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バクーから帰ってきたら
422
:
:海老九郎
:2017/10/31(火) 14:33:12 ID:wVRvHp2U0
人間や動物には、目や耳があるように、知覚の対象と言われる客観的事実や自然があり、
知覚や思考の主体と言われる自我や心や精神などがあると、思いますか。
18〜20世紀のロマン主義と言われる古い思想は、それらが在ると、確信しましたので、
その主張にもとずき、精神医学や精神科や精神の病気などの産物が、作られました。
最も爛熟したロマン主義の典型は、マルクス主義の唯物論であり、
私たちが文化的に異常と思う精神には、必ず原因となる脳の器質の病変が在ると、予想しました。
しかし、コンピュータが実用化された20世紀後半には、ロマンティックな考え方が間違っていたと、実証されましたから、
精神医学や精神疾患や精神科だけでなく、心や精神や日本国憲法や人格や人権や人情などの考え方は、廃止されるべきなのに、
精神病には原因となる器質的な病変がないとわかり、精神の正常と異常の基準がただの流行文化にすきないとわかった今も、ロマン主義が権力を握っているのは、なぜでしょうか。
目や耳が確かにあると、他人に伝えて共感するには、目や耳とは、どのようなものかを定義しなければ、言葉の意味が他人と違っているかも知れません。
ところが、私たちはコンピュータと同じで、言葉や絵などを、他人や他のコンピュータに伝える方法を知っていますが、目や耳と言われる認識の対象や事実を、他人やコンピュータに伝える方法を知りません。
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