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●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目

142トミー ◆jdW1WNy602:2012/06/07(木) 19:43:13 ID:???
>>141
なぜ親族まで巻き込まれるのかというとケガレの文化があるからだと思う
このケガレの概念は日本教の洗脳の1つだけど
意識して排除しないと簡単に人を差別してしまうようになるから気を付けないといけない


『リング』とケガレ意識---日本の潜在文化としてのケガレ
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-44.htm

日本にはケガレの伝統がある。ケガレはたとえば身内の死によって家族に感染する。
この場合、死者がケガレの本源である。その家に弔問に訪れた人々にもケガレは感染する。
さらにこれらの一次感染者に接触した人々にケガレは伝染する。
現代の私たちが犯罪者ばかりではなく、その縁者をすら遠ざけようとする心理がこれである。
ケガレの意識は現代にも立派に生き続けている。

 ケガレはいかにして感染し伝染するのか。今の例からもわかるように、接触したらもちろんだが、
空気感染もする。さらに共有「コード」(記号)をもつ人々、つまり死者や犯罪者の縁者などのグループ
(たとえば「親戚」「学校」「会社」)内にも自動的に感染は拡がる。
この感染・伝染のしかたは超能力や幽霊の現れ方のように時間と場所を越えた不思議なものだ。

(前に書いたが、高校野球で野球部ではない生徒が一事件を起こしただけでも、
その学校が甲子園出場を辞退するのは、学校中に拡がったケガレを神聖なる甲子園に持ち込まないためだ。)

 『リング』の死の呪いはほとんどケガレである。その呪いは「感染」し「伝染」するのだが、
この表現は言うまでもなく病気、特にウイルス性のものに使われる。現代の病気で言うと、
不治とされるエイズ・ウイルスの恐怖と似ている。しかしここには倒錯がある。
ウイルスに対する恐怖があって、呪いやケガレに対する恐怖があるわけではない。
先に呪いやケガレに対する恐怖があって、現代においてウイルスに対する恐怖として現れているのだ。

 実際、ケガレはウイルス性でない。たとえば、ケガレはあるまじないによって避けることができる。
霊柩車が通るとき、親指を隠した記憶はないだろうか。この場合、霊柩車がケガレの本源である。
親指を隠すことで、「エンガチョ」を切っている(ケガレを封じている)のだ。本物のウイルスにまじないは通じないだろう。

 また、ケガレの感染のしかたで述べたように、ケガレはあるグループに「コード」感染する。
誤解されたエイズ情報に「エイズはホモセクシャルの病気だ」というのがあったが、
これはまさに「コード」(ホモというグループ)感染であること、
つまり非(未)感染者にとっての「エイズ」とは「病気」ではなく「ケガレ」としてあることを証明している。
ウイルスは「コード」感染なぞしない。

 ケガレとはやはり「ウイルス」ではなく、ある「モード=意味づけ」である。
現代でも日本人にはそういうモードが生きている。だからこそ、『リング』はヒットした。
『リング』とは、エイズ・ウイルスをケガレと誤解する日本人にとって「ケガレ・ウイルス」の物語、
あるいはその「都市伝説」だったのだ。


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