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【バトルスピリッツ】BattleSpirits 〜少年撃覇やる夫〜 7コア目
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/ ̄ ̄\
/ \ 最後まで読んで頂き、ありがとう
| ⌒ ⌒
. | (__人__) バトスピやる夫二次創作、最終スレだろ
| ` ⌒´ノ
. | }
. ヽ }
ヽ ノ
/ く \
| \ \
| |ヽ、二⌒)、
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【やる夫で】BattleSpirits〜少年撃覇やる夫〜【バトルスピリッツ】
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「ところで、ともう云ってしまおう。正史呉書のラスト『王楼賀韋華伝』は、王蕃(オウハン)・楼玄(ロウゲン)・賀邵(ガショウ)・韋曜・華覈の伝が収録されている。要するに、孫皓被害者連名簿(のごく一部)なんだ。それを最後に持ってきた辺りに、陳寿の、孫皓への正直な本音、つまり『お前のせいで呉が滅んだンだ』みたいなものが見えている」
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「何で孫皓が、ここまで家臣を粛清・抑圧し続けたのか、は正史の注にぽつりと書いてあった。さっき見た、張尚に関する記述の一部なんだが」
孫皓は、ひとが自分より優れているのを忌み嫌う性格だった。
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「そんなワケで、着々と迫りくる晋の侵攻に向けて、孫皓は家臣とその一族の死体で長江を埋めようと必死だった」
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「さすがに『……俺、殺りすぎたンじゃね?』とでも思ったようで、ちょっとだけ手は打っている。275年にヴェトナム送りになっていた陸凱・陸抗亡き陸家一族を、278年に建業に呼び戻し、元通りの将軍位を与えているンだ。孫呉名物『困ったときの陸遜頼み』は健在でな」
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「というか、困ったときにしか頼らないンだから、神が助けないのは当然だろうに。常日頃から、朝晩信心深く祈りを捧げ、安息日には礼拝に赴き、浄財も惜しみなく捧げないと、いざというときでも蜘蛛の糸は伸びてこないって」
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孫皓は賢人への嫉妬から家臣を粛清・弾圧し続けていた。劉備や曹操とはまるで異なるタイプだったワケだ
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曹操は三国時代通じて最高ランク……というか最高の人材で、自分より優れた者がそもそもいなかった。劉備は自分に欠けているものを補える人材に、頭を下げるのをいとわないタイプだった。孫権はそのほぼ中間で、嫉妬不満は口にしつつも人材活用という点では曹操・劉備より柔軟だったとさえ云える、かね
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いろいろツッコミたいものはあるが、まぁそんなところだな。ところが、孫皓はいずれとも異なり、能力のある者に嫉妬し、権力をもって抑圧した。結果、呉では頼れる者がいなくなってしまった、と
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いろいろツッコミたいものはあるが、まぁそんなところだな。ところが、孫皓はいずれとも異なり、能力のある者に嫉妬し、権力をもって抑圧した。結果、呉では頼れる者がいなくなってしまった、と
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そんな奴を相手に、司馬炎がなぜ侵攻に踏み切らなかったのか……は、以前触れた通り賈充たちが反対していたのと、実は、晋の側でも割と問題が続いていたンだ
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「北方域で?」
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「いや、それだけじゃなくて……ちょっとまとめてみるか。晋書武帝紀で確認できる記述だ」
265年 晋王司馬昭(炎の父)没、魏滅亡し晋興る
266年 驃騎将軍王沈(オウチン)没
267年 立太子:司馬炎の子・司馬衷(シバチュウ)が晋の皇太子となる
268年 太保王祥(オウショウ)・皇太后王夫人没、黄河が氾濫、呉軍の侵攻(189回参照)
269年 黄河が氾濫、呉軍の侵攻(189回参照)
270年 万斛堆(ばんかいたい)の戦い(胡烈戦死)
271年 大司馬司馬望・安楽公(もと蜀帝)劉禅没、交州陥落、青山の戦い(牽弘戦死)、匈奴の侵攻(〜272年)
272年 太宰司馬孚没、益州刺史殺害事件(190回参照)、西陵城包囲戦(189回参照)
273年 司徒石苞没、弋陽包囲戦(前回参照)、鮮卑の侵攻
274年 皇后楊氏・後廃帝曹芳没、平州設置、黄河と洛水をつなぐ運河の建設
275年 洛陽で疫病発生(〜276年)、台風とイナゴの害に見舞われる
276年 并州・涼州で戦闘相次ぐ、6月まで雨が降らず、8月には地震と洪水に見舞われる、敦煌で叛乱(年内に鎮圧)
277年 洪水が二度発生、北方には鮮卑、荊州には呉が侵攻
278年 征南大将軍羊祜没、武威の戦い(楊欣戦死)
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「この通り、晋の建国以来、大きいかはともかく小さくは決してないイベントが相次いでいてな。異民族との戦闘は連年、国の重鎮の死はほぼ毎年、呉との戦闘や自然災害も少なくないンだ」
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「改めてまとめると、賈充の発言もあながち的外れじゃないな。これだけ続けば、北が不安で呉に攻め入れん」
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「北だけじゃなくてな。梁州(263年)・秦州(269年)・寧州(271年)が設置されたのを以前見たが、274年の2月には、幽州から五郡を割いて平州が設置されている。271年1月に匈奴が境を越えているンだけど、これを鎮圧できたのは1年後なんだ。ご多分にもれず、西北域のみならず北方域も不安になってきたようでな」
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奴を平定したのが272年。277年には鮮卑・匈奴・東夷の首領20人が部族を挙げて降伏してきたとあり、その辺の対策は功を奏していたワケだ。……まぁ、西北部では鮮卑相手に苦戦していたけどな。禿髪樹機能相手の連敗は云うに及ばず、273年には軍民に5000人の被害が出ている
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「朝廷では、馬隆について『口だけで何もできない奴』との噂が流れていてな。令孤愚の一件が根を張っていたようで、それほどの地位にはなかった。だが司馬炎は『よく云った!』と討虜将軍・武威太守に任命し、望み通りの武器に食糧3年分を持たせて送り出している」
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馬隆が3500の兵で出陣していったモンだから『あんな小勢で何ができる』とか、連絡が途絶えると『アイツはもう死んだンでしょうねー』『いやいや、逃げたンですよー』と云いだす輩がいたくらい。ところが、実際には鮮卑軍を打ち破り、樹機能をも討ち取っていた
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馬隆が3500の兵で出陣していったモンだから『あんな小勢で何ができる』とか、連絡が途絶えると『アイツはもう死んだンでしょうねー』『いやいや、逃げたンですよー』と云いだす輩がいたくらい。ところが、実際には鮮卑軍を打ち破り、樹機能をも討ち取っていた
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【修羅場 婚活】誰が私を幸せにしてくれるの!? 被害妄想バリキャリ婚活女子「医師の彼と結婚でけなかった・・もう誰の結婚の話しも聞きたくないし子供の話しもしないで!」【恋
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「報告が来た頃には12月になっていたが、司馬炎は『お前らを信じていたら秦・涼は取り戻せなかったな』と笑い、恥じた連中がその場から逃げたという。十年近い樹機能との戦いは、ちょっとあっけなく幕を閉じた」
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樹機能がいなければ、晋はもう数年早く賈充の反対を押し切り、陸抗の死の直後には呉に攻め入っていたと考えていい。晋の西北域に陣取って多数の将兵を討ち取り続けたのは、意識はしていなかっただろうけど呉にしてみれば天の助けに等しいからな。特に、生きていれば呉への侵攻に際して有力な戦力足り得た胡烈(コレツ)たちが死んだのは大きい」
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「賈充は『北方が不穏で呉に攻め入るなどもってのほかです!』と主張したが、羊祜は『呉を下し天下を平定してしまえば、北方などどうにでもなりますよ!』と主張している。正直、樹機能がそれくらいで大人しくなるとは思えんので、僕としてはこの意見に限定して賈充に一票入れるが」
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ちなみに、羊祜の妻は夏侯覇の娘だ
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ちなみに、羊祜の妻は夏侯覇の娘だ
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「それこそ王淩の妹(郭淮夫人)も、罪には問われなかったしね」
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もういい加減「ゴリ推し」が世界中から嫌がられてんの気づけよw はづかしーw
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「洛陽に入った羊祜に、司馬炎は、側近の張華(チョウカ)を送って天下を平定する策を尋ねさせている」
「呉では孫皓が非道を繰り返しており、戦わずに勝つことができる。天下を一統し、教育を盛んにすれば、陛下の功績は堯・舜に比肩され、後々の世の規範となろう。いまの好機を逃して、不幸にも孫晧が死に、呉に良き君主が立ったとしたら、たとえ百万の軍であっても長江を越えることはできん!」
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「悔やんでも悔やみきれない、という実例だな。まぁ、羊祜の云う通り、孫皓が皇帝でいられる間なら、呉はどうにでも攻められる。晋が侵攻準備を整えている間、長江の向こうで孫皓自ら、呉を平定させるための努力を繰り広げていたワケだから。もはやわざとやっているようにさえ思えるくらいで」
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「生前に陸抗は『西陵の防御のため、精鋭3万を増強してください』とか『私の軍を8万まで増やしてください』と上奏しているンだけど、孫皓はこれを容れなかった。防御の強化は大事だが、第二の歩闡(ホセン)が現れたらえらいことになるからな。しかも、今度は勝てる武将が呉にいない」
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「いっそ簒奪していれば、呉という国そのものはもっともっと長く続いたように思えるがな」
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「陸抗にはその能力はあっても、その辺の意志がなかったワケだ。というわけで、陸抗の子供たちは、もともと陸抗が率いていた兵を分配して各地の守備にあたっていた。孫子に曰く『前を防げば後が手薄になり、右に備えれば左が手薄になる。全てを守ろうとすれば全てが手薄になる』と」
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「北方では人的にも数的にも防衛ラインが悪化の一途をたどり、南方では郭馬の乱が発生し、後方ではボンクラがアホなことを繰り返していたから、司馬炎はついに侵攻に踏み切った?」
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「もはや賈充が反対していても、呉を滅ぼすのは天の意志と司馬炎は断じた。呉侵攻反対派筆頭格の賈充に指揮を執るよう命じ、本人がまだ北方がどうのとごねる(馬隆の戦勝はこの翌月)と、歴史に残る名文句をのたまっている」
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「お前が行かんなら俺が行く!」
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さようなら。
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