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憂「ふたりぼっち」
-
ねえ、私。
あの頃の私。
心配しなくていいよ。
すぐに見つかるから。
私にもできることが。
夢中になれることが。
大切な、大切な場所が。
いつかめぐり逢えるから。
あなたを必要としてくれる、大切な人に。
いつか、きっと……
"
"
-
『いい子』 を演じる私は、
いつだってひとりぼっちだった。
留守がちだった両親の愛情に飢えていたわけではない。
幼い頃から一人でやらざるを得なかった家事にも不満はなかった。
仲のいい友人がいないわけでも、
クラスの中で孤立していたわけでもなかった。
勉強についていけないわけでも、
運動が苦手なわけでもなかった。
誰かを好きになることも、
特別な好意を寄せられることもなかった。
他人と一定の距離を置いて接することが、
最も傷つかない方法だと知っていた。
もし自分が突然いなくなったとしても、
世の中は何も変わらず回り続けるのだろうと信じた。
ただ死んでいないだけの毎日なのだから。
作り笑いだけが得意な子供は、どんな大人になるのだろう。
形の見えない未来を、他人事のように考えた。
将来の夢、といった類の作文に書き並べた
小奇麗な絵空事にため息をつく、そんな子供だった。
-
中学校を卒業して、幼なじみに合わせて選んだ高校。
部員が足りないという軽音部に誘われて、私はギターを始める。
同じことの繰り返しのような日々の中、
音楽を奏でることだけは夢中になれた。
抱え込んでいた気持ちや、
言葉にできない感情がギターから溢れ出る。
ギターを弾いている時だけ、表情が緩む。
重ね合わせた音に、ほんの少しだけ笑顔がこぼれる。
脇目もふらず練習に打ち込む部活だったとは言えないが、
部室の雰囲気は不思議と心地よかった。
目標は武道館、などと言いながら始まった軽音部。
ギターを買うためにアルバイトをしたり、他愛のない話をしたり、
学園祭を目指して合宿をしたり、顧問の先生や新入部員を探したり。
何気ない毎日を書き連ねた、拙い歌詞を持ち寄って。
何度も練習した曲が、不器用だけどひとつに重なって。
いくつもの音とともに積み重ねた時間は、
やがて彼女たちが大人になった時、特別な思い出になるのだろう。
たとえ、そこに私が居なかったとしても。
-
学園祭を終え、クリスマスが過ぎ、年が明けて間もない冬の日。
真っ白なため息が浮かんでは消えていく、雪が降る日のことだった。
信号待ちをしていると、向かい側の道路から見覚えのある猫が
私を見つけて駆け寄ってきた。
通学路でよく見かける、人懐っこい野良猫。
すぐ傍で爆発したように響く車のブレーキ音。
危ない、と思うより早く猫を助けようとした自分の行動に、
私は驚いていた。
重い衝撃とともに宙に浮いた私は、
目まぐるしく変わる景色をスローモーションで眺めていた。
時間が止まったかのような浮遊感は不意に終わり、
私は冷たい地面に頭から叩き付けられていた。
-
誰かの叫び声と、遠くから聞こえるサイレンの音。
凍ったアスファルトに擦れる感触。 ガラスの破片が舞い散る音。
他人事みたいに響く、耳障りな雑音。
身体のあちこちが痛み、手足は麻痺したように動かない。
胸に抱いた猫だけが、ただ暖かかった。
強く抱きしめてしまったけれど、怪我はなかっただろうか。
私の血で汚れたりしなかっただろうか。
仰向けに倒れた私は、ずっと空を見ていた。
降りしきる雪を眺めて、空に浮いていくような錯覚を感じながら。
最期に見た景色は、空いっぱいに舞う雪の白。
赤く汚れた私に降り積もって、すべてを覆い隠してくれればいい。
ためらうことなく目を閉じて、私は死んだ。
"
"
-
どこか遠くから聞こえる旋律に、
私は意識を委ねていた。
か細く途切れながら響く、心地良いメロディ。
記憶の奥底に消えていく、儚い歌声。
追いかけるほど遠ざかっていく、微かな音色。
懐かしくて、なぜか泣きたくなるような。
わずかな音を頼りに光を見つけて、
私はゆっくり目を開けた。
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最初は、悪い夢だと思っていた。
うっすらとぼやけて見える景色の中で、歓声を上げる大人たち。
産まれたばかりの子供になっている夢。
泣きそうな顔で私を覗き込む父と、
幸せそうな顔で私を優しく抱きしめる母の感触。
夢や走馬灯にしては、あまりにも現実的な温もり。
肺の中に空気が入り込み、
私は泣き叫ぶように産声を上げていた。
これが夢なら早く覚めて欲しいと願いながら。
どうしてあのまま死ねなかったのだろうと思いながら。
-
再び繰り返されようとしている人生を、
私は受け入れられずにいた。
新聞やテレビで日付を確認すると、
やはり十数年ほど時間が遡っている。
最後に会った時より少しだけ若い両親。
住み慣れた家と、見慣れた景色。
やがて留守がちになる両親と一緒に過ごせるのも
今のうちだけだと思うと複雑だったが、
無邪気に甘える子供を装うには、私の精神は成長し過ぎていた。
ある程度自由に動けるほどに成長する頃には、
私は異常に手のかからない子供と認識されていた。
また始まってしまった人生は、
何もかもが今までと同じというわけではなかった。
数か月ほど誕生日がずれていたこと。
今までの私と同じ名前で呼ばれる姉がいたこと。
記憶と違う名前で呼ばれる私。
生まれ変わった私は、平沢憂と名付けられていた。
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生まれ変わりという超常的な現象よりも困惑したのは、
幼い頃の自分が姉として存在しているという状況だった。
手のかからない 『いい子』 を演じながら、
私は姉との生活に戸惑っていた。
ぎこちない手つきでの食事や、異常に時間のかかる着替え。
簡単なことにいちいち手間取る幼い 『私』 の姿に、小さくため息を漏らす。
しっかり者の妹と、だらしない姉という構図が出来るまで、
そう時間はかからなかった。
何かと姉の世話を焼いてしまうのは、
幼い自分のだらしない姿を客観的に見たくないだけのことだった。
両親に余計な手間をかけさせたくないだけのことだった。
私が面倒を見すぎたせいか、彼女が依存しすぎたせいなのか、
『平沢唯』 はすっかりゆるやかで呑気な性格に育ってしまうのだった。
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優等生を演じることには慣れていたものの、
既に見知った事をなぞるだけの学校は退屈でしかなかった。
昔の自分でさえよく知らない世代のクラスメイトとの接し方はぎこちなく、
かつての幼なじみや友人と再会しても、彼女たちは当然ながら今の私を知らない。
年上の人間、姉の友人として対応しなければならなかった。
孤独に感じるのは当然のことなのだと自分に言い聞かせる。
私の事情を知りえる人間など何処にもいないのだから。
誰にも言えない疎外感を抱えながら、
永遠とも思える通学路を歩いていくのだろうと考えた。
きっと私とは違う人生を歩むだろう、かつての自分と肩を並べながら。
まっすぐに見れば目を突き刺すように輝く笑顔の影で。
彼女の無邪気な笑顔を見るたびに、私は考える。
人生の何かがほんの少しだけ違っただけで、
私にもあんな屈託のない笑い方ができたのだろうか。
家事や勉強が得意じゃなくたって、愛想笑いなんかしなくたって、
自然と人を惹きつけるような魅力が、私の中にもあったのだろうか。
私は、顔つきだけがそっくりな彼女を、
いまだに 『お姉ちゃん』 と呼ぶことができずにいた。
-
かつての私と同じ高校を選んだ彼女は、
相変わらず廃部寸前となっていた軽音部に入ったそうだ。
希望に胸を膨らませて。
自分にもできる何かを始めたい、という意志を持って。
私とはまったく違う理由で。
ギターを買うためにアルバイトを始め、
拙い手つきで覚えたてのコードを爪弾く姿に、遠い昔の自分を重ねる。
買ったばかりのギターを抱えて毎晩遅くまではしゃいでいた彼女は、
案の定中間テストで赤点を取り、追試を受けることになった。
-
テスト勉強が一向にはかどらない彼女を見かねて、
軽音部の仲間たちが家に訪ねてきた。
何年も同じバンドで演奏した彼女たちに再会し、初めましてと挨拶する。
気心の知れていた仲間たちに、平沢唯の妹だと自分を紹介する。
彼女たちを 『さん』 付けで呼ぶことにしたのは、
先輩、と呼ぶことにどうしても馴染めそうになかったからだった。
自分の置かれた状況に対する、ささやかな抵抗でもあった。
私の居ない軽音部で、
彼女たちは合宿やライブを経て絆を深めていくのだろう。
いくつもの曲と思い出を作りながら、
青春と呼ばれる時間を過ごすのだろう。
楽しそうに話す彼女たちの姿を眺めながら、
私は軽音部に入らずに済む口実を探さなければならない、と考えていた。
そこはきっと、私が過ごした場所ではなくなっているのだから。
私ではなく、今の平沢唯が過ごすべき場所なのだから。
-
翌年、一年遅れで姉と同じ高校に入った私は、
家事を理由に軽音部への入部を断っていた。
同学年の子をクラブ見学や新歓ライブに誘ってみたものの、
新入部員は結局一人に留まったらしい。
私がいた頃の軽音部でも新入部員が一人だけだったのは、
偶然の一致に過ぎないのだろうか。
人生を何回も繰り返したとしても、
自分の意志で変えることのできない運命があるのだろうか、と私は考える。
些細な行動で変えられる事と、そうでない事があるのだろうか。
以前の私になついてくれた野良猫に再び会うことができなかったのは、
些細な行動のすれ違いがいくつも重なった結果なのだろうか。
出会うことがないのなら、それでいいと私は思う。
私に出会いさえしなければ、きっとあの事故に巻き込まれずに済むのだろう。
あの子たちもまた、私の知らないどこかで今を生きているのだろうか。
それとも、あの事故とは違う形で死を迎えたのだろうか。
私が救おうとした小さな命は、
結果的になんの意味もなかったのだろうか。
変えられない運命というものがあるのなら、
私が生まれたことにも何か意味があるのだろうか。
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軽音部に入らないことを選んだ高校生活。
部活を離れたことで空いた時間の大半は、姉のことばかり考えた。
私たちは、どんな姉妹に見えているのだろう。
未来を夢見てありのままに笑う姉。
生きる意味を見出せず、愛想笑いばかりの妹。
相変わらず彼女の世話を焼きながらも、
私はどこか彼女のことを避けていた。
自分が失った輝きを見せつけられているようで。
幸せに生きていた場合の自分を見せつけられているようで。
見かねた私が何かと手助けするたびに、
彼女は悲しそうな目でありがとう、と笑って見せる。
彼女の笑顔が消えるたび、
私の胸は理由もわからずチクリと痛む。
できることなら、今からでも普通の姉妹のように接したい。
そんな勝手なことを考える自分が苛立たしかった。
『私』 を遠ざけたのは私のほうなのに。
不安なのは、きっと私だけじゃないのに。
私は姉からどう思われているのだろう。
理不尽で身勝手な嫉妬を、姉はどう受け止めているのだろう。
答えの出ない物思いに耽る私は、
まるで片想いをしている少女のようだった。
-
姉のギターをときどき借りては、あの音色を追いかけた。
かつて私が死んだ場所を歩くたび、いつもあの曲を思い返す。
生と死の狭間で聞いた旋律。
途切れそうな、触れたら壊れてしまいそうな響き。
不安や恐怖の全てを和らげてくれた、優しい音の連なり。
霧のようにおぼろげで、恋のように掴みきれないもどかしさ。
パズルのピースを探すように、記憶の中で音の断片を探し集める。
思えば、私はずっと前からあの曲を追いかけていたのかもしれない。
それが音楽に夢中になれた理由だったのかもしれない。
少しずつ冷たくなってきた風に吹かれ、
私の死んだ季節がまた近づいてきたことに気づく。
珍しく風邪をひいてしまったのは、
こんな場所で考え込んでしまったからかもしれない。
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熱を出して寝込んでしまった私は、
あたふたしながら看病をしてくれる彼女を眺めながら、
いつしか眠りに落ちていた。
高熱の中で見た夢は、
私たちがまだ幼い頃の記憶だった。
私を喜ばせたい一心で、新品のクッションを破ってまで
ホワイトクリスマスをプレゼントしてくれた、幼い姉。
嬉しい以上に驚いて、
上手く笑顔を返せなかった、不器用な妹。
二人で静かに雪を眺めた、いつかのクリスマス。
大人になってもずっと一緒にいたいね、と言ってくれた姉に、
私は曖昧に笑って目をそらす。
そんな未来が本当にあるのなら、どんなに幸せだろう。
私たちの時間は、あとどれくらい残されているのだろう。
どこにでもいる姉妹のように寄り添って暮らす二人。
ささいなことで言い争っては仲直りしたり、
ふざけあったり、やきもちを焼いたり。
やがて大人になった私たちが、
毎日を幸せそうに笑いながら過ごしている夢を見た。
きっと叶うことのない夢を。
-
目を覚ますと、机に伏せて寝息を立てる彼女がいた。
傍らには、おかゆをつくったから食べてね、という書き置き。
彼女が眠りに落ちる寸前まで、
何かを書き綴っていたらしいノートに目が留まる。
U&I、とタイトルのつけられた詩。
あなたと私。 唯と憂。
詩の中に込められた彼女の想いに、私は見入っていた。
いつの間にか目を覚ましていた彼女が、
困惑しながらそっと歩み寄り、私を抱きしめた。
理由もわからないまま、涙が溢れて止まらなかった。
-
憂の為に作った歌なんだよ。
泣き止んだ私に、彼女がそっと語りかける。
歌詞と一緒にちょっとだけ作ってみたというメロディを爪弾きながら、
彼女がゆっくりと歌い始める。
途切れ途切れに、まだぎこちない手つきで。
世界中の誰よりも優しい歌声で。
キミがいないと何もできないよ
キミのご飯が食べたいよ
もしキミが帰ってきたら
とびきりの笑顔で抱きつくよ
ああ、あの歌だ。
私がずっと追いかけた音。
死の恐怖を何度も忘れさせてくれたメロディ。
丁寧に書き連ねられた、優しい言葉のひとつひとつが、
私の心の中に入り込んでいく。
-
こんなに大切に思ってくれていたなんて。
こんなにも必要とされていたなんて。
私は、彼女の笑顔を奪っているだけだと思っていた。
姉の威厳を奪い去り、疎まれているのだと思い込んでいた。
彼女より何年も多く生きているはずなのに、
なんて稚拙な思い込みだったんだろう。
キミがいないと謝れないよ
キミの声が聞きたいよ
キミの笑顔が見れれば
それだけでいいんだよ
もし神様がいるのなら、
どうしてこんな残酷な奇跡を起こしたのだろう。
一度きりの人生だからこそ、人は幸せを求めて懸命に生きるのに。
先の見えない道だからこそ、未来を夢見て笑顔を見せるのに。
-
人生の何もかもが、私にとっては無意味なことだった。
きっと私は閉ざされた世界を永遠に繰り返し生き続けるのだろう。
これからもずっと。
どんなに歩き続けても。
幾度となく死んでは生まれ変わってを繰り返し、
私が最初に生まれてから500年以上の年月が経っていた。
キミがそばにいるだけで
いつも勇気もらってた
いつまででも一緒にいたい
この気持ちを伝えたいよ
抗えない運命があるのなら、私はもう生きていたくない。
それだけを願って、誰も寄せ付けまいと強張らせていた心の壁が、
音を立てて崩れ始める。
涙と一緒にボロボロとこぼれ落ちていく、強がりの欠片。
堅く閉ざされていた扉の奥に、柔らかな光が差し込む。
眩しすぎて目をそらした先には、
悲しい目で私を見つめる、もう一人の自分がいた。
-
雨の日にも 晴れの日も
キミはそばにいてくれた
目を閉じれば
キミの笑顔 輝いてる
彼女は、光だった。
閉じた世界を生き続ける私が出逢った、
未来を照らすまばゆい光。
私は明るい場所を避けて暗がりを歩き続けていただけだった。
目をそらしていたのは、心の奥に閉じ込めていた自分だった。
-
最初は、悪い夢だと思っていた。
始まりがいつだったのか、もう思い出せはしない。
私が二度目の産声を上げた時、
また一から人生をやり直せるという楽観的な期待しかなかった。
前世の記憶と精神を引き継いでいる状況に、優越感さえ持っていた。
勉強なんかしなくたってテストは簡単で、落ち着いた雰囲気で優等生に扱われて。
でも、駄目だった。
抗えない運命というものがあるのなら、それを変えることはできなかった。
死へと至る道筋は、何度繰り返しても避けることはできない。
真っ白な雪が積もる日に、私は死に続ける。
どんなに歩き続けても、積み重ねた全てがゼロに戻される。
永遠に大人になれないまま、高校さえ卒業できないまま死に続ける。
自ら死を選ぶことさえできず、
永久にやってこない未来のため、閉じた世界に生き続ける。
どんなに仲良くなった友達だって、『次』 に会えば忘れられている。
私だけが取り残されたまま、思い出のすべてが無かったことになっている。
この孤独を、繰り返す絶望をわかってくれる人なんているわけがない。
きっと信じてくれる人さえ存在しない。
ずっとそう思って生きていた。
-
やがて雪が積もり始めるころ、
姉と過ごした十数年が終わるのだろう。
二度と始まって欲しくなかったはずの人生が、
不器用だけど寄り添って過ごした毎日が、今はただ悲しい。
信じてもらえなくていい。
全てを打ち明けよう。
私が繰り返した生と死の全てを。
その狭間に響いたメロディを。
熱のせいでおかしなことを言い始めたと思ってくれればいい。
馬鹿げた作り話だと笑ってくれればいい。
残された時間を、その笑顔のために生きよう。
冷たい心の底を照らしてくれた光のために。
私はもう、ひとりぼっちじゃない。
こんなに強く誰かを抱きしめたのは初めてだった。
すっかり冷めてしまったおかゆが、温かく思えた。
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全てを打ち明けた私に、彼女は優しく微笑んだ。
ずっと一人で抱え込んでつらかったね、と泣いてくれた。
気づいてあげられなくてごめんね、と抱きしめてくれた。
ありったけの涙と弱音を吐き出し、いつの間にか風邪は治っていた。
どこかぎこちなかった私たちの距離も、いつの間にか。
どこにでもいる普通の姉妹のように、私たちは過ごした。
勉強を教えたり、ギターを弾いて歌ったり、
一緒に買い物をしたり、料理を作ったり。
失われた時間を取り戻すように。
残された日々を大切に抱きしめるように。
私がいついなくなってもいいように。
必ず私を守ると言ってくれた姉のために。
きっと運命は変えられると信じた。
私たちなら、きっと。
いつの間にか季節は過ぎて、
灰色の空から雪が降り始めた。
-
彼女たちが最後の学園祭を終え、大学受験を控えた冬の日。
真っ白なため息が浮かんでは消えていく、雪が降る日のことだった。
信号待ちをしていると、
私を見つけた彼女が向かい側の道路から駆け寄ってきた。
子供みたいに輝く笑顔に、私はつられて微笑んだ。
そんな笑顔は、駆け寄る私の目の前で凍りついた。
すぐ傍で爆発したように響く車のブレーキ音。
危ない、と叫んだ姉に突き飛ばされて倒れる。
はね飛ばされ、冷たい地面に叩き付けられる姉の姿を
スローモーションで眺めながら、私は今さら気がついた。
抗えない運命があるのなら。
それは 『私』 にではなく、『平沢唯』 にだったのだと。
死ぬよりつらい痛みがあることを。
-
遠くからサイレンの音が聞こえる。
仰向けに倒れて動かない彼女に、静かに雪が降り積もる。
私はふらつきながら駆け寄って、彼女を呼んだ。
お姉ちゃん。
ゆっくりと目を開けて私を見つけた彼女が、
小さくかすれた声で応える。
……やっと、お姉ちゃんって呼んでくれたね。
どうしてお姉ちゃんがこんな目に遭うの?
死ぬのは私のほうが慣れてるのに。
つらい思いをするのは私だけでいいのに。
ずっとそばにいてあげられなくて、ごめんね。
頼りにならないお姉ちゃんで、ごめんね。
そんなことない。
いつまでも一緒にいたいって歌ってくれたじゃない。
こんな私を守ってくれたじゃない。
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私も憂みたいに生まれ変われるのかな。
生まれ変わってもまた、憂のお姉ちゃんになりたいな。
また、憂に逢えるのかな……
そんなのまるで、お別れの言葉みたいじゃない。
このままいなくなっちゃうようなことを言わないで。
お願いだから、私を置いていかないで。
もう私をひとりぼっちにしないで。
目を閉じないで。
もし私にも生まれてきた意味があるなら、と彼女はつぶやいた。
自分が身代りになってでも守ってあげたかったんだ、と涙をこぼした。
いつか憂がそうしてくれたみたいに。
雪の結晶のように綺麗な涙に見とれながら、私は気がついた。
今まで助けようとした子猫や子犬たちに、
何度生まれ変わっても再会できなかった理由を。
私たちがめぐり逢えた奇跡を。
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私、最後にお姉ちゃんらしいこと、してあげられたかな。
私の涙を拭きながら、彼女はそっと微笑んで見せた。
彼女が歌詞に書いたような、とびっきりの笑顔で。
憂、私の妹に生まれてきてくれて、ありがとう。
私だって、お姉ちゃんの妹になれて幸せだったよ。
私が何度も繰り返した時間は無駄じゃなかったよ。
こうしてお姉ちゃんにめぐり逢えたんだから。
憂、私はきっと……
私たちはきっと、
この日のために生まれてきたんだね。
涙の跡をそっと拭った手が、力なく落ちた。
私はいつまでもその手を握りしめた。
あなたがどこにもいかないように。
ひとりぼっちにさせないように。
-
生きて。
彼女の唇は、確かにそう動いた。
あまりにも小さな声は、救急車のサイレンにかき消されていった。
握り続けた手に、涙に濡れた頬に、冷たい雪が降り積もる。
私たちの残した足跡と、思い出の全てを覆い隠すように。
寒がりな二人を包み込むように。
-
生きたい。
生まれて初めて、心からそう願った。
あなたの犠牲の先にではなくて。
自分が代わりになるんじゃなくて。
私は、あなたと同じ明日を一緒に生きたい。
止まっていた時間が動き出した。
雪が融け始めるように、ゆっくりと。
-
舞い散る雪が桜の花びらに変わるころ、私は再び軽音部に入った。
顔ぶれが変わっても、懐かしい部室はあの頃のままだった。
部室で他愛のない話をしながら、
入部してくれる新入生を探したり、不揃いな音を合わせたり。
相変わらずゆるやかな時が流れる放課後に、あの頃の私たちを重ねる。
お姉ちゃんに似てきたと言われるたびに、笑顔がこぼれる。
もう一度音楽に触れることで取り戻しつつあった、本当の笑顔。
本当の意味で生まれ変わった私が、そこにいた。
-
動き始めた時間はあっという間に流れ始め、
学園祭の時期が近づいていた。
再び軽音部に入ったのは、
学園祭でどうしても歌いたい曲があったからだった。
私にとって、本当の意味で最後の学園祭。
このステージに立つのは何年ぶりだろう。
ここでスポットライトを浴びるのは何度目だろう。
どんなに眩しい光でも、もう目をそらさない。
私たちを繋ぎ止めてくれた歌を、
二人を巡り逢わせてくれた歌を、私はゆっくりと歌い始める。
-
せいいっぱい優しく奏でたギターに、願いを込めて。
私の追いかけ続けた曲に、あなたがくれた言葉を乗せて。
この声が、どうかあなたの心へ届きますように。
キミがいないと何もわからないよ
砂糖としょうゆはどこだっけ
もしキミが帰ってきたら
びっくりさせようと思ったのにな
前に進もうとしていないだけだった数百年と、
あなたと過ごした十数年を想い、私は歌う。
-
長い年月を生きた私に、様々なことを教えてくれた日々。
どうしようもなく幸せな毎日だったと、今なら伝えられる。
両親がいない日には、ひとりぼっちの夕食の寂しさを忘れさせてくれた。
目覚めた時、誰かが傍に居てくれるという安らぎを与えてくれた。
帰りを待っていてくれる誰かがいることが、
ただいまを言える誰かの存在が、こんなにも幸せなことだと知った。
キミについつい甘えちゃうよ
キミが優しすぎるから
キミにもらってばかりで
何もあげられてないよ
私は、心寄せる誰かを作ってはいけないと思い込んでいた。
いなくなってしまう私のために涙する誰かを増やしたくなかった。
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誰とも心を通わせず、ずっと一人でいたほうが苦しまずに済むはずだった。
忘れてしまったほうが心を痛めないはずだった。
そんな私の小さな思い込みを包み込んで、
呪われた運命の全てを照らしてくれた人。
キミがそばにいることを
当たり前に思ってた
こんな日々が
ずっとずっと続くんだと思ってたよ
伝えきれない気持ちが溢れて止まらない。
声が震えて、言葉がつまって、うまく歌えない。
-
私の不格好な歌声に、世界で一番優しい声が重なる。
ひとりじゃないよ、と微笑みかけるように。
ごめん 今は気づいたよ
当たり前じゃないことに
まずはキミに伝えなくちゃ
ありがとうを
-
生と死を繰り返す少女がいた。
他人の不幸を悲しみ、誰かの笑顔に微笑む、普通の少女だった。
きっかけが何だったのか、始まりがいつだったのか、誰にもわからない。
少女が人に無関心だったのなら、普通の人生を歩んでいたのかもしれない。
最初は子犬だったろうか。 野良猫だったろうか。
幼い子供だったろうか。 老人だったろうか。
始まりはブレーキを踏み損ねた車だったろうか。
バイクかトラックか、冷たい川か、火事だったろうか。
ほんのささいなきっかけで命が消え去ろうとする瞬間、
自らを犠牲に他の命を救うたび、少女は再び生を与えられた。
少女の不幸は、そんな場面に幾度となく遭遇してしまうことではなく、
誰も見捨てられないことだった。
-
死を迎えるたび、少女にだけ聴こえる歌があった。
儚く途切れながらも、美しく心地よい調べ。
生と死の狭間でだけ響く、安らかな旋律。
少女はそんな歌声を追いかけた。
かすかな記憶を辿り、少しずつ音をかき集めた。
いつしか死を受け入れることが怖くなくなった。
歌を聴く回数が増えるたび、
少女の笑顔から輝きが失われていった。
-
心から笑えた日はいつだろう。
気の遠くなるような永い時間の中で、少女はいつもひとりぼっちだった。
少女がどんなに仲のいい友達を作っても、
生まれ変わった少女を知っているはずがなかった。
過ごした時間は、全て失われてしまうのだから。
共有したはずの思い出は、少女の中にしか残されていないのだから。
5度、6度と繰り返す度に少女は気づく。
これは神の祝福や奇跡などではなく、呪いなのだと。
自分には、生きる意味が何もない。
人と深く関わることを諦めて、心を閉ざしたはずだった。
永い年月の果て、絡み合った運命に引かれ合い、
少女は奇跡にめぐり逢った。
-
キミの胸に届くかな
今は自信ないけれど
笑わないで どうか聴いて
想いを歌に込めたから
大切な誰かを想い、人は涙を流すのだろう。
心から幸せを願い、微笑むのだろう。
私に笑顔と涙を思い出させてくれた人。
こんな私を救うために笑い、涙してくれた人。
あなたの心に響いてくれれば、それでいい。
ありったけの 「ありがとう」
歌に乗せて届けたい
この気持ちは
ずっとずっと忘れないよ
この想いが、真っ直ぐに届いてくれればいい。
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私は、自分が何度も生まれ変わった理由を考えた。
それはきっと、誰かのために生きたいと願ったからだった。
心寄せる誰かが欲しいと祈ったからだった。
客席から手を振る笑顔に、私はそっと微笑みを返す。
私に生きる意味を与えてくれた光に。
歌い終わって真っ白になった頭で、
傷跡が残らなくて良かったね、などと場違いなことを考えていた。
涙が溢れて止まらなかった。
あの時とは違う。
本当の笑顔から零れる涙は、幸せの結晶のように輝いていた。
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私だけじゃない。
ひとりぼっちじゃない。
道標のない道を、誰もが手探りで歩いていく。
私たちが乗り越えた運命を、
あなたが繋いでくれた未来への道を、ゆっくりと歩き出す。
つまづいたり、立ち止まったり、
道を見失ったりしながら、それでも前に進んでいく。
これからいくつもの悩みや痛みを抱えこむこともあるだろう。
傷ついたり、迷ったり、立ち止まる時もあるだろう。
どんなにつらくても、
二人で分け合ったなら、きっと重くない。
-
ねえ、あの頃の私。
不安と孤独をひとりぼっちで抱え込んで、
生きる意味さえ見失っていた、あの頃の私。
心配しなくていい。
あきらめることなんてない。
生きる意味なんて、すぐに見つかるから。
幸せを支え合える誰かに、必ずめぐり逢えるから。
大切な人を見つけることができたなら、
その傍にいることができたなら、きっと誰よりも優しくなれる。
憂という名前に込められた願いを、いつか形にできるように。
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おわれた
クソ忙しかったのもあるけど憂誕に間に合わなくてダラダラ書いてたら
完全に季節外れになってしまった
元々は去年の唯誕に考えていたという超難産っぷり
いつもセンパイシリーズの劣化版みたいなコメディばっかり書いてたせいか
真面目に書こうとするとギャグの前フリみたいな感覚になって
夢オチにしてぶっ壊したり、バッドエンドにしてみたくなる衝動を抑えるのが大変だった
元ネタというかこういう現象?を扱った作品は山ほどあるけど
最も参考にさせてもらったのは、某作家が山白朝子名義で書いた
『ラピスラズリ幻想』 と 『死者のための音楽』 という短編です
あと有名な(?)レスも引用させてもらったけど
『人が隣にきたときに優しくなれる』 みたいな発想を生み出せる人ってすごい
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素敵やん!
"
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