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366NAME:2017/02/25(土) 23:04:49
小金井ストーカー 「私をめちゃくちゃに」被害者意見陳述
毎日新聞2017年2月23日 19時23分(最終更新 2月23日 19時54分)
http://mainichi.jp/articles/20170224/k00/00m/040/048000c

東京地裁立川支部の裁判員裁判 「悔しい」と心境語る

 「私の身体をこんなにめちゃくちゃにした。頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい悔しい」。東京都小金井市で昨年5月、岩埼友宏被告(28)=殺人未遂罪などで公判中=に刃物で刺された大学生の冨田真由さん(21)は、23日に東京地裁立川支部であった岩埼被告の裁判員裁判で意見陳述し、事件後初めて心境などを語った。

<“じゃあ殺せよ”>陳述の後半、声を上げる被告 冨田さんの陳述は次の通り。

 犯人からのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)への書き込みは3年前の6月に始まりました。犯人がライブ会場に来て、「結婚してください」「じゃあ、友達になってください」としつこく言ってきたあたりから、犯人の書き込みも意識するようになり、それからは、去年の5月21日に事件が起こるまで、不安や恐怖が無くなることは一度もありませんでした。特に、生き死にに関する書き込みが1日に何件もくるようになったことや、1月17日のライブ終了後にしつこく付きまとわれたことなどがきっかけで、さらに不安や恐怖を大きく感じるようになっていました。こういった犯人の姿は、ファンではなく完全にストーカーそのものでした。

 5月21日、犯人に待ち伏せをされ、後を追いかけられて、最後には殺されそうになりました。犯人は、私に無視されたから刺したと言っているようですが、追いかけられている間、私は、「急いでいる」「リハーサルがある」と言って、何度も断りました。しかし、犯人は、私のそういった言葉には全く耳をかさず、後をついてきました。私の事情は、犯人にとって、どうでもいいという感じでした。

 意識を失って、次に病院で目が覚めたとき、すぐに何があったのかは理解できました。そして、それと同時に、事件の記憶がひとつひとつよみがえってきました。刺されたところが一気に熱くなったこと、首を思いっきり刺されて口の中にも血の味が広がったこと、犯人が恐ろしい形相で私を刺してきたこと、刃物の形、床が血の海に見えたほど自分の身体からたくさんの血が流れ出ていたこと、そこに倒れたこと、犯人に対して足で抵抗しようともがいたことを、はっきりと覚えています。その恐怖は、今でも忘れることができません。事件の後からは、今まで感じていたものよりも、はるかに大きい不安や恐怖を感じています。

 入院中は、他の患者さんとすれ違うことも、病室にお医者さんや看護師さんが入ってくることも怖かったです。傷の処置のために使われているハサミは、見るたびに刺されるかもしれないとビクビクしていました。お見舞いに来てくれる人に対しても、私を殺しに来たんじゃないかと思い、その不安から気が休まることはありませんでした。退院した後も、そういった気持ちが変わることはありません。

 事件の日から、本当に全てが変わってしまいました。家族と過ごしていた時間、友人とたわいもない話をして笑っていた時間、大学で大好きな勉強をすること、大好きな音楽やお芝居をすること。今まで大切に積み重ねてきたものや時間の全てが、一瞬で奪われてしまいました。普通に過ごしていたはずだった毎日を返してほしい。犯人の身勝手な行動のせいで失ったものは数えきれません。

367NAME:2017/02/25(土) 23:05:21
 傷のない身体も失ったものの一つです。傷のない、元の身体を返してほしい。犯人は何ひとつ傷ついていないのに、私だけが身体にも心にもこんなに多くの傷を負って、これから先も痛みに耐えて生きていかなければならないと思うと、悔しいし、許せません。傷を保護するテープを毎日張り替えているため、毎日傷つけられた身体を見なければなりません。その度に、SNSで執拗(しつよう)な嫌がらせをされたことや事件の日のことが思い出されてしまい、何でこんなことになってしまったのかと何度も何度も苦しくなります。

 外出したくても、事件で刺されて殺されそうになったときの光景を思い出してしまい、ほとんど外出することができません。 眠ろうとしているときも、事件の日のことが頭の中で何度もリピートされたり、眠れたとしても、犯人が夢に出てきて、また私を殺そうとしてくるので、すぐに目が覚めてしまい、ほとんど眠ることもできません。

 今でも、毎日リハビリを続けていますが、思うように身体が動きません。大好きだった歌うことも、食べることも、口にまひが残っていて苦痛になっています。大好きだったギターも、ほとんど弾くことができません。視力が低下していたり、視野が狭くなっていたり、常に行動に制限が出ています。そのため、少し歩いたら物や人にぶつかりそうになります。右足の親指にもまひが残っていて、家の中でさえすぐにつまずいてしまいます。「どうして当たり前にできていたことができないの」と悔しくてたまりません。 私の身体をこんなにめちゃくちゃにした犯人に腹立たしさを感じて、頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい悔しくて、毎日気がつけば泣いています。

 犯人や犯人の家族からも、裁判の日まで謝罪の言葉は一切ありませんでした。裁判で、「申し訳ないとは思っています」という言葉は口にしたようですが、自分の罪を軽くするために言っているようにしか聞こえず、全く心に響きませんでした。私や私の家族が今日までどんなに苦しい気持ちで過ごしてきたのか、わかりますか。犯人も犯人を育てた両親も、犯人に関わるもの全てを許すことができません。

 犯人は、私の調書を法廷で読み上げてもらっている間、笑っていたようですが、こんな事件を起こしておいて、どうして笑うことができるのか、理解できません。全く反省していないんだと思いました。今、私が意見陳述をしている間も、きっと心の中では笑っていて、反省はひとつもしていないと思います。犯人はまた絶対に同じことをする。また犠牲になる人が絶対にいる。こんな人を野放しにしてはいけない。絶対に許してはいけない。一方的に感情を抱き、思い通りにならなければ、人を殺そうとする人です。私を恨んで、今度こそ私を殺しに来るかもしれないし、私の家族や友人にも危害が加えられるかもしれません。

 もうこの世の中に出てきてほしくない。今すぐに消えてほしいです。それがかなわないならば、一生刑務所にいてほしい。そうでないと、安心して生活できません。 いろいろな方に助けていただいた命なので、しっかりと生きていかなければいけないと思っています。しかし、生きていてよかったと思う気持ちと、傷だらけの自分の姿やまひの残った口を見て苦しくなる気持ちが毎日繰り返されます。

 傷ついているのは私だけではありません。家族も同じです。事件以降は、もう一生分くらい苦しんでいますが、その苦しみは今も続いています。犯人の身勝手な言葉や行動に、私も家族も毎日のように悩まされてきました。裁判官や裁判員の方々には、私や家族がどんな思いで過ごしてきたのか、私が今後、後遺症を抱えてどんな生活をしていかなければならないのか、ということも理解してもらいたいです。

 今までの判決がこうだから、前例がないから、という理由では判断しないでください。 今後同じような事件が二度と起きないように、私みたいに苦しむ人がいなくなるように、この事件で厳しい判決を出していただきたいです。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170224/k00/00m/040/048000c#csidx10f81880b67ce28be7c9d53478ca407
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368NAME:2017/02/25(土) 23:48:12
冨田真由さんの意識回復は、2016年6月3日
http://newsmatomedia.com/tomita-mayu-2

冨田さんは2016年5月21日に刺傷事件が起きてから意識不明の状態が続いていましたが、約2週間後となる2016年6月3日に意識が回復しました。

日本医科大学付属病院高度救命救急センター部長の横田裕行教授によれば、冨田さんの回復は「奇跡的」だという。「病気での心肺停止の場合はAED(自動体外式除細動器)などで蘇生することも珍しくなくなりました。しかし、今回のような外傷による心肺停止のケースでこうして回復するのは非常に珍しい。それだけ救急隊の搬送から救命チームへの連絡がうまくいき、高度で適切な措置が行なわれた結果だと思います」

証人尋問で目撃者の1人は「(犯人は)首回りを狙って、考えながら刺しているようにしか見えなかった。やみくもではなく、考えながら刺していた」と、犯行の様子を語った。現場から数メートル離れた位置にいた証人は、「男性が女性を殴っているように見えた」が、近づくと岩埼被告の手に刃物が見えたという。「常軌を逸しているようで、野生の動物が獲物を仕留めているようだった」と話した。また、冨田さんが「なんで、なんで」と声を上げていたとも証言した。血だまりを見た証人は警察に通報。岩埼被告が刺すのをやめた様子に「もう刺すところがないのかなと思った」と説明した。一緒に目撃した知人が、ショックから自殺を図ろうとしたことも明かし「私たちも二次被害を受けている。残酷な事件だと思う」と話した。

岩崎のような異常者を即刻極刑に処すことの出来る社会に。

369NAME:2017/03/06(月) 13:46:23
M-1ファイナリストの妻が変えた夫の逃げ癖 スーパーマラドーナ田中の知られざる失踪劇
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/m-1%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ae%e5%a6%bb%e3%81%8c%e5%a4%89%e3%81%88%e3%81%9f%e5%a4%ab%e3%81%ae%e9%80%83%e3%81%92%e7%99%96-%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%8a%e7%94%b0%e4%b8%ad%e3%81%ae%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%96%e3%82%8b%e5%a4%b1%e8%b8%aa%e5%8a%87/ar-AAnPUHY?ocid=iehp#page=1

毎週月曜夜7時から放送中の「結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち」(TBSテレビ系)。人気番組「プロ野球戦力外通告」「プロ野球選手の妻たち」を手掛けるスタッフが、夫を支える妻の姿をとおして、夫婦の愛と葛藤に迫るドキュメンタリーだ。 今回の主役妻は、田中ヒカリさん、32歳。夫は、お笑いコンビ「スーパーマラドーナ」の田中一彦(以下、敬称略)。スーパーマラドーナといえば、昨年末、漫才の頂上決定戦「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残った実力派漫才で、コワモテのツッコミ役・武智と、ひ弱なボケ役・田中という対照的なキャラクターが売りのコンビだ。

 そんな田中のプライベートはというと、7歳年下の妻・ヒカリさんに、歯ブラシを口の中に入れてもらったり、服を着せてもらったり。まるで子供のようなダメダメ夫。一流芸人になってもらうことが妻・ヒカリさんの願いなのだが、田中には致命的な欠点があった。 それは逃げ癖だ。これは、嫌なことがあると、とにかく後先考えず逃げ出す癖があるという夫を持った妻の奮闘記である。

逃げ癖のあるダメダメ芸人!?

 田中は26歳のとき、吉本の養成所で相方の武智と出会い、マラドーナの名でお笑いコンビを結成。しかし、4年目の2007年、ネタ合わせで相方・武智にダメ出しをされ、仕事をすべて放り出し逃亡した。 当時はコンビを解散する事態となったが、相方・武智の説得もあり、4カ月後に再結成。コンビ名をスーパーマラドーナに変えての再出発をした。と、ここまでは有名な話なのだが、実は田中の逃げ癖はそれだけではなかった。

 妻・ヒカリさんが逃げ癖夫・田中と出会ったのは、今から4年前。当時、大阪の飲食店で働いていたヒカリさんが、ふと店のテレビに目を向けると、ある1人の男が目に留まった。それがスーパーマラドーナの田中。といっても当時のスーパーマラドーナは決して売れっ子芸人ではない。 長い下積み生活の中、テレビのレギュラーは関西で1本のみ。1人で家賃も払えないので、後輩芸人と同居しているような状態だった。そんな売れない芸人に、ヒカリさんはくぎ付けに。なぜなら、ヒカリさんは子供のころから、根っからの世話好き。見るからに弱々しく頼りない田中に心を引き付けられたのだ。

 そこからヒカリさんは田中のライブに足を運ぶようになり、徐々に恋心が芽生えていった。そしてついに、知り合いのつてをたどって、田中を紹介してもらえることに。ヒカリさんにとっては、ひそかに恋する人と会えるチャンス。そこで、思い切った行動に出る。 「私、めっちゃファンなんです! めっちゃタイプなんです! 彼女にしてほしい! いや、結婚してください!」 なんと初対面でプロポーズ。あまりに積極的な態度に、冷めていた田中ではあったが、それでもこれをキッカケに2人は頻繁に会うようになる。猛アタックする女と、拒む男。そんな関係が1年ほど続いたある日、田中はとんでもない事件を引き起こした。

370NAME:2017/03/06(月) 13:47:44
嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた

 2014年4月24日。田中は相方の武智とネタ合わせをしていた。しかし、この日は中々うまくいかず、イライラする武智は「また間違えてるやん! 辞めてまえ! ボケ!」と田中をしかり続けていた。すると田中の逃げ癖が爆発する。実は田中は嫌なことからは逃げまくる人生を歩んできた。 中学時代は、野球部に所属したが、上級生になると先生からいちばん怒られるという理由で2年の終わりに退部。大学に進んでもクラスにヤンキーがいるから怖いと1年で中退。ファミレスのアルバイトを始めたら、覚えが悪いと店長に怒られて初日に辞めた。芸人になっても、コンビ結成4年目のときに、相方にしかられて失踪。そんな逃げ癖が、再び顔を出した。

 田中が相方の武智にしかられた翌日。ヒカリさんのもとに、当時田中と同居していた後輩芸人から「田中さんの居場所、知りませんか? 田中さんがいなくなったんです」という連絡が……。聞けば、家に携帯と書き置きを残していなくなったという。 「血の気がサーッと引いて……。いや、飛んだんやって思って……」 すぐさま、ヒカリさんは田中の家へ。するとテーブルの上には田中の携帯電話と「ごめん、ありがとう」という意味深な言葉が書かれた置き手紙が。普通ではない空気を察したヒカリさんは居場所を探るため、田中の携帯電話に手掛かりを求めた。するとそこには、自殺サイトを調べた検索履歴があった。ヒカリさんはすぐさま警察に連絡した。

愛する男性の命を救いたい! 執念の大捜査!

 ヒカリさんの捜査が始まった。田中が漫画好きなことから、心当たりを得た。それは、漫画喫茶。大阪のミナミと新大阪周辺には漫画喫茶が30軒。ヒカリさんはそこを手当たり次第に訪れた。しかし、どこにも田中の姿はない。 「ほとんど寝ずに探して調べて。帰り道に歯を食いしばって泣きながら帰ったのを、よーく覚えています」 失踪から10日が経過。絶望的な気持ちになっていたその時、警察から思いがけない電話がかかってきた。なんと大阪の隣、兵庫県神戸市の中心街である三宮で、田中が現金を下ろしていたことが確認できたという。ヒカリさんは、田中が生きていたことにまずは胸をなで下ろした、そして、すぐさま、三宮へ向かった。

 三宮に着くと、すぐさま繁華街や漫画喫茶をしらみつぶしに探した。田中の失踪から15日後。ついに、1軒の漫画喫茶で、個室の入り口に田中の靴を発見。田中の居場所をつかんだのだ。 ヒカリさんはすぐさま、相方の武智に報告。武智の到着を待ってから、個室の扉を開くとそこには確かに田中の姿があった。ヒカリさんが「ターくん」と声をかけると、「あっ」と驚いた様子の田中。そして、 「帰ろう」 ヒカリさんの言葉に田中はそっとうなずいて、そのまま出てきたのだった。相方にしかられて自信を失い逃げ出した田中は、帰るに帰れず、漫画喫茶を転々としていたのだという。警察をも巻き込んだ田中の大逃亡劇は、結婚したいほど田中にほれ込んでいたヒカリさんの執念により終止符が打たれた。当時、田中は事務所から体調不良による休養と発表されていた。

371NAME:2017/03/06(月) 13:48:46
そしてこの時、逃げ癖田中のヒカリさんへの思いに変化が生まれた。 「そんなに好きでいてくれるって、ありがたい。そんな人、これから先、現れへんやろなと思って」 この事件をきっかけに、2人は交際をスタート。そして2年後の昨年3月。逃げ癖田中とヒカリさんは夫婦となった。 結婚をして1年にも満たない2人。ヒカリさんは夫の逃げ癖が出ないよう、落ち込んでいる日はなんでも賛同する、落ち着いたころにアドバイスするなどまるで子供を育てるように世話をやいていた。それもこれも、夫への愛、そして何より夫の芸人としての才能を信じているからこそ。

妻との出会いで変わった逃げ癖夫! いざ、大舞台へ!

 そんな結婚は、確実に田中を変えていた。実際、かつてネタのすべてを相方の武智に任せていた田中が、「あと1個だけボケを変えたいんです」と夜中まで粘ってネタ作りをする姿が見られるように。そしてこの変化が結果に現れた。スーパーマラドーナは昨年末の「M-1グランプリ」で優勝を争う9組に勝ち残ったのだ。 それは、逃げ癖夫とヒカリさんが夫婦になって初めて迎える大舞台。そんな「M-1グランプリ」を直前に妻の思いはただ1つ。「大舞台から逃げ出さないでほしい」。それだけだった。

 大会当日。本来ならば、ゲンを担いだ食事や豪勢なメニューで夫を送り出したいところだが、ヒカリさんは下手にプレッシャーがかからないようにと、特別感のない夫の好物「にゅうめん」を選んだ。いつもどおりに服を着替えさせた。 出発のとき。そのまま送り出すかと思いきや、夫の逃げ癖が心配な妻は、最後の最後に逃げ出さないよう新大阪駅まで送り届けた。その後、逃げ癖夫・田中は東京で相方・武智と合流し、無事に会場入り、本番を待っていた。 一方、妻のヒカリさんは、本番直前に夫の事務所の先輩、ザ・ぼんちのおさむ師匠の自宅を訪ね、本番まで待機。夫の大舞台を1人で見る勇気が出なかった。

 午後6時半。ついにM-1グランプリがスタート。妻にとって心配なのが、逃げずに舞台に現れてくれるかどうか。かじりつくように見る画面に、夫の姿を発見し、まずは一安心した。 3503組が参加した昨年のM-1グランプリ、この日決勝に進出できたのは、9組。この9組の中で獲得点数上位3組が次の最終決戦に進むことができる。スーパーマラドーナは、なんとこの上位3組に残り、最終決戦に進出した。 グランプリは、同じ事務所の3期後輩、銀シャリ。その時妻は、テレビに向かってつぶやいた。「よう、頑張ったね」。

 「ほんまによく頑張ってくれたなっていうだけです。悔しい気持ちもあるんですけど」

 そう言って流す涙は、逃げ癖夫を大舞台で優勝を争うまでに育て上げた、喜びの涙なのかもしれない。最後にヒカリさんに質問をしてみた。「田中さんのどこを好きになったんですか?」。ヒカリさんはこう答えた。 「いちばん面白くて、いちばんカッコイイ! 今から田中好きやって言っても、もう遅い。もう私います!」 逃げ癖のあるダメダメ夫。しかし、ヒカリさんにとっては誰よりもカッコよく見える男だ。

372NAME:2017/04/06(木) 22:47:08
ドロ沼?松本人志と確執の角田信朗が公式ブログ削除
日刊スポーツ 4/6(木) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170406-01803518-nksports-ent

ダウンタウン松本人志(53)との確執を告白したことで話題となったK-1競技統括プロデューサーでタレントの角田信朗(55)の公式ブログが、6日までに削除されたようだ。 最後に更新されたのは1月23日で、「謝罪」と題されたエントリーだった。角田は「私自身の思慮に欠ける突然の発信で、松本人志氏、そして関係各位の皆様に、大変不愉快な思いをさせてしまった事を、心よりお詫び申し上げます」と謝罪していた。

 騒動の発端となったのは角田が1月16日のブログで、8年前にダウンタウンの番組からの出演オファーを断ったことから“誤解”が生じて松本を怒らせてしまい、以降は出演NGの状態が続いていると告白したもの。  誤解を解くために、その後もブログで松本サイドへ理解を求めてきたが、松本は同月22日のフジテレビ系「ワイドナショー」で、当時角田が“ドタキャン”したことで収録自体がなくなってしまっていたことを明かし「これは正直大問題というか。僕が怒っているとかそういうことじゃなくて、番組とか吉本とか、もっといえば日本テレビとの問題なので、僕が共演NGとかいう小さい話じゃないんですよ」と真相を明かしていた。

373NAME:2017/04/10(月) 01:24:08
慶応大病院手術で女児脳障害 「病院の肩書に圧倒されて…」悔しさにじませる両親
2016.7.21 07:18更新
http://www.sankei.com/affairs/news/160721/afr1607210006-n1.html

「きょうだいゲンカしたかった」

 慶応義塾大学病院(東京都新宿区)で心臓手術を受けた高橋心音(ここね)ちゃん(5)の脳に重度の障害が残った問題。心音ちゃんの父、歩(あゆみ)さん(43)と母、亜希子さん(39)は「病院の肩書に圧倒されて、何も言えないままだった」と悔しさをにじませる。 両親や代理人弁護士によると、心音ちゃんの心臓にあいていた2つの穴は、成長するにつれてふさがる可能性もある程度の大きさだった。だが、「うちにはトップクラスの技術がある。成功率97%の手術だ」などと勧められ、平成22年12月24日のクリスマスイブに手術に臨んだ。

 術後、担当医から「穴はふさがった。手術は成功です」と伝えられ、安心したのもつかの間、わが子は目の前で手を振っても反応しなくなっていた。年が明け、手術から2週間ほどが過ぎても状況は変わらなかったが、担当医は「麻酔の影響でぼんやりしているだけ」と繰り返した。 脳に障害が残ると伝えられたのは、手術から約1カ月後の23年1月。病院の会議室に出向くと、担当医や小児科医らがそろい、「手術中に脳に酸素が行きわたらず、低酸素性虚血性脳症になった」と言われた。「なぜ心臓の手術で脳に障害が残るのか」。納得のいく答えは得られないまま、翌日には一般病棟に移され、退院をせかされるようになった。

心音ちゃんの姉で小学4年の璃音(りおん)ちゃん(9)は、自分の誕生日などのたびに「心音ちゃんが治る薬がほしい」とねだった。だが、小学校に上がるころには妹の回復が見込めないことに気付きはじめたのか、今では「一緒に登校したかった」「きょうだいゲンカがしたかった」と話すようになったという。 心音ちゃんは自宅の布団で寝たきりの状態でいる。食べ物を飲み込むこともできない。病院側は当初、「子供の脳には無限の可能性がある」と機能回復を見込む説明をしていたが、別の病院では「難しい」と言われた。

 手術中に何があったのか。専門医や医療過誤の被害者家族から意見を聞いた。慶大病院からも治療経過の資料を取り寄せた。「3つ目の穴をふさぐために入れた送血用の管が、脳への血流を阻んだに違いない」。気付いたときには手術から5年が過ぎていた。 歩さんは言う。「訴訟提起は親としての義務を果たすため。同時に、同じことを決して繰り返してはいけないという思いだ」

374NAME:2017/04/17(月) 22:37:47
※週刊ポスト2016年2月26日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160215_385264.html?PAGE=2

それで清原さんに「シャブがありますよ」と勧めました。外国人選手がコーヒーに入れて飲んでいることを話し、「やってみます?」と飲ませてあげました。耳かき3杯分くらいを入れたと思います。すると広島市民球場でしたが、清原さんは3試合連続でホームランを打ったんです。 「こりゃエエな。最高や。ハイになってしもたわ」と上機嫌だったのを覚えています。

──1998年5月29日〜31日、巨人は広島で3連戦を戦っている。当時のスコアを確認すると、確かに清原は3試合連続でホームランを放っている。

375NAME:2017/04/17(月) 22:51:40
【川崎踏切事故】
高齢男性は自殺図ったか 家族に「死にたい」
2017.4.17 21:53更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170417/afr1704170021-n1.html

川崎市川崎区の京急電鉄八丁畷駅前の踏切で、横浜銀行に勤務する児玉征史(まさし)さん(52)=横浜市鶴見区尻手=が踏切内にいた高齢男性を救助しようとして2人とも電車にはねられ死亡した事故で、高齢男性が自殺をしようとしていたとみられることが17日、神奈川県警川崎署への取材で分かった。同署は、高齢男性について、身体的特徴や所持品などから現場近くに住む無職の77歳と特定。引き続き当時の詳しい状況などを調べている。

 同署によると、男性は以前から、同居する家族に「死にたい」などと話していた。事故当日の15日は、家族が外出中にひとりで家を出たとみられるという。

 事故は同日午前9時10分ごろに発生。男性は警報灯が光り始めてから踏切内に立ち入り、中で立ち止まっている様子が付近の防犯カメラに写っていた。その後、児玉さんがすでに完全に下りていた遮断機を持ち上げて踏切内に入り、男性を救助しようとしたとみられる。

376NAME:2017/04/24(月) 20:32:31
「学校に言わないでって言ったでしょ」 命絶った息子
2017年4月23日07時07分
http://digital.asahi.com/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html?rm=594

 「同級生にからかわれ、先生に言っても直らない。学校に行きたくない」。2014年9月。仙台市内の中学1年の息子(当時12)が単身赴任中の父親(49)に泣きながら電話をかけてきた。「俺が学校に行って話すから」。父親は語りかけた。でも、最後の会話になってしまった。翌日、息子は自殺を図り、意識が戻らないまま1週間後に亡くなった。

入学して間もない5月ごろから、息子は同級生らの悪口やからかいを苦に、登校や部活を嫌がるようになった。7月には「学校に行きたくない」と自室のドアを家具でふさぎ、学校を1週間ほど休んだ。母親(44)は学校に相談。生徒指導のための臨時学年集会が開かれた。登校を再開した息子は、同級生から「チクった」と言われた。合唱の練習では、歌に息子の名前と同じ歌詞が出てくるたびに笑われた。

 夏休み明けに母親が再び学校に相談すると、息子は怒った。「言わないでって言ったでしょ。言ったって何も変わらない」。その約2週間後に亡くなった。

 仙台市は有識者による専門委員会に調査を諮問。15年と16年の2度の答申では、いじめがあったことや自殺との関連を認めた。だが父親は、答申の中身を読んで驚いた。当時の認識を問われた担任は「いじめとは捉えていなかった。今でもそう思っている」と答えていた。「こんなに理解のない境遇にいたとは」。後悔がこみ上げ、夫婦で泣いた。

 ログイン前の続き「学校や部活が嫌なら行かなくていい。親御さんも子どもが嫌がったら行かせないで。10代はまだ人生のスタート地点。命だけは大切にして欲しい」。父親は再発防止を強く願う。 同じ仙台市内で16年2月、中学2年の男子生徒(当時14)が自宅で自ら命を絶った。半年以上前から部活の後輩らにいじめられ、学校のアンケートに「キモイと言われる」などと訴え、友人関係を「最悪」と答えていた。担任が尋ねると生徒は「大丈夫」と答え、対応はとられなかった。

 母親(50)には時折、悩みを話していたが、「先生には言わないで」と言った。母親は担任に伝えつつも、「見守ってもらいたい」と要望したという。 15年12月15日の夜。生徒は母親に切々と悩みを打ち明けた。「死ね」「整形しろ」などと言われてつらい、学校に行きたくない……。母親はじっと聞き、「あと少しで冬休みだから」と声をかけた。年が明け、生徒は普段通り登校を続けた。でも、親しい友人にはSNSでメッセージを送っていた。「この世を去る事にしたよ」

 今年3月末、専門委はいじめが理由の一つだったとする答申を出した。石井慎也副委員長(弁護士)は会見で、いじめられている生徒がエスカレートすることを恐れ、いじめる側への指導を嫌がることは今後もあり得ると指摘。「子どもが『大丈夫』と言っても、周りの生徒にそれとなく話を聴くなどの対応をとる必要がある」と語った。 両親は「息子に乗り越えて成長してもらいたいという期待もあったが、息子は守られず、いじめの詳細は分からない。いじめた生徒を指導してもらえばよかった」と悔やむ。

377NAME:2017/04/24(月) 20:33:44
■いじめの早期発見模索

 文部科学省によると2015年度、いじめによる重大な事態は314件、9人が自殺で亡くなった。報復を恐れて黙っていたり、「いじめた本人には言わないで」と懇願したりする子どもたちがいる。大人に何ができるのだろうか。 大津市が昨年行った、小中学生約5千人への調査では、いじめを受けた子どもの3割近くが「誰にも相談しなかった」と答えた。相談した子どもの73%は、相談後にいじめがなくなったり少なくなったりしたと回答。ただ、5%はいじめが悪化したと答えた。

 国立教育政策研究所の滝充・客員研究員は、いじめを悪化させない学校での工夫を提案する。たとえば、いじめの訴えの後、いじめた側をすぐに指導せず、教師が情報を共有しながら見守る期間を設ける方法だ。からかいなどの現場を教師が見て、そこで止めに入れば「チクった」とはならない。「助けを求めてきた子を、教師たちは守り通してほしい」と滝さんは言う。

 東北地方のある公立中では、教師がいじめた生徒になぜしたのか、いじめられた生徒にやられてどう思ったのかを聞き、互いの気持ちを理解するまで3人で話す。「教師が信頼されていないと指導は伝わらない」(生徒指導担当)と、生徒との信頼関係をみて指導する教師を決める。 子どもがSOSを出しやすくするための模索も各地で続いている=表。NPO「ストップいじめ!ナビ」(事務局・東京都)の小島秀一弁護士は「いじめをゼロにするのは難しいが、大切なのは早期発見と早期対応。相談しやすい環境、雰囲気づくりが欠かせない」と話す。

 北海道旭川工業高では「絆ネット」というメールの相談窓口を設け、担任ではなく生徒指導の教師に直接相談が届くようにしている。静岡県の掛川市立西中学校では、PTA役員OBの有志が携帯電話で相談に乗る。「あだ名がつらい」という相談に教師と協力して対応し、深刻になる前に解決したこともあった。 京都府は、府内の小中高生向けのアンケートの「聞き方」を工夫している。いじめの有無を直接聞くのではなく、「いやな思いをしたことはないですか?」と尋ねる。「ある」と答えたケースはすべて「いじめ」とみなし、教師が面談などで子どもの悩みを聞く。

 教師らがいじめを「からかい」などと軽く判断し、対応が不十分になることを防ぐねらいがある。府教育委員会は「アンケートはいじめ把握だけでなく、小さいうちに見つけて対応するという教師の意識を徹底させるのにも役立っている」と分析する。 子どもの心の問題に詳しい、つつじが岡メンタルクリニック(仙台市)の望月美知子院長は「成績や内申書などで自分を評価する立場の教師に悩みや弱みを相談するのはハードルが高い。評価する立場にない大人に相談できる場を増やすべきだ」と指摘する。

 このシリーズでは、子どもが自ら命を絶つことのない社会を願って取材に応じてくれた自殺未遂の経験者や遺族、教師、医師らの証言に基づき、私たちにできることを考えます。「手段を詳しく伝えない」「どこに支援を求めることができるのかについて情報を提供する」など、世界保健機関(WHO)が出した自殺報道に関する手引を念頭に伝えていきます。 ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするか、ファクス03・5541・8259、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「小さないのち」係へ。自殺を防ぐための取り組みや体験談などもお寄せください。(大岩ゆり、片山健志)

378NAME:2017/06/09(金) 23:07:42
【福岡・母子3人殺害】
夫の巡査部長を逮捕 「仕事熱心」「子煩悩」「寡黙で礼儀正しい人」…
2017.6.8 19:40更新
http://www.sankei.com/west/news/170608/wst1706080085-n2.html

福岡県小郡市の住宅で中田由紀子さん(38)と子供2人が殺害された事件で、県警は8日、由紀子さんに対する殺人容疑で、夫で県警通信指令課に所属する巡査部長の充容疑者(38)を逮捕した。 長男で小学4年の涼介君(9)と、長女で小学1年の実優さん(6)は首を絞められて窒息死しており、県警は、充容疑者が2人の死亡に関し、何らかの事情を知っているとみて調べる。

■子供2人に「あいさつしなさい」…自転車を教える姿も

 逮捕された巡査部長の中田充容疑者は、所属する通信指令課で、まじめで堅実に仕事をこなすと評価されていた。地域では「警察官らしいまじめな人」(近隣住人)。子煩悩な一面もあった。

▼【写真】逮捕された夫の巡査部長

 関係者によると、中田容疑者は前任の筑後署自動車警ら隊を含め、勤務評価は良好だった。 地域での人付き合いは限られていたようで、自宅周辺の住民は中田容疑者について、礼儀正しく「寡黙な人だった」と話す。

▼【写真】夫の巡査部長を逮捕…記者会見で長々と頭を下げる県警幹部

 家族を知る人の話では、殺害された妻の由紀子さんが主に対外的な用事もこなしていた。中田容疑者は、亡くなった子供2人に「あいさつしなさい」としつけをしていたという一方、かわいがっていた様子もうかがえる。近くに住む男性(79)は「1〜2週間前、長女の実優さんに自転車を倒れないように支えながら優しく声を掛け、乗り方を教えているのを見かけた。実優さんは楽しそうに真剣に練習していた。近くには自転車に乗る涼介君の姿もあった」と話していた。

379NAME:2017/06/10(土) 00:36:25
川越美和さんの孤独死、元恋人と桃井かおり兄が語った借金・酒浸り・摂食障害
週刊女性2017年6月20日号
2017/6/6
http://www.jprime.jp/articles/-/9834

「別れてから連絡してなかったので、結婚して幸せになっていると思ってたのに……」 レコード大賞新人賞にも輝いた女優の川越美和さんが、'08年4月に都内のアパートで孤独死していたことを先週、『週刊女性』は報じた。すると、各方面から大きな反響が寄せられ特に、生前に彼女と交流のあった人々からは、驚きと悲しみの声が上がった。

「'04年から'05年の1年ほど交際していたんです」 そう話すのは、現在50代になるカメラマンのA氏。川越さんとは、'02年ごろに仕事関係のパーティーで初めて会ったという。「出会ったころから、彼女は酒浸りの生活を送っていたんです。お酒はそれほど強くないのですが、とにかく飲まないと寝られない。弱いのに飲んでいる姿が、よけいに痛々しかったんです」 友人だった川越さんの恋愛相談に乗っているうちに、彼女から“じゃあ、付き合ってよ”と告白されたというA氏。付き合い始めてからも、彼女の泥酔はやまなかった。

「当時、彼女はそんなに仕事がなかったので、部屋にいることが多かったんです。毎日、僕が仕事を終えて帰ってくるころには、すでに酔っぱらっていて、将来のことや仕事の話など、まったくといっていいほどまともな話ができない。なので、なんとしてもお酒を断たせようと、一緒に病院に行くことにしたんです」 彼が調べて、杉並区内にあるアルコール治療に詳しい病院へ。お酒を飲むと不快感が出る抗酒薬を処方してもらったのだが……。「彼女はそれがほとんど効かなかった。薬を飲んでも、お酒を普段どおり飲んでしまうんです。最終的には先生に“本人の意思でやめるしかない”って言われてしまいました」

 先週号で、川越さんが芸能界引退後に勤めた不動産会社の同僚は、鹿児島に住む両親や姉妹とは断絶関係にあったと証言している。だが、A氏と交際していたころは、家族関係は良好だったという。「月に1度、多いときは2度も、お父さんから4リットルの芋焼酎ボトルを何本かまとめて送ってきたりしていたんですよ。あと、食材とかも送ってもらっていましたね。やはり、生活が苦しいのがわかっていたので、お父さんが心配していろいろ送っていたんだと思いますよ」 交際時には渋谷区内のマンションに住んでいたというが、家賃が負担になり下町である墨田区に引っ越したという。

380NAME:2017/08/15(火) 23:19:50
上原多香子の衝撃不倫を亡夫の弟が告発!! 裏切りの熱愛LINE「会いたいよ。絶対に旦那さんに戻れない」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%81%ae%e8%a1%9d%e6%92%83%e4%b8%8d%e5%80%ab%e3%82%92%e4%ba%a1%e5%a4%ab%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%81%8c%e5%91%8a%e7%99%ba-%e8%a3%8f%e5%88%87%e3%82%8a%e3%81%ae%e7%86%b1%e6%84%9bline%e3%80%8c%e4%bc%9a%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%88%e3%80%82%e7%b5%b6%e5%af%be%e3%81%ab%e6%97%a6%e9%82%a3%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ab%e6%88%bb%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AApNxFs

3年前、自死といういかたちで夫を亡くした上原多香子(34)。上原は2012年8月に、「ET-KING」メンバーでラッパーのTENN(森脇隆宏さん、享年35)と結婚して大阪で新婚生活をスタートしたが、それからわずか2年後の2014年9月25日、TENNさんは自宅マンション駐車場に停めた車の後部座席で首をつって自殺を図り、亡くなった。 遺書は3枚あり、妻である上原、「ET-KING」メンバー、自身のファンにそれぞれ宛てられていたという。当時の報道では、どの遺書にも自殺の理由については記されていなかったとされていた。しかし、8月10日発売の「女性セブン」(小学館)で、TENNさんの実弟が衝撃の告発をしている。兄の自死の理由が、妻の不倫を知ったことだったというのだ。

 上原多香子は、14年7〜9月に出演した舞台で共演していた俳優・阿部力(35)と不倫恋愛の関係にあった。証拠とされているのは、上原と阿部がかわしたLINE文面と、上原のスマートフォンに保存されていたツーショット写真やキス写真。すべて、TENNさんが上原のスマホを見て、自らのスマホカメラで撮影・保存したものだったという。それを、葬儀からおよそ一カ月後の月命日に、TENNさんの実母が発見した。

 当初は家族だけで秘し、誰にも明かさないつもりだったようだが、三回忌を終えた今もなお家族の悲しみは癒えず、TENNさんの実弟は「これ以上、家族だけでは抱えきれない」として告発に踏み切った。また、上原が今年5月に新恋人と「フライデー」され「夫の死を乗り越えようやく立ち直った」等と書かれたことに脱力し、「多香子さんのこういうニュースが出るたびに、天国の兄は毎回ひどい言われようをしてしまうんやとしたら、どうにもいたたまれなくなって」と苦しい胸のうちを明かしている。 同誌に掲載された、上原と阿部のLINEのやりとりは、赤面するほどに相思相愛。阿部は上原を「たかちゃん/たー」と呼び、上原は阿部を「トントン(※中国で活躍する阿部の愛称)」と呼ぶ。

 上原は、<止められなくなるくらい想えるって素敵なことだね。トントンに出会えて、本当によかった><トントンに会いたいよ。旦那さん、大事だけどそれ飛び越えてる><(離婚や浮気はありえないと思っていたけれど、でも)私の一方的やけど肌を合わせて感じるフィット間が今までとはまったく違うの>と、とめどなく愛を伝え、<トントンに想いがすべて行ってる中、騙し騙し旦那さんと居ることが、やっぱり出来ないです(中略)こんな気持ちでは絶対に旦那さんに戻れない>と離婚をほのめかす。浮気ではなくて本気、だったようだ。2017年現在すでに上原は別の恋人がおり、阿部との愛は永遠ではなかったわけだが。

 また、TENNさんは不妊症で子供を望めない体だったという。しかし上原と阿部は<子供欲しい><2人の子供作ろうね><早く(子供に)会いたいね>という会話もしており、恋愛絶頂期特有の高揚感が溢れている。TENNさんから妻・上原へ宛てた遺書には、<子供が出来ない体でごめんね/本当に本当にごめんなさい>とある。自分が死んでも<きっと阿部力となら乗りこえられると思います>、そして<がんばって トントンとお幸せに>と綴られた最後の手紙を、上原はどう受け止めていたのだろうか。

 そして、「女性セブン」では触れられていないのだが、阿部力もまた、既婚者のはずである。阿部は中国人の父と中日ハーフの母とのクォーターで中国芸能界でも活動しており、2009年に年上の中国人女優との結婚を発表。遠距離恋愛を経ての入籍だったことや、妻が中国での女優業を休み日本で阿部の両親と同居生活を送ることなどを明かしていた。公表していないだけですでにこちらの夫婦は破局していたのか、はたまたダブル不倫で燃え上がっていたのか。 いずれにしろ、この告発で“悲劇の未亡人”だった上原のタレントイメージは一変しそうだ。

381NAME:2017/08/15(火) 23:20:47
上原多香子、新魔性の女か!? 関係者「あの目で男を落とす」
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e4%b8%8a%e5%8e%9f%e5%a4%9a%e9%a6%99%e5%ad%90%e3%80%81%e6%96%b0%e9%ad%94%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a5%b3%e3%81%8b%ef%bc%81%ef%bc%9f-%e9%96%a2%e4%bf%82%e8%80%85%e3%80%8c%e3%81%82%e3%81%ae%e7%9b%ae%e3%81%a7%e7%94%b7%e3%82%92%e8%90%bd%e3%81%a8%e3%81%99%e3%80%8d/ar-AAq8sze

女性誌で自身の不倫が夫でET-KINGのTENNさん(享年35)の自殺の一因だったと報じられた女性グループ、SPEEDの上原多香子(34)。現在、名古屋市内で舞台「のど自慢〜上を向いて歩こう〜」(18日まで)に出演中だが、疑惑については口を開いていない。舞台後は無期限の謹慎に入るという。

初日の12日も終演後、報道陣に囲まれたが、神妙な表情で深々と3秒間頭を下げて謝罪の意をみせたが、釈明の発言などはなし。飛び交う質問におじぎを繰り返すだけだった。 不倫相手とされた俳優、阿部力(35)とはTENNさんの死後すぐに関係を解消。現在は演出家のコウカズヤ氏(40)との交際が伝えられている。「もともと彼女自身が奔放なうえ、恋愛体質で、共演者と近い関係になることも少なくなかった。あの目で男を落とすそうです」と芸能関係者。まさに“魔性の女”だ。

382NAME:2017/08/27(日) 19:40:51
アリさん引越社、懲戒解雇は「不当労働行為」 都労働委認定
2017.8.23 17:59更新
http://www.sankei.com/life/news/170823/lif1708230046-n1.html

アリさんマークで知られる「引越社」のグループ会社「引越社関東」で、セールスドライバーだった男性社員(36)が、運転中に事故を起こして弁償のため労働組合に加入したことをきっかけに懲戒解雇やシュレッダー係への配転を命じられたことについて、東京都労働委員会は23日、不当労働行為であると認定した救済命令を交付した。

 命令書などによると、男性は平成27年1月、営業車を運転中に事故を起こし、会社から弁償金を求められたことから、社外の労働組合に加入し、団体交渉を開始。同社は男性を同年8月に懲戒解雇するとともに、顔写真入りで「罪状」と題した解雇文を全店に貼り出した。2カ月後に解雇は撤回されたものの、一日中書類を廃棄するシュレッダー係に配転された。 引越社関東は「担当者が不在」としている。

383NAME:2017/09/04(月) 21:11:17
プロポーズ成功直後に男性転落死 沖縄・伊良部大橋、ふざけて欄干乗り越える
2017.9.4 20:21更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170904/afr1709040019-n1.html

4日午前0時ごろ、沖縄県の宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(宮古島市)から男性が誤って海に転落し、死亡した。男性は橋の上で交際中の女性にプロポーズした直後だった。

 宮古島署によると、死亡したのは、同市平良下里の介護士、石垣有一さん(32)。3日夜、橋の上に車を止め、交際中の同僚女性にプロポーズし、承諾の返事をもらった後、ふざけて橋の欄干を乗り越えて外側の縁に立ち、足を滑らせたという。 海上保安庁のダイバーらが海底に沈んでいた石垣さんを見つけ、引き上げたが死亡が確認された。石垣さんは飲酒した後だったという。

384NAME:2018/01/21(日) 00:07:18
上智大卒、新人賞受賞作家なのに、あらゆる場面で「戦力外通告」、大人の発達障害のリアルを本人が綴る
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e4%b8%8a%e6%99%ba%e5%a4%a7%e5%8d%92%e3%80%81%e6%96%b0%e4%ba%ba%e8%b3%9e%e5%8f%97%e8%b3%9e%e4%bd%9c%e5%ae%b6%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%89%e3%82%86%e3%82%8b%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%88%a6%e5%8a%9b%e5%a4%96%e9%80%9a%e5%91%8a%e3%80%8d%e3%80%81%e5%a4%a7%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%99%ba%e9%81%94%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e3%81%ae%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%92%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%8c%e7%b6%b4%e3%82%8b/ar-AAuVq7u?ocid=iehp#page=2

1997年に新潮新人賞を受賞、著作の『ダンボールハウスガール』が米倉涼子主演で映画化もされた小説家・萱野葵氏を襲った危機。生活のために始めたアルバイトは失敗ばかりで、どれも長続きしない。「言語性知能」と「動作性知能」のギャップに、その謎を解く鍵があった。萱野氏が自らの体験を綴った手記を寄稿した。

 小説を書けないという困惑から、すべてのことが始まった。 1997年に小説家としてデビューしたが、2001年にはすでにピークが来ているのを感じていた。正確には、書けないというのではない。書いても「これは行ける!」という感覚がなくなってしまったのだ。完全なスランプだった。 しかし、一生、小説だけで生きていける人間など一握りだ。私は小説を書くのをやめ、世間の人と同じように働くことにした。医療事務、警備員、牛丼屋店員、スーパー、受付、その他いろんなジャンルの仕事をしてみた。 もちろん、働くのはこれが初めてではない。しかし、働こうと決心はしたものの、本当は働くのが恐ろしかった。

 初めて働いたのは成人を迎えた後、大学2年生でアルバイトをした時だ。ビアホールだった。私は仕事ののみ込みが異常に遅く、もっと速く動いてくれと言われた。飲食店ではテーブルにA1、B2のように店員だけがわかる番号をつける。これを卓番といい、夕方になると「ワンビアA2!」「ツービアC3!」などの怒号が激しく飛び交う。私は最後まで、この卓番が覚えられなかった。おどおどとしながら必死で席を探すが分からずパニックになる。大学のサークルには何とか馴染めたのだが、バイト先では常に浮いている自分がいた。私はたった3カ月でビアホールを辞めた。

 その後、居酒屋のバイトに入った。ビアホールではうまくできなくても、環境が変われば仕事のできる人間になれる、そう信じたかった。しかし、ここでも評価は最悪だった。まず揚げ物と焼き物の区別がつかない。焼き鳥を注文されて、調理場の揚げ物担当の人にオーダーを持って行ってしまう。そして「焼き鳥は焼き物だよ! 分かんないの!?」と怒られる。あるいはコロッケを注文されて、焼き物担当に持って行ってしまい、「コロッケは揚げ物でしょ!?」と怒られる。夜の居酒屋はラッシュだったから、私のトロさは際立って見えた。男性店員にいじめられ、1カ月で辞めた。

385NAME:2018/01/21(日) 00:26:18
●「一流大学なのにできない」同僚に陰口を言われた

 それでも懲りずに、小料理屋でバイトしたが、メニューを覚えられず、中国人や韓国人の店員にフォローしてもらう有様だった。パート従業員の中年女性が、「大学は一流でも仕事のできない人っているものなんだね」と聞こえよがしに私のことを他の店員に話すのが耳に入り、いたたまれなくなって辞めた。 コンビニの店員をしても、同じように店長に叱られてばかりで勤まらなかった。

 大学を出てからOLになったが、ここでもひどい評価を受けた。とにかく仕事ができないから、会社に対して申し訳なかった。コンピュータールームでひたすらデータを打ち込む仕事は退屈でならなかった。しかし、誰も私に難しい作業はさせなかった。クビになってもいいと思ったが、不思議とリストラも肩たたきもなかった。

 後で聞くと、この会社は今まで一度もリストラをしたことがないという。温情豊かな会社に就職したものだ、と思ったが、それでも仕事ができないことと、仕事に楽しさを感じられないことは致命的だった。可愛がってくれた女性社員が、「もう辞めたほうがいいよ。向いてないよ。小説に専念しなよ」 と助言してくれたのをきっかけにして、私はOLを辞めた。

その後、安アパートで一人黙々と小説を書いていたが、それだけでは食えず、スーパーでレジのバイトをした。 自分は仕事ができない、と思いたくなかった。普通の人ができることをできる人間だと思いたかった。 ところが、レジ打ち以外の、途中で売上金を数えたり、閉店後にレジを締めたりという仕事が、やはりうまく理解できず、混乱し、いづらくなって、これもふいっと辞めた。

●何度説明を聞いても仕組みを覚えられない

 そのすぐ後に小説の新人賞を獲り、何冊か本も出し、雑誌でこまごまとした記事を書きながら、何とか生きてきた。しかし、小説が書けなくなってしまった。それで冒頭に書いたように、働くしかなかったのだ。 その後もありとあらゆる場面で、「戦力外通告」を受けた。牛丼屋では昼間の注文の激しい時間帯を避け、夜の掃除専門で入った。そこで年上の女性から「掃除がのろい」と怒られた。私は怖くなって、懸命に早く掃除を終えるようにした。すると今度は「掃除した後がひどく汚い」と言われた。彼女は人をいじめるタイプではない。ただ、私のあまりにひどい働きぶりに業を煮やしているのだ。

「どうしてそんなに仕事ができないの? あなた本当に大卒なの? 私は高卒だけど、あなたよりずっと仕事できるわよ」 と言われ、私は俯くしかなかった。 こうした状態を、小説が書けなくなってから10年以上も繰り返した。最後に勤めたのは高級スーパーのレジ打ちだ。品物をバーコードに通し、袋詰めにする。それが「ひどくのろい」と怒られた。スーパーにはコーヒーメーカーがあり、夜勤帯のバイトが掃除を命じられた。しかし、私は、コーヒーメーカーの内部の仕組みが、何度説明を受けても全く理解できなかった。

「あなたにはもう教えない。普通なら2回で覚えるよ」 と先輩女性従業員は声を荒らげた。 私は必死で仕組みを覚え、できるだけ早くコーヒーメーカーを洗浄しようと努力した。すると、家に帰ってから、店長から怒りの電話があった。「コーヒーメーカーの掃除がひどく汚い。別のバイトが一からやり直した」 この一件で、私は「もう無理だ」と悟った。誰にでもできることが自分にはできない。もう何かがおかしいとしか思えなかった。 私はとうとう、病院の門をくぐった。 医師に今までの人生をざっくりと話した。自分には精神疾患がある、と私は疑っていた。ところが、医師は臨床心理士に知能テストをするよう命じた。私は言われるままにテストを受けた。WAIS=III式という日本ではごく一般的なバージョンのテストだ。

 数週間後にテストの結果が出た。驚くべき事実が待っていた。 知能テストは言語性知能テストと動作性知能テストに分類される。言語性知能とは、通常、「偏差値」と関係していて、意識的な学習の成果とされる。これは、いわば思考力の高さを測る物差しである。動作性知能とは、社会で必要とされる様々な「作業」を司る知能である。こちらは、その場その場の環境変化や問題発生に臨機応変に対応できる能力のことである。言語性知能の検査項目は「言語理解」と「作動記憶」であり、動作性知能の検査は「知覚統合」と「処理速度」からなる。言語性知能と動作性知能を合わせた全体的知能の、平均的な知能指数は90〜109の間。70〜89が「境界例」、50〜69が「軽度知的障害」とされる。

386NAME:2018/01/21(日) 21:57:23
●抜きん出た言語性知能 平均下回る動作性知能

 私は言語性知能が114と、平均より高かった。ところが、動作性知能は平均をはるかに下回り、「境界例」である74。動作性知能のうちの「処理速度」に至っては66で、「軽度知的障害」のレベルであった。 両方を合わせた全体的な数値は96と「平均値」に収まっていたが、あまり意味はない。大事なのは、言語性知能と動作性知能の差が40もあるということだ。医師は差が40もあるのは極めて稀としながらも、「あなたは視覚的で単純な素早い作業が苦手だね。言葉の能力が高いんだから、言葉を使う仕事をすればいいよ」 と気安く言った。しかし、言葉を使う仕事ができれば世の中を渡れるわけではない。 私はコーヒーメーカーの掃除であれレジ打ちであれ、仕事ができるようになりたかった。一方で、動作性知能が境界例と診断されたことで、安堵もしていた。自分が仕事のできない理由が分かったからだ。自分はさぼっているのではないか、と思う時ほど罪悪感にさいなまれる瞬間はなかった。でも、それは違った。私の知的水準が低すぎたのだ。

 大学時代から続く「戦力外」体験に私は自信を失い、引きこもりのようになってしまっていた。逆に言えば、全国で54.1万人(内閣府推計)、予備軍は110万人とも推定される引きこもりの中にも、私のような人々がいる可能性がある(ちなみにこの数字は15〜39歳だけを対象にしたものだが、40代以上を含めると、ぐっと増えて、300万〜500万人もの引きこもりがいるのではないかと推定されている)。

 東京都にある発達障害者のための支援センターで自分の状態を話し、相談に乗ってもらった。知能テストだけで診断名がつくことはなく、様々な検査をして総合的な判断をするのが普通とのことだった。ただ、簡単に言えば、言語性知能が動作性知能を上回るケースを、非言語性学習障害という(しかし、この呼び方は現在あまり使われていない)。融通が利かず、環境の変化や対人関係に柔軟に対応できず、刺激に直面するとショック状態になったりし、空間認知能力や運動神経に問題があるという症状である。そして、非言語性学習障害は、アスペルガー症候群と同義ではないが、アスペルガー症候群との共通点が極めて多く見られる。

●「それはしんどかったね」相談員は驚いて言った

 アスペルガーは生まれつきの性質であり、基本的に「治癒」することはない。対症療法としては、パニックが起きないように環境調整をしたり、苦手な状況を回避したりする、人から誤解されたら、自分の話し方のチェックを心がける、など、素人でも分かりそうなことしかない。治療はできないが、パニックなどの症状回避のためには向精神薬の服薬は有効性がある。またアスペルガーはそれによる鬱、神経症、適応障害などの「二次障害」も生むので、服薬はその場合にも必要となる。

「言語性知能と動作性知能の差が40もあったの! それは生きるのがしんどかったね」 私の話を聞いた相談員は、驚いてそう言った。 それでも私は患者の中では、少しは幸福だったと言えるのだろう。少なくとも生まれつき障害があったのを、今まで感じることなく生きてこられたのだから。そして、昔だったら「異端者」と片づけられたかもしれないものが、実は「発達障害」なのだ、と認識される時代を生きることを許されているのだから。 生きづらさを抱え、対人関係に苦慮しながらも、自分は非言語性学習障害やアスペルガーではないかと疑ったことのある人は、それほど多くないだろう。そういう人には、この発見されにくい、そして自覚されにくい障害があるかどうかをチェックするために、専門機関を訪れてみてほしい。私も自分の障害と向き合い、見たことや感じたことを書いて伝えることで、少しでもそうした人の力になれたらと思う。 ※AERA 2018年1月22日号

387NAME:2018/01/23(火) 22:52:27
評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳、正論執筆メンバー
2018.1.21 16:26更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210033-n2.html

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。 警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。 同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。

 西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。 西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説」で吉野作造賞、「生まじめな戯れ」でサントリー学芸賞を受賞した。

東大教授時代の昭和63年、助教授の推薦をめぐって教授会で否決されたことに抗議して辞任。以降、テレビの討論番組などに定期的に出演し、晩年は自ら発刊した雑誌を舞台に言論活動を展開した。 正論執筆メンバーで、平成4年には戦後日本でタブー視された改憲論を正面から取り上げるなどの精力的な評論活動により、第8回正論大賞を受賞した。

【西部邁さん死去】
「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
2018.1.21 20:19更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210036-n1.html

「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。 昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。

 言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。 知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。 親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。

388NAME:2018/01/23(火) 23:07:43
【西部邁さん死去】
小林よしのりさん「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」
2018.1.22 11:24更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220031-n1.html

評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載した。文章は「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」などとつづられ、「謹んで哀悼の意を表します」と結ばれている。

【西部邁さん死去】
田原総一朗さん「曖昧なことが大嫌いな人。近く会いたいと思っていた」
2018.1.21 18:38更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210035-n1.html

ジャーナリストの田原総一朗さんの話「大ショックだ。去年会った時、体調が悪いと言っていたので気にしていた。近く会いたいなと思っていた。彼は非常にラジカルで、物事を非常にちゃんと考える人。曖昧なことが大嫌いだ。日本は、安全保障も経済も、大事な部分を隠して曖昧。そういうことが彼には我慢できなかったのではないか」

【西部邁さん死去】
「発言者」編集長・東谷暁さん「自分の言葉に殉じたと思った」
2018.1.22 00:55更新
http://www.sankei.com/life/news/180122/lif1801220003-n1.html

西部さんが主宰した雑誌「発言者」編集長だったジャーナリスト、東谷暁さんの話「驚いたが、西部先生は前から『自決する』とおっしゃっていたので、自分の言葉に殉じたと思った。先生の助っ人として雑誌『発言者』創刊に携わったが、『思想は言葉だ。言葉は思想なんだ』と随分聞かされた。一言一言が本気で、自分の思想と行動をつなげることに情熱を持っておられた。これまで何度も自殺すると書いていたし、最近も周囲にそう話していたので、自身の思想を忠実に実行し、完結したという気持ちすらする」

389NAME:2018/01/23(火) 23:08:14
【西部邁さん死去】
能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右問わず言論界に厳しい目
2018.1.21 23:39更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210039-n1.html

21日に死去した評論家の西部邁さん(78)は「保守主義」を掲げ、一貫して国家と個人の自立を問い続けた。 ドイツの実存主義哲学者、カール・ヤスパースが言った「人間は屋根の上に立つ存在」という認識に立ち、人間は綱渡りのように緊張感と平衡感覚を持って生きてゆかなければならないと主張。大切な平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと考えた。

 保守というと、維持するものと考える人は多いが、西部さんの保守思想は、いわば能動的で命がけのもので、「保守するためには改革も必要」と述べた英国の政治思想家、エドマンド・バークの思想の真の継承者であった。 東大在学中は、全日本学生自治会総連合(全学連)の幹部として活動し、逮捕・起訴されたこともある。経済思想史に進み、「ソシオ・エコノミックス」「経済倫理学序説」などを刊行。京大名誉教授の佐伯啓思さんら現在、論壇で活動する多くの論客に影響を与えた。

平成に入ってからは、テレビ出演や「新しい歴史教科書をつくる会」への参加など、保守派の代表的な存在として知られるようになった。 だが、言論界には左右を問わず、厳しい目を向けた。安全保障を米国に依存し、経済大国への道を突き進んだ日本のあり方を痛烈に批判。親米の現実路線を取る保守論壇の中心からは離れた存在だった。 自らの言葉に厳しく、論の人である以前に義と侠(きょう)の人だった。(桑原聡)

【西部邁さん死去】
文芸評論家・富岡幸一郎さん「専門超えた『思想家』だった」
2018.1.21 23:59更新
http://www.sankei.com/life/news/180121/lif1801210041-n1.html

西部さんが主宰する雑誌「表現者」の編集長で文芸評論家の富岡幸一郎さんの話 「西部さんは雑誌『発言者』、続いて『表現者』を四半世紀にわたり出版し、保守思想という観点から今、起きていることを歴史的に考えようというスタンスでやってこられたと思う。古代ギリシャから近代まで西欧思想を吸収し、それを日本の思想や状況にぶつけ、全体像をみようとした。経済学から出発したが、“○○学者”というスペシャリストを超え、文化や歴史など、日本の近代の土壌で考察した稀有(けう)な“思想家”だったと思う」

390NAME:2018/01/24(水) 13:44:50
西部邁さん:最後の「保守と死」論 自裁の10日前に言及
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e3%80%8c%e4%bf%9d%e5%ae%88%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%8d%e8%ab%96-%e8%87%aa%e8%a3%81%e3%81%ae%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%97%a5%e5%89%8d%e3%81%ab%e8%a8%80%e5%8f%8a/ar-AAv2JZY?ocid=iehp#page=2

保守派の評論家で社会経済学者、西部邁さん(78)が21日、東京都大田区の多摩川で入水し亡くなった。その10日前、毎日新聞の取材を受けた際に「数週間後には(自分は)生きていない」。神経痛で痛む腕をかばいながら、近年繰り返していた自らの自殺の話をした。しかし語りはあくまでも冷静。取材後は午前4時過ぎまでバーをはしごする元気さをみせていた。【鈴木英生】

 西部さんは、知的、道徳的な人間の不完全さを強調し、歴史的な慣習とそこから導かれる伝統の意義を説いてきた。 今回の取材は新刊「保守の真髄(しんずい)」(講談社現代新書)についてのインタビュー。11日夜、東京都内のホテルのバーで1時間半、同書で展開した保守論と死について持論を語った。

 西部さんにとっての保守は、保守政治や「伝統文化」の擁護を直接は意味しない。「慣習の奥底に示唆されている歴史の知恵を自分の力で発見し、自分が納得できる間はそれを仮に伝統とみなす。そうした論陣を張るのが保守というもの」だという。 そこから、新しいものにばかり飛びつきたがる戦後日本への懐疑、米国的なものの否定などが紡ぎ出されてきた。 伝統を「危機においてバランスを取るための知恵」とも。大学では学生運動で逮捕起訴され、仲間の死にも遭遇している。人生における危機に直面してきたからこそ、保守思想を唱えだしたことをうかがわせた。

 他方、「(自分の)死は、急に考えると怖い。『死生論』を書いた二十数年前から、繰り返し考えるうちに、段々と平気になった」。2000年の「私の死亡記事」(文芸春秋編)にも、精神的な衰えが見通されたら自殺すると予期した文章を寄せている。 新刊では、病院で死に行く際の心身の苦しみを身近な人に見せるよりも、「自裁死」を選ぶことを示唆した。「連れ合いがいる間はなかなか死ねないものだ」とも。8年間看病した妻の満智子さんは14年に死去している。 一般論として「今の病院がイノベーションのおかげで痛みをとれるようになったのは確か」と病院での死を否定せず、「やりたいことをやり尽くしたら死ねばいいと簡単には言えない」と断りを入れたうえで、自らは「自裁死がいい」と話していた。

 憲法改正への動きなど、表面は「保守派」に勢いがある昨今。だが、西部さんの絶望してきた日本の対米追従や大衆社会状況は変わらない。「絶望に立つ希望」を唱え、約200冊の本を出し続けた西部さんは、自らの体調や年齢を考え、長年検討してきた死を選んだのだと思う。 取材中、ポケットからものを取り出すのに苦労し、グラスは両手で持ち上げた。とはいえ、早朝まで弁舌はよどみなく、学生時代やテレビ出演での思い出などを話し続けた。そのさまに、当面は本当に自殺することはないと記者は思った。 自らの主張とかけ離れた現代の言論、社会状況に絶望しながらも、数十年の間、絶えず発言を続けてきた西部さん。バーからバーへと夜道を歩きながら、「俺の絶望の深さが分かったでしょ」とつぶやいていたのが印象的だった。

391NAME:2018/01/25(木) 22:50:52
デューク更家氏、モナコの自宅は30億円!…F1グランプリが真下を通る
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e3%83%87%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%af%e6%9b%b4%e5%ae%b6%e6%b0%8f%e3%80%81%e3%83%a2%e3%83%8a%e3%82%b3%e3%81%ae%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%af%ef%bc%93%ef%bc%90%e5%84%84%e5%86%86%ef%bc%81%e2%80%a6%ef%bd%86%ef%bc%91%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%aa%e3%81%8c%e7%9c%9f%e4%b8%8b%e3%82%92%e9%80%9a%e3%82%8b/ar-AAv8G4T?ocid=iehp#page=2

ウォーキングトレーナーのデューク更家氏(65)が24日放送の日本テレビ系「ナカイの窓 海外生活は楽しいよSP」(水曜・後11時59分)に出演。モナコ公国に移住し16年目のセレブ生活を紹介した。 更家氏は、2001年頃に独自の健康法「デュークウォーク」で大ブレイク。現在は世界中にスタジオ300か所以上、弟子30人以上、生徒数4万人以上を抱えており、プライベートレッスン料は1時間で20万〜30万円だという。 ブレイク後に、以前からあこがれていたモナコ公国に移住。当時3億円で買ったものが現在は30億円という高級マンションで、F1・モナコGPコース上のトンネル出口の上、F1を真下に望める超一等地に住んでいる。

 そんな更家氏だが、モナコ移住当初は見えない壁に苦労したという。限られた人物しか入れない、ノートブルービーチのレストランに認められるようになるまで約3年。ほかの店でも、入れたのはいいがドアから近くの場所やはじの方に追いやられたこともあった。 そこで更家氏はどうやったら認められるようになるのかと観察したところ、お金の使い方がキレイなこと、スタッフ、そのお店の客に認められること、立ち居振る舞いが大事なことに気づかされた。

 更家氏は「お店に行くときは、それぞれのスタッフへ払うため1回1万円のチップを渡した。20万〜30万円のチップを用意していった」と話し、「旅行者はウェルカムだけど、住民権をとって住まわれるのは嫌がられる。認めてもらうためにチップは払い放題だった」と当時を振り返った。

392NAME:2018/02/01(木) 00:42:34
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

393NAME:2018/02/01(木) 01:26:09
【座間9遺体】
群馬の女子高生殺害容疑などで白石隆浩容疑者を再逮捕
2018.1.31 11:08更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180131/afr1801310017-n1.html

神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかった事件で、警視庁高尾署捜査本部は31日、9人のうち最年少だった群馬県邑楽町の県立高1年、石原紅(くれ)葉(は)さん=当時(15)=に対する殺人と死体損壊・遺棄容疑で、白石隆浩容疑者(27)を再逮捕した。一連の事件で立件対象となるのは5人目。白石容疑者は「所持金を奪う目的だった」などと話し、容疑を認めている。

 再逮捕容疑は昨年8月28日ごろ、座間市の自宅アパートで、石原さんの首を絞めるなどして気絶させた上、ロフトのはしごに結びつけたロープに石原さんの首をかけ、窒息させて殺害。遺体を切断して室内の箱などに遺棄したとしている。

 石原さんは同日、神奈川県藤沢市の小田急線片瀬江ノ島駅で足取りが途絶え、同駅構内のトイレで携帯電話が見つかっていた。白石容疑者は「(携帯電話を)置いてくるよう指示したかもしれない」などと供述しており、発覚を防ぐ目的だったとみられる。 白石容疑者は昨年8月以降、ツイッターで知り合った男女9人を殺害し、遺体を切断して遺棄したと供述。これまでに、男女4人に対する殺人や死体遺棄容疑などで逮捕されている。

394NAME:2018/02/13(火) 14:56:01
妻が女の子に…小室哲哉さんが明かした家族追い詰める「高次脳機能障害」つらさと苦労
2018.2.12 12:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/180212/prm1802120006-n1.html

「大人としての会話ができない」 小室さんがKEIKOさんと結婚したのは2002年。11年にKEIKOさんがくも膜下出血で倒れた後は、小室さんが献身的に介護する様子がたびたび報道された。 引退会見のなかで小室さんは、KEIKOさんの病状について次のように明かした。 「高次脳機能障害とか、脳のちょっとした障害ということで、少し欲がなくなってしまったりとか、女の子みたいな優しげな性格になりました」

原因で最も多いのは、脳卒中だ。なかでも、脳の血管が詰まる「脳梗塞」が多く、「脳出血」や「くも膜下出血」でも起こる。また、交通事故などによる「脳外傷」のほか、「低酸素脳症」「脳腫瘍」も原因となるという。 08年に東京都が発表した実態調査によると、都内の高次脳機能障害者数は推計約5万人にのぼった。60歳以上が67・4%と推計されている。「日本全体では、50万人以上存在するとみられています」(渡辺教授)。

小室さんによるとKEIKOさんは「非常に正常になるときが年に数回あります。そのときに『私、普通じゃないよね』ということを言ってくれることもあります」という。 小室さんは、会見を次のような言葉で結んだ。 「この10年で介護の大変さなどに触れてきました。僕1人の言動で社会が動くとは思っていませんが、こういったことを発信することで、何かが響けばいいなと思っています」

395NAME:2018/02/15(木) 00:26:49
【平昌五輪】
「笑わなかった小さい頃…」 平野歩夢、クールの秘密 恐怖心と重圧乗り越え懸命に
2018.2.14 19:34更新
http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180214/pye1802140066-n1.html

けがによる恐怖心やメダルの重圧を乗り越え、貪欲に競技と向き合い最高の技を追及した平野歩夢。メダル確定後も悔しさをにじませ、涼しげな目つきのまま、わずかに口角を上げただけ。しかし平昌の空を華麗に舞った日本のエースに対し、関係者は「よくやった」とねぎらった。 「あまりうれしそうな顔をしていないけど、歩夢は昔からそんな感じ。初めて抱っこして笑わそうとしてが、笑わなかった小さい頃を思い出した」と感慨深げに語るのは母方の伯父、田中幸一さん(50)。 日大に所属する平野は、新潟県村上市の実家に帰省してもスノーボードが頭を離れない。「『ゆっくりしていけよ』と声をかけても、『練習があるから』と数時間しか滞在しなかった」と田中さんは語る。

 平野の原点は、父の英功(ひでのり)さん(46)が作ったスケートパークで遊んだ経験にある。兄の影響で4歳からスノボを始めると、充実した施設を求め、英功さんが運転するワンボックスカーで福島県や山形県の雪山を回った。 小学4年でメーカーと契約し、プロの道へと歩み出す。積極的に海外へ出ていくことで経験を積んだ。前回ソチ五輪で一躍知名度が上がると、競技と向き合う姿勢は一層、貪欲になっていく。

無理をしてでも高難度の技に取り組まなければ勝てない時流に、葛藤する。成長を見守ってきた後援会の副会長、山田俊治郎さん(73)は「幼いころは純粋に楽しんで滑っている姿が印象的だったが、競技として取り組むようになるにつれて抑制した表情が増えた」と振り返る。 あるとき、後援会の集まりで顔を合わせた平野に、山田さんは大技に挑む心境を尋ねた。「常に恐怖心との戦いです。でも、がんばって勝ちます」。厳しい世界に生きていることをまざまざと見せつけられた。

 「こっちが命を懸けていることを、批判する人は分かっていない」。高校時代の同級生、大山昌斗(まさと)さん(19)は、平野が悔しそうに漏らしたのを聞いたことがある。過去の五輪代表選手が服装や記者会見の態度についてバッシングを受けていたことに話題が及んだときだ。 たゆまぬ努力で限りなく頂点に近づいた平野の姿に、山田さんは思う。「世界に誇れる。ぜひ胸を張ってほしい。夢を見させてくれてありがとう」(石井那納子)

396NAME:2018/02/17(土) 21:32:32
59歳「派遣に堕ちた」困窮男性が見続ける夢 勤続10年、時給は「40円」上がっただけ
http://www.msn.com/ja-jp/money/other/59%E6%AD%B3%EF%BD%A2%E6%B4%BE%E9%81%A3%E3%81%AB%E5%A0%95%E3%81%A1%E3%81%9F%EF%BD%A3%E5%9B%B0%E7%AA%AE%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%8C%E8%A6%8B%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A2-%E5%8B%A4%E7%B6%9A10%E5%B9%B4%EF%BD%A4%E6%99%82%E7%B5%A6%E3%81%AF%EF%BD%A240%E5%86%86%EF%BD%A3%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%91/ar-BBJ964V?ocid=iehp#page=2

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

職場でモノを言うのはやめた

 大みそか、街はどこも浮かれていた。札幌市内のある商業施設の駐車場入り口。家族連れなどを乗せた車両がにぎやかに行き交うそばで、案内板を掲げた誘導員のヨウジさん(59歳、仮名)は黙々と立ち続ける。気温は昼すぎには氷点下に。黒っぽいコートを重ね着し、分厚い手袋と耳あてで防寒しても、顔の筋肉はこわばり、足先の感覚はない。

 「人手が足りないので、年末は31日まで出勤でした。年始の休みも元日と2日だけ。帰省ラッシュがピークだとか、有休を組み合わせれば9連休になるとか――。シフト制の、時給制で働く契約社員にとっては、どれも無縁のニュースです。休日が少ないと収入は増えますが、体がつらい。かといって、休日が取れると体は楽になりますが、収入が減る。これも非正規労働者の“あるある話”です」

 駐車場管理員として勤続10年。この間、時給は840円から880円に、40円上がっただけだ。年収は200万円に届かない。寒冷地手当もボーナスも住宅手当も家族手当もゼロ。あまりの待遇の悪さに、特に若者が定着しないという。1年間で職場の顔ぶれの半数が入れ替わることも珍しくない。

 最近は募集をしても人が集まらないと言い、人員が足りないため、本来1時間の昼休が30分しか取れない。会社は商業施設を中心に複数の駐車場管理を請け負っており、ある現場では、10日連続の勤務を強いられた同僚もいるという。会社の方針が変わり、ここ数年は有給休暇も取れなくなった。

 いずれも法律や就業規則に違反している可能性が高いが、職場で声を上げる人は誰もいない。かつてヨウジさんは職場環境について愚痴をこぼしたとき、そばで聞いていた年下の正社員から「契約社員が何言ってるんだ。二度とそういうことは許さない」と語気荒く、一蹴されたことがある。以来、職場でモノを言うのはやめた。不満のある者は黙って辞めていき、彼のように再就職口を見つけるのが難しい中高年以上の働き手はとどまる代わりに口をつぐむ――。いつのまにか、そんな「ルール」が出来上がってしまったのだという。

397NAME:2018/02/17(土) 21:33:08
 北海道内の産炭地で生まれた。兄弟が多く、経済的な理由から大学進学を断念。高校卒業後、札幌にある資材製造会社に就職した。技術系の正社員として、勤続20年を超える頃には年収は400万円を超えていた。帰宅は毎晩のように深夜近くで、結婚のタイミングは逃しつつあったが、暮らしぶりはおおむね順調だった。

 安定した生活が一転したきっかけは、借金の連帯保証人になっていた友人と連絡が取れなくなったことだった。ヨウジさんは多くを語らないが、金額は自身の年収を軽く超えていたという。会社を辞めた退職金で穴を埋め、自己破産をして片をつけた。 このとき、すでに40代半ばすぎ。正社員の働き口はなかなか見つからなかった。折しも労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁。「やむをえず派遣会社を渡り歩くことになった」。

派遣に対する「差別と偏見」

 「派遣に堕ちた」。正社員時代、短期間ながら役職者として派遣労働者を使う側にいたというヨウジさんは、自らが使われる側に転じたことをそう表現した。たぶん、彼に派遣労働者を見下す意図はない。確かに派遣労働者の中には、専門性の高い技術を武器に労働市場を生き抜くことができる人もいれば、それぞれの事情から短期雇用を望む働き手もいる。一方で規制緩和が進む中、彼のように安く買いたたかれ、理不尽な雇い止めに遭う「不本意派遣」が大量に生み出されたのも事実だ。これにより、多くの職場にいらぬヒエラルキーがもたらされたこともまた否定できない。

 実際に多くの派遣先は差別と偏見にまみれていた。ヨウジさんが派遣されたある職場の仕事は、重さ20キログラム近い荷物をトラックから所定の場所まで移し変えることだった。期限は午前中いっぱい。多い日は1人で500個近くを運ばなければならないこともあった。

 ヨウジさんは、正社員なら、荷物が多ければ人員を増やしたり、作業を午後に延ばしたりするなど臨機応変な対応がなされたはずだと言う。しかし、派遣労働者は代わりが利くとでも思っているのか、そうした配慮はない。昼前になって正社員が手伝いに入ることもあったが、それは同時に「時間内に仕事ができない使えない派遣」とみなされることでもあった。実際に仕事を失う仲間もいた。切られたくなければ、死に物狂いで終わらせるしかない。そんなとき、つくづく自分は「労働者」ではなく、「労働力」なのだと痛感したという。

 ミスをしたときの風当たりも強かったという。工場内でフォークリフトの運転中、通路に放置された製品にぶつかってしまったときなどは、正社員から「これだから派遣は……」と言われた。ヨウジさんに言わせると、運転の不注意もあるが、荷物を放置しておくほうも悪い。派遣労働者を格下とみなすような物言いに、「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」という。

 正社員には正社員の言い分があるだろう。ただ、ヨウジさんがその後、駐車場管理の仕事に就いたのは、「派遣を渡り歩く」ことに心身ともに疲れ果てたからでもあった。 非正規労働者となってから十数年。60歳を前にして、健康格差も顕在化しつつある。

 逆流性食道炎の持病があり、医師からは年1回の胃カメラ検査を指示されているが、実際に検査を受けるのは経済的な事情から2、3年に1度が限界。胸やけがひどくなるなど「本当に調子が悪くなってから」だ。歯科医師からは歯槽膿漏と言われたが、放置。健康診断で要再検査とされた項目についても「病院に行くと、(おカネがなくなり)生きていけなくなっちゃう」と、こちらも捨て置いたままである。

398NAME:2018/03/05(月) 23:32:23
マラソン原裕美子容疑者、執行猶予中に群馬で逮捕 キャンディーなど万引で再び起訴
2018.3.5 12:36更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180305/afr1803050023-n1.html

栃木県足利市のコンビニエンスストアで万引したとしたとして執行猶予判決を受けたマラソンの元世界選手権代表選手で飲食店店員の原裕美子容疑者(36)=栃木県足利市=が判決後に群馬県内で万引した疑いで逮捕されていたことが分かった。前橋地検太田支部は窃盗罪で原容疑者を起訴した。

 起訴は2日付。起訴状によると、原被告は2月9日午後8時45分ごろ、群馬県太田市のスーパーでキャンディー1袋など3点(販売価格計382円)を盗んだとしている。 群馬県警によると、店側が取り押さえ、太田署に現行犯逮捕された。「店を出る前に商品を戻すつもりだった」と容疑を否認している。

 原被告は栃木県足利市のコンビニで化粧品や食料品を万引したとして、昨年11月に宇都宮地裁足利支部で懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の有罪判決を受けていた。 公判で原被告は「しっかりと治療を続け、今後このようなことがないよう、事件のことを忘れることなく日々を過ごしていきたい」と述べていた。 原被告は平成17年、名古屋国際女子マラソンで初優勝し、同年のヘルシンキ大会では6位に入賞するなど世界陸上に2度出場した。

399NAME:2018/03/15(木) 15:50:09
西部邁さん遺体、両手緊縛 自殺手助けか、警視庁捜査
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a5%bf%e9%83%a8%e9%82%81%e3%81%95%e3%82%93%e9%81%ba%e4%bd%93%e3%80%81%e4%b8%a1%e6%89%8b%e7%b7%8a%e7%b8%9b-%e8%87%aa%e6%ae%ba%e6%89%8b%e5%8a%a9%e3%81%91%e3%81%8b%e3%80%81%e8%ad%a6%e8%a6%96%e5%ba%81%e6%8d%9c%e6%9f%bb/ar-BBKd8S5?ocid=iehp

1月に自殺したとされる評論家西部邁さん=当時(78)=の遺体の両手が縛られていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課は、何者かが自殺を手助けした自殺ほう助事件などの疑いもあるとみて捜査している。 西部さんは1月21日未明、行方不明になり、長男が捜索願を出した。同日朝、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川の水中で見つかり、病院で死亡した。目立った外傷はなく溺死とみられる。河川敷には遺書があった。 捜査関係者によると、遺体は両手が縛られ、川まで届くロープで近くの木と結び付けられていた。

400NAME:2018/03/29(木) 13:37:23
【17歳女子高生強殺】
女子高生強殺で無期懲役確定へ 最高裁が上告棄却
2018.3.28 22:35更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180328/afr1803280011-n1.html

東京都江戸川区の自宅アパートで高校3年だった岩瀬加奈さん=当時(17)=を殺害し現金を奪ったなどとして、強盗殺人と強盗強姦(ごうかん)未遂の罪に問われた無職、青木正裕被告(31)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、青木被告の上告を棄却する決定をした。無期懲役とした1、2審判決が確定する。27日付。3裁判官全員一致の結論。

 平成29年5月の1審東京地裁判決は「犯行動機は身勝手極まりなく、有期懲役が相当な事案とはいえない」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。2審東京高裁も12月、「犯行に計画性を認めた1審の判断に誤りはなく、無期懲役が重すぎるとはいえない」として被告の控訴を棄却した。

 判決によると、青木被告は27年11月12日、アルバイト先の元同僚の岩瀬さんを自宅に連れ込んで首を絞めて殺害し、乱暴しようとした上、現金約7500円などを奪った。

401NAME:2018/03/30(金) 13:44:11
お金持ちになれる人が誰にでも親切な理由とは
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%8c%e8%aa%b0%e3%81%ab%e3%81%a7%e3%82%82%e8%a6%aa%e5%88%87%e3%81%aa%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%a8%e3%81%af/ar-BBKNr88?ocid=iehp

金持ちになれない人ほど目下の人に傲慢
貧乏になる人は、自分より格下の相手には横柄になります。たとえば、仕事上でかかわる下請けのスタッフには、自分から挨拶をしないとか。自分のほうが上だから「相手から挨拶すべきだ」という傲慢さがあります。

しかし、稼ぐ人はそんな傲慢さはありません。それに相手を大事にすることは、いずれ自分に役に立ってくれる可能性があります。仲良くしておけば、たとえば入退館時間が過ぎていても、「ちょっとだけですよ」とカギを空けてくれるなど、融通をきかせてもらえるかもしれません。

これは小さな話ですが、私の知人で不動産会社を経営する社長は、4年ごとに取引先を招いて、パーティーを開催しています。対象は、物件の仕入先、販売先、提携代理店、金融機関、賃貸仲介会社、リフォーム会社など、関係するすべての業者です。毎年ではなく4年ごとというのが絶妙で、毎年だと飽きられて面倒くさくなりますが、これだけ期間が開けば新鮮さがあり、出席しようと感じます。

毎年だと新しいネタがないが、4年経てばどこも新事業や取扱商品変更などの動きがあるから、お互いに情報交換になります。取引先も入れ替わり、新しい取引先の人に喜んでもらえる。疎遠になっていたスタッフも思い出し、また仕事を発注しようかという気になる。また顧客を紹介しようかという気になる。こうして彼のビジネスはどんどん大きくなり、今は東京でも有数の不動産管理会社へと成長しています。

402NAME:2018/03/30(金) 13:57:22
女子高生に無給で畑作業 口止めも、実習教諭を処分
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a5%b3%e5%ad%90%e9%ab%98%e7%94%9f%e3%81%ab%e7%84%a1%e7%b5%a6%e3%81%a7%e7%95%91%e4%bd%9c%e6%a5%ad-%e5%8f%a3%e6%ad%a2%e3%82%81%e3%82%82%e3%80%81%e5%ae%9f%e7%bf%92%e6%95%99%e8%ab%ad%e3%82%92%e5%87%a6%e5%88%86/ar-AAveI6Q?ocid=iehp

岩手県教育委員会は29日、学校に無断で農業を営み、畑で教え子の女子生徒3人を約3カ月間、無給で働かせたとして、県立高校に勤める40代の男性実習教諭を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分とした。「農業実習に役立つと思った。考えが甘かった」と話しているという。

 県教委によると、教諭は兼職の許可を取らず、販売用にピーマンの苗約1900本を栽培。昨年6〜8月に最大24日間、3年の生徒3人を働かせ、学校に知られないよう口止めした。 他のアルバイトも含む16人と雇用契約を交わさず「収穫に応じてバイト代を払う」と口約束し、賃金を支払わなかった。

403NAME:2018/04/02(月) 21:15:16
初出社して、就職先が「ブラック企業」だと気付いたあなたへ
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e5%88%9d%e5%87%ba%e7%a4%be%e3%81%97%e3%81%a6%e3%80%81%e5%b0%b1%e8%81%b7%e5%85%88%e3%81%8c%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e4%bc%81%e6%a5%ad%e3%80%8d%e3%81%a0%e3%81%a8%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%b8/ar-AAvmoA4?ocid=iehp#page=2

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」

 ブラック企業に入社してしまった人間を苦しめる、呪いの言葉です。この言葉を信じて、劣悪な環境で働き続ける若者が今も少なくありません。しかし、よくよく考えてみると一体どこの誰が「3年は辞めるな」という風習を作り出したのか、誰も知らないのです。

違和感に気が付いた入社式の言葉

 私は5年ほど前に就職活動を経験し、大学を卒業したのちに、とある商社に入社しました。リーマンショック後の「氷河期」だったこともあり、就職活動は非常に厳しく、面接を何十社も受けてようやく手にした内定でした。しかし入社してみると、その会社はいわゆる「ブラック企業」と呼ばれるものだったのです。

労働時間は長時間に及び、休日も関係なく出社することを強要されたにもかかわらず、残業代も手当も出ませんでした。もちろん、「有給」取得も許されません。どうしても有給を消化するのであれば、給与から1日あたり5000円を差し引かれます。「あれ、有給ってなんだろう」って感じじゃないですか。「これは何の5000円ですか」と経理の人間に尋ねても、明確な答えは返ってきませんでした。

「ブラック企業に入社してしまった」。入社して1週間も経つ頃には、先輩社員との会話や社内に漂う空気感から、そう確信しました。今思えば、入社式の日に初めて会長と顔を合わせた時には、すでに違和感に気が付いていたかもしれません。 「今の社長が辞めることが決まって、退職金を払わないといけなくなった。だから、お前らのためにお金を使うわけに行かねえんだよ」 入社初日に会長が発した衝撃的な言葉によって、「ここは普通の会社ではない」と凍りついたのです。

404NAME:2018/04/02(月) 21:16:56
会長の息子が「会社に内緒で、旅行に行こう」

 とはいえ、新入社員の自分には、どうすればいいのか分かりません。右も左も分からないけれど、「3年はこの職場で働き続けないといけない」ことだけは知っていました。「3年は続けないと、どこにも転職できないぞ」と、周りから耳にタコができるほど聞かされてきたからです。 しかし結論から言うと、私はその会社を5ヶ月で辞めました。直接の原因は、役員からの度重なるセクハラ・パワハラに耐えられなくなったためです。

入社して1ヶ月経った頃、役員のAから「会社に内緒で、旅行に行こう」と誘われました。Aは既婚者で、会長の息子。「さすがにそれは……」と断ろうとした私に、Aは「行きたいの? 行きたくないの? どっち?」と大声でまくしたてました。助けが求められない状況だったので、その場しのぎで「行きます」と言い、その日はなんとか逃げることができました。後日改めて「やはり、旅行には一緒に行くことができません」と断りを入れたのですが、これがきっかけでAの怒りを買ってしまいました。

「吉川には徹底して負荷をかけるように」

「Aさんの言いつけだから、ごめんね」 私を呼び出した所属部の部署長から、こう切り出されました。Aからの指示で、今後、私の業務量を他の社員よりも大幅に増やすこと。定時の退社を絶対に許さないこと。とにかく、「吉川には徹底して負荷をかけるように」と言われたことを伝えられたのです。

 この扱いには怒りを覚えましたが、勝気だった私は、同時に「なんとかこなしてやろう」と思いました。ここで弱音を吐くのは、パワハラに屈したようで嫌だったためです。朝、部署の誰よりも早く出社して仕事に取り掛かり、お昼休憩も取らず、夜遅くまで働く毎日が続きました。そこまでやってようやく、なんとか与えられた仕事をこなしていたのです。しかし、それを面白く思わなかったAは、さらに業務量を上乗せすることを部署長に命じました。この瞬間、私の心は折れてしまいました。

 今振り返れば、「もっと早く辞めていればよかった」と思うこともあります。5ヶ月間しかいなかった会社ですが、「なんて変な会社だ」という体験が書ききれないほどにあるのです。勇気ある新入社員が「どうしてこの会社は残業代が出ないのですか」と会長に直接質問をしたことがありました。これすごくないですか。新入社員の勇気ある行動に、その場にいた誰もが息を呑みました。そして恐る恐る様子を見守っていると、会長はおもむろに財布から1万円札を1枚取り出し、「今までの分だよ!!!」と怒鳴りながら、新入社員の頬に叩きつけました。いや、絶対足りねえからな、1万円じゃ。どうして1万円で済むと思ったんだよ。1万円札ビンタを食らった新入社員は当然、間も無く会社を退職しました。彼は賢明な判断をしたと思います。

そんなこんなで私が退職届を出す際、上司からはしつこく「会社に残ってほしい」、「せっかく新卒で入社した会社を退職するなんてもったいない」と言われました。しかし、「この会社に長くいてはいけない」と強く確信していたため、私の決心は揺るぎませんでした。退社することが決まってからは、他の社員から「裏切り者」扱いされましたが、もうすぐ苦痛から解放されることを考えれば、そんなことはどうでも良く思えました。

405NAME:2018/04/02(月) 21:17:29
面接官も「辞めて良かったね」

 さて、新卒で入った会社をすぐに辞めた私はどうなったでしょうか。 働きながら転職活動をするなんて器用なことができなかった私は、ブラック企業を辞めてから新しい会社を探し始めました。「きっと厳しい転職活動になるだろう」と社会の洗礼に身構えていましたし、新卒で入った会社よりも待遇が悪くなる可能性もあると思っていました。

 しかし、そんな覚悟をよそに、私はあっさり転職に成功しました。転職活動を始めてから1ヶ月ほど、2社目に面接を受けた会社でした。面接で「前の会社、どうして辞めたの?」と聞かれましたが、事情を話すと「それは辞めて良かったね」と面接官から言ってくれました。

転職先の職場では、よほどのことがなければ定時で上がることができましたし、残業があれば、その対価もしっかり支払われました。休日出勤を頼まれることはありましたが、きちんと休日出勤手当も出ましたし、代休を取ることも可能でした。さらに、社員に有給を消化させるための「長期休暇制度」が設けられており、全員が好きな時期に有給を取得できたのです。 それだけでも満足だったのですが、月給が転職前より5万円以上も上がりました。セクハラ・パワハラもない。どこからどう見ても「転職大成功」だと言えたのです。

先輩たちは、みんな「あの説」を口にしていた

 では、「あの説」は一体何だったのでしょうか。私以外にも、新卒で入った会社を1年以内に辞めた同世代の友人を多数見てきました。しかし、転職ができなかった友人、前職よりも待遇が悪い会社にしか就職できなかった友人は1人もいませんでした。

「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」と言い出したのは誰でしょうか。誰が言い出し、誰が広めた噂なのでしょうか。答えは、「ブラック企業」だと思っています。 若手社員を囲い込んで、3年の間に「責任」を負わせ、会社を辞めづらくする。「違う業界への興味」を奪って、転職されるリスクをできるだけ下げる。「3年間は辞めるな」は、人員不足に陥っているブラック企業が新卒の社員を逃さないようにするための、常套句なのではないでしょうか。

 ブラック企業の先輩たちは、みんな「3年間は……」という言葉を口にしていました。先輩社員に「仕事が辛くてしょうがない」という相談をすると、決まって「新卒ですぐに辞めてしまった奴らは、今の会社よりも悪い待遇の会社にしか転職できなかったから、辞めないほうがいい」という答えが返ってきました。今の会社より悪い待遇の会社なんてそうそうないはずなのに、世間をよく知らない若者はそれを真に受けてしまう。そしてそれを聞かされてきた後輩たちが、今度は自分たちより年下の後輩に、また同じことを伝えていく。「会社をすぐに辞めると、必ず痛い目を見る」と、何の根拠もないアドバイスをすることが常態化する。こうやって、ブラック企業の中で悪循環が完成していたのです。

406NAME:2018/04/02(月) 21:18:43
ブラック企業で過ごす3年間は未来への糧になるか

 そもそも、大学卒業後の、23〜25歳の若くて貴重な時間をブラック企業のために費やすなんて意味がないと思いませんか。今思えば「忍耐力」がどうの、「適応力」がどうのだなんて、思考停止しているとしか思えません。過酷な環境で3年間も搾取されることを「経験」として評価するような会社なら、そこに転職してもきっと幸せにはなれないでしょう。

 しかし、今だからこのように考えるようになったものの、まだ若くて、ブラック企業で疲弊していた自分はこんな風に思えませんでした。誰かが言っていた「絶対に辞めるな」という言葉にとらわれて、「何とか1日でも長く会社にいなければならない」と思っていたのです。

もしブラック企業に入社してしまって苦しんでいる人がいれば、一度考えてみてほしいと思います。その会社は、人生の貴重な3年間を賭けてまで働き続けるべき会社ですか。自分がその会社で働き続ける理由が、しっかり見えていますか。 ブラック企業で過ごす3年間を、未来への糧にできるでしょうか。もちろん個人差はあると思いますが、「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」だなんて悲観しないで、自分にとっての最適解を導き出してほしいです。 ブラック企業が、あなたの幸せを保証してくれることはありません。彼らは、労働力を搾取することしか考えていないのです。あなたの未来のことなんて、どうでもいいと思っているのです。それでも、その会社で働き続ける理由がありますか。

407NAME:2018/04/07(土) 22:16:24
25年太陽見せず「悪いことした」 息子監禁の父親、逮捕前取材で虐待否定
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%ef%bc%92%ef%bc%95%e5%b9%b4%e5%a4%aa%e9%99%bd%e8%a6%8b%e3%81%9b%e3%81%9a%e3%80%8c%e6%82%aa%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%8d-%e6%81%af%e5%ad%90%e7%9b%a3%e7%a6%81%e3%81%ae%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%80%81%e9%80%ae%e6%8d%95%e5%89%8d%e5%8f%96%e6%9d%90%e3%81%a7%e8%99%90%e5%be%85%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-AAvzPeP?ocid=iehp#page=2

40代の息子に20年以上、兵庫県三田市の自宅に隣接するプレハブ内の檻での生活を強いていたとして、監禁容疑で逮捕された70代の父親は、県警に任意同行される直前の7日午後、神戸新聞社の取材に応じていた。家の中で暴れる長男に耐えられなかったとする一方、「外に出て誰かを傷つけてはいけないとも思い、檻(おり)の中に入れた。仕方なかった」などと淡々と語った。 主なやり取りは次の通り。

 -長男を監禁したのはいつごろからか。 「1991年6月に大阪から今の家に転居してきた。その1年後ぐらい」 -監禁した理由は。 「当時は家の2階を長男の部屋とし、窓の内側に柵を取り付けて窓ガラスを割ったりしないようにしていた。でも、暴れて、壁や食器棚、窓を壊すなどして耐えられなかった。近所から迷惑だと怒られたこともあったし、もしも長男が外に出て誰かを傷つけてもいけないと考え、プレハブの中に檻を作って入れた。仕方がなかった」

 -福祉施設への入所は考えなかったのか。 「当初は施設に入れたいと思っていたが、今年1月に亡くなった妻が同意しなかった。引っ越してきてから約2年後には市の担当者と電話でやり取りもしたし、自宅にも来た。その時、もしかしたら何か指導を受けるのではないかと思ったが、施設の紹介などの対応は全くなかった。長男は1月に施設に入所した」 -檻の中でどのように生活を。 「2日間のうち半日、時間にすると約12時間は檻から出して食事を与え、風呂も入れていた。それ以外の36時間は檻の中にいた」

 -トイレはどのように。 「簡易トイレを部屋に置いていたが、なかなか使わなかった。部屋の中が汚物で汚れるので、毎回、妻が檻の下から手を伸ばして掃除していた。その光景が大変そうだったので、ふん尿を吸収するペット用のシートを敷いていた」 -部屋の温度管理は。 「当初はエアコンを設置していたが、ふん尿の臭いでエアコンが壊れ、3回も買い換えた。その後、夏場は扇風機のみ使用し、脱水症状を起こさないように冷えたペットボトルの水を渡していた。冬場はストーブで暖めていた」

-監禁や虐待の認識はなかったのか。 「虐待はしていない。食事も与え、風呂にも入れていた。確かに檻に入れたが、監禁しているとは思っていない」 -大阪府寝屋川市で昨年12月、プレハブに監禁されていた女性が死亡し、両親が逮捕された事件を知っているか。 「あの悲惨な事件とは全く違う。食事も与えて、風呂にも入れていたし、監視カメラで行動を確認するようなこともしていない」 -長男に対してどう思っているのか。 「檻に入れ始めたころは家族旅行に連れていくこともあった。檻の中に入れるのは仕方なかった。今となってみれば25年ぐらいの間、太陽の下に出してあげられず、少し悪いことをしたと思っている」

408NAME:2018/04/10(火) 14:26:14
暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体 豊田真由子元議員を例に、精神構造を分析
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%9a%b4%e8%a8%80%ef%bd%a5%e3%83%9e%e3%82%b8%e3%82%ae%e3%83%ac%e4%b8%8a%e7%ad%89%ef%bd%a4%e9%ab%98%e5%ad%a6%e6%ad%b4%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%ad%a3%e4%bd%93-%e8%b1%8a%e7%94%b0%e7%9c%9f%e7%94%b1%e5%ad%90%e5%85%83%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%82%92%e4%be%8b%e3%81%ab%ef%bd%a4%e7%b2%be%e7%a5%9e%e6%a7%8b%e9%80%a0%e3%82%92%e5%88%86%e6%9e%90/ar-AAvHgFq#page=2


昨今、一流大学を卒業しながら、問題を起こす人が後を絶ちません。秘書を罵倒した音声が流出し、選挙で落ちた豊田真由子元代議士。東北の台風被災地に長靴を忘れて現れ、職員におんぶされて視察し批判されるも、「長靴業界が儲かったのではないか」と発言した務台俊介元政務官。

 どうして彼らはこのような行動を起こしてしまうのでしょうか。本稿では『高学歴モンスター: 一流大学卒の迷惑な人たち』を刊行した精神科医の片田珠美氏が、高学歴で迷惑な人たちの精神構造や彼らからの攻撃を防ぐ方法を紹介します。

「この、ハゲーッ!!」という暴言で一躍有名になった豊田真由子前衆院議員。豊田氏は、中高は女子御三家の一角を占める桜蔭(おういん)を卒業し、東大法学部を経て旧・厚生省(現・厚生労働省)の官僚になり、自民党公認で衆院選に出馬して当選と輝かしい経歴だが、政策秘書を務めていた男性への暴言と暴行が報じられ、2017年6月に自民党を離党した。

 豊田氏は、高学歴なのにつまずく典型例のように見えるので、まず彼女の分析から始めたい。

強い特権意識

 豊田氏が激怒したきっかけは、彼女が支持者に送るよう事務所スタッフに指示していたバースデーカードにミスがあった事実が2017年5月18日に発覚したことである。豊田氏は翌19日、政策秘書の男性に「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「お前の娘にも危害が及ぶ」と罵(ののし)り、暴力を振るった。もっとも、バースデーカードの件は、この政策秘書自身のミスではなかったようだ。

 言い知れぬ恐怖を覚えた政策秘書は、その翌日から万が一に備えて豊田氏との車内の様子をICレコーダーで録音することにした。ICレコーダーに残されていた「この、ハゲーッ!」「違うだろーっ!」といった暴言は、インターネット上で公開されたうえ、テレビでも繰り返し流されて、すっかり有名になった。

 政策秘書への暴言と暴行が『週刊新潮』(2017年6月29日号)で報じられると、豊田氏は入院した。スキャンダルが報じられたとたん入院するのは、政治家の常套(じょうとう)手段のように見えなくもない。少なくとも、説明責任を放棄したという印象を私は受けた。

 一方、政策秘書には「顔面打撲(だぼく)傷」「左上腕挫傷(ざしょう)」などの診断書が出されており、豊田氏から暴行を受けたとして埼玉県警に被害届を提出した。それを受理した県警は、豊田氏から事情聴取し、その後傷害と暴行の疑いで書類送検した(結局、豊田氏は不起訴処分となった)。

 この一連の騒動を振り返って感じるのは、「自分は特別な人間だから、少々のことは許される」と思い込んで暴走する面が豊田氏にあることだ。こうした傾向は、秘書への暴言と暴行だけでなく、2014年4月に園遊会に出席した際に起こしたトラブルにも如実に表れている。

 園遊会に招待されるのは現職の国会議員と配偶者で、他の家族の同伴は認められていない。にもかかわらず、豊田氏は本来招待されていた配偶者ではなく、母親を入場させようとしたらしい。そのため、受付の職員が豊田氏に「招待者でない方は入場できない」と説明すると、豊田氏は大声を上げて抗議し、皇宮警察が出動する騒ぎになったという。

 これは、強い特権意識ゆえに「自分は特別有利な取り計らいをしてもらって当然の人間」だから、「普通の人に適用される規則は、自分には適用されない」と思い込んでいたからではないか。

 そう思い込んでも不思議ではないほど豊田氏の経歴は立派で、まさに「ピカピカの履歴書」をひっさげて衆院選に立候補し、当選したわけだが、それがかえってつまずきの石になったように見える。自分自身の経歴や肩書を過大評価し、特権意識の塊のようになって暴走した挙げ句つまずくのは、高学歴エリートにありがちな話である。

409NAME:2018/04/10(火) 14:27:21
想像力と共感の欠如

 豊田氏が政策秘書に暴言を吐いたり、暴力を振るったりしたのは、自分自身の言動が相手にどんな影響を与え、どんな反応を引き起こすのか、想像できないからではないか。また、相手の気持ちを認識しようとせず、痛みに共感できないことが、人を人とも思わない暴言を吐く一因のようにも見える。

 豊田氏は、気性の激しさから、永田町では「第二の田中真紀子」と呼ばれていたらしい。「人間には3種類しかいない。家族、使用人、敵」(「朝日新聞」2001年6月7日付)という名言を吐いた田中氏と同様に、人間を3種類に分類していたのかもしれない。だとすれば、豊田氏にとって、秘書は使用人のカテゴリーに入っていたはずで、使用人には何を言っても、何をやっても許されるという驕(おご)りが暴言や暴行を生み出した可能性もある。

 このように周囲の人間を3種類に分けて対応すると、上にへつらい、下に厳しくなる。言い換えれば、外面(そとづら)が良く、内面(うちづら)が悪いわけだが、それを示す音声データを『週刊新潮』が公開している。
「役立たず、この!」「何時から回ってるのかも知らないんですか!」などとドスのきいたガナリ声で政策秘書に対してわめいた直後、第三者との電話では乙女のような猫撫(ねこな)で声に豹変(ひょうへん)する。そして、「会長おはようございます〜。どうも〜、昨日はありがとうございました〜。うん、留守電聞きました〜。ありがとうございました〜。えっと、14時からスタートですよね? いたほうがよいですかしら?」と丁寧に話す。

 ところが、「猫撫で電話」を終えると再び豹変し、政策秘書に対して「(豊田氏の訊(き)いたことに対して)イエスかノーだよ!」と絶叫する。

 この豹変から浮かび上がるのは、使用人にすぎない秘書の心情など想像するには及ばないし、その痛みに共感する必要もないという傲慢(ごうまん)さである。こうした傲慢さは、豊田氏に限らず、高学歴エリートにしばしば認められる。それが、ちょっとした言動に表れて、反感を買うことも少なくない。

410NAME:2018/04/10(火) 14:27:55
現実否認

 豊田氏は、報じられた暴言や暴行について、否認することで切り抜けようとしたように見える。

 まず、政策秘書に「お前の娘がさ、通り魔に強姦されてさ、死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」と発言したことについて、『週刊新潮』の取材に対し、「『お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする』といったような発言はしておりません」と、文書で明確に否定した(『週刊新潮』2017年6月29日号)。録音データはないと高を括(くく)っていたのかもしれないが、録音された音声がしっかり残っている。

 また、『文藝春秋』(2017年10月号)に掲載された独占告白を読んで、現実否認と自己正当化に終始している印象を私は受けた。

 たとえば、政策秘書への暴言と暴行は、〈私が積み重ねてきた地元の方々との信頼関係が次々と崩されていってしまう〉ことへの〈恐怖〉で、〈パニック状態に陥ってしまった〉せいだという。そして、その様子が収められた〈録音を聞くと、自分でも茫然としてしまいます〉と弁明している。
さらに、〈Aさん(政策秘書を務めていた男性)は幾度となく、『わざとではないか』と思えるほど失敗を繰り返していました〉〈追い討ちをかけるようなAさんの失敗が続いた〉などと述べている。

 したがって、告白記事で豊田氏は、「政策秘書はミスを繰り返していた。そのため、堪(こら)えきれず、〈パニック状態〉になって、つい暴言を吐き、暴力を振るってしまった。だから、私は悪くない」のであり、自分のほうこそ“被害者”だと主張しようとしたように私の目には映った。もっとも、このような主張が果たして受け入れられるのか、はなはだ疑問である。

 というのも、豊田氏の事務所を辞めた元秘書たちが反論しているからだ。以下『週刊新潮』2017年9月21日号から引用する。まず、豊田氏が 〈私は、今回のような形で叱責をすることはこれまで決してありませんでした〉と告白したことに対して、被害に遭った政策秘書とは別の元秘書が、
「私も『なんで、裏道を調べておかないんだっ!』と詰(なじ)られ、『あなたの人生、勘違いばっかりじゃない!』とバカにされたことがある。何人もの元秘書が、豊田による罵倒(ばとう)を経験しています」
と証言している。

 また、豊田氏が告白記事で〈(『週刊新潮』に)「秘書が100人辞めた」と書かれていますが、お辞めになられたのは公設・私設あわせて15名程度です〉と述べたことについても、元秘書の1人が、「私が秘書をしていたのは2カ月ほどですが、その間にいた、私を含めた5人の秘書全員が今はいません」と証言している。別の元秘書も、「私が見た範囲では、半年で20人は事務所を辞めています」と証言している。

 こうした証言が事実とすれば、豊田氏は5年近く衆院議員を務めていたのだから、「秘書が100人辞めた」というのは決して誇張ではないと思われる。それでも、豊田氏は、あくまでも週刊誌報道を否認し続けることによって、難局を乗り切ろうとしたわけである。

 自分の主張に対して元秘書をはじめとする周囲の人々が反論するかもしれないとか、“嘘(うそ)つき”と非難されるかもしれないとは考えなかったのかと、首をかしげざるをえない。もっとも、自分にとって都合の悪い事実を突きつけられると、とりあえず否認するのが人間という生き物である。

 というのも、否認は、アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが見抜いているように、「不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法」にほかならないからだ。否認には、「予期しないショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげる」機能がある。したがって、困難な現実に直面すると、最初は誰でも多かれ少なかれ「否認によって自分を落ち着かせ、時間が経(た)つにつれ、別のもっと穏やかな自己防衛法を使うようになる」(『死ぬ瞬間―死とその過程について』)。

411NAME:2018/04/10(火) 14:29:42
否認は一時的な自己防衛にすぎない

 重要なのは、否認はあくまでも一時的な自己防衛にすぎないということだ。時間稼ぎと言ってもいいかもしれない。ところが、中には、ある程度時間が経っても、否認し続けようとする人がいる。こういうタイプは、豊田氏のような高学歴エリートに比較的多いように見受けられる。

 これは、3つの理由による。まず、高学歴エリートほど失うものが大きく、喪失不安が強い。それゆえ、自己保身のために否認し続けようとする。豊田氏も、暴言や暴行の事実を認めてしまうと、議員辞職に追い込まれ、自分自身のプライドを支えていた衆院議員の肩書を失うのではないかと危惧(きぐ)した可能性が高い。

 また、自己愛の傷つきを恐れるあまり、目の前の現実をどうしても受け入れられず、錯誤に陥りやすい。ときには、「〜だったらいいのに」という願望をあたかも現実のように思い込む「幻想的願望充足」の状態になることもある。そのため、否認し続けると、かえって状況が悪化しかねないのに、それを認識できず、合理的な判断ができなくなる。

 さらに、なまじ頭が良く、弁も立つだけに、否認し続けていれば周囲も信じてくれるはずと思い込みやすいことも重要な要因だろう。つまり、自分自身の能力を過信しているからこそ、否認し続けるのだ。もっとも、それがかえって怒りや反感を買うことは、豊田氏を見れば一目瞭然である。

 豊田氏は、約3カ月の入院を経て、9月18日に謝罪会見を開いた。その後、衆議院が解散され、10月6日に「志を断ち切りがたく、もしチャンスをいただけるなら、地域、国のために働きたい」と衆院選への出馬を正式に表明した。

 地元の支援者から「もう一回頑張れと励ましの声をいただいた」ということだが、自民党を離党していたので、無所属での出馬になった。しかも、自民党が公認候補を擁立したため、厳しい選挙戦になり、落選した。

 これは、予想どおりの結果である。秘書への暴言と暴行だけでなく、園遊会での騒動や数多くの秘書の退職なども報道されて、豊田氏の評判は地に落ちたと言っても過言ではない。たとえ優秀でも、こういう人物が国会議員を続けるのはいかがなものかという声も少なくなかった。したがって、解散総選挙での当選の可能性は限りなくゼロに近いというのが大方の見方だったのではないか。

 それでも豊田氏が立候補したのは、良く言えば、どんなに厳しい状況でも、くじけず、へこたれず、挑戦して戦うという姿勢の表れだろう。だが、悪く言えば、状況判断が甘いということになる。

 このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、2つの理由によると考えられる。

 まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。

 いずれにせよ、自分で自分が見えなくなる。その結果、過酷な現実に直面して、自己愛の深刻な傷つきに見舞われることも少なくない。それでも、現実否認と自己正当化を続け、周囲の失笑を買うことさえある。

412NAME:2018/04/10(火) 14:30:56
自覚の欠如

 『文藝春秋』に掲載された豊田氏の告白を読むと、徹頭徹尾「政策秘書にとんでもないミスを連発されて、こんな結果になってしまった。私は悪くない」と自己正当化している印象を受ける。

 これは、自分自身の言動が相手を激しく傷つけたという自覚がないからではないか。豊田氏は、自分のほうこそ“被害者”だと主張したいのではないかと勘繰らずにはいられない。

 こうした自覚の欠如は、少なくとも2つの面で認められる。「衝動コントロールの未熟さ」と「精神的な幼児性」である。

 まず、衝動コントロールの未熟さは、豊田氏が怒りと攻撃衝動をコントロールできず、暴言を吐いた相手がこの政策秘書だけではないという事実に端的に表れている。2012年12月に初当選した衆院選の期間中から暴言がひどく、何度も「ぶち切れていた」らしい。

 このように衝動のコントロールができず感情的になる一因に、先述の強い特権意識がある。自分は少々感情的になっても許されると思い込んでいると、歯止めがきかず、暴走しやすいからだ。また、先述の想像力と共感の欠如のせいで、自分が感情的になって吐く言葉が相手をどれだけ傷つけるかに思いが及ばないこともあると考えられる。

衝動コントロールができない代議士は少なくない

 こうした傾向は、豊田氏に限らず、特権的な立場にいるエリートにしばしば認められる。豊田氏のふるまいについて、自民党の河村建夫元官房長官は、「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」と発言して、物議を醸したが、さもありなんという感じである。特権意識が強く、想像力と共感が欠如しているせいで、衝動コントロールができない代議士は少なくないと推測される。
ただ、豊田氏の場合、すさまじい暴言で政策秘書を罵倒し、暴力まで振るっているので、精神科医としては「間欠爆発症」の可能性も疑わざるをえない。

 「間欠爆発症」は、攻撃衝動を制御できない衝動制御障害の一種であり、激しい口論や喧嘩、他人への暴力や器物の破壊などを繰り返す。しかも、攻撃性の爆発は、きっかけとなるストレスや心理社会的誘因と釣り合わないほど激しい。おまけに衝動的で計画性がない。

 「これくらいのことであんなに怒るなんて信じられない」と周囲から言われる人はどこにでもいて、「かんしゃく持ち」などと陰口を叩(たた)かれる。おそらく、豊田氏もそう言われてきたのではないか。

 それでも、これまで許容されてきたのは、豊田氏がきわめて優秀で、エリートコースまっしぐらだったので、周囲が大目に見た、もしくは注意するのをためらったからだろう。 あるいは、周囲から注意されても、豊田氏が「優秀なこの私に向かって…」などと反発したとか、聞く耳を持たなかった可能性も考えられる。いずれにせよ、衝動コントロールができないまま年齢を重ねたという印象を受ける。

 その自覚が豊田氏にまったくなさそうに見えることが、何よりも問題だと私は思う。これだけ秘書に暴言を繰り返し、暴力まで振るったのが事実とすれば、「間欠爆発症」の可能性がかなり高いが、その自覚があるとは到底思えない。

 さらに、豊田氏は、自らの精神的な幼児性についても自覚していないように私の目には映る。というのも、政策秘書への暴言と暴行が白日の下にさらされようとしていた2017年6月、豊田氏が脈絡なく突然、幼い頃に戻ったかのような幼児言葉で、嗚咽(おえつ)を交えながらわめき始めたと報じられたからである。

 「怖いよおー」「ママー、ママー」「ママごめんなさい、ごめんなさいママ。ううう、ママーっ!」「まゆ(豊田氏自身)が悪いの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、うううー」

 その場に豊田氏の母親はいなかったにもかかわらず、40歳を過ぎた大人が突然「ママー」などと言い出したわけで、これを精神医学では「退行」と呼ぶ。退行とは、平たく言えば赤ちゃん返りである。自らに降りかかった事態が自分では手に負えず、対処しきれないと、子どもに戻って大目に見てもらおうという心理メカニズムが無意識のうちに働いて、こういう反応を起こす。

413NAME:2018/04/10(火) 14:35:55
退行を起こしやすい人の特徴

 退行を起こしやすい人は、一般に多くの人々が認める現実、すなわち「客観的現実」よりも、本人が心の中でそう思い込んでいる「心的現実」を重視する傾向が強い。つまり、自分にとって都合が悪く、耐え難い客観的現実を認めたくないので、「自分は悪くない」「自分のほうこそ被害者だ」という心的現実に逃げ込もうとする。

 豊田氏も、政策秘書への暴言と暴行が報じられそうになり、政治生命の危機に直面したため、耐え難い客観的現実から心的現実に逃げ込もうとしたのではないか。

 このように豊田氏には衝動コントロールの未熟さと精神的な幼児性が認められるが、いずれについても自覚していないように見える。これは、2つの理由によると考えられる。まず、自己愛が強いため、自分自身に未熟で幼児的な部分があることを受け入れられない。また、輝かしい学歴と経歴の持ち主なので、周囲がなかなか注意できず、結果的に許容してきたことにもよるだろう。

 いずれにせよ、豊田氏の自覚の欠如が、暴言と暴行に歯止めをかけられなかった重要な要因であることは疑いない。

414NAME:2018/04/10(火) 14:52:35
真面目な組織人ほど「うそ」や「不正」に走りやすい理由
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e7%9c%9f%e9%9d%a2%e7%9b%ae%e3%81%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e4%ba%ba%e3%81%bb%e3%81%a9%e3%80%8c%e3%81%86%e3%81%9d%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%8c%e4%b8%8d%e6%ad%a3%e3%80%8d%e3%81%ab%e8%b5%b0%e3%82%8a%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%84%e7%90%86%e7%94%b1/ar-AAvH9Pp#page=2

4月8日、『ワイドナショー』(フジテレビ)を見ていたら、ダウンタウンの松本人志さんが、大相撲春巡業中に土俵内で救命措置を行っている女性に対して、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスした行司について、こんなことを言っていた。 「彼もかわいそうやなと思う。日本国中に叩かれちゃってて。ちょっと真面目すぎたんですよ。真面目がゆえに、こうなっちゃってるんですよ」

 ネットではいろいろな意見があるようだが、この言葉は今回の問題だけにとどまらず、相撲協会の一連のゴタゴタにもあてはまる「本質」を突いている。あの組織は真面目がゆえ暴行事件にフタをして、真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにしたのだ。

 ワケわからんことを言うなと思うかもしれないが、実はこの「真面目」というのは今、日本で起きている組織の腐敗、不正行為などのすべてに相通じる「病」である。最近の官僚の不正行為、少し前に続発したデータ改ざん問題などすべて組織にいる人々が「真面目がゆえ」に起きたという側面もあるのだ。

 神戸製鋼でも、日産でも、三菱自動車でも、データ改ざんなどに関わったのはみな真面目な現場の技術者だ。不正会計を行って大きな批判にさらされた経営陣も、部署の数値をかさ上げした中間管理職も、みな会社の未来を真剣に憂いていた真面目な東芝マンたちだった。

 マスコミや野党が「史上最大の犯罪」だと大騒ぎしている森友問題でも、佐川・元財務省理財局長も真面目だからこそエリートコースを進むことができたわけだし、その周りで改ざんや口裏合わせに奔走した職員たちも、みな真面目な公僕だ。

 つまり、周囲からも犯罪者扱いされ、三度のメシより不正が好きみたいな人が組織の不正や不祥事をひき起こすケースというのはかなりまれで、ほとんどはその組織内で与えられた仕事を、愚痴をこぼすことなく黙々と取り組むような「真面目な組織人」たちが、不正に手を染めたり、社会から大ヒンシュクを買うような不祥事を起こしたりというパターンが圧倒的に多いのである。

415NAME:2018/04/10(火) 14:54:01
●「思考停止」のワナに陥りやすい

 筆者もこれまで報道対策アドバイザーとして、さまざまな組織で不正、不祥事、改ざんなどが起こるメカニズムを検証させていただく機会があったが、それらを振り返ってみても、中心的な役割を果たしていたのはほぼ例外なく、真面目な組織人だった。

 なんてことを言うと、「こいつは真面目に働く人間をバカにするのか!」「日本人の美徳をディスるなんてこの反日ヤローめ!」という怒声が360度から聞こえてきそうなので、断っておくと、筆者は「真面目」が悪いと言っているわけではない。

 自分の信念、倫理、哲学、美学に対して忠実な人というのは道を誤ることは少ない。自分の中で常にこれは正しいのか、正しくないのかと自問自答しながら生きているからだ。そういう「真面目に生きている人」ではなく、組織というものに対してのみ真面目になっている人がヤバいと申し上げているのだ。

 真面目な組織人というのは往々にして、「思考停止」のワナに陥りやすい。もっとも分かりやすいケースは、元ナチス親衛隊幹部として、多くのユダヤ人虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンである。人間と思えぬ残虐行為を指揮し、「悪魔」「怪物」と恐れられた男は自らの罪を問われた法廷でこのように述べた。

 「命令に従っただけだ」

 世界は姑息な責任逃れだと批判したが、『全体主義の起源』という歴史的名著のなかで、ナチズム台頭のプロセスを細かに研究してきたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントはまったく異なるものの見方をした。アイヒマンの思考停止を象徴する発言だと指摘し、この「悪魔」や「怪物」と評される男を「自分で考えることをせずに命令だけを完遂する小役人」と分析したのだ。

 ユダヤ人社会はアイヒマンを擁護したと思って猛烈なバッシングを行ったが、実は彼女が言いたかったのはそういう上っ面の話ではない。アイヒマンのようなどこにでもいる真面目な組織人は、組織や上司への絶対的な忠誠を誓うあまりに、自分の頭で物事を考えることを放棄してしまう。

 そのような思考停止状態の人間は危ない。組織から命令されれば、どんなモラルの欠けた行為や、身の毛もよだつ残虐行為であっても、機械的に実行してしまうからだ。つまり、「悪魔」や「怪物」は、真面目な人が「歯車」になることで生まれるのだ。この「悪の陳腐さ」という、文明社会の普遍的かつ、構造的な問題を世に投げかけたかったのだ。

416NAME:2018/04/10(火) 15:13:52
●組織内ルールが「思考」に勝ってしまった

 アーレントの問題提起から50年以上が経過したが、この真面目な組織人が、真面目さゆえに引き起こす「陳腐な悪」という問題を、我々日本社会はまだ克服できていない。というより、終身雇用制度の弊害でよりおかしな方向へとこじらせている。 その症状が重くなって、いよいよ覆い隠せなくなってきたのが、日本相撲協会なのだ。

 ご存じのようにこの組織に身を投じた者は、「伝統」や「しきたり」を重んじなくてはいけない。それは言い方を変えると、古くから続いているルールは問答無用で守る、としつけられるということなので、他の組織より思考停止に陥りやすい。つまり、「プチ・アイヒマン」とも言うべき、思考停止に陥った人々があふれているのだ。

 相撲界の発展のために尽力している真面目な人たちをナチスの戦争犯罪人と重ねるなんて侮辱だと相撲ファンからこれまたすさまじい抗議が殺到しそうだが、残念ながら今回の救命処置騒動が、協会の思考停止体質をこれ以上ないほど分かりやすく示している。

 若い行司の方は、頭に刷り込まれている「女人禁制」というルールや、周囲の相撲ファンからの指摘で脊髄反射でアナウンスしてしまった。もし彼がアイヒマンのように社会からつるし上げられるようなことがあれば、きっとこう釈明するはずだ。 「伝統に従っただけだ」 組織人としては真面目だが、「倒れている人をどう救えるのか」ということに関してはまったく思考を巡らせていない。 組織内ルールが「思考」に勝ってしまったのだ。また、このような思考停止は、トイレ発言が叩かれている春日野巡業部長にもあてはまる。

 問題のアナウンスがなされたとき、トイレに行っていて会場にはいなかったとして、「想定外の出来事でビックリした。(アナウンスも)聞こえなかった」(日刊スポーツ 4月5日)とコメントした春日野親方だったが、その後、騒動時に画像から会場内にいたことが明らかになった。

417NAME:2018/04/10(火) 15:18:26
●相撲協会は「考えることを放棄した」

 ネット上では、責任を逃れるためのうそだと厳しく批判されているが、筆者はこれも真面目な組織人がゆえの「陳腐な悪」に過ぎないと思っている。 あれが巡業部長の責任ということになれば、相撲協会は何をしているんだ、ということになりまたしても大騒ぎになる。しかし、「私も驚いたんですけど、若い行司がどうもテンパっちゃって」で済ませておけば、「相撲協会は女性差別などしません。再発防止に務めます」みたいなコメントでどうにかお茶をにごすことができる。

 つまり、トイレ発言は、自身の保身もさることながら、不祥事続きの相撲協会がこれ以上叩かれないように、という「組織防衛」の意図があったことが容易に想像できるのだ。 「意図」と聞くと、ちゃんと考えているじゃないかと思うかもしれないが、頭を働かせているのは「組織を守る」という一点のみで、世の中の人々に対して誠実な説明なのか、スケープゴートにされた行司はどんな思いなのか、など最も大事なところに関してはゴソッと思考が抜けているのだ。

 このように相撲協会を「考えることを放棄した組織」だととらえると、最近の一連の騒動をすべてクリアに読み解くこときる。 3横綱が密室で、メキメキと頭角をあらわしてきた若手をリンチした。殴られる理由も説教される理由もない被害者の声に耳を傾ければ、横綱たちの組織犯罪に対して、徹底的な調査をするのが健全な組織だが、ご存じのように、お手盛りの第三者調査でサクッと幕引きをした。

 そこに対して納得いかないので、身をもって異を唱えたのが、貴乃花親方だったが、「理事なのに協会に協力しないとは組織人失格」「何度も家を訪ねたが返事がない」など本筋ではない部分を袋叩きにして、しまいには弟子の不祥事にかこつけて完全にスポイルした。

 そう聞くと、八角理事長やら相撲協会理事たちを悪人のように断罪しているように聞こえるかもしれないが、これもアイヒマンとまったく同じである。 「相撲ジャーナリスト」を名乗る方たちや、相撲記者クラブ在籍ウン十年みたいな評論家のオジサンたちが擁護するように、彼らは相撲界の発展を心から願い、相撲協会という組織に尽くそうとしている真面目な組織人だ。

 だからこそ、「横綱は品行方正な人格者」という組織内論理に盲従して思考が停止してしまうのである。なにも考えていないので、一般社会からすると耳を疑うような言動も平気で行う。臭いものにフタをしているようにしか見えない、ずさんな対応もしれっとできてしまうのだ。

●「思考停止型組織」の恐ろしいところ

 そして、このような相撲協会の「思考停止体質」を実は最も象徴しているのが、何をかくそう、貴乃花親方だ。親方は、愛弟子が暴行を働いて「一兵卒として出直す」と述べた。 一兵卒というのは、上の命令は絶対で、何も考えずに任務を遂行する。「死ね」と言われれば、死ぬ存在だ。つまり、あれは「もう私はなにも考えません」と言っているのだ。あれほど組織にたてついた人物が、こうも分かりやすく陥落する。これが「思考停止型組織」の恐ろしいところだ。

 こういうカルチャーを変えないことには、どんなに再発防止策をしても、同じような不祥事が繰り返される。 今回の騒動を受けて、相撲協会では土俵内で不測の事態が起きた際のマニュアルを整備するとか言っていたが、こういう教条主義は「思考停止」にさらに拍車をかける。 残念ながら、相撲協会のゴタゴタはさらにひどくなっていきそうだ。(窪田順生)

418NAME:2018/04/16(月) 14:41:59
スタバで友人待っていた黒人客2人逮捕、CEOが謝罪 米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%90%e3%81%a7%e5%8f%8b%e4%ba%ba%e5%be%85%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e9%bb%92%e4%ba%ba%e5%ae%a22%e4%ba%ba%e9%80%ae%e6%8d%95%e3%80%81ceo%e3%81%8c%e8%ac%9d%e7%bd%aa-%e7%b1%b3/ar-AAvV7qQ?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】米東部ペンシルベニア州フィラデルフィア(Philadelphia)にあるコーヒーチェーン大手スターバックス(Starbucks)の店舗で、黒人の男性客2人が友人を待っている間に逮捕される出来事があった。その様子を写した動画が拡散し、ソーシャルメディアでは非難が噴出。同社のケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)最高経営責任者(CEO)が謝罪に追い込まれる事態になった。

問題の動画はツィッター(Twitter)に12日に投稿され、これまでに数百万回再生された。米人気ヒップホップグループ、ザ・ルーツ(The Roots)のドラマー、クエストラブ(QuestLove)さんが「黒人がスターバックスで待っているのは犯罪なのか」と批判するなど広範な反発を招いた。

 ジョンソンCEOは声明で「非難されるべき結末」になったとして男性2人に「心からのおわび」を表明。調査を行い、再発防止に向けて「必要な変更」をすると約束した。「スターバックスは差別や(人種によって対象を絞って捜査する)レイシャル・プロファイリングには断固反対する」とも強調した。

 自身も黒人であるフィラデルフィアのリチャード・ロス(Richard Ross)警察本部長によると、スターバックスの店舗従業員は、2人が店内の席に座ったが注文するのを拒否したため、不法侵入だとして緊急通報した。駆け付けた警官らは2人に退去を「丁寧に」求めたが、最終的に逮捕することになったという。 2人はスターバックスが告訴しないとしたため釈放された。

419NAME:2018/04/18(水) 00:01:07
「仕事ができないヤツ」の部屋、5つの特徴。窓をずーっと拭いてないetc...
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%80%8c%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%81%8c%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e3%83%a4%e3%83%84%e3%80%8d%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b%e3%80%815%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%89%b9%e5%be%b4%e3%80%82%e7%aa%93%e3%82%92%e3%81%9a%e3%83%bc%e3%81%a3%e3%81%a8%e6%8b%ad%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84etc/ar-AAvXXgx?ocid=iehp#page=2

新年度が始まり、新たに新居を構えた人も多いだろう。人間にとって衣食住は欠かせぬが、食はもちろんのこと、「住」も人の精神や肉体に大きな影響を与える要素だ。今現在、ヤバイ部屋に住んでいる人はその改善を、いまはまだ問題ない部屋に住んでいる人はそうならないように、これから語る事例で学んでもらいたい。

◆無駄な思考をさせる部屋は仕事をダメにする

 空間心理カウンセラーの伊藤勇司氏は、部屋から受ける心理状態がビジネスの成否にかかわると話す。
「まずは玄関。家を出るときに靴が散らかっていると、仕事でも乱雑な判断をしてしまいがちになります」
 そこで仕事で履く以外の靴を靴箱にしまう行動が、内面に変革をもたらすという。
「スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたように、生活をシンプルにすると余計な思考がなくなり適切な判断力が養われます」

 また、仕事のキャパと関係するのが窓の汚れ。
「窓のような、あまり手が届かないところを放置するのと日頃から最低限のことしかやらない姿勢は直結します」
 また、研究者でもないのに溢れるほどの本がある場合は「頭でっかちで行動しない人間になりがち」。
 大ベストセラーとなった『もしドラ』の生みの親で、「ヘヤカツ」を提唱する岩崎夏海氏も、部屋の整理をきっかけに仕事がうまくいき始めたという。

「売れなかった時期の部屋といえば、寝室にまで大量の本が溢れ、死蔵品まみれ。そんな郊外の家から、必需品だけを持って都内に引っ越してからは、“いつか片付けなきゃ”という微細なストレスから解放され、前だけを向くようになりました。『もしドラ』の企画が浮かんだのはその翌年ですね」

 何よりも説得力のある言葉だ。

「特に企画系の仕事は、記憶よりも適切なことを適切なときに思い出すことのほうが重要で、それは部屋の中で探し物を見つけるのに似ている。脳をそういう状態につくるためには、部屋から無駄を省くのが大事。『いつか使うかも』というモノは絶対に使わないので、今すぐ捨てましょう」

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<仕事ができない人にありがちな部屋>

●汚い玄関、汚い窓
玄関と窓はデキる人のバロメーター。玄関が靴だらけだと、迷信抜きで一日のスタートを気持ちよく迎えることができない、窓が汚れているのを放置する姿勢は、仕事への詰めの甘さにも繋がる

●机の上に業務とかけ離れたものがある、使っている机に小物が散乱
机の上の小物や、使っていない文具は判断力を鈍らせる。

●「過去の栄光」関連
賞状やトロフィーなどをすぐに見える位置に飾っている人ほど、人生の岐路に立ったときに下降してしまう傾向が

●死蔵品が多い
いつの間にか増えてしまうクリアファイルや、使っていない文房具などを溜めこむ姿勢が、挑戦心をくじく

●本棚が自己啓発本でぎっしり
本棚には自己評価のパターンが如実に表れる。特に、自己啓発本で埋め尽くされている場合は現在の自分を過小評価し、ないものねだりをしている状態。デキるようになりたいなら、本棚を見直そう

部屋の細部への姿勢は仕事への姿勢を表す。死蔵品は思考を過去に戻し、読まない大量の本は理屈ばかりで行動できない自分を肥大させる。部屋に溢れ返るモノは同じく脳内をも占拠し、アイデアの源泉を阻害する。〈取材・文/週刊SPA!編集部〉

【伊藤勇司】空間心理カウンセラー。部屋と心の相関性に着目し、1000軒以上の現場をもとに空間心理理論を確立。著書に『部屋は自分の心を映す鏡でした。』(日本文芸社) 【岩崎夏海】作家。小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)が280万部を突破 ※『週刊SPA!』4月17日発売号「住んではいけない! 人生がダメになる部屋」より

420NAME:2018/05/14(月) 22:39:37
【科学】
人類交代劇、小脳が引き金か ネアンデルタール人の化石分析
2018.5.14 11:12更新
http://www.sankei.com/life/news/180514/lif1805140010-n1.html

約3万年前に絶滅したネアンデルタール人は、初期の現生人類(ホモ・サピエンス)よりも小脳が小さかったことを、慶応大や名古屋大などの研究チームが化石の分析で解明した。この差がネアンデルタール人と現生人類の交代劇につながったとみられるという。

 研究チームは、7万〜4万年前のネアンデルタール人の頭骨化石4個と13万〜3万年前の現生人類の頭骨化石4個について、コンピューター断層撮影(CT)のデータから大脳や小脳の形を立体的に解析。大脳に対する小脳の容積比は、現生人類の平均13・5%に対し、ネアンデルタール人は同12・7%と小さかった。

 脳の後方の下部に位置する小脳は主に運動能力を担うが、現代人を対象とした近年の研究で、大きいほど記憶や言語の能力に優れ、複雑な思考が可能になることが分かってきている。

 欧州では、ネアンデルタール人は後から出現した現生人類と約4万年前から約5千年にわたって共存していたが、後に絶滅。現生人類が生き残った。慶大の荻原直道教授は「小脳の機能差が環境への適応能力の違いにつながり、現生人類の生存に有利に作用した可能性がある」とみている。(伊藤壽一郎)

421NAME:2018/05/16(水) 21:43:39
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(上)「95歳まで生きるものと…」
2018.5.15 20:50更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150007-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつの全文は以下の通り。

95歳まで生きるものと…

 パクさん(高畑勲監督の愛称)というあだ名のいわれは定かではない部分があるのですが、だいたい朝がすごく苦手な男でした。東映動画に勤め始めたときも、ぎりぎりに会社に駆け込むのが毎日でございまして、買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べて、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたという。それでパクになったという噂です。

 追悼文という形ではありませんが、書いてきたものを読ませていただきます。

 パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた。そのパクさんが亡くなってしまった。自分にも時間がないんだなと思った。9年前、私たちの主治医から電話が入った。「友達なら高畑監督のたばこをやめさせなさい」。真剣な怖い声だった。主治医の迫力に恐れをなして、僕と(プロデューサーの)鈴木(敏夫)さんはパクさんとテーブルを挟んで向かい合った。姿勢を正して話すなんて初めてのことだった。

「パクさん、たばこをやめてください」と僕。「仕事をするためにやめてください」と鈴木さん。弁解やら反論が怒涛(どとう)のようにふき出てくると思っていたのに、「ありがとうございます。やめます」と、パクさんはきっぱりと言って頭を下げた。そしてパクさんは本当にたばこをやめた。 僕はわざとパクさんのそばにたばこを吸いに行った。「いいにおいだと思うよ。でも全然吸いたくなくなった」とパクさん。彼の方が役者が上だった。やっぱり95歳まで生きる(と思い込む)人だなと思った。

55年前の出会い

 1963年、パクさんが27歳、僕が22歳のとき、僕らは初めて出会いました。その初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています。黄昏時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりの残る通りを、1人の青年が近づいてきた。 「瀬川拓男さん(人形劇団太郎座の主宰者)のところへ行くそうですね」 穏やかで賢そうな青年の顔が、目の前にあった。それが、高畑勲ことパクさんに出会った瞬間だった。55年前のことなのに、何とはっきり覚えているのだろう。あのときのパクさんの顔を、今もありありと思い出す。 瀬川拓男氏は人形劇団太郎座の主宰者で、職場での公演を依頼する役目を僕は担わされていたのだった。

得難い人に巡り合えた

 次にパクさんに出会ったのは、東映動画の労働組合に押し出されてしまったときのことだった。パクさんは副委員長、僕は書記長にされてしまっていた。緊張で吐き気に苦しむ日々が始まった。 それで組合事務所のプレハブ小屋に泊まり込んで、僕はパクさんと夢中に語り明かした。ありとあらゆること、作品について…。僕らは、仕事に満足してなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった…。(涙声になる) 何を作ればいいのか…。 すいません。(言葉を継げなくなる) パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り合えたのだ-とうれしかった。

ホルスの大冒険

 その頃、(高畑、宮崎監督を多くの後輩を育てたアニメーター)大塚康生さんの班にいる新人だった。大塚さんと出会えたのは、パクさんと出会えたのと同じくらいの幸運だった。アニメーションの動かす面白さを教えてくれたのは大塚さんだった。

ある日、大塚さんは見慣れない書類を僕に見せてくれた。こっそりです。それは「大塚康生が長編映画の作画監督をするについては『演出』は高畑勲でなければならない」という会社への申し入れ書だった。当時、東映動画では『監督』と呼ばず、『演出』と呼んでいました。 パクさんと大塚さんが組み、色の差し込んできたような高揚感がわき上がってきました。 そしてその日が来た。長編漫画第10作目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」、昭和43年)が大塚、高畑コンビに決定されたのだった。

422NAME:2018/05/16(水) 22:18:54
【高畑勲監督のお別れの会】
宮崎駿監督のあいさつ全文(下完)「パクさんのことを忘れない」
2018.5.15 20:55更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150008-n1.html

東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で15日、営まれたアニメーション監督、高畑勲さんのお別れの会で、高畑さんとともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)が読んだあいさつ全文の続きは以下の通り。

秘密の談合

 ある晩、大塚さんの家に呼ばれた。スタジオ近くの借家の一室にパクさんも来ていた。ちゃぶ台に大塚さんはきちんと座っていた。パクさんは組合事務所と同じように、すぐ畳に寝転んだ。何と僕も寝転んでいた。 奥さんがお茶を運んでくれたとき、僕は慌てて起きたが、パクさんはそのまま「どうも」と会釈した。女性のスタッフにパクさんの人気が今ひとつなのは、この不作法のせいだったが、本人によると、股関節がずれていてだるいんだそうだった。

 大塚さんは語った。「こんな長編映画の機会はなかなか来ないだろう。困難は多いだろうし、制作期間が延びて問題になることが予想されるが、覚悟して思いきってやろう」 それは意思統一というより、反乱の宣言みたいな秘密の談合だった。 もとより、僕に異存はなかった。なんせ僕は(仕事が)映画にもなっていない新米のアニメーターに過ぎなかったのだ。大塚さんとパクさんは、事の重大さがもっとよく分かっていたのだと思う。

僕はたたきのめされた

 勢いよく突入したが、長編10作の制作は難航した。新しい方向に(進むには)不器用だった。仕事は遅れに遅れ、会社全体を巻き込む大事件になっていった。 パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。

 僕は夏のエアコンの止まった休日に一人出て、大きな紙を相手に背景原図を書いたりした。会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。僕はこの作品で仕事を覚えたんだ。

 初号(完成作品の最初の試写)を見終えたとき、僕は動けなかった。感動ではなく、たたきのめされていた。会社の圧力で迷いの森のシーンは削れ削らないの騒ぎになっているのを知っていた。 パクさんは粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数から、カットごとの作画枚数まで約束し、必要製作日数まで約束せざるを得なくなっていた。当然のごとく約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。いったいパクさんは何枚の始末書を書いたんだろう。

何という強い絵

 僕も手いっぱいの仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。大塚さんも会社側の脅しや泣き落としに耐えて、目の前のカットの山を崩すのが精いっぱいだった。 初号で初めて迷いの森の広い…(言葉を詰まらせる)ヒルダ(孤独な少女、声・市原悦子)のシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。何という圧倒的な表現だったろう。何という強い絵…(絶句)。(声を絞り出すように)何という優しさだったろう。(涙声で)これを、パクさんは表現したかったんだと初めて分かった。 パクさんは、仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を成し遂げていた。大塚さんと僕は、それを支えたのだった。

僕らは精いっぱい生きた

 「ホルスの大冒険」公開から30年以上たった西暦2000年にパクさんの発案で、「太陽の王子」関係者の集まりが行われた。 当時の会社の責任者、重役たち、会社と現場の板挟みに苦しんだ中間管理職の人々、製作、進行、作画スタッフ、背景、トレースの女性たち、技術、撮影、録音、編集の各スタッフがたくさん集まってくれた。

偉い人たちが「あの頃は一番面白かったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」は興行は振わなかったが、もう誰もそんなことは気にしていなかった。 パクさん、僕らはあのとき精いっぱい生きたんだ。パクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれた(涙で声が揺れる)パクさんのことを忘れない。どうもすみません。

423NAME:2018/05/16(水) 22:19:35
アニメ監督、高畑勲さんお別れの会 宮崎駿監督「僕らは精いっぱい生きた。ありがとう」
2018.5.15 18:35更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150001-n1.html

「火垂(ほた)るの墓」(昭和63年)などで知られるアニメーション監督で、4月に82歳で死去した高畑勲さんのお別れの会が15日、東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。ともにアニメスタジオ「スタジオジブリ」を率いた宮崎駿監督(77)がお別れの会の委員長を務め、作曲家の久石譲さん、山田洋次監督ら約1200人が参列した。

 高畑さんが好きだったジブリ美術館内の階段に祭壇を設置。宮崎監督の「野に咲く花たちで囲みたい」という思いから、笑顔の遺影は色とりどりの約2000本の草花で飾られた。

 宮崎監督は、新人アニメーターとして一緒に働いた日々を振り返り「パクさん(高畑さんの愛称)の教養は圧倒的で、得がたい人に巡り合えたのだとうれしかった。パクさん、僕らは精いっぱいあのとき生きたんだ。ありがとう」と涙ながらに語りかけた。

高畑さんはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(49年)などの名作を多数手がけ、日本アニメの礎を築いた。60年に宮崎監督とスタジオジブリを設立後は、二人三脚でヒット作を生み、国内外で高い評価を得た。ジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫さん(69)は、「高畑さんは『平家物語』を最期まで映画化したがっていた。実現できず残念だ」と無念そうに語った。

 献花には、ファンら約2000人も参列。3歳の娘と訪れた東京都武蔵野市の主婦(40)は「数々の名作への感謝を伝えたかった。この子が物心ついたら一緒に楽しみたい」と話した。

424NAME:2018/05/16(水) 22:23:45
【高畑勲監督のお別れの会】
アニメーター、大塚康生さんのお別れの言葉(全文)「悔しくて悔しくて」
2018.5.15 20:59更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150009-n1.html

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(昭和43年公開)で作画監督を務め、その後も映画「パンダコパンダ」やテレビアニメ「ルパン三世」(第1シリーズ)、「じゃりン子チエ」などで高畑勲さんと組んだアニメーター、大塚康生(やすお)さん(86)のお別れの言葉は以下の通り。 高畑さんと出会い、毎日夜12時まで話をして、社会情勢とか、アニメーションのこと、それ以外にもいっぱい話して、すっかり(次の日は)意気消沈しましたよね。

 東映動画の長編10本目(「太陽の王子 ホルスの大冒険」)をやるときに、会社は「演出は誰がいいか」と言うんですよ。その頃は、作画監督が演出を決めるようになったんですよね。 僕は「初めてですけれど高畑さんがいい」と言ったら、(会社は)「あれはだめだ」と。「あんな高畑じゃだめだ」と言ったんですけれども…。 (僕は)「じゃあ、やれません」と。そしたら、しようがないからさあ、「じゃあ、やってもらうけど、スケジュールだけは守ってくれよ」と言ってきたんですよね。

(僕は)「守ります」と約束したんですけれど、守らない。高畑さんは絶対に守らない。徹底的に守らないんですよ。 で、会社が(高畑監督を)呼び出してね。「君は『守る』って約束したけれど、どうして守らないんだ」と。(高畑監督は)「いやあ、いい仕事をしようと思って粘ると長くなっちゃうんですよ」と。 まあ、そんなやり取りがありましたね。高畑さんは絶対に粘るんですよ。徹底的に粘る人でね。面白い人でした

 一緒に国内旅行したり、いろいろな所に遊びにいったりして…。まあ、主に日本国内ですけれどね。尾瀬に行ったり、阿波踊りに行ったり…。 阿波踊りなんかも一緒にやってきて。宮崎(駿)さんと高畑さんの踊りが全然違うんですよ。阿波踊りにないポーズで踊るんですよね。宮崎さんなんか、まったく違うんです。(僕は)写真を撮ってきました。あんまり面白いんで。

 そういう面白いことがいっぱい積み重なって…。(涙声で)亡くなったけれども…。昨年にお会いしたばっかりだったのにね…。信じられないよ。そんなはずないって思いで…。悔しくて悔しくてしようがないよ。まあ、そんなことです。ありがとうございました。

425NAME:2018/05/16(水) 22:26:00
【高畑勲監督のお別れの会】
小田部羊一さんのお別れの言葉(全文)「これは完全な間違いです」
2018.5.15 21:33更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180515/ent1805150010-n1.html

東映動画では高畑勲監督の同期にあたり、その後、活躍の場を移したズイヨー映像では、高畑監督のテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(昭和49年)で作画監督やキャラクターデザインも務めたアニメーター、小田部(こたべ)羊一さん(81)のお別れの言葉は以下の通り

 パクさん、ひと月以上たった今でもまだ腑に落ちません。死ぬことになっていたのは私なんです。昨年、病床にあった私に(高畑監督は)「大丈夫、治るから」と励ましてくれ、本当にその通りになりました。退院できたときにも、あんなに喜んでくれたではありませんか。そのパクさんがなぜ…。

 納得できません。これはあべこべです。いてくれなければならないパクさんが逝ってしまい、なぜ私が残るのでしょうか。 すべてのことに正しかったパクさんです。でも、今日はあなたを批判させてください。間違っています。すべてに潔かったとはいえ、これは完全な間違いです。 パクさんがいなければ、日本のアニメーションは、世界のアニメーションは、世界の映画は、日本の世の中は、世界は、太い心棒がなくなってしまいます。

パクさんは、どんなことを聞いても答えてくれ、知らないことがないといった人でした。音楽のこと、文学のこと、絵画のことさえも。それを作品に反映し、考え抜いてくれました。 だから安心して任せられる羅針盤であり、パクさんの示してくれる方向は苦しみを伴いましたが、誤りのないものでした。

 ついていくだけで精いっぱいでしたが、東映動画入社以来の私を「アニメーションの表現を深め、新しい表現を生み出したいと願う同志だった」と言ってくれました。他にかけがいのないパクさん。だから戻ってほしいのです。どうか戻ってきてください。心からのお願いです。2018年5月15日、小田部羊一

426NAME:2018/05/20(日) 22:16:51
低所得家庭の赤ちゃん「体重が増えにくい」
読売新聞
2018/05/19 13:18
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bd%8e%e6%89%80%e5%be%97%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e3%81%ae%e8%b5%a4%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%8c%e4%bd%93%e9%87%8d%e3%81%8c%e5%a2%97%e3%81%88%e3%81%ab%e3%81%8f%e3%81%84%e3%80%8d/ar-AAxuz8V?ocid=iehp#page=2

低所得の家庭では赤ちゃんの体重が増えにくい、との調査結果を北里大学の可知(かち)悠子講師(公衆衛生学)らの研究チームがまとめた。 国内約5万6000人の乳児について調べたもので、チームは、経済的事情による栄養不足や育児放棄などが背景にあるとみている。

 厚生労働省の乳児調査をもとに、体重2500グラム以上で生まれた2001年生まれ約3万5000人と、10年生まれ約2万1000人が対象。世帯の経済状況と生後18か月までの体重増加の関係などを調べた。体重増加が最も遅い5%のグループを「体重増加不良」とし、所得別に分析した。

 その結果、世帯所得が最上位4分の1の群に比べ、最下位4分の1の群は、01年生まれで1・29倍、10年生まれで1・27倍、体重増加不良になるリスクが高かった。

427NAME:2018/05/27(日) 19:37:27
徳光和夫、秀樹さん延命やめたのは「お子さんが『休ませてあげたら』と」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%be%b3%e5%85%89%e5%92%8c%e5%a4%ab%e3%80%81%e7%a7%80%e6%a8%b9%e3%81%95%e3%82%93%e5%bb%b6%e5%91%bd%e3%82%84%e3%82%81%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%af%e3%80%8c%e3%81%8a%e5%ad%90%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%8c%e3%80%8e%e4%bc%91%e3%81%be%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%81%82%e3%81%92%e3%81%9f%e3%82%89%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%80%8d/ar-AAxQvSM?ocid=iehp

16日に急性心不全で死去した歌手、西城秀樹さん(享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・青山葬儀所で営まれ、音楽関係者やファン1万人以上が参列した。葬儀の司会を務めたフリーアナウンサー、徳光和夫(77)は「秀樹さんは(先月)倒れた後、意識はないが心臓は動いている状態で、延命策をどうすべきかという話が家族で出ていた。3人のお子さんが『パパは本当に頑張ってきたから休ませてあげたら』と言い、奥様はその一言で延命をやめたと聞きました。お子さんたちは立派に育った」と故人をしのんだ。

428NAME:2018/06/02(土) 00:35:30
【西城秀樹さん葬儀】野口五郎さんが弔辞(全文) 還暦パーティーで彼を抱擁したとき、僕は全身が震えた
2018.05.26
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1759

■君への弔辞を読むことになるなんて

 秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日がたっただろうか。みなさんに「気持ちの整理がつくまで少し時間をください」。そうお願いしたのだけれど、どうやってこの現実を受けとめていいのか、いまだに君の言葉を、いろいろなことを思い出して泣いてばかりいる。
 秀樹との46年間は簡単に語り切れるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて、考えてもいなかった。僕にとって君は本当に特別な存在だった。あるときは兄のようでもあり、あるときは弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることもなく、全部受けとめてくれて、いま思うと君と僕とは心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、なんでそんなに信用してくれていたの?

 ■「ブーメランストリート」に隠された思い

 訃報を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。「秀樹の歌で『ブーメランストリート』っていう曲があって、ブーメランだから『きっとあなたは戻ってくるだろう』という歌詞だけど、でも、戻って来なかった人をアンサーソングとして『ブーメランストレート』ってどう?って言ったら、それいいねって、秀樹、大笑いして…。そしたら彼、本当に『ブーメランストレート』っていう曲を出してしまったんだよ」。
 君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレイから突然、「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、「五郎、来てくれたね」。君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかな、ってそう思ったよ。

 ■僕の心は見透かされていた

 30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、そのときの曲を作ってほしい」って突然言いだした。「秀樹、僕はひとの曲は作らないって知ってるだろう?」「うん、だから作って」「秀樹、〝だから作って〟は日本語変だから」「うん、最後にみんなで歌う曲、作ってほしいんだよ」「秀樹、悪いけど、無理だから。それ、できないから」「分かってる。一応、締め切りはいついつだから」「秀樹、それできないからね」って別れたのに、締め切り日ぎりぎりにパジャマ着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように玄関先で「ありがとね」って、君は笑顔で一言。完全に見透かされているよね。
 今年になってから、その曲がシングルカットされているのを知って…僕はそれまで知らなかったんだよ、シングルカットされているのは。君のマネージャーにお願いして音源もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサートでデュエットした。なぜ、今年だったんだろう。不思議でならない。

429NAME:2018/06/02(土) 00:36:14
 ■最後に格好良く決めるのは秀樹

 「コンサートを観に来てくださった君のファンの方も喜んでくださった」って奥さんから聞きました。
 デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければ、と考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを僕は知っている。
 1993年、初めて「ふたりのビッグショー」で共演。一緒に歌った「Unchain My Heart」「Unchained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」。ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良くキメるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が大好きだった。本当に格好いいと思っていた。

 ■君がドライバー、僕はおにぎりを用意

 お互い独身時代が長かったから、なんでも話すようになって、ゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりと味噌汁を用意して、「夫婦か」なんて言い合って。
 僕が「秀樹、結婚するから」って言ったときの驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。「あ、こいつ結婚する」って。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
 秋も深まったある日、妻が「もしかして子供ができたかも」と言いだし、驚いた僕は「明日、病院に行って検査してもらおう」と二人で話した。
 そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子供ができた」。
 生まれてみれば同じ女の子で、君んちが6月3日、僕んちが6月5日。マジか、これ。当然、娘たちの初節句、雛祭りも一緒に祝ったよね。

430NAME:2018/06/02(土) 00:36:46
 ■忘れられない、還暦パーティーでの表情

 3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させていただいたときの秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
 遡ること44年前、1974年。この年、僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。でも君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。

 ■抱擁したとき、秀樹は全体重を僕にかけてきた

 それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して、二人で抱き合った。
 そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ〜」って言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。そのとき、君は僕のことを一瞬、抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」。そう思った。

 それと同時に僕の全身が震えた。「こんなぎりぎりで立っていたのか。こんな状態でファンのみなさんの前で立っていたのか。そこまでして立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ」。彼の大きさに驚いて、一瞬、頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って、秀樹のファンのみなさんに彼を紹介してしまった。
 秀樹ほど天真爛漫という言葉がぴったりな人に、僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人すべてを魅了する優しさと、すべてを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどれだけたくさんいたことか。僕はうらやましかったよ。

 ■おまえの分も歌い続けるから

 僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけれど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 もうリハビリしなくていいからね。もう頑張らなくていいから。
 君のかわいい子供たち、家族をいつも見守ってあげてほしい。そしてお前の思うラブソングを天国で極めてくれ。
 秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう。
 平成30年5月26日 野口五郎。

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431NAME:2018/06/02(土) 02:11:13
昨年12月に生前葬の安崎暁氏が死去 元コマツ社長
2018.05.31
https://sonae.sankei.co.jp/news/detail/id=1766

建機大手コマツの元社長で、昨年12月に生前葬を開いて話題となった安崎暁(あんざき・さとる)氏が26日午前4時39分、胆のうがんのため自宅で死去した。81歳、徳島県出身。葬儀・告別式は親族だけで行った。
 1995年から2001年までコマツ社長。会長や相談役を歴任し、国家公安委員会の委員も務めた。昨年11月に新聞広告でがんであることを公表し、延命治療は受けないと明らかにした。12月には東京都内のホテルで生前葬に当たる「感謝の会」を開き、多くの人が集まった。
 大企業の元トップによる生前葬は珍しく、自分らしい人生の最期を探る「終活」のあり方を考える機会として、大きな反響を呼んだ。

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432NAME:2018/06/10(日) 11:58:55
万引の元マラソン女王が涙の告白 厳しい体重制限で選手時代も食料品を…地裁支部で第2回公判
2018/06/08 18:30
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%AE%E5%85%83%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%8C%E6%B6%99%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD-%E5%8E%B3%E3%81%97%E3%81%84%E4%BD%93%E9%87%8D%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%A7%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%82%E9%A3%9F%E6%96%99%E5%93%81%E3%82%92%E2%80%A6%E5%9C%B0%E8%A3%81%E6%94%AF%E9%83%A8%E3%81%A7%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4/ar-AAynvY8#page=2

群馬県太田市内のスーパーで今年2月、菓子を万引したとして、窃盗の罪に問われたマラソンの元世界選手権代表で、飲食店店員の原裕美子被告(36)=栃木県足利市=の第2回公判が8日、前橋地裁太田支部(奥山雅哉裁判官)で開かれ、原被告に対する被告人質問が行われた。

 原被告は時折涙ぐみながら、小学生のころに万引をしていた過去を告白。厳しい体重制限を強いられた選手時代に摂食障害を発症し、食料品を万引していたことを明かした。

 選手時代を「常に空腹、のどの渇きを感じていた」「どの大学、実業団でもやっていない厳しい体重制限を私だけやらされた」と振り返り、実業団に入団後の合宿では買い食いをしないように監督に財布を取り上げられたと説明。誘惑に負け、大人になって初めての万引をしたと語った。

433NAME:2018/06/10(日) 12:00:25
5歳死亡、「寝ていたので暴行」 父親が供述、東京・目黒
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/5%e6%ad%b3%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e3%80%8c%e5%af%9d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a7%e6%9a%b4%e8%a1%8c%e3%80%8d-%e7%88%b6%e8%a6%aa%e3%81%8c%e4%be%9b%e8%bf%b0%e3%80%81%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%bb%e7%9b%ae%e9%bb%92/ar-AAymX43?ocid=iehp

東京都目黒区で、衰弱した船戸結愛ちゃん(5)を放置したとして、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された事件で、3月に結愛ちゃんが死亡して事件が発覚した当時、父親の雄大容疑者(33)が「勉強しろと言ったが、寝ていたので暴行した」と供述していたことが8日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、雄大容疑者は「小学校の入学に向けた勉強を先にやれと言ったら、『はい』と言ったのに、昼ごろに部屋を確認したら寝ていたのでかちんときた」と供述したという。 母親の優里容疑者(25)が「自分は暴行はしていない」と話していたことも判明した。

434NAME:2018/06/10(日) 13:59:23
「男は無表情で殴っていた」新幹線3人死傷、乗客は見た
2018/06/10 05:45
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%8C%E7%94%B7%E3%81%AF%E7%84%A1%E8%A1%A8%E6%83%85%E3%81%A7%E6%AE%B4%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%EF%BC%93%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E5%82%B7%E3%80%81%E4%B9%97%E5%AE%A2%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%81%9F/ar-AAyr3tm

9日夜に、神奈川県内の東海道新幹線の車内で、刃物を持った男に切りつけられ、男性1人が死亡、女性2人が重傷を負った事件。別の新幹線に乗り換え、翌10日午前2時過ぎにJR名古屋駅に到着した乗客らがパニックとなった車内の状況を語った。

 事件があった東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車。めいと2人で乗車していた岐阜県可児市の女性(69)は、後ろから逃げてくる乗客で騒ぎに気付いた。振り返ると、3列ほど後ろの座席で、男がハンマーのような物で男性に殴りかかっていたという。

 直後に「逃げろー」という声を聞き、スマートフォンだけを手にめいと一緒に11号車に走った。11号車との接続部に来たところで、殺到した乗客が将棋倒しになり、「早く、早く」と悲鳴が上がったという。

 同じ12号車の神奈川県三浦市のパート女性(29)は「男が男性に馬乗りになって、無表情で殴っていた」と話した。また、愛知県常滑市の女性会社員(23)も、黒っぽいシャツの男が長い物を振り回しているのを見た。「男は最初、女性を狙ったが、助けようとした男性が狙われて亡くなった」という情報を、また聞きで耳にしたという。

 12号車にいた男性によると、床には弁当やペットボトルが散乱した。いったん降りた小田原駅のホーム上では、乗客らは座っていた席や身元を警察官から聞き取られたという。

 12号車から逃げようとする乗客で、車内はパニック状態になった。「血相を変えた人たちが20〜30人、『ギャー』と声を上げながら14号車の方に逃げていった」。13号車にいた東京都中央区の会社員太田奨悟さん(33)はそう話した。通路には襲われて逃げてきた人の血が点々と滴り落ちていたという。

 名古屋市名東区の会社員男性(57)は乗務員から身を守るように座席のシートを外して渡されたという。やつれた様子で「信じられない」と語った。

 15号車にいた三重県四日市市の会社員藤井友佳子さん(53)は「『助けてください』という声が聞こえ、後ろを振り返ると女性が左の首元を押さえて血を流しながら逃げてきた」と話した。その女性は15号車と16号車の間で倒れ込み、その後、医者を名乗る男性が手当てをしていたという。

435NAME:2018/06/11(月) 23:07:20
まるで犯罪組織…「史上最も腐った警察官」に禁錮25年、米
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%81%be%e3%82%8b%e3%81%a7%e7%8a%af%e7%bd%aa%e7%b5%84%e7%b9%94%e2%80%a6%e3%80%8c%e5%8f%b2%e4%b8%8a%e6%9c%80%e3%82%82%e8%85%90%e3%81%a3%e3%81%9f%e8%ad%a6%e5%af%9f%e5%ae%98%e3%80%8d%e3%81%ab%e7%a6%81%e9%8c%ae25%e5%b9%b4%e3%80%81%e7%b1%b3/ar-AAynBdu?ocid=iehp#page=2

【AFP=時事】殺人事件発生率が全米最悪の都市ボルティモア(Baltimore)の市警史上「最も腐った警察官」に7日、禁錮25年の有罪判決が下った。 ウェイン・ジェンキンス(Wayne Jenkins)被告は、違法銃器の摘発を任務とするエリート部隊「ガン・トレース・タスクフォース(Gun Trace Task Force)」を率いる巡査部長だった。ところが、この部隊は街中から違法銃器を一掃するどころか、銃器を盗んで横流しし、麻薬密売人から金品を巻き上げ、犯罪の証拠をでっち上げるなど、数々の職権乱用を繰り返していた。

 ジェンキンス被告ら6人の警察官の裁判で明らかになった手口の一つは、次のようなものだ。彼らは麻薬密売人の疑いのある人物の自宅で金庫をこじ開け、中にあった20万ドル(約2200万円)のうち10万ドルを奪うと、残りの10万ドルを金庫内に戻し、あたかも今から金庫を開けるかのように動画を撮影していた。

 現地紙ボルティモア・サン(Baltimore Sun)によると、レオ・ワイズ(Leo Wise)連邦検事補は公判でジェンキンス被告について、「犯罪組織のように」指揮下の部隊を運営し「計り知れないほどの」悪事を行ってきたと非難した。 キャサリン・ブレイク(Catherine Blake)連邦地裁判事は7日、ジェンキンス被告に禁錮25年を言い渡した。

ジェンキンス被告はすすり泣きながら「たくさんの過ち」を犯したと法廷で謝罪。「罰を受けるのは当然だし、私は刑務所に入れられるべきだと思う」と述べたとボルティモア・サン紙は伝えている。 ガン・トレース・タスクフォースの職権乱用の被害者は全員が黒人男性で、多くは麻薬密売人だった。警察官らは、自分たちの所業が当局に通報されることはないと分かっていて汚職に手を染めたとみられる。

436NAME:2018/06/11(月) 23:09:54
袴田さん沈黙後「そんなのウソなんだよ」 再審取り消し
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%a2%b4%e7%94%b0%e3%81%95%e3%82%93%e6%b2%88%e9%bb%99%e5%be%8c%e3%80%8c%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%82%a6%e3%82%bd%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0%e3%82%88%e3%80%8d-%e5%86%8d%e5%af%a9%e5%8f%96%e3%82%8a%e6%b6%88%e3%81%97/ar-AAyutX2#page=2

袴田巌さん(82)は11日、当初は弁護団とともに東京高裁を訪れる予定だったが、本人の意向で自宅のある浜松市内で過ごした。

 支援者によると、袴田さんは姉秀子さん(85)と暮らすマンションでいつも通り午前6時ごろ起き、朝食には北海道の支援者が送ってくれたアスパラガスのサラダなどを食べたという。午前中は自宅でテレビをみるなどして過ごし、午前9時ごろに一度、支援者らが上京の意思を尋ねた際には「用がないから。行かないよ東京は」と答えた。

 袴田さんは、市内を数時間歩くことを日課にしている。この日も午後は、支援者の車で母校近くの岩水寺(同市浜北区)へ出かけ、いつものやや前傾姿勢で歩いた。

 午後2時前、トイレ前の如来像に手を合わせ、本尊に向かう途中で支援者から「決定が出た」と聞くとひとごとのように「あー、そーおーう」。支援者が「不当決定を許すことはできない」と伝えると「あー、どうもどうも」と言い、少し早足になった。袴田さんは長期の拘禁生活の影響で、精神をむしばまれている。

 代表取材の記者が「再審決定を認めない判断が出ました」と言うと、しばらく沈黙した後、「そんなのウソなんだよ。ウソ言ってるだけだよ」「事件がねえんだから」といい、せき込んだ。表情はいつもと変わらなかったが、声や受け答えの調子には強い反発がにじんでいたという。

 本堂で手を合わせた後、木陰で少し休んだ。その後、近くの県立森林公園や中瀬招魂社を散策し、支援者とともに高台から浜松市内を眺めた。(阿久沢悦子、宮川純一)

437NAME:2018/06/15(金) 11:44:21
検査結果見逃し患者死亡、静岡 県立がんセンター肝障害気付かず
共同通信社
2018/06/14 20:28
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%a4%9c%e6%9f%bb%e7%b5%90%e6%9e%9c%e8%a6%8b%e9%80%83%e3%81%97%e6%82%a3%e8%80%85%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%80%81%e9%9d%99%e5%b2%a1-%e7%9c%8c%e7%ab%8b%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e8%82%9d%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e6%b0%97%e4%bb%98%e3%81%8b%e3%81%9a/ar-AAyCTUF?ocid=iehp

静岡県立静岡がんセンターは14日、抗がん剤治療を受けていた60代の男性患者が肝機能障害を起こしたのに気付かず、症状が悪化して昨年9月に死亡したと発表した。血液検査で出ていた肝機能の数値異常を見逃していたという。

 センターによると、男性は直腸がんと肝転移の通院患者で、昨年7月中旬に3週間の抗がん剤服用と1週間の休薬を1サイクルとする1回目の治療を開始。終了時に血液検査で肝機能障害を示す数値が出ていたが、担当医師が確認しないまま2回目の治療を始めた。 男性は2週間後の8月下旬に劇症肝炎のため緊急入院し、9月に死亡した。直接的な死因は薬剤性肝障害だった。

438NAME:2018/06/15(金) 11:55:19
メディアスクラムで壊される犯罪被害者・加害者家族の日常
2018/06/14 09:27
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%81%a7%e5%a3%8a%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e7%8a%af%e7%bd%aa%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%83%bb%e5%8a%a0%e5%ae%b3%e8%80%85%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%81%ae%e6%97%a5%e5%b8%b8/ar-AAyC2at?ocid=iehp#page=2

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

 こんにちは。松本麗華です。 連日、立て続けに衝撃的なニュースが報じられる昨今ですが、先月、新潟市のJR越後線の線路上で女の子の遺体が見つかるという痛ましい事件があったことも、まだ記憶に新しいでしょう。 ご家族や親族・地域の方々の受けた衝撃は計り知れません。悲しいことに、亡くなった少女の周辺では、マスコミの取材による「二次被害」が発生しているといわれました。

 先月末に掲載された産経ニュースの記事によると「午前零時過ぎに、家のチャイムを鳴らして取材を求めたマスコミがいた」「児童を尾行して家に到着したら、インターフォンを鳴らして取材しようとしたマスコミがいた」といった、行き過ぎた取材の実態が書かれています。 住民の中には、報道関係者を逮捕してほしいとSNSに投稿した方もいるようです。

 産経ニュースでは「保護者・児童の感情と、マスコミの『報道の自由』の両方に配慮しなければならない」と書かれていますが、わたしには、こういった取材がそもそも「報道の自由」として配慮されるべきものとは思えません。 犯人逮捕のためという大義名分があるならまだしも、既に容疑者は逮捕されています。また少女のご家族は

「(略)今は一日も早く、地域の方々や私たち家族が穏やかな生活を取り戻せることを願うばかりです。どうかこのような心情をご理解いただき、今後、家族や親族等に対する取材・撮影等についてはご遠慮いただきたいと思います」との声明を発表し、取材の自粛要請をしました。

 しかしなぜか、多くのマスコミは要請の部分をまるごとカットし報じませんでした。 マスコミの方は、わたしに「被害者感情に配慮しなければいけない」「麻原裁判はおかしかったと思うけど、被害者の気持ちを考えると報道できない」といいます。果たして、マスコミは本当に被害者感情を考えているのでしょうか。もし考えているなら、ご家族の言葉をそのまま報じ、取材も節度あるものとなったでしょう。

 ご家族が声明を出し、穏やかな生活を取り戻したいと願っているのに、少女の個人情報を周囲の人に聞き出し、報道するのは、誰の、何のための報道なのでしょうか。 わたし自身も、これまでマスコミの過剰取材・報道に苦しめられてきました。

 少しだけ例を挙げます。 一人でスーパーで買い物をしていたとき、テレビ局のクルーとリポーターに見つかり、追いかけられたことがあります。撮られたくない一心で逃げましたが、結局、路地の行き止まりまで追い詰められ、マイクとカメラを向けられました。

 その時、「悪いことをしたから逃げた」と誤解されるのを恐れ、「取材には応じます。その代わり、わたしの隠し撮りや逃げるシーンは使わないでください」と取材スタッフにお願いしました。 しかし、番組の放送を見ると、わたしが逃げるシーンが使われており、その上、インタビューシーンも放送されていました。当時のわたしは13歳。何の後ろ盾もない両親のいない未成年で、約束を守るに値する人間ではないと判断されたのでしょう。

 ある時は、大きな業務用ビデオカメラを担いだマスコミが、マンションのベランダに入って窓をがらりと開けて部屋に侵入してきたこともあります。夜に見知らぬ男性が踏み込んできたので、怖くてたまりませんでした。 プールに入っていることころを隠し撮りされたこともあります。わたしが誰であるか特定した上で、水着姿を無断で放送されたことに、思春期だったわたしはどうしていいかわからなくなりました。 そのときの恐怖や悲しみは、今でも忘れることができません。

439NAME:2018/06/15(金) 12:16:42
◆いつ、自分自身も加害者家族になるかわからない

 視聴者・読者であるわたしたちも、マスコミの行き過ぎた報道やその情報の受け取りに方ついて、考えていく必要があるように思います。 そもそも過剰な取材をするのは、良いネタを掴んで視聴率や販売部数を上げるためです。仮に、わたしたちが人の不幸に関することを知りたいと望めば、マスコミはこぞって不幸な情報を集めます。

 ゴシップ報道のように、個人のプライバシーを暴露してバッシングする記事をわたしたちが求めれば、プライバシー侵害に苦しむ人が今後も後を絶たなくなります。 マスコミの報道姿勢に疑問をぶつけると、マスコミの方は「いやあ、見る人がいるからね……。視聴率を見て、何を取り上げるか決めているんですよ」と言います。

 視聴者・読者の多くが冷静になり、センセーショナルな報道に見向きもしなくなれば、必然的にマスコミの行きすぎた取材もなくなるのではないでしょうか。 現在のマスコミの報道のあり方を変えていくにはどうしたらいいのか、よく考えます。わたしには何の力もありません。でも、できることがあります。

 報道被害にあったことを黙らないこと、報道のあり方に疑問の声をあげることです。少しでも多くの人が報道に対し、「おかしい」と声を上げれば、状況は少しずつ改善していきます。マスコミの方と話していて思うのは、考えていた以上にネットの声や読者、視聴者からのフィードバックを気にしているということです。

 明日には、自分の親族や知り合いが犯罪の加害者や被害者になるかもしれない。もしかしたら、犯罪に巻き込まれるかもしれません。自宅の近くで事件が起こったとしたら、それだけで日常が奪われてしまいます。 わたしもある日突然、加害者家族とされ、マスコミの過剰報道により、傷ついてきた一人です。12歳までわたしは、マスコミに追われることがあるなど、夢にも思ったことはありませんでした。

 もし、自分が犯罪に巻き込まれ、注目を集めてしまったらと、一度考えてみていただきたいです。 関係ないと思っていらっしゃる皆さんが「自分も報道被害にあうかもしれない」という意識をもって、報道を見るようになったとき、報道のあり方は変わっていくのではないでしょうか。

◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第2回◆◆◆◆

【松本麗華】文教大学臨床心理学科卒業後、産業カウンセラーの資格を取得。心理カウンセラーとして活動する他、執筆や講演、ヨガのインストラクターもしている。日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属。自身の半生を振り返る手記『止まった時計』を上梓。実の父親である麻原彰晃は複数の精神科医から外的な刺激に反応することができない「昏迷」という状態にあるとされ、治療されることなく裁判が終結。10年以上、面会ができていない。現在も、父の治療と面会を求め続けている。健康情報とお得情報、割引クーポンが大好き。

ブログ http://blog.asahara-kousoshin.info/
インスタグラム https://www.instagram.com/rikareikamatsumoto/
Twitter @asaharasanjo

440NAME:2018/06/18(月) 01:08:56
お金がなくても幸せなおひとり様、71歳男性の場合
安田 まゆみ
2018/06/16 18:30
http://www.msn.com/ja-jp/money/personalfinance/%e3%81%8a%e9%87%91%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%a6%e3%82%82%e5%b9%b8%e3%81%9b%e3%81%aa%e3%81%8a%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%82%8a%e6%a7%98%e3%80%8171%e6%ad%b3%e7%94%b7%e6%80%a7%e3%81%ae%e5%a0%b4%e5%90%88/ar-AAyIJqf?ocid=iehp#page=2

数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」

ご夫妻の場合、夫婦仲良くが、(お金があってもなくても)楽しく暮らすコツのような気がします。では、おひとり様が楽しく暮らすには、何が必要だと思いますか? 数カ月に一度、お金のご相談にいらっしゃるダンディな「おひとり様」がいらっしゃいます。和人さん(71)です。彼は、毎回、お会いするたびに「安田さん、僕はね、いま、人生楽しくてしょうがないんだ」とおっしゃるのです。

65歳の時に奥様と死別。お子さんはいません。最愛の奥様を亡くした3年間は、死んだようになっていたといいます。お勤め先は、大企業ではありませんので、お給料は飛びぬけて良かったわけではありませんが、地方の山間に小さなマンションタイプの別荘をお持ちでした。体の弱い奥様のために購入したものです。「子どもにお金がかからない分、私にでも買えたんだよ」と和人さん。

奥様が亡くなられてから数年たって、やっと一人暮らしに慣れたころ、和人さんは自治体主催の教養講座で水彩画や写真の楽しみを覚えたそうです。そのころ私が講師を務めていた講座に参加されたのがきっかけで、和人さんの相談を受けるようになりました。

“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間に

和人さんは今、東京の家を売り払って、別荘住まいです。数年前に決断をする時にはお手伝いをしましたが、別荘暮らしは彼にとって「正解」でした。いま、本当に活き活きと暮らしていらっしゃいます。 畑を借りて野菜を作り、ドライブをしては、スケッチをして楽しむ毎日です。美しい山々を見ながら、ピクニック。お仲間とおしゃべりをしたりするのも楽しいのだとか。 その別荘の周りには、他の地域から移ってきた人も住んでいて、“よそ者同士”で畑仲間になったり、スケッチ仲間になったりしたそうです。もともと、夏には、毎年1カ月ほど別荘にいるという生活をしていたのですが、引っ越してみると全く感じが変わって見えたといいます。暮らし始めてからは、どんどん友人が増えていったそうです。

441NAME:2018/06/18(月) 01:27:41
「もうね、まわりは70を過ぎている人ばっかり。でも、みんな前向き。明日どうする?どこ行く?っていう話が多いんだよ。“よそ者”だからさ、その周りでも、行きたいところがいっぱいあるんだよね。中には会社のお偉いさんだったと思える人もいるけれど、会社勤めをしていた時のことは一切言わないね。役員やっていたとか、海外赴任だったとかは、聞かないし、話さない。もっぱら、野菜や絵の話が中心でさ、楽しいよ。気持ちのいい人たちに出会えてよかった」と。

体が元気な間、数年間であっても、充実した日々を暮らす

もちろんその中には、「素敵なガールフレンド」(本人談)もいらっしゃいます。結婚するつもりはないそうですが…。「青春だよ。一緒にいて楽しいもん。生きていてよかったよ」ですって。 「朝起きるでしょ。カーテンを開けた時の景色がいいのよ。寒い朝には、樹氷が見えたりするわけさ、朝からもう最高な気分。日中は、お友達と畑仕事したり、おしゃべりしたり、時々出かけたりして、もう退屈なんてしないわけ。夜は、一人で自炊してもさみしくないよ。昼間、さんざん友達とおしゃべりしているから。じっくり本を読んだりワインを飲んだりして。いい時間が流れていくんだ。妻が亡くなって一人になって、東京にも友達はいたけれど、さみしかった。いま、田舎暮らしで、夜になると外は真っ暗だけど、一人でいてもさみしくないね。人生でこんな充実した時が来るとは思わなかったね」と和人さん。何ともうらやましい。

「自炊しているでしょ。物価が安いし、畑で野菜も取れるし、農家の人から、余ったものをもらったりもするから、あんまりお金がかからないんだよ。少ない年金でも十分生活できちゃうんだよね」。年金は17万円で、あまりが出る時も多いとか。 和人さんの住まいは、車がなくては生活できない地域です。具合の悪い時は、タクシーも呼べますが、雪道を運転できなくなったら、里に移るという覚悟はできています。

東京の家を引き払って、こちらに来るべきか悩まれた時に、私に相談に来られました。本当にやりたいことがあるなら、たとえそれが短い時間であっても、心底楽しんだことは、記憶に残るし、人生に彩りを与えてくれるのでないか、という話をしました。

結果、この山間の別荘に移るとしても、終の棲家にはならないかもしれないということを大前提に引っ越しが決まりました。車を運転することができなくなって、病院に通院することが必要になった時は、里に出て、病院通いがしやすいところに引っ越す。体が元気でいる間、たとえそれが数年間であっても、充実した日々を暮らせるのであれば、山間の別荘で、目いっぱい人生を楽しもう、と。

「楽しく暮らす」秘訣は、一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること

「老後を楽しく暮らす」方たちのリアルな生き方と覚悟をご紹介しました。いかがでしたでしょうか?住まう場所や現役時代の肩書や年収、退職金や年金の多寡で、暮らし方が決まるわけではないのです。なが〜い老後を「楽しく暮らす」秘訣は、夫婦関係が良好なこと。これにつきます。おひとり様も、同じ。一緒に楽しめるパートナーや仲間がいること。そして、良好な関係が築けていることが一番なんです。(お金も大事ですけどね)

442NAME:2018/06/19(火) 23:32:17
【千葉・9歳女児殺害】
「極刑相当」に表情変えず 渋谷恭正被告、おえつの母親
2018.6.18 12:43更新
https://www.sankei.com/affairs/news/180618/afr1806180031-n1.html

「被告を死刑に処するのが相当」。検察側に極刑を求刑された瞬間、元保護者会長、渋谷恭正被告(47)はほぼ表情を変えなかった。18日、千葉地裁で開かれた小学3年レェ・ティ・ニャット・リンさん=当時(9)=殺害事件の論告求刑公判。法廷にはリンさんの母親のおえつが響いた。

 渋谷被告は黒のジャージー姿で、4日の初公判と同様の服装。全10回の公判を傍聴し続けたリンさんの父親レェ・アイン・ハオさん(35)はスーツを着用して法廷に臨んだ。

 「陵辱の限りを尽くした犯行」「身勝手の極み」と厳しい言葉を続けた検察側。事件の経過を改めて説明すると、廷内に設置されたついたて内からはリンさんの母親グエン・ティ・グエンさん(31)の泣き声が響いた。ハオさんも口を固く閉じ、被告を見つめ続けた。

443NAME:2018/06/20(水) 00:28:54
4歳男児、引き出しに押し込まれ死亡…容疑で父親逮捕 夫婦で子供虐待か
2018.6.18 20:35更新
http://www.sankei.com/west/news/180618/wst1806180104-n1.html

北九州市の自宅で息子(4)をテレビ台の引き出しに押し込み死亡させた疑いで父親の納富(のうとみ)駿太容疑者(27)が逮捕された事件で、引き出しは縦約40センチ、横約60センチ、高さ約15センチと狭い空間で、息子は腰を折り曲げられた状態だったことが18日、捜査関係者への取材で分かった。

 逮捕容疑は5月11日未明、自宅の2階寝室で、保育園児の息子、優斗ちゃんをテレビ台の引き出しに押し込み、同日朝、低酸素脳症で死亡させたとしている。 捜査関係者によると、テレビ台の引き出しは中から開けられない構造だった。抵抗した形跡がなかったことから、福岡県警は優斗ちゃんが就寝中に襲われた可能性も視野に調べる。

 県警によると、事件当時は納富容疑者夫婦や親族ら計8人が生活。優斗ちゃんは数時間引き出しに入れられ、寝室には子供数人が寝ていた。納富容疑者が早朝に「呼吸していない」と119番し、搬送先の病院で死亡が確認された。 納富容疑者は事件発覚当初、自身は別の部屋で寝て、起きたら優斗ちゃんが引き出しの中に入っていたと説明していた。県警は認否を明らかにしていない。

一方、県警は18日、今年2月に娘(3)の尻に高熱の液体をかけやけどを負わせたとして、傷害容疑で納富容疑者の妻、麻衣子容疑者(24)を逮捕した。 北九州市子ども総合センターは、麻衣子容疑者の病気を理由に、優斗ちゃんや娘を保護したことはあったが、虐待は把握していなかったとしている。担当者は当時の対応について「見直すべきところがないか検証したい」と話した。

444NAME:2018/06/21(木) 13:37:53
クロちゃん、安定のゲスっぷりにネット民もあきれる
2018/06/21 09:30
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e3%82%af%e3%83%ad%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%80%81%e5%ae%89%e5%ae%9a%e3%81%ae%e3%82%b2%e3%82%b9%e3%81%a3%e3%81%b7%e3%82%8a%e3%81%ab%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e6%b0%91%e3%82%82%e3%81%82%e3%81%8d%e3%82%8c%e3%82%8b/ar-AAyWdsQ#page=2

6月20日放送の「水曜日のダウンタウン」(TBS系)で、クロちゃん(安田大サーカス)がまたもや“ゲス”な一面をのぞかせる場面があった。 クロちゃんは同番組のTwitter企画で“嘘ツイート”を連発するなど、数々の“ゲス”な言動で注目を集めている。 今回の放送では「丑の刻参りの頭にロウソクスタイル 熱すぎて呪いどころじゃない説」の検証のため、ハリウッドザコシショウ、あばれる君、ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)と共に出演した。

裸にふんどしというスタイルで登場した4人は、頭には鉢巻きで大きなロウソクを装着。呪いのわら人形に五寸釘を打ち込む“丑の刻参り”でおなじみの姿で、障害物競走、椅子取りゲーム、相撲に挑戦した。 クロちゃんは競技が始まると、随所でゲスっぷりをいかんなく発揮。障害物競走ではパン食い競争の要領でわら人形を口にくわえるルールだったが、クロちゃんは手を使う反則行為を。

椅子取りゲームでは椅子を取れなかったクロちゃんが、闘牛のウシのように火のついたロウソクをほかの3人に向けた格好で突進。 相撲では押し倒したあばれる君に対して、ロウソクを押し付けようとする悪行を見せる。これらの反則をした揚げ句成績は振るわず、クロちゃんは最下位という結果になった。

放送後のSNS上には視聴者から「クロちゃんのクズっぷりに呆れながらも笑ってしまった」「この番組を見るたびにクロちゃんが嫌いになる(笑)」といったメッセージの他、「スキンヘッドの4人がふんどし姿で転げ回る姿に爆笑!」などのコメントも寄せられていた。次回の「水曜日のダウンタウン」は7月4日(水)放送予定。(ザテレビジョン)

445NAME:2018/06/22(金) 14:03:13
「姉に気を付けろ」と警告=死亡の弟、父異変で疑念-自殺偽装殺人・大阪府警
時事通信社
2018/06/21 19:55
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e5%a7%89%e3%81%ab%e6%b0%97%e3%82%92%e4%bb%98%e3%81%91%e3%82%8d%e3%80%8d%e3%81%a8%e8%ad%a6%e5%91%8a%ef%bc%9d%e6%ad%bb%e4%ba%a1%e3%81%ae%e5%bc%9f%e3%80%81%e7%88%b6%e7%95%b0%e5%a4%89%e3%81%a7%e7%96%91%e5%bf%b5%ef%bc%8d%e8%87%aa%e6%ae%ba%e5%81%bd%e8%a3%85%e6%ae%ba%e4%ba%ba%e3%83%bb%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%ba%9c%e8%ad%a6/ar-AAyX9M7#page=2

堺市で3月、練炭自殺を装って弟(40)を殺害したとして、会社社長の足立朱美容疑者(44)が逮捕された事件で、弟が生前、周囲に「姉に気を付けろ」と話していたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。弟は1月に父親(67)が倒れた際、足立容疑者の関与を疑っていたという。 足立容疑者は父親からの借金があったといい、大阪府警捜査1課は親族間のトラブルの有無を調べている。

 捜査関係者によると、父親は1月に2回自宅で倒れ、現在も意識不明。インスリンの過剰投与による低血糖が原因で、直前に足立容疑者が出した甘酒を飲んでいた。父親が処方されていたインスリンがなくなっており、母親(67)は2回とも同時期に異常な眠気を覚え、記憶がないと話している。 

 亡くなった弟の会社役員聖光さんは、足立容疑者が実家に泊まりに来た際に異変が起き、父親は血糖値の管理に慣れていて誤飲は考えにくいことなどから、同容疑者が父親の殺害を図った可能性を懸念。妻らに「朱美には気を付けろ」などと話していたという。

 聖光さんは練炭自殺を装って殺害され、体内から足立容疑者のものとみられる睡眠薬が検出された。母親はこの際も同容疑者に出された飲み物を飲んで意識を失っており、捜査1課は偽装工作を行いやすくするため、母親にも睡眠薬を飲ませたとみている。(了)

446NAME:2018/08/08(水) 02:12:11
【津川雅彦さん死去】
硬軟自在 男の色気 役柄幅広く 拉致問題解決にも強い関心
2018.8.8 01:27更新
http://www.sankei.com/entertainments/news/180808/ent1808080003-n1.html

4日に心不全のため、78歳で亡くなった俳優の津川雅彦さんは、男の色気と変幻自在の語り口調で二枚目から悪役まで幅広い役柄を演じた名優だった。

 その才能を伊丹十三監督に愛され、「マルサの女」や「あげまん」など多くの作品で味わい深い演技を見せた。晩年も変わらぬ活躍で「後妻業の女」では好色な老人、アニメ作品「バケモノの子」では声優としてバケモノ界の長老を演じるなど名脇役として存在感を放った。また、マキノ雅彦名義で「寝ずの番」「次郎長三国志」などを監督。テレビドラマでもNHK大河「独眼竜政宗」、「サラリーマン金太郎」などに出演し人気を得た。一方、「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組で政治的発言を行うことも多く、注目を集めた。

 私生活では、昭和48年に女優の朝丘雪路さんと結婚。翌年、生後5カ月の長女が誘拐されるが無事保護される事件が起き、苦難に直面した。そのため、北朝鮮による拉致問題の解決に大きな関心を寄せ、政府の啓発ポスターなどに協力。「拉致問題は私たちすべての問題です」とメッセージを寄せていた。 今年5月、朝丘さんの死去を受けて開かれた会見では、肺炎をわずらっているにもかかわらず、酸素吸入の姿で報道陣の前に姿を現し、朝丘さんに感謝の言葉を述べていた。

447NAME:2018/08/19(日) 00:55:44
【横浜患者殺害】
「この病院はおかしい」…不安を口にしていた被害女性
2018.8.18 21:59更新
http://www.sankei.com/affairs/news/180818/afr1808180022-n1.html

殺害された興津(おきつ)朝江さんは旧大口病院に膝のけがで入院。自分の病室がある4階で多数の入院患者が亡くなることに、「この病院はおかしい」と不安を口にしていた。

 アパートの大家によると、興津さんは1人暮らしで猫を飼育。家賃を納めるために毎月、大家の自宅の長い階段を上れるほど健康だった。

 親族によると、興津さんは膝の擦(す)り傷が化膿(かのう)したため、平成28年9月13日に入院。同14日に見舞いに訪れると、1階まで階段で下りて見送ってくれるほど元気だった。ただ、「人がどんどん死んでいく」と不審がっていたという。興津さんが死亡したのはその2日後だった。

 興津さんの姉は、「足をけがして入院しただけで前日まで元気だったのに、なぜ突然亡くなってしまったのか、はじめからおかしいと思っていました。今後は警察の捜査を待ちたいと思います」とするコメントを発表した。

448NAME:2018/11/13(火) 14:59:32
加藤貴子、がんを患った父へ医師の「酷い対応」激白「もって3か月です」とめんどくさそうに…
スポーツ報知/報知新聞社
2018/11/13 10:41
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%8a%a0%e8%97%a4%e8%b2%b4%e5%ad%90%e3%80%81%e3%81%8c%e3%82%93%e3%82%92%e6%82%a3%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%88%b6%e3%81%b8%e5%8c%bb%e5%b8%ab%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%85%b7%e3%81%84%e5%af%be%e5%bf%9c%e3%80%8d%e6%bf%80%e7%99%bd%e3%80%8c%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a6%ef%bc%93%e3%81%8b%e6%9c%88%e3%81%a7%e3%81%99%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%82%81%e3%82%93%e3%81%a9%e3%81%8f%e3%81%95%e3%81%9d%e3%81%86%e3%81%ab%e2%80%a6/ar-BBPDOtm

女優の加藤貴子(48)が13日、自身のブログを更新。がんを患って亡くなった父から医師から受けた「酷い対応」について振り返った。

 加藤は「医師とのコミュニケーション」とのタイトルで記事をアップし、雑誌の仕事で医師との対談企画を行ったことを報告。その上で「ドクターと患者ストレスなくコミュニケーションが成立する関係が理想的ですが…これがなかなか、難しいんですよね」とつづり、「医師に質問すると、イライラ空気であからさまにーその説明したところで、君にわかるの?みたいな態度をされたり…」と吐露した。

 そして「亡き父が、癌になったときのこと」と切り出し、「総合病院の外科医に『手の施しようがないステージです。もって3か月です。退院して自宅療養をおすすめします』と、説明もめんどくさそうに言われました」と告白。さらに「ショックで倒れそうでしたが、セカンド・オピニオンを考えて『検査結果をいただけますか?』と訊いたら『検査結果が欲しいなんて初めてです。それは渡せません。どこに行かれても同じですよ』と、半分鼻で笑われてるような言い方であしらわれました」と明かした。

 「今でも、思い出すと吐き気がするくらい酷い対応でしたが、おかげで家族一丸となって父の闘病生活を共にする覚悟が出来ました」と加藤。「そして、退院して、患者側に寄り添った治療をしてくれる病院を見つけて、父は1年半延命することが出来ました」と当初の宣告より長く生きられたことを明かした。

 「それ以来私は、説明をはしょったり、言葉を濁す医師を信頼できない傾向があります」という。「治療で辛い思いをしているうえに、医師とのコミュニケーションで悩まれている方の心が折れないことを祈っています」とつづっていた。

449NAME:2018/12/28(金) 00:46:50
芸人ヒロシがYouTubeに見つけた人生の神髄 「君も好きなことだけして生きていける」
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e8%8a%b8%e4%ba%ba%e3%83%92%e3%83%ad%e3%82%b7%e3%81%8cyoutube%e3%81%ab%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%91%e3%81%9f%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%a5%9e%e9%ab%84-%ef%bd%a2%e5%90%9b%e3%82%82%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%a6%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%91%e3%82%8b%ef%bd%a3/ar-BBQMh0b?ocid=iehp#page=2

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第48回。

芸人のヒロシさん(46)と言えば、2004年に大ブレークした、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタを皆さんご存じだろう。 ブレークした年に出版された『ヒロシです。』(扶桑社)は発行部数50万部を超えるヒットになった。

好きなことだけをして生きていくことのススメ

 そんなヒロシさんが現在、芸人としてではなく、ユーチューバー(YouTuber)として注目されている。 2015年に始めた「ヒロシちゃんねる」は、登録者数28万人を超える人気チャンネルになっている(2018年12月現在)。 「ヒロシちゃんねる」では、ヒロシさんが趣味であるキャンプをただただ楽しんでいる動画がアップされている。一人称視点が多く、ヒロシさんが映っていないことも多い。たとえ映っていてもキャンプ用の服を着込んでいて、トレードマークである背広は着ていない。 お笑いのネタも挟まず、BGMやテロップなど凝った編集もしていない、飾り気のない動画が幅広い層にウケているのだ。100万回以上再生されている動画もある。 YouTubeでの広告収入も増えて、収入が80万円を超える月もあるという。 そんなヒロシさんは、自身のユーチューバーとしての経験を踏まえて、『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を12月6日に上梓した。

 タイトルどおり、好きなことだけをして生きていくことのススメが書かれている。 ヒロシさんはどのような人生を経て、現在の場所にたどり着いたのか。講談社の会議室で話を聞いた。 ヒロシさんは、熊本県荒尾市に生まれた。荒尾市は20世紀前半に炭鉱の街として栄えた街だった。ただヒロシさんが生まれた20世紀後半は、炭鉱が閉山になっていく衰退の時代だった。 「父親も炭鉱作業員でガツンガツンとやっていました。とても教育熱心な人でした」 父親には学歴がなく、肉体労働しか選択肢がなかった。息子には大学を卒業して、いい会社に入って安泰な人生を送ってほしいと願っていた。 ヒロシさんも父親の意思には逆らわず、キチンと勉強するまじめな子どもだった。

 「でも小学校の頃から人となじめなかったですね。正月とかに親戚が家に集まると、居間には行きたくなかったです。普段会わない人と何をしゃべっていいかわからないんですよ。 標準語をしゃべる神奈川のいとことかに対して、劣等感を抱いてもいました」 小学校時代に漫才ブームが訪れた。中でもツービートの漫才が大好きだった。その時はじめて「お笑い芸人という仕事があるんだ」と気づき、あこがれを持ちはじめた。

450NAME:2018/12/28(金) 00:47:12
イジメに遭って気づいたこと

 「小学校の時に転校したんですが、転校先でイジメに遭ったんです。月に1回『誕生月の人を祝う会』というのがあったんですが、みんな歌を歌ったり、花輪を作ったりしていました。僕はドリフターズのマネをしたんですね。そうしたらすごくウケて、イジメが少し収まっていったんです。 『そうか、笑わせればいいんだ』って気がつきました。そこが原点ですね」

 ヒロシさん自身は、中学を卒業したら即お笑い芸人になろうと考えていた。「なんにせよ早いほうがいいだろう」と思っていたからだ。 ただ、進学してほしいと願う父親に逆らってまで、お笑いの道に進むことはできなかった。高校の成績もよく、学校推薦で九州産業大学の商学部に進学した。 「僕はやっぱり『普通の人』なんですよね。芸人になりたいとは思っていたけど、それでも普通に就職して、普通に生きていくんだろうな、と感じていました」 そしてそのとおりに、大学卒業後は保険会社に就職した。

 「営業の部署だったんですけど、地獄でした。会社でも誰とも話せないし、どうしていいかもわからない。毎日つらくて、そのうちつらさが身体に出るようになりました」 朝起きると頭痛が出るようになった。会社が休みの日には出ないので、精神的なものなのだろう。1カ月で、会社に行かなくなった。

 「ある日家で起きたら、支店長が枕元に立ってました。そして『もうちょっと続けなさい』って言われました」 「少しは契約を取ってこい」と言われ、親類縁者に入ってもらって契約を取った。結局、半年間我慢して働いて会社を辞めた。「会社でうまく働けなかったことで『僕はまともな道は歩いていけないんだ』って自覚しました」

 保険会社の社員の時代、福岡吉本が主催するお笑いオーディション番組を2回受けに行った。ヒロシさんは1回戦で落ちてしまった。結果発表の後、福岡吉本の社長がホワイトボードに電話番号を書いた後、 「本気でお笑いをやりたいと思ってる人はここに電話をかけたらいい」 と皆に言った。ヒロシさんは後日電話をかけて「お笑いをやりたいです」とはっきり告げた。 それからしばらく福岡吉本でお笑いを続けたが、26歳の時に上京した。

451NAME:2018/12/28(金) 00:47:47
冴えない芸人のウソを信じてホストの世界へ

 そして東京で出会った冴えない芸人が、やたらとブランドもののアクセサリーを身に着けていたのが目についた。恋人もいるという。冴えない男なのになぜ?と思って問い詰めた。「そいつは『誰にも言わないでね。実はホストやってるんだ』って言ったんです。こいつがいけるんだったら僕もいけるんじゃないか?って思いました。芸人やりながらアルバイト感覚で働けるんなら丁度いいなって考えました」ただ実はその男性はウソをついていた。持っていたブランドもののアクセサリーもニセモノだった。

 ヒロシさんが面接に連れていけと言っても、なかなか紹介してくれない。もちろんウソなのだから紹介できるはずもない。 ヒロシさんはしびれを切らして、知り合いのツテをたどって自分でホストクラブに面接に行った。簡単に入店することができた。 「入るのは簡単でしたけど、辞められなくなりました。拘束されて働かされて、月3万円しかもらえませんでした」 飲めない酒をたくさん飲まされ、毎日長時間働かされた。あまりにお金がないので、休日はコンビニでアルバイトをした。週に1度しかコンビニでアルバイトしていないのに、週6日働いているホストクラブより多く給料をもらった。

 逃げたいと思ったが、逃げてしまってはもう二度とお笑いはできなくなると思った。だから歯を食いしばって耐えたが、4年目にどうしても耐えきれず逃げた。そして熊本に帰った。 「その時はお笑いをあきらめました。もう東京に戻れないですから。でも逃げた後すぐにお店が潰れたって聞きました。最初は僕を連れ戻すためのわなかと思って警戒しましたけど、本当に潰れたことが判明しました。慌てて東京に帰りました」

 よく「苦労は買ってでもしろ」という人がいる。彼らはどんな経験でも、人生の肥やしになるという。 だがヒロシさんはそうは思わない。「ホストクラブで働いてた4年間は本当に無駄でした。大学時代も無駄だったと思うけど、それ以上でした。僕は『苦労は金をもらってもするな』と思います。

 僕はもう32歳になっていて、同期はテレビに出ていました。ホスト時代に無駄な時間を過ごしたという実感があったので、その反動でものすごく頑張りました」 ホストクラブに入るまでは「いつか売れるだろう」とのんきに構えていたが、ホストクラブを辞めてからの1年は売れることしか考えなかった。そして実際に思いつくことはすべて行動に移した。

452NAME:2018/12/28(金) 00:48:07
大ブレークと、その後やってきた苦悩

 そして試行錯誤の結果、大ブレークした「ヒロシです……」のネタは生まれた。「売れていく段階はうれしかったですよ。お金が入ってくるのもうれしかったです。最高で月4000万円稼いだこともありました。 ただ売れてしまってから……バラエティー番組に呼ばれるようになってからつらくなりました」 バラエティー番組に呼ばれて、出演しているときは、苦手だった小学校時代の親戚の集まりを思い出した。

 「よく知らないいとこの集まりで面白いこと言えないじゃないですか。それと同じです。当時は人気もあったのでカンペで『ヒロシに振って!!』と司会の方に指示が出るわけです。それで振られても、なんも面白いこと言えないんだけどな……って。考えすぎてつらくなる毎日でした」

 テレビに出ている間はずっとつらかった。 最終的には飛び降り自殺を考えるまで追い込まれた。もう自分がもたないと思い、当時所属していた事務所に、「テレビに出なくていいですか? このままだとおかしくなります」と伝えた。 「それから束の間は極楽でしたね。貯めていたお金はあるし、ヒマはあるという。釣りにハマってました。キャンプもやってました。気分的には早めの老後を迎えたという感じでした」

 田舎暮らしをしたいと思い、千葉に物件を見に行ったこともあった。 「人を避けたいというのがありましたね。シンプルな生活がしたい。自分で畑を耕して、実ったものを食べて生きていきたい。そんな感じでした」 だが、実際に物件を見に行くと、青年団に入らなければいけない、ご近所の飲み会に呼ばれる、など東京以上に面倒くさいのではないかと思った。 「田舎暮らしは危険だ!!ってなりました。世間にはヒロシとして顔が知れ渡っていますから、普通の生活はできないんですよ。 絶対に『ヒロシだ!! 〈ヒロシです〉やれよ』って言われるじゃないですか」

 自由な生活は最初こそ楽しかったが、だんだん不安が募ってきた。 お金はあったが、何をどうしたらいいかはわからない。お笑いをやる気にもならなかった。「どうせ、何をやってもダメなんだろうな」とネガティブに考える時期が続いた。 ヒロシさんがブログを始めたいと思って会社にお願いしたこともあったが、許可が出るのに3年間かかった。 「仕方がないことなんですが、3年もたったらやる気も情熱も失せてますよね……。 でも何年もそうやって悶々とした日々を過ごして、なんでこんなもったいない生き方してるんだろう?と思うようになりました。それでやっと行動を起こすようになりました」

 マネジャーに勧められて、単独ライブを開催した。久しぶりにテレビにも出演してネタをやった。 所属していたプロダクションからは業務提携の形になり、元飲食店だった場所を事務所にした。もともとスナックだったのでカラオケができる「ヒロシのお店」として営業もした。現在はカラオケはやめ、カフェ「FOREST COFFEE」として不定期に店を開けている。 「やっぱり行動するとつらいことが多いです。でも『自分で決めて行動している』から、つらいことにも耐えられるんですよ」

 そして2015年、ついにYouTubeで「ヒロシちゃんねる」を始めた。ただし、始めた時はユーチューバーとして稼ごうなどとはまったく思っていなかったという。 「キャンプしてる様子を記録に残したいと思ったんですよね。キャンプ仲間と後から見返したいなと思って。結婚式で流れる動画みたいな感じですね。そんな動画、他人が見たって全然おもしろくないと思ってました。もちろん意気込みなんかまったくありませんでした」 しかし、動画をアップしていると動画の再生回数は伸び、チャンネル登録者数も徐々に増えていった。

453NAME:2018/12/28(金) 00:48:25
自分で作った動画でもらえた数百円がうれしくて

 「動画に広告入れれば収入になるって聞いて、なら試しにやってみるかと思って入れてみたんですよ。そうしたら何百円か振り込まれたんです。これがうれしくてね。自分で作った動画で、グーグルからお金が振り込まれたぞって。そのうち『YouTube見てます』って言われるようになりました。たとえば仕事で訪れた沖縄のおばちゃんに言われたりして、これもとてもうれしいんですよ」 テレビに出演すればもちろん「見ましたよ」と言われることは多い。ただ当たり前だがテレビ番組はヒロシさん1人で作っているわけではない。 一方、YouTubeの動画はすべてヒロシさんが作っている。褒められれば喜びもひとしおだ。

 ブレーク時代は最高月収4000万円だったヒロシさんだが、自分で作った動画を見てもらうことにより稼いだ数百円がとてもうれしかったのだ。 「演出、撮影、出演者と全部やってますからね。キャンプに行かないと動画は上げられないので、忙しい月と、そうでない月でYouTubeの収入は変わります。ちなみに先月は80万円の広告収入がありました。まさか自分たちだけで楽しもうと思っていたチャンネルがここまで育つとは驚きでした」

 読者の中には、「芸能人がやってるからみんな見るんだろ? 普通の人がやったって見ないだろ」 と思う人もいるかもしれない。ただ、ヒロシさんはそうは思わない。 「誰だってできるんですよ。ただ、やるかやらないかだけなんです。YouTubeでは『こんな動画誰が見るんだろう?』というマニアックなチャンネルもヒットしています。結局誰が出ているかより、何をするかだと思うんですよ。収入にすぐつながるわけではないですけど、元手はかからないですからね。もし1万円でも稼げたらよくないですか? サラリーマンしていて1万円昇給するのって大変ですよね?」

 徐々に人気ユーチューバーになってきているヒロシさんだが、まだどの動画が人気になるかまでは読めないという。 気合いを入れてアメリカのロサンゼルスまでキャンプを張りに行ったことがあったがその動画はあまり再生回数は伸びなかった。逆に多摩川の河川敷でラーメンを作っただけの動画が何十万回も再生された。

何がウケるかわからない

 「何がウケるかわからないんですよね。だからなんでもアップロードしてみればいいんですよ。タダなんだから。 たとえば僕は独身だから夫婦げんかの映像とか見てみたいですね。わーわー言い合っている映像じゃなくても、ただひたすら部屋の中で黙ってる映像とかね。『おかえりなさいも言わない冷戦状態になってる』なんて話、耳にはしますけど見たことはないですから。 居間でまったくしゃべらない2人を見て『ホントこいつらしゃべらねえなあ』って。で、ちょっとでも動くと『おっ!!』と思うわけじゃないですか。犬も食わない夫婦げんかも、立派なエンターテインメントになるんですよ。 僕もやってみようかな?と思った人は、来月からやってみようとか、落ち着いたらやってみよう、とかじゃなくて今日やりましょう!! スマートフォンがあればできるんだから。やってみると意外といけますよ」

 今回上梓した『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を、ヒロシさんは小学校時代からのある同級生に読んでもらいたいという。 「たまに連絡してくる同級生なんですけど、どうやらちょっと鬱になってるみたいなんです。『残業してもおっつかないんだ〜』って言ってて。結局仕事も休んでるみたいなんです。昔から、勉強もできて、スポーツもできて、女にもモテた友達がそんなふうになるとは思ってなかったです」 ヒロシさんにとってサラリーマン生活を続けていくことは、想像しただけで恐ろしくなるほどつらい世界だ。嫌な上司や先輩と延々付き合っていかなければならないし、飲み会にも参加しなければならない。 そんなつらい現場で果敢に戦っている同級生に、世界には楽しいことをして生きていける世界があると知ってほしいと思う。

454NAME:2018/12/28(金) 00:48:42
嫌なことはやらなくていい

 「いきなり会社を辞めてユーチューバー1本で食べていこうとかいう話ではないんです。そもそも会社を辞めるのもすごいストレスですからね。 YouTubeで好きな動画を流せば、みんなに見てもらえてお金になるんだってことを知ってほしいんですよ。嫌なことはやらなくていいんです。好きなことだけをやって、それを流せばいいんです。 それで少しでも稼げるって知ったら、たぶん少し生きるのが楽になるんじゃないかと思うんですよ」 現在、ヒロシさんはキャンプ動画で注目されているため、キャンプのテレビ番組に呼ばれることが多い。そのためプライベートでキャンプに行く機会が減っているのが少しストレスだという。

 「最近はキャンプ動画が当たっているので、オリジナルのブランドを作れないかなと思っています。 最初は有名キャンプブランドとコラボしようかと思ったんですが、結局商品を買い取ることになるようなんですよね。 だったら、一から全部自分で作れないか?と考えてます」 たとえばたき火台だったら、図面を引いて、工場に行って一つひとつ作ってもらう。単価はどうしても高くなるが、まずはそこから始めたいと思う。 「結局、全部自分でやりたいんですよ。間によくわからない人が入ってくるのが嫌なんです」たとえばたき火台を作るにしても、間に人が入ってくると「こうしてよ」「ああしてよ」と意見を言われる。二転三転して結局、全然違うものになる。それでも商品名は「ヒロシのたき火台」として発表しなければならない。 「そういうふうに名前だけ使われるの嫌なんですよ。気持ち悪いなって。自分の思いどおりの物を作ったなら『だせえな』ってけなされても仕方ないんです。

 お笑いのネタでもそうなんですが、『ウケれば自分の手柄』『滑ったら自分の責任』にしたいんです。よくわからない人に口を挟まれるのはもう嫌なんですよね」いくつも種をまけば、いつか花咲く種もある
 昔は到底1人ではできなかったことが、ガジェットやアプリの進化で全部1人でできるようになってきている。 「僕みたいに1人でやりたいって人は世の中にたくさんいると思うんです。自分でも気づいていなかったけど、自分にピッタリな時代が来たんだなって感じます。

 もちろん今、たまたま調子がいいだけで、来年どうなっているかわかりません。でもなんとなく、またその後もいろいろな種をまき続けて再び当てられる自信がありますね。結局、弾数撃てば当たると思います。いくつも種をまけば、いつか花咲く種もあります。

 最近は常々、人生は1回しかないんだって考えますよ。どうあがいたってもうすぐ死にますよ? だったら好きに生きましょうよ!!」 ネガティブなネタを得意とするヒロシさんからあふれる言葉は、とてもポジティブだった。お世辞ではなく、話を聞くうちに「自分でもYouTubeやってみようかな?」と思えてきた。 それはYouTubeが儲かるからではなく、YouTubeをやっているヒロシさんがとても楽しそうだからだ。「とにかくすぐにやってみる」「とりあえず1人でやってみる」というのはこれからの時代のキーポイントになってくるかもしれないな、と感じた。

455NAME:2019/06/30(日) 13:47:56
【カストロ前議長死去】
カリブ海の「赤い植民地」に君臨…反米にのめり込み、あまりに重い負の遺産 
2016.11.26 23:43更新
http://www.sankei.com/world/news/161126/wor1611260061-n1.html

ヒゲ面に軍服姿。「社会主義か死か」というスローガンそのままの姿で、カリブ海の革命政権を率いたキューバの前国家評議会議長フィデル・カストロが死去した。 農園主の家庭に生まれ、弁護士となりながら、親米バティスタ政権の打倒に身を投じて頭角を現した。蜂起の失敗、投獄、メキシコ亡命という苦節を経て、チェ・ゲバラらと祖国へ再上陸し、キューバ革命は成功した。

 カストロを反米の闘士と持ち上げる声は根強い。だが、英国の歴史家リチャード・ゴットは、著書「キューバ-新たな歴史」で、「キューバはスペイン、米国、そしてソ連による植民地支配を経た世界でもまれな国」と言い切る。 20世紀初頭のキューバ独立からバティスタ政権崩壊まで、米国は首都ハバナの政治と精糖業などの主要産業を支配した。革命政権は60年に米国資産を接収。米側は61年の国交断絶やピッグズ湾事件などの政権転覆工作、そして長期にわたる経済封鎖を打ち出し、厳しい対立を続けた。

 反米主義にのめり込むあまり、カストロはモスクワの対米戦略に祖国を差し出した。ソ連の弾道ミサイル配備に端を発したキューバ危機(62年)はその典型であり、東西冷戦下の代理戦争となったアンゴラ内戦への派兵も同様だ。 2001年9月、カストロは演説を「祖国か、さもなくば死か。われわれは勝利する」という情熱的な言葉で締めくくった。だが、その長期独裁政権はソ連への忠誠と引き換えに約束され、冷戦崩壊後は反対勢力を抑えることで走りきったにすぎない。本質はカリブ海の革命家というより「赤い植民地」の総督ではなかったか。

 大量のキューバ難民という「棄民」を生んだ国内運営の行き詰まりにも、カストロは在任中、政治の民主化を拒んだ。実弟の現国家評議会議長、ラウル・カストロへの権力移譲は血縁主義との批判を免れない。カリスマ性なき後継政権は、積み残された政治、経済の改革に取り組まざるを得ない。カストロの負の遺産はあまりにも重い。=敬称略 (元ワシントン支局長 山本秀也)

456NAME:2019/06/30(日) 13:48:11
堀江貴文「自分はデキると信じて動くべき理由」 迷わず「やってみる」人こそがエリートだ
東洋経済オンライン / 2019年6月29日 7時30分
https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20190629_287300/

将来に備えてお金を貯めることばかりにとらわれるのは、いますぐやめたほうがいい。さもなければ、きっと後悔することになる――。堀江貴文氏はそう警鐘を鳴らす。

それは個人の生活レベルの話に限ったことではない。ビジネスパーソンであれば、持てる資金を十分に活用し、時間を買って、人を頼ることで、成功と幸福の循環をつくっていくほうがいい。なぜ同氏はそのように断じるのか。その真意とは。
(本記事は『あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる』の本文の一部を抜粋、改変して再構成したものです)

前回記事:堀江貴文「僕が過去に失って唯一後悔したもの」

■意欲の循環に入ろう
僕は面白いことに囲まれて生きている。やりたいことが尽きない。面白いことを片っ端からやっていくと、やりたいことが倍々に増えていく感覚だ。 「面白い」と「やりたい」の循環に入れば、時間はいくらあっても足りない。だから何よりも時間の抽出と最適化に努めている。お金なんか、どうでもいい。

面白いことを逃したり、チャンスを失うのが、僕には最大の痛手だ。そうならないよう、つねに遠くへ出かけ、新しい情報を浴び、多くの刺激的な仲間たちと会い、感度のバージョンアップに努めている。 面白いことがない、という人は多い。それはシンプルに、感度が低いからだ。

「やる」ことを重ねていない。「挑み」を実践していない。だから、情報のアップデートができないし、会う人は限られ、つまらない現在をわざわざ自分で、固定してしまっている。面白いことに出会えないのは、当たり前だ。 とにかく何でも、やってみることだ。片っ端からやっていれば、必ず何かひとつかふたつは、思いがけない成功体験を引き寄せる。やること自体が、楽しくなってくる。 意欲の循環に入ろう。そうすれば自然に感度は磨かれ、ワクワクできることが、必ず現れる。 僕は学生時代はゴルフなんて全然、興味がなかった。けれど起業して、知人に誘われたのをきっかけに始めたら、すごく楽しくなった。今では海外旅行などの出先でいいコースがあれば、時間を捻出してコースを回る。

『人狼ゲーム』など、人から教えられたのをきっかけにハマり、ビジネスに転換したものも少なくない。 僕が普通の人より、面白いものに囲まれているのは、生来の好奇心も関係していると思うが、人よりたくさん「やってみた」からだ。 やりたいことが現れれば、後回ししない。やれるとき、その瞬間に乗っかって、やってしまうのが大事だ。 できると思った順にチャレンジする。できそうかな……?などと躊躇していたらダメだ。できる!と確信して、やってしまおう。根拠はいらない。

■できる理由だけを考えて、走りだそう
あり金をどんどん使って、「やりたいことをやる」体験を重ねることが重要だ。そして自分の経験値とブランド価値を高めてゆくことでこそ、人生は開けるものなのだ。

僕は今、多くのビジネスを好調に展開している。宇宙事業はJAXAとの協業が進み、WAGYUMAFIAは世界への進出計画が拡大中だ。 ロケットと和牛、どちらのビジネスも始めた頃は、自分にできるかな……とは、少しも不安に思わなかった。やる!という気持ちでしか、動かなかった。

周りからは、ホリエモンにできるわけないと批判されまくった。しかし「え、やれますけど?」という当たり前の気持ちで、突き進み続けた結果、現在のフェーズにまで到達できた。5月4日に観測ロケット「MOMO」の打ち上げに成功したのは、周知のとおりだ。

人の目を気にしたり、可能かどうか迷ったり、将来性を考えたりするのは、時間の無駄だ。 すべての物事を、できるを前提に、できる理由だけを考えて、走りだそう。どうせ無理と思わず、「俺はできる!」と確信して、動こう。うまくいく方法は、動いているうちに見つかる。

これだけ言っても、実際に動きだす人は1%もいない。僕の著書はたくさん売れているが、10万部売れても、書いてあるとおりに何かにチャレンジした人が1000人いるとは聞いていない。「やってみる」人はある意味、東大合格者以上の、狭き門をくぐったエリートだ。 胸を張って、挑戦し続けよう。

457NAME:2019/07/05(金) 21:09:55
「きれいな夜景をありがとう」客の言葉に自殺の兆候を察知 タクシー運転手、命救う
7/5(金) 5:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00441540-okinawat-oki

光タクシー(浦添市)曙営業所の夜勤運転手、元(もと)俊晶さん(48)が6月上旬、浦添市の海岸近くで降ろした乗客の思い詰めた様子に「自殺するかもしれない」と判断し、110番通報した。駆け付けた警察官2人が海に飛び込み、胸までつかっていた30代の女性を間一髪で救助。浦添署から表彰された元さんは「本人に何があったのか分からないが、立ち直って元気になってほしい」と願っている。(社会部・城間陽介)

 女性は午後8時半ごろ、那覇市内で乗車し、行き先をショッピングセンターからドラッグストア、那覇空港と次々と変え、最後に「川か湖が見たい」と頼んだ。臨港道路の高架橋を走行するタクシーの車窓からから北谷町美浜エリアの夜景を眺めていたという。「運転手さん、こんなにきれいな夜景を見せてくれてありがとう」と橋の上で降ろすよう求める言葉に、元さんは「身投げするかもしれない」と、とっさの判断で橋を通り過ぎた。

 元さんは、しばらく走ったところで降ろした女性がはだしで駆けていることをバックミラーで見つけ、「客が身投げをしそうだ」と110番通報した。

 ちょうどパトカーで通りかかった警察官が飛び込み、すでに胸まで海水に浸り、さらに沖合へ向かう女性を1時間近くかけて引き上げた。後日、警察を通じて女性の両親から感謝の電話があったという。 夜勤歴18年目で初めての経験だったという元さん。「命が助かって良かった」と話している。

458NAME:2019/07/07(日) 21:39:37
17年ひきこもりの元当事者が語る
7/5(金) 19:53配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00010006-qab-oki&p=1

こちらの数字をご覧ください。「61万3000人」これは、今年3月に内閣府が発表した、40歳から64歳の、“中高年だけを見たひきこもり“の推計人数です。最近、ひきこもり者が関係する事件が相次いだことから、社会的にもクローズアップされています。

 実は誰にでも起こり得る身近な問題でした。17年間ひきこもりだった男性を取材しました。 宜壽次大樹さん「中にはすごくいい香りがするお花もあっていい匂い嗅ぎながら仕事できるって、「幸せだなあ」と思う。」

 本島中部の園芸農家で働く、宜壽次大樹さん(41) Q基本的には毎日?宜壽次大樹さん「毎日やって、できないときは「お休みします」という条件で働かせてもらってすごく安心して働いている。」 笑顔で手際よく作業をこなす宜壽次さんですが、実は20代前半から17年間、ひきこもりの経験があります。

 宜壽次大樹さん「ある日突然、朝起きたら体が動かなくなって、「体が動かないぞ」って思って、次に生きる気力がなかった。」それまで楽しく仕事もしていたという宜壽次さん。彼を襲ったのは「うつ病」でした。
 宜壽次大樹さん「うつ病」という言葉も認識もなかった時代に、生きる気力もないし、人にも言えない、恥ずかしいという気持ちで、毎日夜は寂しくて泣く日々。ふつうの人は朝を迎えたら気持ちいいとなるが、うつ病で引きこもっている自分にとっては地獄だった。」 次第に、やりきれない気持ちが溜まり、家族に不満をぶつけることもあったといいます。

 宜壽次大樹さん「同じ年ごろの人は結婚して子供出来て幸せな家庭を持っているのに、何で自分だけひきこもってみじめな思いをしないといけないのかという悲しい気持ちでいっぱいだった。」 その後、自分ではどうしようもない、17年間のひきこもりから宜壽次さんは回復します。そこにはある友人夫婦の存在がありました。

 宜壽次大樹さん「もし安里夫婦と出会えなかったら自分はまだうつ病、ひきこもっていたのかなと思う。」宜壽次さんと20代の頃からの友人という、安里慎也さんと愛さん。宜壽次さんが働く農園を経営しています。 安里愛さん「親しみやすいから、みんなとも冗談言ってやってて、急に落ち込んだ。」宜壽次さんの変化に気づいた安里さん夫婦はドライブに誘いだしたり、自宅に招いたりしまして話を聞きました。そして何よりも、宜壽次さんを救ったのが…。

 宜壽次大樹さん「大樹、引きこもってるけど大丈夫だよ。たくさん休んで。治った時にとても忙しくなるから、引きこもっておいて。充電期間だから」と言われたときに「これって引きこもり期間じゃないんだ、休み期間なんだ」とこの言葉が治るきっかけを与えてくれた。」 宜壽次さんは今でも、常に励まし続けてくれた愛さんからのメールを大事にとっています。 宜壽次大樹さん「これが自分の宝物。落ち込んだ時にこれを見て「よし頑張ろう」となる自分の一番の宝物ですね。」

459NAME:2019/07/07(日) 21:39:58
 ひきこもりという長い葛藤や苦しみからようやく開放された宜壽次さん。一方で、最近、世間の目に再び心を痛めました。 宜壽次大樹さん「そういう事件やニュースを見ると本当に心が痛いです。」今年5月、川崎市でスクールバスを待つ児童らが次々と殺傷された事件。容疑者はひきこもり傾向にあったことが報じられました。さらに、その4日後。ひきこもりがちで、家庭内暴力があった長男を父親が殺害した痛ましい事件。 それ以降、県内でひきこもりの家族を支援する団体には多くの相談が寄せられたといいます。

 近藤さん「相談件数は非常に増えていますし。親から心配だ、どうしたらいいんでしょう?という相談がものすごく増えています。」ひきこもりの当事者や家族からの相談を受ける「てぃんさぐぬ花の会」。事件後、相談件数は2倍になりました。 近藤さん「一番言いたいのは、引きこもりが原因でああいう事件になったというのは困る。事件を起こすようになる前までどういう状態だったのか?ということを考えてそれに対する対応が必要だと思う。」

 「てぃんさぐぬ花の会」では、それぞれが抱える悩みや課題を共有し合うことで、解決の糸口を見出すことを目的としています。 近藤さん「ひきこもり」と一言で言ってもいろんな人がいて十人十色。みんな違うんですよ。実はひとり1人違って、たいてい何か(原因を)持っている。それがうつ病であったり、統合失調症、あるいは発達障害(会は)苦しんでいる、苦しんできた家族のかたがたくさんいるので来ていただくだけでも気分的に違ってくる。ぜひこの場を活用してほしい。」

ここからは取材にあたった比嘉記者です。 比嘉記者「はい。内閣府の推計をもとに県が試算したところによると、県内でも40歳から64歳の引きこもりの人は、およそ7000人いるとされています。特に最近では、ひきこもりが長期化・高齢化しています。 子どもを抱える親は80代、当事者は50代といういわゆる「8050問題」ですよね。

 比嘉記者「はい。取材した「てぃんさぐぬ花の会」の近藤さんはこういったことを指摘しています。」「まずは、ひきこもり専門のカウンセラーがなかなかいないこと。ひきこもるきっかけで最近多いのが、転職・退職なんですが、更にその背景には発達障害やうつ病などがあり、家族や当事者も、それに気づかないことも多いそうです。こうした多様な状況に対応できる専門機関やカウンセラーが少ないそうなんです。」

 そして、回復後の居場所、ですね。 比嘉記者「はい。ひきこもりの方が回復しても、安心して行ける場所や、働く場所が少ないと指摘します。」「障害者雇用の枠には該当しなかったり、勤務の日数や時間など徐々に社会復帰していく環境は少ないのが現状です。」

 そして3点目に、悪質業者の問題。これは? 比嘉記者「実は今、多額な費用で親から子どものひきこもり回復を請け負い、無理矢理当事者を家から連れ出すという”引き出し屋”といわれる業者が全国で問題となっています。」「てぃんさぐぬ花の会」によると、県内でもそうした業者がセミナーを開いていたことがあるそうです。」 当事者も、家族も悩みが深刻なだけに、それに漬け込む業者も出てきているんですね。

 比嘉記者「はい。取材した宜壽次さんは実は、「てぃんさぐぬ花の会」で家族会の話を聞いて経験を話す活動をしていますが、『ひきこもりは誰にでも起こりえるもので、もっと当事者や家族がひきこもりや障害、心の病気についてもっとオープンに話せる環境が必要』と話していました。」

460NAME:2019/07/07(日) 21:41:13
担任が中3生へのいじめ記したメモをシュレッダーで廃棄 岐阜市教委会見
7/5(金) 16:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00012494-cbcv-soci

3日、岐阜市内の公立中学に通う3年生の男子生徒が転落死したとみられる問題で、男子生徒の担任は「クラスでのいじめ」が書かれたメモをシュレッダーにかけて廃棄していた可能性が高いことが明らかになりました。 「担任が個人名が書かれた資料ということで、シュレッダーにかけて廃棄したと思われる。担任には隠ぺいの意図はなかったが、訴えの重みを軽くとらえていた。(メモの情報が)共有されていれば、防げた可能性が高いと思っている」(岐阜市教育委員会)

 岐阜市教育委員会は、5日午後3時から会見を開き、死亡した男子生徒の担任が、他の生徒から「クラスでのいじめ」が書かれたメモを他の生徒から受け取りながら、情報を共有せず、シュレッダーにかけて廃棄していた可能性が高いと説明しました。 この問題は3日朝、岐阜市のマンションの駐車場で、市内の公立中学に通う3年生の男子生徒が大腿骨と骨盤を折って倒れているのが見つかり、生徒はその後、出血性ショックで死亡しました。

 岐阜市教育委員会は3日の会見で、死亡した男子生徒がことし5月、給食で同級生から嫌いな食べ物を押し付けられたことがあり、その際、担任の聞き取りに対して男子生徒は、「いじめの認識はない」と回答したと説明しました。 その後の調査で、担任にはことし5月末ごろ、「クラスでのいじめ行為」を書いたメモが生徒の同級生から提出されていたことがわかりました。

 メモはルーズリーフ1枚で、死亡した生徒に対して他の生徒がひどい態度をとったり、苦手な食べ物を入れて、好きな食べ物をとっていくなどの行為が書かれていたということです。 教育委員会は5日の会見の中で、担任がメモをもとに死亡した男子生徒やその他の生徒に指導を行い、その後、担任は指導が終わったと思いメモをシュレュダーにかけた可能性が高いと説明しました。

461NAME:2019/07/26(金) 21:15:46
女性自身TOP > 国内 > 「中2から強制的に性交され続けた」判決文でわかった地獄の5年
「中2から強制的に性交され続けた」判決文でわかった地獄の5年
https://jisin.jp/domestic/1729348/

3月26日、名古屋地方裁判所岡崎支部が下した無罪判決が波紋を呼んでいる。中学校2年生のころから、娘と性交していた父親が「準強制性交等罪」に問われたにも関わらず、無罪となったのだ。判決文からは、彼女の5年間がいかに「地獄」だったかということがうかがえる。

被害女性の美羽さん(仮名)は、実父と実母、弟3人との6人暮らし。実父による性的行為は、中学二年から始まった。美羽さんが寝ていると実父がやってきて、<陰部や胸を触ったり、口腔性交を行ったりするようになり、その年の冬頃から性交を行うようになった>(< >内は判決文の要約)という。

美羽さんが高校を卒業するまで、こうした行為は週に1〜2回程度の頻度で行われ、美羽さんは<体をよじったり、服をぬがされないように押さえたり、「やめて」と声を出したりするなどして抵抗していた>が、実父の行為は制止できなかった。本来ならば、助けを求められるはずの実母とも不仲だった。美羽さんが小学校の頃、実父は美羽さんを、殴ったり蹴ったりすることがあったが、実母は、<ほとんど黙って見ているか、実父に加担していた>という。

美羽さんが高校3年生のとき、自分で4年制大学へ進学することを決め、大学の推薦入試に合格。しかし、期日までに入学金を収められず、進学を断念した。一家は2010年から生活保護を受けていたことから、子ども4人抱えての暮らしは厳しかったことがうかがえる。

それでも美羽さんは諦めなかった。進学に反対する両親に頼み、専門学校に入学。学費はいったん実父が支払い、美羽さんのアルバイト代から月4万円ずつ返済するよう取り決めた。だが、このころから美羽さんの抵抗が弱まり、性行為の頻度が週に3〜4回と増えるようになったという。実父に「専門学校の学費を支払ってやっている」などと言われていたことの負い目が、あったからだとみられている。

それでも、実父からの虐待に耐えかねた美羽さんは、友人や弟らに被害を相談。「警察に行ったほうがいい」と勧められたが、<父親が逮捕されると弟らが犯罪者の息子になってしまい、生活できなくなってしまうことが心配>といって、通報を断念する。

専門学校の2年生になった2017年6月ごろから学校も休みがちになっていった美羽さん。このころ、は実父に激しく抵抗したことがある。就寝中に、服の中に手を入れてくる実父の手を払い、執拗に美羽さんのズボンを下げようとするのを引き上げたりして抵抗した。すると実父から、<こめかみの辺りを数回こぶしで殴られ、太ももやふくらはぎを蹴られた上、背中の中心付近を足の裏で二、三回踏みつけられた>。美羽さんのふくらはぎには、大きなアザができたという。実父はそのあと、「金(授業料)を取るだけとって何もしないじゃないか」と捨てセリフを吐き、美羽さんの部屋を出て行った。

こうした過酷な状況のなか、裁判になった事件が起きた。2017年8月12日に父親が仕事で出入りしていた会社の会議室で、9月11日にはラブホテルで美羽さんは性交される。9月15日、美羽さんが豊田市役所に相談し、事件は公となり、実父は起訴された。こうして、地獄の5年間は終わった。

美羽さんの精神鑑定を行った精神科医は、性的虐待などが積み重なった結果、<抵抗できないのではないか、抵抗してもムリなのではないか>といった抑圧された心理状態になっていたと診断。これに対し、実父側は「性交は同意の上だった」などと主張したが、裁判所はこうした実父の主張をすべて退け、実父は美羽さんを<精神的に支配していた>、<同意はしていなかった>と結論付けた。

にもかかわらず、<性交を拒めないほどの暴力は受けていなかった>、<両親の反対を押し切って専門学校に入学できるほどだった>などという理由で、<抵抗できないほどの精神状態に陥っていたとは判断できない>として、実父に無罪判決が下ったのだ。この判決を不服として4月8日、検察は控訴した。現在の美羽さんの生活が平穏であることを祈ってやまない。

462NAME:2019/07/28(日) 00:53:26
藤井サチ、洗脳男と付き合っていた過去!毎日彼氏の靴磨き
2019/07/27 12:36
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E8%97%A4%E4%BA%95%E3%82%B5%E3%83%81%E3%80%81%E6%B4%97%E8%84%B3%E7%94%B7%E3%81%A8%E4%BB%98%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E9%81%8E%E5%8E%BB%EF%BC%81%E6%AF%8E%E6%97%A5%E5%BD%BC%E6%B0%8F%E3%81%AE%E9%9D%B4%E7%A3%A8%E3%81%8D/ar-AAEV7J1#page=2

モデルの藤井サチが、26日放送の『金曜日のどっち!?』(テレビ朝日系)に出演。学生時代に付き合っていたという元カレとの衝撃エピソードを語った。 藤井はその彼氏に「とにかく洗脳されていた」と回顧。男の口癖は「俺と一緒にいたいんでしょ?だったらこういうことをしてくれるよね?」というものだったそうで、藤井は「(その彼氏から)毎日させられていたのが靴洗い(靴磨き)」と振り返った。

 そこで彼の喜ぶ顔が見たいと靴を磨くも、汚れがついていないか念入りにチェックされては「ここがまだ」とダメ出しされたという。あまりにもそれが続くため一瞬でもイヤな顔を見せると、「じゃあ、もっと優しい女の子にやってもらうからいいよ」と言われ、「私がやる!」と磨き続けていたのだとか。

 さらに元カレは藤井に、「芸能人の友達を紹介してよ」と迫ってきたと述懐。「どんなに可愛い子が来ても、俺がサチのところから離れなければサチの自信にならない?」と言われ、藤井は「確かに」と了承。当時のモデル友達を紹介すると、彼はいつの間にかその子とLINE交換していたという。

 そんな元カレは藤井との外食中、以前別の女性におごってもらったことを自ら語りながら、「これからその子とご飯行こうかな」と思わせぶりに話してきたという。洗脳されていた藤井は「私が払わなくちゃ」と、そのたびに食事代を払ってしまっていたそう。 恐怖の洗脳エピソードはまだまだ続き、藤井が男友達と仲が良さそうに話している姿を見かけた元カレから、ボトル入りのガムを一粒一粒投げられながら3時間説教されたと振り返っていた。

463NAME:2019/10/05(土) 10:32:41
ムーディ勝山の元相方・梶つよし、香川でスター級の活躍ぶり
2019/10/05 07:00
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e3%83%a0%e3%83%bc%e3%83%87%e3%82%a3%e5%8b%9d%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%85%83%e7%9b%b8%e6%96%b9%e3%83%bb%e6%a2%b6%e3%81%a4%e3%82%88%e3%81%97%e3%80%81%e9%a6%99%e5%b7%9d%e3%81%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e7%b4%9a%e3%81%ae%e6%b4%bb%e8%ba%8d%e3%81%b6%e3%82%8a/ar-AAIiMFg#page=2

放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回はお笑い芸人・ムーディ勝山の元相方・梶つよし(38才)の今について。

 * * *

「みんな、梶のことが大好きやから、香川まで梶に会いに行くんです」とはNON STYLE石田明の言葉だ。 「梶」とは、香川県の「住みます芸人」、梶つよし(剛改め)のこと。「誰?」と思う方も多いだろうが、旧コンビ名が「勝山梶」「アイスクリーム」だと聞けば、お笑いズキ、芸人ズキなら思い出すことだろう。 そう、吉本興業のいわゆる「闇営業問題」で謹慎していたムーディ勝山の元相方だ。

 ムーディ勝山は、「右から来たものを左へ受け流すの歌」を引っ提げ、『エンタの神様』(日本テレビ系)などで人気を博し、全国区に。程なくして「実は相方がいるらしい」というウワサが広まり、『エンタ〜』を始め、「ムーディのバーター」として梶は何本かのバラエティー番組に出演した。 だが、「右から〜」の着うたダウンロードで2億円以上の売り上げを誇ったり、大物女優の結婚披露宴中継でも同曲を歌ったムーディの「歌」を聴きたい視聴者にとって、漫才の相方・梶は「お呼びじゃない」存在であり、究極の「じゃない方芸人」だったのである。

◇売れたムーディが浴びせた“ひどい言葉”

 当時、ムーディが梶に対し、上から目線で、日夜ひどい言葉を投げかけていたことは、2016年10月31日にオンエアされた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)3時間SPにて明らかになった。 「俺のおかげでお前も食えてるから、もっと俺に感謝しろ」「俺が出ている番組は全部見ろ」「お前は俺を引き立たせるために地味な衣装にしろ」「俺はウケるけど、お前何すんの?」

464NAME:2019/10/05(土) 10:34:59
 相方をとことん見下し、コンビ名を「勝山梶」から「アイスクリーム」に改名するも、「まるで捨てるかのように」コンビを解散してしまった過去を告白したムーディ。 その『しくじり先生』には、コンビ解散後、故郷・香川県の「住みます芸人」となり、地元密着型の芸人としてレギュラー番組を多数持つ売れっ子になっていた梶つよしの活躍ぶりが紹介された。

 冒頭のNON STYLE石田の言葉でもわかるように、「愛されキャラ」であり、人格者でもある梶は、かつて自分をボロクソにこき下ろした相方を地元(香川)の番組に積極的に招くなどして、その結果、コンビの関係が修復されたことも紹介された。 「そういえば、梶さんが勝山さんのことを悪く言っているのを一度も聞いたことがない」と平成ノブシコブシの吉村崇が振り返った。相方からボロ雑巾のように扱われても、仲間に愚痴の一つも言わなかった梶。『しくじり先生』オンエア直後、勝山は「梶さんが地元の仕事に声をかけてくれたおかげで、今2人で仕事をすることができています。感謝しかありません。梶さんに追いつけるように頑張ります」とツイートしている。

 私は件のNON STYLE石田の紹介で、梶とはプライベートで何度も会っている。2011年4月からスタートしていた「住みます芸人」プロジェクトの最初のメンバーとして吉本の社員から香川へ行くことを勧められた梶だったが、「まだ東京でお笑いをしていたくて」断ったことも知っていた。 だが、翌年の1月、梶は故郷・香川の「住みます芸人」になる。理由は、父親の体調不良。梶の妹さんが泣きながら「もう芸人を辞めて帰ってきてほしい」と電話で訴えてきたことで「一瞬で決めました」とのことだった。 一度は断ったので言いづらかったそうだが、「社員さんに相談したら快く引き受けてくださった」ということで晴れて「住みます芸人」となったのである。

◇多くの芸人たちが梶の元へ

 以来、彼を盛り上げるべく、NON STYLE石田を始め、東京や大阪在住の売れっ子芸人がどれだけ梶の元を訪ねただろうか。 それは梶が「住みます芸人」になって最初に「今まで香川になかったようなお笑いライブをたくさんする」と決意したから。それまでも、芸人がショッピングモールなどにやってきてネタをやって帰るということはあったそうだが、梶は「トークであったり、企画コーナーであったり、お笑いの楽しさをもっと知ってもらいたいという思いで、ライブを定期的にやるようにしました」という。

 次々舞い込む地元のレギュラー番組では、スタッフから「笑いをとるより明るく元気にやってほしい」と言われているとか。それは梶の平和的なルックスと『しくじり先生』で全国に知れ渡った人柄の良さをそのまま出せば成立した。 果たして梶は「住みます芸人」になって明らかにたくましくなった。「防災士」の資格を取得し、子供さんや年配の方に防災の講演をしているのを始め、2017年からは冠のついたお祭りを開催しているのである。『かじ祭り』だ。

 スポンサーを自ら探しに行き、出店者にプレゼンをしたり、警察・消防・保健所などへもすべて自分で申請に行ったという梶。香川在住の若者たちから「香川はすることなくて面白くないから、休日は県外に遊びに行く」と聞いてから、「香川で面白いことをやろう」と決めたそう。 ステージでは東京や大阪からやってきた人気芸人のお笑いライブがずっと行われていて、周囲には香川の飲食や工芸品、ワークショップなどのいわゆる“マルシェ”を行っている。 新たな冠イベントとして、10月6日〜12日、「丸亀港チケット売り場の2階」というローカル色溢れるスペースで『KAJI讃岐芸術祭』も開催される。これは香川で芸術に関わる子供たちの作品を集め、「少しでもたくさんの方の目に触れる機会を作りたいと思い、これも自腹で場所を借りて始めます。香川県のこれからの子供たちの可能性を少しでも広げたいなって思って色々やっていけたらいいなって思っています」(梶)。

465NAME:2019/10/05(土) 10:35:34
 私が知る限り、「住みます芸人」の中で、もっとも実績をあげているうえ、いまや「地元の名士」であり「文化人」「プロデューサー」といったほうがいいような梶なのである。 だが、梶にも悩みはあるのだという。「自分が今までやってきたような、お笑いを前面に押し出すような仕事が激減し、自分が『お笑い芸人』だと自信をもって言えなくなっていました」

 そんな梶の芸人魂を再び燃え上がらせたのもNON STYLE石田だったという。 「石田が自分のライブに『出てくれ』と声をかけてくれたんです。そのライブが本当に楽しくて、やっぱり芸人仲間と、芸人らしいお笑いをやっていきたいっていう気持ちに変わりました」という。 元相方のムーディ勝山を香川に呼ぶようになったのも、そんな理由からだろう。

◇闇営業問題のムーディに「一緒の舞台に立ちたい」

 当然、梶は、相方の「闇営業問題」にも心を痛めていた。 「ムーディは、凄く売れて、その後、凄く仕事がなくなって、それから『一発屋芸人』と言われながら、死ぬほど努力をして、またたくさんの仕事をもらえるようになっていました。今回の騒動でたくさんの信用や仕事を失ってしまったかもしれません。でも彼は今回もまたどん底から這い上がってくると思います。今のぼくが芸人をやれているのはムーディのおかげです。だからまた香川でムーディと一緒の舞台に立ちたいなって思っています」

 どこまでも人格者の梶は、さらに続ける。 「香川でぼくを担当してくれた歴代のマネジャーさんたちには心から感謝しています。社員さんという立場もある中、みんなぼくのやりたいことが成功できるように最優先で考えてくれました。この支えがなければ何も結果に繋がっていないと思います」 香川で、現在、テレビ、ラジオ、WEB動画含め、6本のレギュラーを抱える売れっ子の梶。

「『住みます芸人』のNo.1だと胸を張って言えるように日夜頑張っています。他県で凄いなぁと思うのは、滋賀県の(住みます芸人)ファミリーレストランさんです。ずっと2人で月イチライブをやり続けているんです。僕も、目の前のお客さんをもっともっと笑わしていきたいです」 愛され「住みます芸人」、梶つよしは今、間違いなく、香川の大スターだ。

466NAME:2019/11/28(木) 12:06:00
新幹線殺傷初公判 被告、起訴内容認める「殺すつもりだった」 横浜地裁
毎日新聞 2019/11/28 11:33
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/新幹線殺傷初公判-被告、起訴内容認める「殺すつもりだった」-横浜地裁/ar-BBXrkqG

走行中の東海道新幹線の車内で昨年6月、乗客3人が切りつけられて死傷した事件で、殺人罪などに問われた無職、小島一朗被告(23)は28日、横浜地裁小田原支部(佐脇有紀裁判長)の初公判で「殺すつもりでやりました」と述べて起訴内容を認めた。
 公判は裁判員裁判で行われ、来月9日に論告求刑があり、同18日に判決が言い渡される予定。起訴状などによると、小島被告は昨年6月9日午後9時45分ごろ、新横浜―小田原間を走行中の「のぞみ265号」車内で、隣席の20代女性2人をなたで切りつけて負傷させ、助けに入った兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(当時38歳)の首などを切って殺害したとされる。
 小島被告は上下灰色のスエット姿で、「失礼します」と述べて傍聴席を見渡しながら入廷した。検察官が起訴状を読み上げる際も肘掛けに手をかけ、リラックスしたような様子で耳を傾けていた。起訴内容について「確かに通路に倒れている人を殺しきりました」などと述べた。
 捜査関係者への取材によると、小島被告は愛知県内の祖母の家で暮らしたものの、2017年12月に家出してから居場所を明かさず、自転車で長野県内を転々としながら野宿して過ごしていたとみられる。なたは事件直前に長野で購入したといい、逮捕直後は「むしゃくしゃしていた。誰でもいいから殺そうと思った」「刑務所に入りたかった」などと供述したとされる。
 事件の際は女性らを助けようとした梅田さんに馬乗りになり、周囲の説得を聞き入れることもなく、なたで襲い続けたという。新幹線は小田原駅に緊急停車し、駆けつけた神奈川県警小田原署員が取り押さえた。検察側は精神鑑定の結果を踏まえ、刑事責任に問えると判断して起訴していた。事件を受けて、JR東海は新幹線の防犯対策を強化している。【中村紬葵、国本愛】

467NAME:2019/12/12(木) 21:34:57
【末續慎吾の哲学】勝敗を引き受ける覚悟
2019/11/28 08:56
https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin-2020/【末續慎吾の哲学】勝敗を引き受ける覚悟/ar-BBXrj5a

レース前の選手を見ていると、いろいろと感じ取れるものがある。ぎりぎりの勝負をものにできるか、それとも負けてしまうのか。ある程度、その差を理解できるようになってきた。
 今秋、ドーハ世界陸上競技選手権のテレビ中継にアスリートゲストとして呼んでもらい、現地で男子短距離を中心にコメントした。その中で僕が「まずいな」と思ったのは、競技場に入ってきた100メートルの日本選手たちを見たとき、“怖さ”を感じなかったことだ。
 選手たちから勝ちたい思いは伝わってきた。ただ、勝負はそれだけでは足りない。「アドレナリンがあふれ出て怖い」「自分の走りができるか」「負けてしまわないか」-。最初から自分のことを考えるだけでなく、相手という存在も受け止めた上で、恐怖や緊張、孤独を乗り越え、準備してきた者は顔つきが違う。雰囲気は決して柔らかくない。奥底にある野性がにじみ出て、「目」が座ってくる。その部分で日本の若いスプリンターたちには、まだそこまでの葛藤を経た跡がうかがえなかった。僕から見ると「目」が粋がっていた。
 勝負には「勝つ喜び」と「負ける怖さ」が表裏一体として存在する。その両方を引き受けない限り、まず勝てない。そして、真の勝者にも敗者にもなれない。ラグビーワールドカップの表彰式が一つの例だろう。決勝で敗れたイングランドの選手たちは銀メダルを首に掛けるのを拒んだり、すぐに外したりした。これは「負ける」という覚悟がなかった状態だ。もし負けることの恐怖も覚悟し、乗り越えて臨めていたのなら、相手も同じように乗り越えてきたはずだと想像が及ぶ。そうして勝利をつかんだ相手に対しては自然と敬意が湧いたはずである。
 試合までの準備を100%できていれば、いざ勝負の場に立ったときには淡々としていられるものだ。全てをやり尽くした自信に支えられ、現実的な戦いに冷静に没頭できる。だから、レースの全てが鮮明にドラマチックになる。
 時代に逆行しているかもしれないが、究極的にものを言うのは気合と根性だ。機械は持ち得ない、人間だけが備える力。普段は眠っている力だ。僕が2003年パリ世界陸上200メートルで銅メダルを取れたのは、常に葛藤を内に抱え、悩み、自分で決めた練習を完遂できるタイプだったからだと思う。いかに自分自身と競技と深く向き合い、濃密な毎日を積み重ねられるか。SNSで「いいね」を集めて自分を慰めている暇はトップアスリートにはない。
 決して今の選手に気合や根性が足りないと言っているわけではない。気合と根性は数値で示せるものでないし、一歩間違えばパワーハラスメントになってしまう。故になかなか他人に伝えられない。伝えにくいこと、伝えにくい時代だからこそ、逆に「気合」と「根性」について改めて考え直したらいいのではないかと思っている。
(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

468NAME:2020/03/06(金) 17:18:32
元マネジャーが告発した岡本社長の「吉本芸人は出世の道具」発言が物議!
2019年8月13日 18:00
https://asagei.biz/excerpt/6214

8月10日に放送されたラジオ番組「ヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)にて、MCの明石家さんまが、雨上がり決死隊・宮迫博之について語った。以前から噂されていた、宮迫の個人事務所入りが、ほぼ確実になったという。

「さんまは番組で、吉本の騒動について『世間的には落ち着いてきたみたいやけど、ウチら的にはこれからが大変』とコメントし、宮迫について『本決まりでも何でもないんですけど、宮迫がウチに来てくれるということで』と、自身の個人事務所入りが内定したことを明かしました」(芸能記者)

 また、8月11日放送のバラエティ番組「マルコポロリ!」(関西テレビ)では、東野幸治が宮迫と電話で話したことを明かし、宮迫と吉本上層部の間で話し合いがあったと報告。その際、宮迫は「岡本(昭彦)氏はいなかったです」と話したそうで、東野は「(社長ではなく)岡本“氏”なんや」と、その呼び方に、明らかな距離感がある印象を持ったという。

 そんな中、さらに宮迫や吉本の芸人たちが、社長に対し不信感を抱くであろう内容が、8月9日発売の「フライデー」に掲載された。「『フライデー』は今回、過去に吉本興業で働いていたエリートマネジャーのインタビューを掲載しました。彼によると、岡本社長は、食事の席で『芸人というのはな、商売道具のオモチャやから。お前が出世するための道具として使っていったらええんや。ボロ雑巾みたいに使えばいい』と、幹部らと爆笑しながら話していたそう。また、普段からパワハラが酷かったようで、漫画のような大盛りのご飯や肉の食事を強要され、箸が進まなければ、『なんで食われへんねん』と、岡本社長がビンタしてきたとのこと。そういった行為は日常茶飯事で、彼は精神的に追い込まれていったと告白しています」(前出・芸能記者)

 この記事に対し、ネットでは《やはり高圧的な物言いは日常茶飯事だったのか》《契約形態だけでなく内部のパワハラも追及されるべき》などと批判が殺到、物議を醸している。 8月11日放送のバラエティ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)にて、松本人志は「最悪の状態は脱した」と語っていたが、本当にこのまま内部のパワハラ体質も改善されていくのだろうか。

469NAME:2020/03/19(木) 12:08:42
巨万の富を築いた「兜町の風雲児」の最期 家賃4万8千円、焼けたアパートに置かれた花 中江滋樹
2020.3.1 01:00
https://www.sankei.com/affairs/news/200301/afr2003010001-n1.html

かつて「兜町の風雲児」と呼ばれ、昭和のバブル前夜を駆け抜けた中江滋樹氏(66)が2月20日、東京都葛飾区の自宅アパートの火災で、焼け跡から変わり果てた姿で見つかった。希代の相場師としてマネーゲームで隆盛を誇り、投資家から多額の金銭をだまし取った「投資ジャーナル事件」の首謀者として警視庁に逮捕されたことでも知られるが、近年は経済的に困窮、体調にも不安を抱えていたという。(千葉元)

華々しい人脈

 関係者らによると、中江氏は昭和29年1月、滋賀県で生まれた。高校卒業後に名古屋市内で株式情報のリポート販売のアルバイトに就いたことで、投資の世界に入った。その後、京都市で投資コンサルタント業を開業。会社規模を拡大し53年、東京・兜町に「投資ジャーナル」を立ち上げた。

 2割のもうけを10回続ければ元手が2倍になるという「ツーバイツー理論」を掲げ、会員と巨額のカネを集めた。当時の金満ぶりから「体を揺らせば大金が出る」とまでいわれた。 財力にものをいわせた人脈は財界にとどまらず、都心の高級ホテルなどで開かれる豪華なパーティーでの同席者には、田中角栄氏をはじめとする政界人も名を連ねていたという。

 中江氏と交流があったノンフィクション作家の森功さんは「上京後、知り合ったテレビ局の幹部らと赤坂の料亭に入り浸っていた。そうそうたる顔ぶれの人脈は、このときに培った」と振り返る。 人気アイドルとの親密な様子が報道されたことで世間も騒がせたことも。しかし、森さんは「当時、彼が実力の面で魅力的だったのは確かだが、自分を実態より大きく見せようとする人でもあった」とも語る。
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逮捕、死亡説も

 危うさと隣り合わせの過激な手法は裏目に出た。「株を買う資金を担保の10倍まで融資する」とうたって全国の投資家から約584億円を集めるも、資金を返しきれず、60年に警視庁に詐欺容疑で逮捕される。平成元年に詐欺罪で懲役6年の実刑判決を受け、4年に仮出所した後は麻布十番に事務所を構えて仕手戦に舞い戻ったが、かつての勢いは失われていた。

暴力団から得た数十億円の出資金を返せなくなったのを機に、表舞台から姿を消し、一時は死亡説もささやかれた。平成18年、自宅に火をつけようとした疑いで逮捕され、再び存在が明るみに出たが、関係者によると、このときすでに心身の健康に支障をきたしていたとみられる。 都内近郊を転々とし、たどり着いたのが葛飾区のアパートだった。

体調不良続き

 アパートの関係者によると、中江氏が入居したのは24年。投資ジャーナル時代の同僚が「空き部屋はあるか」と大家に相談し、「絶対に迷惑はかけさせない。家賃も払わせる」と約束したため、入居を了承したという。家賃は月4万8000円だった。

 入居の日、タクシーで到着した中江氏。持ち物は衣服だけ。同僚らがじゅうたんやトースターなど、生活に必要なものを提供すると、中江氏は「ありがとうございます」と頭を下げていたという。

 部屋にはひっきりなしに知人が出入りし、「俺の部下だよ。いっぱいいるんだよ」などと話していた。最近は体調が優れず、おむつも着用していたといい、今年の正月ごろには「血圧が190もある」と周囲に訴えていた。

 警視庁亀有署はアパートの出火原因について、たばこの不始末による失火とみている。知人の1人は「たばこは昔からよく吸っていた」と肩を落とす。 火災から数日後、2階にある中江氏の部屋を訪問すると、玄関近くに、誰かが手向けた花束が、そっと置かれていた。

470NAME:2020/03/19(木) 12:41:46
「二千万円借金とホスト黒水着時代」坂本一生が苦難を激白
騒動から27年… 2020年03月19日
https://friday.kodansha.co.jp/article/102484

「’93年に芸能界デビューしてから、トラック運転手、レストラン店長、ホスト、探偵、便利屋など15回以上職業を変えました。飽きっぽいわけではないんですけど。地元・八千代市(千葉県)でパーソナルジムを経営し、20代〜70代までの会員を指導しています」

こう語るのは、タレントの坂本一生(48)だ。坂本といえば、思い返されるのが’93年に芸能界を震撼させた大騒動だろう。当時、織田裕二や吉田栄作とともに“トレンディ御三家”と呼ばれるほど人気を博したのが俳優の加勢大周だ。

しかし、加勢は所属事務所から円満とはいえない形で独立。対抗処置として、事務所は当時まだ見習い俳優だった坂本を「新加勢大周」の名前でデビューさせた。芸能界に誕生した“2人の加勢”――。坂本が騒動を振り返る。

「当時ボクは高校を卒業したばかりで、語学留学のため2年間オーストラリアにいました。加勢さんの名前すら知りません。帰国した時、たまたま成田空港に事務所のマネージャーがいた。彼はボクの顔を見るなり、名刺を渡し『タレントになりませんか』と声をかけてきたんです。

自宅にまで電話が来たので事務所に行くと、見せられたのが加勢さんのビデオ。コカ・コーラのCMや映画『稲村ジェーン』に出演しているのを知り、初めて加勢さんがスゴイ人なんだと認識しました。しかも社長は、『オマエを新加勢大周という名前でデビューさせる!』と言い始める。『ええっ!?』と違和感しかありませんでしたが、まだ20代前半のボクが拒否できるハズもありません」

華奢な体型で、白いTシャツがトレードマークだった加勢大周。一方の新加勢大周は、常に黒いタンクトップ姿でマッチョな肉体を強調した。

「雪の降る中タンクトップ1枚で、腕相撲大会のイベントに参加したこともあります。開催直前までガウンにくるまりブルブル震えているのに、イベントが始まると何食わぬ顔で登場しないといけない。ツラかったなぁ……。

恐怖を感じたのは、加勢さんを侮辱されたファンの怒りですね。都内でロケをしていた時のことです。若い女性がボクに向かって、数十m離れた場所から中身の入ったコカ・コーラの缶を投げつけてきた。『バーカ!』と大声で叫んでね。缶はボクに当たりませんでしたが、足元で『ブシュッ!』と勢いよく泡が弾けたのを覚えています。

また事務所に、異物が放置されていたのには驚きました。何か臭うなと入り口のドアを見ると、置いてあったのはなんと人間の巨大な糞! ファンの恨みの深さを痛感しました」

夜のNHKの報道番組で、トップニュースとして扱われた加勢騒動。結局、日本俳優連合の森繁久彌や二谷英明らが社長を説得し20日後に収束する。新加勢大周という名前を封印し、坂本一生に改名することになったのだ。

「名前が変わっても芸能活動を続けましたが、弱小事務所の悲哀を感じました。大手事務所のタレントは上下関係がしっかりしているので、バラエティ番組でも後輩のボケを先輩が上手くツッコんでくれる。ボクのコメントには、誰も反応してくれません。『こうしたほうがイイよ』と教えてくれる人もいない。

でも、さすがは大御所。明石家さんまさんは他のタレントと同様にツッコミを入れてくれましたし、ポール牧さんは指を鳴らしながらボクに近づき、握った両手を鼻に当て『こうなったらダメだぞ』とアドバイスしてくれました。天狗になったら終わりだぞ、という意味です」

その後も、坂本は波乱万丈の人生を送る。’99年には「プロレスラーから芸能人になった人はいるが、芸能人からプロレスラーになった人間はいない」という、あるプロデューサーの言葉に乗せられ、佐山聡主宰の格闘技団体「掣圏道」に入門。しかし話を持ち込んだプロデューサーが示した条件に佐山が納得せず、デビューは断念せざるをえなかった。

「佐山さんの道場がある北海道・旭川から自宅のある横浜に戻ったんですが、収入を絶たれカネがありません。マンションにも住めない。しばらく車の中で暮らし、ランドマークタワーのトイレで顔を洗う生活です。中古車販売店でのバイトなどでカネを少しずつ溜め、ようやく小さいアパートの部屋を借りられるようになりました」

471NAME:2020/03/19(木) 12:43:24
足場から落下しアゴを骨折

‘05年に芸能活動を再開するも、’09年に当時所属していた大手芸能事務所を退社。そこで再び災難に襲われる。交流のあった男性から、室内ゴルフ場やマッサージ店を経営する会社を立ち上げるから出資してくれと頼まれたのだ。

「ホラ話に乗ったボクがバカでした。そんな簡単に計画が進むハズがありません。男性はボクが投資したカネを持ってトンズラ。音信不通になってしまいます。借金は最大で2000万円にまで膨らみました。もう誰も信用できない……。ウツ状態になり、(自殺の名所として知られる)富士山の麓の青木ヶ原について、ひたすら調べていたこともあります」

借金返済のために、坂本はバイトを転々とする。命の危険にさらされたこともあった。

「鳶職人だった時のことです。作業主任者の国家資格も取得し、マジメに働いていました。しかし、雨の日に高さ数mの足場から落下しアゴを骨折。1ヵ月間、流動食しか食べられない状態でした。

雪かきから同窓会の幹事、スズメバチの駆除と、どんな仕事でも引き受けるという便利屋のオーナーはヒドかったなぁ。テレビの取材を受けるたびに『ヤラセ』のようなことを行っていたんです。例えばゴミ屋敷を片づけるという企画で使われたのは、社員の自宅。マンションの一室にゴミをブチまけるんですが、床は汚れていないからスグに違和感が出ます。その会社でボクは役員を勤めていましたが、さすがに嫌気がさし辞表を提出しました」

紆余曲折の末、’17年6月に八千代市で開設したのがパーソナルジムだ。新型コロナウイルスの影響で最近は新規客が増えていないそうだが、経営は安定しているという。

「高校時代は水泳部で、肉体派タレントとしてデビューする前から培った筋力トレーニングのノウハウがありますからね。いろいろ経験して、来るべきところに落ち着いた感じです。今年開催される東京五輪や健康志向のブームに乗り、なんとかジムも継続できています。

いろいろと失敗もありましたが、しぶとく生きていますよ。身体を鍛えれば、精神もタフになる。逆境にも耐えられるんです。最近はクスリに手を出す芸能人が多いですが、困ったことがあるならウチのジムに来ればいい。クスリよりも、身体を鍛えるプロテインを飲んだほうがよっぽど健康的だし、気持ちも前向きになれますよ」

“加勢騒動”から27年――。15回以上の転職で、セカンドキャリアどころかフィフティーンキャリアの末、坂本はようやく自分にピッタリの職業を見つけたようだ。

472NAME:2020/04/24(金) 01:14:56
義父にできた44歳年下の恋人。次第に化けの皮がはがれて〈長生きしてほしいけれど〉
島内晴美 2020/04/22 12:00
https://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/life/%e7%be%a9%e7%88%b6%e3%81%ab%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%9f44%e6%ad%b3%e5%b9%b4%e4%b8%8b%e3%81%ae%e6%81%8b%e4%ba%ba%e3%80%82%e6%ac%a1%e7%ac%ac%e3%81%ab%e5%8c%96%e3%81%91%e3%81%ae%e7%9a%ae%e3%81%8c%e3%81%af%e3%81%8c%e3%82%8c%e3%81%a6%e9%95%b7%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%bb%e3%81%97%e3%81%84%e3%81%91%e3%82%8c%e3%81%a9/ar-BB130VcK

いつまでも長生きしてほしい。しかし、親が長生きすればするほど、支える側の子どもも年をとるという現実がある。終わりの見えない長期介護のなかで、思いもよらない事態に見舞われた人たちを取材した。ナツミさんは、妻に先立たれた義父に親子ほど年の離れたガールフレンドができ――(取材・文=島内晴美)

* * * * * * *
「ママ、おじいちゃまのマンションに…」

年老いてから妻に先立たれると男は弱いと言われるが、ナツミさん(50歳)の義父(94歳)は例外だった。昔からおしゃれでダンディだったが、独り身になっても社交的で、経済団体のパーティーやコンサートにも顔を出す人気者だった。

「大学生になった私の子どもたちもおじいちゃまが大好きで、一緒に遊びに出かけたりすることもありました。3年前に義母を亡くして寂しいだろうけど、子どもたちも近くにいるので、家族で集まる機会を増やして支えていこうとしていたところでした」

そんなある日、学校帰りに義父の家に寄ったナツミさんの娘が、家に帰るなり「ママ、おじいちゃまのマンションに知らない女の人がいたわよ」と言った。「そうね、お年の割にもてるからね。ガールフレンドができたのかしらね」とほほえましい気持ちで答えたナツミさんだが、これが怒濤の“バトル”の始まりだった。

「その人は当時、私と同い年の44歳で独身。どこかのギャラリーでたまたま出会って意気投合、付き合うことにしたそうで、ほどなく義父のマンションで同居することになったとか。びっくりですよね」

娘である義姉、息子であるナツミさんの夫よりも年下のガールフレンドの登場に、だれもが思考停止に陥った。

「義父もうれしそうだし、子どもがとやかく言う問題でもない。義父が元気で楽しく暮らしてくれれば……と思っていました」

しかしバトルは、まず義父の「彼女が籍を入れてほしいと言うんだよ。遺族年金がほしいんだって」という言葉から始まった。

「信じられない思いでした。私と同い年で“遺族年金”だなんて! そんな発想すらしたことがなかったので、ちょっと不気味でした。結婚となれば、家族としての付き合いもあるし、一度みんなで会わなきゃということになりました」

一同が集まったレストランに現れた彼女は、どこから見ても普通のおばさん。手練手管で老人を籠絡するプロっぽい女性を想像していたナツミさんは、ますます違和感を抱いたという。
とうとう化けの皮がはがれた

「結婚してからの彼女は本領発揮でした。義父の貯金で高級外車を購入、海外旅行に着物の新調。散財しているのはわかったけど、義父が許しているのなら、口は出せませんでしたね」

ナツミさんが許せなかったのは、義母の遺した着物を着たり、ジュエリーをつけたりすること。それでも、マザコン気味の夫や義姉が我慢しているので、自分の出番ではないと口をつぐんでいた。

「そんな私の怒りがついに爆発したのが、義母が生前にかけていた孫たちのための簡易保険を、断りもなく勝手に解約したことです。満期の通知をもらって郵便局に行ったら、入れ違いに解約されていたことが判明。郵便局の人も『委任状があったので』と、恐縮しきりでした」

勇気を奮って彼女に抗議したところ、「主人の言いつけで財産整理をしているのよ」とどこ吹く風。

「とうとう化けの皮がはがれたな、と思いました。普通の感覚の人じゃないと思い知らされましたね」

473NAME:2020/04/24(金) 01:15:23
90歳を過ぎて義父に認知症の気配が表れ始めると、夫と義姉にひっきりなしにサポートを要請してきた。「お父さまが暴言を吐くのよ」「勝手に出ていっちゃう」などと訴え、すぐ駆けつけるよう要求する。ナツミさんにまで、「嫁ならお舅さんの面倒をみるべきでは」と言ってくる。

「義父の入院費用の請求書は義姉に送り付け、夫の職場に頻繁に電話してくる。私たちは我慢の限界でした」

94歳で大往生した義父の葬儀は、夫と義姉が仕切り、後妻を喪主にしなかったことだけが、せめてもの意地。最晩年に義父がもらした「結婚なんかしなきゃよかった。僕が思っていた人と違ったよ」という言葉がむなしいと言うナツミさんだ。

夫、義姉は一切の相続を放棄する代わりに、以後は姻戚関係を遮断することで合意、彼女と縁を切ったという。

***

誰でも親に長生きしてもらいたいと思う。しかしそれには条件がある。親が経済的にも暮らし方においてもほどほどに自立して、仲良く愛情深い関係が保てるならば、という条件が。なんとも手前勝手なようだが、それが本音ではないだろうか。

とはいえ、そんな親子関係はまれかもしれない。しがらみや軋轢の中で、それでも親子という関係を結んでいくのだろう。 ルポ・親が長生きするほど人生設計に綻びが……

【1】義母が脳幹出血で意識不明に。介護費用で老後資金が消えていく
【2】母の遠距離介護を交代で担ってきた兄弟が次々に倒れ…
【3】義父にできた44歳年下の恋人。次第に化けの皮がはがれて

474NAME:2020/08/26(水) 02:35:59
糖尿病男児にインスリン投与させず 最高裁が殺人と認定
朝日新聞社 2020/08/25 18:16
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%b3%96%e5%b0%bf%e7%97%85%e7%94%b7%e5%85%90%e3%81%ab%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%b3%e6%8a%95%e4%b8%8e%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9a-%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81%e3%81%8c%e6%ae%ba%e4%ba%ba%e3%81%a8%e8%aa%8d%e5%ae%9a/ar-BB18lxMv

栃木県で2015年4月、治療と称して1型糖尿病を患う男児(当時7)にインスリンを投与させず衰弱死させたとして、殺人罪に問われた建設業近藤弘治(ひろじ)被告(65)=同県下野(しもつけ)市=の上告審で、最高裁第二小法廷(草野耕一裁判長)は被告側の上告を退けた。24日付の決定で「死の現実的な危険を認識していた」と述べ、死んでもやむを得ないという「未必の殺意」があったと認定した。一、二審判決の懲役14年6カ月が確定する。

 裁判では、母親から相談を受けた被告が男児にインスリンを投与させないようにした行為を殺害と認定できるかが争点だった。

 第二小法廷は、被告は医学に頼らずに「難病を治せる」と標榜(ひょうぼう)し、母親に「インスリンは毒」「従わなければ助からない」としつこく働きかけて投与をやめさせたと指摘。「命を救うには従うしかない」と思い込んだ母親を「道具として利用」し、治療法に半信半疑だった父親も母親を通じて同調させたと指摘し、殺害行為に当たると判断した。

 弁護側は「インスリンを打たないと決めたのは両親で、治療費を受け取った被告が死をやむを得ないと考えるはずがない」と無罪を主張していた。

 一、二審判決によると、被告は14年末に母親の依頼で「治療契約」を結び、インスリンがなければ死に至ると理解しながら15年4月6日を最後に投与させず、同27日に死亡させた。県警は両親を保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検し、宇都宮地検はいずれも不起訴(起訴猶予)としている。(阿部峻介)

475NAME:2020/08/30(日) 20:05:06
離島へ向かって遊泳中の79歳男性死亡…長野では子供助けようとした30代不明
2020年08月29日 21時30分
https://news.nifty.com/article/domestic/other/12213-776016/

好天に恵まれた29日、各地で水の事故が相次いだ。

 静岡県西伊豆町仁科の海岸では、神奈川県厚木市温水、竹内政長さん(79)が浮いているのが見つかり、搬送先の病院で死亡した。下田署の発表によると、親族らと訪れ、離島に泳いで向かっていたという。

 青森県今別町の海岸では、青森市に住む専門学校生佐藤諄弥(じゅんや)さん(19)が溺れ、搬送先の病院で死亡した。外ヶ浜署の発表によると、友人4人と泳いでいたという。

 長野県南箕輪村の大泉所ダム湖では、子供を救助しようとした県内の30歳代男性の行方が分からなくなった。伊那署の発表によると、男性は養護施設の子供たちと一緒にダム湖を訪れていたという。

476NAME:2020/09/01(火) 02:45:15
「私しかいない」消防職員は男に飛び込んだ 福岡刺殺
朝日新聞社
2020/08/31 21:03
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%a7%81%e3%81%97%e3%81%8b%e3%81%84%e3%81%aa%e3%81%84-%e6%b6%88%e9%98%b2%e8%81%b7%e5%93%a1%e3%81%af%e7%94%b7%e3%81%ab%e9%a3%9b%e3%81%b3%e8%be%bc%e3%82%93%e3%81%a0-%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e5%88%ba%e6%ae%ba/ar-BB18ya8E

福岡市中央区の商業施設で女性が殺害され、自称15歳の少年が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された事件。少年は警備員に取り押さえられる前、客として訪れていた女児(6)に馬乗りになっていた。その少年に体当たりして女児を助けたのは、福岡市消防局職員の30代男性。男性は消防局を通し「この状況で少年を取り押さえられるのは私しかいないという思いでとっさに行動した」と答え、緊迫した状況を明らかにした。

 事件があった8月28日、男性職員は非番で、商業施設「MARK IS(マークイズ) 福岡ももち」を買い物のため訪れていた。午後7時半ごろ、買い物客の叫び声と警備員の「逃げて」という声を聞き、少年に気付いた。血が付いた包丁を持って周囲を見渡しながら歩いていたという。「誰か襲いかかる相手を探している」と思い、少年の後をつけて様子をうかがった。

 その後、少年が急に走り出し、女児に馬乗りになった。県警によると、少年はこの時、助けようとした女児の母親(39)や取り囲む警備員に対し、包丁を振り回して威嚇していた。

 男性は女児が刺されると思い、とっさに少年の背後から包丁を持つ右腕を目指して飛び込んだ。自身の右腕で少年が包丁を持つ手をしっかりと握り、同時に左腕で少年の首に手を回した。飛びかかった勢いで、少年が女児から少しでも離れるように、右前方に体ごと倒れ込んで取り押さえたという。女児と男性にけがはなかった。

477NAME:2020/12/11(金) 21:27:07
織田無道さん死去、余命宣告後に語った「死んだらどうなるかわかってる」
週刊女性PRIME [シュージョプライム]
2020/12/11 12:45
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e7%b9%94%e7%94%b0%e7%84%a1%e9%81%93%e3%81%95%e3%82%93%e6%ad%bb%e5%8e%bb%e3%80%81%e4%bd%99%e5%91%bd%e5%ae%a3%e5%91%8a%e5%be%8c%e3%81%ab%e8%aa%9e%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%8c%e6%ad%bb%e3%82%93%e3%81%a0%e3%82%89%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%82%8f%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%82%8b%e3%80%8d/ar-BB1bPMDm

90年代にタレントや霊能力者として活躍した、織田無道さんが9日に亡くなった。68歳だった。週刊女性では6月に織田さんのインタビューをしており、がんと向き合い闘病中であること、余命宣告を受けたこと、さらにはテレビのヤラセや、実は「霊能者ではなかった」など、当時の思い出を豪快に話てくれた。

『週刊女性』2020年6月23日号で掲載し、ニュースサイト『週刊女性PRIME』に転載したインタビュー記事を再掲する。織田無道さんのご冥福をお祈りいたします。

  ◆   ◆   ◆  

「一昨年に“ステージ4”で余命1年を宣告されました。でも、まだ生きていますよ(笑)。最近も“7月までもたない”と言われましたが、別の医師からは“免疫性が上がって、回復しています”と。がんは本当にわからないことが多いので、あわてないことです」 末期がんで闘病中だという織田無道だが、血色はよく意気軒昂。ニコニコしているが、時折、見せる鋭い眼差しは“怪僧”と呼ばれたころと変わらない迫力だ。

「織田さんは1990年代に霊能者としてテレビに引っ張りだこでした。当時は宜保愛子さんもいてオカルトブームだったんです。水晶玉を使って霊視をするんですが、酒は飲むし女が好きという破天荒キャラ。神奈川県の円光寺住職で、信長の子孫を名乗っていましたね。2002年に虚偽登記で逮捕され、その後も給与トラブルがあり、テレビから消えました」(テレビ誌ライター)

「お祓いは気合」で住職稼業が一転

 最初から霊能者だったわけではなかったという。「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。司会の宮尾すすむさんが“悪い霊が来てしまったらどうすればいいの?”と聞いてきたのですが、私の宗派にお祓いはないから、“それは気合です”とアニマル浜口さんみたいなことを口走ってしまった(笑)。その場で霊との闘いが始まって、それが全国に放送され、住職ではなくて“除霊をする人間”になってしまった。それから、“ここを除霊してくれ”という依頼がたくさん来たんですよ。私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」

 多いときで週に10本の番組に出演する売れっ子に。「テレビを何百本もやっているとヤラセが出てくる。ある深夜番組で“あの木の下にこういう霊がいることにしましょう”と言われたことがあります。司会者から“織田さん、すごいですね。霊は本当にいるんですね”なんてふられて困りました。当時のテレビはヤラセだらけ。クイズ番組なんかはひどくて、最初から解答が渡されていたんです」 バラエティー番組だからと割り切って出演していたという。バブルの余韻でテレビ業界はイケイケだった。

「1回の制作費が5000万円なんてザラ。海外ロケにも行って大盤振る舞い。ギャラもすごくて、1回で500万〜600万円なんて普通でしたね。アメリカでシカゴのテレビ番組に出たときは1本で2000万もらいました。当時は1000万円もらって、それをひと晩で飲み切るなんてことが当たり前の時代だったんですよ。視聴率さえ取れれば、何でも可能でした」

478NAME:2020/12/11(金) 21:28:22
 金銭感覚がだんだんおかしくなっていく。「視聴率がよくなれば担当プロデューサーにボーナスが出るし、経費も上がる。だから、“今夜もどっと飲みましょう!”なんて言われる。楽しい時代でしたね。1万円札を見ても今の100円と同じ感覚でした。月に億単位の金を稼いでいましたね」

 テレビの黄金期の中で、もっとも輝いて見えたのが石橋貴明だったという。「すごく面白いし、私ら坊主にとっても参考になることがいっぱいありました。禅には『有溝無溝』という言葉があります。構えはあってないのと同じで、最終的には心の闘いが勝敗を決定するものだという意味ですが、まさに石橋さんはその言葉どおりの人。僧侶でも普通の悟りでは到達できない領域です。“お笑いの達人”というレベルを超越した本当にすごい人です」

石橋貴明の凄みと勝新の力

 日本テレビ系の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に出演していて、石橋のアドリブに驚かされた。「霊がとりついている人を呼んでスタジオ収録をしたんです。若い女性で、ミニスカート姿。そうしたら石橋さんが急に“霊がいる!”と、女性のひざを指さしました。カメラがひざのお皿をアップで映すと、人の顔のようにも見えますよね。彼女が出てきた一瞬で、ひらめきが芽生えたんです。いつも、よくそんな発想が出るなと感心していましたね」

 勝新太郎さんも、織田に強い印象を残した。「彼の死後のことです。心霊番組で、夜中にお墓に行きました。カメラが回った瞬間に照明がパッと消えたんです。かわりに静止画を撮ろうとシャッターを切っても、ストロボがつかない。勝新さんの“力”を感じましたよ。勝新さんが納得するスタッフ、カメラマンでないと映させてもらえない。“お前らなんだ勝手に来やがって、玉緒に金を払ったのか?”ということではないでしょうか」

 2002年に逮捕されて有罪判決を受けたことについては、今も納得していない。「まったくくだらない理由です。会ったこともない人間にテレパシーで虚偽登記などの文書偽造を指示したというバカげた判決。取り調べでは“織田よ、認めれば出られるんだよ。早く書類にサインしちゃえよ”と言われました。もっと重要な犯罪があるのに、私がテレビにバンバン出ていたから狙われたんでしょう」 留置所には3か月ほど入っていたが、さほど苦痛ではなかったらしい。

「うなぎでも天丼でも、好きな出前を頼んで食べていました。不自由さはありませんでしたね。留置所から出た後も普通にしていましたよ。別に大した罪でもあるまいし。沢尻エリカだって、堂々と出てくりゃあいいんだよ」

 沢尻は違法薬物所持という重い罪状だが……。

「テレビはもともとデタラメな世界だから、デタラメなやつが出ていいんですよ。きれいごとなんか言っていられない。視聴率を取れなかったら番組がなくなっちゃうんですから、否応でもヤラセをやる。それで視聴率を取れているんだし、バラエティーだからいいじゃんということです。UFOや幽霊なんかはほとんどが合成写真のインチキ。でも、見ているほうが楽しければいいじゃないと思います」

死んだらどうなるわかっている

 相変わらずの怪気炎だが、体調がすぐれないことも。「長く座ったりしていると、脚が冷えて氷のようになってしまいます。すぐに疲れますが、夜にまったく眠れないんですよ。1日に2時間でも3時間でもいいから寝たい。1〜2月は40度以上の高熱が出て、本当にキツかったんです。めまいがひどくて起きられなくなって、いよいよおしまいかなと思っていましたよ。食べ物も限定されて、体重も100キロあったのが、30キロ落ちて、今では70キロ。これからどうなるのかはわからないですね」

 それでも、死に対する不安はない。「私は仕事で葬式もたくさんやっていますし、死んだらどうなるかわかっていますから。人間はわからないことに対して恐怖心を抱くんです。私は坊主なので、自分の真意、本当の自分悟りを示したうえで人生の幕を閉じたいですね。できれば70歳まで生きたい。 “人類のために”とか大それたことを言える立場でもないですが、自分自身の答えを出したいですね」 “怪僧”にとって死は恐れるに足らないものなのだ。

479NAME:2021/05/04(火) 15:39:32
「新横綱になった瞬間から引退を考えていた」 貴乃花が語る横綱のプレッシャーと「土俵脇で雑魚寝」の入門時代(小林信也)
5/2(日) 10:55配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/909b201a65a65decbdf6bea5ec2369fbc7b4d7f7

花田光司は父・貴ノ花が現役だった日々をはっきり覚えている。小学校1、2年生の頃の記憶だ。「子どもながらに、父親の格好よさを感じていました。東京場所だと毎日、悔しがったり安堵したりして帰って来ます。その強弱を見ながら、仏様に手を合わせる感じで相撲中継を見ていました。おこがましいけれど、父と一緒に戦っていました。だから、気持ちの削られ方が半端じゃありませんでした。勝ち負け以上に、無事に帰って来てほしいと祈るような気持ち……」

 横綱引退の日にインタビューして以来、18年ぶりに会った貴乃花は穏やかな表情で、しかし情熱的に語ってくれた。「父も母も『相撲をやれ』とは言いませんでした。師匠は『メシが食える道に行ってくれ』とそれだけです。師匠が引退する時、NHKで放送された『さよなら大関貴ノ花』という番組を見終わった時、私の中に何かが芽生えた気がします」

 父の引退は1981(昭和56)年1月、光司が8歳の時だ。光司はわんぱく相撲を経験し、中学で相撲部に入った。「中学の恩師(武井美男監督)からずっと『光司は大学まで行ってアマチュアで相撲を取れ』と言われていました。プロには絶対行かせないと。なのに中学を卒業する前、なぜか父の引退番組の興奮が覚醒的に出てきたのです」

 燃える思いに目覚め、光司は父母を説得した。「何でそういう気持ちになったのか、未だにわかりません。育ったのが相撲部屋ですから、厳格な世界だと重々わかっていました」 だが、新弟子として暮らし始めた相撲部屋の住み心地は全然違った。「とにかく恐怖でした」

「入った瞬間に、恩師に大反対された意味がわかりました。師匠の方針で、稽古の質と量が角界でも一、二を争うレベル。厳しさは想像を絶していました」 部屋には40人以上の力士がいた。2階の大部屋に入りきらず、序二段以下の力士は1階の土俵脇(土間)で雑魚寝していた。

「その環境に育てられたと思います。土俵の真横で寝てましたから、土の文化が理屈抜きに落とし込まれた。15歳、頭のやわらかい頃に叩き込まれたのがよかったと思います。これだけ厳しい経験をしないとこういう伝統は受け継げないんだろうと感じました」 最近は学生相撲出身力士が増え、幕内上位を占めている。が、横綱に昇進したのは輪島しかいない。その理由の一端はここにあると感じている。

480NAME:2021/05/04(火) 15:40:21
 貴花田の四股名をもらった光司は、17歳2カ月で新十両。半年後には入幕を果たした。傍から見れば異例のスピード出世だが、本人には長い時間だったという。 「もうやれない、やれない、そんな思いの連続でした。その自信のなさと臆病さのために必死に稽古を重ねて、やっとこさ十両に上がれた感じです。1日を3日分くらいの濃厚な鍛錬で過ごしたので、生きた心地がしませんでした」

 ちゃんこも稽古のうち。懸命に食べたが、稽古が激しすぎて太れなかった。

「土俵に立つ民として甘えは許されない。そりゃもう、入ってから身体と精神が追い付いていくのがやっとでした。とにかく恐怖でした。地位が上がるたびに相手が強くなる、ダメージが大きくなる。勝つためには、こちらもダメージを与えることを覚えていく。私は突き放す取り口じゃなくて、くっついて相手の力を抑え込んで勝負を決めるタイプ。無類の力で突き飛ばしてくる相手の力を吸収するには、それ以上の力を発揮しないといけませんでした」

大地の力を得る四股

「優勝を重ねると本人は、息絶えるくらいの気持ち。毎回引退に近づいている感じで土俵に上がっていました。勝てば勝つほどプレッシャーできつくなる。それを撥ね退けるために反復的な学習を繰り返していく。 少しでも腰が浮いたらやられるのがプロの世界。横綱になれば相手が全員『横綱だけは倒す』意気込みで向かってくる。相手には15分の1でも、横綱はそれが毎日です。毎場所17〜18勝を目指してやっと12勝できる感じ。10日目を過ぎると身体も意識も朦朧としてくる。そんな中でどこか覚醒されて残った者が優勝する。本当に寿命が縮まります。私は新横綱になった瞬間から、引退を考えていました」

 反復的な学習とは、四股、鉄砲、摺り足といった相撲伝統の稽古だ。

「双葉山関も若乃花関も、白黒の映像で見ると凄い四股を踏んでいる。派手じゃないけど、きつーい四股を踏んでいらっしゃる。あの時代の力士はどの方もレベルが高かったと思います。丁稚奉公同然、苦しんで苦しんで生き延びた人しか残れない、親方にはなれなかったのでしょう。

 四股は膝を曲げて立つ姿勢が基本です。腰を割って、土踏まずからグーッと練り込ませていく。足の裏からふくらはぎを通して大地のパワーを取り込むような感じです。内臓を沈め、背筋を伸ばして踏み込む。師匠によく言われました、『10回踏んだら足が震えて踏めなくなるのが本当の四股だ』と」 久々に話を聞き、相撲道に邁進した大横綱にしか表現しえない相撲の奥義と哲学に触れ、貴乃花が角界を追われた理不尽と空虚を改めて感じた。

小林信也(こばやし・のぶや)1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。 「週刊新潮」2021年4月29日号 掲載

481NAME:2021/08/12(木) 00:31:48
<独自>「連続で何十発も殴った」逮捕の少年が供述 大津女児暴行死
2021/8/11 06:00
https://www.sankei.com/article/20210811-2OTLSVWE5RJOTE5LAFXG75IJRY/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%EF%BC%9C%E7%8B%AC%E8%87%AA%EF%BC%9E%E3%80%8C%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%81%A7%E4%BD%95%E5%8D%81%E7%99%BA%E3%82%82%E6%AE%B4%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%8C%E4%BE%9B%E8%BF%B0%20%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%A5%B3%E5%85%90%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E6%AD%BB

小学1年の妹=当時(6)=に暴行を加え死亡させたとして、傷害致死容疑で逮捕された大津市の無職少年(17)が容疑を認め、「連続で何十発も殴ったり、蹴ったりすることもあった」との趣旨の供述をしていることが10日、捜査関係者への取材で分かった。妹の全身には約100カ所の皮下出血の痕があり、滋賀県警は少年が激しい暴行を繰り返していたとみて、動機や経緯を慎重に調べている。

捜査関係者によると、少年は「7月22日から暴行するようになった」などとも供述。前日の21日未明には、少年が妹を連れてコンビニエンスストアにいるところを不審に思った従業員が110番し、県警が児童相談所に連絡していた。その際、妹には目立った外傷は確認されなかったという。

さらに母親が留守がちで、少年と妹は千円の食事代だけで1日を過ごす日があったことも判明。大津市の小学校では7月20日に終業式があり、夏休みに入って妹を世話する時間が増えたことが暴行につながった可能性もある。

少年は今月1日、大津市の児童公園で、一緒にいた妹がジャングルジムから転落したとして、近隣住民に119番を依頼。妹は搬送先の病院で死亡が確認された。県警は当初、事故死の可能性が高いとみて調べていたが、司法解剖などの結果、妹の内臓の一部が破裂し、死因は外傷性ショックだったことが判明。少年が暴行を加えたとみて、捜査を進めてきた。

少年は母親と妹の3人暮らしで、今年4月から同居を始めた。大津・高島子ども家庭相談センター(児童相談所)は4月以降、家庭訪問するなどしていたが、「家庭内のトラブルはなかった」としていた。

482NAME:2021/08/12(木) 00:37:42
死への虐待、4歳児最後の願い「ママ、お茶が飲みたい」
2020/2/14 10:00
https://www.sankei.com/article/20200214-5AQGVRID6BKJJEETSYMBWZTX5M/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E6%AD%BB%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%99%90%E5%BE%85%E3%80%81%EF%BC%94%E6%AD%B3%E5%85%90%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%A1%98%E3%81%84%E3%80%8C%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%80%81%E3%81%8A%E8%8C%B6%E3%81%8C%E9%A3%B2%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D

「ママ、気持ち悪い。お茶が飲みたい」。死の間際に発した最後のSOSはどこにも届かなかった。3年前のクリスマス、大阪府箕面市で4歳の男の子が家族から執拗(しつよう)な暴行を受け、死亡した事件。痛ましい虐待は、母子3人と1カ月半前から同居を始めた元交際相手の男、そしてその知人という、奇妙な「5人暮らし」の中で起きた。起訴内容を否認した母親(28)に言い渡されたのは懲役9年の実刑判決。しつけと称した暴力、あおり、アザだらけの子供の写真。大阪地裁の裁判員裁判で、母親の信じがたい身勝手さが明らかにされた。
同居男は「パパ」「にい」

 事件では、母親の筒井麻衣被告と元交際相手の男A、その知人の男Bの3人が傷害致死などの罪で起訴された。 長男の筒井歩夢(あゆむ)ちゃんに致命傷となる暴力をふるったのはAとBだ。しかし男らは「(被告の)指示があった」と主張。「止めようとしていた」と訴える被告と真っ向から対立した。

 起訴内容を認めた男2人はすでに懲役10年が確定し、被告の裁判は単独で行われた。 事件の経緯を証言などから振り返ってみる。 歩夢ちゃんと、その弟をシングルマザーとして育てていた被告は、事件2カ月前の平成29年10月、出会い系アプリでAと知り合う。

 もともと仕事上のトラブルを抱えていたA。同僚であり、弟分のBとともに同年11月中旬、会社を辞めて被告宅に転がり込み、5人での同居が始まった。 Aを「パパ」、Bを「にい」と呼び、すぐになついた子供たち。Aも一緒におもちゃで遊んだり風呂に入れたりするなど世話を焼き、Bは食事づくりを担当した。「あのころは楽しかった」。証人として出廷したAは懐かしむように振り返った。
「しばいて。ウチのやり方や」 ただ虐待はすでに始まっていた。 Aによると、しつけと称して子供にたびたび暴力をふるっていたという被告。Aらに暴行を促すこともあったが、さすがに抵抗があり、この時は手を出さなかったという。 だが12月に入り、潮目が変わる。

483NAME:2021/08/12(木) 00:39:08
「しばいて。これがウチのやり方や」。これまで以上に強い態度で子供への暴行を促すようになった被告。Aらも、自宅に住まわせてもらっているという負い目があり、次第に暴力に及ぶようになった。 拳で腹や頭を殴る、かみつく、携帯電話を顔に振り下ろす。Aらによる暴行は次第にエスカレート。被告は「父親になるんやろ。甘やかすな」などとあおった。 さらに被告は暴行後、アザだらけの子供たちの写真を撮影。《こんなふうになってる笑》。こんなメッセージを付けて、LINEで知人に送信していた。 そして、12月24日の夜を迎えた。

 風呂上がりに体を拭いていなかったり、寝かけたりしたことを口実に、AやBから何度も腹を殴られた歩夢ちゃん。何度も吐き、ぐったりとした状態で小さな声を上げた。 「ママ、気持ちが悪い」 「お茶が飲みたい」 明らかに異常な状態だった。それでも被告らは「大丈夫」と判断し、お茶は飲ませたものの、救急車を呼んだり病院に運んだりすることなく放置。25日未明、冷たくなっていることに気付いた。

「早く病院にかかっていれば助かった」

 被告の公判は、AやBとの間に暴行の共謀があったかどうかが争点。検察側と弁護側の双方が主張をぶつけた。 「Aたちの暴力のきっかけをつくり、助長させたのは被告自身。言うことを聞かせるためという動機も身勝手極まりなく、責任は相応に重い」と検察側。被告にAらを上回る懲役13年を求刑した。 一方、被告は「けがをするほどの暴力をしてほしいとは思っていなかった」とし、Aらが怖くて止められなかったと主張。無罪を訴えた。LINEを知人に送った心境などは「よく覚えていない」と繰り返した。

 2月12日の判決公判で、大阪地裁は懲役9年を言い渡した。大寄淳裁判長は「被告の『しばいて』などの言動がAらの暴行のきっかけとなり助長もさせた」と共謀を認定。被告自身の暴力が致命傷につながったとは評価できないとしつつも、LINEのやりとりなどを挙げて「傷ついた子供を助けることなく、むしろ笑いものにする態度で暴力を容認し続け、死という結果を招いた」と厳しく非難した。

公判で、司法解剖を担当した医師はこう証言した。「これだけ多数のアザがある子供は見たことがない」。その一方で「早く医療機関にかかっていれば命は助かった」とも述べ、救命の可能性があったことを示唆した。 法廷では常にマスク姿で、実刑判決にも表情をあらわにしなかった被告。医師の言葉は彼女にどう響いたのだろうか。

484NAME:2021/08/17(火) 22:10:45
送迎バス5歳児死亡
「こんなずさんな保育…あり得ない」祖母が胸中語る 送迎バスに約9時間 取り残され死亡した5歳男児…園長の説明は【福岡発】
https://www.fnn.jp/articles/-/218698

最高気温33度超の中…約9時間後に発見
冬生ちゃん発見の経緯は、あり得ないことだった。

冬生ちゃんの祖母:(娘が)保育園のバスを迎えるため、夕方の5時10分に玄関に立っていたら、そこで保育園の先生が「冬生ちゃんは今日、保育園に来てないです」と。娘は「朝、園長先生の運転するバスに冬生を預けました」と。それから慌てたようで、行きと帰りのバスが違う

当日の朝、午前8時ごろ、40代の女性園長が運転する迎えの車に乗った冬生ちゃん。その30分後、車は園に到着している。
それから約9時間後、母親からの指摘で園の職員がバスの中を調べたところ、意識のない冬生ちゃんが見つかった。この日、北九州市エリアの最高気温は33.1度だった。

冬生ちゃんの祖母:こんなずさんな保育。夕方まで気付かないなんてあり得ない。なんで孫を最後まで見にいかなかったのか、バスの中を(乗っていた園児は)たった3人と聞いている。大人でも熱中症で死ぬような、うだるような暑さ。5歳の子どもが、あのマイクロバスの中に人目もつかないような暗い駐車場に停められて…。ただ一言、園長先生は「ごめんね」って

「降りたと思っていた」女性園長の説明は…警察の調べに対し、女性園長は「降りたと思っていた。自分が車の鍵をかけた」と話しているという。また、園が31日の夜に開いた保護者説明会で、園長らは「泣いている子に気を取られて気づかなかった」などと説明したという。

485NAME:2021/09/12(日) 22:12:00
【RIZIN】クレベルが朝倉未来に「諦めないで続けて。また将来もう一度、リングの上で向かい合いましょう」
6/18(金) 23:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d575f06e5843d680daf1c82948dc3135ab0c253e

2021年6月13日『RIZIN.28』東京ドーム大会のメインイベントで、朝倉未来(トライフォース赤坂)に2R、三角絞めで一本勝ちしたクレベル・コイケ(ボンサイ柔術)が、自身のYouTubeチャンネルを開始。一時は引退を示唆した朝倉に「諦めないで続けてください」と現役続行を希望し、「また将来、もう一度、最高の舞台でリングの上で向かい合いましょう」と再戦を呼びかけた。6月18日夜に「はい、みんな、こんにちは。私、コイケ・クレベルです。これからYouTube始めるよ」と、予告篇に続く第1回をアップしたクレベル。

「朝倉のこと話したい。でもまだ日本語上手じゃない。とりあえずポルトガル語で(話します)。通訳入れるから心配しないで」と、ポルトガル語で、東京ドームのメインで戦った朝倉未来について、語り始めた。「まず最初に、この東京ドームのメインイベントでの戦いに、私を選んでチャンスを与えてくれたことに感謝します」と、朝倉に感謝の言葉を述べたクレベル。 その理由について、「おそらくこれは私たちファイターにとって非常に重要なことで、日本のMMA(総合格闘技)にもう一度、パワーが戻ってきて、長い期間、私たち格闘家が“シンブン”の一面を飾るようなことはありませんでした。私たちの試合が新聞の表紙を飾り、この試合がいかに大変なことだったのかが分かりました」と、世間的にも大きな反響を呼んだことを挙げた。 そして、その反響が自身の力ではなく、YouTuberとして、幅広い世代から支持を得ている朝倉との試合だったからこそ、注目を浴びたとした。

「これはすべて朝倉未来選手のおかげだと思っています。なぜならあなたは日本の格闘技界に革命を起こしました。あなたはSNS、YouTubeなどを駆使し、日本のMMAの人気をトップに押し上げました。あなたたち朝倉兄弟の仕事により、子供から大人まで一般の人が格闘技に興味を持つようになり、日本のMMAのエネルギーが戻ってきたことを感じました。あらためて、未来選手の仕事に感謝しています」 その上で、クレベルは試合後の会見で引退を示唆した朝倉に対し、敗戦の厳しさへの共感と、その敗戦が自身を強くしてきたこと。引退せずにファイターを継続することで、再び拳を交える機会があることを語った。

「朝倉選手の引退について、私は試合に負けた時がいかに辛いかを経験上、よく知っています。私はそれを何度も経験し、ファイターの人生とはまさにこれのことで、勝つ日もあれば負ける日もあり、それがファイターの日常です。しかし、諦めないで続けてください。そして、私たちはこれからも戦い続け、また将来、もう一度、最高の舞台でリングの上で向かい合いましょう。 未来選手、あなたに送りたいメッセージは、さらに仕事を続けてください。勝利した時よりも負けた時の方が大きく成長することを私はよく知っています。私は敗戦の味がいかに苦いかをよく知っています。しかし、私たちはさらに仕事を続けましょう」

487NAME:2021/09/12(日) 22:16:18
 朝倉未来は、試合4日後の17日に、「YouTubeを辞めて格闘技だけをやればいいってのは当事者じゃないから言える綺麗事。社長として人生を変えてしまった仲間を守っていく責任もある。メンバーは辞めてもいいと言うけど、その選択はないし、この環境で俺は復活する」と、引退を撤回。 翌19日には、「俺は負けない事に必死になりすぎていた。あと何試合出来るかわからないけど、また負けるかもしれないけど、次からは勝ちに行く」と、クレベルの寝技を警戒するあまりに、自身の持ち味である打撃で最後の詰めを躊躇し、KOのチャンスを逸したことを反省点に、再起を誓っている。

試合では、スタンドで優位に立つ朝倉が、クレベルの組み・引き込みを断ち切り、消耗を誘いながら打撃をヒットし始めていた。そんななか、2Rに朝倉の右目を大きく腫らせたクレベルのコーナー際でのヒジ打ちは、クレベル陣営の鈴木博昭が授けた作戦だった。 クレベルにどうしてもテイクダウンされたくない朝倉は、相手の脇を差し上げるために腕を下に置くことになる。その顔面が空く瞬間をクレベルはヒジ打ちを狙っていた。

 伸びきるような打撃。上体は浮くが、たとえ相手に組まれても引き込めばいい。朝倉としては、その引き込みが効力を発揮しにくい、コーナー下に落とすことで、下からの動きを制限するつもりだったが、その少ないスペースのなかで、前に出してきた腕をクレベルは巧みに逃さず三角絞めへ。予告通り、1回の相手のミスを勝利に繋げた。 すべてが高いレベルで出来た上で、突出した武器を持つのが現代MMAのトップレベルだ。その意味では組みに不安を持つ朝倉と、スタンドとレスリングに難があるクレベルの両者ともに、ウェルラウンダー同士の戦いではなかった。その得意な部分と苦手な部分での競り合いの勝負で、クレベルの殺傷力が上回ったと言える。

「おそらく私たちの戦いは長い格闘技の歴史に語り継がれていくでしょう。私からのお願いは、様々な人のモチベーションのためにも、朝倉選手に顔を上げてもらい、仕事を続け、戦い続けてほしいということです」と、クレベルは激闘を越えた盟友に語る。 そして、心身ともに追い込まれたがゆえの失神した相手への咆哮は、「いろいろな人から、試合で朝倉選手を極めた直後に何を言ったのか聞かれます。実際の話、あなたとの熱い戦いでアドレナリンが出ていて、熱くなってしまって何を言ったのか覚えていなくて、でもあなたの気分を害するつもりは全くなく、もし変なことを言ってしまっていたとしたら、朝倉選手に申し訳なく思います」と謝罪した。

 続けて「私がしたいのは、チャンピオンになるため、ファイターとしての仕事をするという、ただそれだけです」と、あらためてRIZINフェザー級のベルトへの想いを語った。 チャンピオンベルトを持つ斎藤裕もヴガール・ケラモフとの激闘を制し、「年内にクレベル選手と防衛戦をやりましょう」と語っているため、次戦はいよいよタイトルマッチとなるか。 週1回くらいでファイターとしての日常やトレーニング風景などを投稿していく、というクレベルの今後にも注目だ。

488NAME:2021/09/12(日) 22:27:19
「ヌルヌル事件」秋山成勲が15年越しの謝罪 クリーム使用は故意「何も言い訳できません」
9/2(木) 20:14配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae9f3c09805529473611e10e4a21c369d98811be

格闘家の秋山成勲(よしひろ)選手が、親交の深い元プロ野球選手・清原和博さんのYouTubeチャンネルで公開された動画に出演し、15年前の「ヌルヌル事件」について振り返った。 ヌルヌル事件とは、2006年大晦日に行われた「K-1Dynamite!! 」における桜庭和志選手との戦いで、禁止されていたボディクリームを全身に塗って臨んだとして無期限出場停止処分を受けた問題のこと。今回の動画で秋山選手は、当時の騒動を振り返り「自分が100%悪かった」と謝罪した。

■不正の認識が「頭の片隅にあったのは事実」

 「秋山全ての真実を話す」と題して2021年9月1日に公開された動画で秋山選手は、15年前の桜庭戦でルール違反を犯したことの真意を、当時試合のセコンドに付いていた清原さん含むかつてのチームメイトや、家族にも話せていないと明かした。
 清原さんは「あくまでもアキが故意じゃないと。そういうつもりはなかったとしても、100%のうち1%は(故意だという気持ちが)ひょっとしたらあったんちゃうかな。(総合格闘家として)相手を掴めないということがどれだけのことか想像できると思うので」と推察し、「潔く謝ったほうがいい」と促した。

 すると秋山選手は「1%でも、2%でも、10%でも、まず、もしかしたら(試合が有利になるのではないか)というのは、自分の頭の片隅にあったのは事実です」と言い、「そのことがこういう大きなことを招いて、ずっと清原さんに対しても、仲間に対しても、桜庭さん、桜庭さんのファンに対しても、ずっと申し訳ない気持ちで生きていた」と懺悔した。

「かっこ悪いことを人に言うってことができなかった」

 この問題について約15年間口を閉ざしていた理由を、秋山選手は、「30そこそこでまだまだガキで、総合格闘技始めたばっかりで、もっと有名になりたくてっていう変な気持ちがあって、そういうかっこ悪いことを人に言うってことができなかったんですよね」と説明する。 そして秋山選手は、「2006年の『1Dynamite!! 』の大晦日の試合で、桜庭選手に対して自分が100%悪かったです。もう何も言い訳ができません」

と改めて自らの非を認め、謝罪した。2人の会談に同席していた演出家のマッコイ斉藤氏が「それは故意、有利に働くって思ったってことですよね?」と確認すると、秋山選手は「はい」と小さく頷いていた。

489NAME:2021/09/29(水) 00:49:11
「コロナで死ななくても経済で死ぬ国」を何とかしろ、これが新しい自民党総裁の最大使命だ
藤田和恵 2021/09/28 06:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%aa%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%a6%e3%82%82%e7%b5%8c%e6%b8%88%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e5%9b%bd-%e3%82%92%e4%bd%95%e3%81%a8%e3%81%8b%e3%81%97%e3%82%8d-%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%8c%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e8%87%aa%e6%b0%91%e5%85%9a%e7%b7%8f%e8%a3%81%e3%81%ae%e6%9c%80%e5%a4%a7%e4%bd%bf%e5%91%bd%e3%81%a0/ar-AAOSIGT

自民党総裁選挙がいよいよ明日に迫った。今回総裁に選ばれる人こそが、日本の国民生活を救う最後のチャンスを握っている――。こう指摘するのは、ジャーナリストの藤田和恵氏だ。コロナ禍の貧困支援の現場を長期密着取材し、新著『ハザードランプを探して 黙殺されるコロナ禍の闇を追う』(扶桑社)として出版した藤田氏が、新たに自民党総裁になる人が知るべき「日本の貧困」について緊急寄稿した。

「コロナで死ぬか、経済で死ぬか」を総裁選候補者は忘れていないか

「コロナで死ぬか、経済で死ぬか」――。この言葉は、新型コロナウイルスの感染拡大が本格化した昨春に盛んに使われた。緊急事態宣言による経済活動の停滞で、失業したり給与が激減したりする人が相次いだからだ。現在でも、新型コロナへの感染は免れたが、困窮してにっちもさっちもいかない人はいくらでもいる。にもかかわらずこの問題は、自民党総裁選の各候補者の政策論議の中では主要なテーマになっていない。 足元における格差と貧困の問題は、かつてなく深刻化している。その現実を筆者はコロナ禍以降、生活困窮者の支援に取り組む民間ネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」の取材を続ける中で直視してきた。

 中でも、民間団体が新宿や池袋などで続けている炊き出しに足を運ぶと、新型コロナウイルス感染拡大の前後で、明らかな変化があることに気づく。若者や女性、外国人が増えたのだ。 それまではホームレスの中高年男性が中心だった。ところが、コロナ禍以降は、身なりも比較的こざっぱりとした、もっと言えば、渋谷や新宿をそのまま歩いていても違和感のない人たちが、列の先頭近くに並ぶ姿が珍しくなくなった。最近までかろうじて仕事も、住まいもあった人たちが、明日食べるものに事欠く状態にまで追い詰められていることがうかがえる。

 コロナ禍の貧困取材の感想を一言で表すなら「明日はわが身の空恐ろしさ」と言っていい。中でも筆者が衝撃を受けたのは、寮付き派遣の仕事などに就いてきた20代の男性が支援団体に寄せたSOSのメールだった。 「神奈川のほうから仕事を探しながら東京まで歩いてきました。基本、野宿です。あちこちをさまよい、面接の前の日だけ漫画喫茶でシャワーだけ借りて、身だしなみを整えていましたが、住まいもなく、携帯の通話機能も止まってしまったのでどこも雇ってくれるところがありません。労働意欲もさまざまな資格もあるのに就職活動に必要な履歴書や証明写真を買うお金すらなくなってしまいました。もう1週間何も食べず、水道の水だけの生活が続いています。どうか助けてください……」

490NAME:2021/09/29(水) 00:49:57
コロナ禍で仕事ばかりか住まいも失う人たち

 この男性はもともと大手自動車メーカー系列の工場で働く期間工だった。期間工を雇い止めにされた後は、派遣契約に切り替えられ、会社が用意した寮に住むことになった。派遣労働者になったことで年収は350万円から270万円にダウン。その間、フォークリフトやクレーン運転士などの資格を取ったが、待遇は変わらなかったという。 その後、居酒屋の店長に転身したものの、実態は個人事業主の名ばかり店長。住まいがないので店舗内に住み込んで働き詰めに働いたが、毎月手元に残るのは5万円ほどだった。その店舗もコロナウイルスの感染拡大の影響で閉店。ホームレスとなった男性は日雇い派遣などをして食いつないだものの、ついに所持金が付き、支援団体にメールを送ったのだ。「どうか助けてください……」と。 コロナ禍において生活困窮に陥った人の多くは、低賃金で不安定雇用の非正規労働や、本来なら労働契約を結ぶべき「名ばかり個人事業主」である。中でも、寮付き派遣は雇い止めと同時に住まいも失い、即路上生活になるリスクのある究極の不安定雇用である。寮付き派遣はリーマンショックのときにも社会問題となったが、この間、なんら対策が取られないどころか、性別問わず、幅広い年齢層に広がっていることが明らかになった。

 仕事も住まいも失い、頼れる家族も蓄えもないとなると、通常は生活保護を申請することになる。菅義偉首相は生活困窮者に対する対策として「最終的には生活保護という手段がある」という旨の発言をした。 しかし、生活保護は必ずしも有効な救済手段とはなっていない。生活保護への忌避感は、想像を上回る根深さなのだ。筆者の取材では、支援団体にSOSを発する人たちの2人に1人が生活保護の申請に二の足を踏んでいた。

捨てられたキャベツの葉を食べてでも「生活保護は嫌」

 例えばある60代の女性はすでに自宅の電気もガスも止められた状態で、スーパーに捨てられているキャベツの外葉やブロッコリーの葉っぱを食べて飢えをしのいでいる状態だった。それでも、「役所とはお近づきになりたくない」と生活保護の申請を拒んだ。 コロナ感染を理由に、勤めていたホテルを解雇された30代の男性は、家賃滞納でシェアハウスを追い出されそうになってもなお「生活保護を受けていることを知られたくない」と利用を諦めた。 寮付きの飲食店を雇い止めされた後、ネットカフェ暮らしをしながら警備員をしていた40代の女性は生活保護の利用をためらううちに体調が悪化。支援団体に助けを求めたときには乳がんと診断され、即入院が必要な状態だった。

491NAME:2021/09/29(水) 00:50:30
 菅首相が言う「最終手段」は、現実には言うほど簡単なことではないのだ。背景には、長年にわたって世間が「生活保護を受けることは恥ずかしいこと」「不正受給がまん延している」という誤った価値観を垂れ流してきたことがある。 メディアにもネット世論にも責任の一端はあるが、看過できないのは、一部の政治家も「生活保護は働けるのに働かない人を生み出す」「弱者のふりをして少しでも得をしようとしている人がいる」といった生活保護バッシングを繰り返してきたことだ。こうした発言のせいで、ぎりぎりまで追い詰められながらも生活保護の利用をためらう人たちがいる。身に覚えのある政治家は今からでも自身の振る舞いを振り返るべきだ。

 コロナ禍の貧困取材を続ける中で、もうひとつ驚いたのが「住まいの貧困」である。 ある30代の女性は東京・新宿の一角にある単身者用のワンルームマンションから支援を求めてきた。筆者が足を運んでみると、その部屋には2段ベッドが4つ設置され、見知らぬ男女8人が寝起きをしていた。脱法ドミトリーである。ネットの予約サイトで見つけたという。 ネットカフェや脱法ハウスが住まい代わりになっていることは、すでに社会問題になっている。それに加え、上述のような脱法ドミトリーや、1泊1000円ほどのバックパッカー向けのゲストハウス、あるいは店舗に住み込んでいる、知人の家を転々としているなど、コロナ禍のSOSは賃貸アパート以外の場所から発せられるケースが少なくなかった。特に若い人たちの間で賃貸アパートが「高嶺の花」になっているのだ。

コロナ禍で見える化された貧困に次の総裁はちゃんと向き合うか

 格差と貧困の問題に対しては時に「そのような働き方を選んだ本人の責任」「貯金をしないのがいけない」「家賃が高いなら地方に住めばよい」といった意見もある。家族や友人の間の話なら、百歩譲ってそれもありだろう。しかし、政治家の使命は違うはずだ。 寮付き派遣のような大勢の路上生活者を生み出しかねない働き方には、いい加減なんらかの歯止めをかける時期だ。また、賃貸アパートくらい借りられるだけの賃金水準の雇用、もしくは低賃金でも入居できる家賃の住宅は、政治が責任を持って創出、供給するべきではないか。 不安定雇用で日本経済を支えてきた人たちがいざ生活保護を利用しようとしたら、貧困ビジネスの温床のような「無料低額宿泊所」に放り込まれるようなおかしなローカルルールがまかり通っている現状についてもすぐに改善してほしい。

 不安定な働き方、生活保護への忌避感、住まいの貧困――。コロナ禍の取材で目の当たりにしたのは、それまで政治が存在しないものとみなしてきたさまざまな問題がせきを切ったようにあふれ出す光景だった。一方で、現場の支援者らからはたびたび「これらはコロナ禍に始まったことではない」という指摘も耳にした。

 これらの問題はコロナ禍の前から長年にわたって社会をむしばみ続けてきた。日本社会の底はとっくに抜けていたというわけだ。私たちが見たいものだけを見て、聞きたい言葉だけを聞いているうちに、この社会は取り返しのつかないところまで壊れてしまっていたのかもしれない。 見方を変えれば、このたびのコロナ禍はさまざまな問題をあらためて可視化したともいえる。自民党総裁選で誰が選ばれるにしても、せっかく可視化されたさまざまな問題をまたしても見たくないものとして放置するのか。それとも今度こそ正面から向き合うのか。日本社会が沈没しないための政策を打ち出せるかどうか、おそらくこれが最後の機会になるだろう。

492NAME:2021/10/29(金) 19:00:22
鈴木涼美氏 渡部不倫「遊びの女と奥さんは違う生物」「人間扱いしないと女も…」
2020.06.14
https://www.daily.co.jp/gossip/2020/06/14/0013423147.shtml

作家の鈴木涼美氏が14日、TBS「サンデー・ジャポン」に出演。アンジャッシュ・渡部建が複数女性と不倫関係にあった問題について、「女性を責める気持ちも分かりますけど、ただこの場合はA子さんがいなくても、C子さんがいなくても、たぶん同じ遊び方してたと思う」と指摘した。

 「この人さえいなければのパターンではないかな。結婚しても遊びが終わらない人はけっこういて、驚くほど罪悪感がない」と分析した。

 「私は若い頃、わりと素行が悪かったんで、こういう人が遊んでいるような場にいたんですけど」とした上で、「遊びの女の子と奥さんは全然違う生物だと思ってるから、あんまり人間扱いしないというか、奥さんのほうにもあんまり罪悪感ない」と指摘。「人間扱いされないと、やっぱり女も人間だし、正しい行いはしてくれない。バラされてもしょうがない」と語った。

493NAME:2021/12/02(木) 06:31:27
「息子はね、玄関で亡くなりました」中年ひきこもりの息子を支えた"母親の後悔"
NHKスペシャル取材班
2021/11/30 11:15
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%af%e3%81%ad-%e7%8e%84%e9%96%a2%e3%81%a7%e4%ba%a1%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f-%e4%b8%ad%e5%b9%b4%e3%81%b2%e3%81%8d%e3%81%93%e3%82%82%e3%82%8a%e3%81%ae%e6%81%af%e5%ad%90%e3%82%92%e6%94%af%e3%81%88%e3%81%9f-%e6%af%8d%e8%a6%aa%e3%81%ae%e5%be%8c%e6%82%94/ar-AARhmdf

家族が自室にひきこもり、行政などの支援を頑なに拒んでしまう場合、どうすればいいのか。NHKスペシャル取材班の著書『NHKスペシャル ルポ 中高年ひきこもり 親亡き後の現実』(宝島社新書)より、亡くなる直前までひきこもりの息子を支え続けた母親のエピソードを紹介しよう――。(第2回)

「息子はね、ここで亡くなりました」 岐阜県美濃加茂市。ダムへと続く山間の細い道を上っていくと、古い平屋の一軒家があった。道沿いには数軒の民家が並んでいたが、ほとんど車の往来もない。とても静かな場所で、聞こえてくる音といえば、民家の裏手を流れる小川のせせらぎや、鳥のさえずりくらいだった。

ここで「ひきこもり」の息子と二人で暮らしていたかと思うと、その孤独は想像するにかたくない。築40年になるという木造住宅の軒先には物干しがあり、男性ものとおぼしきトレーナーが3枚、風に揺られていた。 

まったく人気(ひとけ)はないのだが、玄関越しに声をかけてみる。 「ごめんくださーい。いらっしゃいますか?」 するとまもなく、背中の丸まった小柄な女性が出てきてくれた。

「あらま、どうしたん?」 息子を看取った実母、美濃羽(みのわ)千枝子さんだった。75歳の千枝子さんは、自宅を訪問した私を、不思議そうな顔で見つめていた。聞けば、人が訪ねてきたのは1週間ぶりだという。自己紹介とともに取材の趣旨を伝えると、ニコッと優しい笑顔をつくり、「そうか、んじゃ入ってよ」と淡々とした口調で自宅に招き入れてくれた。 そして、私が足を踏み入れた途端、驚くことを口にした。

「息子はね、ここで亡くなりました」 「えっ!? ここですか?」 思わず、聞き返してしまった。「ここ」とは玄関である。千枝子さんが、ぼそっとつぶやいた。 「もう、ここしか仕方がなかったもんで……」 諦めとも後悔ともつかない、複雑な感情が入り交じった言葉だった。私は息子さんが息を引き取った場所で手を合わせ、お宅に上がらせてもらった。

494NAME:2021/12/02(木) 06:31:48
医療を受けることを頑なに拒否し続けた息子 

玄関を入って左手の和室に、手作りの「仏壇」が見えた。膝丈ほどの小さな机の上に青い風呂敷がかけられている。位牌やりん、香炉が揃えられ、毎朝用意しているとわかる「お供え膳」が据えられていた。写真も飾られている。遠目から息子さんだろうと察しがついた。 2019年8月、千枝子さんは息子の治(おさむ)さんを亡くした。治さんは、49歳だった。30年近くにわたって自宅にひきこもっていたという。御線香をあげさせてほしいと頼み、6畳ほどの和室に入ろうとしたところで、千枝子さんの声が飛んできた。 「あー、アカンて!!」 私の足下を指さしていた。驚いて視線を下ろすと、畳1畳分ほどのスペースにタオルが敷かれている。 「そこは治がずっと寝とったから、床が抜けてしまっとるでね」 和室の入口付近の畳が、腐って抜けているという。実は、治さんは晩年、がんを患っていた。だが、医療を受けることを頑なに拒否。千枝子さんは一人、この畳の部屋で治さんの看病を続けていたという。

病状が悪化していくと、体からがんの進行による腹水(ふくすい)が漏れ出し、たびたび布団と畳が水浸しになってしまった。その結果、床が抜け、今はタオルで応急処置をしていたのだ。 千枝子さんもただ傍観していたわけではない。治さんに医療を受けさせようと、何度もタクシーで病院の前まで連れていった。しかし、現地へ着いても治さんは決して車から降りようとしなかった。そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。

20歳のときにバイク事故を起こし足を切断

「一人の大人が嫌だと言えば、無理やり連れていくことはかなわない。どうしようもないよ」 畳1畳分をまたぎ、和室に入る。窓がないためか、まだ昼間なのに薄暗かった。天井からぶら下がる蛍光灯の紐を引っ張ると、仏壇に飾られた写真がはっきり見えた。振り向きざまに笑顔を見せる治さんの姿が写っている。

この畳の部屋にあぐらをかき、手にはゲーム機が握られていた。ただ、その遺影はとても若かった。「もうね、写真は、中学生のときが最後だよ。そのなかから、笑っているものを探したんだ」 御線香をあげ顔を上げると、千枝子さんがその写真を手に取り、懐かしそうに眺めていた。治さんは中学卒業後、ラーメン店や縫製工場で働いていた。生活が一変したのは、20歳のときだった。バイク事故を起こし、足を切断する大けがをした。事故以来、ふさぎ込むようになり、自室から出てこなくなったという。

「思うように動けなくなったことで希望がなくなったのかね……。本人の口からちゃんと理由は聞けんかったな」 千枝子さんは、ひきこもる息子の生活を変えられないかと、市役所や民生委員にたびたび相談していた。だが、心配して訪ねてくる人たちを、治さんは毎回追い返してしまったという。 「何しに来たんや、来んでいい、って怒鳴るやろ。すごいんよ、勢いが。それで、どうしようもなくて。何一つ、頼めなかった」 山奥まで足を運んでくれる支援員らに申し訳ない気持ちが募り、相談することを諦めた。

495NAME:2021/12/02(木) 06:33:24
「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ」

「やっぱりさ、人に話してもさ、どうしようもしてくれないよ。できない、できない。気の毒やねって言葉はかけるかもしれないけどさ。家のなかに入ってまで手助けしようなんて人はおらんよ」 他人に迷惑をかけるわけにはいかない。千枝子さんは、家のなかだけで問題を抱え込むようになっていった。そして、母親を追い詰めていった要因はこれだけではなかった。千枝子さんから「見てほしいものがある」と言われ、再び玄関に案内された。下駄箱脇に置かれた木製の棚だった。 千枝子さんは、「ほれ」と言って、棚にかけられていたクロスをめくる。驚いた。天板に大きな穴が一つ、空いている。 「こんなもん、叩いて割れるもんじゃないやろ。かーっとなって拳で、バーン。治の手も血だらけや。何度も話そうとしたよ。聞かないんよ。ホントに」

千枝子さん自身も、作業所で仕事をすることを勧めるなど、治さんの生活を変えられないかと説得を試みたという。だが、反発する息子との関係は日に日に悪化していった。時に治さんは暴力を振るいながら、社会とつながることを頑なに拒み続けた。 15年前に夫が病気で亡くなると、一層手がつけられなくなる。強い態度で接することはできなくなった。穴が空いていたのは、玄関前の棚だけではない。家の壁、そして治さんの部屋のドアもでこぼこだった。

「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ。怒ると怖くて、何も言い出せなくなってな。普段は優しいんだよ。だけど、生活をうんぬん言うと、もうだめなんだ」 千枝子さんは次第に、息子がいら立ちを爆発させ、いつか他人(ひと)様に迷惑をかけるのではないかと恐怖心を募らせていったという。

息子が亡くなってからも聞こえてくる「オイ」という呼び声

治さんから目を離せなくなり、趣味だった詩の会や町内会の集まりに参加することもなくなっていく。治さんのいた和室から、玄関を挟んで対面にある居間が、千枝子さんの定位置となった。年中出しっぱなしのこたつに座り、絵を描きながら、治さんの様子を見守った。 治さんは、用があると「オイ」と母を呼んだという。足が不自由だったことに加え、病気が進行すると、生活の多くを母に頼るようになった。千枝子さんは自分の時間を持てなくなったが、それも親としての務めだと話してくれた。

「やっぱり自分の子やからね。最期まで見ないと。誰も世話してくれない。そやけどな、いつかわかってくれるだろうと思っとったんだけどねぇ……」 夫が亡くなったことで、経済的にも苦しくなっていた。それでも、親としての責任を強く感じていた千枝子さんは、誰にも相談することなく、一人で背負い込んだ。千枝子さんは今も、一日のほとんどをこたつで過ごしている。もう習慣化していて、一番落ち着くそうだ。

ラジオを聞きながら、歌を歌ったり、体操をしたり。ただ、「オイ」という声は、ずっと耳に残り続けている。時々呼ばれた気がして、和室のほうを振り向くが、そこに治さんの姿がないことに慣れることができないという。 「ああ、自由になったんだなと思うよ」と言いながら、千枝子さんは、どこか寂しそうだった。

496NAME:2021/12/02(木) 06:34:02
カレンダーに書き込まれていた「死」の文字

そして、余生を楽しむ周囲と比べ、自分の人生は「みじめだった」と振り返った。ふと千枝子さんが寄りかかっている壁を見ると、カレンダーがかけられていることに気がついた。気になったのには理由がある。 地方の企業名が入った、なんの変哲もないカレンダーだが、1年前の8月のものだった。治さんが亡くなった月である。命日の欄をみると、「死」と書き込まれていた。「それね、捨てれんでね。治が亡くなる1カ月くらい前から、カレンダーにメモを取り始めたんよ。いよいよかなぁと思ったで」遡って見せてもらう。

7月22日 治の世話で大変7月23日 治の世話で汗びっしょり
7月24日 治の世話が大変。汗出た
7月25日 治の世話、汗かいた

ひと月近く、同じような書き込みが続いた末に、「死」とあった。 自宅で看病する覚悟を決めたものの、日に日に弱っていく治さんの世話は、高齢の親にとってかなりの負担だった。小柄な千枝子さんと息子の身長差は30センチ近くあった。治さんが歩くこともままならなくなると、千枝子さんの力では、ほとんど動かすことができなくなる。 最期の2カ月は、玄関に寝かせ、三和土(たたき)との段差を利用して、用を足させるしか方法がなかった。

「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」 医療にかかることを極端に嫌がった治さんは、最後の最後まで、救急車を呼ぶことすら認めなかった。「『救急車呼ばったらアカンで』って、受話器ちょっと持てば敏感に。音がすれば、『どこへかける』って言うもんで、これはもうアカンなと諦めた」

千枝子さんは、息子の息が絶えたことを確認してから助けを呼んだ。亡くなる間際、治さんは、とても優しい顔をしていたという。そして、消え入りそうな声で、こう言い残した。 「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」

治さん自身もまた、一人で思い悩んでいた。千枝子さんは、このとき初めて息子の心の内を知ることができたと振り返る。だが、二人の会話はこれが最後となった。治さんの死から1年。千枝子さんは、いまだに息子の遺骨を手元に置いている。お墓に入れる予定はないという。理由を尋ねると、それまで淡々と話していた千枝子さんが突然、嗚咽(おえつ)し始めた。 「子どもは子どもやもんな。できることなかったか。思い出されてねぇ」

千枝子さんは、息子の気持ちと向き合いきれなかった後悔を抱えながら、毎朝、手を合わせている。治さんは幼い頃、素直で運動神経がよく、自慢の息子だった。運動会では、いつも先頭を走っていた。その息子がなぜ変わってしまったのか。今も、千枝子さんにはその答えがわからない。 仏壇には遺骨とともに、治さんが遺した言葉を書き記したメモが置かれている。

497NAME:2021/12/21(火) 00:34:42
サッカー元日本代表中田英寿氏「誰が何をやっているのか知っていくことが一番大事」アスリート社会貢献活動表彰
報知新聞社
2021/12/20 21:39
https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb/%e3%82%b5%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e5%85%83%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%bb%a3%e8%a1%a8%e4%b8%ad%e7%94%b0%e8%8b%b1%e5%af%bf%e6%b0%8f%e3%80%8c%e8%aa%b0%e3%81%8c%e4%bd%95%e3%82%92%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%e7%9f%a5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e4%b8%80%e7%95%aa%e5%a4%a7%e4%ba%8b%e3%80%8d%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%88%e7%a4%be%e4%bc%9a%e8%b2%a2%e7%8c%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e8%a1%a8%e5%bd%b0/ar-AARZjef

社会貢献活動に取り組むアスリートを表彰する「HEROs AWARD 2021」が20日、日本財団によって都内で開かれ、プロジェクトの発起人でもある元サッカー日本代表の中田英寿氏が取材に応じた。

 今年で5回目となる表彰式。今年は、全国の離島球児を支援し続けてきた元ロッテ投手の村田兆治さん、東京五輪陸上女子100mハードル代表の寺田明日香、バスケットボールBリーグの千葉ジェッツが表彰された。会場には特別表彰された歌手のAIも駆けつけ、歌声を披露した。

 アスリートの社会貢献活動による社会課題解決は年々増え、競技以外でも活動の輪を広げている。先駆者であり、アンバサダーを務める中田氏も「広がりを感じている」と手応え。自身のヒーローについてたずねられると、「ヒーローはどこにでもいる。自分にできないことができる人は、みんなヒーロー」と語り、「誰が何をやっているのか知っていくことが一番大事」と力を込めた。

498NAME:2021/12/21(火) 00:36:54
白銀高輪 硫酸事件の被害者 被告とのトラブルと謎語る
FNNプライムオンライン
2021/12/20 20:51
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%99%bd%e9%8a%80%e9%ab%98%e8%bc%aa-%e7%a1%ab%e9%85%b8%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%ae%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85-%e8%a2%ab%e5%91%8a%e3%81%a8%e3%81%ae%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%96%e3%83%ab%e3%81%a8%e8%ac%8e%e8%aa%9e%e3%82%8b/ar-AARZpl8

東京・港区の地下鉄・白金高輪駅で、22歳の男性が硫酸をかけられ重傷を負った事件から、まもなく4カ月。 傷害などの罪で起訴された大学生の花森弘卓被告(25)との関係について、被害者の男性が語った。

花森被告の大学の後輩「腕とか肩のあたりの皮膚が腫れている部分というのは、なかなか治りがよくなくて、目の方も、視力が安定していない状態で」
同じ大学に通う先輩と後輩だった2人。 なぜ、後輩にあたる被害男性は、襲われたのだろうか。

2020年9月、花森被告から「家に泊まらせてくれないか」と、夜中にLINEが来たという。 花森被告の大学の後輩「卒論執筆の時期っていうのもあって、彼を泊めるつもりだったが、こういうふうに敬語を使え、敬えなど直接的に言われ」 事件のおよそ1カ月前には、直接「年下なのに態度が悪かった」などと告げられたという。

花森被告の大学の後輩「(犯行の)理由がいまいち、わからないままになっている。そこの理由を教えてもらえれば」、「(一番不安に思うことは?)もう1回、同じ目に遭うかもしれないっていう怖さです」 東京地検は、花森被告に対する鑑定留置を行っていたが、刑事責任能力に問題はないと判断したとみられている。

499NAME:2021/12/21(火) 01:04:51
ひろゆき氏、3回目ワクチン接種と交互接種を報告「最強の組み合わせを選んでみました」
報知新聞社
2021/12/20 11:11
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%81%b2%e3%82%8d%e3%82%86%e3%81%8d%e6%b0%8f%e3%80%81%ef%bc%93%e5%9b%9e%e7%9b%ae%e3%83%af%e3%82%af%e3%83%81%e3%83%b3%e6%8e%a5%e7%a8%ae%e3%81%a8%e4%ba%a4%e4%ba%92%e6%8e%a5%e7%a8%ae%e3%82%92%e5%a0%b1%e5%91%8a%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%bc%b7%e3%81%ae%e7%b5%84%e3%81%bf%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b%e3%82%92%e9%81%b8%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%bf%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-AARYzfb

「2ちゃんねる」開設者のひろゆきこと西村博之氏が自身のツイッターを更新。新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を受けたことを報告した。

 ひろゆき氏は、ファイザー製とモデルナ製の交互接種による抗体量の変化を示す画像を引用し、「そんなわけで、3回目の新型コロナワクチンを打ちました。一回目、二回目がファイザーで、三回目がモデルナという抗体量が31倍で、一番高くなる最強の組み合わせを選んでみました」と3回目のワクチン接種を受けたことを伝え、これまで接種したファイザー製でなくモデルナ製を選択したことも明かした。

ひろゆきが呆れる「子どもから絶対に奪ってはいけないもの」ワースト1
ひろゆき
2021/12/19 06:00
https://www.msn.com/ja-jp/money/career/%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%8C%E5%91%86%E3%82%8C%E3%82%8B-%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E3%81%AB%E5%A5%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%881/ar-AARWZsf?ocid=finance-verthp-feeds

著書『1%の努力』では、自身の「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語ったが、この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

大人になるにつれて持つもの

 考えが尖っていた人も、年齢を重ねると、丸くなっていきます。 子どもの頃は「つまらないな」と思っているものも、年を取れば、良さに気づきます。 たとえば、植物。子どもの頃に植物園に連れてこられても、何も感じないはずです。それよりも動物園や遊園地に行ったほうが楽しいですよね。家に花が飾ってあっても、おそらく何も感じなかったはずです。 映画や美術、建物でも、子どもの頃の視点と大人になってからの視点は異なります。 これを決定づけるのは、「経験」の有無なんですよね。

事実しか見れない子どもたち

 子どもには、「経験」が足りません。大人は、目の前で起こることを「経験」による記憶と結びつけて「意味」を感じることができます。 しかし、子どもは「経験」がないから「事実のまま」で受け取ります。 だから、「植物は動かない」「動物は動く」「花はつまらない」「遊具は楽しい」という、目の前の事実だけでしか楽しむことができないんですよね。 子どもの頃は虫を殺したり、動物をいじめたりしていたかもしれません。しかし、大人になるにつれて、それもできなくなります。

 なぜなら、多くの人の生き死にやペットとの体験など、「経験」が積み重なるからです。目の前にいる虫と「他の人の人生」や「自分の命」が重なって感じられるんですよね。それを「共感」と言います。

子どもには「経験」を与える

 子どもに身につけさせるべきもの。それは、「経験」を積ませて「共感」ができる大人にさせることです。 たとえば、紛争地であれば、大人の兵隊より少年兵のほうが残酷に人を殺せると言います。それは、先ほどのように「共感」に至るまでの「経験」が積まれていないからです。 逆に、大人は、相手と目が合ったり話をすることができると、その人に向かって銃を撃つことはできなくなります。

 ということで、子育てでやっておいたほうがいいことは、「経験」を積ませることです。無気力でやる気がないと言っても、少しでも興味を持ったことはやらせてみたり、それにお金を使うことです。まあ、我慢は我慢で必要なので、そのさじ加減こそが教育の醍醐味なのかもしませんけどね。
ひろゆき

本名:西村博之 1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、38万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。

500NAME:2021/12/29(水) 17:26:59
「娘の遺体は凍っていた」14歳少女がマイナス17℃の旭川で凍死 背景に上級生の凄惨イジメ《旭川市長が解決へ決意》
「文春オンライン」特集班
2021/12/29 17:10
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e5%a8%98%e3%81%ae%e9%81%ba%e4%bd%93%e3%81%af%e5%87%8d%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d14%e6%ad%b3%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%8c%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%82%b917%e2%84%83%e3%81%ae%e6%97%ad%e5%b7%9d%e3%81%a7%e5%87%8d%e6%ad%bb-%e8%83%8c%e6%99%af%e3%81%ab%e4%b8%8a%e7%b4%9a%e7%94%9f%e3%81%ae%e5%87%84%e6%83%a8%e3%82%a4%e3%82%b8%e3%83%a1%e3%80%8a%e6%97%ad%e5%b7%9d%e5%b8%82%e9%95%b7%e3%81%8c%e8%a7%a3%e6%b1%ba%e3%81%b8%e6%b1%ba%e6%84%8f%e3%80%8b/ar-AASe7fC

「文春オンラインの記事が辛すぎて、最初は最後まで読むことができませんでした。私も子どもたちに『学校でこの事件の話は出ているか』と聞いたりもしました。本当にあってはならない事件です」

 12月29日、旭川市の今津寛介市長は 文春オンラインの独占取材 にこう答え、「イジメ問題の真相究明」に尽力する姿勢を示した。

 今年3月に北海道旭川市内の公園で凍った状態で発見された当時中学2年生の廣瀬爽彩さん。文春オンラインではこれまで爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始したが、いまだ調査は道半ばだ。

 爽彩さんの身に何が起きたのか。真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する。(初出2021年4月15日、肩書き、年齢等は当時のまま)

〈皆様のご協力ありがとうございました。今日娘は残念な姿ではありますが見つかりました〉

 住宅街には1メートル近い積雪が残り、春の到来はまだ遠いと感じられる3月下旬の北海道・旭川市。わずかに解け始めた市内の公園の雪の中から、市内に住む中学2年生、廣瀬爽彩(さあや)さん(14)が、変わり果てた姿で見つかった。最愛の娘を亡くした母親は、自身のSNSで辛い胸の内を冒頭のように綴った。

※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

501NAME:2021/12/29(水) 18:58:22
後藤久美子の長男、父が大型爆竹を仕掛け警察沙汰の騒動を謝罪「ご心配をおかけしてすみません」
報知新聞社
2021/12/29 12:05
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e5%be%8c%e8%97%a4%e4%b9%85%e7%be%8e%e5%ad%90%e3%81%ae%e9%95%b7%e7%94%b7%e3%80%81%e7%88%b6%e3%81%8c%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e7%88%86%e7%ab%b9%e3%82%92%e4%bb%95%e6%8e%9b%e3%81%91%e8%ad%a6%e5%af%9f%e6%b2%99%e6%b1%b0%e3%81%ae%e9%a8%92%e5%8b%95%e3%82%92%e8%ac%9d%e7%bd%aa%e3%80%8c%e3%81%94%e5%bf%83%e9%85%8d%e3%82%92%e3%81%8a%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%99%e3%81%bf%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%80%8d/ar-AASdYvp

女優の後藤久美子、フランスの元F1レーサーのジャン・アレジ夫妻の長男でレーシングドライバーのジュリアーノ・アレジが29日までに自身のツイッターを更新。騒動を謝罪した。

 19日夜、ジャン・アレジがフランス南部のアビニョン近郊にある建築事務所の窓に大型の爆竹を仕掛け破壊した疑いで警察に一時拘束されたこと、一緒にいたジュリアーノも共犯の疑いで取り調べを受けたと報じられた。これについて22日にはジュリアーノの所属事務所が声明を発表。「ジュリアーノ・アレジが今回の件に関与していないことをお伝えさせていただきます」とジュリアーノの関与を否定。

 さらに、「今回の報道については事実と異なる点がございますのでご報告させていただきます。12月19日の夜、ジャン・アレジが妹の知人事務所に爆竹を置き、窓ガラスが破損しました。本人は翌日この件について謝罪に行く予定でしたが、それよりも先に警察が車の所有者である兄ジョゼ・アレジの会社を訪れ、この件を知らずに対応した兄のジョゼは話し合いの為、警察にむかいます。時を同じくしてジャン・アレジは事実を話す為、警察へ出頭し、調書を取られた後に解放されました。警察の調書では、『ジャン・アレジは後部座席に座っており、ジュリアーノと乗り合わせていた友人の若い2人と、妹の知人を驚かせるためにおこなった冗談だった』と結論付けられています。さらに報道にある逮捕、裁判等の事実はありません。また、相手は義兄ではなく、ジャン・アレジの妹の知人です。窓ガラスを破損させ迷惑をかけたことについて、ジャン・アレジ本人は猛省しており、本日アビニョンで関係者にお詫びの対応をしております。現在、ジュリアーノはジュネーブの自宅に戻り、クリスマスにはアビニョンにて家族全員と過ごし新年早々には日本へ帰国いたします。今回、皆様には多大なご迷惑ご心配をおかけし改めてお詫び申し上げます」と報告していた。

 ジュリアーノは27日に「この間はいつも応援してくれる皆さんにご心配をおかけしてすみませんでした!来年の初めには日本に戻る予定ですので、また応援よろしくお願いします!」また動画で「日本の皆さん、こんにちは。今回は、皆さんに心配かけてすいませんでした。僕は大丈夫です」などと話した。この投稿に励ましのコメントが付くと、「みなさん暖かいコメントありがとうございます!」と感謝した。

 また、29日までにインスタグラムには、自宅とみられる場所で料理をする自身の姿を妹のエレナが投稿したものをスクリーンショットした画像もストーリーズに掲載した。 アレジ氏は取り調べに「イタリアで買った花火を窓枠に仕掛けた。こんなことになると思ってもみなかった。悪い冗談だった」と供述していた。

502NAME:2021/12/29(水) 19:02:11
許さない 未解決事件のいま
(1)夫の執念、血痕残る現場を自費で保存 名古屋主婦殺害
2021/12/25 10:00
内田 優作
https://www.sankei.com/article/20211225-56ZBEHR6SBIVJCLGBYAJXXZS34/
事件の前月、東京ディズニーランドを訪れた高羽奈美子さん(左)、悟さん(右)、航平さん(高羽悟さん提供)

土曜日の昼間の住宅街。その姿はあまりにも異様だったはずだ。女は幼子の目の前で主婦を刺殺。血をしたたらせながら、約600メートル離れた公園まで逃げ、手洗い場で血を洗い落とした。そして忽然と消えた-。2000年代を目前にした平成11年11月、名古屋市西区のアパート一室で主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺され死亡した。夫の悟さん(65)さんは犯人の血痕や靴跡がくっきりと残る部屋を今も借り続け、容疑者逮捕の一報を待ち続けている。
理不尽に奪われ

「とにかく、幸せの絶頂のときに殺された…」。悟さんは振り返る。不動産会社の同僚だった奈美子さんと7年に結婚し、9年には長男の航平さん(24)も生まれた。だがありふれた幸せは理不尽に切り裂かれた。「平和な日々で恨みを買うことはない。うちの奈美子がそんなに悪いことをしたのか」

奈美子さんの死因は首を数カ所刺されたことによる失血死。事件当時、現場には当時2歳の航平さんもいたが被害に遭わず、物色された様子もなかった。凶器とみられる刃物はなかったが、玄関にはもみ合った際にけがをしたとみられる犯人の血痕と靴跡が残された。現場洗面所と近くの公園の手洗い場の2カ所に犯人が血を洗い流した痕跡もあった。

犯人が現場に残した血痕を見つめる高羽悟さん=15日(内田優作撮影)

愛知県警の捜査本部は、血液のDNA型などから犯人が当時40〜50代、身長約160センチで血液型B型の女と断定。奈美子さん、悟さんの知人の線から、面識のない不審者にまで捜査を広げたが、未解決のままだ。

好材料がないわけではない。悟さんのメディアへの積極的な発信や報奨金指定を背景に、平成16、17年に0件に落ち込んでいた情報提供が増加。今年に入っても捜査本部に110件の情報が寄せられた。

遺族に重い負担

「遺族に捜査はできないが、警察へ情報が行くように責任を果たしたい」。悟さんは今も現場の部屋を借り続ける。遺族による「現場保存」だ。真相解明への希望をつなぐのは、玄関の血痕のDNA型。ビニールシートをめくると、靴のサイズ表示まで鮮やかな、黒く変色した犯人の血痕がしみ込んでいた。

現場に残された犯人の靴跡=15日(内田優作撮影)

それでも、最近は全てを片付ける選択もちらつく。以前よりも下がったが月に5万円の家賃負担は軽くない。「年金生活で収入は限られている。片付けるとしたら25年とか30年の節目になるのかな」。料理が得意だった奈美子さんの愛用したレシピの本を前に「退去するときは、一つ一つの物から『奈美子が大事にしていた』などと考えてしまうから、業者に任せるつもりなんです」とつぶやいた。

大切な人を奪われた後も、遺族が重荷を背負わなければならない現実がある。現場アパートの支払い総額は先月、2千万円を超えた。25年から殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」代表幹事を務める悟さんは、殺人事件加害者が民事裁判で命じられた損害賠償を国が代執行する制度の導入を訴える。「犯罪はなくせるわけがない。犯罪のない社会ではなく、起こっても安心して暮らせる社会ににすべきだ。遺族の生活が悪い方向へ行くことはあってはいけない」

22年の歳月流れ

深い霧の中に女は消えたまま、22年の歳月が流れ遺族の時間も動いた。悟さんは介護のためサラリーマンをリタイア、航平さんは昨春に就職して実家を巣立った。先月、航平さんの独立などを機に、事件以来「子供の成長を見られる」と仏壇に安置していた奈美子さんの遺骨を悟さんの父が眠る墓に納骨した。

情報提供を呼び掛けるビラを配る夫の悟さん(右)と長男の航平さん=平成21年11月

「事件で僕と航平の人生が暗くなるのを、奈美子はもっともいやがると思うんです。だから家族を失ったことは悲しいが、亡くなった人の分まで充実した人生を送らないと供養にならない」。悟さんの左手に指輪がきらりと光った。(内田優作)

名古屋市西区主婦殺害事件 平成11年11月13日午後2時半ごろ、名古屋市西区のアパートで住人の主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺されて死亡しているのが発見された。犯人は現在60〜70代の女とみられる。昨年から300万円の特別報奨金も指定し、17人の専従捜査員が犯人を追う。情報は愛知県警西署捜査本部(052・531・0110)

コロナ禍に終始した令和3年も社会を震撼させた事件が相次いだ。凶悪事件の解決率は向上したものの長期未解決の事件も残る。許してはならない未解決事件の現場から報告する。

503NAME:2021/12/29(水) 19:22:09
台湾ニュース拾い読み 
不倫に買春…台湾スター王力宏の妻が悲痛の5000字モラハラ告発「私はただの子産み道具だった」 
2021.12.24
https://courrier.jp/columns/272293/

中華圏のポップ・ミュージック界に君臨する王力宏(ワン・リーホン、45)の妻がSNSで発表した5000字のダンナ告発文がセンセーションを巻き起こしている。中国の女子テニス選手、彭帥(ポン・シュアイ、35)が11月、高官に性的関係を強要されことを綴った1600字に続く女性の長文告発に、男性たちは恐れおののいている。

絵に描いたような幸せファミリー

1976年米ニューヨーク出身の王力宏は、台湾出身の両親を持つ移民2世だ。米名門音楽大学バークリーで学び、ピアノやヴァイオリンの高い演奏スキルを体得する。19歳で台湾歌手デビューし、当初は180cmの長身と甘いルックスでアイドル的人気を博した。 2003年には日本進出。これまで17枚のスタジオアルバムをリリースし、俳優としても20本以上の映画に出演。YOU、hyde、GACKT、藤原紀香、千原兄弟らとも共演し、日本でも比較的知名度の高い中華スターだ。

女性と浮いたうわさのなかった王力宏は2013年11月に突然、日台ハーフで米プリンストン大学卒業後、投資銀行のJPモルガン・チェースで働き、米コロンビア大学で経営学修士(MBA)号を取得した才媛、李靚蕾(リー・ジンレイ、35)と入籍したことを公表する。 夫妻は翌2014年に長女・王嘉莉(ワン・ジアリィ)、2016年に次女・王嘉娜(ワン・ジアナァ)、2018年には長男・王嘉耀(ワン・ジアヤオ)をもうけ、絵に描いたような幸せファミリーの代名詞としてメディアでもてはやされた。 ところが、2019年からたびたび、夫妻の不仲説や別居説が伝えられるようになり、2015年12月15日、王力宏はフェイスブックに「将来に対し異なる考えと計画があり、妻と別れることを決めた」と記して、李靚蕾と離婚調停中であることを発表。 一方の李靚蕾は12月17日未明、インスタグラムで、王力宏の不誠実な態度と乱れた性関係、王家の人々から受けた精神的な虐待を赤裸々に綴った5000字の長文告発を発表。芸能界きっての品行方正な優等生として知られる王力宏のイメージを一気に失墜させた。

結婚後もセフレやセックスワーカーと乱倫づくし

王力宏の乱れたセックスライフについては特に手厳しく、詳細に書き記している。 16歳で王力宏と知り合い26歳で再会、結婚した李靚蕾だが、結婚前の王力宏は交際相手がいるにもかかわらず、深夜に李靚蕾の家へ押しかけて肉体関係を求めたり、正式に交際開始した後も複数の女性と並行して付き合ったりし、結婚後も「多くの都市」にセフレがいることを知って愕然としたという。 「あなたはどこかの女を私たちの自宅にお持ち帰りするところやセックスワーカーを買ったところも防犯カメラで記録されている。女はマンションのエントランスでインターフォンにフロアと部屋番号、住民名をはっきり言って、エレベーターを降りたら左折し、まっすぐ私たちの部屋に入った。防犯カメラの映像はあなたも事実と認めている」と生々しい。 「あなたは私からの電話をずっと無視し、セフレたちと一晩中飲み明かし、おっぱい画像を撮り、ベロチュー自撮りをしまくっていた」「誕生日に全裸画像を送られてウハウハしていた」「私が妊娠中で間もなく臨月という時期、ダンスインストラクターの“友達”は、“キミと奥さんが自宅で仲良くしていることを思うと非常に傷つく”、との意味深メッセージをあなたに送っている」「あなたは買ったセックスワーカーのさまざまな特徴を記録していることも知っている」「セフレの一人は、われわれにとても近い、あなたの所属事務所スタッフと気付いた」 ……李靚蕾は容赦なく王力宏の知られざる問題行動を暴いていく。

504NAME:2021/12/29(水) 19:22:25
既婚女性と王力宏の関係にも触れ、「ある女性もあなたのセフレで、人妻で子供までいるのにあなたと共謀して夫を騙している。ダブル不倫と知りつつ彼女の家にまで行き密会していた。しかも、彼女を自宅に招いてもいいかと私に尋ね、拒絶すると激高して、二度とホームパーティーはやらないと言い放った」と記している。 李靚蕾はセフレやセックスワーカーについて、ところどころ性別を曖昧にして記述している。事実、王力宏は独身時代から男性との親密ぶりをたびたび報じられてきた。 最も有名なのは2012〜13年、中国人ピアニスト李雲迪(ユンディ・リ、39)との「宏迪(ホンディ)」という流行語にもなったほどの熱愛だ。だが王力宏は突然、結婚を発表。一方的に李雲迪との関係に終止符を打ち、メディアは「偽装結婚だ」と騒ぎ立てた。 台湾メディアによると告発文の「セックスワーカー」には男性も含まれるほか、「ダンスインストラクター」は中国人男性振付師の藍波(ランボゥ、年齢非公開)か、台湾人男性ダンサーの張勝豊(ヂャン・ションフォン、54)、「人妻のセフレ」はタレントの徐若瑄(ビビアン・スー、46)だとしている。 王力宏との関係について藍波と張勝豊はコメントを拒み、徐若瑄は否定。だが今年9月に海外公演から帰国した王力宏は、台湾入境後の隔離期間に規則を破って徐若瑄宅を訪れ、軽々しく自宅へ呼んだ徐若瑄ともども批判されている。

八方塞がりでシングルマザーのような日々

また、多くの子どもを望んでいたという王力宏のために、5年間で1男2女を出産した李靚蕾は、「結婚生活の大部分の時間は、妊娠の準備と妊娠、出産、育児だった」「育児はワンオペで王力宏はほとんど協力しなかった」「仕事のキャリアと個人的な生活は全て諦めた。結婚生活のすべてはあなたと子供たちに捧げた」とシングルマザーのような日々を振り返った。 あなたが子どもを3人も望みつつ、家庭の外では奔放な“独身ライフ”を謳歌するような人だと知っていれば、私は到底あなたとの結婚を受け入れなかっただろう」とも記している。 李靚蕾は結婚後、王家からは絶え間なく疑惑の目を向けられ、侮辱と精神的虐待を受けていたとも暴露。結婚に際し、王力宏の財産を守ろうとする王家の意向を受け入れ、不平等な内容の婚前協議書にサインを強要されたことも明らかにした。 さらに、王力宏がデビュー以来維持してきた才能豊かで優しく優等生なイメージと名声を守るため、「あなたは人脈やメディアを駆使して世論を誘導し、攻撃の矛先を私に向けさせ、結婚生活が破綻したのは私に原因があるように仕向けた」とも書いており、これは王力宏が12月15日に離婚を発表し、一部メディアが李靚蕾と義母との確執や、李靚蕾の人格を貶める記事を報じたことを指す。彼女は「ゾッとする」と表現している。

資産123億円なのにケチ

「マンションはあなたの、車はあなたの母親の名義。あなたは子供たちの食べ物や衣類にお金をかけたがらないが、私はあなたの資金で贅沢品を購入したことは無い」 私たちは決して貧乏ではなく、私も贅沢三昧な生活を必要としない。だが私はあなたと私の家族からずっと、財産狙いと疑われた。財産の決定権者も受益者もあなたなのに」と吐露する李靚蕾。 王力宏は個人資産額が30億元(約123億円)に上る。 母親の李明姝(リー・ミンシュー、74)が所属事務所の代表。同社傘下の中国法人責任者を李靚蕾が務めているが、代表権は無い。 2017年に約4億元(約16億円)で取得した台北市大安区の高級タワーマンション「仁愛吾疆」も名義は夫婦ではなく王力宏と所属事務所(=実母)となっている。

李靚蕾は5000字告発文の末尾に「あなたは私によって輝かしいキャリアを台無しにされたくないと言ったが、私だってこんなことはしたくない。でも今回の告発であなたのキャリアが影響を受けるとしたら、それは私ではなく、あなた自身が招いたこと」と、メンツばかりを気にする王力宏を一喝。 「あなたは肉体的にも精神的にも不健康な習慣を取り除き、音楽に集中するべき。名声と富、そしてあらゆる種類の“友達”はあなたに本当の幸せをもたらさず、底なし沼に引きずり込むだけ。あなたが真摯に自分自身と向き合い、世間の目を気にせず、適切な人と一緒になれることを祈る」と、乱れたセックスライフが何も生まないことを痛烈に皮肉った。

505NAME:2021/12/29(水) 19:22:38
80歳の老父が“参戦”し泥沼化

呆れたことに、李靚蕾の告発文に真っ先に反応したのは、王力宏の父で米国在住小児神経科医の王大中(ワン・ターチョン、80)だった。 12月18日、王大中は声明を発表し、「私の人生で最も残念なことは2013年に起こった。息子から李靚蕾という女性と交際していると電話があり、彼女は息子の赤ちゃんを妊娠しているという。李靚蕾は当初、ひとりで産むと言ったが、すぐに気が変わって結婚しなければ、王力宏のキャリアをメチャクチャにすると私たちを脅迫した」と主張。 「息子夫婦の離婚訴訟は2年続いており、既に李靚蕾は、数億台湾元の慰謝料、不動産、生活費、孫たちの養育費、2人の乳母、フィリピン人メイド、専属運転手を受け取ることに同意している」とぶちまけた。

12月18日、日産自動車の海外向け高級車「英菲尼迪(インフィニティ)」を販売する中国・東風英菲尼迪汽車が王力宏との契約打ち切りを発表した。王力宏は12月16日、「インフィニティ」のイメージモデル就任式に臨んだばかりで、わずか35時間のモデルは、不祥事で契約打ち切りとなった芸能人の中でも最短だ。 同じ18日、スマート学習デバイス「読書郎教育(リードボーイ・エデュケーション)」と宝飾ブランド大手の「周大生珠宝(チョウ・タイセン)」、グリーンフードブランドの「緑客門(グリーン・コモン)」も事実上の王力宏との契約打ち切りを相次いで発表した。 王力宏は12月20日、フェイスブックで当面の活動休止を発表。「結婚生活をうまく営めず、家族に迷惑をかけ、スターとしてあるべき姿を示すことができなかった。すべて私が至らなかったせい」とした上で、両親、妻、子供たちの順番で「深く謝罪する」と記した。

「危険信号」出まくりのスター

李靚蕾は同じ12月20日、王力宏に対し5ヵ条の公開質問状を送り、回答を求めている。 「1、結婚後もセックスワーカーとセックスしたことを認めるか?」「2、付き合ったりセックスしたりする“友達”が沢山いることを認めるか?」「3、あなたは私を愛していない状況下で私に第2子と第3子を出産させた。そして子作りが済むと、私にさまざまな手段で離婚するよう迫った。これは道徳的に正しい行為か?」「4、子供たちのため自宅に監視カメラを設置した。私はあなたひとりで在宅の時もカメラをオンにしてほしいと頼んだが、あなたは“なるべくそうする”としか答えなかった。なぜ?」「5、あなたはフェイスブックで公開声明を発表した際、これが唯一、妻に連絡できる方法だからと言った。それならなぜ、これまで、私からの無数の電話やメッセージを無視し続けたのか?」 離婚訴訟を得意とする台湾の頼瑩真(アンジェラ・ライ)弁護士は「ELLE」台湾版の取材に対し、結婚生活が破綻しやすい男性の特徴として「妻の時間を管理したがる、マザコン、ケチ、モラルハラスメント、買春・ギャンブル」などの要素がひとつでも当てはまれば「危険信号」と指摘。 李靚蕾の告発文を読む限り、リーホンはいずれも当てはまるようだ。(Text By Jun Tanaka)

506NAME:2022/01/06(木) 00:01:16
シバター“八百長騒動”に居直り「常とう句じゃないか」 久保には引退のススメ「格闘技から足を洗おう」
[ 2022年1月4日 17:05 ]
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/04/kiji/20220104s00003000339000c.html

「迷惑系ユーチューバー」のシバターが4日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。「久保優太を救いたい」とのタイトルで昨年大みそかに対戦した久保優太との“八百長疑惑”について告白。この日までに報じられている試合前の両陣営のやり取りについて認めた上で「俺も、お前も格闘技からは足を洗おう」と自らはもちろん、久保に対しても現役引退を勧め、驚きの“和解プラン”を呼びかけた。

 シバターは昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」で元K―1ウェルター級王者の久保優太(34=PURGE TOKYO/BRAVE)と対戦。1ラウンドに久保の腕を決めて勝利する“番狂わせ”を起こした。しかし試合後、久保のツイッターで“ヤラセ”を匂わせる発言があったことで八百長疑惑が浮上。その後、久保自身が「実際、シバターさんから八百長というか台本を持ちかけられたのはありました」と試合前のやり取りを明かし、物議を呼んでいた。

 この久保の告白に対しシバターは自身の公式YouTubeチャンネルで「久保優太、お前何やってんだよ。お前、去年の大みそか、RIZINでユーチューバーと戦って、試合前にそのユーチューバーの『1R目は手を抜いてください。2R目からお互い本気でいきましょう』っていう、あからさまに分かりやす過ぎる嘘にダマされて、1R目に手加減をして負けたらしいな。何やってんだ、何やってるんだよ久保。そんなのそのユーチューバーがいつもいつも動画や試合で使う常とう句じゃないか。そいつの試合見たことないのか?そいつはいつも試合前、お金積むんで負けて下さいとかいつもやってるぞ。そんなもんにまんまと引っかかって、何で負けてるんだよー」と両陣営のやり取りを認めた上で試合ではいつもの“手口”を使っただけだったと主張。

 続けて「久保、しかも負けるだけだったらいざ知らず、負けた後に実はコレ台本だったんです。ダマされたんですって騒いでるらしいな。何やってんだよ久保。お前な、台本あったことをお前が発信したら、お前がその台本を飲んだってことを認めることになるんだぞ。つまりはプロ格闘家、元K―1王者であるお前が台本がある試合をしたって、そういうことになるんだぞ。もし、台本を受けるんだったら“真実は”墓場まで持っていくつもりじゃなきゃ。負けてからダマされた、ダマされたって騒ぐのはカッコ悪すぎるだろ」と力説。

 加えて「久保、お前1R目でキックとかいっぱい打ってて、それでもし相手が倒れたら実はコレ台本あったんですって言ってたか?たまたま自分がパンチもらっちゃって、腕十字の対処が出来なくて負けたから台本があったって騒いでるんだろ?結果が逆だったら、お前騒がないだろうに。久保、やってることが1から10までダサすぎるぞ」と久保を諭すように語りかけた。

 さらに「久保、どうするんだ?これからどうするんだ?1度でも台本を飲んだ格闘家は、もうどこの団体も使ってくれないぞ。RIZINはおろか、日本の格闘技界全部だ。格闘技で食えなくなったらどうする?また、情報商材売るか?でもユーチューバーなんかにダマされた男の情報商材なんか誰が買うんだよ久保。これからどうするんだお前の生活、これから嫁さんを食わしていかなきゃいけないのにこれからどうする?」と今後の生活を心配した様子で呼びかけ。

 最後に「俺から提案がある。パチンコ、パチスロ日本代表チャンネルで一緒にパチンコ打たないか?久保、お前にはまだパチンコユーチューバーっていう道があるよ。パチンコユーチューバーはどんな過去があってもいい。どんなヤラセを裏でしててもいい。それでも、そいつが面白ければ生き残っていけるんだ。久保、俺がお前にパチンコライターとしての道を用意してやる。今、パチンコは色々面白い台があるんだよ。俺が打ち方を教えてやる。久保、お前に残された道はシバターの隣でパチンコを打つこと。それ以外ないぞ!俺も、お前も格闘技からは足を洗おう。久保、お前の返事待ってるからな。俺がお前を救って見せる。じゃあ連絡待ってるぞ」とこの騒動を決着すべく驚きの“救済プラン”を提示した。

507NAME:2022/01/06(木) 00:03:40
前田日明氏がシバター一蹴「お前何言ってんだ」 久保“救済”呼びかけ「RIZIN側が選手を守らないと」
[ 2022年1月4日 21:06 ]
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/04/kiji/20220104s00003000461000c.html

格闘家の前田日明氏(62)が4日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」における久保優太VSシバター戦での“八百長疑惑”について「RIZINに出ている選手全員が立ち上がって、RIZINを“お化け屋敷”みたいにするんじゃなくて、もっと純粋に競技を競い合う場にするために、こういう事が2度起きないようなシステムを作らなきゃいけない」と助言した。

 前田氏は1ラウンド2分16秒に飛びつき腕ひしぎ逆十字固めで敗れた久保に対し「最初は体重差あるしと思ったが、何か不可解だったんですよね。ボディーへの攻撃もしてないし、ローやカーフキックだけで相手の様子を見てるみたいな。1ラウンドから様子見る事はないと思ってたんですけど、久保君どうしちゃったのっていう動きだったので、あまり集中出来なかったのかなと思ってた」とコメント。

 この試合が両者の間で「1ラウンド目は互いに流し、2ラウンド目での真剣勝負しよう」という“約束”が交わされていたとされた疑惑については「何で久保君もハイって言っちゃったのかな。こういう事はRIZIN側が選手をちゃんとコントロールしないと駄目ですよね。これはRIZINが何をやる場かという話ですよね。競技をやる場なのか“お化け屋敷”をやる場なのかっていうことです。久保君を見てると可哀想で立場がないので全部自分で背負って謝るしかないんですよ」と指摘。「違反した選手はギャラ没収だけでは済まずに選手生命にまで及ぶよってところですよ。それぐらいやんないと駄目なんですよね多分」と今後の“八百長”防止へ自論を展開した。

 さらにシバターについては「今日動画を見たんですけど久保を助けたいって、お前何言ってんだと思いました。クズ中のクズですよ」と一蹴。「多分、(2020年大みそか)HIROYA戦でも同じようなことやったんじゃないかな。それでフタを開けてみたら勝てて人気も出たと。それで2匹目のどじょうを狙って今回も仕組んだでしょうね。そのためにはまず、テンプルは打たせないようにしてさらに“暗示”を入れる。打たれたら体全体が痺れる気配があるんだと。それ守れないなら契約しませんと。顔面を狙わないなら出てもいいですよって言って、(試合がしたい)久保君を焦らせて心に2つロックを掛けてしまった。相手を倒しにいくと10代の頃からやってきた選手(久保君)としては混乱しますよね」と独自の“試合分析”を披露。

 運営サイドについても「RIZINはまだテレビの制作屋っていう頭が残ってるんですよね。もうちょっとちゃんとしたプロモーターになってほしい。俺だったら何でそういうことから選手を守ってくれないんだとRIZINに抗議すると思いますけどね」と苦言。さらに「RIZINに出ている選手全員が立ち上がってRIZINを“お化け屋敷”みたいにするんじゃなくて、もっと純粋に競技を競い合う場にするために、こういう事が2度と起こることがないようなシステムを作らなきゃいけない。久保君を救済してやんないと可哀想ですよ」と選手たちの“協力”を強く呼びかけた。

508NAME:2022/01/08(土) 21:23:44
シバター、久保優太戦の“八百長”の真相告白「RIZIN含めて一世一代の大ブラフをかましてやった」
1/8(土) 15:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4eb0665c419c24c93ffb17a92c89ff8eb13c293

“八百長騒動”の渦中にあるユーチューバーのシバター(36)が8日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」での元K―1ウェルター級王者・久保優太(34=PURGE TOKYO/BRAVE)戦の「真相」を告白した。

もともとはキックボクサー・皇治との戦いが予定されていたが、計画は頓挫。そこでRIZIN側から久保との試合の打診を受けたという。相手が元K―1王者であることや、知名度があることから「おいしい」と感じたシバター。しかし、久保が朝倉兄弟との親交もあることから、自身の手の内は明かされ「相当勝率が悪い」と思ったという。

 そこで考えた方法は、SNSや電話を通じての“泣き落とし”。「こちらにやる気がない。ケガだけはしたくないし、後遺症が残ったら家族と過ごせなくなる」と、情に訴えかける言葉を、嘘を交えて連発したという。流出した音声の中で「台本」を提示し、RIZIN側の承諾があったことや、他の試合でも「やらせ」の存在があったこともにおわせたが、それについては久保を信じ込ませるための「脚色」だったことを明かした。

 その場では、久保の了承を求めなかったものの、試合直前にLINEを通じて再度連絡。「ギリギリにちょっと変わった『台本』を提出することによって、供託金とか誓約書のことを考える隙間を与えなかった。誓約書を書いたらマジで詐欺になりかねないからね、口約束なんて約束じゃないから」と、作戦であったことを強調していた。

 そして、実際に試合を迎え「1Rは流し、2Rから本気で」という運びだったが、久保がカーフキックをしてきたことから「削りに来ているな、こいつ。倒す下地を作っていて『調子に乗っているな』と思った」とシバター。フックが当たったことから勢いづき、最後は得意の飛びつき腕十字で一本勝ちとなった。

 「正直、この作戦をいろんな人が『汚い』だの『スポーツマンシップに反する』だの言っておりますが。作戦なしのガチンコでやったら、勝率は10%もなかった。勝つためにはそれしかなかったし、そして僕は負けたくなかった。正直RIZINにも結構イライラしていたし、全部含めてペテンにかけて食ってやりたかった。それで一世一代の大ブラフをかましてやった」と、告白。

 さらに「僕の方が久保さんより勝ちたいという気持ちの方が強かったのは間違いない。他のプロは『(正々堂々と)勝ちたい』『(男らしく)勝ちたい』『(観客席を盛り上げて)勝ちたい』とかだろうけど、俺は『(何をしてでも、どんなに卑怯なことをしてでも)勝ちたい』だった。その気持ちの違いなんじゃないかなと思った」と、勝利への執念を激白した。

 最後は「久保優太、今回のケンカは完全にお前の負けだよ。ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」と挑発。視聴者に向かっては「文句があるなら、このコメント欄に書き込んで、炎上の火の手を絶やさないでください!」と笑顔で語りかけていた

509NAME:2022/01/10(月) 16:01:27
シバター、再度釈明「SNS時代にメールで連絡を取るのもダメなのか」…RIZINは「声明自体、迷っている」
1/10(月) 14:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f586459322d5acd97e125c3715e440103f4e6ec5

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。 「ライジンさんがまだ公式に声明を発表していないんですね。それに対して怒っている人も結構いて。シバターにペナルティーを与えろとか、ファイトマネーを没収だ、裁判だとか外野がいろいろ言っておりますが、僕が思うに今回の件って、そんな簡単な話ではないと思うんですね」とコメント。

 「まず思うのは僕が久保さんに対してやったことって、どれほどの悪なのか、セーフなのかってのがある。何、当事者が言い訳してんだよ、おまえのやったことは悪いに決まってるだろって、頭ごなしに言う人がいるかも知れないけど、ちょと待ってほしいんですよね」とすると、「試合の決まっている2人が試合前に記者会見で1人が『俺は絶対に打撃でおまえに勝てるから打撃でKOして、チャンピオンになってやる』って言って、一方がそのアンサーとして『おまえの打撃なんて一発も当たらねえよ。俺がKOしてやる』というやり取りがあったとする。それで、実際に試合が行われて、打撃でなく寝技で勝ったら卑怯なの?って話なんですよ。MMAの試合において、それは卑怯なの?と言えば、ほとんどの人がこの駆け引き、試合を卑怯だという人は、まあいない。7割くらいの人はそれがMMAでしょと言うと思う」と主張。

 「じゃあ、記者会見ならいいのかって。もっと言えば、SNSはダメなのかって話。試合の前に言うのはいいのか? じゃあ、個人的にメールを送るのはやっぱりダメなのかなと言うと、昔は選手から選手に連絡を取るなんてことはできなかったけど、今は簡単に送れる。シバターみたいに1ラウンド目は流しで2ラウンド目からはやろうぜという提案はだいぶダメなにおいはするけど、激しい打ち合いを俺はしたい、おまえ逃げるなよみたいなメール送るのはダメなの? 明日は熱い試合をしようぜとか、どこからどこまでがセーフで、どこからどこまでアウトという線引きをライジンはしなければいけないのか。その線引きは難しいと思う」とした。

 さらに「明日は熱い試合をしようぜという申し合わせが(メールで)行われる可能性はある。連絡は選手の良心やプライドに任せているわけで、連絡を取ろうと思えば、メールがあるんだから取れる。どこまでライジンとかが規制するのか、携帯取り上げるのか、SNSを取り上げるのか、その線引きは難しい。ライジンからの発表は遅れているというか、発表するかどうか自体も迷っていると思うんだよね」と話した。

510NAME:2022/01/15(土) 12:05:44
力道山が64年前に木村政彦をKOした理由…息子の百田光雄が証言「プロとして絶対に引けない部分があった」
2018年12月22日 12時0分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20181216-OHT1T50069.html?page=1

日本プロレス界の父で1963年12月15日に39歳の若さで亡くなった力道山が15日に没後55年を迎えた。 力道山は、1950年に大相撲を引退しプロレスラーに転向し、52年に日本プロレス協会を設立し、日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。

 ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。 命日にあたる15日には東京・大田区の池上本門寺で56回忌法要が営まれ、息子の百田光雄(70)、新日本、大日本プロレスなどで活躍した桜田一男氏(70)、リアルジャパンプロレスのスーパー・タイガー、納谷幸男(23)らレスラー、関係者30人が参列し、偉大な「日本プロレス界の父」を偲んだ。

 法要を終え、亡くなった当時、15歳だった百田は父の試合を通じて「プロレスとは闘いなり」と学んだという。そして「あまり言いたくはないんだけど」と前置きした上で1954年12月22日、蔵前国技館で行われた柔道日本一の木村政彦との一戦を振り返った。 木村は、15年間不敗で「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とうたわれた最強の柔道家だった。1950年からプロ柔道家となり、51年9月にはブラジル・サンパウロでヒクソン、ホイスらの祖父で柔術家のエリオ・グレイシーと対戦し勝利し、その後、日本初の本格的なプロレス興行で力道山とタッグを組みシャープ兄弟と戦った。しかし、新聞紙上で力道山のプロレスを「八百長」と批判し、両者が対戦することにつながっていった。試合は「昭和巌流島」と前評判をあおった「プロレス日本選手権」と銘打たれたが結果は、力道山が張り手を打ち続け、最後は顔面を蹴り上げ木村をKOで破った。あまりの凄惨(せいさん)な内容に新聞は力道山を批判した。

 この一戦を百田は蔵前国技館で見たという。試合後の雰囲気を「物凄い閑散としたというかシーンとなりました」と殺伐とした雰囲気になったことが鮮明に残っているという。 「試合は途中まで普通のプロレスの動きでした。ただ、その中で、木村さんが父にちょっとした蹴りを入れた。たまたまなのか故意なのか分からないけど、映像で見ると金的に入っているんです。その瞬間に父の顔色が蒼白になりました」

 その蒼白の表情は自宅で怒る時の顔と同じだったという。 「父は怒った時に真っ赤じゃなくて、蒼白になるんです。で、あの金的を蹴られた時に父の顔色が変わったのが遠くから見ていて分かりました」

 蒼白になってから力道山の動きが変貌した。 「顔色が変わってからは一方的でした。木村さんは何の反撃もできないままアウトだった。一方的で悲惨な最後でした」 なぜ、父・力道山はあそこまで木村を追い込んだのだろうか。

 「それは、なぜ?じゃないでしょうね。多分、父の頭の中には相手が仕掛けたら行くぞっていう気持ちがあったんだと思います。ボクもいつも言われたけど、リング上に上がったから例え何が起きても始まったらやめるわけにはいかないんです。例えば、海外の試合で、もしトラブルが起きてケンカみたいになっても、そこで逃げ出した時点で明くる日からクビになるんです。残っていたら問題はありません。ですから、プロの社会は、そういう厳しさがあるんです。あの時、金的を蹴られた父は、残っている限りは勝たないといけないと考えたと思います。そういう意味ではプロとして絶対にここは引けないという部分があった。その代わり会場の雰囲気は、公開リンチのようになったので最悪でした

511NAME:2022/01/15(土) 12:05:58
 試合後、木村の顔を見ると、無惨に腫れ上がっていた。リングに上がれば何が起きても闘いである以上は、「勝つ」という力道山のプロ魂が木村をKOした。そして、百田は、プロとして力道山と木村の間に差があったと見る。 「格闘技でもスポーツをやっている人が見れば、シャープ兄弟戦で父とタッグを組んだ木村さんの動きの中で、父の動きの素早さ、テンポ、リズミカルな動きは木村さんとは全然、違っていました。木村さんはすり足に近い動きだったんで、父の方が軽やかだった」 試合後は猛烈な批判を浴びたが「僕らは家族ですから、息子から見れば“うわぁ強いな”という気持ちしかなかった」と振り返る。

 そして「木村さんのことを悪くは言いたくない」とした上で「日本選手権から父が亡くなるまで木村さんは、何も口を開いていないんです。だけど、亡くなった後にいろんな雑誌とかであれはこうだった、どうだったとか言ったんですね。生きている間に言うなら分かります。亡くなってからしか言っていない。だったら、生きているうちに正々堂々と言っていただきたかった。それはやっぱり息子としてではなく、同じスポーツをやる人間としてそれはないだろと思う」と率直に明かした。 そして「文句があるなら生きているうちに言わなきゃいけないし。後から、あれは八百長だ、どうとかって言うけど、八百長でボコボコにやられたということは、何なのかと言いたくなりますよ」と寂しそうにつぶやいた。

 父としての力道山は「ただただ怖かった。家でも怒られる時は、ケガをするので手で殴ることはしませんでした。殴る時は、“殴られるもんを自分で取ってこい”って言うんです」と明かした。「一番痛くなかったのは竹箒。はたきはムチみたいにしなって痛い」と笑った。成績が悪い、運動会、ケンカに負けたなどで怒られたという。「痣は年がら年中ですよ。今なら児童虐待ですね」と笑った。 それでも父に反発することはなかった。

 「僕らに厳しかったけど自分にも厳しかったですから。父は、どんなに夜中まで2時、3時まで飲んでいても朝は練習してシャワー浴びて、キチンと身だしなみを整えてからでとボクらの前に出てこなかったんです」 木村をKOしたリング上でのプロとしての姿勢は、私生活から徹底していた。 「家族の前でもプロとして隙を見せないほど自分に対して厳しい人でした。ですから父に逆らうことなんてできなかった」

 暴力団員に刺された8日は、事件が起きた赤坂のキャバレーから一度、懇意の医師がいた山王病院へ行ったが当直の外科医がおらず、赤坂のリキマンションの自宅に帰ってきた。外科医を手配した連絡を受け、病院へ向かい、そのまま手術をして一週間後に亡くなった。

 「亡くなる日も昼に見舞いに行ったんです。担当の先生から“大丈夫ですよ”って言われて、自宅に帰ったらその夜に急変した。連絡を受けて病院に着いた時にはほとんど亡くなっている状態でした」

 最後の言葉は記憶にないという。 「入院後は僕らと口を聞いていない。何も口を聞かない父を見るのは不思議なぐらいだった」 言葉を交わせなかった父から受け継いだのは、「気持ち」だった。それは自宅、リング上で目の当たりにした「プロ」としての姿勢でもある。 「プロレスをこの国に興して、弟子たちに受け継がせた父の気持ち。この魂を次の世代にも継承して欲しいですね」

512NAME:2022/01/15(土) 12:07:39
シバター、再度釈明「フライ対高山戦だってプロレスラー同士の暗黙の了解があったから伝説の試合になった」
1/10(月) 14:37配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/97618a0431641a2223aa883180f149b4f24e4b52

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。「昨今のプロレスファン、格闘技ファンというのは日本人だからというのがあるかも知れないね。裏を知りたがり過ぎるな」と発言。

 「総合格闘技においてもそうよ。クリーンにしろ、真剣勝負だけを俺らは見たいんだとか言うけど、恐らくここに申し入れとかなかったかも知れないけど、PRIDEのドン・フライ対高山善廣の伝説の試合、バチバチの打ち合いだって、あれだってお互いに前日のやり取りとかが恐らくないと思うし、談合とか申し入れはなかったと思うけど、お互いプロレスラーだったからというのが絶対にあったと思う。暗黙の了解、あうんの呼吸というのがあの2人にあったから、あんな伝説の試合になったと思う」と続けた。

513NAME:2022/01/15(土) 12:15:28
「シバターは悪くない」元週刊プロレス編集長が断言 「YouTuberとしてやるべきことを彼はやった」
1/13(木) 21:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/678e8354fa1fdb1571145de9b18519a417745754

年明けから話題騒然となっている、昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」(さいたまスーパーアリーナ)での炎上系YouTuber・シバターVS元K-1ウエルター級王者・久保優太の八百長疑惑騒動。11日にはRIZINの榊原信行CEOがRIZIN公式チャンネルで動画を公開。シバターを「品性下劣」と断じながらも、「契約違反には当たらない」とし、シバターも久保もおとがめなしとした。これを受けてさらにネット上は再炎上しているようだが、今回は元週刊プロレスのカリスマ編集長だったターザン山本!氏を直撃。この騒動をどう見るか聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「結論はひとつしかない」 のっけから山本氏はそう言い放ち、こう続けた。「誰も悪くない」 あらゆる賛否が、いや、否定論が大半のこの話題を山本氏はそうコメントした。「この件について、真剣勝負だ八百長だということ自体がナンセンスだ。シバターは他の選手と違って真正の格闘家ではない。YouTuberだからイロモノなわけですよ」

 山本氏いわく、「YouTuberというアイデンティティーからすると、基本的に試合前に対戦相手に連絡を取ってうんぬんやることは、無意識的に当たり前のことだよ」とのこと。「シバターはYouTuberとしてやるべきことをやっただけなので、それを真剣勝負の世界の中で、事前打ち合せと捉えることは全くのナンセンスですよ」 要は、シバターでなければそんなことは起こらなかった、という見解になる。

「だって久保は、他の選手と試合する場合には、そんなことは1回もやったことがないし、やらないし、やるはずがないわけですよ。相手がYouTuberだったから、そんな話があった時に、これは対応しなければいけないということで、それを受け止めたわけですよ。普通の真剣勝負の世界の人だったら、『お前、何をそんなことをしてくるんだ!』というカタチで『ふざけるな!』ってなるんだけれども、相手がキワモノのイロモノだから、これは別のものだなと思って理解したわけですよ」

514NAME:2022/01/15(土) 12:16:01
確かにシバターはイロモノであり、キワモノ。いわゆる格闘家ではない。「だから久保は全く悪くないよ。久保は正しいカタチで相手の提案を受けたわけですよ。その時点で、通常の真剣勝負とは別の世界に行っているわけですよ。つまり、今回の件はそういう具合に理解しないとおかしいわけですよ。それを一緒くたにして、要するに一般の格闘家同士の対決みたいにして『八百長だ』『打ち合せをした』みたいに論じることは、もう俺からしたら、何を考えてるんだって言いたいよ」

 久保に対して、改めて「相手がYouTuberだから通常とは違うんだなというカタチで、対処しなきゃと思ってやったんだから、そういう意味で久保は真面目だよ。だから失礼ではないわけですよ」と評した。 それでも、リング上に出たものが全てとするなら、何が起ころうとも相手を叩きのめしてしまえばよかったのではないか。その問いに対して山本氏は「やれないもんなんだよ」と返答し、その理由を「気持ちがそっちに行っちゃってるから」と答えた。

 どういうことか。「気持ちが別次元に行ってしまって、通常の試合とは別のところに行ってしまっているから。その分だけシバターのほうが心理的に有利になっているんですよ。だから試合結果がああいうふうになったわけですよ」 山本氏の認識では、シバターの戦略勝ちといった雰囲気と受け取れる。「これはYouTuberがRIZINのリングに上がって、ホームグランウンドにしてしまったわけですよ。ホームにしてしまったシバターが偉大で正しくてすごいということだよな。その瞬間に久保はアウェーに行ってしまったわけですよ」

 ちなみにかつて自身の主催した「THE OUTSIDER」のリングにシバターを上げたこともある前田日明氏は、自身のYouTubeチャンネルで今回の騒動に触れ、「シバターはクズ」と発言している。同様に朝倉未来も年明けに、那須川天心のYouTubeチャンネルで対談し、「(久保戦は)シバターの作戦勝ちなんだけど、シバターはクズだったよね、で終わり。もともとクズ人間を売りにしてるからなんともない」とクズ呼ばわりしている。

 これに対し、山本氏は反論する。「クズじゃないですよ。彼はRIZINのアイデンティティーではなく、彼自身のアイデンティティーをそのままに実行した男であって、状況的にはまともですよ。素晴らしい格闘家ですよ!」 そこまで言い切ってしまうのもどうかと思うが、言いたいことは十分理解できた。

もし専門誌の編集長だったらどんな表紙にする? しかし実は「八百長」の話は奥が深くて、単純に白黒だけでは言い表せない世界であったりする。仮の話、お互いが試合前に「打ち合おうぜ」と会見上で言い合った場合、これは駆け引きなのか八百長なのか。そうやって考えていくと、その定義は非常に難解になる。「RIZINの選手は全て、自分が勝つことを第一優先にするんだけど、RIZINを盛り上げなきゃいけない、格闘技界を盛り上げなきゃいけないということになってくると、これ(シバター)と同じような気持ちが内心どっかにあるわけですよ。1Rは様子を見て、2Rで盛り上げようとか。ただ、自分が一直線に15秒で勝てばいいというんじゃなしに、お互いが試合で盛り上げていかなきゃいけないので、そういう申し合わせをしなくたって、自分の意識の中にはそれがあるはず。勝負論以外の。だから誰も責めることはできないんですよ」

 その話は、言葉で説明するなら、いわゆる行間を読め、というレベルの話になる気がするが、「勝負論以外のもの」があるとなった段階で、世間は「それは真剣勝負ではない」と平気で揚げ足を取ってくるだろう。 これに対して山本氏は「それは分かるよ」としながら、「でもね、それは俺からすると、お前らホントに大したことねえなってなるよな。分かってねえなあってね」と話した。「勝手に言っとけって、お前らは。ご苦労さん、ですよ」と一蹴した山本氏。

 最後に、もし今、専門誌の編集長だったら、どんな表紙を作ったのか。もちろん表紙の写真はシバターを使うとして、キャッチコピーはどんなものをつけるのか。「シバターは悪くない。文句あるかバカ野郎! 寝言は寝て言え! お前らの寝言は聞きたくない」

 今のところ沈下する気配が見えてこない騒動だが、一つ言えるのは、この件によって各々の「格闘技」に対するスタンスが明確になった。また、たき付ける気ものんきに構えている気もないが、どこまで燃え続けるのか、そこは見届けたい思いもある。というか、2022年は年頭からこれ以上ないリトマス試験紙に恵まれた。誰がなんと言おうと、それだけは間違いない。

515NAME:2022/01/15(土) 12:22:20
東スポTOP RIZIN 青木真也 RIZIN〝八百長騒動〟は恥がない時代のせい シバターは「性根が優しい」
青木真也 RIZIN〝八百長騒動〟は恥がない時代のせい シバターは「性根が優しい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3920861/

〝ご意見番〟の見解は――。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」(さいたまスーパーアリーナ)で行われた炎上系ユーチューバーのシバター(36)VS元K―1ウエルター級王者・久保優太(34)のMMA戦に「八百長だったのではないか」との疑惑がもたれ、ネット上で波紋を呼んだ。RIZINの榊原信行CEO(58)が11日に状況を説明する事態にまで発展したが、この騒動に総合格闘家でプロレスラーの〝バカサバイバー〟青木真也(38)が毒ガスを噴射。「格闘技界には今こそ猪木イズムが必要だ!」と力説だ。

 問題の試合は序盤から久保がカーフキックなどを放つものの全て単発で後手に回る形になり、逆に1ラウンド(R)中盤にシバターのパンチがクリーンヒット。グラついた久保が持ち直そうと首相撲を仕掛けたところ、シバターが飛び付き式のアームバー(腕ひしぎ十字固め)で仕留めた。 疑惑が浮上したのは試合後だ。シバターから体調不良を訴える泣き落としがあり、1Rは手加減してほしいと求められたことを示唆する通話記録やLINEでのやり取りが久保サイドからSNS上に流出し、一気に拡散。〝八百長〟という言葉も独り歩きしてネット上で大騒動になった。

 青木 そもそもここまでの騒ぎになったのは、2人が〝可燃性〟の高い人物だったからですよ。普通なら不審火くらいで済むこと。ところがよく燃える2人に脊髄反射で飛びついた格闘技関係者がワーワー騒いで、気づけば火柱が立っていただけです。八百長? 本当に難しい問題ですよ。どこから当てはまって、どこから当てはまらないのか。ただ、今回シバターがやったことは八百長じゃなくて〝申し合わせ〟だと思います。あれが八百長だったら、例えば会見で言ってたのと全く違う戦術をして相手をだまして勝つのも八百長になるよね。俺のシャオリン戦も八百長になっちゃうじゃん! 俺は、やってないものはやってない!

516NAME:2022/01/15(土) 12:22:30
 確かに、試合前の発言で相手に揺さぶりをかけるのは古くからある戦法の一つ。「ボコボコに殴り合ってやる!」などと言っておきながらゴングと同時にタックルを仕掛けることも、よく見られる戦術だ。 青木もこの陽動作戦で白星を得たことがある。2009年7月の「DREAM.10」で世界トップの柔術家で修斗世界王者のビトー〝シャオリン〟ヒベイロと対戦。事前映像などで再三寝技の練習をしていることを公開しながら、ふたを開ければ立ち技の勝負で完封し判定勝ちした。「寝技でいく」と欺き、満面の笑みで大ブーイングを浴びたのだ。

 青木 (なぜか胸を張って)あの時は運営までだまして映像を撮らせたんですよ。敵をだますならまず味方からっていうから。そういう意味でシバターは直接敵をだましている分、まだ性根が優しい。俺たちのようなホントに悪い人間はまず味方をだますから。(ケンドー)カシンを見れば分かるだろ。久保も脇が甘かった? まあ、そうだよね。俺だったら電話なんかかかってきても「うるせえバカ」で終わるし、ケガしてるってわかればそこを攻めるし。かかってきたことはないけどね。(15年12月に)初めてRIZINに出た時? そうそう、俺はONE(チャンピオンシップ)から参戦する〝外部の人間〟だったから、何をされるかわからないと思って、用意された水も飲まなかった。下剤が入ってるかもしれないじゃん。試合前って、それくらい警戒してもしすぎることはないんだよ。

 今回の騒動を受けて榊原CEOは、事前に選手同士が電話などでやり取りすることを禁止すると契約書に盛り込むことで対策を採ると発表。これに「ルール化していくしかないんだろうけど」とした青木はこう続ける。 青木 正直、あんまり意味はないかもしれない。なぜならこれは時代なんだよ。今は恥がない時代だから。選手も関係者も一部マスコミまで長い目じゃなくて、目先の再生数に走る時代だから仕方ないんだ。まさに、榊原さんが言っていた「品性下劣」になっているんです。矜持がないから申し合わせして、やり取りを流出させて、動画を拡散させていく。だから本当に今、必要なのは「猪木イズム」なんですよ。「お互いのプライドがルール」。その魂をもう一回、みんなで考え直そうじゃないか!

 アントニオ猪木氏と故マサ斎藤さんが激闘を繰り広げた1987年10月の「巌流島決戦」で唯一定められたルールを引き合いに出して力説。最後に「でもさ、八百長と浮気は認めちゃダメなんだよ。俺は、やってないものはやってない!」と語気を強めた。 一連の炎上騒動は榊原CEOの説明を受けて収まりを見せるのか。カギを握るのは〝燃える闘魂〟の言葉なのかもしれない。

517NAME:2022/01/15(土) 12:24:08
シバター、再度釈明「SNS時代にメールで連絡を取るのもダメなのか」…RIZINは「声明自体、迷っている」
2022年1月10日 14時12分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20220110-OHT1T51059.html?page=1

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。 「ライジンさんがまだ公式に声明を発表していないんですね。それに対して怒っている人も結構いて。シバターにペナルティーを与えろとか、ファイトマネーを没収だ、裁判だとか外野がいろいろ言っておりますが、僕が思うに今回の件って、そんな簡単な話ではないと思うんですね」とコメント。

 「まず思うのは僕が久保さんに対してやったことって、どれほどの悪なのか、セーフなのかってのがある。何、当事者が言い訳してんだよ、おまえのやったことは悪いに決まってるだろって、頭ごなしに言う人がいるかも知れないけど、ちょと待ってほしいんですよね」とすると、「試合の決まっている2人が試合前に記者会見で1人が『俺は絶対に打撃でおまえに勝てるから打撃でKOして、チャンピオンになってやる』って言って、一方がそのアンサーとして『おまえの打撃なんて一発も当たらねえよ。俺がKOしてやる』というやり取りがあったとする。それで、実際に試合が行われて、打撃でなく寝技で勝ったら卑怯なの?って話なんですよ。MMAの試合において、それは卑怯なの?と言えば、ほとんどの人がこの駆け引き、試合を卑怯だという人は、まあいない。7割くらいの人はそれがMMAでしょと言うと思う」と主張。

 「じゃあ、記者会見ならいいのかって。もっと言えば、SNSはダメなのかって話。試合の前に言うのはいいのか? じゃあ、個人的にメールを送るのはやっぱりダメなのかなと言うと、昔は選手から選手に連絡を取るなんてことはできなかったけど、今は簡単に送れる。シバターみたいに1ラウンド目は流しで2ラウンド目からはやろうぜという提案はだいぶダメなにおいはするけど、激しい打ち合いを俺はしたい、おまえ逃げるなよみたいなメール送るのはダメなの? 明日は熱い試合をしようぜとか、どこからどこまでがセーフで、どこからどこまでアウトという線引きをライジンはしなければいけないのか。その線引きは難しいと思う」とした。

 さらに「明日は熱い試合をしようぜという申し合わせが(メールで)行われる可能性はある。連絡は選手の良心やプライドに任せているわけで、連絡を取ろうと思えば、メールがあるんだから取れる。どこまでライジンとかが規制するのか、携帯取り上げるのか、SNSを取り上げるのか、その線引きは難しい。ライジンからの発表は遅れているというか、発表するかどうか自体も迷っていると思うんだよね」と話した。

518NAME:2022/01/15(土) 18:11:39
八百長疑惑シバターは「汚いけど賢く勝った」 元K-1王者が擁護「全然処分する問題じゃない」
2022年01月05日16時12分
https://www.j-cast.com/2022/01/05428278.html?cx_recsOrder=1&cx_recsWidget=articleBottom

元K-1王者の小比類巻貴之さんが、大みそかに行なわれた総合格闘技大会「RIZIN.33」における八百長疑惑をめぐり、渦中のシバターさんへの擁護とも取れる発言をした。

八百長疑惑は、YouTuberでプロレスラーのシバターさんと元K-1ウェルター級王者・久保優太選手の対決で浮上したもの。小比類巻さんは2022年1月4日に投稿したYouTube動画で、この試合への私見を述べた。

「彼の戦い方。彼の勝機の見出し方かなと思った」
試合では、シバターさんが1ラウンド2分16秒に久保選手に飛びつき腕ひしぎ逆十字固めを決めて1本勝ち。しかし対戦後、両者が"やらせ"を示し合わせていたとみられるLINEのスクリーンショット画像がネット上に流出し、物議をかもしていた。

「シバター vs 久保優太の八百長問題について。」と題して公開した動画で小比類巻さんは、疑惑の一戦を「シバター選手の作戦通り」と総括。シバターさんが試合前に久保選手を油断させるような言動を繰り返したことについて「彼の戦い方。彼の勝機の見出し方かなと思った。一言でいうと、シバターがやり方は汚いけど、賢く勝ったんじゃないかな」と一定の評価を下した。

さらに、両者が事前に打ち合わせしていたことに関して、小比類巻さんは「今はTwitterとかで選手同士が絡み合ったり、言い合いしたりするじゃないですか。表に出てないだけで、やり取りはみんなしてますからね」としたうえで、「そういう世界になってくるんじゃないですか。全くSNSもやらず何もせずにファイターだけやってる寡黙な選手が強くなるかもしれないし。逆にそれ(SNS)をうまくつかって心理戦に勝つ選手も強くなるかもしれない。要は勝負師が勝つということですね、これからは」と、今後の格闘技界を予測した。

久保選手にはエール「シバターを最後に引退するのか」
続けて「だから、そういった意味では、シバター選手のほうが勝負師だったんじゃないかな」と述べ、敗れた久保選手に対して「そんな如きで心が揺さぶられたっていうのは...やられちゃいましたね」とコメントした。

久保選手は自身のYouTubeチャンネルに公開した動画で、引退の可能性を示唆している。小比類巻さんは「笑うしかないですよ。シバターを最後に引退するのかっていう」と一笑に付し、「久保選手といったらGLORYで勝ち上がって、K-1でも勝ち上がって、最高の環境から生まれたわけではなくて、技術もしっかりあって、自分のスタイルをずっと作ってきて、うまい選手ですから」「こうやって話題になったことで、さらに久保選手が次に強いことを見せて欲しい」とエールを送った。

そして小比類巻さんは、今回の騒動を「全然処分する問題じゃない」と断言し、「昔のボクシングを見ると、そういう問題はいっぱいありますから。試合前に危険な目に遭わされた人もいるだろうし」「嫌がらせされても昔の選手はそれでも勝ってきた」と語っていた。

519NAME:2022/01/16(日) 00:24:12
東スポTOP RIZIN 榊原CEOが異例の呼びかけ「久保優太の弱ったメンタルに付け込むのはやめましょうよ」
榊原CEOが異例の呼びかけ「久保優太の弱ったメンタルに付け込むのはやめましょうよ」
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3919679/
2022年01月11日 16時22分

格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行CEO(58)が11日、RIZIN FFの公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿。昨年大みそかの試合でユーチューバーのシバターが久保優太に事前の申し合わせを打診していた件を説明し、今後の対策を発表した。 他方で榊原CEOは、一部関係者による行動や投稿した動画が「邪推や曲解」を招いたとして何度も強い不快感を示した。

 榊原CEOは真偽を問わず様ざまな情報が飛び交ったことに「(シバターと久保の)2人が起こしたことだけじゃなくて、そこに〝品性下劣な連中〟がユーチューブとかいろんなものを使って動画を配信して、何の責任もなくかき回したことによって情報がどんどん間違った方向に届けられたり拡散したことによって、みんなの〝邪推〟というか〝邪念〟を呼んだ」と苦言。騒動が起こってから、便乗としか思えない動画が投稿されて混乱が加速したとした。

 また「残念なのは格闘技関係者、プロレス関係者、元格闘家の人とかが揶揄しているのも、正しいことであれば自分たちも甘んじて受けますけど登録者数増やすためにやってるのは見苦しいなあと思いましたし」と表情を曇らせる。そして「『俺が力になるからいろんなことを聞かせてよ』って電話が久保の所にいっぱい届いている。事実がどうか、自分がネタとして聞きたいだけでしょって。そんな形で、久保の弱っているメンタルに付け込むのは格闘技関係の人、やめましょうよ」と訴えた。

 久保の現状を「格闘技を続けるかも悩んで苦しんでいる。起こしたことの大きさに心を痛めている。だから彼と本当に向き合うんであれば、今彼を困らせるのではなく、そっとしておいてあげるのが必要だと思います。今後久保が新しい方向性を決めたならば、それを陰ながら支援してあげればいい」とした。

520NAME:2022/01/16(日) 00:28:18
東スポTOP RIZIN 「話を聞いたふりして…」久保陣営の新事実も公表 シバターとともに処分なし RIZIN発表
「話を聞いたふりして…」久保陣営の新事実も公表 シバターとともに処分なし RIZIN発表
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3919595/
2022年01月11日 15時45分

格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行CEO(58)がRIZIN FFの公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿し、昨年大みそかの試合でユーチューバーのシバターが久保優太に事前の申し合わせを打診した件について説明した。

 榊原CEOはまず、状況の説明がこのタイミングになったことを謝罪しつつ「冷静に両選手に時間をかけてヒアリングして。契約書に基づいて弁護士の先生とも話をし、10日間、いろんなことを精査しました」と話した。そして憶測が憶測を呼ぶ状況に「RIZINの6年の歴史で、天地天命に誓って八百長なんてものは一度もないです。命を懸けて約束してもいい。100%リアルファイト。リング上でファイターが流す血と汗と涙は100%リアルなものです」と、事前に勝敗を決めて試合を行ったことはないと力説した。

 その上で試合の検証結果を公開。まずシバターが試合前からRIZINに対し、体調不良などを理由に「試合やめたい」と訴え続けていたという。さらにシバターはこの〝泣き落とし〟な訴えを久保にも行い揺さぶりを仕掛けた。この連絡を受けた久保陣営からRIZINに「話を聞いたふりをして、試合を成立させて、やっつけちゃいますから。一気に手加減せずにやります」と連絡があったが、久保自身は前日計量の場などでも引き続き〝泣き落とし工作〟を受け続けたことで心が揺らいでしまったという。

 榊原CEOは「久保は自分で公表しているようにアスペルガー症候群で、人に嘘をつかれたりすることにめっぽう弱いというか、ピュアな人。それもあって『本当にシバターさんはケガするのを怖がっているのかな』と、ある意味まんまと術中にはまってリングに上がった」と指摘した。

 その結果、試合は久保がカーフキックなどは単発で放つものの後手に回る形になり、1R中盤にシバターのパンチがクリーンヒット。グラついた久保が持ち直そうと首相撲を仕掛けたところを飛び付き腕十字固めでシバターに仕留められた。まんまとシバターの陽動作戦に引っかかったわけだ。

 榊原CEOは「我々からすると、このシバターの取っている戦法…というか戦術は正直、品性下劣だしモラルハザードというか」と断罪。一方で「ルールのギリギリ、契約のギリギリを突く。勝つために手段を選ばず『汚い手を使いやがって』というのは今回のシバターの件だけじゃなくても、手法は違ってもありました」とも明かした。

 その上で「契約書の中に『事前に選手やセコンド、関係者が相手方の選手と試合の内容について直接話し合うことは絶対禁止をする』という条項を入れていきたいと思います」と明言。選手間や陣営同士のやりとりをSNS等に公開することを禁止、選手管理部門の組織改革なども行いたいとした。

 2人の処分については「久保は久保という人間性とファイターとしての尊厳といろんなものを持って大みそかに戦いました。シバターにすると、リングの中では100%リアルファイトで戦っているわけです。ここから学んで多くの是正する部分はあるけど、彼らを処分する考えは全くないです」とした。 RIZINが見解を表明したことで、一段落となるか―。

521NAME:2022/01/17(月) 00:34:23
力道山が刺された日。妻が聞いた
アントニオ猪木を認める言葉と幻の計画
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2020/07/31/___split_18/
2020.07.31

戦後、プロレスラーとして多くの日本国民に勇気を与えた力道山。その妻である田中敬子さんは、弟子のジャイアント馬場(本名・馬場正平)について回想したのち、「主人が気にかけていたのは猪木さん」と、もうひとりの偉大な弟子について話し始めた。 中学時代、家族と共にブラジルへと移住したアントニオ猪木(本名・猪木寛至)。17歳の時に陸上競技で活躍していたところが力道山の目に留まり、現地でスカウトされて昭和35年4月に日本プロレスへ入門した。

東京・浜町の道場で開かれた会見では、読売ジャイアンツの投手からプロレスに転向したジャイアント馬場と共に入門が発表され、デビュー戦も同じ同年9月30日だった。台東区体育館で行なわれた初陣で、馬場は田中米太郎に快勝し、猪木は大木金太郎に敗れた。 馬場はそれからわずか10カ月後、当時の若手の出世コースだったアメリカ武者修業に出発するという破格の待遇。一方の猪木は、前座レスラーのひとりとして力道山の付け人になった。のちに「ライバル」と評された馬場と猪木だが、プロレスラーとしての出発点は、明らかな格差をつけられていた。

 猪木は、さまざまなインタビューで付け人時代を聞かれるたびに、「毎日、ただ殴られていただけ。そこに理由なんかなかった」と振り返り、力道山から教えられたものは「何もない」と言い切る。理不尽な力道山からの指導に対し、妻の敬子さんは違う印象を持っていた。「主人は、何かあると『アゴを呼べ』と言って、しょっちゅう猪木さんを自宅に呼んでいました。部屋に猪木さんを呼ぶと肩を揉ませていたんですが、その時にプロレス以外の事業、仕事の打ち合わせをしたり書類を読んだりしていて、インタビューも猪木さんがいる前で何度も受けていましたね。

 おそらく主人は、わざと猪木さんにそういうところを見せていたんだと思います。主人が自宅に呼んでいた若手選手は、猪木さんだけでしたから。それだけ猪木さんのことを信用していたし、期待していたという証明だと思います。そんな姿を見ていたから、猪木さんも、主人と同じようにプロレス以外の事業への思いが膨らんだんじゃないでしょうか」

522NAME:2022/01/17(月) 00:34:36
当時の力道山は、自らが赤坂に建設した「リキ・アパートメント」最上階の8階に住んでいた。同じ敷地内には若手選手たちが住む日本プロレス合宿所があったが、力道山が自宅に入れることを許していたのは猪木だけだった。 猪木が回想するように、敬子さんも力道山の"鉄拳指導"は目の当たりにしていたが、当時は「期待の大きさの表れ」と考えていたという。

「主人は、自分の息子に対する教育もスパルタでした。自ら地球の裏側のブラジルから連れてきた猪木さんも、息子と同じように思っていたから、指導が厳しくなってしまった側面もあるのでしょう。猪木さんからしてみれば、『スカウトされて入門したのに、なんで殴られなきゃいけないだ』と思ったでしょうけど、主人なりの愛情なんだと考えていました」

 敬子さんが「忘れられない出来事」として話したのは、力道山が暴力団員に刺された昭和38年の12月8日の出来事。この日、大相撲の元横綱・前田山の高砂親方が自宅を訪れた。目的は、前年に行なわれた大相撲ハワイ巡業を力道山がバックアップしたことへのお礼だったが、酒を酌み交わしながらの話し合いで、力道山は高砂親方に対して猪木の大相撲入門を頼んだという。
「当時の猪木さんは細身だったので、主人は『体を大きくさせてやりたい』と考えていました。ですから、相撲界に2年ぐらい預けて、体が大きくなったらプロレスに戻す計画を立てていたんです。それを、高砂親方に頼んで承諾してもらっていました。私もその会話を傍で聞いていましたから、間違いありません」

 その宴席には猪木も呼ばれており、「高砂親方が猪木さんを見て『リキさん、こいついい顔してるね』って主人に言ったんです。すると主人は、ニコッと笑って『そうだろ』と返したんですよ。猪木さんが褒められた時の、あの喜んだ顔は今も忘れられません」 その場面について、猪木はのちの取材でこう述べている。「あの時の『そうだろ』のひと言があったから、今の俺がある。なにしろ、それまでは師匠が俺のことをどう思っているのかわからないんだから。あのひと言があったから、『俺は師匠に認められているんだ』っていう自信が出て、何とかレスラーとしてやっていくことができた」猪木の運命を決めた言葉を遺した夜、力道山は赤坂のクラブで刺されて一週間後に亡くなった。猪木の大相撲入門は、師匠の急逝で幻に終わったのだ。

 力道山が39歳で急逝してから57年が経つ。北朝鮮から日本に渡って大相撲に入門。突然の引退から、プロレスラーとして戦後の日本をひた走った。敬子さんには、常に「大切なことは諦めないこと。ネバーギブアップの精神だ」と話していたという。 敬子さんは敗戦直後で先が見えない当時と、なかなかコロナ禍収束の目処が立たない現在の状況を重ね、「今、主人がいれば......」と、力道山が生きていたら発していただろう言葉を想像した。

「やはり『ネバーギブアップだぞ。最後まで諦めるな』と日本中に呼びかけていたと思います。『誠心誠意、努力する気持ちを忘れるな』と。常に主人は明日がどうなるかわからない生活を送って、大変なことが起きても『こんなのに負けてられるか』と努力を続けていましたから」 声を震わせて亡き主人への思いを馳せたあと、敬子さんは最後に笑った。「私は今の状況が早く収束するように祈るしかないんでけど、主人が生き返って現れたら、空手チョップでコロナをやっつけてほしいですね」

523NAME:2022/01/23(日) 02:20:52
一度しかない人生で「本当に好きなことをする」
精神科医 Tomy
2021/12/23 06:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%A7%E3%80%8C%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/ar-AAS40kR

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好きなことをやってるとバカにされる?

きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」
本当に自分のやりたかった職種に転職しようとか、そういう決断をするときは、自分の心の中で、いろいろと葛藤が生じがちです。

「この決断は本当に正しいのだろうか」「これまで続けてきたことをやめていいんだろうか」また、好きなことをやろうとすると、「好き勝手やってるな」とか、まわりの人にバカにされるんじゃないかと考えてしまうこともあります。そして、決心がつかず、ためらったり、しりごみしたりするものです。

しかし、自分が本当に好きなことに向かっているのであれば、バカにされるより、むしろ尊敬の対象になります。別に尊敬されるためやる必要はありませんが、バカにされるということは最終的にはありません。純粋に自分が本当に好きなこと向かって、思い切って行動するという前向きな態度は、大事なことなのです。

現状に不満があるから、いい訳するようにして逃げるのは、本当に好きなことに向かっているとはいえないでしょう。そうではなく、本当に好きなことを思い切ってやりたいのであれば、それはぜひやるべきなのです。現状を変えようとするときは、多少なりともリスクがともないます。

「失敗したらどうしよう……」「うまくいくだろうか……」先行きどうなるかわからないという心配や不安が生じるでしょう。それでも好きなことに向かって果敢にチャレンジする人は、尊敬の対象です。多少なりともリスクを背負って新たな一歩を踏み出せば、そのリスクが頑張りの原動力にもなるはずです。

決してバカにされるんじゃないかと思うことはありません。きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」でした。参考になったかしら?

524NAME:2022/01/29(土) 00:57:56
一度しかない人生で「本当に好きなことをする」
https://diamond.jp/articles/-/290888
精神科医 Tomy
https://diamond.jp/search?fulltext=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB+Tomy

好きなことをやってるとバカにされる?
きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」
本当に自分のやりたかった職種に転職しようとか、そういう決断をするときは、自分の心の中で、いろいろと葛藤が生じがちです。

「この決断は本当に正しいのだろうか」「これまで続けてきたことをやめていいんだろうか」
また、好きなことをやろうとすると、「好き勝手やってるな」とか、まわりの人にバカにされるんじゃないかと考えてしまうこともあります。そして、決心がつかず、ためらったり、しりごみしたりするものです。しかし、自分が本当に好きなことに向かっているのであれば、バカにされるより、むしろ尊敬の対象になります。

別に尊敬されるためやる必要はありませんが、バカにされるということは最終的にはありません。純粋に自分が本当に好きなこと向かって、思い切って行動するという前向きな態度は、大事なことなのです。現状に不満があるから、いい訳するようにして逃げるのは、本当に好きなことに向かっているとはいえないでしょう。そうではなく、本当に好きなことを思い切ってやりたいのであれば、それはぜひやるべきなのです。

現状を変えようとするときは、多少なりともリスクがともないます。
「失敗したらどうしよう……」「うまくいくだろうか……」先行きどうなるかわからないという心配や不安が生じるでしょう。

それでも好きなことに向かって果敢にチャレンジする人は、尊敬の対象です。多少なりともリスクを背負って新たな一歩を踏み出せば、そのリスクが頑張りの原動力にもなるはずです。決してバカにされるんじゃないかと思うことはありません。

525NAME:2022/02/08(火) 20:15:44
母親がごみ出しの5分間に急変 当時交際の男、暴行か
2022/2/8 11:59
https://www.sankei.com/article/20220208-UJQ4C7RE2FIQBBOYKYRWQEGSMA/

元交際相手の生後まもない次女に暴行を加えたとして、大阪府警は8日、傷害容疑で、愛知県豊田市桝塚西町の会社員、国司(くにし)浩一容疑者(43)を逮捕した。次女は頭部のけがで意識不明の重体。「その場にいただけで何もやっていない」と容疑を否認しているという。

逮捕容疑は昨年3月14日午後4時ごろ、当時交際していた30代女性が住む大阪府茨木市の集合住宅一室で、生後4カ月だった女性の次女の頭部などに何らかの方法で強い衝撃を与え、急性硬膜下血腫などのけがをさせたとしている。次女は府内の医療機関に入院中だが、ほぼ脳死の状態で人工呼吸器を装着しているという。

府警によると、国司容疑者は令和2年9月ごろから女性と交際を始め、週末に愛知から泊まりに来ていた。事件当時、女性はごみ出しのため5分程度外出しており、部屋に戻ってきた際に国司容疑者から「(次女が)青白い顔で苦しそうなうめき声を上げた」と容体の急変を伝えられた。

その後、国司容疑者と女性が次女を病院に搬送した。国司容疑者は医師に「思い当たることはない。ずりばいして頭をぶつけたのかもしれない」と説明。虐待を疑った医師が、府の子ども家庭センター(児童相談所)に通報した。

府警は複数の医師の所見などから、次女のけがは自発的に起きないと判断。国司容疑者のスマートフォンには事件直後、児童虐待に関する検索履歴が残っていたといい、府警は詳しい経緯や動機などを捜査する。

526NAME:2022/02/12(土) 00:28:53
母ら食事十分に与えず 岡山女児虐待、映像で判明
2022/2/11 22:02
https://www.sankei.com/article/20220211-ZWFYUFBFYFI7DCGD7QCSC5HS2Q/

昨年9月に岡山市北区の西田真愛(まお)ちゃん=当時(5)=が虐待を受け、今年1月に死亡した事件で、強要容疑で逮捕された母親と交際相手の男が、真愛ちゃんに十分な食事を与えていなかったとみられることが11日、捜査関係者への取材で分かった。室内に設置されていたカメラの映像や、母親と男が交わしていたLINE(ライン)のメッセージ内容から厳しい食生活の状況が判明した。

岡山県警は11日、母親の彩(あや)容疑者(34)と真愛ちゃんの自宅を家宅捜索した。引き続き虐待の実態の全容解明を進める。 事件では昨年9月10〜23日、約3〜6時間にわたり真愛ちゃんを鍋の中に立たせ続けるなどした疑いで彩容疑者と交際相手の船橋誠二容疑者(38)が逮捕された。暴行の様子は室内のカメラに写り、スマートフォンにも映像が残っていた。

527NAME:2022/02/12(土) 00:29:16
愛知の住宅で0〜5歳の女児3人死亡 20代母親、無理心中か
2022/2/11 01:15
https://www.sankei.com/article/20220211-KXJXJ5W3URLSZPJPK3BPUI5H6E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E6%84%9B%E7%9F%A5%E3%81%AE%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%81%A7%E5%A5%B3%E5%85%90%EF%BC%93%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E4%BA%A1%20%EF%BC%92%EF%BC%90%E4%BB%A3%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E3%80%81%E7%84%A1%E7%90%86%E5%BF%83%E4%B8%AD%E3%81%8B

10日午後9時10分ごろ、愛知県一宮市三ツ井の住宅に住む会社員の高桑浩史さん(34)から、帰宅すると0〜5歳の娘3人の意識がないと119番があった。愛知県警一宮署によると、駆けつけた消防隊員が室内で死亡した3人を発見。無理心中を図った可能性もあるとみて、署が家にいた20代の妻から事情を聴いている。

署によると、2階の居間で長女の姫茉梨ちゃん(5)と次女の菜乃華ちゃん(3)、0歳の三女、咲桜ちゃんが並んで倒れていた。妻は左手首と首に切り傷があるが、軽傷という。現場は名鉄一宮駅から南東約4キロの住宅街。

「仲良さそうだったのに」 前向きに育児、驚きと困惑
2022/2/11 16:34
https://www.sankei.com/article/20220211-3HL5QBQESZPQDNH6GUI7GL5RN4/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E3%80%8C%E4%BB%B2%E8%89%AF%E3%81%95%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AB%E3%80%8D%20%E5%89%8D%E5%90%91%E3%81%8D%E3%81%AB%E8%82%B2%E5%85%90%E3%80%81%E9%A9%9A%E3%81%8D%E3%81%A8%E5%9B%B0%E6%83%91

愛知県一宮市の住宅で0〜5歳の女児3人の遺体が見つかり、殺人未遂容疑で母親の高桑姫華容疑者(27)が逮捕された事件。「仲が良さそうだったのに…」。前向きに子育てをしているように見えた母親の逮捕に、近隣住民からは驚きと戸惑いの声が聞かれた。 近所に住む男性(76)は、3姉妹を連れて近くの公園を訪れ、2時間ほど遊ばせる様子を毎日のように見ていたと証言。「おんぶとベビーカーで大変そうだった」と振り返った。

「週末は親子連れでよく出掛けていた。何があったのか」とやるせない表情を浮かべたのは、近くに住む団体職員の男性(56)。一家が自宅の庭でバーベキューをしたり、夫婦が子供をプールに入れたりする様子も、何度も見掛けたという。

528NAME:2022/02/12(土) 00:31:25
布団で体巻かれ窒息か 岡山虐待事件の死亡女児
2022/2/11 00:42
https://www.sankei.com/article/20220211-DMW5WTY34FLARK3FWCAZZSAWEU/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E5%B8%83%E5%9B%A3%E3%81%A7%E4%BD%93%E5%B7%BB%E3%81%8B%E3%82%8C%E7%AA%92%E6%81%AF%E3%81%8B%20%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E5%A5%B3%E5%85%90

岡山市北区の西田真愛ちゃんが虐待を受け、強要容疑で母親の彩容疑者(34)と交際相手の船橋誠二容疑者(38)が逮捕された事件で、真愛ちゃんが昨年9月に救急搬送される前、体を布団に巻かれた状態だったことが10日、捜査関係者への取材で分かった。真愛ちゃんは脳死状態になり、今年1月に低酸素脳症で6歳で亡くなった。岡山県警は布団で窒息した可能性があるとみている。

529NAME:2022/02/12(土) 00:33:31
「楽しい時間始まる」「ミッションがやってきた」 死亡女児、5時間以上鍋に立たせたか
2022/2/9 18:40
https://www.sankei.com/article/20220209-HOM2XUJS5FLNNJMSPQNDZ2BGNQ/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E3%80%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E6%99%82%E9%96%93%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%80%8D%20%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E5%A5%B3%E5%85%90%E3%80%81%EF%BC%95%E6%99%82%E9%96%93%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E9%8D%8B%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%9F%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%8B

5歳だった女児を鍋の中に長時間立たせ、全裸状態で扇風機の風を当て続けるなどして虐待したとして母親と交際相手の男が逮捕された事件で、母親が「私がしたことではないので共犯というのはおかしいと思う」と否認していることが9日、分かった。男は「間違いない」と容疑を認めている。

■逮捕の母親「大丈夫」 娘の搬送後、周囲に

女児は昨年9月に病院に運ばれたが脳死状態となり、6歳だった今年1月に低酸素脳症で死亡した。

岡山県警によると、強要容疑で逮捕されたのは母親の無職、西田彩容疑者(34)=岡山市北区花尻=と交際相手の内装工、船橋誠二容疑者(38)=同市南区築港新町。船橋容疑者は虐待の際、「やっと楽しいミッションがやってきた」「今日も楽しい時間が始まる」と発言し、女児を夜から翌日未明まで5時間以上、鍋の中に立たせ続けたこともあったとみられる。

530NAME:2022/02/13(日) 22:46:01
「介護に疲れた」72歳妻の首絞める 容疑で80歳男逮捕
2022/2/13 14:33
https://www.sankei.com/article/20220213-ZLOE6S3WJJJVVD7HC55HBHMFHQ/

自宅で妻(72)の首を絞めて殺害しようとしたとして、大阪府警鶴見署は13日、殺人未遂容疑で夫の天野斉二容疑者(80)=大阪市鶴見区=を現行犯逮捕した。妻は搬送先の病院で死亡が確認され、殺人容疑に切り替えて調べる。

逮捕容疑は13日午前8時20分ごろ、集合住宅の自室で妻、トヨ子さんの首を絞めたとしている。同署によると、約10分後に天野容疑者から「妻の首を絞めた」と110番があった。天野容疑者は「妻は寝たきりで、介護に疲れた」と話しているという。

531NAME:2022/02/14(月) 21:28:45
学校でイジメられたダウン症の少女に「最強すぎる味方」が登場、一緒に学校へ 北マケドニア
ハフポスト日本版 - 7 時間前
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%a7%e3%82%a4%e3%82%b8%e3%83%a1%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%83%80%e3%82%a6%e3%83%b3%e7%97%87%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%ab-%e6%9c%80%e5%bc%b7%e3%81%99%e3%81%8e%e3%82%8b%e5%91%b3%e6%96%b9-%e3%81%8c%e7%99%bb%e5%a0%b4-%e4%b8%80%e7%b7%92%e3%81%ab%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%b8-%e5%8c%97%e3%83%9e%e3%82%b1%e3%83%89%e3%83%8b%e3%82%a2/ar-AATOsY3

バルカン半島に位置する北マケドニアで、学校でイジメに遭ったダウン症の少女に「最強の味方」が登場する出来事があった。 少女の家に現れたのは、ステボ・ペンダロフスキ大統領。少女と手を繋ぎ一緒に登校した。

イジメに遭っていたのはエンブラ・アデミさん(11)。染色体の突然変異が原因で起きるダウン症を抱えている。 2月7日、ペンダロフスキ大統領はエンブラさんの自宅を訪問。持参した紙袋からプレゼントを取り出すと、エンブラさんは目を大きく見開いて嬉しそうな様子を見せた。そして、エンブラさんの両親から日々の課題などを聞き取り、差別撤廃のための組織がこのケースについて手続きを開始することを歓迎する意向を示した。

北マケドニア大統領府によると、ペンダロフスキ大統領は「子どもの権利を危機に晒す行為は容認できない。非定型発達の子どもたちに対するものは特にだ」と話したという。 その後、大統領はエンブラさんや両親らとともに、歩いて小学校へ登校。校舎に入っていくエンブラさんを見送った。「彼らは当然の権利を享受するだけではなく、学校の教室や校庭でも、平等であり歓迎されていることを感じるべきなんです」と大統領は話したという。

532NAME:2022/03/29(火) 23:09:34
市川海老蔵、暴露動画と多重交際でイメージダウン必至 小林麻耶支持派が優勢に
2022/03/29 16:15
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%B5%B7%E8%80%81%E8%94%B5-%E6%9A%B4%E9%9C%B2%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%A8%E5%A4%9A%E9%87%8D%E4%BA%A4%E9%9A%9B%E3%81%A7%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E5%BF%85%E8%87%B3-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E9%BA%BB%E8%80%B6%E6%94%AF%E6%8C%81%E6%B4%BE%E3%81%8C%E5%84%AA%E5%8B%A2%E3%81%AB/ar-AAVCe0i?ocid=msedgntp
© NEWSポストセブン 提供 海老蔵のイメージダウンは必至

複数の女性と“多重交際”していたことが『女性セブン』に報じられた市川海老蔵(44才)。妻である小林麻央さん(享年34)の姉・小林麻耶(42才)の強烈な暴露によって、好感度の急落は避けられない状況だ。

【写真87枚】海老蔵が美女Aさん、Bさん、Cさんと連日デートを続ける姿。他、子供たちの面倒を見る麻央さんの実母の姿なども

麻耶は3月21日、元夫である國光吟氏の公式YouTubeチャンネルに『小林麻耶暴露』『小林麻耶暴露パート2』という動画を公開。さらに、3月24日にも『海老蔵が麻央ちゃんの治療を選んでいた』という動画を公開し、これらの中で市川海老蔵の“裏側”について告発した。

麻耶いわく、麻央さんは海老蔵との生活に苦しんでいたとのことで、「苦しいよ、死にたいよ、離婚したいよ」と明かされたという。麻央さんの入院中も、海老蔵は見舞いにきても病室に5秒といられず「え、何すればいいの? 帰るわ」と言っていたことや、病室で競馬新聞を広げて競馬を楽しんでいたことなどを告発している。 さらに麻耶は、麻央さんが受けていた民間療法は海老蔵が勧めたもので、麻央さんがやめたいといっても海老蔵の一存でやめることができなかった、とも明かしている。

「麻耶さんの話している内容がすべて本当かどうかを確かめるのは難しいことではありますが、これらすべてを創作して話すとは考えにくく、それなりにリアリティーのある話だと考えられます。また、海老蔵さんの多重交際報道が出たことで、子育てよりも自分の遊びを優先しているであろう実情も浮かび上がってきました」(芸能記者・以下同) 麻耶は3月27日、『海老蔵から襲われた時の話』というタイトルでブログを更新。〈目を開けると海老蔵が私の上に覆いかぶさっていました〉と、寝ている間に海老蔵にのしかかられた経験があるとも告白した。

「結局、麻耶さんは海老蔵さんから逃れたとのことですが、麻耶さんは〈本当に女なら誰でもいいんだなと怒りが込み上げてきました〉とも書いています。真偽は不明ですが、一連の多重交際報道も合わせて、海老蔵さんのイメージダウンは必至です」

533NAME:2022/03/29(火) 23:09:48
麻耶さん支持派が優勢に

これまで麻耶は、元夫である國光氏によって“洗脳”されていたとも言われてきたが、今回の暴露動画と、海老蔵の多重交際報道によって、麻耶に対する見方も変化しつつある。 「最近の麻耶さんのスピリチュアル系の発言の背景に、海老蔵さんに対するさまざまな苦悩があったことが想像できることから、ネット上でも麻耶さんに同情する意見と海老蔵さんを糾弾する意見が増えています。もちろん麻耶さんの手段を選ばない発信方法に対しては懐疑的な声も多いんですが、それでも麻耶さん支持派が優勢になりつつありますね」

ブログでは子煩悩ぶりを綴ることが多い海老蔵だが、そこにもまた疑いがかけられている。 「麻耶さんが勸玄くんと麗禾ちゃんの世話をしていた当時、海老蔵さんが麻耶さんに子供の写真をブログに載せないでくれと言っていたと、麻耶さんは動画で話しています。また、現在は麻耶さんのお母さんが、子供2人の世話をしているようですが、海老蔵さんのブログには、お母さんの写真は一切載りません。

つまり、海老蔵さんは子育てを義理の母に任せて、自分は複数の女性を交際をしているのに、ブログでは良きパパを演出していることになるわけです。海老蔵さんのイクメンアピールが偽物だったとなれば、イメージダウンはもちろんのこと、バッシングが広がる可能性もあるでしょう」 もしも、麻耶の暴露がすべて真実であったならば、海老蔵はかなりの“モラハラ夫”だったことになる。

「普通の芸能事務所に所属するタレントであれば、これらの暴露で一発アウトになる可能性も十分にあると思います。少なくとも、育児関係の仕事のオファーはなくなるだろうし、テレビ番組であればあまりにもイメージが悪すぎて、スポンサーが拒否する可能性が高い。しかし、世襲制である歌舞伎の世界は特殊で、簡単に海老蔵を“切る”ことは難しい。海老蔵さんは市川團十郎という大名跡を継ぐことが決定しており、歌舞伎の伝統を守るという意味でも“海老蔵外し”は簡単ではない。ただ、ここで海老蔵さんを許してしまうと、歌舞伎そのもののイメージダウンにも繋がりかねないという側面があるのも事実だと思います。海老蔵さんにとっても、歌舞伎界にとっても重要な局面なのかもしれませんね」 麻耶の暴露と多重交際報道によって窮地に追いやられつつある海老蔵。果たして何らかの弁明はあるのか、あるいは反論はあるのか──。

534NAME:2022/03/29(火) 23:32:58
榊英雄監督の盟友、木下ほうかの「性加害」を2人の女優が告発する
https://bunshun.jp/articles/-/52915
性加害疑惑

「性被害」を題材にした映画「蜜月」。「週刊文春」では3月10日発売号、同17日発売号で同作の榊英雄監督(51)に「性行為を強要された」と語る女優(A子さん〜G子さんまでの計7人)などの告発を報じ、3月25日から公開予定だった「蜜月」は公開中止に至った。 3月18日には、是枝裕和氏や西川美和氏など著名監督が「私たちは映画監督の立場を利用したあらゆる暴力に反対します」との声明を発表した。女優たちの告発が、芸能界にはびこる性加害の実態を明るみに出しつつある。 

2022年3月31日号の週刊文春にて、木下ほうかの「性加害」を2人の女優が告発した[10]。1人目は演技指導の名目で木下の家に呼ばれ最初は台本読みしていたが最終的には性行為を求められ、応じざるを得なかったと語った。2人目は木下から無理やりキスされそうになり、それを拒んだら後日「期待してこれから育ててあげようとしたのに残念。これぐらいの根性なのですね」とメールが届き、最終的には木下の自宅で性行為に至ったという[11]。

演技指導の名目で木下の自宅に呼び出され…

 今回、詳細な証言と共に「性被害」を告発したH子さん、I子さんという2人の女優は、いずれも木下から性行為を求められ、応じざるを得なかったと語った。 H子さんは演技指導の名目で木下の自宅に呼び出された。最初は2人で台本読みをしていたが、「なんでできへんねん」と木下に叱られるうち、H子さんは悔しくて泣き出してしまったという。すると、木下は一転、慰めるような優しい声音で「もういいから。こっち来いや」と寝室に連れていった。そこで木下は自分のパンツを下ろすと、H子さんの顔先に性器を突き出した。 「なし崩し的に口での行為を迫られました。抵抗したらもっと酷いことをされるかもしれない。要求に応えて済ませた方が安全だと思ってしまった。『早くこの時間が終われ』と頭の中で繰り返していました」(H子さん)

「みんなやってる」と言われて…

 もう1人の女優I子さんは、ある日、木下から無理やりキスされそうになり、それを拒むと、後日、こんな旨のメールが来たという。 「期待して、これから育ててあげようと思っていたのに残念です。失望しました。あなたの根性はこのくらいなのですね」 後日、木下の自宅で性行為に至ったという。 「私とは親子ほど歳が離れていますし、気持ち悪かった。でも力では到底勝てないし、顔が広いので、拒んだら悪い噂を流されるかもしれない。『みんなやってる』『これを断るようなメンタリティじゃこの世界でやっていけない』と言われて洗脳されたというか、断れなかった。なんで役者として演技をしたいだけなのに、いつも性行為の話が出てくるんだろうって……」(I子さん)

 木下の所属事務所「カクタス」には3月20日の午後4時にFAXとメールで取材を申し込み、同社の社長にも取材申し込みの手紙を届けた。同日から、木下本人の携帯などにも再三取材を申し込んだが、22日の夜9時現在、回答は届いていない。 ただ、関係者によると、木下の出演番組を巡り降板を含めた対応が協議されているという。 3月23日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および3月24日(木)発売の「週刊文春」では、榊監督の新たな「性加害」、木下に対するH子さんとI子さんの告発を詳しく報じている。

535NAME:2022/03/29(火) 23:42:52
榊英雄監督の性被害を告発した女優らが語る、映画業界3つの「罠」
竹下 郁子
Mar. 29, 2022, 07:20 AM News
https://www.businessinsider.jp/post-252224

映画監督・俳優の榊英雄氏から望まない性行為を強要されたと告発する女性たちが後を絶たない。 報道を受けて連帯を表明する映画関係者もいる一方で、ネットでの中傷も多く、女性たちは二次被害に苦しんでいる。 被害がここまで拡大した背景には何があるのか? フリーランスを保護しない労働法制、パワハラ・セクハラの「温床」と呼ばれるワークショップ、俳優と監督という圧倒的な力関係……関係者たちに話を聞くと、映画業界に潜む3つの“罠”が見えてきた。

#MeTooがいまだ“ゴシップ”扱いの日本社会

女性はこれまで榊氏以外にも「役を降ろすぞ」と脅されて性行為を強要されたことがあり、「監督やプロデューサーという立場を笠に着て、『女優をなんとかしてやろう』という人は業界にたくさんいる」という。 実際、週刊文春の報道後、自身の性暴力の告発を案じる芸能関係者から“探り”を入れるような連絡が何度も来ているそうだ。

536NAME:2022/03/29(火) 23:43:57
榊英雄監督に女性への性加害報道、最新作公開中止に…法的責任について弁護士の見解は?
3/10(木) 16:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6aa2e0a829acbd07b6cb1108785b252d19a3756

俳優の榊英雄氏(51)が2013年〜17年にかけて複数の女優に対して性行為を強要していた──とする9日付の文春オンライン報道を受け、榊氏が監督を務め、25日に予定されていた映画「蜜月」の公開中止が公表された。

濱松恵も#ME TOO! 芸能界にはびこるセクハラの闇

 製作委は公式ページで、「榊英雄氏が監督した同作品につきまして、関係各所との協議の結果、映画『蜜月』の公開を一旦中止とさせていただきます」とし、「今後につきましては、すべて未定です」としている。 公開中止となった「蜜月」は「性被害」がテーマの作品。その監督が「性加害者」の疑いがあるというのだから言語道断だろう。芸能界では国内外を問わず、権力者がキャスティングなどをめぐって女性らに不適切な関係を迫るケースがあるといわれ、米国では2017年、「恋に落ちたシェークスピア」などのヒット作品を多く手掛けた映画プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン(69)のセクハラ疑惑が発覚している。

 この事件を機に女性らが被害を訴える「#MeToo」運動が各地に広がり、米ニューヨークの裁判所は2020年3月、女性2人に対する性的暴行などの罪で同プロデューサーに禁錮23年を言い渡したが、今回、文春記者の取材に応じた被害を訴える女性らが、米映画プロデューサーのように榊氏を訴えて法的な罪を問うことは可能なのか。 元東京地検検事の落合洋司弁護士は「訴える場合、刑事、民事の2つのケースがありますが、刑事の場合、立証の可否、証拠の問題に加え、おそらく時効の問題が関わってくるでしょう。民事でも不法行為の時効は3年ですから、(記事のケースだと)難しいのではないか」と言いつつ、こう続ける。「ただ、法律上はそうであっても、加害者が被害者に対して和解金や慰謝料などを支払うケースもある。また、今回の文春記事がきっかけで、海外のように日本の芸能界でも『#MeToo』運動が起きる可能性は否定できません」

 文春の記事を受け、榊氏は9日付で次のようなコメントを発表。 <この度は、映画「蜜月」の公開が控えているこのタイミングで、私の過去の個人的なことが記事になり、映画を創るために東奔西走してくださったプロデューサー陣やスタッフ、キャストの皆さま及び関係者の皆さま、そして何よりこの映画の公開を楽しみに待っていてくださる観客の皆さまに、多大なるご迷惑とご心配、不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます(略)今回の記事上で、事実の是非に関わらず渦中の人とされてしまった相手の方々にも、大変申し訳なく思っております。記事の内容につきましては、事実であることと、事実ではない事が含まれて書かれておりますが、過去のことをなかった事には出来ません。それをしっかり肝に銘じ、これからの先へ猛省し悔い改めることを誓い、人を、日々を大事に生きていきたいと思っております>

 反省の意を示しながらも「過去のこと」とつづっているのが気になるが、「猛省し悔い改めることを誓う」のであれば、まずは真っ先に謝罪するべき相手は被害女性であり、たとえ時効で法的責任は問われなくとも誠心誠意を尽くすべきだろう。

537NAME:2022/05/12(木) 23:54:47
急逝した上島竜兵さんは芸人としてその役を見事に全うした
2022/05/12 16:15
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E6%80%A5%E9%80%9D%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%8A%E5%B3%B6%E7%AB%9C%E5%85%B5%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AF%E8%8A%B8%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BD%B9%E3%82%92%E8%A6%8B%E4%BA%8B%E3%81%AB%E5%85%A8%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%9F/ar-AAXbJ2Z?ocid=EMMX&cvid=f63f35731a2a455cb99121c9eb988b3f

臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、突然の訃報が伝えられたお笑い芸人の上島竜兵さん(享年61)について。

このような訃報に接すると「なぜ」という言葉しか出てこない。だがその問いに答えを求めているわけではない。理由を知りたいわけでもない。ただただ「なぜ」と思うだけだ。

 お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜平さんが5月11日の未明に亡くなられた。3日には、俳優の渡辺裕之さん(享年66)が亡くなられたばかりだ。芸能界の相次ぐ突然の訃報に接し、元気に活躍していた姿が思い浮かんでくる。

 上島さんはリアクション芸の第一人者だった。アツアツのおでんを顔につけられたり口に突っ込まれるおでん芸、熱いお湯の上にまたがり「押すなよ」と決めセリフを言いながら落とされる熱湯風呂、むちゃぶり後の「どうぞどうぞ」、ケンカの後のキス芸など、3人の息の合った芸は、毎回、何がどうなるのか分かっているのに笑ってしまう面白さがあった。

 コロナ渦でイベントなどの開催が難しくなり、彼らのような身体を張ったリアクション芸を演じるのが難しくなっていたというが、ここ数年は俳優としても活動し、数々のドラマで芸人の時とは違う多彩な顔を見せていた。それでもやはり、「聞いてないよぉ」というギャクの時のように、いつも元気すぎるぐらいの陽気で明るい芸人としての屈託のない笑顔を思い出す。

 テレビの中の上島さんしか知らないこちらは、その表の顔と普段の彼のキャラや個性を重ね合わせて見ていたのだろう。彼のイメージとかけ離れた今回の訃報に驚いた。楽しく笑わせてくれた芸がもう見れないのが残念でならない。

「人間は『ペルソナ』を付けている」と心理学者のユングは述べている。ペルソナは古典劇において役者が付けた仮面のこと。ペルソナは、人が他人に向けて見せる外向きの顔で、人が外の世界に対して付けている仮面だという。そしてペルソナは1つではない。「人間には千個のペルソナがある」とユングは言った。ペルソナを通じて、人は本当の性格ではない違う性格を演じ、「他人にこう見られて欲しい」という自分の姿を見せる。

 人はいくつものペルソナをつけ替えながら、さまざまな状況に適応し役割を担い、他人との関係を良好に築いていくものだ。ペルソナを付けていないと人は無防備になるが、自分で作り出したペルソナのイメージが強く大きくなりすぎてストレスになることもあるという。また、ペルソナは本当の顔を隠してしまう。自分が本当は何者であるか、外には示さないというのだ。

 昔、某俳優が突然亡くなった時、ある精神科医がこう言った。「彼は俳優としてのペルソナを付け、見事にその役を演じきったんだろうな。だから突然の訃報を聞き誰もが『なぜ』、『どうして 』と思ってしまうのだろう」 ペルソナは“仮面”ではあるが、その人を形作る要素の一つ。そのペルソナを剥がして、メディアがあれこれ詮索する必要も、心ない憶測もいらない。ご冥福をお祈り致します。

538NAME:2022/05/20(金) 00:21:16
年収1億円…一世風靡したあのタレント 上から目線で芸能界干され アッコの威を借りる狐だった
[ 2016年2月8日 21:53 ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/08/kiji/K20160208012007420.html

タレントの吉村明宏(58)が8日に放送されたテレビ朝日系「しくじり先生 俺にみたいになるな!!2時間SP」(月曜後8・00)に出演。自身がものまねをしていた歌手・和田アキ子(65)のおかげで人気を得たにもかかわらず、自分の実力だと勘違いしたためにたどった悲惨な末路を明らかにした。

 18歳の時にテレビのオーディション番組でものまねを披露してチャンピオンとなり、芸能界デビュー。10年間は鳴かず飛ばずの状態が続いたが、TBS系「アッコにおまかせ」の中継リポーターに抜てきされて人気が爆発。アッコにもかわいがられるようになり、レギュラー番組も増えていった。

 自身の冠が付いた帯番組も担当するようになり、年収は1億円に。あくまでもアッコに頼る“腰ぎんちゃく”的な立ち位置だったのにもかかわらず、「俺の実力がすごい」「俺も和田アキ子になれる」と勘違いし、スタッフには上から目線の態度。現場でもキレまくっていたという。

 この状況を見かねたアッコから「スタッフに嫌われている」と忠告を受けたが、意に介さず。「私に嫉妬している」「私の勢いに(アッコが)ビビッている」としか感じなかったため態度を改めることはなく、その結果現場からは総スカン。帯番組は1年で終了し、「…おまかせ」のレギュラーも降ろされるハメになった。

 仕事のないドン底生活。2人の娘は「父親が吉村明宏だということを学校で隠している」という事実も披露した。「これはショックでしたが、すべては私のせい」と涙した吉村。最後はこれまでの自身の愚行を悔い、アッコからかけてもらった「本当のスタートからここからやで」という言葉を胸に「人から頼られる人間になりたい」と人生の再出発を誓った。

539NAME:2022/06/16(木) 16:13:06
村木厚子
私は負けない  「郵便不正事件」はこうして作られた 単行本 – 2013/10/24
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%A0%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%80%8C%E9%83%B5%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BD%9C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F-%E6%9D%91%E6%9C%A8-%E5%8E%9A%E5%AD%90/dp/4120045501

まったく身に覚えのない「郵便不正事件」で逮捕された著者が、不当・巧妙な検察の取り調べを乗り越えて「無罪」を獲得。
164日の勾留にも屈しなかったのはなぜか? 今なお制度改革に闘い続けるのはなぜか?
事件を振り返り、法制審議会の議論に緊急提言する。

冤罪が生まれない“信じられる司法制度"にするためには、〈取り調べの可視化〉〈証拠開示〉〈身柄拘束〉3大課題の改革が絶対に必要です!
二度とこんな経験はしたくありません。そして誰にもこんな思いを味わってほしくないと思っています。そのためにどんな刑事司法改革が必要か……。
この本がそれを皆さんと一緒に考えるきっかけとなれば幸いです――「はじめに」より

事件の発端となった上村勉・元係長との特別対談、周防正行監督のインタビューを収録

男たちが虚偽供述に追い込まれる中、なぜ彼女だけが454日を闘い抜くことができたのか?
法制審に緊急提言! 事件を振り返り、司法改革に必要な3大課題を訴える

540NAME:2022/06/16(木) 17:50:10
村木厚子 特捜部に狙われた女性官僚
2021.10.05 公開
https://www.ntv.co.jp/gyoten/articles/324m08q492b9d9aqqz2.html

ある日身に覚えのない罪で逮捕された女性。その罪は、なんと検察による捏造だった。 郵便不正事件…厚生労働省が組織的に郵便料金の不正に関わったとされたありもしない事件。 これは絶対権力と戦い続けた女性と家族の454日の記録。

2004年、東京にあった障害者団体を名乗る「凛の会」である悪巧みが進められていた。 その内容とは「ダイレクトメールを会報に同封すればたった8円で出せる」というもの。 郵便法では、障害者団体のための割引制度があり、通常は一通120円かかる定期刊行物が、この制度を使えば、僅か8円で出せるのだ。 凛の会はこの制度を悪用し、ダイレクトメールを送りたい企業に声をかけ120円かかるものを8円で送り、その差額と企業から得る広告費で多額の利益を得ようと考えた。

但し、これには厚生労働省が発行する障害者団体証明が必要だった。そこで凛の会は…証明書の発行を厚労省に申請。 しかし、この件の担当者だった係長は、当時初めての予算の作成に追われその証明書の発行を先送りする。 度重なる催促…しかし、証明書を出すには6人以上の上司の決裁が必要。 追い詰められた係長は正規の手続きを踏むことなく、他の職員がいない時間に、当時企画課長だった村木厚子の印を勝手に押し、自分一人で仕上げてしまった。

これは犯罪行為。 そして、その日のうちに凛の会に証明書を渡した。 係長による単独の判断での犯行、これが事件の真相だった。 5年後、この偽造証明書を使った郵便不正事件が発覚し、大阪地検特捜部が捜査に乗り出した。 そして、凛の会関係者など10人を郵便法違反容疑で逮捕。 不正に得た利益はおよそ211億円にのぼっていた。 このとき、特捜部はこの事件には黒幕がいるとみて、ある人物に狙いを定めていた。 それが当時厚労省局長の村木厚子だった。 そして2009年5月26日。この日ついに、証明書を偽造した容疑で係長が逮捕された。これで事件は全て明らかになるハズだった。 だが、事態はとんでもない方向へ進んでいく。

本人の知らないところで作られた筋書き

マスコミは上司の村木を追い回した。 一方、検察はなぜか村木を呼ばず、周りの職員や元の上司を事情聴取していた。 それもそのはず、検察は大物の村木逮捕を目指し架空のストーリーを作り上げそれに合う調書を職員から取っていたから。 不安になった村木は弘中惇一郎という弁護士に相談。 弘中惇一郎弁護士は社会的に注目を浴びる数々の裁判で実績を残してきた人物だった。

この事件には変えることのできない3つの事実がある。 1つ目は2004年6月8日に凛の会が日本郵政公社に申請書類を提出した際、障害者団体の証明書を出さなかった事。 2つ目はその2日後の6月10日に証明書を提出したこと。 3つ目は係長が作成した偽の証明書の日付が5月28日だったこと。 大阪地検特捜部のでっち上げストーリーもこの3つの事実を巧みに利用していた!

その筋書きはこうだった! まず凛の会の会長がある人物と会う所から始まる。 相手は石井一衆議院議員。そして石井議員は面識のあった厚労省の担当部長に電話した。 部長は当時企画課長だった村木を呼び、村木課長の案件となった。 2004年6月8日、凛の会は村木課長が動いているので証明書無しで、障害者割引を承認してもらえると考えた。 だが、証明書が必要だと郵政公社から指摘され、村木が係長に正規の手続きを踏まなくてもいいからすぐに作れと指示。 そして、係長は凛の会が希望したとおりに5月28日に遡った証明書を作成した。 その正規のルートを踏んでいない証明書を自分の席で凛の会・会長に渡し、凛の会は6月10日、不正入手した偽の証明書を郵政公社に提出した。

これが検察のストーリー。 事実は係長が単独で証明書を作っただけなのに、なぜか全く関係のない石井議員と村木を入れ混み議員と厚生労働省の組織ぐるみの犯罪にでっち上げた! 検察はこのねつ造したストーリーを真実とし…6月13日、大阪地検から村木厚子のもとに事情を聞きたいと連絡がきた。 そして恐ろしい取り調べがはじまる。

541NAME:2022/06/16(木) 17:50:34
村木は説明したらわかってくれると思い、すぐに大阪へ。 だが、この取り調べは村木が指示した事件であると決めつけられていた。 検察は村木を虚偽有印公文書作成、同行使の事実で逮捕。 それは村木から係長へ偽の証明書発行の指示があったとする罪だった。 ここから454日にも及ぶ闘いが始まる!

身勝手な取り調べ…家族のために耐える日々

村木が入れられたのは通称・カメラ房と呼ばれる広さ2畳半ほどの独房。
24時間カメラで監視されたのは自殺防止のため。 調書はあくまで検察側が想定したストーリーに当てはめながら、それに合う言葉を拾っていくものだった。 「会った記憶はない」と言っても、「会ったことはない」と調書では断定。 ニュアンスも変えられた。 この時点で認められていたのは弁護士との接見のみ。

取り調べは連日夜の10時まで続く。 みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて拘置所の独居房に帰るという毎日。 取り調べが始まって11日目…取調官が別の検事に替わった。 あくる日…検事は厚労省職員数人の供述調書を持ち込んでそれを読み上げていった。 そこには村木から指示されたということが生々しく書かれていた。

検察側が想定したストーリーに当てはめるために、取り調べはどんどん強引になっていく。 弘中弁護士はチームを組んで東京から毎日、大阪まで面会に来て様々なアドバイスをした。 村木はなぜ職員のみんなはそんな嘘をつくのか疑念を抱いていた。 それに対し、弘中弁護士は検事が勝手に作文をしているだけだと答えた。

もちろん全ての検察がそんな事をしている訳ではない。 しかし、この事件に関しては…5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。 連日、夜遅くまで続く取り調べの中で村木を支えたのは…娘たちの存在だった。 将来、娘たちが今の自分のような困難に遭遇したとき、『あの時、お母さんも頑張った。大丈夫、私も頑張れる』と思ってもらいたい。 娘たちの将来のためにここで頑張らないといけないと思った。

そんな中、捜査報告書に気になる箇所が! それは、あの係長の自宅から押収したフロッピーディスクにあった偽の証明書を保存した日付データをプリントアウトしたものだった。

検察が言っていたのは…2004年6月8日に郵政公社が証明書を提出するように指摘されたので凛の会が村木に証明書を作ってくれと依頼した。 そして、6月10日に郵政公社に証明書を提出した。 つまり村木の指示なら証明書は6月8日から10日の間に作られていないとおかしい。 しかし、フロッピーの日付は6月1日。 村木が指示したとされる日より1週間も前だったのだ。 遂に見つけた検察側ストーリーの綻び。 やはりこの事件は検察のでっち上げに違いない。 2009年11月…4度目の申請でようやく保釈が決定。 164日に渡る拘留が終わった。

542NAME:2022/06/16(木) 17:52:01
次々に覆されていく検察の筋書き

およそ半年振りの外の世界。 年が明けていよいよ裁判が始まった。検察と村木、全面対決の始まりだった。 そして、弁護側はあのフロッピーの日付の矛盾について追及した。 これをきっかけに検察のねつ造したストーリーは次々と崩れ去っていく。 石井議員から電話を受け、村木に指示を出したとされる部長が、検察側の証人にもかかわらず電話があったことすら否定した上で供述を翻したのだ。

そして、一連のきっかけとなった係長の証人尋問では…。 証明書の偽造は自分の独断でやったと話しているのに、調書ではそうなっていない事を指摘しても聞いてもらえなかったと語った。 この係長も、取り調べで嘘を言ったわけではなかったのだ。 さらに検察のストーリーを根底から覆す証人が遂に登場する。 それは検察の筋書きにも登場していた石井一参議院議員。

検察の筋書きでは、2004年2月25日午後1時に凛の会の会長と会っている…とあったが、石井議員はこれを否認。 石井議員は過去30数年、その日に会った人の名前とその時間・内容を細かく手帳につけていた。 その手帳によると、2004年2月25日は7時56分から古賀一成衆議院議員とゴルフをしていた。となっており、ゴルフ場を出たのが午後4時頃。 それから急いで東京に帰って懇親会に出席していた。 これにより議員会館で凛の会の会長とは会っていないという事が証明された。

こうして2010年9月、無罪判決が言い渡された。 大阪地裁は検察側のストーリーの大半を否定。 逮捕から454日目のことだった。 しかし都合のいい調書を取った検事たちは罪に問われることはなかった。 ただ、特捜部の主任検事が問題のフロッピーディスクの日付を6月1日から6月8日に書き換えたことがバレたことで証拠隠滅の罪で逮捕された。 さらに当時、大阪地検特捜部のトップだった部長、副部長を犯人隠避容疑で逮捕するという検察史上類をみない不祥事にまで発展した。

無実でありながら逮捕されたキャリア官僚、村木厚子さん。 厚労省を退官した後、仰天ニュースにコメントを寄せてくれた。 「警察官や検察官による密室での取り調べは大きな問題を抱えています。功名心からだけではなく、『犯人を突き止めたい』『自白を取って証拠を固めたい』という職業的な使命感の強さが無理な取り調べを生み、無実の人を嘘の「自白」に追い込んでいます。できる限り早く、すべての事件で録音・録画が行われ、無理な取り調べによる冤罪がなくなることを心から願っています。」

543NAME:2022/06/16(木) 18:59:27
元厚生労働事務次官・村木厚子の信念「裁判を乗り越えられたのは、自分の人生を他の人に委ねたくなかったから」
3/26(土) 19:36配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/78db7d6a09b3c2def7632f6ab85b86ecf5fecff3
村木厚子【運命に翻弄(ほんろう)されない人生を】

◆どんな理不尽に直面しても、人生の主導権は自分で握る

厚生労働省の官僚として、女性や障害者を支援する政策に携わってきた村木厚子さん。長時間の残業が当たり前の環境でも、仕事と子育てを両立させる女性のロールモデルになることを目指し、地道にキャリアを積み重ねていたところで、冤罪(えんざい)による逮捕……。

もともと大志を抱いて国家公務員になったわけではなく、役所で重職に就く未来なんて思い描いていなかった。それでも、逆境に直面する度に信念を磨き上げていく――。自身を「平凡」と評価する村木さんに、平凡じゃない人生を振り返ってもらった。

女の子でも、必死に働いて自分を養える大人になれることを証明したかった

37年半の国家公務員人生で、いちばん残業時間が長かったのが25歳の頃。当時は旧労働省から外務省に出向したばかりで、手取り足取り仕事を教えてもらえるような環境ではなく、四苦八苦しながら与えられた役割をがむしゃらにこなしていました。 海外とのやりとりも多く、時差の影響もあって仕事が終わるのは午前3時。通勤電車でつり革を握りながら“立ち寝”していたのはあの頃だけです(笑)。 本当に悲惨な日々だったので、どんどんメンタルがすり減ってきて、職場で誰かが後ろを通っただけで動悸がするんですよ。「怒られるかもしれない」という不安でいつもドキドキしていました。

それでも辞めたいと思わなかったのは、しっかり働いて自分で稼ぎ、自分を養える大人になることが、両親への恩返しになると思っていたから。私が中学2年生の頃に父親が失業してしまったこともあり、それこそ実家の家計は火の車だったと思います。 それでも、両親は私の意思を尊重して大学まで行かせてくれました。まだ大卒女性の雇用が少なかった時代ですから、無理してまで女の子の教育費を捻出する家庭は少なかったはず……。 「女の子だから」という理由で進学を諦めずに済んだのだから、社会に出てからも「女の子だから」に甘えるのではなく、意地でも働いて自立したいなと。若い頃は、その思いだけで役所の仕事にしがみついていて、他に大きな志を持っていたわけではありません(笑)。

26歳で結婚した相手は、役所の同期だったので仕事の大変さも分かり合えましたし、私の価値観に共感してくれていたので長女を出産した後も自然と共働きを選びました。当時の男性には珍しく、夫は激務をこなしながらも家事にも育児にも積極的な人で。 理由を聞いたら、「小さい苦労で得られる小さな幸せよりも、大きい苦労で大きな幸せを得たいんだ」と。その言葉は私にとって救いであり、その後のキャリアでも心の支えになっていたと思います。

544NAME:2022/06/16(木) 18:59:52
仕事と育児の両立が辛いなら、職場に借りを作る時期があってもいい

すごく楽しい日々を過ごしていたのですが、私が31歳で島根県の労働基準局監督課長に就任したことで、お母さんっ子だった娘を連れて単身赴任することに。私も夫もいつかは管理職として地方へ行かなければならないことは分かっていたのですが、先に私の順番が来たわけです。 子連れで単身赴任する女性は珍しかったので、東京に残った夫は近所で「奥さんと子供に逃げられた」と噂されていたみたいです(笑)。

監督課長のポストに女性が就くのは約20年振りだったらしく、赴任先の島根でもびっくりされた記憶があります。それでも、周りの方々がすごく気にかけてくれましたし、週休二日制導入の推進キャンペーンなどのやりがいのある仕事に取り組むこともできました。 すごく幸せな1年半でしたが、本庁に戻ったら入れ替わりで夫が長野に単身赴任することになり、かつてないほど辛い状況に。本庁の長時間勤務とワンオペの子育てを両立させるのが本当に大変で……。

当時娘が小児てんかんを患っていて、眠る時に痙攣(けいれん)が起きやすかったので目が離せず、発作が起これば救急車で医大に連れて行くことになっていたので、とても仕事に全力を注げる状況ではありませんでした。 新しい役職に就いたばかりなのに、部下のほうが能力もあるし、迷惑をかけてばかりだなと。「もう無理かもしれない」と……初めて仕事を辞める選択が頭をよぎりました。

仕事と育児の両立に悩んでいましたが、やはり母親業を優先しなければならないことは分かっていました。職場に私の代わりはいるけれど、娘にとって母親は私だけですからね。 自分の中でその優先順位がクリアになってからは、仕事に関しては諦めの境地に達しまして(笑)。部下に仕事をどんどん任せて、自分は堂々と真っ先に帰れるようになったんです。

状況は何も変わってないのに、急に気持ちが楽になってあらゆる物事がうまく回るようになりました。結局、「敵は己にあり」ということ。「みんなに迷惑かけてる」と思い込み、自分で自分をいじめてパフォーマンスを下げていたんですよね。 かつての私と同じように、今の社会にも、仕事を完璧にこなせない自分を責めてしまうお母さんが多いと思います。でも、子育てが大変な時期はずっと続くわけじゃないし、私は職場に借りを作る時期があっていいと思うんですよ。 怪我や病気、親の介護など、いずれは誰しも借りを作る時期が訪れます。自分の借りは、他の人が困っているときにお返しする。貸し借りの感覚を忘れなければいいんです。一人で悩んで罪悪感を増幅させないで欲しいですね。

545NAME:2022/06/16(木) 19:00:09
裁判を乗り越えられたのは、自分の人生を他の人に委ねたくなかったから

働いて自立することだけを考えて、キャリアに関しては何のビジョンも持っていなかった私も、40代になってからは自分なりの目標ができました。東大卒でもなく、平凡な人間でも、夫婦で子育てをしながら役所務めの人生をやり切れることを証明したかったんです。 課長から審議官になったことで、もう十分だと思っていたのですが、幸運にも上位職である局長に選ばれて。育児・介護休業法の改正に着手するなど、仕事のやりがいもあったし、このまま退官したら新たなひとつのロールモデルになれるような気がしていました。

そんな矢先に、郵便料金制度の不正利用の疑いで逮捕。本当に予想だにしていなかったし、自分の何が疑われたのかも分からなくて。メディアで犯人のように報道されて、有罪になれば職も失うという状況です。怒りや戸惑い、不安に押し潰されそうになりましたが、どんなに悩んでも起こってしまったことは変えられません。 裁判で勝つために、できることを最大限にやらなければならないと、冷静に気持ちを切り替えたんですよね。若い頃から長時間労働で身も心も鍛えられていたので、連日夜遅くまで取り調べが続いてもへっちゃらでした(笑)。

数ヵ月にわたる勾留と裁判を経てようやく無罪となったのですが、その間に自分を見失わなかったのは、人生を他の人に委ねたくなかったから。誰が何と言おうと、「やっていない」という真実は私の中にあるのだから、毅然としていようって思えたんです。 生きているといろんな災難が降ってくるし、理不尽な出来事に巻き込まれることもあるかもしれません。それこそ組織の人事は運やタイミングに左右されるものですから、昇進することに価値を置いていると「こんなはずじゃなかった」と絶望することも多いと思います。

そうやって自分ではどうにもできないことに思い悩むのではなく、置かれた状況の中で、自分が決められることに集中すると人生はすごく楽になるんですよね。仕事と育児の両立に悩んでいたときも、拘置所にいたときも、その思考で私は苦しい局面を切り抜けることができました。自分の好きなところを挙げるとしたら、基本的に前向きなところかもしれません。 
2013年には、女性としては2人目となる厚生労働事務次官(国家公務員の最高位)に就任しました。2年後に退官するまで、公務員人生を最後までやり遂げることができて嬉しかったですね。

今もし、何か悩んでいる方にアドバイスするとしたら、ただ悩むのではなく、一つ一つできることをクリアにしてみて、ということ。そうやってマイペースでも長く歩き続けていくと、結構遠くまで行けちゃうんですよ。

村木厚子/元厚生労働事務次官・津田塾大学客員教授 1955年生まれ。高知県出身。高知大学卒業後、1978年に労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。雇用均等・児童家庭局長、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)、厚生労働省社会・援護局長を歴任。

2009年、身に覚えのない郵便不正事件で逮捕。2010年、無罪が確定し、復職。2013年には女性としては史上2人目となる厚生労働事務次官に就任。 2015年に退官後は、伊藤忠商事、住友化学等の社外取締役を務めるとともに、2017年から津田塾大学客員教授に就任。著書に『公務員という仕事』などがある。

546NAME:2022/06/17(金) 23:46:48
玉袋筋太郎「親父を死に追いやった姉夫婦を、今も許せないまま」
理想の家族も、いつ壊れるかわからない
玉袋筋太郎
https://fujinkoron.jp/articles/-/394

昨年出した著書で、玉袋筋太郎さんは父が自殺していたことをはじめて明かした。当時、自身は35歳。その死を受け止めるには若く、また、人に語ることでもないと胸にしまってきたのだ。なぜ父を突然失わなければならなかったのか。そして、その後芽生えた家族観とは。(構成=福永妙子 撮影=川上尚見)

メモに「ごめん」とだけ書き残して

オレには3歳上の姉がいるけど、この17年間、まったく会っていません。オレから絶縁を言い渡して以来、今どこで何をしているのか、生きているか死んでいるかも知らない。 うちの実家は雀荘をやったりスナックをやったりしていたので、両親は共働き。いつも一緒に留守番をしているような姉弟だった。親父やお袋といるより、姉と過ごす時間のほうがずっと長かったし、たくさん遊んで、世話もしてもらって、仲よかったんだよ、あの頃は……。 それなのに、姉と縁を切ろうと決めたきっかけは親父の自殺です。遊園地の観覧車に子どものオレだけ乗っけて、自分は下から見ている――。そんな高所恐怖症の親父が、65歳の時、ビルの6階から飛び降りちゃった。きったねぇメモに「ごめん」とだけ書き残してね。

親父は体調を崩し、メンタルも弱って入院していた。元気づけたくて、オレ言ったんだよ。「今まで大変だったけど、お楽しみはこれからだよ、お父さん」って。芸人の仕事が順調になってきて、商売しながらオレを育ててくれた両親にようやく恩返しできると思ったから。 その2日後に自ら命を絶つなんて、考えもしなかった。「ごめん」のメモ以外に遺書はなかったけど、親父を苦しめ、自殺の原因をつくったのは姉とそのダンナだとオレは確信しています。

姉は子どもの頃から太っていることがコンプレックスで、学校でいじめにもあってた。そのうえ、精神的に不安定になると自傷行為をして親を慌てさせることがたびたびだった。自分の存在をアピールする方法を、ほかに思いつかなかったんだろうな。 だけどさ、両親にとってはかわいくてしょうがないわけよ。何かあったら娘を助けたいし、守りたい。ともかく親父たちは、姉が問題を起こしても無条件にすべてを受け入れ、面倒を見ちゃう。そうした関係がずーっと続いてきたわけです。 オレは高校卒業後、師匠である北野武に弟子入りして家を出ていたから、両親と姉の関係を客観的に見ていました。そして、たまたま読んでいた本に出てきた「共依存」という言葉に、「これだ!」と思った。両親と姉は、このまま共依存の袋小路に入っていくんだな、と不安を抱いたことを覚えている。

結婚して姉は落ち着くかと思いきや、そのダンナというのがロクでもない奴だった。仕事は不安定で常にその日暮らし。金がないから、平気でカードでキャッシングする。切羽詰まった事情で金が必要ならともかく、使い途はすべて遊興費よ。キャバクラなんかに通って、女につぎこんでんだから。そのたびに姉は自傷行為をして、娘かわいさから親父が借金を肩代わりするわけです。

547NAME:2022/06/17(金) 23:47:16
切なる思いは伝わらなかった

オレの実家は西新宿一丁目にあって、じいさんが建てた赤江ビルに、オレたち一家や親父の姉弟たちが住んでいました。じいさんの死後、親父はその土地を手放したんだけど、もう商売はやめていたから、土地を売った金が老後の頼りだった。 姉夫婦はしたたかなもので、孫をチラつかせて親父に泣きつく。親父にすれば娘が不憫だし、孫もかわいい。それで結局、言いなりになる。新宿の土地を売ったあと、両親は茨城で暮らしていたんだけど、何を思ったか、姉一家を呼び寄せちゃってさ。自分が住むマンションの別の部屋を買い与えたんだから、甘いにもほどがあるよね。オレはずっと自活してるのに。

そんなある日、親父が「Y子が金で大変な思いをしてるから、助けてやってくれ」とオレに言ってきた。親父もひとりでは借金を抱えきれなくなったんだろうね。さすがにオレも厳しい判断を迫られて、最後はわが家の山の神に相談しましたよ。 でも、それまでの事情を知っているカミさんは、「共倒れになっちゃうよ」と言った。本当にその通りだと思った。姉夫婦のところでメラメラ燃えている炎が引火すれば、オレんちまで丸焼けになる。それに、ここで助け船を出せば、向こうはますます自活する努力をしなくなるだろう。

オレは親父に手紙を書きました。あの状況で視野が狭くなってしまっている親父に何を言っても、聞く耳なんて持たない。ここは冷静に、文章にしたほうがわかってもらえると思った。 それで、「今回の件は協力できません。お父さんもいい加減、あちらと距離をとってください」といった内容を、丁寧な言葉で一生懸命書いた。親だし傷つけたくないから、ズケズケじゃなく。でも、姉夫婦にいかに問題があるか気づいてもらえるようなヒントを何ヵ所も盛り込んだ。珍しく、何度も推敲してさ。 ところが、手紙を読んだ親父の返答は、「お前はお姉ちゃんを殺すのか!」だった。もう、ありゃりゃですよ。オレの切なる思いはまったく伝わらなかったってわけ。ここまで洗脳されているならもはやオレには説得できない、と諦めて手を引いた。

そうして1年半が経って、親父は死んだ。あの時のオレの判断は正しかったのか今も考える。もしオレがヒーローで、いくらでも借金を肩代わりできてたら親父は死を選ばなかったんじゃないか、とも思う。 でも、あの当時は自分の家族だけで精一杯だった。それに一時、姉に金を貸したとしても、あの泥沼状態はエンドレスで続いただろう、と思うよね。 葬儀のあと、親父の部屋を片づけていたら、金の出し入れを書いたメモがたくさん出てきた。親父は若い頃、証券会社に勤めていたこともあって、帳簿をかなりマメにつけるタイプだった。見て驚いたよ。姉夫婦が親父に借金の尻拭いをさせていたのは知っていたけれど、それはもう信じられない額だった。 姉のダンナがカードで限度額いっぱいまでキャッシングする。親父がそれを返済する。繰り返し返済すれば、借りられる限度額はどんどん上がる。そしてまた借りて……。そんなふうにして姉のダンナが焦げつかせた多額の借金を、親父が全部返し続けていたんです。

548NAME:2022/06/17(金) 23:48:08
今度はお袋に取り入り出した

両親が茨城で老後を何十年も過ごせるだけのお金は十分にあったはずなのに、貸借対照表の最後を見ると蓄えはすっかり底をつき、それどころかマイナス120万円になっていた。親父はこれを気に病んで、衝動的に飛び降りたのではないか……。 なのにさ、張本人たちはとぼけてんだよ。「お父さん、なんで……」って泣いて悲しんじゃってる。オレは姉のダンナを呼んで、帳簿を突きつけた。「これを見ろ! おまえが親父を殺したんだ!」って。相手は土下座をしたけれど、まあ、それだけよ。そんなダンナから姉は離れられない。つまり、こっちはこっちで夫婦で共依存っていうわけさ。 相談に乗ってくれたのは、母の弟にあたる叔父さんだった。ガンで闘病中の身にもかかわらず、「盗人に追い銭じゃないけど、あいつらはもういい。俺たちで処理しよう」と、120万円の清算を一緒にしてくれた。それを機に、オレは姉ときっぱり縁を切ることにしました。宣言もした。死を選ぶまで親父を追い詰めた姉たちを、断固として許せなかったから。

ところがさ、今度はお袋に取り入り出したんだよ。その頃、お袋は以前に買っていた新宿のマンションでひとり暮らしをしていた。そこに姉夫婦が金の無心に来る。孫の教育費だとか、アトピーになったとか言われると、親父の生命保険を出しちゃうんだよね。「一緒に住もう」とも言ったらしいけど、それはお袋のことを思ってじゃない、金ヅルだもん。 「金を出すことは、お姉ちゃんのためにならない」といくら言っても、洗脳されているから怪訝な顔をしているわけよ。「お母さん、頼む。このままじゃ、親父と同じことになる。つらいと思うが、向こうを切ってくれ」と土下座して、涙ながらに訴え続ける息子を見て、少しずつわかってくれたようだった。 オレは40歳にしてようやく自分の家を買えたので、お袋を引き取った。姉たちには「お袋に絶対に近づくな」と伝えたし、新居の住所も連絡先も一切教えなかった。さながらカルト教団からの救出劇ですよ。

あれから10年以上が経ってお袋に認知症の症状が出てきたので、昨年から施設に預かってもらうことにした。お袋は気持ちのさっぱりした人で、オレたちと一緒に暮らし始める時に「お姉ちゃんのことは忘れた」と言ってくれたけど、本当は心の中で無理していたかもしれないよな。 だけど今は、自分のお腹を痛めて産んだ娘のことも、孫のこともすっかり忘れている。もともとの性格と、認知症によるボケがミックスされたのか、よく笑うんだ。その笑顔にオレはすごく救われてるね。もう、娘のことを無理して忘れようとしなくていい。つらい現実と向き合わなくていい。そう考えれば、認知症もまんざら悪くないのかもしれない。

549NAME:2022/06/17(金) 23:48:21
絶縁しても、思い出は消せない

「きょうだいは他人の始まり」と、先人はよく言ったものだよね。実はその昔も、オレは身内がバラバラになるのを経験しています。うちは親父が長男で、ほかに姉と弟がいた。じいさんが建てたビルで叔父さんや伯母さんの家族と一緒に、何不自由なく暮らしてたんですよ。両親も親戚も商売をやっていてみんなで飯を食ったり、大人たちは酒を飲んだり。

ところが、じいさんが死ぬと状況が変わった。ビルは新宿の一等地にあって、相続は揉めに揉めた。結果、一家離散ですよ。親父はそれで傷ついて、住み慣れた新宿を離れた。理想の家族なんていっても、いつ壊れるかわからないと、この時学んだ。 だからさ、ほんと家族って何だろうと思うよ。オレには、今年27歳になる息子がいるけど、彼とは血はつながっていない。25歳で所帯をもった時の、カミさんの連れ子だから。

だけど縁あってオレのところに来てくれて、こんなダメな父親なのに息子は横道に逸れることなく、まっすぐに育ってくれました。オレは、自分があいつに育ててもらったと思っているしね。その息子も結婚して、オレには息子夫婦という新たな家族が増えたわけです。 血のつながりがあるのに切り捨てた家族があり、一方には、血はつながらないけど愛おしみながら築き上げてきた家族がある。血縁なんかどうでもいい。そう思いながら、姉夫婦の借金を一緒に肩代わりしてくれた叔父さんがつぶやいた言葉が忘れられないんだよ。 「でもなぁ。お前は最後は血がつながっているんだからな」 その言葉は矢尻のように、ざっくりオレの胸に刺さった。今も刺さったまま、オレはこの先も生きていくんだろうと思う。

姉のこと、本当に許せなかった。だけどさ、ちっちゃい頃、一緒に風呂に入ったことだとか、そんなのを思い出してポロリと涙してしまう自分もいる。絶縁しても、思い出は消せないんだ。あっちにいる甥っ子や姪っ子だって、オレにとってはかわいいんだよ。そのことまでは否定できないのさ。 まさか自分が、家族の恥ずかしいエピソードを売ってメシを食うことになるなんて思ってなかったよ。第一、こんなふざけた芸人やってて親父が自殺したとか、やっぱりキツかった。 でも、ずっと隠しておきたかった“ワケあり話”を話す気になったのは、現在の身の回りのことやらでモヤモヤしているものを抱えているからだろう。オレにとってこの仕事は疑似家族みたいなものだったから。30年も一緒に過ごしてきたけど、師匠が会社を去り、オレのもう一つの家族も崩壊したってわけさ。

そんな身辺のゴタゴタに加え、プライベートでは親父や姉に対する整理のつかない思いがいまだにくすぶっている。心にいくつも荷物を抱えていることが、だんだんキツくなってきた。だからガス抜きじゃないけど、こうして話すことでちょっと身軽になりたかったのかもしれない。 西新宿で、みんな仲よく暮らしていた頃を、懐かしく思う。オレの黄金時代ですよ。今は跡形もなく消え、焼け野原が残っているだけ。それはそれでしょうがない。大事なのはそこからどう復興して、街をつくっていくか。それは、新しい家族というインフラをしっかり整備することだと思う。カミさんや息子のことをちゃんとケアしてさ。 オレは昭和の雰囲気が残るスナックが大好きなんだけど、スナックっていいもんだよ。隣り合った80代のおじさんと話してると、親父から聞けなかった話を聞いたような気持ちになる。姉くらいの年回りのおばちゃんと飲めば、「今頃、こんなふうになってるのかな」……って、感傷的になってるオレ、まだ青いね。(笑) 出典=『婦人公論』2019年6月25日号

550NAME:2022/07/04(月) 22:24:48
「芸能人の自殺が増えた」本当の理由 日本は若者の自殺がとんでもなく多い国だった
2020.9.28(月) 青沼 陽一郎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62277

 今年に入って、いわゆる芸能人の自殺が目立っている。 つい先日までの猛暑が嘘のように涼しさを増した9月最後の日曜日の朝に、メディアが一斉に速報したのは、女優の竹内結子の自殺だった。報道によると、27日未明に渋谷区の自宅マンションのクローゼット内でぐったりしているところを夫が見つけ、119番通報した。首つり自殺を図ったと見られている。40歳だった。

 その2週間前の9月14日には、女優の芦名星が新宿区の自宅マンションで自殺。36歳だった。視聴率を稼ぎ、20年近く放送の続くテレビドラマ『相棒』シリーズに準レギュラーで出演もしていた。 さらにその2カ月前。7月18日には、俳優の三浦春馬が30歳の若さで自ら命を絶っている。やはり今月20日に都内の自宅で自殺した俳優の藤木孝(享年80歳)と芦名と過去にドラマで共演していたことや、竹内と映画での共演もあったことから、そこに奇妙な因果関係を見出したがる報道もある。 さらに遡れば、フジテレビの番組『テラスハウス』に出演していた22歳の女子プロレスラーの木村花が、5月23日に自殺している。正式な発表はないが、同番組での出演者とのやりとりを巡るSNS上での誹謗中傷が原因であるとされ、今月になってBPO(放送倫理・番組向上機構)の審理入りが決まった。

 華やかに映る芸能界の裏側で、みんななにかに悩んでいた。そのギャップに多くの一般視聴者は驚き、そこに“心の闇”があった、などと使い古された曖昧な言葉で絡め取って、どこか落ち着かせようとする、そんな記事原稿も少なくない。

 はたまた、新型コロナウイルスの蔓延による影響を説く、いわゆる自殺に関する専門家と呼ばれる連中の声もある。不要不急の外出の自粛が叫ばれ、人との接点も減った。俳優であれば、撮影や舞台の出演も先送りになったり、中止になったりする。ともすれば収入にも影響が及ぶ。いままでと違う日常。それだけでもストレスなのに、親しい人とも疎遠になって、心の内を聞いてもらえることもなくなった。それが自殺に結びついている。そういう見立てだ。 だが、問題はそんな単純なものはではない。ここに現れているのは、“日本の闇”そのものである。

551NAME:2022/07/04(月) 22:25:02
若者の死因トップが「自殺」である日本

 厚生労働省は今月、昨年2019年の「人口動態統計」を公表している。 そこで驚かされるのは、15歳から39歳までの死因の第1位がいずれも「自殺」であるとだ。5歳ごとの年齢階級別に表示される死因の順位を見るとわかる。2人に1人がなるとされる「がん」よりも多い。しかも、10歳から14歳まででは、「自殺」が死因の第2位を占め、2017年には同年齢階級の第1位になっている。 さらには、昨年の統計で40歳から49歳までの死因の第1位は「がん」だが、第2位は「自殺」となる。50歳から54歳まででは「自殺」が第3位、55歳から59歳までで第4位、60歳から64歳までで第5位に位置する。

 国内の日本人の自殺者数は、3万2000人を超えた2003年をピークに、年々減少傾向にある。ところが、20代、30代の死因の第1位が「自殺」である傾向は、もう20年以上変わらないで推移しているのだ。 こんな国はない。こんなに若者が自ら死を選ぶ国は、先進国といわれるなかでも日本だけだ。この事情は、国会議員の間でも問題視するところで、自殺問題に関する超党派の議員連盟もある。それでもこの傾向は変わらない。 米国、中国に次ぐ世界第3位の経済大国でありながら、若者にとっては生きづらい国であることを統計が示している。

 相次ぐ芸能人の自殺の年齢層を見ても、この事情に当てはまっている。 もともとこの国は、同年齢層の自殺者が多いという異様な傾向にあって、それが芸能人の自殺報道の多発で浮き彫りになって来た、と受けとめるべきだ。いまのところ、コロナ・ストレスと自殺を関連づけるものは、なにもない。 仮に、新型コロナウイルスの影響が出ているのだとすると、来年に報告される自殺者の数は、20代、30代に限らず全体的に増えてくるはずだ。それも「新型コロナ関連死」であって、本来の20代、30代の自殺の多さを解決するものにはならない。

「生きづらさ」を感じた時は

 若者を自殺に追い込むもの。生きづらさ。長年続く傾向とその要因については、社会全体として包括的な議論が必要になってくるだろう。格差社会、貧困もそのひとつかも知れない。 むしろ、そうした事実と向き合って来なかったこの国の政治のほうが異常と言える。 ただ、著名人の自殺報道が相次ぐと、そこから連鎖も起きやすい。

 そんな時の為に――。 置かれた環境の生きづらさから、自殺を考えたとき、この国は若者の自殺が多いこと、そんな客観的な事実から、生きづらいのは自分ばかりではないことを、再認識して欲しい。ひょっとしたら、隣にいる人もいまの生きづらさに、もがき苦しんでいるかも知れない。その可能性の高さは、統計が示す通りだ。だったら、ひとりで思い悩んでいることを、誰かに打ち明けてみる。どうせみんな生きづらいと感じているのだから。そう思いなおすことも、時として重要なことだ。 そんなことを、一瞬でいいから思い起こして欲しい、と切に願う。

●主な相談窓口
・日本いのちの電話連盟
 ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時〜午後10時)
 フリーダイヤル:0120-783-556(毎日 16:00 〜21:00 、毎月 10 日は 8:00 から翌 11 日 8:00 まで)

552NAME:2022/07/18(月) 00:33:12
五輪で金4個の伝説的陸上選手、人身売買の被害者だった「ずっと隠してきた」
よろず〜ニュース - 昨日 14:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E4%BA%94%E8%BC%AA%E3%81%A7%E9%87%91%EF%BC%94%E5%80%8B%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E7%9A%84%E9%99%B8%E4%B8%8A%E9%81%B8%E6%89%8B-%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%A3%B2%E8%B2%B7%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%E9%9A%A0%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F/ar-AAZvNjl?ocid=msedgntp&cvid=6d5582276cac4ad2b12f033f7d7f98ce

オリンピックで4度の金メダルを獲得している陸上のモハメド・ファラー(39)が、実は人身売買によってイギリスに渡ってきたことを明かした。これまでは、イギリスにいた父を追ってソマリアから移住してきたとしていたファラーだが、実は父はソマリアの内戦で死亡しており、見知らぬ女性によって違法に渡英してきたとBBCのドキュメンタリー番組「モー・ファラーの真実」の中で語っている。

出生名はフセイン・アブディ・カヒンだったというファラーは、「実は私はあなたが思っている人間ではないんです。子供の頃からずっと隠してきた秘密があります」と切り出して「打ち明けることに決めた大きな理由の1つは、何も隠しているような気持ちにならず、普通に暮らしたいと思ったからです」と続けている。

父親はムクターという名でロンドンで育ちのITコンサルタントだとしてきたファラーだが、父親の本当の名はアブディで、ソマリアで農夫として働いていたと説明、父を失った後、母アイーシャによって身の安全のために隣国のジブチに住む親戚の元へと送られたが、そこで見知らぬ女性によってイギリスへと連れてこられ、使用人として働かされていたと明かした。

この告白によりイギリスの市民権を失うことを心配しているファラーだが「家族内の誰かが自らの人身売買に関わっていたかもしれないと考えると、それが一番辛い」と胸中を明かしている。(BANG Media International/よろず〜ニュース)

553NAME:2022/07/18(月) 00:39:16
イ-ロン・マスク氏、実父と41歳年下の義理の娘との間に第2子が誕生していたことを明かす
日刊スポーツ新聞社 - 昨日 11:04
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E3%82%A4-%E3%83%AD%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%B0%8F-%E5%AE%9F%E7%88%B6%E3%81%A841%E6%AD%B3%E5%B9%B4%E4%B8%8B%E3%81%AE%E7%BE%A9%E7%90%86%E3%81%AE%E5%A8%98%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AB%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%AD%90%E3%81%8C%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99/ar-AAZEvOx?ocid=msedgntp&cvid=7cffe680be324a1c9c39331b4730624e

「このまま出世率が低下すると日本はいずれ消滅する」と日本の人口減少に警告を鳴らして話題になった米電気自動車大手テスラの最高経営責任者(CEO)イ-ロン・マスク氏(51)の実父が、義理の娘との間に子供が誕生していたことが明らかになった。父エロール・マスク氏(76)は、英サン紙のインタビューに応じ、2019年に41歳年下の義理の娘との間に第2子が誕生していたことを明かした。2人の間には17年にも男児(5)が誕生しているという。

子供の母親は、最初の妻との離婚後に再婚したハイデさんの連れ子だったヤナさん(35)で、再婚当時はまだ4歳の少女だったという。エロール氏は18年連れ添ったハイデさんとの間に2人の子供をもうけており、義父としてヤナさんも育てている。ヤナさんが最初の子供を妊娠した際には激怒したマスク氏との関係に亀裂が入ったというが、2人目の妊娠は想定外だったと語っている。同氏はDNA検査はしていないと話しているが、2人は最初の子供が誕生して以降1年半一緒に暮らしており、「他の娘にそっくりなため自分の子供に間違いない」と認めている。2人は現在は一緒に暮らしていないという。

「この地球に我々が存在する唯一の理由は繁殖」と話す同氏の息子マスク氏も、最初の妻との間に双子と三つ子の5人の子供がいるほか、別の2人の女性との間にもそれぞれ2人の子供がおり、計9人の子供を持つ父親として知られる。(ロサンゼルス=千歳香奈子通信員)

554NAME:2022/07/26(火) 23:26:35
加藤死刑囚「拡大自殺」「ローンウルフ型」の先駆け
2022/7/26 21:03
荒船 清太
https://www.sankei.com/article/20220726-OZT5IHJ7AJIQPFJHEQ6IMYZZYY/?517061

東京・秋葉原で7人が死亡、10人が負傷する無差別殺傷事件を起こし、社会を震撼(しんかん)させた加藤智大(ともひろ)死刑囚の刑が26日、執行された。格差社会で孤独にさいなまれ、インターネットの世界でも拒絶された末に「誰でもよかった」と手当たり次第、刃を向けた凶行は「拡大自殺」「ローンウルフ(一匹おおかみ)型テロ」の先駆けともいえるもので、同様の事件は今も後を絶たない。

昭和57年に生まれた加藤死刑囚は、教育熱心な両親のもと、青森市内で育った。同級生らによると、小学校では人気者だったが、中学では教室でイスを投げて暴れるなど「キレる」一面も。高校は市内の進学校に進んだが、同級生が大学に合格する中、岐阜県内の短大に進学。社会人となってからは職を転々とし、事件直前は派遣社員として静岡県で働いていた。

私生活で孤独を味わい、自殺も考えていた加藤死刑囚が救いを求めたのは、ネットだった。掲示板に境遇を書き込み、共感を募ったが、そこでも嫌がらせを受け、「居場所がない」と思い詰め、犯行に及んだ。 《秋葉原で人を殺します》。そう書き込んだ平成20年6月8日、休日でにぎわう秋葉原で無差別殺傷を実行。最高裁は、社会への不満と孤独感を強めた加藤死刑囚が、ネットでの「嫌がらせに怒って犯行に及んだ」と認定した。

自殺を断念し、その矛先を他人に向ける現象は「拡大自殺」とも呼ばれる。昨年12月に大阪市内で発生したビル放火事件では、容疑者の男=死亡=がガソリンを使って犯行に及び、26人が犠牲になった。 加藤死刑囚の犯行に政治的な意図はなかったとされるが、組織に属さず、単独でテロ行為に及ぶ犯行形態は、日本での「ローンウルフ型」事件の先駆けともされる。

以降、2013年の米ボストンマラソンでの爆弾テロ事件のほか、今月8日に安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件など、国内外でローンウルフ型事件は広がりを見せている。 立正大の小宮信夫教授(犯罪学)は、秋葉原の無差別殺傷事件について「社会への不満を無差別殺人の形で解消するという〝型〟を示した点で、犯罪史に残る特異な事件だった」と指摘。「後続の犯罪者に多大な影響を与えた」とみる。 東京工業大の影山任佐(じんすけ)名誉教授(犯罪精神病理学)は加藤死刑囚が家族や現実社会、ネット社会で疎外されたことが「犯行に結びついた」と分析。「逆に現実社会やネット社会での人とのつながりを保つ方策を講じることで、同種の犯行は、ある程度予防できるのではないか」としている。(荒船清太)

555NAME:2022/07/26(火) 23:30:08
元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=による東京・秋葉原での無差別殺傷事件(平成20年)に関わった関係者らは26日午前の死刑執行を受け、今も抱えるやりきれない思いを口にした。

事件発生当時、捜査の指揮に当たっていた警視庁捜査1課の元刑事、石川輝行さんは、刑の執行について「いつか執行されるとは理解していたが、まさか今日とは予想していなかった」と驚き、「被害者のご冥福をお祈りするしかない」と言葉少なに話した。

石川さんは毎年現場に足を運び、献花している。事件について、「あれだけ多くの方が一瞬で亡くなってしまった。関わった事件で一番、被害者が多い事件だった」と振り返る。 「指揮官として、最大限の遺族対策をしたつもりだったが、それで良かったのかどうかと、今でも自問自答している」と語り、「一生、私の課題だ」と心境を明かした。

「来るべきときが来たか」。事件当時、地元の万世橋地区町会連合会の会長だった大塚實さん(88)は刑執行の知らせに、そう感じたという。 事件当日、大塚さんは「大変な事件があった」との知らせを受け、タクシーで現場に向かった。規制線と群衆で現場の様子はうかがえなかったが、「十数人が殺傷された」との情報が入り、「当日の物々しい雰囲気が今でも思い出される」という。 事件は発生から14年が経過し、風化を感じることもある。「ある程度は仕方ないが、それでいいのかという葛藤がある」とし、「彼がなぜあのような無差別殺人事件を起こしたのか今でもわからない」と話した。(王美慧、塔野岡剛)

無差別殺傷事件が起きた東京・秋葉原の交差点では26日、元派遣社員、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行を知った通行人らが「償いは十分だったか」などと釈然としない思いを口にした。 14年前、多くの人が犠牲になった現場交差点では、雨が降りしきる中、ペットボトルの水を手向ける人もいた。埼玉県入間市の男性会社員(35)は、携帯電話のニュースで刑の執行を知り、「もう執行されてしまったのか。賠償や説明をもっとするべきだったのでは」と話した。

近くの企業に勤める坂田啓介さん(40)は「同世代が起こした事件で印象に残っている。現場が(会社の)近くというのは知っていた。改めて犠牲になった方の冥福をお祈りしたい」と神妙な面持ち。付近を通りかかった男性会社員(33)は「一方的に社会に恨みを持って他人を巻き込んだ点は、その後の京都アニメーション放火殺人事件や、安倍晋三元首相銃撃事件の元になったように感じる」と振り返った。

556NAME:2022/07/27(水) 00:15:15
秋葉原通り魔事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
加藤 智大(かとう ともひろ)(1982年9月28日生まれ[1])(犯行当時:25歳)

秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん)は、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が重軽傷を負った。

加藤によると、殺人を目的として事件を起こしたのではなく[20]、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段だったという[3][4][21]。事件直前には中止を考えたものの既に掲示板で犯行予告を行っていたため、懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行したという[22]。

トラックで人をはね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件を[注 3]、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考に

掲示板

加藤は携帯電話向けの電子掲示板を複数利用していた。2008年2月に「不細工なせいで孤独な男」という人物を演じたところ他利用者からの反応が良かったので、以後「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けて行く[55]。一方で加藤に成りすました荒らしも掲示板に現れるようになる。

やがて実生活で仕事や友人を失ったことから社会との接点が掲示板のみになり、孤立を恐れて掲示板にしがみつくようになった加藤は[56]、荒らしへの「心理的に攻撃する手段」[2]として、報道されて相手に伝わるような大事件を起こすことを決意する[57]。

加藤は事件当日の5時21分に「究極交流掲示板(改)」[58]に新しいスレッドを立て、沼津から秋葉原まで移動して事件を起こすまでに約30回のメッセージを書き込んでいた[59]。11時45分頃、秋葉原に到着した加藤はスレッドのタイトルを「秋葉原で人を殺します」へ、内容を「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えて犯行予告を行い[60][注 6]、12時10分に「時間です」の書き込みを残して12時30分に事件を起こした[61]。

精神科医の片田珠美は加藤の弟による手記を分析し[51]、加藤は、幼少期に他の子供との交流を制限されていた事で母親から投影された自己愛が思春期まで抜けられず、現実の自分との間に大きな隔たりが生まれたのだろうと指摘している[52]。一方で加藤は片田のこの著書を「様々な間違いの集大成といえるもの」とし[53]、自分は現実に適応してきた現実主義者だったと反論している[54]。

557NAME:2022/07/27(水) 00:23:39
重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」
2022/7/26 18:37
村嶋 和樹
https://www.sankei.com/article/20220726-LEDOBW7RRRMN7OTUR7OUXXBS5E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E9%87%8D%E5%82%B7%E3%81%AE%E5%85%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%8B%20%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%82%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9A%E3%80%8D

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。

湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。

加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。 《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》

冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。

「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。 湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。

558NAME:2022/07/27(水) 00:34:55
〈死刑執行〉「死をもって償って」遺族が激怒した加藤智大死刑囚の“6枚の手紙”《被害者は後遺症で職を失った…》
「週刊文春」編集部 10時間前 source : 週刊文春 2010年2月4日号
https://bunshun.jp/articles/-/56134

2008年6月、死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件。7月26日午前、加藤智大死刑囚(39)の死刑が執行された。事件から14年目のことだった。古川法務大臣は臨時の記者会見で「被害者はもちろん、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件」と述べ、慎重に検討を重ねた上で死刑を執行したとした。

 なぜ、数多の命は一瞬にして奪われてしまったのか。加藤死刑囚が記した手紙、遺族が「週刊文春」に悲痛な思いを語った当時の記事を再公開する。(初出:週刊文春 2010年2月4日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

「事件から公判までの約1年7カ月は非常に長かったなぁという気持ちです。早く公判を開いて、『死刑にして欲しい』との気持ちをずっと持っていました。 犯人には息子の命を奪われただけではなく、私たちの人生までメチャクチャにされた。事件直後はボーッとして、何も手につかない状態でした。職場復帰しても、体調がすぐれず、精神科に通い薬を処方してもらっていたんです。体調は今もすぐれません」(ある犠牲者の父親)

 死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件(2008年6月)がようやく初公判を迎えた。遺族と被害者に今の心境を聞いた。 昨年11月被害者と遺族のもとに、被告の加藤智大から便箋6枚に及ぶ謝罪の手紙が届いた。「手紙には、『(私の罪が)万死に値する』とありました。鬼畜のような心から、人間らしい心を取り戻して、死をもって償うのはいいこと。でも、報道を見聞きしている限り、彼は人生の挫折を自分のせいではなく、自分が置かれていた環境や周囲のせいにしているように思えます」(同前)

手紙では〈申し訳ない〉を繰り返したものの…

 手紙の中で加藤は〈申し訳ない〉を繰り返し、〈当然死刑になると考えています〉と記している。だが、その一方で遺族、被害者の苦痛については、次のように書いて違和感を与えている。〈私にはそういったもの(温かい家族、恋人、友人、同僚)はありませんので、それらが理不尽に奪われる苦痛を自分のこととして想像することができず歯がゆいのですが、おそらく、私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が荒らし行為によってその存在を殺されてしまった時に感じたような、我を忘れるような怒りがそれに近いのではないかと思います〉

手紙を読んだ遺族の怒りは収まらない。 「あんなにたくさんの人に危害を加える前に、自分がトラックにぶつかって死ねばよかったんじゃないかなと思う。彼の言うとおり『死をもって償いをしろ』と思います。とても情けはかけられません」(同前) 手紙の受け取りを拒んだ遺族もいた。「手紙は送り返しました。裁判の傍聴はしません。事件を思い出してしまうし、犯人の顔を見たら、正常な気持ちを保てないからです」(別の遺族)

ダガーナイフの傷跡

事件の傷跡は、精神的にも肉体的にも、今も深く残っている。 「息子はまだ若かったし、(亡くなる)順番が逆かなと思います。他人から見れば普通の生活をしているようなイメージがあるかもしれませんが、この先ずっと普通の生活が戻って来るとはありません……」(同前)  被害者の介抱に当たっている間に、背後から刺された元タクシー運転手のAさんはこう話す。

「不安は今も残ったまま」

「ダガーナイフで受けた傷は肺から肝臓にまで達していました。約50日間、入院生活を余儀なくされ、退院後も精神安定剤や肝臓、痛み止め等の薬を1日3回飲み続けなければならない生活が続きました。労災で入院費や通院費を賄っていたんですが、昨年の9月末に労災の期限が切れ、実費に代わったため、今はもう病院にも通っていません。

 今でも右胸部から脇腹部分がマヒしたままです。医師には『神経が切られてしまったので一生症状が改善することはない』と告げられました。一度職場復帰しましたが、後遺症と思われる偏頭痛や手足の痺れに悩まされ仕事を辞めざるをえなくなり、今は失業保険で何とか生活している状態です……」

 Aさんは現在、ハローワークに通いながら自宅療養する生活を送っている。「たとえ仕事をはじめても、また以前のように後遺症による偏頭痛がするのではないか、という不安は今も残ったままです」 加藤は〈きちんと全てを説明しようと思っています〉とも書いた。今更何を説明しようというのか。

559NAME:2022/07/27(水) 01:29:23
「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由 「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く
https://president.jp/articles/-/58074

「どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージ」

「ある警備員から『全然仕事がもらえない』って相談されたから、加藤くんに『どうした? ちゃんと配置してんのか?』って聞いたら、机の裏側にその人の名前の書いてあるマグネットが落ちていたんですよ。本人は『あぁ、落っこちてた。これじゃ配置できねえや、ハハハ』と高笑いしてるから、『お前ふざけんな、この野郎! 何だと思ってるんだ』って怒鳴りつけた。まあ、あとで『すみませんでした』って詫びてきましたけどね」

加藤が事件を起こした2008年は、労働者派遣法の規制緩和により派遣社員が急増していた時期だ。会社都合でいきなり契約を解除される「派遣切り」が問題となり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの用語も生み出されていた。そのため、派遣労働の企業を渡り歩いていた加藤の事件に対し、格差社会が生み出した貧困労働者による犯罪として論じるメディアも多々あった。しかし、大友氏の印象はそれと違うようだ。

「僕の知ってる加藤くんは、どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージのほうが大きいです。完全に見下している人に対して、そういう傾向が強かった」

カッとなって電話機を叩きつけて壊したことも

とはいえ、中間管理職も相当振り回されていたらしい。たとえば、ある警備員は夜勤開始の30分前に電話をかけてきて、こう言ったという。 「今、パチンコで15万円勝ったから、しばらく仕事休ませろ」 それを聞いた加藤は、電話越しに激高した。 「ふざけんな! じゃあ今から誰あてがえば良いんだよ」「いやあ、俺は行かないよ。だって15万勝ったから働く必要ないじゃん」

こうなると加藤は、自分が代わりに現場へ行って穴埋めしなくてはならない。仕方がないので、翌日以降の仕事もすべて配置から外した。すると、次の日また電話がかかってきた。「すみません。今日、一気に20万円負けちゃったんで、悪いけどまた明日から仕事、入れてくれませんか」 そうしたことが頻繁に起こるので、加藤はカッとなって物を投げたり、電話機を叩きつけて壊したこともあったという。

「だから、干してやりたくなる気持ちもわからなくもないし、ガシャーンって電話を叩きつけてブチギレたくなる気持ちもわからなくもないけど、そこはやっぱり理性が働いて、壊すまではいかないじゃないですか。でも、それをやっちゃうんですよ」

社内には加藤よりキレやすい人間がいた

一方で、そんな自分に不甲斐なさを感じ、倉庫で一人シクシク泣いている加藤の姿も大友氏は見ている。キレる一方ではなく、内省もしていたのだ。 「俺が叱ったことに関しては反発するでもなく、自分なりに噛み砕いて配置を改める。ポジティブに、自分を改善していきたいという思いがある人なんです。もしも最初に入った会社がそこじゃなくて、ちゃんとやる気を認めてくれる会社だったら、それなりの地位についていたんじゃないかなという思いは結構あるんです」

大友氏からすれば、ほかの社員と比べて加藤にはまだ見込みがあったのだろう。むしろ社内には、もっとキレやすい人間もいて、当時はそちらのほうを警戒していたという。いったいどんな会社なんだと思ってしまうが、驚くのは早かった。なんとこの会社には、加藤の前にも無差別殺傷事件を引き起こした人間がいたというのだ。

560NAME:2022/07/27(水) 01:30:28
加藤以外にも無差別殺傷犯が在籍していた

「僕と加藤くんが入るずっと前に働いていた人が、仙台市のアーケード街をトラックで暴走して何人か殺傷する事件を起こしているんです。結構全国的なニュースになりましたけど、そっちは精神疾患に認定されて、その後に報道規制されたんですよ」

2005年、歩行者7人を死傷させた「仙台アーケード街トラック暴走事件」だ。まさかその犯人までもが、同じ警備会社の元従業員だったとは驚きである。「事件が起きたのは、加藤くんが辞めたあとでしたけど、僕が話してるから、もしかしたら犯行の方法を選ぶときに、無意識に影響してしまったのかもしれない」

大友氏はこのエピソードから、犯行の方法を模倣する心理について語っている。しかし私には、一つの会社で2人も無差別殺傷犯が出てくることのほうが不可解でしょうがない。いくら辞めたあととはいえ、そんなことがあるだろうか。私が困惑していると、大友氏はさらに恐ろしい話を続けた。

「俺がいた2年間だけでもしょっちゅう事件はあったからね。ある日、寮で警備員のおじいさんが突然亡くなって、警察が調べに来たけど事件性はないってことになったんです。けれど彼の携帯電話と、財布の中のお金がなくなっていた。しばらくして夜勤警備の現場で、亡くなった方の携帯電話の落とし物が届いたんです。

その日の現場で寮生活をしていたのは、ある若い兄ちゃん一人しかいなかった。それで、その子に『悪いけど、明日朝イチで来てくれる?』って言ったら行方をくらましちゃった。だから、もしかするとその子が殺したのかもしれない。遺族に事情を説明したら、『世間体もあるから放っておいてくれ』みたいなね。実際にそういう話が日常的にポンポンあるから、もう感覚が麻痺して、事件が日常になっちゃう会社だったんですよ」 

「俺は、可能性はある人だなあと思っていましたね」 金銭目的で簡単に人を殺してしまう、しかも死んでも遺族が騒がない相手を選ぶとは、ある意味で加藤より悪質だ。こうした環境に身を置くことで「困ったときは殺人」という選択肢が、加藤の無意識に刷り込まれたのだろうか。

「言い方悪いけど、やっぱり事件にかかわってしまう人が集まりやすい環境だったと思いますよ」 私は、「朱に交われば赤くなる」の恐ろしさを改めて実感した。 一方で、大友氏はこんなことも語る。 「事件が起きるとよく『あの人がそんなことをするなんて信じられません』なんてコメントがあるけど、俺はまあ、可能性はある人だなあとは思っていましたね」

大友氏がそう思うに至った、象徴的な出来事があるという。ある日、大友氏と加藤、そしてもう一人70代と思しき耳の遠い高齢の警備員の3人チームが、国道のライン引きを警備する仕事に配置された。白やオレンジのセンターラインなどを引く専用車が時速6キロほどで線を引いて走り、警備員はその後ろをマラソン大会さながらに追いかける。ラインが乾く前に車が通ってしまうと、その車のタイヤに塗料がつき、地面のあちこちが汚れてしまう。それを防ぐための警備である。

561NAME:2022/07/27(水) 01:30:42
そもそも体力勝負で、高齢者に任せるような仕事ではないが、そんな現場にも平気で配置してしまうのが、ブラック企業たる所以だった。車の出入りがあるコンビニの駐車場前に差しかかったとき、高齢の警備員は瞬時の対応ができず、足元もおぼつかないため、自らラインを踏んでしまった。

さらに彼は、塗料の付いたその足で地面を歩きまわった。咄嗟に大友氏は「動くな!」と叫んだが、耳が遠いので聞こえない。慌てた高齢の警備員は、「え? え?」とさらに歩きまわる。まるでコントかのように注意すればするほど、地面に足跡がベタベタと付いていく。

“最初の殺人事件”になっていたかもしれない出来事

「こんなにグチャグチャにされたら、直すのに4倍も5倍もかかるぞ」と作業員は怒り心頭に発していたが、高齢の警備員は耳が遠いので、言われていることがわからない。「これを、3、4回繰り返したら加藤くんがブチギレた」

なんと加藤はいきなり高齢の警備員の胸倉をつかむと、柔道の足払いの要領で全体重をかけ、彼を頭からアスファルトに叩きつけたという。 「瞬間でいっちゃったから、もう止めようがないんです。ヤバい音がして、あっ、完全に首と頭やったなって」

あまりの出来事に一同絶句し、時が止まったかのように場が静まった。その中で、加藤は一人クルリと振り返ると、満面の笑みを浮かべて、「大友さん! ちゃんと注意してやりましたから!」と言ったという。 「本当に映画で見る猟奇殺人犯のような笑みっていうか、不気味な笑顔。『ちゃんとやったからこれで大丈夫です』みたいな。みんなができないことを俺がやってやったという感じで」

怒りが抑えられないのも問題だが、さらに加藤は、その暴力を「みんなのために」「良いこと」だとまったく疑うことなくやったのだ。この認知のゆがみは相当なものだろう。幸い、高齢の警備員は合気道4段だったらしく、咄嗟に受け身をとったらしい。ヘルメットを被っていたこともあり、怪我はなかった。が、もしかすると加藤にとってこれが最初の殺人事件になっていたかもしれない。
それでも「友人」であることには変わらない

「そういうのを知ってるから、ちょっと危険な兆しのある人なのかなっていうのは嫌でも見える」 まともな人間なら近づきたくないだろう。しかしそんな危険な姿を見ても、なお大友氏は加藤の「友人」なのだ。 「うん。俺に対して何かおかしな態度とかあれば距離を取ったかもしれないけど、僕に対してはちゃんと普通に接するし、間違いを注意したら本人なりに反省して改善して頑張ってやっているっていう姿は見えたから。自分としてはまずいとわかっているけど、どうしようもないみたいな部分もあるし。なんかもがいてるのかなぁ、ぐらいだった」

562NAME:2022/07/28(木) 23:48:35
《死刑執行》秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大の元同僚が語る素顔「瞬間的にキレてしまう傾向は…」
渋井 哲也
2022/07/26 10:40
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e3-80-8a-e6-ad-bb-e5-88-91-e5-9f-b7-e8-a1-8c-e3-80-8b-e7-a7-8b-e8-91-89-e5-8e-9f-e7-84-a1-e5-b7-ae-e5-88-a5-e6-ae-ba-e5-82-b7-e4-ba-8b-e4-bb-b6-e3-83-bb-e5-8a-a0-e8-97-a4-e6-99-ba-e5-a4-a7-e3-81-ae-e5-85-83-e5-90-8c-e5-83-9a-e3-81-8c-e8-aa-9e-e3-82-8b-e7-b4-a/ar-AAZYeW6

2008年、休日の秋葉原で7人が亡くなった「平成最悪の通り魔事件」、秋葉原無差別殺傷事件。殺人などの罪に問われ、死刑が確定していた加藤智大(かとう・ともひろ)死刑囚の刑が7月26日に執行された。

 派遣社員として孤立を深めていたとされる加藤死刑囚は一体どんな人物だったのか。事件からちょうど13年が経ったタイミングで元同僚に取材した記事を再公開する。(初出:文春オンライン/2021年6月9日)

2008年6月8日12時半すぎ、元派遣社員の加藤智大=2015年2月17日、最高裁で死刑確定=が東京・秋葉原の交差点にトラックで突っ込んだ。トラックではねた男性5人のうち、3人が死亡した。また、トラックから降りた後、ダガーナイフで男女12人を刺した。このうち4人が死亡した。事件当日は日曜日で、現場となった秋葉原の中央通りは人出の多い歩行者天国となっていた。 加藤は、事件の目的は殺人ではなく、ネットの電子掲示板に現れた「荒らし」への抗議だったとのちに証言している。 あれから13年が経った事件現場に、かつての同僚、大友秀逸さんが訪れていた。

事件を止められなかった友人としての思い

 大友さんは現場近くで手を合わせながら、こう思っていた。 「事件のことは昨日今日の出来事のように思い出します。逮捕時の加藤君の映像、交差点に救急車が並んでいる映像が脳裏に鮮明に焼き付いています。あの事件の前から職場がここから近く、秋葉原という街は、僕にとって日常の一部になっています。何回手を合わせても、亡くなられた方々に何と言葉をかけていいか自問自答しています。ただ、自責の念ではないですが、事件を止められなかった友人としての思いを伝えています」

 大友さんは当時、テレビで事件の発生を知ったという。

「前日の土曜日に秋葉原で買ってきたゲームを夜中までやり、事件当日の昼過ぎに起きてテレビをつけたんです。すると、加藤君が取り押さえられてる映像が流れていました。全身から血の気が引くような感覚に襲われながら、慌ててネットで状況を調べました。『心肺停止』という文言のほか、“被害者が複数人”という情報がありました。そして、明らかに鼓動が速くなり、どんどん更新される情報に釘付けになり、何時間も見続けていました」

加藤君とは本当にたわいもない話をしていた

 当時、加藤と一緒に働いていた警備員時代(仙台市)の共通の知人に電話した。 「事件をまだ知らなかったようで、『嘘やろ』とまったく信じてくれませんでした。ただ、通話を切った数分後に『カトちゃんやった……』と折り返しの電話があり、現実に起きてることだと改めて実感しました」

 大友さんは、免許がない加藤を職場に送迎していたこともある。 「加藤君とは普通のサラリーマンと同じで日常的な話をしていました。共通の趣味はアニメで、例えば、『エヴァンゲリオン』の話をしていました。本当にたわいもない話をしていたのが記憶に残っています。どこにでもあるエピソードです」

563NAME:2022/07/28(木) 23:49:12
悪い方の加藤君が出てしまった

 一緒に働いていた立場として、どういう印象だったのか。 「瞬間的にキレてしまう傾向はありましたが、自分の失敗に対して反省し、涙を流せる人だった。一部、暴力的だったという言われ方をしていますが、その反面、それを自分でまずいと感じて、変えようとしていた人でもあります。事件を起こしてしまうことは意外とは思いませんでしたが、踏みとどまれる人間であってほしいと思っていました。悪い方の加藤君が出てしまったなと思います」

 事件前に最後に会ったのは2005年4月頃。加藤が埼玉県のトラック工場に働きに行くことになったときだという。 「『車を持っていけないから10万で買ってくれ』というので、譲り受けることになり、ファミレスで食事をしました。その後二人で流行っていたエヴァンゲリオンのパチンコを打ち、二人ともすぐ当たりましたが、すぐ飲まれてしまい、加藤君の自宅アパートまで車で送って別れたのがリアルで会った最後です」

 2006年頃には、かつて上司だった人物が警備会社を作り、大友さんは常勤監査役員で参加していた。事業拡大をしたため、大友さんは電話で何度も加藤を勧誘したという。 「裁判で『仙台の警備員時代、唯一許せなかった』と言っていた当時の営業所長の名前も、新しい会社の参加メンバーとして加藤君に伝えていました。おそらく加藤君は条件が良くても、新しい会社に来なかったと思います。自分がしつこく誘ったものだから、電話に出なくなりました」

問題行動があったときに、より踏み込んだ対応をするべきだった

 事件後、大友さんは加藤と連絡をとろうと思った。事件翌日、万世橋署で出待ちしたこともあった。その後、報道記者から当番弁護士の名前を教えてもらい、個人的に手紙を渡した。何を伝えたかったのか。 「自宅が拘置所から近いので、接見を試みたことがありますが、弁護士以外、接見はできなかったようです。裁判で『世の中で友達がいなかった』と言っていましたが、僕自身はいまだに友達だと思っていると言いたい。物理的に無理ですが、もし、連絡が取れるなら、伝えたいことがありすぎて、何から伝えればいいのかわからないです」

564NAME:2022/07/28(木) 23:49:25
 どうすれば、悲痛な出来事を防げたと思うか。

「仙台で一緒に仕事をしていく中で、特に加藤君自身が見下した人に対して暴力を振るったり、問題行動があったときに、より踏み込んだ対応をするべきだったと思います。ブラックな職場を改善しようとせず、前向きな部分を評価しない会社でしたが、同僚としてもっと評価してあげるべきだったと思います。ただし、事件を起こす寸前に、私の顔が浮かばなかったのだから、そこまでの人間関係ができていなかったのでしょうね……」

(以下、2022年7月26日追記)やっぱり、風化しているのかな

 事件から14年目にも、大友さんは現場を訪れ、手を合わせた。前年までは僧侶がお経を読み上げていたが、今年はそうした光景はない。 「現場に来て驚いたのは、(事件が起きた)交差点付近での献花を見て、『あれ、なんだろうね。花とか置いてあるけど』『大きい交通事故でもあったのかな』などと話をしている人がいたこと。事件を忘れている人が多いんでしょうね。これは1、2年目には絶対なかった光景です。やっぱり、風化しているのかな。ただ、何回来ても、これが正解だった、というものはわからないです。それを考えるために来ている」

 心境はどのように変わったのか。

「会社が徒歩5分のところにある。普段でも、交差点を通るときに手を合わせるので、僕にとっては日常のこと。僕の中では何も変わっていない。14年間、自分の知っていること、わかること、考えたことをTwitterや取材で発信しているだけです。そうすると、被害者の方から連絡をいただきます。『語ること自体、被害者への冒涜だから、(発言を)やめろ』と言われることもあります。Twitterでは、一人ひとりに返事をさせていただいています。

 加害者側と被害者側の間には、分厚くて、一生越えられない壁があるのかなと思います。でも、事件について発信しなければ、さまざまな問題に蓋をする社会が続いてしまうことになります。批判には謝罪しつつ、発信は続けます」

 あらためて加藤死刑囚について尋ねると、こう答えた。 「加藤くんは自殺未遂をしたことがあった。それを隠して生きてきました。その半年後、加藤くんに会ったときに家族の話をしたんです。あきらかに触れてほしくない嫌悪感を抱いているような態度でした。そのとき、自分にも家族に問題があったし、辛い思いをしたことを話せればよかった。そうすれば、心のしこりを話せたのではないか、という思いが今でもあります。

 今現在も、加藤くんと同じような思いを抱いている友人や知人がいる人もいるでしょう。そういう人には勇気を持って、(相手の心に)一歩踏み込んでほしい。もしかしたら、起きるかもしれない無差別殺傷事件の抑止、防止につながるんじゃないか」 写真=渋井哲也 (渋井 哲也)

565NAME:2022/07/30(土) 00:52:06
捜査関係者ら「自問自答今も」 秋葉原無差別殺傷
2022/7/26 19:10
王 美慧 塔野岡 剛
https://www.sankei.com/article/20220726-VFEL6OAM3JMU7GRSIPXF6NNSNE/

元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=による東京・秋葉原での無差別殺傷事件(平成20年)に関わった関係者らは26日午前の死刑執行を受け、今も抱えるやりきれない思いを口にした。

事件発生当時、捜査の指揮に当たっていた警視庁捜査1課の元刑事、石川輝行さんは、刑の執行について「いつか執行されるとは理解していたが、まさか今日とは予想していなかった」と驚き、「被害者のご冥福をお祈りするしかない」と言葉少なに話した。

石川さんは毎年現場に足を運び、献花している。事件について、「あれだけ多くの方が一瞬で亡くなってしまった。関わった事件で一番、被害者が多い事件だった」と振り返る。 「指揮官として、最大限の遺族対策をしたつもりだったが、それで良かったのかどうかと、今でも自問自答している」と語り、「一生、私の課題だ」と心境を明かした。

「来るべきときが来たか」。事件当時、地元の万世橋地区町会連合会の会長だった大塚實さん(88)は刑執行の知らせに、そう感じたという。 事件当日、大塚さんは「大変な事件があった」との知らせを受け、タクシーで現場に向かった。規制線と群衆で現場の様子はうかがえなかったが、「十数人が殺傷された」との情報が入り、「当日の物々しい雰囲気が今でも思い出される」という。

事件は発生から14年が経過し、風化を感じることもある。「ある程度は仕方ないが、それでいいのかという葛藤がある」とし、「彼がなぜあのような無差別殺人事件を起こしたのか今でもわからない」と話した。(王美慧、塔野岡剛)

566NAME:2022/07/30(土) 00:55:00
「償い十分だったか」 秋葉原殺傷現場で通行人ら
2022/7/26 13:32
https://www.sankei.com/article/20220726-XS63VKTPSZLN5FSMFP4RRINNNY/

無差別殺傷事件が起きた東京・秋葉原の交差点では26日、元派遣社員、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行を知った通行人らが「償いは十分だったか」などと釈然としない思いを口にした。

14年前、多くの人が犠牲になった現場交差点では、雨が降りしきる中、ペットボトルの水を手向ける人もいた。埼玉県入間市の男性会社員(35)は、携帯電話のニュースで刑の執行を知り、「もう執行されてしまったのか。賠償や説明をもっとするべきだったのでは」と話した。

近くの企業に勤める坂田啓介さん(40)は「同世代が起こした事件で印象に残っている。現場が(会社の)近くというのは知っていた。改めて犠牲になった方の冥福をお祈りしたい」と神妙な面持ち。付近を通りかかった男性会社員(33)は「一方的に社会に恨みを持って他人を巻き込んだ点は、その後の京都アニメーション放火殺人事件や、安倍晋三元首相銃撃事件の元になったように感じる」と振り返った。

567NAME:2022/07/30(土) 01:02:38
秋葉原無差別殺人事件、加藤死刑囚の刑執行
2022/7/26 09:34
https://www.sankei.com/article/20220726-BIYNF4PAARMENN57UYZ24ECZ6Y/

東京・秋葉原で平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=の死刑が26日午前、執行された。政府関係者が明らかにした。執行は昨年12月以来で、岸田文雄政権としては2回目。古川禎久法相が命令した。

白昼の歩行者天国を襲い、日本社会を震撼(しんかん)させた通り魔事件は、発生から14年で大きな節目を迎えた。事件後、秋葉原の歩行者天国は一時中止。事件を受け、ダガーナイフの所持を禁止する改正銃刀法が施行されるなどした。

事件は20年6月8日午後0時半ごろ発生。確定判決によると、加藤死刑囚は東京都千代田区のJR秋葉原駅近くの歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人3人を殺害、2人にけがをさせた。さらに刃渡り約12センチのダガーナイフで刺して4人を殺害、8人に重軽傷を負わせた。逮捕後、鑑定留置を経て同年10月に東京地検に起訴された。

公判では責任能力が争点となった。弁護側は「精神疾患による心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張。しかし、23年3月の1審東京地裁は完全責任能力を認め、携帯電話の掲示板サイトで「成り済まし」や「荒らし」といった嫌がらせを受け、怒りを募らせたと動機を認定。死刑を言い渡した。

24年9月の2審東京高裁の控訴審判決も1審判決を支持。最高裁は27年2月、「残虐な犯行で、社会に与えた衝撃は大きい」と加藤死刑囚の上告を棄却し、死刑が確定した。 前回の執行は、兵庫県加古川市の7人刺殺事件の藤城康孝元死刑囚=執行時(65)=と、群馬県のパチンコ店員2人殺害事件の高根沢智明=同(54)、小野川光紀=同(44)=の両元死刑囚が対象となった。

568NAME:2022/07/30(土) 01:59:23
秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が語っていた“異様な”家族との「食卓の様子」
2022年07月29日
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07290606/?all=1

法務省は「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大の死刑を執行したと発表した。同事件は14年前の2008年6月8日、東京・秋葉原路上をトラックで暴走、通行人をはねた後、ナイフで刺し、男女7人を殺害したというもの。当日は日曜日で、あたりは歩行者天国、昼過ぎの秋葉原は賑わっていたという。

〈背後で、すさまじい音が響いた。振り向くと、歩行者天国の切れ目の交差点に突っ込んできた2トントラックが次々と歩行者をはね飛ばしていた。/交差点を50メートルほど行き過ぎて止まったトラックから、ベージュのスーツを着た男が降りてくるのを見た。手にナイフを握っていた〉

 翌9日付けの朝日新聞夕刊は、目撃者の証言を紹介。まさに「地獄絵図」が展開していた。 〈男は近くにいた男女数人を次々に刺すと、人をはねた交差点に向かって駆け始めた。/倒れた人たちに馬乗りになり、逆手に持ったナイフを何度も振り下ろした〉

その場で警察官に取り押さえられたのは、加藤智大。青森県出身の25歳、派遣会社員の男だった。ネットに「秋葉原で人を殺します」と書き込んだ上での凶行だった。 〈人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった〉(逮捕時の供述)

 公判で注目されたのは、加藤自らが証言した「母親との関係」だった。加藤の母親は教育熱心で、加藤は地元・青森でも評判の高い進学校を卒業していた(以下、引用は長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』より。適宜、句読点を補った)。

弁護人が「小学校の頃の母親とのエピソード」を問うと、加藤はこう答えている。 加藤:お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました。 弁護人:お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか? 嫌な記憶はありますか? 加藤:間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました。 弁護人:沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか? 加藤:笑われていました。 弁護人:お母さんは、ふざけて沈めていたのでしょうか? 加藤:苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです

 加藤が耐え切れずに泣くと、「口にタオルを詰められて、その上からガムテープを貼られたりした」、「泣くたびにスタンプをカードに押されて、それが10個たまると屋根裏部屋に閉じ込められた」などと、続けて証言。さらに「家族の食卓の様子」について加藤が記憶をたどり述懐すると、法廷は一種言われぬ雰囲気に包まれる。 加藤:家族との食事は会話がなかった上、三人で黙々と食べていただけです。私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて、食べさせられました。食事の量も多くて、必死で食べました。

569NAME:2022/07/30(土) 01:59:37
「いい子」を演じて

母親の厳しい指導が実ったか、中学時代の加藤は成績優秀だった。ところが、公判では次のように明かしている。「詩や作文が高く評価された」のには、相応の理由があるというのだ。 〈(詩や作文は)私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました〉

 こうした母親の「干渉」は、細かく、かつ多岐にわたった。「小学校に来ていく服はすべて母親に決められていた」「高校は自分の希望を変更し、母親の母校に進学」「あの子と付き合うのは止めなさいと、交際を禁止された」など、ひとつひとつの行動に「レール」が敷かれていた。そして加藤もまた、母親の要求に、愚直に答えようとするのだった。

 加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。 〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉

 母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。

 2015年2月、死刑確定。その7年5カ月後の執行となった。事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。

 事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。

 加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。 〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば死ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉 
デイリー新潮編集部

570NAME:2022/07/30(土) 02:03:48
ついに死刑執行…加藤智大の祖母が語った「壮絶な生育環境」
7/26(火) 19:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8953d04f9205f7e89d0b1b64bd4b210850645fac

〈幼い頃のあの子は率直ないい子だったんです。でも、両親がスパルタでね。トモがニコニコしていると父親が『締まりのない顔をするな!』と怒鳴る。はたで見て『なんでそんなに怒るの?』と思うこともあった〉 事件当時、本誌の取材にそう話していたのは加藤智大死刑囚(39)の祖母。「トモ」とは加藤死刑囚のことだ。

7月26日、7名に対する殺害などの罪で収監されていた加藤死刑囚の刑が執行された。事件が発生したのは08年6月。事件後に明らかになったのは、加藤死刑囚の生育環境の壮絶さだ。 「事件当時、加藤死刑囚の家庭の異質さがクローズアップされました。親が異様にしつけに厳しく、加藤死刑囚がテレビで見られるのは『ドラえもん』と『日本昔ばなし』だけ。勉強ができないと風呂に沈められたこともあったそうです」(全国紙記者)

当時、祖母は本誌の取材にこう話していた。 〈特に母親のほうが教育熱心で、『部活なんてやらなくていいから勉強しなさい』と常にトモを叱咤していました〉

加藤死刑囚は子どもの頃から自宅に友人を呼ぶことを禁じられていた。その“干渉”は女性との関係にも及んだ。事件直後、本誌は加藤死刑囚の同級生から以下のような証言を得ている。 〈どれぐらいの交際だったかはわかりませんが、加藤にはちょっとかわいい感じのガールフレンドがいたんです。でもお母さんに交際をやめろと言われて、泣く泣く別れたそうですよ〉

地元でも有数の進学校に通っていた加藤死刑囚だったが、同級生の多くが4年制大学に進むなか、短期大学に進学。その後はアルバイトや派遣社員として職場を転々とするようになる。そうしてネットの掲示板に入り浸るようになり、社会への憎悪を募らせていった。

彼の家庭環境について、酌むべき点はある。しかし、彼の起こした犯行の大きさ、卑劣さを考えれば、そこに同情の余地はない。 「亡くなった人たちは大学生、会社員、調理師、元医師など、性別や年齢がバラバラの人たちでした。加藤死刑囚からの謝罪の手紙の受け取りを拒否した遺族もいます。一命は取りとめたものの、重傷を負った人の中にはいまだに後遺症に苦しんでいる人もいるようです」(前出・記者)

加藤死刑囚の祖母は当時、こうも語っていた。 〈あれだけの大それたことをしてしまった以上、自分の命で償うしかない……〉 14年後、まさにそうした形となった。しかし、被害者、そして遺族の心と身体の傷が癒える日がくるかはわからない。 FRIDAYデジタル

571NAME:2022/07/30(土) 02:15:18
重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」
2022/7/26 18:37
村嶋 和樹
https://www.sankei.com/article/20220726-LEDOBW7RRRMN7OTUR7OUXXBS5E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E9%87%8D%E5%82%B7%E3%81%AE%E5%85%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%8B%20%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%82%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9A%E3%80%8D

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。

湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。

加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。 《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》 冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。

「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。 湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。

加藤死刑囚から唯一の返信が届いたのは、事件から2年9カ月が過ぎ、東京地裁で公判中だった平成23年3月。接見を拒否したことをわびるとともに《どうしたらいいのか、まだわかりません》という迷いが便箋1枚に記されていた。

湯浅さんは「加藤死刑囚の心は、本人にも見えていなかったと思う」と受け止める。 現在は故郷の宮崎県に戻り、警備員として働く湯浅さん。事件から14年が過ぎ、体のしびれはなくなったが、今年6月には勤務中に発作を起こして救急搬送されるなど、体調は思わしくない。それでも「若い世代に伝えていくことが再発防止につながる」と、事件を語り継ぐ決意は変わらない。(村嶋和樹)

572NAME:2022/08/11(木) 04:49:01
3歳弟踏みつけ死なせた24歳姉が語った「劣悪」環境
2020/9/23 11:00
https://www.sankei.com/article/20200923-G2CQPQYHGJLGXOYOI574USUMR4/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%EF%BC%93%E6%AD%B3%E5%BC%9F%E8%B8%8F%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%91%E6%AD%BB%E3%81%AA%E3%81%9B%E3%81%9F%EF%BC%92%EF%BC%94%E6%AD%B3%E5%A7%89%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E5%8A%A3%E6%82%AA%E3%80%8D%E7%92%B0%E5%A2%83

大阪市で昨年4月、3歳の弟を踏みつけて死なせたとして、軽度の知的障害がある24歳の女が逮捕・起訴された。法廷で、弟に対する贖罪(しょくざい)の言葉を述べた女。一方で、同居していた両親には、強い怒りをあらわにした。「自宅より拘置所のほうがいい。両親には一生会いたくない」。かわいがっていた弟に手にかけた理由は何か。裁判では、事件の背景にある複雑な家庭環境が明かされた。

■「大好きだった。ごめん」

「3歳の息子がぐったりしている、早く来て」 昨年4月、大阪市平野区の住宅から母親の119番があった。救急隊に搬送された息子は、約1時間後に腹部の血管断裂により失血死。3日後、大阪府警に殺人容疑で逮捕されたのは、24歳の実姉だった。 一家は、40代の両親と6人の子供の計8人で暮らす大家族。逮捕された女は長女にあたり、下に年齢の近い20代の弟と2〜5歳の幼いきょうだいがいた。

精神鑑定を経て大阪地検は傷害致死罪で女を起訴。今年9月からは、大阪地裁で裁判員裁判が始まった。 法廷に立った女は事件当日、自宅風呂場の脱衣場であおむけになった弟の腹を踏んだことを認めた。その上でこう述べ、言葉を詰まらせた。「まさか死ぬとは思わなかった。大好きだったのにごめん、ごめんなさい」

573NAME:2022/08/11(木) 04:49:18
■浮上した「もう一つの問題」

ただ、家庭環境に話が及ぶと女は表情を一変させた。「母親は子供の世話を何もしないのに、(弟や妹を)『怒れ』とか『しばけ』とか言ってきた」「父親にはバットやヘルメットで殴られた」「働こうとしたけど『お前には無理や』と証明写真を撮るお金もくれなかった。障害年金もほとんど取られた」。せきを切ったように不満を吐き出した。

弁護側は、女が数年前から両親に幼いきょうだいの世話や家事を押し付けられ、ストレスや怒りを募らせていたと主張。その結果、衝動的に弟の腹を踏むという行動に出てしまったのだと訴えた。

実は女の逮捕後、この家ではもう一つの問題が発覚していた。 女の事件で自宅の捜索に入った府警の捜査員が、内側からドアを開けられない部屋に、女と年が近く、知的障害のある20代の弟がいるのを発見。府警は昨年6月、弟を自宅の一室に閉じ込めたとする監禁容疑で両親を逮捕した。両親は当時、「(弟が)悪さをするので閉じ込めていた」と容疑を認める供述。地検はその後、両親を不起訴処分(起訴猶予)としている。

発覚当時、弟は食事は与えられていたものの、室内には照明器具がなく、バケツで用を足していたとみられる。女は法廷でこう語った。「バケツは私がかえていた。(弟が)悪さをしたら、両親から『お前がちゃんと見ていないから』と怒られた」

■出口失い、行き詰まり…

公判には、女の精神鑑定を実施した医師が証人として出廷。女については9〜10歳くらいの発達年齢とした上で、行動を制御する能力や情緒的・社会的な面が未成熟だと説明し、「過酷で劣悪な家庭環境が影響した」とも述べた。

また、知能や発達状態の成熟には、周囲にモデルとなる人・ものの存在が不可欠だが、女の場合は両親に命じられるまま幼いきょうだいの世話や家事に追われ、社会性や情緒面を学ぶ機会がなかった、と分析した。

鬱積する両親への思い。家から出たいが、何をすればいいのか分からない現状。医師は出口を失い、行き詰まった女が八つ当たりのように事件を起こしたのだと指摘した。 女は勾留された大阪拘置所について「他の人と話せて、誰にも縛られず自分のご飯も3食食べられる。ここの生活は100点」と声を弾ませた。生活を受け入れてくれるグループホームや、障害年金の管理を任せられる成年後見人も見つかった。裁判が終わった後も「両親には一生会いたくない」と言い放った。

9月18日の判決公判。長瀬敬昭裁判長は、落ち度のない3歳の命が奪われた結果は重大と指弾する一方、父親の暴力や母親からの育児・家事の押し付けなど、被告を取り巻く状況は「劣悪」と述べた。障害の影響に加え、「家庭環境が過度の負担になっていた」とも認定。両親から離れ、福祉の支援が受けられる環境が整ったことも踏まえ、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を選択した。 「これまで通り、亡くなった弟に手を合わせることを忘れないでください」。裁判長の呼びかけに対し、女は小さな声で「はい」と答えた。

574NAME:2022/10/01(土) 23:17:19
猪木 ワイン 子供
ナスD、無人島0円生活でお馴染み“獲ったどー!”の語源を明かす「アントニオ猪木さんの大ファンで」
2021/12/29 23:30
https://times.abema.tv/articles/-/10010115

『ナスD大冒険TV年末4時間半SP 無人島で2泊3日0円生活』でナスDから「獲ったどー!」に関する語源が明かされた。

【動画】ナスD、無人島にある素材のみで家づくりに挑戦!

 「獲ったどー!」とは、ナスDがディレクターを務めたテレビ朝日の番組内で生まれた名セリフ。芸能界きってのサバイバル芸人・よゐこ濱口優が、食材を捕獲したときに叫び流行した。

この「獲ったどー!」。実は濱口から生まれたわけではなく、元々台本に書かれてあったという。アントニオ猪木の大ファンだというナスDは、アントニオ猪木がパキスタンの英雄であるアクラム・ペールワンと試合した際、相手の腕の骨を折ってしまい、その際「折ったどー!」と叫んだことから、インスパイアされて「獲ったどー!」が生まれたそうだ。

そんなナスDが無人島生活に関わるようになって10年が経過した頃、歓喜の瞬間が訪れた。憧れのアントニオ猪木が無人島生活にゲスト出演したのだ。ナスDが「実は猪木さんの大ファンで、アクラム・ペールワンとの一戦から『獲ったどー!』を作らせてもらったんですよ」と伝えると、アントニオ猪木は「フフ…そうなの。良いんじゃないですか」と返したそうだ。

その後で奇跡のような出来事も起こる。ロケが終わり、ナスD一向が空港に向かうと、アントニオ猪木が、レストランで赤ワインを飲んでいたという。ナスDを見つけると、アントニオ猪木はその場で「元気ですか!」と往年の名フレーズを放ったそうだ。その後で、アントニオ猪木はレストランにいた全員(およそ50名はいたそう)に赤ワインを振る舞い、「1、2、3、ダー!」でその場を一つにしたという。

 最後にナスDは「本当に全部のワインの支払いをしてくれました。“スゴいエンターテイナー”だと、あのレストランにいた全員が今でも覚えていると思います。僕にとっても奇跡的な思い出ですね」と語っていた。(ABEMA『ナスD大冒険TV年末4時間半SP』より)

575NAME:2022/10/02(日) 01:13:21
花束投げ捨て〟ごぼうの党・奥野代表を独占直撃「メイウェザーは金の話ばかり」「非礼には非礼で返しただけ」
2022年9月26日 05:15
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/239985

非礼に非礼で返しただけ――。「超(スーパー)RIZIN」(25日、さいたまスーパーアリーナ)の朝倉未来(30)VSフロイド・メイウェザー(45=米国)の花束贈呈式で〝事件〟がぼっ発。プレゼンターを務めたごぼうの党の奥野卓志代表(48)がメイウェザーに花束を手渡さずにリング上に投げ捨て、ネット上では「日本の恥」「国民に謝罪しろ」と大炎上したのだ。会場では沈黙を貫いていた奥野氏が独占直撃にその胸中を明かした。

 ――なぜ花束をリングに投げ捨てたのか

 奥野氏 今日、思いついたワケではなく、話は2018年の大みそかにあった那須川天心とメイウェザーの試合にさかのぼる。メイウェザーは試合1時間前にバンテージを巻き直せとか銀座で買い物したり、体重計に乗らなかったり、すごいなめたことした。5キロ以上も体重差があっての試合は危険を伴う。ルールは譲歩してはいけないのに、主催者は「メイウェザー様、様」で何も言えない。試合後もプライベートジェットで朝5時に帰る前に僕の店の「一徳」(会員制サロン)に来たいと言ってきたが、断った。

 ――メイウェザーと面識があった

 奥野氏 13年にピーター・アーツの引退試合にメイウェザーが見に来ていて、関係者と知り合った。今回も何度も「一徳」に行きたいと連絡があって「メイウェザーと写真を撮れば1枚100万円でもうかる」というが断った。花束贈呈を僕がやると分かったら、「記者会見を開いて、ごぼうの党の宣伝をしてやるから1000万円払え」とか金の話ばかり。そんなのがスポーツ選手とかアスリートと言える? そういう売り方をしているかもしれないが、対戦相手へのリスペクトがない。ずっとメイウェザーには良い印象がなく、5億とか10億払って、将来ある日本の選手がダシに使われているような気がしていて、疑問を感じていた。

 ――ネット上は大炎上している

 奥野氏 朝倉未来選手がユーチューブで言っていたが、足のステップやジャンプしてのスーパーマンパンチはダメだとかボクシングの規定を越えてはいけないと直前で言われた。選手はかわいそうで、メイウェザーに対し、誰も文句を言えない以上、やり返すじゃないが、非礼には非礼、無礼には無礼でやっただけ。ネット上は群れるのが好きだから、今日は「奥野を叩いとけ」と心が貧しいよね。誰かを叩いたらスッキリする。炎上するとかしないとか人の意見は関係ない。誰にどう思われようとも自分は自分だから。

 ――一方で奥野氏の名前も知れ渡った

 奥野氏 炎上するなというのは、やる前から分かっていた。それでもごぼうの党を知ってくれたらいいなという気持ちでやっている。僕はこの国をなんとか守りたい気持ちでやっているだけ。奇人、変人扱いされるが、映画「ターミネーター」のサラ・コナーみたいに先が分かっているから良くも悪くも本音、直感で生きている。来年、緊急事態条項を通されたら日本はホールドアップだからね。いくら悪口を言われてもいい。

 ――メイウェザーは落ちた花束を黙って拾い上げ、称賛された

 奥野氏 あの子と対峙して、思ったが、いじめられっ子上がりだね。努力してつかみ取ったポジションを離したくない一心で、寂しそうな目をしていた。

576NAME:2022/10/02(日) 23:16:07
高岡蒼佑が〝花束問題〟を大局的に語る「日本人チョロい」「すぐ手のひら返される」
2022年9月27日 09:55
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240090

元俳優の高岡蒼佑(40)が27日、インスタグラムを更新し、25日の「超RIZIN」のリング上で起きた〝花束投げ捨て〟騒動で持論を展開した。

 朝倉未来(30)とフロイド・メイウェザー(45)の試合前セレモニーで、ごぼうの党の奥野卓志代表(48)はメイウェザーに花束を手渡さずにリング上に投げ捨てたことで、ネット上は「日本の恥」と大炎上。RIZINの榊原信行CEO(58)は「品性下劣な男をリングにあげた」を謝罪していた。
 
 6月に格闘技に挑戦し、リングデビューもしている高岡は長文を寄せ、今回の事態を考察。「日本人として恥だ、なんだと言ってるけど。その言ってる本人が、今どれだけ日本について考えてるのか考えてないのかは、この花束事件にムキーっとなってる風の時点で日本の恥をまた一つ知る結果になってる」とチクリ。

 続けて「日本人としてあなたはどれだけの誇りを持って生きてきたのだろうと、こんな事で一喜一憂する前に今の落ちぶれた、ゴミのように扱われてる日本を見て何も思わない方が日本の恥。と思ってしまう。今回のことをきっかけに奥野さんがどういう人なのかを知る事は、きっと自分の人生の中でもマイナスにはならないかなと思う」と指摘した。

 またメイウェザーが黙って、花束を拾い上げ、試合後は「素晴らしい国で素晴らしい人々」とマイクパフォーマンスしたことに「恰好いい」「ありがとう」と感謝の言葉が相次いだ。

 アメリカ現地でメイウェザーのヒールぶりを体感している高岡は「これだけ日本人から賞賛される日が来るとは非常に興味深い。きっと一瞬の出来事で、すぐ手のひらを返されるだろうけど」「花束を拾い上げたらいい人、人間が出来てるとまで簡単に言える人達は本当にどうしたらその考えになれるのかの仕組みを切実に謙虚な姿勢でいつか時間のある時に教えて頂きたい」とバッサリ。

「花束拾ったくらいで日本人は俺を褒めてくれると メイウェザー本人もやっぱり日本人はチョロいなぁとしか思っていないと思う。これ本気の本気で断言しますw」とメイウェザーの〝本音〟を読み解いた。

 自身も歯に衣着せぬ発言で、炎上経験がある高岡は、奥野氏への袋叩きともいえるネット上の状況を危惧。「一方向の意見だけって、本来の人間が人間じゃないよなうな気がして肩凝りますね。人それぞれの感覚と、自分の信じれる限られた時間 みんな一緒じゃつまらんすね。もっと深読みしましょ」と寄せた。

577NAME:2022/10/14(金) 19:11:38
元個人秘書が「メーガン妃はティーンエイジャーみたいな子だった」と暴露
東スポWEB
2022/10/14 16:20
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E5%85%83%E5%80%8B%E4%BA%BA%E7%A7%98%E6%9B%B8%E3%81%8C-%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E5%A6%83%E3%81%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%A8%E6%9A%B4%E9%9C%B2/ar-AA12WKoe?cvid=06bf6f1bb9914d3ca13e52d81d570f8d

王室離脱前のヘンリー王子とメーガン妃に仕えた個人秘書が「メーガン妃はティーンエイジャーみたいな子だった」と暴露したという。英デイリー・メール紙など複数の英メディアが13日、報じた。 英王室に関する暴露本「廷臣:王冠の裏の隠された権力」(原題)を著した王室作家バレンタイン・ロウ氏がポッドキャスト番組「パレス・コンフィデンシャル」にゲスト出演し、明かした。 番組でロウ氏は「ヘンリー王子夫妻が王室にいた時、2人の個人秘書サマンサ・コーエンさんがひどく厳しい扱いを受けた。サマンサさんは『メーガン妃を扱うのは、ティーンエイジャーを扱うようなものだった』とこぼした」と話した。

サマンサさんはヘンリー王子夫妻に仕える前まで、17年間、王室職員だった。故エリザベス女王に仕えていたほどで、高い評価を受けていた。その後、ヘンリー王子の個人秘書となった。サマンサさんはヘンリー王子を小さいころから知っており、ヘンリー王子もサマンサさんを大好きで、ヘンリー王子の個人秘書時代はいい関係だった。しかし、メーガン妃が来てから一変したという。 しかし、ロウ氏は「メーガン妃は通常しなくてもいいようなことまでサマンサさんに要求し、非常に厳しい扱いだったそうです。メーガン妃に怒鳴られてばかりの毎日で、サマンサさんは『メーガン妃たちと付き合うのは、何人ものティーンエイジャーを相手にするようなものだった』と言ったそうです」と主張した。

特に2018年に2人が結婚する直前、メーガン妃からいろいろ言われたという。サマンサさんは結婚に関しての広報役になり、メディアに対して情報の交通整理の役割をきちんとこなしたはずだった。王室として、結婚式のドレスや、式で出すケーキなど、などメディアが喜ぶような情報を流した。 ロウ氏は「メーガン妃は出た情報がことごとく気に入らなくて、どんどん別のプランに変えていこうとした。職員たちにプランを出させてはダメ出しの繰り返し。特に聖歌隊や食事のプランには不満足で、サマンサさんに『あのねえ、あなたじゃなく、誰かいないの。この仕事をできる人は』と痛烈に告げたんです。〝破壊的なフレーズ〟だったそうです。サマンサさんは『私を信じてください。私以外にできる人がいるなら、どうぞその人にやらせてください』と丁寧に返したんです」と語る。

578NAME:2022/10/22(土) 00:33:56
アントニオ猪木氏死去
2022/10/1 10:12
https://www.sankei.com/article/20221001-FJLAL4XFINPHZCYWM2ZLRLL3GM/

元人気プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木=本名・猪木寛至=氏が死去したことが1日、分かった。関係者が明らかにした。79歳。葬儀は未定。

昭和18年、横浜市生まれ。少年時代にブラジルに移住したが、35年、ブラジル訪問中の力道山にスカウトされて帰国し、プロレスラーとしてデビューした。同じ力道山の弟子であるジャイアント馬場とプロレス界の両雄として活躍した。

46年、新日本プロレスを立ち上げ、社長に就任。51年には「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、ボクシングヘビー級の世界チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦を東京・日本武道館で開催。世界の格闘技ファンの注目を集めた。後にアリから健闘をたたえてテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を贈られ、猪木氏はこれをアレンジした「炎のファイター」を入場曲して使用するようになった。

平成元年にスポーツ平和党を結党し、「国会に卍固め、消費税に延髄切り」をキャッチフレーズに参院選に比例代表で出馬。約100万票を得て初当選し、レスラーと二足のわらじで活動した。2期目を目指した7年参院選では落選した。10年、プロレスラーとしての引退試合を開催した。

25年、日本維新の会から参院選比例で2度目の当選を果たし、国政に復帰。維新分党に伴って石原慎太郎元東京都知事系の「次世代の党」に移り、その後、無所属で活動した。令和元年参院選には高齢を理由に出馬せず、政界を引退した。

議員時代の平成2年、飛行機をチャーターして湾岸戦争下のイラクに入国し、イラク側と交渉し、日本人全員を含む人質の解放につながった。北朝鮮への訪問歴も多く、25年には要人との会談やスポーツ交流のため参院の許可を得ずに訪朝し、30日間の登院停止の処分を受けた。国会では、プロレスラー時代からのキャッチフレーズ「元気ですか!」を叫んでから質疑に入った。

579NAME:2022/10/22(土) 04:16:11
仲本工事の危うき「独居老人生活」…報じられた妻の蒸発と自宅ゴミ屋敷化の深刻度
公開日:2022/10/18 13:30 更新日:2022/10/18 18:50
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313032

 ザ・ドリフターズの仲本工事(81)が、妻で演歌歌手の三代純歌(54)から自宅に置き去りにされ、犬猫とごみ屋敷同然の生活を送っていることを、「週刊新潮」が報じたのは先週のこと。 バツ2だった仲本だが、6年の交際を経て2012年に三代と3度目の結婚。27歳の年の差とあって、当時は話題になった。

 同誌によると、昨年7月、仲本の誕生日の直前に三代は突然、家を出ていったというが、その背景には男の影が。そのため、仲本は現在、都内にある夫妻で営んでいたカラオケスナックの2階にある部屋と1階部分でひとり暮らし。

 しかし、ひとりで暮らす部屋からは、飼っていた犬数匹と小鳥数羽と猫1匹の糞尿の臭いが漂い、テーブルには動物を世話するためのグッズや仲本の私物が積み上げられて散乱し、まるでゴミ屋敷のような状態に。

■周囲の言葉に聞く耳を持たず

 おまけに、三代は頻繁にネットショッピングを行い、その代金を捻出するため、仲本はビートルズが来日した際の前座で弾いた仲本さんの大切なギターも200万円で売り払ってしまったというのだ。

「もともと、同誌に“告発”したのは仲本の前妻との間の娘。仲本は三代の言いなりで洗脳されているような状態で、もはや、所属事務所のスタッフも含め、周囲の言葉に聞く耳を持たない。所属事務所は各メディアに『後追いはやめてほしい』と言いながら、これをきっかけに仲本が目を覚まして離婚してくれることを望んでいる。そのぐらい深刻な状況です」(古参の芸能ライター)

 仲本は今月7日、都内で行われた貧乏神役を演じる舞台「『日本昔ばなし』貧乏神と福の神〜つるの恩返し〜」の会見に出席(写真)。その際、「ドリフがだんだんいなくなって、仕事もなくなって、お店もうまくいかなくなって、若干貧乏になってきた」と笑いを誘ったというが、実情は全く笑えず、生活が危うい。

580NAME:2022/11/02(水) 12:12:22
森喜朗氏 失言繰り返す“学習能力ゼロ”な85歳に呆然の声…「杖をついていると身体障害者に見える」発言でまた炎上
記事投稿日:2022/10/30 11:00 最終更新日:2022/10/30 22:00
https://jisin.jp/domestic/2147125/

10月29日、森喜朗元首相(85)が金沢医科大学の創立50周年記念式典に出席。あいさつでの言葉が物議を醸している。

同大学の顧問を務めており、森氏はこの日来賓として出席。そして、あいさつを求められた際、「つえをついていると身体障害者に見えて、みんなが大事にしてくれる」と発言したという。この発言が報じられるとたちまちネット上で、“障害者を揶揄している”と批判が殺到した。

政治部記者は言う。 「21年2月、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を務めていた森氏は、JOCの臨時評議員会で『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる』と発言し、“女性蔑視だ”と批判を浴び、会長を辞任する事態に」

その際は「発言については撤回したい」と謝罪していたものの、今年6月には事態を蒸し返す発言が。 「6月7日に都内で開かれた自民党議員のパーティーで、『女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる』と自身の発言を振り返り、辞任に追い込まれたことへの不満を示したのです。これまでも、00年に『日本は天皇を中心とした神の国』、03年に『子供をつくらない女性を税金で面倒みるのはおかしい』と失言を繰り返し続けています。森氏は自身の発言になぜ世間が厳しい目を向けるのか、本当に理解しているのでしょうか」(前出・政治部記者)

失言のたびに大きな批判を浴びるも、問題発言を繰り返す森氏。SNS上では“学ばない85歳”に呆然とする声が続出している。 《森元首相って生きてる限り失言を言い続けるんだろうな。挨拶をするかのように心無いことを言い続けとうやん。自覚がない奴が1番やばいよな。悪いことを悪いと思ってない、何が悪いか分からないって子ども以下。》《救いようがない。もう公に出せる人じゃないだろ。》《失言王は衰えを知らない。ついでに、世の中が変わった事も知らないんだろう。》《森氏はやはり学習能力が無いんですね。総理の時も散々批難されたのに》

581NAME:2022/11/02(水) 12:15:28
加藤茶「あんたのせい!」と激怒…仲本工事さん“モンスター妻”と親族&ドリフメンバーの間にあった溝
公開日:2022/11/01 17:16 更新日:2022/11/01 20:28
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313785/2

「当時、取材中に『加藤さんについで仲本さんも若い奥さんをゲットしましたね!』と水を向けると、当然、祝福の言葉が出てくるかと思いきや、『あの演歌やってる人だろ、なんだかなあ』とポツリ。志村さんは明らかに不機嫌になって、押し黙ってしまいました。しばらく重い沈黙が流れた後、『ドリフのメンバーってさ、カミさんと別れたり、早死にされたり、誰もいい結婚生活を送ってないんだよな。みんなそうだよ』と話していました」

582NAME:2022/11/10(木) 23:55:02
加藤茶「あんたのせい!」と激怒…仲本工事さん“モンスター妻”と親族&ドリフメンバーの間にあった溝
公開日:2022/11/01 17:16 更新日:2022/11/01 20:28
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313785

先月19日に交通事故による急性硬膜下血腫で亡くなった仲本工事さん(享年81)の妻・三代純歌(54)の“モンスター妻”ぶりを「女性自身」と「週刊女性」が報じている。

 記事の内容はほぼ同じだが、18日の事故後、仲本さんは神奈川県内の病院に運び込まれたが、駆けつけたザ・ドリフターズのメンバーの加藤茶(79)は、待合室の廊下で純歌に向かって、「仲本がこんなことになったのはあんたのせいだからな!とんでもない女だ!」と怒りをあらわにしたという。さらに、マスコミシャットアウトだった告別式の式場でも一悶着あったようで、出棺の際、純歌やその友人の男性らが、スマホで仲本さんの写真や動画を撮り始め、その不謹慎な振る舞いに、いかりや長介さんや高木ブー(89)の娘らが、「やめなさい」と声を荒らげて叱責したという。

 純歌は、仲本さんの3人目の妻で、2012年には盛大な結婚式も行ったが、籍は入っておらず「事実婚」状態。金遣いは荒く、事故現場付近でカレー店を営業するために、飼っていた犬や猫を放置したまま別居状態となり、家は“ゴミ屋敷”になっていると事件直前に「週刊新潮」に報じられていた。

 しかし純歌は、仲本さん本人だけでなく、仲本さんの親族やドリフのメンバーとも深い溝があったようなのである。

 告別式では、斎場を出発する霊柩車に一斉にストロボがたかれた。助手席には位牌を手にした仲本さんの長男が乗っており、後部座席には純歌が乗っているものと思われたが、後部座席は外からは確認できなかった。その後、高木ブーを乗せたバン、加藤茶夫妻が乗ったバンの順で発車し、カメラマンはそちらに“全集中”していたのだが、その裏をかくようにして、駐車場から離れた出入り口から仲本さんの遺影を手にした純歌が足早に出てきた。それに気付いた数人の記者が近づいて慌ててシャッターを切ったが、純歌は10メートルほど離れた場所に止めてあったタクシーに乗り込み、斎場を後にした。事実婚とはいえ、故人の妻でありながら、霊柩車とは別のタクシーに乗るという異例事態だった。

故・志村けんさんは「なんだかなあ」

一方、12年に都内のホテルで行われた結婚式では、加藤や高木は出席したが、志村けんさん(享年70)は仕事の都合を理由に欠席。志村さんはビデオレターで祝福のメッセージを送ったのだが、純歌はそれに対しても不満を漏らしていたという。しかし、当の志村さんも純歌に対して、あまりいい感情を持っていなかったフシがある。ある出版関係者はこう話す。

「当時、取材中に『加藤さんについで仲本さんも若い奥さんをゲットしましたね!』と水を向けると、当然、祝福の言葉が出てくるかと思いきや、『あの演歌やってる人だろ、なんだかなあ』とポツリ。志村さんは明らかに不機嫌になって、押し黙ってしまいました。しばらく重い沈黙が流れた後、『ドリフのメンバーってさ、カミさんと別れたり、早死にされたり、誰もいい結婚生活を送ってないんだよな。みんなそうだよ』と話していました」

 仲本さんの最初の妻は、1982年に心不全で急逝、2人目の妻とは2人の子供をもうけるも04年に離婚。当時、すでに71歳だった仲本さんをメロメロにさせて翻弄していた純歌に対し、志村さんは何を思っていたのか。

 その本音は今となってはわからないが、今ごろ天国で、仲本さんは、いかりやさんや志村さんと一緒に、楽しく思い出話にふけっていることを願わずにはいられない。

583NAME:2022/11/11(金) 00:01:06
「酔って全裸で誘ってくる」愛人男性が仲本工事の妻・三代純歌(54)との不倫を告白
「週刊文春」編集部
2022/11/01 source : 週刊文春 2022年11月10日号
https://bunshun.jp/articles/-/58479

10月19日に急性硬膜下血腫で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事(享年81)。仲本の内縁の妻で演歌歌手の三代純歌(54)の愛人だった男性が「週刊文春」の取材に応じ、純歌との不貞行為について告白した。

 仲本夫妻は2015年に目黒区内で居酒屋をオープンし、その後、隣でカラオケスナック「ピンクローズ」を開業。純歌の愛人だったA氏は元々、店の客の1人だったという。

「べろべろに酔ってベッドに全裸で寝たまま誘ってくる」
A氏が明かす。 「純歌から『今度ご飯食べに行こ』と誘われたのがきっかけです。ピンクローズで飲んだ後、自由が丘駅の近くのビジネスホテルで関係を持ちました。1泊2万円ぐらいで高かった(笑)。それからは、店が閉店するくらいに純歌から電話で呼ばれ、自由が丘駅前のバーで合流してからホテルに行ったりしました」

 そのうち、純歌は店から徒歩10分ほど、都立大学駅の近くに家賃10万円台前半のマンションを借りた。「ホテル代の節約のためでしょうか。部屋は風呂トイレ別の1LDKで、小さめの収納もあった。バルコニーにバーベキュー用のテーブルやランタンを置いて、酒を飲んだり夜景を楽しんだりもしました。カーテンはラブホテルにあるような遮光性の高いものに付け替え、部屋の中央にベッドを置いたおしゃれな雰囲気で、まさに“隠れ家”という感じでしたね」(同前)

 誘うのは、常に純歌からだったという。「べろべろに酔ってベッドに全裸で寝たまま誘ってくる。ディープキスもしていましたが、彼女はヘビースモーカーなのにタバコ臭くなかったです」 だが、A氏はある時期から純歌の言動が気になり始めた。「店のお客さんやスタッフの中から、気に入った男を次から次へと誘い、曜日ごとに相手をとっかえひっかえしていたのです」

店の営業中、2階に別の男を連れ込んでいた

 さらにこんな驚くべき行為も。「居酒屋とピンクローズは棟続きで、2階をぶち抜いて住居にしていた。大きなダブルベッドが置かれ、改装した広い風呂もありました。すると、純歌は店の営業中に、仲本さんがいないときを見計らって、2階に別の男を連れ込んでいたんです。店内にもアエギ声が漏れてきて、私も聞いたことがあります」

純歌を電話で直撃した。――仲本さん以外の男性と肉体関係にあった? 「ふふ。そんなのあるわけがないですよ」 ――お店の2階で行為に及んでいたという話も。 「うちのスタッフが泊まったりとかはしていたけど、それぐらいですよね。言われるとすれば、そんなことじゃないかなと思います」

――なぜそんな噂が出ているのか。 「うちにくるお客さんで、(スタッフが)泊まったりとかするのを怪しんでいた人がいたんですよ。私のことを好きな人が。『何かあるんじゃないか』ってずっと言っていた。その人が言いふらしたんじゃないかと思うんです。仲本さんと一緒にずっといたわけですから。(2階にスタッフが)泊まっているのも知っています」 ――別のマンションを借りていたのはなぜですか。 「それはね、向こうの家に全部入りきらない荷物をとりあえず入れていた。そこも仲本が借りてくれて。でも、結局借りても全然行くことがないからもったいなくて、もう引き払いました。10回行ってるか行ってないかぐらいなんですよ」

 11月1日(火)12時配信の「週刊文春 電子版」および11月2日(水)発売の「週刊文春」では、A氏と純歌との「乱倫生活」の詳細や、純歌が店の客を誘う手口、さらに仲本夫妻と長年付き合いがあった知人が明かす、純歌が横浜で別居を始めた理由や仲本との“本当の関係”などについて報じる。

584NAME:2022/12/31(土) 21:48:06
純烈、ダチョウ倶楽部「紅白」に上島竜兵も“同席”!有吉弘行「ステージに塩まいておきました」
https://natalie.mu/music/news/507307

12月31日にNHK総合ほかで放送される「第73回NHK紅白歌合戦」のリハーサルが本日12月30日に行われた。この記事では純烈、ダチョウ倶楽部、有吉弘行のコメントを紹介する。

今回の「紅白」で純烈は代表曲の1つ「プロポーズ」、ダチョウ倶楽部と有吉とともに猿岩石の大ヒット曲「白い雲のように」を披露する。小田井涼平が年内をもってグループを卒業するため、明日の「紅白」が現体制で最後のステージとなる純烈。本番に向けてリーダーの酒井一圭は「縁があってダチョウ倶楽部さんと純烈♨ダチョウ(ジュンレツオフロダチョウ)を組んで、そして有吉さんも加入して『白い雲のように』を歌うという……まったく想像できないことが次々と起こってます。正直、小田井さんの卒業は頭から吹っ飛んでますね」と話す。酒井は「ある意味、気持ちの整理がついちゃってますからね。明日はお祭りです。僕らがとにかくできることは皆さんに元気になってもらうこと」とステージを盛り上げることを誓い、「熱湯風呂とか出てくるんじゃないかなと。卒業だから入ることになるかもしれないですね」と警戒心を示した。

5月にメンバーの上島竜兵が亡くなり、現在は肥後克広と寺門ジモンの2人で活動するダチョウ倶楽部。肥後は「いろんなことがあったダチョウ倶楽部を純烈が救ってくれて、今回有吉さんも来てくれて、みんなで“くるりんぱ”(上島のギャグ)できるのがうれしくてしょうがないですね」とにっこり笑った。寺門が「『僕ら純烈さんに入りたいです』と伝えたことからスタートして、『もし有吉もここに入ったら大オチだね』って話してたら実現したんですよ」と早口になると、有吉は「ごめんなさい。ちょっと興奮してます」と付け加える。我に返った寺門は「年末、お肉食べすぎちゃってね!」と茶目っ気たっぷりに語った。

ここで改めて純烈を見た有吉は「相変わらず純烈が無駄にデカいなと。こっちが小物に見えるんだよね」とチクリ。さらに話は止まらず「『紅白』に出られるのはここしかないと思ったんですよ。僕は25年前に落選してますから恨みに恨んでます。なぜあのとき出さなかったんだって」と猿岩石の絶頂期を回想しながら、NHKへの“恨み”を爆発させる。すると横にいた小田井は「え? 今回の『紅白』のテーマは復讐? 『LOVE & PEACE』じゃないの?」とうろたえた。

最後はメンバーが上島に向けて次々と言葉をかけていく。肥後は「さっきのリハーサルで上島も同じステージに立ってましたから。『紅白』には応援では出たことがあるけど、歌唱ではないんでね。きっとうらやましがってると思いますよ」と話し、寺門も「彼はこういうところがすごく好きなんですよ。大きな舞台だからうらやましがってると思う。地方の番組は手を抜くんですけどね(笑)」と愛ある毒を吐く。そして有吉が「ステージに塩まいておきましたから」とケラケラ笑うと、小田井がすかさず「なんで撃退するんですか。悪霊みたいになっちゃうから」とツッコミを入れた。

585NAME:2023/01/27(金) 15:49:23
「朝も夜も売春、売上全てホストに」依存させ→売春させ→貢がせる…“居場所”ない若年女性を狙う悪質ホストの手口【news23】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%9C%9D%E3%82%82%E5%A4%9C%E3%82%82%E5%A3%B2%E6%98%A5-%E5%A3%B2%E4%B8%8A%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AB-%E4%BE%9D%E5%AD%98%E3%81%95%E3%81%9B-%E5%A3%B2%E6%98%A5%E3%81%95%E3%81%9B-%E8%B2%A2%E3%81%8C%E3%81%9B%E3%82%8B-%E5%B1%85%E5%A0%B4%E6%89%80-%E3%81%AA%E3%81%84%E8%8B%A5%E5%B9%B4%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%82%92%E7%8B%99%E3%81%86%E6%82%AA%E8%B3%AA%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%8F%A3-news23/ar-AA16FI8N?ocid=msedgntp&cvid=ead4e40f68284d0bc17945010106bc47

歌舞伎町の元ホストの男が女性客をソープランドで働かせたとして逮捕されました。男はどのようにして女性客を追い詰めていったのか。同じような被害に遭った女性が卑劣な手口を証言しました。

「早くカネ作ってこい」1都5県に“出稼ぎ売春”させた元ホスト逮捕

宮崎仁美記者「客の女性に売春させた疑いで元ホストの男が捜査員に連れられて行きます」 秋葉拓也容疑者(27)。東京・歌舞伎町で働いていた“元ホスト”です。2021年、20代の女性を台東区のソープランドで働かせ、売春させた疑いがもたれています。

秋葉容疑者「早く金作ってこい」

秋葉容疑者は女性に飲食代など、約1000万円の“ツケ”があるとして、福島や沖縄など1都5県のソープランドに“出稼ぎ”させ、売り上げの大半を受け取っていたということです。

秋葉容疑者「ナンバーワンになるために売り上げを上げたかった」

こう容疑を認めているという秋葉容疑者。他にも秋葉容疑者に依頼され女性をソープに紹介したスカウトの宇田川直人容疑者(27)や、女性が働いていたソープランドの店長ら、合わせて22人が逮捕されています。

秋葉容疑者「ソープ断るなら、もっときつい仕事させるぞ」

同様の被害を受けた女性が過酷な状況を証言

なぜ女性は従ってしまったのか?同じような被害を受けた女性が、その実態を証言しました。 親から虐待を受け、家に“居場所がなかった”という女性。ホストクラブに初めて行ったのは18歳の時でした。

被害を受けた女性(20代)「夜の街をさまよっていた時に声をかけられた。店に入ると『おかえり』みたいに言ってくれて、自然と気づいたら何百万円という(ツケが)」 ホストの言葉にそそのかされ、未成年だったにも関わらず、高額のボトルを入れられたことも。次第にツケがたまり、気が付くと貢ぐための売春先を紹介されたといいます。

被害を受けた女性(20代)「売春の仕事が入ってきたら朝でも夜でも行く生活をしていた。売り上げを全て彼にその日の夜に貢ぐっていう仕組みで行っていたから、寝られないしフラフラみたいな、体重も減っちゃったし、それに対して体重減ったことも、ホストは『可愛くなったね』って」 体も心もすり減り、一時は死を考えるほどに追い詰められていきました。

被害を受けた女性(20代)「自分の名前や住所も書かされ、契約書を書かされてるし、録音されてるし、携帯は彼のものだし、ここから逃げられないって思っていた。本当に自分どうなっちゃうんだろうって思って、次の(売春相手の)お客さんが殺してくれたらいいのにって思っていた」

自殺した女性すらホストは“売り”に・・・一方でそこしか居場所がない女の子

女性は支援団体とつながり、なんとか逃れることができましたが、同じような境遇で自殺した友人もいたといいます。

被害を受けた女性(20代)「死んだ子がいることをホストは“売り”にしていたり、なんとも思ってないだろうなって」 その上で「居場所のない若い女性が狙われている」と警鐘を鳴らします。

被害を受けた女性(20代)「ホストってマダムが行く所から、若年層を狙う所に移行している中で、ホストにはまる女の子って生きづらさを抱えている子が多い。ある意味依存だし、そこ(ホストクラブ)しか居場所がない社会は変わってほしい」

今回の事件は氷山の一角に過ぎないとみられ、警視庁は被害に遭ったら「警察や自治体の専門機関に相談してほしい」としています。

586NAME:2023/03/23(木) 22:57:53
タワマンにアウディ…「成金芸人」お笑いトリオ『四千頭身』後藤拓実が「給料が家賃以下」に転落のワケ
FRIDAYデジタル によるストーリー • 4 時間前
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3-%E6%88%90%E9%87%91%E8%8A%B8%E4%BA%BA-%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA-%E5%9B%9B%E5%8D%83%E9%A0%AD%E8%BA%AB-%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%8B%93%E5%AE%9F%E3%81%8C-%E7%B5%A6%E6%96%99%E3%81%8C%E5%AE%B6%E8%B3%83%E4%BB%A5%E4%B8%8B-%E3%81%AB%E8%BB%A2%E8%90%BD%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%82%B1/ar-AA18YsSL?ocid=hpmsn&cvid=fab8400bba834add934be3ea84124436&ei=16

「タワマンからアウディで来ました。夢を掴めばこうなれます」 かつてテレビ番組でこう豪語し、時には1日70万円の買い物を平気でしていたというお笑いトリオ『四千頭身』の後藤拓実。しかし3月21日、情報バラエティー番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)に生出演し、先月の給料がタワマンの家賃31万円を下回ったことを告白した。

理由を聞かれると、「需要がなくなった……」 と何ともシンプルな答え。彼女とタワマンで同棲していたが、それも解消。後藤は埼玉の実家に帰ったという。 「四千頭身といえば『第七世代』の代表格で、一時はバラエティー番組などに引っ張りダコでした。霜降り明星やEXITなどは、いまだに引く手あまたですが、後藤さんなどは確かに需要がなくなってきた気がします。

四千頭身の“じゃない方”と言われた相方の石橋遼大さんの方が、現在はサッカーや筋肉、料理などに特化していて〝先月の給料は83万円だった〟と告白して驚かせていました。やはり〝芸は身を助ける〟ということでしょうね」(スポーツ紙記者)

後藤はコロナ禍ごろから仕事が減少したのか、’21年にはテレビで豪遊をやめてトイレットペーパーも〝ダブルをやめた〟と発言している。調子に乗っていたのは〝全部間違っていた〟と後悔している。 しかし後藤はトリオでもツッコミで中心的な役割にもかかわらず、ここにきてなぜ〝コンビ格差〟がついたのだろうか……。

「一昔前からそうですが、WBCで大活躍したような大谷翔平選手のような〝圧倒的なスター〟はお茶の間にも受け入れられるが、ポッと出の〝成金芸人〟のような存在は嫌悪感を持たれることが多い。 世間は30年間給料が上がらず、日本は先進国の中でも幸福度が低い。ぶっちゃけて言うと辛い仕事から帰ってきて、家のテレビで〝金持ち自慢〟は見たくないということ。だからこそ自虐ネタや、おひとり様、もしくは弱者の意見でも毒舌でズバっと代弁してくれる人がテレビで起用されやすいんです」(テレビ局関係者) たしかにヒロシの自虐ネタや、オードリー春日のボロアパート住居、よく孤独を口にするマツコ・デラックスなどがそれにあたるかもしれない。

しかし芸能界では再ブレイクもよくあること。特に後藤は復活できる可能性は大いにあるという。 「所属するワタナベエンターテインメントはギャラの配分も吉本興業よりだいぶいいので、小さい仕事でもコツコツこなせば金銭的な問題は解消されやすいと思います。先輩のネプチューンや恵俊彰さんなどが司会をする〝事務所が制作サイドに顔が利く番組〟も多いので、なにか特技や趣味などを活かせば、関連番組に出演できるチャンスは多いでしょう。最低条件として事務所の関係者に好かれてなければなりませんが……(笑)」(同・テレビ局関係者) 20代前半で売れ、一度は夢を掴むも人気に陰りが見えた後藤。まだ26歳ということもあり、活路を見出して復活することを期待したい――。

587NAME:2023/04/05(水) 00:37:23
「ある試合後に、私の部屋を訪ねてきた選手がいました…」WBC日本代表を率いた栗山英樹監督が明かした“忘れられない出来事”
https://bunshun.jp/articles/-/61696

先日開催されたWBCにおいて、14年ぶりの優勝を果たした日本代表。大谷翔平やダルビッシュ有、村上宗隆など、国内外から有力選手が結集したチームをひとまとめにしたのは、栗山英樹監督の手腕が大きな要因と言えるだろう。いったい栗山監督はどのような考えのもと、チームをまとめあげたのか。

 同氏が北海道日本ハムファイターズ監督時代に著した『栗山ノート』(光文社)の一部を抜粋し、名将の発想に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

余計な言葉はいらない

 親と子どもほど年齢の離れた選手も増えていますが、それによって話しづらいとは感じていません。 共通の話題は見つけにくいですし、好きな芸能人とかテレビ番組で盛り上がるのも難しい。ただ、年齢に関係なく話しやすい人はいます。そういう雰囲気を持ちたい。監督という肩書はそもそも選手を威圧してしまうので、難しいところはありますが……いつでも、誰とでも話ができるような準備はしています。

 2015年シーズンのある試合後に、私の部屋を訪ねてきた選手がいました。監督の部屋へ来るということは、精神的にかなり追い詰められていると想像できます。 翌日から私は、試合のあった夜はお酒を控えることにしました。監督が赤ら顔で部屋のドアを開けたら、選手は「すみません、また今度来ます」と引き下がるでしょう。 勇気を振り絞ってきたに違いない選手の思いを、踏みにじるようなことがあってはならない。デーゲームでもナイターでも、試合日はお酒を飲まず、外出もせず、部屋にいることにしようと決めました。

 話をする立場になったら、言葉を少なくするように意識します。言葉を尽くして思いを伝えようとすると、結局は伝わりにくい。言葉が多いぶんだけ理解がすれ違ったり、言葉が上滑りしたりすることがあります。 究極的に言えば、信念を持って生きていれば、言葉はなくても選手たちはくみ取ってくれる。余計な言葉はいらないはずです。

田んぼや畑と同じように心も耕す

 8回表に8点差とした時点で、私は勝利を確信しました。コーチ陣に「勝ったな」と話したわけではありません。ただ、内心では安堵感が広がっていました。その瞬間に、勝敗の潮目が変わったのでしょう。自分の浅はかさがもどかしく、スコアボードを見て自分を罵倒しました。 創意工夫や努力を忘れないためには、順境に驕らず、逆境に怯まない心を持たなければならない。小さな変化に敏感であるために、私は二宮尊徳の「心田を耕す」という教えに惹かれます。

 私たちが生きている世界のあらゆる荒廃――雑草が生い茂って土地が荒れ果ててしまうような状態――はすべて心が枯れていたり廃れていたりすることに起因すると、二宮尊徳は説きました。 だとすれば、私たちはどうしたらいいのか。

 心の田んぼを耕すのです。

 田んぼや畑と同じように心も耕していかないと、ヒビが割れて栄養不足になってしまいます。 干からびてしまった気持ちで、誰かに優しくできるでしょうか。手を差し伸べようと思うでしょうか。隣人と水を分け合うよりもまず、自分の喉の渇きを潤そうと考えるはずです。優しさや労りの気持ちが、広がっていきません。 キレイに整備されたグラウンドを見ると、「心田を耕すとはこういうことだな」と思います。畑に種を蒔く前に、黒土を耕してデコボコをなくすことにも似ています。

588NAME:2023/04/14(金) 15:51:57
43万円拾ったのに「お礼も連絡もない」と提訴…謝礼7万円で和解、落とし主は法廷で「ありがとう」
2023/04/14 15:00
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230414-OYT1T50181/

43万円が入った財布を拾って警察に届け出たのに謝礼がないとして、大阪市西区に住む男性(70)が、報労金の支払いを求めて大阪簡裁に提訴し、落とし主が7万円を支払うことで和解が成立した。12日付。

遺失物法では、落とし主は、遺失物の価格の5〜20%に相当する報労金を拾得者に支払わなければならないと定めている。拾得者は返還から1か月を過ぎると請求できなくなる。 訴状などによると、原告は今年1月、同市西区内の歩道で現金やマイナンバーカードが入った長財布を拾い、府警西署に届けた。財布は、その日のうちに落とし主の自営業男性(50)に返還された。

 原告は同署を通じて自営業男性に電話番号を伝えたが連絡はなく、原告から電話。自営業の男性は、礼を言わずに「忙しい」と切り、その後は原告の電話に出なかった。ショートメッセージにも返信しなかった。

 原告は2月、約8万6000円の支払いを求めて提訴。今月12日の第1回口頭弁論で自営業男性は報労金を支払う意思を示し、7万円に減額した上で双方が合意した。和解成立後、法廷で原告に「何か言うことはありませんか」と問われ、自営業男性は「ありがとうございます」と初めてお礼を述べた。 原告は読売新聞の取材に対し「お金が欲しかったわけではなく、謝意を伝えてくれれば訴訟は起こさなかった」と説明。自営業男性は「仕事が忙しくて対応できなかった。こんなことなら、早めにお礼を言えばよかった」と話した。

589NAME:2023/04/14(金) 16:04:19
「ニンニク入れますか」→客の答えに店半ギレ? ラーメン二郎京都店が反応「全然キレてないけどなw」
2023年04月13日21時14分
https://www.j-cast.com/2023/04/13459808.html

京都市左京区内の人気店「ラーメン二郎京都店」で、「ニンニク入れますか?」と聞いて「普通で」と答えた客に対し、店が「半ギレ」状態になっていたとツイッターで投稿があった。

これに対し、同店の公式ツイッターは、「キレておらず説明しただけ」などと反応し、その理由について説明している。ラーメン二郎には、独特な注文方法があるとされるが、一体どんなやり取りがあったのだろうか。

「説明しただけ」

投稿した客は、2023年4月10日に京都店を訪れたとし、その翌日にツイッターで目撃状況を報告した。 それによると、別の学生グループ客の1人が、店から「ニンニク入れますか?」と聞かれて、「普通で」と答えると、店主は、「半ギレ」状態でこう諭したという。 「コンビニで袋いりますか?って聞かれて普通でって返すの?」

その真意ははっきりしないが、入れるか、入れないかでまず答えるべきだという意味の可能性がある。ラーメン二郎では、客がトッピングを頼むことをコール、注文方法を間違えることをギルティと言われていることを念頭においてか、投稿者は、この客が「ギルティコール」をしたと指摘していた。

この後、同じグループの別の客に「ニンニク入れますか?」と聞いて、この客が「なしで」と答えると、「なし?マシ?」とこちらも半ギレ状態だったとした。マシとは、ニンニクを多めの増しで入れることを指す。

ラーメン二郎京都店のツイッターは11日、「普通で」と答えた客に半ギレ状態だったとした最初の投稿について、アカウント名を伏せて引用し、「えー、全然キレてないけどなw説明しただけで」と反応した。

この客は、「なるほど、そっすねw」と納得した感じだったといい、「『ごちそうさまでしたー!』って元気に帰っていった」とした。「ニンニク入れますか?」と聞いて「普通で」と返されれば、もともとニンニクのない普通の状態か、ニンニクを入れる量を普通にしてほしいのか、どちらか分からないから、客に説明したとしている。

「二郎行きたいのに敷居高い」「客側も事前に少し下調べして」

ラーメン二郎には、独特な注文方法があるとされている。 様々なブログがそれを解説しており、多い解説を挙げると、ラーメンの量を聞かれているときに、トッピングについて客がコールすると、フライングだとされてしまう。コールは、最も難しいとされ、店が「ニンニク入れますか?」と聞いてくると、4種のトッピングについてコールするとなっている。ニンニクは推奨されるため、代表して聞いてくるそうだ。

ニンニクのほか、モヤシなどのヤサイ、背脂を指すアブラ、タレを指すカラメがあり、通常は、ヤサイは最初から入っている場合が多いという。トッピングがほしいときは、その名前をコールする。多めがほしいのなら、「ヤサイマシ」などと注文で伝える。ラーメン二郎では、「普通で」とのコールはないとされており、「なし」も「マシ」と誤解されるので避けるべきだとされていた。

独特の注文方法を理解する客は、ジロリアンと呼ばれており、今回の客は、二郎初心者だった可能性がありそうだ。

京都店の店主が「普通で」と答えた客に「説明」をしたことについて、ツイッター上などでは、「一見さんには厳しいイメージ」「普通の量欲しい場合なんて言えば」「二郎行きたいのに敷居高い」と戸惑う向きもあった。一方で、ニンニクを入れるかについて、「改めてどっちなの?って言ってるだけ」と店に理解を示す声のほか、「雑な注文って店は困るんですよね」「客側も事前に少し下調べするなりしてから行けよ」と客の意識を問う意見も出ていた。

590NAME:2023/05/11(木) 08:19:55
「他人の庭にゴミを投げ込む」逮捕された”令和の麻原彰晃”山本深雪容疑者(25) リアルでも迷惑系住人だった
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BA%AD%E3%81%AB%E3%82%B4%E3%83%9F%E3%82%92%E6%8A%95%E3%81%92%E8%BE%BC%E3%82%80-%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E4%BB%A4%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%B7%B1%E9%9B%AA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%85-25-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%82%82%E8%BF%B7%E6%83%91%E7%B3%BB%E4%BD%8F%E4%BA%BA%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ar-AA1aHQwx?ocid=msedgntp&cvid=d2b6bc99be714866b51f539d09b55362&ei=16

https://www.news-postseven.com/archives/20230504_1866414.html?IMAGE=2&PAGE=9-9

591NAME:2023/06/25(日) 00:43:27
加藤未唯の失格騒動 全仏側の「男の子だったら」「5分で泣きやめば」説明に海外メディア怒り「性差別的」「愚かな主観的基準」
デイリースポーツ によるストーリー • 26 分前
https://www.msn.com/ja-jp/sports/other/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%9C%AA%E5%94%AF%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%A0%BC%E9%A8%92%E5%8B%95-%E5%85%A8%E4%BB%8F%E5%81%B4%E3%81%AE-%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89-%EF%BC%95%E5%88%86%E3%81%A7%E6%B3%A3%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%B0-%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%AB%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E6%80%92%E3%82%8A-%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84-%E6%84%9A%E3%81%8B%E3%81%AA%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%9A%84%E5%9F%BA%E6%BA%96/ar-AA1cYVG4?ocid=msedgntp&cvid=2056c1dd3c3b4eb8993ac3b6bc94ada1&ei=11

女子テニスの加藤未唯(28)=ザイマックス=が22日、テニスメディア「Clay」のインタビューで、全仏オープン女子ダブルスでの失格騒動について振り返り、審判とスーパーバイザーから、ボールが直撃したのが「男の子だったらよかった」、「ボールガールが15分以上泣き続けたので決断を下さなければならなかった。5分後に泣きやんでいたら問題なかった」などと説明されたことを明かしたことを受け、海外メディアが大会側を批判的に報じている。

 ユーロスポーツは「控えめに言っても驚きの言葉」と報じ、スポーツ専門サイト「sportskeeda」は「テニスファンはショックを受けている」として、「性差別的」、「男の子だったら泣かないのか」、「愚かで主観的な基準」などの声を紹介した。

 加藤はスーチャディ(インドネシア)と組んだ女子ダブルス3回戦で、ブズコワ(チェコ)、ソリベストルモ(スペイン)と対戦。プレーが途切れた際に落ちていたボールを返球したが、これがボールガールに直撃。危険行為として失格となり、賞金とポイントを没収。これを不服として四大大会側に提訴していたが、却下された。

 加藤はインタビューの中で、「相手にサーブを打たせるためにボールをボールキッズにパスしただけ」と改めて説明。当初警告だったが、相手ペアの抗議もあり、失格となった際には審判とスーパーバイザーから「男の子だったら大丈夫だったと思う」、「ボールガールが15分以上泣き続けたので決断を下さなければならなかった。5分後に泣きやんでいたら問題なかった」、「足や腕だったら大丈夫だった。首だったらから」などの言葉があったという。

592NAME:2023/06/25(日) 00:47:16
ヒグマに「死んだふり」は有効なのか…心臓むしられ頭部めちゃめちゃでも生還事例あり
SmartFLASH によるストーリー • 昨日 6:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%83%92%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%81%AB-%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%B5%E3%82%8A-%E3%81%AF%E6%9C%89%E5%8A%B9%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%BF%83%E8%87%93%E3%82%80%E3%81%97%E3%82%89%E3%82%8C%E9%A0%AD%E9%83%A8%E3%82%81%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%81%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%A7%E3%82%82%E7%94%9F%E9%82%84%E4%BA%8B%E4%BE%8B%E3%81%82%E3%82%8A/ar-AA1cX78M?ocid=msedgntp&cvid=2056c1dd3c3b4eb8993ac3b6bc94ada1&ei=11

どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい 「ヒグマにあったら死んだマネをすると助かる」という俗説は広く信じられているが、これは「クマは動かないものは襲わない」という、これまた俗説によるもので、専門家によれば確率は五分五分であるという。 《熊にあったら、死んだ真似をして助かったことが多いということだけは確かであるが、アイヌの例などから察して、死んでいるということが理由ではなくて、実はこの人間は熊に抵抗するおそれがないということを熊が知ったからである。(中略)人間の方が無抵抗で死んだふりをしてしまえば、一応の検査を受けても、食われないということになる。

ところが北海道のヒグマのうちには一般原則にあてはまらないのがあるから困る。たけのことりに山に入って食われたり、山ブドウ取りに出て帰れなかった人があるし、真昼中に通行中の若者をさらって行った熊もあり、家の壁を押し破って侵入して家人を襲ったこともあって、世界中で一番兇悪な熊と見なければならない》(北海道林務部広報誌『林』1953年7月号所収、犬飼哲夫「ー熊ー死んだ真似で助かるか」) いったいどっちなんだとツッコミを入れたいところだが、実際に「死んだふり」で助かった事例は数多い。その一方で、けっこうなケガを負わされることも多いようだ。

古い事例では明治の初め頃に、次のような事件があった。 亀田郡七飯村の某が、単身で舞茸採りに出かけ、たまたま大きな舞茸を見つけて、天からの贈り物と喜んで思わず声を発したところ、生い茂る木立から大牛に等しい猛熊がこちらを目がけて進んできた。 その勢いの恐ろしさは《胆魂魄も天外に飛去り逃ぐる暇もあらざりし》という有様であった。某はかねて聞いていたとおり、死ぬも生きるも天の運と度胸を据えて、自らそこへ打ち倒れて息を殺し「死したる体」を見せかけた。

やがて熊がそばに近づき、某の体をしきりに打ち叩き、爪をもって散々に傷つけた後、手を口に当てて呼吸の有無をうかがい、本当に死んだと思ったのか、その場を立ち去った。 某は九死に一生を得て、山を下る途中、知り合いに出会ったので病院に運ばれた。その傷は27カ所もあったが、幸い命に別状はなかったという。(『函館新聞』明治14年10月10日)

またこんな話もある。 夕張炭鉱の坑夫・中村理吉は、炭層調査のため8名の人夫とともに測量に山に入ったが離れ離れになってしまい、1人山深く分け入るうちに、突如前途に巨熊が立ちふさがった。《咆哮一声、山彦に答えて凄まじさ云わん方なき》という状況になり、理吉は大地に伏せた。

飛びかかってきた熊は、後頭部に噛みついたが、痛みをこらえて仮死の状態を装うこと《多時》におよんだ後、静かに頭をもたげてみると、熊はなおも去らずにいた。 熊は手をあげてさらに頭部を掻きむしり、唐紅に染まって倒れた姿を見て悠々と立ち去った。全治3週間の大ケガであったという(『北海タイムス』明治41年9月3日)

593NAME:2023/06/25(日) 00:47:30
次は死んだふりをした兄弟がかろうじて助かったという事例である。 定山渓・滝の沢の工藤正勝(14)が兄(18)と裏山で遊んでいると、ガサガサ物音がするのでなんであろうと振り向くと、小熊2頭に続いて親熊が突如として現れた。 兄は正勝に「うつぶせになれ」と命じ、自分は大木の根に首を突っ込んだが、熊はノコノコとうつぶせの正勝のところへ来て、右手で頭や背中や耳を掻きむしり、正勝は数十カ所に傷を負って気絶してしまった。

熊は今度は兄のほうに来て、足をつかみ大木の根から引きずり出して仰向けにして大きな舌で顔面をベロリベロリと舐めたが、兄は知らぬ顔をしていたので命拾いをした。(『北海タイムス』大正14年4月17日) どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい。

以下は林業専門誌『札幌林友』に掲載された記事で、著者の藤井氏が昭和15年(1940年)頃に、体験者本人(K氏)から聞いた話である。 《熊の出た山はベンケイベツと青山との中間で、K氏はある年の夏、伐木に従事していたが、(中略)宿舎より谷間の現場へ山道を辿り降りることになったが、途中でバッタリ巨熊に出会った。K氏は5間と離れていないので、最早進退これ窮り、早速、小学校で教わったとおり、うつ伏せになり死んだ真似をした。 熊は怖る怖る側にかけ寄り、Kさんの頭の上から足の爪先までクンクン匂をかいだ挙句、何を思ったか腰のあたりを叩いて見た。それでも動かずにいると、今度は前足でK氏を仰向けに返し、またまた足の爪先から頭の毛先までクンクン反復した。

K氏が述懐するには、鼻のあたりをかがれたときには息ができないので苦しくて仕方なかったとのこと、やがて熊はイキが悪いとでも思ったのか、死んでるものに用事はないとさとったか、前足で一方の崖縁へK氏を蹴飛ばした。 そこで4間ほど離れた大木に頭を激突しK氏は気絶した。数十分後に尋ねてきた同僚に発見され、実に危ういところで命びろいをしたというスリルである》(『札幌林友』昭和35年4月号所収、藤井義雄「北海道のひぐま」)

この程度なら笑い話で済むかもしれないが、もっとひどいケガをした事例もある。 余市郡仁木村の農業、石原幸三郎(31)は、仲間2人と付近の山林に熊狩りに出かけたが獲物がないので、ぶどう畑でぶどうを食べていたところ、同人のそば7〜8尺離れた熊笹のなかに一頭の大熊を認めた。

ただちに銃をとろうとしたが時すでに遅く、熊は猛然として飛びかかり頭部を咬み、全身を掻きむしった。幸三郎は死んだふうを装ったが、熊はさらに一打撃を加えて立ち去った。 しばらくして同行の2人が血まみれとなって気絶している幸三郎を発見して病院に担ぎ込んだが、《すこぶる重態にて心臓をむしられ頭部はほとんど滅茶滅茶に引っ掻かれ左眼外方および右手前膊部、右大腿骨部等いずれも骨折し居り惨状二目と見られざる容態》であったという。(『小樽新聞』大正6年10月7日)

次の事例も命は助かったものの重い傷害を負ってしまった男性の話である。 《川端に長畠さんという店があり、そこの女婿が熊に手ひどくやられました。その熊は角田の二岐から父等に追われて、(夕張の)紅葉山へ逃げ込んだというので、好奇心にかられて友人と二人でボロ鉄砲一挺持って見に行った。 すると林道の入口で、向こうから追われた熊がとんで来るではないか。友人はすぐ木に登ったそうです。私は逃げ遅れて死んだまねをしていたが、“熊は死んだものは襲わない” と教えられていたのは嘘でした。

熊は私の上に腰を下ろして長い爪で尻べたにズブリと刺しました。痛いのでビクッと動くとウワッと唸って咬みつきました。ひっくり返すやら手玉に取ったり、まるで熊のおもちゃでした。 追っ手の人が来て仕止めてくれましたが、片目、片手、片足になりました。それでも猟師の人達が熊をなげおいて、病院に運んでくれたので助かりました(吉本国男)》(『東三川百年史』平成7年)

最後に香水のお陰で助かったという事例を紹介しよう。 《旭川の私の友達の奥さんですが、若い娘さんを連れて勇駒別からはいったところ、クマが現われたわけです。若い人達は逃げたそうですが、その奥さんはつまづいてたおれ、失心に近いようになったそうです。

おぼえていることは、クマが奥さんの頭のところに顔をやって、嫌な顔をしていってしまったというんです。きっと香水の匂いが嫌だったのでしょう、山にいくときは香水をたくさんつけていくと良いと、その奥さんが笑ってましたが(笑)》(北海道林務部広報誌『林』1968年5月号所収、斎藤春雄「てい談ヒグマ」)

中山茂大 1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

594NAME:2023/10/10(火) 19:58:17
カナダや米国をはじめとする国々では、路上生活者の社会保障は大きなコストとなっている。1人あたりにかかる医療・社会サービスは年間平均5,000ドルを超えてしまうのだ。しかも、これに精神疾患が加わるとカナダでは年間5万5,000ドル、米国では年間8万3,000ドルを突破すると見積もられており、地域経済への影響も甚大だ。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E3%81%A7%E5%AE%9F%E9%A8%93-%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%80%85%E3%81%AB80%E4%B8%87%E3%82%92%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E4%BD%95%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B/ss-AA1gUVzJ?ocid=hpmsn&cvid=c83382ce2b3c4250a6b4925a0ce2019a&ei=9#image=4

バンクーバーのシェルターで1晩過ごすのにかかる費用は93カナダドル(およそ1万円)。およそ250万人が暮らすこの街はカナダ屈指の高い物価で知られており、路上生活者の数は4,000人ほどと見積もられている。しかも、毎週およそ5人が路上生活に追い込まれているのだ。さらに、路上生活者の80%は慢性的な健康問題を抱えているほか、49%が依存症、34%が精神疾患にも悩まされているという。シェルターによれば、彼らの多くは精神的に打ちのめされてしまっているとのこと。

同時に、研究者たちは1,100人を対象として、現金を受け取った路上生活者がどのように利用するか予測してもらうアンケートを実施。その結果、路上生活者はそうでない人々に比べて、アルコールや薬物、タバコといった嗜好品に81%多く費やすのではないか、という回答が得られた。すなわち、人々は路上生活者に不信感を抱いているわけだ。

ところが、そのような予想に反して、路上生活者たちは受け取った現金をアルコールや薬物、タバコに費やすことはなかった。彼らが資金を投じたのはおもに食費や衣服、家賃などで、資金提供を受けなかったグループよりも早く住居を見つけることができたほか、1年後には経済的により安定したとのこと。

また、7,500カナダドルを受け取った人々は受け取らなかった人々に比べて節約の面でも有利だったという。資金援助を受けた参加者は路上生活の日数が99日減少したほか、安定した住居での暮らしが55日増えたため、シェルター利用費を1人あたり8,277カナダドルも抑えることができたのだ。

前出の「レイ」は、今回受け取った資金が今後の人生を進める上で足がかりになったと述べている。そして、自らも路上生活者を支援する活動を始めたようだ。いわく:「私はかつての自分たちのような人々に手を差し伸べたいのです(中略)いつの日か世界に声を届けられるようになるかもしれないのですから」

595NAME:2023/10/16(月) 19:27:02
「どうせ潰れる、お前がとどめを刺す勢いで」の檄で目が覚めた。ダメ水族館をV字回復させた「7つの当たり前」
BizHint 編集部 2023年8月29日(火)掲載
https://bizhint.jp/report/821745?trcd=pi_20231004_06&a0v5la7bquf89=65d32468af99c47780a625c28a1bc269&uy3ubftvh0u6o8=89c1d18a52ffe1c8b45906bea01fede8&cusduxj27i=1132563&xnfrr0ncac=901&zsmoi87pih9=trace.popin.cc&lzzgnpz8d=a1b067897e4ae093d1f94261e0ddc6c9

客がまったく入らず「日本一ショボい水族館」と嘲笑され閉館も検討されていた愛知県蒲郡市の竹島水族館。「お客様がいないほうがいい」「人間より魚と接していたい」などの飼育員の潜在意識を逆手にとった組織づくりが奏功しV字回復につながりました。主導したのは現館長の小林龍二さん。「どうせ潰れるんだから、とどめを刺す勢いで」という檄で始まった経営改革と、それを支えた右腕、そして飼育員の意識改革について聞きました。

蒲郡市竹島水族館 館長 小林 龍二 さん

1981年蒲郡市生まれ。北里大学を卒業後、Uターン就職で竹島水族館の飼育員に。市営から民間委託に移行した2015年に運営を引き継ぎ、館長に就任。過去最低だった入場者数は12万人から約47万人に。人間環境大学客員教授、専門学校ルネサンスペットアカデミー講師。主な著書に『竹島水族館の本』(風媒社)、『へんなおさかな竹島水族館の魚歴書』(あさ出版)がある。

飼育員は「お客様がいないほうがうれしい」。上層部の意向が絶対の組織

――今では「行列のできる水族館」となっていますが、以前の水族館はどのような状況だったのでしょうか?

小林龍二さん(以下、小林): まず、お客様はまったくいませんでしたね。いたとしても、外回りのサラリーマンが昼寝をしていたり…。 飼育員は普通に魚の世話をしていたのですが、水槽の掃除や魚の移動にあたっては、むしろお客様がいないほうがやりやすいんですよね。だから 「お客様がいないほうがうれしい」という空気すらありました。 また、水槽の手入れを楽にすることが先に来て、水槽内にある岩などの装飾を取り払ってしまったり…。「自分が魚の世話、水槽の手入れをしやすいこと」が最優先。 市営で、そして赤字でもずっと続いてきたので、危機感のようなものはありませんでした。

――飼育員の方は、成功している水族館を参考にされたりはしなかったのでしょうか?

小林: いろいろな水族館を見て回っていましたし、もちろん知っていました。 でもそこで抱く思いは「羨ましいな」「こんなふうにしなきゃいけないな」というのが2〜3割ぐらい。あとの7〜8割は「うちとは規模も財力も違う」「どうしようもない。考えるだけムダ」という、諦めや開き直りのほうが大きかったですね。

――小林さんは新卒で入館されましたが、そのような状況をどう見ていたのでしょうか?

小林: 「これはおかしい」という問題意識を持つ一方、個人としては好きな魚を飼って給料ももらえるから、まあこれでいいのかな…っていうのが半々でした。 ヒエラルキーが強い組織で、若手にとって上層部の言うことは絶対でしたし、自分が組織についてどうこう思っても、何も変わらない。 私を含め、水族館の飼育員はみんな魚が大好きで、魚を飼いたくて水族館の飼育員になるんです。 組織や人間関係の難しいことを考えるより、「今、魚に向き合っていられる幸せ」を考えると、それで納得できてしまうんですよね。

中堅クラスの人たちも「なんとかしなきゃ」とは思っていたようでした。しかし小さな組織でしたし、 上層部に意見すれば自身にダイレクトに跳ね返ってくる…結局は、何も変わりませんでした。 もちろん、竹島水族館の状況を憂う気持ちはあるのです。でも、何もできない…。

旭山動物園に足を運んだ時のことはよく覚えています。本当に羨ましくて、そして悔しくて、涙を流してしまいました。翌日、竹島水族館に来て現実に戻った時の無常感は忘れられません…。 (なんなんだ、ここは…)と。いっそ、潰れてしまったほうがいいんじゃないか? とさえ思いました。

596NAME:2023/10/16(月) 19:30:09
「ダメな部分とその改善案」を出すほど、マイナス思考になっていく

――市営で赤字、「つぶれたほうがいい」とまで議論され民間委託に。小林さんが責任者になりましたが、何を思い、どこから手を付けていったのでしょう?

小林: 最初は心機一転、「お客様でぎゅうぎゅうの満員にしてやろう!」そんなことを漠然と思っていましたね。 そうしてまず「何がダメなのか」を全員で洗い出しました。ダメな部分を一つずつ改善していけば、絶対に良くなるはずですので。 しかし竹島水族館で…この手法は失敗でした。 むしろ悪い方向に進んでしまいました。

――なぜでしょうか?

小林: 何がダメなのか?を出し合うと、「古い」「小さいからもっと大きくしたほうがいい」など、いろいろな意見が挙がりました。しかし それらの改善案を考える段階になると、どうしても「お金がかかるので無理…」という結論に。 「ここがダメだ!」「しかし変えられない…」「やっぱりうちはダメなんだ…」という悪循環に陥り、意見を出すほどマイナス思考になっていきました。 「じゃあ、いいところを探して伸ばそう!」と議論しても、今度は沈黙…。「売りにするもの」が何もなかったんです。

――ほかに取り組まれたことは?

小林: 冒頭お話しした「魚を飼っていることが楽しい」が最優先に来てしまっている飼育員の意識変革です。 水族館は、お客様に楽しんでいただくことで成り立ちます。いわゆるサービス業なんです。しかし飼育員は「自分たちが」楽しんでしまっている。 就職前は自分のお金で、時には貯金をはたいて魚を購入して愛でていたものが、仕事として、他人のお金で魚が飼える。この現状・居心地を死守することが第一になっていました。 ですので 「水族館で魚を飼って、あなたが楽しむだけだったら、むしろあなたがお金を払ってください!」と、強く言い続けました。「お客さんが来て、楽しんでくれてこその水族館なんです!」 と。

お金には限りがあるが、人間の知恵や工夫には限りがない

――組織変革を進める上で、ビジネス書をかなり読まれたとか。

小林: トヨタやホンダ関連の書籍をはじめ、いろいろな本を読み漁りました。どうしたら今の仕事がもっと楽になって、効率が良くなって、使うお金を減らせるか…。 特に、トヨタ自動車初期の副社長だった大野耐一さんの言葉には影響を受けました。「お金は限りがあるけれども、人間の知恵や工夫には限りがない」。実際に私たちにはお金がなかったので、ガツンと入ってきました。 先ほどお話しした「ダメな部分を出して改善する活動」にしても、 その改善策をお金がかかることに求めるから行き詰まる。『お金はない』という前提に立たなければならなかったのです。

お金がまったくなければ「知恵を絞る」しかなくなる。もし少しでもお金があったら、逆に「もうこれだけしかお金がない」「お金がなくなったから、改善はここまで」という限界を無意識のうちに作ってしまう。 「人間の知恵や工夫は、考えれば考えるほど、あるいは窮地に追い込まれるほど湧いてくる」。大野さんの言葉は、実際その通りだと思いました。

水族館は「生き物を飼う」という特殊な職業で、そこで働く飼育員の志向として「生き物が好き」が先に来てしまうのは仕方がない部分はあります。しかし「悪いところを改善していく」ということについては、一般のビジネスと同じ意識を持つ必要があると思います。 そういった意味で、トヨタの「カイゼン」の考え方は、すごく響きました。悪いと思ったらすぐに変えよう。お金なんてかけなくていい。少しでも良くしよう。それでダメだったらまた戻せばいい。 そもそもうちはマイナスから始まっているので、失敗したところで現状維持というだけなんですよね。

597NAME:2023/10/16(月) 19:30:28
――カイゼン活動の例を教えてください。

小林: わかりやすいところでいえば、展示の仕方ですね。みんなで水槽を見て回って、「掃除はしづらいけれど、お客様にとっては水草を置いたほうが綺麗に見えるんじゃないか」「こういう見せ方をしたほうが、お客様に生き物が楽しく暮らす様子が伝わるんじゃないか?」と、お客様を主語に持ってくる形で改善案を出していきました。 また細かい話なのですが、「餌やり」は水族館ならではの改善かもしれません。魚の中には、大雑把に餌を撒いても大丈夫な魚がいるのですが、飼育員はどうしても、その場で魚を見ながら少しずつ餌やりをして、その時間を楽しむことを優先してしまうことがあります。 気持ちはわかるのですが 「水族館での餌やりは仕事」 です。それが常にいくつもの水槽で行われていると、ほかの仕事をする時間が確保できない…。 ですので、そういった魚の水槽については自動餌やり機を導入しました。また餌についても、飼育員の好みで高価なものを使っていた所は、より低コストのものに切り替えました。

――とはいえ、飼育員の意識変革は大変ですよね?

小林: そうですね。「何のために、誰のために、生き物たちを水槽に閉じ込めているんだ?」と、それこそ何度も力説しました。 彼らも本当はわかっているんですよ。水槽へ入れるのは、魚にとっては牢屋に閉じ込められるようなもの。では、なぜ閉じ込めているのか?その根底には「自分が大好きだから」という強い感情があります。 これが本質だからこそ、その部分を指摘すると腹を立てる人が多い。 であれば「その思いを、魅力をお客様に伝えてこそ、水族館の飼育員としての役割が果たせるんじゃないか」と伝えました。 ただ、こうした意識づけは本当に継続しなければダメですね。気を抜くと、すぐに「魚好き」に戻ってしまうというか。ですので、来客数や魚の購入費用などの話や情報共有は意識的にするようにしました。「今日はお客様が300人来た」「魚の購入費用はあと50万円しか残っていない」など。

どうせ潰れるんだから、お前がとどめを刺すくらいの勢いで

――水族館の責任者としての心構えや行動が変わったきっかけはありますか?

小林: 心構えという意味では、私の人生の師匠・中村元さんの檄でしょうか。もともと鳥羽水族館にいらっしゃって、現在は水族館プロデューサーとして活躍されています。「弱点を武器にする手法」で多くの水族館を再建されました。 中村さんに相談した際に 「今のままだとどうせ潰れる。いやもう潰れているような水族館なんだから、お前がとどめを刺すぐらいの勢いで、思い切りやれ!」と檄を飛ばされました。 先ほどお話しした「水族館はお客様のためにある。飼育員が楽しむ場所じゃない!」という当たり前のことも、はっきり仰っていただきました。中村さんの檄で目が覚め、そこから竹島水族館の再生が本格的に動き出したといっても過言ではありません。

――改革を進めるチームのようなものはあったのでしょうか?

小林: チームというわけではありませんが、副館長の戸舘(戸舘真人さん)の存在は大きかったと思います。むしろ彼がいなければ、今の竹島水族館はあり得ないです。 というのも、私は「調整」のような部分が弱いんです。私は周囲と衝突したり、揉めたりすることが度々あったのですが、そういう時はいつも彼が仲裁してくれました。私の提案で合意が取れないことがあっても、彼が「ちょっと待ってろ」と提案を通してきてくれたり。 私はゴールを定めて、そこに周囲を引きずりこむタイプなのですが、彼はそのゴールに行くための段取りをつけてくれる。 それこそどんな根回しが必要かを考え、調整してくれます。 もともと、彼も隣県の小さな水族館でくすぶっていました。二人で「どうしようもない」「辞めたい」という所から話が合って、意気投合しました。そして竹島水族館で求人が発生した時に、声をかけて来てもらいました。

598NAME:2023/10/16(月) 19:30:47
同じ過ちを繰り返さないための「7つのヒント」

――改革を進める上で、心がけたことはありますか?

小林: 独自に作った「7つのヒント」は良い方向に作用したと思います。 水族館(会社)の経営は人間の体と同じです。病が見つかったときには手遅れということもあります。そうならないためには日頃のチェックが必要で、自分自身の過去の経験や、それこそ自戒も込めて言葉にまとめました。

その1 熱意がすべてを支える
その2 反骨精神が力の源
その3 目標を具体的に持つ
その4 創意工夫はカネより強い
その5 基準はお客さんのため
その6 人との出会いが武器になる
その7 逃げ道を作る

――最後の「逃げ道を作る」がユニークですね。

小林: これは水族館・飼育員ならではの部分はあるかもしれませんね。

飼育員は「本当に大好きなことを職業にしている、できている」わけです。ですので、そこで躓くともはや「自分の人生そのものが終わった」という気持ちになってしまいます。 だから、仕事でうまくいかなくても気分転換ができたり、逃げられるような環境にしておくことが大事です。 一番大事なもの、好きなもので壁にぶち当たっても、そこでずっと立ち止まらないで、次の一歩、違う一歩を踏み出せる。 それを「逃げ道」と表現しました。 逃げ道の中でヒントが見つかったり、いろいろな人に話を聞いて気付きを得たり、今と違う何かをしようとして経験をしたことが、必ず次につながると思っています。立ち止まったままだと、何も得られませんからね。

小林: そういった考えから、「スタッフが同業者以外の人と会う」という取り組みは積極的に進めています。たとえばコラボお菓子を売り出した時には、パッケージ会社やお菓子会社の人とお会いして話をしています。こういった方々と話をする機会は、魚を飼育する毎日では絶対にありませんから。

そうすることでスタッフの世界は広がりますし、水族館での仕事の考え方・アイデア出しにおいても参考になっています。

魚の解説POP「食べるとウマイ」は、逃げ道の成果

――飼育員の手書きの解説カンバンPOPが評判になりました。

小林: 最初は看板屋さんに頼んでいたのですが、そのお金もなくなってしまったので、手書きでやることにしました。画用紙に自分たちで書いたほうが安上がりなので。

さらに言えば、そもそも解説POPはお客様にあまり読まれていませんでした。魚の解説は水族館として必要ですが、 どうせ読まれないなら「飼育員が好きなことを書いてしまえ!」と振り切りました。

――中でも「食べるとウマイ」という解説POPはユニークです。

小林: これもいろいろなことを考え抜く中で生まれた知恵と言えるかもしれません。というのも、飼育員の全員が最初から、解説POPをうまく作れたわけではありません。 そこで「何かかんたんにできないか?」と考える中で「展示している魚を食べて、その感想を伝えるくらいであれば、できるだろう…」ということでやってみたのです。するとこれが反響を呼ぶことに。それからその飼育員は、水族館内で「食べる担当」のようなポジションになっていきました。 「むずかしい。できない」で立ち止まらずに、「とりあえず今できること」に逃げたら道が開けた好例 かもしれませんね。

――解説POPの内容は、誰かがチェックしているのでしょうか?

小林: 飼育員にはそれぞれ担当の水槽・魚があるのですが、解説POPの内容について、私を含め周囲が口を出すことはありません。水族館内のほとんどの掲示物は飼育員が考えたものをそのまま掲出しています。 というのも私が以前、上司に言われて嫌だったんですよね。水族館の掲示物を作っても、上司に何度も「修正」「書き直し」と言われ…「だったら自分で作ってよ」と思っていました。

任せられなければ、責任を持たされなければ、自分で考えなくなりますよね。

599NAME:2023/10/16(月) 19:31:35
「お小遣い制」で一人ひとりの責任を明確化

――「飼育員に任せる」について、他にはどのような取り組みが?

小林: わかりやすいところでいえば「お金」です。以前は、館長と副館長がすべてのお金を管理していました。私を含め、飼育員はお金のことはまったく知りませんでした。予算はいくらあるのか?その魚はいくらで買っているのか?など。今、それらはすべて飼育員が把握しています。 飼育員にはそれぞれ担当の水槽・魚を割り当て、1年の初めに全部お金を渡してしまっています。お小遣いのような形で。 以前は「館長、この魚買いたいのですが?」といった稟議制だったのですが、結局は館長が好きな魚しか買えませんでした。 でも今は、予算の範囲内であれば、飼育員が好きな魚を買えます。もちろんそこには、責任が伴います。

――担当の水槽とその運営費用をすべて飼育員に預けてしまうわけですね。

小林: 「すべてが自分の責任」「どの魚を買うかも自由」となれば一生懸命やりますし、今まで以上に魚を可愛がります。 その上で導入したのが競争原理です。自分の担当の水槽がすべてうまくいくと、飼育員はもっと水槽がほしくなります。内心、(隣の水槽を自分が担当したら、もっとうまくいくのに…)と思ったりするわけです。 そこで、状況によっては 「他の飼育員の担当水槽を取れる」ルールを導入しました。逆に自分の担当水槽を疎かにしていると、水槽と予算を取られてしまう。 国取り合戦のような感じです。 みんな魚の世話をしたいので「水槽は絶対渡したくない」となります。これが、自宅と水族館、趣味と仕事の一番の違いかもしれませんね。自宅の水槽は、誰かに取り上げられることはありませんから。

――チームワークの面で、軋轢などは大丈夫なのでしょうか?

小林: むしろ一つの水槽に複数名で関わるほうが、「誰かがやるだろう」という心理がはたらいて、責任の押し付け合いが起こってしまうと感じます。 そもそもベースにあるのは、みんな生き物が好きで集まっているということ。 基本的に温厚です。 そしてみんな魚の専門家ですので、教えたり教わったりといった向学心が強い。自分の知識・ノウハウを話すのは好きなんです。うまくいっている水槽があれば興味を持って相談しますし、うまくいかなければ一緒になって原因を探して対処します。 その上で、自分の担当水槽にお客様が集まってくると「自分が育てた魚は人気者だ」「自分の水槽は評判だ」と自信につながってくる。そのサイクルで、どんどん雰囲気がよくなっていきました。

――万一、お小遣いが早めになくなってしまった場合は?

小林: お小遣いがなくなった場合は、他所の水槽の作業を手伝う「出稼ぎ」に行ったり、予算に余裕がある人と個別に調整してやり繰りしているようです(笑)。

飼育員は「身近なさかなクン」。ぜひ話を聞いてみてほしい。

――人事評価について。たくさんの水槽を担当するほど、給料が上がったりするのでしょうか?

小林: 担当の水槽数に応じて、というダイレクトな仕組みはありませんが、評価としてはプラスになります。たくさんの水槽で結果を出すというのは、仕事量・事業貢献度ともに高いわけですから。 以前はどんな仕事を、どれだけやっても、またお客様満足などとは無関係に給料は定額制でした。がんばってもがんばらなくても変わらない。冒頭お話しした「水族館で魚を飼育する仕事ができている」ということで自分を納得させるしかなかったので、そういった面でもやる気に繋がっていると思います。

600NAME:2023/10/16(月) 19:31:52
――お客様満足や入場者増の背景に、飼育員の変化の影響は感じますか?

小林: これは感じます。最近、朝礼などで「入館者数が減っている」といった話をすると、飼育員が個人のFacebookやLINEで「ちょっと遊びに来てよ」ってメッセージを出しているようなんです。つまり、飼育員にファンがついている。 飼育員の誕生日にお客様からお菓子やプレゼントをいただいたり、「ケーキを作ったからみんな食べて」とか「暑いけどがんばってね」とスポーツドリンクを差し入れていただいたり。とてもありがたいことですし、以前では考えられなかった光景です。

――飼育員にファンがつくというのはすごいですね。

小林: うちにはラッコやイルカなどの人気者はいないので、そのポジションに飼育員がいる感じになっているのかもしれませんね。アイドルグループのように、お客様ごとに「推し」の飼育員がいるわけです。 こればかりはぜひ、竹島水族館に足を運んで飼育員に声をかけて体験いただきたいのですが、彼らは魚の専門家です。知識・経験が豊富ですし、本当にいろいろなことを考えながら水槽の世話をしています。 専門家が自ら愛情を注いだ魚や水槽の話をすると…これがまためちゃくちゃおもしろい。 お客様にとっては、魚を見るだけであれば多少間隔を開けても似たような風景かもしれません。しかし魚や水槽には日々変化があり、現場では多くのエピソードが生まれています。そういった話を聞いていただけると、まさに非日常の体験ができるはずです。 竹島水族館の飼育員は、言わば「身近に会える“さかなクン”」です。ぜひお気軽に飼育員と交流していただきたいですね。いまや飼育員も、お客様と話したがっているんですよね(笑)。 (取材・文:加藤 陽之 撮影:カメイヒロタカ)

601NAME:2023/10/23(月) 22:09:59
京都アニメーション放火殺人事件
https://www.mbs.jp/news/
https://www.mbs.jp/news/feature/kyoani/article/2023/09/096897.shtml
青葉被告は法廷に入ると目を見開き、証人男性をじっと見つめていた。

602NAME:2023/12/28(木) 19:57:13
有り金が底をつき、オフィスの水まで有料に…窮地のイーロン・マスクがテスラ社員に送った“一本のメール”「人類の未来のために…」

会社の価値を表す株式時価総額は7961億ドル(約119兆4000億円)で世界7位。自動車業界ではぶっちぎりの1位で、2位トヨタ自動車のおよそ3倍。米電気自動車メーカーのテスラは、その将来性を含め世界の投資家が最も高く評価する自動車会社である。
だが創業者のイーロン・マスクはそんな評価に何の関心もないだろう。何せ野望は人類を「マルチ・プラネット・スピーシーズ」すなわち「複数の惑星で繁栄する種」に進化させることなのだから。

自らアスペルガー症候群の傾向があることを認めているマスクには、物事を常人よりはるかに深く突き詰めて考える性癖がある。 伝記『イーロン・マスク』(ウォルター・アイザックソン著) によると、幼稚園のとき園長に「知的障害だと思われます」と言われたという。

自分が執着するテクノロジーやビジネスに対しては驚異的な集中力を発揮するが、その場の雰囲気に合わせてそれらしく振る舞ったり、相手に話を合わせたりするのは極端に苦手なのだ。

挑戦する前に「できっこない」とあきらめる思考回路は頭脳に組み込まれていない。
スペースXを立ち上げてまだ1年しか経っていない2003年、マスクはバッテリーだけで走る自動車の開発に取り組んでいた数人のグループと出会い、電気自動車(EV)というアイデアに魅せられる。「俺にも一枚噛ませろ」と1万ドルを出資した。
マスクにとって、温暖化ガスを撒き散らすガソリン車からEVへのシフトはある種の必然でもあった。

普通の人間なら壊れる。2番目の妻は伝記の中で、この頃のマスクが夜な夜な「叫んでは吐いていた」と証言している。だがこの逆境は、マスクの集中力を極限まで高めることなり、痩せ細って足の指に力が入らず、まっすぐ歩けないようになっても精力的に仕事をこなした。

伝記には書かれていないが、この頃、テスラではそれまで無料だったミネラル・ウォーターが有料になり、社員の多くが「この会社も、もうそれほど長くない」と感じていた。このときマスクは社員に一本のメールを送っている。「上司のために働かないでください。人類の未来のために働いてください」

603NAME:2024/01/07(日) 21:46:42
1日3回オーガズムを求めた米大富豪の「性的恐怖の館」に出入りしていた英王子 米裁判所に呼ばれる恐れも
木村正人在英国際ジャーナリスト
2019/8/20(火) 18:02
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1eaad2818aa81ccacf92e2b240d3db1507d97448

くすぶる「口封じのための他殺」説

[ロンドン発]未成年者の人身取引で起訴された米国の大富豪ジェフリー・エプスタイン被告(66)が勾留中に死亡、首つり自殺したとみられる問題で、2010年に同被告の居宅を訪れたアンドルー英王子(59)の映像が公開され、英王室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっています。

裁判の開始を待っていたエプスタイン被告は今月10日、マンハッタンの勾留施設で死亡しているのが見つかりました。同被告は長年、アンドルー王子や大統領就任前のドナルド・トランプ氏やビル・クリントン元大統領ら政治家、有力者、著名人らと「セレブな関係」を続けおり、「自殺」ではなく「口封じのための他殺」との憶測もくすぶっています。

英大衆紙メール・オン・サンデーは、ニューヨークのエプスタイン被告宅から出ていく若い女性を、目尻を下げて見送るアンドルー王子を隠し撮りした特ダネ動画を公開。アンドルー王子はエプスタイン被告が未成年者に性的行為をさせたとして有罪判決を受けた後も同被告宅を訪れていました。

バッキンガム宮殿(英王室)は日曜の夜、即座に「アンドルー王子はエプスタイン被告の容疑に関する最近の報道に愕然としている。アンドルー王子はいかなる人的搾取も遺憾とし、彼がそうした行動を許容し、参加し、促したと示唆するのは忌まわしいことだ」と疑惑を全面否定しました。

英王室の伝統はどんな報道にも「文句も言わず、説明もしない」という不文律を守ってきましたが、そんな悠長なことを言っていられる場合ではないようです。しかし忌まわしいのはどちらでしょう。英王室のコメントは疑惑に全く答えていません。

604NAME:2024/01/07(日) 21:46:57
オーガズムを与えられないと罰が加えられる

数十人の少女が性的搾取され「恐怖の館」と呼ばれていた悪名高きエプスタイン被告の居宅(時価約90億2500万円相当)に出入りしていたアンドルー王子は中で何が行われていたのかを知る重要な証人です。「性的奴隷」にされた少女たちは民事的な救済を求めています。アンドルー王子は米国の裁判所で証言しなければならなくなるやもしれません。

17年、米ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が複数の女優に性的関係を迫っていたスキャンダルをきっかけに世界中で「#MeToo」運動が広がりました。エプスタイン被告は未成年の少女たちから組織的に性的搾取を行っていたので、より悪質です。

英大衆日曜紙デーリー・ミラーも、アンドルー王子とエプスタイン被告に性的虐待を受けたとされるヨハンナ・フェーバリさんの父親が司法による正義を求めていると特ダネで伝えました。

ヨハンナさんは正規のアシスタントの仕事だと言って雇われた後、エプスタイン被告に性的マッサージを強要され、オーガズムを与えられなかった場合、罰を与えられたと訴えています。ヨハンナさんはエプスタイン被告の下で4年間働き「恐怖の館」にも出入りしていました。

報酬は1回300ドル(約3万2000円)程度だったとも言われています。

アンドルー王子は20代前半だったヨハンナさんの胸を触ったとされています。ヨハンナさんの父親はエプスタイン被告が死んだとしても正義は実現されなければならないと訴えています。

1999年半ばからエプスタイン被告に性的マッサージを強いられていたヨハンナさんはグループで英王室の夏の休暇地バルモラル城に滞在し、アンドルー王子と楽しんだとも証言しています。

「エプスタイン被告は1日3回オーガズムを必要とした」

英メディアによると、ヨハンナさんはこれまでの裁判で「エプスタイン被告は1日3回オーガズムを必要としました。食事をとるように生物学的でした」と証言しています。

エプスタイン被告の「性奴隷」にされたバージニア・ロバーツさんは2001年、17歳の時にアンドルー王子と3回寝たと訴えています。しかしアンドルー王子と英王室はバージニアさんとの性的な接触や関係を否定し、米国の裁判所も彼女の訴えを「重要でない」と退けました。

エプスタイン被告は1992年、トランプ大統領と大統領の別荘「マー・ア・ラゴ」に28人の女性を招いてパーティーを開いたこともあります。

未成年の少女に売春をさせた罪に問われたエプスタイン被告は司法取引に応じ、08年、1年6月の禁錮刑判決を受けて服役。この時の担当はフロリダ州マイアミの連邦地方検事で、後にトランプ大統領に労働長官に指名されるアレクサンダー・アコスタ氏。アコスタ長官はその後、秘密裏に行った司法取引を批判され、辞任に追い込まれます。

今年7月、エプスタイン被告は性的搾取を目的とする未成年者の人身取引容疑で逮捕、起訴され、裁判の開始を待っていました。有罪の場合、最高45年の禁錮刑が科される可能性があり、被害者の中には14歳の少女もいたそうです。

いくら英王室のメンバーだからと言って、こんな人物と有罪判決が出てからも堂々と付き合い、少女たちに「恐怖の館」と恐れられた場所に出入りすることが許される時代ではなくなりました。時代錯誤も甚だしいとはこのことです。

アンドルー王子は米国の裁判所に出廷して、すべてを洗いざらい証言することが求められるでしょう。

605NAME:2024/03/05(火) 20:00:50
長渕剛、インスタで宣言「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」「何かあるならば私の名前を叫んでこい」
スポーツニッポン新聞社 の意見
4 時間
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E9%95%B7%E6%B8%95%E5%89%9B-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%A7%E5%AE%A3%E8%A8%80-%E7%A7%81%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%88%83%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%82%82%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%86-%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%B0%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%82%92%E5%8F%AB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%93%E3%81%84/ar-BB1jlaN8?ocid=msedgntp&pc=NMTS&cvid=6d4d11708fbc4e09bd8ba09a5e2da3ad&ei=6

歌手・長渕剛(67)が5日までに自身のインスタグラムを更新し「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」と宣言した。 長渕は「何も知らない人間が 虚構を切り刻み、貼り付け そして汚い金になる。そんな社会が 確かにある」と切り出す。

 そして「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう。なぜなら自尊があるからだ。何かあるならば 私の名前を叫んでこい」と投げかけた。 最後は「自分を見失わせる恐ろしい社会になったけれど 切り刻まれようとも 私は立つ。今日私はここに立つ。長渕剛」と結んだ。

606NAME:2024/03/12(火) 11:34:04
「バーン」靖国神社に落ちた爆弾、生き残った8歳 メラメラ燃える自宅は「美しかった」 #戦争の記憶
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/pacificwar2.html


キダ・タロー氏93歳が涙 80年前いじめ加害を突然激白「ナイトスクープ」彼を叩いた、悔やんでます、彼の涙で俺は人に手をあげる事やめた
2024.03.11
https://www.daily.co.jp/gossip/2024/03/11/0017420957.shtml

浪速のモーツァルトこと作曲家キダ・タロー氏(93)が8日放送のABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」に最高顧問として出演した。 依頼者から、夫が中学の時に友人に手を上げてしまい、そのまま疎遠になったことを長年後悔しており、謝罪したがっているとの依頼が届いた。

 これを受け、探偵の石田靖が「顧問、なんか悔やんでいることとかあります?謝りたい人とかいます?」と聞くと、93歳のキダ氏は「いますけど、その子は亡くなりました」と返した。

 謝るのは早いほうがいいとの話になったが、キダ氏は真剣な顔で「その子、心臓が弱かったんですよ。中学1年で、みんなでいじめるんですよ。私、そのうちの1人に入っとったんです」と告白した。 涙声になり「私が叩いたんですね、彼を。彼が黙って涙を流したんです。それから俺は人に手をあげることはやめたんです。それだけが悔やんでます」と明かした。

607NAME:2024/03/22(金) 22:29:00
第12代最高裁長官・草場良八さん死去 94歳、ロッキード判決
2020年3月21日 02時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17466

ロッキード裁判の最高裁大法廷判決などに裁判長として関与した元最高裁長官の草場良八(くさば・りょうはち)さんが十三日、老衰のため死去した。九十四歳。福岡市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 東大法学部卒業後の一九五一年に判事補。最高裁の秘書課長兼広報課長や経理局長、甲府地、家裁所長、東京高裁部総括判事、最高裁事務総長、東京高裁長官などを経て八九年に最高裁判事。九〇年に故矢口洪一氏の後任として第十二代最高裁長官に就任、九五年に退官した。
 最高裁長官に在任中、成田新法の合憲性が争われた訴訟や、三・一八倍の一票の格差を違憲状態とした衆院定数訴訟、嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件丸紅ルートの大法廷判決に裁判長として関わった。
 最高裁判事就任からわずか三カ月で司法トップの長官に上り詰め長官在任期間は約五年九カ月に及んだ。裁判官としては主に刑事事件を担当したほか、司法行政にも手腕を振るい、最高裁事務総長時代に簡裁の統廃合や報道機関による法廷内写真取材を実現させた。


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