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ローザ・ルクセンブルクと赤いウーマン・リブ

1名無し同志:2021/10/26(火) 11:48:47 ID:PG2rgG16
強くて美しい、ええ女やわぁ…
https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/12020620/20210611133208541459_b62c0abf99adffdd8efba6b9cd223ac6.jpg

2名無し同志:2021/10/26(火) 11:50:37 ID:PG2rgG16
・マクゴナガル先生のお茶目行動ランキング抜粋
tps://youtu.be/Zs3Iqmk0keA
12. 対アンブリッジとなれば、生徒と先生に垣根はない(女の敵は女どころじゃないw)
9. もし貴方が死んだら(宿題は)提出しなくて結構です
 (一方「不死鳥の騎士団」では、マクゴナガルがトレローニーの権利を守る)
3. 生徒の進路のためなら、毎晩でも勉強に付き合ってくれる(天使か?)
1. この呪文、一度使ってみたかったんですよ♪(権利濫用厨からは出てこない御言葉)

・Yahoo!「超・告白」
tps://youtu.be/zPS8bGcOSLI
山本千尋の武術、そこに迫れる男優も素晴らしい、これぞフェミニズム

・「辛坊の旅」より、インド美少女のマル秘ビックリテクニック!
tps://youtu.be/oXKmI-zR64k
コルカタの娘さんは、縄を時に真っ直ぐ、時にグワングワン揺らしながら前後に進んでいく。
縄の上でサンダルを脱いだり履いたりする、タイヤを転がすこともする(アインラッドではない)。
縄を左右に揺らす時、上体は殆ど動いてない……
お盆に乗って、膝歩きで進む……こういう技を覚えるために、苦労したんだろうな

3名無し同志:2022/10/01(土) 12:40:08 ID:jzz78mf6
王族も大変だね

デンマーク女王、孫4人から「王子」「王女」の称号剥奪 王室スリム化へ
tps://www.afpbb.com/articles/-/3426255?act=all
> 王室は「ヨアキム王子の子孫は2023年1月1日以降、
>モンペザ伯爵(Count of Monpezat)およびモンペザ伯爵夫人(Countess of Monpezat)の称号のみ使用を許され、
>デンマーク王子および王女の称号はなくなる」としている。
> さらに今回の決定について
>「女王は、4人の孫がデンマーク王室に正式に所属することに伴う特別な配慮や義務に縛られることなく、
>自己形成していくためのより広範な枠組みを設けたいと考えている」として、
>「近年、他国の王室がさまざまな方法で進めている同様の方針変更に倣ったもの」だと付け加えている。
(中略)
> アレクサンドラ伯爵夫人は現地紙BTに対し、今回の決定に「ショックを受けた」とコメント。
>「青天のへきれきだ。子どもたちは疎外感を抱いている。なぜ自分のアイデンティティーが奪われるのかを理解できていない」とした。

4名無し同志:2022/10/01(土) 12:41:25 ID:jzz78mf6
マザリネット
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
> 7人の姪たちはパリ宮廷に迎えられた時期もばらばらで、宮廷にやってきた時の年齢は7歳から13歳と、いずれも幼い少女のときだった。
>マザランが彼女たちを呼び寄せたのには、いくつかの理由があった。
>まず、マザランは信用出来ないフランスの貴族や宮廷人たちばかりに囲まれて暮らす生活に、精神的に疲弊していた。
>家族に囲まれて安心して暮らし、秘密を打ち明ける相手が必要だったのである。
> 2つ目の理由として、自分の甥や姪たちを利用して、フランスの社会・文化における自らの足跡をより強固に遺したいとの考えがあった。
>聖職者だった彼は嫡出子を持つことは出来ず、従って自らがフランスで築いた地位と威信を受け継ぐ血縁者は甥と姪だけだったのである。
> 姪たちはパリ宮廷に来ると、ルイ14世の母親アンヌ・ドートリッシュが住まう翼に引き取られて養育された。
>アンヌ王太后は何人かの娘たちに、パレ・ロワイヤルでルイ14世やその弟のオルレアン公(ムッシュー)と一緒に勉強することを許した。
>アンヌは寵愛の証として、マザランの姪たちを「プランセス・デュ・サン(Princesse du sang, フランス王族の娘たち)」と同じように扱った。
(中略)
>"Voil��� des petites demoiselles qui pr���sentement ne sont point riches,
>mais qui bient���t auront de beaux ch���teaux, de bonnes rentes, de belles pierreries,
>de bonne vaisselle d'argent, et peut-���tre de grandes dignit���s […]"
>「この令嬢たちは今でこそ金持ちではありませんが、すぐに華美な城の主となり、結構な収入や貴重な宝石、
>たくさんの銀製の皿、そしておそらく高貴な身分を手に入れることでしょう[…]」
>マザリネットたちはその容姿でもパリの人々の間で興奮を呼び起こした。
>青白い肌とふくよかな体型が理想的な美貌と捉えられていた当時のフランスにおいて、
>彼女たちのイタリア人に典型的な浅黒い肌と細い体型は、人々の注目を集めた。
>フロンドの乱(1648年 - 1653年)の際にマザランを中傷するために書かれたマザリナードと呼ばれる風刺文やパンフレット類の中で、
>マザランの姪たちは「煤けた姫君」だとか「悪臭を放つ蛇ども」などと罵られている。
> マザリネットたちは、庇護者たる伯父のマザラン枢機卿の政治的な浮沈にその生活を大きく左右された。
>フロンドの乱の最中は、2度もパリを離れることを余儀なくされた。
>しかし乱が終息した後は、マザランは姪たちに高貴な花婿を用意し、贅沢な結婚披露宴を主宰することで、彼女たちに何不自由のない生活を保証した。

メダム(Mesdames)とは、一般的にはフランス語で成人女性への敬称であるマダムの複数形であるが、
18世紀の欧州においては、フランス王ルイ15世の娘たちを指す呼称として使われた。
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%A0
> フランスの宮廷儀礼においては、血統親王(プランス・デュ・サン)や貴族の未婚の娘はいかに高貴な生まれでも「ドモワゼル(Demoiselles)」と称したのに対し、
>フランス王の嫡出の女子、いわゆる「フィーユ・ド・フランス(フランスの娘)」はより高位の「ダーム(Dame)」と称する特権を生まれながらに認められていた。
> それゆえフィーユ・ド・フランスは、マダムの敬称の後に、自分の洗礼名を名乗るか、
>何らかの称号を所有していればその称号を名乗るかした。
>これはフィーユ・ド・フランスのうち、最年長の者を除いて全員に共通する慣例だった。
> 最年長の者だけは洗礼名を付け加える必要が無く、単に「マダム(Madame)」と言えば彼女のことを指す慣わしになっていた。
>一方で、(ルイ15世時代にはいなかったが)国王の最年長の弟の妻も、単に「マダム」とだけ称する慣例であったため、
>重複を避けるべく、王の未婚の娘のうちの最年長者は、「マダム・ロワイヤル(王家のマダム)」と呼ばれたり、
>ルイ14世時代は「ラ・プティット・マダム(la Petite Madame、小さなマダム)」、
>ルイ16世時代は「マダム・フィーユ・ド・ロワ(Madame Fille du Roi、王の娘たるマダム)」と称したりした。

5名無し同志:2022/10/02(日) 12:04:37 ID:FSgBp/Z.
世情は不安よな

ニコライ2世お気に入りの歌手はいかにしてソ連のスパイになったか
tps://jp.rbth.com/history/86313-nikolai-2-sei-no-o-ki-ni-iri-kasyu-ika-ni-soren-spy-ni-natta
> 「彼女は、そのロシア的な美しさと際立った才能で、君主からその臣民まで、一人残らず恍惚とさせた」
> ――画家アレクサンドル・ベヌアは、20世紀初めのロシア帝国で最も高い人気を誇った歌手の一人、
>ナデジダ・ワシリエヴナ・プレヴィツカヤについてこう語っている。
> ボヘミアンな生活を謳歌し、皇帝ニコライ2世を含むファン集団の愛と歓喜をほしいままにしていた彼女は、
>やがて自分が諜報や誘拐に関わることになるとは想像もしていなかっただろう。
(中略) ナデジダ・ワシリエヴナのキスロヴォツクでのコンサートを訪れた演劇評論家
>アレクサンドル・クーゲリは、この時彼を襲った感情をこう表現している。
>「プレヴィツカヤが歌い出すと、周囲が突然爽やかになり、野の風が吹き、熟したライ麦の香りがし、
> ヤグルマギクが青みを深め、大地が胸いっぱいに息をしているように思われた。
> 聴いていて泣きそうになった」。
(中略) 第一次世界大戦の際、「クルスクのナイチンゲール」(皇帝が彼女をこう呼んだ)は前線に向かい、
>野戦病院の衛生係として働き、兵士の前で慈善コンサートを行って彼らの士気を高めた。
>その献身的な仕事ぶりが評価され、プレヴィツカヤは聖アンナ勲章を受章した。
(中略) モスクワから「フェルメル」と「フェルメルシャ」(いずれも「農場経営者」の意)のコードネームを与えられた将軍夫妻は、
>新たな庇護者から気前の良い報酬を得て、ROVS(ロシア全軍連合)の活動に関する貴重な情報を7年間ソ連に提供し続けた。
>彼らの働きにより、チェーカー職員はソ連の組織に潜入していた17人のスパイを無力化し、
>モスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)、南コーカサスの11のアジトを発見することができた。��
(中略) フランスがドイツ軍に占領された際、歌手はレンヌという街で刑期を過ごしていた。
>1940年10月1日、彼女は56歳で突然死去した。彼女の素性を徹底的に調べ上げたナチスが関与した可能性がある。

6名無し同志:2022/10/02(日) 12:06:07 ID:FSgBp/Z.
川島芳子
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E8%8A%B3%E5%AD%90
> 字の「東珍」は、日本へ養女にだす際に、東洋の珍客として可愛がられるようにとの願いをこめて粛親王がつけたもの。
>また漢名の金璧輝は兄金壁東からとったもので、当初は壁だったが、後に芳子本人が璧を用いるようになった。
>(金壁東の「壁」は「東方の防塁」となれという意味を込めて粛親王がつけたもの)。
(中略) やがて粛親王が復辟運動のために日本政府との交渉人として川島を指定すると、
>彼の身分を補完し両者の密接な関係を示す目的で、顯��は川島の養女とされ芳子という日本名が付けられた。
>顯��を養子に出す際に粛親王は川島に宛てて「君に玩具を進呈する」との手紙を送っている。
> 1915年に来日した芳子は当初東京赤羽の川島家から豊島師範附属小学校に通い、卒業後は跡見女学校に進学した。
>やがて川島の転居にともない長野県松本市の浅間温泉に移住し、松本高等女学校(現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校)に聴講生として通学した。
>陸軍松本連隊の山家亨少尉と恋仲になる。松本高等女学校へは毎日自宅から馬に乗って通学したという。
(中略) 17歳でピストル自殺未遂事件を起こした後、断髪し男装するようになった。
>断髪した直後に、女を捨てるという決意文書をしたため、それが日本の新聞に掲載された。
>芳子の断髪・男装はマスコミに広く取り上げられ、本人のもとへ取材記者なども訪れるようになり、"男装の麗人"とまで呼ばれるようになった。
> 芳子の端正な顔立ちや、清朝皇室出身という血筋といった属性は高い関心を呼び、
>芳子の真似をして断髪する女性が現れたり、ファンになった女子が押しかけてくるなど、
>マスコミが産んだ新しいタイプのアイドルとして、当時の日本でちょっとした社会現象を巻き起こした。
(中略) 1932年3月に、関東軍が溥儀を執政として満洲国を樹立させると、芳子は新京に置かれた宮廷での女官長に任命されるが、実際に就任することはなかった。
>同年に芳子をモデルにした村松梢風の小説である『男装の麗人』が発表され、芳子は「日本軍に協力する清朝王女」としてマスコミの注目を浴びるようになる。
(中略) 芳子は東興楼時代に知人の紹介で知り合った李香蘭を実の妹のように可愛がり、
>「ヨコちゃん(芳子がつけた李香蘭の愛称。李香蘭の本名の読みが同じ「よしこ」であったため)」「お兄ちゃん」と呼び合うほど親しい間柄となった。
>しかししばらく後に、芳子の悪評を耳にした李香蘭の関係者が東興楼への出入りを禁じたため、芳子と李香蘭の間に交流があったのはごく短い期間であった。
> これについて李香蘭は自著の中で、軽い気持ちで東興楼へ足を運んだところマネージャーに厳しく叱られ、
>そしてある時期を境に芳子もよそよそしい態度を取るようになり、会いにくくなったと述べている。
>その後、李香蘭の元へ芳子から直筆の手紙が届き、そこには
>「ヨコちゃん、すっかり君も大スターになったな。もう君と会うことは無いだろう。君は自分の好きなこと、信じることだけをやりなさい」
>「僕のようになってはいけない。今の僕を見てみろ。利用されるだけされて、ゴミのように捨てられる人間がここにいる」
>と記されていたという。
>李香蘭は「普段の芳子はプライドが高い厳格な人物であり、心の中にある本音を語るにはこうした方法(手紙)をとるしか無かったのではないか」と述懐している。

7名無し同志:2022/12/03(土) 12:27:06 ID:I.coEkP6
ウグイス嬢二重報酬をめぐる選挙の「商慣行」
tps://webronza.asahi.com/politics/articles/2019110100008.html
> 当事者たちに法を犯している認識が欠如しているのは、同様ケースで稀に逮捕される人が出ても基本的には「落選者」と相場が決まっているからだ。
>権力に近い側にいるものが捕まるわけはないという思い込みも含めて、もしも捕まるようなことがあったら「運が悪かった」で済ませてしまう。
>「駐車禁止」と同じような感覚でとらえられていた向きがある。まさか、この程度で自分たちが窮地に立たされることなどあるはずがない。だからこそ「驚いている」のて��ある。
> 公職選挙法では車上運動員、いわゆるウグイス嬢や事務員、手話通訳者や要約筆記者に対する報酬と人数の上限を決めている。
>これには資金力のある候補が一方的に有利にならないよう抑止の意味もある。
(中略) ウグイス嬢は後援者や知り合いのつてで依頼する場合もあるが、通常アナウンススクールや結婚式の司会業等を主な業務とするイベント会社等と契約し派遣してもらうことが多い。
>また過去の選挙で候補者と相性が良かったり、上手との評価を得たウグイスに個別に声をかけることもある。
>総選挙ともなると技術力の高いウグイスは引っ張りだことなり、ウグイス嬢の争奪戦が起こる。
>衆議院の場合、解散の雰囲気が出てきたところて��最初にすることは何をおいてもウグイス嬢の確保というのが大抵の事務所の行動パターンである。
> さらにこの問題をややこしくしているのは、仕事を受けるほうのウグイス嬢を派遣する会社やベテランウグイスの中も、
>法定費用内ではやらないのが「プロ」のプライドとなっている場合があるということだ。
>結果、報酬が釣り上がり、その値段以下であれば受けないと言われてしまったら候補者たちは裏取引だとわかりながらも「言い値で契約するしかない」(ベテラン議員)という。
>報酬の額とパフォーマンスが比例し、当選に貢献していると実感もしているからこそ、候補者たちは法外での支払いを是認するのである。

バナナ食べる少女の広告、「無神経」だったと謝罪 独アウディ
tps://www-bbc-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.bbc.com/japanese/53659686.amp?amp_gsa=1&amp_js_v=a9&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#amp_ct=1670037390710&amp_tf=%251%24s%20%E3%82%88%E3%82%8A&aoh=16700373864411&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&ampshare=https%3A%2F%2Fwww.bbc.com%2Fjapanese%2F53659686 
>「アウディRS4は家族向けの車で、緊急ブレーキシステムを含む30以上の運転支援システムを搭載している。そのため、このキャンペーンのために様々な家族の一員を登場させた」
>続けて、「このような無神経な画像を使用したことを心からおわびし、今後は使用されないよう徹底する。
>また、このキャンペーンがどのように作られたのか、そしてこの件について管理体制に問題はなかったか、直ちに社内で調査する」と書いた。
(批判) この広告に対しては、子どもが車のフロントグリルにもたれかかっていると、運転手から子どもの姿は確認できないだろうとの指摘も上がっていた。
>また、バナナやスポーツカーは男性の欲望の象徴とみられることが多いことから、性的なものを連想させるものだとの批判もあった。
>この広告には英語で、「あなたの胸をさらに高鳴らそう。あらゆる側面で」とのスローガンが付けられている。

紫微中台
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BE%AE%E4%B8%AD%E5%8F%B0
> 皇太后の家政機関という体裁をとっていたが、実態は光明皇太后の信任を得た藤原仲麻呂指揮下の政治・軍事機関だった。
>後に坤宮官(こんぐうかん)に改称。長官は紫微令(しびれい)、後に紫微内相(しびないしょう)。
> その名は唐の玄宗皇帝の時代に中書省を改称した紫微省と則天武后の執政時代に尚書省を改称した中台に由来するもので、
>単なる家政機関にとどまらない太政官とは別個の国政機関を意図した改称であり、皇太后の命令(令旨)を施行し兵権を発動する権能を持った。
>長官の紫微令には、皇太后の甥の大納言藤原仲麻呂が任じられ、中衛大将も兼務した。
>当時、皇太后の異父兄橘諸兄が左大臣、甥藤原豊成(仲麻呂の兄)が右大臣にあって太政官を統括していたが、皇太后の信任はむしろ学才に優れて中国の制度・文物に通じる仲麻呂に向けられた。

8名無し同志:2022/12/04(日) 14:17:05 ID:/aDVLfyE
反逆者(ハーイン)の末路 (愛と欲望のハレム#37)
tps://www.videx.jp/detail/dorama/v_d_ryosenmytheater/dmyc0026_0037/index.htm
> イブラヒムの屋敷で密会したヒュッレムとレオは互いに心情を語る。
>トプカプ宮殿では後宮女官長ニギャールがマヒデブラン妃から、ヒュッレムの行動を報告しなければ殺す、と脅されていた。
>一方、アフメト討伐の命を受けてエジプトへ向かっていたイブラヒムは、密使カドゥザーデから思わぬ書簡を受け取る。
>マヒデブラン妃はスレイマン皇帝とムスタファ皇子の狩りに同行することを楽しみにしていたが…。

アエリータ (映画)
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
> アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイのSF小説『『火星にいった地球人(原題はAelita)』の映画化で、監督はヤーコフ・プロタザノフ。
>レニングラードで上映された際にはドミートリイ・ショスタコーヴィチがピアノ伴奏した。
(あらすじ) 革命後の1921年のモスクワにおいて、人々は慎ましい生活を送っていた。
>ある日、無線技師のロッシは「Anta Odeli Uta」という謎のメッセージを受信。ロッシはそれが火星から送られてきたもの信じ、火星のことばかり夢想するようになる。
>一方、現実社会では妻ナターシャの浮気に頭を痛め、とうとう妻を射殺してしまう。ロッシは宇宙船で火星に逃亡、女王アエリータと恋に落ちる。
(影響) 宇宙旅行を題材とした古典のひとつ。
>特筆すべきは、Isaac RabinovichとViktor Simovによる火星のセットと、アレクサンドラ・エクステルによる衣装デザインで、どちらもロシア構成主義を体現している。
>これらは後の映画、たとえば、『フラッシュ・ゴードン』シリーズやフリッツ・ラングの『メトロポリス』と『月世界の女』、近年では『リキッド・スカイ』などに影響を与えている。

イスラエルの砂漠でマリリン・モンローに激似なミミズクが発見された
tp://netgeek.biz/archives/56280
> 砂漠の極度の乾燥の中、羽毛が擦れたのが原因だろう。そして、突風が吹いてミミズクのとても綺麗な脚があらわに。しかし、今回注目しているのは、そこではない。
>この写真を見て、あのシーンを思い出さないだろうか。
>似ているとされるマリリン・モンローの写真はこちら。そういえば、さっきのミミズクとそっくりだ!!!
> そう、これは1955年公開の「七年目の浮気」で地下鉄の通気口に立ったマリリン・モンローが風で巻き上ったスカートを必死に押さえる有名なワンシーンだ。
>映画は観たことはなくても、このシーンだけは知っているという方も多いのではないだろうか。
>確かに、突風で綺麗な脚が露出するという点では先ほどのミミズクと一致している。

9名無し同志:2023/02/19(日) 17:45:16 ID:F1hg8f96
美女塚
https://www.nagasaki-tabinet.com/islands/spot/785
>『昔、豆酘に鶴王という美しい娘が住んでいました。
> 賢く親孝行な彼女は、あるとき采女として都へ召喚されることになりました。
> 年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都へ上る日、この場所で自らの命を絶ちました。
>「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように・・・」
> このような言葉を残して世を去りました。』
> 采女というのは、古代天皇の宮廷に、地方豪族の娘が出仕したものです。
>制度として確立したのは大化改新の時ですが、それ以前から慣行としてあったようです。

10名無し同志:2023/05/09(火) 17:58:40 ID:LtGW3GNU
香港の故宮博物館で「カルティエ」の特別展「百樣玲瓏ーCARTIER AND WOMEN」
https://hongkong.keizai.biz/headline/2047/
> 特に中国美術がデザイン、スタイル、装飾モチーフ、技術、素材においてカルティエにどのようなインスピレーションを与えたか、
>中国の美学が女性のライフスタイルや世界のファッション全般にどのような影響を与えたかに焦点を当てた。
>例えば、1928年製の中国式バニティーケースは、ルイ・カルティエ(1895-1952)夫妻のコレクションから康熙帝時代の磁器皿を紹介するもの。
>陰陽のシンボルをあしらったカルティエ初のペンダントは1919年に制作され、
>このモチーフは中国で古くから伝わる哲学と宗教である道教からインスピレーションを得ている影響を知ることができる。
(中略) 大胆さ、独立、権力の象徴として生まれた「パンテール」は、それ以来、カルティエを代表するモチーフとなった。
>トゥーサンは、ジュエリーデザインを通じて女性の権限に大きな力を発揮しただけでなく、
>「女性らしさ」「自由奔放さ」「自立心」を特徴とする新しい自由な姿勢を体現した。
>彼女の作品を通じて、他の女性たちがジュエリーを「外見的な美しさを引き立てるだけでなく、個性を表現するためのもの」と認識するようになった。

オマケ
ムラーノグラスの花瓶等
https://chisa.jp/?utm_source=google&utm_medium=cpc_find&utm_campaign=ad20220616&gclid=Cj0KCQjw3a2iBhCFARIsAD4jQB1JmGbt-dccQP-fVPRlCfsS193kqWmVBKA65eZ4cA4IoNZD0Z04fUoaAnKaEALw_wcB
> 「美しさを、育てる」をテーマに、
>美意識、感性に働きかけるようなムラーノガラス、ヴィンテージ・コスチュームジュエリーをご紹介しています。

11名無し同志:2023/06/24(土) 09:15:19 ID:j5HOpmb2
で、本当に女性問題は解決したんですかね?

ボリシェヴィキが宣伝したフェミニズム
https://jp.rbth.com/history/87605-soren-feminizumu-josei
> レーニンは、私有財産のあるブルジョワ国家では、
>「世界中のどの国でも、いかなる先進的な国でも女性の権利は真に対等たり得ない」
>と考えていた。偉大なフランス革命でさえこの課題を解決できず、
>「法的に男性と同等の権利も与えられず、男性による後見と迫害から解放できなかった」
>とした。

「2人選べ」と強要し連れ去り・母子ともに被害…ロシア占拠下の性暴力、見通せぬ全容
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220605-OYT1T50226/
> しばらく後、兵士が連れ去った女性の一人を地下室に投げ入れた。女性は髪も衣服も汚れ、顔に殴られた痕があった。
>その後、女性は数日間、地下室で他の住民と一緒に過ごしたが、��憔悴しょうすい��し、何も言葉を発しなかったという。
>もう一人の女性は行方不明のままだ。
> 母親が子供の目の前で被害に遭った事例も少なくとも4件報告されている。
>ある事例では、母親が娘の前で、その後に娘が母親の前で被害に遭った。

DVに悩むロシアの女性、男性優越の壁壊せるか
https://www.tokyo-np.co.jp/article/77974
> ロシアでDV被害が絶えないのは「(男が女を)殴るのは愛の証し」ということわざがあるように、男性優越の考えが背景にある。
>妻はぶたれても「愛ゆえの行為」と自分に言い聞かせ、周囲も「家族の中の問題だから」と、暴力を止められないという。
> こうした風潮に加え、プーチン政権が保守色を強めていることも問題視されている。
>2017年にはDVに対する罰則が軽減され、家族への暴力について、
>初犯で大けがを負わせていなければ、最大でも3万ルーブル(約4万3000円)の罰金刑で済むようになった。
(中略) 「ぶたれた女性が、恥じるような文化をまず変えなければ」。
>アンナは意識改革が必要との思いから、テレビ局と連携して啓発動画や、Tシャツなどのグッズをつくっている。
>グッズに刻まれた標語は「暴力を振るうのではなく、愛し合おう」だ。

ロシア連邦:雇用差別と闘う女性航海士
https://www.amnesty.or.jp/news/2017/0909_7045.html
> ロシアの差別的な労働法は、列車の運転手、大工、トラック運転手、潜水士などの職種から女性を締め出してきた。
>女性に認めない専門職の数は、今では38業界、456種類にものぼる。
>いずれも、女性の健康、特に性と生殖の健康に「危険」、「有害」、「困難」だとしている。

12名無し同志:2023/11/11(土) 11:25:27 ID:pZ60J41U
1周回って、今でもイケる気がする
(まぁ流行りとか知らんけど)

中条あやみ、1970年大阪万博の制服で御堂筋かっ歩「途中で息ができなくなっちゃった」御堂筋ランウェイ
tps://hochi.news/articles/20231103-OHT1T51149.html?page=1
> この日の司会はテレビのトーク番組で長く司会を一緒に務めた今田耕司。
>今田は中条の魅力を
>「見た目とのギャップ。奇麗で近づけないけど、大阪の普通の女の子。びっくりするほどよくしゃべる。芸能界で一番仲がいいんです」
>と自慢気に話した。

おまけ
ウガンダ発のライフスタイルブランドRICCI EVERYDAYの代表である仲本千津さんが題材の書籍が予約販売中!
tps://afri-quest.com/archives/29192
> 製品はウガンダの直営工房において、現地の女性たちの手仕事により作られています。
>工房ではシングルマザーをはじめ、社会的に疎外されがちな女性たちを積極的に採用することで、
>彼女たちの自信と誇りを醸成する機会を創出してきました。

StealthWealth
tps://www.google.com/amp/s/blog.tsushin.tv/ug/2010/01/12/713/
> プラダのナイロンバッグは、(結局は大衆化したのだけど)何の華やかさもない黒いナイロン地でありながら、
>実は軍用テント素材という丈夫さにこだわったものであり、かつプラダという一流ブランドのものであるということで、大流行しました。
> プラダを知らない人には、地味なナイロンバッグですが、知る人にはそれが高級品であることがわかり、
>それを密やかに主張したいという、見栄と謙虚を包含した点が大ヒット理由であるという分析がありました。
(中略) 江戸時代などでは「粋(イキ)」という概念がありましたが、そういうものに近いようです。
> ところでStealthWealthって、隠した豊かさという意味っぽいけれど、実際にはチラ見せの愉悦という感じでしょうか。
>なんだかんだで見えるようにできているんですから。

「奇抜」「露出度高すぎ」����パリコレクションで大注目された、過激なウェデイングドレスとは
tps://news.yahoo.co.jp/articles/361a6d4c0c0b32f8f2d09887ee36cd01d83f201c
> 最初の装いから、伝統は排除され、新婦の解放的なビジョンが浮かび上がる
>:傘のようなコルセット、丸いフレームスカート風のトレーン、
>逆さまのひだスカートが髪飾りの代わりとなり、さらには顔を隠す役割を果たしている......。
> サテン、レース、刺繍:ウェディングドレスの伝統的なコードはそのままに、再構築されている。
>このように、ストーンが生地の代わりとなり、ヴェールはワイドパンツに組み合わされ、花はドレスに直接縫い付けられている。
>『素晴らしい』、『完全に狂っている』などX(旧Twitter)のインターネットユーザーの反応は、このブランドが注目を集める方法を知っていることを証明している。

13名無し同志:2024/01/17(水) 17:29:30 ID:mDgO1wqM
色んな街が湿地から出発したのだな、と

ラヴェンナ
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8A
> ラヴェンナは、湿地帯の潟の中にある小島群上に、堆積物を基礎として建てた家から構成された。
>数世紀後にできたヴェネツィアと成り立ちが似ている。
>ローマ人はポー川デルタ地帯を征服した間に、のちにラヴェンナとなる定住地を無視した。
>しかし、紀元前89年に連邦制の町として共和政ローマの中に受け入れた。
> ラヴェンナは、ローマ支配下で大いに繁栄した。トラヤヌス帝は2世紀初頭、70kmの長さのローマ水道を建設した。
>402年、ホノリウス帝は西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナへ遷都した。遷都には、第一に防衛目的があった。
>ラヴェンナは泥沢地と湿地に囲まれ、そして東ローマ帝国の軍との行き来に安心であった。
>しかし409年、西ゴート王アラリック1世は簡単にラヴェンナを迂回し、ローマへ向かって略奪をし(ローマ略奪)、
>人質としてテオドシウス1世の皇女ガッラ・プラキディアを連れてきた。
(建築) 6世紀末からの急速な衰退と、その後ラヴェンナが重要な都市にはならなかったことによって、
>市内および郊外には、西ローマ、東ゴート王国および東ローマ帝国の文化遺産が点在する。
(再開発) 1636年5月、市はすさまじい洪水で被害を受けた。
>続く3世紀以上、運河網が近くの河川の流れを変え、湿地を干拓した。
>洪水の発生する可能性が減り、市の周りに広大な農業用のベルト地帯がつくられた。
<ガッラ・プラキディア廟堂の天井モザイク

ルテティア・パリシオルム (Lutetia Parisiorum, パリシイ族の沼沢地)
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
>「ルテティア」はラテン語のルトゥム (lutum, 泥) から造られた地名である。
> 紀元前3世紀、この地域に定住したガリア人のパリシイ族は、
>ルテティアの地に主要定住地またはオッピドゥム (oppidum, 城壁町) を作った。
(4世紀) 同じころ、新しく要塞(シャトレ)ができたシテ島に人口が集中するにしたがい、
>公衆浴場や劇場、円形闘技場(アレーヌ・ド・リュテス)のあったセーヌ川左岸地区は次第に見捨てられるようになった。
>紀元4世紀には劇場の解体が始まった。
<フリギダリウム(frigidarium、冷浴室)とカルダリウム (caldarium, 高温浴室)

城を作っては濁流で流される、どこも同じか

14名無し同志:2024/01/17(水) 17:44:25 ID:mDgO1wqM
さて平安大河も始まったことなので、各国との比較でも

ロシアにおける「美人」:女性美の基準の歴史的変遷は
tps://jp.rbth.com/history/88663-roshia-josei-utsukushisa-joseibi-kijun
> 「女性は中背で、概して美しく体格が良く、顔も体つきも柔らかみがある」。
>1630年代に、数学者、地理学者で旅行家のアダム・オレアリウスはこう書いている。
> 農村の女性の生活は、過酷な肉体労働に満ちており、それは、並外れた強靭さを必要とした。
>そこで、美の理想は「ふくよかさ」、つまり子孫を残す能力だと考えられていた。
> 「女性美の基準は、滑らかな歩き方、穏やかな眼差し、
> 高い身長、豊かな髪、ふくよかさ、丸み、そして血色の良さだ」。
>20世紀初めにテニシェフ公爵は、ウラジーミル県(現在はウラジーミル州)の農民女性についてこう書いている。
(纏足かな?) 「高い靴を履いて、静々と滑らかに歩く。そのため、速く走ったり歩いたりすることができない」。
<ジナイーダ・セレブリャコワ「化粧台にて。自画像」1909年
> 寒い季節には、特別にバーニャを焚くことなく、少し冷えたペチカ(暖炉)の中で体を洗えた。
>灰汁(あく〈*灰を水に浸してできた、アルカリ性の上澄み液〉)は、
>当時すでに、衣類を洗濯したり身体を洗うのに使われていた。
(エカチェリーナ2世) この女帝の治世にロシアを訪れたアイルランド人女性マーサ・ウィルモットは次のように書いている。
>「毎朝、グラスほどの厚さの氷の板を私のところに持ってきた。
> 私は、“本物のロシア人女性”のようにそれを頬にこすりつけた。
> そうすれば顔色が良くなると、人々は請け合った」
> 女性たちは入念に髪の手入れをした。
>つまり、サワーミルクや煮沸したクワス(黒パンでつくった清涼飲料水)
>で髪を洗い、イラクサやカモミールを煎じた液ですすいだ。
>これに関連して重要なのは、貴族の女性の髪が帽子に隠されてまったく見えなかったことだ。
>夫だけが妻の髪の美しさを嘆賞し、それをとかす権利ももっていた。

おまけ
スキンケアの極意 あなたの肌が本当に必要とする、たった3つの製品
tps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/063000338/?ST=m_news
> 皮膚は体における最大の器官であり、健康で清潔に保ちたいと考えるのが当然だろう。
>さらに、虚栄心も強力なモチベーションになる。
>人は他人の皮膚を分析し、健康状態(と魅力)を判断するように進化してきたのかもしれない。
> そんな思いはビジネスとなり、活況を呈している。世界のスキンケア産業の市場規模は
>2018年に1339億ドル(約20兆円)になり、2026年までには2002億5000万ドル(約29兆円)に達すると予測されている。
(中略) 「皮膚のバリア機能」は皮膚細胞とそれを取り囲んでつなぐ
>タンパク質と脂質の連結システムで構成されている。
>この壁は有害化学物質のような刺激物であれ、細菌のような病原体であれ、
>外部からの脅威に対する防御の第一線としての役割を果たす。
>「レンガが皮膚細胞だとしたら、モルタルはタンパク質と脂質でできた皮膚のバリア機能に当たります」
>と米イエール大学医学部の皮膚科臨床学准教授であるモナ・ゴハラ氏は説明する。

お洒落メイクHairArrange��(まひろ違い)

15名無し同志:2024/01/23(火) 21:44:32 ID:lweuff8Q
ウクライナ戦争の余波もあってか、直ぐには支配されないという在り方に好感を覚える

セレール族
tps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%97%8F
> セレール族は森羅万象にローグ(原義は『空』を意味する) と呼ばれる神を信じ、伝統的に熱心な宗教行事を生活のあらゆる場面で行ってきた。
>セレール族は他の民族と比較して外国からの宗教に抵抗した民族であり、イスラム化が最も遅かった民族である。それゆえ、現在、多くがカトリックを信仰している。
>最も有名なセレール族であるセネガル共和国初代大統領レオポルド・セダール・サンゴール(L���opold S���dar Senghor)もカトリック信者であった。
(サルーム・デルタ) 西アフリカ屈指の野鳥の繁殖地になっており、敷地の一部がサルーム・デルタ国立公園やラムサール条約登録地を含む生物圏保護区となっている。
>それと同時に、数千年にわたって漁撈採集を営んできた人々が作り上げた(島のような)巨大な貝塚群が独特の文化的景観を形成している地域でもあり、
>2011年にはそれが評価されてユネスコの世界遺産リストに文化遺産として登録された。
> デルタ内には低湿地帯が広がるが、もともとセネガルの国土の大半は起伏に乏しい低地帯であり、デルタ周囲にも山岳地帯などはない。
>このため、河川の淡水供給源は雨季の直接的な雨水流入のみである。
>この条件が乾季の淡水の蒸発と海水の遡上に結びつき、サルーム・デルタの河川は河口よりも上流の方が塩分濃度が高くなる傾向にある。
>さらに、1960年代後半以降に旱魃が頻発したことや、淡水を人々が利用することなども塩分濃度を高めることにつながり、
>後背地ではタン(tannes)と呼ばれる不毛の乾燥地域が拡大する傾向にある。
<エボシメガネモズ(White-crested helmetshrike)

安全な水道水が豊富にある日本みたいな国ばかりじゃないのだと再認識

16名無し同志:2024/02/18(日) 18:29:00 ID:uvN8v9s2
なんか中東系のが増えてるかも��

カタラ文化村の鳩の塔
tp://cardamom17.blog.fc2.com/blog-entry-286.html
高架下に住み着かれたりするより効率的かと

関連?
バーレーン要塞 �� ディルムンの古代の港と首都
tps://worldheritagesite.xyz/bahrain/#google_vignette
> メソポタミア文明とインダス文明を結ぶ交易の要衝として、少なくとも紀元前2300年頃には栄えていたと見られ、
>古代都市ディルムンがあった場所と考えられています。
>ディルムンとは、メソポタミア文明において交易相手、原料の産地、
>メソポタミア文明とインダス文明の物資の集散地などとして記録されている土地の名前です。

モカ港でさえ倉庫跡なんかは残ってるんだけど、諸行無常かな

17名無し同志:2024/03/30(土) 09:20:51 ID:UeZJmRJQ
凄いよなぁ

【紅白】水森かおり 桂由美さん作ドミノドレスで熱唱 3万7000個のドミノ使用して最後は“変身”
tps://www.google.com/amp/s/www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/12/31/kiji/20231231s00041000448000c.html%3famp=1
> 桂由美さんデザインの衣装には、ドミノの要素が施されており、この日限りの特別感を際立たせた。
>3万7000個のドミノを使った演出は、審査員の堺雅人がスターターを務めた。
>そして、歌唱と同時にドミノが倒れていき、最後は赤のドレス姿だった水森を白のドレス姿へと“変身”させた。

篠原ともえ、水森かおりを衣装で支える ユーミンも嵐も
tps://www.asahi.com/sp/articles/ASP1Y5FDBP1XUCVL02P.html
> 初めて無観客で開催された紅白で目を引いたのが、「瀬戸内 小豆島」を歌った水森かおりの巨大衣装だった。
>水色や青のグラデーションが波打ち、裾の幅が約20メートルに広がったドレスで瀬戸内海を表現した。
(中略) 悲しい恋を表現していると受け取れる歌詞だが、水森の歌い方に自立した女性像を感じ
>「力強いドレスにしたい。淡い色の中に、すごく濃い深い海の色を入れたい」と考えた。
>「私も以前、香川を旅したときに、美しい瀬戸内海を見ている。丁寧に紡ぎ出すように、思い出しました」。

18名無し同志:2024/04/19(金) 10:00:16 ID:IURfBPnw
価値観とは移ろいゆくモノなのだな、と
(そして今とは真逆に思える)

英国王エドワード7世の愛人でカミラ夫人の先祖、アリス・ケッペルってどんな人?
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g34791201/alicekeppel-camilla-ancestor-201126-hns/
> 娘のヴァイオレットはアリスについて、��
>「母は明るく、光輝くような女性でした。
> 幸せという名の贈り物を持っているだけでなく、他の人を幸せにするのにも秀でていました。
> プレゼントでいっぱいのクリスマスツリーのような人物ですね」
>と語っている。
> ジョージも何人かの女性と浮気をしており、妻のことを聞かれると
>「最後に私のところへ戻って来てくれれば、彼女が何をしても構わない」と答えていたという。
>国王エドワード7世が彼らの自宅に立ち寄るという知らせを聞くたびに、ジョージは静かに家を出て行ったそう。
> 国王はアリスにゴム会社の株(現代にたとえると約700万ドルの価値)を与え、友人を通じてアリスのための財産を作り、
>ジョージにはサー・トーマス・リプトン(紅茶で有名な「リプトン」の創始者)のもとで高給の仕事に就かせるなど、愛人関係による恩恵を与えていた。
> インド総督は
>「国王が外務省と意見を異にすることが1、2度あり、
> 私は政府の方針を受け入れるために、彼女を通して国王に助言することができました。
> 彼女は国王に非常に忠実であると同時に愛国心を持つ人物でした」
>と称賛している。
>またアリスの兄アーチーは、王室使用人として国王に仕えていたそう。
(Wikiによると)
> 当時、美貌に自信はあるが暮らし向きに不満のある、ある程度階級が上の既婚婦人は、
>相応の社交界に出入りすることによって、いわゆる愛人契約のできる紳士と巡り会ったといわれる。
>現在の倫理観では考えられないが、当時の上流社会においては妻が公妾となると夫の社会的地位も上がると考えられていた。
>そのためアリスは夫をせき立て、ロンドンへ移り住んだ。
> 1936年、エドワード8世が退位したとき、
>「ロイヤル・ミストレスは宮中儀礼を第一と心得、後はベッドに飛び込むだけ。私たちはそれを上手くやった。」と、発言した。

関連
「VAMP 〜魔性のダンサー ローラ・モンテス〜」
https://www.nelke.co.jp/stage/vamp2014/
(Wikiによると)
> 彼女は自身が名付けた『タランテュラ・ダンス』という、体を蜘蛛がはうのを追う、性的な示唆を含めた手の動きでたちまち有名になった。
>ローラは、富裕な資産家男性たちの愛人となることで、当時としては破格な収入を得るようになった。
>愛人の一人フランツ・リストは、ヨーロッパで最も先進的で洗練されたサロンとして知られたジョルジュ・サンド主宰のサロンに、ローラを紹介した。
>そこで出会った新聞社社長アレクサンドル・デュジャリエに感化され共和主義者となる。
>しかしデュジャリエはローラを巡って起こった決闘で殺され、ローラはパリを去ることとなった。
> 1846年、ローラはドイツ、バイエルン王国のミュンヘンへ旅行し、ただちに国王ルートヴィヒ1世に見いだされ愛人となった。
>自身の豊満な胸に対するルートヴィヒからの視線に気付いたローラは、はさみで自らの衣装を切り裂き胸を露わにしたという。
>彼女の方も王に影響力を行使したため、国民に非常に憎まれた。

19名無し同志:2024/04/19(金) 10:00:48 ID:IURfBPnw
続き

再掲・夜なき夜122・リアーヌ・ド・プジー様
https://ameblo.jp/irusutyuu/entry-12011496306.html
<Demi-Mondaine(高級娼婦)
> たおやかで品ありげな風情・・・でらっしゃるんですが、数少ない、拝読出来た文献では、
>共通して、始めに書かれているのが「パリで最も美しく最も悪名高い高級娼婦」。
>で、どこら辺が悪名高いのかというエピソードが載ってれば解りやすいんですが、よく解らない。
>Sarah Bernhardt(サラ・ベルナール)様が、舞台での演技をつける際、
>「舞台の上では、その可愛らしい口を閉じておくのが最適ね」とコーチされたそうで、
>要するに、口を開くと出て来る襤褸が何かしら性格におありだったという事でしょうか。
> リアーヌ様は、大地次世界大戦にて、前述の息子さんが、航空機操縦士として戦死。
>それを境に、信仰に向かわれ、修道女として養護所にて、
>先天的欠損症を持つ子供たちの世話にあたって、スイス、ローザンヌで最期を迎えられます。

白い花嫁・・・「��ジュリエット・レカミエ夫人��」の肖像
https://guchini.exblog.jp/23664577/
> 1800年に、パリの文学・政治のサロンの花形だった��レカミエ夫人��に、皇帝ナポレオンは愛人になるように強要し、
>彼女への贈り物として画家のジャック=ルイ・ダヴィッドに彼女の肖像画を依頼するが、
>しかし、当時パリで最も美しい女性と云われた絶世の美女「��ジュリエット・レカミエ夫人��」はナポレオンを袖にし、
>その絵は筆をおかれた未完のまま、椅子に横たわる「��レカミエ��夫人」の肖像画として、今はパリのルーヴル美術館に飾られている ・・・
(Wikiによると) リヨンで生まれ、1793年に26歳年上の銀行家ジャック=ローズ・レカミエ(フランス語版)と結婚。
>当時、ジャックは事実上ジュリエットの実の父で、彼女を自分の正統な相続人とするために結婚したのではないかといわれた(白い結婚)。
> 2人の間に夫婦らしい関係はなかったが、非常に人気の高い夫人を夫は面白おかしく見ていた。
>レカミエ夫人は美しい容姿を持ち、強く美しい目をしており、髪は短く(当時は珍しい)、ギリシャ風の衣装ヒマティオンを好んだ。
>性格は、聡明であり、非常に信念が強く、忍耐も強く、頑固で、教養が高かった。
> 世界の歴史の中でも、最も美しい女性と云われている。


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