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やるやらは銀行を襲うようです
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この物語は、97年にアメリカで起きたノースハリウッド銀行強盗事件を書く予定です。
基本的に史実準拠ですが、一部に作者独自の解釈、オリジナルの設定が含まれます。ご了承ください。
最後に>>1はやる夫スレ初心者です。
どうぞよろしくお願いいたします。
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現在、世界でも最大級の金融機関として知られているバンク・オブ・アメリカ。
1904年に創業した当時はバンク・オブ・イタリアと呼ばれていた。
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イタリア系労働者の一例(M氏)
これは、カリフォルニアの労働者階級(特に、サンフランシスコ北海岸に多いイタリア系移民)のための銀行として設立されたためである。
彼らを顧客層として目をつけたのは、初代頭取にして創設者アマデオ・P・ジアニーニだった。
当時の移民労働者は、満足に英語の読み書きすらできない者が多かった上に、その当時のカリフォルニアの銀行が富裕層向けであった
こともあり、多くの一般労働者たちはもっぱらタンス預金をしていた。
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Ⅳヽ、 / ! ミヽ、 /、
l \´ー<ニスソミミミミミヾ、 !
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. __rt-′ ー ´ _ゝ ゝフニ三三ミレミ、
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ヽ、」: : : : : :.:ヽ_/ヽへ、_ 二ニィ: : : : : : :.:.,.<ヽ
/-、 - 、 -、 ̄ ヽ__: : { l┘
{___八_ _人 _ノ
【アマデオ・ジアニーニ 1890〜1949】
創設者、アマデオ・P・ジアニーニはイタリア・ジェノバの移民の子であった。
父親のルイージは、彼が6歳のころに当時雇っていた労働者との間で口論の末射殺されてしまった。
母親のバージニアは、残された農場を経営しながら、アマデオが12歳のころに再婚した。
その頃から、アマデオは継父の青果物卸の仕事を手伝い始める。
継父や彼の仕事仲間からずいぶんと可愛がられ、彼らが驚くほどのスピードで商売のイロハを覚えていった。
14歳のとき、彼は当時通っていた商業学校を退学して、青果物卸仲買人として本格的に仕事を始めた。
努力の末、19歳のときには継父の農場の共同経営者となり、1892年に地元の不動産業界の大物の娘と結婚した。
31歳のとき、義父の財産管理のため引退し、金融会社へ勤めるも退職。
その2年後、1904年8月にバンク・オブ・イタリーを立ち上げる。
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/ u 。 `ー、___ ヽ
/ ゚ 。 ⌒ 。 ゚ u / つ
/u ゚ (●) u ゚`ヽ。i わ
| 。 ゚,r -(、_, )(●) / ぁぁ
il ! //「エェェ、 ) ゚ u/ あぁ
・ 。 || i rヽ ir- r 、//。゚/ i ああ
\. || l ヽ`ニ' ィ―' il | i ぁあ
゚ヽ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ダンッ
。 ゚ _(,,) イタリア銀行 (,,)_ / ゚
・/ヽ| 低価格融資OK |て ─ ・。 :
/ .ノ|________.|( \ ゚ 。
 ̄。゚ ⌒)/⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒ヽ\  ̄ 。
バンク・オブ・イタリーが成長した理由は、彼が従来のやり方にとらわれずに様々な試みを行った点であると言える。
たとえば、当時の銀行業界では広告や宣伝は行ってはいけないという暗黙の決まりがあった。
だが、アマデオはこれを無視した。
彼はそれぞれの言語で書かれた宣伝用チラシを作り、それを配布して回ったのだ。
さらに、彼は労働者家庭を戸別訪問して顧客を確保していった。
英語の読み書きができない労働者たちのため、書類や入金伝票を書くのを手伝ったり、労働者たちにサービスが提供できるよう
日曜や仕事の終わる夕方にも営業を行っていた。
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(イケメン銀行員アルマンド・ペドリーニ氏)
その他にも家計を牛耳る女性客を引き付けるため、イケメンのイタリア人を雇っていたという。
こうしたやり方は同業者たちからは軽蔑されたが、営業努力が実り、銀行設立からわずか4カ月後には総資産約29万ドル、預金高約11万ドルにまで成長した。
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冫 { :、-z-、,,|_ 」,_ キリッ
;-、 Z _人_) そ-、ヽz ┴-、
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r┴< _ヽ__/ / { ノ´|>、_ ,ノ
入 i ,.- ´_/,ヽ、 \ ,ィ::|>‐r-ァ'´
,. -‐1 ヽ_,ノ ! / ;-、 `X≧、 `┴-'厶 ^´
` -、.| |ム ,≠‐-、Y_ ヘ、 , _,,)
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1906年4月18日サンフランシスコ周辺を襲った大地震により、街は崩壊。
充分な耐震強度を備えていなかったサンフランシスコ市内の建造物の多くが倒壊し、各銀行はいつ再開できるか目途すら立たぬ中
バンク・オブ・イタリーだけは、なんとその震災翌日に通常通りの営業を始めていた。
アマデオは、地震が発生した直後いち早く金庫室に飛び込んで、金庫に置いてあった全現金をゴミ運搬用の馬車で安全な郊外に避難させていたのだ。
さらに、バンク・オブ・イタリーは、崩壊した市街の再建ビジネスに融資を提供する最初の銀行になった。
また、生まれて間もないハリウッドに対し巨額の映画資金を貸出しを行い、ハリウッドの隆盛に貢献。
さらに時代は流れ、1949年にはジェネラル・エレクトリック社などと提携し、後のクレジットカードの元となる基礎技術を開発し
管理コストなどを安く抑え、さらなる経営拡大を行った結果、1970年代初頭には世界最大の銀行“バンク・オブ・アメリカ”となった。
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