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教育について語ろう21

9泥炭:2021/04/28(水) 12:44:02
Re: 過去ログ 復讐は我にあり
復讐は我にあり (その6〜7) 十字軍


日時: 2015/05/10(日) 22:52:57 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>
(その6) 子供十字軍

  欧米から「イスラム国」に渡った女性はイギリスの或るシンクタンクに依れば先月(旧掲示板3月1日投稿)の段階で既に550人と言います。
./%E2%80%9Dhttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2428142.html%E2%80%9D
でもこれは決して現代特有の現象と言うのではないんですね。 【キリスト教大辞典】を引いてみるとこんな事が書き込まれて居ます。
【子供十字軍】  フランスおよびドイツの少年・少女による十字軍。 第四回十字軍(1202−04)の後、打続く十字軍のみじめな失敗を回復しようとして、1212年に行われた。 フランスから出発した約3万人の少年少女の群れはマルセーユに到着したが、ここで商人に騙されてアフリカに送られ奴隷として売られた。 ドイツからの2万人は、アルプスを越えジュネーブに出たが、ここで思いとどまり帰国の途中、飢えのため殆どが倒れてしまった。
余りの数に疑念が先に立ちますがこの本【キリスト教大辞典】は決していかがわしい本ではありません。 色々な宗教関係の大辞典を沢山出版している教文館の本です。 この社の出版に成る【聖書大辞典】は最近私愛用させていただいていますがとても分かりやすく、公平性もそれなりに心がけて居る様に見えます。  とはいえ、この記事は今から約800年も前の事ですからそれなりの用心は必要でしょうが…..。 それにしても、この子の親たちは暴挙に立ちあがった子供たちを何故止めなかったんでしょうか。 新人物往来社の『十字軍全史』にはこの子供たちの姿が今少し具体的に描き込まれて居ます。

: 十字軍の熱狂は子供たちにまで及んだ。 1212年、フランスのオルレアン近郊の村から、また一足遅れてドイツのライン地方から、6歳から12、13歳の子供達を中心とする集団が十字を掲げ聖地を目指し旅立った。
 1212年6月、フランスの一行の先頭を行くのはエティエンヌと言う12歳の少年だった。 彼はある日、貧しい巡礼者姿のイエスが聖地回復を訴える夢を見たと言う。 彼を信じる一行は、モーセとイスラエルの民の前に海が真っ二つに割れたように、彼らの前でも海は割れ聖地へと辿り着けると信じて居た。
街々を行く一行に続々と賛同者が従い、その数は一説には3万人とさえ語られた。 しかし、暑さや飢餓や盗賊等の危険から死者や脱落者も多く出た。 :

いったい食料や着替えはどうしたんでしょう。 こんな長旅に耐えられるほどの量を持ち運びができたんでしょうか。 旅費の持ち合わせはあったんでしょうか。 6歳の子供までいたなんて。 ああ、ただ当時の都市の中流から下流の家庭の子弟は7,8歳になると徒弟奉公に出されていたんだそうですから、今の6歳とはその心構えは余程違っていたんでしょうけどね。 そしてお話はさらに続きます。

: やがて港町マルセイユへと至るが、海は割れなかった。 多くが聖少年エティエンヌに幻滅し離脱したが、それでも彼のもとにはまだ奇跡を信じる者がいた。そんな彼らの前に二人の商人が近づいたという。 二人は少年達に無料で聖地まで送ろうと話を持ちかけた。 彼らはこの奇跡的な出会いに喜び話に乗ってしまう。 一行は7隻の船に乗せられ出港し、その後の行方は誰も杳として知れず18年の歳月が流れた :

そしてその後の悲惨な運命が判明します……。

一方、ドイツではニコラウスという少年の一行が聖地を目指します。 ニコラウスは天使に聖地回復を要請されたと言います。

: 1212年7月にケルンを出発し、ライン川沿いに諸都市を過ぎ、さらに大人でさえ過酷なアルプスを越える。 ここでも多くの死者や脱落者が出た。 8月、一行は漸く港町ジェノヴァへと辿り着くが、この時も海は割れなかった。 奇跡を夢見、別の海沿いの町ピサへ。 しかしここでも奇跡は起きず一行はローマへ渡った。 教皇インノケンティウス3世に謁見し助力を請うが、教皇はその信心と勇気を褒めるも故郷へ帰る様に説得。 教皇の承認を得られず、ここに彼らの遠征は潰えた。 なおも諦めきれぬとさらに南下しプリンディジへ向かう者もいたが、そこから先へ進めた者はおらず、初冬のアルプス越えが待つ帰途、無事故郷へと帰りつけた者も居ないと言う:

いったい何故教皇はこの子供達を無事に故郷に送り届けるよう手配しなかったんでしょうか。 そもそも十字軍とは教皇の聖地奪回の呼びかけに応じて生まれたものであり、まさか子供達までその呼びかけに呼応し様とは夢想だにしなかっただろうとはいえ、あくまでその熱狂の中から生まれたものなのに、何の責任も取ろうとはしなかったとは。 恐ろしい事です。

確かに聖書は教えて居ます。 [復讐は我にあり、我これを報いん] 、お前は何もするなと。
新約聖書ローマの信徒への手紙第12章 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F45%2F12.htm%230
に曰く:
19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
21 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
またあの復讐の想いに身悶えする 新約聖書ヨハネの黙示録22節章 にさえ:
    /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F66%2F22.htm%230
11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
しかし、教皇は聖地奪回を叫んでしまったのです。


Page: [1]
(その7) 十字軍とは? F, その実態 ( No.5 )


日時: 2015/05/11(月) 16:15:25 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>


何故ウルバヌス2世はキリストの教え[復讐は我にあり、我これを報いん]を無視するかの如く、
聖地奪回の十字軍を呼び掛けてしまったのでしょう。

  教皇がその様な行為に出た動機については既にNo.1482【復讐は我にあり (その7) 十字軍とは? a.その成り立ち】に於いて、新人物往来社【十字軍全史】の分析をお伝えしましが、もう一つ、より教会に好意的と思われる教文館の[キリスト教大事典]を見てみましょう。 そこには次の様に述べられて居ます:

  十字軍には西欧中世封建社会の行きづまりを打破しようとする気運や、東方貿易の利に誘われた事等の世俗的要因が大きく作用している。 また、十字軍を広く西欧キリスト教世界に呼びかけたローマ教皇の胸中には聖地を回復しようとする動機だけではなく、この機会に十字軍税を課する事によって各国の教会に対する課税権を確立しようとする計算、この気運に乗じて教会内の異端を抑圧しようとする策略、東ローマ帝国の救援に応ずることによって東ローマ教会を傘下に収め名実ともに備わったカトリック教会の統一を図ろうとする魂胆が潜んでいた。

ここには、【十字軍全史】の分析と大同小異、どうも教義に対する配慮よりも、欧洲、アジアアフリカ、とりわけその地中海沿岸地帯に普及した教会の統合、政治的システムとしての充足への想いが篤かった様に感じられます。 それは、No.1479【復讐は我にあり (その6)子供十字軍】に於いて引用した、新約聖書ローマの信徒への手紙第12章19−21及び新約聖書ヨハネの黙示録22章11−12 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F66%2F18.htm%230

4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女(泥炭注:バビロンに擬えられたローマ)から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
5 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
6 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
7 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
8 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
9 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
10 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
11−19
20 天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。

 貴方はこれを読んでどの様に感じましたか。 復讐に立ち上がれと言う呼びかけとは感じませんか? その様な解釈は明らかに先に述べた新約聖書ヨハネの黙示録22章11−12等の教えと矛盾します。 しかし、はたしてその解釈は間違っていると言えるのでしょうか。 ジョナサン・カーシュはその著書『聖なる妄想の歴史』において次の様に述べて居ます:

 『黙示録』は、ある意味では復讐の空想である。だがそれは、自分自身を全くの無力者と見做す人間の空想である。ヨハネはローマに対する怒りを沸騰させているが、神御自らが天より降臨してくる敵どもに引導を渡す大いなる日まで、その怨恨を抑えて居る。 ヨハネは言う、終りの時、神は「淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、ご自分の僕(しもべ)たちの流した血の復讐を、彼女になさった」ヨハネは読者に説く、終りの日は近いが、まだ到来して居ない。だからその間、キリスト教徒は座して待たねばならない。――――(略)――――。 ここに書かれた明白な忠告を、『黙示録』読者の中で最も有名な(もしくは悪名高い)人々は見落としたようである。 『黙示録』は時折、少なからぬ人々を覚醒させ、自らを苦難の聖人よりも復讐の天使と同一視させるのだ。 15世紀のサヴォナローラから20世紀のデヴィッド・コレッシュに至るまで、その名簿に名を連ねる人々は多数に上る。

 何故かここには復讐の天使と同一視させた人々として、ローマ教皇ウルバヌス2世或いは十字軍の名が抜けて居ますが、彼らこそそう呼ばれるに最も適した人々と感ずるのは私だけでしょうか。 ともあれ、その十字軍の実態は如何なるものであったのか。『キリスト教大事典』によれば、

 時あたかも教皇権の極盛期に当たり、騎士道またはなやかなりし時でもあり、この聖地回復運動の意気は大いに上がった。 しかし、皮肉な事に、十字軍の結果は、教皇権の衰退、騎士階級の没落の決定的なきっかけをなし、中世社会の結末を促進する事に成った。

とあり、 1096年から1270年までの175年間、前後8回に渡って行われた聖地回復のための公的な遠征についてその概略を次の様に伝えて居ます。

? 1096−1099 1099年にエルサレムを陥落させ、エルサレム王国を建てた。その他にこの遠征の時に、エデッサ伯国(1098)、アンティオキア公国(1098)、トリポリ伯国(1102)が作られ十字軍国家群を形成した。
? 1147−1149 1144年にオデッサがトルコに占領され、エルサレム王国の存在が脅かされたため、フランス王ルイ7世、ドイツのコンラート3世の指揮下に行われたが、ドイツ軍の略奪、その結果生じたフランス軍の食糧補給の杜絶、東ローマの非協力に依って失敗。
? 1189−1192 サラディンが現れ、エルサレムを占領(1187)。 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世、イギリスのリチャード1世、フランスの王フィリップ2世等によって行われたが、フリードリヒの溺死、英仏の確執のため失敗。イギリスのリチャード1世がサラディンと30年間の和約を結んだ。
? 1202−1204 救援すべき東ローマ帝国を逆に撃ち、ラテン帝国をつくった。
? 1217−1221 エジプトに向かい、一時ダミエッタを占領したが、ほどなく奪回された。
? 1228−1229 破門されていた皇帝フリードリヒ2世によって行われ、エレサレム他二市を回復した。
? 1248−1254 フランスのルイ9世(1226−70)が、エジプトに向けて進発、敗走、捕虜と成る。
? 1270 ルイ9世が弟のアンジュ―のシャルルの援助を受けて行う。 ルイはエルサレム入城寸前に、テュニスで病死。 シャルルが交渉に依って十字軍を終結される。

初回の遠征こそ、エルサレムの奪還のみならず4つのキリスト教国をパレスチナとシリアの地に築く輝かしい成功を収めたとはいえ、それらの国家の攻防を巡ってその後の度重なる十字軍蹶起が必要に成ったばかりか、第2回、第3回の十字軍の失敗の後、第4回の十字軍に至っては事もあろうに聖地に赴くはずのものが、東ローマ帝国に対する攻撃、略奪に終わります。 この体たらくを見て蹶起した子供十字軍の悲劇は先にNo.1479【復讐は我にあり (その6)子供十字軍 】に於いて見たとおりであります。
(その7) 十字軍とは? d,旧約聖書のダブルスタンダード ( No.4 )


日時: 2015/05/11(月) 15:03:42 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>
 先に私は十戒の中の【殺すな】と言う戒律とこれに反する申命記の例を引いて、【この手の矛盾は旧約聖書の本質】だと申し上げました。 しかし、これは少し適性を欠いた表現だったかもしれません。 十戒を相手を限定しない普遍的な戒律と考えれば確かにこれと整合しない神の命令が旧約聖書には溢れて居ます。 至る所で神はモーセに【殺せ】と命じています。 しかし、十戒はモーセに率いられていたイスラエルの民に向けての神の啓示、その中の【殺すな】をその同邦は殺すな、【イスラエルの民は殺すな】と限定するならば、先に懸念した矛盾は随分減少します。 また、十戒の中に【あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない】とありますが、民数記31章には神に命じられるままに行った次の様な【略奪行為】が得々として記されて居ます:

民数記31章  /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F04%2F31.htm%230

1 さて主はモーセに言われた、
2 「ミデアンびとにイスラエルの人々のあだを報いなさい。その後、あなたはあなたの民に加えられるであろう」。

(泥炭注:この項は共同訳聖書によれば[あなたの民]の部分は[先祖の列]と成って居ます)

7 彼らは主がモーセに命じられたようにミデアンびとと戦って、その男子をみな殺した。
9 またイスラエルの人々はミデアンの女たちとその子供たちを捕虜にし、その家畜と、羊の群れと、貨財とをことごとく奪い取り、
10 そのすまいのある町々と、その部落とを、ことごとく火で焼いた。
14 モーセは軍勢の将たち、すなわち戦場から帰ってきた千人の長たちと、百人の長たちに対して怒った。
15 モーセは彼らに言った、「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。
16 彼らはバラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ペオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った。
17 それで今、この子供たちのうちの男の子をみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい。

(泥炭注: 男の子の皆殺しは分からぬでもありません。 平清盛はこれができず失敗しました。 男を知った女の皆殺しは何故なんでしょう? 群れを乗っ取ったライオンは子供は皆殺しにしますが、メスはそのまま生かしておいて自分のものにする様ですが、人間の場合はやっぱり殺害されたものに対する情が残って拙いんでしょうか )

31 モーセと祭司エレアザルとは主がモーセに命じられたとおりに行った。
32 そこでその獲物、すなわち、いくさびとたちが奪い取ったものの残りは羊六十七万五千、
33 牛七万二千、
34 ろば六万一千、
35 人三万二千、これはみな男と寝ず、男を知らない女であった。
36 そしてその半分、すなわち戦いに出た者の分は羊三十三万七千五百、
37 主にみつぎとした羊は六百七十五。
38 牛は三万六千、そのうちから主にみつぎとしたものは七十二。
39 ろばは三万五百、そのうちから主にみつぎとしたものは六十一。
40 人は一万六千、そのうちから主にみつぎとしたものは三十二人であった。
41 モーセはそのみつぎを主にささげる物として祭司エレアザルに渡した。主がモーセに命じられたとおりである。
42 モーセが戦いに出た人々とは別にイスラエルの人々に与えた半分、
43 すなわち会衆の受けた半分は羊三十三万七千五百、
44 牛三万六千、
45 ろば三万五百、
46 人一万六千であって、
47 モーセはイスラエルの人々の受けた半分のなかから、人および獣をおのおの五十ごとに一つを取って、主の幕屋の務をするレビびとに与えた。主がモーセに命じられたとおりである。

確かに、ここで殺すべく神が命じて居る対象はイスラエルの民、ユダヤ人ではありません。十戒で殺してはならないとされる対象を同邦に限定するならば、そこに矛盾はありません。 しかしここに描かれているモーセは今日の常識から考えればあまりにも野蛮です、これは神の名に依るジェノサイドと略奪の正当化ではありませんか? そして、処女だけ活かしておいて性の奴隷として皆で分け合う…..。 神にささげられた動物たちや処女達はどうなったんでしょうか? 焼き尽くす生贄に成ったんでしょうか? 処女達も?

勿論、モーセの行った皆殺しはこれだけではありません。 モーセ達はエジプトの地を跳び出して以来何十年も放浪の身です。 何よりも生きて行く大地を手に入れなければなりません。 そしてモーセ達は神の約束の名の下に神の支持に従ってカナンの地を略奪します。 その神の指示とはどんなものであったか、その点については既にこのスレッドの(その7)b.督戦する神に於いて、申命記7章1−5節 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F05%2F7.htm%230

 それもまた神の約束と指示を錦の御旗に掲げて先住民を非情にも滅亡させ、その財を、そして大地を略奪するものでした。 この様な行為を神の命令としてユダヤの民に告げ、実行させたモーセは列聖されて今もユダヤ教徒やキリスト教徒やイスラム教徒に敬われて居ます。 キリストが立ち上がらなければ成らなかった理由は正にそこにあった。 キリストには民族の内と外とを峻別する、ダブルスタンダードのイスラエルの律法が耐えられなかった。 そこで、より普遍性のある形に【神との約束】を改正する事をはかり、その弟子達はユダヤ教団から異端として排斥されて後、この改正された【約束】を新約と呼んだ。 そう言う事では無いのでしょうか。 もちろん、それにしては何故キリストはNo.1488でご紹介した山上の説教であのような事を言われたのでしょうか。

マタイによる福音書第五章 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F40%2F5.htm%230
17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

イエスの存命中はユダヤ教団と別れて新しい教団を造るつもりなどなかった。 だから教団との間でなるべく波風の起きないように革命を粉飾する必要があったと言う事でしょうか。 この点は私の中では今も謎のままに残って居ます。

  それはともあれ、ダブルスタンダードは新約聖書の中では本当に解消されているのでしょうか。 或いはダブルスタンダードは解消されていたとしても、現実を生きる上での手引書として有効なものに成って居るのでしょうか。 水清くして魚住まず、生きていくにはモーセに帰るより他はないなんて事に成っては居ないんでしょうか。 マホメットのコーランにはそんな事を感じさせる部分もありました。 いや実際、十字軍への教皇の呼びかけは寧ろモーセの姿を髣髴とさせます。 いえいえ、これは既に遠い過去と成ってしまった歴史上のお話とばかりも言えません。 IS[イスラム国]指導者バグダディとモーセはどこが違うんでしょう。 ISもまたイスラム教徒ならモーセは聖者の一人として敬って居るはずです。 しかし、バグダディとモーセは三千年余の歳月を隔てて居ます。 その間に私達人類はモーセを超える知恵を積み上げて来たのではなかったのでしょうか。 新約聖書もその一つの試みでした。 あれは、無力だったんでしょうか。今少し十字軍の実態を含め、その辺りの問題を探ってみたいと思います。
(その7)十字軍とは? c.キリストは望んだ ( No.3 )


日時: 2015/05/11(月) 14:14:10 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>
 新約聖書のマタイによる福音書の第5章には【山上の説教】として有名なイエスの言葉が次の様に記(しる)されて居ます。

17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 しかし、その律法とは何なんでしょう。 旧約聖書に書かれて居る事なんでしょうがそれはどの様に理解したら良いんでしょうか。 先の投稿No.1483でも既に指摘しました様に、その旧約聖書の出エジプト記の20章にはシナイ山に於いて神は
【あなたは殺してはならない】
と言われたとあります。 また
【あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない】
ともありました。 これらは所謂モーセの十戒の中の一部です。 ところが、申命記の2章にはモーセが

【彼(ヘシボンの王シホン)のすべての町を取り、そのすべての町の男、女および子供を全く滅ぼして、ひとりをも残さなかった。 ただその家畜は、われわれが取った町々のぶんどり物と共に、われわれが獲て自分の物とした。】

と言うのです。 モーセ自身が言っているのです。 これらの言行は矛盾しては居ないんでしょうか。 いや、この手の矛盾は旧約聖書の本質だとさえ言えます。 至る所にこの手の矛盾が現れます。 旧約聖書の描き出す神は嫉妬深く、狭量で、依怙贔屓が激しく、残虐で、ころころその言説を変えるろくでもなしに見受けられます。 いや、この様に感じるのは私の様な浅薄者の言い分で、宗教心の熱い人々は、これをもって【神の御心は人身を持ってしては計り知れない奥深いもの】だと言うのでしょう。 でもなんだかユダヤ人にばかり都合よく描かれすぎて居る様にも感じるのは私だけでしょうか。 ともあれ、神の御心にかなうものに成る道は決して容易な道ではない様です。 キリストは同じ山上の説教で次の様にも言って居ます。

20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

律法学者やパリサイ人等のユダヤ教の指導者達でさえ、神の御意に叶う様には生きられず天国に入る事が出来ないと言うのです。 【殺してはならない】と言う戒律について如何に理解すべきか、この山上の説教でキリストは次の様に言って居ます。

38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
41 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
42 求める者には与え、借りようとする者を断るな。
43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

これでは、十字軍なんてとても考えられそうにありません。 中世の教会はこの一事をとってもキリストの教えから遠く離れて居たのではないのでしょうか。
しかし、そうであるとするならば、キリストの教えはモーセの教えとは随分と異なったものであると言わねばなりません。 キリストは
【18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである】
と宣言したものの、その志は何であれ、その律法に矛盾した部分があるならば、整合する様に解釈し直さざるを得ません。 キリストは【殺すなかれ】を絶対的な規範としたのでしょう。 しかしユダヤ人にとって、その修正を受け入れる事はカナンの地を【神に与えられたユダヤ人の地】と考える者にとってはその為にカナンの地の先住民たちを滅ぼした自らの歴史を正当化する術を失う大問題です。 私はこの辺りにユダヤ人社会が遂にキリスト教を受け入れなかった本質的な問題があったのではないかと言う気がしてなりません。 これもまたその民族の存在を賭けた歴史認識の問題だったのではないか。 十字軍に対する評価、これを督戦したローマ教会に対する評価も、この問題に対する考え方次第で随分違ったものに成るはずです。 ルターの宗教改革やユダヤ人に対する激しい怒りの源泉にこれらの問題が潜んでいるのかいないのか大いに興味が持たれます。しかし、ルター自身が怒りに身をまかせキリストの教えから逸脱して居る様に思われる部分も存在します。 さらに、新約聖書自体の中にもユダヤ人に対する剣に依る戦いを扇動するかの如き記載がない訳ではありません。 例えば、ヨハネの黙示録の中にそれを感じるのは私だけでしょうか。 そうした点も含めてさらに検討を進めて行きたいと思います。

 ROM者の方々からもご意見を伺えればと思って居ますので宜しくお願いします。 そう、話はあちこち跳ぶようですが、究極的に目指すところは、【復讐は我にあり】と言う言葉を私達がどう受け止めたら良いのか、まさにその一点です。
(その7) 十字軍とは? b.督戦する神 ( No.2 )


日時: 2015/05/11(月) 14:10:32 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>
 そもそも十字軍を決起させ聖地に向かわしめた教皇の力とは何だったのか。信徒から長年かけてかき集めた膨大な資産にものを言わせて動かしたのか。 その可能性もあるかもしれません。

 が、今のところの私の印象としては人々を動かした力は、個々人としてはいろいろ個別の事情もあったんでしょうが、最大公約数、第一義的にはどうも信仰心、或いは神を畏怖する心だった様な気がします。 罪に怯える人々に贖宥の一言が効いたんだと思います。 しかし、信仰心に期待するなら教皇の呼びかけは神の御心に叶うものでなければならないはずです。その神は【復讐は我にあり、我これに報いん】と仰ってます。 それなのに、信者が剣を持って敵に向かう。 そんなことして良いんでしょうか。

 確かに旧約の時代にはそういう事が頻繁にありました。 モーセの所謂一〇戒 (出エジプト記20章3---17節 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F02%2F20.htm%230%29

13 あなたは殺してはならない。

とあり、

17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

ともあります。しかし、申命記第2章 /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F05%2F2.htm%230

34その時、われわれは彼(ヘシボンの王シホン)のすべての町を取り、そのすべての町の男、女および子供を全く滅ぼして、ひとりをも残さなかった。
35 ただその家畜は、われわれが取った町々のぶんどり物と共に、われわれが獲て自分の物とした。

何故そんな残虐な事をしたのでしょうか。 それはそこが神がイスラエルの民に与えた約束の地であったからであり、ヘシボンには既にシホンの民が住んでいたからです。 いかなる侵略も、残虐も神の啓示があれば正当化されると言う事でしょうか。 勿論、イスラエルの民が蛮勇をふるった地はこれのみに留まりません。 その36節には次の様に記されて居ます。

36 アルノンの谷のほとりにあるアロエルおよび谷の中にある町からギレアデに至るまで、われわれが攻めて取れなかった町は一つもなかった。われわれの神、主がことごとくわれわれに渡されたのである。

2000年余の時を隔てて、十字軍の行動はまさにモーセの闘いを復元しているかの如くであるようにも見受けられます。 但し、十字軍が敵視するイスラームの人々もモーセやキリストを聖者として仰ぎ、その教えを尊重する人々であるところが異なります。その点については後日振り返ってみたいと思って居ます。

さらに申命記7章  /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F05%2F7.htm%230

1 あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、
2 すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。
3 また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。
4 それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。
5 むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。

これではまるでモーセの十戒の中で重んじられているのは次の件(くだり)ばかりではないかとさえ感じられます。

 出エジプト記20章  /naniwonokosuka/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.wordplanet.org%2Fjp%2F02%2F20.htm%230

の中の

3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

自覚もしているようですが、まことにねたみ深く、狭量で残酷な神様ではありませんか。 しかし、現在人類の半分程度(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の人々が信じている神様でもあります。 何故この様な神様がそんなに人々を引き付けるのか、その秘密も探り出さねばなりません。

勿論、これは古代の人々が残した民族史または神話であって、現在アブラハムの子孫達、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒達がこれをそのまま現代の行動規範として踏襲しているわけではないでしょう。 その点についてはさらに私達の研究を進めねばなりませんし、今はまだその点について私には何も申し上げられません。 ただ、この様な事が誇りやかに書き込まれている書物が聖書として今なおあがめられている事にいささか寒気を催しているばかりです。

新約聖書では旧約聖書のこの様な恐ろしい側面はどの様に継承され或いは改善されたのでしょうか。 そして十字軍の行動にはどの様に反映されたのでしょうか。

次回はこの点を探ってみたいと思って居ます。
(その7) 十字軍とは? a. その成り立ち ( No.1 )


日時: 2015/05/10(日) 23:02:22 < 59-171-41-212.rev.home.ne.jp >
名前: 泥炭??<hamanasu.kennichi@gmail.com>
 そもそも、打続くみじめな失敗で子供達を決起させた十字軍とは何だったんでしょう。
それはルーム・セルジュークを初めとするトルコ系遊牧部族がアナトリアで勢力を広めつつある1095年3月、脅威に怯えた東ローマ帝国がローマ教皇に傭兵の提供を要請した事に端を発します。 従来コンスタンチノーブルを中心とする東方正教会とローマを中心とするカトリック教会は対立と分裂を繰り返しながらも、そのつど何らかの形で関係は修復されておりました。 しかし1054年の分裂の後は関係の修復はこの時点まだできて居ませんでした。  それ故、この要請を
< 教会統一交渉の好機と教皇が考えたとしても、不思議ではない >
 と先にご紹介した新人物往来社の『十字軍全史』は語ります。 そして、この要請をローマ教皇はエルサレム回復に目的を転化させ、十字軍派遣を提唱することになったのです。  東ローマ帝国の要請をそのままの形で受け入れなかったのは、あくまで宗教上のトップに過ぎないローマ教皇の立場からはさすがに東ローマ帝国とルーム・セルジュークを初めとするトルコ系遊牧部族との間の国取合戦そのものに加担すると言うわけにはいかなかったのでしょうか。 これは泥炭の単なる当て推量です。 要請を受けたカトリック教会はその年の11月クレルモン教会会議を開き、次の様な条項を決議します。
「誰であれ名誉や金銭の入手の為ではなく、ただ信心のみのために神の教会を解放せんとエルサレムへ出発した者には、その旅は全ての贖罪のためとみなさるべし」
そして、会議も終わりに近いころ、教皇は会議場を出て、郊外の広場で群衆を前に演説をします。 世に第一回十字軍の召集演説として知られる演説です。
「トルコ人の侵入により東方のキリスト教徒が苦しんでおり、救援の必要がある。 だから、相互の不正な内戦の代わりにトルコ人に対する正義の闘いを行うべきである。 この遠征に参加したものには、贖宥が与えられる。 この戦いは、神が先導者である。」
従来エルサレムは638年にイスラームの第二正統カリフ、ウマルがエルサレムを征服して以来イスラームの支配するところと成って居ましたが、イスラームはキリスト教の安全と協会の保護を保証して居ました。  ところが11世紀に入ってこの地に中央アジアからトルコ系の遊牧部族がやって来ます。 彼らは10世紀後半頃にセルジュークに率いられアラル海の北方から中央アジアに入り、現在のカザフスタン中央部辺りに定着して遊牧生活を送りながらイスラム教に改宗した末裔です。 そして1070年代以降セルジューク朝は聖地を支配下に収めます。 しかし最近の研究では、彼らが実際にキリスト教を迫害したかどうかは疑問が出されていて、それを主要因とするかつての通説は批判されて居るのだそうです。

 そして『十字軍全史』は < 11世紀はエルサレム巡礼が盛んに成った時代で、東方情勢についての知識が増え、かつてはあまり気にされなかった異教徒に依る支配をことさらに苦痛に感じる様になっただろう > と推測します。
また、 < 在地支配者の統率力欠如や戦乱に依る無秩序が巡礼を困難にし、それが巡礼妨害と受け取られた事もあり得る > 少なくとも教皇の呼び掛けに答えて十字軍に参加した者にとっては、 < 十字軍の目的はトルコからのエルサレム解放であったと思われる > と主張します。

 教皇の【召集演説】の中にある < 相互の不正な内戦の代わりにトルコ人に対する正義の闘いを行うべきである > は < キリスト教徒同士の私闘を停止して、それを外征に転化することにより、西欧に平和を齎そうとする > ものだとあります。
これは現在でも不人気な政権が外に敵を求めて内の団結を期す良く使う手ですね。

 「贖宥」は十字軍に参加すればこれまで犯した罪の償いがで免ぜられ、来世の救済が約束されると言うものですが、< 戦闘と殺戮を日常とする騎士層にとって、来世への不安は大きく、この約束は非常に大きな意味を持っていた > とあります。 しかし、この贖宥こそやがてルターをして宗教改革に立ち上がらせる起爆剤に化して行きます。



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