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人 間

1NAME:2013/02/08(金) 23:45:51
人 間

367NAME:2017/02/25(土) 23:05:21
 傷のない身体も失ったものの一つです。傷のない、元の身体を返してほしい。犯人は何ひとつ傷ついていないのに、私だけが身体にも心にもこんなに多くの傷を負って、これから先も痛みに耐えて生きていかなければならないと思うと、悔しいし、許せません。傷を保護するテープを毎日張り替えているため、毎日傷つけられた身体を見なければなりません。その度に、SNSで執拗(しつよう)な嫌がらせをされたことや事件の日のことが思い出されてしまい、何でこんなことになってしまったのかと何度も何度も苦しくなります。

 外出したくても、事件で刺されて殺されそうになったときの光景を思い出してしまい、ほとんど外出することができません。 眠ろうとしているときも、事件の日のことが頭の中で何度もリピートされたり、眠れたとしても、犯人が夢に出てきて、また私を殺そうとしてくるので、すぐに目が覚めてしまい、ほとんど眠ることもできません。

 今でも、毎日リハビリを続けていますが、思うように身体が動きません。大好きだった歌うことも、食べることも、口にまひが残っていて苦痛になっています。大好きだったギターも、ほとんど弾くことができません。視力が低下していたり、視野が狭くなっていたり、常に行動に制限が出ています。そのため、少し歩いたら物や人にぶつかりそうになります。右足の親指にもまひが残っていて、家の中でさえすぐにつまずいてしまいます。「どうして当たり前にできていたことができないの」と悔しくてたまりません。 私の身体をこんなにめちゃくちゃにした犯人に腹立たしさを感じて、頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい悔しくて、毎日気がつけば泣いています。

 犯人や犯人の家族からも、裁判の日まで謝罪の言葉は一切ありませんでした。裁判で、「申し訳ないとは思っています」という言葉は口にしたようですが、自分の罪を軽くするために言っているようにしか聞こえず、全く心に響きませんでした。私や私の家族が今日までどんなに苦しい気持ちで過ごしてきたのか、わかりますか。犯人も犯人を育てた両親も、犯人に関わるもの全てを許すことができません。

 犯人は、私の調書を法廷で読み上げてもらっている間、笑っていたようですが、こんな事件を起こしておいて、どうして笑うことができるのか、理解できません。全く反省していないんだと思いました。今、私が意見陳述をしている間も、きっと心の中では笑っていて、反省はひとつもしていないと思います。犯人はまた絶対に同じことをする。また犠牲になる人が絶対にいる。こんな人を野放しにしてはいけない。絶対に許してはいけない。一方的に感情を抱き、思い通りにならなければ、人を殺そうとする人です。私を恨んで、今度こそ私を殺しに来るかもしれないし、私の家族や友人にも危害が加えられるかもしれません。

 もうこの世の中に出てきてほしくない。今すぐに消えてほしいです。それがかなわないならば、一生刑務所にいてほしい。そうでないと、安心して生活できません。 いろいろな方に助けていただいた命なので、しっかりと生きていかなければいけないと思っています。しかし、生きていてよかったと思う気持ちと、傷だらけの自分の姿やまひの残った口を見て苦しくなる気持ちが毎日繰り返されます。

 傷ついているのは私だけではありません。家族も同じです。事件以降は、もう一生分くらい苦しんでいますが、その苦しみは今も続いています。犯人の身勝手な言葉や行動に、私も家族も毎日のように悩まされてきました。裁判官や裁判員の方々には、私や家族がどんな思いで過ごしてきたのか、私が今後、後遺症を抱えてどんな生活をしていかなければならないのか、ということも理解してもらいたいです。

 今までの判決がこうだから、前例がないから、という理由では判断しないでください。 今後同じような事件が二度と起きないように、私みたいに苦しむ人がいなくなるように、この事件で厳しい判決を出していただきたいです。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170224/k00/00m/040/048000c#csidx10f81880b67ce28be7c9d53478ca407
Copyright 毎日新聞

368NAME:2017/02/25(土) 23:48:12
冨田真由さんの意識回復は、2016年6月3日
http://newsmatomedia.com/tomita-mayu-2

冨田さんは2016年5月21日に刺傷事件が起きてから意識不明の状態が続いていましたが、約2週間後となる2016年6月3日に意識が回復しました。

日本医科大学付属病院高度救命救急センター部長の横田裕行教授によれば、冨田さんの回復は「奇跡的」だという。「病気での心肺停止の場合はAED(自動体外式除細動器)などで蘇生することも珍しくなくなりました。しかし、今回のような外傷による心肺停止のケースでこうして回復するのは非常に珍しい。それだけ救急隊の搬送から救命チームへの連絡がうまくいき、高度で適切な措置が行なわれた結果だと思います」

証人尋問で目撃者の1人は「(犯人は)首回りを狙って、考えながら刺しているようにしか見えなかった。やみくもではなく、考えながら刺していた」と、犯行の様子を語った。現場から数メートル離れた位置にいた証人は、「男性が女性を殴っているように見えた」が、近づくと岩埼被告の手に刃物が見えたという。「常軌を逸しているようで、野生の動物が獲物を仕留めているようだった」と話した。また、冨田さんが「なんで、なんで」と声を上げていたとも証言した。血だまりを見た証人は警察に通報。岩埼被告が刺すのをやめた様子に「もう刺すところがないのかなと思った」と説明した。一緒に目撃した知人が、ショックから自殺を図ろうとしたことも明かし「私たちも二次被害を受けている。残酷な事件だと思う」と話した。

岩崎のような異常者を即刻極刑に処すことの出来る社会に。

369NAME:2017/03/06(月) 13:46:23
M-1ファイナリストの妻が変えた夫の逃げ癖 スーパーマラドーナ田中の知られざる失踪劇
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/m-1%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ae%e5%a6%bb%e3%81%8c%e5%a4%89%e3%81%88%e3%81%9f%e5%a4%ab%e3%81%ae%e9%80%83%e3%81%92%e7%99%96-%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%8a%e7%94%b0%e4%b8%ad%e3%81%ae%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%96%e3%82%8b%e5%a4%b1%e8%b8%aa%e5%8a%87/ar-AAnPUHY?ocid=iehp#page=1

毎週月曜夜7時から放送中の「結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち」(TBSテレビ系)。人気番組「プロ野球戦力外通告」「プロ野球選手の妻たち」を手掛けるスタッフが、夫を支える妻の姿をとおして、夫婦の愛と葛藤に迫るドキュメンタリーだ。 今回の主役妻は、田中ヒカリさん、32歳。夫は、お笑いコンビ「スーパーマラドーナ」の田中一彦(以下、敬称略)。スーパーマラドーナといえば、昨年末、漫才の頂上決定戦「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残った実力派漫才で、コワモテのツッコミ役・武智と、ひ弱なボケ役・田中という対照的なキャラクターが売りのコンビだ。

 そんな田中のプライベートはというと、7歳年下の妻・ヒカリさんに、歯ブラシを口の中に入れてもらったり、服を着せてもらったり。まるで子供のようなダメダメ夫。一流芸人になってもらうことが妻・ヒカリさんの願いなのだが、田中には致命的な欠点があった。 それは逃げ癖だ。これは、嫌なことがあると、とにかく後先考えず逃げ出す癖があるという夫を持った妻の奮闘記である。

逃げ癖のあるダメダメ芸人!?

 田中は26歳のとき、吉本の養成所で相方の武智と出会い、マラドーナの名でお笑いコンビを結成。しかし、4年目の2007年、ネタ合わせで相方・武智にダメ出しをされ、仕事をすべて放り出し逃亡した。 当時はコンビを解散する事態となったが、相方・武智の説得もあり、4カ月後に再結成。コンビ名をスーパーマラドーナに変えての再出発をした。と、ここまでは有名な話なのだが、実は田中の逃げ癖はそれだけではなかった。

 妻・ヒカリさんが逃げ癖夫・田中と出会ったのは、今から4年前。当時、大阪の飲食店で働いていたヒカリさんが、ふと店のテレビに目を向けると、ある1人の男が目に留まった。それがスーパーマラドーナの田中。といっても当時のスーパーマラドーナは決して売れっ子芸人ではない。 長い下積み生活の中、テレビのレギュラーは関西で1本のみ。1人で家賃も払えないので、後輩芸人と同居しているような状態だった。そんな売れない芸人に、ヒカリさんはくぎ付けに。なぜなら、ヒカリさんは子供のころから、根っからの世話好き。見るからに弱々しく頼りない田中に心を引き付けられたのだ。

 そこからヒカリさんは田中のライブに足を運ぶようになり、徐々に恋心が芽生えていった。そしてついに、知り合いのつてをたどって、田中を紹介してもらえることに。ヒカリさんにとっては、ひそかに恋する人と会えるチャンス。そこで、思い切った行動に出る。 「私、めっちゃファンなんです! めっちゃタイプなんです! 彼女にしてほしい! いや、結婚してください!」 なんと初対面でプロポーズ。あまりに積極的な態度に、冷めていた田中ではあったが、それでもこれをキッカケに2人は頻繁に会うようになる。猛アタックする女と、拒む男。そんな関係が1年ほど続いたある日、田中はとんでもない事件を引き起こした。

370NAME:2017/03/06(月) 13:47:44
嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた

 2014年4月24日。田中は相方の武智とネタ合わせをしていた。しかし、この日は中々うまくいかず、イライラする武智は「また間違えてるやん! 辞めてまえ! ボケ!」と田中をしかり続けていた。すると田中の逃げ癖が爆発する。実は田中は嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた。 中学時代は、野球部に所属したが、上級生になると先生からいちばん怒られるという理由で2年の終わりに退部。大学に進んでもクラスにヤンキーがいるから怖いと1年で中退。ファミレスのアルバイトを始めたら、覚えが悪いと店長に怒られて初日に辞めた。芸人になっても、コンビ結成4年目のときに、相方にしかられて失踪。そんな逃げ癖が、再び顔を出した。

 田中が相方の武智にしかられた翌日。ヒカリさんのもとに、当時田中と同居していた後輩芸人から「田中さんの居場所、知りませんか? 田中さんがいなくなったんです」という連絡が……。聞けば、家に携帯と書き置きを残していなくなったという。 「血の気がサーッと引いて……。いや、飛んだんやって思って……」 すぐさま、ヒカリさんは田中の家へ。するとテーブルの上には田中の携帯電話と「ごめん、ありがとう」という意味深な言葉が書かれた置き手紙が。普通ではない空気を察したヒカリさんは居場所を探るため、田中の携帯電話に手掛かりを求めた。するとそこには、自殺サイトを調べた検索履歴があった。ヒカリさんはすぐさま警察に連絡した。

愛する男性の命を救いたい! 執念の大捜査!

 ヒカリさんの捜査が始まった。田中が漫画好きなことから、心当たりを得た。それは、漫画喫茶。大阪のミナミと新大阪周辺には漫画喫茶が30軒。ヒカリさんはそこを手当たり次第に訪れた。しかし、どこにも田中の姿はない。 「ほとんど寝ずに探して調べて。帰り道に歯を食いしばって泣きながら帰ったのを、よーく覚えています」 失踪から10日が経過。絶望的な気持ちになっていたその時、警察から思いがけない電話がかかってきた。なんと大阪の隣、兵庫県神戸市の中心街である三宮で、田中が現金を下ろしていたことが確認できたという。ヒカリさんは、田中が生きていたことにまずは胸をなで下ろした、そして、すぐさま、三宮へ向かった。

 三宮に着くと、すぐさま繁華街や漫画喫茶をしらみつぶしに探した。田中の失踪から15日後。ついに、1軒の漫画喫茶で、個室の入り口に田中の靴を発見。田中の居場所をつかんだのだ。 ヒカリさんはすぐさま、相方の武智に報告。武智の到着を待ってから、個室の扉を開くとそこには確かに田中の姿があった。ヒカリさんが「ターくん」と声をかけると、「あっ」と驚いた様子の田中。そして、 「帰ろう」 ヒカリさんの言葉に田中はそっとうなずいて、そのまま出てきたのだった。相方にしかられて自信を失い逃げ出した田中は、帰るに帰れず、漫画喫茶を転々としていたのだという。警察をも巻き込んだ田中の大逃亡劇は、結婚したいほど田中にほれ込んでいたヒカリさんの執念により終止符が打たれた。当時、田中は事務所から体調不良による休養と発表されていた。

371NAME:2017/03/06(月) 13:48:46
そしてこの時、逃げ癖田中のヒカリさんへの思いに変化が生まれた。 「そんなに好きでいてくれるって、ありがたい。そんな人、これから先、現れへんやろなと思って」 この事件をきっかけに、2人は交際をスタート。そして2年後の昨年3月。逃げ癖田中とヒカリさんは夫婦となった。 結婚をして1年にも満たない2人。ヒカリさんは夫の逃げ癖が出ないよう、落ち込んでいる日はなんでも賛同する、落ち着いたころにアドバイスするなどまるで子供を育てるように世話をやいていた。それもこれも、夫への愛、そして何より夫の芸人としての才能を信じているからこそ。

妻との出会いで変わった逃げ癖夫! いざ、大舞台へ!

 そんな結婚は、確実に田中を変えていた。実際、かつてネタのすべてを相方の武智に任せていた田中が、「あと1個だけボケを変えたいんです」と夜中まで粘ってネタ作りをする姿が見られるように。そしてこの変化が結果に現れた。スーパーマラドーナは昨年末の「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残ったのだ。 それは、逃げ癖夫とヒカリさんが夫婦になって初めて迎える大舞台。そんな「M-1グランプリ」を直前に妻の思いはただ1つ。「大舞台から逃げ出さないでほしい」。それだけだった。

 大会当日。本来ならば、ゲンを担いだ食事や豪勢なメニューで夫を送り出したいところだが、ヒカリさんは下手にプレッシャーがかからないようにと、特別感のない夫の好物「にゅうめん」を選んだ。いつもどおりに服を着替えさせた。 出発のとき。そのまま送り出すかと思いきや、夫の逃げ癖が心配な妻は、最後の最後に逃げ出さないよう新大阪駅まで送り届けた。その後、逃げ癖夫・田中は東京で相方・武智と合流し、無事に会場入り、本番を待っていた。 一方、妻のヒカリさんは、本番直前に夫の事務所の先輩、ザ・ぼんちのおさむ師匠の自宅を訪ね、本番まで待機。夫の大舞台を1人で見る勇気が出なかった。

 午後6時半。ついにM-1グランプリがスタート。妻にとって心配なのが、逃げずに舞台に現れてくれるかどうか。かじりつくように見る画面に、夫の姿を発見し、まずは一安心した。 3503組が参加した昨年のM-1グランプリ、この日決勝に進出できたのは、9組。この9組の中で獲得点数上位3組が次の最終決戦に進むことができる。スーパーマラドーナは、なんとこの上位3組に残り、最終決戦に進出した。 グランプリは、同じ事務所の3期後輩、銀シャリ。その時妻は、テレビに向かってつぶやいた。「よう、頑張ったね」。

 「ほんまによく頑張ってくれたなっていうだけです。悔しい気持ちもあるんですけど」

 そう言って流す涙は、逃げ癖夫を大舞台で優勝を争うまでに育て上げた、喜びの涙なのかもしれない。最後にヒカリさんに質問をしてみた。「田中さんのどこを好きになったんですか?」。ヒカリさんはこう答えた。 「いちばん面白くて、いちばんカッコイイ! 今から田中好きやって言っても、もう遅い。もう私います!」 逃げ癖のあるダメダメ夫。しかし、ヒカリさんにとっては誰よりもカッコよく見える男だ。

372NAME:2017/04/06(木) 22:47:08
ドロ沼?松本人志と確執の角田信朗が公式ブログ削除
日刊スポーツ 4/6(木) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170406-01803518-nksports-ent

ダウンタウン松本人志(53)との確執を告白したことで話題となったK-1競技統括プロデューサーでタレントの角田信朗(55)の公式ブログが、6日までに削除されたようだ。 最後に更新されたのは1月23日で、「謝罪」と題されたエントリーだった。角田は「私自身の思慮に欠ける突然の発信で、松本人志氏、そして関係各位の皆様に、大変不愉快な思いをさせてしまった事を、心よりお詫び申し上げます」と謝罪していた。

 騒動の発端となったのは角田が1月16日のブログで、8年前にダウンタウンの番組からの出演オファーを断ったことから“誤解”が生じて松本を怒らせてしまい、以降は出演NGの状態が続いていると告白したもの。  誤解を解くために、その後もブログで松本サイドへ理解を求めてきたが、松本は同月22日のフジテレビ系「ワイドナショー」で、当時角田が“ドタキャン”したことで収録自体がなくなってしまっていたことを明かし「これは正直大問題というか。僕が怒っているとかそういうことじゃなくて、番組とか吉本とか、もっといえば日本テレビとの問題なので、僕が共演NGとかいう小さい話じゃないんですよ」と真相を明かしていた。

373NAME:2017/04/10(月) 01:24:08
慶応大病院手術で女児脳障害 「病院の肩書に圧倒されて…」悔しさにじませる両親
2016.7.21 07:18更新
http://www.sankei.com/affairs/news/160721/afr1607210006-n1.html

「きょうだいゲンカしたかった」

 慶応義塾大学病院(東京都新宿区)で心臓手術を受けた高橋心音(ここね)ちゃん(5)の脳に重度の障害が残った問題。心音ちゃんの父、歩(あゆみ)さん(43)と母、亜希子さん(39)は「病院の肩書に圧倒されて、何も言えないままだった」と悔しさをにじませる。 両親や代理人弁護士によると、心音ちゃんの心臓にあいていた2つの穴は、成長するにつれてふさがる可能性もある程度の大きさだった。だが、「うちにはトップクラスの技術がある。成功率97%の手術だ」などと勧められ、平成22年12月24日のクリスマスイブに手術に臨んだ。

 術後、担当医から「穴はふさがった。手術は成功です」と伝えられ、安心したのもつかの間、わが子は目の前で手を振っても反応しなくなっていた。年が明け、手術から2週間ほどが過ぎても状況は変わらなかったが、担当医は「麻酔の影響でぼんやりしているだけ」と繰り返した。 脳に障害が残ると伝えられたのは、手術から約1カ月後の23年1月。病院の会議室に出向くと、担当医や小児科医らがそろい、「手術中に脳に酸素が行きわたらず、低酸素性虚血性脳症になった」と言われた。「なぜ心臓の手術で脳に障害が残るのか」。納得のいく答えは得られないまま、翌日には一般病棟に移され、退院をせかされるようになった。

心音ちゃんの姉で小学4年の璃音(りおん)ちゃん(9)は、自分の誕生日などのたびに「心音ちゃんが治る薬がほしい」とねだった。だが、小学校に上がるころには妹の回復が見込めないことに気付きはじめたのか、今では「一緒に登校したかった」「きょうだいゲンカがしたかった」と話すようになったという。 心音ちゃんは自宅の布団で寝たきりの状態でいる。食べ物を飲み込むこともできない。病院側は当初、「子供の脳には無限の可能性がある」と機能回復を見込む説明をしていたが、別の病院では「難しい」と言われた。

 手術中に何があったのか。専門医や医療過誤の被害者家族から意見を聞いた。慶大病院からも治療経過の資料を取り寄せた。「3つ目の穴をふさぐために入れた送血用の管が、脳への血流を阻んだに違いない」。気付いたときには手術から5年が過ぎていた。 歩さんは言う。「訴訟提起は親としての義務を果たすため。同時に、同じことを決して繰り返してはいけないという思いだ」

374NAME:2017/04/17(月) 22:37:47
※週刊ポスト2016年2月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160215_385264.html?PAGE=2

それで清原さんに「シャブがありますよ」と勧めました。外国人選手がコーヒーに入れて飲んでいることを話し、「やってみます?」と飲ませてあげました。耳かき3杯分くらいを入れたと思います。すると広島市民球場でしたが、清原さんは3試合連続でホームランを打ったんです。 「こりゃエエな。最高や。ハイになってしもたわ」と上機嫌だったのを覚えています。

──1998年5月29日〜31日、巨人は広島で3連戦を戦っている。当時のスコアを確認すると、確かに清原は3試合連続でホームランを放っている。

375NAME:2017/04/17(月) 22:51:40
【川崎踏切事故】
高齢男性は自殺図ったか 家族に「死にたい」
2017.4.17 21:53更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170417/afr1704170021-n1.html

川崎市川崎区の京急電鉄八丁畷駅前の踏切で、横浜銀行に勤務する児玉征史(まさし)さん(52)=横浜市鶴見区尻手=が踏切内にいた高齢男性を救助しようとして2人とも電車にはねられ死亡した事故で、高齢男性が自殺をしようとしていたとみられることが17日、神奈川県警川崎署への取材で分かった。同署は、高齢男性について、身体的特徴や所持品などから現場近くに住む無職の77歳と特定。引き続き当時の詳しい状況などを調べている。

 同署によると、男性は以前から、同居する家族に「死にたい」などと話していた。事故当日の15日は、家族が外出中にひとりで家を出たとみられるという。

 事故は同日午前9時10分ごろに発生。男性は警報灯が光り始めてから踏切内に立ち入り、中で立ち止まっている様子が付近の防犯カメラに写っていた。その後、児玉さんがすでに完全に下りていた遮断機を持ち上げて踏切内に入り、男性を救助しようとしたとみられる。

376NAME:2017/04/24(月) 20:32:31
「学校に言わないでって言ったでしょ」 命絶った息子
2017年4月23日07時07分
http://digital.asahi.com/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html?rm=594

 「同級生にからかわれ、先生に言っても直らない。学校に行きたくない」。2014年9月。仙台市内の中学1年の息子(当時12)が単身赴任中の父親(49)に泣きながら電話をかけてきた。「俺が学校に行って話すから」。父親は語りかけた。でも、最後の会話になってしまった。翌日、息子は自殺を図り、意識が戻らないまま1週間後に亡くなった。

入学して間もない5月ごろから、息子は同級生らの悪口やからかいを苦に、登校や部活を嫌がるようになった。7月には「学校に行きたくない」と自室のドアを家具でふさぎ、学校を1週間ほど休んだ。母親(44)は学校に相談。生徒指導のための臨時学年集会が開かれた。登校を再開した息子は、同級生から「チクった」と言われた。合唱の練習では、歌に息子の名前と同じ歌詞が出てくるたびに笑われた。

 夏休み明けに母親が再び学校に相談すると、息子は怒った。「言わないでって言ったでしょ。言ったって何も変わらない」。その約2週間後に亡くなった。

 仙台市は有識者による専門委員会に調査を諮問。15年と16年の2度の答申では、いじめがあったことや自殺との関連を認めた。だが父親は、答申の中身を読んで驚いた。当時の認識を問われた担任は「いじめとは捉えていなかった。今でもそう思っている」と答えていた。「こんなに理解のない境遇にいたとは」。後悔がこみ上げ、夫婦で泣いた。

 ログイン前の続き「学校や部活が嫌なら行かなくていい。親御さんも子どもが嫌がったら行かせないで。10代はまだ人生のスタート地点。命だけは大切にして欲しい」。父親は再発防止を強く願う。 同じ仙台市内で16年2月、中学2年の男子生徒(当時14)が自宅で自ら命を絶った。半年以上前から部活の後輩らにいじめられ、学校のアンケートに「キモイと言われる」などと訴え、友人関係を「最悪」と答えていた。担任が尋ねると生徒は「大丈夫」と答え、対応はとられなかった。

 母親(50)には時折、悩みを話していたが、「先生には言わないで」と言った。母親は担任に伝えつつも、「見守ってもらいたい」と要望したという。 15年12月15日の夜。生徒は母親に切々と悩みを打ち明けた。「死ね」「整形しろ」などと言われてつらい、学校に行きたくない……。母親はじっと聞き、「あと少しで冬休みだから」と声をかけた。年が明け、生徒は普段通り登校を続けた。でも、親しい友人にはSNSでメッセージを送っていた。「この世を去る事にしたよ」

 今年3月末、専門委はいじめが理由の一つだったとする答申を出した。石井慎也副委員長(弁護士)は会見で、いじめられている生徒がエスカレートすることを恐れ、いじめる側への指導を嫌がることは今後もあり得ると指摘。「子どもが『大丈夫』と言っても、周りの生徒にそれとなく話を聴くなどの対応をとる必要がある」と語った。 両親は「息子に乗り越えて成長してもらいたいという期待もあったが、息子は守られず、いじめの詳細は分からない。いじめた生徒を指導してもらえばよかった」と悔やむ。

377NAME:2017/04/24(月) 20:33:44
■いじめの早期発見模索

 文部科学省によると2015年度、いじめによる重大な事態は314件、9人が自殺で亡くなった。報復を恐れて黙っていたり、「いじめた本人には言わないで」と懇願したりする子どもたちがいる。大人に何ができるのだろうか。 大津市が昨年行った、小中学生約5千人への調査では、いじめを受けた子どもの3割近くが「誰にも相談しなかった」と答えた。相談した子どもの73%は、相談後にいじめがなくなったり少なくなったりしたと回答。ただ、5%はいじめが悪化したと答えた。

 国立教育政策研究所の滝充・客員研究員は、いじめを悪化させない学校での工夫を提案する。たとえば、いじめの訴えの後、いじめた側をすぐに指導せず、教師が情報を共有しながら見守る期間を設ける方法だ。からかいなどの現場を教師が見て、そこで止めに入れば「チクった」とはならない。「助けを求めてきた子を、教師たちは守り通してほしい」と滝さんは言う。

 東北地方のある公立中では、教師がいじめた生徒になぜしたのか、いじめられた生徒にやられてどう思ったのかを聞き、互いの気持ちを理解するまで3人で話す。「教師が信頼されていないと指導は伝わらない」(生徒指導担当)と、生徒との信頼関係をみて指導する教師を決める。 子どもがSOSを出しやすくするための模索も各地で続いている=表。NPO「ストップいじめ!ナビ」(事務局・東京都)の小島秀一弁護士は「いじめをゼロにするのは難しいが、大切なのは早期発見と早期対応。相談しやすい環境、雰囲気づくりが欠かせない」と話す。

 北海道旭川工業高では「絆ネット」というメールの相談窓口を設け、担任ではなく生徒指導の教師に直接相談が届くようにしている。静岡県の掛川市立西中学校では、PTA役員OBの有志が携帯電話で相談に乗る。「あだ名がつらい」という相談に教師と協力して対応し、深刻になる前に解決したこともあった。 京都府は、府内の小中高生向けのアンケートの「聞き方」を工夫している。いじめの有無を直接聞くのではなく、「いやな思いをしたことはないですか?」と尋ねる。「ある」と答えたケースはすべて「いじめ」とみなし、教師が面談などで子どもの悩みを聞く。

 教師らがいじめを「からかい」などと軽く判断し、対応が不十分になることを防ぐねらいがある。府教育委員会は「アンケートはいじめ把握だけでなく、小さいうちに見つけて対応するという教師の意識を徹底させるのにも役立っている」と分析する。 子どもの心の問題に詳しい、つつじが岡メンタルクリニック(仙台市)の望月美知子院長は「成績や内申書などで自分を評価する立場の教師に悩みや弱みを相談するのはハードルが高い。評価する立場にない大人に相談できる場を増やすべきだ」と指摘する。

 このシリーズでは、子どもが自ら命を絶つことのない社会を願って取材に応じてくれた自殺未遂の経験者や遺族、教師、医師らの証言に基づき、私たちにできることを考えます。「手段を詳しく伝えない」「どこに支援を求めることができるのかについて情報を提供する」など、世界保健機関(WHO)が出した自殺報道に関する手引を念頭に伝えていきます。 ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするか、ファクス03・5541・8259、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「小さないのち」係へ。自殺を防ぐための取り組みや体験談などもお寄せください。(大岩ゆり、片山健志)

378NAME:2017/06/09(金) 23:07:42
【福岡・母子3人殺害】
夫の巡査部長を逮捕 「仕事熱心」「子煩悩」「寡黙で礼儀正しい人」…
2017.6.8 19:40更新
http://www.sankei.com/west/news/170608/wst1706080085-n2.html

福岡県小郡市の住宅で中田由紀子さん(38)と子供2人が殺害された事件で、県警は8日、由紀子さんに対する殺人容疑で、夫で県警通信指令課に所属する巡査部長の充容疑者(38)を逮捕した。 長男で小学4年の涼介君(9)と、長女で小学1年の実優さん(6)は首を絞められて窒息死しており、県警は、充容疑者が2人の死亡に関し、何らかの事情を知っているとみて調べる。

■子供2人に「あいさつしなさい」…自転車を教える姿も

 逮捕された巡査部長の中田充容疑者は、所属する通信指令課で、まじめで堅実に仕事をこなすと評価されていた。地域では「警察官らしいまじめな人」(近隣住人)。子煩悩な一面もあった。

▼【写真】逮捕された夫の巡査部長

 関係者によると、中田容疑者は前任の筑後署自動車警ら隊を含め、勤務評価は良好だった。 地域での人付き合いは限られていたようで、自宅周辺の住民は中田容疑者について、礼儀正しく「寡黙な人だった」と話す。

▼【写真】夫の巡査部長を逮捕…記者会見で長々と頭を下げる県警幹部

 家族を知る人の話では、殺害された妻の由紀子さんが主に対外的な用事もこなしていた。中田容疑者は、亡くなった子供2人に「あいさつしなさい」としつけをしていたという一方、かわいがっていた様子もうかがえる。近くに住む男性(79)は「1〜2週間前、長女の実優さんに自転車を倒れないように支えながら優しく声を掛け、乗り方を教えているのを見かけた。実優さんは楽しそうに真剣に練習していた。近くには自転車に乗る涼介君の姿もあった」と話していた。

379NAME:2017/06/10(土) 00:36:25
川越美和さんの孤独死、元恋人と桃井かおり兄が語った借金・酒浸り・摂食障害
週刊女性2017年6月20日号
2017/6/6
http://www.jprime.jp/articles/-/9834

「別れてから連絡してなかったので、結婚して幸せになっていると思ってたのに……」 レコード大賞新人賞にも輝いた女優の川越美和さんが、'08年4月に都内のアパートで孤独死していたことを先週、『週刊女性』は報じた。すると、各方面から大きな反響が寄せられ特に、生前に彼女と交流のあった人々からは、驚きと悲しみの声が上がった。

「'04年から'05年の1年ほど交際していたんです」 そう話すのは、現在50代になるカメラマンのA氏。川越さんとは、'02年ごろに仕事関係のパーティーで初めて会ったという。「出会ったころから、彼女は酒浸りの生活を送っていたんです。お酒はそれほど強くないのですが、とにかく飲まないと寝られない。弱いのに飲んでいる姿が、よけいに痛々しかったんです」 友人だった川越さんの恋愛相談に乗っているうちに、彼女から“じゃあ、付き合ってよ”と告白されたというA氏。付き合い始めてからも、彼女の泥酔はやまなかった。

「当時、彼女はそんなに仕事がなかったので、部屋にいることが多かったんです。毎日、僕が仕事を終えて帰ってくるころには、すでに酔っぱらっていて、将来のことや仕事の話など、まったくといっていいほどまともな話ができない。なので、なんとしてもお酒を断たせようと、一緒に病院に行くことにしたんです」 彼が調べて、杉並区内にあるアルコール治療に詳しい病院へ。お酒を飲むと不快感が出る抗酒薬を処方してもらったのだが……。「彼女はそれがほとんど効かなかった。薬を飲んでも、お酒を普段どおり飲んでしまうんです。最終的には先生に“本人の意思でやめるしかない”って言われてしまいました」

 先週号で、川越さんが芸能界引退後に勤めた不動産会社の同僚は、鹿児島に住む両親や姉妹とは断絶関係にあったと証言している。だが、A氏と交際していたころは、家族関係は良好だったという。「月に1度、多いときは2度も、お父さんから4リットルの芋焼酎ボトルを何本かまとめて送ってきたりしていたんですよ。あと、食材とかも送ってもらっていましたね。やはり、生活が苦しいのがわかっていたので、お父さんが心配していろいろ送っていたんだと思いますよ」 交際時には渋谷区内のマンションに住んでいたというが、家賃が負担になり下町である墨田区に引っ越したという。


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