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憂「私は想像する」
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涙を堪えている。
姉が涙を堪えて、公園を駆け回っている。
それに続いて、私と、姉の友人も公園を駆け回る。
私と、姉と、姉の友人の三人が、寒空の下で駆け回っているのには勿論理由がある。
姉が気に入っているらしい、毛虫に似た妙なキーホルダーを落としたらしいのだ。
そんな物に興味は無いのだけれど、妹の身としては付き合わないわけにはいかない。
二人に気付かれないよう嘆息しつつ、探索を早く終わらせようと身を入れて公園の地面に視線を向ける。
尤も、二人とも私の嘆息など気にできないくらい、キーホルダーの探索に御執心なようだったけれど。
何となく姉に視線を向けてみる。
涙を目尻に溜めて、鼻水まで垂らして、凡そ賢さというものを感じさせない。
彼女が私の姉だという事を考えると、これから先の人生を儚みたくなる。
姉なのだ、人生の大半を供に過ごす長い付き合いとなるはずだ。
その膨大な時間、賢さを感じさせない姉と共に成長しなければならないという現実は、私に気鬱めいた感情を彷彿させる。
今後、どうかどうか、多少なりとも私の足を引っ張らない程度には知性を備えてほしいものだけれど、その注文は贅沢だろうか?
「そっちはどう?」
不意に姉の友人から問い掛けられる。
姉の友人の膝は既に公園の地面の砂で汚れ切っていた。
何故そこまで姉のキーホルダーを熱心に捜せるのか首を捻りたくなりながら、私は私に求められているであろう答えを口にする。
「ううん、まだみつからないよー。おねえちゃんのむしさん、どこにおちてるのかなあ?」
「ゆいちゃんはぜったいこうえんにおとしたっていってたから、こうえんにおちてるはずなんだけど」
「もうちょっとさがしてみよ、のんちゃん」
「そうだね」
キーホルダーを捜す友人の妹に相応しい答え。
求められている答えを口にできないほど、私は悪い妹ではないつもりだ。
少なくとも、もうしばらくの間は理想的な妹を演じ続けられないのだ。
まだ私は一人で生きていくだけの力を有していない。
そればかりは私自身にもどうしようもない事だ。
私が姉の妹としてこの世に生を受けてから、まだ四年弱しか経過していないのだから。
未だ無力な用事に過ぎないのだから。
姉は。
私達が話している間も、全身を砂に塗れさせながらキーホルダーを捜していた。
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産まれてから全ての事を記憶している。
初めて母に抱かれた時に掛けられた言葉、笑みを浮かべる父の表情、戸惑う姉の仕種、どれも記憶している。
それが当然の事だと思っていた。
教えられた事を記憶し、完全に再現してみせる事は、誰にでも可能な現象だと思っていた。
そうではない、と気付いたのは私が三歳と三ヶ月の時だった。
前々から思ってはいたのだが、姉の物覚えは私より遥かに遅い事に気付いたのだ。
一つ覚えたら一つの事を忘れる。とは祖母の言葉だったが、正にその通りだ。
私が既に乗れていた三輪車に乗るのに、姉は私よりも膨大な時間を掛けてしまっていた。
否、もしかすると姉の方が一般的な子供なのかもしれない。
そう考えた私は入り立ての幼稚園で同い年の園児を観察してみる事にした。
そして、気付いた。
姉の物覚えが遅いのは確かだが、一般的な園児より目立って劣っているわけではないと。
周囲の園児達も姉と同様に、私より膨大な時間を掛けて三輪車に乗れるようになっていた。
それだけではない。
識字も、計算も、記憶力も、姉の方が一般的である事を知った。
違っていたのは私の方。
私の方こそが、一般的な幼児ではなかったのだ。
何故私がこう産まれ付いたのかは分からない。
稀に幼児とは思えない知識を有した子供が存在するらしいが、私もそれかもしれない。
まあ、どうでもいい。
そんな事よりも重要なのは、私がこれからどう生きていくかだった。
メディアで取り上げられる様な天才的な幼児として名を馳せるつもりは毛頭無かった。
メディアで取り上げられた者は、大抵はあまり幸福でない末期を迎える事は知っていた。
私は自らが最大限の幸福を得られる人生を送れればそれで十分だと考える。
過ぎた能力は身を滅ぼす。
過ぎた才能は疎まれる。
だからこそ、可能な限りは普通の子供として生活するべきだ。
そうして最終的には最大限の幸福を得られる地位に就き、誰に知られる事も無く幸福な最期を迎える。
そして、私にはそれが可能なはずだ。
懸念は一つ。
「ねえねえ、ういー」
「どうしたの、おねえちゃん?」
「えへへ、よんでみただけだよー」
「そ、そうなんだ」
そんな風に、いつも隣で呑気に笑っている姉の存在。
意味も無く私に構い、意味も無く私の時間を浪費させる姉。
一般的な姉妹とはそういう物なのかもしれないが、残念ながら私には億劫だった。
姉と会話するくらいなら、最近発表された学説に目を通して知識を深めておきたかった。
厄介な姉の下に産まれ付いてしまった。
そう考えて嘆息してしまった回数は、両手では足りない。
しかし、今は臥薪嘗胆、雌伏の時だった。
小学生に上がれば、姉が私に構う時間も減るだろう。
私も自由な時間を取れるようになるはずだ。
それまでは姉の求める妹像を演じていよう。
自分の可能性を狭めてしまう行動を取ってしまうほど、私は子供ではないのだから。
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●
姉のキーホルダーが見つかったのは、それからかなりの時間が経ってからの事だった。
結局、隣人の老婆まで巻き込んで、キーホルダーの探索は大袈裟な事になってしまった。
長く見つからなかったのは、キーホルダーを落としたはずの場所が姉の記憶と大きく異なっていたからだ。
本当に、もう少しはしっかりしてほしい。
落し物とは、あるべき場所に無いから落し物になってしまう物なのかもしれないが。
「みんな、ありがとねー!」
キーホルダーが見つかった事で安心したのか、姉が大粒の涙をこぼしながら私と姉の友人に抱き着く。
鼻水と涙に塗れて酷い顔だ。
しかも全身が砂だらけだから、私達の服まで汚れてしまって正直迷惑なくらいだった。
勿論、そんな感情を顔には出さず、求められているであろう言葉を口にした。
「ううん、むしさんがみつかってよかったね、おねえちゃん!」
「もうなくさないようにきをつけないとね」
姉の友人が私に続いた後、姉の頭を撫でる。
彼女の方が姉より後の誕生日なのだが、まるで彼女の方が姉の様だった。
六歳児にしては成熟した姿。
可能ならば今から私の姉と交換したいくらいだ。
「よかったねえ、唯ちゃん」
隣人の老婆が穏やかに笑顔を見せる。
結局、キーホルダーを見つけたのはこの老婆だった。
彼女には日頃から世話になっているけれど、今回の事ではより一層感謝しなければならないだろう。
「よっぽどお気に入りの虫さんだったんだねえ」
「うんっ!」
まだ涙を流しながら姉が大きく頷いた。
そこまでお気に入りのキーホルダーとは知らなかった。
無論、家で大切そうに触っているのは知っていた。
それでも落としてしまった事で大泣きしてしまうほど大切にしていたとは思ってもみなかった。
姉なりに、何か思い入れでもあるのだろうか。
「だってね……」
涙を拭って、満面の笑顔を浮かべる姉。
姉は何故か私と視線を合わせてから、嬉しそうに続けた。
「だってういがたんじょうびにくれたんだもん!」
驚いた。
忘れていたからじゃない。
去年の姉の誕生日、プレゼントとして渡したのは勿論記憶している。
深い意味があってのプレゼントではなかった。
姉の誕生日だから何かを渡さなければいけないと考えて、父に頼んで買って貰っただけのプレゼントだ。
ただそれだけのプレゼントだった。
忘れはしないけれど、自分から思い出すほどではないプレゼント。
そんなプレゼントを姉は、落とした事で大泣きしてしまうほど、大切にしていたのだ。
愚かだと思う。
姉が気に掛けるほど、私はそのキーホルダーに対して思い入れを抱いていない。
それほどプレゼントを大切にされても、私には戸惑いしか湧いて来ない。
けれど何だろうか、この感情は。
胸が、何故か高鳴る。
私は……。
そう戸惑ってしまっていたのが悪かったのだろう。
不意の感情にバランスを崩してしまった私は、目の前に居る姉と頭をぶつけてしまった。
痛い。
非常に痛い。
「う、うええええ……」
普通の子供じゃないんだから。
そう思いながらも涙が止まらない。
「ああっ! なかないでよ、ういー!」
自分も頭をぶつけてしまっているのに、涙を流さず私の頭を撫でる姉。
さっきまで大泣きしていたくせに、自分よりも私を心配してしまっている姉。
姉に撫でられていても、何故だか涙は止まらなかった。
まだ五歳なのだから、肉体が必然的に反応してしまう事もある。
とりあえず、そういう事にしておこう。
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●
「うい! ういー!」
熟睡していると、姉に唐突に叩き起こされた。
昨日の準備で疲れていたからもう少し眠っていたかったけれど、このまま眠っているのはいい妹ではないだろう。
寝惚け眼を擦って身体を起こすと、駆け出していく姉に付いていく。
「はやくはやくー!」
「おねえちゃん、まってー!」
普段呑気な姉には珍しく急いでいるらしい。
こんな姉を見るのは、先日キーホルダーを落とした時以来だった。
この早朝から何があったというのだろうか。
姉の事だからそう大した事では無いのかもしれないけれど。
「じゃじゃーん!」
嬉しそうな表情で玄関の扉を開く姉。
玄関の先には昨日私達が装飾したクリスマスツリーがあった。
そして、そのツリーには白い物が載っている。
恐らくは雪だろう。
昨日、姉とはホワイトクリスマスについて話したから、その雪が嬉しかったに違いない。
私としてはあまり興味は無いけれど、姉の機嫌がいいのは悪い気分ではない。
軽くとだけ笑顔を浮かべて、姉と共にツリーに駆け寄ってみる。
「ホワイトクリスマスだよー!」
嬉しそうに両手を上げてはしゃぐ姉。
私だってホワイトクリスマスを喜ばないほど達観しているつもりはない。
クリスマスに雪が降れば、それなりには嬉しい。
けれどその雪には何処か違和感があった。
ツリーに近寄って雪を掴んでみると、馴染み深い柔らかさを感じた。
もしかして、いや、もしかしなくてもこれは……。
「おねえちゃん、これ……」
私が訝しく視線を向けると、姉は何故か胸を張って物陰から何かを取り出した。
「クッションの中身!」
「あっ!」
思わず声を上げてしまった。
予想通りだったけれど、まさか本当にするとは思わなかったのだ。
小学生一年生とは言え、わざわざクッションの中身を使ってホワイトクリスマスを演出する子供なんてそうは居ない。
姉はいつも、私の想像もしなかった事をやってのける。
本当に愚かな姉だ。
私が社交辞令でプレゼントしたキーホルダーを大切にしていたり、わざわざホワイトクリスマスを作ってみせたり。
特にこのクッションの事では両親にしっかり叱られるはずだ。
しかし、自信満々な笑顔から考察するに、姉は叱られる事を分かっていて、それでも偽の雪をツリーに振らせたに違いない。
「えへへ」
笑顔を見せる姉。
私の傍でずっと見せていた、悪気の無い無邪気な笑顔。
私はこの愚かで賢くない姉の妹として産まれた。
それはある意味で不幸だったのかもしれないけれど、私は。
私は何故か笑ってしまっていた。
産まれて初めてかもしれない、作り笑いではない笑顔。
おかしかったのだろうか、嬉しかったのだろうか。
そのどちらなのか分からないし、そのどちらでもあったのかもしれない。
けれどどちらでもよかった。
不思議な昂揚感に胸を高鳴らせながら、私はずっと笑っていた。
-
☆
「ふふっ」
クリスマスツリーの準備をしながら、私はまた笑ってしまっている。
産まれたばかりの事、キーホルダーの事、あの日のホワイトクリスマスの事を思い出しながら。
あれから……。
あれから私は、お姉ちゃんと一緒に成長する事が億劫じゃなくなった。
一緒に居ると自分まで笑顔で居られる事に気付いて、それがとても嬉しくて、お姉ちゃんの事が凄く大切になった。
本当に子供だったのは、もしかしなくても私の方だったんだろうな。
私は想像する。
お姉ちゃんの妹として産まれなかった自分を。
お姉ちゃんの妹でなかったら、私はきっとあのまま嫌な子として成長してたと思う。
それはそれで幸せだったのかもしれないけど、今私が感じている幸せをずっと知らないままだったと思う。
私が求めていた最大限の幸せが、こんなに近くにある事を知らないままで生きるなんて、悲し過ぎるよね。
クリスマスツリーの星を載せるお姉ちゃんを見つめる。
お姉ちゃんは小さな頃から変わらない。
無邪気で、元気で、私よりずっとしっかりとしていて、しっかりと生きている。
生きるという事を楽しんでる。
私の想像も出来ない発想で、私を、私達を幸せにしてくれている。
私は想像する。
お姉ちゃんと生きていくこれからの未来を。
お姉ちゃんと一緒なら、きっと沢山の新鮮な驚きに溢れた毎日が待ってると思う。
私は、私の本当の幸せを、お姉ちゃんに教えてもらえた。
あったかさや柔らかさを教えてもらえた。
世界が色付いたの。
この幸せを少しでもお姉ちゃんに返してあげたい。
それが私の今の人生の目標なんだよね。
私が昔目指していた幸せとは全然別かもしれないけど、それでいいんだって思えるよ。
お姉ちゃんの幸せが、私の幸せなんだ。
「憂、どうかした?」
ツリーの天辺に星を載せ終えたお姉ちゃんが私に笑顔を向けてくれる。
大好きな笑顔、大切にしたい笑顔を見せてくれる。
だから私も笑顔を返すんだ。
一緒に、二人で幸せに生きていけるように。
「ううん、今年も楽しいクリスマスになるといいな」
私は想像する。
明日のクリスマスパーティーを。
どんなサプライズが待っているか分からないけれど、きっと楽しいパーティーになるはず。
そうして一緒に幸せになっていこうね、お姉ちゃん。
私に幸せを教えてくれてありがとう。
大好きだよ。
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完結です。
遅い誕生日SSのつもりがクリスマスSSになってしまいました。
ともあれ誕生日おめでとう。
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天才児憂が今の憂になるまでの振り返り。
やっぱり唯憂は素晴らしい。
改めて気づかせてくれてありがとう。
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いい話だった
憂の想像を超えるところで唯は生きてるんだね
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