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台 湾

22NAME:2013/09/01(日) 23:58:46
【こだわり旅物語】台湾・台南 語り継ぐ日本人の功績
2013.4.1 16:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130401/trd13040116010010-n1.htm

台湾南部で歴史的な建造物が多く残され、「古都」と称される台南。この地で日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムを築き、不毛の地を穀倉地帯に変えた日本人技師、八田與一(はったよいち)に今も尊敬の念が寄せられている。豊かな田畑、広大なダム。八田の足跡をめぐり、その生涯に思いをはせた。(高久清史)

日台の深い関係

 関西国際空港から約3時間のフライトを終え、台湾桃園国際空港に降り立つ。日本よりも暖かく、春の訪れを感じたが、さらに南にある台南では気温が約30度まで上がると聞き、持っていた薄手のコートをトランクにほうり込んだ。

 台湾高速鉄道(新幹線)で台南駅に到着し、台湾の人たち向けの観光パンフレットを手に取る。昭和天皇が大正時代に訪問された公園、学校などが紹介されており、日本との関わりの深さを実感した。 車で台南市郊外にある烏山頭ダムに向かう中、車窓には緑が鮮やかな水田、バナナやマンゴーなどの畑が広がる。古い家々の軒先にソファやベンチが置かれ、お年寄りが座って昼下がりを過ごす。南国情緒たっぷりの空間だ。

「八田」の名が標識に

 「八田路」。ダム敷地へと続く道に、八田の名を冠した標識があった。ガイドの簡●(●=迅のしんにゅうをさんずいに)如さん(30)は「ダムを作った八田さんの功績をたたえ、命名されました」と解説してくれた。 同ダムは八田の設計のもと、1920年から10年の歳月を経て完成。総延長1万6000キロに及ぶ用水路も整備され、干魃(かんばつ)や塩害により不毛の地とされていた一帯の嘉南平野を穀倉地帯に変えた。八田の功績は教科書に登場するだけでなく、アニメ化され、語り継がれている。さらに2011年にはダムに隣接するエリアに八田與一記念公園が完成した。

 さっそく記念公園へ。かつて工事従事者の宿舎が並び、約2000人が居住していたとされ、敷地内には八田ら日本人技師が暮らした木造住居4棟が復元されている。日本から寄せられた家具が据えられ、その忠実さに驚かされる。 台南に恩恵をもたらしたダムにも、歴史を感じさせるスポットがちりばめられている。約1・3キロに及ぶ堤防には道路が整備され、眼下に広がるダム湖を眺めながら散策できる。そのスケールから、当時の工事の困難さがうかがえる。

 水を噴き出す旧送水口には悲しいエピソードがある。八田は42年、フィリピンへ向かうために乗った船が米軍潜水艦に撃沈され死亡したが、妻の外代樹(とよき)が45年9月1日に旧送水口に身を投げ、命を絶った。その日はダム工事開始25周年の記念日。旧送水口の上にある展示室には、八田の遺品とともに、夫妻が最後に一緒に撮影した写真が飾られている。

 「夫妻は本当に仲むつまじかったと聞いています」。台南市の頼清徳市長は沈痛な表情でこう説明した上で、台南のために生涯をささげた夫妻をたたえた。

 「大きな貢献により、台南と日本に強い絆が生まれている」

古都が生む熱気

 ダムとともに繁栄した台南市。17世紀にオランダ人が築城し、その後に改築された「赤嵌楼(せきかんろう)」などの古跡や、赤れんがの古い建物がいたるところに残り、古都の名にふさわしい街並みを楽しむことができる。 道路沿いの建物から突き出す縦長の看板が連なり、夜には紫や赤、青といった派手なネオンで彩られる。その光景に誘われ、宿泊したホテル周辺を歩くと、台湾観光の名物でもある夜市を見つけた。

 草履のような形の大きなとりのから揚げ、豆腐を発酵させた臭豆腐、タピオカ、すし−。立ち並ぶ屋台が独特のにおいを放ち、市民や観光客を引き寄せる。日本にはないアジアの熱気に、高揚感を覚えた。

【八田與一】 1886〜1942年。石川県出身で東京帝大工学部を卒業後、台湾総督府で技師として勤め、烏山頭ダムを築いた。命日の5月8日には現地で慰霊祭が行われている。

 【台湾の観光】 人気を集めているのが台北市。蒋介石を顕彰する中正紀念堂など見どころが多く、小籠包などのグルメも豊富。高雄市では蓮の花で有名な淡水湖の蓮池潭(れんちたん)と龍虎塔が定番になっている。問い合わせはサンケイツアー((電)06・6633・5931)。


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