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【DQ風】ドラゴンキラーあります【レベル7】
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ド ラ ゴ ン ク エ ス ト風 ┃│/│\
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『ドラゴンキラーあります』 ... ┃││
☆注意☆
・これは『ドラクエっぽい世界』の話であり実際のドラクエとは色々な部分が違っていると思われます
あくまで>>1の妄想の『ドラクエっぽい世界』であることをお忘れなきよう
・ですので実際にはない職業、性格、モンスターなどが登場したりします
・イメージとしてはドラクエという鍋に他ゲームの要素を次々とぶちこんだ闇鍋という感じになっております
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【2ch面白いスレ】安価で国を作って戦争する!?ww【ゆっくり解説】
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でも董卓は、連合の侵攻を恐れて、長安に遷都すると云い出した? そこまで恐れる必要あったのか? いくら虎牢関を抜かれたからって、洛陽の守りも薄くはないだろ
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「実際、董卓も弱気になっていたことは否めない。李傕(……あ、字が出ない。訓読みでは『リカク』さん)を遣わして孫堅と婚姻を結び、コレを取り込もうとしたんだけど、孫堅は『ブタの娘なんぞいるか、ほしいのは董卓の首だ!』と豪語して、これを突っぱねている」
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「そこまで嫌わなくてもいいんじゃないかと思うんだがなぁ」
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「だね。董卓にしてみれば、自分の本拠地たる涼州に程近い長安の方が、洛陽より心理的にも軍事的にも、何かとやりやすい。実際、多分アイツがいちばんの原因だと僕は見てるんだけど、それは後で触れる。ともあれ、前漢200年の都だったとはいえ、前漢滅亡と新の戦乱で荒廃していた長安に遷都するとなると、とんでもない手間隙が……」
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「だね。董卓にしてみれば、自分の本拠地たる涼州に程近い長安の方が、洛陽より心理的にも軍事的にも、何かとやりやすい。実際、多分アイツがいちばんの原因だと僕は見てるんだけど、それは後で触れる。ともあれ、前漢200年の都だったとはいえ、前漢滅亡と新の戦乱で荒廃していた長安に遷都するとなると、とんでもない手間隙が……」
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「だね。董卓にしてみれば、自分の本拠地たる涼州に程近い長安の方が、洛陽より心理的にも軍事的にも、何かとやりやすい。実際、多分アイツがいちばんの原因だと僕は見てるんだけど、それは後で触れる。ともあれ、前漢200年の都だったとはいえ、前漢滅亡と新の戦乱で荒廃していた長安に遷都するとなると、とんでもない手間隙が……」
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そういえば、「左氏」がいて「右氏」はいない(見かけない)が、「右師氏」ならいるんだった。
前漢末期の右師譚、右師細君などが『漢書』『後漢書』に出てくる。
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右北平郡はあるけど左北平郡は無い。
左氏はいるけど右氏は見たことない。
右だけあったり左だけいたり、不思議なことである。
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(曹)仁果遣其子泰攻濡須城、分遣將軍常雕・督諸葛虔・王雙等、乗油船別襲中洲。中洲者、部曲妻子所在也。仁自將萬人留橐皋、復為泰等後拒。(朱)桓部兵將攻取油船、或別撃雕等、桓等身自拒泰、燒營而退、遂梟雕、生虜雙、送武昌、臨陳斬溺、死者千餘。(孫)權嘉桓功、封嘉興侯、遷奮武將軍、領彭城相。
(『三国志』巻五十六、朱桓伝)
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朱桓が曹仁に勝った時の話、曹仁が派遣した将のうち常雕は殺され王双は生け捕りにされた。では諸葛虔はどうなったのだろうか?
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江表傳曰、是歲(孫)權遣諸葛壹偽叛以誘諸葛誕、誕以歩騎一萬迎壹於高山。權出涂中、遂至高山、潛軍以待之。誕覺而退。
(『三国志』巻四十七、呉主伝、赤烏十年、注引『江表伝』)
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その後、孫権は諸葛誕を罠にかけようとして諸葛壹なる者に偽叛させたそうだ。
同族だからということだろうが、それなら諸葛瑾(ロバ)たちだっていいはずだし、敢えてこの諸葛壹なる者を選んだ理由は何か。
諸葛虔=諸葛壹(字の誤りによる誤伝)で、この諸葛虔は朱桓に負けた時に降伏し呉にいたのではないか?
もともとは曹氏サイドだったということから、「いかにもまた魏に舞い戻りそうな人物」として偽叛の仕掛け人として選ばれたのではないか?
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「あぁ、失敬。前漢と後漢の間には、15年ほどだけど新という時代があったの。さっきも云ったけど、長安は前漢の都だから、当然新軍……叛乱軍は、そこを攻める。光武帝が洛陽に遷都したのは、そのせいもあるね」
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「はい。実際に遷都にかかった費用は、当然民衆から絞り上げた。富豪層に、反董卓連合に内通していると冤罪をかけて、財産を没収して殺す。また、後漢王朝歴代皇帝の墳墓を掘り返し、副葬品を強奪した。そうやって資金をかき集めた董卓は、百万と云われた民衆を長安に移動させる」
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「ちなみに、先に『毒殺された』と云ってあるけど、少帝が殺されたのは、この頃だ。遷都に前後して、母后もろとも後腐れがないようにと処分された」
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「おおむね千年の後に、日本で似たようなことがあったね。治承・寿永の乱……俗に云う源平合戦の時代に、木曾義仲の攻勢を恐れた平清盛が、平安京から福原に遷都したんだけど」
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「アレは、確か半年足らずで平安京に戻ってたよな」
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「民衆もそう思ったね。董卓の非道がそんなに長続きしないだろうと、1年くらいで洛陽に帰れると楽観していた。でも、董卓はその予想をも上回る。洛陽に火を放ったんだね」
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「遷都というより廃都だな……」
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その表現ナイス。かくして、帰る場所も金もなくした民衆は、董軍の兵士にせっつかれるまま長安への長い道程を歩かされた。その行程は一ヶ月にも及んだという
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「反董卓連合は、何してたんだよ?」
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「というか……実際にやる気があったのって、そんなに数がいないのは先に述べてある通りでね。焼け野原になったものの洛陽を占領した時点で、もう戦争する気をなくしてしまった。最先鋒たる孫堅は、むしろ洛陽復興に尽力すべしと云い出し、袁紹・袁術も長安攻撃はいかがなものかと二の足を踏む。埒が明かんとキレた曹操は、自軍(五千足らず)だけで、董卓追撃を敢行する始末。すでにこの時点で、反董卓連合は瓦解していたと云っていい」
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「例の鄭泰の発言が、的を得ていたワケか。で、曹操は」
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「うん、董軍の後方を守っていた徐栄に敗れている。さて、ここでふたつ疑問を提示しよう。なぜ曹操は、そんな無茶な追撃を敢行したのか。そして、なぜ生き残ったのか」
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「ん? 2番めって、そんなに問題か?」
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「まぁ、順番にね。曹操が、この時自軍だけでも追撃し、一敗地にまみれたのには、やはり計算があったとされている。一見無謀なこの追撃によって、曹操は勇気ある名将との評判を勝ち得たのね」
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「実を捨て名を取った、か?」
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そんな感じだね。で、この時曹操を迎え撃ったのは徐栄だけど、2番めの疑問は、なぜこの時、ここに呂布がいなかったのか、ということで」
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「……云われてみればその通りだな? 呂布がその軍を率いてさえいれば、曹操の息の根はここで止まっていた可能性は高いぞ? 何してたんだ、アイツ」
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「多分、先鋒として長安に乗り込んで、防御を固めていた」
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「何で? 俺が董卓なら、そんな無駄な使い方はしないぞ。最強の武将は防御に回すってのは、お前の持論だろ」
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「うん、僕の持論だね。だから、僕が董卓の立場にあったなら、呂布は長安に派遣していた」
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「誰への守備だよ、誰への? この状態で長安に攻め込んでくる敵なんて、どこにいる?」
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「西涼の馬騰」
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「……意外な男が、そういえばいたな」
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「うん。西域で異民族戦役のエキスパートだった董卓なら、似たような立場にあった馬騰の性格と軍事力は理解できていたはずだ。馬騰は後に、劉備たちとともに曹操暗殺に抱きこまれるほどの勤皇家。董卓に対していい感情を抱いていた可能性はないに等しい。また、馬騰軍の軍事力は、後の曹操を翻弄したほどのものだった。いずれも演義での話ではあるけど、馬騰とは、そこまで重視されるべき群雄だったというのは事実だ」
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「だから、董卓は長安に遷都した、と? 馬騰という男を恐れるあまり?」
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「それについては20年後、面白いイベントが発生する。楽しみにしておくといい。ともあれ、だから僕は、董卓は洛陽を捨てて長安に走り、呂布はその先鋒となっていたから曹操の追撃を迎撃しなかったと見ている」
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「うーん……どーにも信憑性には欠けるような」
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「まぁ、長安に遷都したのは歴史的事実だ。董卓は、近郊に砦を築いて防御を固め、30年分の食糧を備蓄したと豪語。守りを固めて難局を乗り切ろうと画策したわけだね。判断としては、まぁ悪くないとは思う」
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「現に、反董卓連合は事実上崩壊していたわけだからな。東からの脅威はほとんど防いだ以上、あとは西から……要するに馬騰を防ぐ戦力を維持していればよかった、と」
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「そうだね。長安で守りを固められては、攻めるに攻められない……と、袁紹は連合の解散を宣言。参加諸侯は自分の国元に帰って、疲弊した国力を回復しようと画策した。曹操や孫堅、袁術や公孫瓚も撤退した」
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「一将功ならずして、あとに残ったのは焼け野原か。あまりにも侘しすぎる現実だな」
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「そうだね。かくして、いよいよ天下は麻のごとく乱れていく。群雄割拠の時代が幕を開けた」
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「民衆にしてみりゃ、えらい迷惑だろうな……」
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えーっと、反董卓連合……というか孫堅の猛攻に、董卓は洛陽を放棄。自分の勢力圏に程近い長安へと、献帝や民衆を無理矢理移動させ、その地から天下に号令するようになりました
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「発言力はあったかもしれんが、実際の権威はどうだったんだ?」
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「意外なことに、きちんと天下に威を響かせていた形跡がある。この頃、自領に帰った袁紹と公孫瓚の抗争に『和睦すべし』と勅使を派遣して、実際に停戦させているからね」
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