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大東亜戦争

1 NAME :2012/10/02(火) 01:39:31
大東亜戦争

248 NAME :2016/10/04(火) 15:21:50
血に染まった島ペリリュー島での戦いに迫る実録映画
http://www.msn.com/ja-jp/movies/story/%E8%A1%80%E3%81%AB%E6%9F%93%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%B3%B6%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E5%B3%B6%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%82%8B%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E6%98%A0%E7%94%BB/ar-BBwVr2U

太平洋戦争中に起こった旧日本軍とアメリカ軍の「ペリリュー島の戦い」に迫ったドキュメンタリー映画『追憶』の予告編が公開され、南太平洋パラオ諸島に浮かぶ小さな島で起こった壮絶な戦いの一部が明らかになった。

 1944年11月、70日に及ぶ激戦の末、旧日本軍、アメリカ軍、あわせて1万人を超す命が散ったペリリュー島。昨年4月には天皇・皇后両陛下が訪問され、慰霊碑で戦没者を追悼された。本作は70年前の激闘にアメリカの国防総省や国立公文書館に残る資料や、ペリリュー島で戦った元旧日本兵や元アメリカ軍海兵隊兵士の証言などから迫るドキュメンタリー作品。当時の旧日本軍守備隊を指揮した中川州男大佐について書かれた「愛の手紙 ペリリュー島玉砕 中川州男大佐の生涯」が基になっている。

 美しい現在のペリリュー島の映像から始まる予告編では歌手・俳優・演出家として活躍している美輪明宏による語りとともに、思わず目を覆いたくなる戦争の映像が次々と映し出される。また、戦いに参加していた元日本兵や元アメリカ海兵のほか、戦いのことを知るペリリュー島の島民も当時のことを日本語で振り返っている。 『天心の譜(しらべ)』などの小栗謙一が監督を務めた本作は、約70年前に確かに起こってしまった戦争の空しさと悲惨さを、現代を生きる日本人に訴えかけてくる。(編集部・海江田宗) 映画『追憶』は11月5日公開

249 NAME :2016/10/04(火) 22:47:25
【松代大本営】
大戦末期、本土決戦の最後の砦 移転先として極秘建造された地下壕の全容がついに…天皇御座所予定地跡も
2016.10.3 10:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/161003/prm1610030001-n1.html

先の大戦末期に皇居や政府機関の移転先として建設が進められた長野市の「松代大本営地下壕」のうち一般公開されていない「舞鶴山地下壕」について同市が、近い将来に保存や管理、公開ができないか検討に入った。舞鶴山地下壕の上には「天皇御座所予定地跡」など歴史的に重要な遺跡がある。当時のもようを後世に伝える貴重な史跡の取り扱いの行方が注目される。(長野支局 三宅真太郎)

 舞鶴山地下壕は大戦最中の昭和19年に同市松代地区の舞鶴山に堀り抜かれた。大本営、天皇、皇后両陛下の部屋と宮内省(宮内庁の前身)の移転が予定されていたが、実現しないまま20年に終戦を迎えた。そして22年、地下壕の地盤が固いうえ、通年の気温変化が少ないといった理由で、地下壕と地上施設に中央気象台松代分室(現・気象庁松代地震観測所)が開設された。

 同分室には多い時で十数人の職員が常駐し、地震観測業務が継続されてきた。その間、一般の見学者は内部の一部エリアや展示室に入ることができた。 しかし今年4月、気象庁のシステム更新に伴って解析業務を東京の本庁に移管したため無人化された。これにより施設公開への扉は閉ざされ、一般来訪者が内部に触れる機会は年1回、10月に開催される見学会のみとなった。

 舞鶴山地下壕は今後、観測機器や書類などの整理を終えた後、所管が気象庁から財務省に移り、国有財産として管理される予定だ。同省への移管作業には数年かかるとみられているが、移管後に一般公開される見通しは立っていない。 財務省担当者は「一般的に戦争遺跡には崩落の危険など安全面の課題も多く、財務省として管理して公開することは難しいのではないか」と話す。

 そこで長野市は、同省から譲渡や貸与を受けることにより、将来的に責任をもって保存や管理、公開する道筋を模索することになった。加藤久雄市長は8月24日の定例記者会見で「天皇、皇后両陛下の御座所もあり、非常に貴重な施設だ。市として保存、公開も視野に入れて考えたい」と述べた。一方、舞鶴山の近くにある「象山地下壕」については、市が平成元年から約500メートル部分を管理して無料で公開しており、年間10万人前後の見学者が訪れる。

 松代大本営地下壕の保存活動や観光客向けのガイドを行うNPO法人「松代大本営平和祈念館」の花岡邦明理事長(65)は、産経新聞の取材に対し、「終戦から71年が経ち、直接語ることができる人が減っている中で、当時を物語る戦争遺跡は貴重。市民の学習の場として広く公開してほしい」と語る。

 松代大本営地下壕 先の大戦末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘裏に大本営や政府各省などを移す計画で昭和19年11月から翌年8月の終戦の日までの9カ月間で建設され、全工程の約8割が完成した。長野市松代町の舞鶴山、皆神山、象山に碁盤の目状に掘り抜かれ、総延長は10キロに及ぶ。

250 NAME :2016/10/30(日) 23:33:54
【戦後70年】
真珠湾奇襲、英MI5は知っていた 証拠の日記見つかる 007のモデルのスパイ暗躍 情報伝えられたFBI長官は…
2014.12.8 09:30更新
http://www.sankei.com/world/news/141208/wor1412080016-n1.html

73年前の12月8日、日本は真珠湾を攻撃した。当時の日本の最高機密だが、英独の二重スパイが攻撃計画を事前に察知し、英MI5(情報局保安部)が把握していたことが、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。MI5のガイ・リッデル副長官は日記に、スパイが奇襲4カ月前に独側から偵察を指示されたリストに真珠湾と米艦隊があったことを「われわれ(MI5)は所有している」と記していた。スパイの回顧録によると、米FBIにも奇襲を伝えたが、ジョン・フーバー長官が握り潰していたという。(編集委員 岡部伸)

 このスパイは、セルビア人のドシュコ・ポポフ。コードネームは「トライシクル」(三輪車)で映画「007」シリーズのジェームズ・ボンドのモデルの1人として知られる。 リッデル日記によると、真珠湾攻撃後の1941年12月17日付に「『トライシクルの質問状』を今、われわれ(MI5)が所有している。これは8月にドイツ人たちが真珠湾について特別に関心を示し、可能な限りのあらゆる情報を入手したがっていたことを極めて明瞭に示している」と書かれていた。

 ポポフの回想録「スパイ/カウンタースパイ」によると、「トライシクルの質問状」は、ポポフが同年7月、ポルトガルのリスボンで独諜報機関のアプヴェール(国防軍情報部)から「米国でスパイ網を組織せよ」との指令を受け、渡された調査リストだった。この中に真珠湾の米軍施設や米艦隊などが含まれていたという。

ポポフは、アプヴェールの同僚から、1940年11月に英海軍が航空機でイタリアの軍港タラントを奇襲した攻撃手法に日本が関心を示していると聞いていたため、日本がタラント海戦に倣って真珠湾を攻撃すると推測したという。 渡米したポポフは、FBIのニューヨーク支部長と面会し「日本が真珠湾を奇襲する可能性がある」と告げた。フーバー長官にも面会して進言したが、フーバーは二重スパイのポポフを信用せず、個人的に握り潰した。さらにフランス人のハリウッド女優、シモーヌ・シモンと交際し、高級ホテルやペントハウスで暮らす豪勢な生活を非難したという。

 「質問状」は書類だけでなく、ドイツが超高細密の印刷技術を使って開発した極秘の連絡手段「マイクロドット」としても手渡された。高倍率の拡大鏡で見ると微細な文字が判明する技術。ポポフはこれをFBIに渡し、英米は初めてドイツの革命的なスパイ技術の存在を知った。 真珠湾を偵察する「質問状」は、明確な攻撃計画ではなく、奇襲の意図も明記していないため、日本の奇襲計画情報を入手して、米国に伝えたというポポフの主張は信頼性に欠けるとの見方もあった。

251 NAME :2016/10/30(日) 23:34:30
しかし、その後、情報公開が進み、米国では「ポポフの真珠湾情報はフーバーに伝わったが、ルーズベルト大統領まで上げられなかった」とする論文も発表された。大戦中にドイツの「エニグマ」など世界各国の暗号を解読し、現在は博物館となっているブレッチリーパークでも「ポポフは奇襲4カ月前にリスボンで真珠湾の『調査』情報を受け取り、MI5に報告し、FBIに伝えた。しかし、フーバー長官は、ポポフを嫌い、拒否。FBIのエージェントは敬意を払って関心を持った」とポポフが真珠湾情報を得て英米に伝えていたと公表している。

【プロフィル】ドシュコ・ポポフ セルビアの裕福な家庭に生まれ、ドイツの大学を卒業後、弁護士となった。第二次大戦勃発後、ドイツのスパイとなったが、ナチス嫌いだったため、英MI5に引き抜かれ、二重スパイとなった。ノルマンディー上陸作戦で偽情報をドイツに流して作戦を成功に導いたことにより戦後、英国籍を得て英国王室から勲章を受けた。

 ギャンブル、女性好きで知られ、「007」のジェームズ・ボンドのモデルの一人とされる。コードネーム「トライシクル」は「女性2人とベッドを共にする習性」「部下を2人雇って3人で情報収集」などから命名されたといわれる。「007」原作者のイアン・フレミングはポポフの監視役だった。

【用語解説】MI5 英情報局保安部。英国内での外国スパイや共産主義者などの摘発、国家機密の漏洩阻止などのカウンター・インテリジェンス(防諜)を行う内務省管轄の情報機関。冷戦時代、ソ連のスパイ、キム・フィルビーら「ケンブリッジ5」を突き止め、大戦中は、日独の諜報活動に監視の目を光らせ、二重スパイを送り込み、欺瞞情報を流して勝利に貢献した。英国は他に外務省管轄の通称「MI6」、秘密情報部(SIS)を持つ。

252 NAME :2016/11/25(金) 02:07:26
ククリット・プラモード
http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-798.html

しかしながら、 そういったプロパガンダの試みは 度々失敗の憂き目を見た。 なぜなら、 強制労働、 米の供出義務、 軍警察(ケンペイタイ)の恐怖、 殴打、 暴行、 日本人に対するお辞儀の義務 といった 日本の占領下における 苦い現実があったからだ。  -- 中学校教科書 --

この文章を紹介したのは、名越二荒之助という方で、 デビュー作の 「大東亜戦争を見直そう」 の中にある。 (それ以外にない。 したがって、 今 この文章が 盛んに使われているが、 原典は これのみであり、 引用先を 明示しないのは おかしいといえる。)  

ククリット・プラモード元首相について
http://kuruzou.zero-yen.com/khukrit.htm
老境に達して糖尿病が悪化し、車椅子の不自由な生活を余儀なくされていたククリットさんは、しばしば日本の大学から、「本学の名誉博士号をやるから、日本まで取りに来い」と言われ、相当頭にきていた。また、部下であるサイアム・ラット紙の記者さえも、めったにサートン通りの自宅へ招き入れないのに、アホ面をさらした日本の右翼は、あたかも神様に謁見を求めるかのような慇懃無礼さで前触れなく押しかけてくる…ククリットさんを反日家に仕立てたのは、他でもなく、戦後民主主義にかぶれた日本人の無神経さと、先達の遺骨ばかりしゃぶって、一向に自分たちの世代の責務(使命感)に覚醒しようとしない日本人愛国者のレトロ感覚に対する苛立ちだったようだ。

「大東亜戦争が正しかったかどうか、まだわからない。いずれにせよ、日本人は『大東亜共栄圏を作る』といってアジアの民衆を戦争に巻き込んだ。武力戦で英米に遅れをとろうと、日本人が立派な大東亜共栄圏を完成させれば、日本の戦争の正義は貫かれる」 大事なのは、歴史の検証や、ましてや靖国議論などではない。武力戦は終わっても、大東亜戦争には、まだ建設の大いなる作業が残されている。爺さんたちが求めていたのは、現代日本人の「行動」だったのである。

253 NAME :2016/12/06(火) 05:48:50
【安倍晋三首相真珠湾訪問】
「傑出した知性示せる」「軽率な言動取らないはず」 識者はどう見る?
2016.12.6 00:06更新
http://www.sankei.com/politics/news/161206/plt1612060001-n1.html

現職首相として初めて米ハワイの真珠湾を訪問すると発表した安倍晋三首相。識者はこれをどう見るか。

 ◇杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏(国際政治学)

 「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の真珠湾訪問は連動しており、日米関係にとって好ましいことだ。ただし、安倍首相は謝罪するべきではなく、あくまで慰霊の訪問に徹してほしい。あらゆる国家には独自の歴史認識があり、自国の歴史観を貫きながら相手の立場も理解することが必要だ。今回の訪問は、戦った国同士がいつまでも禍根を残すべきではないということを行動で示すことになる。日米両国の最高指導者が世界でも傑出した知性を示すことになると思う」

 ◇拓殖大学客員教授の潮匡人氏(安全保障)

 「広島でオバマ大統領が謝罪したようにも、していないようにも見えたように、安倍首相も曖昧な言動をするだろう。開戦の通告が遅れたことは歴史的事実として認められていることだが、侵略戦争を認めるとなれば重大な戦争犯罪に問われることになる。安倍首相は広島と長崎への原爆投下、全国への空襲爆撃の遺族の思いも理解しているはずなので、軽率な言動は取らないだろう。和解から、未来に向けた、さらなる日米関係強化のための一歩になることを期待している」

254 NAME :2016/12/28(水) 21:24:25
【安倍首相真珠湾訪問】「訪問に感謝」と90歳代の元米兵ら
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%80%90%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8%e7%9c%9f%e7%8f%a0%e6%b9%be%e8%a8%aa%e5%95%8f%e3%80%91%e3%80%8c%e8%a8%aa%e5%95%8f%e3%81%ab%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%80%8d%e3%81%a8%ef%bc%99%ef%bc%90%e6%ad%b3%e4%bb%a3%e3%81%ae%e5%85%83%e7%b1%b3%e5%85%b5%e3%82%89/ar-BBxDmt3?ocid=iehp#page=2

【ホノルル=加納宏幸】真珠湾攻撃を経験した90歳代の元米兵らは、強い日差しが照りつける中で安倍晋三首相とオバマ米大統領の演説を真剣な表情で見守った。攻撃から75年を経て実現した日米両首脳の訪問を歓迎。式典が終わると、車椅子に座って、攻撃で沈んだ戦艦上に建つ慰霊施設「アリゾナ記念館」をじっと見つめていた。 海軍の医療要員として攻撃を経験したスターリング・ケールさん(95)は首相の訪問を「とてもうれしい。75年が経ち、日本の首相が来てくれたことに感謝している」と述べた。

 ケールさんは、首相が日米両国の和解に言及したことを高く評価し、首相が日本国民として申し訳ないという気持ちを表明したと受け止めた。

 米軍施設に勤務していたアル・ロドリゲスさん(96)は、演説を終えて近付いてきた首相に「ありがとう」というと、抱きしめられた。ロドリゲスさんは、「訪問を楽しみにしていたので、ありがたいことです。私たちは和解した」と述べた。 元米兵らは記者団から真珠湾攻撃について日本の首相からの謝罪が必要かという質問を受けていたが、いずれも首相が訪問に踏み切ったこと自体を評価し、謝罪する必要はないという認識を示していた。

255 NAME :2017/02/07(火) 21:14:35
【銀幕裏の声】
ほとんど特攻、海面すれすれまで急降下…機首引き上げた瞬間に敵艦乗員と目が合った 爆撃グラマンを振り切った男(下)
2017.2.7 11:00更新
http://www.sankei.com/west/news/170207/wst1702070006-n1.html

映画「永遠の0(ゼロ)」で岡田准一が演じた零戦パイロット、宮部久蔵は卓越した技術で敵艦の艦砲射撃を交わすアクロバチックな操縦を見せた。「零戦パイロットばかりが命を懸けて戦っていたわけではないですよ」と語る元海軍艦上爆撃機「彗(すい)星(せい)」パイロット、大野徳兵衛さん(90)は急降下爆撃の際、海面すれすれまで高度を落とし敵艦に近づき爆弾を投下、機首を引き上げた瞬間、「艦橋にいる敵乗員と目が合った」と言う。アクロバチックな操縦技術を誇ったのは宮部のような戦闘機パイロットだけではなかった。「爆撃機パイロットの腕も凄かったんですよ。私は10回も不時着していますが…」。米軍機も恐れた“高速艦爆”パイロット、大野さんが戦闘機の護衛なし、彗星だけの特攻の真実を明かした。(戸津井康之)

地面に衝突する! 初めて目にした急降下訓練に茫然

 ラバウルの航空部隊で、九九式艦上爆撃機のパイロットとして激戦をくぐり抜けてきた大野さんは、いったん日本へ帰国。昭和19年5月、鈴鹿の航空基地へ友人と2人で向かった。 日本が開発した最新型の高速艦上爆撃機「彗星」の操縦訓練を受けるためだった。 「基地近くの駅に降り立ち、田んぼのあぜ道に腰を下ろして休憩していたときでした…」 2人の目の前で、攻撃機の急降下訓練が始まった。 機体はほぼ垂直に降下、地面に衝突するぐらいの低高度で機首を引き起こし、猛スピードで駆け抜けていった。 「降下の際はエンジンを絞るので、音が小さいのですが、機首を引き上げるときにはパワーを上げるので、もの凄い轟(ごう)音(おん)が周囲に響きます。壮絶な訓練が何回も私たちの目の前で繰り返されたんです」

 この機体こそ、大野さんたちがこれから操縦訓練を受ける最新型の艦爆「彗星」だった。

256 NAME :2017/02/19(日) 14:32:55
【満州文化物語(43)】
やっと再訪できた故郷 引き揚げ者の苦悩
2017.2.19 12:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/170217/prm1702170012-n1.html

「親孝行な」妹の死

 「これでやっと中国に行けるねぇ」 日中の国交が回復、平和友好条約も結ばれた後、ちばてつや(78)はあるパーティーで赤塚不二夫(平成20年に72歳で死去)から声を掛けられた。 「え? なぜ中国?」 いぶかるちばに、赤塚は回りをそっと見渡しながらこうささやいた。

 「実はオレ、中国にいたのよ。満州の奉天なんだ」 「えっ、オレも奉天ですよ」 ちばは驚いた。これまで赤塚からそんな話をまったく聞いたことがなかったからである。 終戦時、奉天で消防署に勤務していた赤塚の父親はソ連軍(当時)によってシベリアへ抑留された。残された母親と10歳の赤塚、3人の幼い弟妹の5人は昭和21年6月、命からがら長崎・佐世保港へと引き揚げてくる。そして、母の実家である奈良・郡山に着いた直後、生後6カ月の末の妹は息を引き取ってしまう。

赤塚はその痛恨事を“親孝行”と書いた。《かあちゃんは泣かなかった…ここまで苦労してきたのは、ただ子供たちをどんなことがあってもこの家まで送り届けなければ、という必死な思いがあったからだ…引き揚げの途中で子供に死なれでもしたら、かあちゃんは半狂乱になったかもしれない…そういう意味では本当にかあちゃん思いの親孝行な妹だった、とぼくは思っている》(『赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ』)

 母子がいったん手を離せば、もう二度とは会えない。迷子は即座に「死」を意味する極限状態。トイレも屋根も食べ物もろくにない無蓋(むがい)列車に揺られ、いつ襲われるか分からない道なき道を歩き、1年もかけてやっと引き揚げ船が出る港町まで着いたのだ。その間におびただしい死を見てきた。「生きながらえることができるなら」とわずかなお金で中国人に幼子を託してしまった親は数知れない。

「余計者」へのいじめ

 引き揚げ者は内地(日本)に帰ってからも苦労が絶えなかった。日本中が廃虚になり、住む場所も食べる物もないところへ、“厄介者”が加わるのだ。赤塚の一家も2間しかない実家に大人5人、子供3人がひしめき合う貧乏生活。代表作『おそ松くん』の登場人物はその時代に地元の悪ガキらと遊んだ記憶がモチーフになったという。

257 NAME :2017/02/19(日) 14:45:24
ちばは、引き揚げ時7歳。奉天から両親と幼い弟3人で、父の実家の千葉県の田舎へ来たが、なかなかなじめなかった。地元の子供たちからからかわれ、いじめられる。「だって、食糧難の時代に引き揚げ者なんて余計者でしょ。内地の人からすれば今ごろ帰ってきて『向こうにいてくれたほうがよかった』という話ですよ。(その後も)引き揚げの話はできるだけしなかった」

 昭和20年12月に茨城・神栖(かみす)へ引き揚げた古谷三敏(ふるや・みつとし)も「“満州、満州”って言われ、半年間もいじめられた。僕にもプライドがあるので『何で田舎の人間にバカにされるのか』と毎日ケンカですよ」

 新京にいた北見けんいち(76)は、自宅の2階から緑色のソ連軍の大きな戦車がぞろぞろと入ってくるのを見た。印刷会社勤務の父親は終戦直前の20年8月10日に“根こそぎ動員”で招集され、そのままシベリアに抑留されてしまう。

 それまでは裕福な暮らしだった。母親が経営する食堂は日本の軍人らで大繁盛。2歳のときには満鉄の特急「あじあ」に乗って里帰りしたり、北見を世話する乳母が2人もいて、冬でも温室栽培のトマトを食べていた。結局、父親は4年間シベリアに抑留される。引き揚げは野球の水原茂と同じ船だったという。

 森田拳次(77)の父親はいったんシベリア行きの列車に乗せられながらも、隙を見て脱走。肥だめなどに身を隠しながら、命からがら家族のところへたどり着く。東京へ引き揚げた森田と北見は同じ中学の先輩後輩になった。

涙あふれた自宅再訪

 戦後、満州からの引き揚げ者は、その事実を“封印”して生きてきた人が少なくない。「侵略者の子供」などと謂(い)われなき指弾をされたり、就職や結婚で差別を受けることもあった。 満州や大陸育ちの漫画家たちが、やっと「故郷」を訪問できるようになったのも1980年代以降のことである。それから何度も訪問を重ねた。

 ちばが幼少期を過ごした奉天の自宅は高い塀に囲まれた印刷会社の社宅で、当初はそのまま残っていた。「幼い僕は放浪癖があったのか、塀を乗り越えて1人で街へ繰り出し、よく親を慌てさせた。おいしい食べ物や家畜、石炭の匂いが懐かしくってね」 終戦時4歳だった北見は「覚えているはずがない」新京の自宅付近を再訪したとき「この辺りだ!」と叫んで立ち止まり、泣き出した。近所のお年寄りに尋ねてみたらそこで間違いない。「やっぱり僕にとっては満州が故郷だよね。いとおしさを感じますよ」

やがて彼らは「中国引揚げ漫画家の会」などをつくり、体験を次世代の若者や海外へ伝える活動を始める。自らの体験を漫画に描き、中国でも漫画展をやった。 言い出しっぺは森田だ。「日本と中国は政府レベルでやると角が立つけど、実際に話してみると、中国の若い人たちも日本の漫画が大好き。(作品を見て)涙を流す女子大生もいたんだから。やってよかったと思いましたね」。古谷も「われわれも年齢を重ねて、エンターテインメントだけじゃなくて、そろそろこうした体験を残したいとね」。

 ちばが言う。「今中国とはギクシャクした関係だけど、庶民同士は仲がいい。僕も父に中国人の親友がいてその助けで帰って来られた。どうして国同士になるとうまくやっていけないのかな? 確かに日本人はひどいことをしたかもしれないけど鉄道や病院も残した。そろそろお互い昔のことは忘れて先(将来)のことを考えませんか」=敬称略、隔週掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

 ●古谷三敏 昭和11年生まれ。奉天で育ち、後に北京、北戴河へ。代表作は「ダメおやじ」「寄席芸人伝」など。 ●ちばてつや 昭和14年東京生まれ。奉天で育つ。代表作は「あしたのジョー」「のたり松太郎」など。 ●森田拳次 昭和14年東京生まれ、生後間もなく奉天へ。代表作は「丸出だめ夫」「ロボタン」など。 ●北見けんいち 昭和15年新京生まれ。母親が食堂を経営。代表作は「釣りバカ日誌」など。


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