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和「きのう何食べた?」
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元ネタが漫画『きのう何食べた?』のパロディ短編です。
超未来設定、一部シリアス、一部鬱、不快な表現等がございますので、
そういった要素を許容出来る方のみお読みください。
それでは、どうぞ。
"
"
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これは、あの卒業式から二十年以上が過ぎた十二月のお話……
――駅前の大手スーパーにて。
和(にんべんのつゆの素が418円? “激安”なんて言ってるけど底値は299円じゃない。
私は騙されないわよ)ジーッ
和(ふむ。厚揚げ二枚入り1パック78円は底値ね)チラッ
和(けど、厚揚げは消費期限がせいぜい三日と短い上に、冷凍出来ないのよね。二人で一回に
食べきれる量は一枚だし…… んー……)
和(……よし。いける。買いましょう)ピコーン
和(ニラ二束が88円。三つ葉一束が39円。この辺も押さえておいて……)
和(ええと、あとは1本92円の低脂肪乳を2本買ってと……)スタスタ
和(あら、今日はブリが安いのね。切身が480円…… ん……?)ピタッ
和(ということは!)ハッ スタスタスタスタ
和(やっぱり……! ブリのアラが198円。これは買いね。今日はこれと冷蔵庫にある大根で
ブリ大根にしましょう)サッ
店員「ありがとうございましたー」
和(今日はいい買い物が出来たわね。さあ、早く帰って晩ご飯の支度をしないと、あの子が
帰って来ちゃう)
風子「和ちゃん? 和ちゃんじゃない? こんばんは」タッタッタッ
和「あら、風子じゃない。こんばんは」
風子「同じスーパー使ってるのに、あまり会わないよね」
和「そうね。私は仕事が終わってからだから、すれ違いになってるのかも」
風子「やっぱり弁護士の仕事って忙しい?」
和「忙しくないって訳じゃないけど、仕事に追われているって訳でもないわね。就業時間内は
キッチリ仕事をするけど、6時になったら定時退勤よ。定時に帰る為なら、どんな案件でも
喜んで引き受けるから」
風子「ふうん。何だか私が考えてた弁護士のイメージとちょっと違うなあ」
和「そう?」
風子「それにさ……」ジーッ
和「何よ。人の顔をジロジロ見て」
風子「いや、和ちゃんはいつまで経っても若々しくて綺麗だなあ、って思ってね。同じ42歳とは
思えないよ、ホント。やっぱり専業主婦なんてやってるから、どんどん老け込んじゃう
のかな」
和「何言ってるのよ。風子だって綺麗じゃない。ご主人に大事にしてもらってるんでしょ?
たしか外国の方だったわよね。マーティさんだっけ?」
風子「あ、いや、えーと、日本人なんだけどね。んー、それはまた今度……」
和「まあ何にせよ、風子もご主人のことは大事にしてあげなさい。 ……あっ、悪いけど、
私そろそろ行くね。晩ご飯の支度をしなきゃ」
風子「うん、またね。今度、ウチに遊びにおいでよ」
和「そうね。そのうちお邪魔するわ。じゃあ、また」
――和の自宅マンション。キッチンにて。
和(大根はかぶるくらいの水で、水から火にかけて下茹で。煮立ったら中火にして少なくとも
10分は煮る……)コトコトコト
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和(次に、ブリのアラには全体に塩を振って、10分ほど置く……)サッサッ
和(そして、大根とは別の鍋にお湯を沸かして、そこにブリのアラを入れる……)グラグラグラ
和(で、表面の色が変わったらすぐ取り出して、流水で鱗や血の塊を洗い流す……)ザーッ
和(さて、鍋にしょうがの薄切り一欠分、酒100cc、砂糖大さじ3、みりん70cc、醤油50ccを
入れて煮立てて、そこにまずブリのアラを入れて中火で10分ほど煮る……)グツグツグツ
和(そうしたら、一旦ブリは煮汁から取り出して、代わりに同じ煮汁に水400ccを足して
煮立ててから、大根を入れて30分くらい煮る。こうすると大根に味が染みて、しかも
ブリがパサパサにならない……)コトコトコト
和(で、この間にニラ一束をサッと茹でて、だしで割った醤油をかけておひたしにする、と……)
和(で、もう一品は厚揚げ。まず、熱湯でサッと油抜きをして……)グラグラグラ
和(そして、ネギ味噌を作る。長ネギみじん切り、鰹節1パック、味噌ティースプーン1杯、
酒とみりん少々、醤油一垂らしを全部練って……)チャッチャッチャッ
和(厚揚げを横半分に切ったら、外側の皮一枚を残して真ん中に包丁を入れる……)スッ
和(で、そのポケットにネギ味噌を詰めて、オーブンで10分ほど200℃でこんがり焼いて
出来上がり……)
和(あと、汁物は簡単に、今日買った三つ葉と卵でかき玉汁に……)
和(さあ、そろそろ大根に味が染みてきた頃だから、ブリの身を鍋に戻して、煮汁が少なく
なってツヤが出るまで少し火を強めて、煮汁をブリにかけながら煮る……)コトコトコト
和(そして、ここらであの子が帰ってくる、と……)
唯「ただいまー!」バタン ガサガサ
和(む…… ビニール袋の音…… まあ、それは後にして、最後にブリと大根を器に盛ったら、
しょうがと柚子の千切りを乗せて、今日の晩ご飯の完成……)
唯「和ちゃーん、帰ったよー」ガチャッ
和「おかえり」
唯「今日のご飯なぁに?」
和「唯、またコンビニで何か買ってきたのね。ちょっと見せなさい。アイス?」
唯「え? あ、えーと、ハーゲンダッツ……」
和「ハーゲンダッツは金曜日になれば、駅前のスーパーで二割引きになるのに。どうして
わざわざコンビニの正価で買うのよ」
唯「だって、新製品だったんだもん……」
和「そう。そのアイス代は家計から出さないから。あんたのお小遣いで賄いなさい」
唯「はい……」ショボン
和「さあ、ご飯にするわよ」
〈今日の晩ご飯〉
・米飯
・ブリ大根
・厚揚げの味噌挟み焼き
・ニラのおひたし
・三つ葉入りかき玉汁
唯「和ちゃんてさ…… 何て言うか、ホントお金に細かいよね…… この部屋だって家賃
10万ぽっきりでしょ? 弁護士さんってじゃんじゃん稼げる仕事なんじゃないの?
それに、私だって教師なんだからお金に困ってる訳じゃないのに……」モグモグ
和「そりゃ大手の渉外事務所なら確かにじゃんじゃんかもしれないけど、朝から晩から休日
まで死ぬほど働かされて、実際の時給はコンビニのバイト並みなんてよくある話なのよ?
それよりもそこそこの収入で人間らしい暮らしをしてる方がずっといいじゃない」パクパク
唯「でもさー……」
和「それにお金に細かくて何が悪いの? 老後の面倒を見てくれる子供がいない、四十を
とうに過ぎたレズビアンのカップルにとって、お互い以外に頼りになるのはお金だけ
でしょ?」
-
唯「んん? お互い以外に? ていうことは和ちゃん、私を頼りにしてくれてるの?」
和「まあ、そういうことになるわね」
唯「そうなんだぁ。えへへへ」ニコニコ
和(まったく、もう。この子はいくつになっても……)
唯「んんー、和ちゃんのブリ大根おいしー。おかわりー!」
和「ダメよ。米飯の食べ過ぎは肥満の元」
唯「大丈夫だよー。私、いくら食べても太らないんだから」
和「少しは自分の年齢を自覚しなさい。いつまでも若い頃の体質だと思って食べ過ぎてたら、
あっという間に中年太りのオバサンになっちゃうわよ? せっかくご飯をお代わり
しなくてもいいように、おかずを種類多く作ってるのに」
唯「はっ! ということは、私が今まで太らないでこれたのは、和ちゃんのお料理のおかげ?」
和「自分の為でもあるんだけどね。あとは唯の体質が最後の力を振り絞ってくれてるんじゃない?」
唯「いつもありがとうね。和ちゃん」ペコリ
和「どういたしまして」ペコリ
唯「ニラのおひたし、おいしいねえ。玉子とじもいいけど、こっちの味も好きだなー」モグモグ
和「……」ジーッ
唯「どしたの? 私の顔になんかついてる?」
和「……年相応に老けないのも考えものね。お互いに」パクパク
唯「そうかなぁ。私は和ちゃんがいつまでもキレイなのは嬉しいよ」
和「あら、そう。それは良かったわ」
唯「んもー。私、今いいこと言ったのに」
和「はいはい。わかったから早く食べちゃいなさい」
唯「むー」
〜1時間25分後〜
和「はぁ。家計簿の打ち込み終わり、と。 ……このノートPCもだいぶ古くなったわね」パタン
唯「ねえ、和ちゃん。前髪伸びてきてるから、お風呂の前に少し切ってあげようか?」
和「そう? じゃあ、お願いしようかしら」
唯「じゃあ、こっちに座って座って」
和「よっこいしょ」ストッ
唯「でもさー、和ちゃんって髪伸びるの早くない? 髪伸びるの早い人ってエッチなんだよ。
んもー、和ちゃんのエッチー」ニコニコ
和「ええ、そうかもね。早く切って」
唯「……あのさぁ。こういう時は『エッチなのは唯が一番知ってるくせに。ベッドで試してみる?』
とか何とかね? 私達、付き合ってるんだから」シャキシャキ
和「ああ、ごめんなさい。私、そういう欧米のレズビアンみたいな真似、本当に出来ないのよ。
悪いわね」
唯「知ってるけどさ。知ってるけどさぁ……」シャキシャキ
和「そういえば今月の食費だけど、予算の25000円より8000円以上も浮いたわよ」
唯「えー!? やったぁ! その8000円でどこかパーッと食べに行こうよ!」
和「何言ってるの。預金よ、預金」
唯「……」シュン
-
和「……」
唯「……もしかして和ちゃん、私と一緒に暮らしてるのって、私が公務員で収入安定してて
退職金も多いからとかじゃないよね?」シャキシャキ
和「……」
唯「和ちゃん!?」ブワッ
和「じょ、冗談よ。唯のことが好きだからに決まってるでしょ? 第一、そうじゃなかったら
幼稚園から今まで何十年も一緒にいないわよ」
唯「えへへー、そうだよね。私も和ちゃんのこと大好きだよ」チュッ
和(こんな会話、ついこの前もしたような…… 同じ話ばかりするなんて、外見はともかく、
脳の方は年相応になっていってるのかしら。それはそれで嫌なものね……)
――翌日。和が勤める桜が丘法律事務所にて。
事務員「真鍋先生、2番にスーパー“サクラヤ”店長の奥様からお電話です」
和「え? 土地問題で相談を受けてたサクラヤの…… 奥さん?」
事務員「ええ、そうなんです。どうされます?」
和「あ、出ます出ます。ありがとう。 ――はい、大変お待たせ致しました。真鍋でございます」
店長夫人『せっ、先生! 今からそちらの事務所に伺ってもよろしいでしょうか!? ウチの
パートさんがDVに遭ってて、離婚したいって言ってて、その、今すぐ連れて
行きます!』
和「えっ!? あの、ちょっと――」
ガチャリ ツーツーツー
和(また離婚かあ。あまり儲からないのよね、離婚訴訟って……)
〜30分経過〜
店長夫人「ああっ、真鍋先生! 突然、申し訳ありません! お願いします! 良かったわね、
中村さん。もう安心よ」
?「は、はい……」
和(これはひどいわね…… 顔中、アザだらけ、傷だらけじゃない。左側は腫れ上がって
顔の形が変わってるし、眼もほとんど塞がってる……)
和「はじめまして。真鍋和です」
?「真鍋…… 和、さん……?」ピクッ
和「……? あの、失礼ですが、もしかして、どこかでお会いしたことがありますか?」
?「私、姫子よ…… 立花姫子…… 桜が丘高校の、3年2組の……」
和「ええっ!? 姫子!? 姫子なの!?」
店長夫人「中村さん、真鍋先生とお知り合いなの?」
姫子「はい、高校の同級生です……」
店長夫人「まあ! そうなの!? それなら話が早いわ。地獄に仏とはこのことね。真鍋先生、
どうかよろしくお願いします」
和「では、お話を詳しくお聞かせ願います」
店長夫人「いえね、前からちょくちょく怪我をしてるな、とは思ってたんです。それが今日、
3日間もパートを休んで出てきたと思ったら、この顔で……」
姫子「すみません……」
店長夫人「バカね。何を謝ることがあるのよ。 ――でですね、先生。よく聞いてみたら、
その3日間はほとんど眠らせてもらえずに旦那に殴られ続けた、って言うんです」
姫子「はい…… はい……」コックリコックリ
"
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和「姫子……? 姫子? 大丈夫? 起きてられる?」
姫子「あっ! はい! ごめんなさい! ごめんなさい! とにかく今日はもう家に帰ります!」ガタッ
和「……!」ハッ
店長夫人「ちょっと! アンタ何、バカなこと言ってるの! 家には旦那がいるんでしょ!?
殴られるってわかってて帰るなんてどうかしてるわよ!」
姫子「あ、あの、でも…… 子供が……」
店長夫人「息子さんは私が学校まで迎えに行くわよ!」
姫子「でも、でも……」
和「どうしたの?」
姫子「帰らないとあの人にもっと殴られるから……」
店長夫人「……」ポカーン
和(精神状態が普通じゃないわ…… 一刻を争うわよ、これは……!)
和「姫子、いい? まず身体の傷の写真をとりましょう。証拠を残しておかなきゃいけないから」
姫子「え……?」
和「明日、すぐにDV法に基づく近接禁止命令を地裁に申請するわ。認められれば旦那さんには
『あなたに近づくな』という命令が出るの」
姫子「うん……」
和「そして自宅にはもう戻らないこと。いい? ――それと、奥さん。ご協力をお願いしたい
のですが」
店長夫人「はいっ! 何なりと!」
和「この近くのビジネスホテルか、もしくは社員寮でもあれば、そういうところに姫子と
お子さんを泊めてあげてもらえませんか?」
店長夫人「あ、はい! 勿論です!」
和「それから姫子…… 左眼、見えていないんじゃないの?」
姫子「あ…… 実は…… 前にも同じところを殴られたことがあって、今はほとんど……」
和「……じゃ、まず病院ね。診断書も地裁に提出する証拠として必要だし。立てる? 外で
すぐにタクシーを捕まえましょう」
姫子「う、うん…… 立てるけど、でも…… あの……」グズグズ
和「大丈夫よ。もし入院が必要な場合は、旦那さんに居場所を知られないように、偽名で
入院することも出来るから」
姫子「あ…… そ、そうなの……?」ホッ
店長夫人「お子さんは何日でもウチで預かるから、何の心配もしなくていいのよ。ね?」
姫子「はい…… ありがとうございます……」
和「じゃあ、所長。私、ちょっと出てきますので」サッ
所長「わかりました。くれぐれも気をつけていってらっしゃい」
和「はい。いってきます」
バタン
所長「フットワーク軽いよねー、真鍋先生」
同僚弁護士「マメですよね」
事務員「それもすべて6時に帰る為ですけどね」
――近隣の総合病院。待合室にて。
姫子「最初の頃はうまくいってたんだ。私達……」
-
和「そう……」
姫子「でも、あの人も可哀そうな人なの。父親には別の家庭があったし、母親にもあまり
可愛がられてなかったみたいだし…… あの人には私がいてあげなきゃダメだと
思うんだけど……」
和(はぁ…… 本当にDV被害者って判で押したように同じことを言うわね……)
姫子「ただ、私が殴られて済むなら我慢出来たんだけど、子供がね…… 息子が毎日、私が
殴られるのを見ててね…… それに、いつ矛先が息子に向くかもわからなかったし……
だから、子供の為にも離婚しなきゃ、って思って……」
和「うん……」
――その夜。和の自宅にて。
〈今日の晩ご飯〉
・鮭とごぼうの炊き込みご飯
・筍とザーサイと卵の中華風炒め
・小松菜と厚揚げの煮びたし(厚揚げは昨日の残り)
・大根とホタテのなます
・豚肉とカブとカブの葉の味噌汁
和「……」モグモグ
唯「……?」パクパク
和「……」フゥ
唯「ねえ、和ちゃん。職場で何かあった? 私で良かったら、話聞くよ?」
和「え……? うん……」
唯「私に出来ることがあったら、何でも言って?」
和「……今からする話は誰にも言わないでほしいの。弁護士には守秘義務があって、業務上
知り得た依頼人の個人情報や依頼内容は、絶対に他者へ漏らしてはいけない、というのは
唯も知ってると思うけど」
唯「うん。大丈夫だよ。私の心の中にしまっておくよ」グッ
和「私と唯がこういう関係で、依頼人が依頼人だから話すの。それだけは肝に銘じておいて」
唯「うん。わかった」ググッ
和「姫子、って憶えてる? 立花姫子」
唯「姫子、ちゃん……? ああ! 高校三年の時に同じクラスで、私の隣の席だった子だよね。
憶えてる憶えてる。懐かしいなぁ」
和「ギャルっぽかったから最初は少し怖がってたのに、すぐに懐いてたわね。唯ったら」クスッ
唯「うんうん! 姫子ちゃん、すごくキレイですごく優しくてね、いっぱい色々お世話に
なったなぁ」
和「そうね。私や軽音部以外では、クラスで一番唯のことを見てくれてたかもね」
唯「もしかして、今回の依頼人さんは姫子ちゃん? すごい偶然だね」
和「うん、そうなんだけど……」
唯「……?」
和「姫子、旦那さんにひどい暴力を受けててね。離婚したい、って相談に来たのよ」
唯「ええっ……!? そんな……」
和「顔中、身体中、傷だらけでね…… 中には一生消えないものも…… 眼には障害が残る
かもしれない」
唯「ひどい……! ひどいよ!」グスッ
和「いつもなら依頼人に感情移入なんて絶対にしないんだけど、今回ばかりは私もね……」
唯「姫子ちゃん、かわいそう……」グスッ
-
和「でも、大丈夫。今回の案件は証拠も証言も完璧に揃っているから、かなり有利な条件に
持っていけるわ。パート先の人も親身になってケアしてくれてるし」
唯「私にも何か出来ることはないかな……?」
和「今はまだ、ね。離婚が成立して姫子の身辺が落ち着いたら、またその時に考えましょう」
唯「うん…… 和ちゃん。姫子ちゃんのこと、お願いね」
和「ええ。任せてちょうだい」
――翌日、地方裁判所にて。
裁判官「これより仮処分の審尋を始めます。では、準備書面(※)の方を拝見しますよ」パラリ ※この場合、医師の診断書や傷の様子を写した証拠写真
和「お願い致します」
裁判官「……! ええ……!? ねえ、これ、ちょっとひどいんじゃない!?」パラリ
和「頭部と顔面はビール瓶で殴られたそうです。左眼は網膜剥離を起こしかけています。
背中の左半分の火傷は熱湯をかけられ、右肩の火傷は熱したフライパンを押しつけられた
ものです」
裁判官「かぁー…… しかし、ひどいな……」
和(次は旦那さんの審尋ね……)
DV夫「……」スタスタスタ バタン
地裁書記官「せ、先生! 真鍋先生! 旦那さんの方、どんなヤクザ者なのかと思ったら!
背があまり高くない小動物系のイケメンじゃないですか! しかも十歳以上
年下ですよ!」
和「……外見も年齢も関係無いでしょう」ハァ
地裁書記官「そ、そうですけど…… いや、ビックリしました。人は見かけによらないって
ホントですねえ」
――仮処分命令から数日後。桜が丘法律事務所にて。
和「ちょっと姫子! 本気なの!?」
姫子「う、うん…… 慰謝料も養育費も財産分与もいらない。離婚出来て親権が私だったら、
それ以上は……」
和「離婚も親権も当然よ。たとえ裁判になったって100%勝てるわ。その上で――」
姫子「い、いいの……! 結婚に失敗したのは、確かにあの人の暴力が原因だけど、責任の
半分は私にもあるから。男を見る目が無かった私の責任…… だから、自分の手で
一からやり直したいの」
和「それだけじゃないわね?」
姫子「え……?」
和「あなたと同じような人を何人も見てきたわ。まだ旦那さんを愛してるんでしょ? あんな
ひどいことをされたにも関わらず。私には理解出来ないけど」
姫子「あの人が一人になってしまって、生活するのが苦しくなるのは可哀そうだから……
ごめんなさい……」
和「……謝らなくていいわ。依頼人の意向に沿って事を進めるのが私の仕事ですもの」
姫子「ごめんなさい……」
和「それじゃもう一度だけ、確認するわね。出来れば協議離婚で、調停も裁判も避けたい。
親権は希望するが、養育費、慰謝料は請求しない。財産分与は放棄する。こんなところ?」
姫子「うん……」
和「わかったわ。ただし、旦那さんが徹底的に離婚に同意しないとなると、ある程度あなたの
希望通りには行かなくなる。離婚訴訟、つまり裁判もあり得るけど、それは了承してくれる?」
-
姫子「うん…… その時は和に、じゃなかった、真鍋先生におまかせします」
和「“和”でいいわよ」クスッ
姫子「フフッ……」
和「じゃあ、私は旦那さんとの面談の準備に入るわ」
姫子「……ねえ、和。唯は元気にしてる?」
和「……どうして私に聞くの?」
姫子「え? あ、いや、確か和は唯と幼なじみだったよね? だから…… き、聞いちゃ
まずかった……?」
和「ううん、そんなことないわ。ただ、突然だったから。二十四年も前のクラスメイトの
ことなのに」
姫子「そうだよね。でも、最近じゃ思い出すのはいつも高校時代のこと、それも三年生の、
3年2組のあのクラスのことばかり……」
和「色々あったものね。 ……唯なら元気にしてるわよ。幸せに暮らしてる、と思う。たぶんね。
私と同じで“結婚”してないし、“彼氏”もいないけど」
姫子「和も……?」チラッ
和「高校時代と名字が変わってない時点で推して知るべしでしょ」
姫子「ご、ごめん……!」
和「いいわよ。別に」
姫子「そっか。唯は幸せにやってるんだ。良かった……」
和「姫子はいつも唯のことを見ていてくれてたものね」
姫子「唯はさ、可愛くて、でもちょっと危なっかしくて、いつも目を離せなくてね、いろんな
意味で。自分がずぶ濡れになってもギターを大事にしてさ。まるで彼氏みたいで。
そうかと思ったら、メイド服着たりギター抱えたりして授業受けちゃって」
和「あったわねえ、そんなこと。本当にしようがない子だったわ(今もだけど……)」
姫子「それに学園祭の劇の時は、“人の字を飲み込む”と“お客さんがカボチャ”をごっちゃに
してたりね。唯がちゃんと木の役を出来た時はホント安心した。放課後ティータイムの
ライブの時も、唯がんばってたし。あ、これ見て。この写真、和がくれたんだよ」
和「ああ、最後の登校日の教室ライブね。こんな古い写真、よく取ってあったわね」
姫子「楽しかったなあ、この頃は……」
和「そうね。楽しい高校生活だったわ」
姫子「うん…… ホント、楽しかった…… うぅっ……」ポロポロ
和「ひ、姫子……!?」
姫子「戻りたい…… 私、戻りたいよ…… あの頃に、高校三年の頃に……」グスッグスッ
和「……」
姫子「どうして、うぅっ、こんなことになっちゃったんだろ…… 特別な幸せなんて、ひぐっ、
望んでなかった…… ただ、普通の、うぐっ、楽しいことも、嫌なこともあった、うぅっ、
高校の時みたいな、あんな普通の日々で、よかったのに…… うぅっ……」グスッグスッ
和「姫子……」
姫子「あの頃に、戻りたい…… うぅっ、誰か、時間を戻して……! ひぅっ、ぐすっ……」
和「泣かないで、姫子…… あの頃には戻れないの。もう過ぎてしまったのだから。たとえ
神様だって時間を戻すことなんて出来やしない」
姫子「ひぐっ、うぅっ…… うえぇっ……」
和「でもね、今のあなたが普通の生活を取り戻すことなら出来る。絶対に。その為に私は
弁護士として全力を尽くすわ」
姫子「うえぇっ、ひっく…… 和! 和ぁ!」ギュッ
和「約束するから…… だから、もう泣かないで……」ギュッ
-
――その日の夕方。自宅マンションへの帰り道にて。
和(はぁ…… 何だか今日は料理もしたくない気分……)スタスタ
和(いや、ダメダメ。仕事に引きずられるなんて私らしくないわ。家事はきちんとしなくちゃ。
あの子がお腹を空かせて帰ってくるんだし)ピタッ ビシッ
和(さあ、何を作ろうかしら……)スタスタスタ
風子「和ちゃーん」
和「あら、風子。こんばんは」
風子「こんばんは。今、仕事帰り?」
和「ええ、今日も帰って晩ご飯の支度。代わり映えしない毎日だわ」
風子「いいじゃない。誰かにご飯を食べてもらえるなんて幸せなことだと思うよ? 普段じゃ
気づかないけど」
和「え……? 誰か、って…… 私が誰かと同居してるなんて、風子に話したこと無いわよね?」ピクッ
風子「あ……! いえ、その、実は、おとといくらいに駅前で偶然、唯ちゃんに会ってね。
お互いのことを何かと話したの。それで、唯ちゃん、今は和ちゃんと暮らしてる、
って言ってたから……」
和「……話したのはそれだけじゃないでしょう? あの子のことだから」
風子「うーんと…… あの…… 唯ちゃんと和ちゃんが、その、そういう関係だって……」
和「他には?」
風子「い、いや、それ以外は特に……」ビクッ
和「言って」ギンッ
風子「は、はいっ……! え、えーと、夜は、和ちゃんの方がネコになるとか何とか……
私はあまり意味がわからなかったけど……」
和「唯ぃ……」ハァアアア
風子「あ、あのっ、帰っても唯ちゃんを怒らないであげて? しつこく聞いた私が悪いんだから」
和「……軽蔑したでしょ。私達が同性愛者だって知って」
風子「ううん! とんでもない! そりゃ確かに少しビックリしたけど、でも、愛情の形は
色々あっていいと思うよ。それに、二人の小さい頃の話も聞いてたし、高校の頃も
見てたし、何て言うか、すごく素敵な二人だと思ってる。これは、私の正直な気持ち!」
和「……そう。ありがとう。今日はこれで失礼するわ」スッ
風子「あ、うん。またね……」
和「……」スタスタ
風子「和ちゃん! 唯ちゃんを怒らないであげてね!」
和「……」スタスタ
風子「和ちゃん……」
――その晩。和と唯の自宅マンション。リビングにて。
唯「ただいまー。和ちゃん、お腹空いたよー」ガチャッ
和「唯、話があるの。ちょっとここに座りなさい」
唯「えっ? う、うん。和ちゃん、どうしたの? もしかして怒ってる……?」ストッ
和「……風子に私達の関係を話したでしょ。どうしてそんなことをしたの?」
唯「えっと、あの、駅前を歩いてたら偶然会って、その、立ち話してて、お互いの近況を
話してて、それで、話の流れで、つい……」オドオド
-
和「あんた、何を考えてるの? 誰かに自分がレズビアンだってカミングアウトするのと、
私のことを誰かにベラベラ喋るのは全然別の話でしょ。私はあんたと違って他人に
カミングアウトしてないし、知り合いだろうと知らない人間だろうと私がレズビアン
だってわかられるのも嫌なの」
唯「あ、あの……」オドオド
和「今度同じことがあったら、この部屋から出ていってもらうわ」
唯「えっ……!」ビクッ
和「本気よ。私は」
唯「ご…… ご、ごめっ…… うぅっ、ごめんなさ、うぐっ…… ごめんなさいぃ…… ひぐっ……
で、でも……」グスッグスッ
和「でも? でも、何よ」
唯「でもっ、うぅっ、風子ちゃんがね…… ひうっ、風子ちゃんが、旦那さんの話を、してて……
えうっ……」グスッグスッ
和「だから何なのよ」
唯「風子ちゃんも、澪ちゃんも、うぅっ、りっちゃんも、ムギちゃんも、あずにゃ、梓ちゃんも……
うぐっ、みんな、自分の旦那さんや、ひぐっ、子供の話を、するんだよ……? ひうっ、
どうして、どうして私だけ、うぅっ、好きな人の話を、誰にもしちゃいけないの……?」グスッグスッ
和「それは……」
唯「私も、うぅっ、話したかったの…… 自分の、ひぐっ、好きな、人のこと……」グスッグスッ
和「……」
唯「うえぇえええええん! ごめんなさぁい! うわぁあああああああん!」ボロボロ
和「……ご飯にしましょう」
唯「うえぇっ! ひぐっ、うぅっ!」ボロボロ
和「もう怒ってないから…… ほら、顔洗ってきて。ご飯食べましょ」
唯「うぅっ、う、うん……」グスッグスッ
和「……」ハァ
〈今日の晩ご飯〉
・米飯
・筍とがんもとこんにゃくの煮物
・鰹のたたき(特売品が更にタイムサービスになったもの)
・菜の花のからし和え
・春キャベツとわかめと油揚げの味噌汁
――翌日。土曜の午前。和と唯の自宅マンション。ベッドルームにて。
和「……んん」ゴロリ
和「ふあぁ…… あら……? 唯、どこに行ったのかしら……」ムニャムニャ
和「今、何時……? んー…… メガネ…… 時計……」ゴソゴソ
和「ええと…… 10時過ぎ…… 10時過ぎ!?」ガバッ
和「大変! 朝ご飯! 朝ご飯作らなきゃ! 唯がお腹空かせてる!」アタフタアタフタ ダダダダッ
和「唯、ごめんね! 今、ご飯作るから―― あれ……? いい匂い……」クンクン
唯「あ、おはよう! 和ちゃん!」ニコッ
和「お、おはよう…… どうしたの……? 何か作ってるの……?」
唯「うん。クレープ焼いたの。私も遅く起きたから、結局ブランチになっちゃったけど……
えへへ……」
和「そ、そう……」
唯「ほらほら、座って座って。もう食べれるから」
-
和「うん……」ガタッ
〈今日のブランチ〉
・おかずクレープ
(ハムエッグ、ツナマヨ、トマト、キュウリ、レタス、ピザ用チーズ、サルサソース等)
・おやつクレープ
(バナナ、ホイップクリーム、チョコレートソース、ヨーグルト、はちみつ、バニラアイスクリーム等)
和「具材がいっぱいね。すごい……」
唯「生地と具材は別にしてあるから、好きなの包んで食べてね!」
和「ええ…… じゃあ、ツナマヨと野菜で……」チャッチャッ
唯「じゃあ、私はハムエッグとトマトにチーズとサルサソースをかけてー、レンジで少ーし
チンしちゃお。えへへー」
和(すごいカロリー…… まあ、今日くらいはいいか……)
唯「おいひー!」モグモグ
和「ん、美味しいわね」モグモグ
唯「ここでちょっと甘いのもいっとこうかなー。アイスとホイップクリームとチョコレート
ソースでー。あ、そうだ。シナモン取ってこよっと」トテトテ
和「……ねえ、唯」
唯「え!? や、やっぱやり過ぎ……?」
和「ううん、そうじゃなくて。 ……ありがとう」
唯「……んーん」
和「……」
唯「……」
和「ほら。アイス、溶けちゃうわよ」クスッ
唯「あ、うん……!」
和(ホント美味しい……)
――その日の昼。買い物帰りの和。
ヴーンヴーンヴーン
和(あら、メール。 ……風子だわ。何かしら)
和(なになに? 『みかんいらない? 実家から段ボールで大量に送ってきたから、お裾分け
するよ』か……)
和(んー、みかんか…… 唯が喜びそう。よし、『ありがとう、頂くわ。今、買い物帰り
なんだけど、これからでもいいかしら?』っと)
――風子宅にて
和「お邪魔します」
風子「どうぞー。あ、適当に座ってね。今、お茶入れるよ」
和「お構いなく。ご主人と子供さんは?」
風子「旦那は趣味の集まり。子供は二人とも高校の部活。主婦の寂しい昼下がりよ」クスクス
和「そうなんだ」
風子「はい、どうぞ。砂糖とミルクはこっちね」コトッ
和「ありがとう」
風子「あと、これがみかんね。なんか変な袋で申し訳無いけど」ゴソッ
和「いえいえ、どうもありがとう。唯が喜ぶわ」
-
風子「……その様子だと、唯ちゃん怒られなかったんだね。良かった」ホッ
和「怒ったわよ。おもいきり」
風子「そ、そうなんだ……」
和「でも、その後は特に何でもないわ。どうにかね」
風子「そっか。長い付き合いだものね」
和「まあ、そうね。こんなに長くなったら、新しい恋人見つけるのも一手間だし。四十過ぎ
にもなると、次の相手を探して一から恋愛するなんて面倒臭くて嫌だもの」
風子「また、そんな…… ダメよ、そんなこと言っちゃ。ホントは唯ちゃんをすごく愛してる
くせに。強がり言って……」ジロッ
和「……」
風子「この前も言ったけど、私もある程度は二人のことを知ってるから、和ちゃんと唯ちゃんの
関係は、少しは理解出来てるつもりだから……」
和「……」
風子「冗談でもさっきみたいなこと言わないでさ、唯ちゃんを大事にしてあげて? ね?」
和「うん…… あの夜ね、あの子の気持ちがわかったの…… 私、少し自分の考えをあの子に
押しつけ過ぎてたのかもしれない……」
風子「そうなんだ……」
和「風子には二人の関係をキチンと見つめ直す機会をもらったのかも。ありがとう」
風子「ううん、私はそんな……」
和「あの、これからもよろしくね」クスッ
風子「こちらこそ!」ニコッ
――その日の夜。和と唯の自宅マンションにて。
〈今日の晩ご飯〉
・ウナギと高菜と卵の混ぜご飯
・揚げ茄子とトマトのサラダ
・アスパラ入りジャーマンポテト
・豆腐とみょうがの吸い物
唯「んー! このウナギの混ぜご飯、おいしー!」モグモグ
和(特売で一尾480円の中国産ウナギだけど、黙っておきましょ……)
唯「サラダもお茄子に味が染みてて冷え冷えでピリ辛でおいしー!」モグモグ
和「あと、風子にみかん頂いたから、食後に食べなさい」
唯「えー! やったー! みかん大好き!」
和「それは良かったわ」
唯「もしかして私、愛されてる……!? 和ちゃんに愛されてる!?」
和「そうかもね」
唯「んふー」ニコニコ
――数日後。桜が丘法律事務所にて。
所長「いやー、あの旦那さん、すごい態度悪いね。まるでチンピラじゃないか」ヒソヒソ
同僚弁護士「そんな風には見えないんですけどね」ヒソヒソ
事務員「私、知ってますよ。ああいうのDQNって言うんです」ヒソヒソ
-
DV夫「つーかよ、何なんだよ。弁護士だの、裁判所命令だの。夫婦のことに何で他人が
首突っ込んでくんだよ」
和「私が代理人としてあなたとお会いするのは奥様が私に依頼したからであり、裁判所が
出した近接禁止命令は法律と正しい手続に基づいた正当なものです」
DV夫「だから小難しいこと言ってごまかそうとしてんじゃねえよコノヤロウ。俺とアイツが
会って話をすれば全部丸く収まんだからよ。アイツどこだよ。会わせろよ」
和「近接禁止命令がある以上、あなたと奥様を会わせることは出来ません」
DV夫「ふざけんなバカヤロウ! ブチ殺すぞコラァ!!」ガアン ガチャン
和「……もう一度、今と同じ言動があった場合、脅迫と器物破損で警察に通報させて頂きます。
防犯カメラはあそことあそこです」
DV夫「ああ……? だぁからよぉ。アイツと話させろって。そしたらメンドくせえことは
何もねえんだからよ」
和「本日ご足労頂いたのは、奥様との離婚協議に関してのご相談です」
DV夫「人の話聞いてんのか、てめえコノヤロウ」
和「奥様はあなたとの離婚をご希望されております。それに際してですが、お子様の親権は
奥様側へ、また、慰謝料と養育費、そして財産分与の請求は希望しない、というのが
奥様のご意向です」
DV夫「はぁ? 何で俺がアイツと離婚しなきゃいけねえんだよ。バカか、てめえは」
和「DV、いわゆる配偶者間暴力は大きな離婚事由です。今回は暴力による外傷の重傷度、
医師による診断書、知人の証言等から考えても、あなたは甚だ不利な立場におられますが、
それでも離婚にご同意されませんか?」
DV夫「あったりめえだろバカヤロウ。ぜってえ離婚なんてしねえぞ」
和「奥様が慰謝料や養育費等を請求しないのは、あなたの今後の経済面を考えてのことです。
また、あくまで調停や裁判ではなく協議を望まれているのは、有責配偶者として公文書に
記録が残り、同じく今後の社会生活に支障があるようなことはしたくない、との奥様の
配慮です」
DV夫「何言ってっか全然わかんねー」
和「つまり、奥様はあれだけの激しい暴力を受けても尚、離婚に際してはすべてあなたが
有利なように配慮しているんですよ。自身は離婚出来て、子供さえいればそれでいい、
と仰っているんです。すべてはまだあなたのことを愛している奥様の優しさ故のお考えです」
DV夫「アイツは俺を愛してるんだろ? じゃあ離婚する理由ねえじゃねえか。ハイ、じゃあ
この話終わり。オラ、さっさとアイツ連れてこい」
和「……どうあっても離婚にはご同意されないということですか?」
DV夫「しつっけえな。だから何度もそう言ってんだろコノヤロウ」
和「わかりました。では、こちらとしましては今回の奥様へのDVは、暴行、傷害として
刑事事件にさせて頂き、警察及び検察の手に委ねたいと思います。依頼を受けた弁護士
としては不本意な結果ですが」
DV夫「ああ……? 何でだよ、ちょっと待てよ。大体てめえ、ただの夫婦喧嘩に警察が
出てくるワケねえだろ」
和「奥様のお怪我は夫婦喧嘩の範疇を越えておられますから。それに、被害者が存在し、
明確な被害状況が証拠として残っており、かつ被害者が訴え出れば、警察も刑事事件
として立件せざるを得なくなります」
DV夫「……」
和「刑事裁判で有罪となれば、手間も社会的不利益も離婚訴訟の比ではありませんが、
その覚悟はおありですか?」
DV夫「……わかったよ。離婚すりゃいいんだろが、離婚すりゃ」
和「そのお言葉は奥様との離婚にご同意されると受け取って構いませんか?」
DV夫「だからそう言ってんだろが。 ……離婚に同意するよ」
和「ありがとうございます。それでは後日、離婚届他、必要書類を郵送させて頂きますので、
ご記入、ご捺印の上、指定の期日までに必ずご返送ください」
-
DV夫「人をナメくさりやがってコノヤロウ。てめえ、夜道には気ィつけろよ」
和「ご心配無く。職業柄、危機管理は万全ですので」
DV夫「……あ〜あ。まあ、いいや。あんな辛気くせえ子持ちの四十ババアなんざよぉ、
こっちからお断りだ」
和「……」ブチ
DV夫「もっと若い女捕まえてやりまくって人生楽しまなきゃな。サンドバッグ代わりにも
なんねえクソ女が、せっかくタダで別れてくれんだからよ」スック
和「……!」ブチブチブチ
DV夫「アンタもよぉ、んなしかめっ面して離婚女にばっか関わってたらシワが増えんぞ。
この法律ババアが。ああ?」スタスタスタ バタン
和「……っ」フルフル
同僚弁護士「うわ、すんごい捨てゼリフ」ヒソヒソ
事務員「私、真鍋先生が怒ってるの初めて見ました」ヒソヒソ
和「男って何でこうもバカばっかりなの……?」イライラ
所長「ま、まあまあ。真鍋先生、落ち着いて。一番理想的な結果で良かったじゃないか。
やり方は多少反則気味だったがねw あ、あはははw」
和「これだから男なんて信用出来ないのよ。女を性欲処理の道具か家政婦くらいにしか
見てないんだから……」イライライライラ
所長「聞いちゃいねえ」
同僚弁護士「あ、破産した宝石屋さんと打ち合わせがあったんだった」コソコソ
事務員「私、郵便局行ってきます」コソコソ
所長「え、ちょっと待って」
和「ああ、腹が立つ……!」イライライライライライラ
――数日後。桜が丘法律事務所。応接室にて。
和「これで手続きはすべて終わり。完全に離婚成立ね。お疲れ様」
姫子「和、色々ありがとう。和のおかげで、息子と新しい人生を歩めるわ。それに、料金も
こんなに負担の少ない分割方法にしてもらっちゃって……」
和「いいのよ。慰謝料も養育費も無くて、これから文字通り女手ひとつで息子さんを育てて
いかなきゃいけないんだしね。所長もあなたのことはすごく心配していたし」
姫子「何てお礼を言ったらいいか……」
和「それよりも、しばらくは元の旦那さんに注意して。離婚成立で安心していたら、新居や
職場に押し掛けられたり、ストーキングされたり、っていう事例は数多いから」
姫子「う、うん。それは何とか。スーパーの方は違う地区の支店に異動させてもらえるし、
新しいアパートも店長夫妻にしか教えてないから、たぶん大丈夫」
和「それならいいけど…… ねえ、姫子」
姫子「ん? 何?」
和「元の旦那さんだけど……」
姫子「うん」
和「離婚した。そして、それに際して最大限の配慮をした。……それでもう彼への気持ちを
断ち切るのよ」
姫子「……」
和「これまであなたは心も身体もひどく傷つけられてきた。でも、それはあなただけじゃない。
その年月の間、息子さんも同じだけ心に傷を負ってきたと思う。だから、彼への想いは
今日ですべて断ち切って、これからは息子さんと自分自身のことを愛して、一番に考えて
ほしいの」
-
姫子「……」
和「ごめんなさい。こんなの弁護士が言うことじゃないのだけど…… あなたは高校時代の
同級生で、唯の友達だったから……」
姫子「……ううん、私の方こそごめんね。心配ばかりかけちゃって。これからは良い母親に
なれるように一生懸命努力する。和に約束するよ」
和「うん。頑張ってね。応援してるわ」
姫子「ありがとう。じゃあ、私はそろそろ……」ガタッ
和「下まで送るわよ」
姫子「いいよいいよ。私以外にもいっぱい仕事が入ってるんでしょ? ここで大丈夫だよ。
じゃあね」
和「何かあったら、いつでも連絡して」
姫子「ありがとう。またね」
バタン
和「……」
和「ふう…… よっこいしょ」ギシッ
和「ええと、午後からは……」
和「……」
和「……」
事務員「真鍋先生。コーヒー、どうぞ」コトッ
和「あ…… ありがとう……」
和「……」
和「……」
和「……」
和「所長……! 私、ちょっと出てきます! すぐ戻ってきますので!」ガタッ
所長「え? あ、はいはい。気をつけてね」
バタン タッタッタッタッタッタッ
――桜が丘法律事務所前の大通りにて。
和「姫子!」タッタッタッタッタッタッ
姫子(バス、ちょうどいいのあるかな)スタスタ
和「姫子! ちょっとまって!」タッタッタッタッタッタッ
姫子「ん……? の、和!? そんなに走ってどうしたの!? 私、忘れ物でもした?」
和「ううん、そうじゃなくて……」ハアハア
姫子「……?」
和「そ、その、姫子に話しておきたいことがあって、それで…… 前に私、『結婚してないし、
彼氏もいない』って言ったと思うんだけど……」
姫子「う、うん。言ってたね」
和「でも…… 好きな人がいるの。愛してる人が。今、一緒に住んでて……」
姫子「そうなの? なぁんだ、和もやるじゃない」ニコッ
和「その人は、その人はね、姫子もよく知ってる人で――」
-
――姫子の案件解決から数日後のある夜。和と唯の自宅マンションにて。
和「唯ー。ご飯出来たからテーブルの準備お願いねー」
唯「はーい」
〈今日の晩ご飯〉
・茄子とほうれん草のラザニア
・ブロッコリーとあさりのペペロンチーノ
・鶏肉の香草パン粉焼き
・明太子とサワークリームのディップとバゲット
・ツナサラダ
唯「わぁ、今日は豪勢〜」
和「一日遅れのクリスマスだけど盛大に祝わなきゃ。 ……ごめんね。こんなタイミングで
仕事が忙しくなっちゃって」
唯「んーん、大丈夫。あ、それより…… ほら、これ!」サッ
和「この箱、クリスマスケーキ? 買ったの?」
唯「私の手作りだよ! ほい、ジャーン」カパッ
和「ハート型のホールケーキ? すごいわね、って…… 『おたんじょうびおめでとう』……?
ああっ!!」
唯「やっぱりー。和ちゃんのことだから、自分の誕生日忘れてると思ったよ」
和「そっか…… 私、今日誕生日だったんだ…… しまった……」
唯「しまった?」
和「ああ、いえ、何でもないの。 ……それにしても、私ももう43歳なのね」
唯「あーあ、1ヶ月間のお姉ちゃん期間も終了かぁ」
和「何言ってるのよ。お姉ちゃんらしいことなんて、ひとつもしてないじゃない」
唯「そ、それを言われると……」
ピンポーン
唯「ん? お客さん? こんな時間に誰だろ。はーい」
ガチャッ
風子「こんばんは。唯ちゃん」
唯「わあ、風子ちゃん! いらっしゃーい。ん? こちらは……?」
風子「このマンションの前で偶然会って、一緒に上がって来たの。誰だかわかる?」
姫子「唯、ひさしぶり」
唯「え……!? やだ、うそっ、姫子ちゃん!?」
姫子「うん。会いたかったよ」
-
唯「姫子ちゃんだ! 姫子ちゃんだー! ひさしぶりー!」ダキッ
姫子「唯ったら、全然変わってないんだから! もー、こいつめー!」ギュー
唯「和ちゃんから話を聞いてね、心配してたんだよ? ぐすっ……」ポロッ
姫子「泣ーかーなーいーの! 和のおかげで普通の生活を取り戻せたよ。もう大丈夫」
風子「大変だったね。立花さん」
和「二人とも、いらっしゃい」
唯「あ、和ちゃん! 風子ちゃんと姫子ちゃんが来てくれたよ!」
和「ええ。私が招待したのよ。せっかくの機会だし、人数は多い方が楽しいから(自分の
誕生日だったのは誤算だったわ……)」
唯「そうなんだ! あっ、玄関でごめんね。ささ、入って入って」
風子「おじゃましまーす。あ、和ちゃん。つまらないものですが、シャンパンどうぞ」
和「あら、悪いわね。ありがとう」
姫子「私はワイン持ってきたよ。お口に合えばいいけど」
和「もう、そんな気を遣わなくてもいいのに」
唯「はーい、席に着いてー」
姫子「わあっ、すごくおいしそう」
風子「さすが、和ちゃん。私も見習わなきゃ」
唯「ねえ、和ちゃん」
和「ん? 何?」
唯「いい夜だね」ニコニコ
和「そうね。本当にいい夜」ニコッ
おしまい
-
以上となります。ありがとうございました。
-
あのマンガ好きだから楽しめたけど
キャラがハマってるのと話が似たようなのがあったから
少しオリジナリティに欠ける気がする
でも楽しかったわ
憂と純は何やってるんだろ
あとさわちゃんはどうしたんだかな
-
俺も原作を知ってるので、楽しく読めた。
几帳面なしろさんとふわふわした賢二の関係や和と唯にぴったり。
でもけいおんSSでは女性同士のカプは普通だけど、今作のようにこれほど重く書かれてるのは無いのでは?
そういう意味では新鮮だし、けいおん部のメンツや憂、純ではなく姫子、風子が準メイン(?)というところも変わり種だ。
何にしろ、作者のスキルには感服した。
-
この設定で続けて欲しいが
料理スキルが必要なのが大変そうだなw
-
読んでて思ったけど
これって企画でやった知識系SSだよね
"
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