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人 間

278NAME:2016/01/11(月) 13:50:05
現場作業員から年商90億円社長に 元巨人投手の“復活人生”
日刊ゲンダイ 1月10日(日)9時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160110-00000008-nkgendai-base

東京・八丁堀のオフィス街に本社を構える建設工事会社。ビル床版工事を中心に請け負う年商90億円企業の代表取締役を務めるのが、松谷竜二郎さん(51)。元巨人の投手である。

「この会社でもう13年。でも、あっという間でしたね」  88年ドラフト2位で巨人入り。1年目から一軍キャンプに参加するなど、将来を嘱望される右腕だった。ところが、プロ入り直後から右肩痛に悩まされ、91年の21試合登板をピークに右肩下がりに。95年からは近鉄に移籍してプレーを続けたものの、3年間で戦力外を余儀なくされた。

「近鉄の最終年はすでに右肩がボロボロだったので、球界への未練はなかった。だから、クビを通告された場で球団幹部に『近鉄の関連会社で働かせてほしい』とお願いした。でも、即答で『ムリ』と(苦笑)。巨人から来た外様には冷たかった。そこで、巨人時代の監督だった故・藤田さん(元司氏)とコーチだった末次さん(利光氏)に相談。2人の知り合いの建設会社に就職させてもらい、営業兼現場作業員として再スタートを切ったのですが…。これが地獄の始まりでした」

 当時の建設現場は完全な職人社会。34歳で飛びこんだ“ズブの素人”の松谷さんには厳しい洗礼が待っていた。元プロ野球選手の肩書や名声は一切通じない。仕事ができなければ、親分だけでなく、10代の若手職人からも容赦ない罵声が飛んだ。 「オッサン、はよ動けや! 何もできへんヤツが何で現場におるんや!」

■寝る間を惜しんで業界用語を勉強

 1カ月もたたないうちに「退社」の二文字が脳裏をよぎった。しかし、我慢するしかなかった。 「私が辞めたら今後巨人をクビになった選手がこの会社に入れなくなる。そんな前例を作ってはいけない。同時に『このままじゃ何も変わらない。何とかしないと』と、プライドを捨てて気持ちを切り替えました」

 職人やゼネコン業者と対等に仕事をするため、業界本を何冊も買って寝る間を惜しんで勉強に励んだ。近寄りがたい親方衆にはあえて現場で“接近”。「教えてください」と頭を下げ、怒鳴られながら作業のイロハを覚えた。  1年半後、松谷さんに転機がおとずれる。勤め先の経営が傾き始めたのを機に、同業他社へ転職。休眠状態だったこの会社こそ、現在の「株式会社スチールエンジ」の前身だった。

 6人足らずで船出して無我夢中で働くこと3年、周囲に勧められ03年に代表取締役に就任した。以後、順調に事業を拡大。今では従業員60人、来季は年商100億円を視野に入れる。 「建設業界に入った直後の辛い思い出は心にあります。私の社員には同じ思いはさせたくない。お金の追求より、社員が将来に不安なく仕事を続けられるか。その点を今度も大事にしたい。将来的には自前で社会人野球チームを作り、スポーツ選手のセカンドキャリアを助けたい。それができれば、元選手を大量雇用できますから。今後はそういう形で球界に恩返しがしたいですね」

▽まつたに・りゅうじろう 1964年7月10日、大阪府大阪市生まれ。大阪市立高から大阪ガスを経て88年ドラフト2位で巨人に入団。95年近鉄に移籍。97年オフに引退後、建設会社を経て03年スチールエンジ株式会社代表取締役に就任。プロ通算成績は59試合4勝4敗1セーブ、防御率5・06。身長182センチ、体重80キロ。右投げ右打ち。


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