■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
姫子「ハロー・グッドバイ」
あれは、卒業が間近に迫ったある日のことだった。
私は自分のものではない携帯電話を手に、軽音部の部室へ向かっていた。
携帯電話の持ち主は平沢唯。私の隣の席に座っている子。
こんな忘れ物を届けるのは初めてじゃなかった。いや、一度や二度じゃないと言っても
いいかもしれない。
だけど、私に面倒臭いという思いは湧かず、むしろ小さな喜びに包まれていた。
教室以外でも唯と話せる。教室以外でも唯の顔が見られる。
唯の忘れ物は私にとって大歓迎な出来事以外の何物でも無かった。
廊下を歩きながら自然とほころぶ顔。階段を歩きながら漏れ出る鼻歌。
そんなこんなで軽音部の部室の前にたどり着いた時、中から話し声が聞こえてきた。
姫子(唯の声だ。良かった、まだ帰ってなかった)ニコニコ
梓「ごめんなさい、唯先輩……」
唯「そっか。そうだよね……」
姫子(ん? もしかして入っちゃマズい雰囲気とか? 話してるのは二年生の中野さん、
だったっけ?)
梓「唯先輩が嫌いな訳じゃないんです。その、そういう対象として見れないというか……
一人の先輩として、同じ軽音部員としての唯先輩は大好きです」
姫子(ちょっと待ってよ…… これって……)
私は部室の開き戸にピタリと耳をつけた。
盗み聞きなんてすることに、罪悪感や恥ずかしさが無い訳では無かったが、二人の話す内容が
私を非常識な人間にさせた。
だって、唯が――
唯「……」
梓「ごめんなさい……」
唯「あ、明日からも…… 今まで通りお話してくれる……?」
梓「もちろんです! 明日からも今まで通りの私達でいましょう」
唯「うん。ありがとう」
梓「じゃあ、私はこれで。さようなら、唯先輩」
唯「バイバイ、あずにゃん」
姫子(やばっ!)
中野さんが出てくる。
私は急いで、かつ音を立てないように、階段を駆け下りた。
今、たった今、下から上ってきたように見せなきゃ。
私が二階から三階に続く階段の一段目に足を掛けた時、中野さんが部室のドアを開けて
外に出てきた。
梓「あっ、こんにちは……」ペコリ
姫子「こ、こんにちは。唯、まだいるかな。あの子、ケータイ教室に忘れてたから」
梓「あ、はい。ちょうど唯先輩が最後です。他の先輩方は帰りました」
姫子「そう、ありがとう。ちょっと届けてくるね」
梓「は、はい…… さようなら」ペコリ
姫子「さようなら」
私と中野さんはすれ違う。私は三階の軽音部の部室へ。中野さんはそのまま階下へ。
振り返らなくても中野さんがこっちを見ていることはわかった。
でも、私は気にせずに、ドアを三回ノックした。
コンコンコン
姫子「唯? ケータイ忘れてたから届けに――」
唯「ううっ、ぐすっ…… ひっく……」ポロポロ
唯は、泣いていた。
部室の真ん中にあるベンチに腰掛け、前のめりになって顔を両手で覆っている。
やっぱり、あの会話は、私が想像してた通りの内容だったんだ。
"
"
姫子「唯……」
声を掛けたけど、ただ馬鹿みたいに名前を呼んだだけ。
こういう時って何て声を掛ければいいんだろう。
唯「ひ、姫子ちゃん……! こ、これは、ぐすっ、その……」ゴシゴシ
姫子「……」
唯「き、昨日テレビでやってた映画を思い出したら、何だか悲しくなってきちゃって。
ぐすっ、自分がこんな涙もろいなんて思わなかったよ。えへへ」
子供みたいに袖で涙を拭いて、不器用な言い訳。
私はどんどん何て言ったらいいかわからなくなる。
授業でも部活でもバイトでも教えてくれなかった。
好きな子が泣いている時に掛ける言葉なんて。
姫子「あのさ、唯……」
唯「あ、ケータイありがとね! 姫子ちゃんは優しいなぁ」ニコッ
姫子「私、聞いちゃったんだ。さっきの、中野さんとの……」
唯「……!」
姫子「……」
唯の無理して作った笑顔がどんどん崩れていく。
ごめん、唯。
唯「気持ち、悪いよね…… 女の子同士で、そんなさ…… ぐすっ……」ポロポロ
気持ち悪くなんかない。
それは正しいことだよ。少なくとも、唯にとっては。そして、私にとっても。
他の人なんて関係無い。
そう、正しいんだ。私は、私は正しいんだ。
姫子「わ、私じゃダメかな」
唯「え……?」ピクッ
姫子「私、唯のこと大好きだよ。友達としてとか、“LIKE”とかじゃなくて。唯と、恋人
同士になりたい」
唯「姫子ちゃん……」
言ってしまった。もう後戻りは出来ない。
ううん、後戻りなんてする必要は無い。
私はそのまま歩みを進め、唯の隣に腰を下ろした。
教室の席割りとは違う。私と唯の間は5mmも離れていない。
姫子「三年生になって、同じクラスになった時から、ずっと唯が好きだった。ずっと唯ばかり
見てた。唯は気づかなかっただろうけど」
唯「う、うん。わからなかった……」
唯の手を握る。強く。両手で。
私、何をやってるんだろう。まるで現実感が無い。
姫子「私だったら、唯のこと大切に出来る。唯を幸せに出来る。この気持ちは他の誰にも
負けない」ギュッ
唯「……ありがとう」
唯は眼を伏せ、視線を外して、そう言った。
ありがとう? 唯は「ありがとう」って言ったの?
「やめて」じゃなくて「ありがとう」って?
姫子「唯……」スッ
私は自分の唇を唯の唇に重ねた。
私の中の私が私を抑えつけて私にそうさせた。
唯「んっ!? んんっ……!」
唯は驚いていた。
私だって驚いている。
こんな日に、こんな時間、こんな場所で、唯と、私。
今の今まで、こんなことになるなんて、なれるなんて考えてもみなかった。
唯「ん……」
唯の驚きはすぐに収まったようだった。
そして――
そして、唯は何の抵抗もしなかった。
顔をそむけもしなければ、私を押し返したりもしない。
ただ、眼をつむっているだけ。
私を抑えつけていた私も、私に抑えつけられていた私も、キスをしている私も、あまりの
喜びではちきれんばかりになっていた。
そんな昂った気持ちがバレないように、私は静かに唇を離した。
姫子「唯、愛してる」
唯「うん……」
やっぱり眼はそらせたままだけど、唯は拒絶しない。顔を真っ赤にして、ゆっくり頷いてくれた。
私は受け入れられた。ずっと好きだった唯に受け入れてもらえた。
これってどんな確率? たまたま同じ学校の、同じ学年の、同じクラスになった“女の子”を
好きになって、そしてその女の子も女の子を好きで、更に相思相愛になれて――
ねえ、これってどんな確率? もしかして私は世界で一番幸運な人間なんじゃない?
そんなことを考えながら、もう私は止まることが出来なかった。
もう一度、唇を重ねる。今度は唯の口の中へ自分の舌を割り込ませる。
唯「んふぅ……」
唯は可愛い吐息を漏らしながら、眼を閉じたまま両腕を私の背中に、首に回してくる。
もう止められない。止めようとも思わない。
私は唯の舌を貪り、唯の歯に舌を這わせ、唇を吸い尽くす。
乱暴かな、とも思わなくも無かったけど、唯が私の髪を掴んだまま引き寄せるように後ろへ
倒れ込むと、もうそんなことも考えなくなった。
それから、存分に唯の口の中を味わった私は、ゆっくり彼女の太ももに手を這わせ、そして、
スカートの中に手を――
――どれくらいの時間が経っただろう。
二人ともまだ息が荒いまま、無言で乱れた服を直していた。
私の身体の敏感な部分は唯の余韻を熱く残している。きっと唯もそうなんだろう。
そう思うと、こちらに背を向けている唯のことがたまらなく愛おしくなった。
私はそっと、しなだれかかるように、唯の背中を、肩を抱きしめた。
姫子「唯、大好きだよ」
唯「……!」ビクッ
その瞬間、唯の身体が大きく跳ね上がった。まるで物陰から出てきて驚かされたみたいに。
私も驚いてすぐに身体を離す。
でも、唯はすぐに私の方を向いて、ニッコリと微笑んでくれた。
唯「ご、ごめん。ボーッとしてたからビックリしちゃった」
姫子「もう、私もビックリしたよ」クスクス
唯「私、先に帰るね」スック
キチンと制服を直した唯はそう言うが早いか、鞄を手に取った。
唯ったらせっかちなんだから。もう少し、この余韻を楽しんでいたいのに。
それに、もう少しお喋りして、くっついてイチャイチャして。ああ、でも下校時間になるのか。
それなら、せめて一緒に帰りたいよ。
恋人同士になれたんだからさ。
姫子「あ、せっかくだから一緒に――」
唯「ごめんね。もう遅いし、帰りに用事があるから」
姫子「わ、わかった。じゃあね、また明日」
唯「うん。バイバイ、姫子ちゃん」タタッ
慌ただしく唯は出て行ってしまった。
私はと言えば、幸せで宙に浮かび上がるような感覚。
誰よりも幸福で、誰もが私を祝福してくれそうな、そんな感覚。
まるで丘の上の愚か者。だけど私はいい気分。
だって、そうじゃない。
ずっと好きだった子と恋人同士になれたんだよ?
しかも、諦めかけてた恋なんだから。
少しの間、ボーッとしていた私は、ようやく疲労と快感の余韻で重くなった腰を上げた。
そうだ、電話番号とメルアドを交換するのも忘れちゃった。
でも、大丈夫。
明日になったって、卒業式が来たって、私と唯は大丈夫。
何たって、私達は恋人同士なんだから。ただのクラスメイトじゃない。恋人同士なんだ。
時間なんか関係無い。二人はずっと離されやしない。
そうだよね? 唯――
唯「早いね」
姫子「登校日くらいしか…… みんなに、会えないから」
あれから、私と唯は、何も変わらなかった。
そう、何も変わらない。ただのクラスメート。私はただの唯の隣。
あの日から唯は変わらず私と接してくれる。変わらず。まったく、変わらず。
あの日のことは夢だったのだろうか。私だけが見た夢?
私が話し掛けても「さよなら」「部活に行くから」「ごめんね」
私の望む言葉は返ってこない。ただ、あの日から変わらない可愛い笑顔と「さよなら」
どうして? どうして? どうして? どうして唯は「さよなら」しか言ってくれないの?
結局、放課後や休日に会うどころか、私は唯の連絡先すら知らない。
もう、時間が無い。学校で会えるのも、それこそ登校日くらいしかない。
ねえ、唯。私達は恋人同士になったんじゃなかったの!?
卒業式の日。
大して日数は経っていないはずなのに、あの日の、あの軽音部の部室での秘め事からもう
随分と長い時間が過ぎたような気がする。
やっぱり、私はあれから変わることが無いまま。
唯も、ずっと可愛くて、ずっと人懐っこくて。そして、ずっとただの隣にいるクラスメイトで。
私達は何も変わらなかった。
唯「この音好き〜」ポンッ
姫子「……」クスッ
私はただからかわれたのだろうか。
同じ同性愛者だから。ただ失恋のショックを紛らわせる為に。都合良くそこにいたから。
それが私の存在意義?
唯の隣で、たまに仲良く会話を交わして、それで――
そんなの嫌だ!
私は、私は唯の恋人になれたんだ! 唯も受け入れてくれた!
なのに、どうして!?
唯と軽音部の三人が教室から出ていく。
おそらく、部室に向かうのだろう。
あの子達はこれからも唯といられる。
その気になれば電話もメールも出来て、ううん、それどころじゃない。大学も一緒だ。
私は?
これからもずっと一緒にいられるなんて。
私は?
姫子「唯っ……!」
気づけば、私は四人に追いつき、自分でも驚くほどの大声を上げていた。
唯「姫子ちゃん……?」 ビクッ
姫子「あのさ、唯…… 私、どうしても――」
もう私には何も見えていなかった。
軽音部員のあの子達も。
幼馴染のあの子も。
ただ、唯の顔しか見えていなかった。
そう。唯の顔が。
唯「姫子ちゃん……」
唯は、唯の顔は、ほとんど祈るような表情で、私に恐怖と哀願の感情を…… それから……
これは何という感情なのだろう。
懺悔、とでも……
何て顔をしてるんだろう。
唯、何て顔してるのよ。
ねえ、唯。私がそんな顔にさせたの?
ずっと怖かったの? ずっと後悔していたの? ずっと――
姫子「どうしても…… どうしても、唯に『さよなら』が言いたくて」
――ずっと、私がずっと言いたかった言葉の代わりに、思ってもいなかった言葉が。
唯「……」
唯、好きだよ。愛してる。本当に本当にあなたが大好きだったんだから。
姫子「さよなら、唯。元気でね」
唯「うん。姫子ちゃんも元気でね。また会おうね」
唯ったら。まったく、もう。
最後まで、最後までしょうがない子なんだから。
私が「大好き」と言えば、唯は「さよなら」
私が「さよなら」と言えば、唯は「またね」
本当にしょうがない子。
幸せになってね、唯。
帰り道。電車の中。
卒業アルバムを眺める。忘れようとしても忘れられない高校生活。
また明日が来る。今日はもう終わり、誰も知ることの出来ない明日がやってくる。
良かった。明日が来なければ、私なんて今頃……
ふと、我に返ると隣の若い男の人のイヤホンから何やら音楽が漏れ出ていた。
周りの人達はみんな顔をしかめている。
大きすぎる音量は英語の歌詞が私でも理解出来るくらいだった。
『I say high, you say low
You say why and I say I don't know
Oh No, You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye, I say hello
Hello, Hello
I don't know why you say goodbye, I say hello』
さよなら、唯。
おわり
"
"
終わりました。ありがとうございました。
"
"
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■