのが彼なのだ。
 普段はとても仲の良い兄妹だけに、こういった状態は見ていて心が痛む。きっと本人たちも辛いだろう。
 決意を新たにし、心に誓う。一日も早く、美由希の食材を使っての創作行為(決してあれを『料理』と呼んではいけない!)を改善してみせる!
 天井に向かって拳を突き出していた桃子は、我に返ると自室へ向かった。残念ながら美由希を更生させるには時間と労力を要するのだ。言い聞かせて済むほど生易しいものであれば既に改善されている筈なのだから。

291 小閑者 :2017/12/03(日) 12:17:41
 ちなみに、美由希に備わっている食物を劇物に変換する能力は、判明してから数年が経過しているが、未だに改善されていない。
 美由希が料理に手を出さなければ済むことではあるし、家族からも料理を人に出すことは禁じている。だが、桃子の料理を幸せそうに食べている人達を見て、『自分の作った料理で喜ばせてあげたい』という想いが膨らんでいき、膨らみきって我慢の限界を超えると思わず料理に手を出してしまうのだそうだ。
 剣術に関しては師の言葉を素直に聞き入れて成長してきた美由希ではあったが、こと料理に関しては誰の言葉も届かず暴走してしまうのだった。
 母親として、料理人として、美由希の想いはとても嬉しいのだが、現実が伴わない以上野放しにする訳にもいかない。とは言え、その想い自体は非難するべきものではないし、将来の事を考えれば料理くらいは出来るべきだろう。上手くいかないなら練習して上達すれば良いのだ。
 そんな訳で憧れを抱かせた責任として桃子自ら折を見ては料理を教えているのだが、厄介なことに桃子が監視している場で作らせた料理は普通に食べられる物が出来上がるのだ。

 初めて監視下で調理させた時には出来上がったまともな料理に桃子は首を傾げた。
 監視と言っても一切手も口も出さず見守っていただけなのに、拙いながらも美由希が独力で作り上げた料理は何の問題も無かったからだ。何品か作らせても結果は同じ。
 あの時の劇薬は何かの間違いだったのだろうと気を許した桃子が昼食の一品を美由希に任せて、嬉しそうにやる気を出した美由希と共に調理場に立った。食卓に出すその他の料理を作りながら念のために横目で美由希の行動を見ていたが、おかしな行為に及んでいる様子はなかった。
 少々歪ながらも完成した料理を前に小躍りして喜ぶ美由希を微笑ましく眺めていた桃子は、味見をするように言い渡した。
 特に警戒心が働いた訳ではない。単に調理中に味見をしている姿を見た覚えがなかったため、調理した者の責任を教えただけの積もりだったのだが、素直に応じた美由希が自信満々に料理を口に含んだ瞬間、意識を失った。

 美由希の感性の赴くままに作られた料理に、その誰にも利益を齎さない才能が発揮されると言う事実が発覚した瞬間だった。

 家族総出で介抱した結果、大事に至ることはなかったが、意識を回復した美由希は自信作の味を思い出して悲嘆に暮れた。
 死者に鞭打つ様で気は進まなかったが何故創作などという暴挙に出たのかを尋ねると、『そっちの方が美味しくなって、喜んでもらえると思ったから』という、叱りつけるには少々気が咎める理由だった。
 上達するまで少しづつ料理の基礎を覚えていこう、とやんわりと創作の禁止を伝えて美由希が頷いた事を確認するとその場はお開きとなった。

 だが、喉元過ぎれば何とやら。悲嘆に暮れた数日後には同じ事件が勃発した。ちなみに被害者は兄の恭也だった。
 それ以来、本人にはオブラートに包む事なく『基礎が出来ていないのに創作料理に手を出すな』と口が酸っぱくなるほど念を押しているのだが、『今度は大丈夫!』という何の根拠も無い確信の元、新たな危険物が創造され続けた。
 意識を失うほどの劇物なのだから見た目や匂いを嗅いだ時点で口に入れなければ済むだろうに、という意見は実物と向かい合った事が無い人だからこそ言えるのだ。
 美由希の料理は特に酷い外観をしている訳でもなければ異臭を放っている訳でもない。
 正規のものとは違っていても警戒心を抱かせない程度には料理として整った外観。
 直ぐに味を連想出来ないながらも不快感や不信感を持たせる事の無い不思議な香り。
 美由希の創作物は迷惑極まりない事に、桃子の料理に紛れて食卓に並んでいると発見する事が難しい条件を生まれながらにして備えていた。『味を想像出来ない香り(未知の物質?)』も冷めると嗅ぎ取り難くなるため決定打とは言えないのだ。
 『ブービートラップ(士郎命名)』あるいは簡素に『擬態(恭也命名)』と呼ばれるこの機能は高町家の食卓を(特に桃子が忙しくて料理だけ作って仕事に出ている時に)疑心暗鬼に陥れた。
 桃子が打開策を見つけるまで、かわいい妹(無論なのはの事)を守るために恭也が毒見役として体を張った。彼の被害率が格段に高くなったのはこのためだ。

 せめて被害が広がる事を食い止めるために、自作した物は必ず試食するように、と美由希には言い含めてある。
 だが、(主に周囲の人にとって)不幸なことに、美由希は完成した料理を前にするとそれを食べた人が喜ぶ様を想像して舞い上がってしまい、味見するのを忘れてしまうと言う救いようの無いドジッ娘属性まで持ち合わせていた。
 尤も、欠片ほどの悪意も無いからこそ、喜んで貰える事を微塵も疑っていない美由希は作った物を尋ねれば素直に答えてくれる、という桃子の見つけた打開策が有効になるのだが。

292 小閑者 :2017/12/03(日) 12:18:49
 再現性が無いにも拘らず同レベルの危険性を発揮する物体を生成する能力と、懲りる事も学習する事も無く裏付けの無い自信に身を委ねて、実現する事の無い妄想を羽ばたかせる精神。