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秘密結社博麗の巫女団
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/ ``ヽ、
/ ヽ<ヾ ̄`` 、
y' ヽ-、 .:i >俺の出番が少ないってどういうことだオイ。
l 丶 /\ l ヽ、<l
l `フ ヽ、ヽ l ``ヽ、 >いやいや、それは話の都合上仕方なくて・・・
l 、 ' ,r‐.--、ヽ ヽ l ``、
/ >リ / y<ノリ } ヽ l l >じゃあ今から作者に俺を主人公にするよう頼んでこい。
/ ̄`i _ {、__'ノ/ ノ `,´べ l l
i !u! ' ´,< {^`-,ヶ 'Y´ ヽ } ! >理不尽かつ無茶苦茶すぎじゃろ!?
{ 〃,,-tっ}ヘ,_,,,,,,_ ,!- '´ ヽ , 入 / {
/' ,,lド' く::/i'´ィ'>-<´,- i`ー-ー`'´ }y' 丶 >デラッ・・・
`ー`>彡'へ'"' べ ヽ=ノ`、{`` /i/ ヽ
ヽ、_ `ヽ, `ヽ \ `ーy' l ヽ >わーー!? わかった!! わかったから!!
ミトi l r-x'、_ `ヽ、 ./ `t/ l ヽ
`i l_ _, 」-<'´ } `y / ゙ i ヽ 【今夜3時に投下します。byていん】
ニ i l ノ` / / l ヽ
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シン
シン
土偶型の神体。地中潜行能力をもつ。エネルギー探査機で地底を探り、大地震を引き起こした。(OVA版ジャイアントロボに登場したウラエヌスの元ネタ)
操縦者はスキンヘッドの監視者。(オロシャのイワンの元ネタ)
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ウラエウス
コブラ型主砲が特徴の飛行する潜水艦のような神体。つぶらな瞳が印象的。ゴッドマーズではウラヌスと名前が似ているためにハブられ、OVA版ジャイアントロボではシンに中途半端に名前をパクられたりと作外での扱いがかわいそうな神体。
操縦者は若めで長髪姿の監視者。
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ラー
最後の神体。その姿は漆黒の球体で、任意で触手が6本生える。雷撃で攻撃することもでき、マーズが潜伏する東京を廃墟にした。内蔵カメラが前方45度角しかないため、視界は小型探査機に大部分を頼っている。そこをマーズに見破られ、ラーは思わぬ反撃を受けることとなる。
操縦者はマーズに最初に接触した中年姿の監視者。
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タイタン
無人の人型巨大ロボット。マーズの覚醒に呼応し、西太平洋においてガイア―に先駆けて起動。地球文明の威力偵察を行うのが任務。物語開始直後に原子力潜水艦の(核)魚雷によって破壊されたが、この事により地球文明が危険域に達したとみなされ、地球破壊が決定された。
ゴッドマーズではウラエウス(もしくは第三神体)の代わりに六神ロボに昇格。
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ウイグル無頼
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兵馬地獄旅
兵馬地獄旅
横山光輝による忍者漫画。作者が一世を風靡した『伊賀の影丸』などの忍者漫画とは違い、1970年代から手掛けるようになった歴史ものに近いニュアンスを持つ。主人公の兵馬や敵役が使う術も、科学性と合理性を伴った実現可能な術になっている。また掲載誌が大人向けということもあり、艶事の描写が多いのも特徴。
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概要・あらすじ
2代目服部半蔵の服部正就に、力尽くで婚約者を奪われた忍者の兵馬は、仲間たちの不満をくみ取り、サボタージュにより服部正就から幕府の要職を奪う。復讐を遂げ逃亡した兵馬を逆恨みし、服部正就は次々と追っ手を差し向ける。様々な策をもって兵馬に迫る下忍たち。兵馬は彼らを返り討ちにし、服部正就への逆襲を図る。
そして運命の刻となる慶長19年、大阪の役が幕を開ける。
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兵馬 (ひょうま)
先代の服部半蔵正成に育てられた、伊賀忍者。強靭な肉体と意志を持ち、不死身の二つ名を持つ。優れた観察眼と洞察力を持ち、剣術、手裏剣術、催眠術などの技に長けている。
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楓 (かえで)
妖斎の配下の忍、音羽三兄妹の一人として兵馬の命を狙う。色事でスキができたところをふくみ針で命を奪う手はずだったが、逆に兵馬に惚れてしまう。その後は、兵馬の手助けをし続けた。服部半蔵正就を討った後、2人で新天地を目指して旅立っている。
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[聖闘士星矢] #01 お前は自分の体内に宇宙を感じたことはあるか?
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ロシア皇帝の権力が衰退した時代に、ゴーゲッターが貿易大臣と全面的に職務の削減について取り決めたとき、彼らの中には欲求不満の美しさを持った小さなプライベートパーティーを組織した場合はほとんど考えられませんでした
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tayduki
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フーターヒルの家(2007)
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スウェーデンのエロティカvol28
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marina viscontiあ
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小南「角都が死んだようね……」その直後に起爆札6千億枚購入wwwに対する読者の反応集【NARUTO/ナルト】
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公務員は人間のクズ
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「お団子6千億本追加だァ!」からの「お体に触りますよ...」で大草原
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角都苦労人説がこれのせいで生まれてるの普通に笑う
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漢代では主に肉といえば犬だったそうな。
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「狡兎死して走狗烹られる」(重要な役割を果たした者が酷い形で処分されること)
「羊頭掲げて狗肉を売る」(見かけと中身がかけ離れていること。類似の諺で「聞いて天国、見て地獄」がある)という言葉がある。
その頃の中国は犬は大衆が食べる肉だったそうだったが、当時でもこれらの諺通り犬の肉は悪いイメージが付いていたそうだね。
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趙・燕・魏などの北方系は濃い味が主流。
楚・越・呉などの南方系は薄い味が主流。
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古代中国は、民族的に言えば、トルコ系の影響を強く受けた、北魏〜隋唐の前まででしょう。
で、遊牧民が入ってきてから、食事に関する単語もとって変わったとか。
飲む、食は、古代に属し、北方の影響を受けてからは渇とかコク(字がでない)とかの用語だったとか。
古代は蒸す、煮る、などが主流で、焼くというのは、上記北方の影響とか。
斉民要術という5世紀頃の南朝の食事の本が残っているので、古代食事は再現可能。
あと、漢代遺跡からも当時の食事の遺物が出土している。
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齊民要術は、南朝じゃなくて北魏の時代に著された農書じゃなかったっけ?
乳製品の記述が結構多くて、中華料理ぽくないんだよね。
使われてる、単語、語彙もこの時代のみ表れてるやつが多いし。
しかし、粟、黍、稲、蕎麦、麦それぞれにうるちやら粘性品種の区別をして、さらにそれらから作られる麹の種類、調理法の別等
よくもまあ、体系化したなぁ。
日本でも延喜式が要術をパクったけど、いつの間にか廃れたな。
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周、秦の影響下にあったのが、漢。だから漢は既にある程度北方の影響があった。
で、周、秦の前の時代は、夏なんかは、越なんかに近かったらしい。
なんかで読んだが、「酒池肉林」は、狩猟経済と食事の名残とか。この場合の肉林では、どのような料理だったんですかね。焼きか蒸しか。なんか燻製かなにかのような気もするが。。
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蒙古の肉の水煮って、例の羊のしゃぶしゃぶのこと??
蒙古系中華だと、羊のしゃぶしゃぶだけじゃなくて、鉄板焼きみたいなのもあるよ。
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違う。
鍋にブツ切の羊を入れ、水を注ぎ、岩塩、若干の野草(野蒜、蓬、茴香など)を加えて肉が柔らかくなるまで煮込み、肉を上げて浅い皿に供し、卓上で切り分けながら食べる。
ソップは饂飩のようなものを入れたり、粥にしたりして食べる。
野草は入れないこともある。
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たしか漢あたりは甘味は砂糖でなく蜂蜜だったと言う話を聞いたことがある。
三国志を読む限り茶は三国時代は高級品だったらしいね。
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米だって春秋時代はなかったみたいだ。
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稲の痕跡は殷墟から出てたはずだし、漢でも関中で稲作が上手くいかなかったので、わざわざ越人を招聘して農業指導に充てた記録が残ってる。
しかしながら粒食は稀で、発酵させて醸造用に専ら用いられていたらしい。
何より、淮水〜長江間の稲作は原始的な粗放直播き方式で収穫後は一年間休閑して緑肥を施さなければ、地力は回復させれなかった。
三国志の杜預の言った、火耕水耨てやつな。
華北の乾燥地農法を応用した、水稲耕作が普及したのが南朝〜隋唐
チャンパ米が普及して、全土の国民を養えるようになったのが宋代
まあ、古代中国の調理法を考慮したら、孔子さまが銀シャリを口にしたことは無かっただろうね。
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孔子に羊の生贄を捧げるのは、あれで正しいのか。
米とか出したらかえっておかしいのか。
確かに今でも米をわざわざ粉物みたいにしてよく食べるね。
米のクスクスみたいな料理も見たことある。
でも醸造用だと、白米以上に精米しなきゃいけないのか?
あれは日本酒だけ?
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釈奠といえば、獣肉はつきもの。日本では多少改変されましたが、それでも鹿・猪の肉を使っており、『枕草子』では顰蹙をかっています。
(元々作者が漢学者の家を見下していたきらいがありますが)
時代が下ると餅などで代用されている。中世の足利学校などはこちら。
『礼記』では、牛・羊・豚が供え物に出ていた筈。
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詩経小雅白華の条に
「?河北流、浸彼稲田」とあるのは北中国での稲作の古さを伺わせるが、
有名なのはやはり戦国策の東周策恵王条の水争い、
「東周欲為稲、西周不下水。東周患之。(中略)下水、東周必復種稲・・・。」
とあって、東周では以前から稲作が行われていたと思われる。
また火耕水耨については一年休閑などの特定の技術段階を指す言葉では無いこと。
またそれは史記平準書や漢書武帝紀、?鉄論などに見える。
更に宋代の江南デルタの占城稲の導入いついては、1984年に「中国江南の稲作文化」日本放送出版協会や、その後、足立啓二などによってとらえ直しが為されたはずだが。
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文字化けしました。
最初の?はさんずいに彪、2つめの?は塩の旧漢字。です。
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『火耕水耨』を解説した本には大抵、「最初に雑草を焼いてから種籾を蒔きつけ、次に芽生えたところで水を引き込んで雑草を枯らす、非常に粗放な稲作」と書かれている。
しかし思うままに水を引き込むことができる、ということはこの時代すでに用水を管理された水田が作られていた事に他ならない。
最初に冬枯れの雑草を焼き払うことはあるにしても、「水耨」は代掻き、田ごしらえを示す語であろう。
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そーですね。漢書武帝紀の應邵注でも比較的灌排水の調整が効くことが分かります。
また杜預の上奏にある記載は、それが既に過去の農法ではあるが、新田の開発や荒廃した耕地の再開発には便利であると言っているに過ぎないでしょう。
ただ史記貨殖列伝の記載はそれほど高い技術は裏付けられないでしょうね。司馬遷が華北の陸田農法に比して遅れた農法と断じたのかも知れませんが、司馬遷と應には約200年の差がありますから、当時の江南農法の過大評価も危険です。
代掻き説に対しては賛同しかねます( 播種後稲とともに長じた草を刈り取り、その後草が生えて来たら冠水させて草のみ膿死させる除草の作業と考えます)、しかし決して粗放農法のみを指すのでは無い点は同意いたします。
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顔淵が到来モノの米を粥にしているとき掬って食べたことを孔子が咎めなかった説話とかあるから、食べたんではないの?
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それ面白い説話ですね。米って調理器具の発達によって調理法が変わるはずだから最初はやっぱり蒸したんでしょうか。粥だと水漏れしない調理器具が必要ですから蒸しより技術的に進んでいると思います。
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殷、周の青銅器は鼎とか鍋みたいなのはあるけど、鉄板みたいなのはないね。
当時の料理法と関係してるのだろうか?
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青銅器の鼎とかは祭祀用でしょうが、中に食物や酒を入れて備えたでしょうから調理法と関係あるかもですね。
西安の半パ(土へんに皮)博物館には新石器時代の土器の鼎や盆(人面魚紋盆)などが展示されていますが
素焼きの割に硬そうなんですが、鼎と言うのは青銅器以前にも存在します。
半パは集落遺跡ですから、鼎を用いた調理は早くに確立していたかも知れません。
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日本の縄文・弥生土器をみても、煮込みの調理具が普通でしょう。
鉄板は土器・青銅器時代にはないんじゃないかな。
串焼きならあったかも。
後漢期の遺跡から、豚の丸焼きが出てきたとのこと。
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古代では、塩と梅酢で調味をしていた。
味の具合がいいのを「塩梅がいい」といい。それが発展して物事の具合がいいのを「塩梅がいい」と言うようになった・
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どーだろうね、梅雨という用語自体中国から伝わった言葉だし、長江流域で梅の果が実る頃降る雨という意味で、梅雨が明けて保存用に干した可能性はあると思う。食用と言うより薬用として用いられたんじゃない?
今日でも梅干しは無いね、寧ろ何とも表現し難い味というか甘い干し梅のお菓子があるくらい。
漢では塩は専売で貴重品だったから、仮に梅干しが存在したとしても民間に広まっていたとも思えないし。
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そういやキウィーフルーツも中国原産だと聞いたが、あれは遣唐使の時代に中国にはなかったのだろうか、結構日本の風土にも合うから、もし遣唐使の時代に長安の都にあったら持ち帰ったような気がするのだが、
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