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奥須璃菜が母になる日
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「あ、また来たっ……」
こむら返りがお腹にでも起きたかのような感覚が、リビングのソファで寛いでいる私を襲う。
「んっ、っ……」
硬く張っているお腹をさすって痛みを和らげつつ私は、スマホの陣痛アプリのボタンを押した。
今はお腹がキューと締め付けられるくらいの痛みだから、まだ余裕に対応できるけど……。
この痛みが、これからだんだん強くなっていくのね……ちゃんと母になれるのかな、私。
ううん、弱音を吐いちゃダメよ。 私、奥須璃菜は、今日からこの子のお母さんになるんだから!
そう思って私は、いつの間にか陣痛の波が引いていったん痛くなくなったお腹を今一度さすった。
登場人物紹介
○奥須璃菜 てんびん座A型 身長158cm
高校を卒業してから都内の短大に通うため上京し、一人暮らしをしている女子大生。
望まれない妊娠であったが、赤ちゃんには罪がないので自宅で出産することを決意。
妊婦検診には行っていないため胎児の状態を知らず、出産云々の知識は全て自学。
痛みには弱いが我慢強く、心の準備もしっかりしているから悲鳴を上げることはない。
※彼女が隣人にも気付かれずに自宅で出産する過程を細かく描写するものにしたいです。
リレーしてくれる方は登場人物を増やさないよう気をづけてください。感謝します。
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陣痛アプリの画面を見ると、前回との間隔は30分弱……まだ序盤の序盤ってことね。
出産は体力勝負だと言われているから、今の内に何か食べた方が良いと私は思った。
「確か、買い置きの缶詰が……あった」
お腹に気を遣いながら、私は四つん這いになって棚の最下層から缶詰めを取り出す。
体勢からか、もうすぐ生まれるからか、お腹の子の胎動が普段以上に感じてしまう。
「よしよし、ママと一緒に頑張ろうね」
ちゃんと頭が先に出てきてねと願いをかけ、私は胎動しているお腹を軽くさすった。
そろそろ、次の陣痛が来るかも。 声を上げないように、心の準備をしておこう。
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「んっ…ふぅ…はぁ……まだ、全然痛くないなぁ。すぐ痛くなくなるし…本当にまだまだって感じだね」
テーブルにレンチン出来るレトルトのご飯とお肉の缶詰を置いてすぐにキュウっとした痛みを感じた私は、
テーブルに手を置き立ちながら陣痛をやり過ごした。
「今のうちに、用意したご飯食べちゃお」
レンチンしたご飯をご飯茶碗に移し替え、お肉の缶詰をそのまま皿に出し私は手を合わせたあと食べ始めた。
「…ふぃー。ごちそうさま、と」
妊娠中は赤ちゃんのためにも良く噛んで食べていたけど、元々早食いの癖がある私は量の少なさもあってか数分くらいで食べ終えてしまう。
「…お隣さん、静かだね。お仕事で出掛けてるのかな?」
食事を済ませて手持ち無沙汰な私はお腹に手を当てながら赤ちゃんに語りかける。
お隣さんの浅井さん…『あさい』さんなのか『あざい』さんなのか分からないし、下の名前も知らないけど…
私と同じかちょっと下くらいの男の子で、ゴミ出しとかで「おはようございます」って声かけをすると「…ッス」「…チッス」「…ウス」とくらいは返してくれる。
休みの時にテレビを見て大声で笑ってしまうと、コンコンと叩いて注意してくれたり、イライラしてるっぽいとドンって叩いたり…それくらいの関係かな?
「…ま、居ない方がこっちは都合がいい、かな。…っと、そうだ。鍵、どうしよ。」
一人でひっそり産むつもりとはいえ、万一赤ちゃんが危険な時、救急車を呼ぶかも知れない。
とは言え、鍵を開けると不用心だし…ま、角部屋だからそんなに頻繁に人は来ないハズだけど…
ちょっとだけ考えて私は結論をだす。
「まだ動けるし…動くのがキツくなってから考えよう」
そこまで考えてから時計を見ると、前の陣痛からまだ15分くらい。
まだ時間がありそうだなと考えた私は、赤ちゃんがデキた時から産む事を決めたくらいの時期のことを思い返すことにした。
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物思いにふけろうとソファに腰をおろして、私は掃き出し窓から空を見上げた。
……お腹に赤ちゃんがデキたことに気づいたのも、今日みたいに空がきれいな日だ。
体質のせいか、まだ少女だった頃から私はずっと生理周期が乱れていて不安定だった。
だからあの時も、私はただ「ずっと来てないな〜」くらいとしか思っていなかった……
「痛っ……」
物思いにふけたら、またお腹が痛くなってきた。
もう15分経ったのかと思ったら、この痛みは陣痛とは違って胎動だった。
ふふっ、と私は胎動しているお腹を撫でながら微笑んだ。
デキたのに気付いたのも、あの時まだ小さい赤ちゃんの胎動を感じたからだ。
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「…ひょっとして…いや、まだ確実とは…」
最初はそんな呟きだったかな?胎動っぽいのを感じたのは。
小さい頃は自分より年下の子と遊ぶことが多くて、
いつしか幼児教育保育…まぁ、要するに幼稚園の先生とか保育園の先生を目指し始めた私は、都内の短大に合格して学び始めた。
そうしてるうちにある男と付き合い始めて、その…身体も許してたんだけど、
二股をかけられてたのを知って、しかもこっちが浮気側に近いみたいだったから…キレて別れたばかりの頃。
だから、心当たりがあるといえばそいつなんだけど…
「生理もしばらく来てないし…どちらにせよはっきりさせないと」
そうして私は産婦人科に足を向けることにしたんだっけ。
「…どうしよ」
産婦人科に行って、エコー写真を貰ったら白い影。まだ小さい赤ちゃんがそこにいた。
「産むにしてもあいつを頼るのは癪だし、とは言え堕ろすかというと…」
数分…いや、数十秒くらい考えたかな。結論はすぐ出たから。
「頑張っちゃうか…シングルマザー、ってやつ」
経済的にどうとか考えるより先に、赤ちゃんに罪はないって考えたから産むことを決意した。
それからは結構大変だったかな?
役所の手続きとか、お腹を隠しながら短大に通うのとか、併せて今後に備えてアルバイトとかパート的なのをやったり。
そのおかげで単位もそこそこ取れて目処はついたし、しばらくは赤ちゃんと一緒にすごしても余裕があるくらい貯金が出来た。
「……それもこれも、あなたのせいで…あなたのおかげ、だ…、ねっ」
いろいろネガティブなこともポジティブなことも考えてそう結論付けしてお腹を撫でていたら…丁度陣痛が襲って言葉が少し詰まった。
ふぅふぅと呼吸を繰り返す。お隣さんはまだ帰ってないみたいだし、声を我慢する必要はない…とは思うけどそれでも声を出さないよう注意する。
陣痛が強くなる頃にはお隣さん帰って来てるかなぁ、その頃声を出すの我慢できてるかなぁ…ということをぼんやり考えながら、私は痛みをやり過ごしていた。
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『プルルル……』
「きゃっ?」
気を紛らわすつもりで陣痛の合間を縫ってスマホを適当にいじったら、急に着信音が鳴った。
こんな時間に誰、と私が画面に表示された番号を見たら、なんと田舎の実家からの電話だった。
「ど、どうしよ……」
妊娠したの知られたら絶対怒られると思って、ずっと、用事があって帰れないとウソを言っていた。
電話に出たら、万が一電話中に陣痛が来ちゃったら……。
でも今出ないなら、きっとまたかけてくるよね?
陣痛が強くなったら、隠し通せるのがもっと大変になる……。
うん、やっぱ電話に出よう。
陣痛が来てもまだ誤魔化せるかもしれない、今のうちに……。
「すー、はー……よし」
一回深呼吸をして私は、スマホに表示されている応答ボタンを押した。
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「…もしもし?」
『もしもし璃菜?あんまり電話もメールも来ないからこっちから掛けたんだけど。元気してる?』
「もう、母さんってば。心配症だなぁ…大丈夫、元気元気。『便りの無いのは良い便り』ってやつだよ。なんかあったら電話してるって」
応答ボタンを押してすぐお母さんの声が聞こえる。
心配そうな声で話すから私も出来るだけ明るい声で返事をしてみた。
それからこちらの近況を赤ちゃんのことは伏せながら話したり、逆にお母さんに家族や親戚の話をしたり。
自分でも気付かないうちに長話をしていて、陣痛のことは頭から消え去ってた。
『ところで彼氏と別れたって話してたけど、最近そういう好きな人とか気になる人は居ないの?』
「そうだなぁー…そんな人、は、まだ…ッ」
『璃菜?』
結構話すぎちゃったのかな?別れた彼氏の話をふられて答えようとした時にキューッとした痛みがお腹に走る。
深呼吸を繰り返してなんとかやり過ごすけど…なんか、さっき来たのよりちょっと痛くて、体感的に、長い…
それでも深呼吸をしているうちに少しずつ楽になってきたから、ふぅと溜息をついて母さんに言い訳をする。
「ごめん、なんか今日ちょっとお腹の調子が良くなくてね。そろそろ生理かもしれないし、なんか食当たりしたのかも」
『……そう?ならいいけど…ねえ、璃菜。何か隠してない?』
ドキン、と心臓が跳ねる。
まだ探りを入れてる感じだけど、電話を早めに切り上げないとまたボロが出ちゃうかも。
「やだなぁ…そんなことないよぉ。もう電話いい?またいつお腹痛くなってくるかわからないし、お手洗いいつでも行けるようにしたいし」
『……分かったわ。でも本当、何かあるならなんでも言ってね。どんなことがあっても、あんたは私たちの子供なんだから。なんでも相談に乗るわよ』
「……うん、わかった。じゃあね」
そういう会話をして私は通話終了のボタンを押す。
「本当に…バレてない…よね?」
痛みが治まったお腹を撫でながらそう呟く。
ああいう感じだけど、妙にカンが鋭いから…何かあるとは気付いている…かも?
それでも干渉はあんまりしてこないから今のところは安心…かな?
電話を切ってからしばらくスマホを眺めていたけど、掛け直してくる感じはなかったから、
私は次に陣痛が来るまでの暇つぶし用のゲームを立ち上げることにした。
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「うっ」
日課を少し進めたところで、気がつけばパンパンに張っているお腹がまたまた痛み出した。
「……痛っ、痛たたた……」
やばい、今の、ここまで最大級かもしれない……。
来るのは分かっているけれど……分かっているのに……やっぱ、痛い……
……ダメ、耐えなきゃ……声が、出ちゃいそう……!
「ぁ、ぐぅぅーーーっ」
用意してある抱き枕を握りしめ、歯を食いしばって私は何とか声を上げずに痛みに耐え続ける。
お腹に全集中していたからか、中の赤ちゃんが手足をじたばた振り動かしているのを感じた。
赤ちゃんも生まれようと頑張っているんだね……頑張らないと……私が、ママになるんだから!
心の中でそう叫んだ直後、今回の陣痛はやっと収まってくれた。
来る度にだんだん強くなっているのを実感しながら、枕を抱いたまま私はソファにもたれた。
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パパっと日課…いわゆるデイリーってやつを済ませて、ゲームをタスキルする。
だんだんと強くなる陣痛に、ゲームする余裕がなくなりそうかなって考えたからだ。
なんとなくお腹に手を当てる。自分の気のせいかもしれないけど…陣痛が来てないときでも、ずっとお腹が張りっぱなしな感覚。
ちょっと辛くなってきたから、そのままお腹を撫でて「心配ないよ」って赤ちゃんと私に言い聞かせるように呟く。
…カチャカチャ。……ドスッ。…キュッキュッ、シャーッ。…ガラガラガラガラ…ペッ、ガラガラガラガラ…
そうやってお腹を撫でているうちに小さな音が隣から聞こえ始める。荷物を置いてうがいをするお隣さん…浅井さんのルーティン。
見た目に反して真面目だなぁって考えてたから間違いない。…ということは帰宅したみたいだ。
今までも出来るだけ声を上げないようにしてたけど、これまで以上に声を出さないようにしないと…
そう意識してしまうと、なんか、そろそろ、陣痛…きそ…
「ンゥゥゥゥゥゥ!!」
結構キツめの陣痛が襲いかかって、とっさに抱き枕に顔をうずめて声を上げてしまう。
ガラガラ…とうがいをしていた音が止まった。『なんか聞こえた?』って気にしてるみたいな感じ…かな?
何度も何度も深呼吸を繰り返す。そうしてるうちに『気のせいかな?』って感じでうがいが再開される。
なんとか陣痛をやり過ごした頃にはお隣さんからテレビ番組かゲームの音が聞こえはじめて、
『少しくらいは誤魔化せそうかな…』と私は考えるのだった。
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「はぁ、はぁ……うん、これ、いけるかも……」
何とか声を上げずに次の陣痛をやり過ごした私は、中にピースがいっぱい入っている柔らかいソファに埋めた顔を上げる。
この『人をダメにするソファ』はもともとお腹が大きくなってきたから買ってたんだけど、こんな使い方もあるのね……。
体のラインにフィットするし、重いお腹を預かっても支えてくれるし、何より肌触りがいい。本当、良い買い物したね。
このソファがあれば陣痛も何とかなるのではと、私がそう思ったとき――
「っ!?」
お腹の中の赤ちゃんがまるで寝返りでも打ったかのように腰のほうへググッと大きく動いたのを、はっきりと感じた。
これって、もしかして、みんなが言っていた『降りてきた』ってやつかな? 分からないけど、きっとそうに違いない。
「もうすぐ会えるのね。ママ、負けないから」
赤ちゃんが降りてきていると思い込んでいるせいか、お腹の形まで今までとはちょっと違って感じる。
ずっと張りっぱなしなのが気になるけど、お腹をさすりながら私は次の陣痛が来るのを心待ちにしていた。
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『ンゥゥゥゥウ!!』
抱き枕に顔を埋め、口をまっすぐ閉じ、『人をダメにするソファ』に抱き枕を当てた顔やお腹を押しつけ…
それでも声を上げるのを抑えるのはそろそろ辛い。
前より声、大きくないかな…?
『赤ちゃんが降りてきた』…私がそう考えはじめてから、お腹の痛みだけじゃなく赤ちゃんを出したい…いきみたい?って感覚も少しだけ感じるようになる。
なんだかこう、便秘の時になかなかでない…そう言う時にお腹に力を入れて楽になりたい…みたいな感覚?
だから、つい声が大きくなってるような気はする。
周りに聞こえにくいように配慮はしてても、時々思わぬタイミングで胎児が動いたみたいなことで声を上げちゃう。
「ピンポーン!ピーンポーン…」
ビクッと体が震え、ドキッと心臓が跳ねる。
(うるさかった…のかな?)
お隣さんはシンと静まってるから、多分玄関でインターホンを鳴らしてる。
陣痛が治まってきた私は、萎えそうな気力を振り絞りながらなんとか玄関のドアを開ける。
「…はい?どうしたの、浅井さん」
「ウス。…えっと、なんか苦しそうな声が小さいけど聞こえた気がして。大丈夫スか?」
やっぱり少し聴こえてたかも、そう考えて私はお母さんに言ったみたいに
『ノロウイルス的なのに当たったか、生理が凄い重くてつい声を出しちゃってたかも』と答えた。
「あー…そうなんスね。そうだ、アレあったかな…」
浅井さんはゴソゴソと来ていたパーカーやズボンのポケットを探し出す。
「あ、あったあった」
そう話す浅井さんは手にピルケースみたいなのを持っていた。
蓋を開け錠剤を2種類私に渡す。
「これは…?」
「痛み止めと下痢止めッス。俺も良くお腹痛くなったり頭痛くなったりするので。よっぽど辛ければ飲んでくださいッス」
「…ありがと。」
「あ、長話するとまた奥須さんの体調を崩すかもしれないッスから。それじゃ」
そう話すと浅井さんは自分の部屋に戻った。
カタン、カチャンと聞こえたところで私は扉を閉めた。
そのまま立ちながら右手の中の錠剤をみて呟く。
「使う予定ないんだけど…ホント、浅井さん優しいなぁ」
ちょっと顔に笑みを浮かべて部屋に戻ろうと振り返った瞬間にかなり強い陣痛を感じた。
「ぅ、ぁ…ムゥゥゥゥ!!!」
錠剤を握りしめた手で壁にもたれかかり、咄嗟に左腕を口に当て噛み締めながら出来るだけ声を聞こえないように注力する。
歯形が付くかもしれないけどそんなことを考える余裕はない。
大きく叫びたくなるのを頑張って抑える。
「ハァッ、ハァッ…フゥッ、フゥッ……」
なかなか辛い痛みをやり過ごした私はすぐにクッションや抱き枕の力を借りたいと考える。
そのせいで、鍵を開けたままという事を頭から抜けている事に気付かず、ゆっくりとした足取りで向かった後クッションに軽く倒れ込むように身を沈めた。
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朝からの陣痛で、精神的に疲れたのかな。
クッションに身を沈めた私は、耐え難い眠気がぐわっと襲ってくるのを感じた。
体が重い……目が重い……頭がボーッとする……。
ダメっ……意識、失いそ––だ、っ、あっ、来るっ。
(う……うぅぅうぅ〜〜〜!!)
お腹の芯からほとばしる激痛が、私の全身をこわばらせる。
膝、いや、太ももより先の足が勝手に、力を入れて床を踏みしめる。
フローリングがきしむ音が聞こえる……いや、軋んでいるのは……。
(〜〜〜っっ!)
なっ、なにこれ、痛い! こ、腰がっ、砕けちゃいそう––!!
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気付いたら私は拳を握って、腰の辺りををグリグリと押していた。
痛みは楽になる感じはしないけど…こうでもしないと…どうにかなっちゃうかも…
破水はまだだけど、赤ちゃんが『出てきたいよー』って頭を押し付けてる…みたいな感じ。
いきみたいって気持ちも段々と増えてきて…正直、もう…
「はぁー…ふぅ…」
少しだけ痛みが楽になったタイミングで、パパッとブルーシート、吸水シートを広げる。
その上にクッションと抱き枕を置いて…すぐにクッションに体を預ける。
すごく…疲れて…ボーっとする…ちょっと、だけ…目を…
目を閉じて、陣痛の僅かな間ですぐに眠りに入る。
あぁ…なんか、少しだけ、回復した、かもっ。
でもっ、そろそろ、痛く…な、る…
「ンゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…」
今のできる限り小さな声。痛みで睡魔が無理矢理晴らされる。
腰は相変わらず痛いし…いきみたい…よぉっ…
グリグリッ
「ふ、ぁっ…フゥゥッウンッ…」
赤ちゃんの頭が動いたような感覚。いきみたいと言う感覚が不意打ちで強くなって、思わずいきんでしまう。
それが引き金になった…のかな。
少し前に敷いたブルーシートと吸水シートに、パシャパシャっと勢い良く液体が落ちる。
破水した、と思うと同時に一気に強さといきみたいという感覚が強くなる。
ちょっと、こんな、の、聞いてない…声を出さないの、もう、無理っ、かもっ
「ンァァァァァァ!!」
なんとかクッションに身体と顔を埋め、叫び声を小さくしようとする。
けど、多分聞こえちゃうくらい何度も声を出し、腰をゆらゆら揺らしながら私はいきみ始めた。
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(んっんんーーー!)
これは、赤ちゃんも私から出ようとしている、かな?
いきむ度に、腰がずっしりと重い、そんな感じがした。
「ーーっぁ、はぁ、はぁ……」
陣痛の合間に天井を見上げて、荒い息で呼吸を繰り返す。
これで3回目……赤ちゃん、どこまで進んだのかな……。
もしかしたらもう赤ちゃんに触れるかもと期待して私は、お股に手を伸ばした。
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あわよくば、と淡い期待を抱いていたんだけど……。
私のお股は、チョロチョロと出てきてる羊水に濡れているだけだった。
でも、指先に伝わる感触からして、たぶん、おそらく、もう、だいぶ、降りてきてっ––。
(んぐぅぅぅーーーー!!!)
無理にお股に手を伸ばそうとしていつの間にか上体起こしみたいな動きをしたせい、かな?
腰から太ももにかけて足がつった時のような痛みが走り、私は再びクッションに体を預けた。
(うぅーーーん!!)
––まだまだ長そう、と声を殺していきみながら私が改めて覚悟を決めた、その時。
陣痛アプリ開いたままブルーシートの上に置いていたスマホから、また着信音が鳴った。
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お母さんからの電話がまた来たかと身構えたけど、あまり見覚えのない番号。
少し迷ったけど、一息ついて私は通話を開始した。
「…もしもし」
『あっ、こちらペンギン宅配便の樋口ですが。奥須さん宛にお荷物が届いていますが…何回か訪れたんですけどいらっしゃらないようでしたので。』
「あー…そうなんです、ねっ」
そういえばお母さんが、『野菜とかお米送って置いたから』…って電話で言っていた気がする。
それから…何回かインターホンもなっていたような…
陣痛で頭がいっぱいで…気づかなかったみたい。
「えっと…ちょっと今いろいろありまして…置き配に出来ますか?」
『…?はい、分かりました。』
「よろしく、お願い、しま…ァァァンンッ!」
置き配に出来ないか聞いてみて、怪訝そうな声で配達員は答えた。
お願いしますと言おうとして陣痛といきみの衝動に襲われた私は、
少し叫びそうになって慌てて口を閉じて通話終了ボタンを押す。
「ふーっ…ふーっ…」
カンカンと階段を登る音。私は必死に声を上げないようにしながら、いきみを再開する。
トスン、と何か物を置かれたような音と、カシャとスマホのカメラ音が聞こえた…気がする。
私は出産でそれどころじゃないけど…
カンカンと再び階段の音がして、それから音はあまりしなくなる。
「ハァッ…ハァッ…」
少しずつ降りてきている感覚はあるけど…正直、進みが遅いように感じてしんどい。
それでも赤ちゃんを産まないと楽にならないからと私は必死にいきみ続けた。
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「う、ぁ、ぁーー」
カカトに力を入れることを意識して、しっかりと床を踏んで息むーー。
体が仰け反らないよう、背中はクッションに沈むよう意識して息むーー。
張り詰めたお腹の中から、足搔いているような胎動を感じるーー。
「んぁぁーーーーっっっ」
材質による吸音効果を期待して、私は抱き枕を口に押し付けながら息んだ。
痛い、痛すぎる。
お腹は万力に締め潰されそうで、痛い。
腰当たりの背骨が、骨盤が、砕けそうで、痛い。
早く終わって。早く出てきて。早く出したい。早くーーーー。
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目ががチカチカする。
頭がクラクラする。
自分でも覚悟はしてたつもりだけど…正直、こんなに辛いとは思わなかった。
「ごめんね、あなたも辛いでしょ…」
ジタバタと動かす赤ちゃんに私は小声で語りかける。
赤ちゃんも私も楽になりたい、そのためにはいきまなきゃ…
少しだけ休憩して、再びいきみ始めてすぐだった。
ーーズン。
「 」
一気に赤ちゃんが進んだ感覚。
それと同時に骨盤が一気に広がったような感覚。
一瞬、叫ぶことができない程意識が持っていかれそうになった。
「無理無理無理無理ィ!!ンゥゥゥゥ!!」
それまで吸音してくれていた抱き枕に顔を押し当ててもなお聞こえそうなくらい叫ぶ。
慌てて口を閉じるけど、明らかに声は大きくなってしまう。
股に手を伸ばすと…微かに指先に触れる硬いもの。
頭の先だと理解するのに時間はかからなかった。
(あと少し…もう少しで、会えるっ)
赤ちゃんに会える喜び、それを超える赤ちゃんも私も楽になるという安堵。
股に向けていた手をお腹に当て、『お母さん頑張るから』と話してすぐに私はいきみを強めた。
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ズルっ。
そんな音が聞こえた気がした。
何か大きいものが、私の体から離れて行った気がした。
それが赤ちゃんであることを頭の中で理解したのは、数秒の時間がかかった。
そして……
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本能的に股のほうにやった私の視線の先に、赤ちゃんがいた。
こんなのがついさっきまで私のお腹にいるのが不思議なくらいに、肉々しくて、ほやほやだ。
「あ、ぁ……」
疲れ果てたはずなのに、どこからか力が湧き出し、私は赤ちゃんに手を伸ばした。
(赤ちゃん、私の赤ちゃん……なんで、泣いてないの……?)
まだへその緒が脈動している赤ちゃんを、取り上げ――。
(声を出しちゃだめだと、私が頭の中でずっと強く念じていたから?)
取り上げたやわらかい赤ちゃんを、懐に運び――。
(嫌だ……泣いて、お願い……声を、出して!)
懐に運んだあたたかい赤ちゃんを、私は、涙を流して抱きしめた。
「おぎゃぁ〜、おぎゃぁ〜」
小さな口から詰まっている水を吐き出し、私に抱きしめられた赤ちゃんはやっと、産声を上げた。
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「よ、よかったぁ。」
私は赤ちゃんの産声を聞いて、自然と涙が溢れていた。
「おぎゃあ、おぎゃあ。」
部屋中に赤ちゃんの泣き声が響いていた。
後で知ったことだが、どうやら隣の浅井さんは私が出産している間に出かけたらしい。
その為赤ちゃんが大きな声で泣いているのにもかかわらずこれと言った反応がなかったのだ。
この時私は無事に産まれた赤ちゃんに夢中でお隣さんのことなど頭になかった。
その後私は赤ちゃんと一緒に病院に行き検査をしてもらったけど、母子共に異常なしだった。
ちなみに産まれた赤ちゃんは女の子だった。
それからの私は育児に追われる日々となっている、私一人での子育てだけど苦痛には感じなかった。
もう少しして落ち着いたら赤ちゃんを見せに実家に行こうと思う。
隠したままにするのは難しいと思うし、早めに打ち明けた方がいいと思うから。
「二人ともビックリするよね、私がいきなり赤ちゃん連れてきたら。」
私はそう考えながら娘をあやしていた。
奥須璃菜が母になる日
END
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