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梓「てのばし」
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梓「ムギ先輩」
紬「なぁに? 梓ちゃん」
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梓「びっくりしましたよ、いきなりメールが着て」
紬「なんだかいきなり梓ちゃん会いたいなぁ〜って思っちゃって」
梓「そ、、それは。ども......です」
7月のある日だ。
その日で期末テストが終わって。
あとは終業式を待つのみ。
夏休みに片足を突っ込んだような、
そんな中途半端な日だった。
夕方ごろにこの街に着くらしい、ムギ先輩と会う約束をした日でもあった。
紬「ねぇ、知ってる?ここって屋上がたまに開いていることがあるの」
梓「あぁ、聴いたことがあります。でも、私が来る時はいつも閉まっていて。運がないんですよね、私こういうのって」
施錠された、屋上への扉の前で
少しだけ願ってた。
扉が、開いてほしいと。
紬「今日はどうかしらね。......うん、なんだか一種の運試しみたい、こういうの」
少しだけ大人っぽい雰囲気になったムギ先輩が私の後ろで少し微笑む。
その気配を懐かしく思いながら、
私はドアノブをゆっくりと回した。
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紬「はいこれ、梓ちゃんの」
梓「?」
梓「って、これ!?」
紬「麦酒でーす」
梓「ムギ先輩......」
紬「ふふ、せっかくなんだから。いいじゃない、これくらい」
横でプシュっと、ムギ先輩は安っぽい酒を呑んだ。
夜の8時の闇の中に映し出される、ムギ先輩のその姿に私は少しだけ......。
梓「......」
紬「梓ちゃん?」
梓「......私の知ってる」
紬「?」
梓「私の知ってる、ムギ先輩はこんな風にお酒なんて......呑まない......ですよ」
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体育座りをした、両膝に顔をうずめる。
夏用のスカートのザラザラとした感触が、少し痛い。
ファブリーズじゃ消えないみたいで、汗の匂いがした。
紬「幻滅した?」
梓「......幻滅なんて、そんな」
横では、グビリと喉を鳴らす音がきこえる。
私が拗ねたって、この人はお構いなしなんだ。
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答える代わりに私は顔を上げて空を見上げた。
見上げた夜空は、夏だった。
小学生の時に散々理科で習ったはずなのに、
星の名前なんてこれっぽっちも思い出せない。
私の目の届かない範囲で知らないうちに、
変わられることがこんなに辛いことだなんて。
どこからか、虫の声がきこえる。
紬「小さい頃って、星に手が届くって思わなかった?」
その声に私は意地になって返事もしない。
なのに、ムギ先輩は話を続ける。
紬「こんな風に手を伸ばして、『どうして星が掴めないのかしら〜〜菫!!』って菫と2人で夜空をずっと掴んでは蚊に刺されてたわ」
ムギ先輩は私の方を見て笑いかけているみたいだけど、
私はそっちを見向きもしない。
菫、菫かぁ。
梓「お嬢様でも蚊に刺されることがあるんですね」
紬「あるわよ。私をなんだと思ってるの、梓ちゃんは」
梓「なんだと思ってるんでしょうねぇ」
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グビリとまた、横で音がした。
ねぇ、もっとこっち見てくださいよ。
ねぇ、もっと近づいてきてくださいよ。
ねぇ、もっと手を伸ばしてきてくださいよ。
ねぇ、もっと私を望んでくださいよ。
代わりに、私は言ってみる。
梓「ムギ先輩」
紬「なぁに? 梓ちゃん」
梓「今なら麦酒の力で、手を伸ばしたら掴めるかもしれないですよ」
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その言葉にムギ先輩は両腕を夜空に伸ばして。
何度も何度もスカして、空中で何かを掴んではスカして。
そっちじゃないのに。
その一生懸命さがとてもバカらしくて、でもだからまた心を掴まれた。
しばらくムギ先輩は何回も夜空を掴まえようとして、手を伸ばした。
そして、私の名前を呼んで言った。
紬「梓ちゃん」
梓「なんですか?」
紬「残念、掴まえられない」
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いい笑顔だった。
アルコールが入った人の、いい笑顔だった。
夏の夜に、誰も来ない屋上に
たまたま鍵の開いた扉の向こうに
それは、よく似合っていた。
紬「ずっとこうしていたら、いつかは掴まえられるかしら」
紬「掴まえたら、私は手を伸ばすことを終えられるのかしら」
梓「ムギ先輩」
紬「なぁに? 梓ちゃん」
梓「望んでも終わらないものもあるんですよ、この世界には」
紬「そうかしら? 」
梓「そういうもんなんですよ」
私は、麦酒をプシュとして、
口をつけてゴクリと呑んだ。
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それはホロっと苦かった。
ムギ先輩はまだ横で手を伸ばしていた。
梓「残念、終わりません」
私は、つぶやいて、苦々しく笑う。
そばにいるのに、届くのに。
手を伸ばせない、この想い。
望んだからって消えることなんてない。
梓「残念、残念」
梓「終わりません、残念、残念」
紬「そんなに残念なんて言って。もう酔っちゃったの?梓ちゃん」
私は生ぬるいのをまた口に含んだ。
梓「ムギ先輩」
紬「なぁに? 梓ちゃん」
梓「夜空を掴まえようとしたことって、あります」
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紬「やっぱり、梓ちゃんも?」
梓「誰だって一度は願うもんですよ」
梓「掴まえたいって」
梓「手にいれたいって」
梓「ふれてみたいって」
少しだけ黙った後、先輩は
紬「そういうもの、かもね」
と、
含みながら苦そうに笑った。
そして、こうも言った。
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紬「梓ちゃん、わかりやすいから。私でも少しだけ、困っちゃう」
私は何も言えなくて、
何かを言おうとしたけど言えなくて。
自分の頬の火照りが嫌で。
それでもやっぱり
ムギ先輩じゃないともっと嫌で。
夜空を掴まえようとして、手を伸ばした。
おわり
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乙
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