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梓「ギターとリボン、それからの日々(仮)」

1 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:37:16 WkH1EYgI0

ある日突然父からアコースティックギターを貰った。 
私にはむったんがいるのだからそれは言ってしまえば不要なものだった。 
いらないよ、と断ったものの、父は
「1本ぐらいギターが増えて徳はあっても損はない」と
ほぼ無理矢理に私にそのギターを押し付けた。


"
"
2 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:39:18 WkH1EYgI0
???

梓「さむっ!」

1人、ギターを背負い歩く私に冬の風は容赦なく吹きつく。 
ブラウンのレザージャケットのポケットに既に突っ込んでいた手をさらに奥へと押し込んで、
マフラーに顔をうずめた。 
目の前を歩く人たちは、
互いの手を絡ませたりする恋人たち、
忙しなく歩く臭そうなオジサンたち、
「さみいさみい」と喧しく鳴く学生たち。 
気が付くとあっという間に季節は冬だった。 

 不意にケータイが振るえた。
確認なんてしなくても、私にこの時間帯にメールをくれるのは……。 
メールには『気を付けて帰って来てね』という一文のみ。

梓「早く帰ろう……。 憂が待ってる」 

どこかに逃げるように、
でも、確実に私のことを待ってくれている憂のもとへ
私はひとりぼっちで空回りそうになりながら、
いつものように冬の雑踏を後にした。


3 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:40:23 WkH1EYgI0
---

 手入れはするものの、貰ったギターを私はどうにも弾く気にはなれなかった。 
その時の私はむったん以外の楽器を弾こうと思うことがなかった。
そうすることは唯先輩たちがいなくなったセカイに
さらに追い打ちをかけるような行為のような気がしていた。 
ただひたすらむったんと会話をする日々……。 
聞こえるはずもない音に耳をすませて、その音に自分の音を重ねていく。 

あぁ、そこはちゃんとミュートしないと……
またそこで走るんだから……
ほら、すぐにベースとずれちゃう……

でもそれをキーボードがカバーするんだから
ほんとにわけわかんないよ
……ははっ……。


4 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:42:34 WkH1EYgI0
私の記憶で音は様々だ。 
間違える箇所はきっといつかのそれと一致している。 
でもそれはいつのセッションだったのか、
どこで弾いたものだったのか、
合宿中か、部室でか、それともスタジオとか。 
正しいことは覚えていない。 
曖昧さのままで、私はそれに自分の音を重ねていく。 

リードギター、ベース、キーボード、ドラム。 

それらの音は過去のまま、リズムギターの私の音だけが現在の状態で刻んでいたリズムを、
憂は一体どんな気持ちで聴いていたんだろう。 
先輩たちがいなくなっただけでここまで弱弱しくなった私を
父と母はどんな気持ちで眺めていたんだろう。 

私には到底理解できない範囲にありそうな他人のそんな思いを私はただ、
自分がいっぱいいっぱいだという自分勝手な言い訳のために、
その時は想像することさえもしなかった。


5 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:46:19 WkH1EYgI0
春休みはそんな調子で良かったけど、高校3年生になり、
そんな訳にはいかなくなった。
私の両親はさらに多忙になった。  私のことが心配ではなくなったわけではないっていうのは
十分にわかっている。 
オトナになったら、自分の思いではどうにもならないことがたくさんになっていくんだ。 

両親の不在に比例して唯先輩のいなくなった平沢家に
私は入り浸るようになっていった。 
ちょうど同じころ、平沢家も私の家と同じような状況になっていたためだ。 
オトナになったら、自分たちのために建てた家にすら居続けることが難しくなっていく。
 
家は在るのに、家なき子みたいに悲しい状況に陥っていた私と憂の同居は
なんだかんだで誰からの批判もなく、上手くいっていた。 
両親にも「平沢家にいる」ということを説明してるし、
憂もそこらへんはちゃんと報告しているらしく、
私は毎月自分の家のテーブルの封筒にいつの間にか置いてある封筒を憂に渡している。 
「お世話になっています」っていう生活費だ。 

一度、中身を見たことがある。 ……10万入っていた。 
その頃の私はまだ金銭感覚、
ひと月に2人の女の子が暮らすのにはどのくらいのお金が必要なのか
っていう知識がなかったから
ただただひたすらに10万という金額に驚いた。 

今なら言えるが、私の両親は本当にバカだ。 音楽バカだったのだと思う。 
……10万かぁ。


"
"
6 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:48:13 WkH1EYgI0
生活費は入れていたけど電気とかはやっぱ使いにくかった。
 
自分の家ならアンプにつなげてもヘッドフォンをつけていれば
ギターは24時間いつでも使い放題だった。
 
でも、それと同じことをこの家でもしてもよいのかためらわれた。
 
大体、私ももう高校3年生で、昼間はきちんと受験生をしていないといけなかった。 
むったん弾きたいけどでもなぁ……自分の家に帰ればそれですむ問題なんだけど、
私はどうしても家には帰りたくなかった。 

そんな時、部屋の隅のアコースティックギターが目に入る。


7 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:54:26 WkH1EYgI0

---

 憂「梓ちゃんはこの部屋を使ってね」

憂の言葉に私は絶句していた。 

憂が私にあてがったその一室はセミの抜け殻のように主を失ったあの部屋だったのだ。 

机の上に置かれた要らない楽譜、新しい生活には必要ではないとされた日常品の数々。 
いや、確かに机とか買い揃える必要とかなくて楽だからいいんだけどさ、でも。 



梓「……」 

水面下に佇む鯉のように口をパクパクとした。 
上手く言葉が錬金されてこない。 まるでウインナーを作っているのに中身のタネがなくなってしまってて、
ただただ羊の腸を持って立ち尽くしているみたい。 

ベッド側の窓から差し込む光が逆光になって
うまく憂の表情は掴めなかった。 
この位置にベッドを置けば唯先輩も眩しくて毎朝憂に起こしてもらわなくても済んだんじゃないかな、あ、
でもそれだと部屋の出入りが面倒くさいか、とかどうでもいいことばっか思いつく。 

憂は私に唯先輩の代わりになってほしいのかな、
とも思った。 

物凄くくだらない思い付きだった。 
でも、そのくだらなさが信憑性を帯びるくらい、私も憂も寂しかったんだ。 

そこにいた人がいなくなったってことがとっても寂しかったんだ。 
いまさら叫んでも泣いてもどんなことしてもそれは変わらないってもう知ってて、
というか、叫んでも泣いてもどんなことしてもそれは変わらないって実際にしてからもう実体験として知ってて。 

とにかく寂しかったんだ。 
いまなら宗教とかよくわかんない信仰とか信じちゃう人の気持ちがわかってしまうってくらいには
自分でもどうにかしてこの寂しさから逃れたいって思うくらいには、

寂しいことが「寂しい」って気持ちの枠から食み出してきて、
「辛い」になっていたんだ。


8 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 18:57:43 WkH1EYgI0

梓「……。 わかった。 この部屋使わせて」

憂「お姉ちゃんが残していったものは何でも自由に使っていいからね」

梓「それ、有り難いけど、唯先輩に怒られちゃわないかな」

憂「うーん。 ……どうだろ。 わかんない」

梓「わかんないって……」

憂「お姉ちゃん、最近忙しいみたいで。 メールしてもなかなか返ってこなくて」

梓「……そっか。 じゃあ、勝手に使っても唯先輩が悪いってことにしよう」


私はそう言ってやった。 
「わかんない」って素直に言った憂が悪いんだろうか。 
「わかんない」って言わせるような質問をした私が悪いんだろうか。

 不意に憂と目があって、心臓が止まるかと思ったけど、
憂に気づかれたくなくて自然をなるべく装った。 


梓「でも、きっとお姉ちゃんなら笑って許してくれるから大丈夫だよ」



 そう言って微笑む憂の笑顔に私は少しだけ悲しくなって、だけどそれ以上に優しい気持ちになれた。 

憂の後ろ側の壁に張り続けられている写真のうちの一枚に目がいった。 

まぁ、きっと先輩なら許してくれるだろう。 

写真の中の中学生の頃の笑顔と、目の前の憂の笑顔を同時にこの目に映しながら、
なんだかんだで私自身も始めからそうするつもりだったんだろうということに気づいた。


9 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:00:00 WkH1EYgI0

---

梓「ういー。 したくできたー?」

憂「あ、梓ちゃん……。 も、もうちょっと待ってて……*」

梓「わかった。 ゆっくりでいいからね」

憂「うーん、ごめんねー」

憂の返事は既に意識が準備に向かったことを表していて、
普段はしっかり者の憂の気のない返事に
一人でクスクスと笑ってしまった。

 今日も平沢家の両親は不在で、私と憂の2人だけだった。

 普段、休日には用事を入れている私なんだけど今日のこの休日は憂と過ごそうと思っていた。
 憂も憂で「たまには2人でお出かけでもしようか」と言ってくれたから
すんなりと2人でどこかに行くことが決まった。 

憂と出かけるのはなんだか久しぶりで
妙に体がモゾモゾする自分をごまかせない。


10 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:01:16 WkH1EYgI0

憂「おまたせ。 ごめんね、待たせちゃって」 



 急いでいてもスリッパでパタパタとした音など立てない憂に
私は感心した。

 振り向いて、憂を見て私はさらに放心した。



梓「……どしたの?」



憂は髪を下していた。 
その姿はさながら姉のようで、
私はだらしなく顔をにやかしていたことだろう。

憂「急いでたら……切れちゃった……」

 リボンって切れるものなんだなぁ、と思いながら、
お風呂上りと夜のベッドの中でしか見られない憂の髪を下した姿と普段着の見慣れなさに
クラクラとした。



憂「どうかした?」

梓「いや、なんでもないですっ。 じゃあ、いこっか」

憂「うん」

玄関のトビラを開くと、冷気が一気に吹き付けて来た。 

言っても寒さは変わらないのにどうしてだか言ってしまうその一言を
私と憂は同時に吐き出した。



梓憂 「さむっ*」


11 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:03:53 WkH1EYgI0
---
 前日の晩、夜ご飯を食べながら私と憂はどこへ行こうかという計画を立てていた。 
憂の作るご飯はどれもおいしい。 私の用事が終わってからだと、いつも夜ご飯は22時頃になる。 
『夜は一緒に食べる』というのが、
私がこの家に住むにあたって憂とした約束だった。 

その約束を私たちは忠実に守る。 約束を守るために行動していると言ってもいい。 
用事が終わりしだいすぐに憂の家に直行。 
寄り道なんてしない。 

憂は毎日夜ご飯を作って私を待っていてくれる。 
暖かい食事、憂との何気なに会話。 そのどれもが私の家族がもっていなかったもので。 
私はその変化を嬉しく思いながら、それでもそう変化せざるを得なかった
私と憂自身の変化のムナシサに
たまにどうしようもなくなる。

憂「じゃあ、モールでお買い物でもしながらのんびりしよっか」

梓「そうだね。 ……あ、楽器店にも行きたいかも。 ギター、メンテ出してるから取りに行かないと」

憂「ギター? むったんは部屋にあるよね?」

梓「……憂、また部屋の掃除した?」

憂「あー……。あはは……」

テレビをつけていない部屋に憂の慌てた笑い声が響く。

梓「あははーじゃないよ! 部屋の掃除は自分でするからしなくていいっていつも言ってるのに! 」

憂「ご、ごめんね……。 でも……なんだか、ね」

梓「まぁ……。 部屋の掃除しない私が悪いんだろうけどさ」

憂「梓ちゃんは忙しいから仕方ないよ」

梓「忙しいのは憂も一緒じゃん」


12 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:07:04 WkH1EYgI0
憂「うーん。 でも梓ちゃんほど忙しくはないかなぁと自分では思ってるんだけどな」


そう言って、憂はお味噌汁をすすった。

「あちっ」という声が聞こえてきたけど、
反応する代わりに私もお味噌汁をすすった。

梓「たしかにちょっと熱いかもね」

憂「ひてて……。温めすぎたかも」

言いながら憂がウーロン茶を口元に運ぶ。 
私はご飯とおかずを口に運びながら憂に目をやる。 

お風呂上りに憂は髪をほどいている。 
それが妙に際立って見えた。

憂「ん? 何かついてるかな?」

私の視線に気が付いて、コップを置いた憂が首元に手をやる。

慌てて否定しても、否定した分だけ私が思っていたことが憂に伝わりそうで
言葉がすぐに出てこなかった。

梓「あ……えっと……その……」


憂といると、たまに言葉に詰まる。 
コピー機でコピー用紙が詰まってしまうみたいに。 
そういう時、唯先輩が私にそうしてくれたように
憂は私の次の言葉を辛抱強く待っていてくれる。 
私への親切心から来ているその行為が、
さらに私の言葉を喉の奥の方へ留まらせてしまうことを
この友人は知らない。 
いや、そうじゃない。 
私が意図して知らせまいとしているのだ。 
内心はバレないうちにはやく言葉が出てきてほしい、と焦りにあせっているけど、
憂から見れば私はただ言葉を選んで考えているように見えているのだろう。 

梓「いや、なにもないよ、うん。 あ、この魚、おいしーね」

憂「そう? よかった。 梓ちゃん魚好きだもんね」

梓「そうかな?」

憂「そうだよ」

そう言い切る憂が、親以外の他人が、
自分の好みを知っているということに口元がほころびそうになった。 

憂といるとこういうあったかい気持ちが絶え間なく押し寄せる。 
嬉しく思っていることを憂に知られるのが恥ずかしくて、
お味噌汁のお椀を手に取った。



憂「お出かけ、楽しみだな」

そんな追い打ちをかけてくるから、
たまらずにお味噌汁を一気に口に含んだ。



梓「あちっ!?」


13 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:09:46 WkH1EYgI0
---

行きの急行電車の中は程よく混んでいて、世の中の休日というものの雰囲気の中に
私をあっけなく放り込んでくれた。

 憂とはぐれないように、憂との距離を普段の私よりは短く保って
2人でドア付近に立って電車の中に居場所を作った。

憂はこういう時でもきちんとまっすぐと背筋を伸ばして
とても見た目的にも県的にも姿勢がよくてうらやましい。 
そういうものが不自然に強制されたものではなく、小さい頃からの親の教育の賜物なのだろうなと思うと、
早速ドアに寄りかかって片足に重心をかけるような立ち方をしている私は、
端から見たらさぞかし見映えが悪いだろうなと思う。



憂「晴れてよかったね」

梓「そうだね。 駅までは歩いてて寒かったけど、
電車の中はあったかいからちょっと汗かいてきたよ」

憂「確かに、ちょっと熱いね」

そう言って、クスクスと笑い口元に手を当てて笑う憂を
私はほほえましく思いながら、
視線は身体の動きに合わせて揺れている首元まである薄い茶色の色素を見ていた。 

今日はうまく憂を見ていることができそうにない。

そんなこと思っているうちに電車が目的の駅に到着した。 
車両の大半の人がその駅のホームに雪崩れ込む。 
改札口から出ると人の数はさらに多くなっていた。

はぐれないようにしないと、見失わないようにしないと。

そんなことを思っていると憂が私の左手を不意に掴んだ。



梓「うぇぇっ」

憂「ほら、はぐれちゃいけないから。 ね?」

梓「……う、うん」



あぁ、そうか手を繋いじゃえば気を張る必要なんてないんだ。


14 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:12:53 WkH1EYgI0

憂「梓ちゃんの手、あったかいね」

梓「憂の手は、つめたいね」

憂「じゃあ、2人で繋いでたらちょうどいい温度になるね」

モールは駅に直結していて、徒歩5分というアクセスの良さだ。 
私は、こっちだよ、と先立ってくれる憂の後を追うように少し遅れて歩く。 
懐かしい感じがして身体がぽかぽかするのは
きっと電車で暖まりすぎたせいだ。この角度から見える憂が唯先輩のように見えるからとか、
そんなんじゃない……そんなんじゃない。 

そんなんじゃ憂にだって失礼だ。 唯先輩にだって失礼だ。

 私がそういうめんどくさいことをごちゃごちゃ思っていると
今日の目的地にあっという間についてしまった。

---

梓「はぁー、疲れたー」

憂「なんだかたくさん買っちゃったねぇ」

憂が私の前の席に腰かけて、抹茶ラテを一口飲んだ。 
ゴクッという音が聞こえた。

憂「あちっ……」

梓「急いで飲むから……」

そう言って私もカフェオレを1口分ほど注意深く啜った。

梓「あつっ…...!!」

憂「自分だって同じことしてる」

梓「だ、だってぇ〜。 思ってたより熱かったんだもん」

憂「猫舌なの忘れて私にそういうこと言うんだから」

 笑いながら憂は頼んだミルフィーユを器用に口へ運ぶ。 

梓「ぬぬぬ……」

私はバナナケーキを一口分程に切り分けて口に放り込んだ。

 憂「おいしい?」

 梓「うん、まぁまぁ」

 憂「よかった」


15 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:15:32 WkH1EYgI0
憂は食事のとき、私においしいかどうかを尋ねてくる。 
たまにそう尋ねられる前に私が「おいしい」と感想を述べることもある。 
そういうささやかなやり取りで憂は私の好みを記憶していくのだろう。 

唯先輩とはまた別の暖かさ。 

たまに実家に帰った時に、母から向けられる視線のような、そんな暖かさが胸に込み上げてきて、私は溺れそうになる。 

でも、瞬きを一回でもしているうちに今日の憂は、
普段の憂とはまた別の笑顔のようなもので笑うから。 
また別の感情に胸を満たされて溢れだしそうになる。




---
 ふと思う。
それはいつも夜寝る前にベッドの中で思っていること。 
過去に戻れたらどれだけいいだろうってこと。 
戻ったらそこには唯先輩がいて、ギー太を弾いて歌っている。 
澪先輩が怒って律先輩を殴る。 
ムギ先輩の淹れた紅茶がすべてをチャラにする。 
そんな空間にいられてあの頃幸せだったけど、この気持ちのままあの空間に戻れたのなら、
今はきっとそれ以上に幸せな気持ちになれるんだろうな。 

憂もきっと唯先輩の部屋から漏れてくるギー太と唯先輩の音を聴いて微笑むに違いない。 
憂はそういう人だから。 
他人の喜びを自分の幸せに変えられる人だから。 

去年の今頃、憂はどんな風に唯先輩の音を聴いて笑っていたんだろう。 
そういうの、知りたいなって思う。

 唯先輩がギー太を弾いて、私がむったんを弾いて、憂がそれに微笑んで……

なんて素晴らしい世界なんだろう。 なんて、素晴らしい世界なんだろう。

隣で寝ている憂を起こさないように嗚咽をこらえて、
そんな妄想にくるまって私は毎晩ようやく眠りにつく。

それでもたとえなにかしらの具合でもってして過去に戻れたとしても、
私は私のままでしかいられないから、
同じように先輩たちの卒業をいい子ぶって見ていて、
終いには泣きながら先輩に吼え散らかしてなだめすかされて。 

でも、それすらその場しのぎでしかなかったことを後で思い知らされて、
平沢家に転がり込むんだろう。


16 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:18:11 WkH1EYgI0
---
カフェオレをグイと飲み込むとそれはほどよい温度になっていて、
ゆっくりと喉を通り過ぎて行った。 



憂「なにか考えてた?」

梓「うーん……」

憂「ぼーっとしてたから、いきなり飲み始めてちょっと驚いた」

梓「やっぱ、見慣れないなぁて、思ってた」

憂「なにが?」

梓「髪を下した憂が」

憂「そう? でも、お風呂とか上がりとか寝るときとかはこれだよ」

梓「なんだろ、非日常的っていうのかな。 昼間に見ると変な感じ。 似合ってるとか似合ってないとかじゃなくてね」

憂「……この後どうしようか」

梓「どうしよっか……」

 私も憂もすでに両手に余るほどの荷物を買い込んでいた。 
4人掛け席の残りの2席はそれぞれの収穫で埋め尽くされている。 買い物っていうのはどうしてほしいものばっかり目に付くんだろう。 

家に帰って冷静になると要らないものばっかり買っていたということもあるんだけどね。 

 

 時間がぼんやりと過ぎてた。 
店の外で、店の中で確かに多くの人々が各々に会話を楽しんでいて、そういうものは普段喧しく、疎ましく思うはずなのに。 

なんでだろう。 

私と憂の2人の周りがミルクを温めたとき表面にできる薄い膜のようなもので覆われているような気分だった。
 日頃浴びせられるやっかみとか、怒鳴り声とか、ののしりとか、
そういうものが全部自分の中から膜の外に押しやられるような気がしてた。 

憂との間に会話なんてないのに沈黙なんてちっとも煩くなかった。


17 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 19:21:26 WkH1EYgI0

梓「もうちょっとだけここでこうしていたいかな……」

憂「……私もそう言おうとしていた」


2人でちょっとニヤっとしてからまたお互いに無言になった。

抹茶ラテの容器を両手に持ったまま憂は憂で考えごとをしているみたいだった。 
私はそんな憂を見ながらカフェオレを飲んだ。 
どうしてこんなに安心するんだろう。

 ……いや、自分の気持ちをもう少し具体的にしてみよう。

私はどうして憂と居ると楽しくて、嬉しくて、たまにそわそわするけれど、
その何倍にも安らいだ気持ちになるんだろう。

 自惚れではないけれど、自分で問題提起した割には簡単に答えられそうだった。

 憂はいつも私のことを見ていてくれるからだ。

 寂しいときにちょうどよくメールが着たり、私の好みを知っていたり、私を見て嬉しそうに笑ってくれたり……。 
でも、それと同時に思う。

本来なら唯先輩で占められていたであろう空間を、
私で埋めようとしていることは憂にとっていいことなんだろうか。

私は、平沢家で過ごして十分に思い知ったけど、唯先輩の代わりになんてとてもなれない。 あんな素敵な人の代わりなんて無理だ。 
無理無理無理無理。
無理が頭の中でたくさんで、無理のゲシュタルト崩壊起こしそう。 
それくらい、私にはできっこないことなんだ。 

それでも、憂が私に、唯先輩の居なくなった分のスキマを埋めろ、というのなら、
それが無意識だとしても私は憂に従ってしまう。 
それはまるでマタタビを貰ったネコのようだ。 
自分が保てなくなる。 
憂から目が離せなくなる。 
現に今の私には憂に順応従順な気があるし……。 
ふと猫じゃらしに遊ばれているネコの図が思い浮かんできて
即座に打ち消した。


18 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:38:58 WkH1EYgI0

そんなんじゃないもん。 
憂にはさ、従うけどさ、それでも思うのは
「その役割が、その空間を埋める役割を埋めるのが私でいいのか」
ってこと。 
だって、純だっているわけだし。 
私は自分のことでいっぱいいっぱいで平沢家に住み着いたけど、
今は前よりかは余裕も生まれてきて、憂のことにだって気を向けられることができるようになってる。 たぶん。 
私が勝手に居ついたから、憂は純とかじゃなくて私を選ばざるを得なかったのかな。 
それとも、選択肢があった中で、それでも私を選んでくれたのかな。 もしそうだとしたら、私は嬉しくて舞い上がるかもしれない。 
だから……そうだ……
私は憂に何か……
なにか……してあげられることはないのかな……。

憂「梓ちゃん?」

梓「ふぁ……はいっ!?」

 いきなり声をかけられてびっくりした。 

憂「ちょ、ちょっと声が大きすぎるよ」

クスクスと憂が笑う。

梓「あ、ご、ごめん。 ちょっと考え事してて」

憂「うん、えへへ。 梓ちゃんずっと見てたから知ってる」

梓「うえぇっ!?」

憂「うそだよ」

梓「……」

憂がめずらしくいじわるだ。


19 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:40:13 WkH1EYgI0
憂「何考えてたの?」

梓「何って……。 この後どうしようかなぁって……。 あとカフェオレおいしいなぁーって」

憂「ふーん。 ねぇ、梓ちゃんのカフェオレ飲ませて」

梓「あ……」

私が驚いている間にさっと私から容器を奪って憂はそれを口に含み、
まるでワインを味わうかのように口の中で転がしていた。 
そしてコクンとかわいらしく音を立てると

憂「うん、梓ちゃんはこういうカフェオレが好きなんだね」

そしてこう続けた。

憂「今度家で作ってみるね」

ニコッと笑うその姿に私は釘づけになった。

さっきまで思い付き程度だったけど、その笑顔はいつもの憂の笑顔と質が違うような気がして、
さっきよりも強く強く、
私は憂のために何かをしてあげたいと思った。


20 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:42:28 WkH1EYgI0
---

梓「憂……」

憂「ん? なに?」

梓「憂って、なにかほしいものとか、ないの?」

憂「なに? どうしたの急に」

 
気持ちに、物でしかお返しができない。 
それしか考えつかないことがとても悔しい。 
でも、それでも私は憂のために今すぐにでも何かしたかった。 
私はわずかながらだけど、自分のお金を持っている。 
気持ちばかりが先走っていることはわかっていたけど、それでも自分を止められなかった。

憂「うーん……。 ほしいものはだいたいさっき回った時に買っちゃたしなぁ。 
というか、梓ちゃんに何かを買ってもらうってことはしないよ」



その言葉で私はとたんに哀しくなった。 
逃げて行ってしまう。 
さっきまでの高揚が、思いが、スッと自分から引いていくのを感じた。
膜が、私たちの周りから弾けて飛んでいってしまったみたいだった。

憂「とりあえず、そろそろこの店出よっか」

荷物を持ちながらこちらに微笑む憂に、
できるだけ優しく笑い返すしかできなかった。


21 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:45:43 WkH1EYgI0
---
その後、虚ろな気持ちで憂の隣を歩いていた。 
お互いに何も言わなくてもまだ回ってないお店はたくさんあったから、またウィンドーショッピングの真似事。 
たまに目に付いた店に2人で入っては「これいーね」と言う憂に
「じゃあ、それ買おうか?」と言っても、憂は
「ははは……」とその手に持った商品を元に戻した。 

何回かそれを繰り返して思った。 

憂は「これ欲しいから買って!」だなんて簡単に言う人じゃない。 
唯先輩ならそういうことを言いそうだけど。 

憂は私の横を黙って歩いている。 何を考えているんだろうなぁ……。 欲しいもの、ないのかな。もしかしてめんどくさいとか思われてないかな。 
歩き疲れたりとか、もう帰りたいとか。 
わかるわけないことが沸々と浮かんできて、勝手に不安になる。

ふと、ある店の前で憂は足を止めた。 

そこはなんてことはないこじんまりとしたアクセサリーショップで、店内にはちらほらと他のお客さんもいた。 

きらきらと店のライトに照らされた髪留めやブレスレットやピアスは、
誰かに身に付けられている時よりも数倍も魅力的に見えた。
憂はその店の一角を見つめ続けていた。 

先に寄った数件の店のようにふらっと立ち寄りそぶりは見せなかった。 
ただ、その一角を何やら思い詰めたような顔をして見つめていた。 

憂は、今まで見たこともないような悲しそうな、切なそうな顔をしていたのを私は見てしまった。 
そんな憂から目が離せなかった。 

私の中でそうであるように、憂の中でだってずっとぽっかりと空いてしまっている穴。 
ギターが弾けるからって、家事ができるからって、
決して埋まることのないからっぱさ。

店の中のBGMとモールの中全体にかかっているBGMとが変に重なって聞こえてくる。 
不協和音。 
そんなセカイに響く音は、
私と憂をこれっぽちも救ってくれてなんていなかった。


22 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:47:11 WkH1EYgI0

憂「梓ちゃん……?」

ハッとして憂の方を見ると、
今度は憂の方が私を見て心配そうな顔をしていた。

憂「大丈夫? 疲れちゃった?」

梓「あ、……うん。 大丈夫。 ちょっとぼーっとしてただけだから。 この店寄る?」

憂「ううん。 この店はいいや。 次のとこ行こ」

梓「寄らなくていいの?」

憂「うん、いいよ。 さ、次の店行こうよ」

憂の言い方は普段より少し強くて、
なんだか私は憂のことがよくわからなくなっている。

先に歩き出した憂に遅れまいと、空回りそうになりながら小走りで追いかけた。

梓「本当にさっきの店寄らなくていいの?」

憂「いいよ。 あ、梓ちゃん、あの店寄りたかった?」

梓「いや、そういうわけじゃないんだけど」

スタスタとリズムよく歩くと、さっきの店は遠ざかっていってしまった。

反対方向から歩いてくる人達にぶつからないようにして歩くのは難儀だった。


23 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:51:01 WkH1EYgI0
---

街のように人がたくさん、この建物の中にはいた。 
商品を自らの欲望を満たすために買いにわざわざこんなところに閉じ込められに来ている。 

この場所にすらこんなに人がいて、

日本にはこのさらに何十万倍とか何百万倍とか、
たくさんの人があふれているのに、

どうして私は誰とも出会えないんだろう。 
どうして、他人のまますれ違うことしかできないんだろう。 
そう思って、とても悲しくなった。

次に入った店で憂はぬいぐるみに魅入られていた。 
「かわいー」と言って、いろんなぬいぐるみを抱きしめているけど、
そんな憂の方が私はかわいいと思った。

憂の部屋にはぬいぐるみが結構あるからそんな憂の反応に納得しながら、
私はそこらへんにあったクジラのおなかをフニフニと指の先で突っついた。 
ギュウギュウに詰め込まれている綿の弾力がなんともよかった。 

押す、離す、押す、離す、を繰り返しながら私は、
こんな時に唯先輩はどんな風に「かわいー」って言っていたっけ、と考えていた。 

どんな風に……。 

あ、

「だめだ……」 

聞こえないほどの音量で私はたまらず声に出していた。 
憂のしぐさと、唯先輩のしぐさは一体どう違うんだろう。 
思い出せない。 
唯先輩のしぐさ……。 

少しずつ少しずつ、思い出から記憶になっていく。 
プリンをスプーンで食べるときのように、端から少しずつ少しずつ。 変化は進行していく。 
甘い思いをしている間に私は食べ終わることを忘れてしまう。 
食べ終わったらプリンは私の目の前から消えてしまうのに。 

憂「梓ちゃんはそれが気に入ったの?」


唐突にそう聞かれても、私は何も言えなかった。


24 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:54:02 WkH1EYgI0
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憂「そろそろ帰ろっか。 梓ちゃんのギターも取りに行く時間も必要だし」

梓「そだね……」

もう17時になっていた。 
時間が過ぎるのは本当に早い。 

とぼとぼ駅まで歩いて、2人で切符を買った。 
電車の時間を確認してみたらあと2分ほどで電車が着そうだった。 

ホームまで2人で荷物をガチャガチャさせながらばたばたと人の間を通り抜けて走って行くと、
ちょうど電車がホームに入ってきて、私たちと同じように両手に荷物を抱えた人達が作る列が
等間隔に並んでる。 
それに合わせるかのように電車が止まって
プシュウと
空気を吐き出しながら電車が止まった。

ふと、このまま帰っちゃっていいのかな、と思った。

 憂が立ちどまった店が頭を過る。
 いまさらになって、
憂があの時見入っていたものがなんだったのか、気になってきた。 

私ったら、なんて往生際が悪いんだろう。 

散々時間は持て余していたのに。 

こんなギリギリになって。 

次々と人が我先にと電車に乗り込んでいく。

「梓ちゃん?」

と憂が聞いてきて、

「いや、なんでもないよ」

って笑いながら憂に

「ほら電車に乗って、もう出ちゃうよ」

って急かしながら一緒に乗り込む。

 発射のベルが鳴る鳴って、鳴りやむ。 

ドアが閉まりきるその一瞬。

私が電車から飛び降りた。


梓「憂、ごめん* 先に帰ってて* 後で連絡する」

憂「あ、梓ちゃん!?」

憂も降りようとしてきたけど、タイミングよくドアが閉まりきった。

電車が発車しきったのを見届けて
私は急いでモールへと引き換えした。


25 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 21:56:30 WkH1EYgI0
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モールの中を荷物を振り子のように揺らしながら走り続けるその間、
ケータイがずっとけたたましく鳴り響く。 
でなくてもわかる。

 憂だ。 

後で連絡するって言ったけど、早すぎるよ、憂。 
ってそれは当たり前か。 

一緒に帰ろうとしている人がいきなり電車から降りたんだから。 

とりあえず、憂への連絡を後回しにして私は目的の場所へと走った。
 全力でモール内を走る私はおそらく周りからおかしいと思われている。 
その証拠になにをしなくても人が道を開けてくれた。 
開けてくれたというかかわいそうなものを見る目で避けられた。 
くぅぅぅぅぅ。

目的の店に着いた。 
運動不足の私の身体ではちょっと走っただけでこの体たらく。 
息が上がった。 
息を整えつつ、憂がさっき立ちどまっていた地点に立つ。 
憂は一体何をあんな悲しそうな表情で見つめていたんだろう。

店の真ん中……

いや、違う、

憂はもう少し顎を上げて

遠くを見ていた。

店の奥に目をやる。

梓「あ……」


26 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:00:27 WkH1EYgI0
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憂「梓ちゃん……」

梓「……あはは」

憂とは桜ヶ丘駅の前で待ち合わせをした。 
時刻はもう20時に近かった。 
憂の反応が怖くて自分から

『20時頃に駅に着きます。 家に帰っててもかまいません』

と送った後はケータイの電源を切ってたから、憂が駅で待っていてくれていることは半信半疑だった。 

というか、待ってくれていることを期待したら、家に帰っていた場合に
私自身がどうしようもなく立ち直れなくなりそうだから、あまり信じてなかった。 

ごめんね、憂。 

こんな時でも私は私が傷つくのが怖くて憂よりも自分を優先して、
ごめん。

憂は明らかに怒っていた。 
こんなにほっぺたを膨らまして怒るなんてなかなか珍しい怒り方をするんだな、
と妙に冷静になってしまう。 

駅前なんだからマックでもミスドでもスタバでもなんでもあるはずなのに、憂は外で待ってたのかな。

膨らんだほっぺがとても赤く染まっていた。

憂「電車は勝手に降りるし。 
電話してもメールしても返事返しくれないし。 
梓ちゃんのばかっ
……ばかばかばかばかばかばかばかっ」

梓「えっと……その、何も言い返す言葉がないです、はい。 
ごめんなさい」

 私は身体は冷えているであろう憂のためにどこかの店に入るべきかどうかを悩んでいるけど、
でも、憂には全く動くそぶりがない。 
ちょっと困った。 
そしてあれを買ってきても本当によかったのかどうかもいまさらながらに悩んだ。 

 憂は下を向いて私の方を見てくれてない。 

当たり前だけど、そういう憂の行動に勝手ながら私は悲しくなる。 
街頭や店の明かりがあるけれど、憂がどんな表情をしていうのかを今は髪が隠していてうまく見ることができない。 
少し視線をずらすと何かを背負っていることに気が付いた。

梓「あ、それ……」


27 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:02:58 WkH1EYgI0
憂は自分の荷物の他に、もう一つ大きな荷物を持っていた。 

憂「……ギターだよ。 
梓ちゃんが来るころには楽器屋さん閉まっているだろうから先に取りに行ったの」

あ、そっか…。 
今日は休日だからいつもより閉まる時間早いんだった……。 
すっかり忘れてた、
だなんていうとギターに対して薄情だけど、
私はとにかくそれくらい必死に憂のことを考えていたってことにしておこう。

憂「あーあ、ひどいなぁ、梓ちゃんは。 ギターのことも忘れちゃって」

あぁ、なんだか怒っているし、すねている。

梓「ご、ごめんね、憂。 メンテ代は後で払うから」

憂「ごめんね、とかメンテナンス代のことよりもっと言うことあるでしょ」

梓「……あ、ありがとう?」

憂「違うよ。 なんで電車降りちゃったの? その説明してもらってない」

梓「こ、ここでないとダメ?」

憂「へぇ〜。 
梓ちゃんは私を待たせた揚げ句に理由を言わないで帰らせるんだ」

 そんな言い方しなくても……。 
と思ったけど、100%私が悪いから何も言い返せない。

梓「……」

私は無言でさっき追加で買った紙袋を憂の前に差し出した。

梓「……気に入らなかったら別にいいから」

憂「えっ……これなに?」

梓「いいから……開けてみてよ」

まだ戸惑っている憂に無理矢理紙袋を押し付けた。 
こじゃれた古風デザインのおしゃれな紙袋はその行為で、くしゃりと音を立てた。

憂は相当戸惑っているみたいで、しゃっくりをあげている人みたいに
「えっえっえっ」としか言わない。 仕方なくて、
憂に押し付けた紙袋を奪って袋の中に入っているものを取り出した。

憂「……あっ」

梓「やっぱ、憂はこれじゃないと……さ」

憂「どうして……」


28 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:05:51 WkH1EYgI0
憂の店の前に立った時、それは唐突に目に飛び込んできた。 
あの時どうして気が付かなかったのか不思議なくらいに。

憂「……リボン」

憂はその一言を発すると黙ってしまった。 

そばを通った自転車の明かりに数秒照らされた憂の表情は
喜びとはあまりにもかけ離れているもので、
私は出過ぎたマネをしたと自分の行為を心から悔い、
その場から逃げ出したくなった。 

駅前だけど休日だからか、それとも時間が遅いからなのか。
駅前だというのにいつものような
会社帰りのサラリーマン、やかましくさわぐ大学生の声は
響いていなかった。 
こんな時こそ煩くわめいて人の邪魔をしてほしいのに
肝心な時に欲しいものは揃っていない。 
いつにもまして居心地が悪くなる。 
憂が何かを言うよりも先に何か、何か弁解するようなことを言った方がいいのか、
それともこのまま憂が沈黙を破って私に言葉をかけてくれるのを待った方がいいのか、
私は困った。 
こんな時まで自分のことしか考えていない、
そのことに気づいてさらにこの場所から立ち去りたくなった。 
冬の風が冷たく頬やむき出しの手に突き刺さってくる。

憂「……からなの」

憂が言葉を発したから、自己弁解と自己嫌悪に必死になっていた私はその言葉を確かに耳にしたはずなのに
なにも言えないでいる。

すると、憂は再び今度ははっきりとした口調で言った。

憂「私のリボン、お姉ちゃんが選んで私にくれたものなんだ……」

梓「……そう、だったんだ」


29 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:09:02 WkH1EYgI0
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自分の他人に対する気持ちが
「おせっかい」
「大きなお世話」
「ありがた迷惑」
といった、たった一言で収まってしまうような時は
どう振る舞えばいいんだろう。 

私の場合、とても恥ずかしくってその場に呆然と突っ立っているしかなかった。 
こんな思いをするくらいなら他人のことなんて心配するんじゃなかった、
気にかけなければ良かったと心から思った。 

憂がいつも私にしてくれるように憂にしてあげたかっただけなのに、
どうして憂のようにうまく憂を思うことができないんだろう。

さっきは居てほしいと思った、
やかましいサラリーマン、
自分たちの時代を生きていると錯覚している大学生たちが
この場に居なくてよかったと真逆のことを思った。 

大衆の面前で私が思いやりのない人間だということを晒さないことになって本当によかった。 

こんな醜態を晒した相手が憂で本当によかった。



梓「そうなんだ。 ……ご、ごめん。 知らなかったや。 私おせっかいなことしちゃった。 
これ、返してくる」



憂の顔が見られない。 

私はその紐切れを急いで紙袋の中に突っ込んだ。 

唯先輩に貰ったものだなんて知らなかった。 
それはきっと憂の中でとても大切な位置を占めてしまっている。 

私はなんてことをしたんだろう。 
知らないってことはなんて罪なことなんだろう。

ぐっしゃっと音を立ててさらに紙袋はクシャクシャになってしまっている。 
こんなものの中に人に宛てたプレゼントもどきが入っているだなんて、
初見では思わないだろうな。


30 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:12:39 WkH1EYgI0


 その時、憂が私の右手首を勢いよく掴んだ。 



憂「ごめん、梓ちゃん。 
そういうつもりじゃなかったんだ。 そういうつもりで言ったんじゃない。 
嫌な気持ちにさせたのなら、ごめんね」

梓「でも、私、知らないからって憂と唯先輩の思い出に
……土足で踏み込んで……」

憂「ううん。 
梓ちゃんに言ってなかった私の方だもん。 ごめんね」

梓「憂……」

憂「梓ちゃん、私、今どんな気持ちなのかわかる?」

梓「……え」



言葉に詰まる。 
今の憂の気持ち? 
まったく……


梓「わ、わからない……」

憂「んもう……。 それくらいわかってほしいな、梓ちゃん。 
今、私ね、とっても嬉しいんだよ」



右手首にかかっていた圧力が消えたと思ったら、
今度は身体全体に重みが降り注いだ。
突然のことに私は驚く。 
でも、ここで倒れちゃいけないってことはなんとなく、
わかった。


梓「う、憂……。 唯先輩みたいにいきなり抱き付いてくるなんて」

鼻先で、憂の結んでいない髪がコソコソとしてこそばい。 
でも、それはとても懐かしい。

憂「えへへ。 嬉しい?」

梓「んなっ!? な、なにを聞いてくるのさ」

憂「いまさら恥ずかしがることないじゃん」


31 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:15:28 WkH1EYgI0

梓「……」

憂「……」

梓「……う、……うれしいよ」

憂「よかった」

梓「……」

憂「……私だって、いつも自分がすること、うまくいくだなんて思ってないんだからね」


湿気と温度と振動を携えて、憂の声が耳にかかる。 

私はその、本当に言いたいことを喉の奥にこらえたような声の出し方に

なんだか泣きそうになった。

それは、私の在り方に対しての憂の思いやり方なんだろう。 
そういうやり方を知っている憂はやっぱり、優しいって思う。

憂「私の大切な人。 お姉ちゃんと、梓ちゃん」


自分の名前をそこで呼ばれて思わずビクっとする。 
それでも憂は私のこと、離してくれない。

憂「その2人がね、示し合わせてるわけでもないのに私におんなじようなリボンをくれるの。 
それって、私に本当に似合っているって2人ともが私のことを思ってくれてるからだよね」

憂「幸せだな、そういうのって。 ほんとに幸せ」

憂「ありがとう、梓ちゃん。 リボン大切に使うね」



なにか言わなくちゃって思う。 
でも泣いてるって思われたくないから、声を出したくなかった。 
憂が私を抱きしめたままそれでも離してくれなくてよかった。 
離れたら、簡単にわかってしまうだろうから、私は代わりに憂のことを自分からもギュッと抱きしめ返した。


32 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:20:04 WkH1EYgI0
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私はいっつも憂にもらってばっかりで、
やっぱり憂のためには何もできない。 
唯先輩の代わりにもなれない。
プレゼントすらうまく渡せない。  それでも私にできることってなにかないかな。 

やっぱりこんな私でも憂のためにできること……なにか。



憂が居た場所に置いてあったギターに目が行った。 

そうだ。 
これがあるじゃん。 
てか、今の私にはこれしかない。 
これしかないけどでもだからこそ、憂に私が誇れるもの。


梓「憂、そのさ。 憂に聞いてもらったことなかったから……」

憂「え?」

梓「ちょうど、憂が取りに行っていくれてアコギもあることだし」

憂に背負ってもらったハードケースを受け取って、
入っていたアコギを取り出した。

ギターを肩にかけるとなんだかいつもより心臓の音が聴こえた。

毎晩この駅前で弾いているから慣れているはずなのに、初めてストリートをした時みたいに、
ううん、それ以上に緊張する。 
他人を無視して弾き流す時と誰かのために弾こうとする時ってこんなに違うんだったって、
ちょっと前までの自分なら知っていたはずのこと、
唯先輩たちが教えてくれたはずのことを忘れてしまっている自分に驚いた。 

先輩たちが卒業してけいおん部が廃部してから私は何もしてきていないわけではない。 
夜に駅前でこうしてアコースティックギターを掻き鳴らしていた。 
ギターケースを開いておけばお金だって入れてもらえることも多かった。

憂「私が梓ちゃんのストリート聴きに行くの、嫌がってたのに」

梓「今日は聴いてほしいんだよ」

メンテに出したからチューニングをしてもさほど狂いはなかった。

憂「梓ちゃんは、ほんと気分屋さんだね」

悪い気分じゃない。 

憂がクスっと笑って、私はそれに応えずピックを振りかざそうとした。

憂「あ、ちょっと待って」

梓「ん?」

憂がクシャクシャになった袋からリボンを取り出して、慣れた手つきで髪を結んだ。

憂「はい! おまたせ! では、どうぞ」

 満面の笑みでそういう憂に私はちょっとニヤッとして、願う。

梓「じゃあ、まずは一曲目* U&I」


33 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:22:58 WkH1EYgI0
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憂「いつもあんな感じで、梓ちゃんは頑張ってたんだねぇ」

梓「頑張ってたとか……そんなんじゃないよ……」

憂「ううん、ちゃんと頑張ってるんだよ、梓ちゃんは」

梓「……そっかな」

憂「そうだよ」


帰りの道で、憂の髪はそんなに揺れない。 

左手には片手でもつには少し多すぎる買い物の収穫。

憂「すっかり遅くなっちゃったけど、夜ご飯なににしよっか。なにがいい?」

右肩には歩くたんびに食い込んでくるハードケースのショルダーベルトを掛けて。

梓「うーん……シチューとか、かな? あったまるし」

私は唯先輩にはなれないし、憂も唯先輩にはなれない。

手を繋いでいるのに、私と憂はそれぞれにひとりぼっちだった。 
1人の人間が必ずはもちえているはずのひとりぼっちさだった。 
それはどうやっても変わるものではなく、だからと言って
埋められない溝のように私と憂の間に横たわっているようなものでもなかった。

だから、繋いでいるのに、お互いの手の甲は冷たいまま。 
だけど、繋いでいるから、次第に手の平は暖かくなっていく。

憂「くふふ」

梓「なに笑ってんの」

憂「梓ちゃんって、寒い日はぜったいシチュー食べたいっていうよね」 

憂を元気づけたり、憂を嬉しくさせたりする役割が
私である必要はこれっぽっちもなくていいはずなのに、
この目の前にたしかにいる、
憂を幸せな気持ちにさせる役割はどうか私のものであってほしいと、
その時私は心から願った。

終わり


34 : いえーい!名無しだよん! :2014/02/22(土) 22:24:06 WkH1EYgI0
長くなったけど、
憂ちゃん誕生日おめでとう!


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