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●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目
304
:
トミー
◆jdW1WNy602
:2012/07/16(月) 18:30:15 ID:???
>>30
空中分解だよね
自分さえ良ければいいという考えの元の競争で、
学校が終わって塾に行って、同級生を出し抜くのが善という価値観を進めてる日本の教育
これは日本人の精神性にかなり悪影響を与えてる
落ちこぼれる人は自己責任だから助ける理由は無いって教育方針
オランダとか北欧とか、教育先進国は、
分からない所は教え合い落ちこぼれは作らないっていう博愛精神を育む教育をしてる
独り善がりな自称活動家の部屋
http://unkoiro.blogspot.jp/2009/09/blog-post_29.html
ジャック・アタリのインタビュー
【第五の波:利他主義の世界(超民主主義)】2060〜
超紛争の後には世界には別の統治方法が必要だとの理解が広まります。個々の自由に基づくのではなく「利他主義」に基づいた世界です。
人々は他人を援助することで幸せになれることに気づくのです。母親が子供に対して抱くような優しさ。病院や医師、ホテルで働く人たちなのです。
人を助けたり、人を喜ばせることで幸せを見出すのです。それが利他主義です。これが私の呼ぶ超民主主義であり、第五の波になります。
これは超紛争の後に起きるのではなく、超紛争の代わりに起きることを願います。これが2060年頃におきるでしょう。
質問
貴方は超民主主義の世界では人道支援や他人に対する深い思いやりのあるトランスヒューマンと呼ばれる新しいタイプの人間が
社会の中で重要な役割を果たすと言っていますね。こうした新しい人間たちは他人の利益となることをするのが、その人の喜びとなるというわけです。
もちろん、おっしゃる意味は分かりますし人は誰でもそうした人間になりたいと思います。しかし考えてみますと、
人がこうした境地に達することは非常に高い精神的、宗教的な段階であって、我々普通の人にはなかなかできないことではないでしょうか
アタリ氏
現在でも、他の人が幸せでなければ自分も幸せになれない仕事がたくさんありますよね。普通の仕事はなんでもそうですが、
例えばレストランはお客さんが満足しなければ倒産して従業員は仕事を失ってしまいます。これはいわば「合理的な博愛」です。
世界がサービス業へと移行していくのであればサービス業界は客である他者を幸せにしたいと思うようになるはずです。
それが基本的な博愛の第一の側面です。テクノロジーも博愛をもたらします。私がコップの水を貴方にあげてしまったら私のぶんは残りません。
しかし、私がアイデアを交換したり、大勢の人にあげたとしても、私はアイデアを失わずに共有することができます。
アイデアをあげたところで私に失うものはありません。他の例も挙げてみましょう。誰もが他人に病気になって欲しくありません。
人が病気になれば、それが世界中に広まり、私まで病気になってしまいますから。
つまり私は自分自身がサーズやエイズなどといった病気にならないためにも病気の人を治療してあげたいという合理的な利害意識を持っているのです。
質問
つまり、こうした考え方は人間が本質的に持っているということなのですね。
アタリ氏
そうです。例えばビルゲイツとマザーテレサは同じことをしているんですよ。二人ともトランスヒューマンなのです。
ビルゲイツはビジネスから始めたものを別の次元へと展開させました。マザーテレサは人生を捧げたわけです。
日本でも人のために人生を捧げた人が大勢いることでしょう。それぞれ違う分野でも構わないのです。
そうした人こそが新しいエリートなのです。今までは自家用ヘリコプターを持っているとか四輪駆動車を持っているのがエリートでしたが、
いまやそんなものを持っていてもバカバカしいのです。真の賢さは他人を愛する心、博愛なのです。
価値観の変化はいつ起きるのか、それは人々が博愛精神に憧れはじめれば起きてゆきます。私は既に、この博愛精神を持つことが流行りはじめていると考えています。
質問
こういった博愛の精神を教育を通して養っていくことは可能だと思いますか。どのように人々に伝えていけばいいんでしょうか。
アタリ氏
教育で可能です。若者の間で団結心を持つことができれば博愛のよい例になります。
サッカーをするとき自分のチームのほかの選手がいいプレーをするかどうかは自分の利益につながります。
彼らにいいプレーをするように教えること、彼らにいいポジションを与えることも自分の利益につながるのです。
チームスピリットこそ博愛の始まりです。他人は敵だと考えることが生き残るために必要だと考えている人間に、
一緒にグループに入って団結の精神をもつことは自分達の利益に繋がるのだと理解させることが重要です。
合理的な利他主義を教えるということは、更に先に進むために必要な一歩なのです。
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