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●日本人だけど、日本のここが嫌い●したらば1ヶ所目

135トミー ◆jdW1WNy602:2012/06/07(木) 10:41:05 ID:???
フランシスコ・ザビエルからの手紙(5)
http://seseragi-sc.jp/xe/3366

この手紙は、ザビエルが日本で最初に、本格的に宣教を始めることになった、山口での第一歩について伝えています。

「福音を宣べ伝えるためには、都は平和でないことが分かりましたので、再び山口に戻り、
持ってきたインド総督と司教の親書と、親善のしるしとして持参した贈り物を、山口候に捧げました。
この領主は贈り物や親書を受けてたいそう喜ばれました。
領主は私たちにたくさんの物を差し出し、金や銀をいっぱい与えようとされましたが、私たちは何も受け取ろうとしませんでした。
それで、もし私たちに何か贈り物をしたいとお思いならば、領内で神の教えを説教する許可、
信者になりたいと望む者たちが信者となる許可を与えていただくこと以外に何も望まないと申し上げました。
領主は大きな愛情を持って私たちにこの許可を与えてくださり、領内で神の教えを説くことは領主の喜びとするところであり、
信者になりたいと望む者には信者になる許可を与えると書き、領主の名を記して街頭におふれを出すことを命じられました。

 領主はこれと同時に、学院のような一つの寺院を私たちが住むようにと与えてくださいました。
私たちはこの寺院に住むことになり、普通、毎日二回説教しましたが、神の教えの説教を聞きに大勢の人たちがやってきました。
そして説教のあとで、いつも長時間にわたって討論しました。
質問に答えたり説教したりで、絶えず多忙でした。この説教には大勢の僧侶、尼僧、武士やその他たくさんの人が来ました。
家の中はほとんどいつも人がいっぱいで、入りきれない場合がたびたびありました。
彼らは私たちにたくさん質問しましたので、私たちはその答えによって彼らが信じている聖人たちの教えは偽りであり、
神の教えこそ真理であることを理解させました。
幾日間も質問と答弁が続きました。そして幾日か経った後、信者になる人が出始めました。
説教においても、討論においても、最も激しく敵対した人たちが一番最初に信者になりました。」


フランシスコ・ザビエルからの手紙(6)
http://seseragi-sc.jp/xe/3368

この手紙には、ザビエルが山口で宣教し、瞬く間にキリスト教が広がっていった時の様子が描かれています。

「〔日本人には〕地獄に落ちた者になんの救いもないのはたいへん悪いことと思われ、
神の教え〔キリスト教〕より、彼らの宗派の方がずっと慈悲に富んでいると言います。
このような大切な質問のすべてについて、主なる神の恩恵の助けによって、罪の償いができると説明し、
こうして彼等は満足しました。神の慈しみを深く説明するに当たって、日本人はより理性に従う人々であり、
これは今まで出会った御信者には決して見られなかったことだと思いました。

 〔日本人たちは〕好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問には限りがありません。
また彼らの質問に私たちが答えたことを彼等は互いに質問しあったり、話したりして尽きることがありません。
彼らは地球が丸いことを知りませんでしたし、太陽の軌道についても知りませんでした。
彼等はこれらのことやその他、たとえば流星、稲妻、降雨や雪など、これに類したことについて質問しました。
それらの質問に答え、よく説明しましたところ、たいへん満足して喜び、私たちを学識のあるものだと思ったようです。
そのことは私たちの話を信じるために少しは役立っています。
 彼等は・・〔略〕・・私たちが日本へ来てからは、自分たちの教えを議論するのをやめ、神の教えについて議論しました。
このような大きな町で、すべての家で神の教えについて議論していることは、信じられないほどです。〔略〕
 この山口の町で二ヶ月が過ぎ、さまざまな質問を経たのち、
500人前後の人達が洗礼を受け、そして今も神の恩恵によって日々洗礼を受けています。
大勢の人達がボンズやその宗派の欺瞞を私たちに知らせてくれました。
もしも信者たちがいなかったら、日本の偶像崇拝の実体をつかむことはできなかったでしょう。
信者になった人たちは非常に深い愛情をもって私たちに接してくれます。彼らこそ真実な意味でキリスト信者であると信じてください。」


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